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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 キリバス、台湾と断交
2019-09-21 Sat 01:05
 今月16日のソロモン諸島に続き、昨日(20日)、南太平洋のキリバスが台湾と断交しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キリバス・タラワの戦い40年(地図)

 これは、1983年にキリバスが発行した“タラワの戦い40年”の記念切手のうち、太平洋上のタラワ環礁の位置を示した地図が取り上げられています。

 現在のキリバス国家は、ギルバート諸島、フェニックス諸島、そしてライン諸島の一部などを領土としており、その範囲は赤道付近に3800平方キロにも散らばっています。このうち、中核をなすギルバート諸島は、1765年、ドルフィン号のバイロン司令官が南東部の島ニクナウを発見。1788年には、英国東インド会社のシャーロット号のトマス・ギルバート船長とスカボロー号のジョン・マーシャル船長が、、オーストラリアへ囚人を移送した帰路、アパママ、クリア、アラヌカ、タラワ、アベイアン、ブタリタリ(マキン環礁)、マキンを発見しました。ギルバート諸島の名は、このギルバート船長に由来するものです。

 1892年5月27日、ギルバート諸島は隣のエリス諸島とともに英国の保護領となり、1916年には“ギルバート&エリス”として英領植民地となり、その首府がタラワに置かれました。

 1941年12月8日の日英開戦に伴い、日本軍はマキン環礁のブタリタリとタラワへの攻撃を開始し、12月10日には占領。これに対して、1942年8月17日、米軍がブタリタリを攻撃し、日本軍の守備隊に大きな打撃を与えましたが、翌18日、米軍はいったん撤退しています。

 1943年に入り、アリューシャン、ソロモン諸島方面で勝利を収めた米軍は中部太平洋の拠点を確保すべく、1943年11月20日、第2海兵師団がタラワとブタリタリに侵攻。この島を要塞化した日本軍と壮絶な戦いを展開してギルバート諸島を制圧しました。その後、ギルバート諸島は1944年2月のマーシャル諸島攻略の拠点として使われることになります。

 1945年の終戦後は英領ギルバート&エリスが復活しましたが、1956年から1962年にかけて、ライン諸島のクリスマス島が米英両国の核実験場となります。

 1971年、ギルバート&エリスは自治領になりますが、ギルバート諸島ではミクロネシア人が多数派を占めていたのに対して、エリス諸島ではポリネシア人が主流と、民族構成が異なっていたため、1974年、住民投票で両者の分離が決定。1978年にエリス諸島がツバルとして独立すると、翌1979年、ギルバート諸島は米領フェニックス諸島およびライン諸島(ただし、3つの島を除く)を統合してキリバスとして独立しました。ちなみに、独立後の国名となったキリバスは、ギルバートの現地語読みです。

 かつて、キリバスにはリン酸塩の鉱床がありましたが、1979年の独立とほぼ同時に枯渇。現在は、コプラ、観賞用魚や海草が生産および輸出の大半を占めています。また、国土において海抜の低い環礁の占める面積が大きい多いため、近年の海面上昇で国土の半数以上は水没の危機にあり、2007年、キリバス政府は全国民の他国への移住計画を発表。当時のアノテ・トン大統領は、熟練労働者としての移住のため、日本、米国、オーストラリアなどに職業訓練の支援を呼びかけています。

 こうしたこともあって、キリバス経済は慢性的な苦境に陥っており、近年は、国家予算の約50%を、日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾からの支援に頼らざるを得ない状況が続いていました。したがって、中国が札束攻勢を展開して台湾との断交を迫ってきたとき、キリバス側にはこれを受け入れる素地が十分にあったわけです。
 
 いずれにせよ、先の大戦での激戦地だった場所というのは、太平洋上の要衝であり、日本の国防にとっても重要な意味を持っていることは言うまでもありません。先の大戦の米軍の動きに沿って、ソロモン諸島、そしてキリバスと中国の勢力が拡大している現状に対して、日本社会は深刻な危機感を共有すべきではないかと思います。
 

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 9月28日(土) 15:30~  於・イオンコンパス東京八重洲会議室
 内藤は、17:00から2時間ほど、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しします。
 先の大戦の激戦地というだけでなく、9月16日に台湾と断交して中国に乗り換えたソロモン諸島の首都、ホニアラの所在地として、ガダルカナル島がどのような歴史をたどってきたのか、そのあらましについて、関連する切手などとともにお話ししてみたいと思います。
 
 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。


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 10/1、11/5、12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可)

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 ラグビーW杯、きょう開幕
2019-09-20 Fri 01:28
 ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会が、きょう(20日)から開幕します。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・ラグビー(1944)

