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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界禁煙デー
2019-05-31 Fri 03:03
 きょう(31日)は“世界禁煙デー”です。僕自身は煙草を嗜みませんし、煙草を吸う人が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、あたかも禁煙・嫌煙を錦の御旗として、問答無用で煙草を悪と決め付け、何が何でも煙草を排除しようとする“禁煙活動家”のほうが、煙草の煙よりもはるかに不愉快です。というわけで、あえて、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ゲバラ・葉巻絵葉書

 これは、1997年にキューバで発行された“チェ・ゲバラ没後30年”の絵葉書のうち、葉巻を吸うゲバラを取り上げた1枚です。

 もともと、医師であり、自らも喘息の持病を抱えていたゲバラには喫煙の習慣はなく、メキシコでフィデル・カストロらキューバの革命派と付き合うようになった際にも、健康上の理由から、彼らに禁煙を勧めていました。しかし、シエラ・マエストラ山中でのゲリラ生活を始めると、現地の農民の生活の知恵として葉巻が虫除けに利用されており、また、実際にその効果もあったため、ゲバラを含むゲリラ全員に葉巻を吸う習慣が定着することになります。

 1959年の革命後、1961年2月24日に工業省が新設されると初代工業大臣に就任し、キューバの工業化を進めるべく奮闘しました。その一環として、彼はキューバの特産品をアピールする意図を込めて、写真撮影の際には積極的に葉巻姿で応じています。

 さて、葉巻大国のキューバではさまざまな銘柄の葉巻が生産されていますが、そのうち、彼が最も愛好したのは“モンテクリスト”だったと言われています。

 モンテクリストは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテクリスト伯』にちなんで命名されたブランドで、1935年にH・アップマン工場で製造が開始されました。

 H・アップマンは、1844年、ドイツ人のヘルマンおよびアウグストのアップマン兄弟が創業したブランド。キューバ産葉巻の中では最古参のひとつで、比較的軽めのミディアム・ライトの味わいが英国市場で人気を博し、世界的なブランドとして有名になりました。

 かのジョン・F・ケネディ米大統領も、1962年、キューバ製品の禁輸措置法案が議会を通過し、大統領として署名する前夜、報道官を内々に呼びつけ、「どんな手段を使ってでもいい。少なくともH・アップマンを1000本確保するように」と厳命。はたして、翌朝、ホワイトハウスに1500本のアップマンが集められたのを確認してから、法案に署名したといわれています。明らかな職権濫用ですが、逆に言えば、それほど、H・アップマンは魅力的な葉巻だったわけです。

 もっとも、ブランドとしてのH・アップマンの経営は必ずしも順調ではなく、1922年以降、業績の悪化により、何度か経営母体が変わっています。そのなかで、1935年にH・アップマンを買収したアロンソ・メネンデスが経営再建の切り札として売り出したのが、モンテクリストでした。

 なお、当時の葉巻工場では、単調な作業でスタッフの集中力が途切れるのを防ぐため、作業中にさまざまな物語を朗読するのが習慣で、1935年に売り出された新ブランドの葉巻の場合、製造過程で人気のあった読み聞かせの物語が『モンテクリスト伯』だったため、それが命名の由来となりました。ちなみに、モンテクリストとならんでキューバを代表する葉巻のひとつとされる“ロメオ・イ・フリエータ(ロミオとジュリエット)”もまた、同じ理由による命名です。また、モンテクリストのブランドのロゴは、『モンテクリスト伯』の著者、デュマの別の代表作『三銃士』をイメージしたデザインとなっています。

 メネンデスは、新ブランドの投入とあわせて、工場を近代化することで、経営を立て直し、モンテクリストをキューバ三大シガーのひとつといわれるまでに成長させました。現在では、“ゲバラが愛好した葉巻”というイメージ戦略も当たって、モンテクリストはキューバ産葉巻輸出の約25%を占めるほどになりました。

 モンテクリストは代表的な銘柄のNo.1-5以外にも、キューバ産葉巻としては最大サイズの“A”から、小さめのペティコロナサイズ、ミニシガリロまで種類は豊富で、いずれも、やや濃厚で深みがあり、樹木やナッツを思わせる香ばしい香りが感じられるのが特徴です。

 なお、ゲバラが愛好した葉巻として、キューバを代表するブランドのコイーバを挙げている文献が散見されますが、これは、歴史的に無理があります。

 すなわち、革命後まもない時期、カストロは護衛のチーチョが吸っていた“ランセロス”をいたく気に入りましたが、この葉巻は、市販品ではなく、チーチョの友人だったエドアルド・リベラが個人的にブレンドしたものでした。そこで、1968年、カストロは新たに建設した葉巻工場“エル・ラギート”の責任者としてリベラを迎え、政府要人用ないしは外交的な贈答用の高級葉巻の生産を開始します。これが、コイーバのルーツとなりました。

 したがって、リベラの個人的なブレンドはともかく、1967年10月にボリビア山中で亡くなったゲバラが、1968年から生産が開始されたコイーバを嗜むことは時系列的にありえません。

