内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ホセ・マルティ
2018-05-19 Sat 01:41
 きょう(19日)は、1895年5月19日に亡くなったキューバ独立の英雄、ホセ・マルティの忌日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(作家)

 これは、1953年にキューバが発行したホセ・マルティ生誕100周年の記念切手のうち、作家としてのマルティのイメージを取り上げた1枚です。

 ホセ・フリアン・マルティ・ペレスは、1853年、ハバナに生まれました。

 1865年、詩人で独立思想家のラファエル・マリア・メンディベが校長を務める公立学校に入学。メンディベを通じて、文学者や独立活動家と交流を持つようになり、1867年にハバナの美術専門学校に入学した後は、愛国的な詩や戯曲をさかんに書くなど、早熟な少年でした。

 第一次独立戦争勃発後の1869年、友人のフェルミン・バルデス・ドミンゲス宅がスペイン側の家宅捜索を受けた際、スペインの将校となった別の友人を“裏切り者”と罵倒したマルティの手紙が押収され、反逆罪の容疑で逮捕。懲役6年の判決を受け、ピノス島での収容所での強制労働に従事させられます。

 父親の奔走により、1870年末に釈放され、国外退去処分を受けてスペインへ渡ると、航海途中に記した『キューバに於ける政治犯刑務所』をマドリードで出版。サラゴサ大学などで法律や文学、哲学などを学びました。

 1874年末以降、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを経て、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻ったものの、独立運動を展開したため、再び亡命を余儀なくされています。

 その後、メキシコ、ニューヨークなどを経て、ヴェネズエラのカラカスに渡り、雑誌『レビスタ・ベネソラーナ』を創刊しましたが、時の為政者グスマン・ブランコを批判したことで、国外退去を余儀なくされたため、1881年、当時多くの亡命キューバ人の滞在していたニューヨークに居を移しました。ニューヨークでのマルティは、小説家、詩人、評論家、教育者、ジャーナリストとして活動し、知識人としての地位を確保する傍ら、パラグアイおよびアルゼンチンの駐米領事、ウルグアイの駐米領事・国際金融会議代表を歴任しています。

 しかし、キューバ独立への思いは断ちがたく、1892年1月10日、全ての地位・役職を放擲し、独立活動に専念すべく、キューバ革命党を創立。①“キューバの完全独立の達成、プエルトリコの独立の推進・援助(併合主義の拒絶)のための戦争の準備、② 在外独立諸勢力の統一とキューバ内の勢力との連絡の確立、③カウディージョ主義・軍国主義的逸脱の排除、④“共和主義的精神・方法による戦争”の実施に寄与するような民主的諸原則の順守、を綱領として掲げました。

 マルティの認識によれば、第一次独立戦争の後、スペインはキューバに形式的な自治を与えたものの、キューバを独立させる気は毛頭なく、キューバの独立は武力で勝ち取らねばなりません。

 また、在米キューバ人の中には、富裕層を中心に、スペインからの独立後、“進歩と民主主義の国”にして、経済的な結びつきが強い米国への統合を求める者も少なくありませんでしたが、マルティは、「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」「(ニューヨーク在住の)私は(米国という)怪物の中に住んでいるので、その内臓をよく知っている」として、あくまでも独立を主張しました。

 1894年、革命の資金・武器調達のためにニューヨークを出発してメキシコに向かったマルティは、武器を満載した船3隻を得た後、1895年1月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港し、第一次独立戦争の英雄、マクシモ・ゴメス・イ・バエス将軍と合流。経済危機に陥ったキューバ各地で独立闘争が激化したのを確認すると、3月25日、マルティとゴメスはジャマイカのモンテクリスティで、事実上の独立宣言ともいうべきモンテクリスティ宣言を発表。4月1日、ジャマイカを出発し、ハイチを経て、4月11日、キューバ島東部のプライータ海岸に上陸し、第二次独立戦争が始まりました。

 マルティらはキューバ各地で闘争を繰り広げましたが、兵力に勝るスペイン軍を相手に独立派は苦戦を続けます。そして、5月19日、ドス・リオス付近で戦闘に際して、「あなたは独立後に必要な人物なのだから、野営地に留まってほしい」とのゴメスの制止を振り切って進撃したところ、スペイン植民地軍の銃撃に遭い、戦死しました。