 これは、1944年3月16日にルーマニアで発行されたルーマニア・ラグビー協会30周年の切手で、ラグビー切手としては、これが世界最初の1枚となります。額面16レウに対して、スポーツ振興のための寄付金184レウを上乗せして、1枚200レウで販売されました。

 ルーマニアにおけるラグビーは、20世紀初頭、パリ留学中にラグビーを覚えたルーマニア人学生が、ラグビー・ボールをブカレストに持ち帰ったことから始まったとされています。最初のラグビー・チームがブカレストで結成されたのは1913年のことで、翌1914年には、2チーム目が結成されます。これをもって、国内ラグビー協会が組織され(今回ご紹介の切手は、ここから起算して30周年になるのを記念して発行されました)、同年には第1回ルーマニア選手権が開催されています。また、当初は首都のブカレストにしかラグビー・チームがありませんでしたが、1939年には、ブカレスト以外で初めて、ブラショフにチームが結成されています。

 さて、ラグビーのルーマニア代表チームは、ジョージア(グルジア)などとともに東欧圏の強豪チームとして知られ、イングランド、フランス、アイルランド、イタリア、スコットランドウェールズの欧州6国が参加する国際ラグビー大会の“シックス・ネイションズ”の参加国以外では、唯一、1987年の第1回W杯大会から2015年大会まで全て出場しています。今大会の欧州予選でも1位となり、日本と同組で戦うことになっていましたが、2018年5月、代表資格がない選手を予選に出場させていたとして出場が取り消され、代わりに、ロシアが繰り上がりで出場権を獲得。きょう、東京調布市の東京スタジアムで行われる開幕戦で日本代表と戦うことになっています。


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 エクアドル国民ほぼ全員の個人情報流出
2019-09-19 Thu 02:34
 エクアドル政府は、17日(現地時間)までに、同国の約2000万人分の個人情報がインターネット上に流出したとして調査を開始しました。同国の人口は約1700万人で、今回流出したのは、国民のほぼ全員に加え、すでに亡くなった国民の情報も含まれている可能性があるそうです。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エクアドル・バナナ(1964)

 これは、1964年、キトで開催された“世界バナナ会議”に際して、開催国のエクアドルが発行した記念切手で、世界地図を背景にバナナの木が描かれています。

 エクアドルではスペイン植民地時代からバナナの栽培は始まっていましたが、当初は、主に国内で消費されていました。本格的な輸出が始まったのは1910年ごろですが、1949年、ユナイテッド・フルーツ社(現チキータ)がエクアドルに誘致されたことで、生産量が飛躍的に拡大。1954年には世界最大のバナナ輸出国となります。

 ちなみに、2019年現在、エクアドルのバナナ生産量は世界5位ですが、輸出量では1位をキープしており、世界で流通しているバナナの約35%はエクアドル産となっています。なお、かつてのエクアドル産バナナはグロスミッチェル種が主流でしたが、パナマ病により同種のバナナは大きな打撃を受けたため、現在ではキャベンディッシュ種が主流となっています。

 それにしても、大統領以下、ほぼすべての国民の氏名や性別、個人番号、生年月日や銀行の口座残高などが流出してしまうとは…。やはり、エクアドルには、個人情報の“輸出”世界一ではなく、バナナの輸出国として世界に名を馳せていただきたいものです。


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 タンザニアの“いかがわしさ”
2019-09-18 Wed 02:22
 今月15日、KBS(韓国放送公社)が、ことし7月、タンザニア中央銀行が竹島と朝鮮半島の地図をデザインし、“DOKDO(獨島=竹島の韓国名)”、“韓国の領土(THELANDOFKOREA)”などの文字が入った純銀製の記念コイン(下の画像)を発行したと報道したことに関して、菅義偉官房長官はきのう(17日)の記者会見で、「在タンザニア日本大使館が直ちに同国外務省に事実関係を確認したところ、『中央銀行を含め、タンザニア政府としてそのような記念コインを発行した事実はない』との回答があった」と明かしました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      タンザニア・竹島コイン 
      タンザニア・竹島コイン裏

 というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。

      タンザニア・中島

 これは、1989年、タンザニアが主として日本のマーケットをターゲットとして発行した日本人スポーツ選手の切手の1枚で、プロゴルファーの中島常幸が描かれていますが、人名表記は、同時に発行された青木功と取り違えられているのがミソです。

 タンザニアをはじめ、一部の途上国は、いわゆる全世界の切手収集家をターゲットに、国内での郵便への使用を想定せず、外貨を稼ぐための輸出ビジネスの一環として発行される“いかがわしい切手”を濫発することで知られています。