 なお、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、トレードマークともいうべき葉巻を咥えたゲバラの切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 本荘法人会講演会 「切手で読み解く国際政治」 ★★

 2019年 6月4日(火) 14:00-15:30
 会場:安楽温泉

 主催は本荘法人会で、入場は無料ですが、事前のお申し込みが必要になります。お問い合わせは、本荘法人会(TEL0184-24-3050)までお願いします。


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 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 昭和の日
2019-04-29 Mon 01:49
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、昭和史ネタにあらめて、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・東京五輪

 これは、1964年の東京五輪に際してキューバが発行した記念切手です。ランナーのバックの梅の花や、なんとなく稚拙な感じの“東京”の文字なんかが、なかなかいい味を出していますね。

 1961年に社会主義宣言を行った後のキューバは、スポーツを国威発揚の重要な手段と位置づけ、ソ連に倣ってステート・アマ方式を導入し、政府がトップ選手の育成に積極的に関与する政策を採用しています。

 はたして、社会主義宣言後最初の参加となった1964年の東京五輪では、エンリケ・フィゲロラが陸上の男子100メートルで10秒2で米国のボブ・ヘイズに次いで銀メダルを獲得しました。これは、キューバ選手としては1948年のロンドン大会以来のメダルで、革命政府のスポーツ政策がそれなりの成果を上げていることが示されました。今回ご紹介の切手は大会前の発行ですが、フィゲロラは前年(1963年)の汎米選手権の100mで優勝した実績の持ち主ですので、あるいは、この切手のデザインもフィゲロラのメダル獲得への期待を込めて制作されたのかもしれません。

 ちなみに、1968年のメキシコ大会では銀4(うち一つはフィゲロラがアンカーを務めた4×100mリレー)、1972年のミュンヘン大会では金3、銀1、銅4のメダルを獲得するなど、キューバの五輪での成績は、年を追うごとに上昇しています。

 なお、スポーツを含むキューバの文化政策については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもいくつかの事例をご紹介しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。

 * きのう(28日)の拉致被害者全員奪還ツイキャスの内藤の出演回は終了いたしました。途中、バッテリー切れになるアクシデントもありましたが、温かくお聴きいただきました皆様、運営のしぇりーさん、月さんにはこの場を借りて、あらためてお礼申し上げます。 
 
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 プラヤ・ヒロン勝利記念日
2019-04-19 Fri 11:08
 きょう(19日)は、1961年4月19日にプラヤ・ヒロン侵攻事件でキューバが反カストロの亡命キューバ人部隊を撃退した記念日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命10周年(プラヤヒロン)

 これは、1969年にキューバが発行した革命10周年の記念切手のうち、“プラヤ・ヒロンでの勝利”を取り上げた1枚で、ラテンアメリカ人民の団結により撃退される“侵略者”が描かれています。

 1959年のキューバ革命後、米国とキューバの関係が日に日に悪化していく中で、1961年11月8日、アイゼンハワーからケネディへの政権交代を間近に控えた米国はキューバと断交し、ラテンアメリカ諸国の大半がこれに追随します。

 1960年の米国大統領選挙を通じて、民主党のケネディ、共和党候補のリチャード・ニクソンの両候補はいずれもキューバに対して“弱腰”ではないことを示すため、(その時期は明言しなかったものの)政権獲得後は軍事介入する意向を明らかにしていましたが、選挙後まもない1960年11月17日、大統領当選者のケネディに対して、CIA長官のアレン・ダレスは、亡命キューバ人がグアテマラ国内でキューバ上陸作戦のための軍事訓練を受けていることを報告。ケネディも計画をそのまま進めるよう指示を出しています。

 この時までに、革命を逃れてフロリダに渡ったキューバ難民の数は10万に達しており、CIAの計画は、そうした亡命キューバ人の中から有志を募り、革命政権転覆の尖兵として利用というものでしたが、じつは、キューバ側もその中にスパイを潜り込ませ、CIAの動きをかなり正確に把握していました。

 はたして、1961年1月20日、ケネディが正式に米国大統領に就任すると、キューバ政府は警戒態勢に入り、ゲバラはキューバ最西部のピナール・デル・リオに移動し、同軍管区を担当することになりました。侵攻が西側から、すなわち、大陸に最も近い海岸から行われるとすれば、彼の担当地域が最初に敵を迎え撃つことになります。

 ピナール・デル・リオに着任したゲバラは、前年の東欧諸国歴訪の体験を踏まえて、「ソ連をはじめ、全ての社会主義国が我々の主権を守るために戦争に入る必要があることは広く知られている」としたうえで、「我々は皆、我々がこれまで最も憎んできた敵、アイゼンハワーの後継者がわずかでも知的であることを望む」とケネディ宛のメッセージを発しました。

