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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コロンビアでELNのテロ
2019-01-19 Sat 01:17
 2017年にコロンビア革命軍(FARC)との内戦が終結したコロンビアの首都、ボゴタの警察学校で17日朝、自動車爆弾テロが発生し、実行犯も含めて21人が死亡、68人が負傷した事件で、きのう(18日)、コロンビア政府は左翼ゲリラの民族解放軍(ELN)による犯行と断定しました。というわけで、というわけで、亡くなられた方の御冥福と負傷者の方の1日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・カミーロ・トレス

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、コロンビアのELNの活動家として殺害されたカミーロ・トーレス・レストレポが取り上げられています。

 ラテンアメリカ連帯機構会議は、1967年7月31日から8月10日まで、ラテンアメリカおよびカリブ海諸地域の27の共産党、労働党その他の革命組織の代表を集めてハバナで開催されたもので、最終的に、「武力革命をラテンアメリカにおける革命の基本的路線とする」との一般宣言を採択。“キューバ革命路線”をラテンアメリカの左派勢力にとっての正統教義として認知した会議です。

 切手に取り上げられたトーレスは、1929年2月3日、ボゴタ生まれ。当初、ボゴタの“ロサリオの聖母学院”に通っていましたが、教員を批難したことが原因で退学処分となりました。1946年、リセオ・デ・セルバンテスで中等教育課程を修了。コロンビア国立大学法学部にごく短期間在籍した後、ボゴタのコンシリアール神学校に転入し、1954年、司祭として叙階され、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学しました。

 帰国後、研究者としてコロンビア国立大学に籍を置きながら、貧困の根本的な解決と労働者階級への積極的な支援を訴え、さらに、絶望的な社会的格差を解消して社会正義を確立するためには、キリスト教徒は武装闘争に加わらなければならないと主張。1960年には、オルランド・ファルス・ボルダたちとともに、同大でラテンアメリカ最初の社会学部の設立者の一人となりましたが、その急進的な主張に対しては毀誉褒貶が激しく、ついには大学を辞して、1965年、コロンビアの左翼ゲリラ組織、民族革命軍(ELN)に参加しました。

 ELNは、マルクス・レーニン主義による反米・親キューバ路線を掲げて、爆弾テロや誘拐を実行していた組織で、トーレスは一ゲリラとして非合法の地下活動に従事し、1966年2月15日、コロンビア政府軍との戦闘で殺害され、ELNの“殉教者”となりました。

 カトリックの司祭からゲリラへの転身という異色の経歴もさることながら、トーレスを広く世に知らしめたのは、「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉です。この言葉は、ラテンアメリカでは広く人口に膾炙し、1970年代にペルーのグスタボ・グティエレスが著書『解放の神学:歴史、政治、救い』で体系化した“解放の神学(従来の欧米のキリスト教神学は白人の神学ないしはブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして、これを否定し、被抑圧・被差別人民の解放こそキリスト教の福音の本質であるとする現代キリスト教神学の一潮流)”の源流の一つとされています。

 ちなみに、OLAS会議が開催された1967年7月の時点では、カストロ政権は、キューバでの閣僚の地位を捨て、ボリビアでのゲリラ活動に従事するゲバラを“革命のキリスト”として神格化することで、革命キューバの正統性をアピールするようになっていました。トーレスの肖像切手と、そこから連想される「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉は、そうしたを側面からサポートする役割を担うものだったとみることができましょう。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラと同時代のラテンアメリカ諸国の左派勢力とキューバとの関係についても、いろいろとまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 成人の日
2019-01-14 Mon 01:53
 きょう(14日)は成人の日です。というわけで、若者関連の切手の中から、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・UJC45年

 これは、2007年にキューバで発行された“共産主義青年同盟(UJC:Unión de Jóvenes Comunistas)の45周年”の記念切手で、左から、フリオ・アントニオ・メリャ、カミーロ・シエンフエゴス、チェ・ゲバラの横顔の肖像が取り上げられています。なお、UJCの現在のエンブレムは、この3人の横顔をイラスト化したものですが(下の画像)、切手ではその組み合わせを写真で表現しています。

