内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ユダヤ新年
2017-09-21 Thu 07:09
 きのう(20日)の日没をもって、ユダヤ暦5778年の“ローシュ・ハッシャーナー”(新年。直訳すると“年の頭”の意)となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      イスラエル・年賀(2001・軍人)

 これは、2001年9月3日に発行された“年賀切手”の1枚です。2001年のイスラエルの年賀切手は、ハイム・シュタイヤーの年賀絵葉書コレクションから題材を選んで6種セットで発行されました。今回ご紹介の切手の元になった年賀絵葉書は、鳩とオリーヴに兵士を組み合わせることで“平和と安全”を表現しているとのことですが、タブに“Happy New Year”となければ、年賀切手とはわかりづらいかもしれません。

 古代ユダヤには、春から1年が始まる宗教暦と秋から1年が始まる政治暦が併存していました。政治暦は旧約聖書・レビ記23章24節に「第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい」とあるのを根拠として、宗教暦の7月1日から始まります。ただし、ユダヤ暦は太陰暦ですので、毎年、新年の日付は異なります。また、ユダヤ暦の紀元は、ユダヤ教において神が世界を創世した日を西暦に換算したとして、紀元前3761年10月7日とされています。

 さて、第一次大戦以前から、パレスチナに移住したユダヤ系移民は自分たちの定住地で自警団を組織していました。英国によるパレスチナ統治が始まると、ユダヤ系移民の急増に反発するアラブの暴動が発生したため、1920年6月、各地の自警団を統括する民兵組織として“ハガナー”が結成され、英軍による指導・訓練を受けました。また、第二次世界大戦中の1944年5月には、ナチスに対抗するために、英陸軍内にユダヤ旅団が編成され、5000人以上のユダヤ人志願兵が軍事訓練を受け、イタリア戦線に投入されました。

 1948年5月14日、英国によるパレスチナの委任統治が終了し、イスラエルが独立宣言を行うと、これを認めない周辺アラブ諸国がイスラエルに対して宣戦を布告し、第一次中東戦争が勃発します。しかし、この時点では、新生イスラエル国家には正規の国軍は存在しなかったため、5月26日付で臨時政府政令4号が発せられ、国防大臣の下にユダヤ人各武装勢力が集結・統合されることになりました。その結果、最大武装勢力であったハガナー(パルマッハ含む)を基盤に指揮系統等が再編され、5月31日以降、イスラエル国防軍として本格的に活動を開始します。

 第一次中東戦争後は、地下組織だったエツェルおよびレヒも国防軍に参加。以後、イスラエル国防軍はアラブ諸国との戦争をとおして近代化と効率化を進め、世界で最も練度の高い軍隊の一つに成長しました。

 なお、イスラエル建国後のイスラエル国防軍が周辺アラブ諸国・組織とどのように戦ってきたかについては、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

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 メキシコでM7.1地震
2017-09-20 Wed 12:07
 メキシコで、現地時間19日午後1時14分(日本時間20日午前3時14分)ごろ、首都メキシコシティに隣接するプエブラ州チアウトラデタピアの西7キロ(同州ラボソの東北東5キロ)・深さ51キロの地点を震源とするマグニテュード7.1の地震が発生。この記事を書いている時点で、149人が亡くなったと報じられています。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・1909年地震25周年カバー

 これは、1909年7月30日のゲレーロ地震から25周年に際して民間で作られたメモリアル封筒の使用例で、1934年8月3日、メキシコシティから米ジョージ州サヴァンナ宛に送られています。1909年のゲレーロ地震はマグニテュード7.6。死者は2人と少なかったのですが、リゾート地として知られるアカプルコでも建物などに大きな被害が生じました。

 さて、メキシコは世界でも有数の地震国で、つい2週間ほど前の今月7日にはチアパスでマグニテュード8.1の巨大地震が発生し、90人以上が亡くなったばかりでした。(ただし、メキシコ地震当局は今回の地震について、7日に発生した地震とは無関係としています)

 また、2000年以降に限っても、2003年のコリマ(M7.5)、2010年4月4日のバハ・カリフォルニア(M7.2)、2012年3月20日のゲレーロ(M7.4)、2014年4月18日のゲレーロ(M7.2)と、マグニテュード7以上の大地震が頻繁に起きています。

