内藤陽介 Yosuke NAITO
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 英女王夫妻が結婚70周年
2017-11-20 Mon 13:09
 英国のエリザベス女王と夫のフィリップ殿下が、1947年11月20日に結婚されてから、今日でちょうど70周年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英国・QEII結婚記念標語印

 これは、1947年11月20日の結婚式当日、バッキンガム宮殿を所管とするロンドンSW1局から結婚記念の機械標語印を押し、ロンドン市内のチャリング・クロス局留めで差し出された記念カバーです。カシェには、当時のご夫妻のイラストが描かれています。

 英国王ジョージ6世の第一王女エリザベスと、ヴィクトリア女王の玄孫で“ギリシャ王子およびデンマーク王子”の称号を有していたフィリップ・マウントバッテンの婚約は1947年7月9日に発表され、同年11月20日、ロンドンのウェストミンスター寺院で結婚式が行われました。ちなみに、結婚に先立ち、1947年2月、フィリップは英国籍を取得するとともに、ギリシア正教会から英国教会に改宗し、さらに“ギリシャおよびデンマークの王子”の地位を放棄。結婚式当日から、“殿下(Royal Highness)”の敬称が与えられ、翌日にはジョージ6世からエディンバラ公爵・メリオネス伯爵・グリニッジ男爵の各爵位が授与されています。

 王女の婚約が発表されると、英本国および英連邦諸国では記念切手の発行が検討されましたが、結婚式までの準備期間が短いことから、英本国では記念切手の発行を早々に断念。その代りに、結婚式当日の11月20日から11月末まで、英本国全域で記念の機会標語印を使用することとしました。

 記念の機会標語印のデザインは、ウェディング・ベルとエリザベスのE、フィリップのPを結びつけるリボンを組み合わせたもので、1947年8月、英国郵政の技術スタッフだったR.H.ヒギンズが制作しました。

 ちなみに、カナダでは、エリザベス王女の結婚記念切手を発行することを決定したものの、さすがに結婚式当日には間に合わず、切手発行は1948年2月にずれ込んでいます。

 また、オーストラリアでは、たまたま、王女の肖像を描く普通切手を準備していたため、この切手を結婚式当日の11月20日に発行することで結婚を祝福しました。なお、オーストラリアの切手については王女の結婚記念の切手して紹介されることも多いのですが、この切手の発行計画が発表されたのは、王女の婚約発表以前の1947年5月28日のことで、発行の理由も「現行の王妃を描く1ペー切手に替えてフレッシュな図案を採用する」ということでしたので、やはり、王女結婚の記念切手とみなすのは無理があるように思います。


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 インド美女の切手
2017-11-19 Sun 12:14
 昨日(18日)、中国・海南島で開催された第67回ミス・ワールド世界大会は、インド代表の医大生マヌシ・チラーさんが優勝しました。インド代表の優勝は6度目で、これにより、ヴェネズエラと並ぶ歴代最多優勝国となりました。というわけで、インドの美女を取り上げた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・ニーラ・バノット

 これは、2004年10月、アショーカ・チャクラ章の受賞者として、ニールジャー・バノート(英語読みでニーラ・バノットと表記されることもあります)を取り上げたインド切手です。

 ニールジャーは、1963年、北インドのチャンディーガルで生まれ、ムンバイで育ちました。ムンバイでモデルとして活動した後、1985年3月、カタールのドーハ在住の男性と見合い結婚をするものの、2ヶ月で家族の元へ戻っています。同年、パンナムのフライト・アテンダントに採用され、フランクフルト=インド路線に乗務。フライト・アテンダントとしてきわめて優秀だったため、マイアミでの研修を経て、1年でチーフ・パーサーに昇格しました。なお、パンナム就職後も、モデルとしての活動は併行して続けていました。

