内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 “封筒の日”制定
2017-02-10 Fri 15:59
 封筒・手提袋など紙製品メーカー (株)ムトウユニパックが、封(=2)筒(=10)の語呂合わせで、今年(2017年)から2月10日を“封筒の日”とし、一般社団法人日本記念日協会の認定を受けたそうです。というわけで、きょうは封筒を描いた切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      万国郵便連合加盟50年(6銭)

 これは、1927年6月20日に発行された“万国郵便連合加盟50年”の記念切手のうち、世界地図を背景に手紙を運ぶハトが描かれています。日本の切手に封筒が描かれたのはこれが最初ですが、世界的に見ると、1845年に発行された“バーゼルのハト”が封筒を描く最初の切手となります。

 1840年に英国が世界最初の切手を発行して以来、切手を用いる近代郵便制度は急速に全世界へと拡大。当初、国境を越えた郵便物のやり取りに関しては、それぞれの国がさまざまな国との間で二国間条約を結んで処理していましたが、各国ごとに郵便物の重量についての制限や段階などが異なっていたほか、条約ごとに料金体系もさまざまでした。このため、一口に外国郵便といっても、宛先によって料金や手続きがまちまちで、利用者や郵政の現場では、さまざまな不便・不都合がありました。

 こうした不便を解決すべく、1862年、米国の郵政長官・ブレアは、世界共通の国際郵便条約締結を目指し、国際会議の開催を提案。これを受けて、1863年、英仏をはじめ14ヶ国の代表がパリに集まり、重量や料金の統一などについて討議し、31ヶ条からなる一般原則を採択しました。

 こうした流れを受けて、1868年、北ドイツ連邦の郵政長官・シュテファンが国際郵便条約の草案を発表します。

 19世紀初頭のナポレオン戦争以降、いわゆるウィーン体制下のドイツ圏では、オーストリア主導の下、35の領邦(地方君主国)と4の自由都市の緩やかな連合としてドイツ連邦が構成されていました。その後、このドイツ連邦内の主導権をめぐり、プロイセンとオーストリアが対立し、1866年6月、プロイセンはドイツ連邦からの離脱を宣言し、オーストリアに対して宣戦を布告しました。これが、いわゆる普墺戦争です。

 この戦争に勝利を収めたプロイセンは、ドイツ連邦を解散し、マイン川以北の領邦との間で新連邦を形成。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国、ハノーヴァー王国、ヘッセン選帝侯国、自由都市フランクフルト・アム・マインはプロイセン領とされました。こうして、1867年、プロイセンを盟主として、22の領邦の連合体による北ドイツ連邦が成立。これを母体に、1871年に誕生したのがドイツ帝国です。

 ドイツ統一以前の領邦国家の中には独自の切手を発行している国も多く、領邦間の郵便交換の調整は深刻な問題で、シュテファンが外国郵便の簡素化を各国に提唱したのも、多数の領邦国家を抱えるドイツとして、大いに不便を感じていたという事情もありました。

 さて、シュテファンの提案は、ドイツ統一後の1874年、スイスの召集により開催された郵便大会議において討議され、会議最終日の10月9日、「一般郵便連合の創立に関する条約」が調印されます。この条約は1875年7月1日から施行され、以後、一般郵便連合加盟国の間で交換される郵便物は均一料金となり、現在の国際郵便網の原型ができあがりました。

 一方、わが国では1871年に近代郵便が創業され、その郵便網は急速に整備されていきます。当初、日本郵政は外国宛の郵便物を取り扱うことはできず、開港地に置かれた米仏の郵便局を頼らざるを得ませんでしたが、1873年8月、日米間で皇米郵便交換条約が締結され、1875年1月1日以降、米国の仲介を頼ったとはいえ、日本の郵政は外国宛の郵便物の取り扱いを開始しました。

 こうした実績を踏まえ、1877年、わが国は一般郵便連合への加盟が認められ、郵便に関しては欧米諸国と対等の地位を獲得します。

 ちなみに、わが国は同連合創立以来、28番目の加盟国ですが、普仏戦争の影響から、フランスでさえ同連合に加盟したのは、日本の加盟前年の1876年のことでしたから、当時の日本の総合的な国力に比して、日本の国家郵政に対する国際社会の評価は極めて高かったといってよいでしょう。