 今回、地震が発生した9月19日(現地時間)は、くしくも、1985年にいわゆるメキシコ地震(メキシコ政府の公式発表で死者約1万人、倒壊した建物約3万棟)が起きた日にあたっており、各地で避難訓練などが行われていました。ところが、地震の発生は訓練の終了から2時間後のことだったため、地震警報を訓練の一部だと誤解した人もいたそうです。

 現在、メキシコシティでは約200万人が停電状態にあり、電話回線も不通。複数個所で高速道路や橋が崩壊しているほか、主要ガス管が破損し、大規模な火災や爆発が発生する危険性も指摘されています。

 あらためて、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災者の方には心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の復旧・復興が一日も早く進むことをお祈りしております。


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 カープが連覇
2017-09-19 Tue 00:03
 プロ野球のセントラル・リーグは、広島東洋カープが昨年に続き、2年連続で優勝しました。というわけで、カープにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      砥部焼・鯉(みほん)

 これは、1986年3月13日、第1次伝統的工芸品シリーズ第7集として発行された“砥部焼”の切手のうち、「染付鯉文徳利」の切手です。カープの優勝にちなんで鯉の切手をご紹介するのに赤色が使われていないのも愛想がないので、通常の未使用単片ではなく、赤字の“みほん”加刷を持ってきました。

 砥部焼は愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器で、やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴です。また、讃岐うどんの器としてしばしば用いられることでも知られています。

 砥部地域では、古来、外山村より砥石を採取し瀬戸内海辺へ出荷することが行われており、ここから産する砥石は伊予砥として奈良へ送られ、正倉院の鏡を磨くことにも用いられていました。

 ところが、江戸時代の1762年、外山村から砥石を採る際の屑の処理に無償で動員されていた村人が、労役負担の免除を求めて大洲藩に願い出た“砥屑捨夫事件”が発生。このため、砥石屑の処分費用を、大阪の砥石問屋・和泉屋治兵衛が負担することになり、砥石屑の再利用法が模索されるようになりました。そして、1775年、9代藩主の加藤泰候から砥石屑を使った磁器の制作を命じられた杉野丈助が、五本松に登り窯を据え、苦労の末に1777年、白地に藍色の焼き物作りに成功します。これが、砥部焼のルーツです。

 その後、1848年、トンバリと呼ばれるレンガ造の窯が導入されて生産性が向上し、明治維新後の1872年からは、松前(現・伊予郡松前町)の唐津船で、販路が全国に拡大されたほか、輸出商品として、郡中港(現在の伊予港)から出荷された時期もありました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、幕末の上原窯で焼かれた「染付鯉文徳利」で、当時の有力者がわが子の健康を祈って注文したものと考えられています。底の広い船手のかたちで、肩・腰のふくらみも大きくゆったりとした安定感を感じさせる名品で、切手発行時は仲田美惠子の所蔵品で、砥部町の文化財として同町の伝統産業文化会館に展示されています。

 ちなみに、この切手を含む伝統的工芸品シリーズの切手については、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
      

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 敬老の日
2017-09-18 Mon 08:42
 きょう(18日)は“敬老の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレスチナ警察の日

 これは、2014年1月、パレスチナ自治政府(西岸のファタハ政府)が発行した“2013年 パレスチナ警察の日”の切手シートで、切手部分には、老女をサポートする警察官が取り上げられています。切手は、当初、2013年7月に発行の予定ですが、実際の発行は2014年1月までずれ込んでいます。なお、切手の製造はバハレーンのオリエンタル・セキュリティ・プリンティング・ソリューションが行いました。

 パレスチナ自治政府の警察機構は、1995年9月の暫定自治拡大合意に基づき、3万人を越えない範囲(西岸1万2000人、ガザ1万8000人)で“パレスチナ警察”が設置されたのが最初です。パレスチナ警察は、イスラエル当局と協力しつつ、テロに対処し、これを予防することになっていましたが、2000年9月に始まった第二次インティファーダを機に、イスラエル側との衝突により、特に西岸地区の警察関係機関は大きな打撃を受けました。

 2005年にパレスチナ自治政府の大統領に就任したマフムード・アッバースは就任後、治安組織の改革・強化として、同年4月、すべての治安機関を内務庁、国家治安部隊、総合諜報局の3機関に統合する決定を下すとともに、治安機関幹部の定年退職を実施し、人事の刷新を行いました。その後も、アッバース政権は米国の支援を受けつつ、治安組織の強化に取り組んでいます。

