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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:ソロモン諸島
2019-07-17 Wed 01:09
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年6月19日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はソロモン諸島の特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ガダルカナルの戦い50年特印

 これは、1992年11月18日に発行された“ガダルカナルの戦い50周年”の記念切手のうち、米海兵隊のガダルカナル島(ガ島)上陸の場面を描いた切手に、発行初日の特印を押したもので、特印にはガ島の地図が描かれています。

 ガ島は、ソロモン諸島最大の島で、面積5336平方キロ。島の中央にはソロモン諸島最高峰のポポマナセウ山(2335m)がそびえ、海岸線にはサンゴ礁が広がっており、沿岸の一部を除くほぼ全土が熱帯雨林で覆われています。

 1568年、ソロモン諸島を発見した スペイン人探検家のアルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラは、部下に一人ずつ、島に名をつけさせましたが、その1人、ペドロ・デ・オルテガは、自分の生まれ故郷のアンダルシア州セビリア県ガダルカナルの名を上陸した島に付けました。これが、現在のガ島の名前の由来です。なお、スペイン語の“ガダルカナル”は“運河の川”を意味しています。

 1884年に成立したドイツ領ニューギニアには、ソロモン諸島北西部地域(ショートランド諸島、チョイスル島、イサベル島)も含まれていた。これに対して、オーストラリアやその他の太平洋地域の既得権益に対する危機感を抱いた英国は、1893年、ソロモン諸島中部および東部の島々や西部のニュージョージア島の保護領化を宣言します。これが、英領ソロモン諸島の起源で、1899年、ドイツ領だったソロモン諸島北西部が英国に割譲され、現在のソロモン諸島国家の全領域(地域概念としてのソロモン諸島からブーゲンビル島を除く地域)が英領となりました。

 当初、英領ソロモン諸島の中心は近隣のツラギ島にありましたが、第二次大戦中の1942年、ガ島北岸の空港をめぐる激戦に際してホニアラに連合国軍の拠点が置かれてから、ガ島のホニアラが政治・経済の中心となります。そして、1952年、正式に英領ソロモン諸島の首府になり、1978年の独立後もそのままソロモン諸島国家の首都となりました。なお、ホニアラの地名は、現地語で“風の前面”を意味する“Nagoniara”がイギリス人入植者によって転訛したものです。

 さて、『世界の切手コレクション』6月19日号の「世界の国々」では、ガ島の戦いを中心とした長文コラムのほか、台湾のソロモン諸島支援、パンパイプ、スジイルカ、ソロモン平和慰霊公苑の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のソロモン諸島の次は、6月26日発売の7月3日号でのキューバ、7月10日発売の同17日号でのオーストラリアの特集となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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 開催御礼
2019-07-16 Tue 01:17
      海外グリーティング(神奈川沖浪裏)

 おかげ様で、<全日本切手展2019>(以下、全日展)および併催の<ポーランド切手展>は昨日(15日)16:00、盛況のうちに無事終了いたしました。

  今回の展覧会は、山田祐司さんの田沢切手、山本勉さんのポーランド切手の両コレクションをはじめ、競争出品もハイレベルな内容で、ご参観者の皆様にもご満足いただけたのではないかと思います。

 これもひとえに、ご後援を賜りました駐日ポーランド共和国大使館 ポーランド広報文化センター、日本郵便株式会社、東京新聞、公益財団法人・日本郵趣協会、一般財団法人・切手文化博物館、日本郵便切手商協同組合、特定非営利活動法人・日本郵便文化振興機構、御協賛を賜りましたスタンペディアプロジェクト、貴重なコレクションを展示したいただきましたご出品者の皆様、ブースをご出店いただきましたディーラーの方々、そして、寄附金を拠出していただきました皆様ほか、大勢の方々のご支援・ご協力のおかげです。

 実行委員長として、この場を借りて厚くお礼申し上げます。(下の画像は、今回の全日展を報じた7月14日付『東京新聞』の記事で、ポーランド広報文化センターのログスカ副所長の御案内役として、僕も写真に写っています)

      東京新聞20190714

 ちなみに、冒頭の画像の切手は、昨年(2018年)11月1日、年賀はがき(62円)を海外に航空便で出す際に必要となる70円との差額8円の海外グリーティング切手のうち、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」をモチーフにした1枚で、耳紙に「ありがとう」の文字が入っています。皆様への感謝の気持ちを込めて、取り上げてみました。

