内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 マンデラ生誕100年
2018-07-18 Wed 00:38
 南アフリア共和国(以下、南ア)初の黒人大統領となったネルソン・マンデラが、1918年7月18日に生まれてから、きょう(18日)でちょうど100周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・アパルトヘイト廃止15年

 これは、2009年にキューバが発行した革命50周年の記念切手のうち、“アパルトヘイト廃止15年”と題する1枚で、右側にはフィデル・カストロと抱き合うマンデラが取り上げられています。

 マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。

 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所に送られました。その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となります。

 この間、ANCの一部は周辺の黒人国家に逃れ、東側諸国の支援も受けながら、反政府闘争を展開していましたが、なかでも、1975年に独立したアンゴラでは、アンゴラ解放人民運動 (MPLA)と密接な関係にありました。このMPLAが親ソ派だったことから、南アの国民党政権は米国をも巻き込んで、MPLAを打倒するため、対立組織の)、アンゴラ民族解放戦線 (FNLA)を支援して、内戦に介入します。

 これに対して、“第三世界の連帯”を掲げるキューバは、1975年11月から1976年4月までの間に3万6000人の兵力を派遣し、南ア軍をナミビア(当時は南アの実効支配下)に押し戻しました。このことは、ANCを含むアフリカの反アパルトヘイト勢力を大いに鼓舞。さらに、その後もキューバの軍事顧問団はアンゴラにとどまり、ANCに対して軍事訓練を施しています。

 こうしたことから、キューバとANCの間には緊密な関係が築かれ、カステラとマンデラとの間にも個人的な深い友情関係が結ばれました。マンデラは、釈放後の1991年、ANC議長に就任しましたが、同年、キューバを訪問してカストロに直接会って謝意を述べています。

 その後、マンデラは当時の南ア大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞。さらに、1994年4月に行われた南ア史上初の全人種参加選挙でANCを勝利に導いて大統領に就任し、1999年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、マンデラの大統領退任後の2001年9月、カストロの南ア訪問時に撮影されたもので、抱き合って再会を喜ぶ2人の姿が取り上げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバとアフリカの関係についても、いろいろな角度からまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  
 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

スポンサーサイト
別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 米独立記念日
2018-07-04 Wed 01:46
 きょう(4日)は米国の独立記念日です。というわけで、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      グアンタナモ基地葉書

 これは、1943年7月23日、キューバ島グアンタナモの米海軍基地内の郵便局から差し出された葉書です。
 
 1898年の米西戦争は、1895年から行われていたキューバの独立闘争を支援することが大義名分でしたが、実際には、1898年8月12日の停戦を経て、12月10日に和平条約として米西間でパリ条約が結ばれると、キューバは保護国化されて米軍政が始まります。

 その後、1902年にキューバは“独立”を達成しますが、これに先立つ憲法制定の過程で、米国はキューバ制憲議会に対して、①キューバの独立が脅かされたり、米国人の生命・財産が危険にさらされたりした場合には米国は介入できる、②キューバは(米国以外の)外国から資金を借りてはいけない、③キューバ政府は(米国以外の)外国に軍事基地を提供したりしてはいけない、④キューバ政府は米軍事基地を提供する義務を負う、など8項目からなる付帯事項(提案した米議員の名前から、“プラット修正条項”と呼ばれています)を押し付けました。

 このうち、上記の④に基づき、1903年2月23日、米国はキューバ島東南部のグァンタナモ湾に面する116平方キロの土地を海軍基地として永久租借する権利を獲得しました。これがグアンタナモ米軍基地で、形式上の主権はキューバ側にあり、米国は“租借料”として、長年、毎年金貨2000枚(4000米ドル)を支払っていました。

 1959年のキューバ革命で成立したフィデル・カストロ政権は、米国による基地租借を非合法と非難しているため、租借料は1度受け取ったのみで、その後は受け取りを拒否し、基地周辺に地雷を敷設しています。基地の敷地内は、米軍法のみが適用される治外法権区域になっているため、1970年代以降、キューバやハイチからの難民を収容する施設が設けられました。後に、収容施設は、アフガニスタン戦争およびイラク戦争の捕虜が収容されるようになり、現在でも、40人が収容されています。
 