 たとえば、そうした国の一つであるモザンビークの首都、マプートの中央郵便局に行ってみると、そうした“いかがわしい切手”(現地では“フィラテリーの切手”と呼ばれていました)を販売する窓口と、実際に郵便に使うための切手を販売する窓口は完全に別になっており、“フィラテリーの切手”は郵便料金の前納の証紙としては無効とされています。ちなみに、“フィラテリーの切手”と実際に郵便に使える切手はどのように見分けたらよいのか、その基準は現地の郵便局員に聞いても定かではありませんでした。今回ご紹介のタンザニアの切手も、あるいは“フィラテリーの切手”として実際には郵便には使えないものだったのかもしれません。

 さて、“フィラテリーの切手”すなわち“いかがわしい切手”というと、コレクターの収集対象としてはそれだけで忌避されることが多いのですが、ちょっと角度を変えて考えてみると、興味深い情報が浮かび上がってきます。

 すなわち、切手の発行を単純に外貨獲得のための輸出ビジネスととらえるのなら、切手の題材は、発行国の国内事情とは無関係に、より国際市場で人気を得られるようなもの、すなわち、より多くの売り上げが見込めるものこそが適切であるということになります。“いかがわしい切手”を発行する国(正確にはそうした切手に発行者としての名義を貸す国)や、そうした切手を企画するエージェントにとっては、どれほど立派な主義主張や思想信条、愛国心などを掲げてみても、“商品”としてその切手が売れないのであれば、全く意味がないからです。

 したがって、“いかがわしい切手”の題材を丹念に分析していけば、どこにそうした切手を買うだけの資金があるのか、マーケットがその時点で何に関心を持っているのか、逆算して理解できるということになります。1964年の東京五輪に際して諸外国が発行した切手の多くが、日本の収集家を意識して日本的な題材を盛り込んだものというよりも、五輪切手のコレクターを意識して純然たるスポーツ切手だったのに対して、1970年の大阪万博に際して諸外国が発行した記念切手の多くが“日本”を強調した内容となっているのは、1964年の時点では“日本”よりも“五輪”の方が金になると彼らが考えていたことの証左ともいえましょう。

 切手と同様、コインについても、主として欧米系のエージェントと組んで輸出向けの商品を制作・販売する国は少なからずあり、今回問題となった竹島コインを発行したタンザニアもその一つです。

 おそらく、タンザニア側としては、額面3000シリング(約140円)のコインが海外に輸出され、海外市場では数千円で販売されるであろうことから、国内で竹島コインが使用される可能性はほぼゼロと考えていたのは確実で、あるいは、モザンビークの“フィラテリーの切手”同様、今回の竹島コインも実際の貨幣としての効力のない記念品という位置づけで、それゆえ、日本政府の照会に対して「そうした記念コインを(自分たちが)発行したことはない」と回答したのかもしれません。ただし、コインの裏側はタンザニアの国章が刻印された正規のコインと同じデザインとなっていますから、タンザニア政府または中央銀行が、竹島コインについて全く関与していなかったということは考えにくいと思います。本当に、タンザニア政府に無断で、こうした“コイン”が組織的に作られていたとしたら、それはそれで大問題だからです。

 また、純然たる輸出商品として作られたコインの題材として、“日本領・竹島”ではなく、“韓国領・獨島”が取り上げられたということは、世界のコイン収集家のマーケットでは、“韓国領・獨島”は一定の売り上げを見込めると企画であるということを意味しています。繰り返しになりますが、輸出商品としての記念・特殊コインを発行するエージェントとしては、主義主張の是非善悪は一切関係なく、あくまでも商売として儲かるか否かが重要なのであって、彼らに文句を言ってみたところで「悔しかったら、“日本領・竹島”の切手がドル箱商品になるような市場を用意しろ」という返答しか返ってこないでしょう。

 いずれにせよ、今回の竹島コインについては、この記事を書いている時点では詳細がよく分かっていないので、今後いろいろと調べてみないといけないのですが、とりあえず、日本政府が、タンザニア政府から“正規に流通しているコイン”ではないとの言質を取ったことは評価してもよいかと思います。

 なお、“いかがわしい切手とその歴史については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 ソロモン諸島、台湾と断交
2019-09-17 Tue 01:17
 南太平洋の島国ソロモン諸島政府は、きのう(16日)、台湾と断交し、中国と国交を樹立することを決定しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・台湾の支援

 これは、1998年にソロモン諸島が発行した“ソロモン諸島と中華民国の技術協力”と題する切手で、台湾の技術者による稲作の技術指導の光景が描かれています。

 1978年の独立後、ソロモン諸島は1983年に台湾と国交を樹立しました。台湾にとって、ソロモン諸島は外交関係を有する太平洋の国6カ国のうち、面積(2万8450平方キロ)、人口(約60万人)ともに最大の国であるため、それゆえ、台湾側もソロモン諸島に対してさまざまな支援を行ってきました。