 切手シートの余白には、岩のドームを背景にパレスチナ国旗を掲げて行進する警察官が取り上げられていますが、現実には、岩のドームのある東エルサレムはイスラエルの統治下にあり、ファタハ政府の警察官がこうした場所を行進することはありません。しかし、ファタハ政府としては、今回ご紹介の切手シートを発行することにより、“エルサレムを首都とするパレスチナ国家”の治安は国際的に認められた正統政府としての自分たちが責任を持って守るという意思を示そうとしたものと考えられます。

 さて、先日でき上がってきたばかりの拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』では、2005年のアッバース政権発足後、パレスチナ自治政府が発行した切手についてもいろいろご紹介しております。奥付上の刊行は9月22日で、すでにネット書店での予約販売も始まっておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。

 *昨日、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様、スタッフならびに関係者の皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

      
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 岐阜450年
2017-09-17 Sun 05:37
 永禄10年8月15日(1567年9月10日) に織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り、“井口(いのくち)”と呼ばれていた周辺一帯を岐阜と改称してから、きょうで450年です。というわけで、手持ちのマテリアルの中から、“岐阜”関連で一番派手なモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      岐阜監獄・ボタ印カバー

 これは、1886年11月24日、岐阜監獄に収監されていた囚人が差し出した郵便物の封筒で、岐阜を示す“キ”のボタ印(1885年1月から1888年8月末まで使用されました)が押されています。

 さて、岐阜という地名の由来には諸説ありますが、中国で縁起の良い地名、岐山、岐陽、岐阜の中から、“岐山(周の文王がここから起ったとされる山)”の“岐”と、“曲阜(魯国の首府にして儒学発祥の地)”の“阜”を併せ持つ“岐阜”を、政秀寺の僧、沢彦宗恩が選び、太平と学問の地であれとの意味を込めて命名した説明されることが多いようです。

 関ヶ原の戦いの後、徳川幕府は美濃国に有力な大名が出現しないよう、10万石未満の多数の藩と天領に分割したうえで、現在の岐阜県南部にほぼ相当する地域を天領とし、美濃郡代の陣屋(代官の住居と役所がおかれた建物)として笠松陣屋を設置しました。

 維新後の1868年1月、朝廷の命を受けた東山道鎮撫使の竹沢寛三郎は笠松陣屋を天朝御用所に改め、その後、笠松裁判所を経て笠松県に組織変更されます。これに伴い、美濃郡代時代の郡代牢獄を転用した囚獄(旧幕時代の牢屋敷を継承した未決拘禁施設)と徒刑場(既決拘禁施設)が設置されます。

 1871年、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い、笠松県を含む美濃国内の9県は岐阜県に統合されますが、笠松地域の囚獄と徒刑場はそのまま維持され、1886年の官制改革により、“岐阜監獄”と改称されました。今回ご紹介のカバーは、同年の差し出しですから、“岐阜監獄”の封筒としては初期の使用例ということになります。

 岐阜監獄は1922年の官制改革で現在の名称である岐阜刑務所に改称され、1925年に長良西に移転、さらに、1984年に岐阜市則松に移転し、現在に至っています。現在の岐阜刑務所は、短期収容の初犯者および再犯者・若年初犯者・長期収容の再犯者と幅広い分類の受刑者が集まる男子刑務所として利用されています。

 さて、今日は午後から、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」にスピーカーとして登壇するため、このあと東京駅に向かいます。今回のイベントでは、憲政史家で『大間違いの織田信長』が話題の倉山満さんとご一緒するのですが、それが岐阜450年の日に重なるというのも何かの因縁かもしれません。会場では、実物が出来上がったばかりの拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の初売りも行いますので、お近くの方は、ぜひ、ご参加いただけると幸いです。 


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★★ 

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 ホークスが2年ぶりの優勝
2017-09-16 Sat 21:28
 プロ野球のパシフィック・リーグはソフトバンク・ホークスが2年ぶり18度目の優勝を果たしました。9月16日の優勝決定は2015年の9月17日より早いリーグ最速記録だそうです。というわけで、きょうは鷹を描いた切手の中からこの1枚です。

