郵便学者・内藤陽介のブログ
 切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。
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 岩手山の切手
 きょう未明、東北地方を中心に強い地震があり、岩手県北部の洋野町で震度6強、同県野田村と青森県八戸市、同県五戸町、同県階上町で震度6弱を観測したそうです。東北では、先月14日にも岩手・宮城内陸地震があったばかりで、何とも心配です。被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 というわけで、きょうはお見舞いの意味も兼ねて、震源地(気象庁によると、岩手県沿岸北部だそうです)岩手県がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 第25回国体

 これは、1970年10月に岩手県で開催された第25回国体の記念切手で、馬術競技と岩手山が描かれています。

 このときの大会は、1970年10月10日から15日まで、岩手県下24市町村56会場で、1万7244名が参加して行われました。開会式は、10月10日、昭和天皇ご夫妻の臨席の下、盛岡市の県営運動公園で行われ、中尊寺の法灯から採火した炬火が会場で点火されています。
 
 切手の右下に描かれているのは、岩手県花の桐の花で、本来はここに示すように紫色で印刷されていますが、一部にピンク色で印刷されたものが存在しています。今回の切手は、当初の発行予定枚数2100万枚から、発行直前に50万枚増やされて、最終的に2150万枚の発行となりましたから、ピンク色のバラエティというのも、そのこととなにか関係があるのかもしれません。

 もっとも、僕自身は“ピンクの桐の花”とされる切手を何度か見せられたことがあるのですが、いずれも、紙が焼けてシミが出ているなど、コンディションがあまり良くないモノばかりで、元の状態から褪色ないしは変色したものなのか、あるいは、元からピンク色で印刷されたモノなのか、いまいちよくわからなかったというのが正直なところです。インクのバラエティということであれば、当然、それなりの枚数が存在しているはずですから、誰が見ても間違いのない、コンディションの良いモノをぜひ一度拝んでみたいものです。

 なお、この切手を含む基本料金15円時代の記念・特殊切手については、拙著『一億総切手狂の時代』でもいろいろと解説しておりますので、よろしかったら、ぜひご一読いただけると幸いです。

 トーク・イベントのご案内
 8月2・3日(土・日)に東京・大手町のていぱーくで開催のサマーペックス会場内にて、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』の刊行を記念したトーク・イベントを行います。2日は14:00から、いわゆる“竹島切手“についての話題を中心に、3日は14:30から、韓国切手に見る日本時代の“遺産”についての話題を中心に、お話しする予定です。サマーペックスのHPにアクセスしていただくと、無料の招待チケットをプリントアウトしていただくことができます。当日は、会場ならではの特典もご用意しておりますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 もう一度切手を集めてみたくなったら
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
 ふみの日
 毎月23日は語呂合わせで“ふみの日”に指定され、この日を契機に手紙を書くことを普及・啓発する運動が展開されています。その一環として、1979年以来、毎年、文月(ふみづき)の7月23日に発行されている“ふみの日”切手が、今年で20回目の発行を迎えるので、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ふみの日(1979年・20円)

 これは、1979年に発行された最初の“ふみの日”切手のひとつで、手紙を抱えた少女がイラスト風に描かれています。

 郵政省は、昭和50年(1975)度から毎月23日を“ふみの日”とし(このネーミングは北海道の森実弘による)、各地方別に手紙を書く運動を展開していましたが、昭和54年(1979)度からは、「国民に手紙を書いてもらうことを勧め、それを積み重ねることによって、生活の中に、ものを書く習慣を取り戻し、人と人との心の交流を盛んに」するとの趣旨で、全国的な規模でキャンペーンを展開することになりました。

 その一環として、“ふみの日”のシンボルマークが制定されたほか、4月以降、毎月23日には全国の郵便局で小型印が使用されました。このほか、昭和54年度中のキャンペーンとしては、10月23日にNHK総合テレビの番組「テレビファソラシド」で“ふみの日”にちなむ「手紙特集」が放送されたほか、3月23日と7月23日の2回、「手紙のある世界」と題する新聞広告が各紙に掲載されています。

