<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/?xml">
<title>郵便学者・内藤陽介のブログ</title>
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/</link>
<description>　切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2568.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2567.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2566.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2565.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2564.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2568.html">
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2568.html</link>
<title>　両陛下、英国へ</title>
<description> 　天皇、皇后両陛下は、きょう（16日）、エリザベス女王の在位60年を記念した午餐会などの行事へのご出席のため、政府専用機で公式訪問先の英国に向けてご出発なさいました。というわけで、きょうはこの切手です。（画像はクリックで拡大されます）　　　　　　　　　これは、1953年10月12日に発行された“皇太子殿下御帰朝”の記念切手のうち、鳳凰と瑞雲を描いた５円切手です。　立太子礼直前の1952年11月８日、宮内庁は、翌1953年
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　天皇、皇后両陛下は、きょう（16日）、エリザベス女王の在位60年を記念した午餐会などの行事へのご出席のため、政府専用機で公式訪問先の英国に向けてご出発なさいました。というわけで、きょうはこの切手です。（画像はクリックで拡大されます）<br /><br />　　　　　　　　<a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/2012051621030777c.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/2012051621030777cs.jpg" alt="ご帰朝５円" border="0" width="134" height="149" /></a><br /><br />　これは、1953年10月12日に発行された“皇太子殿下御帰朝”の記念切手のうち、鳳凰と瑞雲を描いた５円切手です。<br /><br />　<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-582.html" target="_blank" title="立太子礼">立太子礼</a>直前の1952年11月８日、宮内庁は、翌1953年６月２日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われるイギリスのエリザベス女王の戴冠式に、昭和天皇の名代として皇太子・明仁親王が出席することを発表しました。<br /><br />　皇太子の外遊は、1921年、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1150.html" target="_blank" title="裕仁親王のヨーロッパ歴訪">裕仁親王のヨーロッパ歴訪</a>以来のことで、今回の明仁皇太子の外遊も、裕仁皇太子が外遊を通じて人間的に大きく成長したのと同様の“教育的効果”が期待されていたものと考えてよいでしょう。<br /><br />　さて、皇太子は1953年３月30日、アメリカン・プレジデント・ラインズ社のプレジデント・ウィルソン号で横浜を出航。いったん、サンフランシスコへ入り、カナダを経由してニューヨークへ寄った後、海路、イギリスに渡りました。<br /><br />　皇太子の旅程がわざわざアメリカ経由で設定されたのは、おそらく、最初の寄港地をアメリカとすることで、現実の外交関係のうえで日英関係よりも日米関係を重視していることを示す意図が政府部内にあったためでしょう。あるいは、実現しなかったものの、皇太子をアメリカに留学させたかったという昭和天皇夫妻の意向が反映された結果かもしれません。<br /><br />　この時期のイギリスは、日本を敵国として戦った第２次大戦の終結からまだ日も浅かったため、一般国民の対日感情は、決して良好とはいえず、皇太子もエリザベス女王に謁見するために１週間以上も待たされたり、戦争捕虜協会や労働組合の抗議により予定されていた歓迎行事が中止に追い込まれたりする等の体験をしています。<br /><br />　それでも、無難に公務をこなし、日本の若きプリンスとして国際デビューを果した皇太子は、戴冠式への出席後、ヨーロッパ諸国を歴訪。それから、今度は空路、アメリカへ渡り、約１ヶ月間、アメリカに留まった後、パン・アメリカン航空で10月12日に帰国しています。<br /><br />　さて、皇太子の外遊が発表されると、郵政省は、これを、宮内庁の妨害により立太子礼の際に皇太子の肖像切手を発行できなかった雪辱を果たす絶好の機会ととらえ、“ご外遊”の記念切手を発行することを計画。