 なお、一般郵便連合は1878年のパリ会議で万国郵便連合と改称されました。そして、1945年6月の国連憲章調印により、国連の専門機関となり、今日にいたっています。


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 安倍首相、真珠湾訪問
2016-12-28 Wed 12:09
 ハワイ訪問中の安倍晋三首相は、けさ(現地時間27日午前)、米国のオバマ大統領と共に日米開戦の発端地となった真珠湾を訪問し、慰霊の献花を行いました。戦後、日本の首相による真珠湾訪問は4人目、現職の米大統領とともに献花するのは初めてです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      真珠湾攻撃(吉岡堅二)

 これは、1943年12月8日に発行された“大東亜戦争記念報国葉書”のうち、吉岡堅二の戦争画「ハワイ眞珠灣強襲」を取り上げた1枚です。“大東亜戦争記念報国葉書”は、額面2銭の葉書を3種セット30銭で販売したもので、このうちの10銭が国防献金となっています。

 「ハワイ眞珠灣強襲」の作者、吉岡堅二は、1906年、東京市本郷区に日本画家・吉岡華堂の次男として生まれました。

 11歳の時に父を亡くし、当初は彫刻家を志したものの、画家に転じて、父と寺崎広業門で同門であった野田九浦の居仁洞画塾に入門して日本画の修業を積み、1912年に帝展初入選。1930年には帝展特選となりました。翌1931年の第1回独立美術協会展でのフォーヴ的な傾向に大きな刺激を受けて日本画の革新へと大きく転回し、1934年、福田豊四郎らと美術人社を結成。若手作家らによる昭和の日本画革新運動の中心的作家の一人として活躍しました。

 1937年に支那事変(日中戦争)が始まると、翌1938年9月から1939年1月まで、従軍画家として、大連-奉天-新京-哈爾賓-吉林-斉々哈爾-洮南-奉天-承徳(熱河)-北京-天津-済南-青島-上海-九江-安慶-蕪湖-南京-蘇州-上海-大連の順に各地を回り、この間、大連および新京の商工会議所で福田豊四郎との2人展開催しています。

 帰国後の1939年、日本大学芸術科学園美術科の日本画講師に就任し、中国での体験をもとに、同年4月の第五回煌土社展に「駱駝」、「雲崗石窟(素描)」、「雲崗石仏(素描)」、「閘北戦趾(素描)」を出品。また、同年、陸軍美術協会が設立されるとこれに参加し、7月に開催の聖戦美術展(陸軍美術協会、朝日新聞社共催)の審査員として、油彩画「爆撃用意」を出品しました。

 1941年に大日本航空美術協会(会長:堀丈夫中将)が結成されると、発起人としてこれに参加。同年7月の第2回聖戦美術展で審査員をつとめ、「雨中急迫」、「マレーの敵軍航空基地爆撃」を出品したほか、9月には第1回航空美術展の審査員をつとめ「群像」を出品。さらに、開戦直前の10-11月にはハノイ、サイゴン、ユエ、ハイフォンで開催された仏印巡回日本絵画展に「芙蓉」を出品しています。

 大東亜戦争開戦後は、1942年3月に東京・日本橋の三越百貨店で開催された日本画家報国会主催軍用機献納作品展に「雉子」を出品したほか、同年5-8月には陸軍作戦記録画制作のためジャワに派遣され、この間、小磯良平から油彩画の手ほどきを受けています。また、1944年12月からは台湾経由でマニラに派遣され、1945年2月3日の米軍のマニラ進入直前まで現地で調査・取材を続けました。

