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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 香港政府が国歌条例案
2019-01-24 Thu 02:52
 香港政府は、きのう(23日)、中国の国歌「義勇軍進行曲」に対する侮辱行為などに禁錮刑を科すことを盛り込んだ国歌条例案を立法會(議会)に提案しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      中国国歌(1983)

 これは、1983年に中国が発行した“第6回全国人民代表大会”の記念切手で、現在の中国国歌「義勇軍進行曲」の歌詞つき楽譜が取り上げられています。

 「義勇軍進行曲(作詞・田漢、作曲・聶耳)」は、もともとは、1935年の映画『風雲児女』の主題歌で、日中戦争の時代に抗日歌曲として民衆の間に浸透しました。中華人民共和国の建国宣言に先立ち、1949年9月に開催された中国人民政治協商会議では、いずれ正式な国歌を新たに制定されるまで、「義勇軍進行曲」を暫定的な国歌とすることが決められましたが、結局、別の国歌が制定されることのないまま、現在に至っています。

 作詞者の田漢は、1932年に中国共産党に入党した古参党員で、中華人民共和国成立後は政府文化部の戯曲、芸術部門の責任者を務めたものの、1966年に始まる文化大革命では、彼の持つ歴史や民族的文化に対する意識の原点が日本文化に依拠しているなどとして逮捕投獄され、1968年12月10日、獄死。1975年には永遠に党籍を剥奪することが決定されました。

 このため、文革中は「義勇進行曲」は歌なしのインストゥルメンタルでしか演奏されなくなり、代わりに、毛沢東礼賛の「東方紅」が事実上の国歌の扱いを受けていました。

 1976年、毛沢東が亡くなり、 4人組が追放されて文革が完全に終結すると、1978年3月の第5期全国人民代表大会第1回会議で、「義勇進行曲」は再び(事実上の)国歌としての地位を回復しましたが、この時点では田漢の名誉回復離されていなかったため、歌詞については、田漢によるオリジナルのものではなく、「前進!各民族英雄的人民!(進め!各民族の英雄的人民!)」で始まる“集団作詞”のものに変更されています。

 その後、1979年に田漢の名誉回復が行われると、1982年12月4日の第5期全国人民代表大会第5回総会での決定を経て、「起来!不願做奴隷的人們!(起て!奴隷となることを望まぬ人々よ!)」で始まるオリジナルの歌詞が復活。2004年の第10期全国人民代表大会第2次会議での憲法改正により、正式に国歌は「義勇軍進行曲」であることが明記されました。

 さて、今回の国歌条例案は、2017年10月1日から中国で施行されている「中華人民共和国国歌法」を踏まえ、中国国歌の替え歌など意図的な侮辱行為を禁じ、違反者には最高で3年の禁錮刑と5万香港ドル(約70万円)の罰金を科すとされているほか、国慶節(建国記念日)や“抗日戦争勝利記念式典”、香港政府主催の重要なスポーツ行事などで国歌の演奏や斉唱を義務づけ、“中国人”としての愛国心を高めるため、小中学校で国歌斉唱の指導や国歌の歴史を教えることも明記されています。現在、立法會は親中派が多数を占めているため、条例案は今夏までに可決、成立する見通しです。

 まぁ、いかなる国の国歌であれ、相応の敬意を持って扱われるべきであり、侮辱するようなことは厳に慎むべきではあるのですが、そうであればこそ、「義勇進行曲」の歌詞にある通り、香港の人たちが(中共の)奴隷になることを望まずに起ちあがるというのなら、それもまた尊重されなければならないでしょうな。


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 スプートニクとガガーリンの闇(13)
2019-01-23 Wed 11:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、昨年12月25日、『本のメルマガ』第706号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年の期間中に東側諸国が発行した切手のうち、ブルガリアの切手について取り上げました。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルガリア・スプートニク3号(1958)

 これは、1958年11月28日、ブルガリアが発行した「国際地球観測年」の記念切手で、ソ連の人工衛星スプートニク3号と宇宙から見たユーラシア大陸北部が描かれています。

 かつての社会主義時代、ブルガリア建国の父として崇め奉られていたゲオルギ・ディミトロフは、1862年6月、ブルガリア西部のコヴァチェフツィで貧しい労働者階級の子として生まれました。10代の頃から労働運動の活動家として頭角を現し、1902年にはブルガリア労働者社会民主党(PBS)に入党。1919年3月、世界各国で左派勢力を既存の社会民主主義政党から切り離して“前衛党(共産党)”を組織し、世界革命を推進するとのコミンテルン(共産主義第3インターナショナル)の呼びかけに呼応して、同年5月、新たにブルガリア共産党(BKP)が結成されると、その中央委員に就任します。

