内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 戦艦「加賀」進水式の絵葉書
2017-03-24 Fri 23:18
 おととい(22日)就役した海上自衛隊最大の護衛艦「かが」について、きのう(23日)、中国外務省の華春瑩報道官が「(旧日本海軍の空母)加賀は第二次大戦中、米軍に撃沈された。日本は歴史の教訓をくみ取るべきだ。加賀の再現は、軍国主義の復活を意図しているのではないことを希望する」とコメントしたそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      戦艦『加賀」進水式絵葉書

 これは、1921年の戦艦「加賀」の進水式の記念絵葉書に切手を貼り、記念の印を押した記念品です。

 加賀は日本海軍が計画した“八八艦隊”の1隻が建造が計画されたもので、1919年1月、川崎造船所に建造が命じられました。起工は1920年7月19日で、1921年11月17日、大正天皇の名代として伏見宮博恭王以下、10万人ともいう観衆が見守る中で進水式が行われました。今回ご紹介の葉書は、この時に作られたものです。

 ところが、ワシントン海軍軍縮条約に従い、主力艦の保有数が制限されたため、建造計画は頓挫。重防備ではあったものの低速であった加賀は廃が決定され、同型艦の「土佐」が豊後水道にて射撃実験の標的として使用されたのに続き、同様の処分が行われるのを待つばかりとなっていました。

 しかし、1923年9月1日に関東大震災が発生。横須賀海軍工廠で改装中だった「天城」が大破したため、急遽、その代替として加賀は空母へ改造することとなり、同年12月13日、横須賀海軍工廠で空母への改装工事が開始。1928年に空母として竣工しました。

 その後、加賀は1932年1月の(第1次)上海事変に出動した後、1933-35年、佐世保鎮守府での大改装を経て、1937年に始まる支那事変(日中戦争)では南京、広東爆撃に参加しました。

 大東亜戦争では、1941年12月8日の真珠湾攻撃に参加したのを皮切りに、ラバウル攻撃、ポートダーウィン攻撃、 ジャワ島南方での米艦船攻撃 等に参加しましたが、、1942年6月のミッドウェー海戦で敵の爆弾3発を受け大破炎上し、沈没しました。

 ちなみに、海上自衛隊の護衛艦のうち、旧日本海軍の艦船と同じ艦名の船は今回の「かが」が初めてというわけではなく、これまでにも「いせ」、「ひゅうが」などの先例がありますが、それらをもってただちに“軍国主義の復活”というのはあまりにも短絡的でしょう。少なくとも、東シナ海で乱暴狼藉の限りを尽くしている国に“軍国主義”とは言われたくはないですな。

 まぁ、「いざというときには、ご自慢の空母(ということになっている鉄屑)遼寧でどうとでもなるんじゃないですか?」と件の報道官には訊いてみたいものです。

  * さきほど、アクセスカウンターが177万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

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 岩のドームの郵便学(49)
2017-03-23 Thu 12:51
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』637号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第1次インティファーダの時期のイスラム主義者たちの活動について取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・第一次インティファーダ

 これは、1988年5月13日、イランが発行した第1次インティファーダでの殉教者を讃える切手です。

 1987年12月に第1次インティファーダが発生すると、パレスチナのイスラム主義勢力もこれに加わり、武装闘争を展開します。

 1970年代以前のパレスチナでは、反イスラエルの武装闘争は世俗主義を掲げるPLO系の組織が中心で、ムスリム同胞団は主として救貧や医療などの社会活動を担い、武装闘争には慎重でした。

 これに対して、ガザ出身のファトヒー・シカーキー(シャカーキーとも)は1979年のイラン・イスラム革命に刺激を受け、『ホメイニー:イスラム的かつ新しい解決策』を刊行。PLOなど世俗主義的な解放運動はイスラムを欠き、ムスリム同胞団などイスラム復興運動はパレスチナを欠いているとの現状認識の下、イスラムに立脚したパレスチナ解放こそが重要であると主張しました。これは、ホメイニーのイスラム革命が“イスラムと闘争の結合”の結果であるとの理解によるもので、シカーキーはイランの樹立した“イスラム共和国”と類似の体制をパレスチナに樹立することを主張していたわけではありませんが、イスラム革命の精神そのものを大いに称揚していました。

