内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 フィデル・カストロ、亡くなる
2016-11-26 Sat 19:13
 キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が、25日夜、亡くなりました。享年90歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、彼の肖像切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・CDR65周年

 これは、2013年にキューバで発行された「革命防衛委員会53周年」の記念切手で、演説をする若きフィデルと、老境に入り穏やかな表情となったフィデルを対比させた図案になっています。

 フィデル・カストロは1926年8月13日、キューバ島ビランの裕福な地主の子として生まれました。1950年にハバナ大学法学部を卒業し、弁護士として貧困問題に取り組んでいましたが、1953年7月26日、腐敗が蔓延するフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒すべく、同志165名とともにモンカダの兵営を襲撃しました。

 この蜂起は失敗し、フィデルも逮捕・投獄されましたが、裁判に際して、弁護士であったフィデルは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮15年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されました。しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、フィデルらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらフィデルの釈放を認めざるを得なくなります。

 こうして釈放されたフィデルは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合。こうして、フィデルとチェ(“仲間”を意味するゲバラの愛称)・ゲバラという黄金コンビが誕生し、彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に、革命運動を展開することになりました。

 彼らは1956年12月、ヨットグランマ号でキューバに再上陸。バティスタ政権の攻撃により同志は一時17名にまで減少しましたが、国内のさまざまな反独裁勢力に支えられて徐々に勢力を盛り返し、1959年1月、バティスタ政権を打倒し、革命を成就しました。

 当初、革命政権の首相は弁護士のミロ・カルドナが就任しましたが、わずか2週間あまりで辞任。2月にはフィデルが首相に就任し、以後、2008年の引退にいたるまで、約半世紀に及ぶフィデルの政権がスタートします。

 革命当初、フィデルは必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 ところが、その“改良主義”の実現に際してフィデルが行った農地改革は、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込んでおり、米国系資本は大きな打撃を受けることになりました。このため、米国はキューバ政府に抗議し、フィデルがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、革命政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、アメリカの“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、革命政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止します。

 もっとも、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国が期待していたような効果を挙げることなく終わりました。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表。この声明に激怒した米国は、ついに、実力で革命政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるフィデル暗殺計画(毒入の葉巻がフィデルのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月19日、米国はキューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、フィデルは米資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていきます。
 
 こうした状況の下で、9月18日から10日間にわたり、フィデルは国連総会へ出席するためにニューヨークを訪問。この間、米国務省はフィデルの在米中の行動範囲をマンハッタン島内に限ると通告すると、キューバも国連総会の期間中、駐ハバナ米大使の行動範囲を大使館周辺に限定すると通告するなど、両国の激しいせめぎあいが行われました。

 そして、9月28日、帰国したフィデルが革命広場で帰国報告の演説を行っている途中、4発(2発との説もあります)の爆弾が爆発するという暗殺未遂事件が発生。辛くも難を逃れたフィデルは、とっさに事件を逆手に取って、「集団的警備の充実のため」として、“革命防衛委員会”の設立を提案し、これを満場の拍手で承認させています。

 今回ご紹介の切手は、この事件から起算して65周年になるのを記念して発行されたもので、フィデルの写真は件の演説の際に撮影されたものではないかと思います。

 さらに、1961年4月、革命政権転覆を目指すCIAはキューバ侵攻作戦(ピッグス湾侵攻作戦)を発動。作戦は失敗に終わりましたたが、事態を重く見たキューバはひそかにソ連の核ミサイルを誘致しようと考えます。このことが明るみに出て、キューバを舞台とした米ソ核戦争の危機が懸念されたのが、いわゆるキューバ危機でした。

 キューバ危機は、結局、ソ連がキューバの核ミサイルを撤去することで終結したが、その後も、アメリカによる包囲網と対峙し続けるなかで、キューバではフィデルを頂点とする一党独裁体制が構築されていくことになりました。

 ところで、キューバの場合、他の独裁国家で見られるような指導者に対する個人崇拝が見られない点が最大の特色とされています。

 実際、キューバではバティスタ政権時代への反省から、存命中の人物のモニュメントを公式の場に飾ることを禁じる法律も存在しており、フィデル本人も、自身の肖像がTシャツにプリントされたり、絵画に取り上げられたりするのを極点に嫌っていました。現役時代のフィデルの肖像が切手に取り上げられたケースは皆無ではありませんが、毛沢東やホーチミン、金日成・正日父子、サダム・フサインなど、同時代の他の独裁者とくらべると、驚くほど少ないのが特徴でした。

