FC2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ナチス親衛隊のイメージ
2018-11-14 Wed 02:20
 原爆のキノコ雲独立萬歳を叫ぶ朝鮮人の写真を組み合わせたデザインのTシャツで物議を醸した韓国の音楽グループ“BTS(防弾少年団)”が、過去にもナチス親衛隊(SS)の記章のついた帽子をかぶって雑誌の写真を撮影していたことがわかり、国際的にも問題視されていた件で、きのう(13日)、BTSの所属事務所は被爆者やナチスドイツの行為による被害者の心を傷つけたとして謝罪を表明しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     ポーランド・アウシュヴィッツへの移送開始25年

 これは、1970年6月14日、ポーランド領オシフィエンチム(旧アウシュヴィッツ)で使用された“アウシュヴィッツ強制収容所への移送開始25周年”の記念印で、“アウシュヴィッツ強制収容所”と“大量虐殺”を意味するポーランド語の文字と、鉤十字の上に鷲を配したナチスの紋章(アドラー)が入ったヘルメットをかぶったドクロが描かれています。

 今回ご紹介の記念印とはデザインが異なりますが、トーテンコップと呼ばれるドクロの紋章は親衛隊のシンボルですので、アドラーのついたヘルメットとの組み合わせにより、アウシュヴィッツへの収容者の移送と管理を担った親衛隊をイメージしたモノとみて間違いないでしょう。むしろ、ナチスのデザインをそのまま再現することが憚られたため、このようにデザインに若干の手を加えたということなのかもしれません。

 ちなみに、今回問題となったBTSの帽子は下の画像の通りで、アドラーの下に、そのものズバリのトーテンコップがしっかり確認できますので、軍服の機能美をイメージしたら、たまたま、ナチスのデザインと似てしまったという弁明は無理があります。

      BTSの帽子

 さて、SSは、ミュンヘン一揆後、逮捕・収監されていたヒトラーが、釈放後の1925年、党幹部の護衛部隊として編成したのが始まりで、当初はナチス党の武力組織である突撃隊(SA)の指揮下にありました。しかし、1929年にハインリヒ・ヒムラーが親衛隊全国指導者に就任すると、党内警察組織として急速に勢力を拡大。ナチスが政権を獲得した1933年以降には政府の警察組織との一体化を進め、1934年、SAの指導者エルンスト・レームらの粛清を主導。その後、ゲシュタポを含む保安警察など警察機構や諜報機関を掌握するとともに、強制収容所における囚人の労働力利用や企業経営などの経済活動にも手を広げていきます。

 1939年9月に第二次大戦が勃発すると、ドイツにとって、占領した旧ポーランド地域で捕えた捕虜や政治犯の収容施設を確保することが緊急の課題となりました。そこで、1939年末、ブレスラウの親衛隊と警察本部は、①シレジア地方の収容者がすでにかなりの数に上っていること、②今後さらにシレジアその他の地域でポーランド人政治犯の逮捕・拘禁が見込まれることを理由として、緊急に強制収容所を増設することの必要性を訴えます。

 これを受けて、親衛隊関係者による現地調査が行われ、親衛隊大尉でザクセンハウゼン強制収容所副所長のルドルフ・フェルディナンド・ヘス(ナチ副総統のルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスとは別人)の調査報告を受け、オシフィエンチムのポーランド軍兵営をベースに、1940年4月、強制収容所建設の命令が下されます。そして、同年6月14日、アウシュヴィッツ最初の収容者として、タルヌフ(クラクフの東75キロの地点にあるビャワ川沿いの都市)の刑務所から728人のポーランド人捕虜・政治犯が移送され、アウシュヴィッツは収容所として機能し始めます。今回ご紹介の記念印は、ここから起算して25周年となるのを機に、使用されたものです。
 
 その後、アウシュヴィッツの収容所は拡大され、1942年以降はユダヤ人も移送され、悲惨なホロコーストの舞台となっていきます。そうしたアウシュヴィッツ収容所とその郵便については、拙著『アウシュヴィッツの手紙』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
スポンサーサイト
別窓 | ポーランド | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 二の酉
2018-11-13 Tue 01:18
 きょう(13日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、鳥が描かれたキューバの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      エドゥアルド・アベラ『農民』

 これは、1967年にキューバが発行した国立博物館収蔵美術品シリーズのうち、エドゥアルド・アベラの『農民たち』を取り上げた1枚で、描かれている6人の農民のうち、2人が鶏を抱えています。

