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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 “真珠湾”の日
2019-12-08 Sun 01:22
 きょう(8日)は“真珠湾”の日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ニカラグア・ルーズヴェルト追悼(対日宣戦布告)
 
 これは、1946年に中米のニカラグアが発行した“フランクリン・ルーズヴェルト追悼”の切手のうち、彼の実績のひとつとして、対日宣戦布告所への署名場面を取り上げた1枚です。

 ニカラグアでは、1927年、保守党のアドルフォ・ディアス政権に対して自由党のホセ・マリア・モンカーダらが攻撃を開始して内戦が勃発。この内戦はすぐに停戦となりましたが、停戦後の選挙監視のため米海兵隊が上陸すると、これに反発した反政府軍のアウグスト・セサル・サンディーノはニカラグア国民主権防衛軍を率いて米軍を攻撃し、以後、米軍が撤退する1933年まで、サンディーノ軍と米軍および米軍の支援を受けたニカラグア国家警備隊との間でゲリラ戦が展開されました。

 米軍撤退後の1934年、米国の内諾を得た国家警備隊長のアナスタシオ・ソモサ・ガルシア(タチョ)はサンディーノを暗殺。さらに、1936年にはクーデターを起こしてサカサ大統領を追放し、自ら大統領に就任します。

 1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を受けて米国が第二次世界大戦に参戦すると、タチョは直ちに枢軸国に宣戦布告し、米国から100万ドルの軍事援助を獲得するとともに、ドイツ人・イタリア人の資産を接収。政府が接収した敵国人の資産はソモサ一族に格安で売却され、タチョは莫大な利益を得るとともに、彼自身も独裁者としてニカラグア政界に君臨しました。

 第二次大戦への米国の参戦を奇貨として米国にすり寄ることで莫大な援助を獲得し、それを横領することで私腹を肥やしていたタチョ政権にとっては、今回ご紹介の切手に描かれている“ルーズヴェルト大統領の対日宣戦布告”は、まさに、自分たちの利嫌の源ともいうべき出来事だったわけで、それゆえ、追悼切手に取り上げて感謝の意を表するくらいは当然の仕儀だったのでしょう。ちなみに、ルーズヴェルト本人はタチョについて、「あの男はろくでなしだが、われわれの側のろくでなしだ」と語っていたそうです。

 第二次大戦の終結直前にルーズヴェルトは現職大統領のまま亡くなりますが、タチョによる国家の私物化はますます激しくなり、1956年、救国の情に駆られた詩人リゴベルト・ロペスはタチョを暗殺します。しかし、タチョの長男のルイス・ソモサ・デバイレが後継大統領となり、ニカラグアはソモサ家による王朝化。さらに、ルイスが1963年に病死すると、国政の実権は弟のアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(タチート)に引き継がれ、タチートは国家警備隊の暴力を背景に国家の私物化をいっそう進めました。

 こうした状況の下、1961年、キューバ革命の影響を受けたトマス・ボルヘやカルロス・フォンセカらは、左翼系の反政府組織として、タチョに殺害されたサンディーノの名を冠したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を組織し、1963年以降、本格的な反政府武装闘争を開始することになります。当初、彼らの闘争は、米国の支援を受けたソモサ王朝に全く歯が立ちませんでしたが、1972年のマナグア大地震に際して世界中から送られた救援物資をソモサ一派が着服して全世界から不興を買ったことを機に、次第に政権に不満を持つ国民の支持を集めるようになり、1979年7月19日、ソモサ政権を打倒してニカラグア革命を達成することになります。

 なお、FSLNとニカラグアの現代史については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、主としてキューバとの関連で触れておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 メルケル独首相、アウシュヴィッツ訪問
2019-12-07 Sat 01:38
 ドイツのメルケル首相は、きのう(6日)、ポーランド南部のアウシュヴィッツ強制収容所跡を訪問し、加害国の首脳として犠牲者を追悼しました。在任中にアウシュヴィッツを訪れたドイツ(西ドイツを含む)首相としてはシュミット氏らに続き3人目です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アウシュヴィッツ・ライプツィヒ・メッセ貼り

 これは、1941年7月26日、アウシュヴィッツ第1収容所からケーニヒスヒュッテ(ポーランド語名ホジュフ)宛に差し出された郵便物で、1940年3月に発行された“ライプツィヒ・メッセ750年記念”の25ペニヒ切手が貼られています。