 1921年6-7月、コミンテルン第3回大会がモスクワで開かれると、ディミトロフはBKP代表としてこれに参加し、ロシア共産党とのパイプを構築。1923年、ブルガリア国内での武装蜂起に失敗すると、ウィーン、ベルリン、モスクワで活動していました。

 1933年2月27日、ドイツ・ベルリンの国会議事堂放火事件では冤罪逮捕されたものの、12月23日、裁判で無罪判決を勝ち取ると、この“勲章”を手に、1935年、コミンテルンの書記長に就任。コミンテルンは1943年に解散しましたが、スターリンは各国の共産党組織に対する“指導”を維持するため、ソ連共産党中央委員会内に国際情報部(OMI)を新設。旧コミンテルン執行部はほぼ横滑りし、ディミトロフもモスクワに留まり、その部長に収まります。ただし、あくまでも、OMIはソ連国内の組織であるとの建前から、その名目上の責任者はシチェルバコフで、ディミトロフは副責任者とされていました。

 以後、ディミトロフはOMIの事実上の責任者として、ソ連共産党の決定にもとづいて各国共産党の指導を担当。スターリンの忠臣として、第二次大戦後、ソ連占領下の東欧で各国共産党が権力を掌握していくため、水面下での工作に辣腕をふるった後、1946年、祖国ブルガリアに帰国します。ディミトロフは、さっそく、ソ連の衛星国として誕生したブルガリア人民共和国の首相に就任。反政府運動を抑えるキャンペーンを開始して、スターリンに倣った恐怖政治を行い、多くの国民を強制収容所送りするとともに、ソ連の16番目の共和国とも揶揄された親ソ政権を樹立しました。

 ところが、1948年、モスクワからの自立を志向していた隣国ユーゴスラヴィアのティトーが、スターリンに無断でブルガリアとの関税同盟構想を推進したことが発覚すると、スターリンは激怒。同年のコミンフォルム第2回会議でユーゴスラヴィアの追放決議が採択され、ブルガリア国内でも“ティトー主義者”(と見なした人物)に対する粛清が始まります。こうした状況の下、1949年、ディミトロフは、病気療養中のモスクワ近郊の病院で亡くなったため、ソ連による謀殺が疑われています。(ただし、謀殺説を裏付ける証拠は確認されていません)

 ディミトロフの死後、ブルガリアの後継首相となったのは、彼の下で首相代理や外相を歴任したヴァシル・コラロフでした。

 コラロフは、スターリンの怒りを解くため、“ティトー主義者”の粛清を進めましたが、その最大のターゲットとなったのが、ディミトロフ政権で副首相を務めたトライチョ・コストフです。コストフは、副首相兼経済財政委員会議長として、社会主義建設の2ヵ年計画を立案し、ソ連による経済政策への介入にも批判的でしたが、それゆえ、1949年3月に解任され、同年7月、逮捕・処刑されました。

 コラロフは1950年1月に亡くなりますが、その後継首相となり、ついで党書記長を兼任したヴァルコ・チェルヴェンコフは、よりモスクワに忠実なスターリン主義者として、スターリンの意を汲んだ政策を展開します。

 スターリンへの忠誠心を示すべく、チェルヴェンコ政権は、発足早々、米国との外交関係を断絶。また、ソ連の政策を忠実になぞって、重工業化と農業集団化を推進したほか、“小スターリン”として個人崇拝を強要するとともに、反対派は容赦なく弾圧。1953年までに1万2000人が強制労働収容所で亡くなったとされています。さらに、ブルガリア正教会の総主教は修道院に軟禁され、教会は国家の統制下に置かれました。

 しかし、スターリンの露骨な傀儡であったチェルヴェンコフは、1953年3月、スターリンが亡くなると、その権力基盤が揺るぎ始める。ソ連指導部が“(東欧の)新路線”を掲げると、チェルヴェンコフもそれに従って、消費財生産部門、農業への投資割り当てを拡大するとともに、恐怖政治を緩和して収容所からは数千名が釈放されましたが、こうした路線転換はチェルヴェンコフの権威を損ねました。