 キューバの現代美術を代表する画家の1人、エドゥアルド・アベラは、1889年、キューバ島西部、アルテミサ州サン・アントニオ・デ・ロス・バーニョスで生まれました。1921年、サン・アレハンドロ美術アカデミーを卒業し、その後、スペインおよびフランスに留学。パリ滞在中、ジュール・パスキン、マルク・シャガールと親交を結び、彼らから強い影響を受けつつも、キューバ独自の題材を取り上げた作品を描いて注目を集めました。

 1930年にキューバに帰国すると、スペイン語で“間抜け”を意味する“ボボ”という名のキャラクターをつくり、当時のマチャド独裁政権を批判する風刺漫画を発表して人気を博しました。マチャド政権退陣後の1930年代後半には、初期ルネサンスとメキシコの壁画運動を意識した自然主義的な画風を生み出し、高い評価を得ました。今回ご紹介の切手に取り上げられた『農民たち』は1938年に発表された作品で、アベラの代表作というだけでなく、キューバの現代美術を作品の一つとされています。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | キューバ:フィデル時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の切手:テュニジア
2018-11-12 Mon 09:08
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年10月10日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はテュニジア(と一部ザイール)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       テュニジア・パレスチナ人民連帯国際デー(1982)

 これは、PLOのテュニス移転後まもない1982年11月29日に発行された“パレスチナ人民連帯国際デー”の切手です。

 1956年3月20日、テュニジアは伝統的な地方君主であるベイを元首とする立憲君主国“テュニジア王国”として独立。同月25日の選挙ではハビブ・ブルギーバの新憲政党を中心にして結成された民族戦線が圧勝し、ブルギーバが初代首相に就任します。さらに、翌1957年、ブルギーバは王制を廃して自らテュニジア共和国初代大統領に就任しました。

 この時期は、1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)エジプトが英仏のスエズ侵攻作戦を撃退したことで、ナセルと彼の唱道するアラブ民族主義の権威が絶頂期にあったこともあり、表面上は、テュニジアもナセルに接近する姿勢を示し、建前としては“反イスラエル”を掲げていました。しかし、実際には、ブルギーバは秘かに駐仏イスラエル大使のヤアクーブ・ツールと接触しており、そのルートを通じて、テュニジアの財務大臣がイスラエルに対してテュニジア国内の大型農業開発への援助を極秘裏に要請するなど、テュニジアとイスラエルは実質的には良好な関係にありました。

 ただし、一般のテュニジア国民の間では圧倒的に反イスラエル感情が強かったことに加え、イスラエル包囲網の“抜け穴”になっているという公然の秘密が問題視され、周辺アラブ諸国からの孤立することは避けねばならなかったから、テュニジアは1973年の第4次中東戦争にもごく少数の部隊を派遣しています。

 世俗主義的なリアリストのブルギーバの理解では、北アフリカ諸国の中で、反西欧・反イスラエルのイデオロギーを鮮明に掲げていたリビアやアルジェリアは潤沢な石油資源があったため、そうした自己主張が可能であるのに対して、資源に乏しいテュニジアは、主に欧米人を対象とした観光収入に依存し、西側資本主義諸国との協力・援助が不可欠だったがゆえに、イスラエルに対しても現実的な姿勢を取る必要がありました。その結果、国家の近代化(西洋化)と国民の生活水準向上のため、イデオロギーとは無関係に、どの国・組織とでも手を結ぶ全方位外交を志向したわけです。

 1979年、イスラエルと単独和平を結んだエジプトはアラブ連盟を追放されましたが、エジプトを批難したアラブ諸国も現実にはイスラエルの打倒が不可能と認識していました。このため、表面上はイスラエル打倒という“アラブの大義”を掲げ続けるものの、実際にはイスラエルと水面下での接触をはかるというのが、現実的な対応でした。

 1982年9月、パレスチナ解放機構(PLO)が、イスラエルの包囲攻撃を受け、ベイルートからの撤退を余儀なくされると、アラブ連盟本部所在地としてのテュニスが浮上したのも、そうした事情によるものです。なお、PLOの本部移転に伴い、テュニスはパレスチナ解放運動の重要な拠点にもなりましたが、テュニジア政府は、それを積極的に支援していたというよりも、国内の体制を脅かさない限りにおいて、彼らの活動を黙認するというスタンスでした。

 1988年11月、PLOは従来の“イスラエル打倒によるパレスチナ解放”から“イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設”へと方向を転換し、パレスチナ国民評議会で独立宣言を採択。さらに、1990年の湾岸危機・戦争でイラクを支持して国際的に孤立し、財政的にも苦境に陥りました。こうした背景の下、1993年にはオスロ合意が成立し、パレスチナ自治政府が樹立されます。