 ちなみに、マルティの遺体は、当初、スペイン側によって共同墓地に投げ入れられましたが、革命軍は彼の遺体を回収するために、スペイン軍と熾烈な戦いを繰り返して奪還に成功。後に、オリエンテ州第一管区総司令官の指示により、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地に埋葬されました。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 母の日
2018-05-13 Sun 00:43
 きょうは“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ母子

 これは、2008年にキューバが発行した“チェ・ゲバラ生誕80年”の記念切手のうち、母親に抱かれる幼きゲバラと、当時、一家が住んでいた住居が取り上げられています。

 チェ・ゲバラの母親、セリア・デ・ラ・セルナ・イ・ジョサはバスク系のアルゼンチン人で、1906年、ブエノスアイレスで生まれました。1927年12月10日、アイルランド系アルゼンチン人のエドゥアルド・ラファエル・エルネスト・ゲバラ・リンチと結婚。当時、2人はアルゼンチン北東部のミシオネスでマテ茶の農園を経営していましたが、1928年6月14日、出産と商用のため、ブエノスアイレスに船で移動する途中、ロサリオで、後に“チェ・ゲバラ”として有名になる長男のエルネストが生まれました。これを機に、ゲバラ夫妻は、農園の経営を他人に委ねて気候の温和なロサリオに転居。切手に取り上げられている家での生活を始めました。

 セリアは当時のアルゼンチンでは珍しい無神論者にして社会主義の信奉者で、後に、エルネスト宛の手紙で「全世界が社会主義になることを期待している老女」と自分のことを記しているほどでした。また、1936年にスペイン内戦が勃発し、スペイン語圏のアルゼンチンにはスペインからの亡命者が目立つようになると、共和派への同情を公言。エルネストの人格形成に大きな影響を与えました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの人格が形成されていった幼少期についても、時代背景を踏まえて詳しくご説明する予定です。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


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 世界赤十字デー
2018-05-08 Tue 01:37
 きょう(8日)は世界赤十字デーです。というわけで、赤十字関連の切手の中から、この1枚を持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・赤十字80年

 これは、1944年にキューバが発行した国際赤十字80年の記念切手で、地球(西半球)と赤十字が描かれています。

 赤十字の祖として知られるアンリ・デュナンは、1828年5月8日、ジュネーヴの裕福な実業家の家庭に生まれました。1853年、25歳の頃から、勤務先のルーラン・ソータ-銀行の会計士としてフランスの植民地であったアルジェリアに滞在したことから、現地での起業に興味を持ち、1858年、モン・ジェラミー製粉株式会社を設立します。しかし、同社は水利の便が悪く、事業としてはうまくいきませんでした。このため、彼は、アルジェリアでの事業にフランスの援助を得るため、1859年6月、アルジェリア総督のマック・リオンを追って北イタリアに入り、あわよくばナポレオン3世に直訴しようと考えます。

 当時、北イタリアは、イタリア統一戦争(第二次)の最中にあり、フランス・サルディニアの連合軍とオーストリア軍とが熾烈な戦闘を行っていました。

 そうしたなかで、6月25日、北イタリアのカスティリオーネに到着したデュナンは、前日の24日に行われたソルフェリーノの会戦でうち捨てられた負傷者の非惨なありさまを目のあたりにし、義憤に駆られ、近隣の農家の婦人や旅行者に協力を呼びかけ、懸命の救護にあたります。

 このときの経験をまとめた手記『ソルフェリーノの思い出』は、1862年11月に出版され、「負傷して武器を持たない兵士は、もはや軍人ではない。戦列を離れた一人の人間として、その貴重な生命は守らなければならない。そのためには、かねてから国際的な救護団体をつくり、戦争の時に直ちに負傷者を救助できるようにしておけば、再びソリフェリーノのような悲惨を繰り返すことはないであろう。また、これらの救護に当たる人々は中立とみなし、攻撃しないよう約束することが必要である。」との彼の訴えは、世界中に大きな反響を呼ぶことになりました。