 しかし、当初発表された昭和54年度の記念特殊切手の発行計画では、“ふみの日”に記念切手を発行する予定はありませんでした。

 ところが、3月2日の衆議院予算委員会の分科会で社会党議員の後藤茂が、郵政省が毎月23日を“ふみの日”として手紙を出そうと呼びかけているものの、その周知宣伝がほとんど行われていないことを指摘。その周知宣伝の手段として「この日だけは、普通切手に代わって、ふみの日の特殊切手を作り売ることを考えて欲しい」と提案します。これに対して、郵政大臣の白浜仁吉が「ふみの日についてはもっと周知を徹底させる。特殊切手については、とても良いご提案なので、ぜひ前向きに検討したい」と答弁したことから、事務方は切手発行の準備を開始。4月に入り、新年度になってから、陰暦七月の“文月”にあわせてキャンペーン切手を発行することを発表しました。

 こうして7月23日に発行された切手は、額面20円と50円の2種類の切手が、各5000万枚発行されています。これが、現在まで続く“ふみの日”切手の第一号となりました。

 その後、“ふみの日”切手には、デザイン公募のものがあったり、人気デザイナーの永田萌の作品が取り上げられるなど、いろいろな話題があるのですが、1984年までのモノについては、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でもいろいろと解説していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが36万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 トーク・イベントのご案内
 8月2・3日(土・日)に東京・大手町のていぱーくで開催のサマーペックス会場内にて、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』の刊行を記念したトーク・イベントを行います。2日は14:00から、いわゆる“竹島切手“についての話題を中心に、3日は14:30から、韓国切手に見る日本時代の“遺産”についての話題を中心に、お話しする予定です。サマーペックスのHPにアクセスしていただくと、無料の招待チケットをプリントアウトしていただくことができます。当日は、会場ならではの特典もご用意しておりますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

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 バンコクの7月22日広場
 タイのバンコクには、かつて日本人バックパッカー御用達の安宿として有名なジュライホテルがありましたが、このホテルの名前は、ホテルに面した“7月22日広場“にちなむものです。で、きょうはその7月22日なので、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 タイ・victory加刷

 これは、1918年12月、第一次大戦の勝利を記念してタイで発行された切手で、当時の国王、ラーマ6世を描く通常切手にVICTORYの文字が加刷されています。実は、“7月22日”というのは、1917年にタイが第一次大戦への参戦を決めた日で、戦後、戦勝国となったことを記念して、国王から下賜された土地に“7月22日広場”が作られたというわけです。

 第一次世界大戦が勃発すると、タイはドイツとイギリスのどちらが勝つかを見極めたうえで、勝ち馬に乗って参戦し、列強諸国との不平等条約改正交渉を進めようと考えました。一方、食料の輸出国であったタイの参戦は、連合国側にとっても歓迎すべき申し出だったのですが、タイ側が関税自主権の回復を代償として求めたことなどから、連合国のうちフランスがタイの参戦に難色を示し、タイの参戦問題はうやむやのまま放置されてしまいます。

 それでも、戦争が長期化すると、連合国はタイの参戦を強く求めるようになり、1917年7月22日、国王ラーマ六世はついに参戦を決意。同年9月28日付でドイツに対して宣戦を布告しました。ちなみに、現在のタイの国旗は、この参戦を機に三色旗風のものに改められたもので、それ以前は赤字に白抜きの像を描くものでした。

 さて、参戦を決めると、タイではヨーロッパ派遣の義勇兵の募集が始まります。その第1陣がマルセイユに上陸したのは1918年7月30日のことで、それから、彼らはフランス軍による訓練を受け、その一部が陸上輸送部隊として実際に戦争に参加したのは、10月17日のことでした。

 ところが、それから1ヶ月もたたない11月11日にドイツは降伏。タイは最小限の犠牲で“戦勝国”としての地位を獲得し、タイの兵士たちはパリでの凱旋パレードにも参加します。もちろん、敗戦国となったドイツ、オーストリアとの不平等条約は即座に撤廃され、講和会議にも参加する資格を与えられたほか、国際連盟が設立されるとその原加盟国になるなどタイの国際的な地位は向上しました。

 もっとも、パリの講和会議でタイは連合諸国との不平等条約改正を訴えましたが、実質的にタイの主張は無視されています。ただし、1920年9月1日、アメリカがタイとの新条約を締結して、治外法権の撤廃と関税自主権の獲得が達せられると、他のヨーロッパ諸国もタイの国内法が整備されれば不平等条約を撤廃するとの条約を締結せざるを得なくなり、1926年までにヨーロッパ各国との不平等条約は改正されることになりました。

 日本で7月22日広場が話題となる場合には、かつて日本人バックパッカー御用達だったジュライホテルとの関連で取り上げられることが圧倒的に多いのですが、バンコクの歴史散歩のポイントという点でも、7月22日広場は見逃せないポイントだろうと僕は思っています。