1952年12月18日の郵政審議会・郵便切手図案審査専門委員会（以下、図案審査専門委員会）において、外遊の最大の目的であるエリザベス２世の戴冠式が行われる６月２日に、記念切手を発行することを決定します。<br /><br />　もっとも、前回同様、切手上に皇太子の肖像を入れることの是非をストレートに宮内庁に問えば、今回も拒否の回答が帰ってくることは目に見えていました。このため、郵政サイドは一計を案じ、外遊の記念切手を発行することを決定した上で、そのデザインに関しては、一般からの公募を行うという方式がとられています。<br /><br />　当時の一般国民の認識では、皇太子外遊の記念切手が発行されるとしたら、皇太子の肖像が切手上に描かれるのは当然で、それがどのようなものとなるのか、といった点に関心が集まっていました。それゆえ、図案を公募すれば、応募作品の多くは皇太子の肖像を取り上げることであろうことは、ほぼ確実でした。そして、郵政省は、その中の優秀作品を切手の原画として採用することによって、“国民世論”の反映という錦の御旗を掲げ、宮内庁の反対を押し切って肖像切手を発行することができると考えたのです。<br /><br />　こうして、全日本切手展の開催などを通じて、郵政省との協力体制が整っていた毎日新聞社が、1953年１月から、毎日新聞社主催・郵政省協賛という形式で切手図案の公募を開始。６月２日の切手発行予定日から逆算して、３月10日が応募の〆切とされました。<br /><br />　はたして、『毎日新聞』紙上で告知された募集要項には、図案の内容については「大英帝國の戴冠式に御參列の皇太子殿下の御渡歐を慶祝するにふさわしい圖案（または寫真）で新かつ迫力あるもの」との文言しかありませんでしたが、寄せられた2611点もの作品のうち、８割以上がなんらかのかたちで皇太子の肖像を取り上げたものでした。<br /><br />　このなかから、３月20日に行われた審査の結果、ロンドン塔や自由の女神など、訪問地の建物をバックに皇太子の肖像を描いた山野内孝夫の作品と、世界地図をバックにした皇太子の肖像を描いた大野射水の作品の２点が特選（賞金10万円）に選ばれ、郵政省はこの両作品を元にした切手の制作を開始。また、これと前後して、印刷局では、早くも郵政省から原画が回ってこないうちから、３人の凹版彫刻家が皇太子の肖像部分の彫刻を始めています。<br /><br />　当然、郵政省はこの２作品を原画として記念切手を発行する予定で、宮内庁との交渉を開始しました。<br /><br />　しかし、なんとしても肖像切手の発行実現を阻止したい宮内庁は、郵政省との交渉で時間を稼ぎ、肖像切手の発行を時間切れに追い込もうとする戦術を取ります。実際、郵政大臣・高瀬荘太郎が宮内庁長官・田島道治を訪ねた際も、宮内庁側は言を左右にして、高瀬との交渉にまともに応じようとはしなかったといわれています。<br /><br />　こうして、６月上旬の切手発行に間に合わせるためのデッドラインとなった４月上旬になると、しびれを切らした郵政省は、ついに、宮内庁に対して公文書で期限付きの回答を要求。これに対して、宮内庁側は、従前通り、“拒否”の回答を郵政省に送付します。その文面は非公開のため、詳細は不明ですが、実質的には恫喝といってよいほどのものだったようです。四月十日に開かれた図案審査専門委員会では、それまでとは雰囲気が一転し、ただちに、切手への肖像の使用を見合わせることが決定されているのは、宮内庁側の対応が相当に強硬だったことの状況証拠と見てよいでしょう。<br /><br />　ちなみに、郵政省と毎日新聞社による切手図案募集の企画を聞いた秩父宮は、「（非常に良いアイディアだが）宮内庁がなかなか難かしいだろうな」と語っており、皇族でさえも宮内庁の頑迷固陋さには頭を抱えていたことがうかがわれます。<br /><br />　なお、切手図案の懸賞公募を取り仕切った毎日新聞社は、当初こそ、肖像切手を発行しないという郵政省の決定に不満を示していたものの、ある時期から、突如、この件について完全に沈黙してしまいます。関係方面からのさまざまな圧力があったのか、あるいは、今後の皇室取材に関して支障が出ることを怖れた会社の上層部が“自粛”を関係部署に命じたのか、現在となっては、真相は薮の中ですが、このこともまた、今回の切手に関して後味の悪い印象を残すことになりました。<br />　<br />　こうして、肖像切手の発行が中止となって緊張の糸が途切れた郵政省に対して、宮内庁は追い討ちをかけ、立太子礼の記念切手同様、今回の記念切手に関しても発行までの主導権を握ろうとします。<br /><br />　すなわち、宮内庁側は、エリザベス女王の戴冠式にあわせて記念切手を発行することは、女王の戴冠式を記念するような印象を与えるので好ましくない、と強硬に主張。そのうえで、“皇太子”にまつわる記念切手である限り、発行の名目を“ご外遊”とすることも認められないとして、記念名称の変更まで要求したのです。<br /><br />　結局、郵政省側は、宮内庁に押し切られるかたちで、彼らの主張をことごとく受け入れ、皇太子が欧米歴訪を終えて日本に帰国する10月12日に“御帰朝”の記念切手を発行することで決着がはかられました。<br /><br />　また、これに伴い、山野内孝夫と大野射水の作品は切手の原画としてはお蔵入りとなり、代わって、“御外遊”記念切手の図案として毎日新聞社に寄せられた作品の中から、中尾龍作の「鳳凰」と前川治朗の「<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2323.html" target="_blank" title="鶴">鶴</a>」が切手の原画として採用されることになりました。