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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 布マスク2枚、全戸に配布へ
2020-04-02 Thu 09:51
 安倍首相は、きのう(1日)、新型コロナウイルス特措法に基づく政府対策本部で、洗濯して繰り返し使える布マスクを1世帯(住所)当たり2枚ずつ、1億枚配る方針を明らかにしました。というわけで、マスクの切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      第27回万国外科学会議
      
 これは、1977年9月3日に発行された“第27回万国外科学会議”の記念切手です。

 万国外科学会は、狭義の外科のみならず、脳外科・胸部外科・小児外科・整形外科はもちろん、産科婦人科・泌尿器科・眼科耳鼻咽喉科などの外科系の各分野を包含する学会で、1902年にベルギーのブリュッセルで創立されました。以後、おおむね2-3年に1度、欧米諸国で総会として万国外科学会議が開かれてきましたが、1977年は学会の創立75周年にあたることから、初めて、欧米以外の地で総会が開かれることになり、9月3日から8日まで、京都市京都会館に64ヵ国から3000名の研究者等が集まって研究発表と討議が行われました。

 今回ご紹介の切手は、その会期初日に合わせて発行されたもので、手術室の外科医が描かれています。なお、国際会議の記念切手の場合、一般に会議名称の欧文表示は英語ですが、今回の切手ではフランス語表示となっています。また、発行枚数は、今回配布予定のマスクよりも少ない3000万枚ですが、特に希少性があるわけではありません。

 さて、西洋式のマスクが日本にもたらされたのは明治時代のことで、当初は、真鍮の金網を芯に布地をフィルターとして取り付けたものが主として作業現場などでの粉塵よけに利用されていました。

 病気の予防用としては、1918年、“スペイン風邪”として知られるインフルエンザ(スペイン風邪)大流行をキッカケに注目されるようになり、1923年、内山武商店が“壽マスク”を発売。これが国産マスクの商標登録品第1号に認定となりました。

 その後も、インフルエンザの流行を機にマスクの出荷量も増加。それにあわせて品質の改良も進み、枠のない布地だけのもの(今回配布予定のマスクはこのタイプでしょうか)や、1950年には布に代わるガーゼマスクが登場します。なお、1973年には不織布製プリーツ型の原型が日本でも製造・販売されるようになりましたので、今回ご紹介の切手に描かれているマスクも、布製ではなく、不織布製のものと考えてよさそうです。さらに、1980年代からは花粉症の流行もあってマスク需要は激増し、2003年には、立体構造で顔にぴったりフィットし、マスクと口の間に空間ができて呼吸がしやすい超立体マスクの一般向け販売も始まり(医療現場では1990年代後半から使用されていました)、現在に至っています。

  現在、世界で猛威をふるっている新型コロナウイルスに対しては、世界各国が“準戦時体制”で臨んでおり、都市封鎖や外出禁止などの措置を講じている国も少なくありません。人々の移動交流等を制限することが感染拡大に効果があるのは言うまでもないことで、人々は、いわば、ウイルスとの籠城戦を戦っているといってよいでしょう。

 ただし、ウイルスとの戦いで国民にも籠城戦を呼びかけるのであれば、それなりの食料や武器弾薬(現状であれば、最大の武器となるのは、やはり現金でしょうね)の補給が必要です。補給もなしに籠城しろというのは、砦の中で飢えて死ぬか、被弾を覚悟のうえで銃弾の下をかいくぐって食糧を探しに行くか、兵士が自分で決めろという無茶苦茶な話です。

 もちろん、全世帯へのマスクの配布はありがたいことではあるのですが、援軍なり弾薬なり食糧なりが届いたと思って喜んでいたらマスクだけだったというのは…。

 ちなみに、今回配布される布製マスクは、1950年以前、すなわち、先の大戦中のマスクと基本構造は同じもののようです。そういえば、先の大戦では、日本軍の戦没者の6割が餓死でしたね。ウイルスとの戦いではなく、補給の不備による“飢え死に”が蔓延するようなことは、二度と繰り返されてはなりますまい。


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 きょうから東京都受動喫煙防止条例施行
2020-04-01 Wed 00:47
 受動喫煙による健康被害を未然に防止するための改正健康増進法と東京都受動喫煙防止条例が、きょう(1日)から施行され、都内では、公共施設はもとより、一般の飲食店でも原則として屋内は禁煙となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      錦織歌麿形新模様 文読み