 なお、昨年刊行の拙著『タイ三都周郵記』では、バンコクの歴史散歩と切手や絵はがきをからめた「曼谷三十六景」なる1章も設けてみましたので、よろしかったら、ご一読いただけると幸いです。

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 海戦大勝370年
 今日は海の日。というわけで、新刊の拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』の中から、海にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 海戦大勝370年

 これは、1962年8月14日に発行された“海戦大勝370年“の記念切手の1枚で、李舜臣の亀甲船が取り上げられています。

 1961年5月のクーデターで政権を掌握する以前から、朴正煕は、経済開発のためには外資の導入が不可欠であり、そのためには日本との国交正常化を急ぐ必要があると考えていました。このため、朴は政権掌握早々、日本との関係改善にむけて積極的に動き出し、“5・16革命”から半年後の1961年11月には、社会的な混乱が続く中で、みずから訪米の途上で日本に立ち寄り、日本の首相・池田勇人と会談しています。

 ところで、韓国の最高指導者となった朴は日本の陸軍士官学校を卒業していますが、このことは、日本側には好感を持って迎えられた反面、韓国国内では“(ネガティヴな意味での)親日派”としてとらえられ、そのことは日韓会談そのものへの反対論の一要因ともなっていました。

 そこで、悪しき“親日派”とのイメージを払拭し、民族主義者としてのイメージを強調することが求められた朴政権は、国内世論への配慮から、1962年8月14日というタイミングで、今回ご紹介している“海戦大勝370年”の記念切手を発行します。

 切手の題材とされた“海戦”とは、1592年の“壬辰の倭乱”(日本でいう“文禄の役”です)に際して、李舜臣ひきいる朝鮮水軍が亀甲船を用いて日本水軍に壊滅的な打撃を与えた戦いのことです。この事件じたいは韓国国民にとってきわめて重要な歴史的意義を持つものですが、370年という半端な年回りで、あえて記念切手が発行されたことについては、やはり、“日本に対する勝利”を強調することで、国民の“親日派”批判に答えようとしたという意図が政府にあったとみることができます。ちなみに、歴史的な事実関係でいえば、朝鮮水軍が大勝利を収めたのは、1592年7月でしたが、切手の発行日は8月14日で設定されており、翌15日の光復節(解放記念日)が意識されているのは間違いないでしょう。

 もっとも、日本との国交正常化を進めようという中での李舜臣の扱いというのは微妙なものがあったようで、今回の切手でも、韓国側の勝利を大々的に宣伝する一方で、悪役としての日本についてはほとんど触れていません。これは、たとえば、1982年の「歴史絵画シリーズ」で、やはり、李舜臣の海戦を取り上げた切手が発行された際に、撃退される日本の水軍が描かれているのとは対照的で、韓国なりの日本に対する“配慮”があったということなのかもしれません。

 いずれにせよ、歴代の韓国政府は、国内問題でトラブルが発生すると、“反日“を持ち出してきて求心力を高めようという悪癖があるのですが、その場合の“反日”の度合いが本音のところではどの程度のものであるのか、我々からはなかなか見えにくいのが厄介なところです。

 トーク・イベントのご案内
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 モカの木
 日本のモカ・コーヒーの98%以上を占めるエチオピア産のコーヒー豆からから基準値以上の残留農薬が検出され、輸入が事実上ストップしているそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 モカ・カバー

 これは、1958年にイエメンの首都サナアから当時は英領だったアデン宛のカバーで、モカ・コーヒーの木を描く6ブガシュ切手が貼られています。この切手は、1947年に製造されたものの、、1958年6月までは正規に発売されなかったといわれていますが、その理由などは調べきれませんでした。なお、今回は切手の向きを優先して、カバーとしては上下逆の画像になっていますが、ご了承ください。

 “モカ”(アラビア語の発音では“ムハ“に近い)というのは、もともとは紅海に面したサナアの外港の地名です。いわゆるモカ・コーヒーの木はエチオピアが原産ですが、アラビア商人たちがそれを世界に広めたため、いつしか、その積出港であったモカの名がコーヒーの名前となりました。現在では、モカの港はすっかり寂れてしまいましたが、かつてこの港からイエメン産・エチオピア産のコーヒー豆が輸出されていたことから、現在でも、両国産のコーヒー豆は“モカ”と総称されています。