 
★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。

 なお、会期中の21日、内藤は、以下の3回、トーク・イベントをやります。
 13:00・9階会議室 「国際切手展審査員としての経験から テーマティク部門」
 14:30・8階イベントスペース 「アウシュヴィッツとチェコを往来した郵便」
 16:00・8階イベントスペース 『世界一高価な切手の物語』(東京創元社)


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 

★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 父の日
2018-06-17 Sun 02:29
 きょう(17日)は“父の日”です。というわけで、“母の日”の時と平仄をあわせて、キューバ切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕150年(父子)

 これは、2004年にキューバで発行された“ホセ・マルティ生誕150周年”の記念切手のうち、生後間もない息子の“ペピート”ことホセ・フランシスコを抱くマルティが描かれています。

 キューバ独立運動の志士、マルティは1869年に反逆罪で投獄された後、1871年にスペインに渡り、以後、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを転々としていましたが、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻り、カルメン・サヤス・バサンと結婚。同年11月22日、息子のペピートが生まれました。

 1895年、第二次独立戦争の緒戦でマルティは亡くなりますが、1897年、18歳になったペピートは父の遺志を継ぎ、母親の反対を押し切って、独立戦争に志願兵として参加。1902年にキューバ共和国が成立すると、いったんは除隊してハバナ大学への入学を目指しましたが、学資が捻出できなかったこともあり、国軍に参加。最終的に将官にまで昇進し、参謀長、国防大臣などを歴任しましました。1945年没。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れている同書ですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 チェ・ゲバラ生誕90年
2018-06-14 Thu 01:42
 1928年6月14日、アルゼンチンのロサリオで、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラが生まれてから、今日でちょうど90年です。というわけで、ゲバラ関連の切手の中から、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・内務省前シルエット

 これは、2016年、キューバで発行された“内務省55周年”の記念切手で、ハバナの革命広場に面した内務省の壁面と、そこに掲げられたキューバ国旗ならびに、ゲバラの最も有名な肖像である“英雄的ゲリラ”の巨大な鉄製レリーフが取り上げられています。ゲバラ関連の切手は数多く発行されているのですが、今回は、生誕90周年にちなみ、そのなかから“90センターボ”の切手を選んでみました。

 キューバ内務省は、プラヤ・ヒロン事件直後の1961年6月6日、国内の治安維持・思想統制のために創設された組織で、社会主義政権特有の“反革命”摘発組織として、恐れられています。

 さて、1967年10月9日、ゲバラがボリビアで処刑されたとの第一報がキューバにもたらされましたが、CIAが遺体を早々に処理してしまったため、キューバ側は遺体を確認できませんでした。このため、外交ルートや情報機関を通じて、カストロがゲバラ死亡の事実を確認したのは死後約10日後のことで、10月18日になって、ようやく、内務省前の革命広場で追悼集会が行われることになりました。

 追悼集会に際して、内務省の壁面には、建物と同じ高さの木製パネルが組み上げられ、そこに、1960年にアルベルト・コルダが撮影した報道写真“英雄的ゲリラ”を原画とする巨大な肖像画が掲げられました。そして、追悼集会では、その肖像画の下で、カストロが数十万人もの群衆を前に追悼演説を行い、その模様が新聞、テレビを通じて全世界に報じられたことで、“英雄的ゲリラ”のイメージは一躍世界的に知られるようになりました。