 1863年2月、デュナンは、自分の訴えに賛同してくれたギュスタヴ・モアニエ(法律家)、アンリ・デュフール(将軍)、ルイ・アッピア(医師)、テオドール・モノアール(医師)とともにジュネーヴで5人委員会を結成。これが後の赤十字国際委員会の前身となります。その後、同年10月、ヨーロッパ16ヶ国が参加して最初の国際会議が開かれ、翌1864年8月、スイスほか15ヶ国の外交会議で最初のジュネーヴ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生。以後、人道・博愛の精神を根底にした赤十字は、各国で次々と受け入れられてくことになります。ちなみに、今回ご紹介の切手は、ここから起算して80周年となるのを記念して発行されたもので、発行国のキューバは1909年に国際赤十字に加盟しています。

 一方、デュナンは、赤十字創設に没頭のあまり製粉会社の経営に失敗し、1867年、破産宣告を受けて失踪。1895年にハイデン(スイス)の養老院で新聞記者によって“発見”されるまで行方不明をなってしまいました。

 その後、彼は赤十字誕生の功績が認められ、最初のノーベル平和賞をおくられたほか、ロシア皇后から賜った終生年金を受けて生活の安定を取り戻し、1910年10月、亡くなりました。そして、いまから70年前の1948年、デュナンの功績をたたえ、彼の誕生日にあたる5月8日を世界赤十字デーとすることが第20回赤十字社連盟理事会で決められ、現在に至っています。


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 こどもの日
2018-05-05 Sat 02:47
 きょう(5日)は“こどもの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1894年(20センタヴォ)

 これは、1894年にスペイン領時代のキューバで発行された20センタヴォ切手で、当時のスペイン国王アルフォンソ13世の肖像が描かれています。

 キューバ島の切手は、1855年、“スペイン領アンティル諸島”名義で発行されのが最初です。この時の切手は、当時のスペイン女王、イサベル2世を描くもので、プエルトリコと共通で使用されました。また、切手に表示された文字は、郵便を意味するスペイン語の“CORREOS”と、当時のキューバで流通していた通貨、スペイン植民地レアルでの額面表示のみで、“キューバ”はおろか“スペイン領アンティル諸島”の表示さえありませんでした。これは、キューバであれプエルトリコであれ、あくまでもスペイン領土であり、地域としての独自性はいっさい認めないという意思の表れと言われています。

 その後、1868年10月、スペインに対する第一次独立戦争が勃発。独立戦争は1878年2月10日の停戦までの約10年間続き、双方の死者20万、物的損失7億ドルという甚大な被害の末、停戦となしました。

 この間、スペイン植民地当局は、1873年から、キューバとプエルトリコで別の切手を使用するようになりましたが、この時点でも切手の国名表示は“海外(領土)”を意味する“ULTRAMAR”となっており、キューバを独自の地名として特定する表記はなく、停戦前年の1877年になって、ようやく、キューバ(CUBA)の表示が入った切手が発行されます。

 今回ご紹介の切手に取り上げられたアルフォンソ13世は、1886年5月17日11時30分、父王アルフォンソ12世の唯一の男子として生まれましたが、すでに前年の1885年11月25日、父王は崩御していたため、出生と同時に国王となり、1902年まで、母マリア・クリスティーナ王太后が摂政を務めていました。

 キューバでアルフォンソ13世の肖像入り切手が登場するのは1889年以降のことで、以後、1898年に米西戦争スペインがキューバを失うまで、キューバではアルフォンソ13世の肖像切手が使われることになります。

 なお、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、1959年の革命に至る歴史的背景として、スペイン領時代のキューバとその郵便についても、簡単にまとめています。今後、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

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 みどりの日
2018-05-04 Fri 01:56
 きょう(4日)は“みどりの日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マエストラ山脈

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、緑に覆われたシエラ・マエストラ(マエストラ山脈)を取り上げた1枚です。
 
 シエラ・マエストラは、キューバ島南東のクルス岬からマイシ岬まで、東西250キロにも及ぶキューバ島最大の山脈です。キューバ最高峰のトゥルキーノ山(2005m)も、この山脈に属しており、山中には、銅・マンガンなど豊富な鉱山資源が埋蔵されています。