      キューバ・UJCロゴ

 1959年の革命後のキューバにおける青年組織としては、1960年に設立された革命青年協会が最初です。その後、1962年4月、革命青年協会の第1回全国大会が開催され、組織名を共産主義青年同盟に改称することが承認されると、これに伴い、ビルヒリオ・マルティネスにより、新たなエンブレムが制作されることになりました。

 マルティネスは、1931年4月27日、ハバナ生まれ。1949年、商業美術家としてデビューした後は、商業誌での活動のかたわら、反バティスタの地下出版でバティスタ批判の風刺漫画を描いていました。1955-59年、左派系の雑誌『メリャ』誌に、擬人化された犬のプーチョを主人公とする冒険物語『プーチョ』を連載。後に、そこから派生した漫画『クーチョ』は現代キューバを代表するコミック作品となります。

 当初、マルティネスの制作した同盟のエンブレムは、UJCの文字の入った円と星を背景に、1920年代の旧キューバ共産党の共同設立者で、大学学生連合を設立したフリオ・アントニオ・メリャ(1929年没。享年26)と、早逝したキューバ革命の英雄、カミーロ・シエンフエゴス(1959年没。享年27歳)の肖像を並置したもので、背後には、青年同盟のスローガンである学習・労働・銃(=革命軍)の語と、それに対応した白(学習)・青(労働)・濃緑(銃)の旗が配されていました。ただし、この時点ではゲバラはキューバ政府の現職閣僚であったこともあり、彼のチェの肖像は含まれていません。

 1965年、現在のキューバ共産党が創設され、青年同盟はその下部組織になりましたが、エンブレムは従来のものがそのまま使われていました。ところが、1967年にゲバラが亡くなると、急遽、ゲバラの肖像を最前面に加え、ついで、カミーロ、メリャの順で並べた現在のデザインに変更されました。このデザインでは、チェの肖像が最前面に出ていることから、キューバ政府としては、3人の中でチェを最も重要視していることがうかがえます。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの死後、彼の肖像がどのように使われ、定着していったかということについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

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 キューバ革命60年
2019-01-02 Wed 12:36
 1959年1月1日のキューバ革命60周年を記念して、きょう(2日・現地時間)、キューバの首都ハバナでは記念式典が行われます。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命達成FDC

 これは、革命直後の1959年1月28日にキューバで発行された“革命達成”の記念切手の初日カバーで、カシェにはキューバから蹴りだされるフルヘンシオ・バティスタ前大統領が描かれています。

 フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバルは、1901年、キューバ島北東のバネスで貧農の家に生まれました。1921年、高校を卒業して国軍に入隊。1933年8月、マチャド独裁政権の打倒を叫ぶ民衆蜂起の混乱に乗じて、陸軍軍曹のフルヘンシオ・バティスタが一挙に陸軍の実力者となると、翌1934年、米国はバティスタを支援して、彼の独裁体制を構築。以後、バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権をほぼ独占し、キューバの富はバティスタ・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって独占され、米国に対する隷属の度合いはますます高まっていきました。

 こうした状況の下、1952年、バティスタ(当時は上院議員)は大統領選挙に立候補したものの、野党オルトドクソ党のロベルト・アグラモンテ候補に対して苦戦していたため、同年3月10日、軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任。親米派の政権復帰を歓迎した米国は、直ちに、バティスタ政権を承認します。

 当然のことながら、クーデターによる政権奪取に対しては国民の批判も強かったのですが、バティスタはマフィアと結託し、キューバ国内における彼らの利権を保護する代償として、米国から巨額の支援を引き出し、それらを私物化。この結果、キューバの農業や工業には、従来以上に米国資本が流れ込み、国民の貧困は放置されたまま、キューバ経済は米国に対する隷属の度合いを一層強めていきました。ちなみに、当時のキューバの電気工業の9割、鉄道の5割、粗糖工業の4割が米国資本の支配下にあり、バンク・オブ・アメリカのキューバ支店は全銀行預金の1/4を占めており、極端な富の偏在は誰の目にも明らかでした。