 これは、2009年のふるさと切手(東京都)の「江戸名所と粋の浮世絵」のうち、喜多川歌麿の「錦織歌麿形新模様 文読み」を取り上げた1枚です。

 “南蛮人”を通じて喫煙の習慣がわが国にもたらされたのは、16世紀中頃から17世紀初頭にかけてのことで、女性の喫煙は、おそらく、長崎・丸山当たりの遊女の間で最初に流行し、それが各地の遊里にも広まったと考えられています。

 1650年に亡くなった岩佐又兵衛の作とされる「松浦屏風」の右端には煙管に煙草を詰める女性が描かれており、日本女性の喫煙に関する資料としてはかなり初期のものとして知られています。「松浦屏風」に描かれている女性は遊女ですが、手にしている煙管が、後の吉原のように朱羅宇の煙管ではないのも興味深いところです。

 一方、江戸の吉原では、“張り見世”といって、通りに面した表側に格子をつけた座敷があり、その奥に花魁が打掛を着て並び、客に姿を見せていました。

 客は張り見世を格子ごしに覗き、好みの遊女を品定めするのですが、遊女の膝元には朱塗りの煙草盆に朱羅宇(朱色の胴)の煙管が置かれるのが常でした。

 彼女たちは外を歩く客たちの中から、気に入った男がいたら、煙管に煙草をつめて、自らくわえて火をつけて、すぐに据える状態にした“吸い付けたばこ”を格子越しに差し出します。これは、厭な客がついてしまう前に、気に入った男を今宵の相手にしようというもので、道行く男が格子の中から出てきた煙管を受け取れば、交渉成立。彼が煙管の遊女の客になります。そして、格子の中に上がった客は、まずは出された煙草盆で一服吸い、遊女が出てくるのを待つというのが段取りでした。

 歌舞伎の「助六由縁江戸桜」では、主人公の助六が吉原を歩くと、四方八方から煙管が伸びてくるさまを「煙管の雨が降るやうだ」とのセリフで表現していますが、これは、彼のすさまじいまでのモテっぷりがわかる表現というわけで、当時の言葉で煙草のことを“相思草”と呼んだのも、こうした習慣と無縁ではないでしょう。

 もっとも、女性の煙管というと、遊女が連想されることも多いのですが、実際には、江戸も中期以降になると、農家や商家の女性も煙管で煙草を楽しんでいました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた歌麿の錦絵はその証拠ともいうべきもので、この絵は「文読み」以外に、「煙管を持つ女」という題名で呼ばれることもあります。その名の通り、煙管をくゆらせながら手紙を読む女性の姿が描かれたものですが、その髪型や紫の渋い色味の着物、暗い色の煙管などからして、明らかに、彼女は堅気の女性です。前帯にしているのは、彼女が労働の必要のない身分であるためで、大店の女房といったところでしょうか。

 ところで、この絵は背景に書かれている詞書が面白いので、引用してみます。

 夫れ吾妻にしき絵は江都の名産なり。然るを近世この葉画師専ら蟻のごとくに出生し、只紅、藍の光沢をたのみに怪敷形を写して、異国迄も其恥を伝る事の嘆かはしく、美人画の実意を書て世のこの葉どもに与ることしかり

 その大意は「浮世絵は江戸の名産だが、最近は質の悪い絵師がうじゃうじゃ蟻のように湧いてきて、ただ単に紅や紺を塗りたくった絵を出しているが、デッサンはでたらめ。海外まで恥をさらしているのは実に嘆かわしい。だから、自分がまっとうな美人画を描いて、そういう連中にを教育してやるために、絵を描いてやった」というこ風になりましょうか。美人画の第一人者だった歌麿の、他の連中とは一緒にしてもらっては困るという強烈な自負がうかがえる文章です。

 なお、この切手については、かつて拙著『日の本切手 美女かるた』でも取り上げたことがありますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 BCGワクチン、豪で治験開始
2020-03-31 Tue 04:00
  現在、世界で猛威をふるっている新型コロナウイルスに対して、結核予防のBCGワクチンが有効かどうかを調べるための臨床治験が、昨日(30日)から、メルボルンの一部の医療従事者を対象に開始されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・結核予防(1952)

