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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 セント・パトリックス・デイ
2019-03-17 Sun 02:47
 きょう(17日)は、セント・パトリックス・デーです。というわけで、聖パトリックのシンボル、緑色のシャムロックにちなんで緑色のモノを身につける習慣に倣い、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・英雄的ゲリラの日(「キューバ革命小史」より)

 これは、1968年10月8日にキューバが発行した“英雄的ゲリラの日”の記念切手の1枚です。“英雄的ゲリラの日”は、前年10月9日にボリビアで処刑されたチェ・ゲバラの没後1周年にあわせて設定された祝日で、1968年の記念切手は5種セットで発行され、ゲバラの肖像写真“英雄的ゲリラ”を右側に配し、左側に、ゲバラの言葉とそれにちなんだイラストを配するという統一パターンとなっています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、『オ・クルゼイロ』1959年6月16日号および『グランマ』1967年10月22日号に掲載された「キューバ革命小史」の中から、「革命の開始」と題された第1章の一節で、日本語版の『ゲバラ選集』では「いま考えると、そのためになんと多くの努力、犠牲、人名を必要としたことか」と訳されています。ただし、原文の文脈では、この1文はバティスタ政権を打倒して革命が達せられた時のことではなく、1956年11月、カストロとゲバラがグランマ号でキューバ島に上陸し、革命戦争を本格的に開始するまでの苦労を回想したものとして記されています。

 ちなみに、ゲバラ家はアルゼンチン出身で19世紀半ばのゴールドラッシュ時代にカリフォルニアに移り、この地で生まれたゲバラの祖父、ロベルトが同地でメキシコ出身のアイルランド系女性、アナ・リンチと結婚し、1900年、ゲバラの父にあたるエルネスト・ゲバラ・リンチが生まれました。したがって、ゲバラ本人はアイルランド系の血を引いていることになります。

 ゲバラ本人は左翼コスモポリタンで、生前、自分がアイルランド系であることを特に意識していた形跡はありませんが、彼の死後、父エルネストは「私の息子にはアイルランドの“反逆者”の血が流れている」と語っており、現在では、全世界に拡散した“アイリッシュ・ディアスポラ”の代表的な人物のひとりとみなされています。

 このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 砂糖の日
2019-03-10 Sun 10:31
 きょう(10日)は、3と10の語呂合わせて“砂糖の日”です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1000万トン計画

 これは、1970年にキューバで発行された“(砂糖増産)1000万トン計画”のキャンペーン切手で、地球と“国際旅団”の赤旗を背に、サトウキビの収穫に用いるマチェーテを手にした男たちが描かれています。

 キューバの主要産業である砂糖の生産量は、革命直前の1958年に580万トンだった砂糖の生産量は、革命後の混乱に加え、砂糖モノカルチャーを貧困と従属の元凶として、そこからの脱却を掲げる革命政府の方針もあって、1962年には480万トン、1963年には380万トンにまで落ち込みました。革命後のキューバはソ連とバーター貿易を行っていましたが、砂糖の生産が落ち込んだことで、ソ連への砂糖の輸出は滞り、債務も累積し始めます。

 このため、ソ連は、カストロに対して、砂糖モノカルチャーを敵視するのではなく、経済建設の幻視として砂糖の輸出を最大限に活用すべきではないかと提案し、資金の供与と砂糖の長期引き受けを約束します。ソ連が提示した砂糖の購入価格は(1ポンドあたり)6.11セントの固定相場で、これは、1963年の国際市場価格の8.4セントに比べると安いものの、低落傾向が続く中で(ちなみに、その後の相場の暴落で、1967年には1.99セントにまで市場価格が落ち込んでいます)は決して悪い条件ではありませんでした。

 しかし、砂糖モノカルチャー経済への復帰は、米国に代わってソ連を新たな“宗主国”として選択することに他ならないため、キューバとしては、革命の大義に照らして容認しがたいものでした。

 そこで、両者の折衷案として、砂糖の増産を機械化によって実現し、それを軸に工業化を進めるという方針が採択されました。
これが、“1000万トン計画”の基本的な考え方です。

 “1000万トン計画”は1965年から開始され、国民に対しては“大攻勢”が命じられます。

 “大攻勢”では、国民の“革命意識”に訴えて職場や学校で砂糖キビ収穫隊が組織され、マチェーテ片手に人海戦術での刈取作業に従事させられました。しかし、動員された隊員たちに対する教育は不十分で、彼らがやみくもにマチェーテを当てることでサトウキビの苗を根こそぎ切り取ってダメにする(本来は、植えてから四年間の収穫が可能なため、新しい芽が出るように刈り取らなければなりません)ケースが多発しました。また、杜撰な生産計画のため、隊員たちがサトウキビを刈り取ったものの、運搬用のトラックが来ないためにサトウキビがそのまま放置されて醗酵してしまい、その間、隊員たちは無為に遊んでいるという状況が至る所で見られました。