 山脈の東に位置するサンティアゴ・デ・クーバは、1953年7月26日、フィデル・カストロは同地にあったモンカダ兵営を襲撃。これが、キューバ革命の発端となりました。

 また、1956年12月2日、グランマ号に乗ったフィデルら革命組織の“7月26日運動(M26)”は、シエラ・マエストラ西側のラス・コロラダス海岸に上陸。昼間はサトウキビ畑などに隠れ、夜間にのみ行軍してトゥルキーノ山頂を目指しました。

 しかし、飛行機を通じて“不審船”の動きを探知していたバティスタ政府は、砂糖キビの食べかすなどから叛乱軍の足跡をたどり、12月5日の昼頃、アレグリーア・デル・ピノで反乱軍を迎撃。この時の戦闘で叛乱側の兵士多数が犠牲になり、捕虜となった者は虐殺されました。ただし、バティスタ政権の圧政に苦しめられてきた農民の中には叛乱側を支持する者も少なからずおり、そうした農民の指導者の一人であったクレスセンシオ・ペレス・モンタノは、ラウルら叛乱側の兵士を保護。12月17日、ラウル・カストロ(フィデルの弟)ら6人のグループは、元オルトドクソ党員のシンコ・パルマスの農場で、前日に同農場に逃れついていたフィデルらと合流しました。

 こうして、フィデルら3人とラウルら6人の9人に地元の農民3人が加わり、以後のゲリラ戦の母体となる“伝説の12人”が形成されます。その後、グランマ号で上陸したチェ・ゲバラ、フアン・アルメイダ、カミーロ・シエンフエゴスら7人も合流し、20日には17人が武器8丁でゲリラ戦の訓練を開始。翌21日、農民の志願兵などを加えた計29人がシンコ・パルマスを出発し、シエラ・マエストラ山中での本格的なゲリラ戦が始まりました。

 以後、叛乱軍はシエラ・マエストラ山中に解放区を樹立してバティスタ政権と戦い、1959年1月にはバティスタ政権を崩壊させて革命を成就させます。

 なお、シエラ・マエストラ山中でのカストロとゲバラの戦いについては、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


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      ゲバラ本・仮書影

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 憲法記念日
2018-05-03 Thu 10:28
 きょう(3日)は“憲法記念日”です。というわけで、世界の憲法関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1940年憲法

 これは、キューバで1940年憲法の公布に際して使用された記念印です。

 スペイン植民地時代のキューバには植民地独自の憲法はありませんでしたが、1868年に始まる第一次独立戦争の過程で、1869年、独立派がガイマロ憲法を制定。これが、キューバ最初の憲法となります。

 その後、1878年のパラグア憲法、第二次独立戦争時のヒマグアユ憲法(1895年)、ラ・ヤヤ憲法(1897年)などが制定されましたが、これらは、独立戦争の過程で作られてこともあって、体系的な憲法というよりも、独立宣言という性格の強いものでした。

 1898年の米西戦争で、スペインはキューバの領有権を放棄し、キューバに新政権が樹立するまでは米軍がキューバを占領することになります。これを受けて、米国の“指導”の下、キューバ制憲議会が招集され、米国はキューバに対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、③キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う(この結果、設置されたのが、現在も存在するグアンタナモ米軍基地です)、など8項目からなる付帯事項(プラット修正条項)を強要。これを容れたうえで、人民主権・三権分立・国民の生活向上を謳った1901年憲法が採択され、1902年5月、キューバ共和国が発足します。

 1924年の大統領選挙で当選したヘラルド・マチャド・イ・モラレスは、軍部の支持を背景に、政権に批判的なメディアや活動家を弾圧。1927年には憲法を改正して大統領の(連続)再選禁止規定は撤廃し、独裁者として君臨しましたが、1929年10月に世界恐慌が発生し、キューバ経済が壊滅的な打撃を受けると、大規模な反マチャド運動が発生。1933年8月、マチャドはバハマの首都、ナッソーに亡命しました。