 いわゆるアウシュヴィッツ収容所には、①1940年6月に最初に開所したアウシュヴィッツ基幹収容所(第1収容所)、②1941年10月、第1収容所から3キロほどの湿地帯に開設されたビルケナウ(ポーランド語名・ブジェジンカ)の第2収容所、③1942年以降、第1収容所から東に7キロほどの地点に、イーゲー・ファルベン社の工場に隣接して設けられたモノヴィッツの第3収容所、がありますが、今回ご紹介のカバーは、第2収容所開設以前の差出ですので、第1収容所からの発信であることは間違いありません。

 また、1940年6月14日、最初の収容者として、タルヌフから728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送されてから、1942年1月のヴァンゼー会議で「ユダヤ人問題の最終解決」が決定され、ドイツの勢力圏内各地から多数のユダヤ人がアウシュヴィッツに移送されてくるまで、アウシュヴィッツの収容者は、原則としてポーランド人(その中には、ユダヤ系のポーランド人もいましたが、収容所当局の認識としては、彼らはあくまでも“ポーランド人”です)でしたから、このカバーの差出人もポーランド人です。

 切手の題材となっているライプツィヒ・メッセは、1190年、商品を直接売買する現物市として始まり、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(在位1508-19年)の庇護を得て大きく発展。1895年には現在のような見本市になりました。ナチス・ドイツは、神聖ローマ帝国を“第一帝国”としたうえで、みずからを“第三帝国”と位置付けており、1939年のチェコスロヴァキア併合をもって神聖ローマ帝国の復活を宣言しています。こうしたこともあって、神聖ローマ帝国の時代から綿々と続くライプツィヒ・メッセは、第三帝国の正統性を主張するうえで重要なイベントと位置づけられていました。

 ちなみに、ライプツィヒには、1409年、ヤン・フスらによるチェコ人優遇策に抗議してプラハ大学を去ったドイツ人教員や学生を受け入れるためにマイセン辺境伯フリードリヒ4世が創立したライプツィヒ大学があり、メルケル首相は同大での出身(物理学専攻)です。

 一方、宛先のケーニヒスヒュッテは、現在のドイツ=ポーランド国境に近いポーランド・シロンスク地方有数の工業都市ですが、第二次大戦中はドイツ領に編入されていました。したがって、収容所からの封書の料金は国内料金用の12ペニヒです。収容者が自らの意思で倍額以上の25ペニヒ支払うということも考えにくいので、差出人は外部からの差し入れによりこの切手を入手したと考えるのが妥当でしょう。

 なお、アウシュヴィッツの収容所とその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 フランス全土で大規模スト
2019-12-06 Fri 10:41
 フランスでは、きのう(5日)から、マクロン大統領が進める年金改革に反対する大規模なストライキが始まりました。内務省の集計で参加者は全土で80万人を超えており、高速鉄道TGVの9割が運休し、パリ市内の地下鉄も大半の路線が止まるなど、交通網はマヒ状態で、病院職員や教員、警官、消防隊員もストに加わり、多くの学校も休校となりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      フランス・ストライキ(1968)

 これは、1968年5月27日、パリ五月革命下のフランス南西部リブルヌ郡からパリ宛に差し出された郵便物で、ゼネストで国営の郵便事業が事実上停止されていた中で、郡の商工会議所が一般市民向けに提供していた“郵便”を使って差し出されています。料金の50サンチームは、商工会議所の発行した証票により納付され、商工会議所のスタンプで消印されています。

 1938年に6万人だったフランスの大学生は、1961年に24万人、1968年に60万5000人にまで膨れ上がりました。この結果、特権的なエリート教育・研究の場だった大学は大衆化したものの、新たに“知識人”の資格を得た(はずの)若者たちにはそれにふさわしい(と彼らが考える)社会的発言の場が与えられたわけではなく、彼らの不満が鬱積していました。