 追悼集会後も、内務省の壁面には“英雄的ゲリラ”を元にした肖像画が掲げられていましたが、屋外での展示ゆえに損傷が激しくなったため、後年、別の肖像画に差し替えられた後、1993年には、彫刻家のエンリケ・アビラ・ゴンザレスによって鉄製レリーフが制作されて設置され、現在に至っています。なお、レリーフの右下には、“Hasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)”との彼の言葉が掲げられています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の鉄製レリーフを含め、彼の死後、ゲバラが神格化されていく過程で、“英雄的ゲリラ”がどのように扱われてきたのか、という点についても触れる予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | キューバ | コメント:2 | トラックバック:0 | top↑
 時の記念日
2018-06-10 Sun 15:01
 きょう(10日)は“時の記念日”です。というわけで、時計がらみの切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣)  キューバ・革命50年(ゲバラ工業大臣・部分)

 これは、2009年にキューバが発行した“革命勝利50年”の記念切手のうち、ゲバラの工業大臣就任を題材とした1枚で、左腕に腕時計をつけているのが確認できます。(右側には腕時計の部分をトリミングした画像を貼っておきました)

 キューバ革命達成以前のゲバラは、スイスのマーヴィン社のステンレス製自動巻き4針タイプを使っていましたが、革命後は耐久性と機能性に優れたロレックスを愛用するようになりました。

 なかでも、1963年の後半以降(遅くとも1964年4月まで)に入手し、1967年10月にボリビア山中で亡くなるまで身に着けていたGMTマスター1675(下の画像)は、赤青のベゼルが印象的な外観に加え、ベゼル(文字盤の外側)を回転させて世界各国の現地時間がわかる仕様が世界各地を飛び回っていたゲバラのイメージとも合致することから、“ゲバラの腕時計”といえば、このモデルが紹介されることが多いようです。なお、GMTマスター1675は、製造年代によって若干の差異がありますが、ゲバラが着けていたのは、1960-70年代に製造されていた龍頭ガードの付いたタイプです。

      ロレックスGMTマスター1675

 今回ご紹介の切手の腕時計は、文字盤が赤と青の2色になっているように見えますが、あるいは、光の加減などで文字盤にベゼルの色が映っているのか、それとも、GMTマスター1675ではない別の時計なのか、画像が小さすぎて良くわかりません。どなたかお詳しい方がおられましたら、御教示いただけると幸いです。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、今回の時計の話のような、ゲバラに関する小ネタの話もいろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。
  

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界海洋デー
2018-06-08 Fri 14:04
 きょう(8日)は、「海の重要性に気づき、感謝する日」という“世界海洋デー”です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・グランマ国立公園(2003)

 これは、2003年にキューバで発行された“エコ・ツーリズム”の切手のうち、“グランマ号上陸記念国立公園”を取り上げた1枚です。

 1956年11月25日深夜、フィデル・カストロらキューバ革命の志士たちはグランマ号でメキシコのトゥスパンを出航し、1週間後の12月2日明け方、キューバ島オリエンテ州(当時)ラス・コロラダス海岸に上陸しました。

 ラス・コロラダス海岸を含むシエラ・マエストラ西側斜面の石灰岩段丘は、石灰岩の海岸段丘としては世界最大規模の高低差540メートル(海抜標高360メートルから水深180メートル)があり、その景観と地学上の重要性、多様な動植物相で知られています。

 なお、オリエンテ州は、1976年、グランマ号の上陸地点の所在地であることにちなみ“グランマ州”に名称が変更されましたが、その後の1986年、ラス・コロラダス海岸を含む418.63平方キロの範囲が“グランマ号上陸紀念国立公園”に、さらに、1999年、そのうちのクルス岬を含む325.76平方キロの範囲が“クルス岬の海岸段丘地形”として世界遺産にも登録されました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、グランマ号上陸記念国立公園の名前の由来となったグランマ号上陸事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 おかげさまで13周年
2018-06-03 Sun 11:10
 外遊中だったのでご挨拶が少し遅れましたが、おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、13年が過ぎました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、毎年恒例、13周年にちなんで額面13の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・プラヤヒロン3周年(鷲)