 しかし、イデオロギーを前面に掲げる国家であればあるほど、抽象的な理念に人々を動員するためのイコンが必要となります。そこで、キューバにおいては、フィデルに代わって、ゲバラがその役割を担うことになりました。

 端正なマスクのゲバラは、長髪にベレー帽、ヒゲに戦闘服というスタイルで、革命政府の国立銀行総裁、工業相を歴任し、新生キューバの経済発展のために寝食を忘れて働きましたが、現実の前に革命の理想を曲げることを潔しとせず、キューバの支援者であったソ連に対しても「帝国主義的搾取の共犯者」と名指しで非難するなど容赦ありませんでした。そして、1965年には元勲の地位を捨ててキューバを後にし、家族とも別れ、再び一ゲリラ兵士となってボリビアのジャングルに赴き、捕らえられて銃殺されます。享年39。

 かくして、ハイスクール時代のジョン・レノンに“世界で一番カッコいい”といわしめたゲバラの神話が、英雄の悲劇的な死によって完成。キューバ人写真家アルベルト・コルダが撮影した「英雄的ゲリラ」のポートレイトは、1967年にゲバラが亡くなると追悼写真として紹介され、翌年のフランス5月革命のシンボルとして用いられたことで、いちやく、世界でもっとも有名なポートレイトのひとつとなりました。原写真の撮影者コルダと写真を加工してイラスト化したジム・フィッツパトリックが、ともに、著作権を主張しなかったため、“英雄的ゲリラ”は1970年代に入って西側諸国の学生運動が退潮期に入ってからも盛んに複製され、やがて、ゲバラの思想とは無関係にファッション・アイテムとして定着します。

 こうした流れと呼応するかのように、キューバ政府はゲバラの肖像を革命の理想を体現したイコンとして国中にあふれさせてきました。国家のメディアとしての切手においても事情は同様で、ゲバラの肖像切手はかなりの数が発行されています。特に、ソ連崩壊によって経済的支援者を失った1990年代以降、キューバ政府は世界的に人気のあるゲバラをさかんに切手に取り上げて、外貨獲得の一手段として活用してきました。

 ところが、そうしたキューバの革命神話の構造は、2000年以降、いささか様変わりし、フィデルの神格化が徐々に進行していくことになります。

 すなわち、2000年代以降、さすがのフィデルも年齢からくる体力の衰えは隠せなくなり、演説時に倒れこむ場面も見られるようになりました。このため、後継者問題が急速に現実のものとして浮上しましたが、半世紀にわたってフィデル築き上げてきた国内の権威を簡単に継承できる人物は存在しません。そこで、フィデルの負担が軽減され、彼の権限が少しずつ委譲されるようになると、キューバの国家体制は、フィデルの意思とは無関係に、フィデルを神格化し、行政実務の現場は神官の立場として神の意志を実行するという建前の下でまわしていかざるを得なくなったのでしょう。

 じっさい、フィデルが腸の病で外科手術を受けたのは2006年のことでしたが、その前年の2005年にはフィデルの肖像切手が2種類発行されています。以後、フィデルの肖像切手の発行は事実上解禁され、2008年2月、フィデルが国家元首に相当する国家評議会議長と軍の最高司令官を退任し、1959年の革命以来の同志で実弟のラウルがその後継者となると、フィデルの肖像切手が発行されることも珍しくなくなり、革命50年にあたる2009年にはフィデルの生家とその一帯が歴史博物館として国の文化財に指定されています。

 かつて、「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と高らかに宣言したフィデルでしたが、晩年、みずからが急速に歴史上の人物として祭り上げられていくのを目の当たりにしながら、現在、半世紀に及ぶ革命の“成果”(社会主義政策の失敗により、キューバが経済的に困窮していることは万人の認めるところである)を棺の中でどのように総括しているのでしょうか。


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 教皇と総主教の会談
2016-02-13 Sat 11:02
 ローマ・カトリック教会の教皇フランシスコと、ロシア正教会のモスクワおよび全ロシア総主教キリルが、12日(現地時間。日本時間13日未明)、キューバの首都ハバナのホセ・マルティ国際空港で会談を行いました。キリスト教会が1054年に東西に分裂して以降、両トップが会談するのは今回が初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・教皇訪問(2015)

 これは、昨年(2015年)、教皇フランシスコのキューバ訪問に際して、キューバが発行した記念切手で、教皇とラウル・カストロ国家評議会議長の肖像が取り上げられています。