 1966年、ストラスブール大学で、教授独占の位階体制に対する民主化要求の学生運動が発生。学生たちの矛先は、既存の学生運動組織だったフランス全国学生連盟(UNEF)や、ソ連との関係が深く“官僚主義的”なフランス共産党にも向けられ、1964年に創立されたばかりのパリ大学ナンテール分校(現パリ第十大学)へも波及。さらに、1968年3月22日、“ベトナム戦争反対を唱える国民委員会”のメンバーが逮捕されると、これに抗議する学生が校舎の一部を占拠し、ソルボンヌ(パリ大学)でも学生の自治と民主化を要求する運動が本格化。3月末にはナンテール分校の授業も中止されました。

 こうした状況の下、1968年5月1日、反共を掲げる右派系の学生組織、“オキシデンタル・グループ”がナンテール校を攻撃しようとしているという噂が広まり、翌2日にはソルボンヌの学生組合ビルの一部が燃える事件が発生します。パリの大学を取り巻く情勢が急速に緊張する中で、5月3日、ナンテール校の学部長がキャンバスの閉鎖を決定すると、追放された学生約500名がソルボンヌを占拠。警察、保安機動隊との衝突で、100名以上が負傷し、数百名が逮捕され、ソルボンヌは閉鎖されました。

 こうして、いわゆる“パリ五月革命”が始まります。

 学生たちはパリ市街ラテン地区(カルティエ・ラタン)に拡散してパリ中心部で大規模なデモを敢行。これを警察が鎮圧しようとすると、さらに多くの学生がデモに参加するようになり、一般市民も巻き込んで騒乱が拡大します。さらに、5月6日にはフランスの各地で高校生や大学生による連帯ストライキが発生し、翌7日には4万人の大規模デモが発生して、カルティエ・ラタンは中央政府の統制が及ばない“解放区”の様相を呈しました。

 さらに、学生運動は各国の左翼過激派の闘争とも連携して、大学占拠・街頭進出というかたちで地方にも爆発的に拡大。これに呼応して、労働組合は大規模なストライキを決行し、5月14日には、労働者が約50のルノー工場を占拠して工場責任者を拘束し、工場に紅旗を掲揚します。以後、ストライキは雪だるま式に拡大し、ピーク時にはフランス人労働者のおよそ3分の2に相当する約1000万人が参加し、5月20-21日には「労働者と学生の闘争は同じである」とのスローガンの下、銀行や繊維産業等も含めた大規模なゼネストが行われ、フランスの交通・流通システムは麻痺状態に陥りました。

 こうした状況の下、ゼネストにより国営の郵便事業も事実上停止となったため、一部の地域では商工会議所などが一般市民向けの通信サービスを提供することもありました。今回ご紹介の郵便物もその一例です。

 結局、5月27日に政府、労働組合、および雇用主連合間の交渉により、最低賃金を3分の1引き上げ、労働組合への公的権利が確立される「グルネル協定」が締結され、5月30日にド・ゴール大統領が国会の解散を宣言したことで事態は沈静化。6月に入ると労働者の大部分は職場復帰したが、その後も散発的な暴力は続きました。

 ところで、五月革命当初、フランス共産党は影響下にある労働総同盟(CGT)を通じて労働者のストライキを組織し、“ソ連を非難する急進的な学生運動”をアナーキストないしはトロツキストと非難していましたが、革命全体を通して主導権を握っていたのは、反スターリン主義・反ソ連の新左翼グループでした。学生グループの指導者としては、たとえば、ドイツ系ユダヤ人で無政府主義者のダニエル・コーン=ベンディット、統一社会党のジャック・ソバジョ、毛沢東主義者のアラン・ジェスマル、トロツキストのアラン・クリヴィーヌ等がいました。

 デモに参加した学生たちは、既存の左翼勢力を否定する新左翼の立場から、革命のシンボルとして、反ソ・反スターリン主義の象徴である毛沢東とチェ・ゲバラの落書きを壁に描いたり、プラカードとして掲げて街中を練り歩いたりしました。

 このうち、ゲバラの肖像に関しては、コルダの「英雄的ゲリラ」とそれに由来するフィッツパトリックのイラストが好んで用いられています。

 パリ五月革命は、西ドイツや日本、イタリアなど西側先進国の左翼学生たちに影響を与え、各国の学生運動を過激化させる結果をもたらしましたが、その副産物として、各種の「英雄的ゲリラ」を中心とするゲバラの肖像も、新左翼のシンボルとして、各国に拡散・浸透していくことになります。