 これは、1952年12月1日にキューバが発行した郵便税切手で、“BCGで子供に予防接種を!”のスローガンと子供の顔が描かれています。

 キューバでは、革命以前の1938ー44年および1949-58年に、毎年11月から翌年2月までの間、国家結核会議による児童病院の建設資金を集めるため、郵便物1通につき、1センタボ切手を強制的に貼付させていました。今回ご紹介の切手もその1枚で、1952年の郵便税切手は、同図案で4種の色違い(青・赤・緑・橙)があります。

 さて、BCGワクチンは、もともと牛に感染する牛型結核菌の毒性を弱めたもので、ワクチンの液を左腕に1滴たらし、はんこ型の注射を2回押して接種します。

 20世紀初頭、フランスのパストゥール研究所のアルベール・カルメットとカミーユ・ゲランが元になる菌株を作製。1921年、パリで、母乳に混ぜて乳児に口から投与され、乳児結核症に対して顕著な予防効果があったことで世界的に注目され、結核予防のための弱毒生菌ワクチンとして各国に広まりました。わが国では、1924年、志賀潔が直接カルメットから分与された菌株(日本株)に由来するBCG Tokyo172株が導入されています。なお、BCGは、その後、国ごとに継代培養されていったため、国ごとに遺伝的な違いが生じることになりました。

 結核予防からスタートしたBCGワクチンですが、結核以外にも、膀胱癌の治療やさまざまな感染症に対して免疫力を高める効果があるとされています。また、新型コロナウイルスに似たウイルスの感染者にBCGワクチンを使うことで、ウイルスの数が減ったという研究結果もあります。じっさい、今回の新型コロナウイルスに関しても、ロシア株や日本株のBCGワクチンを接種されている国では、そうではない国に比べて感染率や死亡率が低い傾向があることが指摘されていました。

 そこで、メルボルン大学教授でマードック小児医療研究所の感染症調査責任者を務めるナイジェル・カーティス教授らのチームが、WHO(世界保健機関)の承認を受け、オーストラリアで医療従事者4000人を対象に半年間の臨床実験を実施することになりました。過度な期待は禁物とはいえ、よい結果が出ることを期待したいですね。


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 放たれたクマ
2020-03-30 Mon 01:09
 新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、今月28日から1週間、国民に対して自宅に留まることが強く求められ、食料品店や薬局を除くほぼ全ての店舗が休業しているロシアで、「プーチン大統領の命令で、ロシア全土にライオンとトラ合わせて800頭が既に放たれた」という噂が流れたところ、ザハロワ報道官は「大統領が街にライオンとトラを放つというのは面白い。だが、伝統と効率を考えて実はクマを放っているのだ」と冗談を交えて噂を否定したそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソ連・シーシキン「松林の朝」

 これは、1948年にソ連が発行した“イヴァン・シーシキン没後50年”の切手のうち、クマを描いたロシア絵画の中で最も有名な作品とされる「松林の朝」を取り上げた1枚です。

 イヴァン・シーシキンは、1832年、現在、タタールスタン共和国内にあるエラブガで生まれ、カザンのギムナジウムを卒業しました。その後、モスクワ絵画・彫刻・建築学校ならびにサンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーで学び、アカデミーを首席で卒業した褒賞としてスイスおよびドイツ各地で制作を行います。

 帰国後、アカデミーの会員となるとともに、既存のアカデミーの流儀に飽き足らず、ロシア各地で移動展覧会を開いた“移動派”の一員ともなり、幅広く活躍しました。

 特に、その風景画は細部に至るまで緻密な筆致で描かれ、ロシアでは非常に人気が高い作家で、極東美術館副館長のリュドミラ・コズロワは、その作品を「ロシアの森の美しさ、ロシアの大地の広大さ、それからおそらくロシア人に特徴的なロシア気質の明るさについても、叙述的に物語っている風景画」として「叙事詩的」と評しています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「松林の朝」は139×213センチのカンヴァスに描かれた油彩作品で、もともとは、作品中にクマは描かれていませんでした。実は、シーシキンは自他ともに認める風景画の名手ではあったものの、動物画には自信がなかったため、友人で動物画を得意とするコンスタンティン・サヴィツキーに、「松林の朝」にクマを加えるよう依頼。これを受けて、サヴィツキーは、松の倒木で遊ぶ3頭の子熊とそれを見守る母熊を描き加えて、「松林の朝」は、1889年に開催された第17回移動派美術展覧会(移動展)に2人の共作として出品されました。このため、オリジナルの作品には、シーシキンとサヴィツキーの2人の署名があります。