<br /><br />　あいつぐ宮内庁からの無理難題に対して、すっかり今回の記念切手発行への意欲を失った郵政省は、その後、暑中見舞葉書や通常切手の制作に追われていたこともあって、しばらく作業を中断。その後、６月中旬になって、「鳳凰」を久野実が、「鶴」を渡辺三郎が、それぞれ、切手の原画として構成しています。<br /><br />　その後、８月10日には、試刷の第１回目の回校となりましたが、その時の様子について、“郵務局管理課切手係同人（中村宗文か？）”は『切手』紙上に「（五円の）製版は少し細か過ぎて思つた程凹版のよさが出なかつたが、これは全部をやり直しても、こちらの望む程の出来栄は六ヶ敷しいと思つたので、そのままで進むことになつた」と記しています。こうしたところからも、今回の記念切手政策に際しての郵政省の投げやりな姿勢が見て取れるように思われます。<br /><br />　以上のような経緯を経て、御帰朝当日の10月12日、今回ご紹介の記念切手は発行されました。<br /><br />　今回は、当初、皇太子の肖像が入った切手が発行されるものとの期待が大きかっただけに、それが裏切られたことに対する失望感は相当なもので、著名な収集家であった荒井国太郎が『切手趣味』誌に「皇太子殿下御帰朝記念切手に失望す」と題する文章を寄せたのをはじめ、多数の収集家がさまざまな郵趣誌（紙）上で不満と失望を述べています。<br /><br />　また、漫画家の横山泰三が、切手発行からまもなくの『サンデー毎日』11月１日号の連載漫画「ミス・ガンコ」で取り上げ、登場人物に「コノ切手ノ鳥ハホントニイルノ」と言わせるなど、今回の一連の騒動での宮内庁の対応が、収集家だけでなく、広く一般の国民からも批判の的になっていたことがうかがえます。また、この切手のデザインに関しては、背景に描かれている瑞雲が、鳳凰の糞または放屁のように見えるとして、主として小中学生の間では揶揄の対象とされたようです。<br /><br />　なお、今回の御帰朝の切手を含む戦後の皇室切手をめぐる宮内庁と郵政省の暗闘については、拙著『皇室切手』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。<br /><br /><span style="color:#ff0000"><strong>　★★★　ポストショップオンラインのご案内（ＰＲ）　★★★</strong></span><br /><br />　郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典<a href="http://www.postshoponline.jp/" target="_blank" title="ポストショップオンライン">ポストショップオンライン</a>は海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日本：昭和・1952～1960</dc:subject>
<dc:date>2012-05-16T21:29:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>内藤陽介 (ないとうようすけ)</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2567.html">
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2567.html</link>
<title>　沖縄復帰40年</title>
<description> 　1972年５月15日に沖縄が祖国復帰を果たしてから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうは返還前後に世間を騒がせたこの切手を持ってきました。（画像はクリックで拡大されます）　　　　　　　　　これは、1958年に沖縄で発行された守礼門復元の記念切手です。　　　アメリカ施政権下の沖縄では、1948年７月１日から“琉球郵便”の表示の入った正刷切手が発行・使用されていましたが、これらの沖縄切手も、復帰から20日
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　1972年５月15日に沖縄が祖国復帰を果たしてから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうは返還前後に世間を騒がせたこの切手を持ってきました。（画像はクリックで拡大されます）<br /><br />　　　　　　　　<a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205151704586b8.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205151704586b8s.jpg" alt="守礼門復元" border="0" width="149" height="106" /></a><br /><br />　これは、1958年に沖縄で発行された守礼門復元の記念切手です。<br />　<br />　　アメリカ施政権下の沖縄では、1948年７月１日から<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2252.html" target="_blank" title="“琉球郵便”の表示の入った正刷切手">“琉球郵便”の表示の入った正刷切手</a>が発行・使用されていましたが、これらの沖縄切手も、復帰から20日間の<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-406.html" target="_blank" title="移行期間">移行期間</a>を経て、1972年６月３日限りで使用禁止となりました。