 この間、吉岡が現地体験を活かして制作した戦争絵画としては、「カリジャティ西方の爆撃」(1942年12月・第1回大東亜戦争美術展)、「猛追」(1943年・陸軍美術展)、「蘭印軍兵器参考図」(1943年・第6回新美術人協会展)、「小田軍曹機の体当り敢行よく船団を救う」(1944年・陸軍美術展)、「ブラカンマティ要塞の爆撃」(1944年・文部省主催戦時特別美術展覧会)、「(昭和19年度陸軍作戦記録画)高千穂降下部隊レイテ敵飛行場を攻撃す」(1945年・戦争記録画展)などがあります。

 また、1939-44年に靖国神社の春・秋の大祭ごとに制作した『靖国の絵巻』にも、「 峻嶮難行(ニューギニア) 南政善」(1943年春)、「敵拠点を衝く(ニューギニア)」(同)、「陸鷲のダーウイン初爆撃」(1943年秋)、「北千島に敵の反攻粉砕」(1944年春)、「印度洋上死の船団掩護」(1944年秋)等が収められています。

 しかしながら、今回ご紹介の葉書に取り上げられた「ハワイ真珠湾強襲」は、彼の業績としてリストに挙げられることはほとんどありません。純粋に、絵画としての完成度としては、上述の作品に比べると劣るということなのかもしれませんが、我々収集家としては、ちょっと残念ですな。

 さて、戦後の吉岡は、1948年に福田豊四郎、山本丘人、上村松篁らと反官展を表明する創造美術を設立。1959年には東京芸術大学教授に就任し、1971年、日本芸術院賞を受賞。また戦前期の法隆寺金堂壁画模写事業および戦後の壁画再現事業にも従事しました。1990年没。

 戦後の代表作としては「楽苑」(1950年・第3回創造美術展 芸能選奨文部大臣賞)、「鳥碑」(1970年・第34回新制作展 日本芸術院賞)などがあります。なお、吉岡は、魚介シリーズの「うなぎ」の原画も制作していますが、今回ご紹介の絵葉書の「ハワイ眞珠灣強襲」と「うなぎ」の作者が同一人物だったとは、言われないと気付かない人も多いかもしれません。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 明治神宮の切手
2016-11-03 Thu 11:17
 きょう(3日)は旧明治節(明治天皇の誕生日で1947年までの祝日)です。というわけで、ストレートにこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      明治神宮・1次昭和8銭

 これは、1939年8月11日に発行された明治神宮を描く8銭の普通切手です。切手は、1936年3月27日に撮影された写真をもとに木村勝が原画を作成したもので、神宮正面中央内側から拝殿が描かれています。当初、8銭切手の題材としては、日光東照宮陽明門が予定されていましたが、最終的に、陽明門は10銭切手の題材となり、8銭切手には明治神宮が取り上げられることになりました。

 明治天皇の遺徳を偲ぶため、天皇と皇后(昭憲皇太后)を祭神として祀る明治神宮の造営工事は1916年から始まり、全国から延べ10万人もの青年団が奉仕して1920年に完成となりました。

 社殿の建築様式は流造とよばれるもので、神明造の屋根に反りを付し、その前流れを長くしたもの。平安時代に発展した様式で、京都の下鴨神社がその典型です。なお、神社といえばつきものの狛犬ですが、明治神宮は古い形式の神社を踏襲しているため、狛犬は参道にではなく、内陣(本殿の最も奥、御神体あるいは御霊代を奉安する場所)に置かれています。

 神宮の造営以前、周囲は現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。造成工事が始まると、日本全国はもとより、植民地の樺太(現サハリン)や台湾、満洲(中国東北部)、朝鮮などからも境内に植えるための樹木が奉納されました。その数は、実に365種類10万本。こうして、もともとは人工林として出発した“神宮の森”でしたが、その後、東京の気候にあわない樹木が枯れるなどして、ほぼ自然林に近い状態となり、現在は247種類17万本の緑が生い茂っています。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

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 建国記念の日
2016-02-11 Thu 10:11
 きょう(11日)は建国記念の日です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      橿原神宮