 一方、武力で政権を掌握したバティスタを相手に、アウランティコをはじめとする既成政党は話し合いでの政権交代を要求するという軟弱振りで、しかも、党内対立から四分五裂というありさまでした。

 こうして、国民の間には政治に対する閉塞感が蔓延していくなかで、1952年の議会選挙にオルトドクソ党から立候補した27歳の青年弁護士、フィデル・カストロは、バティスタのクーデターによる選挙の無効化に憤慨、バティスタを憲法裁判所に告発しましたが、裁判所はこれを握り潰してしまいます。

 そこで、カストロは、アベル・サンタマリーア、ニコ・ロペス、ヘスス・モンタネら同志とともに、バティスタ打倒のためには、既成政党とのしがらみのない若者を動員することが重要と考え、地下放送を通じて同志を募り、7月26日未明、バティスタ打倒を叫んでキューバ第2の兵営であるモンカダ兵営を襲撃しました。この襲撃は失敗に終わり、カストロも投獄されましたが、彼が獄中で執筆した手記『歴史は私に無罪を宣告するであろう』が出版されると、恩赦を求める声が市民の間に広がり、1955年5月、バティスタも渋々ながらカストロの釈放を認めます。

 釈放されたカストロは、再起を期していったんメキシコに亡命。そこで、たまたま、“アメリカ帝国主義からラテンアメリカを解放する”との理想を抱いてメキシコシティに来ていたアルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合い、意気投合。彼らは、反政府組織“7月26運動(M-26-7)”を軸に革命の準備を進め、1956年12月、グランマ号でキューバ島に再上陸します。

 当初、バティスタ政権の攻撃により、一時は壊滅寸前に追い込まれた革命側でしたが、シエラ・マエストラ山中を拠点に反政府ゲリラ闘争を続け、農民たちを取り込んで徐々に勢力を拡大。1958年5月、バティスタ政権がゲリラに対する最終攻勢として“FF作戦”を発動したのに対して、5月29日、革命側はサント・ドミンゴ川の戦いで勝利。これが戦局の転機となり、7月10日の戦いでも革命側は政府軍を破り、8月7日には政府軍がシエラ・マエストラから完全に撤退します。

 その後、ゲバラ率いる第8部隊と、カミーロ・シエンフエゴス率いる第2部隊は、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州の攻略作戦を開始。10月15日、ラス・ビジャス州に到着して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功しました。

 一方、カストロは、弟のラウルとともに、キューバ島東部、オリエンテ地方の中心地であるサンティアゴ・デ・クーバを目指し、11月17日、最終攻勢を指示したあとシエラ・マエストラの本部を閉鎖。300の兵で“ホセ・マルティ部隊”を編成してサンティアゴ作戦を開始し、11月20日に始まるグィサの戦闘で政府軍を撃破しています。

 その後、ゲバラの部隊は、12月29日、ラス・ビジャス州の州都、サンタ・クララへの総攻撃を開始。戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏しました。

 これが決定打となり、、1958年12月31日の夜、バティスタはハバナ市内のコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティーの席上で突如として辞任演説を始め、日付の変わった1959年の元日未明、クバーナ航空機でキューバを脱出してドミニカ共和国へ亡命。 これを受けて、最後までビダール兵営に籠城して抵抗していた政府軍部隊も、同日、降伏。キューバ革命が達せられました。

 さて、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、このあたりの事情についても、関連する切手や郵便物などを用いて詳しくご説明しております。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 

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 サンタ・クララ解放60周年
2018-12-29 Sat 02:26
 キューバ革命戦争末期の1958年12月29日、チェ・ゲバラ率いるシロ・レドンド第8部隊がキューバ島中部の要衝、サンタ・クララを解放し、革命側の勝利を決定的にしてから、ちょうど60周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・サンタクララ解放25周年

 これは、1983年にキューバが発行した“サンタク・ララの戦い25周年”の記念切手で、キューバ国旗と7月26日運動(M26)の旗で作った勝利のVサインと、戦闘の象徴としての破壊される装甲列車が描かれています。