 特に、農業に関しては伝統的な焼き畑農業からの脱皮を定着させるべく、今回ご紹介の見られるように台湾人による技術指導が行われているほか、実験農園では現地に適した品種のサツマイモや果物などの研究が行われています。また、養豚場では、在来種と台湾から持ち込まれた品種を掛け合わせた“SOLROC”(ソロモンのSOLと台湾=中華民国のROCが名前の由来)種のブタが生産され、両国友好のシンボルともなってきました。

 ところが、近年、中国が台湾を外交的に追い詰めるべく、ソロモン諸島への進出を急速に拡大。この結果、中国はソロモン諸島の輸出額の6割超を占め、貿易相手国として第1位となりました。また、2017年には、中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)がソロモン諸島に高速インターネットの敷設を提案。このときは、域内大国であるオーストラリアが直ちに対抗策を提案し、1億3700万豪ドル=約103億円を投じ、パプアニューギニアを含む海底インターネットケーブルを建設しましたが、その過程で、ソガバレ首相ひきいるソロモン諸島社会信用党が華為技術から巨額の政治献金が受け取っていた疑惑が浮上。さらに、ソガバレ本人も“複数の中国企業と親密な関係”にあることが明らかになりました。

 こうした中国の浸透工作が功を奏し、ソロモン諸島の政界では徐々に中国派が台頭。2019年4月、ソガバレが組織した連立政権の与党議員の一部は、半年以内に中国と国交を樹立しなければ不信任案を提出すると圧力をかけ、これを容れるかたちで、ソロモン諸島議会内には特別委員会が設けられ、中台いずれかの国との国交を樹立することのメリット・デメリットが審議されていました。

 こうした状況に危機感を抱いたオーストラリアのモリソン首相は、6月3日、ソロモン諸島でソガバレと会談し、「太平洋島嶼国の平和的な独立と主権のための支援」を表明。今後10年間で2億5000万豪ドル(約188億円)の経済支援やソロモン諸島首相府の建築補助などを約束し、中国の浸透に対抗しようとしました。また、米政府も、ソロモン諸島に対し、中国の資金拠出の約束には慎重に対応し、台湾との断交を強制されないよう注意が必要だと呼びかけていました。ちなみに、今年9月に行われた現地の世論調査では、国民の8-9割が台湾との外交関係の維持を支持しているとの結果が出ています。

 このため、今月9日、ソロモン諸島のマネレ外相は台北を訪問し、呉外交部長(外相)と共に記者会見し「台湾との友好的で充実し、進歩的な関係を大事にしている」と述べ、関係維持の重要性を強調しましたが、議会特別委員会は、13日、台湾との外交関係を絶ち、中国との国交樹立を勧告する答申書を政府に提出。ついに、台湾との断交決定に至ったというわけです。

 今回、ソロモン諸島が中国側に落ちたことで、すでに、中国の強い影響下にあるヴァヌアツを起点に、ソロモン諸島→パプアニューギニア東ティモールを結ぶ親中国家のリンクがつながることになり、オーストラリアがぐるっと包囲された形になります。もちろん、南太平洋諸国の中ではそれなりの規模を有するソロモン諸島に次いで、台湾断行のドミノが発生する恐れも十分にあります。

 さて、ソロモン諸島といえば、日本人にとっては先の大戦中のガダルカナルの戦いのイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語を書いてみたいと思っています。

 その手始めとして、9月28日、イオンコンパス東京八重洲会議室にて開催のインド太平洋研究会で、「ガダルカナル島の近現代史」と題してお話しすることになりました。 参加費など詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 
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 切手歳時記:敬老の日
2019-09-16 Mon 00:40
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2019年9月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、敬老の日(今年は16日)にあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      花咲じじい:ここほれワンワン

 これは、1973年11月20日に発行された昔ばなしシリーズ第集「花さかじじい」のうち、“ここほれワンワン”の切手です。

 9月第3月曜日の“敬老の日”の起源は、1947年9月15日、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で、当時、36歳の青年村長だった門脇政夫が、村主催の“敬老会”を開催したのが由来とされています。

 9月15日という日取りは、農閑期で気候も良いことにくわえ、719年9月、美濃国を行幸された元正天皇が、木曽川の渓谷の瀧の水に感動し、「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし」との詔を出し、瀧を“養老乃瀧”と命名したうえ、元号を“養老”に改めるとともに、全国の高齢者に賜品を下したとの故事によるのだとか。ちなみに、1947年当時の“老人”は55歳以上でした。