 その結果、1954年の党大会で、チェルヴェンコフに代わり、トドル・ジフコフが共産党書記長に就任。その後も、チェルヴェンコフは首相の座には留まったものの、1956年2月、ソ連でフルシチョフによるスターリン批判が行われると、同年4月、ブルガリア共産党大会は脱スターリン路線を採用するとともに、チェルヴェンコフの個人崇拝を批判し、彼を首相から副首相に降格します。

 かくして、1989年まで33年の長きにわたってブルガリアに君臨するジフコフ体制が本格的にスタートします。

 初期のジフコフ政権がフルシチョフの支持を権力の基盤としていたことを考えると、1957年10月4日のスプートニク1号の打ち上げ後早々に人工衛星を取り上げた切手を発行していてもよさそうなものですが、実際には、国際地球観測年の名目で今回ご紹介の切手を発行したのは1958年11月28日になってからのことです。これは、当時、ソ連との関係が必ずしも良好ではなかった中国ポーランドよりも遅いのですが、その背景には、1957年の時点ではスターリン主義の清算の途上にあり、プロパガンダ政策の方向性も必ずしも定まっていなかったため、記念切手の発行も後手に回ったということなのかもしれません。

 ソ連に忠実であるがゆえに、ソ連の政策転換を前に右往左往せざるを得なかった衛星国の悲哀、ということなんでしょうかね。


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 52歳になりました。
2019-01-22 Tue 02:55
 私事ながら、本日(22日)をもって52歳になりました。「だからどうした」といわれればそれまでなのですが、せっかく年に1度のことですから、“52”にちなんだおめでたい切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      慶事切手(52円)

 これは、2014年3月3日に発行された52円(消費税値上げに伴う同年4月1日以降の葉書料金に対応)の慶事用切手で、扇面に梅の文様が描かれています。

 2014年3月3日に発行された3種の慶事用切手は、いずれも、末広がりの吉兆を示す扇面の中に、縁起物とされる松竹梅の一つを配し、右上と左下に市松模様をあしらったフォーマットを採用しています。ただし、市松模様は日本の伝統的な格子模様の一つではあるものの、特に吉祥を意味しているものではありません。

 さて、松竹梅のルーツは、中国で宋代に始まった“歳寒三友”とされています。

 歳寒三友は文人画の画題としての松・竹・梅の総称で、のうちの梅は寒中に開花することから“百花の先駆け”とされるほか、花弁が5枚あることから“五福(長寿・裕福・康寧=無病息災・修好徳=道徳を楽しむ・考終命=天寿を全うする)”に通じると考えられてきました。

 これが、平安時代にわが国に伝わり、時代が下って江戸時代になると民間でも流行するようになります。ただし、日本で普及したときには、本来の意味は失われ、単に吉事・吉兆を表すものとして用いられるようになりました。

 今回ご紹介の慶事用切手では、紅梅と白梅が同じ木に咲いている図案となっており、慶事を象徴する紅白の色合わせとなっています。

 一般に、紅梅と白梅は木の種類が異なっており、花のみならず、木を切ると切り口の色も紅梅は薄紅色、白梅は白色です。しかし、例外的に、1本の枝に、白・淡い紅色・紅色・絞りの4種類の花を咲かせる品種として“思いのまま”があり、これなら、切手に描かれているような状態の梅の花を見ることも可能です。

 思いのまま”は栽培品種の1つで、別名“輪違い”。樹高は3メートルから6メートルくらいで、葉は楕円形で、互い違いに生えます。毎年2月から3月にかけて、花が先に咲き、次いで葉が開き、花の大きさは、八重咲きの中輪(20-25ミリメートル)です。


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 アタリの番号は78、42、02
2019-01-21 Mon 10:26
 “2019(平成31)年用年賀葉書及び寄附金付お年玉付年賀切手の抽せん会”が、きのう(20日)、東京・丸の内のJPタワーで行われ、お年玉切手シートの当選番号は78、42、02に決まりました。というわけで、例年どおり、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      年賀小型シート(2019)

 これは、きょう(21日)から引換が始まった今年(2019年)のお年玉切手シートです。かつて成人の日が1月15日に固定されていた時代には、年賀はがきの抽選が成人式と並ぶ1月15日の風物詩となっていたわけですが、いわゆるハッピーマンデーの導入により、成人の日が1月の第2月曜日となったことで、その前提が大きく変わってしまい、抽選日も近年は1月半ば以降の日曜日ということで毎年変わっています。