 さらに、1980年、シカーキーは、イスラエルに対する武装闘争を“ジハード”と位置付け、パレスチナ全土の解放を目標とする少数精鋭主義の“パレスチナ・イスラム・ジハード運動(以下、ジハード運動)”を組織。その軍事部門である“クドゥス旅団(クドゥスはエルサレムのアラビア語名)”は、イランやシリアの支援を受け、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)とも連携して、1986-87年にイスラエルに対する断続的な襲撃事件を起こしました。ちなみに、ジハード運動は自分たちに対するイスラエルの報復攻撃が第一次インティファーダの契機となったと主張しています。

 今回ご紹介の切手は、イランがジハード運動支援の姿勢を明らかにするために5種連刷形式で発行したもので、左側の4種が第一次インティファーダで“殉教”したジハード運動の活動家の肖像を、右端の1種が石礫を投げる人々を取り上げていますが、パレスチナの地図とイスラムの聖地・岩のドームを背景に、ダヴィデの星の形をした鉄条網が破れているというデザインは共通です。

 なお、第1次インティファーダの発生を受けて、ムスリム同胞団パレスチナ支部も従来の方針を転換し、1987年12月14日、アフマド・ヤースィーンを中心に行動組織の“イスラム抵抗運動”を結成。これが、現在、ガザ地区を実効支配しているハマースの原点です。ちなみに、イスラム抵抗運動は、アラビア語ではحركة المقاومة الاسلامية‎ となりますが、ハマースというのはそのアラビア文字の頭文字を取った略称で、ハマースという単語自体は、アラビア語で“激情”を意味しています。


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 世界の切手:赤道ギニア
2017-03-22 Wed 12:40
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年3月22日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は赤道ギニアの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ビオコ自由国(2010)

 これは、赤道ギニアからの分離独立を主張する“ビオコ自由国”が自らの存在をアピールするために制作した“切手”です。ただし、現時点では、ビオコ自由国の独立は認められていませんし、彼らが実効支配地域で郵便サービスを提供しているわけでもありませんので、現実には“切手を模したラベル”という位置づけになります。

 現在の赤道ギニア共和国(以下、赤道ギニア)は、ギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のリオ・ムニ(ムビニとも)とエロベイ諸島から構成されており、首都のマラボはビオコ島にあります。このうち、エロベイ諸島は無人島で、アンノボン島の人口はわずか2500人しかおらず、国家の総人口の1/4がビオコ島に、残りがリオ・ムニに居住しています。

 伝承によれば、ビオコ島はもともと無人島でしたが、13世紀、現在のブビ人の祖先にあたる人々が、カメルーンおよびリオ・ムニのファン人の攻撃を逃れ、アフリカ本土から同島に移住し、定着するようになったとされており、現在でもビオコ島の住民の多くはブビ人です。

 これに対して、大陸側のリオ・ムニではファン人が圧倒的な多数派を占めており、赤道ギニア全体としては、ファン人が全人口の80%、ブビ人が同15%という割合になっています。

 ブビ人とファン人はいずれもバントゥー系ですが、言語はブビ語とファン語で全く異なっており、文化的な差異も多きかったうえ、居住地域も異なっていました。

 しかし、列強によるアフリカ分割の過程で、ビオコ島(スペイン統治時代の呼称はフェルナンド・ポー)とリオ・ムニは“スペイン領ギニア(後にスペイン領赤道ギニア)”として、一括してスペインの植民地とされます。

 スペインの植民地当局は、典型的な分割統治政策として、少数派のブビ人を優遇。現在でもブビ人の識字率が90%を上回っている一方、ファン人は70%以下となっているのは、その名残といえましょう。

 第二次大戦後、スペインからの独立が具体的に検討されるようになると、ブビ人は、少数派としての権利が保障されない可能性が大きいとして、“ブビ同盟”を結成し、独立に際しては、ビオコ島をリオ・ムニから分離するよう求めましたが、その要求は却下され、1968年、両地域を統合した赤道ギニア国家が独立。ファン人のフランシスコ・マシアス・ンゲマが初代大統領に就任します。