 この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 中村哲医師、亡くなる
2019-12-05 Thu 18:18
 ペシャワール会現地代表で、アフガニスタンで長年支援活動に携わってきた日本人医師、中村哲さんが、きのう(4日)、同国東部のナンガルハル州ジャララバードで銃撃され、亡くなりました。享年73歳。というわけで、現地での用水の確保に尽力した中村さんにちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アフガニスタン・農民の日(1984・用水路)

 これは、1984年、親ソ政権下のアフガニスタンで発行された“農民の日”の記念切手のうち、用水路の浚渫風景を描いた1枚です。

 中村さんは、1946年、福岡市生まれ、九州大学医学部卒業後、国内病院勤務を経て、今回ご紹介の切手が発行された1984年、パキスタン北西辺境州の州都でアフガニスタンとの国境にも近いペシャワールに赴任。1991年にはアフガニスタン側のナンガルハル州の村に診療所を開設し、さらに、1998年にはペシャワールにパキスタンおよびアフガニスタン両国での活動の恒久的拠点となる病院を開設し、ハンセン病を中心とする医療活動に従事してきました。

 2001年、911テロ事件の首謀者、ウサマ・ビン・ラディンを匿っているとの理由で米国がアフガニスタンを空爆し、多くの一般市民にも犠牲者が出た際には“アフガンいのちの基金”を設立し、アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施し、2002年2月までに15万人の難民に配給を行っています。

 2000年にアフガニスタンで大旱魃が発生した際、赤痢の患者が急増したのを契機として、「医者がいなくても生きられるが、水なくしては生きられない」と考え、清潔な飲料水の確保にも着手。これまでに、約1600本の井戸を掘削しました。た井戸は約1600本に上った。また、“アフガンいのちの基金”をもとに、2003年3月、灌漑用水確保15ヵ年計画として、アフガニスタンで山田堰及び堀川用水の利水構造をモデルとする全長27キロにも及ぶ“マルワリード”用水路の建設を開始。2010年には全長25.5 キロの用水路が完成・稼働し、約3000 ヘクタールの荒廃地が農地となりました。

 こうした長年の功績が認められ、昨年(2018年)、アフガニスタンのガニ大統領は中村さんに国家勲章を、今年(2019年)10月には外国人として初めて、アフガニスタンの名誉市民権を授与していました。

 あらためて、謹んでご冥福をお祈りします。


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 世界最大の犠牲祭はじまる
2019-12-04 Wed 02:04
 インドとの国境に近いネパールのバラ郡バリヤプールにあるガディマイ寺院で、昨日(3日)から、世界最大の犠牲祭として知られるヒンドゥーの“ガディマイ・メラ”が始まりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ネパール・ガディマイ

 これは、2004年にネパールが発行した観光宣伝切手のうち、ガディマイ寺院を取り上げた1枚です。中央に取り上げられているのは、ヒンドゥーの女神のひとつ、ガディマイで、彼女に生贄の動物を奉げることで、幸運と繁栄が得られるとされています。

 ガディマイ・メラは、いまから260年ほど前、この地方の地主の男が下獄した際、ガディマイ寺院に血に犠牲を払えば自らの罪は解決されると信じ、釈放されるとすぐにシャーマンを呼び、生贄を捧げたのが始まりとされています。以後、5年に1度、女神ガディマイに動物の生贄を捧げ、神の加護を願う祭りとして“ガディマイ・メラ”が行われるようになりました。
 
 ガディマイ・メラでは、約250万人のヒンドゥー信徒がインドおよびネパール各地から膨大な数の牛、羊、豚などの家畜を連れてガディマイ寺院に集まり、連れてきた動物を生贄として屠っています。なお、一般に、ヒンドゥーでは、シヴァ神の乗物である牛は“聖なる動物”として殺してはならないとされていますが、ガディマイ・メラでは、それゆえに水牛が最も徳の高い生贄として重宝されるため、巡礼者が何千もの水牛を連れてきます。

 連れて来られた動物は水や餌を与えられないまま囲いの中に閉じ込められ、祭りの日が来ると、200人以上の男たちが囲いの中に入り、剣を振り回して殺します。2014年に行われた前回の祭りでは、2日間で推定20万もの動物が殺されたとされています。