 ちなみに、オスロ合意後の1994年、PLO本部はテュニスからパレスチナに再移転しましたが、テュニジア政府は、オスロ合意は、テュニジアが長年にわたりPLOとイスラエルの(秘密)交渉を仲介し続けてきたからこその成果と主張しています。このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめていますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』10月10日号の「世界の国々」では、テュニジアとパレスチナについての長文コラムのほか、シディ・ブ・サイド、初代大統領ブルギーバ、バルドー美術館の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のテュニジア(と一部ザイール)の次は、10月24日発売の同31日号でのKUT、11月7日発売の同14日号でのメキシコの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。

 * 昨日(11日)の昭和12年学会大会での内藤の発表は、無事、盛況のうちに終了いたしました。お集まりいただいた皆様ならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | テュニジア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 第一次大戦終結100年
2018-11-11 Sun 01:32
 1918年11月11日に第一次大戦が終結して、ちょうど100周年になりました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      イタリア・軍事郵便はがき(WWI・国旗)

 これは、第一次大戦終結後の1919年5月6日、フィレンツェ宛に差し出されたイタリアの軍事郵便はがきで、右側に、勝利の女神と主要戦勝国の国旗が描かれています。国旗のうち、前列の最上段からイタリア、英国、米国、ポルトガル、ルーマニア、ロシアとなっており、日本の旭日旗は後列の最上段に描かれています。

 第一次世界大戦前夜、独墺伊の三国同盟に対して、英仏露は露仏同盟・英仏協商・英露協商を相互に結んで三国協商を形成して対抗していました。

 1914年6月28日、いわゆるサライェヴォ事件が起きると、ハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー)がセルビアに最後通牒を発し、七月危機が発生。これを受けて、まず7月24-25日にロシアが一部動員を行うと、28日にハプスブルク帝国がセルビアに宣戦布告します。これに対して、同30日、ロシアが総動員令を発すると、ドイツはロシアに動員を解除するよう要求し、それが断られると8月1日にロシアに宣戦布告しました。これに対して、ロシアは三国協商を通じてフランスに参戦を要請し、フランスもこれを容れて8月1日に総動員を開始すると、3日にはドイツがフランスに宣戦布告。ドイツは中立国ベルギーに侵攻したため、翌4日、英国がドイツに宣戦を布告し、同23日には日英同盟を理由に日本もドイツに宣戦布告しました。

 今回ご紹介の葉書の発行国であるイタリアは、もともとは三国同盟に入っていましたが、旧ヴェネツィア共和国領の“未回収のイタリア”問題でハプスブルク帝国と対立していたため、三国同盟はあくまでも防衛のための条約であると主張し、1902年の仏伊協商を理由に局外中立を宣言。戦況を静観した後、1915年にロンドン秘密条約を結び、未回収のイタリア及びイストリア、ダルマチアの割譲を条件に連合国側として参戦しました。

 また、ルーマニア国王フェルディナンドはホーエンツォレルン家(ドイツ皇室)の血統でしたが、開戦時には「私は善良なルーマニア人として統治する」と宣言。戦局は英仏側に有利と見極めたうえで1916年8月、ドイツに対して宣戦を布告。さらに、米国は、当初、連合国寄りの中立姿勢でしたが、ドイツ海軍の無制限潜水艦作戦によるルシタニア号事件等で対独感情が悪化したことに加え、ドイツ外相ツィンメルマンがメキシコに対して、対米参戦の代償として米墨戦争で失った旧領の回復を約束するツィンメルマン電報事件が発覚したことで、1917年4月、連合国として参戦しました。なお、葉書の後列最下段には中華民国(北京政府)の国旗も見えますが、北京政府は1917年8月にドイツに対して宣戦を布告しています。

 その後、ロシアは1917年の10月革命で政権を握ったボリシェヴィキ政府が単独でドイツと講和し(ブレスト=リトフスク条約)、連合国から離脱しましたが、戦争時には独立国でなかったポーランド、チェコスロヴァキア、ヒジャーズ王国、アルメニア共和国などの独立派も連合国側として戦い、戦後に独立を認められ、講和条約に参加しました。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | イタリア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ペトラ遺跡で土石流
2018-11-10 Sat 01:49
 ヨルダンのペトラ遺跡で、きのう(9日)、土石流が発生。当時、遺跡を訪れていた日本人は少なくとも45人いましたが、無事全員が救出されたそうです。というわけで、ペトラ遺跡関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヨルダン・統一記念切手に加刷