 キューバはもとはスペインの植民地だったこともあり、現在でも、国民の多くはカトリックの信者です。しかし、革命を主導したフィデルが無神論者だったことに加え、キューバのカトリック教会がバティスタ政権と反革命派を支持していたこともあって、革命政権は司祭や尼僧ら約300人を国外追放した上、教会が所有していた学校を全て国有化するなどの弾圧政策を推進。これに対して、教皇ヨハネ23世はフィデルを破門するなどの対抗措置を講じ、両者の関係は長らく断絶していました。

 しかし、冷戦終結によりソ連などからの経済支援が断たれ、キューバが対外融和政策を展開するようになると、その一環として、1992年、フィデルの政権はキリスト教徒に対する融和制作を導入。はたして、教皇ヨハネ・パウロ2世は米国によるキューバへの通商停止に対して「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難を行い、バチカンとキューバの関係は劇的に改善します。そして、1996年11月、フィデルはヴァチカンを訪問して教皇に謁見。キューバの宗教弾圧政策は事実上、放棄されました。さらに、1998年の教皇のキューバ訪問を受けて、キューバ政府はクリスマスを再び休日とするなど、関係改善はさらに進みました。

 さらに、2013年3月、当時の教皇、ベネディクト16世がキューバを訪問したのを機に、水面下でヴァティカンの仲介によるキューバと米国の関係改善に向けた交渉が進み、2015年4月には、1956年以来59年ぶりに米・キューバ首脳会談が実現。同年7月には両国の国交回復が実現しました。

 このように、ヴァティカンは米国とキューバの交渉を仲介し、国交回復を後押ししてきた経緯があることから、米・キューバ国交回復後の2015年9月の教皇のキューバ訪問に際しては、今度は、教皇からキューバ側に対して、キリル総主教との会談に向けての協力が要請され、今回、ホセ・マルティ国際空港での歴史的な会談につながったというわけです。

 なお、今回の会談では、“イスラム国”ことダーイシュの勢力拡大により迫害を受けている中東のキリスト教徒の保護が最大の議題と報じられています。

 ただ、会談の日付が、ウクライナ紛争の停戦合意が結ばれてから1周年の2月12日に設定されていることは、もう少し注目されても良いかもしれません。

 もともと、歴史的にウクライナ正教会とウクライナ東方カトリック教会の対立は東西教会の最大の懸案事項のひとつとなっていましたが、2005年、ウクライナ東方カトリック教会が2005年に拠点をリビウからキエフに移したことに対して、正教会側はカトリックの“東方進出”として猛反発していたという経緯があります。また、ウクライナの正教会は、モスクワ総主教庁からの自立を主張するキエフ総主教庁とモスクワ総主教庁に分裂しており、そこに2014年以来のウクライナ紛争が絡んで、複雑な様相を呈しています。

 こうした中で、教皇フランシスコは、西側諸国がロシアによるウクライナ紛争への介入を非難するなかで、一貫して、ロシアへの批判を避けており、プーチン政権に宥和的な姿勢を示していることから、今回の教皇と総主教の会談は国際的な孤立を深めるプーチン政権にとって、事態打開のための好材料になるのは確実です。

 これに対して、プーチン包囲網を緩めるつもりのないEUは、昨年2月にウクライナ停戦合意を仲介した功績に応えるとして、“欧州最後の独裁者”と言われるベラルーシのルカシェンコ大統領に対する資産凍結・渡航禁止の制裁を解除して、ルカシェンコのEU接近を促し、ロシアを牽制する意図を明確にするなど、敏感に反応しています。

 いずれにせよ、今回の教皇と総主教の会談は、東西教会の合同問題を実質的に棚上げしたうえで、国際情勢に対処するために行われたものであり、それゆえ、今後、その“成果”がどういうかたちで表面化してくるのか、注目しておきたいところです。

 
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 米・キューバ、国交回復
2015-07-02 Thu 12:19
 きょう(2日)未明(米東部時間では1日午前)、オバマ米大統領は、キューバと54年ぶりに国交を回復し、双方の首都で大使館を再開することで合意したことを正式に発表しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました、(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・砂糖宣伝機械印(1960)

 これは、1960年3月、ハバナからニューヨーク宛に差し出された郵便物で、「キューバの砂糖を買おう」という英語・スペイン語のスローガンが入った機械印が押されています。ちなみに、キューバにとって砂糖は伝統的に主要産業でしたから、同様の文言が入った宣伝機械印は長期間にわたり、さまざまなタイプのモノが使われました。