 来年(2020年)の全日本切手展は、7月10-12日、今年と同じく、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の予定で、すでに準備を始めております。開催資金の調達をはじめ、クリアしなければならない課題は山積しており、今後とも、皆様方にはいろいろとご支援・ご協力をお願いすることになるかと思われますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 * 昨日(15日)、アクセスカウンターが207万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


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 海の日
2019-07-15 Mon 07:07
 きょうは“海の日”です。というわけで、現在開催中の全日本切手展2019(以下、全日展)の特別展示の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      皇太子(明仁)御帰朝・不採用1

 これは、1953年に行われた“皇太子殿下御外遊”の記念切手の図案公募の応募作品のうちの1点で、朝日を背景に大海原を疾走する船と、皇太子・明仁親王(現在の上皇陛下)の肖像が描かれています。

 今回の全日展では、平成から令和への御代がわりにちなんで、郵政博物館から“皇太子殿下御外遊”の記念切手の図案公募の応募作品19点を特別展示していただきましたが、もともと、海の日は、1876年7月20日、明治天皇がはじめて灯台巡視の汽船“明治丸”で東北巡幸から横浜港へと帰港したことにちなむ祝日ですので、今回は、そのイメージに近い1点を取り上げてみました。

 さて、明仁親王の立太子礼直前の1952年11月8日、宮内庁は、翌1953年6月2日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われるエリザベス女王の戴冠式に、昭和天皇の名代として明仁親王が出席することを発表しました。

 皇太子の外遊は、1921年、裕仁親王のヨーロッパ歴訪以来のことで、今回の明仁親王の外遊も、裕仁親王が外遊を通じて人間的に大きく成長したのと同様の“教育的効果”が期待されていたものと考えてよいでしょう。

 さて、皇太子(以下、原則として明仁親王を指す)は1953年3月30日、アメリカン・プレジデント・ラインズ社のプレジデント・ウィルソン号で横浜を出航。いったん、サンフランシスコへ入り、カナダを経由してニューヨークへ寄った後、海路、英国に渡りました。

 皇太子の旅程がわざわざ米国経由で設定されたのは、おそらく、最初の寄港地を米国とすることで、現実の外交関係のうえで日英関係よりも日米関係を重視していることを示す意図が政府部内にあったためでしょう。あるいは、実現しなかったものの、皇太子をアメリカに留学させたかったという昭和天皇夫妻の意向が反映された結果かもしれません。

 この時期の英国は、日本を敵国として戦った大戦の終結からまだ日も浅かったため、一般国民の対日感情は、決して良好とはいえず、皇太子もエリザベス女王に謁見するために1週間以上も待たされたり、戦争捕虜協会や労働組合の抗議により予定されていた歓迎行事が中止に追い込まれたりする等の体験をしています。

 それでも、無難に公務をこなし、日本の若きプリンスとして国際デビューを果した皇太子は、戴冠式への出席後、ヨーロッパ諸国を歴訪。それから、今度は空路、米国へ渡り、約1ヶ月間、米国に滞在した後、パン・アメリカン航空で10月12日に帰国しています。

 さて、皇太子の外遊が発表されると、郵政省は、これを、宮内庁の妨害により立太子礼の際に皇太子の肖像切手を発行できなかった雪辱を果たす絶好の機会ととらえ、“御外遊”の記念切手を発行することを計画。1952年12月18日の郵政審議会・郵便切手図案審査専門委員会(以下、図案審査専門委員会)において、外遊の最大の目的であるエリザベス2世の戴冠式が行われる6月2日に、記念切手を発行することを決定します。

 もっとも、前回同様、切手に皇太子の肖像を入れることの是非をストレートに宮内庁に問えば、今回も拒否の回答が帰ってくることは目に見えていました。このため、郵政サイドは一計を案じ、外遊の記念切手を発行することを決定した上で、そのデザインに関しては、一般からの公募を行うという方式がとられています。

 当時の一般国民の認識では、皇太子御外遊の記念切手が発行されるとしたら、皇太子の肖像が切手上に描かれるのは当然で、それがどのようなものとなるのか、といった点に関心が集まっていました。それゆえ、図案を公募すれば、応募作品の多くは皇太子の肖像を取り上げることであろうことは、ほぼ確実でした。そして、郵政省は、その中の優秀作品を切手の原画として採用することによって、“国民世論”の反映という錦の御旗を掲げ、宮内庁の反対を押し切って肖像切手を発行することができると考えたのです。