 これに対して、世界各国の動物愛護団体は長年にわたって動物虐待としてガディマイ・メラの中止を求めて抗議活動を展開。このため、前回の祭りが終わった後の2015年、ガディマイ寺院は「2019年の祭りを最後に、動物の殺戮を禁止する」と宣言し、翌2016年にはネパール最高裁も政府に対して生贄をやめるよう命じたため、その通りに実行されれば、今回が最後のガディマイ・メラということになります。

 もっとも、ガディマイ寺院の認識では「265年の歴史を持つ祭りの儀式を短期間で変えるのは困難だろう。多くの善男善女は血まみれの動物を捧げてこそ、女神のご加護を得られると深く信じているからだ」とのこと。さらに、ガディマイ・メラは多くの人々が集まる観光資源となっており、それゆえ、ネパール政府は祭りの開催に当たって寺院側に補助金を支払っているだけでなく、屠られた動物の肉や皮革をインドに売られることで得られる現金収入は総額で5億円近くにも上っているという事情もあり、今回限りで祭りをスパッとやめるのはなかなか難しいというのが実情のようです。


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 冷戦終結宣言30年
2019-12-03 Tue 09:49
 1989年12月3日、マルタ島南部沖に停泊していたソ連クルーズ客船、マクシム・ゴーリキー内で開催された米ソのマルタ会談で、東西冷戦の終結が宣言されてから、ちょうど30年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・マキシムゴーリキー(船)

 これは、1989年のマルタ会談が行われた客船、マクシム・ゴーリキーを描いた1987年のソ連切手です。

 1989年の米ソのマルタ会談は、11月9日のベルリンの壁崩壊以降、東欧社会主義諸国の民主化が急速に進行したことを受けて、東西冷戦終結後の国際秩序の枠組みについて討議するため、12月2-3日の両日、マルタ南部の観光地で漁村のマーサシュロックと同じ湾に臨むビーゼブガ沖で行われました。ちなみに、マーサシュロックの海岸沿いには、現在、下の画像のようなマルタ会談の記念碑が建てられています。

      マルタ会談記念碑

 また、記念碑には、こんな銘板もつけられていました。

      マルタ会談記念碑・銘板

 さて、会談の米国側出席者は、ジョージ・ブッシュ(父)大統領、ベイカー国務長官、スコウクロフト国家安全保障問題担当大統領補佐官、ライス国家安全保障会議東欧ソ連部長、ジャック・F・マットロック・ジュニア駐ソ連米国大使ら、ソ連側はゴルバチョフ最高会議議長兼共産党書記長、シュワルナゼ外相らで、具体的な議題としては、①軍備管理・軍縮問題、②東欧問題、③ドイツ再統一問題、④ソ連経済問題、⑤中米紛争問題が中心で、冷戦の終結宣言は会議2日目(最終日)の12月3日のことでした。

 なお、マルタで“冷戦終結”が宣言された12月3日の時点では、ルーマニアの独裁者チャウシェスクは依然として体制維持に自信を持っていましたが、同月17日のティミショアラ事件をきっかけに国民の怒りが爆発。同22日のルーマニア革命で政権を追われ、25日には処刑されることになります。

 マルタ会談の行われたマキシムゴーリキーは、もともとは、1969年、戦後初の西ドイツ大型客船“ハンブルク”として建造されました。総トン数は2万4220トン、全長194.71m、全幅26.6mで、旅客定員650名です。

 その後、“ハンゼアティック”への船名変更を経てソ連に売却されて、ロシアの文豪にちなむ“マキシムゴーリキー”と再改称され、主に外国人観光客を対象としたクルーズ船として利用されていました。今回ご紹介の切手も、外国人観光客を誘致する一環として、ソ連の客船を宣伝するために発行されたセットの1枚です。

 1991年のソ連崩壊後は、船籍をバハマに移し、ドイツのフェニックス・レイゼン社にチャーターされて世界中をクルーズしていましたが、2009年1月に廃船となりました。


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初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。

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 キリストの飼い葉おけ、ベツレヘムへ
2019-12-02 Mon 01:32
 イエス・キリストが誕生した時に寝かされていた飼い葉おけの一部とされる木片が、11月30日(現地時間)、イタリアから1300年超の時を経て生誕地のベツレヘムに里帰りしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ2000(ジオット)