 マチャドの亡命後、臨時政府の大統領にはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが就任しましたが、9月4日にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル軍曹を首謀者とする下士官がハバナ市内、コロンビア兵営で叛乱を起こし、軍の実権を掌握。バティスタらは、軍の旧首脳部の報復に対抗するため、左派系の学生幹部会と手を組み、“キューバ革命連合”を結成し、ハバナ大学教授のラモン・グラウ・サン・マルティンを首班とする新政権が誕生しました。

 その後、キューバ国内では、左翼勢力の“赤軍”、政府軍バティスタ派、将校団(政府軍内の反バティスタ派)の三つ巴の闘いが展開されましたが、最終的に米国の支持を得たバティスタ派が勝利をおさめ、1934年1月19日、バティスタの支援を受けたカルロス・メンディエタ・イ・モンテフール(独立戦争の英雄で、国民党の重鎮として、かつて大統領選挙でマチャドと戦ったこともある)を臨時大統領とする“国民統一政府”が発足します。

 以後、バティスタは政権の陰の実力者として暗躍し、短期間で政権が目まぐるしく交替する時期が続きましたが、それでも、政治犯の釈放(1937年)、共産党の合法化、土地分配法の制定(1938年)などのリベラルな政策も行われ、砂糖および煙草産業の国家管理や社会保障政策も導入されました。

 そうした流れの中で、1939年には憲法制定議会が招集され、国家主権の確立、全国民の平等(=人種・性・階級による差別の禁止)、大統領の再選禁止、普通選挙、大地主制度(=米系砂糖会社による土地の独占)の廃止、土地所有限度の設定(=大地主制度の廃止)などを定め、当時のラテンアメリカでは最も民主的といわれた1940年憲法が施行されます。今回ご紹介の記念印は、これにあわせて使用されたものです。

 ただし、事実上、米国の植民地だったキューバでは、1940年憲法に規定された大地主制度の廃止は行われず、政府要人や官僚は権力の乱用と汚職による不正蓄財に狂奔していました。さらに、1952年3月10日、大統領選挙に立候補したものの苦戦が続いていたバティスタが軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任すると、1940年憲法は事実上反故にされてしまいます。

 これに対して、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した青年弁護士のフィデル・カストロは、クーデターによる選挙の無効に憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発。しかし、裁判所はこれを握り潰し、既成政党もクーデターを結果的に容認してしまいました。そこで、1953年7月26日、カストロは、バティスタ政権の打倒を掲げて、モンカダ兵営襲撃事件を起こしました。

 事件後、カストロは裁判で、革命達成の暁に実施すべき政策として、①1940年憲法の復活、②土地改革(小作人下の土地分与、有償による土地接収)、③労働者の企業利益への参加、④小作人の収益参加率の50%への引き上げ、⑤不正取得資産の返還、の5項目を掲げます。以後、1940年憲法の復活は、反バティスタ派の共通の目標となりました。
 
 1959年1月、バティスタ政権は崩壊し、カストロの革命が成功すると、同年2月7日、革命政府は1940年憲法を修正するキューバ共和国基本法を制定しました。その際、新憲法制定のための議会が早急に開催の予定とされていましたが、実際には、2月7日付で国民議会が解散された後、1976年まで選挙は実施されず、“革命的立法”によって政策が実施されていくことになります。こうして、事情はどうあれ、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなりました。

 なお、キューバでの憲法と名のつく法律の復活は、1975年のキューバ共産党第1回大会を経て、1976年2月のことでした。1976年憲法は、1992年の修正で「キューバを社会主義国家と定義(第1条)」、2002年の修正で「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項が追加されているほか、第5条ではキューバ共産党(PCC)のみを合法政党としています。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 

 * 昨日、アクセスカウンターが191万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。  

 
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 メーデー
2018-05-01 Tue 02:21
 きょう(1日)はメーデーです。というわけで、メーデー関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・メーデー加刷(1961)

 これは、1961年、ヘスス・メネンデス生誕50周年の記念切手に、メーデーの記念加刷をしたキューバ切手です。

 ヘスス・メネンデスは、1911年12月14日、キューバ島中部ラス・ビリャス州北岸のエンクルシハダで解放奴隷の家系に生まれました。生家は貧しく、小学校を4年生で中退し、サトウキビ畑で働き始め、生活のため、鉄道員や製糖工場の工員なども経験します。