 1958年8月7日、フィデル・カストロ率いる革命側は、彼らの拠点であったシエラ・マエストラに対する政府軍の攻撃を撃退すると、部隊を再編成し、ゲバラがシロ・レドンド第8部隊の指揮官に、カミーロ・シエンフエゴスがアントニオ・マセオ第2部隊の指揮官に、それぞれ任命され、キューバ島中央部、ラス・ビジャス州(現ビジャ・クララ州)の攻略作戦が開始されます。

 8月22日、まず、カミーロの部隊がラス・メルセデスから北側のルートで出発。ゲバラの部隊は武器弾薬の到着を待って8月31日に南側のルートを出発しました。

 ゲバラの部隊は、出発早々の9月1日、ハリケーンの直撃に見舞われただけでなく、政府軍の包囲と激しい攻撃を受けましたが、これをかいくぐり、10月7日、エスカンブライのゲリラと接触。10月15日、ついにラス・ビジャス州に到着し、カミーロの部隊とも連携して中央国道を完全に封鎖し、キューバ島の東西分断に成功しました。

 その後、革命側は州内の各都市を次々に解放。12月下旬には、ゲバラの部隊は州都サンタ・クララ東南のカバイグアンを攻略。同25日にはラス・ビジャス中央大学に司令部を設置し、サンタ・クララ攻略戦を開始しました。

 これに対して、バティスタ政権は、サンタ・クララ市街を一望できるカピーロの丘の上に堡塁を建設し、2000の兵を動員して町全体を要塞化し、無差別爆撃を加えました。しかし、無差別爆撃に反発した市民は、革命側に協力して政府軍の戦車を阻むバリケードを築いたり、火炎瓶を作ったりしました。さらに、市民からの情報を得たゲバラの部隊は、12月29日、レールに罠を仕掛け、400の兵と武器弾薬を積んだ装甲列車を脱線させ、総攻撃を開始します。

 戦闘は正午には終了し、戦意を喪失した政府軍は大量の武器弾薬とともに降伏。その後も、市内で散発的な戦闘が続きましたが、もはや政府軍に味方する市民はありませんでした。

 ゲバラによるサンタ・クララの解放後、もはや戦況は圧倒的に革命側に有利となり、長年の独裁体制のツケですっかり国民の支持を失っていたバティスタは、1959年1月1日、ついにドミニカ共和国に亡命。キューバ革命が達成されました。

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 勤労感謝の日
2018-11-23 Fri 01:36
 きょう(23日)は“勤労感謝の日”です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・労働後の崔(絵葉書)

 これは、キューバで発行された絵葉書で、1961年頃、サトウキビ農場での労働後、くつろぐチェ・ゲバラを撮影した写真が取り上げられています。葉書はキューバ郵政が発行したもので、下の画像のように、裏面には、革命戦争勝利後の1959年1月、カミーロ・シエンフエゴスを伴いハバナに入場するカストロを取り上げた印面(無額面永久保証)も印刷されています。

      キューバ・労働後のチェ(裏面・部分)

 キューバ革命後の国家建設において、ゲバラは、個人の利益ではなく、社会の発展のために働く“新しい人間”の創造を強調しました。

一般に、生産性や労働意欲を向上させるためには“物質的刺激(=経済的利益)”が重要とされていますが、ゲバラは、それと同時に“精神的刺激”がなければ、“新しい人間”の形成が阻害され、共産主義社会への移行に際して禍根を残すと考えていました。

 ゲバラによれば、労働時間に生産手段として働き、余暇の時間に“人間らしさ”を回復するため、文化・芸術に没頭するようなあり方は、物質的刺激のみを重視した資本主義的人間の姿であり、“真の人間らしさ”を欠いています。これに対して、“新しい人間”は、大義への献身、自己犠牲の精神、高いモラル等を備え、自らと共同体のために働き、労働そのものが喜びとなった存在であり、物質的刺激と精神的刺激のバランスがとれた、誰もが人間らしい生活を享受できる社会でのみ実現できるとされていました。