      ガザ・ジャアバリー追悼

 これは、2013年6月5日、ガザ地区を実行支配するハマース政府が発行したアフマド・ジャアバリーの追悼切手シートで、ジャーバリーの肖像と並んで、岩のドームを中心としたパレスチナの地図とアラブの象徴としての鷹、上空を飛ぶロケット弾と撃墜されるイスラエル軍の軍用ヘリがコラージュされています。

 アフマド・ジャアバリーは、1960年、ガザ生まれで、ガザのイスラム大学を卒業しました。当初はファタハの活動家として、世俗的な反イスラエル闘争に参加していましたが、1982年に逮捕され、獄中で13年間を過ごす間にイスラム原理主義に感化され、ファタハを離脱してハマースに参加します。

 1995年の釈放後は、ガザで反イスラエルの武装テロ活動に従事して頭角を現し、第二次インティファーダ発生後の2002年、ハマースの軍事組織、イッズッディーン・カッサーム旅団の事実上の司令官として戦闘を指揮。2006年にはイスラエル兵ギラド・シャリートの誘拐と他の兵士2名の殺害に関して主導的な役割を果たしたほか、2007年のハマースによるガザ制圧に際しても軍功を挙げました。

 以後、ハマースの軍事部門トップとして、ファタハ政府(パレスチナ自治政府として国際的な承認を得て西岸地区を統治)とイスラエルの和平交渉の進展を徹底的に妨害すべく、ロケット弾によるイスラエル領内への攻撃を指揮しました。当然のことながら、イスラエル側からすれば、ジャアバリーは、当時のもっとも凶悪・危険なテロリストとみなされていました。

 ところで、2011年9月23日、ファタハ政府は“パレスチナ”として国連への加盟申請を行い、同年10月31日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)がパレスチナを加盟“国”として承認しましたが、これを受けて、国連の場では、パレスチナ自治政府を従来の“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする(=パレスチナを国連の“加盟国”としては認めないものの、正規の独立国であることを国連として事実上承認するという妥協策です)総会決議を2012年に採択する方向で調整が進められていました。これに対して、ハマース政府はガザを拠点にあくまでもイスラエル国家の存在そのものを否定し続けていたため、国連総会での決議採択を前に、イスラエルのネタニヤフ政権はハマースのテロ活動に打撃を与えるべく、2012年11月14日、ガザ地区に空爆を行い、車で移動中のハマースの軍事部門のトップ、アフマド・ジャアバリーを殺害しました。

 さらにジャアバリーの殺害に成功したイスラエル当局は、殺害の模様を撮影した動画を直ちにユーテューブに投稿。トゥイッターでもハマースがテロリストであることを強調したうえで、「ハマースの工作員は階級にかかわらず、今後数日間は地上に顔を出さないよう勧める」と発信します。

 イスラエルによるジャアバリー殺害に対しては、アラブ諸国がこれを批難し、エジプトはイスラエル大使を召還。当事者のハマースはイスラエルの“宣戦布告”に対して、同じくトゥイッターで「我々の神聖な手は、お前たちのリーダーや兵士がどこにいようと届く」と応酬しています。はたして、以後7日間、ハマースによるイスラエル領内への砲撃は激しさを増し、160人を超える死者が発生しました。

 こうした経緯を経て、ガザのハマース政府は、翌2013年6月5日、今回ご紹介の切手シートを発行しました。シートのデザインは、ジャアバリーの主導したロケット弾による対イスラエル攻撃を讃えるとともに、パレスチナ全土は“パレスチナ国家(ここではハマース政府のこと)”のものであり、その防衛のためには今後とも容赦なくイスラエルに対してロケット弾を撃ち込んで行く意思があることが示されています。

 ちなみに、ジャアバリー殺害から約半月後の2012年11月29日に開催された国連総会で、パレスチナ(ファタハ政府)を“オブザーヴァー組織”から“オブザーヴァー国家”に格上げする決議67/19が、賛成138、反対9、棄権41、欠席5の圧倒的多数で承認されました。反対票を投じた9ヵ国はカナダ、チェコ、ミクロネシア、イスラエル、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、パナマ、米国で、わが国は賛成票を投じています。

 なお、ガザ地区を実効支配下に置くハマース政府とそのプロパガンダ切手については、新刊の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもいろいろと分析しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