 これは、1999年12月8日、パレスチナ自治政府が同年のクリスマス切手と“ベツレヘム2000”のキャンペーン切手を兼ねて発行したもので、13-14世紀のイタリア人画家、ジョット・ディ・ボンドーネがパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描いたフレスコ壁画「キリスト降誕図」のうち、聖母マリアが今まさにキリストを飼い葉おけに寝かせようとしている部分が取り上げられています。

 さて、今回、ベツレヘムに里帰りした木片は、幅1センチ、長さ2.5センチほどの大きさで、640年ごろ、当時のエルサレム総主教ソフロニウスが贈り物としてローマ教皇テオドルス1世に贈り、以後、ローマで保管されていました。2018年12月、ヴァティカンを訪問したパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース議長フランシスコ教皇に返還を要請。これを受けて、今回、ベツレヘムに“返還”され、今後はベツレヘムにとどめ置かれることになりました。

 今回ご紹介の切手の発行名目の一つとなった“ベツレヘム2000”とは、1999年12月から2001年のイースターまでの期間、西暦の新千年紀到来にあわせて、キリスト生誕の地とされるベツレヘムで各種の記念イベントを大々的に行おうという国連主導のプロジェクトで、これを契機に、ベツレヘムを中心に、パレスチナ自治政府支配下のヨルダン川西岸地区に全世界から多くの観光客を誘致するとともに、国際社会の支援で同地域の大規模再開発を進め、パレスチナ経済の浮揚を図る意図も込められていました。 

 ところが、期間中の、2000年9月28日、イスラエルの右派政党、リクードの党首アリエル・シャロンが、当時のバラック政権の軟弱姿勢を批判するため、エルサレムの神殿の丘に登り、岩のドームの前で「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言。パレスチナ人を挑発したことから、第二次インティファーダが発生。情勢が一挙に不安定化したことから、“ベツレヘム2000”は、結果的に尻すぼみに終わってしまいました。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 現職大統領に殺人で有罪判決
2019-12-01 Sun 01:07
 南米大陸北岸のスリナムの軍事法廷は、29日(現地時間)、1982年に政権に批判的だったジャーナリストや弁護士ら16人の拉致を軍に命じ、うち15人を殺害したとして、現職のデシ・ボーターセ大統領に禁錮20年の有罪判決を言い渡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      スリナム・革命5周年(1985)

 これは、1980年にボーターセが最初に権力を掌握した軍事クーデターから5周年になるのを記念して、1985年にスリナムで発行された“革命5周年”の記念切手です。

 スリナムは、南米大陸北東部、カリブ海と大西洋に面して、フランス領ギアナとガイアナにはさまれた位置にあり、国土の大半はギアナ高地です。1677年に結ばれたブレダ条約の結果、オランダがニューアムステルダム(現ニューヨーク市)を含む北米植民地ニューネーデルラント(現ニューヨーク州。毛皮貿易の中心地)を英国に割譲する代わりに、バンダ諸島のラン島(現インドネシア領。香辛料貿易の中心地)とともに、タバコの生産地であった現在のスリナムに相当する地域をオランダ領ギアナとして領有することになりました。

 オランダからの独立は1975年のことでしたが、当初、スリナムはオランダからの経済支援に依存した経済建設を行っていました。ところが、1980年、陸軍曹長のボーターセによる軍事クーデターが発生。ボーターセひきいる国家軍事評議会は親ソ・キューバ政策を掲げて社会主義化を進めたため、1982年、オランダは経済支援を停止しました。今回、問題となったボーターセの殺人容疑は、この時期に発生したもので、ボーターセ側は事件への関与を否定した上で、犠牲者らは米CIAの支援の下で政権転覆をたくらみ、逃亡を試みて撃たれたと主張していました。 

 しかし、1983年の米軍のグレナダ侵攻を機に、ボーターセ政権は米軍の介入を恐れて親西側に政策を転換。さらに、1986年にはボスネガーの反乱による内戦が勃発するなど、混乱が続きました。

 その後、1987年11月の総選挙で軍部が敗退。翌1988年には新憲法のもとでジャンカルが大統領に選出されて民政復帰を果たし、ボーターセは政界からの引退を余儀なくされたため、オランダは経済援助を再開しています。