 これは、1964年4月、キューバが“プラヤ・ヒロン勝利3周年”を記念して発行した13センタボ切手で、撃ち落とされる米国の象徴、鷲が描かれています。

 1959年のキューバ革命後、米国とキューバの関係が日に日に悪化していく中で、1961年11月8日、アイゼンハワーからケネディへの政権交代を間近に控えた米国はキューバと断交し、ラテンアメリカ諸国の大半がこれに追随します。

 1960年の米国大統領選挙を通じて、民主党のケネディ、共和党候補のリチャード・ニクソンの両候補はいずれもキューバに対して“弱腰”ではないことを示すため、(その時期は明言しなかったものの)政権悪徳後は軍事介入する意向を明らかにしていましたが、選挙後まもない1960年11月17日、大統領当選者のケネディに対して、CIA長官のアレン・ダレスは、亡命キューバ人がグアテマラ国内でキューバ上陸作戦のための軍事訓練を受けていることを報告。ケネディも計画をそのまま進めるよう指示を出しています。

 この時までに、革命を逃れてフロリダに渡ったキューバ難民の数は10万に達しており、CIAの計画は、そうした亡命キューバ人の中から有志を募り、革命政権転覆の尖兵として利用というものでしたが、じつは、キューバ側もその中にスパイを潜り込ませ、CIAの動きをかなり正確に把握していました。

 はたして、1961年1月20日、ケネディが正式に米国大統領に就任すると、キューバ政府は警戒態勢に入り、ゲバラはキューバ最西部のピナール・デル・リオに移動し、同軍管区を担当することになりました。侵攻が西側から、すなわち、大陸に最も近い海岸から行われるとすれば、彼の担当地域が最初に敵を迎え撃つことになります。

 ピナール・デル・リオに着任したゲバラは、前年の東欧諸国歴訪の体験を踏まえて、「ソ連をはじめ、全ての社会主義国が我々の主権を守るために戦争に入る必要があることは広く知られている」としたうえで、「我々は皆、我々がこれまで最も憎んできた敵、アイゼンハワーの後継者がわずかでも知的であることを望む」とケネディ宛のメッセージを発しました。

 1961年4月初旬、カストロは在米亡命キューバ人の中に潜入したスパイからの情報で米国の侵攻がいよいよ間近に迫っていることを察知し、潜在的な反政府勢力と見なした人々を一斉摘発。後にカストロはテレビ演説で「すべての容疑者、何らかの理由で事を起こす可能性のある者、反革命運動に与する行動あるいは動きを示す可能性のある者を逮捕するしかなかった。こうした手段を取る場合、いくらかの不当な行為があるのは当然だ」と弁明していますが、非常時を口実に、正規の法的手続きを踏まずに、体制にとって害をなす“可能性のある者”を逮捕した恐怖政治の先例は、その後、常態化していくことになります。ただし、この時点では、その点について米国以外の西側“進歩的文化人”が警鐘を鳴らすことは全くありませんでした。

 また、当時のキューバ島内では、中部エスカンブライ山中を拠点に、反政府勢力(その中には、カストロらとともに反バティスタの革命を戦ったものの、革命政府の“左傾化”に反対して、フィデルと袂を分かった人々も少なからずいました)がゲリラ闘争を展開していたため、カストロは、大規模な掃討作戦を展開し、エルカンブライ山中の反政府勢力を完全に包囲しています。キューバ島に上陸した敵が、山中の反政府勢力と提携する可能性を事前に摘んでおくためです。

 さらに、グアテマラ南西部のレタルレウでは、反カストロ軍の“2506部隊”にキューバの工作員が訓練キャンプに潜入し、隊長のペペ・サン・ロマンに対する叛乱も煽ったため、CIAによる上陸計画には遅延が生じ、その間、カストロはじっくりと対策を練ることができました。

 一方、CIAのプランでは、まず、キューバの空軍基地を爆撃して制空権を確保したうえで、米空母エセックスの掩護を受けた2506部隊2000人がエスカンブライ山麓のサパタ地区に上陸。橋頭保を築いたうえで、フロリダを拠点とする“革命評議会(その首班は、元首相のカルドナです)”が上陸し、臨時政府の樹立を宣言。米国と他のラテンアメリカ諸国が承認するという段取りになっていました。