このため、この移行期間を利用して、日本切手と沖縄切手のコンビメーションカバーが収集家によって多数作られています。なお、公衆手持ち分の&#8203;沖縄切手に関しては、那覇中央局（復帰後は那覇局と改称）・名護局・宮古局・八重山局では８月31日まで、その他の沖縄県内の局では６月30日までの間、日本切手との交換が行われ、その後の残った沖縄切手は焼却処分となりました。<br /> <br />　ところで、本土への復帰を前にした1971年12月10日、琉球政府郵政庁は突如、1972年１月10日をもって沖縄切手の通信販売の受付を停止すると発表します。これに伴い、１月10日以降、復帰までの間に新切手が発行されなければ何も問題はなかった&#8203;のですが、実際には、郵政庁は<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2445.html" target="_blank" title="海洋シリーズ">海洋シリーズ</a>をはじめ、新たな記念特殊切手を発行し、その発売を窓口に限定してしまったことから、混乱が生じます。そして、こうした状況の中で、伊藤淳也の切手投資センターを中心とした切手投機の集団が暗躍することになるのです。<br /> <br />　1969年から1970年にかけて、大阪万博を契機とした好景気が日本中を覆う中で、記念切手のブームが到来すると、一部の記念切手の市価が大幅に値上がりし、そのことがマスコミなどで批判&#8203;的に取り上げられることが少なからずありました。このため、批判を恐れた郵政省は、記念切手の発行枚数を大幅に増やし、市価の“&#8203;暴騰”を防ごうとしました。たとえば、1971年の切手趣味週間&#8203;の切手（「築地明石町」）の発行枚数が、趣味週間切手としては過去最高の4300万枚となったのもそのためです。<br /> <br />　これに対して、それまで投機的な思惑買いをしていた一部業者の&#8203;中には、郵政省の施策によって日本の新切手の値上がりが期待できないと判断し、“投資”の対象を日本切手から沖縄切手へとシフトする者が現れはじめました。<br /> <br />　こうした状況の中で、伊藤らは、本土復帰を前に琉球政府郵政庁&#8203;が通信販売の受付を停止したことを奇禍として、“入手困難な沖縄&#8203;切手”を一般向けに大々的に宣伝し、1958年10月18日発行の「守礼門復元記念」の切手（以下、守礼門切手）を中心とした沖縄切手の投機的な売買を仕掛けていきます。三越をはじめとする有名百貨店では切手投資センターを中心とした大掛かりな即売会が開催され、“沖縄切手ブーム”がマスコミなどを通じて大々的に報じられるようになりました。<br /> <br />　こうした動きに煽られるかのように、復帰直前の沖縄では、「<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-879.html" target="_blank" title="返還協定批准">返還協定批准</a>」の記念切手が発行された1972年４月17日や、「切手趣味週間」（“最終発行”を意味するFinal Issueの文字が印面に入っていることでマスコミでも大きく取り上げられました）の切手が発行された同月20日、郵政庁の窓口に本&#8203;土から飛行機をチャーターしてやってきたブローカーやデパート関係者、彼らに切手を売って利益を得ようとする地元民が殺到し、切手の入手をめぐって怒号が飛び交う混乱が見られました。郵政庁近&#8203;隣の路上には「切手高価にて買います」との張り紙をした車が並び&#8203;、札束を持ったブローカーが額面合計10ドルの切手を、すぐさま30ドルで買いあさるという光景もみられたことが、一般紙でも大きく報じられています。<br /> <br />　当然のことながら、こうした投機的な動きに対しては、日本郵趣協会（以下、郵趣協会）をはじめとする切手収集家の団体や東京郵&#8203;便切手商協同組合（以下、切手商組合）に属する多くの切手商は「１種300万枚も発行された切手が将来的に値上がりするはずがない」として、バブル相場に警告を発します。特に、郵趣協会は機関誌の『郵趣』を通じて大規模な切手投機反対キャンペーンを展開し、社会的にも注目を集めました。<br /> <br />　これに対して、切手投資センター側はマスコミを通じて「全日本&#8203;切手商協会（切手投資センターが中心となって組織した団体）の発展を快く思わない業者の妄言である」と反論。さらに、彼らが主催する即売会の会場に「某組合（切手商組合のこと：引用者註）の発行している（カタログでは）守礼門には200円と評価されている&#8203;。当方は10枚綴りの１シートを9000円で買い上げている。どつち(ママ)のカタログを信用して良いのだろうか」との掲示を張り出したり、切手評論家を名乗る平岩道夫がマスコミにたびたび登場して切手投資センター発行のカタログ以外は“不当表示”“バカ&#8203;な値段”“デタラメ”“インチキ”などとする発言を繰り返すなど、対決姿勢を強めていました。<br /> <br />　しかしながら、切手投資センター側がどれほど言を尽くそうとも&#8203;、品薄になったわけでもない沖縄切手の市価が、極短期間に数倍の&#8203;暴騰を示すというのは明らかに異常な事態であり、とうてい持続可能なものとはいえませんでした。