 1986年9月5日、彼女の乗っていたムンバイ発フランクフルト経由ニューヨーク行きのパンナム73便が、給油中のパキスタン・カラチ空港リビアの支援を得たテロ組織“アブー・ニダル”の4人組にハイジャックされる事件が発生。犯人グループは、乗客365人と乗員13人を人質に、キプロスへ向かい、キプロスで拘留されているパレスチナ人政治犯の釈放を要求しました。

 このとき、ニールジャーは、まず、2階のコックピットにいたパイロットに非常事態を連絡し、パイロットが天井から脱出することに成功します。

 また、犯人グループはハイジャック早々、インド系米国人を射殺し、その後も“処刑”する米国人を特定するため、乗客のパスポートを集めるようにニールジャーに命じましたが、彼女は部下に米国のパスポートを隠すよう指示し、非米国人のみのパスポートを犯人に渡しました。ちなみに、当時の機内には、最初に暗殺された人を除き、43人の米国人がいましたが、彼らは全員無事でした。

 事件発生から17時間後、飛行機の電源が落ち、機内の照明は消え、無線も不通になりましたが、これを突入開始の合図と勘違いした犯人グループは無差別銃撃を開始。一方、17時間後に電源が落ちることを知っていたニールジャーは飛行機のドアを開け、乗員・乗客379人中359人を無事に逃がすことに成功しましたが、米国人の子供3人を銃撃からかばった際に狙撃され、亡くなりました。

 なお、犯人はいずれもパキスタン当局に逮捕され、有罪判決を受けて収監されましたが、2001年、米国人を射殺したザイド・ハサン・アブドゥッラティーフ・マスウード・サファリ-二-はいったん釈放された後、タイのバンコクで米FBIに身柄を拘束されました。また、他のメンバーは2009年、刑期を終えて出所しています。

 事件後、ニールジャーの勇敢な行動は称賛され、米国、パキスタンなど関係諸国から数々の賞が授与されたほか、インド政府も、平時において国家のために勇敢な行いをした人物に授与する最高賞の“アショカ・チャクラ賞”を彼女に授与しています。ちなみに、彼女はアショーカ・チャクラ章を受賞した最初の女性にして、史上最年少の受賞者でした。また、彼女の死後、遺族は保険金とパンナムからの報奨金を原資として、“ニールジャー・バノート賞”を創設。毎年、社会的不公正に直面しつつも、それに負けずに勇気ある行動を行ったインド人女性に対して、賞状・トロフィーと、副賞として150万ルピーの賞金が贈られています。

 ちなみに、ハイジャック事件を起こした“パレスチナ・ゲリラ”については、拙著 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも縷々ご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 二の酉
2017-11-18 Sat 10:51
 きょう(18日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、パレスチナがらみの“鳥”の切手の中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      パレスチナ自治政府(国鳥・2013)

 これは、パレスチナ自治政府(ファタハ政府)の国連オブザーバー資格取得を受けて、2014年に発行された“国が生まれた”の切手のうち、パレスチナ自治政府の国鳥とされるキタキフサタイヨウチョウと国花とされるアネモネを取り上げた1枚です。

 2007年以降、“パレスチナ”は、ファタハ政府支配下のヨルダン川西岸地区とハマースが実効支配するガザ地区に事実上分裂。このうち、国際社会は、西岸地区を支配するファタハ政府をパレスチナの正統政府として認知し、ハマース政府の正統性は認めませんでした。

 こうした状況を受けて、2011年9月23日、ファタハ政府は国連への加盟申請を行い、同年10月31日、まずは国連教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟が承認されました。これに対して、ユネスコがパレスチナを加盟“国”として承認したことに強く反発。米国もユネスコ分担金の支払いを停止しています。

 その後、ファタハ政府の“パレスチナ”としての国連への加盟申請については、イスラエルと米国のみならず、日本を含む西側主要国の多くがファタハ政府に対する国家承認を見送っている実情を踏まえ、従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする総会決議を採択する方向で調整が進められることになります。これは、パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないが、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという、いわば妥協の産物でした。