 さらに、収穫隊に労働力を取られたことで工場に残った労働者は残業に加え、休日出勤もしなければノルマをこなせなくなりましたが、本来、労働者の権利を擁護すべきキューバ労働者連合は時間外手当を返上。これを受けて、ノルマ超過分に対する報奨金も廃止されるとともに、同一労働同一賃金を規定した新賃金体系が導入されています。これは、労働の成果に関わらず職種ごとに同じ賃金を支給するという、社会主義的な悪平等政策の典型でしたから、もともと決して高くはなかった国民の労働意欲がさらに減退するのは避けられず、砂糖以外の生活物資の生産性は大幅に低下し、深刻なモノ不足の下、一般国民は粗悪な工業製品さえなかなか入手できなくなりました。

 結局、1000万トン計画は、飢餓こそ発生しなかったものの、中国で行われた“大躍進”の失敗をそのままなぞったような格好となり、1970年度の砂糖生産は850万トンで、惨憺たる失敗に終わりました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 国際女性デー
2019-03-08 Fri 01:32
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・タニア

 これは、1972年にキューバで発行された“ゲリラの日5周年”の記念切手のうち、タニアことタマラ・ブンケと彼女の亡くなった場所の地図を描いた1枚です。

 タニアは、ナチスの迫害を逃れてアルゼンチンに移住した両親の下、1937年、ブエノスアイレスで生まれました。1952年、一家は東ドイツに移住しましたが、彼女は1959年のキューバ革命に感激し、西独バイリンガルという特性を活かして、キューバ支援の運動に加わります。その活動が認められ、1960年、チェ・ゲバラがベルリンを訪問した折には通訳を務め、その後、キューバに渡航。ハバナ大学に通いながら、ゲバラのスタッフとして通訳・翻訳などに従事し、1963年から1年間、キューバで諜報活動の訓練を受けています。

 1964年11月には地下工作の使命を帯びて、“ラウラ・グティエレス・バウエル”の変名でボリビアに入国。現地の大学生と結婚し、考古学およびドイツ語講師としてボリビア社会の中枢に接触し、軍事政権トップのバリエントスや政権中枢の高官の知遇を得て、首都ラパスを中心に情報活動と人脈の構築に尽力しました。

 ボリビアでの彼女は、ゲバラのボリビア入りを前に山中での作戦の後方基地となる農場探しをサポートしつつ、 都市部を中心に工作活動に従事し、ゲバラ率いる山岳ゲリラとボリビア共産党との連携を模索しようとしましたが、1966年末、ゲバラはボリビア共産党と決裂。こうして、彼女がボリビア共産党との協力の下で築いてきた人脈や情報網が機能しなくなったことから、1967年3月、彼女は対応を協議すべく山中のゲバラのもとを訪ねました。

 ところが、彼女が山中に滞在中の4月24日、ラパスに残されていた彼女のジープと車内に置かれていた書類が政府側に押収され、彼女がゲリラ側の工作員としてラパスでボリビア政府関係者と接触していたことが露見。この結果、彼女はラパスに戻れなくなり、ゲリラとしては何の訓練も受けぬままゲバラに同行せざるを得なくなり、同年8月、グランデ川渡河の途中で敵の攻撃を受けて負傷し、流されながら亡くなりました。

 なお、ボリビア山中でのゲバラらのゲリラ活動と、その悲劇的な最期については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧ください。


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 キューバで憲法改正の国民投票
2019-02-24 Sun 01:53
 キューバで、きょう(24日)、憲法改正の是非をめぐる国民投票が行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・憲法公布(1976)

 これは、1976年にキューバで発行された憲法公布の記念切手で、憲法で規定された国旗・国歌・国章が描かれています。

 キューバでは、1959年の革命以来、憲法が停止された状態が長らく続いていました。

 しかし、1970年、急進的な社会主義建設政策の“1000万トン計画”が失敗に終わったことで、1970年7月26日、フィデル・カストロ首相は、モンカダ兵営襲撃記念日の演説で自己批判したうえで、「いかなる体制を取るべきか、議論し、検討してほしい」と訴えます。その真意は、革命の理想を追求する“キューバ式社会主義”を事実上放棄し、ソ連型の政治経済体制を導入する以外の選択肢がないというものでした。