さらに、切手投資センターと切手&#8203;商組合や郵趣協会の対立が“切手界の内ゲバ”として一般紙でも面白おかしく取り上げられたことで切手に対する社会的なイメージが悪化したことに加え、1972年９月２日付で平岩が信用毀損と営業妨害で切手商組合から東京地検の告訴されたこともあって、1972年も終わりに近くなると、伊藤らによって作られた“沖縄切手ブーム”には次第にかげりが見え始めます。<br /> <br />　それでも、1973年の早い時期までは沖縄切手の&#8203;投機的な相場はなんとか持ちこたえていましたが、同年３月２日、&#8203;国民的な人気を集めていた<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-832.html" target="_blank" title="高松塚の寄付金つき切手">高松塚の寄付金つき切手</a>に関して、郵政省が「切手投機業者の悪辣なやり方を封じるため」として大規模な増刷に踏み切ると、投機業者は大きな打撃を受けることになります。<br /> <br />　そして、沖縄復帰からおよそ１年が過ぎた1973年５月、投機業者たちはついに高値をつけていた守礼門切手の投売りを開始。同&#8203;年６月中旬の『京都寸葉』には、それまで、切手の買入値段表が掲載されていた広告スペースに、「琉球切手は市場不安定のため当分&#8203;の間買入を一時休止することに致します」（秀和スタンプ社）、「&#8203;日本および沖縄切手ともに、不安定な流動相場のため、当面買い入&#8203;れ及び販売を中止致します」（クマノスタンプ社）との文言の広告&#8203;が掲載されています。さらに、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-808.html" target="_blank" title="1964年の新幹線切手">1964年の新幹線切手</a>のときも投機的な手法で問題となった切手経済社（社長：矢沢敬一郎）は、琉球切手のバブル崩壊がもとで、1973年６月14日と15日の２回にわたって、それぞれ1000万円と160万円の不渡り手形を出し、銀行取引が停止されました。<br /> <br />　こうして、守礼門切手の暴落（ピーク時には全日本切手商協会系&#8203;の評価で4000円といわれていましたが、７月の業者間取引では１枚200円になりました）に引きずられるかたちで沖縄切手全体の市価は急落し、およそ１年半にわたって続いた沖縄切手をめぐる投&#8203;機騒動は、仕掛け人の伊藤自身がいみじくも「どんな手のこんだからくりも、半年一年と大勢を欺くことは不可能です」と発言していたように、あえなく破綻して終わったのです。<br /> <br /><br /><span style="color:#ff0000"><strong>　★★★　ポストショップオンラインのご案内（ＰＲ）　★★★</strong></span><br /><br />　郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典<a href="http://www.postshoponline.jp/" target="_blank" title="ポストショップオンライン">ポストショップオンライン</a>は海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>琉球・沖縄</dc:subject>
<dc:date>2012-05-15T17:23:18+09:00</dc:date>
<dc:creator>内藤陽介 (ないとうようすけ)</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2566.html">
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2566.html</link>
<title>　海賊の末路</title>
<description> 　環境保護を騙る卑劣なテロリスト集団、シー・シェパードの頭目、ポール・ワトソンがドイツのフランクフルトで逮捕されました。逮捕の直接の容疑は、2002年に中米コスタリカのサメ漁船の通航を妨害したことによるもので、ワトソンは今後、同国に引き渡されることになりそうです。というわけで、ワトソンとその一味にふさわしい末路を表した切手として、きょうはこの１枚です。（画像はクリックで拡大されます）　　　　　　　　　
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1770.html" target="_blank" title="環境保護を騙る卑劣なテロリスト集団、シー・シェパード">環境保護を騙る卑劣なテロリスト集団、シー・シェパード</a>の頭目、ポール・ワトソンがドイツのフランクフルトで逮捕されました。逮捕の直接の容疑は、2002年に中米コスタリカのサメ漁船の通航を妨害したことによるもので、ワトソンは今後、同国に引き渡されることになりそうです。というわけで、ワトソンとその一味にふさわしい末路を表した切手として、きょうはこの１枚です。（画像はクリックで拡大されます）<br /><br />　　　　　　　　<a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205142237108ed.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205142237108eds.jpg" alt="海賊キッド" border="0" width="113" height="149" /></a><br /><br />　これは、カリブ海の島国、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2306.html" target="_blank" title="セントクリストファー（セントキッツ）・ネイヴィス連邦">セントクリストファー（セントキッツ）・ネイヴィス連邦</a>のネイヴィスで発行されたミレニアムの切手のうち、海賊ウィリアム・キッドの処刑の場面を取り上げた１枚です。