 1961年4月初旬、カストロは在米亡命キューバ人の中に潜入したスパイからの情報で米国の侵攻がいよいよ間近に迫っていることを察知し、潜在的な反政府勢力と見なした人々を一斉摘発。後にカストロはテレビ演説で「すべての容疑者、何らかの理由で事を起こす可能性のある者、反革命運動に与する行動あるいは動きを示す可能性のある者を逮捕するしかなかった。こうした手段を取る場合、いくらかの不当な行為があるのは当然だ」と弁明していますが、非常時を口実に、正規の法的手続きを踏まずに、体制にとって害をなす“可能性のある者”を逮捕した恐怖政治の先例は、その後、常態化していくことになります。ただし、この時点では、その点について米国以外の西側“進歩的文化人”が警鐘を鳴らすことは全くありませんでした。

 また、当時のキューバ島内では、中部エスカンブライ山中を拠点に、反政府勢力(その中には、カストロらとともに反バティスタの革命を戦ったものの、革命政府の“左傾化”に反対して、フィデルと袂を分かった人々も少なからずいました)がゲリラ闘争を展開していたため、カストロは、大規模な掃討作戦を展開し、エルカンブライ山中の反政府勢力を完全に包囲しています。キューバ島に上陸した敵が、山中の反政府勢力と提携する可能性を事前に摘んでおくためです。

 さらに、グアテマラ南西部のレタルレウでは、反カストロ軍の“2506部隊”にキューバの工作員が訓練キャンプに潜入し、隊長のペペ・サン・ロマンに対する叛乱も煽ったため、CIAによる上陸計画には遅延が生じ、その間、カストロはじっくりと対策を練ることができました。

 一方、CIAのプランでは、まず、キューバの空軍基地を爆撃して制空権を確保したうえで、米空母エセックスの掩護を受けた2506部隊2000人がエスカンブライ山麓のサパタ地区に上陸。橋頭保を築いたうえで、フロリダを拠点とする“革命評議会(その首班は、元首相のカルドナです)”が上陸し、臨時政府の樹立を宣言。米国と他のラテンアメリカ諸国が承認するという段取りになっていました。

 こうして、1961年4月10日、CIAに率いられた亡命キューバ人部隊約1500人はグアテマラからソモサ独裁政権下のニカラグアに移動。15日には、「カストロの鬚をお土産に」とのソモサの軽口を聴きながらニカラグアを飛び立ったB26戦闘機8機がキューバを爆撃し、コルンビア、サン・アントニオ・ボラーニョスとサンティアゴ・デ・クーバの空軍基地が爆撃されたほか、首都ハバナでは住宅密集地への爆撃により、病院の入院患者に死者が出ています。ただし、事前に攻撃を予想していたキューバ側は、滑走路にダミーないしは廃棄寸前の飛行機を置き、飛行可能な戦闘機は各地に分散して隠しておいたため、キューバの空軍兵力はほとんど無傷のままでした。

 空爆のあった当初、米政府は「爆撃は米国への亡命を希望する元キューバ空軍のパイロットによるものだ」と説明していましたが、真相はすぐに明らかになり、米国の事件への関与も明らかになってしまいます。

 翌16日、カストロは「真珠湾攻撃の時、日本政府は“攻撃していない”という嘘はつかなかった」として米国を非難。そして、米国との対決姿勢を鮮明に示すため、ついに、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言しました。

 これに対して、国際的な非難を恐れたケネディは、2回目以降の空爆を中止するよう、軍とCIAに命令しましたが、キューバ側の防衛力を過小評価し、事態を楽観視していた彼らは、当初の予定通り、4月17日、キューバ島中部南海岸のプラヤ・ヒロン(米側の呼称はピッグス湾)に2506部隊を上陸させます。

 これが、いわゆる“プラヤ・ヒロン侵攻事件”です。

 しかし、連絡の不備から、エセックスの艦載機が現場に到着したのは2506部隊の上陸から1時間後のことで(CIAが攻撃時間をニカラグアの現地時間で伝えたのに対して、米海軍はそれを1時間の時差があるワシントン時間で伝えるというミスを犯していました)、その間、キューバ側は虎の子のT33ジェット練習機4機で制空権を確保しつつ、民兵を動員して敵の侵攻を食い止めました。上陸部隊とキューバ側民兵の士気の差は歴然としており、19日午後5時半、革命軍はプラヤ・ヒロンを確保し、2506部隊は撤退しました。

 反革命軍の完全撤退を受けて、4月24日、フィデルはテレビに出演して勝利演説を行いましたが、その中には、次のようなフレーズもありました。

 ケネディは「わが国の海岸から160キロのところで社会主義革命が起きるのを許すことはできない」といったが、我々は海岸から160キロのところに資本主義国家があることに耐えている。
 国が大きいからといって小国との紛争を解決するのに実力を用いる権利があるわけではない。

 プラヤ・ヒロン湾侵攻事件は、“アメリカ大陸における帝国主義の初めての敗北”であり、米西戦争以来、百年の恨みを晴らしたカストロの権威は、キューバ国内のみならず、全世界の反米=左派勢力にとって揺るぎないものとなりました。同時にそのことは、キューバ国内において、カストロに対する異論・反論を完全に封じ込める結果ももたらしています。

 なお、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、プラヤ・ヒロン事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★