 ゲバラは、みずから“新しい人間”の理想に近づこうと、文字通り寝食を忘れてストイックなまでに革命に献身。「何キログラムの肉が食べられるか、あるいは1年に何回休みの日に海岸に遊びに行けるか、あるいは現在の給料でどれほどの美しい輸入品を買えるか、それは問題ではない」との言葉の通り、金銭や物質的な報奨に対しては極端に淡白で、閣僚としての多忙な職務の合間を縫って、週末は早朝から自ら工場で働き、あるいは、サトウキビを刈り取る労働奉仕に汗を流した。今回ご紹介の葉書も、そうした彼の労働に勤しむ姿を取り上げたものです。

 しかし、こうしたゲバラの超人的な献身は、あくまでも、彼にしかできないことであり、彼個人の奮闘にもかかわらず、社会主義キューバの経済建設は結果的に失敗に終わります。

 その原因としては、以下のように要約できます。

 そもそも、革命以前のキューバ経済は米国に完全に依存しており、必要な物資は、製品であれ、工業製品の原材料であれ、対岸の米国に注文すればすぐに届けられていました。革命後の経済制裁によりその途が断たれた後、プラヤ・ヒロン事件を経てカストロは社会主義化を宣言し、反革命軍を撃退。これを受けて、キューバに対するソ連の支援は本格化したものの、質量ともに、米国の穴を埋めるには程遠いものでした。

 また、革命による人材流出で、工場の技術者や運営スタッフは深刻な人材難となり、東側諸国から派遣されてきた技術者たちは革命以前から稼働していた米国製の機械をうまく扱えませんでした。

 さらに、労働者の能力・資質にも問題が多く、仮にまじめに働く労働者であっても、十分な訓練も受けぬまま、不慣れな分野の労働奉仕に動員されたのでは、効率が上がるはずもありませんでした。

 たとえば、キューバの主要産業であるサトウキビの刈取りに関しては、ベテランの作業員が1日8時間の労働で平均3-4トン、人によっては7トンを刈り取ることができるのに対して、都市部の出身者は最大で500キロ、肉体労働の経験がほとんどないインテリ層は250-300キロしか刈り取れないというのが現実でした。

 結局、1961年のキューバ国民の生活水準は、革命の起きた1959年に比べると60パーセント上回ったと発表されましたが、10-15パーセントという成長目標は達成できず(目標の設定自体が無謀ではあったが)、物資の不足は全く解消されませんでした。

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★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 二の酉
2018-11-13 Tue 01:18
 きょう(13日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、鳥が描かれたキューバの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      エドゥアルド・アベラ『農民』

 これは、1967年にキューバが発行した国立博物館収蔵美術品シリーズのうち、エドゥアルド・アベラの『農民たち』を取り上げた1枚で、描かれている6人の農民のうち、2人が鶏を抱えています。

 キューバの現代美術を代表する画家の1人、エドゥアルド・アベラは、1889年、キューバ島西部、アルテミサ州サン・アントニオ・デ・ロス・バーニョスで生まれました。1921年、サン・アレハンドロ美術アカデミーを卒業し、その後、スペインおよびフランスに留学。パリ滞在中、ジュール・パスキン、マルク・シャガールと親交を結び、彼らから強い影響を受けつつも、キューバ独自の題材を取り上げた作品を描いて注目を集めました。

 1930年にキューバに帰国すると、スペイン語で“間抜け”を意味する“ボボ”という名のキャラクターをつくり、当時のマチャド独裁政権を批判する風刺漫画を発表して人気を博しました。マチャド政権退陣後の1930年代後半には、初期ルネサンスとメキシコの壁画運動を意識した自然主義的な画風を生み出し、高い評価を得ました。今回ご紹介の切手に取り上げられた『農民たち』は1938年に発表された作品で、アベラの代表作というだけでなく、キューバの現代美術を作品の一つとされています。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 “ヤラの叫び”150年
2018-10-10 Wed 00:35
 キューバ第1次独立戦争(十年戦争)の発端となった事件、“ヤラの叫び”が、1868年10月10日に起きてから、150周年となりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・セスペデス(1968)

 これは、“ヤラの叫び”から100周年になるのを記念して、キューバ革命政府が設定した“闘争の年(=1968年)”の記念切手のうち、ヤラの叫びと指導者のカルロス・マヌエル・デ・セスペデスを描いた1枚です。