 初代大統領のフランシスコ・マシアス・ンゲマは、東西冷戦という国際環境の下で親ソ姿勢を鮮明にし、1970年には共産諸国の一党独裁体制に倣って与党・労働国民統一党以外の政党を禁止。1972年7月にはみずから終身大統領を宣言して、反政府勢力とみなした国民を容赦なく粛清しました。なかでも、ブビ人に対する迫害・虐殺政策は苛烈を極め、スペイン統治下でブビ人に与えられていた特権や少数派としての保護の多くが剥奪され、ブビ人の政治活動もほぼ全面的に禁止。ブビ人有力者の多くが粛清され、彼らの1/3は恐怖支配を逃れて国外に亡命したといわれています。こうした惨状は“アフリカのアウシュヴィッツ”と恐れられ、国際社会の激しい非難を浴びました。

 マシアスは、1979年8月、甥のテオドロ・オビアン・ンゲマのクーデターにより殺害されたが、その後も、現在まで超長期独裁政権を維持し続けるンゲマの下、ブビ人に対する人権抑圧は継続されています。

 これに対して、1993年、ブビ人民主活動家のマーティン・プエは既存のブビ同盟から分れて“ビオコ自治運動(MAIB)”を結成。ブビ人がビオコ島では多数派であるという条件や、伝統的な酋長の支援を生かし、ンゲマ政権に対し分離要求を行ったが、政権は一切の譲歩を拒否し続けています。

 こうした中で、1998年1月21日、首都マラボでMAIBによる反政府暴動が発生すると、政権側はこれを徹底的に弾圧。MAIBの指導者、マーティン・プエも、同年5月、反逆の罪で軍事裁判所にかけられ、禁錮26年の判決を受けましたが、収監後まもない同年7月、激しい拷問を受けた上、肺炎を病み、マラボの病院で亡くなりました。

 現在も、旧宗主国のスペインやアムネスティ・インターナショナルなどがンゲマ政権によるブビ人弾圧を非難しています。しかし、1992年にビオコ島沖でスタートした原油生産は、ピーク時で日量40万バレル水準を達成し、赤道ギニアがサハラ砂漠以南のアフリカで第3の規模を誇る産油国となったことから、西側諸国の多くは石油利権を重視し、政権に対して好意的な姿勢を取っています。このため、国際世論の圧力でブビ人の状況が改善される可能性は極めて低いのが実情です。

 さて、『世界の切手コレクション』3月22日号の「世界の国々」では、ビオコ島のブビ人について扱った長文コラムに加え、現地のクリスマス、林業、捕鯨、スペイン内戦との関係を示す切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回の赤道ギニアの次は、本日(22日)発売の3月29日号でのパナマの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の29日以降、このブログでもご紹介する予定です。 
    

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 東京でソメイヨシノ開花
2017-03-21 Tue 16:41
 気象庁は、きょう(21日)、全国のトップを切って「東京の桜(ソメイヨシノ)が開花した」と発表しました。東京の桜が全国一番乗りで開花するのは、2008年以来、9年ぶりのことですが、3月21日の開花は去年と同じで、平年(3月26日)より5日早いそうです。というわけで、今日は桜を取り上げた切手の中からこの1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      スリランカ・日本との国交60年

 これは、2012年にスリランカが発行した日本との国交樹立60周年の記念切手で、両国を象徴する花として、桜(日本)と蓮(スリランカ)が並べて取り上げられています。

 スリランカは、1948年にセイロンとして英国から独立1951年のサンフランシスコ講和会議には戦勝国の一員として参加しましたが、セイロン代表として出席したジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナは、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という法句経の一節を引用して、対日賠償請求を放棄する旨の演説を行い、日本が国際社会への復帰を後押ししました。

 その後、翌1952年4月の対日講和条約の発効を受けて、スリランカとわが国との国交が正式に樹立され、そこから60周年になるのを記念して、今回ご紹介の切手が発行されました。