 これは、1953年5-6月の切手不足に対応して、 “ヨルダン統一”の記念切手の記念名を抹消して普通切手に転用したもので、右下に、ヨルダン川東岸地区の象徴として、ペトラ遺跡が描かれています。

 第一次中東戦争の結果、トランスヨルダンはエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区を併呑し、1949年にヨルダン・ハシミテ王国が誕生しました。

 しかし、1951年7月20日、国王アブドゥッラーはエルサレムのアクサー・モスクで金曜礼拝の最中に暗殺され、息子のタラールが第2代国王として即位したものの、そのタラールも、翌1952年8月11日、精神疾患を理由に議会によって廃位されてしまいます。タラールの廃位により、王位は息子のフサインが継承しますが、この間の混乱の影響で、ヨルダンでは深刻な切手不足が生じています。

 ところで、英領時代を含むトランスヨルダンの時代、この地域で流通していた通貨は英委任統治下のパレスチナ(英領パレスチナ)と同じくパレスチナ・ポンドでした。ところが、英領パレスチナが消滅したためパレスチナ・ポンドも無効となり、新生ヨルダンの発足にあわせて、新たに新通貨としてヨルダン・ディナール(1ディナール=10ディルハム=100ピアストル(カルシュ)=1000フィルス)が導入されました。

 こうした状況を踏まえ、1952年2月、ベイルートのカトリック・プレス社でトランスヨルダン時代の切手に対して、新通貨に対応した額面が加刷され、同月26日から発売されます。また、これと並行して、とりあえず、初代国王アブドゥッラーの肖像を描く従来の通常切手と同じデザインで、額面表示のみをヨルダン・ディナール表示に変更した切手の製造が、ロンドンのブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注されました。

 国王アブドゥッラーの図案でヨルダン・ディナール額面の切手は、当初、新国王タラールの肖像を描く新切手(額面表示は、当然、ヨルダン・ディナールである)が発行され、流通するまでの暫定的なものと考えられていましたが、タラールの廃位によって、その後も使用されることになります。

 しかし、ヨルダン川西岸地区の併呑によって従来よりも大量の切手が必要になっていたことに加え、ブラッドバリー・ウィルキンソン社に発注された切手の数は、あくまでも当座の需要を満たすためのものでしかなかったため(最も大量に製造された5フィルス切手でさえ、わずか8万4100枚しか印刷されていません)、ヨルダン国内ではすぐに切手の在庫が底をついてしまいました。

 このため、1952年4月1日に発行されたものの、比較的在庫が残っていた“ヨルダン統一”の記念切手の記念名を棒線で抹消して、1953年5月18日以降、普通切手として流通させることになりました。今回ご紹介の切手はその1枚です。

 さらに、これでも切手の不足を解消することが抱きなかったため、1953年6月には、強制貼付切手に“郵便”を意味する加刷を施した切手も発行されるなど、1954年2月9日、ブラッドバリー・ウィルキンソン社製の新たな普通切手が発行されるまで、ヨルダンでは切手不足が続きました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧にただけると幸いです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | ヨルダン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 當山久三 生誕150年
2018-11-09 Fri 01:06
 1868年11月9日、“沖縄海外移民の父”とされる當山久三が生まれてから、きょう(9日)でちょど150年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄・ハワイ移住70年

 これは、1969年12月5日、米施政権下の沖縄で発行された“ハワイ移住70年”の記念切手で、當山久三の銅像とハワイおよび沖縄の地図が描かれています。

 當山は、1868年11月9日、琉球王国時代の金武間切(現沖縄県金武町)並里生まれ。1882年、金武小学校が創立されると一期生として入学し、成績優秀につき2年で卒業。その後、沖縄県尋常師範学校に進学し、1890年に同校を卒業して羽地尋常小学校(現名護市立羽地小学校)に赴任しました。1893年には母校の金武小学校に転任しましたが、本土出身の同僚教員の沖縄人差別に憤慨し、1895年に辞職。その後は、ごく短期間、並里の総代を務めましたが、ほどなくして山中で晴耕雨読の生活に入ります。

 1898年、上京中、たまたま入手した『植民論』に感銘を受け、沖縄の食糧問題・人口問題解決のためには海外移民事業が必要と確信。さらに、田中正造を面識を得て、日本本土からハワイへの移民についての情報を収集したほか、沖縄出身の社会運動家謝花昇と知り合い、謝花とともに同志を募って政治結社・沖縄倶楽部を結成しました。