 こうして、全日本切手展の開催などを通じて、郵政省との協力体制が整っていた毎日新聞社が、1953年1月から、毎日新聞社主催・郵政省協賛という形式で切手図案の公募を開始。6月2日の切手発行予定日から逆算して、3月10日が応募の〆切とされました。

 はたして、『毎日新聞』紙上で告知された募集要項には、図案の内容については「大英帝國の戴冠式に御參列の皇太子殿下の御渡歐を慶祝するにふさわしい圖案(または寫真)で新かつ迫力あるもの」との文言しかありませんでしたが、寄せられた2611点もの作品のうち、8割以上がなんらかのかたちで皇太子の肖像を取り上げたものでした。

 このなかから、3月20日に行われた審査の結果、ロンドン塔や自由の女神など、訪問地の建物をバックに皇太子の肖像を描いた山野内孝夫の作品と、世界地図をバックにした皇太子の肖像を描いた大野射水の作品の2点が特選(賞金10万円)に選ばれ、郵政省はこの両作品を元にした切手の制作を開始。また、これと前後して、印刷局では、早くも郵政省から原画が回ってこないうちから、3人の凹版彫刻家が皇太子の肖像部分の彫刻を始めています。

 当然、郵政省はこの2作品を原画として記念切手を発行する予定で、宮内庁との交渉を開始しました。

 しかし、なんとしても肖像切手の発行を阻止したい宮内庁は、郵政省との交渉で時間を稼ぎ、肖像切手の発行を時間切れに追い込もうとする戦術を取ります。実際、郵政大臣・高瀬荘太郎が宮内庁長官・田島道治を訪ねた際も、宮内庁側は言を左右にして、高瀬との交渉にまともに応じようとはしなかったといわれています。

 こうして、6月上旬の切手発行に間に合わせるためのデッドラインとなった4月上旬になると、しびれを切らした郵政省は、ついに、宮内庁に対して公文書で期限付きの回答を要求。これに対して、宮内庁側は、従前通り、“拒否”の回答を郵政省に送付します。その文面は非公開のため、詳細は不明ですが、実質的には恫喝といってよいほどのものだったようで、4月10日に開かれた図案審査専門委員会では、それまでとは雰囲気が一転。ただちに、切手への肖像の使用を見合わせることが決定されています。

 ちなみに、郵政省と毎日新聞社による切手図案募集の企画を聞いた秩父宮は、「(非常に良いアイディアだが)宮内庁がなかなか難かしいだろうな」と語っており、皇族でさえも宮内庁の頑迷固陋さには頭を抱えていたことがうかがわれます。

 なお、切手図案の懸賞公募を取り仕切った毎日新聞社は、当初こそ、肖像切手を発行しないという郵政省の決定に不満を示していたものの、ある時期から、突如、この件について完全に沈黙してしまいます。関係方面からのさまざまな圧力があったのか、あるいは、今後の皇室取材に関して支障が出ることを怖れた会社の上層部が“自粛”を関係部署に命じたのか、現在となっては、真相は薮の中ですが、このこともまた、今回の切手に関して後味の悪い印象を残すことになりました。
 
 こうして、肖像切手の発行が中止となって緊張の糸が途切れた郵政省に対して、宮内庁は追い討ちをかけ、立太子礼の記念切手同様、今回の記念切手に関しても発行までの主導権を握ろうとします。

 すなわち、宮内庁側は、エリザベス女王の戴冠式にあわせて記念切手を発行することは、女王の戴冠式を記念するような印象を与えるので好ましくない、と突如、強硬に主張。そのうえで、“皇太子”にまつわる記念切手である限り、発行の名目を“御外遊”とすることも認められないとして、記念名称の変更まで要求したのです。

 結局、郵政省側は、宮内庁に押し切られるかたちで、彼らの主張をことごとく受け入れ、皇太子が欧米歴訪を終えて日本に帰国された10月12日に“御帰朝”の記念切手を発行することで決着がはかられました。

 また、これに伴い、山野内孝夫と大野射水の作品は切手の原画としてはお蔵入りとなり、代わって、“御外遊”記念切手の図案として毎日新聞社に寄せられた作品の中から、中尾龍作の「鳳凰」と前川治朗の「鶴」が切手の原画として採用されることになりました。

 あいつぐ宮内庁からの無理難題に対して、すっかり今回の記念切手発行への意欲を失った郵政省は、その後、暑中見舞葉書や通常切手の制作に追われていたこともあって、しばらく作業を中断。その後、6月中旬になって、「鳳凰」を久野実が、「鶴」を渡辺三郎が、それぞれ、切手の原画として構成しています。