 また、かつての切手シートは、(原則として)干支の郷土玩具を描く年賀切手と同じものを収めていましたが、2017年から、通常のシート切手とは別に、“年間を通して利用できる”オリジナルデザインの切手(書状基本料金用と葉書料金用1枚ずつ)を収めた構成となりました。

 今回のシートに収められた切手は、十二支とは無関係に、縁起物の招き猫が取り上げられています。招き猫は、右手を挙げていればお金を招き、左手を挙げていれば人を招くといわれていますが、シートではそれを一対にして組み合わせた格好です。なお、切手のデザインでは“良い知らせ”が届くよう、それぞれの猫に手紙を持たせているのがミソです。干支のイノシシは、シートの余白に描かれた、松竹梅やしめ縄、小判、的に当たった矢、タイ、打出の小槌、稲穂などの縁起物の中に、しめ縄につかまった姿で描かれています。

      年賀小型シート(2019・イノシシ)

 また、今回のシートでは、右側の82円切手の右下の目打が♥型になっているほか、HAPPYおよびLUCKYの文字の切り抜き加工も施されています。(下の画像)

      年賀小型シート(2019・目打) ♥の目打

      年賀小型シート(2019happy) HAPPYの切り抜き加工

      年賀小型シート(2019Lucky) LUCKYの切り抜き加工

 なお、お年玉葉書の末等商品としての切手シートとその歴史については、拙著『年賀状の戦後史』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取っていただけると幸いです。

 * 僕宛の今年の賀状の中では、塚田敬幸さん、二宮清純さん(50音順)から頂戴した2通がアタリでした。この場をお借りして、お礼申し上げます。

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 泰国郵便学(56)
2019-01-20 Sun 10:14
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第52巻第6号ができあがりました。というわけで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・民族舞踊(ケーンダンス)

 これは、1977年7月14日に発行された“民俗舞踊”の切手のうち、ケーン・ダンスを取り上げた5バーツ切手です。切手上には表示がありませんが、装飾の布を肩にかけた民族衣装のスタイルから、プータイの男女が描かれているのではないかと思われます。

 民族としてのプータイは、もともと、シップソーンヂュタイやシップソーンパンナーと呼ばれる地域(現在のラオス北部やヴェトナム)に住んでいました。伝承によると、ヴィエンチャン王国に叛乱が起こったとき、プータイの長はその鎮圧に貢献し、その功により王の娘を与えられ、彼の息子が民族の長となり、本人は多くの地方都市を統治し、ヴィエンチャン王国の南部からサワンナケートにかけて勢力を拡大したとされています。

 ラーマ3世の時代、ヴィエンチャン王国はタイと戦って敗れましたが、これを機に、プータイやその他の民族は、ヴィエンチャンに加勢させないよう、メコン川の対岸、イーサーン(タイ東北部)に移住させられました。これが、現在、タイ東北部に多くのプータイが住むようになった由来ですが、その後も、ラオス北部のフアパン県サムヌア郡、南部のサワンナケート県などにはプータイの集落が残っています。

 メコン川を挟んでのタイ=ラオス関係ということでいえば、切手の発行された1977年は、ラオスからの逃亡者をめぐるトラブルから両国軍の発砲事件が頻発した年でもありました。

 1975年末のラオス人民共和国成立を契機に、ラオス国内から元閣僚らのエリート層、富豪層やタイ人や華僑などの国外逃亡が相次いだ結果、1974年に5万人ほど居住していたヴィエンチャンのタイ人は、1978年には7000-8000人にまで落ち込みました。このため、混乱の波及をおそれたタイはラオスとの国境を封鎖し、米国をはじめとする西側先進国の援助打ち切りと農業の大凶作も重なって、ラオス国内は深刻な物資不足に陥ります。

 このため、ラオス政府は、1977年、ヴェトナムと友好協力条約を締結し、ヴェトナムから資金援助や専門家派遣などを受け入れたほか、ソ連・中国との関係も強化しましたが、そのことはタイの警戒感を一層強める結果となりました。一方、旧王党派によるラオス共産政権に対する反政府活動はタイ国内に拠点を置いていましたが、ラオス側は、その背景にはタイ王室があり、タイが“反動分子”を煽動しているとの理解から、タイに対しては強い反感を抱いていました。

 さて、現在でもプータイは独自の言語・文化を維持していますが、なかでも、“ラム・プータイ”と呼ばれる独自の様式を備えた音楽と舞踊はタイで広く知られており、プータイ以外のタイ人による演奏も珍しくありません。