 これは、1940年11月10日に発行された「紀元2600年」の記念切手のうち、橿原神宮を描く20銭切手です。

 橿原神宮は、神武天皇とその皇后(媛蹈鞴五十鈴媛命)を祭神とする神社で、神武天皇の皇居であった畝傍橿原宮があったといわれる畝傍山(奈良県)のふもとにあります。ただし、切手に描かれた社は古代からこの地に存在していたわけではなく、1890年、紀元2550年の記念事業の一環として、京都御所内の内侍所と神嘉殿を移築して創建されたものです。したがって、歴史的な文化財というよりも、多くの宗教美術・建築などと同様に、記紀神話の世界観を可視化するための建造物とみるのが妥当でしょう。

 さて、以前の記事にも書きましたが、天孫降臨や神武東征などの記紀神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。ただし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたい部分が多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語=神話としての記紀神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿だと僕は思います。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業でこそ、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して反対するんでしょうな。困ったものです。

 
 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 明治天皇を祀った神社
2015-11-03 Tue 22:52
 きょう(3日)は旧明治節(明治天皇の誕生日で1947年までの祝日)です。というわけで、明治天皇を祀った神社の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      関東神宮鎮座

 これは、1944年10月1日に発行された“関東神宮鎮座”の記念切手です。

 日露戦争の結果、日本の租借地となった関東州(遼島半島の普蘭店北方の長陽寺会付近から貔子窩東方の碧流河付近にいたる線より南の、旅順・大連を中心とした地域)では、1936年9月1日、日本の統治下に入ってから30周年を迎えたことから、その記念事業の一環として、旅順港と日露戦争の戦跡を見下ろす約30万坪の土地に天照大神と明治天皇をご祭神とする“関東神宮”を創建することが企画されました。

 その後、企画から8年の歳月をかけて、1944年10月1日、関東神宮は鎮座祭にこぎつけ、それにあわせて、関東神宮の本殿と関東州の地図を組み合わせた記念切手が発行されました。なお、この切手は、大日本帝国の郵便事業を管轄していた通信院(戦時下の行政機構簡素化で、1943年、逓信省は通信院に改組)によって発行されましたが、その実態としては、関東州サイドが企画・発売を全面的に取り仕切っていたほか、発売も関東州の域内に限られていました。

 なお、関東神宮は1945年の日本の敗戦により廃社とされたため、関東神宮で“明治節”が祝われたのは、1944年の1度のみに終わっています。

 ちなみに、このあたりの事情については、拙著『皇室切手』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
* けさ、アクセスカウンターが158万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 ・11月7日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『ペニー・ブラック物語』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

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 11月11日刊行予定ですが、現在、版元ドットコムamazonhontoネットストア新刊.netの各ネット書店で予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 世界母乳の日
2015-08-01 Sat 22:53
 きょう(1日)は、“世界母乳の日”です。というわけで、授乳の場面を描いたマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      別れの乳房

 これは、日中戦争(支那事変)中の1939年に日本赤十字社が作った絵葉書に、同年発行の赤十字条約成立75周年の記念切手を貼り、特印を押した記念品です。絵葉書に取り上げられているのは、出征前にわが子に最後の授乳をする従軍看護婦を描いた洋画家の中澤弘光の作品「別れの乳房」です。

 1890年4月から学生の受け入れを開始した日本赤十字社看護婦養成所は、卒業生に対して、卒業後、20年間(後に15年、さらに12年に短縮)は応招義務を負うものとしていました。このため、彼女たちは、平時には日赤病院その他に勤務し、戦時招集状が届けば戦地に向かうのが大原則で、それゆえ、この絵葉書に描かれているように、夫や子供を残して戦地に向かうというケースもありました。

 ちなみに、満洲事変以降の昭和の戦争において出動した従軍看護婦は、日赤出身者だけで960班(一班は婦長1名、看護婦10名が標準)、延べ3万5000名に上っており、うち1120名が戦没しています。


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 ロイヤル・ダッチ・シェルの精油所
2015-07-31 Fri 10:11
 石油元売り国内2位の出光興産と同5位の昭和シェル石油は、きのう(30日)、経営統合することで基本合意し、まず出光が昭シェル親会社の英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルから33.3%の株を取得し、2016年をめどに統合をめざすことを発表しました。というわけで、きょうはロイヤル・ダッチ・シェルに絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パレンバン精油所襲撃絵葉書