 1899年3月の帰郷後は、沖縄倶楽部の機関紙『沖縄時論』の発行に携わり、県知事・奈良原繁の県政に批判的な主張を展開していましたが、海外移民事業を実現するためには県知事の許可が必要だったため、県知事を粘り強く説得。1899年12月5日、沖縄初の海外移民30名を那覇港からハワイに送り出しました。

 このときの移民30名は、翌1900年1月8日にホノルルに到着し、そこからオアフ島へ渡りましたが、うち4名が移住のための検疫に合格せず強制送還されたほか、契約移民だったため、移民の条件も劣悪でした。そこで、當山は、1903年の第2回ハワイ移民団を組織して自らも同行し、ハワイ島・オアフ島に6か月滞在して現地視察を行いました。これにより、移民の待遇は改善され、1904年以降、當山はフィリピンへの移民も手がけるようになります。

 しかし、1908年、日米紳士協定が締結され、日本からのハワイ移民が事実上禁止されるようになったたため、當山は移民事業を廃業し、酒造業兼養豚業に転業。 翌1909年には、沖縄県で初めて行われた県議会議員の選挙に国頭郡から立候補し、トップ当選を果たしたものの、翌1910年9月17日、与那原で病死しました。享年43。

 當山の銅像は、1931年、在米移民らの寄付金により、金武村役場裏手の丘(雄飛の森)に建立されたのが最初です。この銅像は、1944年の金属類回収令により撤去されてしまいましたが、1961年、切手に描かれた現在の像が建てられ、現在に至っています。

 なお、今回ご紹介の切手は、当初、第1回移民がハワイに到着した1900年から起算して70年となる1970年に発行される予定でしたが、移民が那覇港を出発した1899年から起算して70周年の1969年に発行されることになったため、すでに刷り上がっていた切手の“1970年”の年号を抹消し、“1969”の年号が加刷されました。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | 琉球・沖縄 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ブータンで新政権発足
2018-11-08 Thu 01:42
 中印に挟まれたヒマラヤの山国ブータンで、きのう(7日)、先月の下院選で第1党となった協同党のロテ・ツェリン党首が首相に就任しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブータン・チュカ発電所

 これは、1988年にブータンで発行された“チュカ水力発電所”の切手です。

 ブータンは山国の地形と豊富な水資源を利用した水力発電が盛んで、インドへの売電が主要な外貨獲得源になっています。今回ご紹介の切手に取り上げられたチュカ水力発電所は、インドの支援を得て、ライダク川上流に1974年から建設が始まり、1986年に完成。336メガワットの発電能力は、2007年にタラ水力発電所が稼働開始するまでは、国内最大の発電量を誇っていました。

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、チベットをめぐって英国清朝が激しく対立する中で、1910年、ブータン国王ウゲン・ワンチュクは、プナカ条約を締結してブータンを英領インド帝国の保護国とし、国土防衛を英国に委ねるとともに、鎖国体制を維持しようとしました。

 1947年に英領インド帝国がインドとパキスタンに分離独立すると、1949年8月、ブータンは独立インドとあらためて友好条約を締結。同条約では「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」とされ、ブータンがインドに依存する関係が構築されます。

 1958年、ブータンを訪問したインド首相のネルーは、インドがブータンの独立を支援することを約束。さらに、帰国後、インド議会で「ブータンに対する攻撃は、いかなるものであっても、インドに対する攻撃と同等とみなす」と演説し、ブータンの事実上の“宗主国”としての責任を果たす意思を明確にしました。さらに、翌1959年、いわゆるチベット民族蜂起が起こり、ダライ・ラマがインドに亡命すると、中国はチベット域内にあったブータンの飛び地領8ヵ所も占領。これに対して、ネルーは「ブータンの領土保全はインド政府の責任」と明言します。

 ところが、1962年に勃発した中印国境紛争では、ブータンはインド軍に対して自国領通過の自由を認めるなど協力したものの、インド軍は惨敗。このため、中国の脅威を前に、伝統的な鎖国政策を維持できなくなったブータンは、1971年、国連に加盟する一方、1974年、国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクの戴冠式に、駐印中国大使を招待し、中国との外交的な接触を開始。1984年以降、国交樹立と国境画定を議題とする定期外相会談もスタートしました。