 プータイが多く住むナコーンパノム県のレヌーナコンでは、1997年、西洋文化の流入により伝統文化が廃れていくことへの懸念から、毎年2月14日(西洋文化の象徴としのヴァレンタイン・デー)を、あえて“プータイの日”とし、伝統文化を維持・継承するための各種イベントが行われていますが、切手に取り上げられたケーンの演奏とダンスもそのひとつです。

 なお、ケーンは日本の笙の原型にもなったとされる楽器で、吹き込んだ息でリード板(真鍮や銅、銅と銀の合金などでできていることが多い)を振動させ、竹の管で拡声する仕組みです。息を吹いても吸っても音が出ますが、一つの管は一つの音しか出せず、竹の管の指穴を塞いだところだけ音が出ます。また、竹管の数により、ケーンペーット(8対16本)、ケーンガオ(9対18本)、ケーンチェット(7対14本)、ケーンホック(3対6本。ケーンサームとも)などの種類に分けられます。


 昨日(19日)の昭和12年学会・第1回公開研究会は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様、スタッフ・関係者の方々には、この場をお借りしてお礼申し上げます。


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 コロンビアでELNのテロ
2019-01-19 Sat 01:17
 2017年にコロンビア革命軍(FARC)との内戦が終結したコロンビアの首都、ボゴタの警察学校で17日朝、自動車爆弾テロが発生し、実行犯も含めて21人が死亡、68人が負傷した事件で、きのう(18日)、コロンビア政府は左翼ゲリラの民族解放軍(ELN)による犯行と断定しました。というわけで、というわけで、亡くなられた方の御冥福と負傷者の方の1日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・カミーロ・トレス

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、コロンビアのELNの活動家として殺害されたカミーロ・トーレス・レストレポが取り上げられています。

 ラテンアメリカ連帯機構会議は、1967年7月31日から8月10日まで、ラテンアメリカおよびカリブ海諸地域の27の共産党、労働党その他の革命組織の代表を集めてハバナで開催されたもので、最終的に、「武力革命をラテンアメリカにおける革命の基本的路線とする」との一般宣言を採択。“キューバ革命路線”をラテンアメリカの左派勢力にとっての正統教義として認知した会議です。

 切手に取り上げられたトーレスは、1929年2月3日、ボゴタ生まれ。当初、ボゴタの“ロサリオの聖母学院”に通っていましたが、教員を批難したことが原因で退学処分となりました。1946年、リセオ・デ・セルバンテスで中等教育課程を修了。コロンビア国立大学法学部にごく短期間在籍した後、ボゴタのコンシリアール神学校に転入し、1954年、司祭として叙階され、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学しました。

 帰国後、研究者としてコロンビア国立大学に籍を置きながら、貧困の根本的な解決と労働者階級への積極的な支援を訴え、さらに、絶望的な社会的格差を解消して社会正義を確立するためには、キリスト教徒は武装闘争に加わらなければならないと主張。1960年には、オルランド・ファルス・ボルダたちとともに、同大でラテンアメリカ最初の社会学部の設立者の一人となりましたが、その急進的な主張に対しては毀誉褒貶が激しく、ついには大学を辞して、1965年、コロンビアの左翼ゲリラ組織、民族革命軍(ELN)に参加しました。

 ELNは、マルクス・レーニン主義による反米・親キューバ路線を掲げて、爆弾テロや誘拐を実行していた組織で、トーレスは一ゲリラとして非合法の地下活動に従事し、1966年2月15日、コロンビア政府軍との戦闘で殺害され、ELNの“殉教者”となりました。

 カトリックの司祭からゲリラへの転身という異色の経歴もさることながら、トーレスを広く世に知らしめたのは、「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉です。この言葉は、ラテンアメリカでは広く人口に膾炙し、1970年代にペルーのグスタボ・グティエレスが著書『解放の神学:歴史、政治、救い』で体系化した“解放の神学(従来の欧米のキリスト教神学は白人の神学ないしはブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして、これを否定し、被抑圧・被差別人民の解放こそキリスト教の福音の本質であるとする現代キリスト教神学の一潮流)”の源流の一つとされています。