 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

      
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 セント・パトリックス・デイ
2019-03-17 Sun 02:47
 きょう(17日)は、セント・パトリックス・デーです。というわけで、聖パトリックのシンボル、緑色のシャムロックにちなんで緑色のモノを身につける習慣に倣い、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・英雄的ゲリラの日(「キューバ革命小史」より)

 これは、1968年10月8日にキューバが発行した“英雄的ゲリラの日”の記念切手の1枚です。“英雄的ゲリラの日”は、前年10月9日にボリビアで処刑されたチェ・ゲバラの没後1周年にあわせて設定された祝日で、1968年の記念切手は5種セットで発行され、ゲバラの肖像写真“英雄的ゲリラ”を右側に配し、左側に、ゲバラの言葉とそれにちなんだイラストを配するという統一パターンとなっています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、『オ・クルゼイロ』1959年6月16日号および『グランマ』1967年10月22日号に掲載された「キューバ革命小史」の中から、「革命の開始」と題された第1章の一節で、日本語版の『ゲバラ選集』では「いま考えると、そのためになんと多くの努力、犠牲、人名を必要としたことか」と訳されています。ただし、原文の文脈では、この1文はバティスタ政権を打倒して革命が達せられた時のことではなく、1956年11月、カストロとゲバラがグランマ号でキューバ島に上陸し、革命戦争を本格的に開始するまでの苦労を回想したものとして記されています。

 ちなみに、ゲバラ家はアルゼンチン出身で19世紀半ばのゴールドラッシュ時代にカリフォルニアに移り、この地で生まれたゲバラの祖父、ロベルトが同地でメキシコ出身のアイルランド系女性、アナ・リンチと結婚し、1900年、ゲバラの父にあたるエルネスト・ゲバラ・リンチが生まれました。したがって、ゲバラ本人はアイルランド系の血を引いていることになります。

 ゲバラ本人は左翼コスモポリタンで、生前、自分がアイルランド系であることを特に意識していた形跡はありませんが、彼の死後、父エルネストは「私の息子にはアイルランドの“反逆者”の血が流れている」と語っており、現在では、全世界に拡散した“アイリッシュ・ディアスポラ”の代表的な人物のひとりとみなされています。

 このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。
 

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 砂糖の日
2019-03-10 Sun 10:31
 きょう(10日)は、3と10の語呂合わせて“砂糖の日”です。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・1000万トン計画

 これは、1970年にキューバで発行された“(砂糖増産)1000万トン計画”のキャンペーン切手で、地球と“国際旅団”の赤旗を背に、サトウキビの収穫に用いるマチェーテを手にした男たちが描かれています。

 キューバの主要産業である砂糖の生産量は、革命直前の1958年に580万トンだった砂糖の生産量は、革命後の混乱に加え、砂糖モノカルチャーを貧困と従属の元凶として、そこからの脱却を掲げる革命政府の方針もあって、1962年には480万トン、1963年には380万トンにまで落ち込みました。革命後のキューバはソ連とバーター貿易を行っていましたが、砂糖の生産が落ち込んだことで、ソ連への砂糖の輸出は滞り、債務も累積し始めます。

 このため、ソ連は、カストロに対して、砂糖モノカルチャーを敵視するのではなく、経済建設の幻視として砂糖の輸出を最大限に活用すべきではないかと提案し、資金の供与と砂糖の長期引き受けを約束します。ソ連が提示した砂糖の購入価格は(1ポンドあたり)6.11セントの固定相場で、これは、1963年の国際市場価格の8.4セントに比べると安いものの、低落傾向が続く中で(ちなみに、その後の相場の暴落で、1967年には1.99セントにまで市場価格が落ち込んでいます)は決して悪い条件ではありませんでした。

 しかし、砂糖モノカルチャー経済への復帰は、米国に代わってソ連を新たな“宗主国”として選択することに他ならないため、キューバとしては、革命の大義に照らして容認しがたいものでした。

 そこで、両者の折衷案として、砂糖の増産を機械化によって実現し、それを軸に工業化を進めるという方針が採択されました。
これが、“1000万トン計画”の基本的な考え方です。

 “1000万トン計画”は1965年から開始され、国民に対しては“大攻勢”が命じられます。

 “大攻勢”では、国民の“革命意識”に訴えて職場や学校で砂糖キビ収穫隊が組織され、マチェーテ片手に人海戦術での刈取作業に従事させられました。しかし、動員された隊員たちに対する教育は不十分で、彼らがやみくもにマチェーテを当てることでサトウキビの苗を根こそぎ切り取ってダメにする(本来は、植えてから四年間の収穫が可能なため、新しい芽が出るように刈り取らなければなりません)ケースが多発しました。また、杜撰な生産計画のため、隊員たちがサトウキビを刈り取ったものの、運搬用のトラックが来ないためにサトウキビがそのまま放置されて醗酵してしまい、その間、隊員たちは無為に遊んでいるという状況が至る所で見られました。