 こうして、1961年4月10日、CIAに率いられた亡命キューバ人部隊約1500人はグアテマラからソモサ独裁政権下のニカラグアに移動。15日には、「カストロの鬚をお土産に」とのソモサの軽口を聴きながらニカラグアを飛び立ったB26戦闘機8機がキューバを爆撃し、コルンビア、サン・アントニオ・ボラーニョスとサンティアゴ・デ・クーバの空軍基地が爆撃されたほか、首都ハバナでは住宅密集地への爆撃により、病院の入院患者に死者が出ています。ただし、事前に攻撃を予想していたキューバ側は、滑走路にダミーないしは廃棄寸前の飛行機を置き、飛行可能な戦闘機は各地に分散して隠しておいたため、キューバの空軍兵力はほとんど無傷のままでした


 空爆のあった当初、米政府は「爆撃は米国への亡命を希望する元キューバ空軍のパイロットによるものだ」と説明していましたが、真相はすぐに明らかになり、米国の事件への関与も明らかになってしまいます。

 翌16日、カストロは「真珠湾攻撃の時、日本政府は“攻撃していない”という嘘はつかなかった」として米国を非難。そして、米国との対決姿勢を鮮明に示すため、ついに、「キューバ革命は社会主義革命である」と宣言しました。

 これに対して、国際的な非難を恐れたケネディは、2回目以降の空爆を中止するよう、軍とCIAに命令しましたが、キューバ側の防衛力を過小評価し、事態を楽観視していた彼らは、当初の予定通り、4月17日、キューバ島中部南海岸のプラヤ・ヒロン(米側の呼称はピッグス湾)に2506部隊を上陸させます。

 きれが、いわゆる“プラヤ・ヒロン侵攻事件”です。

 しかし、連絡の不備から、エセックスの艦載機が現場に到着したのは2506部隊の上陸から1時間後のことで(CIAが攻撃時間をニカラグアの現地時間で伝えたのに対して、米海軍はそれを1時間の時差があるワシントン時間で伝えるというミスを犯していました)、その間、キューバ側は虎の子のT33ジェット練習機4機で制空権を確保しつつ、民兵を動員して敵の侵攻を食い止めました。上陸部隊とキューバ側民兵の士気の差は歴然としており、19日午後5時半、革命軍はプラヤ・ヒロンを確保し、2506部隊は撤退しました。

 反革命軍の完全撤退を受けて、4月24日、フィデルはテレビに出演して勝利演説を行いましたが、その中には、次のようなフレーズもありました。

 ケネディは「わが国の海岸から160キロのところで社会主義革命が起きるのを許すことはできない」といったが、我々は海岸から160キロのところに資本主義国家があることに耐えている。
 国が大きいからといって小国との紛争を解決するのに実力を用いる権利があるわけではない。

 プラヤ・ヒロン湾侵攻事件は、“アメリカ大陸における帝国主義の初めての敗北”であり、米西戦争以来、百年の恨みを晴らしたカストロの権威は、キューバ国内のみならず、全世界の反米=左派勢力にとって揺るぎないものとなりました。同時にそのことは、キューバ国内において、カストロに対する異論・反論を完全に封じ込める結果ももたらしています。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、プラヤ・ヒロン事件とその関連の切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界禁煙デー
2018-05-31 Thu 05:13
 きょう(31日)は“世界禁煙デー”です。僕自身は煙草を嗜みませんし、煙草を吸う人が周囲の吸わない人へ配慮するのは当然のことだと思っています。しかし、あたかも禁煙・嫌煙を錦の御旗として、問答無用で煙草を悪と決め付け、何が何でも煙草を排除しようとする“禁煙活動家”のほうが、煙草の煙よりもはるかに不愉快です。というわけで、あえて、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・冶金工業組織化50年