 ところが、1990年にはボーターセが再び軍事クーデターを起こしたため、オランダの援助は再び停止。ボーターセらはジャンカルの退陣と引き換えに民政復帰を約束したため、翌1991年に総選挙が行われ、大統領に選出されたフェネティアンの下、米蘭両国との関係も改善されました。

 その後、2001年1月オランダ検察は1982年の反体制派指導者虐殺事件の主犯としてボーターセを拷問・殺人の罪で起訴したほか、麻薬密輸の容疑で国際指名手配しましたが、2010年7月の大統領選挙では野党メガ・コンビネーションから立候補したボーターセが当選。さらに、2015年5月の総選挙ではボーターセ氏ひきいる与党、国民民主党が勝利し、ボーターセも再選されてしまったため、ボーターセは“大統領任期中”として訴追を免れてきました。
 
 しかし、2014年後半以降、原油・資源(ボーキサイト)価格が下落するなかで、2015年の総選挙に関連し、GDPの1.1%に相当する額の公務員の給与、社会保障費及び公共事業の一部増加など、経済成長を遙かに超える支出を行ったことから経済状況が急速に悪化。米ドルに対するスリナム・ドルの価値が半分以下に下落し、光熱費の高騰とも連動した結果、2016年には60%を超えるインフレ率を記録するなど、ボーターセ政権に対する国民の不満が高まっていました。

 こうした背景の下、スリナムの軍事法廷は、ボーターセが中国を公式訪問中で国内を留守にしているタイミングをとらえて、本人欠席のまま、29日に有罪判決を下したというわけです。なお、判決2日前の27日には、ボーターセは北京で習近平と会談をしていますが、1990年代半ば以降、中国はスリナム軍に対して軍備と兵站資材の提供を行なってきたことからすると、あるいは、中国はあらかじめスリナム国内の反大統領派と打ち合わせたうえで、ボーターセを国外に呼び出し、軍事法廷を使って事実上のクーデターを行わせたということなのかもしれません。逆に、中国が今回の件に全く関与していなかったとすると、スリナム側は中国と手を切るとともに、厄介者のボーターセを中国に押し付けたということになります。そのどちらであったかは、今後、スリナムの動向を見ていれば、おのずと明らかになってくることでしょう。


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 幻の中曽根切手
2019-11-30 Sat 05:21
 中曽根康弘元首相が、きのう(29日)、亡くなりました。享年101歳。謹んでご冥福をお祈りしつつ、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます。以下、肩書などは当時のもの)

      韓国・全斗煥訪日

 これは、1984年9月6日に韓国で発行された“全斗煥大統領日本訪問”の記念切手で、太極旗を背にした全斗煥と富士山が描かれています。

 当時の韓国では、大統領の外遊や国賓の訪韓などの際には、両国の国旗を背景に、大統領と相手国の元首ないしはそれに準じる人物の肖像を並べてデザインするのが通例でした。したがって、1984年の大統領訪日の記念切手であれば、全斗煥と昭和天皇または中曽根首相の肖像を並べて取り上げるのが自然な対応となります。特に、中曽根に関しては、1983年4月のASEAN諸国歴訪の際、訪問国の一つであったフィリピンでは、マルコス大統領と並んだ形での肖像切手が発行されていたこともあって、全=中曽根の2人が並んだ切手が発行される可能性も高いとみられていました。

 しかし、そもそも、当時の韓国内には、大統領の訪日に対して賛否が二分されており、賛成派が、両国の不幸な過去を清算し、新しい両国関係を形成するために大統領の訪日は不可欠であると主張したのに対して、反対派は、国民感情を考慮すれば大統領の訪日は時期尚早と反論していました。こうしたこともあって、実際に発行された記念切手では、全斗煥と太極旗は描かれているものの、日本に関しては、日章旗もなければ肖像もなく、富士山のみで表現するという異例なスタイルとなり、中曽根切手も幻に終わっています。

 さて、1984年の全斗煥訪日は、前年(1983年)1月の中曽根訪韓の答礼として、9月6日から8日までの3日間の日程で行われたもので、韓国の国家元首が日本を公式訪問したのはこれが最初です。