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 パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学
2017-09-15 Fri 11:02
 かねてご案内のとおり、えにし書房から発売予定(奥付上の刊行日は9月30日)の拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の現物ができあがりましたので、ご挨拶申し上げます。(画像は表紙カバーのイメージ。クリックで拡大されます)

      パレスチナ現代史・表紙

 ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、2012年12月から2017年8月まで『本のメルマガ』に連載していた「岩のドームの郵便学」をベースに、大幅に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』を9月22日付で刊行することになりました。

 連載時のタイトルならびに本書の副題に取り上げた“岩のドーム”は、世界遺産にも登録されているエルサレム旧市街の歴史的建造物で、イスラムでは、メッカのカアバ、メディナの預言者のモスクに次ぐ第3の聖地とされています。したがって、パレスチナをめぐるアラブとユダヤの対立の中で、アラブ・イスラム諸国は、アラブないしはムスリムの土地としてのパレスチナの象徴として、岩のドームを取り上げた切手を数多く発行してきました。

 本書では、そうした岩のドームの切手を歴史的に分析していくことで、シオニズムやアラブ民族主義、東西冷戦、イスラム復興運動などの思想やイデオロギーが複雑に絡みあうなかで、パレスチナ問題をめぐる各国の認識と思惑の変遷を明らかにしています。特に、どの国が、いつ、どのような岩のドームの切手を発行してきたかということを仔細に検証してみると、反イスラエル陣営が決して一枚岩ではなく、彼らの間には微妙な齟齬が存在し続けてきたという現実も浮かび上がってくるのです。

 たとえば、本書では以下のようなエピソードもご紹介しております。

 ・岩のドームを描く最初の切手はオスマン帝国の崩壊直前に発行された
 ・第三次中東戦争直後、イスラエルが発行した岩のドームの切手を貼った郵便物は受け取りを拒絶されることもあった
 ・ホメイニ時代のイランフセイン時代のイラクカダフィ時代のリビアで発行された岩のドームの切手、それぞれの思惑と背景は
 ・2007年以降、ガザを実効支配するハマースが、西岸のファタハ政府とは別に岩のドームの切手をさかんに発行している
 
 つきましては、今後、書店の店頭などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したいという方は、ご連絡いただければ資料をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

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 インド高速鉄道きょう起工式
2017-09-14 Thu 10:19
 日本の新幹線方式を導入し、インドで初めてとなる高速鉄道の起工式が、きょう(14日)、同国西部アーメダバードで、安倍晋三首相とインドのモディ首相が出席して行われます。というわけで、インドの鉄道に関する切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      インド・鉄道150年

 これは、2002年4月16日にインドが発行した“鉄道150年”の記念切手(小型シート)で、鉄道開業時のようすが取り上げられています。口述のように、インド最初の鉄道が開通したのは1853年ですので、2002年の発行ということは、150周年ではなく、150年目という年回りになります。

 インドにおける本格的な鉄道建設計画は、1836年、マドラス(現チェンナイ)の技術者、キャプテン・コットンがボンベイ(現ムンバイ)=マドラス間に862キロの鉄道路線を敷設することを主張したのが最初とされています。

 次いで、1841年、マクドナルド・ステファンセンがカルカッタ(現コルカタ)から北西部への鉄道建設が提案され、1843年、具体的な区間として、カルカッタ=ミルザボール間の450キロが設定されました。この計画に基づき、1845年6月1日にロンドンで400万ポンドの資本金で東インド鉄道株式会社が設立されます。一方、ボンベイでは、1844年、ボンベイと内陸の綿花生産地を結ぶボンベイ・グレート・イースタン鉄道が計画されます。

 当初、インドにおける英国の統治機関である東インド会社は、巨額の経費が必要な鉄道の建設には消極的でしたが、1848年1月、英領インド総督に就任したジェイムズ・ラムゼイ (初代ダルハウジー侯爵)は、インドにおける鉄道建設の意義を認識し、1849年、東インド鉄道と大インド半島鉄道(ボンベイ・グレート・イースタン鉄道から改称)と建設契約を締結しました。

 これを受けて、鉄道建設の工事が始まり、1853年4月16日、ボンベイのボリ・ブンダー港からターネーまでの約34キロで、大インド半島鉄道によるインド最初の鉄道が開通しました。開業当初の機関車はスルターン、シンド、サヒーブの3両で、2都市間の所要時間は45分でした。