 ところが、展覧会の終了後、ロシア屈指の大富豪で美術品の収集家としても有名だったパーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフがこの作品を購入。トレチャコフは、シーシキン単独の作品としたほうが絵の価値が上がると考え、サヴィツキーの署名を消してしまいました。(ただし、完全には消せなかったため、サヴィツキーの署名も不鮮明ながら残っています)

 その後、「松林の朝」を含むトレチャコフのコレクションは、自宅を改装したギャラリーともども、1892年8月にモスクワ市に寄贈され、現在はトレチャコフ美術館の所蔵品となっていますが、こうした経緯から、「松林の朝」はシーシキン単独の作品として紹介されることが多く、今回ご紹介の切手もシーシキンの作品として「松林の朝」を取り上げています。

 ちなみに、サヴィツキーが描き加えたクマの部分は、ソ連時代のチョコレートキャンディー、“ミーシカ・コソラープイ”の包装紙に取り上げられ、ソ連国民の日常生活に広く浸透していました。KGB出身のプーチン大統領も、おそらく、幼少期にはミーシカ・コソラープイを食べて育ったことでしょうから、やはり、ロシア全土に放たれる(ばらまかれる?)のはクマの方がしっくりくるということなんでしょうかね。


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 お菓子の切手:カカオが支えたガーナ共和国の経済成長
2020-03-29 Sun 00:16
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテのウェブマガジン『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』での僕の連載記事、「お菓子の切手」の最新版がアップされました。今回は、チョコレートの切手の中から、こんなものを取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      ガーナ50年シート

 これは、2007年にガーナが発行した独立50年記念の切手シートで、カカオの実が加工される工程や製品となったチョコレートの数々が取り上げられています。

 チョコレートの原料、カカオ豆の生産で知られる西アフリカのガーナ共和国は、1957年の独立以前は英国の植民地で(英領)ゴールド・コーストと呼ばれていました。

 厳密にいうと、ガーナ独立直前のゴールド・コーストは、1946年、それ以前の旧ゴールド・コースト(英領植民地として確立されたのは1874年)を中心に、英領トーゴランド、アシャンティ、ファンテ保護領などを合併して成立したもので、この地域への英国の本格的な進出は、1821年に英国政府がこの一帯の土地所有権を得たところにさかのぼります。

 ちなみに、“ガーナ”は、西アフリカのソニンケ人の言葉で“戦士の王”の意味で、8-11世紀(諸説あります)、サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国の名前として使われていましたが、そのガーナ王国と現在のガーナ共和国の領域は重なっていません。それでも、独立の指導者として初代首相に就任したクワメ・ンクルマは、ブラック・アフリカ独立の先鞭をつけた新国家の名称として、ガーナ王国に由来する名前を採用しました。

 さて、ガーナはコートディヴォワール、インドネシアに次ぐ世界第3位のカカオ生産国で、もともと、英領時代に現金収入を欲した農民の自発的な意思により生産地域が拡大していきました。

 ガーナのカカオの大半は、大規模プランテーション農場ではなく、小規模自営農家の手によるもので、英領時代の1947年に設立されたカカオ流通公社が、すべてのカカオを買い取り、輸出を独占することで、カカオ農家が安定した収入を確保するという方式が採られていました。

 ところが、独立後のガーナでは、ンクルマが“アフリカ社会主義”を掲げ、カカオのモノカルチャー経済からの脱却を目指すとして、急速な工業化を進め、工業をカカオに代わる経済の柱にすることを主張。その一環として、カカオ農場の農業集団化が強行され、農民の生産意欲が減退しただけでなく、生産効率も悪化し、機械化に伴う費用負担だけが重くのしかかる最悪の事態となりました。

 社会主義色を強め、中国やソ連との関係を強化していったンクルマに対しては、1966年、米CIAの支援を受けたエマヌエル・コトカ大佐とアクワシ・アフリファ少佐による軍事クーデターが発生。ンクルマは失脚しましたが、強烈なカリスマ指導者を失ったガーナの政情は不安定化し、小規模自衛農家によるカカオ栽培も再開されたものの、ガーナ経済は長らく低迷が続きました。