 1820年年代、ラテンアメリカの植民地を失ったスペインは、フィリピン、プエルトリコなどとともに“最後の植民地”としてのキューバを維持しようとしていました。

 しかし、キューバ島内の地主たちの中には、権威主義的で旧態依然たるスペインの植民地政府とその腐敗・無能に不満を持つ者も多く、1867年、彼らはキューバ使節団の本国国会への派遣を求めましたが、スペイン側はこれを拒否。このため、1868年10月10日、急進派の中心人物で、キューバ島南東、オリエンテ州(現グランマ州)のヤラの地主で製糖工場を経営していたセスペデスは、自らの工場の奴隷を解放して147人の叛乱軍を組織し、スペインからの独立と奴隷の解放を宣言しました。これが、“ヤラの叫び”と呼ばれる事件で、1878年まで続く“十年戦争”の開幕を告げる狼煙となります。

 ヤラでの蜂起は数日間でほぼ鎮圧されましたが、叛乱軍は州内のバヤモに移動して要塞を構築。オリエンテ州を拠点にキューバ東部全体に勢力を拡大します。その後、バヤモは1869年1月12日に陥落しましたが、1月に入ると叛乱は中部カマグエイ州にも波及し、カマグエイ州で開催された議会は、4月10日に共和国憲法を発布し、12日にセスペデスをキューバ共和国の初代大統領に選出しました。

 その後、セスペデスは独裁を批判されて1873年10月27日に解任され、1874年2月27日、山中に潜伏していたところをスペイン軍に殺害されます。しかし、独立派の抵抗は続き、1878年2月10日に締結された停戦協定では、キューバ植民地の財務状況を改善するための諸改革が約束されたほか、スペイン国会へのキューバ代表権も認められました。ちなみに、10年にも及ぶ内戦では、双方の死者 20万、物的損失は7億ドルにも上っています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命の歴史的背景として、19世紀の独立戦争の時代についても簡単にまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

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      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

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 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 敬老の日
2018-09-17 Mon 02:31
 きょう(17日)は“敬老の日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ヘミングウェイ生誕100年

 これは、1999年にキューバが発行した“アーネスト・ヘミングウェイ生誕100年”の記念切手で、ヘミングウェイの肖像と、彼の代表作『老人と海』を思わせる小舟と巨大なカジキが描かれています。

 『老人と海』は、1951年に執筆、1952年に出版された作品で、ヘミングウェイはこの作品により、1954年のノーベル文学賞を受賞したと評価されています。

 キューバで暮らす老漁師のサンティアゴは、85日にわたる不漁の後、1人で小舟に乗ってメキシコ湾に出かけると、久しぶりに大物のカジキがかかり、4日間の長期戦の末に獲物を仕留めます。ところが、カジキが大きすぎて舟に引き上げられなかったため、舟の横に縛りつけて港へ戻ろうとしたものの、今度は魚を狙う鮫に幾度となく襲われ、ようやく漁港にたどりついたとき、仕留めたカジキは鮫に食い尽くされ、ほとんど骨だけになっていました。

 物語のあらすじをごく簡単に要約するとこんな感じになりましょうか。

 さて、ヘミングウェイは、キューバ・ハバナ郊外のサンティアゴ・デ・パウラの邸宅、“フィンカ・ビヒア”で人生の3分の1にあたる約22年間を過ごしており、『老人と海』を含む主要作品の大半はキューバで執筆されました。

 キューバを愛した彼は、革命戦争の混乱期こそキューバを離れたものの、1959年1月に革命が達せられると、再会第一便の飛行機でキューバの飛行場に降り立ち、キューバ国旗にキスをして「俺はヤンキーじゃないんだ」との第一声を発しています。

 なお、ヘミングウェイがフィンカ・ビヒアで『老人と海』の執筆に勤しんでいた、革命以前のキューバについては、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、いろいろな角度からまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 ナミビアの日
2018-08-26 Sun 06:23
 きょう(26日)は、1966年8月26日、南西アフリカ人民機構 (SWAPO) によるナミビア解放闘争が始まったことにちなんで、国連が制定した“ナミビアの日(ナミビア国内では“英雄の日”)です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ナミビアの日(1982)