 当初、インドの鉄道は、旅客用というよりも、綿花・石炭・の輸送が主目的で、建設に際して英植民地当局は在地のインド人を酷使したため、民族運動などで破壊の対象にされたこともありました。

 独立後の1951年以降、インドの全鉄道は国有化され、現在はインド政府の鉄道省の監督下に置かれています。その総延長は6万3327キロ(・加・に次いで世界5位)、駅の数は6909にも及び、1日あたりの乗客は約1800万人、貨物は200万トンとなっています。


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 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 岩のドームの郵便学(54・最終回)
2017-09-13 Wed 11:27
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』655号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は、第二次インティファーダについて取り上げました。その記事の中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      オマーン・第2次インティファーダ

 これは、2001年7月31日、オマーンが発行した“第2次インティファーダ支援”の切手シートです。画像ではわかりづらいのですが、岩のドームと石を投げる少年、右下の“インティファーダ”のアラビア語の文字部分は、型押しで盛り上がった印刷になっています。

 2000年9月28日、イスラエル野党リクードの党首、アリエル・シャロンが、パレスチナ側の反対を押し切って、護衛の警官とともに、エルサレムの“神殿の丘”に上るパフォーマンスを行いました。

 シャロンはウクライナ系移民の子で、1928年、英委任統治下パレスチナのクファル・マラル村生まれ。1942年、14歳で準軍事組織のハガナーに入隊して軍事訓練を受け、1948年の第一次中東戦争ではハガナーの正規歩兵部隊、アレクサンドロニ旅団の歩兵中隊長として従軍し、負傷しました。1953年、ヨルダン川西岸およびガザを拠点とする反イスラエル武装組織“フェダイーン”を討伐するための第101特殊コマンドの指揮官に就任。同コマンドは1956年にイスラエル軍初の空挺部隊である第202空挺旅団へと改編され、大佐に昇進したシャロンは引き続きその指揮官となります。

 1967年の第三次中東戦争では機甲師団長としてシナイ半島侵攻作戦で軍功を挙げ、戦後、シナイ半島戦域を担当する南部方面軍の司令官に就任しました。

 その後、国会での承認が必要な参謀総長への承認がかなわなかったため、1972年6月、いったん退役しますが、1973年の第四次中東戦争ではイスラエル軍の苦境に接して現役復帰。第143予備役機甲師団の師団長として、スエズ運河を逆渡河する反撃作戦を成功させ、国民的な英雄となりました。

 1973年の国会議員選挙でリクードから出馬して初当選し、1975年にはラビン政権の農水相として初入閣。1977年にアロン入植地委員会委員長に任命されると、入植地建設を強力に推進し、1983年までに西岸地区の入植者数は文字通り倍増させました。

 1981年、ベギン政権の国防相に就任。翌1982年にシナイ半島のエジプトへの返還とそれに伴うヤミット入植地の解体を取り仕切るとともに、レバノン内戦に介入し、PLOをベイルートから撤退させることに成功した。しかし、レバノンでサブラー・シャティーラ事件が発生したため、ラファエル・エイタン参謀総長とともに引責辞任に追い込まれています。

 1990年には、シャミル政権下の住宅建設相に就任。(旧)ソ連からのユダヤ人移民を積極的に受け入れて、入植地をさらに拡大すると、その実績をもとに、リクード党首の座をを狙いましたが、1994年の党首選挙ではネタニヤフに敗北。ネタニヤフ政権下では国家基盤相、外相を歴任します。

 当時、ネタニヤフは米国の圧力を受け、和平プロセスを進展させており、水面下でシリア大統領ハーフィズ・アル=アサドとゴラン高原の返還交渉を行っていましたが、シャロンは外相としてこの交渉を潰しました。しかし、そうした閣内不一致は政権の基盤を弱体化させ、1999年にはエフード・バラック労働党政権が誕生することになりました。

 巻き返しを図るリクードはシャロンを党首に据え、バラック政権の軟弱姿勢を批判。その一環として、2000年9月28日、エルサレムの神殿の丘に登り、岩のドームの前で「エルサレムは全てイスラエルのものだ」と宣言。パレスチナ人を挑発。彼らの敵意を一身に集めることにより、和平推進派に対するイスラエル国民の支持を失わせ、強力なリーダーシップを持つ自分以外には危機を乗り切ることができないとして求心力を強めようとしたわけです。