 1925年8月16日、“コミンテルン・キューバ支部”としてハバナでキューバ共産党が結成されると、これに参加。活動家として頭角を現し、1929年には勤務先の製糖工場の労働組合書記長に就任。翌1930年4月20日に行われた48時間のゼネスト(キューバ全土で20万労働者が参加)では、故郷エンクルシハダの共産党組織に参加し、その闘争ぶりから“砂糖キビ畑の将軍”と称されました。

 1932年には全国組織の製糖労働者組合を結成し、1934年には、やはり黒人のラサロ・ペーニャらとともにキューバ労働総同盟の結成に関わり、以後、ペーニャの片腕として活動します。さらに、1939年には製糖労働者全国連合の議長となり、1940年にはラス・ビリャス州から国会議員に当選。戦時下での賃上げ凍結を決めた政府に対する反対闘争を指揮しました。

 1944年、米国共産党が「革命は国民の分裂をもたらし、結果的に、最も反動的な勢力にのみ利益をもたらすことになるから、共産党を解党して二大政党制の中で“進歩的な勢力”を前進させるため活動すべし」とするブラウダー主義を提唱すると、キューバ共産党はこれを支持して、民主集中制を放棄し、党名を人民社会党(PSP)に変更しました。

 こうして、PSPは穏健路線を採択したものの、第二次大戦後の東西冷戦が進行する中で、米国の強い影響下に置かれていたキューバでも反共政策が推進されることになります。1947年7月、当時の内相、ブリオは労働勢力切り崩しのため、労働組合評議会を結成。労働総同盟の内紛を口実に総同盟本部を占拠し、“総同盟正統派”がこれを管理することとしました。さらに、同年10月、ブリオは「総同盟は違法であり、その権利は停止され全権が正統派に委ねられる」と発表。これに抗議する総同盟の活動家1000人以上が逮捕される中で、各地で抗議集会を展開していたメネンデスは、1948年1月、マンサニーリョ駅頭で反共主義の軍人により射殺されました。

 ちなみに、メネンデス暗殺事件当時のフィデル・カストロはPSPに対しては批判的でしたが、メネンデス個人に対しては経緯を抱いており、彼の追悼集会にも参加しています。

 メネンデス生誕50周年の切手は、1959年の革命後、カストロ政権が農地改革を経て米国との対立を深め、ソ連に傾斜していく中で発行されました。

 さらに、同年4月、米CIAの支援を受けた反革命軍が侵攻する“プラヤ・ヒロン事件”が発生すると、カストロは米国との対決姿勢を鮮明にするため、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバを代表する左翼活動家としてのメネンデスの切手に、メーデーの日付“我々は勝ちつつある(ESTAMOS VENCIENDO)”の文言を加刷して発行されたのが、今回ご紹介の切手となります。

 なお、このあたりの事情については、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明する予定です。正式な刊行日等が決まりましたら、このブログでもあらためてご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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 昭和の日
2018-04-29 Sun 11:01
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の中から、昭和史ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(監獄)

 これは、1953年にキューバが発行した“ホセ・マルティ生誕100年”の記念切手のうち、マルティが捕えられていたピノス島(現・青年の島:フベントゥド島 )の“政治犯収容所”が描かれています。この収容所は、第二次大戦中、日系人が抑留されていた施設でもありました。ちなみに、実際の収容所内の風景を取り上げた写真絵葉書が手元にありますので、その画像も下に貼っておきます。

      キューバ・ピノス島監獄

 ピノス島は、キューバ本島西部南岸のバタバノ湾から南西百キロの地点にあり、ハバナやピノール・デル・リオからほぼ真南に位置しています。ピノス島という地名は、島中に松の木が多数あったことに由来するもので、日系移民の間ではスペイン語名を直訳した“松島”と通称されていました。

 キューバといえば、サトウキビの栽培が有名ですが、ピノス島の土壌はサトウキビの生育に全く適していません。このため、スペイン当局はここに政治犯収容所を設置し、同島でも栽培可能な柑橘類の栽培などの労働に従事させていました。キューバ独立運動の指導者として知られるホセ・マルティも、一時、この収容所で拘束されていたことがあり、そのため、生誕100年の記念切手にも収容所の風景が取り上げられたというわけです。