 1959年のキューバ革命を経て発足したフィデル・カストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、まず、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込みました。しかし、このことは、革命以前のキューバの富を独占していた米国をいたく刺激します。

 このため、米政府は、農地改革を断行したキューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになり、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 今回ご紹介のカバーは、こうした時期にキューバから米国宛に差し出されたものですが、米国を激怒させた農地改革の宣伝切手を台切手とする加刷切手が貼られ、“キューバの砂糖を買おう”というスローガンが押されているというのが、何とも皮肉な組み合わせです。

 さて、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。

 今回の国交回復はこの時以来のことで、両国大使館の再開は今月20日になる予定だそうです。


 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 59年ぶりの米キューバ首脳会談
2015-04-12 Sun 12:16
 米国のオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が、きのう(11日)、直接会談を行いました。両国首脳が会談するのは1956年以来59年ぶりだそうです。というわけで、1956年のキューバの出来事に関する切手ということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       キューバ・グランマ号

 これは、1965年にキューバが発行した「革命博物館」の記念切手のうち、グランマ号の方位磁石を描いた1枚です。

 1953年7月26日、フィデル・カストロらは親米独裁のバティスタ政権打倒をめざして、キューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。しかし、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいます。その裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮15年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されることになりました。

 しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラ(いわゆるチェ・ゲバラ)と知り合い、意気投合します。

 メキシコでのカストロは、反政府組織“7月26日運動(M26)”を軸に、キューバ遠征のための資金の調達とゲリラの訓練を開始。そして、1956年11月25日、グランマ号でメキシコのトゥスパンを出港しました。

 グランマ号は1943年頃に製造された定員12名のディーゼルエンジン駆動のクルーザーで、カストロが中古のヨットとして購入した時の値段は5万メキシコ・ペソ(当時のレートで約1万5000ドル)でした。なお、カストロは、当初、米海軍のカタリナ飛行艇か航空機救難艇を購入しようと試みたもの、資金が圧倒的に不足しており、最終的にグランマ号しか買えなかったというのが実情でした。

 さて、グランマ号は12月2日にキューバへ上陸しますが、定員を遥かに超える82人もの兵士が乗り込んだために衛生環境が悪化し、さらに荒天でキューバ到着が予定より遅れて航海が長引いた事で、上陸する前に彼らの士気は相当下がっていたと言われています。また、カストロは事前に再上陸することを発表していたので、上陸後すぐにバティスタの政府軍に包囲され、革命側が命からがらシエラ・マエストラ山脈に逃げのびたときには、彼らの兵力はわずか17名(このうちの5名は途中で合流した農民である)にまで減少していました。

 こうして絶望的とも思われたカストロの革命でしたが、キューバ国内のさまざまな反独裁勢力に支えられ、各地の農村から集まってくる志願兵を受けいれるかたちで徐々に勢力を盛り返し、1959年、バティスタ政権打倒の革命を達成します。

 ちなみに、グランマ号が再上陸したときの米大統領はアイゼンハワーでした。米キューバの首脳会談はそれ以来だったわけですから、そう考えると、たしかに歴史的な出来事ではありますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 米・キューバ国交交渉へ
2014-12-18 Thu 16:35
 オバマ米大統領は、昨日(17日)、1961年から国交が断絶しているキューバと、53年ぶりに関係改善に踏み出すと表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・農地改革

 これは、1959年、キューバで発行された農地改革実施の費用を集めるための寄附金つき切手です。

 1959年のキューバ革命を経て発足したカストロ政権は、当初、必ずしもソ連型の社会主義国家の建設を志向していたわけではなく、あまりにも極端な富の偏在を是正する“改良主義”の立場に立っていました。
 
 その“改良主義”の実現に際して、カストロ政権は、先ず、小作人への土地分与を掲げる土地改革と不正蓄財の没収を行います。

 当時、キューバの可耕地の4分の3は米国人を中心とする外国人の所有であり、なかでも、米国系の大砂糖会社は、それぞれ、数万ヘクタールもの土地を所有していました。社会的な平等を実現するため、その是正は不可と考えられたからです。

 このため、革命政権は、1959年5月17日、第1次農地改革法を公布して、土地の所有を最大400ヘクタールに制限するとともに、外国人の農場経営の禁止等を法律に盛り込み、米国がキューバの富を独占していた前提条件は根本から否定されました。今回ご紹介の切手は、この農地改革の宣伝を兼ね、その実施費用をあちゅ目るために寄附金つきで発行されたもので、“工業を支える農業”のイメージがデザインされています。これは、農地改革の成功が経済建設の基礎というカストロの思想を表現したものです。