 この演説の後、制度転換のための具体的な準備が徐々に進められ、1972年、キューバはCOMECON(経済相互援助会議)に加盟し、名実ともに社会主義圏に統合されます。そして、1974年2月のブレジネフのハバナ訪問を経て、1975年12月、キューバ共産党の第1回党大会が開催され、ソ連型体制の導入が決定されました。

 これを受けて、翌1976年2月に公布されたのが、現行のキューバ憲法です。

 同憲法の前文は、冒頭、キューバの現体制は「ホセ・マルティをはじめとする先人の創造的努力と、戦闘性、革新、勇気、犠牲の伝統の継承者である」とし、「本憲法はマルティの願望を体現するものである」とうたう一方、「キューバ人民はマルティの理想とマルクス・エンゲルス・レーニンの政治・社会思想を導きとする」しており、第1条で「キューバは労働者の社会主義国である」ことを明示したうえで、「(共産党は)労働者階級のマルクス・レーニン主義のもとに組織された前衛であり、社会と国の指導勢力である」(第五条)と規定するなど、明確にソ連化の方向を打ち出していました。

 また、憲法の公布により、ようやく、革命以来停止されていた議会制度(国会・州議会・地区議会で構成)が復活しましたが、一般国民による直接選挙制度が採用されているのは地区議会選挙のみで、州議会と国会の議員は地区議会が中心になって選出するものとされていました。

 その後の改正で、州議会と国会の選挙でも直接投票が認められるようにはなりましたが、それでも、候補者に関しては、地区の候補者委員会が議員定数の4分の1超の“プレ候補者”を選び、州議会と国会の候補者委員会が独自の候補者を加味した候補者リストを作成し、地区議会がそれぞれ被選挙権を満たしているかどうか審査したうえで、定数と同数の候補者を決定するという方式がとられており、民主的な選挙とは言いがたい状態が続いています。

 今回の憲法改正では、昨年のラウル・カストロ国家評議会議長(首相を兼務)の退任を受け、大統領のポストを新設するほか、市場原理の役割や私有財産の所有を認める内容となっていますが、共産党一党支配や社会主義体制堅持の方針はそのまま維持されているため、急激な体制変革ということにはならないとみられています。

 なお、キューバの現体制が構築されていった過程については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 数十年間の腐敗した取引
2019-02-20 Wed 11:00
 米国のトランプ大統領は、18日(現地時間)、フロリダ州で演説し、反米左派のマドゥロ大統領から、暫定大統領就任を宣言したグアイド国会議長への「平和的な権力移行」を目指す方針を示すとともに、「ベネズエラとキューバの社会主義独裁政権は数十年間にわたり、腐敗した取引で互いに支え合ってきた」と批判し、両国の連携を断ち切ることが必要だと訴えました。というわけで、キューバとベネズエラの左翼勢力との長年にわたる関係を示すものとして、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・オヘダ

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、ベネズエラのファブリシオ・オヘダが取り上げられています。

 1960年7月1日、ベネズエラのベタンクール政権は「右翼であれ左翼であれ、軍事力によって権力を獲得した政権は一切承認しない」とするベタンクール・ドクトリンを発表。ドミニカ共和国とキューバを敵視する姿勢を明らかにした。

 これに対して、キューバの支援で結成された“左翼革命運動(MIR)”は、ベネズエラ共産党とともに武装闘争を展開したため、ベタンクールは軍を総動員して弾圧に乗り出し、1961年10月までに数百人規模の死者が発生しました。このため、11月12日、ベタンクールはキューバを左派暴動の黒幕と断罪して断交すると、キューバは「ベタンクールは米国に追随し、反政府運動を弾圧する独裁政権と化した」と応酬します。

 こうした状況の下で、民主行動党内の左派がキューバとの断交に反対して離党し、下院では野党が過半数となったため、政権は不安定化。MRIと共産党の主導による大規模なストライキや反政府暴動、武装反乱などが相次いだため、1962年4月、ベタンクールは混乱を理由に共産党とMIRを非合法化し議員資格を剥奪。5月には両者の政治活動を全面的に禁止しました。

 一方、左派勢力は、1962年12月、農民連盟、労働者連合、大学センター連合など全勢力が結集して、民族解放戦線(FLN)を結成し、その軍事組織として民族解放軍全国司令部(FALN)を設置。FALNは3000の兵力を動員して、全国20州のうち7州で作戦を展開。貨物船アンゾアテギ号のシージャック、アルゼンチンのサッカー選手デ・ステファーノ誘拐、カラカスのフランス印象派展覧会の絵画の窃取と自発的返却、米大使館つき武官の誘拐、米国系企業への攻撃などのテロ活動を行いました。