 さて、1948年7月に「国民の祝日に関する法律」が制定された際、“こどもの日”と“成人の日”は定められましたが、老人のための祝日はなかったため、門脇村長は、同年9月15日の第2回敬老会の席上、9月15日を“としよりの日”として村独自の祝日とすることを提唱。これが県内に広がり、1950年からは兵庫県が“としよりの日”を制定。1951年には中央社会福祉協議会(現全国社会福祉協議会)が9月15日を“としよりの日”としました。

 その後、1963年に老人福祉法が制定されると9月15日は“老人の日”となりましたが、その背景には、“としより”という表現が良くないとの意見があったためだといわれています。

 さらに、1966年に「国民の祝日に関する法律」が改正され、9月15日が“敬老の日”として国民の祝日になりましたが、2001年、祝日法が改正され、いわゆるハッピーマンデーが導入されると、2003年以降、“敬老の日”は9月第3月曜日の移動祝日となりました。

 さて、“としより”という表現はよくないとして祝日の名称から外されましたが、昭和40年代後半まで、老人男女を意味する“じじい(爺)”、“ばばあ(婆)”については、前後の文脈にもよりますが、特に問題はないとみられていたようです。

 その証拠に、今回ご紹介の“花さかじじい”の切手は1973年11月20日に発行されていますが、“じじい”の文字が切手にもしっかりと入っています。ちなみに、切手は、赤本『花さき爺』全三冊(式亭三馬作・歌川国丸画)ならびに赤本、黒本、青本『枯木に花咲せ親爺』(冨山房)を参考文献にして、洋画家の杉本健吉が原画を作成したもので、切手の表記も参考文献に倣って、“じいさん”ではなく、“じじい”としたものと思われます。

 ところが、花咲じじいの切手が発行された1973年、フジテレビの「3時のあなた」で玉置宏が「芸能界は特殊部落」と発言したことで部落解放同盟から糾弾され、同年12月25日の同番組で謝罪したのをきっかけに、マスコミでは、“差別語”の「言い換え集」が作成され、じじい・ばばあも公の場からは放逐されることになりました。

 なお、“差別語”の「言い換え集」が作成された後の1974年9月9日、同年の敬老の日を前に発行された昔ばなしシリーズの切手は、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に収録されている「こぶ取り爺(鬼にこぶとらるゝ事)」が源流とみられる物語を題材としていますが、その題名が「こぶとりじじい」ではなく「こぶとりじいさんとなっています。やはり、切手にも時代の変化が反映されたということなんでしょうかね。

 
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 サウジ石油施設に無人機攻撃
2019-09-15 Sun 01:36
 サウジアラビア内務省は、きのう(14日)、同国東部のアブカイクおよびクライスにある国営石油会社サウジ・アラムコの石油施設2ヵ所が10機の無人機(ドローン)の攻撃を受けて出火したと明らかにしました。この攻撃については、サウジが内戦に介入しているイエメンで、イランの支援を受けているシーア派系武装組織の“フーシ(アンサール・アッラー)”が犯行声明を出しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      サウジ・アブカイク

 これは、1985年にサウジアラビアが発行した“East-West石油パイプライン”の切手で、左側にはパイプラインが、右側には東端のアブカイク(今回攻撃を受けた施設がある場所の一つ)と西端のヤンブーの位置を示す地図が示されています。

 East-West石油パイプラインはペルシャ湾に近い都市のアブカイクと、紅海に面した港町のヤンブーを結ぶ全長約1200キロのパイプラインで、大小2本のパイプラインで構成されています。このうち、太いほうの1日当たり最大石油輸送能力は公称300万バレル、細いほうは同200万バレルですが、現在の実働能力は両方合わせて200万バレルで、約300漫バレルの余力を持った運用になっています。なお、細いほうのパイプラインは、かつて、天然ガスの輸送に用いられたこともありました。

 また、East-West石油パイプラインと並行して、液化天然ガス用のアブカイク=ヤンブーNGLパイプラインが通っており、こちらは、1日当たり公称29万バレルの液化天然ガスを輸送する能力を持つとされています。

 アブカイクでは、1941年にアラムコが油田を発見し、現在では、世界最大規模の日量700万バレルの処理能力を持つ精製する施設があります。ペルシャ湾岸からわずかに内陸の場所にあるため、ホルムズ海峡で軍事的緊張が生じた場合には、ここから紅海沿岸のヤンブーまでパイプラインを使って原油などを迂回輸送することが可能です。