 これは、1982年のにキューバが発行した“ナミビアの日”の切手で、切手上部には“SWAPO”の文字も入っています。

 現在のナミビア国家の領域は、第一次大戦以前はドイツ領南西アフリカとしてドイツの統治下に置かれていましたが、第一次大戦中の1915年3月、英連邦の一員として参戦した6万7000の南アフリカ連邦軍が進攻し、7月9日にはその全域を占領。これにより、ドイツ領南西アフリカは崩壊し、戦後、この地域は国際連盟によって南アフリカ連邦(以下、1961年以降の南アフリカ共和国も含めて南アと略)の委任統治領となります。

 1946年に国際連盟が解散すると、南アは国際連合への引き継ぎ期間の隙をついて南西アフリカの併合を宣言。しかし、国際社会はこれを認めず、南アによる南西アフリカの併合は不法占領であると非難します。

 1960年の国連総会では、南西アフリカを、南アを施政権者とする信託統治領(委任統治領と異なり、国連信託統治理事会が、3年に1度、現地を視察して住民に対する人権侵害や搾取がないか、自治・独立に向けた施政が行われているかを調査するほか、地域住民から国際連合への請願が認められます)とする決議が採択されましたが、南アはこれを無視して、国連の“干渉”を排した実効支配を継続しました。

 これに対して、南西アフリカでは民族解放組織としてSWAPO が形成され、独立運動が展開されましたが、1966年、南アは本国に倣って南西アフリカでも“自治国”としてバントゥースタンを設置し、アパルトヘイト政策を強行。独立運動を徹底的に弾圧しました。

 このため、同年8月26日、SWAPOは武装闘争を開始し、いわゆるナミビア独立戦争が勃発します。

 国際社会はSWAPOを支持し、1968年には国連総会で南西アフリカをナミブ砂漠に由来する“ナミビア”と改称した上で、国連ナミビア委員会の統治下におく決議が採択されたほか、1973年の国連総会ではSWAPOがナミビアの正統政府として承認されましたが、南ア政府はその後も“南西アフリカ”の支配を継続しました。

 ところで、ナミビアに隣接するアンゴラは、長年、ポルトガルの植民地支配に対する独立運動が展開されていましたが、1975年3月、アンゴラ解放人民運動 (MPLA)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) の独立運動の主要3組織がポルトガルと休戦協定を調印し、独立が達せられました。当初、MPLAはソ連とキューバの、FNLAはザイールの支援を受けており、独立後の新政権は、最大勢力で首都ルアンダを掌握していたMPLA主体のものとなるとみられていました。

 ところが、親ソ政権の発足を嫌った米国がFNLAを支援したことで内戦が勃発。さらに、米国は、ともかくもMPLAを打倒するため、UNITAも支援します。その際、米国とUNITAの窓口になったのが、南アでした。

 南アの国民党政権は反アパルトヘイトの国民運動を弾圧し、その結果、アフリカ民族会議(ANC)の一部は周辺の黒人国家に逃れ、東側諸国の支援も受けながら、反政府闘争を展開していました。なかでも、MPLAとANCは密接な関係にあり、南アのアパルトヘイト体制にとって直接の脅威になると国民党政権は考えていたのです。

 さらに、中国も反ソという観点から、ソ連が支援するMPLAに対抗してUNITAを支援するという混沌とした状況ができあがりました。

 南アは実行支配下に置いていたナミビアを拠点にアンゴラ内戦に介入。ナミビアとアンゴラの国境地帯では、南ア国防軍とキューバ軍およびMPLAが対峙することになります。

 その後、FNLAは首都進攻を試みたものの、キューバ軍事顧問団が指揮するMPLAに大敗。戦闘の続く中で、1975年11月11日、MPLAが“アンゴラ人民共和国”の、UNITAとFNLAが“アンゴラ人民民主共和国”の独立を宣言したものの、国際的には、MPLA政権がアンゴラの正統政府とみなされていました。