 しかし、当然のことながら、この農地改革は米国をいたく刺激しました。

 すなわち、革命政権の方向性を見きわめようと事態を静観していた米政府は、農地改革が実行に移されるや、キューバ政府に抗議。カストロがこれを拒絶すると、マイアミから飛行機が飛来し、爆弾を落としていくようになったほか、8月以降、融資停止などの経済制裁を開始します。

 米国との対立を深めていく中で、カストロ政府は、必然的に“敵の敵”であるソ連との関係を強化せざるを得なくなりました。

 1959年6月から各国歴訪の旅に出たチェ・ゲバラは、ソ連で50万トンの砂糖購入契約を締結するとともに、以後5年間にわたって、毎年50万トンの砂糖と石油、小麦、科学製品をバーターする契約を締結。さらに、翌1960年2月には、ソ連副首相のミコヤンがキューバを訪れ、ソ連がキューバの年間原油必要量の3~5割を引き受けることや1億ドルの長期開発援助の供与を約束しています。1959年にキューバで革命が起こるまでは、米国の“裏庭”であるラテンアメリカ諸国では、ソ連と外交関係を結ぶことはおろか、経済的な関係を持つことさえタブー視されていました。したがって、キューバがソ連の期待しているような社会主義国家となるかどうかということはさておき、米国の“裏庭”に楔を打ち込むためにも、キューバを援助し、恩を売っておくことはソ連の冷戦戦略にとって有益なことでした。

 こうした事態を目の当たりにした米国は、キューバがついに“赤化”したと判断し、カストロ政権打倒のための経済封鎖に着手。1960年2月、キューバからの果実輸入を禁止するとともに、同年7月には、キューバ最大の輸出品であった砂糖の輸入を停止しました。

 もっとも、米国によるキューバの砂糖輸入停止に対しては、米国が買い付けを拒否したのと同量の砂糖をソ連が国際価格で買い取ることを申し入れたため、米国側が期待していたような効果を挙げることなく終ってしまいます。これを受けてキューバ政府は、米国を挑発するかのように、「我が国が侵略されるようなことがあれば、ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」との声明を発表しました。

 この声明に激怒した米国は、ついに、実力でカストロ政権を転覆させることを決意し、8月16日、CIAによるカストロ暗殺計画(毒入の葉巻がカストロのもとに届けられました)を実行に移します。しかし、この秘密工作は失敗に終わり、同月13日、米国はキューバに対して国交断絶を通告。同月9日、キューバに対する経済封鎖を発動しました。これに対して、カストロは米国資本の工場や農園を次々に接収するとともに、共産中国との国交樹立とソ連との経済関係の強化を決定。両者の対立はエスカレートしていくことになります。

 今回のオバマ大統領の声明は、この時以来の米国の対キューバ政策を根本的に見直そうというもので、まさに、歴史的な大転換というわけです。今後は、ケリー国務長官が即座に国交正常化に向けた交渉に入り、数カ月以内にハバナに米大使館を再開させる見込みということで、これからしばらくの間、キューバから目が離せなくなりそうです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 週刊『世界の切手コレクション』創刊
2014-09-10 Wed 21:42
 本日(10日)、アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社(以下アシェット・コレクションズ)から、「"本物の切手"をコレクション 切手を通して世界を楽しく学べる!」とのコンセプトの下、週刊『世界の切手コレクション』が創刊されました。(画像は表紙のイメージ。以下、クリックで拡大されます)

      世界の切手コレクション・創刊号

 同誌は、本物の切手をそろえることで、貴重な切手コレクションが完成するワンテーママガジンで、毎号、「国別」「テーマ別」「サプライズ(珍しいもの)」の3種類、計30枚の切手が付録についています。毎号テーマとなる国に焦点を当て、切手とともに歴史や文化についても紹介するほか、切手の収集方法や適切な保存方法など、初歩的な技術も網羅した内容となっています。(詳細は、アシェット・コレクションズ社の特設ページをご覧ください)

 同誌に関しては、毎号のメイン特集となる「世界の国々」のコーナーをはじめ、内藤が記事・画像を提供しております。創刊号の「世界の国々」で取り上げたのはキューバ。カストロとチェ・ゲバラの革命物語についてもたっぷりとスペースを取りましたが、こんな切手もご紹介しています。