 その後も、スリランカは一貫して親日的な立場をとっており、2011年の東日本大震災に際しては、着任まもなかった駐日スリランカ大使は「こんな時こそ日本との結束を示すために、私は送られてきた」との声明を発表し、在日スリランカ人に「日本にとどまり日本人を助けるように」と伝え、福島の被災者を見舞ってくれました

 こうした友好国の切手に、日本の象徴として桜が取り上げられるというケースはほかにもいろいろありますので、これから毎年、桜の開花時期には、そうした切手の中から、何かご紹介していくことにしましょうかね。

 
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 HAPPY NOWRUZ!
2017-03-20 Mon 21:38
 今日(20日)は春分の日。日本ではお墓参りの日ですが、イランを中心にその文化的影響が及んでいる国や地域では、新年のお祭り・ノウルーズの日です。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラク・ノールーズ加刷

 これは、1970年にイラクが発行した“ノウルーズ”の記念加刷切手です。

 さて、イスラム世界では預言者ムハンマドと信徒たちがメッカからメディナに移住し、イスラムの共同体を作った“ヒジュラ”のあった年を紀元とするヒジュラ暦が使われていますが、このヒジュラ暦は完全太陰暦で、かつての日本の旧暦のように閏月を入れて調整するということは行われていませんから、毎年、11日ずつ、太陽暦の日付とズレが生じます。

 この点について、ムスリムたちは、信徒の義務であるラマダン月(ヒジュラ暦の9月)の断食が、毎年、少しずつ季節を移動していくことによって、地域ごとの断食の負担の格差が是正されるメリットがあると説明しています。たとえば、ラマダン月が真冬の時期に当たると、熱帯の国では比較的楽に断食が行えますが、寒冷地域の断食は非常に厳しいものがあります。逆に、ラマダン月が真夏にぶつかると、熱帯と寒冷地域では、その負担の重さは逆転します。

 したがって、全世界の信徒にとって、断食の負担の平準化を図るためには、ラマダン月が毎年季節を移動していくことはポジティブにとらえられており、それゆえ、ヒジュラ暦は調整なしの完全太陰暦なのだ、というロジックが導き出されることになります。

 とはいえ、いくら宗教的に重要な意味があるとはいえ、毎年、暦の日付と季節がずれていけば、農作業などでは不便も多く生じます。このため、イスラム世界の各地では、イスラム暦とは別に、太陽暦に連動した農事暦が用いられることも多く、イランの場合は、イスラム以前から使われていたイラン暦として春分を元日とした太陽暦も用いられています。

 この元日が、いわゆる“ノウルーズ”(直訳すると“新しい日”の意味)と呼ばれるもので、イランを中心に中央アジアの5共和国でも祝日になっています。また、クルド人がノウル-ズを祝う習慣があることから、トルコではクルド人に対する宥和政策の一環として国民の休日に指定されているほか、イラク国内のクルド人自治区(クルディスタン)でも、ノウルーズは祝日に指定されています。今回ご紹介の切手が発行された1970年は、バアス党政権下の1970年、クルド人自治区が設定された年ですので、加刷切手の発行も、彼らに対する融和政策の一環だったということなのでしょう。

 なお、しばしば誤解されることですが、ノウルーズはイスラム圏全体に共通の行事ではなく、アラブ世界ではほとんど無視されているのが実情です。じっさい、イラクの場合も、ノウルーズはあくまでもクルド人自治区の祝日であり、国として休日・祝日には指定されていません。ちなみに、イスラム世界全体としては、イスラム教徒としての新年はヒジュラ暦のムハラッム月(第1月)1日に祝うのが主流ですが、こちらは上述のように年によって季節は一定していません。

 現在、イラク国内では過激派組織ダーイシュ(自称イスラム国)との戦いが激しさを増しており、クルド人の間でも、“戦時下”という状況に鑑みて、ノウルーズに際しても派手なことは控える風潮が強くなっているのだとか。一刻も早くダーイシュを掃討し、来年こそは、クルディスタンでも盛大にノウルーズのお祝いができるようになると良いですね。