 その後、8月10日には、試刷の第1回目の回校()となりましたが、その時の様子について、“郵務局管理課切手係同人(中村宗文か?)”は『切手』紙上に「(5円の)製版は少し細か過ぎて思つた程凹版のよさが出なかつたが、これは全部をやり直しても、こちらの望む程の出来栄は六ヶ敷しいと思つたので、そのままで進むことになつた」と記しています。こうしたところからも、“御帰朝”の記念切手に対する郵政省の投げやりな姿勢が見て取れるように思われます。ちなみに、今回の特別展示では、この時の試刷も展示されていますが、その画像も下に貼っておきます。

      皇太子(明仁)御帰朝試刷

      皇太子(明仁)御帰朝試刷10円

 以上のような経緯を経て、御帰朝当日の10月12日に発行された記念切手については、当初、皇太子の肖像が入った切手が発行されるものとの期待が大きかっただけに、それが裏切られたことに対する失望感は相当なもので、著名な収集家であった荒井国太郎が『切手趣味』誌に「皇太子殿下御帰朝記念切手に失望す」と題する文章を寄せたのをはじめ、多数の収集家がさまざまな郵趣誌(紙)上で不満と失望を述べています。

 また、漫画家の横山泰三が、切手発行からまもなくの『サンデー毎日』11月1日号の連載漫画「ミス・ガンコ」で取り上げ、登場人物に「コノ切手ノ鳥ハホントニイルノ」と言わせるなど、今回の一連の騒動での宮内庁の対応が、収集家だけでなく、広く一般の国民からも批判の的になっていたことがうかがえます。また、この切手のデザインに関しては、背景に描かれている瑞雲が、鳳凰の糞または放屁のように見えるとして、主として小中学生の間では揶揄の対象とされていたことも報じられています。

 さて、はやいもので、13日から始まった全日展も本日が最終日となりました。本日は通常より1時間早く、16時の閉場となっておりますが、1人でも多くの皆様の御来場を心よりお待ち申しております。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2019ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 巴里祭
2019-07-14 Sun 00:32
 きょう(14日)は巴里祭(フランス革命記念日)です。現在、東京・錦糸町のすみだ産業会館ではポーランド切手展(全日本切手展と併催)を開催しておりますので、その出品作品にちなんで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド・ショパン(1927)

 これは、1927年にポーランドが発行したショパンの切手です。ショパンの肖像を描く切手としては、これが最初の1枚となります。

 “ピアノの詩人”と呼ばれたフレデリック・ショパンは、1810年、フランス人のミコワイ・ショパンを父、ポーランド人のユスティナ・クシジャノフスカを母として、ワルシャワ近郊で生まれました。

 両親の影響で幼少時からピアノに触れ、6歳のときからヴォイチェフ・ジヴニーにピアノを師事。1817年、一家はカジミエシュ宮殿の一画に転居し、同年、最初の作品「ポロネーズ ト短調」を作曲し、翌1818年にはラジヴィウ宮殿でピアノ協奏曲を演奏し、卓越した才能で注目を浴びました。

 中学校に入学後はポーランド各地を旅してポーランドの民俗音楽に接し,ポロネーズやマズルカへの関心を深め、1826-29年、ワルシャワ音楽院で和声と対位法を専攻。1830年、「ピアノ協奏曲第1番」、「同第2番」を発表しました。しかし、1831年、ウィーン滞在中にワルシャワでロシアからの独立を求める“十一月蜂起”が勃発。その後、パリに向かう途中、シュトゥットガルトでワルシャワの革命が制圧された報に接し、大いに絶望して再び故国の土を踏むことはありませんでした。

 パリでは、リストやメンデルスゾーン、シューマン夫妻ら音楽家のみならず、ハイネ、ドラクロワとも親交を結び、ピアノ奏者・作曲家として名声を高めました。1836年には女性作家のジョルジュ・サンドと出会って共同生活を送り、「24の前奏曲」、「バラード第4番」、「幻想ポロネーズ」などの傑作を発表したものの、彼女とは1847年に破局しました。

 ジョルジュ・サンドとと別れた後、ショパンはロンドンに渡り、ヴィクトリア女王の隣席の場で演奏会を催すなどの栄誉を得ましたが、この時の旅行で持病の結核が悪化。1848年11月、パリに戻ると病床に伏し、翌1849年10月17日、亡くなりました。