 これは、日本軍の落下傘部隊がスマトラ島パレンバンにあったロイヤル・ダッチ・シェルの精油所を攻撃する場面を取り上げた絵葉書です。

 第二次大戦以前のオランダ領東インド(現インドネシア。以下、蘭印)の石油生産は、ロイヤル・ダッチ・シェル(実務を担当したのは子会社のバターフセ石油会社=BPM)、米国スタンダード・オイル社系のスタンダード・ヴァキューム石油会社(スタンバック)、オランダ太平洋石油会社(NPPM、現カルテックス)の3社体制で、3社による蘭印全体での石油の総生産量は年間800万トン。そのうち、パレンバン周辺地区での産出量は300万トンでした。ちなみに、当時のわが国の石油の年所要量は約500万トンです。
 
 さて、1940年以降、日米関係が悪化する中で、米国による対日資産の凍結(1941年6月)、石油の対日禁輸措置(同8月)などで追い詰められた日本は、石油を確保するため、蘭印、特にパレンバンの石油を確保するための南方作戦を立案。日米交渉の決裂により、1941年12月、いわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発となります。

 ところで、パレンバンの市街地はムシ川の両岸に広がっており、河口からは約100キロの地点にあります。このため、河口から遡上して市内に上陸しようとすると、その間に、オランダ側は油田設備を破壊してしまう可能性がありました。そこで、日本の帝国陸軍は空挺部隊を用いて飛行場を制圧し、あわせて油田と精油所を奇襲攻撃して電撃的に占領するというプランを立てます。

 かくして、1942年2月14日、第1挺団が、陥落直前のシンガポールからたなびく黒煙で視界不良の中、パレンバンの油田・製油所と飛行場に対して落下傘で降下。翌15日午後には、第2悌団がパレンバン市街地南側の湿地に降下し、パレンバン市全域を占領し、肝心の油田と精油所もほぼ無傷で確保することに成功しました。これが、いわゆる“空の神兵”で、戦時歌謡や渡辺義美監督の映画の題名になったほか、数多くの戦争絵画にも取り上げられ、さらにその一部は、今回ご紹介の絵葉書などにも転用されています。

 ちなみに、“神兵”たちが降り立ったロイヤル・ダッチ・シェルの製油所は、現在、インドネシアの国有石油関連企業、プルタミナのプラージュ精油所となっています。2012年、僕は“神兵”の故地を見ようと精油所を訪ねて見学させてもらいました。敷地内は撮影禁止の場所も多かったのですが、下のような写真は撮ることができました。

       パレンバン・精油所風景

 なお、この時のレポートについては、拙著『蘭印戦跡紀行』でも1章を設けておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
      

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 大正池100年
2015-06-06 Sat 14:22
 1915年6月6日、焼岳の噴火によって上高地の大正池ができてから、きょうでちょうど100年です。というわけで、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      大正池

 これは、1939年12月21日に発行された5銭の普通切手で、上高地の大正池が取り上げられています。

 当初、第一次昭和切手の5錢切手に関しては“山田長政軍艦又ハ御朱印船”が予定されており、“上高地”は20銭切手の題材として検討されていましたが、最終的に、上高地が5銭切手の題材となり、20錢切手には“富士と桜”が取り上げられました
 
 大正池は、1915(大正4)年6月6日の焼岳の噴火により噴出した泥流が梓川をせき止めてつくられました。水没した林が立ち枯れとなっている独特の景観は、1928年に上高地が「名勝及ビ天然紀念物」に指定される理由の一つとなりました。また、当初は、梓川にできた湖ということで“梓湖”とも呼ばれていましたが、大正年間にできたことから、いつしか大正池の名称が定着しています。