 さらに、収穫隊に労働力を取られたことで工場に残った労働者は残業に加え、休日出勤もしなければノルマをこなせなくなりましたが、本来、労働者の権利を擁護すべきキューバ労働者連合は時間外手当を返上。これを受けて、ノルマ超過分に対する報奨金も廃止されるとともに、同一労働同一賃金を規定した新賃金体系が導入されています。これは、労働の成果に関わらず職種ごとに同じ賃金を支給するという、社会主義的な悪平等政策の典型でしたから、もともと決して高くはなかった国民の労働意欲がさらに減退するのは避けられず、砂糖以外の生活物資の生産性は大幅に低下し、深刻なモノ不足の下、一般国民は粗悪な工業製品さえなかなか入手できなくなりました。

 結局、1000万トン計画は、飢餓こそ発生しなかったものの、中国で行われた“大躍進”の失敗をそのままなぞったような格好となり、1970年度の砂糖生産は850万トンで、惨憺たる失敗に終わりました。

 なお、このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、お手にとってご覧いただけると幸いです。


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 国際女性デー
2019-03-08 Fri 01:32
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、拙著の中から女性ネタということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・タニア

 これは、1972年にキューバで発行された“ゲリラの日5周年”の記念切手のうち、タニアことタマラ・ブンケと彼女の亡くなった場所の地図を描いた1枚です。

 タニアは、ナチスの迫害を逃れてアルゼンチンに移住した両親の下、1937年、ブエノスアイレスで生まれました。1952年、一家は東ドイツに移住しましたが、彼女は1959年のキューバ革命に感激し、西独バイリンガルという特性を活かして、キューバ支援の運動に加わります。その活動が認められ、1960年、チェ・ゲバラがベルリンを訪問した折には通訳を務め、その後、キューバに渡航。ハバナ大学に通いながら、ゲバラのスタッフとして通訳・翻訳などに従事し、1963年から1年間、キューバで諜報活動の訓練を受けています。

 1964年11月には地下工作の使命を帯びて、“ラウラ・グティエレス・バウエル”の変名でボリビアに入国。現地の大学生と結婚し、考古学およびドイツ語講師としてボリビア社会の中枢に接触し、軍事政権トップのバリエントスや政権中枢の高官の知遇を得て、首都ラパスを中心に情報活動と人脈の構築に尽力しました。

 ボリビアでの彼女は、ゲバラのボリビア入りを前に山中での作戦の後方基地となる農場探しをサポートしつつ、 都市部を中心に工作活動に従事し、ゲバラ率いる山岳ゲリラとボリビア共産党との連携を模索しようとしましたが、1966年末、ゲバラはボリビア共産党と決裂。こうして、彼女がボリビア共産党との協力の下で築いてきた人脈や情報網が機能しなくなったことから、1967年3月、彼女は対応を協議すべく山中のゲバラのもとを訪ねました。

 ところが、彼女が山中に滞在中の4月24日、ラパスに残されていた彼女のジープと車内に置かれていた書類が政府側に押収され、彼女がゲリラ側の工作員としてラパスでボリビア政府関係者と接触していたことが露見。この結果、彼女はラパスに戻れなくなり、ゲリラとしては何の訓練も受けぬままゲバラに同行せざるを得なくなり、同年8月、グランデ川渡河の途中で敵の攻撃を受けて負傷し、流されながら亡くなりました。

 なお、ボリビア山中でのゲバラらのゲリラ活動と、その悲劇的な最期については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも1章を設けてまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧ください。


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 キューバで憲法改正の国民投票
2019-02-24 Sun 01:53
 キューバで、きょう(24日)、憲法改正の是非をめぐる国民投票が行われます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・憲法公布(1976)

 これは、1976年にキューバで発行された憲法公布の記念切手で、憲法で規定された国旗・国歌・国章が描かれています。

 キューバでは、1959年の革命以来、憲法が停止された状態が長らく続いていました。

 しかし、1970年、急進的な社会主義建設政策の“1000万トン計画”が失敗に終わったことで、1970年7月26日、フィデル・カストロ首相は、モンカダ兵営襲撃記念日の演説で自己批判したうえで、「いかなる体制を取るべきか、議論し、検討してほしい」と訴えます。その真意は、革命の理想を追求する“キューバ式社会主義”を事実上放棄し、ソ連型の政治経済体制を導入する以外の選択肢がないというものでした。

 この演説の後、制度転換のための具体的な準備が徐々に進められ、1972年、キューバはCOMECON(経済相互援助会議)に加盟し、名実ともに社会主義圏に統合されます。そして、1974年2月のブレジネフのハバナ訪問を経て、1975年12月、キューバ共産党の第1回党大会が開催され、ソ連型体制の導入が決定されました。

 これを受けて、翌1976年2月に公布されたのが、現行のキューバ憲法です。

 同憲法の前文は、冒頭、キューバの現体制は「ホセ・マルティをはじめとする先人の創造的努力と、戦闘性、革新、勇気、犠牲の伝統の継承者である」とし、「本憲法はマルティの願望を体現するものである」とうたう一方、「キューバ人民はマルティの理想とマルクス・エンゲルス・レーニンの政治・社会思想を導きとする」しており、第1条で「キューバは労働者の社会主義国である」ことを明示したうえで、「(共産党は)労働者階級のマルクス・レーニン主義のもとに組織された前衛であり、社会と国の指導勢力である」(第五条)と規定するなど、明確にソ連化の方向を打ち出していました。