 さて、米西戦争後のパリ条約では、スペインはキューバの領有権を放棄しましたが、ピノス島はキューバの領土を定めた覚書からその名が脱落していたため、米国とキューバの間で領有権をめぐる対立が生じます。その後、1907年、米国最高裁がピノス島は合衆国に属するものではないとの裁定を下したため、米国政府は、それ以上の争いを断念。1925年に米国とキューバの間で取り交わされた覚書により、島の領有権はキューバのものと確定しました。

 ところで、キューバ島を訪れた日本人の記録としては、1614年7月23日、仙台藩主伊達政宗の命を受けてスペインおよびローマに派遣された支倉常長らがハバナに立ち寄ったのが最初です。明治維新後、日本から北米の移民が始まりましたが、米国では黄禍論に基づく日系移民の排斥が始まったため、その代替地の一つとして、1898年、キューバへの日系移民が始まり、1908年以降はピノス島に移住して果物・野菜の栽培に従事する日本人も現れました。

 なお、キューバへの日系移民は1919年から1926年頃が最盛期でしたが、この時点では両国間に正規の国交はなく、1929年の通称暫定取極締結により、ようやく、外交関係が樹立されています。

 1941年12月8日、日本が米英に宣戦を布告すると、翌9日、キューバは日本に宣戦布告し、以後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまで両国の外交関係は途絶します。

 この間、1941年12月12日、キューバ在住の日本人は“敵性外国人”として、その一部が逮捕・国外退去処分となり、約350人の男性が1946年3月までピノス島のプレディシオ・モデーロ収容所に抑留されました。

 1952年、日本とキューバの国交は回復しましたが、1959年の革命で親米バティスタ政権が打倒されると、少なからぬ日本人が混乱を嫌って、キューバを去りました。ちなみに、1950年代後半は、日本からラテンアメリカ諸国への移民がさかんに行われていた時期で(ちなみに、キューバで革命が起きた1959年の日本からブラジルへの移民は年間7000人を超えていた)、そうした中で、キューバは日系移民社会が縮小していた例外的な国でした。

 さて、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、そうしたキューバの日系移民について、チェ・ゲバラがどう考えていたかについても触れています。今後、同書については、このブログでも随時ご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


★★★ 近刊予告! ★★★

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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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 本日、トークやります。
2018-04-21 Sat 01:09
 かねてご案内の通り、本日(21日)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。というわけで、その予告編として、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます。なお、イベントの詳細は主催者HPをご覧ください)

      キューバ・サロンデマヨ

 これは、1967年7月にキューバで発行された“サロン・ド・マヨ美術展”の記念シートで、同展の目玉とされた「クーバ・コレクティヴァ」が取り上げられています。この作品の左方にはゲバラの肖像が描かれており(下に拡大画像を貼っておきます)、これが、ゲバラ切手としては最初の1枚となりました。なお、ゲバラは1967年10月にボリヴィア山中で殺害されていますので、この切手は、ゲバラの生前に発行された唯一の肖像切手でもあります。

      キューバ・サロンデマヨ(部分)

 サロン・ド・マヨ美術展は、『レヴォルシオン』紙の元編集長で著述家のカルロス・フランキが中心となって開催したもので、イヴェント名はドイツ占領下のパリで、反ナチス派の芸術家たちが創設した“5月サロン”を意識しています。パブロ・ピカソ、ホアン・ミロ、アレクサンダー・カルダー、ルネ・ポルトカッレロ、ウィルフレド・ラム等、当代一流の芸術家の作品が展示されたほか、キューバを拠点に活動をする若手芸術家を集め、支援することも目的の一つであったため、展覧会に参加した芸術家の中には、主催者側から滞在費その他の支援を受け、会期の数週間前からハバナに滞在して作品を制作するケースもありました。

 切手に取り上げられた「クーバ・コレクティヴァ」は、中央の円をウィルフレド・ラムが描き、その周囲に渦巻き状に他の画家たちの作品を加えていくことで作られた合作壁画で、その全体は横10m、縦5mという巨大なものです。