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 タンザニア、ケニアに医師500人派遣
2017-03-19 Sun 19:09
 昨年12月からの100日間に及んだ医療関係者のストライキで、医療サービスがマヒ状態になっているケニアに対して、隣国タンザニアのジョン・マグフリ大統領は、きのう(18日)、500人の医師を派遣すると発表しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ケニア・ウガンダ・タンザニア:ケニヤッタ病院

 これは、1973年12月12日、ケニア・ウガンダ・タンザニア名義で発行されたケニア独立10周年の記念切手で、ケニアの首都、ナイロビのケニヤッタ国立病院が取り上げられています。

 近代以前の東アフリカのインド洋沿岸部はザンジバルの支配下に置かれていましたが、1840年代以降、ザンジバルのスルターンの保護の下にヨーロッパ人宣教師がモンバサの海岸周辺から内陸に向かって入植するようになりました。

 1886年、ドイツがザンジバルに艦隊を派遣すると、ザンジバルからの支援要請を受けた英国も派兵。このため、フランスを交えた3国の協議の結果、東アフリカ南部(現在のタンザニアの大陸部分に相当する地域)をドイツ領東アフリカとし、北部(現在のケニアに相当する地域)を英領東アフリカとすることで決着が図られました。この時きめられた英領東アフリカの範囲は、タナ川の河口からモンバサを経てドイツ領東アフリカとの境界線までの150マイル(240キロメートル)の海岸線とその内陸部です。

 第一次大戦でドイツが敗れると、旧ドイツ領東アフリカは解体され、英委任統治領タンガニーカとベルギー委任統治領のルワンダ=ウルンディに分割されます。

 その後、1927年、英国は東アフリカのウガンダ、ケニア、タンガニーカ、ザンジバルの4地域を包括する関税同盟を結成し、同盟の域内では共通通貨として東アフリカ・シリングの使用が開始されます。これに伴い、ザンジバルを除く大陸の3地域では郵便組織も共通となり、“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手がこれら3地域で使用されました。

 その後、1961年にタンガニーカが、1962年にウガンダが、1963年にケニアが、それぞれ独立した後も、各国の切手と並行して“ケニア・ウガンダ・タンガニーカ”表示の切手の発行は継続され、1964年にタンガニーカとザンジバルの統合によって現在のタンザニア国家が誕生すると、今回ご紹介の切手のように、“ケニア・ウガンダ・タンザニア”に国名表示を変更した切手が1976年初まで発行されていました。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたケニヤッタ病院は、1901年、先住民を対象としたネイティヴ市民病院として、40床で開業しました。ちなみに、当時のケニアでは、現地在住の白人に対する医療行為は、同病院の近くにあるヨーロッパ病院(現ナイロビ病院)で行われていました。その後、1952年に宗主国の君主である英国王ジョージ6世が崩御すると、ネイティヴ市民病院はジョージ6世病院と改称されましたが、独立後は“建国の父”ジョモ・ケニヤッタにちなんで、ケニヤッタ国立病院と改称されました。現在のスタッフ数は6000人、ベッド数は1800床です。
 
 さて、ケニアでは、昨年12月、各地の公立病院で医療関係者約5000人が賃上げと労働環境の改善を求めてストライキを開始。今月14日、ケニア政府と労働側の合意が成立し、ようやくストライキが終結したものの、医師の中にはいまだに職場復帰していない者もおり、職場復帰した医療関係者は診療を待つ大勢の患者たちへの対応に追われています。

 今回のタンザニア政府による医師派遣は、タンザニア最大都市のダルエスサラームでマグフリ大統領とケニアのクレオパ・マイル保健相率いる代表団が会談した後、発表されたもので、ケニア側は派遣される医師たちに対して「所定の給与を支払い、住居を用意し、良好な環境で働けるようにする」ことになっています。
 
 まぁ、タンザニアからすれば、地続きの隣国のであるケニア国内の衛生環境が悪化すれば、自国にも深刻な影響が生じることが懸念されるわけで、事態を放置できなかったというのが正直なところでしょうが、かつての英領時代の紐帯が、こんなところで生きてくるというのもなかなか興味深い話ではあります。