 国際社会がファタハ政府を認める方向で進む中、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたが、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。
 
 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、PLOを含むアラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬した。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生します。

 こうした経緯を経て、2012年11月29日に開催された国連総会では、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。ちなみに、反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 今回ご紹介の切手は、オブザーヴァー国家への格上げから1周年にあたる2013年11月29日にあわせて発行が計画されていましたが、実際の切手発行は2014年1月にまでずれ込みました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 スプートニクとガガーリンの闇(2)
2017-11-17 Fri 15:46
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、先月25日、『本のメルマガ』第661号が配信されました。僕の連載「スプートニクとガガーリンの闇」は、今回は、国際地球観測年について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ロケットメール(1957)

 これは、国際地球観測年の初日にあたる1957年7月1日、米国で行われた“世界最大のロケット郵便”で運ばれたカバーです。

 気象、地磁気、電離層、宇宙線、経緯度、海洋、地震、重力などの諸現象について、期間を定めて、全世界の研究者たちが共同観測を行う極年(Polar Year)は、1882一83年に第1回が実施されました。

 その50年後の1932-33年には第2回の極年が行われ、第3回は1982-1983年に予定されていましたが、1951年の国際学術連合会議(ICSU、現・国際科学会議)で、米オックスフォード大のチャップマンが、第二次世界大戦後の科学技術の急速な発展を考慮し、25年目となる1957-58年に繰り上げることが提案され、承認を得ます。

 さらに、計画が進むうちに、共同観測の対象範囲を極地だけでなく全地球に拡大することや、観測項目にも追加が相次いだため、イベントの名称も“極年”から“国際地球観測年(International Geophysical Year、略称:IGY)”に改称され、1957年7月1日から1958年12月31日まで、ICSUの統括の下、60ヵ国以上が参加し、極光(オーロラ)、大気光(夜光)、宇宙線、地磁気、氷河、重力、電離層、経度・緯度決定、気象学、海洋学、地震学、太陽活動の12項目、すなわち、地球物理のほぼすべての分野にわたる観測が実施されました。中でも最重要課題とされたのは、太陽の磁気が地球に与える影響の研究でした。

 IGYの計画が持ち上がった当初から、米国はロケット観測を提案。これと連動するかたちで、1955年2月、情報機関のための提案としてキリアン報告書「奇襲攻撃の脅威への対処」がまとめられています。同報告書は、テレビカメラを利用した原子力偵察衛星の実現を目指すフィードバック計画と、高空飛行偵察機の実現を目指すCL282(後のU2)計画が二つの柱となっていました。

 一方、全米科学財団理事長のウォーターマンは、IGYの一環として科学衛星を打ち上げることを提案。国家安全保障会議文書NSC5520として「米国科学衛星計画に関する政策」がまとめられ、1955年7月29日、ホワイトハウスは「(IGY期間中の)1958年春までに人工衛星を打ち上げる」と発表しました。いわゆるヴァンガード計画です。

 これを受けて、ソ連も宇宙開発計画を明らかにするのですが、この時点では、世界の大勢は人類最初の人工衛星は米国が打ち上げるものと信じていました。

 こうした米国の空気を反映して、IGY初日の1957年7月1日、ネヴァダ州ダグラス群から州境を挟んでカリフォルニア州のトパーズまで、“世界最大のロケット郵便”のデモンストレーションが行われました。今回ご紹介のカバーは、そのイベントで実際に運ばれた郵便物です。

 地形的に通常の輸送方法で郵便物を配達することが困難な地域では、“飛び道具”に郵便物を載せて運ぼうとする“ロケット郵便”は以前から試験的に試みられてきました。たとえば、インド北東部、急峻な山岳地帯で知られるシッキムでは、1935年4月7日以降、9回にわたって、当時のシッキム藩王の認可の下、ガントク郵便局からシッキム王立高校まで200通の郵便物を載せたロケットが発射されています。