       ゲバラ公園

 これは、1988年キューバが発行した“エルネスト・ゲバラ公園”の切手です。

 アルゼンチン出身のゲバラは、メキシコでカストロと出会い、キューバ革命に参加。カストロの片腕としてゲリラ戦で卓越した能力を発揮し、1958年12月にはキューバ第2の都市、サンタ・クララを制圧して、革命軍の勝利を決定的なものとしました。かつての激戦地は、現在、ゲバラの遺骨を納めた霊廟を中心にエルネスト・ゲバラ公園として多くの参拝者が集まる観光名所となっており、切手には、ゲバラ像を背景に、公園の俯瞰図と霊廟の記念碑が描かれています。

 本誌では、このほか、キューバの文化や風俗、自然などについても、切手を通じて幅広くご紹介しております。また、プレゼント切手の中には、モンゴルが発行した“幻のチンギスハン切手”やクック諸島の22金を使用した“ペニーブラック”なども含まれており、それらについても内藤が解説文を書いておりますので、機会がありましたら、ぜひ、実物をお手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 米64歳女性が遠泳の最長記録
2013-09-03 Tue 10:57
 まずは直前になりましたが、告知です。

 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 きょう・あす(3・4日)の両日(場合によってはあさって5日も)、16:30前後から、東海ラジオで放送の「夕焼けナビ」にて、僕のインタビュー(録音)が流れます。お題は、先ごろ1等が現金1万円と発表された来年の年賀はがき。聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きいただけると幸いです。


 さて、米国の64歳女性、ダイアナ・ナイアドさんで先月31日、キューバの首都ハバナから米フロリダ州を目指して出発。約53時間後の現地時間の2日午後、フロリダ州キーウェストの海岸に到着しました。サメを防ぐ柵を使わない遠泳としては世界最長記録だそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       キーウェスト=ハバナ就航30年

 これは、1957年にキューバが発行したキーウェスト=ハバナ間の航空便就航30年の記念切手で、ハバナとキーウェストの位置を示す地図と初飛行の際の飛行機が描かれています。今回のナイアドさんは、この距離を泳いで渡ったわけで、あらためて、その凄さがわかりますな。

 さて、キーウェスト=ハバナ間の航空路線を開拓したのは、パンアメリカン航空(以下、パンナム)です。

 パンナムは、民間航空が各国で盛んになってきた1927年3月14日、ファン・トリップが、米空軍の父と呼ばれた軍人のヘンリー・アーノルドらの協力を得て、フロリダ州マイアミを拠点に設立されました。トリップの理想は、航空輸送の大衆化でしたが、当面の目的としては、当時、コロンビアを拠点に展開していたドイツ系の航空会社SCADTAに対抗することで、その手始めとして、1927年10月、キーウェスト=ハバナ間90マイル(144.8キロ)の航空郵便の輸送が計画されます。

 当初、10月の初飛行に際しては、フォッカー社のF-7型機が使用される予定でしたが、パンナムが発注した機体の到着は遅れ、納品は同年9月30日になってしまいました。このため、パンナム側は西インド航空のフェアチャイルド機を145.5ドルでチャーターし、10月18日にエアメールを運びました。ちなみに、パンナムがフォッカーF-7を使い、キーウェスト=ハバナ間で最初の旅客輸送を行ったのは、1928年1月16日のことです。

 これを機に、パンナムはカリブ海路線を皮切りに、南米、ヨーロッパ、アジアへと路線網を世界各国へ拡大。米国政府の庇護もあり、名実ともに米国のフラッグ・キャリアとして、1970年代まで世界の航空業界に君臨することになりました。

 パンナムは1991年に破産し、路線はユナイテッドやデルタに譲渡されてしまいましたが、切手の地図を見ていると、世が世なら、今回の偉業を達成したナイアドさんも、スタート地点のハバナへはパンナムで行ったのかなぁと想像してしまいますな。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 キューバの革命記念日
2013-07-26 Fri 10:53
 きょう(7月26日)は、1953年にキューバ革命の端緒となったモンカダ兵営襲撃事件が起きた日で、キューバでは革命記念日とされています。今年は事件から60周年の節目の年でもありますので、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       モンカダ兵営襲撃