 これは、2014年にキューバが発行した“チェ(・ゲバラ)による冶金工業組織化50年”の記念切手のうち、工業大臣として葉巻をくわえるゲバラと冶金工場が取り上げられています。

 もともと、医師であり、自らも喘息の持病を抱えていたゲバラには喫煙の習慣はなく、メキシコでフィデル・カストロらキューバの革命派と付き合うようになった際にも、健康上の理由から、彼らに禁煙を勧めていました。しかし、シエラ・マエストラ山中でのゲリラ生活を始めると、現地の農民の生活の知恵として葉巻が虫除けに利用されており、また、実際にその効果もあったため、チェを含むゲリラ全員に葉巻を吸う習慣が定着することになります。

 1959年の革命後、同年10月、農業改革局(INRA)の工業部長に就任。1961年2月24日に工業省が新設されると初代工業大臣に就任し、キューバの工業化を進めるべく奮闘しました。その一環として、彼はキューバの特産品をアピールする意図を込めて、写真撮影の際には積極的に葉巻姿で応じています。

 葉巻大国のキューバではさまざまな銘柄の葉巻が生産されていますが、そのうち、彼が最も愛好したのは“モンテクリスト”だったと言われています。

 モンテクリストは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテクリスト伯』にちなんで命名されたブランドで、1935年にH・アップマン工場で製造が開始されました。

 H・アップマンは、1844年、ドイツ人のヘルマンおよびアウグストのアップマン兄弟が創業したブランド。キューバ産葉巻の中では最古参のひとつで、比較的軽めのミディアム・ライトの味わいが英国市場で人気を博し、世界的なブランドとして有名になりました。

 かのジョン・F・ケネディ米大統領も、1962年、キューバ製品の禁輸措置法案が議会を通過し、大統領として署名する前夜、報道官を内々に呼びつけ、「どんな手段を使ってでもいい。少なくともH・アップマンを1000本確保するように」と厳命。はたして、翌朝、ホワイトハウスに1500本のアップマンが集められたのを確認してから、法案に署名したといわれています。明らかな職権濫用ですが、逆に言えば、それほど、H・アップマンは魅力的な葉巻だったわけです。

 もっとも、ブランドとしてのH・アップマンの経営は必ずしも順調ではなく、1922年以降、業績の悪化により、何度か経営母体が変わっています。そのなかで、1935年にH・アップマンを買収したアロンソ・メネンデスが経営再建の切り札として売り出したのが、モンテクリストでした。

 なお、当時の葉巻工場では、単調な作業でスタッフの集中力が途切れるのを防ぐため、作業中にさまざまな物語を朗読するのが習慣で、1935年に売り出された新ブランドの葉巻の場合、製造過程で人気のあった読み聞かせの物語が『モンテクリスト伯』だったため、それが命名の由来となりました。ちなみに、モンテクリストとならんでキューバを代表する葉巻のひとつとされる“ロメオ・イ・フリエータ(ロミオとジュリエット)”もまた、同じ理由による命名です。また、モンテクリストのブランドのロゴは、『モンテクリスト伯』の著者、デュマの別の代表作『三銃士』をイメージしたデザインとなっています。

 メネンデスは、新ブランドの投入とあわせて、工場を近代化することで、経営を立て直し、モンテクリストをキューバ三大シガーのひとつといわれるまでに成長させました。現在では、“チェが愛好した葉巻”というイメージ戦略も当たって、モンテクリストはキューバ産葉巻輸出の約25%を占めるほどになっている。

 モンテクリストは代表的な銘柄のNo.1-5以外にも、キューバ産葉巻としては最大サイズの“A”から、小さめのペティコロナサイズ、ミニシガリロまで種類は豊富で、いずれも、やや濃厚で深みがあり、樹木やナッツを思わせる香ばしい香りが感じられるのが特徴です。