<br /><br />　ウィリアム・キッドは、1645年、スコットランドのグリーノック生まれ。ニューヨークに移住し、裕福な商人として生計を立てていましたが、イギリスとの貿易活動の過程で、英国政府から海賊退治を含む私掠船の許可を獲得します。<br /><br />　私掠船というのは、敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可（私掠免許）を得た個人の船のことで、もともとは、一種の傭兵に類するものです。キッドの場合は、貴族たちをスポンサーとして必要な資金を集め、36門の大砲と70人の乗員を擁するアドベンチャー・ギャリー号で華々しく出航しました。しかし、キッドはフランスと非合法の海賊船に対する略奪の許可しか得ていなかったこともあって、“投資”に見合う利益を確保することができず、徐々に、英国船以外のすべての船舶を略奪するようになります。<br /><br />　1697年10月30日、船員のウィリアム・ムーアを殺害したのを機に、キッドは本格的に海賊活動を行うようになりましたが、1698年４月、マダガスカル島で、かつての部下で海賊として活動していたロバート・カリフォードとその船を襲撃することを企図するも、部下の造反により敗走。ニューヨークへ戻ったところを逮捕され、イギリスへ護送された後、海賊行為とウィリアム・ムーアの殺人で起訴され、有罪判決を受けて、1701年５月23日、ロンドンで絞首刑にされました。その遺体は、遺体はテムズ川の上に鉄の檻にいれられ、海賊を志すものに対する警告として放置されたそうです。<br /><br />　さて、環境保護を騙り、主として欧米諸国のリベラル派人士から資金を集めて、漁船や捕鯨調査船等へ攻撃を行うシーシェパードの連中は、政治的信念を持ったテロリストというような立派なものとはとうていいえず、単なる卑劣な犯罪集団でしかありません。その意味では、現在の海賊といっても差し支えありません。<br /><br />　今回、ワトソンを拘束したドイツも、逮捕の直接の容疑で彼を国際手配していたコスタリカも、残念ながら、現在は死刑制度を廃止しています。しかし、幸いなことに、死刑制度を継続している我が国の海上保安庁も2010年６月、南極海での日本の調査捕鯨船に対する妨害を指示したとして、傷害容疑などで彼を国際手配しているわけですから、ワトソンがコスタリカでの刑期を終えた後、きちんと身柄の引き渡しを受けたうえで、シーシェパード一味の犯罪行為を余さず精査したうえで、きっちりと死刑判決を下し、即日、執行していただきたいものです。その際には、“海賊”としての名誉を尊重して、処刑の瞬間を全世界に生中継するとともに、その遺体は、さらし者にしてやるのが良いでしょうな。環境テロリストに対する見せしめのためにも。<br /><br /><span style="color:#ff0000"><strong>　★★★　ポストショップオンラインのご案内（ＰＲ）　★★★</strong></span><br /><br />　郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典<a href="http://www.postshoponline.jp/" target="_blank" title="ポストショップオンライン">ポストショップオンライン</a>は海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>セントキッツ・ネイヴィス</dc:subject>
<dc:date>2012-05-14T23:13:05+09:00</dc:date>
<dc:creator>内藤陽介 (ないとうようすけ)</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2565.html">
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2565.html</link>
<title>　ファティマの聖母</title>
<description> 　きょう（13日）は“母の日”ですが、ことしは、“ファティマ聖母の行列の日”とも重なりました。というわけで、聖母も母のうちですから、こんなモノを持ってきました。（画像はクリックで拡大されます）　　　　　　　　　これは、1951年に発行された小型シートで、同年発行のポルトガル領インドの切手と、1948－49年に発行されたポルトガル植民地で発行されたファティマの記念切手８種が収められています。８種の切手の発行国は、カ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　きょう（13日）は“母の日”ですが、ことしは、“ファティマ聖母の行列の日”とも重なりました。というわけで、聖母も母のうちですから、こんなモノを持ってきました。（画像はクリックで拡大されます）<br /><br />　　　　　　　　<a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205131820577c3.