 1957年7月1日のロケット郵便も、同じく、計5000通の郵便物を載せた5台のロケットをネヴァダ=カリフォルニア両州の境を挟んで発射したもので、イベントの資金調達の手段として宣伝ラベル(封筒の左下に貼られています)も作られましたが、ラベルのデザインは、ヴァンガード計画をイメージして、地球の周囲を廻る衛星の軌道がデザインされています。

 このロケット郵便を企画したのは、民間のロケット研究所長、ジョージ・ジェイムズですが、彼のみならず、ラベルを買って資金援助を行った人々、さらには、ロケットで運ばれた郵便物を記念品として買った人々は、誰一人として、IGYの期間内にヴァンガード計画によって米国は人工衛星を発射することに何の疑念も抱いていなかったに違いありません。

 それだけに、同年10月4日、ソ連が米国に先立ってスプートニク1号の打ち上げに成功したことは、ロケット開発や宇宙研究の専門家以上に、ジェイムズの記念品を買った善男善女に衝撃を与え、彼らを大いに落胆させることになりました。


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 イスラエル・ワイン
2017-11-16 Thu 08:53
 きょう(16日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワイン関連の切手の中から、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』にちなんで、この1枚です。

      イスラエル・申命記(1993)

 これは、1993年8月22日にイスラエルで発行された“年賀切手”の1枚で、ワインを意味するブドウが描かれています。タブには、ワイン絞りの道具と、『申命記』第11章14節の「主は(あなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、)穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ」との文言が入っています。

  ワインは『旧約聖書』のノアやモーセの物語にも登場しますが、実際、パレスチナの地域では紀元前2000年頃にワインが製造されていたことを示す遺跡が発見されています。ローマ帝国の時代には、パレスチナ産のワインは人気が高く、帝国各地に輸出されていましたが、7世紀に入り、パレスチナがムスリム(イスラム教徒)の支配下に入ると、キリスト教徒やユダヤ教徒が儀式のために使う少数の例外を除き、ワインの製造も禁止されてしまいました。

 ちなみに、近代以前、パレスチナのユダヤ人がワイン製造に際して使っていた圧搾施設は、今回ご紹介の切手のタブに見られるように、石造りのプールのような場所にワインを入れて足で踏みつぶし、プールの底にあけた穴に溜まった果汁を集めるというものでした。

 さて、パレスチナの地でワインの生産が再開されるのは1848年のことで、同年、この地で最初の近代的ワイナリーが開業します。その後、ロスチャイルド家のエドモンドが1882年にワイナリーを創設し、南仏の品種を導入して、ユダヤ教徒によるワイン製造を積極的に支援しました。ただし、当時のパレスチナ・ワインは、ユダヤ教の儀式に使用される甘口赤ワインが中心で、品質はあまり高くはありませんでした。

 しかし、第一次大戦後、パレスチナは英国の委任統治領となり、さらに、1933年以降、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系難民がヨーロッパから大挙してパレスチナに移住したことで、パレスチナのユダヤ教徒の間でも、儀式用の甘いワインではなく、辛口ワインへの需要が高まりました。この傾向は、1948年のイスラエル建国後、さらに加速されましたが、1970年代半ばまでは中東戦争が相次いだこともあり、イスラエル国内ではなかなかワイン生産が広がりませんでした。