 また、憲法の公布により、ようやく、革命以来停止されていた議会制度(国会・州議会・地区議会で構成)が復活しましたが、一般国民による直接選挙制度が採用されているのは地区議会選挙のみで、州議会と国会の議員は地区議会が中心になって選出するものとされていました。

 その後の改正で、州議会と国会の選挙でも直接投票が認められるようにはなりましたが、それでも、候補者に関しては、地区の候補者委員会が議員定数の4分の1超の“プレ候補者”を選び、州議会と国会の候補者委員会が独自の候補者を加味した候補者リストを作成し、地区議会がそれぞれ被選挙権を満たしているかどうか審査したうえで、定数と同数の候補者を決定するという方式がとられており、民主的な選挙とは言いがたい状態が続いています。

 今回の憲法改正では、昨年のラウル・カストロ国家評議会議長(首相を兼務)の退任を受け、大統領のポストを新設するほか、市場原理の役割や私有財産の所有を認める内容となっていますが、共産党一党支配や社会主義体制堅持の方針はそのまま維持されているため、急激な体制変革ということにはならないとみられています。

 なお、キューバの現体制が構築されていった過程については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 数十年間の腐敗した取引
2019-02-20 Wed 11:00
 米国のトランプ大統領は、18日(現地時間)、フロリダ州で演説し、反米左派のマドゥロ大統領から、暫定大統領就任を宣言したグアイド国会議長への「平和的な権力移行」を目指す方針を示すとともに、「ベネズエラとキューバの社会主義独裁政権は数十年間にわたり、腐敗した取引で互いに支え合ってきた」と批判し、両国の連携を断ち切ることが必要だと訴えました。というわけで、キューバとベネズエラの左翼勢力との長年にわたる関係を示すものとして、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・オヘダ

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、ベネズエラのファブリシオ・オヘダが取り上げられています。

 1960年7月1日、ベネズエラのベタンクール政権は「右翼であれ左翼であれ、軍事力によって権力を獲得した政権は一切承認しない」とするベタンクール・ドクトリンを発表。ドミニカ共和国とキューバを敵視する姿勢を明らかにした。

 これに対して、キューバの支援で結成された“左翼革命運動(MIR)”は、ベネズエラ共産党とともに武装闘争を展開したため、ベタンクールは軍を総動員して弾圧に乗り出し、1961年10月までに数百人規模の死者が発生しました。このため、11月12日、ベタンクールはキューバを左派暴動の黒幕と断罪して断交すると、キューバは「ベタンクールは米国に追随し、反政府運動を弾圧する独裁政権と化した」と応酬します。

 こうした状況の下で、民主行動党内の左派がキューバとの断交に反対して離党し、下院では野党が過半数となったため、政権は不安定化。MRIと共産党の主導による大規模なストライキや反政府暴動、武装反乱などが相次いだため、1962年4月、ベタンクールは混乱を理由に共産党とMIRを非合法化し議員資格を剥奪。5月には両者の政治活動を全面的に禁止しました。

 一方、左派勢力は、1962年12月、農民連盟、労働者連合、大学センター連合など全勢力が結集して、民族解放戦線(FLN)を結成し、その軍事組織として民族解放軍全国司令部(FALN)を設置。FALNは3000の兵力を動員して、全国20州のうち7州で作戦を展開。貨物船アンゾアテギ号のシージャック、アルゼンチンのサッカー選手デ・ステファーノ誘拐、カラカスのフランス印象派展覧会の絵画の窃取と自発的返却、米大使館つき武官の誘拐、米国系企業への攻撃などのテロ活動を行いました。

 これに対して、ベネズエラ政府軍は、米軍の指揮・支援の下、FALNのゲリラ軍に対してナパーム弾爆撃を含む大規模な掃討作戦を行い、ファルコン州以外のゲリラ支配地区をほぼ壊滅させています。

 こうした状況の下、1963年11月1日、ベタンクールの任期満了に伴う大統領選挙(と議会選挙をあわせた総選挙)が告示されましたが、FLNとFALNは選挙のボイコットを呼びかけ、20日には、政府軍が介入してカラカス市内では大規模な戦闘が発生。政府はパラグアナ半島の無人の海岸でFALNの武器貯蔵庫を摘発し、キューバから持ち込まれた携帯兵器3トンを捕獲し、FALNの背後でキューバが暗躍していると名指しで非難しています。

 こうして、12月1日、政府が5万の軍隊を動員し、8000名の逮捕者を出すという騒然とした空気の中で大統領選挙が行われ、与党・民主行動党のラウル・レオーニ・オテロが当選しました。

 3月11日に発足したレオーニ新政権は、和解政策を提唱し、共産党とMIRを合法化すると発表。これを受けて、8月までに共産党とMIRの主流派は武装闘争路線を放棄し、10月にはFLNが和平アピールを発表しましたが、FALNは武装闘争を放棄せず、その後も、キューバの支援を受けながら、ベネズエラ政府軍の戦闘を続けていました。