 この結果、1988年には中国と「国境地域の平和維持に関する協定」が調印され、「中国はブータンの主権と領土的統一を尊重し、両国は平和五原則に基づき、友好関係を築くのが望ましい」とされましたが、その直後、中国はブータンが自国領と主張する地域にブータンの許可なく道路を建設。その後も、冬虫夏草目当てとみられる中国人の越境が相次ぎました。

 このため、ブータンは再びインドとの関係を強化し、2007年、インドとの新友好条約を調印。2008年にはインドのシン首相がブータンを訪問して、水力発電事業などに “強力な支援”を表明したほか、2014年にはモディ首相が最初の外遊先としてブータンを訪問しています。

 こうした中で、2017年6月29日 ブータン領のドクラム高地で中国人民解放軍が40トン戦車が走行可能な道路を無断で建設したため、ブータン政府は即座に抗議。インドもブータン支援のため、ドクラム高地に派兵し、中印両国がにらみ合う緊張状態(ブータン危機)が生じましたが、8月末、両軍はともに撤退し、本格的な軍事衝突は避けられました。

 ことし10月の下院選挙は、こうした状況の下で行われたもので、協同党のツェリン党首は、水力発電関連の借り入れは対外債務の約8割を占めている現状を批判し、水力発電所の増強計画見直しを公約の一つとして掲げていました。今後、新政権は親印政策の軌道修正に乗り出すものと思われますが、中印両国に挟まれた小国という立場ゆえ、インドの勢力が後退すれば、代わりに中国が勢力を拡大する可能性が高く、今後の行末が気がかりです。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | ブータン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ロシア革命記念日
2018-11-07 Wed 01:22
 きょう(7日)は、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)に、ロシア10月革命でボリシェヴィキ政権が樹立されたことにちなむ“ロシア革命記念日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・ロシア革命記念日(1960)

 これは、1960年にソ連が発行したロシア10月革命43周年の記念切手です。同年のロシア革命記念日の式典には、キューバ使節団が初めて参加しています。

 1959年の革命後、1960年4月のプラヤヒロン事件を経て米国との対立が決定的となったキューバのカストロ政権は、1960年10月、キューバ経済の生き残りをかけ、ゲバラを代表とする使節団を東側諸国歴訪の旅に派遣しました。

 一行は、マドリード、プラハを経由して、10月29日、モスクワ入りし、2日後の31日、レーニン博物館への訪問の後、ソ連の経済商業部門の幹部らと最初の懇談を行います。

 初日の会談で、フルシチョフは「キューバが望むものは全て与えられる」と口火を切ったものの、肝心のキューバ側は要望を具体的に整理できておらず、ゲバラは「さまざまな社会主義国のうち、どの国に何を要請すべきかわからない」と釈明せざるを得ませんでした。

 この時点で、1週間後に迫った革命記念日の式典に参加するため、すでに東側諸国の代表団がモスクワ入りし始めていたため、ゲバラは急遽“キューバ代表団”を組織。ソヴィエツカヤ・ホテルの1フロアを借り切って、交渉相手国ごとに一室を割り当て、モスクワに到着した各国代表団と順次交渉を行いました。その過程で、ゲバラは11月1日にはチェコスロヴァキアのノヴォトニーからレオン・ブランコ勲章を授与されたほか、3日にはソ連側の案内で強化コンクリートの製造工場も視察しています。

 11月7日、キューバ使節団は、10月革命43周年の記念パレードに招待されましたが、その際、ゲバラの席は最高会議幹部会用の場所に設けられました。これは、国賓級の待遇を意味しており、ソ連としては、米国の喉元に位置するキューバを、なんとしても、自分たちの陣営に引き込んでおきたいという意思表示でした。もちろん、ゲバラが姿を現すと、場内からは万雷の拍手とともに「キューバ萬歳」の大歓声が上がるという、お決まりの演出も行われています。

 さて、ソ連との交渉では、キューバ側は砂糖の輸出先と、既存の工業を維持するための石油と部品、輸入代替のための小規模な工業を求めましたが、交渉には、値段や条件面以外にも、米州と欧州での電圧の違いや度量衡の違い(ソ連がメートル法を採用していたのに対して、キューバでは長年に及ぶ米国の影響もあってポンド・ヤード法だった)など、さまざまな困難がありました。