 これに対して、ベネズエラ政府軍は、米軍の指揮・支援の下、FALNのゲリラ軍に対してナパーム弾爆撃を含む大規模な掃討作戦を行い、ファルコン州以外のゲリラ支配地区をほぼ壊滅させています。

 こうした状況の下、1963年11月1日、ベタンクールの任期満了に伴う大統領選挙(と議会選挙をあわせた総選挙)が告示されましたが、FLNとFALNは選挙のボイコットを呼びかけ、20日には、政府軍が介入してカラカス市内では大規模な戦闘が発生。政府はパラグアナ半島の無人の海岸でFALNの武器貯蔵庫を摘発し、キューバから持ち込まれた携帯兵器3トンを捕獲し、FALNの背後でキューバが暗躍していると名指しで非難しています。

 こうして、12月1日、政府が5万の軍隊を動員し、8000名の逮捕者を出すという騒然とした空気の中で大統領選挙が行われ、与党・民主行動党のラウル・レオーニ・オテロが当選しました。

 3月11日に発足したレオーニ新政権は、和解政策を提唱し、共産党とMIRを合法化すると発表。これを受けて、8月までに共産党とMIRの主流派は武装闘争路線を放棄し、10月にはFLNが和平アピールを発表しましたが、FALNは武装闘争を放棄せず、その後も、キューバの支援を受けながら、ベネズエラ政府軍の戦闘を続けていました。

 そうした中で、1966年6月、カラカス市内に潜伏していたFALN議長のファブリシオ・オヘダが密告により捕えられ、拷問のすえに殺害されると、キューバ首相のフィデル・カストロは、オヘダの逮捕は、平和路線に転じたベネズエラ共産党の裏切りによるものと考えました。

 そこで、7月24日、ルベン・ペトコフひきいるFALN部隊がキューバからファルコン州に上陸作戦を行い、イラカラ山系のゲリラ部隊との合流に成功。じつは、このタイミングで、キューバ政府は、キューバに極秘裏に帰国していたチェ・ゲバラのベネズエラ派遣をベネズエラ共産党に内々に提案していたが、ベネズエラ共産党はこれを拒否しています。

 その後も、FALNはカラカス市内でのゲリラ活動を展開し、1967年3月1日にはフリオ・イリバーレン・ボルヘス元社会保障庁長官を誘拐・殺害。FALN司令官のエリアス・マヌイト・カメロは、キューバ紙『グランマ』で“犯罪者”イリバーレンを処刑したことを明らかにしました。

 事件を受けて、共産党中央委員でカラカス中央大学教授のエクトル・ムヒカをはじめ、共産党の有力者たちが、イリバーレンの殺害は革命とは無関係の単なる犯罪と断じ、ベネズエラ政府も、事件に関与していたとしてキューバを批難。さらに、ムヒカはベネズエラ共産党を代表して「FALNの名においてイリバーレン殺害を命じたエリアス・マヌイトとの関係を断絶する」と発表します。前海軍大尉で一時FALNの司令官を務めたペドロ・メディナ・シルバも「我々の戦闘組織の名を悪用する人々は、敵の共犯者である。イリバーレン殺害者には人民の正義が適用されるだろう」との声明を、主なゲリラ指導者との連名で発表しました。

 これに対して、3月13日、カストロはベネズエラ共産党の武装闘争中止の方針は“革命に対する裏切り”と公に批難しましたが、4月22日、ムヒカらベネズエラ共産党中央委員会は武装闘争の停止を正式に決定しました。

 そこで、5月8日、キューバを出発したモイセス・モレイロら12人のゲリラ部隊が、レオポルド・シンケ・フリーアスらキューバ軍将校4人の作戦参謀とともに、ミランダ州に上陸し戦闘を開始。結果的に、この作戦は失敗に終わり、参加者の多くは逮捕・投獄され、ベネズエラの提訴を受けて、7月26日に開催された米州機構(OAS)査問委員会ではキューバがベネズエラの反乱軍を支援し訓練したと報告。OAS理事会はキューバ非難決議を採択しました。

 今回ご紹介の切手の発行の名目となったOLASの第1回会議は、このようにキューバとベネズエラの関係が緊張状態にある中で行われたもので、キューバとしては、ベネズエラの位置を示したラテンアメリカ地図とオヘダの肖像が取り上げることで、ベネズエラ共産党の“裏切り”に対する憎悪が表現したわけです。