 さて、今回の攻撃はフーシによるサウジ国内の石油・ガス施設への攻撃としては過去最大規模のもので、サウジ内務省はすでに火災は鎮火したとしていますが、 現場付近への報道陣の立ち入りが禁じられているため、被害の全容はまだ明らかにされていまん。ただ、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが伝える関係者の話によると、サウジ・アラムコは生産施設のほぼ半分を閉鎖しており、当面、日産約500万バレル、すなわち、世界全体の生産量の約5%に相当する規模の原油の減産になる見込みです。これに対して、アラムコ側は、在庫を活用するなどして海外の顧客への供給は続けるとしています。

 いずれにせよ、ホルムズ海峡有事の際のバックアップ輸送路として想定されていたEast-West石油パイプラインが攻撃を受けたことの意味は重大で、今後、ホルムズ海峡の海上警備のための“有志連合”構想にも大きな影響が出ることは必至です。

 
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 コンゴで列車脱線、100人以上死亡か
2019-09-14 Sat 01:01
 コンゴ民主共和国の南東部、タンガニーカ州マイバリディ付近で、現地時間12日未明、貨物列車が脱線し、不正乗車(運賃を払わずに移動する屋根に乗るなど)をしていた人々が多数死亡しました。推定死者数の情報は大きく錯綜していますが、現場の目撃者や地元メディアによると、死者数が100人に上る可能性が高いそうです。というわけで、亡くなった方のご冥福をお祈りしつつ、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コンゴ・マタディ=レオポルドヴィル鉄道

 これは、1948年、ベルギー領コンゴで発行された“マタディ=レオポルドヴィル鉄道開通50周年”の記念切手で、歓呼して1号列車を迎える人々と鉄道の路線地図が描かれています。

 1865年に即位したベルギー国王レオポルド2世は、即位当初から植民地獲得の必要性を訴えていましたが、1876年9月、コンゴ探検を支援する“国際アフリカ協会”(のちにコンゴ国際協会に改組)を創設し、1879-83年、英国の探検家ヘンリー・スタンリーにコンゴ川流域を探検させ、先住民部族の部族長たちと独占的な貿易協定を締結しました。

 これに対して15世紀以来、在地のコンゴ王国と関係のあったポルトガルが反発し、コンゴ川河口周辺の主権を主張。これを英国が支持すると、独仏はベルギーを支持し、列強の対立が深まります。

 このため、1884-85年、欧米14カ国によるベルリン会議が開催され、コンゴを中立化し、門戸を開放して自由貿易の地にすることを条件として、コンゴはレオポルド2世の“私有地”とされ、1885年、レオポルド2世の私領“コンゴ独立国”が創設されました。なお、同国は自由貿易の国という意味で“コンゴ自由国”と呼ばれることもあります。

 コンゴ独立国はあくまでもレオポルド2世の私領という扱いで、ベルギーの国家とは無関係という位置づけであったため、国王は専制君主として君臨するとともに、巨額の私費を投じ、さらには、個人の信用で国内外の投資家の投資を募って開発を進めました。

 ところで、1880年代のコンゴ独立国では、コンゴ川水系の水運を利用して開拓が進められていましたが、コンゴ川河口近くの河港マタディと首都レオポルドヴィル(現キンシャサ)の間の交通は人力に頼っていました。このため、マタディ=レオポルドヴィル間にコンゴ独立国最初の鉄道を敷設すべく、1887年7月31日、コンゴ商工業会社およびコンゴ鉄道会社 が設立され、1890年に建設工事が始まります。

 その後、1898年に全長366km(コンゴ川の渓谷を避け、ンポゾ川沿いの谷とモンデクリスタル山中を経由するルートになっています)が開通するまでに、過酷な工事により、1932人(うちアフリカ系1800人)が命を落としたほか、1923-31年の改良工事では、囚人や強制労働者が動員され、約7000人が犠牲となっています。

 さて、コンゴ民主共和国の領内には、ベルギー植民地時代を中心に国内を結ぶ鉄道網の整備が進められましたが、1960年の独立後は、1960-65年のコンゴ動乱1965-97年のモブツ独裁政権、さらに、その後も戦乱が続いたため、ほとんどメンテナンスが行われず、老朽化が進んでかなり危険な状態です。

 このため、しかしコンゴ民主共和国では、大勢の犠牲者を出す鉄道事故が後を絶たず、2019年3月には中部のカサイ州で貨物列車が脱線して少なくとも24人が死亡。また、2017年には南ルアラバ州で燃料タンカーを連結した貨物列車が川に突っ込み、30人以上が死亡する事故も発生していました。

 
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 切手の中のソウルと韓国:月の「玉兎」伝説
2019-09-13 Fri 00:38
 『東洋経済日報』9月13日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、きょう(13日)が旧暦8月15日の中秋節(韓国では秋夕)ですので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・月兎