 また、キューバ側には、ソ連は東側諸国の盟主であり、米国に匹敵する大国というイメージがあったが、実際のソ連製品の技術水準や生活水準は、米国に比べて大きく劣っていました。たとえば、熱帯のキューバでは制汗・消臭剤が必需品で、革命以前、それらは米国からの輸入品がごく当たり前に使われていました。革命後、それらの輸入が途絶したため、ゲバラはそのことをモスクワで話しましたが、これに対して、ソ連側は「デオドラント?君たちはあまりにも快楽に慣れすぎている」と一蹴したと伝えられています。キューバとモスクワでは気象条件が違うのですが、やはり、彼我の生活水準の差も大きかったのです。

 革命記念日の記念式典の後、キューバ使節団は、8日のクレムリンでのレセプション、11日のミコヤン副首相との会談、15日のモスクワ駐在キューバ大使のレセプションでフルシチョフとの会合を終えて、17日、次の訪問先である中国へ向けて、モスクワを出発しました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラが訪れた当時の各国の状況やキューバとの関係についても、詳しく解説しています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、大変心苦しいのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | ソ連:フルシチョフ時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 小さな世界のお菓子たち:チョコレートの切手
2018-11-06 Tue 02:49
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第41号(2018年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      エストニア・製菓産業200年

 これは、2006年、エストニアが発行した“製菓産業200年”の記念切手で、各種のチョコレートが取り上げられています。

 バルト三国の最北に位置す現在のエストニア地には、1219年、デンマーク人が進出し、“デーン人の町、要塞”を意味する“ダーニーリーン”を築きました。これが現在の首都、タリンの元になります。その後、1346年にはドイツ騎士団がタリンに進出してここを領有し、タリンはハンザ同盟に加盟し海上交易で繁栄。さらに、1629年にはスウェーデン領、1721年にはロシア帝国領になりました。

 ロシア帝国領時代の1806年、菓子職人のローレンツ・カビエゼルがドイツからタリンに移り住み、現在も営業を続けるタリン最古のカフェ“マイアスモック・カフェ”のある場所でチョコレート店を開業しました。ガビエゼルは自分の店を、エストニアの建国神話に登場する古代の王、カレフにちなんで“カレフ”と命名します。今回ご紹介の切手は、ここから起算して200年になるのを記念して発行されたもので、ケーキやキャンディ、クッキーではなく、山盛りのチョコレートを描いているのは、やはり、カレフへのオマージュなのでしょう。

 1917年にロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が崩壊すると、1918年2月24日、エストニア共和国が独立を宣言。この頃には、カレフは新オーナーのゲオルグ・スチュードの下、順調に事業を拡大し、手作りのマジパン人形やチョコレート菓子、ケーキやペストリーを販売して人気を集めました。

 第二次大戦中の1940年、エストニアはソ連に併合され、これに伴い、カレフも国有化されます。ソ連の支配下では、カレフの名の下、いくつかの製菓会社が合併され、大規模な工場も作られるなど、カレフは名実ともにエストニア最大の製菓会社となりました。1991年の再独立後も、その地位は揺るがず、カレフの子会社として、タリン市内の創業の地でケーキやペストリーを販売してきたマイアスモック・カフェは、2015年に大規模な改修工事を行い、観光名所としても人気を集めています。

 なお、2004年5月にEUに加盟したエストニアでは、2007年1月1日のユーロへの通貨統合を目指して、2006年1月以降、従来のエストニア・クローンとユーロを併記した切手を発行していました。当初、クローン・ユーロ併記切手は、2006年1年間のみの発行予定でしたが、実際のユーロ導入が2011年1月までずれ込んだため、2010年までの5年間、発行が続きました。今回ご紹介の切手も、こうした事情を反映して、4.40エストニア・クローンと、0.28ユーロの2種類の額面が併記されています。

 * 昨日、アクセスカウンターが198万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | エストニア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ニューカレドニアの独立否決
2018-11-05 Mon 02:15
 南太平洋のフランス特別自治体ニューカレドニアで、きのう(4日)、独立の是非を問う住民投票が実施され、即日開票の結果、独立賛成が43.6%、反対が56.4%となり、独立は否決されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニューカレドニア・50周年加刷

 これは、1903年に仏領ニューカレドニアで発行された“フランスによる領有宣言50周年記念”の加刷切手です。

 オーストラリア東方に位置するニューカレドニアは、1774年、キャプテン・クックによって“発見”されました。1853年、フランスは、英国によるオーストラリア・ニュージーランド領有に対抗して、オーギュスト・フェヴリエ=デポワント提督を派遣してニューカレドニア島の領有を宣言。1864年には、近隣のロイヤルティ諸島も組み込み、仏領ニューカレドニアが成立します。