 ちなみに、同会議の議長として閉会宣言を行った「ゲリラを都市から指導しようとすることは愚かであるばかりでなく犯罪でさえある」と発言し、ベネズエラ共産党指導部を“えせ革命家のマフィア”と酷評。ベネズエラ共産党を“日和見主義”として名指しで批難しています。

 さて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回ご説明したベネズエラを初め、ラテンアメリカ諸国の左翼勢力とキューバのカストロ政権との歴史的関係についてもいろいろまとめています。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ 2月22日、文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 2月22日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がゲスト・コメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 コロンビアでELNのテロ
2019-01-19 Sat 01:17
 2017年にコロンビア革命軍(FARC)との内戦が終結したコロンビアの首都、ボゴタの警察学校で17日朝、自動車爆弾テロが発生し、実行犯も含めて21人が死亡、68人が負傷した事件で、きのう(18日)、コロンビア政府は左翼ゲリラの民族解放軍(ELN)による犯行と断定しました。というわけで、というわけで、亡くなられた方の御冥福と負傷者の方の1日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・カミーロ・トレス

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、コロンビアのELNの活動家として殺害されたカミーロ・トーレス・レストレポが取り上げられています。

 ラテンアメリカ連帯機構会議は、1967年7月31日から8月10日まで、ラテンアメリカおよびカリブ海諸地域の27の共産党、労働党その他の革命組織の代表を集めてハバナで開催されたもので、最終的に、「武力革命をラテンアメリカにおける革命の基本的路線とする」との一般宣言を採択。“キューバ革命路線”をラテンアメリカの左派勢力にとっての正統教義として認知した会議です。

 切手に取り上げられたトーレスは、1929年2月3日、ボゴタ生まれ。当初、ボゴタの“ロサリオの聖母学院”に通っていましたが、教員を批難したことが原因で退学処分となりました。1946年、リセオ・デ・セルバンテスで中等教育課程を修了。コロンビア国立大学法学部にごく短期間在籍した後、ボゴタのコンシリアール神学校に転入し、1954年、司祭として叙階され、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学しました。

 帰国後、研究者としてコロンビア国立大学に籍を置きながら、貧困の根本的な解決と労働者階級への積極的な支援を訴え、さらに、絶望的な社会的格差を解消して社会正義を確立するためには、キリスト教徒は武装闘争に加わらなければならないと主張。1960年には、オルランド・ファルス・ボルダたちとともに、同大でラテンアメリカ最初の社会学部の設立者の一人となりましたが、その急進的な主張に対しては毀誉褒貶が激しく、ついには大学を辞して、1965年、コロンビアの左翼ゲリラ組織、民族革命軍(ELN)に参加しました。

 ELNは、マルクス・レーニン主義による反米・親キューバ路線を掲げて、爆弾テロや誘拐を実行していた組織で、トーレスは一ゲリラとして非合法の地下活動に従事し、1966年2月15日、コロンビア政府軍との戦闘で殺害され、ELNの“殉教者”となりました。

 カトリックの司祭からゲリラへの転身という異色の経歴もさることながら、トーレスを広く世に知らしめたのは、「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉です。この言葉は、ラテンアメリカでは広く人口に膾炙し、1970年代にペルーのグスタボ・グティエレスが著書『解放の神学:歴史、政治、救い』で体系化した“解放の神学(従来の欧米のキリスト教神学は白人の神学ないしはブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして、これを否定し、被抑圧・被差別人民の解放こそキリスト教の福音の本質であるとする現代キリスト教神学の一潮流)”の源流の一つとされています。

 ちなみに、OLAS会議が開催された1967年7月の時点では、カストロ政権は、キューバでの閣僚の地位を捨て、ボリビアでのゲリラ活動に従事するゲバラを“革命のキリスト”として神格化することで、革命キューバの正統性をアピールするようになっていました。トーレスの肖像切手と、そこから連想される「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉は、そうしたを側面からサポートする役割を担うものだったとみることができましょう。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラと同時代のラテンアメリカ諸国の左派勢力とキューバとの関係についても、いろいろとまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 成人の日
2019-01-14 Mon 01:53
 きょう(14日)は成人の日です。というわけで、若者関連の切手の中から、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・UJC45年