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205131820577c3s.jpg" alt="ファティマ小型シート" border="0" width="149" height="104" /></a><br /><br />　これは、1951年に発行された小型シートで、同年発行のポルトガル領インドの切手と、1948－49年に発行されたポルトガル植民地で発行されたファティマの記念切手８種が収められています。８種の切手の発行国は、カーボ・ヴェルデ（紺）、ポルトガル領ギニア（現ギニアビサウ、緑）、サン・トメ・エ・プリンシペ（紫）、アンゴラ、（青）、モザンビーク（淡青）、ポルトガル領インド（濃緑）、マカオ（赤）、ティモール（現東ティモール、灰青）です。なお、シート中央下部の肖像は、シート発行時のローマ教皇、ピウス12世です。<br /><br />　1917年５月13日、ポルトガル中央部、サンタレン県オウレン市の農村、ファティマで、10歳のルシアと従弟で９歳のフランシスコ、８歳のジャシンタの３人の純朴で信心深い子供が、羊たちの面倒を見ていた遊牧地で、昼食を終え、ロザリオ（聖母マリアに霊的なバラの冠を捧げるために繰り返される祈りの言葉）を唱えていました。そこへ、突如聖母マリアが現れ、みずからを“ロザリオの聖母”と名乗り、 罪人の改心と世界の平和のために毎日ロザリオを祈ること、すべての困難と苦しみを犠牲として神に捧げることを子供たちに願うとともに、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように命じました。ルシアは急いで両親にその出来事を報告。両親も最初は信じなかったのですが、噂が広がり、ファティマには大勢の参拝客が訪れるようになります。<br /><br />　聖母は３度目の出現となる７月13日、最後の出現となる10月13日に奇跡を起こすことを約束。はたして、10月13日には ７万人もの人々が見守る中、太陽が色や大きさを変えて激しく回転するような動きを見せ、人々はファティマの奇跡を信じるようになったそうです。<br /><br />　聖母は５月13日から10月13日までの６回の出現に際して、さまざまな予言を残しました。その内容には、第１次世界大戦の終結やロシア帝国の崩壊と共産主義の台頭、核兵器の使用やローマ教皇の暗殺事件などが含まれていたといわれています。<br /><br />　その後、カトリック教会は聖母の出現を公認し、５月13日はファティマの聖母の出現記念日とされるようになりました。ちなみに、３人の子供のうちのジャシンタとフランシスコは1919年から1920年にかけて流行の病で相次いで亡くなりましたが、その後、調査のために墓が開かれた際、ジャシンタの遺体の顔の部分は腐敗していなかったといわれています。一方、残されたルシアは修道女となり、2005年２月13日に97歳で亡くなりました。<br /><br />　このエピソードにちなみ、毎年、マカオでは“ファティマ聖母の行列（花地瑪聖母像巡禮）”として、聖職者が祈祷をあげるなか、白い装束に身を包んだ女性達によって聖母の像が掲げられ、ロザリオの聖母を祀った<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1942.html" target="_blank" title="聖ドミニコ教会">聖ドミニコ教会</a>から、南灣大馬路へ出て、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1784.html" target="_blank" title="ペンニャ教会（西望洋聖堂）">ペンニャ教会（西望洋聖堂）</a>までパレードするというイベントが行われます。<br /><br />　なお、マカオのお祭りとしての“ファティマ聖母の行列”については、拙著<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2016.html" target="_blank" title="『マカオ紀行』">『マカオ紀行』</a>でもパレードを撮影した写真を交えてご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。<br /><br /><span style="color:#ff0000"><strong>　★★★　ポストショップオンラインのご案内（ＰＲ）　★★★</strong></span><br /><br />　郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典<a href="http://www.postshoponline.jp/" target="_blank" title="ポストショップオンライン">ポストショップオンライン</a>は海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>ポルトガル領オムニバス</dc:subject>
<dc:date>2012-05-13T18:52:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>内藤陽介 (ないとうようすけ)</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2564.html">
<link>http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2564.html</link>
<title>　麗水万博開幕</title>
<description> 　韓国南部の沿岸都市、全羅南道麗水市で、きょう（12日）、「生きている海、息づく沿岸」をテーマとする国際博覧会（麗水万博）が開幕しました。というわけで、麗水に関する切手ということでこの１枚です。（画像はクリックで拡大されます）　　　　　　　　　これは、2002年８月１日に韓国で発行された「わが故郷」の切手（竹島切手が含まれていたシリーズです）のうち、全羅南道を取り上げた切手の１枚で、麗水の梧桐島が取り上