 イエメン産とエチオピア産を特に区別する必要がある時は、イエメン産のものを“モカ・マタリ”と呼ぶことがあります。 かつて、“コーヒー・ルンバ”に歌われたのは、このモカ・マタリで、エチオピア産に比べると値段も高めです。したがって、単に“モカ”とだけある場合には、エチオピア産とみてよさそうです。

 ところで、今回の農薬問題に関しては、すでに業界トップのUCC上島珈琲がモカを使った業務用商品の販売を停止し、ブレンドコーヒーの一部もモカ以外の豆で代替し始めたほか、喫茶店チェーンの珈琲館でも先週17日からモカのネット販売を休止するなど、 そろそろ、影響が出始めています。

 もちろん、業界側もこの問題を放置していたわけではなく、今年6月には全日本コーヒー協会が現地に調査団を派遣し、麻袋から残留農薬を検出するなどしましたが、結局、原因は特定できなかったようです。これに対して、エチオピア側は「日本は細かすぎる。他の国は何も言ってこない」などと主張しており、現時点では輸入再開のめどが立っていません。

 このまま行くと、モカ・マタリとフツーのモカの値段が逆転するようなことになるのかもしれませんが、味の実力という点では、やはりモカ・マタリの方が上ですからねぇ。妙な下剋上にならないといいのですが…。

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 世界のダム:昭陽ダム
 ご報告が遅くなりましたが、(財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の7月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、『韓国現代史:切手でたどる60年』の刊行にあわせて、今回はこの1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 昭陽江ダム

 これは、1973年10月15日に発行された昭陽江ダムの切手です。

 ソウルの東、約80kmの地点にある江原道の道庁所在地、春川というと、日本ではドラマ「冬のソナタ」の舞台として紹介されることが多いのですが、韓国では、郊外の昭陽江ダム(あるいはそのダム湖である昭陽湖)とダッカルビ(鉄板鳥焼肉)を連想する人のほうが圧倒的に多いようです。このため、日本での“冬ソナ”ブームを知らなかった地元の人たちが、なぜ、日本人観光客が突如として押し寄せるようになったのか、理由がわからず、当初は戸惑いを隠せなかったとか。もっとも、現在では、彼らもしっかりと“冬ソナ”ブームに便乗しているのですが…。

 さて、春川のランドマークともいうべき昭陽江が完成したのは、1973年10月のことでした。

 昭陽江ダムは、漢江水系の支流にあたる昭陽江に建設された韓国最大の多目的ダムで、春川駅からバスで30分ほどのところにあります。その規模は、堤高123メートル、堤頂長530メートル、総貯水量は29億トン。完成すれば日本最大規模となる予定の徳山ダムが総貯水量6億6000万トンであることを考えると、かなり巨大なものです。

 昭陽江ダムの建設事業は、1967年に着工となりましたが、その建設資金の一部は、日韓国交正常化の一環として1970年6月22日に東京で署名された「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(日韓請求権・経済協力協定)に基づき、日本から78億円の借款を得てまかなわれています。

 今回ご紹介の切手は、ダムの完成に合わせて発行されたもので、左側には、ダムの風景と送電線が描かれています。これは、発電施設としての昭陽江ダムに対する韓国政府の期待が表現されたものと考えてよいでしょう。一方、右側には、ソウルとダムの位置を示す地図が描かれています。

 昭陽江ダムは軍事境界線から50キロ程度しか離れていない(実際、朝鮮戦争の際には、春川の市街地は戦闘により壊滅的な被害を受けている)場所にあるため、韓国当局もダムのセキュリティには神経質になっており、建前としては、許可なくダムの写真を撮影することは禁じられています。もっとも、実際には、紅葉の時期などには写真撮影をして帰る観光客も多く、当局もそれを黙認しているようですが…。

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 10日遅れの朝顔市
 毎年、7月6〜8日に開催される東京・入谷の朝顔市ですが、今年は、サミット開催のため今日(18日)から3日間の開催だそうです。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 あさがお

 これは、1961年8月1日に“花切手”の第8集として発行された“あさがお”の切手です。

 四季折々の花を切手に登場させようという花切手の企画が最初に持ち上がったのは、1955年のことで、郵政省の事務方と郵政審議会・切手図案審査専門委員の一人で植物学者(東京大学名誉教授)の小倉謙は、昭和31年度に花切手を発行すべく、審議会に提案しています。しかし、このときは、時期尚早との理由からこの企画は採択されませんでした。