 これは、2007年にキューバで発行された“共産主義青年同盟(UJC:Unión de Jóvenes Comunistas)の45周年”の記念切手で、左から、フリオ・アントニオ・メリャ、カミーロ・シエンフエゴス、チェ・ゲバラの横顔の肖像が取り上げられています。なお、UJCの現在のエンブレムは、この3人の横顔をイラスト化したものですが(下の画像)、切手ではその組み合わせを写真で表現しています。

      キューバ・UJCロゴ

 1959年の革命後のキューバにおける青年組織としては、1960年に設立された革命青年協会が最初です。その後、1962年4月、革命青年協会の第1回全国大会が開催され、組織名を共産主義青年同盟に改称することが承認されると、これに伴い、ビルヒリオ・マルティネスにより、新たなエンブレムが制作されることになりました。

 マルティネスは、1931年4月27日、ハバナ生まれ。1949年、商業美術家としてデビューした後は、商業誌での活動のかたわら、反バティスタの地下出版でバティスタ批判の風刺漫画を描いていました。1955-59年、左派系の雑誌『メリャ』誌に、擬人化された犬のプーチョを主人公とする冒険物語『プーチョ』を連載。後に、そこから派生した漫画『クーチョ』は現代キューバを代表するコミック作品となります。

 当初、マルティネスの制作した同盟のエンブレムは、UJCの文字の入った円と星を背景に、1920年代の旧キューバ共産党の共同設立者で、大学学生連合を設立したフリオ・アントニオ・メリャ(1929年没。享年26)と、早逝したキューバ革命の英雄、カミーロ・シエンフエゴス(1959年没。享年27歳)の肖像を並置したもので、背後には、青年同盟のスローガンである学習・労働・銃(=革命軍)の語と、それに対応した白(学習)・青(労働)・濃緑(銃)の旗が配されていました。ただし、この時点ではゲバラはキューバ政府の現職閣僚であったこともあり、彼のチェの肖像は含まれていません。

 1965年、現在のキューバ共産党が創設され、青年同盟はその下部組織になりましたが、エンブレムは従来のものがそのまま使われていました。ところが、1967年にゲバラが亡くなると、急遽、ゲバラの肖像を最前面に加え、ついで、カミーロ、メリャの順で並べた現在のデザインに変更されました。このデザインでは、チェの肖像が最前面に出ていることから、キューバ政府としては、3人の中でチェを最も重要視していることがうかがえます。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの死後、彼の肖像がどのように使われ、定着していったかということについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
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 キューバ革命60年
2019-01-02 Wed 12:36
 1959年1月1日のキューバ革命60周年を記念して、きょう(2日・現地時間)、キューバの首都ハバナでは記念式典が行われます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命達成FDC

 これは、革命直後の1959年1月28日にキューバで発行された“革命達成”の記念切手の初日カバーで、カシェにはキューバから蹴りだされるフルヘンシオ・バティスタ前大統領が描かれています。

 フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバルは、1901年、キューバ島北東のバネスで貧農の家に生まれました。1921年、高校を卒業して国軍に入隊。1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権をほぼ独占し、キューバの富はバティスタ・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 こうした状況の下、1952年、バティスタ(当時は上院議員)は大統領選挙に立候補したものの、野党オルトドクソ党のロベルト・アグラモンテ候補に対して苦戦していたため、同年3月10日、軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任。親米派の政権復帰を歓迎した米国は、直ちに、バティスタ政権を承認します。

 当然のことながら、クーデターによる政権奪取に対しては国民の批判も強かったのですが、バティスタはマフィアと結託し、キューバ国内における彼らの利権を保護する代償として、米国から巨額の支援を引き出し、それらを私物化。この結果、キューバの農業や工業には、従来以上に米国資本が流れ込み、国民の貧困は放置されたまま、キューバ経済は米国に対する隷属の度合いを一層強めていきました。ちなみに、当時のキューバの電気工業の9割、鉄道の5割、粗糖工業の4割が米国資本の支配下にあり、バンク・オブ・アメリカのキューバ支店は全銀行預金の1/4を占めており、極端な富の偏在は誰の目にも明らかでした。

 一方、武力で政権を掌握したバティスタを相手に、アウランティコをはじめとする既成政党は話し合いでの政権交代を要求するという軟弱振りで、しかも、党内対立から四分五裂というありさまでした。

 こうして、国民の間には政治に対する閉塞感が蔓延していくなかで、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した27歳の青年弁護士、フィデル・カストロは、バティスタのクーデターによる選挙の無効化に憤慨、バティスタを憲法裁判所に告発しましたが、裁判所はこれを握り潰してしまいます。