 その後、1976年、ゴラン高原で葡萄の植樹が行われ、1980年代以降、カリフォルニアを中心に、フランス、オーストラリアなどのから技術移転により、イスラエル・ワインの品質は飛躍的に向上することになりました。中でも特筆すべきは、1983年に創業のゴラン・ハイツ・ワイナリーで、同社が1984年にリリースしたヤルデンとガムラのヴィンテージはイスラエル・ワインとして初めて国際的な評価を得ただけでなく、2011年にはワインのオリンピックともいわれる“ヴィニタリー2011”で最優秀賞を受賞するなど、名実ともに、イスラエルを代表するワイナリーとして知られています。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 パレスチナ独立宣言記念日
2017-11-15 Wed 11:14
 きょう(15日)は、1988年11月15日にアルジェで開催されたパレスチナ国民評議会(PNC)で、PLOがテロを放棄し、イスラエルの存在を認めたうえで、東エルサレムを首都とする“パレスチナ国”の独立宣言が採択されたことにちなみ、“パレスチナの独立宣言記念日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ・ダルウィーシュ(2008)

 これは、2008年7月29日、パレスチナ自治政府が発行したマフムード・ダルウィーシュ(1988年のパレスチナ独立宣言の起草者)の切手です。

 マフムード・ダルウィーシュは、1,941年3月13日、英委任統治下のガリラヤ地方のビルワで生まれました。彼の故郷は、1948年の第一次中東戦争で壊滅的な打撃を受けたため、一時的にレバノンに避難します。1950年、一家はイスラエル支配下のガリラヤ地方の別の村に帰還しましたが、法的には“不法滞在の外国人”として扱われました。

 ダルウィーシュは10代から詩作を始め、当初はイスラエル共産党の文芸誌『アル・ジャディード』に自作の詩を投稿していましたが、ほどなくして同誌の編集に携わるようになり、次いで、イスラエル労働党の文芸誌『アル・ファジュル』の編集者となります。1960年、19歳の時に発表した第一詩集『翼のない鳥』を皮切りに、1960年代には何冊かの詩集を出版。「書き留めてくれ/私はアラブ人」のリフレインで知られる詩「身分証明書」、故郷パレスチナを恋人に見立てて愛を謳った詩「パレスチナの恋人」などで、パレスチナを代表する詩人として高く評価されました。

 しかし、そのことは、パレスチナ人の民族意識を高揚させ、反イスラエル世論を煽動するものとしてイスラエルからは危険視され、投獄や自宅軟禁等の処罰を受けることになります。

 彼の作品は世界的にも高く評価され、1969年、アジア・アフリカ作家会議が創設したロータス賞の第一回受賞者となりましたが、1970年、事実上の国外追放処分を受け、ソ連のミハイル・ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学に一年間、留学。その後、カイロを経てベイルートに入り、1973年、PLOに参加。詩作を続ける傍ら、執行委員会のメンバーとして反イスラエル闘争に積極的に関与しました。

 PLOのテュニス移転とともにテュニスに移り、第一次インティファーダを経て、1988年にアルジェで開催されたパレスチナ民族評議会ではアラファトが読み上げた「独立宣言」を起草しました。

 その後、1993年のオスロ合意の内容に失望し、PLOの役職を辞職しましたが、1995年、パレスチナ自治政府の暫定自治がヨルダン川西岸地区の主要都市にまで拡大され、自治政府がラマッラーに移ると、PLOと和解し、ラマッラーに“帰還”しました。晩年はパレスチナと米国を往来しながら、ファタハとハマースの抗争を批判し、特に、ハマースの奉じるイスラム原理主義を激しく批判しています。

 晩年は毎年のようにノーベル文学賞の有力候補の一人としてメディアに名前が挙げられましたが、2008年8月9日、心臓病の治療のため入院していた米ヒューストンで亡くなりました。享年67歳。その葬儀は、アラファトに次いでパレスチナ自治政府として2人目の“国葬”とされ、大統領のアッバースは自治政府として3日間の服喪を決定しています。

 今回ご紹介の切手は、当初、2007年に発行が予定されていたもので、切手にもその旨の表示がありますが、実際には、彼の死の直前、2008年7月29日に発行されています。切手の背景に岩のドームが描かれているのは、彼の起草した「独立宣言」が、パレスチナ国家の首都はエルサレムに置くとしていたことを示したものと考えられます。