 これに対して、1979年の軍事クーデターで政権を掌握したジェリー・ローリングス空軍大尉は政情の安定と経済再建を最優先課題都市、1983年以降、IMFや世界銀行の構造調整計画を受け入れます。そして、1980年代後半から平均5%のGDP成長率を達成し、政治と経済の安定化を達成しました。そうした実績の上に、ローリングスは1992年に行われた民政移管の大統領選挙でも当選を果たして2001年まで大統領を務め、西アフリカでは数少ない議会制民主主義国としての基盤を固めました。

 今回ご紹介の切手シートは、ローリングス政権以降のガーナ経済を支えてきたCPC(Cocoa Processing Company:カカオ処理会社)の活動を紹介したものです。

 1980年代までのガーナは収穫したカカオの大半を輸出しており、そのことが、途上国にありがちな農産物モノカルチャーの経済構造から脱却できない足かせとなっていました。

 そこで、カカオ豆に付加価値を与えて加工することを目的に、1981年11月、ココア工場と製菓工場からなるCPCが設立されます。さらに、1992年にはカカオ豆の国内取引が自由化され、農民からのココアの買い入れに関して、民間の公認仕入れ企業(LBC)が導入され、政府と価格競争を行うようになったことで、農民の収入も増加しました。

 CPCのココア工場は、特選された高級なガーナ産カカオ豆だけを扱い、生カカオ豆を、半製品のココアのリキュール、バター、天然又はアルカリ性のケーキや粉末に加工する工程を行っています。その業務を象徴するものとして、切手シートの右側には、上から、収穫された生カカオ豆、カカオ処理プラントでの作業、出荷する製品の包装作業を取り上げた切手が1枚ずつ収められています。

 一方、シートの右側には、製菓工場で生産されるさまざまなチョコレート菓子が紹介されています。中段の切手に取り上げられているチョコレートバーの包装紙で、赤、緑、黄の三色が目立っているのは、あるいは、国旗の色に合わせたということなのかもしれません。


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 ペルー足止め邦人、出国へ
2020-03-28 Sat 00:02
 ペルー政府が新型コロナウイルス対策で国境を閉鎖したことで日本人旅行者ら約260人が足止めされていた問題で、きょう(28日)にも、一部が在ペルー台湾代表部が手配したチャーター便で出国できる見通しとなりました。チャーター便はクスコに足止めされている人たちを乗せて首都リマに向かい、リマでさらに旅行者らを乗せて米マイアミに向かうそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      クスコ・スタンプレスカバー

 これは、ペルーがスペインの植民地だった1808年、クスコからリマ宛に差し出された郵便物で右上に“CUZCO”の朱印が大きく押されています。

 かつてインカ帝国の首都がおかれていたクスコは、アンデス山中の標高3400メートルの高地にあり、地名はケチュア語で“へそ”の意味です。

 古くはキルケ人の居住地でしたが、1200年代から1532年までインカ帝国の首都がおかれ、インカ皇帝パチャクテク(在位1438-71)の時代に大きく拡大されました。インカ帝国ではクスコを中心に各地への道路網が発達し、駅逓制度も整備されていたため、冷蔵技術が全くない中で、沿岸部からクスコの宮廷まで鮮魚を腐らせることなく運ぶことができたといわれています。

 1533年、インカ帝国はスペイン人によって滅ぼされ、スペイン人植民者はインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した後、残った壁を新都市建設の土台として使用し、多くの教会を建設。クスコはスペイン人によるキリスト教の布教の拠点となりました。

 インカ滅亡後の1534年、スペインは、カルバハル家にペルー域内の通信を独占的に取り扱う特権を与えましたが、1768年、ペルー域内の郵便事業はスペイン王室による官営独占となります。さらに、1772年、郵政長官に任じられたドン・ホセ・デ・ラ・リヴァ・イ・パンドはペルー域内をカバーする郵便網を構築。クスコは教会の拠点にして、農業、牧畜、鉱山の中心地でもあったため、スペイン当局による郵便ネットワークの結節点として重要な位置を占めるようになり、その重要性は、独立後のペルーにおいても継承されています。