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 タージ・マハルの警備強化
2017-03-18 Sat 23:15
 きのう(17日)、インド警察は世界遺産タージ・マハルへのテロに対する警備を強化すると発表しましたが、これに挑戦するかのように、きょう(18日)、タージ・マハル所在地のアグラ駅周辺で、2回の爆発が発生しました。というわけで、きょうは、タージ・マハルを取り上げた切手の中から、この1枚です。

      インド・フダーバフシュ図書館

 これは、1994年11月21日に発行された“フダー・バフシュ東洋図書館”の切手で、同館所蔵の写本に収められたタージ・マハルの絵が取り上げられています。

 インド有数の蔵書家であったムハンマド・バフシュの死後、息子のフダーは父の写本1400点を受け継ぎ、自らもコレクションを充実させ、1880年、ビハール州のパトナに個人図書館を開設。その後、1891年に英領ベンガル総督のチャールズ・エリオットにより一般公開されました。これが、現在のフダー・バフシュ東洋図書館の起源で、現在、同館は1969年に制定されたフダー・バフシュ東洋図書館法により、連邦政府が維持・管理してます。

 フダー・バフシュ図書館は、アラビア語・ペルシャ語・ウルドゥ語の写本と、ムガール、ペルシャ、トルコの細密画のコレクションが充実していることで世界的にも有名です。今回ご紹介の切手には、そのうち、タージ・マハルを建造したシャー・ジャハーン時代の年代記『パードゥシャー・ナーメ』の一葉が取り上げられています。

 さて、今回、インド警察が、タージ・マハルの警備を強化するようになったのは、武装した男が“新たな標的”のタージ・マハルを向いて立っている画像を報道がインターネット上にアップされていたことが発覚したのが発端です。この画像は、イスラム過激派系のメディアが通信アプリで公開したものと見られていますが、今後、これに刺激を受けたテロリストが、世界的観光地のタージ・マハルをテロの標的とする可能性が指摘されていました。

 きょうの爆発がテロによるものかどうかは、現在、捜査中だそうです。もちろん、インド警察は「いかなる不測の事態にも対応できるよう準備している」と強調しているのですが、やはり、不安は拭えませんね。


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 セント・パトリックス・デー
2017-03-17 Fri 18:29
 きょう(17日)は、セント・パトリックス・デー(アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックの命日で、アイルランド最大の祝祭日)です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アイルランド・聖パトリックス大隊

 これは、1847年にアイルランドで発行されたセント・パトリックス大隊150年の記念切手です。

 1836年にメキシコから独立したテキサス共和国は、当初から、米国との統合を求める声が強かったものの、米議会では併合慎重派が多数を占めていました。ところが、1844年の米大統領選挙で、テキサス併合を公約に掲げるジェイムズ・ポークが当選。1845年2月、米議会は「1846年1月1日までにテキサス共和国が併合を承認すれば、州として連邦への加盟を認める」とする決議を採択する。これを受けて、テキサス議会は米国への併合に同意。1845年12月、ポークはテキサスを合衆国の州として受け入れる法案に署名します。

 テキサスを併合した米国は、その西側の領土の買収もメキシコに持ちかけましたが、メキシコはこれに猛反発し、1846年5月、米墨戦争が勃発します。

 ところで、開戦後、プロテスタントが主流を占める米軍は、メキシコのカトリックの教会に避難していた人々に対して、容赦なく発砲。このため、もともと、米国社会で不遇をかこっていたアイルランド系カトリック兵約500名は米軍を離脱し、カトリックの進行を同じうするメキシコ軍に合流。彼らは、1846年9月21日のモンテレーの戦い以降、ジョン・ライリー司令官の下、メキシコ軍の砲兵隊“セント・パトリックス大隊(スペイン語名:サン・パトリシオス)”として戦いました。