 ちなみに、OLAS会議が開催された1967年7月の時点では、カストロ政権は、キューバでの閣僚の地位を捨て、ボリビアでのゲリラ活動に従事するゲバラを“革命のキリスト”として神格化することで、革命キューバの正統性をアピールするようになっていました。トーレスの肖像切手と、そこから連想される「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉は、そうしたを側面からサポートする役割を担うものだったとみることができましょう。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラと同時代のラテンアメリカ諸国の左派勢力とキューバとの関係についても、いろいろとまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 ホンジュラスから移民集団が北上中
2019-01-18 Fri 03:45
 中米ホンジュラス・サンペドロスーラ市で、15日(現地時間。以下同)、貧困を逃れて米国を目指す約500人の移民キャラバン隊が結成され、遺跡で有名なコパン県およびオコテペケ県の国境検問所からグアテマラに入り、16日までにグアテマラ=メキシコ国境に到着。現地では緊張が高まっているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ホンジュラス・コパン遺跡地図

 これは、1946年、ホンジュラスの首都、テグシガルパで開催された“第1回カリブ国際考古学会議”の記念切手で、ホンジュラス地図を背景に、コパン遺跡のイメージがデザインされています。地図には、会議の開催地であるテグシガルパの位置とコパン遺跡の位置が記されていますが、これを見ると、コパン遺跡がグアテマラとの国境地帯に位置していることがわかります。今回の移民キャラバンは、この国境を越えて北上し、メキシコ方面へ向かったわけです。

 さて、ホンジュラス西部、モタグァ川(ホンジュラスとグアテマラの国境を流れる川)支流であるコパン川によって形成されるコパン谷では、紀元前1400年ごろから人類が集落を形成して居住していました。

 この地で栄えたコパン王朝は、紀元後435 年、キニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアート王によって建国されましたが、この王は、メキシコ高原、なかでテオティワカン(紀元前2-紀元後6世紀にかけて繁栄した宗教都市)と関係が深かったと考えられています。ただし、彼以降、第7代王までの王朝初期の詳細は分かっていません。

 コパン王朝が中米のマヤ文明を代表する王国へと発展したのは、第10代王の月ジャガーが即位した553年以降のことで、628年に即位した第12代王の煙イミシュの治世下で、王国の支配地域はコパン谷の外側にも拡大。695 年に即位した第13代王ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの時代は、コパンでは独自の高浮き彫りや丸彫りの技術が生み出され、独特の様式を持つ石像彫刻が多く作られるなど、コパンの古典文化が花開きます。

 ところが、コパンの衛星都市のひとつで、モタグァ川中流域を拠点としていたキリグアの王、カック・ティリウ・チャン・ヨアートがコパンに対して叛乱を起こすと、738年、コパンはキリグアに敗れ、ワシャック・ラフン・ウバク・カウィール王は捕虜として斬首されてしまいます。その後、カック・ティリウはモタグァ川流域の交易を独占することに成功し、宗主国であるコパンの王を僭称するようになりました。

 以後、コパンの勢力は急速に衰退。9世紀前半、第16代王ヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアートを事実上の最後の王としてコパン王朝は崩壊します。なお、コパン遺跡の祭壇のレリーフには第17代王のウキト・トークの名がありますが、彼が実際に王として即位したか否かについては史料的な裏付けが取れていません。


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 イエメンに停戦監視団
2019-01-17 Thu 01:50
 国連安保理は、きのう(16日)、昨年12月にスウェーデンで行われたイエメン内戦の和平協議での合意を支援し、停戦監視のための特別政治派遣団を半年間配備する英主導の決議案を全会一致で採択しました。というわけで、イエメンと英国の歴史的な関係を示すものとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南アラビア連邦・カバー

 これは、かつてイエメン南部に存在した英保護領、南アラビア連邦が発行した赤十字100年の記念切手が貼られた国内便のカバーです。

 アラビア半島の南岸、現在のイエメン共和国南部は、かつては群小首長国が割拠する地域でしたが、19世紀、首長国同士の争いに調停者として介入した英国は、インドとのシーレーン上の重要拠点であるアデン港を直轄植民地としたほか、周囲の首長国を保護領としました。ただし、英国はアデン港を確保しさえすればよいとの方針であったため、周辺の首長国に対しては年金を支給して懐柔し、アデンを攻撃しない限りにおいては放任するとの姿勢をとっていました。

 1956年、エジプトのナセル政権がスエズ運河を国有化し、英仏の干渉を退けて第二次中東戦争に勝利すると、ナセルの掲げるアラブ民族主義の権威はアラブ世界で絶大なものとなり、1958年にはイエメン王国(現在のイエメン共和国北部)がアラブ連合に加盟し、“占領されたアデン”の奪還を主張してアデン保護領に駐留の英軍を攻撃し始めます。