 なお、現在、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催中のポーランド切手展(全日本切手展と併催)では、ショパンとその時代を扱った荒井照夫さんの「切手絵巻 ショパン物語 生涯と足跡を訪ねて」も展示しておりますので、ぜひ、会場にてご覧いただけると幸いです。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2019ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 きょうから全日展(+ポーランド切手展)
2019-07-13 Sat 01:22
 かねてご案内の通り、きょう(13日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。(以下、画像はクリックで拡大されます。

      全日展2019ポスター

 今回は、全国の収集家の皆さんによる競争出品に加え、日本とポーランドの国交樹立100周年を記念し、駐日ポーランド共和国大使館並びにポーランド広報文化センターのご後援の下、“ポーランド切手展”を併催するほか、2015年にシンガポールで開催のFIP世界展で金賞を受賞した山田祐司さんによる特別展示「田沢切手」などの企画展示を行います。ポスターのデザインもそのことをイメージして、右側には、田沢切手の最高額面である1円切手(下の画像)をデザインしました。

      田沢・旧毛1円

 さて、今回展示される山田コレクションの中でも、最大の目玉といえば、やはりこの1点でしょうか。

      青島軍事8枚ブロック

 これは、いわゆる青島軍事切手の未使用8枚ブロックです。
 
 1904-05年の日露戦争に際して、将兵の差し出す軍事郵便は無料の扱いとなっていました。しかし、日露戦争後も、日本軍の部隊は中国大陸や朝鮮半島に駐留し続けたため、そうした部隊の郵便物に関して、逓信省が無料利用の廃止を主張したのに対して、軍当局は従前どおり無料郵便の継続を求めていました。そこで、両者の妥協として、1910年12月1日以降、当時の国内書状基本料金用の3銭切手に“軍事”の文字を加刷した軍事郵便証票(これが、いわゆる“軍事切手”です)を、将校以外の軍人に1人1ヵ月2枚(=封書2通分)、無料で交付するという制度が始まりました。

 さて、第一次大戦で山東半島に出兵した日本軍は、戦後もかの地に駐留を続けたため、当然のことながら、現地の兵士たちには軍事切手が支給されることになります。

 ところが、1921年、青島の守備隊となった日本軍の兵士に支給する軍事切手が間に合わなかったため、いわゆる支那加刷切手(中国各地に日本が設置していた郵便局で使用するため、“支那”の文字を加刷して発行されていた切手)に、“軍事”の文字を加刷した暫定的な切手が支給されました。これが、青島軍事切手です。

 青島軍事切手は1921年4月から6月半ばまで、青島、坊子、高密、張店鉄山で使用されたことが確認されているほか、青島済南間の鉄道郵便で使用された例も報告されています。その後、正規の軍事切手が支給されたため、青島軍事切手の使用はごく短期間に終わりました。

 青島軍事切手は、未使用の単片でも珍品ですが、今回の山田コレクションに展示されている8枚ブロックは現存1点、まさに横綱級の逸品です。

 このほかにも、山田祐司さんのコレクションは珍品が多数含まれており、非常にパワフルなコレクションとして有名です。ぜひ、この機会を逃さず、会場にお越しいただけると幸いです。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2019ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 あすからポーランド切手展(+全日展)
2019-07-12 Fri 00:15
 あす(13日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で、日本・ポーランド国交樹立100周年の記念事業として、駐日ポーランド共和国大使館ならびにポーランド広報文化センターのご後援の下、ポーランド切手展(全日本切手展=全日展と併催)が開催されます。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      ポーランド切手展小型印  ポーランド・笑う猫

 左の画像は、今回のポーランド切手展の会場内で使われる小型印で、1964年に発行された“笑う猫”の切手をモチーフにしています。切手の原画作者ヤーヌシ・グラビアンスキーは、1929年7月27日、ポーランドのシャモトゥウィ生まれ。ワルシャワ美術学校を卒業後、動物の絵で認められ世界的な人気挿絵画家・絵本作家として活躍しましたが、1976年に亡くなりました。今回の全日展会期中、第2会場となる押上の郵政博物館では、ファミリーイベントとして、「猫のダヤンのなぞとき迷路」も開催されていますので、あわせてご参観いただくのも一興かもしれません。

 さて、今回のポーランド切手展は、「ポーランドの歴史とその郵趣」と題して、ポーランドの切手・郵便史のコレクションとしては世界有数の質・量を誇る山本勉コレクションのエッセンス8フレームを中心に構成されています。その目玉の一つとなっているのが、下の画像のマテリアルです。