 なお、今回ご紹介の切手を含め、パレスチナの切手と郵便については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


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 日本・モルディヴ国交50年
2017-11-14 Tue 12:05
 1967年11月14日に日本とモルディヴ(1965年独立)の外交関係が樹立されてから、きょうでちょうど50周年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モルディヴ・鰹節

 これは、1981年、“(国連)婦人の10年”の題目でモルディヴが発行した切手のうち、日本の鰹節とよく似たモルディヴの伝統調味料、”モルディヴ・フィッシュ”の製造風景を描いた1枚です。

 1975年の国際婦人年の成果を踏まえ、同年の第30回国連総会では、1976‐85年を国際婦人年の目標達成のため“国連婦人の10年”とすることが宣言されました。これを踏まえて、1979年には国連で女子差別撤廃条約が採択され、翌1980年にコペンハーゲンで行われた“国連婦人の10年中間期世界会議”が行われました。今回ご紹介の切手が発行された1981年は、女子差別撤廃条約が発行した年にあたっており、今回ご紹介の切手は、これに合わせて、モルディヴの伝統的な女性の労働風景を描くものとして発行されました。

 現在のモルディヴ経済は観光部門がGDPの3分の1を占めていますが、歴史的には漁業が最大の主要産業で、現在でも労働人口の3割が漁業およびその関連業務に従事しており、GDPの15%以上を占めています。また、モルディヴは、1人あたりの1日の魚介類消費量が381グラムで世界一(日本は155グラムで6位)の国でもあります。

 モルディヴ環礁周辺の赤道付近は世界有数のカツオの産卵地域であるため、1年を通じてカツオ漁が可能で、漁獲高の70%はカツオが占めていることもあって、単に“(英語の)fish”というとモルディヴではカツオを指すのが一般的。漁獲量は年間約9万トンで、その大半は、缶詰もしくは冷凍にされ、主としてヨーロッパや日本などに輸出されています。

 このように、カツオ漁が盛んなモルディヴでは、日本の鰹節に似た“モルディヴ・フィッシュ”が14世紀から作られてきました。

 その作り方は、生のカツオを塩水で煮たものを燻煙し、天日干しにするもので、日本の荒節とほぼ同じです。ただし、日本の鰹節(枯節)と異なり、モルディヴ・フィッシュにはカビ付けはされません。また、日本では鰹節を削り、出汁を取る場合には出汁ガラは基本的に捨ててしまうのに対して、モルディヴ・フィッシュは石臼で挽いて粉末状にしたモノを他の食材に混ぜて食すのが一般的です。

 ちなみに、伝統的な食文化として鰹節の利用が定着しているのは日本とモルディヴだけだそうです。それゆえ、日本の鰹節はモルディヴから東南アジア、沖縄経由でもたらされたとする説も提起されていますが、こちらについては、具体的な伝達経路などが立証されておらず、現時点では、推論の域を出ていません。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★

  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、9日放送分につきましては、16日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 イラン・イラク国境地帯でM7.3地震
2017-11-13 Mon 12:40
 イラク北東部、イランとの国境にも近いスレイマニア県を震源として、現地時間12日午後9時20分ごろ(日本時間13日午前3時20分ごろ)、マグニテュード7.3の大地震が発生。震源に近いイラン西部やイラク北部のクルディスタン地域で建物の倒壊などによる死傷者が出ており、なかでも、イラン西部、イラクとの国境に位置するケルマンシャー州では、この記事を書いている時点で少なくとも141人が亡くなったそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・ケルマンシャー加刷