 そうした中で、1966年6月、カラカス市内に潜伏していたFALN議長のファブリシオ・オヘダが密告により捕えられ、拷問のすえに殺害されると、キューバ首相のフィデル・カストロは、オヘダの逮捕は、平和路線に転じたベネズエラ共産党の裏切りによるものと考えました。

 そこで、7月24日、ルベン・ペトコフひきいるFALN部隊がキューバからファルコン州に上陸作戦を行い、イラカラ山系のゲリラ部隊との合流に成功。じつは、このタイミングで、キューバ政府は、キューバに極秘裏に帰国していたチェ・ゲバラのベネズエラ派遣をベネズエラ共産党に内々に提案していたが、ベネズエラ共産党はこれを拒否しています。

 その後も、FALNはカラカス市内でのゲリラ活動を展開し、1967年3月1日にはフリオ・イリバーレン・ボルヘス元社会保障庁長官を誘拐・殺害。FALN司令官のエリアス・マヌイト・カメロは、キューバ紙『グランマ』で“犯罪者”イリバーレンを処刑したことを明らかにしました。

 事件を受けて、共産党中央委員でカラカス中央大学教授のエクトル・ムヒカをはじめ、共産党の有力者たちが、イリバーレンの殺害は革命とは無関係の単なる犯罪と断じ、ベネズエラ政府も、事件に関与していたとしてキューバを批難。さらに、ムヒカはベネズエラ共産党を代表して「FALNの名においてイリバーレン殺害を命じたエリアス・マヌイトとの関係を断絶する」と発表します。前海軍大尉で一時FALNの司令官を務めたペドロ・メディナ・シルバも「我々の戦闘組織の名を悪用する人々は、敵の共犯者である。イリバーレン殺害者には人民の正義が適用されるだろう」との声明を、主なゲリラ指導者との連名で発表しました。

 これに対して、3月13日、カストロはベネズエラ共産党の武装闘争中止の方針は“革命に対する裏切り”と公に批難しましたが、4月22日、ムヒカらベネズエラ共産党中央委員会は武装闘争の停止を正式に決定しました。

 そこで、5月8日、キューバを出発したモイセス・モレイロら12人のゲリラ部隊が、レオポルド・シンケ・フリーアスらキューバ軍将校4人の作戦参謀とともに、ミランダ州に上陸し戦闘を開始。結果的に、この作戦は失敗に終わり、参加者の多くは逮捕・投獄され、ベネズエラの提訴を受けて、7月26日に開催された米州機構(OAS)査問委員会ではキューバがベネズエラの反乱軍を支援し訓練したと報告。OAS理事会はキューバ非難決議を採択しました。

 今回ご紹介の切手の発行の名目となったOLASの第1回会議は、このようにキューバとベネズエラの関係が緊張状態にある中で行われたもので、キューバとしては、ベネズエラの位置を示したラテンアメリカ地図とオヘダの肖像が取り上げることで、ベネズエラ共産党の“裏切り”に対する憎悪が表現したわけです。

 ちなみに、同会議の議長として閉会宣言を行った「ゲリラを都市から指導しようとすることは愚かであるばかりでなく犯罪でさえある」と発言し、ベネズエラ共産党指導部を“えせ革命家のマフィア”と酷評。ベネズエラ共産党を“日和見主義”として名指しで批難しています。

 さて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回ご説明したベネズエラを初め、ラテンアメリカ諸国の左翼勢力とキューバのカストロ政権との歴史的関係についてもいろいろまとめています。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ 2月22日、文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 2月22日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がゲスト・コメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 コロンビアでELNのテロ
2019-01-19 Sat 01:17
 2017年にコロンビア革命軍(FARC)との内戦が終結したコロンビアの首都、ボゴタの警察学校で17日朝、自動車爆弾テロが発生し、実行犯も含めて21人が死亡、68人が負傷した事件で、きのう(18日)、コロンビア政府は左翼ゲリラの民族解放軍(ELN)による犯行と断定しました。というわけで、というわけで、亡くなられた方の御冥福と負傷者の方の1日も早い御快癒をお祈りしつつ、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・カミーロ・トレス

 これは、1967年にキューバが発行した“第1回ラテンアメリカ連帯機構(OLAS)会議”の記念切手で、ラテンアメリカの革命烈士の例として、コロンビアのELNの活動家として殺害されたカミーロ・トーレス・レストレポが取り上げられています。

 ラテンアメリカ連帯機構会議は、1967年7月31日から8月10日まで、ラテンアメリカおよびカリブ海諸地域の27の共産党、労働党その他の革命組織の代表を集めてハバナで開催されたもので、最終的に、「武力革命をラテンアメリカにおける革命の基本的路線とする」との一般宣言を採択。“キューバ革命路線”をラテンアメリカの左派勢力にとっての正統教義として認知した会議です。