 このため、1959年、英国はアデン保護領の首長たちを徐々に組織化し、南アラブ首長国連邦を結成。さらに、1960年の国連総会で「植民地独立付与宣言」が決議されたことを受けて、1962年には南アラブ首長国連邦を南アラビア連邦に発展させました。

 さらに、1962年9月、北イエメンで、イマーム・アフマドの死に伴う政権交代の隙をつくかたちでクーデターが発生し、伝統的なザイド派(シーア派の一派)イスラムに基づく王朝が倒れ、“イエメン・アラブ共和国”の革命政権が樹立されます。

 王党派がサウジアラビアとの国境を越えた山岳地帯に逃れて抵抗を続けると、革命政権はエジプトに支援を要請。これに対して、サウジアラビアは、エジプトに始まるアラブ民族主義の共和革命がついにアラビア半島へと上陸したことで深刻な脅威を感じて王党派を支援し、イエメン内戦は、エジプトとサウジアラビアの代理戦争として展開することになります。

 このため、内戦が南アラビア連邦に波及することを恐れた英国は、1963年、直轄植民地のアデン港も同連邦に加盟させ、外交と防衛を除く自治権を与えたうえで、1968年までの独立を約束しました。

 ところが、ある程度近代化されたアデンとそれ以外の首長国との間の文化的・経済的格差が大きかったことから、アデン住民は南アラビア連邦に組み込まれたことに強く反発。一部は、占領下南イエメン解放戦線(FLOSY)や、南イエメン民族解放戦線(NLF)などの武装組織を結成し、英国人の立法評議会議長や親英派アラブへのテロを展開します。

 その後、より急進的な社会主義路線を掲げるNLFが勢力を拡大し、1967年10月、アデン港を占領。11月には英国は南イエメンから撤退して南アラビア連邦は解体され、代わってハドラマウト保護領やカラマン島などを加えた英領アデ ン全域は、NLFの下で社会主義政権の“南イエメン人民共和国”として独立。以後、1990年の南北イエメン統一まで存続することになります。


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 ケニアでホテル襲撃のテロ
2019-01-16 Wed 01:44
 ケニアの首都ナイロビで、きのう(15日)、武装集団がリバーサイドの高級ホテル周辺を襲撃するテロ事件が発生。この記事を書いている時点で、少なくとも1人が死亡、負傷者8人が病院に搬送されました。ケニアの隣国ソマリアを拠点とするイスラム過激派アルシャバーブが犯行声明を出していますが、現時点では、真偽は不明です。というわけで、亡くなられた方の御冥福と負傷者の方の1日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英保護領東アフリカ
      
 これは、1896年、現在のケニアの地域に相当する英保護領東アフリカで発行された1アンナ切手です。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになります。こうした状況の下、1872年、スコットランド出身のウィリアム・マッキノン率いる英領インド汽船会社(以下BI)がザンジバルへの航路を開設。これを機に、同社はアフリカ大陸内陸への進出を計画しました。

 1884-85年のベルリン会議では、アフリカ分割の原則として、沿岸部を領有した国には後背地の領有権が認められると、すでに1884年にブルンディを植民地化していたドイツは、1886年、東アフリカ南部の領有を企図して、ザンジバルに艦隊を派遣。これに対して、ザンジバルは英国に支援を要請し、英国も派兵したため、フランスを交えた3国の協議の結果、同年、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領とし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領とすることで決着が図られました。

 こうして東アフリカに植民地を得た英国でしたが、当時は国策としてアフリカ大陸南部の権益確保に注力していたため、東アフリカに目を向ける余裕は乏しく、マッキノンのBIがアフリカ東部での勢力圏建設を担当することになります。

 そこで、マッキノンは1888年、勅許会社の英国東アフリカ会社(IBEA)を設立し、ヴィクトリア湖北岸のブガンダ王国の領域(現在のウガンダの領域にほぼ相当)にも勢力を拡大しました。IBEAはモンバサからヴィクトリア湖に至るウガンダ鉄道の建設や農地開発などにも着手し、1894年にはブガンダ王国を保護国化し、英領ウガンダ植民地としています。

 この間、IBEAは、1890年5月、モンバサとラムに郵便局を開設。本国切手に“BRITISH EAST AFRICA COMPANY”と加刷した切手を発行しました。これが、現在のケニアの地における近代郵便の始まりとなります。その後、同年8月から9月にかけて、加刷切手の在庫切れにより英領インド切手を暫定的に使用した時期を経て、10月14日には、IBEAとしての正刷切手も発行されました。