 1915年の時点では、大正池湖面の面積は現在の2倍以上の3.9平方キロあり、水面上の立ち枯れの木々も2000本を優に超えていました。また、水量が豊かで、落差が大きかったため、1927年、東京電力は大正池を調整池として霞沢発電所で発電を開始しました。しかし、大正池は上流から流入する土砂が池底に堆積するため、そのまま放置すると、年々浅くなり、計算上は、7-8年で完全に埋没してしまうのだとか。このため、毎年冬、東京電力は1-3万立法メートルの土砂を浚渫し、景観を維持しているそうです。

 
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 バマコに行った東郷元帥
2014-05-27 Tue 16:33
 今日(27日)は、1905年の日本海海戦での勝利を記念した旧海軍記念日です。というわけで、東郷元帥がらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本発バマコ宛カバー

 これは、1937年11月15日、神戸から、当時の仏領スーダン(現在のマリの前身)の首府バマコ宛のカバーで、外信印刷物の料金として、東郷元帥の4銭切手が1枚貼られています。カバーを運んだ英国船“ランチ”は、P&Oの所有で1925年1月24日に進水し、当初は英本国とボンベイ(ムンバイ)の間を就航していましたが、後に極東まで路線を伸ばしています。また、第二次大戦中は英国海軍に徴用され、仮装巡洋艦として用いられました。

 宛先のバマコはニジェール川沿岸の都市で、旧首府のカイからは517キロ南東に位置しています。市域は5つの丘に囲まれており、丘の麓の洞窟からは先史時代の岩画も発見されています。中世のマリ帝国の時代には交易の中心地との一つとして繁栄したこともありましたが、19世紀までにはすっかり衰退し、人口も数百人規模にまで落ち込んでいました。しかし、1880年、ジョゼフ・シモン・ガリエニひきいるフランス軍によって占領され、1883年以降、フランス支配下でのインフラ整備が進められてフランス風の建物が建ち並ぶ新市街が形成され、1908年、カイに代わって仏領オート・セネガル・ニジェールの首都となります。

 その後、第一次大戦後の仏領西アフリカ植民地の再編成の過程で、1921年12月1日、仏領オート・セネガル・ニジェールを改変して誕生したのが、今回のカバーの宛先国となっている仏領スーダンで、これが、現在のマリ共和国の直接のルーツとなりました。

 ちなみに、マリでは、今月17日から北部の砂漠地帯で、トゥアレグ分離独立勢力を含む複数の武装集団の連合組織と政府軍との間で激しい衝突が発生しており、反政府側組織のアザワド解放全国運動(MNLA)によれば、反政府側は政府軍の40人を殺害、70人を捕虜にし、政府軍から数十台の車両と数トンにのぼる武器・弾薬を奪ったとされています。

 これに対して、アフリカ連合の議長を務めるモーリタニアのアブドルアジズ大統領は、ルワンダ訪問を途中で切り上げ、MNLAをはじめ反政府勢力側と会談。これを受けて、23日に停戦合意が成立したばかりです。
 
 なお、マリとその近現代史については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 安倍首相が靖国参拝
2013-12-26 Thu 14:44
 安倍晋三首相が、けさ(26日午前)、東京・九段北の靖国神社を参拝しました。現職首相の参拝は小泉政権時代の2005年8月17日以来7年ぶりだそうです。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      靖国27銭

 これは、1945年2月2日に発行された靖国神社の大鳥居を描く27銭切手です。

 靖国神社のシンボルともいうべき大鳥居(第一鳥居)は、じつは、神社創建の時からあったわけではなく、大正時代の1921年になって建てられたものです。なお、これ以前に、現在第二鳥居となっている鳥居が、1887年に大阪の砲兵工廠で作られて運び込まれています。

 大鳥居は、柱を地面に対して垂直に立てて笠木(上の横木)を乗せた神明系といわれる形式ですが、笠木が丸太状なのに対して、貫(柱の途中に渡されている横木)が角材で柱を貫通していない独特のスタイルになっています。これは、靖国神社だけでなく、全国の護国神社に共通して見られる形式で、一般に“靖国鳥居”と呼ばれています。

 いわゆる太平洋戦争が始まると、戦意高揚を兼ねて、普通切手の図案公募が行われ、入選作品を図案とする切手の発行が開始されました。靖国神社のデザインは森勝三郎の作品で、まずは、1943年2月21日、当時の速達ならびに書留料金用の17銭切手として発行されました。当然のことながら、森の原画は、1921年に建てられた大鳥居を描いたものです。