 はたして、シャロンの神殿の丘訪問は、パレスチナ域内のみならず、イスラム世界全域から強く非難されました。しかも、事前にパレスチナ側の強い反対があったにもかかわらず、イスラエルのバラック政権はシャロンの行動を阻止しなかったため、翌9月29日、パレスチナのムスリム2万人が抗議行動を開始。その過程で、嘆きの壁で祈祷していたユダヤ教徒への投石を機に、パレスチナ全域で大規模な民衆蜂起が発生します。

 これが、第二次インティファーダです。

 第二次インティファーダが発生した2000年9月は米国大統領選挙の終盤戦にあたっており、現職副大統領のゴア候補の勝利を至上命題としていたクリントン政権には、パレスチナの和平プロセスに力を注ぐ余裕はありませんでした。さらに、11月の選挙でゴアを破って当選を果たした共和党のブッシュ・ジュニアは、当初、内政重視の姿勢を鮮明にしており、パレスチナにおける米国の関与は大幅に後退することは避けられませんでした。

 このため、2000年12月10日、バラックは起死回生の策として辞任を発表し、翌2001年2月、イスラエルの首相公選が行われることになります。

 バラックの目論見としては、“極右”のシャロンに対する国民の指示は一部に留まるだろうし、前首相のネタニヤフも選挙時に国会議員ではない(=首相公選への出馬資格がない)ことから、最終的には、和平交渉の継続を願う世論を背景に自分が再選されるという青写真が描かれていました。

 これに対して、シャロンは、選挙戦を通じてバラックの“弱腰”を徹底的に批判することで国民の支持を獲得し、20ポイントもの大差で選挙に圧勝。2001年3月7日、首相に就任します。

 シャロン政権の発足は、ハマースやイスラム聖戦などの過激派組織を強く刺激し、彼らはパレスチナ自治政府とアラファトの“弱腰”を批判して、3月27日から28日にかけて、エルサレムとネベヤミンで計3件のテロ事件を起こしました。これに対して、28日、シャロン政権はガザ地区とヨルダン川西岸のラマラに対して大規模な報復攻撃を行い、パレスチナでのアラブ・イスラエル紛争が再燃します。

 さらに、4月14日、レバノンを拠点とするシーア派原理主義組織のヒズブッラーがゴラン高原の農場を警備していたイスラエル兵に対してミサイルを発射し、イスラエル兵を殺害する事件が発生すると、その報復として、イスラエルはレバノン領内のヒズブッラーの拠点とシリア軍のレーダー基地を空爆。周辺アラブ諸国とイスラエルの関係は一挙に緊張しました。

 その後、5月から6月にかけて反イスラエルの自爆テロが頻発すると、6月2日、アラファトは「即時、無条件の効果的な停戦実現のために最大限の努力を行う」と声明。紛争の拡大を懸念した米国のブッシュ政権も、クリントン政権下で中東和平交渉に関与してきた経験を持つテネットCIA長官を現地に派遣し、シャロンならびにアラファトと対応を協議させます。

 これにより、ようやく、イスラエルとパレスチナ自治政府の対立は沈静化に向かったが、ハマースをはじめとするイスラム原理主義組織は、その後も独自に反イスラエルのテロ活動を継続。2001年だけで、100人を超えるイスラエル人が“自爆テロ”の犠牲となり、シャロン政権に対する不満と反感の根強さが浮き彫りになりました。

 こうした状況を踏まえ、2001年6月から9月にかけて、アラブ諸国の中には、第二次インティファーダを題材とする切手を発行し、その原因を作ったシャロンを批難し、反イスラエル闘争を支持する姿勢を示すケースもありました。今回ご紹介のオマーンの切手シートも、その一例です。

 さて、ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、2012年12月から『本のメルマガ』に連載していた「岩のドームの郵便学」をベースに、大幅に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』を9月22日付で刊行することになりました。ちなみに、連載は第二次インティファーダまでを扱ったところで終わりましたが、書籍の『パレスチナ現代史』では、その後も2016年までの現代史の流れをカバーしております。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物の見本が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 