 しかし、ブガンダ王国の有力者や各地の宣教師たちとの対立もあって、IBEAは十分な植民地経営ができず、その収支は悪化。このため、1895年7月1日、イギリス政府は東アフリカの保護領化を宣言し、英国外務省の管轄としました。今回ご紹介の切手はこれに伴い発行されたものです。

 その後、第一次大戦を経て、ドイツ領東アフリカの解体に伴う植民地の再編により、1920年、英保護領東アフリカは本国直轄のケニア植民地となります。同植民地では、1952年、英国が白人入植事業で肥沃な土地が集中するケニア山周辺をギクユ人からとりあげたことへの抗議から“マウマウ団の乱”が発生。これを機に、反乱を指導したケニア・アフリカ同盟(KAU)の中心メンバーによってケニア・アフリカ民族同盟(KANU)が結成され、1963年、独立が達せられることになります。


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 苺の日
2019-01-15 Tue 12:54
 きょう(15日)は、“いいいちご(115)”の語呂合わせで“苺の日”です。というわけで、きょうは苺ネタのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・苺とチョコレート

 これは、2009年、革命後の全キューバ映画の制作・上映を管理してきたキューバ芸術・映画産業庁(ICAIC)の創立50年を記念して発行された“キューバ映画”の切手のうち、1994年に公開のキューバ・メキシコ・スペイン合作映画『苺とチョコレート』を取り上げた切手シートです。

 『苺とチョコレート』は、共産主義青年同盟(UJS)のメンバーで、(キューバ式)共産主義を信奉する男子学生ダビドと自由主義者で(自称)芸術家のゲイ男性ディエゴとの友情が主題になっています。

 物語は、ハバナのカフェでダビドがチョコレートアイスを食べている時、苺アイスを持ったディエゴから「君のスキャンダル写真を持っている」と声をかけられるところから始まります。写真を返してもらいたいダビドは、しぶしぶ、ディエゴのアパートに向かうと、彼の部屋には、ダビドが理解できないような奇妙な物が並べられており、ディエゴの自由主義的な思想や態度とあいまって、ダビドはおおいに不審を抱きます。学生寮に戻った彼は、UJSの友人ミゲルに相談し、ディエゴを“同性愛者のスパイ”とみなして監視のためにつき合うようになりました。

 しかし、ダビドは、やがて、インテリであり、純粋で温かい人柄と芸術への熱意の持ち主であるディエゴに理解を示し、真の友情をはぐくみますが、最終的に、ディエゴは“同性愛者”として国を追われることになります。そして、2人は彼らが最初に出会ったカフェでお互いのチョコレートアイスとイチゴアイスを交換して食べる場面で幕となります。

 革命当初、カストロ、ゲバラ以下、同性愛(者)を激しく嫌悪していた政府首脳部は、カトリックの価値観を背景に同性愛に対する差別感情が強かった一般市民の支持も得て、同性愛を刑法の規定する“公的破廉恥行為”として処罰の対象としていました。その結果、同性愛者であることが発覚した者は矯正センターに送られて再教育されたり、亡命を余儀なくされることも少なくありませんでした。

 1981年になって、ようやく、文化省が“性の多様性”の観点から、同性愛の排斥を非とする声明を発し、1993年にはカストロも同性愛を(消極的に)容認する姿勢を示すようになったものの、現在なお、キューバでは同性愛者に対する有形無形の差別・迫害は根強く残っているとされています。

 映画『苺とチョコレート』はそうした社会的な背景の下で制作されたもので、各種の国際映画賞でも高い評価を得て、現代キューバを代表する映画作品と見なされるようになり、その結果として、今回ご紹介の切手シートにも取り上げられたというわけです。

 ところで、切手シートには映画の内容を紹介するため、4つの場面が取り上げられていますが、右下には、ダビド役のウラディミール・クルスが「英雄的ゲリラ」の掲げられた部屋にいる場面が取り上げられている点も見逃せません。(下にその部分をトリミングして貼っておきます)

      キューバ・苺とチョコレート

 ここでの「英雄的ゲリラ」は、ダビドがUJSのメンバーであり、キューバ政府の考える“正しき青年”であり、確固たる共産主義者であることを暗示する小道具として用いられているのは明らかで、ゲバラの死後、“革命のキリスト像”ともいうべき「英雄的ゲリラ」がどのようにキューバ社会で活用されてきたかを考えるうえで、なかなか興味深いものがあります。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの死後、彼の肖像がどのように使われ、定着していったかということについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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