 ところが、戦時下で十分なメンテナンスが行われなくなっていた大鳥居は、表面の青銅が剥がれ落ち、内部の鉄骨も腐食が進んだため、切手発行後の1943年、①戦争終結後に必ず再建すること、②解体後の銅と鉄は戦争に使うこと、などを条件に軍部によって撤去されてしまい、代わりに木造の仮鳥居が建てられました。

 その後、1944年4月1日の郵便料金改正により速達ならびに書留料金が27銭になったことから、靖国神社の旧大鳥居のデザインはそのままに、額面と刷色を変更して、1945年2月2日に発行されたのが、今回ご紹介の切手です。したがって、この切手が世に出た時には、切手に描かれた鳥居は世の中に存在していなかったということになりますな。

 1943年の大鳥居撤去の際の経緯から、関係者の間では、戦後、早急に大鳥居を再建したいという希望が強くありました。しかし、敗戦により靖国神社の存続そのものが危ぶまれるような状況でしたから、大鳥居の再建など夢のまた夢という状況がしばらく続きました。結局、戦後20年近く経った1974年になって大鳥居は再建されるのですが、世論の反対を考慮して再建計画は極秘裏に進められ、マスコミに情報が漏れるのを防ぐため、資金の調達も、企業からの大口の寄付ではなく、個人から少額の寄付を幅広く募るという方法がとられています。

 大鳥居の再建に際しては、とにかく“日本一の大鳥居”を作るということが関係者の間の総意となっていたようで、見積りが開始された後になって、栃木県に当時日本一の大きさの鳥居が完成すると、急遽、仕様が変更されるということまであったそうです。
 
 設計陣は、当初、30メートルないしは35メートルの鳥居を目指していたともいわれていますが、結局、再建された大鳥居は、柱の高さが25メートル、笠木が約34メートルというサイズになりました。総重量は約100トン。これを支えるため、鉄に炭素・硅素・マンガンなどを加えた耐候性高張力鋼板という特別な合金が使われています。

 さて、あらためて言うまでもないことですが、靖国神社には帝国陸海軍の軍人として戦い、亡くなった台湾・朝鮮などの方々の霊も祀られており、僕たちは、そうした“外地”出身の英霊の方々にも感謝と哀悼の意を示しています。靖国“神社”だからけしからんという人もあるのかもしれませんが、どんな国家もその国家なりのやり方で、自国のために亡くなった方に対して慰霊の誠をささげる権利はあるわけで、そのやり方が気に入らないからと言ってクレームをつけるのは、いわば、他人の家の葬式なり法事なりに入り込んできて妨害するのと同じことですから、実に非礼な話と言わざるを得ません。

 こういうと、靖国神社には、いわゆるA級戦犯が合祀されており、中国・韓国が反発するから参拝はいけないという反論が必ず出てくるのですが、それなら、たとえば、韓国・ソウルの銅雀にある国立顕忠院を参拝することについて異議を唱える韓国人がいるのでしょうか。顕忠院は、独立運動家や国家功労者、朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦死者、朴正煕元大統領など歴代大統領が祀られている施設です。現在の韓国の左派勢力の中には、日本統治時代はもとより、1987年の民主化以前は人権抑圧の暗黒時代だと主張する人もいるようですが、それなら、そうした人権抑圧の最大の象徴である朴正熙と国家の英霊を同等に扱うのはけしからんという主張が出てきてもおかしくないのですが、寡聞にして、靖国批判をする人がそういっているのは聞いたことがありませんな。

 いずれにせよ、この7年間は韓国の顕忠院や米国のアーリントン国立墓地には献花しても、靖国神社には参拝しない総理というのが続いていたことは紛れもない事実です。今回の一件で、日本政府の最高責任者が、他国の戦没者を追悼することはできても、自国の英霊は無視するという、明らかに歪んだ状況が改善されるきっかけになれば良いですね。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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