 いったんお蔵入りしていた花切手の企画ですが、1961年が郵便創業九十年にあたっており、その記念行事の一環として発行されることが決まり、1960年10月以降、シリーズ発行に向けての具体的なプランが決定されます。その結果、1961年1月の“すいせん”を皮切りに、毎月1種ずつ、季節の花を題材として発行する花切手のシリーズがスタートしました。

 8月の花に選ばれた“あさがお”の原画は、印刷局の中島桂が以前に描いていたものをシリーズの企画に合わせて描きなおしたもの(1961年2月6日に完成)と、郵政省の大塚均が制作したもの(2月16日に完成)を比較・検討したうえで、中島の作品を修正のうえ採用することとされました。これは、大塚の作品が、半開きの花と全開きの花が並んでいるという、現実には起こりえない状態であったためです。

 ちなみに、朝顔といえば、東京・入谷の朝顔市が有名であることから、下谷入谷局が初日押印を担当することとなり、同局では、8月1日の切手発行に先立ち、朝顔市初日の7月6日から、鬼子母神と朝顔を描いた風景印が使用されています。

 なお、この切手を含む“花切手”については、拙著『切手バブルの時代』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ご一読いただけると幸いです。(アマゾンでは古書として高値が付いていますが、発売元にはまだ在庫がありますので、定価でお求めになれます)

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 韓国の制憲節
 きょう(7月17日)は、韓国では、いまから60年前の1948年に最初の大韓民国憲法が公布されたことにちなみ、“制憲節(憲法記念日)”になっています。というわけで、今日はこの1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 憲法公布

 これは、1948年8月1日、アメリカ軍政下の南朝鮮(大韓民国の発足は2週間後の8月15日です)で発行された「憲法公布」の記念切手の1枚で、中央政庁(旧総督府庁舎)を背景に家族が描かれています。

 大韓民国の正式発足を控えて、1948年7月17日、政府組織法とともに公布された大韓民国憲法は、制憲憲法ないしは第1共和国憲法とよばれており、前文と103条の条文から構成されています。ちなみに、アメリカ軍政終了後の国号を“大韓民国”とすることは、1週間前の7月10日に国会で正式に決めらました。

 当初、憲法の草案では、大韓民国の政体は国務総理を置く議院内閣制とされていましたが、制憲国会議長の李承晩が米国式の大統領制を強硬に主張し、調整は難航。このため、8月15日に予定されていた新国家発足に間に合わせるべく、大統領の下に国務総理を置き、大統領は国会議員の間接選挙で選ぶとする妥協案が出され、ようやく決着しました。

 ところで、今回ご紹介の切手の印面には、憲法公布当日の7月17日の日付が入っていますが、実際の発行日は8月1日までずれ込んでいます。こうした事例は、当時の南朝鮮切手では珍しいことではなく、初代大統領就任の記念切手も8月5日の発行であるにもかかわらず、切手上には7月24日との日付が入っています

 なお、この切手では、日付表示の年号が西暦ではなく、“檀紀(伝説上の朝鮮の始祖・檀君に由来する暦年。西暦に2333年をプラスする)4281年”となっています。制憲憲法の前文は、「悠久の歴史及び伝統に光輝く我が大韓国民は〜」との文言で始まり、「檀紀4281年7月12日この憲法を制定する」との一節で終わっていますので、切手もこれと平仄を合わせた形になっています。これは、アメリカ軍政の終了と新国家のスタートに合わせて西暦を廃し、自国の伝統とナショナリズムをより前面に押し出すことが必要と判断された結果といえましょう。

 なお、1945年の“解放”後、1948年に大韓民国が正式に発足するまでの、アメリカ軍政下の南朝鮮に関しては、いろいろと面白いマテリアルがあるのですが、その一部については新刊の拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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 魚屋さんの切手
 燃料費の高騰で、漁に出るほど赤字になり、このままでは3割の漁師が廃業しかねないとして、昨日(15日)、20万隻の漁船が漁業の窮状を訴えるために全国一斉に休漁しました。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 日本橋

 これは、1962年の国際文通週間に発行された切手で、広重の「日本橋」が取り上げられています。1958年の「京師」に始まる「東海道五十三次」の文通週間切手では、それまで、逓信博物館の所蔵品として原画に用いられていましたが、今回の「日本橋」に関しては、国立博物館の所蔵品が用いられています。これは、逓信博物館所蔵の版画は初版ではない上に、刷りも不鮮明だったためです。