      ポーランド・最初の切手のスケッチ

 これは、ポーランド最初の切手の原画スケッチ(の一部)です。

 1795年、ポーランドの地はロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア帝国により分割されましたが、ナポレオン戦争後の1815年、ロシアの支配地域では、ロシア皇帝が国王を兼ねるポーランド立憲王国が樹立されます。

 1857年、ロシアで最初の切手が発行されると、ポーランド立憲王国でも切手の発行が検討されるようになり、1859年、立憲王国当局は、ポーランド銀行の彫刻家、ヤン・ミュンハイマロフに切手と切手つき封筒のデザイン制作を依頼。これを受けて、当時のロシア切手に倣い、ロマノフ家の紋章である双頭の鷲を中心にした原画が制作されました。上の画像はその切手の部分をトリミングしたもので、今回の会場には、切手つき封筒のデザインを含む原画スケッチの全体像が展示されています。

 このスケッチを基に制作された切手(下の画像)は、1860年1月1日に発行されました。ただし、当日は日曜日だったため、実際にはこの切手が使用されたのは、翌2日からとなっています。

      ポーランド最初の切手

 なお、今回会場に展示されるスケッチは、ロシア帝国時代は、サンクトペテルブルクの宮廷資料室に保管されていたもので、その後、何人かのコレクターを経て、日本に渡りました。本国ポーランドでは一度も展示されたことがない珍品ですので、ぜひ、この機会に会場で実物をご覧ください。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月13-15日(土-月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにポーランド切手展が開催されます。全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2019ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 切手歳時記:房総の海女
2019-07-11 Thu 00:15

 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2019年7月号が発行されました。僕の連載「切手歳時記」は、毎年7月(今年は13-15日)の白浜の海女まつりにあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      南房総国定公園

 これは、1961年に発行された「南房総国定公園」の切手で、白浜の野鳥崎灯台と海女が描かれています。

 鮑漁の主役となる海女の歴史は古く、西暦3世紀末の『魏志倭人伝』には、すでに倭國では潜水漁をする海人が活動していたとの記述があります。千葉県内でも、勝浦市のコウモリ穴洞穴から3世紀頃の土器とともに多量の鮑の殻が出土しており、『魏志倭人伝』の記述が裏付けられています。

 『魏志倭人伝』の海人は“あま”と読みますが、この語は、男性の“海士”、女性の“海女”と書き分けられることもあります。房総ではどちらもいるが、全国的には海女が主流です。その理由としては、

 ①沖合での漁は男性、沿岸での潜水漁は女性という男女による分業体制の成立。
 ②女性は男性に比べて皮下脂肪が厚く、体型・体質的に長時間の潜水作業向き。
 ③伊勢神宮の斎宮の祖とされる倭姫命が、鳥羽の海女が採ったアワビを称賛し、神宮に奉納するように命じたという、記紀神話の故事にちなむ伝統。

 等が挙げられています。

 身体に密着する水着のなかった時代には、海中では裸の方が水の抵抗が少ないというのが常識でしたたから、海女たちは真冬でも上半身裸で、腰には磯ナカネ(もめんの布)を巻き付け、頭には木綿の鉢巻をしただけの格好で海に潜るのが当たり前でした。

 ところが、日本が朝鮮半島を統治するようになり、朝鮮沿岸にも日本人海女が出稼ぎに行くようになると、大和撫子が上半身裸で漁をするのは体裁が悪いということになり、木綿の磯シャツを着るよう、お上が指導するようになります。この辺の事情については、1921年、三重県警察部衛生課が「往時は『磯シャツ』を用いず、上半身は裸体のまま潜入したるも、朝鮮へ出稼ぎをなすに至り、風俗上の考慮より『シャツ』を着用することになり、爾来郷村に於ける作業にも『シャツ』を用いるに至れり」との報告書を出しています。

 それでも、昭和初期までは上半身裸で漁をする海女も多かったようで、1933年9月20日付の『大阪朝日新聞』には「風俗上おもしろくないので、パンツをつけ、上衣は女學生のまとつているやうなシャツを義務つけた」との記事も掲載されました。

 1932年末の白木屋火災では、和装で下着は腰巻の女性たちが、陰部を他人に見られることを嫌がり、ロープを伝って群衆の中に降りていくのを躊躇したため犠牲になったという都市伝説が生まれ、これを機に、“ズロース”が普及していきますが、磯ナカネからパンツへの変化もそうした時代の表れだったのかもしれません。