 セント・パトリックス大隊は、多くの犠牲を出しながらも勇敢に戦いましたが、1847年8月20日のチュルブスコの戦いでは35名の戦死者を出して敗北し、85名が米軍の捕虜となり、“脱走兵”としてタクバヤおよびサンアンヘルの軍事裁判にかけられました。ちなみに、米墨戦争中の米軍の脱走兵は9000人以上いましたが、軍事裁判にかけられて処罰の対象となったのはセント・パトリックス大隊のメンバーだけでした。

 裁判の欠陥、タクバヤの法廷で30名が、サンアンヘルの法廷で20名が反逆罪として絞首刑の判決を受け、1847年9月10日、刑が執行されました。その他の者には、米軍の軍歴がなかった(=“脱走兵”にはならない)ことが証明されて無罪となった2名を除き、裸の背中に50回、鞭打ちをした後、脱走兵(deserter)を示すDの文字を焼き付け、戦争が続いている間は首の周りに鉄のくびきをつけるという判決が下されています。

 米墨戦争は、最終的に、米国の勝利に終わり、1848年2月に結ばれたグアダルーペ・イダルゴ条約により、メキシコは、リオ・グランデ以北、テキサスからカリフォルニアまでの広大な領土をわずか1500万ドルで米国に売却させられました。戦後の1850年、メキシコ軍は、正式に、セント・パトリックス大隊の任を解きましたが、現在なお、メキシコ・アイルランド両国では、彼らは英雄とされており、処刑後150周年の節目には、今回ご紹介のアイルランド切手と同図案の記念切手がメキシコでも発行されています。


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 モザンビークの鉄道
2017-03-16 Thu 14:36
 今月13日からきょう(16日)まで日本を訪問中のモザンビークのフィリペ・ジャシント・ニュシ大統領が、きのう(15日)、安倍首相との会談後、両陛下とも会見したそうです。というわけで、モザンビーク鉄道港湾公社出身の大統領にちなんで、今日は、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      モザンビーク会社領・ベイラ鉄道はがき

 これは、1904年、モザンビーク会社領で発行された葉書で、ザンベジ川の鉄橋を渡るベイラ鉄道が取り上げられています。

 1822年、ポルトガルにとってドル箱の植民地だったブラジルが独立すると、ポルトガル国内では政治の混乱が続き、経済も低迷。国家財政も急速に悪化し、ポルトガルは鉄道や鉱山の利権を担保に英国から借金を重ねました。

 こうした経緯を経て、19世紀後半、列強諸国によるアフリカ分割の過程で、ポルトガルはモザンビークとアンゴラを横断する“バラ色地図計画”を発表したものの、1890年には英国の圧力で現在のザンビアジンバブエマラウイに相当する地域の領有を断念し、1891年の条約で“ポルトガル領モザンビーク”の領域が確定されます。

 さらに、1891年、ポルトガルは英仏資本の勅許会社、モザンビーク会社ニアサ会社に対して、ポルトガル植民地政庁の裁判所の運営経費を負担し、宗教活動に援助することを条件に、50年間、両者の“会社領”とされた地域において司法権を除く各種の権利(警察権や徴税権、通貨発行権や郵便事業、鉄道建設、鉱山開発、農場経営などの権利)を与えます。

 このうち、モザンビーク会社領とされたのは、現在のモザンビーク中央部、マニッカ州およびソファラ州に相当する地域で、同社の植民地経営の拠点となったのが、港湾都市のベイラでした。
 
 なお、モザンビークには、中部のベイラの他、マプート、ナカラ、ケリマネ、ペンバ、パライアの計6ヵ所の港湾がありますが、そのうち、北部の拠点となるのがナカラ、中部がベイラ、南部がマプートです。これらの港湾は周辺内陸国からの商品作物や鉱産資源の積出港となっていたため、港湾と併せて鉄道が整備されることになりました。ニュシ大統領が以前勤めていた鉄道港湾公社という組織は、こうした事情から生まれたものです。なお、主要な3港湾から後背地域へのアクセス経路はナカラ回廊、ベイラ回廊、マプート回廊と呼ばれています。