 これは、第一次大戦中の1917年、オスマン帝国占領下のケルマンシャーで発行された暫定加刷切手です。

 イラン西部ケルマンシャー州は米や野菜を産する豊かな農業地帯として古代から人々が定住しており、州都ケルマンシャーの歴史はピーシュダード朝(イラン最初の王朝とされる伝説上の王朝)のタフモレス・ディーヴバンドの時代にまでさかのぼるとされています。都市としての本格的な建設は、西暦4世紀、ササン朝のバフラーム4世の時代に進められ、以後、同王朝の下で何度かペルセポリスに次ぐ副都に指定されて繁栄を極めました。その後、アラブの侵攻により大きな被害を受けましたが、16世紀から18世紀にかけてのサファヴィー朝支配下では都市として復活しています。

 第一次大戦中、当時のペルシャを支配者であったカージャール朝は中立を宣言したものの、戦略的な要衝であるがゆえに各国の軍隊が進駐。1915年にはオスマン帝国の侵攻により、ケルマンシャーも同帝国の占領下に置かれました。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、1917年、12シャヒおよび24シャヒ切手が不足したため、1キラン(クランとも。1クラン=100シャヒ)切手に暫定的に改値加刷を行って発行されたものです。

 なお、この切手が発行されて間もなく、ロシアで10月革命が発生したため、ケルマンシャーを含むペルシャ北西部は、ロシア内戦に干渉するための前線基地として、英国がオスマン帝国を駆逐して占領しました。

 1979年のイスラム革命後、ケルマンシャーは、地名の“シャー”が忌避され、“バーフタラーン”と改称されましたが、イラン・イラク戦争(ケルマンシャーも国境の都市として大きな被害を受けました)の休戦後、旧称のケルマンシャーに復し、現在に至っています。ちなみに、ケルマンシャー州の現在の人口は約195万2000人、州都ケルマンシャーの人口は約82万3000人です。

 今回の地震では、ケルマンシャー州内では、イラクとの国境に近いサルポル・エ・ザハブの被害が特に深刻で、死亡者のうち60人以上が同郡に集中しているそうです。このほか、イラクのクルディスタン地域でも、東部スレイマニア県のダルバンディカン、カラル、アルビル県のコレなどで死者が出ているほか、ダルバンディカンには農業・発電用の利水ダムがあるため、クルド自治政府は余震に備えて住民に避難を呼びかけています。

 あらためて、亡くなられた方の御冥福と、被災地の一日も早い復旧・復興をお祈りしております。


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  11月9日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第11回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、11月30日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

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 泰国郵便学(51)
2017-11-12 Sun 14:43
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第51巻第5号ができあがりました。そこで、僕の連載「泰国郵便学」の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・オニテナガエビ(1976)  

 この切手は、1976年2月18日に発行された“タイの代表的な食用エビ”の切手のうち、オニテナガエビを取り上げた1枚です。次いでですので、バンコクの海鮮レストランで生簀の中のオニテナガエビを撮影した写真が手元にありましたので、下に貼っておきます。

      オニテナガエビ・実物

 タイでエビの養殖がいつから始まったかは定かではありませんが、1960年代に地元の古老を対象に行った聞き取り調査によると、遅くとも、1930年までにはエビの養殖が始められていたようです。初期のエビの養殖は、主としてタイランド湾の河口に近い低地の米作農家が乾季の間の副業としてエビを飼い、販売するものでした。

 一方、タイランド湾に面したサムットプラーカーン県、サムットサーコーン県、サムットソンクラーム県は伝統的に製塩業が盛んでしたが、1950年頃、塩の値段が暴落したため、塩田の多くがエビの養殖に転業します。

 1960年代後半までにエビの養殖はタイランド湾沿岸のほぼ全域に拡大しましたが、その中心は上記3県で、ほかに、ラヨーン県、チョンブリー県、チャンタブリー県が主要な生産地でした。当時のエビ養殖業者は、一軒あたり平均4ヘクタールの養殖池で年間1356キロのエビを生産してました。