 今回ご紹介の切手には、そうした磯シャツ・パンツ姿で沖から上がったばかりの海女が描かれていますが、彼女たちが頭に載せている楕円形の水中マスクは、日本では1950年代以降に普及し始めたもので、戦前はほとんど見られないものでした。

 その後、昭和40年代には体に密着したウェットスーツが普及し、海女姿もウェットスーツの上に磯シャを着るのが一般的になっていきます。

 このように、時代とともに、海女の姿は“進化”してきたわけですが、個人的には、多くの浮世絵師が好んで描いた、磯ナカネと木綿の鉢巻だけの海女が復活してくれませんかねぇ。そうでなければ、やはり「風俗上おもしろくない」ように思うのですが。


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 牛を盗んだ男、牛に殺される
2019-07-10 Wed 02:36

 少し前の話ですが、先月25日、インド南部のカルナータカ州で、牛の密売を繰り返していた男が、盗んだ牛を輸送中、牛によって股間を蹴り上げられて死亡する事件があり、話題になっているそうです。というわけで、インドの牛といえば、やはりこの切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      ブンディ・4ルピー

 これは、1914年から1941年にかけて、インド藩王国の一つ、ブーンディが発行した4ルピー切手で、聖なる牛に守られた藩王、ラグビール・シン(在位1889-1927年)が描かれています。

 ブーンディは、インド北西部ラージャスターン州南東部の丘陵地帯の都市(州都ジャイプールからは南に200キロ)で、1342年、ラージプートのラーオ・デーヴァがこの地を拠点に藩王国を建設しました。その後、ブーンディは1577年にムガル帝国に服属しましたが、 1818年の第三次マラーター戦争を経て英国の保護下に置かれました。

 1914年以降は、藩王国内の郵便に使用するため、今回ご紹介しているような独自の切手を発行。その後、1947年のインド・パキスタンの分離独立を経て、1949年4月7日、ブーンディ王国はインドに統合されましたが、ブーンディの名義で発行された切手は、1958年4月1日までは有効とされていました。

 さて、古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』(紀元前1500-1200年頃)には、儀式や賓客の接待に際して牛肉を供していたとの記述があり、かつてのインドでは、けっして、牛を食べることはタブーではなかったようです。これに対して、紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけて成立した『マハー・バーラタ』には、大飢饉に際してプリトゥ王が大地に向かって食糧を要求したところ、大地は牝牛に姿を変え、命乞いの代償として、すべての民のため、彼女の乳を搾ることを認めるとの記述があり、牛は"殺さなくても食糧を提供し続ける模範的な動物”として、牛肉を食べるべきではないとの主張が出始めます。

 さらに、不殺生を唱える仏教やジャイナ教との論争を経て、ヒンドゥーの教義が整えられていく過程で、ナンディンと呼ばれる乳白色の牡牛が、ヒンドゥーで最高神の一つとされるシヴァ神の乗物であり、すべての四足動物の守護神とされているようになったことや、上下87段の輪廻の階梯構造のうち、最上段の人間に輪廻する1つ前の段階が牛であり、牛を殺した者は輪廻の階梯の最下段からやり直さなくてはならなくなるとされたこと、牛には3億3000万の神々が宿るとし、牛に仕え、牛に祈ることはその後21世代に渡って福徳をもたらすとされたこと、などから、牛を聖なる動物として崇拝することが定着したと考えられています。

 ちなみに、シヴァ神を祀る寺院には聖牛ナンディンが正面に鎮座して参拝者を監視しており(ナンディンのみを祀る寺院もあります)、牛を食べた者は入口で追い返されてしまうそうです。具体的に、どういう形で追い返されるのか、文字で読むだけではよくわからなかったのですが、今回の牛泥棒の一件からすると、どうやら、蹴りだされるということのようですな。


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 ロリータ・エクスプレスの行き先
2019-07-09 Tue 01:55
 米国の大富豪で、40人もの未成年売春を斡旋し、傷つけた罪で13か月の服役した前科のあるジェフリー・エプスタインが、6日(現地時間)、14歳の少女を含む未成年者に対する人身売買容疑であらためて逮捕・起訴されました。エプスタインは、彼が所有する米領ヴァージン諸島のリトル・セント・ジェームズ島と米本土を自家用ジェット(通称“ロリータ・エクスプレス”)で往来しつつ、性的目的で未成年の男女を人身売買し、その顧客には、ビル・クリントン元大統領を含む各界の著名人も多数含まれていたとの疑惑がもたれています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      米・ヴァージン諸島領有20年