 これは、1980年7月10日に発行された民画シリーズ第2集のうち、玉兎(アジアに広くみられる伝説の“月のウサギ”)をモチーフにした1枚です。

 月に玉兎がいるとの伝説はアジア全域で見られますが、その元になったのは、以下のような仏教説話です。

 その昔、猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢いました。老人を助けるため、猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に与えましたが、何も採ってくることができなかった兎は、自分の非力を嘆き、老人を助けるため、自ら火の中へ飛び込み、自分の体を老人に差し出しました。これを見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせて不老不死としました。これが、月に兎の姿が見える理由であり、その周囲には、兎が自らの身を焼いた際の煙の影も見えるとされています。

 これとは別に、古代の朝鮮では、兎は雌のみで雄のいない動物で、月を見て身ごもり、口から子を産むという俗説も信じられていました。これは、韓国語では、漢字の“兎”と“吐”がどちらも“ト”と読むことに由来するものと考えられています。また、仏教が伝来する以前の古代中国では、月には蟾蜍(ヒキガエル)が棲んでいるとの伝承もあったため、高句麗時代の壁画の中には、これを容れて、雄の蟾蜍が臼をつく雌の玉兎を眺めている図が描かれたものもあるそうです。

 ところで、日本では玉兎は餅をついていると考えられてきましたが、中国では、仏教説話の内容が道教にも取り込まれ、玉兎は不老不死の仙薬を調合しているとされています。

 朝鮮半島でも、かつては玉兎がついているのは不老不死の薬とされてきました。たとえば、朝鮮王朝時代の文人、尹善道(1587-1671)は「白露輝きて清き月昇る 鳳凰楼遥かなりて清光を誰に与うるや 玉兎の搗きたる薬を豪客に与えん」との誌を詠んでいます。

 これに対して、現在の韓国では、日本同様、玉兎が餅つきをしているとされていますが、あるいは、これも日本統治時代以降のことではないかと推測されます。

 そもそも、日本の餅が蒸かしたコメをついて作るのに対して、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作る(基本的に臼は使わない)もので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。

 ちなみに、朝鮮半島で穀物の精白や製粉のために伝統的に使われてきた臼は、足踏みで行うテディルパンア、水車を利用するムルレバンア、牛馬を利用するヨンジャパンア、石のひき臼のメットルなどで、杵を使う場合は、ほとんどが棒状の竪杵でした。

 一方、日本で一般に連想される槌状の横杵(打杵)は江戸時代から使われるようになったもので、朝鮮半島では、主に日本統治時代以降、使われるようになりました。現在でも、韓国のイベントで餅つきが行われる場合、臼を使わず、板の上に餅を置いて横杵でつく(というより叩くといったほうが良いかもしれません)光景が見られるのは、そうした歴史的経緯によるものでしょう。あるいは、韓国で月の兎が餅をつくというイメージが広がったのも、日本統治時代のことだったのかもしれません。

 さて、今回ご紹介の切手は、月明かりに照らされた桂の木の下、つがいの兎が竪杵(棒状の杵)で臼をついている図が取り上げられています。

 民俗学では、杵で臼をつくという動作は性行為の象徴と理解されることが多く、また、食べ物とも関連することから生産と豊穣にも結び付けられています。ここから、二匹の兎が臼をつくさまは、夫婦愛の隠喩とも理解され、家族のきずなを確認する秋夕の題材としてもふさわしいものとされるようになったのでしょう。

 
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 世界の切手(最終回):キューバ
2019-09-12 Thu 02:38
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年9月11日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバ(7回目と一部リベリア)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      キューバ・別れの手紙(1997)

 これは、1997年、キューバが発行した“第5回キューバ共産党大会ならびに英雄的ゲリラとその同志たちの落命30周年”の切手で、チェ・ゲバラの肖像である“英雄的ゲリラ”のイラストを背景に、ゲバラがカストロに充てた「別れの手紙」が印刷されています。

 1962年10月のミサイル危機以降、ゲバラはソ連の“修正主義”を批判する中国への傾斜を強め、ソ連に頼らない“自力更生”路線を主張。これに対して、ソ連はゲバラを危険視し、カストロに対してゲバラの排除を求めるとともに、カストロとの関係改善を模索。1963年5月、カストロはモスクワを訪問してフルシチョフと和解し、経済支援と引き換えに、キューバが中ソ対立においてはソ連を支持するという立場を明確にしました。

 これに対して、1964年12月、ゲバラは国連総会での演説で“帝国主義との全面的な戦い”を宣言。さらに、1965年2月、アルジェで「先進国と発展途上国という二つのグループ国家の間にこのような関係を作り上げようというのであれば、たとえそれが社会主義諸国であったとしても、ある意味では帝国主義者の搾取の共犯者だと認めねばなるまい」として、名指しこそ避けたものの、ソ連を批難します。