 これは、1960年にキューバで発行されたキューバ革命1周年の記念切手のうち、モンカダ兵営の襲撃場面を取り上げた1枚です。

 米西戦争の後、キューバは実質的に米国の支配下に置かれ、砂糖やタバコなどの主要産品は米国資本が独占していました。このため、植民地社会にしばしば見られる政治家の腐敗・汚職の蔓延ともあいまって、真の独立を求めるキューバ人の反乱や反米暴動が起こると、アメリカはそのたびに軍隊を送り込んで、これを力ずくで抑えこむという状況が続いていました。

 特に、1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権を独占し、キューバの富はバティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 このように抑圧されつづけたキューバ人の不満が爆発したのが、1953年7月26日、当時27歳の青年弁護士、フィデル・カストロひきいる165名の青年たちがキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃した事件で、今回ご紹介の切手には、その時の場面が描かれています。

 もっとも、バティスタ政権の打倒を目標として兵営を襲撃したカストロたちでしたが、彼らが期待した一般市民による反バティスタ蜂起は起こらず、逃げのびたカストロ本人も逮捕・投獄されてしまいました。しかし、襲撃事件に参加した若者に対する政府側の残虐行為(たとえば、襲撃に加わり、逮捕されたアベル・サンタマリーアは、生きたまま目をくりぬかれ、虐殺されています)が明らかになるにつれ、国民の間に、しだいに反バティスタ気運が盛り上がっていきます。

 裁判に際して、弁護士であったカストロは、被告人でありながら自らの弁護を担当し、最終弁論を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な台詞で締めくくったものの、禁錮十五年の判決を受け、ピノス島のモデーロ監獄に収監されました。しかし、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が密かに出版されると、カストロらに対する恩赦を求める運動が市民たちの間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めざるを得ませんでした。

 こうして釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合します。こうして、カストロとチェ(“仲間”を意味するゲバラの愛称)・ゲバラという黄金コンビが誕生し、彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に、革命運動を展開することになります。

 なお、ゲバラとカストロの肖像が近年のキューバの切手においてどのように扱われているかという点については、拙著『事情がある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★

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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 キューバ危機から50年
2012-10-28 Sun 21:26
 1962年10月28日にソ連首相ニキータ・フルシチョフがモスクワ放送でキューバからミサイルを撤去すると発表し、いわゆるキューバ危機が終結してから、今日でちょうど50年です。というわけで、きょうは、キューバがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         アフリカのゲバラ

 これは、2005年にキューバが発行した“アフリカのゲバラ”の航空書簡です。

 1959年のキューバ革命でバチスタ政権打倒の立役者として、革命政府の元勲となったゲバラは、当初、米国という共通の敵と対峙するソ連との関係強化を唱えていました。しかし、1962年のキューバ危機では、結局、ソ連は米国に妥協してキューバへの核ミサイル配備を中止。この“裏切り”に憤激したゲバラは、ソ連への批判を強め、ソ連への依存を強めていたカストロ政権から離れていくことになります。そして、1965年、国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れたゲバラは、アフリカ各地を歴訪し、コンゴ動乱に馳せ参じることになりました。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国(旧仏領の隣国も正式な国名が“コンゴ共和国”だったため、区別するため、コンゴ・レオポルドビル、コンゴ・キンシャサなど呼ばれることもあります)として独立したものの、すぐに内戦が発生します。いわゆる第一次コンゴ動乱です。

 第一次コンゴ動乱は、国連軍の介入もあって、1963年1月にいったんは終結しますが、1964年6月、国連軍が撤退するとピエール・ムレレ率いる共産ゲリラのシンバが中国の支援を得て反乱を起こし、いわゆる第二次コンゴ動乱が勃発しました。

 シンバは、一時、今後の国土の多くを掌握しましたが、米国と旧宗主国のベルギーが介入し、シンバ政権は崩壊します。これを受けて、1964年12月11日に開催された国連安保理で、キューバ代表として登壇したゲバラは、米国のコンゴへの軍事介入を激しく非難。その後、彼はアルジェリアを皮切りにアフリカ8ヶ国を歴訪し、1965年2月11日にはタンザニアに入り、ローラン・カビラをはじめとするコンゴ反政府勢力と会談しました。

 その後、ゲバラは2月24日にアルジェリアで開催されたアジア・アフリカ連帯機構第2回経済会議で第3世界との貿易と援助の問題をめぐってソ連を激しく批判。いったん、キューバに帰国した後、国家建設のためにソ連からの援助を必要とするカストロに別れを告げ、4月2日、新たな革命の地を求め、タンザニアへ向かいました。