 ちなみに、ゲバラの肖像として一番有名な「英雄的ゲリラ」は、革命後の1960年3月5日、前日にハバナ港で起きた爆発事件の犠牲者追悼集会で、『レヴォルシオン』誌の写真記者、アルベルト・コルダが撮影した写真をトリミングしたものです。

 当初、コルダの写真は一般に公開されませんでしたが、1967年、イタリアの編集者ジャンジャコモ・フェルトリネッリが焼き増しを譲り受け、同年10月のゲバラ処刑後、ポスターにして販売。さらに、キューバ政府主催の追悼集会で巨大な遺影として掲げられたほか、没後1周年の追悼切手等にも取り上げられて、いちやく有名になり、反体制のシンボルとして世界中で多くの複製が作られました。

 今回のトークでは、波乱に満ちたゲバラの生涯をたどるとともに、彼の死後、彼の肖像がどのような形で全世界に流布し、どのようなイメージで語られてきたのかという点についても、お話ししたいと考えています。ぜひ、1人でも多くの方にご参加いただけると幸いです。


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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 ラウル・カストロ議長退任へ
2018-04-18 Wed 05:15
 キューバで、きょう・あす(18・19日)、人民権力全国会議が開催され、現在のラウル・カストロ国家評議会議長(首相を兼務)が退任し、新議長が選出される見通しです。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・議事堂絵葉書(1929)

 これは、キューバの首都、ハバナの旧国会議事堂“カピトリオ”を取り上げた絵葉書です。

 カピトリオは、1929年、米国の連邦議事堂を模して、ハバナ中心部のホセ・マルティ通りに建てられました。幅208m、高さ98mの4階建てで、円形の柱廊の上にドームが乗せられています。

 さて、キューバでは、革命直後の1959年1月17日、政権内の主導権争いから、首相のカルドナが大統領のウルティアに辞表を提出し、後に撤回するという混乱が生じました。

 これに対して、2月7日、混乱収拾のため、革命の指導者、フィデル・カストロの首相就任を求める世論が高まり、大衆デモの圧力に押されたカルドナ政権は国民議会を解散します。以後、キューバでは1976年まで選挙は実施されなかったため、革命キューバは議会制民主主義国家ではなくなり、カピトリオが議事堂として使われることもなくなりました。なお、フィデルは、2月16日、「首相は政府の全般的政策を代表する」との条件つきで首相に就任し、革命政権の実権を掌握します。

 その後、1976年2月、革命後の新憲法がようやく公布されたことに伴い、人民権力全国会議・人民権力州会議・人民権力地区会議で構成される議会制度が復活しました。ただし、1976年のキューバ憲法では、一般国民による直接選挙制度が採用されているのは地区会議の選挙のみで、州会議と全国会議の議員は地区会議が中心になって選出するものとされていました。現在は、1992年の憲法改正を経て、州会議と全国会議の選挙も直接投票となっています。

 ただし、選挙に際しては、地区の候補者委員会が議員定数の4分の1超の“プレ候補者”を選び、州会議と全国会議の候補者委員会が独自の候補者を加味した候補者リストを作成し、地区会議がそれぞれ被選挙権を満たしているかどうか審査したうえで、定数と同数の候補者を決定するという方式がとられているため、誰でも自由に立候補できるわけではわけではありません。したがって、キューバの人民権力全国会議は、たしかに全国レベルの立法機関ではあるものの、多くの日本語メディアで紹介されているように“日本の国会に相当”とは単純に言い切れない面があります。なお、国家元首としての国家評議会議長は、全国会議の議員の中から選出されます。

 さて、ことし(2018年)6月はチェ・ゲヴァラの生誕90年にあたっているため、この機会をとらえ、ゲヴァラとキューバ革命に関する書籍を刊行すべく、現在、鋭意制作中です。また、これに先立ち、21日(土)12:30~、東京・浅草のスタンプショウ会場にて事前プロモーションのトークイベントを行います。入場は無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記のご案内をご覧いただけると幸いです。)


★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 4月21日(土)12:30より、東京・浅草で開催のスタンプショウ会場内で、5月刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の事前プロモーションのトークイベントを行います。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


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