 ちなみに、革命家チェ・ゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部在学中の1952年3月、友人のアルベルト・グラナードとともに南米大陸を縦断している過程で、クスコとマチュ・ピチュに立ち寄り、大いに感動したことを日記に書き記しています。アルゼンチンの白人上流社会出身のゲバラにとって、ペルーは「スペイン人による征服以前の時代の思い出が滲み出ている」場所として、“ラテンアメリカ”を意識する契機となり、翌1953年9月にマチュ・ピチュを再訪した際には、「南アメリカの人民よ、過去を再征服せよ」とその感動を記しています。

 また、ゲバラは、青年期の2度の南米大陸縦断の旅からキューバでのゲリラ戦争を経てボリビアで非業の死を遂げるまで綴られていた日記が世界記憶遺産に登録されるほどの名文家として知られていますが、その文筆家としての社会的デビューは、1953年11月、雑誌『シエテ』に寄稿したマチュ・ピチュについての文章でした。

 この辺りの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 昨日(27日)の文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」の僕の出番は、無事、終了いたしました。お聞きいただきました皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。なお、次回の出演は4月17日の予定(仮)ですので、引き続き、よろしくお願いします。

 * 新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、よみうりカルチャー荻窪での講座「宗教と国際政治」は、3月31日および4月7日の回が中止となりました。5月以降の回につきましても、今後の状況次第ということになりますが、悪しからずご了承ください。


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 世界切手展(WSC)< INDONESIA 2020>延期
2020-03-27 Fri 00:43
 本年8月6日から11日まで、インドネシア独立75周年を記念して、ジャカルタの議会ビル(グドゥン MPR/DPR)で開催予定だった世界切手展(WSC)<INDONESIA 2020>は、新型コロナウイルス感染の拡大が深刻化していることを受け、会期を延期して11月5日から10日の開催となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます。なお、同展のウェブサイトはこちらをご覧ください)

      インドネシア・バロン(2007)

 これは、2007年にインドネシアが中国と共同発行した切手のうち、インドネシアのシンボルとしての“バロン・ダンス(タリ・バロン)”を描く1枚です。

 バロンは、バリ島を中心としたインドネシアのヒンドゥー文化圏の伝説上の聖獣で、その姿は唐代に中国から東南アジアに伝播した獅子がベースになっています。

 バロンは、悪の象徴である魔女ランダと戦い、あらゆる災害を防ぐ霊力をもつと信じられています。このため、切手の題材となったバロン・ダンスは、もともとは悪霊祓い、疫病祓いの宗教儀礼として、古くはジャワ島でも行われていましたが、現在では、宗教儀礼として行われているのは、ほぼバリ島の身に限られています。

 宗教儀礼としてのバロン・ダンスは、はじめに、聖職者が寺院に安置されたバロンに祈りを捧げ、その後、境内でガムランの伴奏にあわせて2人の男性が獅子舞の要領で舞うという段取りとなっています。本来は3時間以上にも及ぶ長時間の演目ですが、1930年代以降、外国人の観光客向けにアレンジされた短時間のパフォーマンスも行われるようになりました。

 さて、世界切手展(WSC)<INDONESIA 2020>に関しては、不肖ながら内藤が日本の連絡窓口であるコミッショナーをお引き受けしておりますが、現時点では、日程が延期されたという以上の情報は入ってきておりません。今後、詳細が明らかになりましたら、必要に応じて、このブログでもご案内していきたいと思いますが、まずは、疫病が退散して11月には無事に展覧会が開催されますようにとの祈念を込めて、きょうのところはバロンの切手をご紹介した次第です。


★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★

 3月27日(金)05:00~  文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。


★★ イベント・講座等のご案内 ★★

 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。

・よみうりカルチャー 荻窪
 宗教と国際政治
 毎月第1火曜日 15:30~17:00
 3/31、4/7、5/5、6/2、7/7、8/4、9/1(1回のみのお試し受講も可)

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 李承晩誕生日
2020-03-26 Thu 00:32
 きょう(26日)は、韓国の初代大統領・李承晩(1875年3月26日生)の誕生日です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      李承晩80歳誕生日

 これは、1955年に韓国が発行した“李承晩大統領閣下第80回誕辰紀念”の切手です。ちなみに、“誕辰”は、目上の者や貴人の“誕生”を意味する語です。

 1955年の時点で、韓国の憲法では大統領の任期は2期までとされており、3選は禁止されていました。このため、1952年に再選を果たした李承晩の任期は1956年まででしたが、1953年の朝鮮戦争休戦を経て、戦後復興に向けて米国からの経済支援がもたらされるようになると、李承晩は終身大統領を目指して憲法改正に着手します。