 これは、1937年に米国が発行した米領ヴァージン諸島領有20周年の記念切手です。

 西インド諸島のプエルト・リコの東に位置するヴァージン諸島は、かつては、スペイン、デンマーク、フランス、英国が分割して領有していました。このうち、最も西側のビエケス島やクレブラ島などは、当初はスペイン領でしたが、1898年の米西戦争によって米領となり、現在はプエルト・リコの一部となっています。一方、最も東側のトルトラ島とヴァージン・ゴルダ島などは現在も英領のままです。

 これに対して、中間地域のセント・トーマス島とセント・ジョン島などは、1666年にデンマークが領有権を獲得。さらに、残るセント・クロイ島に関しても、もともとはフランス領でしたが、1733年にデンマークが買収し、先の2島を中心とした地域と併せて、デンマーク領西インド諸島 が成立しました。

 デンマーク領西インド諸島の中心となったセント・トーマス島は、1851年から1885年にかけて、スペイン領ヴァージン諸島との交易の中心となっていました。郵便に関しては、1856年以降、デンマーク領西インド名義の正刷切手が使用されましたが、これと並行して、1867年から1879年までは、英国局も設けられ、英本国の切手が持ち込まれ、“C51”の番号が入った抹消印が使用されています。

 その後、第一次世界大戦中の1917年、米国はパナマ運河をドイツ軍から防衛するため、デンマークからデンマーク領西インド諸島を 2500 万ドルで購入。これが、現在の米領ヴァージン諸島のルーツとなりました。

 ただし、米領ヴァージン諸島は、行政的には、“非法人地域”の扱いとされているため、市町村に相当する基礎自治体は存在せず、したがって、住民には、米国の市民権が与えられ、本土への渡航や本土での就職は自由であるものの、大統領および連邦議会議員の選挙権は認められていない(ただし、連邦下院に、投票権のない代表を 1 名参加させる権利は認められています)などの制約があります。

 こうした事情のゆえに、米領ヴァージン諸島の島々の中には、米国当局の手が届きにくい場所もあり、エプスタインはそれを利用して悪事を働いていたというわけです。エプスタインの“ロリータ・エクスプレス”の利用者は、クリントン元大統領の他にも、米国の政財界、芸能界のみならず、英国王室や日本、中国、香港などにも、数多く存在していたとみられており、今後の捜査状況によっては、全世界規模の大スキャンダルに発展する可能性も大いにありそうです。


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 香港・九龍地区で大規模デモ
2019-07-08 Mon 02:40
 香港・九龍地区できのう(7日)、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例改正」の撤回を求めるデモが行われ、23万人以上が尖沙咀の梳士巴利花園(ソールズベリー・ガーデン)から廣東道(カントン・ロード)を経て高速鉄道の西九龍駅まで行進しました。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      香港・KB(1909)

 これは、1909年11月5日、香港・九龍地区からドイツ宛に差し出された葉書で、九龍郵便局を示す“K.B.”の文字が入った消印が押されています。

 アロー戦争後の1860年に締結された北京条約より、清朝は九龍半島のうち、現在の界限街以南の地域を英国に割譲しました。しかし、その後も長らく九龍地区には郵便局は設置されず、同地区に最初の郵便局がオープンしたのは、新界地区が租借された後の1898年7月5日のことでした。

 当初、九龍の郵便局は九龍の波止場に置かれていましたが、この時点では、同局は独立した郵便局というよりも、ヴィクトリアの香港中央郵便局の分局という扱いであったため、消印の表示も、九龍を意味する“Kowloon”ではなく、九龍分局を意味する“Kowloon Branch”を略した“K.B.”の表示が入った“Hong Kong K.B.”の消印が用いられていました。

 その後、波止場の敷地に内に設けられていた九龍郵便局は、香港島と九龍を往来するスターフェリーの開業に伴い、フェリーの船着場の建物内に移転し、さらに1906年9月、尖沙咀の梳士巴利道(今回のデモ隊が出発した梳士巴利花園のあるエリアです)に移転しました。ちなみに、現在の九龍中央局は、それより北側の油麻地エリアの天后廟前にあります。

 なお、九龍地区の歴史については、拙著『香港歴史漫郵記』でも、詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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