 今回ご紹介の葉書に取り上げられているベイラ鉄道は、1892年、モザンビーク会社がベイラから内陸のイギリス南アフリカ会社領のムタレ(現・ジンバブエ。ベイラから290km、モザンビーク会社領との境界からは8km)までの区間で建設を開始し、1898年に開通しました。20世紀初頭には、英領ケープ植民地(現・南アフリカ共和国)のフライバーグやソールズベリー(現・ジンバブエの首都ハラレ)を結ぶ鉄道路線と接続して南東アフリカにおけるイギリスの物流を支える大動脈となり、ベイラは域外に輸出する物心の集散地として経済的に繁栄しました。

 さらに、ボーア戦争後、ポルトガル領東アフリカに対する英国の介入は一層露骨になって、ベイラ港の港湾施設や鉄道は、モザンビーク会社からイギリス南アフリカ会社へ譲渡されただけでなく、両社の間では役員の交換も行われて一体化が進みます。またモザンビーク会社は南ローデシアトランスヴァールで南アフリカ会社が経営する鉱山に、黒人労働者を送り込み、最盛期にはモザンビークから年間10万人が出稼ぎに行きました。

 モザンビークの鉄道網は、独立後の内戦で大きな打撃を受け、その後の修復が不十分な状況が続いきましたが、近年、日本を含む各国の支援により、モザンビーク・マラウィ両国にまたがるナカラ鉄道の682kmの既存鉄道路線の整備と230kmの路線新設(ナカラ港における石炭ターミナルの新設・一般貨物ターミナルの整備を含む)が進められており、今後の地域開発と産業振興が期待されています。


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 TAXE
2017-03-15 Wed 11:53
 所得税の確定申告は今日(15日)までですが、皆さんは無事に済まされましたか?手回し良く2月中に済ませたという方も多いのでしょうが、僕は今年もまた〆切ギリギリ、先ほどようやく書類を提出したところです。というわけで、毎年恒例“TAX”ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・リオ開港100年記念絵葉書裏面  ブラジル・リオ開港100年絵葉書

 これは、1908年7月14日にブラジルで発行された“リオ・デ・ジャネイロ(以下、リオ)開港100周年”の記念絵葉書の使用例で、1910年3月10日、リオ・グランデ・ド・スル州のサンタマリアからドイツ宛に差し出され、3月12日付のモンテヴィデオ(ウルグアイ)の中継印が押されています。葉書はもともと国内用のもので額面は50ヘアイスですが、これに100ヘアイス切手を貼り足したものの、料金不足だったため、万国郵便連合の公用語、フランス語で郵便料金(=郵税)を意味する“TAXE”の頭文字の“T”の印を押し、不足料として200ヘアイスを徴収すべきことが書きこまれています。

 1502年1月、ガスパール・デ・レモス率いるポルトガルの艦隊はブラジル・グアナバラ湾に到着。グアナバラ湾は湾口がぐっと狭まっているため、彼らはここを川と勘違いし、到着したのが1月だったことから、河口の一帯を“1月の川”、すなわちリオ・デ・ジャネイロと命名しました。

 その後、欧州でナポレオン戦争の嵐が吹き荒れていた1808年、ナポレオン軍の攻撃を受けたポルトガルのブラガンザ王朝はリスボンからブラジルに逃れ、植民地政庁のあったリオに亡命政権を樹立します。以後、1821年にポルトガルの宮廷がリスボンに帰還するまでの間、リオの開発は急速に進み、その後の繁栄の基礎が築かれます。

 今回ご紹介の絵葉書はこのリオ遷都から100周年になるのを記念して発行されたもので、同図案の切手も発行されています。絵面の原画は、ブラジル近代絵画の巨匠エンリケ・ベルナルデリが制作しました。グアナバラ湾を背景に、ブラジルを象徴する女神と、ポルトガルを象徴する勇者が向かい合うようすが取り上げられており、居並ぶ艦隊の隙間越しにポン・ヂ・アスーカルを描くことで、ポルトガル人がリオに到着したばかりであることを表現しています。また、上方には、当時のポルトガル国王カルロス1世(左)とブラジル大統領アルフォンソ・ペナ(右)の肖像も並べて描かれています。

 なお、リオデジャネイロとその歴史については、昨年刊行の拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』で詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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