 憲法を改正するためには国会議員の三分の二以上の賛成票が必要とされていました。当時の国会の定員は203議席でしたから、単純に計算すれば、その3分の2は135.3人です。こういう場合、通常の感覚であれば、136人をもって3分の2以上ということになるはずです。

 このため、1954年秋の韓国国会では、136票をめぐって与野党の激しい攻防が繰り広げられ、11月29日の採決では、李承晩派の提出した憲法改正案は、賛成135、反対60となり、改正案はいったん否決されました。

 ところが、李政権は、定員数203の3分の2は135.3人なので、四捨五入すれば135票だと強弁。いったんは宣言まで出された改憲案を、強引に可決されたと主張して公布してしまいます。

 これが悪名高い“四捨五入改憲”です。

 こうした李の独善的な姿勢は、当然のことながら、内外の強い批判を招きましたが、李政権は強権を持って反対派を押さえ込み、1956年5月の大統領選挙での3選へ向けての活動を公然と開始しました。

 今回ご紹介の切手は、その一環として、1955年3月26日、李承晩に対する個人崇拝を強調すべく、彼の誕生日に合わせて発行されたものです。

 切手は、上左・右角に“奉祝”を意味するハングルが、下左・右の角に“壽”の漢字が入っており、鳳凰の下、李の肖像が取り上げられています。

 朝鮮王朝時代から、鳳凰は君主の象徴の一つとして用いられ、大韓民国の成立後も国家や大統領の象徴として使われてきました。1967年に正式に制定された現在の大統領標章も、韓国の国花・ムクゲを中心に向かい合った鳳凰を描くデザインです。

 鳳凰は鳳(オス)と凰(メス)に分けられ、雌雄一対で、陰陽の調和と共生の意味を持つものとされてきたため、伝統的な文様では、鳳の尾に花などを飾り、凰より華麗に表現したりするなど、鳳と凰の形を変えるのが本来の在り方ですが、この切手に描かれている二羽は同じ形のようです。

 ちなみに、北朝鮮で金日成の誕生日が、国家的規模で祝われるようになったのは、中国派・ソ連派の粛清を通じて彼が独裁的権力を掌握した1960年代以降のことで、彼の誕生日を祝う最初の記念切手は、1962年に発行された“金日成元帥誕生50周年紀念”です。なお、北朝鮮は、相手が金日成であっても、“誕辰”ではなく、一般人を対象にした場合と同じ“誕生”の語を使っています。

 このように、1955年の時点では、金日成よりも李承晩のほうが個人崇拝・独裁志向が強かったという点は注目しておいてよいでしょう。

 なお、朝鮮戦争休戦後の李承晩政権とその時代については、拙著『日韓基本条約』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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 奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー
2020-03-25 Wed 03:02
 きょう(25日)は“奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー”です。というわけで、大西洋を渡ってアフリカから米州に連れて行かれた奴隷に関する切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・デブレ「奴隷」(1970)

 これは、1970年にブラジルが発行した「ジャン=バティスト・デブレの水彩画」の切手のうち、「奴隷たち」を取り上げた1枚です。

 デブレは、1768年、パリ生まれ。パリのエコール・デ・ボザールでジャック=ルイ・ダヴィッドに学び、フランス第一帝政の時代の1798年のサロン・ド・パリで画家としてデビューしました。

 1815年にナポレオンが失脚すると、リオデジャネイロに遷移していたポルトガル王室の資金援助を受けたフランス美術ミッションの一員としてブラジルに渡り、1816年3月25日にリオに到着。1822年のブラジル独立後は皇帝ペドロ1世の寵愛を受け、宮廷画家となったほか、1822年にブラジル帝立美術アカデミーの教授に就任。1831年に帰国するまで、奴隷制度を中心に、ブラジルの住民の風習や社会的関係を描き、帰国後の1834-39年に3巻本の版画集、『ブラジルの美観、歴史的旅行記またはフランス画家のブラジル滞在記』を発表しました。

 ちなみに、ブラジルでは1822年の独立後も奴隷制が維持されていましたが、デブレが帰国した1831年に即位したドン・ペドロ2世はこれを徐々に廃止の方向へと導き、1850年には奴隷貿易を禁止。ついで、1871年9月28日に新生児解放令が発せられ、同法の施行以降に生まれた子供は、親が奴隷であっても、自由人の身分が保障されることになりました。