 なお、ゲバラが愛好した葉巻として、キューバを代表するブランドのコイーバを挙げている文献が散見されますが、これは、歴史的に無理があります。

 すなわち、革命後まもない時期、カストロは護衛のチーチョが吸っていた“ランセロス”をいたく気に入りましたが、この葉巻は、市販品ではなく、チーチョの友人だったエドアルド・リベラが個人的にブレンドしたものでした。そこで、1968年、カストロは新たに建設した葉巻工場“エル・ラギート”の責任者としてリベラを迎え、政府要人用ないしは外交的な贈答用の高級葉巻の生産を開始します。これが、コイーバのルーツとなりました。

 したがって、リベラの個人的なブレンドはともかく、1967年10月にボリビア山中で亡くなったゲバラが、1968年から生産が開始されたコイーバを嗜むことは時系列的にありえません。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、トレードマークともいうべき葉巻を咥えたゲバラの切手・絵葉書も、いろいろとご紹介しております。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 *オマケ
 現在開催中の世界切手展<WSC Israel 2018>の会場と、エルサレムの国際コンヴェンションセンターの一角で、イスラエルの写真家、イツィク・カマの写真展「わがキューバ」が開催されており、その先頭には、こんな写真が展示されていました。

      イスラエル・ゲバラ写真

 2日に帰国したら、ネジを巻いてゲバラ本の作業を進めるようにとの天の声を聞いた気分です。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ホセ・マルティ
2018-05-19 Sat 01:41
 きょう(19日)は、1895年5月19日に亡くなったキューバ独立の英雄、ホセ・マルティの忌日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・マルティ生誕100年(作家)

 これは、1953年にキューバが発行したホセ・マルティ生誕100周年の記念切手のうち、作家としてのマルティのイメージを取り上げた1枚です。

 ホセ・フリアン・マルティ・ペレスは、1853年、ハバナに生まれました。

 1865年、詩人で独立思想家のラファエル・マリア・メンディベが校長を務める公立学校に入学。メンディベを通じて、文学者や独立活動家と交流を持つようになり、1867年にハバナの美術専門学校に入学した後は、愛国的な詩や戯曲をさかんに書くなど、早熟な少年でした。

 第一次独立戦争勃発後の1869年、友人のフェルミン・バルデス・ドミンゲス宅がスペイン側の家宅捜索を受けた際、スペインの将校となった別の友人を“裏切り者”と罵倒したマルティの手紙が押収され、反逆罪の容疑で逮捕。懲役6年の判決を受け、ピノス島での収容所での強制労働に従事させられます。

 父親の奔走により、1870年末に釈放され、国外退去処分を受けてスペインへ渡ると、航海途中に記した『キューバに於ける政治犯刑務所』をマドリードで出版。サラゴサ大学などで法律や文学、哲学などを学びました。

 1874年末以降、フランス、ニューヨーク、メキシコ、グアテマラを経て、1878年、第一次独立戦争休戦後のキューバに戻ったものの、独立運動を展開したため、再び亡命を余儀なくされています。

 その後、メキシコ、ニューヨークなどを経て、ヴェネズエラのカラカスに渡り、雑誌『レビスタ・ベネソラーナ』を創刊しましたが、時の為政者グスマン・ブランコを批判したことで、国外退去を余儀なくされたため、1881年、当時多くの亡命キューバ人の滞在していたニューヨークに居を移しました。ニューヨークでのマルティは、小説家、詩人、評論家、教育者、ジャーナリストとして活動し、知識人としての地位を確保する傍ら、パラグアイおよびアルゼンチンの駐米領事、ウルグアイの駐米領事・国際金融会議代表を歴任しています。

 しかし、キューバ独立への思いは断ちがたく、1892年1月10日、全ての地位・役職を放擲し、独立活動に専念すべく、キューバ革命党を創立。①“キューバの完全独立の達成、プエルトリコの独立の推進・援助(併合主義の拒絶)のための戦争の準備、② 在外独立諸勢力の統一とキューバ内の勢力との連絡の確立、③カウディージョ主義・軍国主義的逸脱の排除、④“共和主義的精神・方法による戦争”の実施に寄与するような民主的諸原則の順守、を綱領として掲げました。