 また、同書の刊行に伴い、『本のメルマガ』の連載は今回で終了となります。4年以上にわたり、連載にお付き合いいただきました皆様には、あらためて、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、『本のメルマガ』では、今月25日配信号から、題材をガラッと変えて新連載をスタートする予定ですので、引き続き、お付き合いいただけると幸いです。

 * きのう、アクセスカウンターが183万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
     
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 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

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 第1回日アラブ政治対話開催
2017-09-12 Tue 15:13
 日本時間のきょう未明(現地時間11日)、わが国の河野太郎外相とアラブ連盟(21ヶ国+パレスチナ)との“日アラブ政治対話”がカイロのアラブ連盟本部で行われ、中東和平の実現などの課題に日本政府としてより深く関与していくなどとした中東政策の基本姿勢を示したうえで、その具体的な取り組みとして“河野イニシアティブ”が発表されました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ガザ地区・アラブ連盟週間(1962)

 これは、1962年、エジプト支配下のパレスチナ・ガザ地区用として発行された“アラブ連盟週間”の切手で、連盟のエンブレムの下、今回の対話が行われた連盟本部ビルが描かれています。

 アラブ諸国の地域協力組織を創設しようという具体的な動きは、もともと、第二次大戦中の1941年5月、アラブ諸国(委任統治下の自治政府等を含む)が枢軸側に就くことを避けるため、英外相アンソニー・イーデンが提案したのが最初です。当時の欧州戦線はドイツ軍に有利な戦況であったことから、アラブ側は様子見の構えで静観していましたが、連合国有利の戦況がほぼ確定した1943年2月になって英国が再提案すると、アラブ側がこれに反応し、具体化に向けて動き出すことになりました。

 ただし、連盟に対するアラブ諸国の思惑はさまざまで、まさに同床異夢の状況にありました。

 すなわち、アラブ随一の大国として、連盟設立の主導権を握っていたエジプトは、連盟はあくまでも国家間の緩やかな協力機構にするとの意向を持っていましたが、第一次大戦後のアラブ分割の結果として発足したトランスヨルダンシリアイラクの三国は、(現在の国名でいう)シリアからパレスチナにいたる“大シリア”を統合したうえで、他のアラブ諸国との連合を目指そうと考えていました。このうち、ハーシム家の王朝であるトランスヨルダンイラクは、ハーシム家による君主制の下、統制の強い国家連合を想定していましたが、シリアは共和政体を主張していました。

 一方、キリスト教徒が人口の半数を占めるように設定されたレバノンは、アラブ諸国が統合されると、全体としてはマイノリティとなるキリスト教徒の権利が制約されることを恐れ、主権の移譲には絶対反対しており、サウジアラビアとイエメンは、そもそもアラブ連盟が実際に設立される可能性は低いと考えていました。

 結局、エジプトが中心となってともかくも各国の妥協をまとめ、加盟国に対するいかなる強制力も持たない緩やかな地域協力機構として、1945年3月22日のアレキサンドリア議定書調印によって、アラブ連盟が結成されます。

 こうした経緯から、アラブ連盟の本部はエジプトの首都カイロに置かれていました。しかし、1978年3月、キャンプ・デービッド合意でエジプトがイスラエルと単独で停戦し、両国が相互承認を行ったことから、エジプトは連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとして、1979年、エジプトは連盟を追放され、連盟の本部はテュニスに移転しました。その後、1990年にエジプトは連盟に復帰し、本部もカイロへ戻り、現在に至っています。

 さて、ことし(2017年)は、第1回シオニスト会議の開催(1897年)から120年、英国がパレスチナに“ユダヤ人の民族的郷土”を作ることを支持するとしたバルフォア宣言(1917年)から100年、イスラエル国家建国の根拠とされる国連のパレスチナ分割決議(1947年)から70年、中東現代史の原点ともいうべき第三次中東戦争(1967年)から50年という年回りになっています。

 これにあわせて、今年8月まで『本のメルマガ』に連載していた「岩のドームの郵便学」に加筆修正した書籍『パレスチナ現代史:岩のドームの郵便学』を9月22日付で刊行の予定です。すでにアマゾンなど一部のネット書店では予約販売も始まっておりますが、実物の見本が出来上がってきましたら、あらためて、このブログでもご報告いたしますので、よろしくお願いいたします。 


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