 アルジェからハバナに戻ったゲバラは、カストロとの話し合いの末、革命政府の閣僚の地位を捨て、キューバを出国し、コンゴ動乱での革命派支援の戦いに参加することを決断。出国に際して、関係者に「別れの手紙」を書き残しましたが、そのうちのもっとも有名なものが、今回ご紹介の切手に取り上げられているカストロ宛の「別れの手紙」です。

 ゲバラがキューバを出国したとの報告を受けたソ連は、キューバが自ら好ましい解決方法を選択したと評価し、ブレジネフ政権下のソ連外国貿易銀行はキューバに対して1億6700万ドルの融資を決定しました。

 一方、ゲバラの出国後、しばらくの間、キューバ政府は彼の出国について沈黙を守っていたため、キューバ国内では彼の不在をめぐる憶測(精神に異常をきたして病院に入院した、突然死した、フィデルに粛清された、ペルーでゲリラ活動に従事している、ドミニカで米軍と戦って戦死した…など)が広まりましたが、カストロはこれを意図的に放置し、メディアの取材に対しては「チェは生きている。とても健康だ。私や家族や友人たちはたびたび手紙を受け取っている」、「(チェの所在が明らかになるのは)彼が望んだ時だ」と応答していました。

 こうして人々の想像を最大限に煽ったうえで、1965年9月28日、カストロは「チェがキューバを発つ前に書いた手紙を近く公表する」と発表。10月3日 社会主義革命統一党が“キューバ共産党”へと改組されたタイミングで「別れの手紙」を公開しました。

 ところで、この時公開された(=現在、公式な文言とされている)「別れの手紙」については、ジャーナリストの伊高浩昭氏が関係者へのインタビューを通じて、ゲバラの言葉とされる“hasta la victoria siempre”について、画期的な新解釈(仮説)を提示しています。

 それによると、「別れの手紙」のオリジナルの文面は「私は勝利するまではキューバに戻らない。だがいつも私の心には『祖国か死か、勝利するのだ』の標語がある(“No vorveria a Cuba hasta la victria,pero en mi siempre ¡patroia o muerte,venceremos!)」となっていましたが、カストロが公開した文面では“No vorveria a Cuba(私はキューバに戻らない)”の部分を削除して、“hasta la victria siempre”(勝利まで、必ず)のみが残されたそうです。

 すなわち、オリジナルの「別れの手紙」では、ゲバラが勝利の後、キューバに戻るというゲバラの意思が示されていましたが、これは、ゲバラを“危険人物”と見なしていたソ連からすれば、せっかくカストロから切り離されたゲバラがコンゴで勝利を収め、英雄として再びキューバに凱旋するという最悪のシナリオを意味しています。

 そこで、ソ連の意を汲んだカストロは、「別れの手紙」の末尾を改竄することで、チェが「勝利しても帰れない」、すなわち、「別れの手紙」は、文字通り、チェからフィデルへの“永遠の別れ”の手紙であると人々が解釈するように仕向けたと推測されます。いうなれば、冷徹なリアリスト政治家だったカストロは、キューバ共産党の創立というタイミングで、キューバ国民の間にぬきがたく浸透していたゲバラへの敬慕の情が損なわれることのないよう細心の注意を払いつつ、現実政治の世界では、ゲバラと彼が体現しようとしていた革命の“理想(ないしは誇大妄想)”と絶縁することを宣言たともいえましょう。
 
 なお、ゲバラは、ラジオでキューバ共産党大会の創立宣言と「別れの手紙」の朗読を聴き、自らがキューバ国家にとって“厄介者”になっていることをチェは正確に理解したうえで、革命の“殉教者”となる道を選択。それは、ボリビアでの非業の最期へとつながっていくことになるのです。この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくまとめておりますので、ご参照いただけると幸いです。

 さて、『世界の切手コレクション』9月11日号の「世界の国々」では、ゲバラの死後、彼が革命のキリストとして神格化されていくのと連動して“英雄的ゲリラ”の肖像が全世界に拡散していく過程についてまとめた長文コラムのほか、英雄的ゲリラの肖像が生まれることになったクーブル号事件ハバナ内務省の壁面に掲げられた巨大なゲバラ像、ラウル・マルティネスの絵画「フェニックス」の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。
 
 なお、2014年9月10日発行の創刊号から5年間にわたり刊行されてきた『世界の切手コレクション』は、今回の2019年9月11日号(第260号)をもって完結となりました。今までご愛読いただきました皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。
 

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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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