 マルティの認識によれば、第一次独立戦争の後、スペインはキューバに形式的な自治を与えたものの、キューバを独立させる気は毛頭なく、キューバの独立は武力で勝ち取らねばなりません。

 また、在米キューバ人の中には、富裕層を中心に、スペインからの独立後、“進歩と民主主義の国”にして、経済的な結びつきが強い米国への統合を求める者も少なくありませんでしたが、マルティは、「米国に統合してもキューバ人は幸せにならない」「(ニューヨーク在住の)私は(米国という)怪物の中に住んでいるので、その内臓をよく知っている」として、あくまでも独立を主張しました。

 1894年、革命の資金・武器調達のためにニューヨークを出発してメキシコに向かったマルティは、武器を満載した船3隻を得た後、1895年1月30日、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港し、第一次独立戦争の英雄、マクシモ・ゴメス・イ・バエス将軍と合流。経済危機に陥ったキューバ各地で独立闘争が激化したのを確認すると、3月25日、マルティとゴメスはジャマイカのモンテクリスティで、事実上の独立宣言ともいうべきモンテクリスティ宣言を発表。4月1日、ジャマイカを出発し、ハイチを経て、4月11日、キューバ島東部のプライータ海岸に上陸し、第二次独立戦争が始まりました。

 マルティらはキューバ各地で闘争を繰り広げましたが、兵力に勝るスペイン軍を相手に独立派は苦戦を続けます。そして、5月19日、ドス・リオス付近で戦闘に際して、「あなたは独立後に必要な人物なのだから、野営地に留まってほしい」とのゴメスの制止を振り切って進撃したところ、スペイン植民地軍の銃撃に遭い、戦死しました。

 ちなみに、マルティの遺体は、当初、スペイン側によって共同墓地に投げ入れられましたが、革命軍は彼の遺体を回収するために、スペイン軍と熾烈な戦いを繰り返して奪還に成功。後に、オリエンテ州第一管区総司令官の指示により、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィエネ墓地に埋葬されました。

 なお、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、フィデル・カストロと1959年の革命に大きな影響を与えたホセ・マルティについてもまとめています。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 母の日
2018-05-13 Sun 00:43
 きょうは“母の日”です。というわけで、毎年恒例、母と子を題材とした切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ゲバラ母子

 これは、2008年にキューバが発行した“チェ・ゲバラ生誕80年”の記念切手のうち、母親に抱かれる幼きゲバラと、当時、一家が住んでいた住居が取り上げられています。

 チェ・ゲバラの母親、セリア・デ・ラ・セルナ・イ・ジョサはバスク系のアルゼンチン人で、1906年、ブエノスアイレスで生まれました。1927年12月10日、アイルランド系アルゼンチン人のエドゥアルド・ラファエル・エルネスト・ゲバラ・リンチと結婚。当時、2人はアルゼンチン北東部のミシオネスでマテ茶の農園を経営していましたが、1928年6月14日、出産と商用のため、ブエノスアイレスに船で移動する途中、ロサリオで、後に“チェ・ゲバラ”として有名になる長男のエルネストが生まれました。これを機に、ゲバラ夫妻は、農園の経営を他人に委ねて気候の温和なロサリオに転居。切手に取り上げられている家での生活を始めました。

 セリアは当時のアルゼンチンでは珍しい無神論者にして社会主義の信奉者で、後に、エルネスト宛の手紙で「全世界が社会主義になることを期待している老女」と自分のことを記しているほどでした。また、1936年にスペイン内戦が勃発し、スペイン語圏のアルゼンチンにはスペインからの亡命者が目立つようになると、共和派への同情を公言。エルネストの人格形成に大きな影響を与えました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラの人格が形成されていった幼少期についても、時代背景を踏まえて詳しくご説明する予定です。なお、当初、同書は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。 いずれにせよ、正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。 
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | キューバ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/