 切手に取り上げられたトーレスは、1929年2月3日、ボゴタ生まれ。当初、ボゴタの“ロサリオの聖母学院”に通っていましたが、教員を批難したことが原因で退学処分となりました。1946年、リセオ・デ・セルバンテスで中等教育課程を修了。コロンビア国立大学法学部にごく短期間在籍した後、ボゴタのコンシリアール神学校に転入し、1954年、司祭として叙階され、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に留学しました。

 帰国後、研究者としてコロンビア国立大学に籍を置きながら、貧困の根本的な解決と労働者階級への積極的な支援を訴え、さらに、絶望的な社会的格差を解消して社会正義を確立するためには、キリスト教徒は武装闘争に加わらなければならないと主張。1960年には、オルランド・ファルス・ボルダたちとともに、同大でラテンアメリカ最初の社会学部の設立者の一人となりましたが、その急進的な主張に対しては毀誉褒貶が激しく、ついには大学を辞して、1965年、コロンビアの左翼ゲリラ組織、民族革命軍(ELN)に参加しました。

 ELNは、マルクス・レーニン主義による反米・親キューバ路線を掲げて、爆弾テロや誘拐を実行していた組織で、トーレスは一ゲリラとして非合法の地下活動に従事し、1966年2月15日、コロンビア政府軍との戦闘で殺害され、ELNの“殉教者”となりました。

 カトリックの司祭からゲリラへの転身という異色の経歴もさることながら、トーレスを広く世に知らしめたのは、「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉です。この言葉は、ラテンアメリカでは広く人口に膾炙し、1970年代にペルーのグスタボ・グティエレスが著書『解放の神学:歴史、政治、救い』で体系化した“解放の神学(従来の欧米のキリスト教神学は白人の神学ないしはブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして、これを否定し、被抑圧・被差別人民の解放こそキリスト教の福音の本質であるとする現代キリスト教神学の一潮流)”の源流の一つとされています。

 ちなみに、OLAS会議が開催された1967年7月の時点では、カストロ政権は、キューバでの閣僚の地位を捨て、ボリビアでのゲリラ活動に従事するゲバラを“革命のキリスト”として神格化することで、革命キューバの正統性をアピールするようになっていました。トーレスの肖像切手と、そこから連想される「もしイエスが生きていたら、ゲリラになっていただろう」との言葉は、そうしたを側面からサポートする役割を担うものだったとみることができましょう。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラと同時代のラテンアメリカ諸国の左派勢力とキューバとの関係についても、いろいろとまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 成人の日
2019-01-14 Mon 01:53
 きょう(14日)は成人の日です。というわけで、若者関連の切手の中から、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・UJC45年

 これは、2007年にキューバで発行された“共産主義青年同盟(UJC:Unión de Jóvenes Comunistas)の45周年”の記念切手で、左から、フリオ・アントニオ・メリャ、カミーロ・シエンフエゴス、チェ・ゲバラの横顔の肖像が取り上げられています。なお、UJCの現在のエンブレムは、この3人の横顔をイラスト化したものですが(下の画像)、切手ではその組み合わせを写真で表現しています。

      キューバ・UJCロゴ

 1959年の革命後のキューバにおける青年組織としては、1960年に設立された革命青年協会が最初です。その後、1962年4月、革命青年協会の第1回全国大会が開催され、組織名を共産主義青年同盟に改称することが承認されると、これに伴い、ビルヒリオ・マルティネスにより、新たなエンブレムが制作されることになりました。

 マルティネスは、1931年4月27日、ハバナ生まれ。1949年、商業美術家としてデビューした後は、商業誌での活動のかたわら、反バティスタの地下出版でバティスタ批判の風刺漫画を描いていました。1955-59年、左派系の雑誌『メリャ』誌に、擬人化された犬のプーチョを主人公とする冒険物語『プーチョ』を連載。後に、そこから派生した漫画『クーチョ』は現代キューバを代表するコミック作品となります。

 当初、マルティネスの制作した同盟のエンブレムは、UJCの文字の入った円と星を背景に、1920年代の旧キューバ共産党の共同設立者で、大学学生連合を設立したフリオ・アントニオ・メリャ(1929年没。享年26)と、早逝したキューバ革命の英雄、カミーロ・シエンフエゴス(1959年没。享年27歳)の肖像を並置したもので、背後には、青年同盟のスローガンである学習・労働・銃(=革命軍)の語と、それに対応した白(学習)・青(労働)・濃緑(銃)の旗が配されていました。ただし、この時点ではゲバラはキューバ政府の現職閣僚であったこともあり、彼のチェの肖像は含まれていません。

 1965年、現在のキューバ共産党が創設され、青年同盟はその下部組織になりましたが、エンブレムは従来のものがそのまま使われていました。ところが、1967年にゲバラが亡くなると、急遽、ゲバラの肖像を最前面に加え、ついで、カミーロ、メリャの順で並べた現在のデザインに変更されました。このデザインでは、チェの肖像が最前面に出ていることから、キューバ政府としては、3人の中でチェを最も重要視していることがうかがえます。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの死後、彼の肖像がどのように使われ、定着していったかということについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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