 当初、ニューカレドニアは流刑植民地でしたが、19世紀後半、ニッケルが発見されたことで鉱業の島となり、第二次世界大戦では、自由フランス側の支配下に置かれ、ガダルカナル攻略などでの米軍の拠点として利用されました。

 第二次大戦後の1963年、フランスは核開発の一環としてCEP(太平洋実験センター)を設置し、1966年から核実験を開始します。CEPはムルロア環礁とファンガタウファ環礁(いずれも仏領ポリネシア)の核実験場を管理していましたが、フランスのニューカレドニア駐屯軍(FANC)は、仏領ポリネシア駐屯軍(FAPF)とともに、CEPの防衛、冷戦下での情報収集、先住民による独立運動、経済の鎮圧なども担当していました。

 1996年、フランスが包括的核実験禁止条約(CTBT)を採択し、南太平洋での核実験が終了すると、FANCとFAPFの任務も、豪、ニュージーランド、島嶼国家とともに災害対処、密漁監視、海難救助などに徐々にシフトしていきます。そうした中で、フランスの南太平洋駐留部隊は、各国軍と連携して、主として中国船による密漁の取締りや災害対応など、地域の非軍事・警察活動において重要な役割を果たすようになりました。特に、ニューカレドニアはインマルサット(国際移動通信衛星ネットワーク)やインテルサット(商業衛星通信システム)などを傍受する世界的通信監視網(フレンシュロン)のアジア太平洋地域における拠点であり、FANCは戦車揚陸艦、哨戒艇や巡視艇、固定翼輸送機やヘリコプターなども配備しています。

 ところで、2000年以降、海洋進出を加速させてきた中国は、国交のあるトンガ、バヌアツ、フィジー、パプア・ニューギニアに寄港して現地の人々を無料診察する“病院船外交”を展開。地元の要人・住民を艦内に案内し、軍事力を見せつける一方で、交通や観光関係のインフラを中心に投資を拡大してきました。

 中国はFANCとFAPFの中間に位置する国・地域を南太平洋上の重要な工作拠点と位置付けており、たとえば、2006年12月にフィジーでフランク・バイニマラマ軍司令官による軍事クーデターが発生した際には、西側諸国が軍事政権に援助停止や入国禁止等の圧力を加えたのに対して、中国のみが援助を急増させ、これを機に、フィジーの政財界にしっかり食い込むことになりました。

 このほかにも、中国は借款などを通じて南太平洋の島国への影響力を強めていますが、当然のことながら、中国の急激な進出に対する住民の不満も強く、各国で反中国人暴動が発生すると、豪軍やニュージーランド軍が鎮圧に派兵するという事態が起きています。

 こうした状況の中で、フランスは東シナ海での中国の野心が南太平洋にも及んでくるのではないかと警戒しており、そのため、2014年春の日仏外相戦略対話では、“日本と同じ太平洋の海洋国家”との表現を用い、“法の支配”の原則を堅持して地域の安定に取り組む利益と責任を共有すると表明。さらに、2017年1月7日には、日仏両政府、外務・防衛閣僚協議で、中国を念頭に、“緊張を高める一方的な行動”への強い反対を表明。自制を求めています。

 特に、2017年5月に発足したマクロン政権は、対中強硬路線への本格的な転換を図り、“航行の自由”を確保するため、同年内に5隻の艦船を南シナ海に派遣。さらに、翌2018年3月、マクロンは訪印してモディ首相との会見で「インド洋や太平洋で覇権はあってはならない」と発言し、海軍基地の仏印相互利用を定めた協定に調印しています。

 フランスにとって、ニューカレドニアは、海洋資源、ニッケルが豊富であるだけでなく、欧州の科学技術研究、宇宙開発の拠点でもあるため、ニューカレドニアがフランスから離脱して独立するだけでなく、中国の影響下に置かれることは何としても避けたかったわけで、今回の住民投票を前に、マクロン本人がニューカレドニアを訪問。大統領自ら、植民地支配の“反省”を示すことで、先住民多数派のカナク(独立賛成派が多いとされる)の懐柔に努めていました。

 ちなみに、今回の投票結果について、現地の経営者団体代表は「企業トップの大半は、経済を混乱させないようフランスとの関係維持を望んでいる」と語っていたそうですが、周辺には中国が強い影響力を行使している国も少なくありませんので、今後も油断は禁物です。
 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月11日(日) 昭和12年学会大会 於・ベルサール神田
 「昭和切手の発行」 *入場は無料ですが、学会への御入会が必要です。

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
別窓 | ニューカレドニア | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/