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 　韓国南部の沿岸都市、全羅南道麗水市で、きょう（12日）、「生きている海、息づく沿岸」をテーマとする国際博覧会（麗水万博）が開幕しました。というわけで、麗水に関する切手ということでこの１枚です。（画像はクリックで拡大されます）<br /><br />　　　　　　　　<a href="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205121705143fb.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201205121705143fbs.jpg" alt="麗水" border="0" width="149" height="113" /></a><br /><br />　これは、2002年８月１日に韓国で発行された「わが故郷」の切手（<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2134.html" target="_blank" title="竹島切手">竹島切手</a>が含まれていたシリーズです）のうち、全羅南道を取り上げた切手の１枚で、麗水の梧桐島が取り上げられています。なお、「わが故郷」の切手は２種連刷を16組同時発行するという構成になっていましたが、今回ご紹介の切手とペアになっているのは、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2171.html" target="_blank" title="珍島のカンガンスルレを取り上げた切手">珍島のカンガンスルレを取り上げた切手</a>です。<br /><br />　麗水は、全羅南道東南部の沿海部、麗水半島にあり、文禄・慶長の役の朝鮮側の英雄である李舜臣が司令官として赴任した土地として知られています。切手に描かれた梧桐島は、市内東部にある面積12万7000平方メートルの小島で、島の形が桐の葉の形に似ていることからこの名がつけられました。椿の名所として知られ、この島から南側の巨済・只心島までの地域は、1968年、閑麗海上国立公園（韓国初の海上国立公園）に指定されています。<br /><br />　さて、今回の万博には、外国パビリオンとしては最大規模の日本館が出店しています。日本館では、東日本大震災からの復興の様子を伝える展示を中心に、館の外壁に設置したモニターで世界中から寄せられた支援に感謝する被災者のメッセージを流し、館内では被災した少年が復興に向けて歩む姿を童話風に描いたアニメを上映するほか、ジャパン・デーの６月２日には、航海訓練所の練習帆船「海王丸」が寄港するのだそうです。<br /><br />　それはそれで結構なことですが、個人的には、今回の万博のテーマが「生きている海、息づく沿岸」となっているところが気になりますな。フツーに考えれば、韓国側はこの機会をとらえて、“独島”支配の正統性をアピールするとともに、<a href="http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2548.html" target="_blank" title="日本海呼称問題">日本海呼称問題</a>でも、東海の名称を国際的に定着させようとするものと予想されます。<br /><br />　もちろん、韓国には韓国の国益があり、それに沿って、彼らがいかなる主張をしようと、そのこと自体は止めることはできないわけですが、そのことによってわが国の国益が損なわれるというのであれば、きちんと対抗措置を取らねばなりません。まぁ、万博会場の日本館で「竹島は日本の領土であり、日韓の間にある海の名称は日本海以外にはありえない」という横断幕でも掲げられればベストでしょうが、日本以外の国では、外国人の出店者が自国の国益を損なう行為を行った場合、それを黙認すると言うことはありえませんので、実現は不可能でしょう。<br /><br />　報道では、万博への一番乗りが日本人だったということが大きく報じられていましたが、むしろ、どういう展示がなされていたのか、きちんと検証報道をしていただきたいものです。少なくとも、日本人が会場に一番乗りして「“独島”は韓国の領土・日本海の呼称は東海とすべき」という彼らの主張をありがたく受け入れたというイメージ操作がなされないよう、十分に注意しなければなりませんな。<br /><br /><span style="color:#ff0000"><strong>　★★★　ポストショップオンラインのご案内（ＰＲ）　★★★</strong></span><br /><br />　郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典<a href="http://www.postshoponline.jp/" target="_blank" title="ポストショップオンライン">ポストショップオンライン</a>は海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>韓国：金大中時代</dc:subject>
<dc:date>2012-05-12T17:40:15+09:00</dc:date>
<dc:creator>内藤陽介 (ないとうようすけ)</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>