 9月6日、出発に先立ち、全斗煥は金浦空港で次のように演説しました。

 「韓日間には不幸な歴史があり、忘れがたい痛手が我々の心のそこに残っていることも、私はよく承知している。しかし、今は未来のため前進すべきときであり、いつまでも過去にとらわれて前進を拒むべきではない…韓日両国の関係はいまや新しい時代に入ったのである…このような新しい幕開けのため、日本訪問を決意した」

 6日の晩に開催された歓迎晩餐会で昭和天皇が「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」と述べられたことを受け、韓国政府は「意義ある表明であり過去に対する真摯な反省と見られる」とのコメントを発表。国際慣例では、国家間では“謝罪”という表現を使わないことを考えると、韓国政府としても、日本の象徴である天皇が“遺憾の意”を示したことは、実質的に“謝罪”の表明であるとの見解を示したわけです。

 一方、両国首脳の会談は6・7日の両日にわたって行われ、北朝鮮問題への対応や在日韓国人の地位向上、貿易不均衡の是正、産業技術協力の拡大、サハリン残留韓国人問題などが話し合われています。また、政府要人の名前について、お互い、現地語で呼ぶようにしようという合意がなされ、メディアもこれに倣うことになったため、一部の報道では、全斗煥はゼントカンとして来日し、チョンドファンとして帰国するということになりました。

 そして、8日、「朝鮮半島における平和と安全の維持が、日本を含む東アジアの平和にとって重要であり…韓日両国間の幅広い経済協力関係を増進させ、貿易均衡を図ることが重要である」との両国首脳の共同声明が発表され、歴史的な全斗煥訪日は無事に終了しました。

 なお、この辺りの事情については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。
 

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 香港人権法、成立
2019-11-29 Fri 11:47
 米国の「香港人権・民主主義法」が、27日(日本時間28日)、トランプ大統領の署名により成立しました。というわけで、きょうは香港×人権のこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・国際人権年

 これは、1968年に英領時代の香港で発行された“国際人権年”の記念切手です。

 1965年の第20回国連総会で、世界人権宣言の採択から20周年にあたる1968年を“国際人権年”とする決議が採択され、加盟各国に対しては、この1年を通じて、人権および基本的自由の尊重をさらに助長し、発展させるよう努力することが要請されました。

 国際人権年の最大のイベントとしては、4月22日から5月13日まで、テヘランで84ヵ国391名の代表を集めて行われた世界人権会議が挙げられます。同会議は、世界人権宣言採択以後の進展を見直し、将来のための活動計画をまとめることを目的に開催されたもので、すべての国家に対して人間の尊厳と平等に対する尊重の精神の下で成長する機会を青少年に提供するため、「教育のあらゆる手段」を活用するように求めていくことなどが決議されました。

 国際人権年に際しては、世界各国が記念切手を発行していますが、今回ご紹介の香港切手もその1枚で、人権の炎がランプから出ているデザインになっています。

 さて、今回成立した香港人権・民主主義法は、2019年6月、共和・民主両党の議員が超党派で法案を提出し、11月19、20日に上下院で賛成が圧倒的多数で可決していたものです。

 1990年に制定された香港特別行政区基本法では、1997年の“返還”以降、50年間は、“一国二制度”の下、英国時代の制度を踏襲する“高度な自治”が維持されることになっています。米国は、これを踏まえて、“返還”以前の1992年に「米国・香港政策法」を制定。香港を中国本土とは異なる地域とみなし、関税やビザ発給などで香港を優遇してきました。

 今回の「香港人権・民主主義法」は、米国務省に対して、毎年、中国が香港との“一国二制度”を守っているかどうかの検証を義務づけ、「米国・香港政策法」に基づく優遇措置が妥当なものか否か判断させるというもので、香港の自治や人権を侵害した人物に対し、米国への入国禁止や資産凍結などの制裁を科すことも盛り込まれています。

 なお、「香港人権・民主主義法」の成立を受け、昨日(28日)、香港中心部の中環(セントラル)地区では、主催者発表で10万人が集まって、米国の支援に感謝する集会が開かれました。香港メディアの取材に対して、「雨傘運動」の元リーダーで民主活動家、黄之鋒氏は「英国などの欧州諸国でもドミノ式に呼応した動きが起きることを期待する」と述べていますが、このドミノの中に日本も加われるようにならないといけませんな。

 * 昨日(28日)、アクセスカウンターが212万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
 
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