 その後も、奴隷の労働力に依存したプランテーション地主は奴隷制度の反対に強硬に反対しましたが、1888年5月13日(切手右側の日付)の黄金法をもって奴隷制は完全に廃止されます。ただし、地主層には奴隷制廃止などのリベラルな政策への反発が強く、1889年に軍事クーデターが発生して、帝政は廃止されて共和制が宣言され、皇帝一家はフランスに亡命を余儀なくされました。

 なお、解放された奴隷たちは、職を求めてリオとその周辺に集まってきましたが、それに伴い、彼らによってアフリカ起源の音楽とダンスもリオに持ち込まれます。当初、彼らが主に演奏していたのは、バトゥカーダ(打楽器のみの構成による2拍子の音楽)、ショーロ(管楽器と弦楽器のバンドリン+、カヴァキーニョ、ギター、打楽器のパンデイロを基本構成とし、即興演奏を重視した三部形式の音楽)、ルンドゥー(アフリカ系の軽快な舞踏音楽)などで、ここに、ヨーロッパの舞曲であるポルカやマズルカ要素が入り込み、舞踏音楽としてのサンバが生まれることになりました。

 このあたりの事情については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 ポーランド、東京五輪の延期要請
2020-03-24 Tue 01:47
 ポーランドオリンピック委員会は、新型コロナウイルス感染の拡大が深刻化していることを受け、きのう(23日)、国際オリンピック委員会に東京五輪の開催を延期するよう要請しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴォルテンベルク・五輪(走者)

 これは、1944年7月23日から8月13日まで、ヴォルテンベルク捕虜収容所で開催された“収容所五輪”の記念切手です。

 1939年9月、ドイツ軍がポーランドを占領すると、42万人のポーランド軍兵士と2万人の将校が捕虜となり、その収容施設の確保が深刻な問題となりました。当初、捕虜たちはテント村を含め28カ所に分けて収容されていましたが、1942年以降、収容所はヴォルテンベルク(現ポーランド:ドビエグニエフ)、ノイブランデンブルク(ドイツ・メクレンブルク=フォアポンメルン州)、グロス・ボルン(現ポーランド:ボルネ・スリノヴォ)、ドッセル(ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州)、ムルナウ・アム・スタッフェルゼー(ドイツ・バイエルン州)の5ヵ所に集約されました。

 そうしたなかで、ヴォルテンベルク収容所では、1942年4月5-7日に実験的に行われた“イースター・ポスト”がトラブルなく運営されたことを受けて、同年5月7日以降、収容所内での日常的な通信手段として、ローカル郵便が正式に発足。その後、ノイブランデンブルク、グロス・ボルン、ムルナウ・アム・スタッフェルゼーの各収容所でも類似の制度が導入されました。ちなみに、ヴォルテンベルク収容所では、ソ連軍の接近に伴い、1945年1月28日に捕虜たちは西方に向けて移動させられますが、ローカル郵便は、その直前の1月25日まで扱われています。

 ところで、1944年の五輪はロンドンでの開催が予定されていましたが、第二次大戦のために中止され、代わりに、IOC本部所在地のローザンヌで各種の五輪記念行事が開催されました。

 これに対して、ドイツは、対外宣伝の一環として、ヴォルテンベルク収容所の捕虜の要望を容れて、7月23日から8月13日まで、ロンドン五輪に代わる“五輪”の名目でスポーツ大会の開催を承認。これが、今回ご紹介の切手の発行名目となった収容所五輪で、ヴォルテンベルクに続き、7月30日から8月15日まで、グロス・ボルン収容所でも同様の“五輪”が開催されました。なお、1944年の時点では五輪旗はスイスのローザンヌに保管されていたため、収容所五輪の会場では、ベッドのシーツで作られた非公式の“五輪旗”が掲げられています。

 今回ご紹介の切手は、ヴォルテンベルク収容所の“五輪”を記念して発行されたもので、収容者でグラフィック・デザイナーのチャルネツキが原画を制作しました。収容所内では、シートを印刷するための大型の用紙が調達できなかったため、切手はすべて単片で印刷され、1万7500枚が発行されています。

 * 昨日(23日)、アクセスカウンターが216万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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