 さて、江戸時代、日本橋の南側には高札場や晒場があり、また北側には下流の江戸橋との間に魚市場が並び、日本橋魚河岸といわれていました。切手の元になった浮世絵に天秤棒を担ぐ魚屋さんの姿が見えるのも、このためです。

 この市場は、家康の招きで摂津佃島の名主森孫右衛門が佃村・大和村の漁師33名とともに現在の佃島を開拓した際、漁師たちが、漁を営む権利を与えられた謝礼に幕府へ魚を上納し、その残りを一般に売っていたことから始まり、江戸・東京の魚河岸として定着しました。ちなみに、現在の築地の魚市場は、1923年の関東大震災の後、復興計画の一環として日本橋の市場が移転してできたものです。

 昨日の一斉休漁のニュースをテレビで見て初めて知ったのですが、水産物の値段はセリによって決められ、魚をとってきた漁業関係者は基本的に値段を決めることができないのだとか。これに対して、仲卸は小売価格が上昇し、消費者の魚離れが進むことを恐れて、どうしてもセリの値段を抑え目にしますから、燃料高騰のしわ寄せは漁業関係者がかぶることになるという構図になっているようです。

 幕府なり大名家なりへ納めた残りを一般向けに販売していた時代であれば、こうした流通システムでも、十分、漁業関係者はやっていけたんでしょうが、幕府や大名家はとっくに存在しませんからねぇ。漁業関係者の廃業が相次いで日本の漁業が衰退してしまえば、結局、困るのは僕たち消費者なのですから、そろそろ、彼らの生活が成り立つように、水産物の流通システムの変更をまじめに検討しなければならないように思います。

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 地中海連合発足
 地中海沿岸と欧州の43カ国の代表が参加する首脳会議がパリで開かれ、沿岸国を中心に構成する新たな枠組み「地中海連合」が創設されました。というわけで、なにか“地中海”ネタはないかと思って探してみたら、こんな切手が出てきました。(画像はクリックで拡大されます)

 レバノン・ユスティニアヌス法典

 これは、1967年にレバノンが発行した切手で、首都のベイルートがローマ法学の拠点だったことが表現されています。中央の人物は、ローマ法の集大成『ローマ法大全』の編纂を命じたユスティニアヌス帝で、背後には、ローマ法の影響下にあった地中海世界の地図が描かれています。

 ベイルートのルーツは、古代地中海の交易で栄えたフェニキア人の都市、ベリトスです。この都市は、ローマ時代には東地中海における交易の中心地であると同時に、文化的にも重要な都市となりました。現在のようベイルートと呼ばれるようになったのは、西暦7世紀、イスラム世界に編入されてからのことです。(ただし、アラビア語の発音はバイルートとなりますが…)

 今回の地中海連合の発足にあたっての目玉の一つは、シリアがレバノンとの国交樹立に合意したことにあります。

 さて、第一次大戦以前、東地中海のアラブ地域は“シリア”(歴史的シリア)と呼ばれていました。もちろん、現在はレバノンの首都になっているベイルートも、以前は“シリア”の領域に含まれていました

 ところが、大戦の結果、この地を支配していたオスマン帝国が崩壊すると、歴史的シリアは英仏によって分割されます。このうち、フランスの支配下では、キリスト教徒が人口の過半数を占めるように“大レバノン”が分割され、フランス委任統治領としてのシリアの領域は大きく制限されてしまうことになります。こうした、シリアとレバノンの分割は、1940年代に両国が相次いで独立した後も維持されました。それゆえ、シリア側はレバノンは歴史的にシリアの一部であり、レバノンを“外国”として認めないという姿勢をとってきたわけですが、今回の地中海連合発足にあたって、そうした従来の政策を大きく転換することになったというわけです。

 なお、シリアは、今回、トルコを介してイスラエルとも接触するなど、独立以来の大きな転換点にあり、しばらくは目が離せない状況が続きそうです。

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プロフィール

 内藤陽介 (ないとう・ようすけ)

Author: 内藤陽介 (ないとう・ようすけ)
 1967年、東京都生。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。切手の博物館・副館長。切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続けている。
 主著:<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵趣出版、現在、第6巻まで刊行)、『北朝鮮事典』、(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『反米の世界史』(講談社現代新書)、『皇室切手』(平凡社)、『これが戦争だ!』(ちくま新書)、『満洲切手』(角川選書)、『香港歴史漫郵記』(大修館書店)、『タイ三都周郵記』(彩流社)ほか著書多数。最新作は『韓国現代史:切手でたどる60年』(福村出版)

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