 1970年代に入ると、日本でのエビの需要の拡大に伴い、エビの輸出も拡大しましたが、その反面、乱獲により天然エビ漁は衰退し、養殖エビの重要性も増大します。今回ご紹介の切手は、そうした状況の下で、輸出商品としてのエビを宣伝する目的で発行されました。

 切手に取り上げられたオニテナガエビは、タイ、マレーシアなどの東南アジア原産の淡水産のエビで、オスで最大32センチ、メスで25センチに成長します。色は藍色で、頭部が大きく、第二歩行足が体長よりも長くなっています。タイ語では、一般に川エビを意味する“グン・メーナーム”と呼ばれ、レストランの英文メニューでもその直訳の“River Prawn”と表示されていることも多いようです。ただし、英語表現としては、FAO(国連食糧農業機関)の指導により、マレーシアで本格的な養殖が始まったことから、マレーシア・プローンの通称で呼ばれるのが一般的です。

 レストランなどで調理される場合は、このエビの最大の特徴である鋏が外されてしまうことが多いので、バナメイエビとよく似た外観になりますが、バナメイエビに比べて兜が幅広いので識別は難しくはありません。タイでの調理方法としては、“シューシー・グン(レッドカレー炒め。カレーとしてではなく、一品料理として供される)”や“グン・オップ・ウンセン(エビと春雨の蒸しもの)”などが好まれています。


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 ルーヴル・アブダビ開館
2017-11-11 Sat 12:56
 アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ・サーディヤト島で建設が進められていたフランスのルーヴル美術館の別館 “ルーヴル・アブダビ”がオープンし、きょう(11日)から一般公開されます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ザール・ミラノの貴婦人

 これは、1956年12月10日にザールで発行された慈善切手で、ダ・ヴィンチの「ミラノの貴婦人」が取り上げられています。「ミラノの貴婦人」はパリ・ルーヴル美術館の収蔵品として有名ですが、今回のルーヴル・アブダビのオープンを記念して、ルーヴル・アブダビに移管され、その目玉として展示・公開されることになりました。

 ルーヴル・アブダビは、2007年の政府間の合意を経て、当初、2012年に開館の予定でしたが、世界的な金融危機や原油価格下落などの影響で完成が大幅に遅れていました。

 洋上に建設された美術館はプリツカー賞を受賞したフランスの建築家、ジャン・ヌーヴェルの設計で、直径180m・高さ36mの8層構成(4層の外層はステンレススチール、4層はアルミニウム)のドーム型。総重量はエッフェル塔と同じ7500トンあり、110m間隔で設置された4つの桟橋によって支えられています。ドームは7850個の星を組み合わせたデザインで、星々の隙間から光が差し込むと、ヤシの葉から落ちる木漏れ日を思わせる“光の雨”が降る仕掛けになっています。

 美術館としては23のギャラリーがあり、600点の所蔵作品に加えて、フランスの13の美術館・博物館から、今回ご紹介の切手に取り上げられた「ミラノの貴婦人」を含む300点が貸し出され、年間4回の企画展が予定されています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「ミラノの貴婦人」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品といわれており(異説もあります)、フランス革命以前からフランス王室が所蔵していました。17世紀初めの時点では、作品に描かれている女性が金物商の妻もしくは娘と考えられていたことから、欧米では『美しき金物商(フランス語では La Belle Ferronnière)』と呼ばれるのが一般的ですが、モデルについては、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの公妃ベアトリーチェ・デステもしくは愛人のルクレツィア・クリヴェッリという説もあります。
 
 *  明年(2018年)5月にエルサレムで開催予定の世界切手展<WSC Israel 2018>の出品申し込みは、かねてご案内の通り、昨日(10日)でいったん締め切りました。同展の日本コミッショナーとして、お申込みいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
 なお、現在、主催者側に送るべく書類の取りまとめ作業中ですが、うっかり申し込みを忘れたという方は、急ぎ内藤宛に申込書をお送りいただければ、可能な限り対応いたしますので、よろしくお願いいたします。


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