 そこで、カストロは、アベル・サンタマリーア、ニコ・ロペス、ヘスス・モンタネら同志とともに、バティスタ打倒のためには、既成政党とのしがらみのない若者を動員することが重要と考え、地下放送を通じて同志を募り、7月26日未明、バティスタ打倒を叫んでキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。この襲撃は失敗に終わり、カストロも投獄されましたが、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が出版されると、恩赦を求める声が市民の間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めます。

 釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合。彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に革命の準備を進め、1956年12月、グランマ号でキューバ島に再上陸します。

 当初、バティスタ政権の攻撃により、一時は壊滅寸前に追い込まれた革命側でしたが、シエラ・マエストラ山中を拠点に反政府ゲリラ闘争を続け、農民たちを取り込んで徐々に勢力を拡大。1958年5月、バティスタ政権がゲリラに対する最終攻勢として“FF作戦”を発動したのに対して、5月29日、革命側はサント・ドミンゴ川の戦いで勝利。これが戦局の転機となり、7月10日の戦いでも革命側は政府軍を破り、8月7日には政府軍がシエラ・マエストラから完全に撤退します。

 その後、ゲバラ率いる第8部隊と、カミーロ・シエンフエゴス率いる第2部隊は、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州の攻略作戦を開始。10月15日、ラス・ビジャス州に到着して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功しました。

 一方、カストロは、弟のラウルとともに、キューバ島東部、オリエンテ地方の中心地であるサンティアゴ・デ・クーバを目指し、11月17日、最終攻勢を指示したあとシエラ・マエストラの本部を閉鎖。300の兵で“ホセ・マルティ部隊”を編成してサンティアゴ作戦を開始し、11月20日に始まるグィサの戦闘で政府軍を撃破しています。

 その後、ゲバラの部隊は、12月29日、ラス・ビジャス州の州都、サンタ・クララへの総攻撃を開始。戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏しました。

 これが決定打となり、、1958年12月31日の夜、バティスタはハバナ市内のコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティーの席上で突如として辞任演説を始め、日付の変わった1959年の元日未明、クバーナ航空機でキューバを脱出してドミニカ共和国へ亡命。 これを受けて、最後までビダール兵営に籠城して抵抗していた政府軍部隊も、同日、降伏。キューバ革命が達せられました。

 さて、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても、関連する切手や郵便物などを用いて詳しくご説明しております。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 

★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

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 サンタ・クララ解放60周年
2018-12-29 Sat 02:26
 キューバ革命戦争末期の1958年12月29日、チェ・ゲバラ率いるシロ・レドンド第8部隊がキューバ島中部の要衝、サンタ・クララを解放し、革命側の勝利を決定的にしてから、ちょうど60周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・サンタクララ解放25周年

 これは、1983年にキューバが発行した“サンタク・ララの戦い25周年”の記念切手で、キューバ国旗と7月26日運動(M26)の旗で作った勝利のVサインと、戦闘の象徴としての破壊される装甲列車が描かれています。

 1958年8月7日、フィデル・カストロ率いる革命側は、彼らの拠点であったシエラ・マエストラに対する政府軍の攻撃を撃退すると、部隊を再編成し、ゲバラがシロ・レドンド第8部隊の指揮官に、カミーロ・シエンフエゴスがアントニオ・マセオ第2部隊の指揮官に、それぞれ任命され、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州(現ビジャ・クララ州)の攻略作戦が開始されます。

 8月22日、まず、カミーロの部隊がラス・メルセデスから北側のルートで出発。ゲバラの部隊は武器弾薬の到着を待って8月31日に南側のルートを出発しました。

 ゲバラの部隊は、出発早々の9月1日、ハリケーンの直撃に見舞われただけでなく、政府軍の包囲と激しい攻撃を受けましたが、これをかいくぐり、10月7日、エスカンブライのゲリラと接触。10月15日、ついにラス・ビジャス州に到着し、カミーロの部隊とも連携して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功しました。

 その後、革命側は州内の各都市を次々に解放。12月下旬には、ゲバラの部隊は州都サンタ・クララ東南のカバイグアンを攻略。同25日にはラス・ビジャス中央大学に司令部を設置し、サンタ・クララ攻略戦を開始しました。

 これに対して、バティスタ政権は、サンタ・クララ市街を一望できるカピーロの丘の上に堡塁を建設し、2000の兵を動員して町全体を要塞化し、無差別爆撃を加えました。しかし、無差別爆撃に反発した市民は、革命側に協力して政府軍の戦車を阻むバリケードを築いたり、火炎瓶を作ったりしました。さらに、市民からの情報を得たゲバラの部隊は、12月29日、レールに罠を仕掛け、400の兵と武器弾薬を積んだ装甲列車を脱線させ、総攻撃を開始します。

 戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏。その後も、市内で散発的な戦闘が続きましたが、もはや政府軍に味方する市民はありませんでした。

 ゲバラによるサンタ・クララの解放後、もはや戦況は圧倒的に革命側に有利となり、長年の独裁体制のツケですっかり国民の支持を失っていたバティスタは、1959年1月1日、ついにドミニカ共和国に亡命。キューバ革命が達成されました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』ですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りです。正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 
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 勤労感謝の日
2018-11-23 Fri 01:36
 きょう(23日)は“勤労感謝の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・労働後の崔(絵葉書)

 これは、キューバで発行された絵葉書で、1961年頃、サトウキビ農場での労働後、くつろぐチェ・ゲバラを撮影した写真が取り上げられています。葉書はキューバ郵政が発行したもので、下の画像のように、裏面には、革命戦争勝利後の1959年1月、カミーロ・シエンフエゴスを伴いハバナに入場するカストロを取り上げた印面(無額面永久保証)も印刷されています。

      キューバ・労働後のチェ(裏面・部分)

 キューバ革命後の国家建設において、ゲバラは、個人の利益ではなく、社会の発展のために働く“新しい人間”の創造を強調しました。

一般に、生産性や労働意欲を向上させるためには“物質的刺激(=経済的利益)”が重要とされていますが、ゲバラは、それと同時に“精神的刺激”がなければ、“新しい人間”の形成が阻害され、共産主義社会への移行に際して禍根を残すと考えていました。

 ゲバラによれば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に“人間らしさ”を回復するため、文化・芸術に没頭するようなあり方は、物質的刺激のみを重視した資本主義的人間の姿であり、“真の人間らしさ”を欠いています。これに対して、“新しい人間”は、大義への献身、自己犠牲の精神、高いモラル等を備え、自らと共同体のために働き、労働そのものが喜びとなった存在であり、物質的刺激と精神的刺激のバランスがとれた、誰もが人間らしい生活を享受できる社会でのみ実現できるとされていました。

 ゲバラは、みずから“新しい人間”の理想に近づこうと、文字通り寝食を忘れてストイックなまでに革命に献身。「何キログラムの肉が食べられるか、あるいは1年に何回休みの日に海岸に遊びに行けるか、あるいは現在の給料でどれほどの美しい輸入品を買えるか、それは問題ではない」との言葉の通り、金銭や物質的な報奨に対しては極端に淡白で、閣僚としての多忙な職務の合間を縫って、週末は早朝から自ら工場で働き、あるいは、サトウキビを刈り取る労働奉仕に汗を流した。今回ご紹介の葉書も、そうした彼の労働に勤しむ姿を取り上げたものです。

 しかし、こうしたゲバラの超人的な献身は、あくまでも、彼にしかできないことであり、彼個人の奮闘にもかかわらず、社会主義キューバの経済建設は結果的に失敗に終わります。

 その原因としては、以下のように要約できます。

 そもそも、革命以前のキューバ経済は米国に完全に依存しており、必要な物資は、製品であれ、工業製品の原材料であれ、対岸の米国に注文すればすぐに届けられていました。革命後の経済制裁によりその途が断たれた後、プラヤ・ヒロン事件を経てカストロは社会主義化を宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバに対するソ連の支援は本格化したものの、質量ともに、米国の穴を埋めるには程遠いものでした。

 また、革命による人材流出で、工場の技術者や運営スタッフは深刻な人材難となり、東側諸国から派遣されてきた技術者たちは革命以前から稼働していた米国製の機械をうまく扱えませんでした。

 さらに、労働者の能力・資質にも問題が多く、仮にまじめに働く労働者であっても、十分な訓練も受けぬまま、不慣れな分野の労働奉仕に動員されたのでは、効率が上がるはずもありませんでした。

 たとえば、キューバの主要産業であるサトウキビの刈取りに関しては、ベテランの作業員が1日8時間の労働で平均3-4トン、人によっては7トンを刈り取ることができるのに対して、都市部の出身者は最大で500キロ、肉体労働の経験がほとんどないインテリ層は250-300キロしか刈り取れないというのが現実でした。

 結局、1961年のキューバ国民の生活水準は、革命の起きた1959年に比べると60パーセント上回ったと発表されましたが、10-15パーセントという成長目標は達成できず(目標の設定自体が無謀ではあったが)、物資の不足は全く解消されませんでした。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命後の経済状況についてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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