 4月23日、ゲバラは14人の部下を連れてキゴマからタンガニーカ湖を渡ってコンゴ領キバンバに上陸。部族ごとに対立し、内部抗争に明け暮れるコンゴの反政府勢力に対して、団結と現政権の打倒を熱心に説き、キューバ人兵士とともに激しい戦闘を展開します。

 しかし、コンゴ反政府勢力の実情は、ゲバラを大いに失望させるものでした。

 すなわち、カビラをはじめとする幹部たちは、タンザニアの首都ダルエスサラームで安穏と暮らすか、カイロやアルジェ、モスクワ、北京を訪問してネットワークを織り上げていたが、闘争の前線には姿を見せませんでした。特に、カビラ本人は決して前線を訪れようとはせず、1965年7月7日、ゲバラのいるキバンバ基地を訪ねた際には、カビラは愛人と思しき女性を含む多くの従者を従え、大量のウイスキーを持ち込み、わずか5日の滞在でタンザニアに引き揚げてしまいます。ゲバラとキューバ人兵士が大いに落胆したのは言うまでもありません。

 こうした状況の下で、1965年9月、南ア出身の傭兵を中心としたマイク・ホアレ率いるワイルド・ギースの攻勢により、反政府勢力の拠点であったバラカが制圧され、キューバ兵への食糧の補給も滞り始めます。さらに、同年10月10日、ホアレと傭兵たちが反政府勢力の残された拠点、フィジを制圧し、政府側による掃討作戦が事実上終了。その後も、キューバ兵とワイルド・ギースの戦いは続いたが、10月24日の砲撃戦でキューバ側は多数の犠牲者を出しました。

 結局、11月20日、ゲバラらキューバ兵は、何ら成果を上げることなく、キバンバからタンザニアへの撤退を開始。ゲバラは、22日にキューバ兵の最後の一人がコンゴから去るまで、タンザニアに潜伏して見届けました。

 さて、今月25日に刊行となりました拙著『喜望峰』では、南アフリカ共和国の中でも、特に保守的でアフリカーンスの文化が色濃く残っているとされるステレンボッシュの地で、ゲバラの視線を感じながら食事をするという不思議な体験を話の枕として、今回ご紹介したゲバラとワイルド・ギースの戦いをはじめ、南アとキューバの対立・抗争の歴史についてもまとめております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * けさ、カウンターが112万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


 ★★★  T-moneyで歩くソウル歴史散歩 ★★★
   
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

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 14年ぶりのキューバ訪問
2012-03-29 Thu 21:42
 26日からキューバを訪問していたローマ教皇、ベネディクト16世が、現地時間の28日、フィデル・カストロ前国家評議会議長と会談しました。教皇のキューバ訪問は1998年のヨハネ・パウロ2世以来、14年ぶりとのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        教皇キューバ訪問(1998)

 これは、1998年の教皇訪問を記念してキューバが発行した切手の1枚で、教皇の肖像とハバナ大聖堂が描かれています。

 キューバはもとはスペインの植民地だったこともあり、国民の多くはカトリックの信者でした。しかし、革命を主導したフィデルが無神論者だったことに加え、キューバのカトリック教会がバティスタ政権と反革命派を支持していたこともあって、革命政権は司祭や尼僧ら約300人を国外追放した上、教会が所有していた学校を全て国有化するなどの弾圧政策を推進。これに対して、教皇ヨハネ23世はフィデルを破門するなどの対抗措置を講じ、両者の関係は長らく断絶していました。

 しかし、冷戦終結によりソ連などからの経済支援が断たれ、キューバが対外融和政策を展開するようになると、その一環として、1992年、フィデルの政権はキリスト教徒に対する融和制作を導入。はたして、教皇ヨハネ・パウロ2世はアメリカによるキューバへの通商停止に対して「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難を行い、バチカンとキューバの関係は劇的に改善します。そして、1996年11月、フィデルはヴァチカンを訪問して教皇に謁見。キューバの宗教弾圧政策は事実上、放棄されました。さらに、1998年の教皇のキューバ訪問を受けて、キューバ政府はクリスマスを再び休日とするなど、関係改善はさらに進んでいます。

 ちなみに、今回の教皇のキューバ訪問は、1612年にキューバの守護聖人とされる“カリダデルコブレ聖母像”が発見されてから400年になるのを記念してのことだそうですが、フィデル引退後のラウル・カストロ政権としては、教皇の訪問を受け入れることで、現政権が宗教活動に対して寛容で開放的であることを世界に向けて発信しようとする意図があるとみられています。

 なお、フィデル引退後のキューバと切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


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