 こうした状況の下、“第三世界の連帯”を掲げるキューバは、1975年11月から1976年4月までの間に3万6000の兵力を派遣し、南ア軍をナミビアに押し戻します。このことは、ANCを含むアフリカの反アパルトヘイト勢力を大いに鼓舞。さらに、その後もキューバの軍事顧問団はアンゴラにとどまり、ANCに対して軍事訓練を施していました。

 こうして、ナミビア問題がアンゴラ内戦とリンクする状況が続く中で、1988年、クイト・クアナヴァレの戦いを機に、南アはアンゴラからの撤退を表明。同年12月のニューヨーク協定で、南アは、キューバ軍のアンゴラからの撤退を条件にナミビアの独立を承認し、翌1989年、国連監視下で行われたナミビアの選挙ではSWAPOが過半数を制し、1990年3月、ようやく、ナミビアは完全独立を達成しました。


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 山の日
2018-08-11 Sat 00:32
 きょう(11日)は“山の日”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ゲバラ没後40年・ボリビア山中

 これは、2007年にキューバで発行された“チェ・ゲバラ没後40年”の記念切手のうち、ボリビア山中での野営地でのゲリラたちの集合写真を取り上げた1枚(右から3人目がゲバラです)です。

 1965年2月、「別れの手紙」を残してキューバを去ったゲバラは、新たな革命の地を求めてコンゴ動乱に馳せ参じ、約1年間、軍事政権に対抗する左翼反乱軍に参加しました。しかし、反政府勢力首脳部の腐敗と堕落に幻滅した彼は、“世界革命”の理想を抱えてコンゴから撤退し、チェコスロヴァキアを経てラテンアメリカに戻り、1966年11月、独裁政権下のボリビアに潜入。革命に向けての“アンデス計画”を展開します。

 アンデス計画は、(実際の地理的条件を無視すれば)ペルー、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルからほぼ等距離にあるボリビア北部の山岳地帯を拠点に、現地の農民を革命兵士に育て上げ、訓練施設を拡充し、ついで近隣諸国から送り込まれる志願者を革命兵士として教育し、その見返りとして資金的・物質的援助を得て、活動の範囲を広げていくという壮大なものでした。

 しかし、現地のボリビア共産党や先住民の農民は“よそ者”のゲバラに対して非協力的で、ゲバラらは山岳地帯でゲリラ戦を展開したものの勢力を拡大できないまま、1967年10月8日、ゲバラは戦闘でふくらはぎを負傷。ケブラダ・デル・ジューロ(ユーロ)渓谷で捕縛された後、ラ・イゲーラ村の小学校に移送され、翌9日、銃殺されました。最期の言葉は、銃殺をためらう政府軍兵士に対して発せられた「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」でした。

 その後、ゲバラの遺体は、ヴァジェ・グランデ市内に運ばれ、しばらく晒しものにされた後、密かにヴァジェ・グランデの滑走路に埋められました。

 ゲヴァラの殺害から28年が経過した1995年、遺体の処理に関わった元軍人のバルガス・サリナス(事件当時の階級は大尉。最終的に将軍まで昇進)は、伝記作家のインタビューに答えて、ゲバラの埋葬場所を公表。当初、ボリビア陸軍はサリナス証言を否定し、サリナスに対して“元将軍”の地位と名誉を剥奪する処分を下しましたが、当時のボリビア大統領、ゴンサロ・サンチェスは、ゲヴァラの埋葬場所を観光資源化することを考え、遺体の捜索を約束します。

 こうして、1995年11月、キューバとアルゼンチンから専門家チームが現地に派遣され、発掘作業が開始。1年半後の1997年6月29日、遺骨が発見されました。

 発掘されたゲバラとキューバ人同志たちの遺骨は、それぞれ、木棺に収められた後、キューバ国旗に包まれ、ハヴァナへと空輸されました。遺骨は、ハヴァナ市内中心部の革命広場で盛大な帰還式典が行われた後、新たに建設されたサンタ・クララ霊廟の地下に収められ、現在に至っています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』ですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、大変申し訳ございません。刊行日や値段などの詳細につきましては、近々、このブログでもご案内できる要因あると思いますので、よろしくお願いします。


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