内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ラホールでイースターにテロ
2016-03-28 Mon 13:54
 パキスタン東部ラホールのグルシャン・エ・イクバール公園の入口付近で、きのう(27日)、反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)の分派組織が、イースターを祝っていたキリスト教徒たちをターゲットにした爆弾テロを起こし、この記事を書いている時点で、少なくとも71人が死亡、300人以上が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方にはお見舞い申し上げます。というわけで、きょうは、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・ラホール復活大聖堂教会

 これは、1987年にパキスタンで発行された“ラホール復活大聖堂教会100周年”の記念切手で、同教会とその100周年記念塔が描かれています。ラホールのキリスト教会を取り上げた切手としては、今回ご紹介のモノのほか、カトリックの大聖堂を取り上げたものもあるのですが、イースターの時期ということで、こちらの“復活大聖堂”を選びました。

 ラホールにおけるキリスト教会の建築は、1595年にアクバル帝によって認められたのが最初です。続くジャハーンギール帝は、1614-24年、教会の閉鎖を命じます。ジャハーンギール帝末期には、協会の再開は認められたものの、次代のシャー・ジャハーン帝は、1632年、再度教会の閉鎖を命じました。

 その後、約2世紀の空白を経て、英領インド帝国時代の1877年、ラホール中心部、高等裁判所の向かい側に、イギリス人がパキスタン聖公会・カルヴァン主義合同教会を建立しました。これが、今回ご紹介の切手に取り上げられた復活大聖堂教会です。

 復活大聖堂教会は、ピンク色の砂岩を用いたネオ・ゴシック様式の建築で、ジョン・オルドリド・スコットが設計を担当。2本の塔は1898年に加えられました。また、当初は8つの鐘を備え付ける予定でしたが、実際の鐘の数は6つです。また、教会所有の宝物としては、1862年製のステンドグラスや、1935年に発掘された聖トマスの十字架などがあります。

 さて、パキスタンは人口の97%がムスリムで、“イスラム共和国”として、イスラムの理念にのっとった政治を行うことを憲法で公式に宣言しています。もちろん、パキスタンの現行憲法では「すべての国民はみずからの宗教を信仰し、実践し、広める権利を有する」との規定があるのですが、同時に、すべての法律はイスラムの理念と合致する(少なくともイスラムに反しない)ことが求められています。このため、キリスト教を含む少数派の宗教に対しては、個人としての礼拝と活動の自由は認められているものの、公の場での宣教活動に対してはさまざまな制約が加えられているのが実情です。また、就職や昇進などでは、キリスト教徒をはじめとする宗教マイノリティに対する明らかな差別待遇が横行しています。

 さらに、刑法には“冒瀆罪(イスラム侮辱罪)”として“イスラムの預言者ムハンマドやコーラン等に対するあらゆる侮辱・冒瀆”を罰する規定(最高刑は死刑もしくは終身刑)があります。しかし、どのような行為や発言が侮辱や冒瀆に該当するのか、明確な規定がないため、たとえば、賄賂を要求して断られた地方の警官や役人などが私怨を晴らすためにこの規定を悪用するケースが後を絶ちません。

 冒瀆罪で告発(冤罪事件を含む)されるのは、半数がムスリムでキリスト教徒は全体の13%程度とされていますが、人口比から考えると、キリスト教徒の告発率がきわめて高いのは明白で、告発されたキリスト教徒の家族や彼らが生活する村に対する“報復攻撃”(もちろん、違法行為で、刑事罰の対象になります)も蔓延しています。

 こうしたこともあって、パキスタン国内でも冒瀆罪の廃止を求める声は少なからずありますが、そうした主張をしたシャウハズ・バッティ大臣やサルマン・タシール元パンジャブ州知事などは暗殺されてしまいました。

 今回のテロ事件に対して、パキスタンのシャリフ首相は「卑劣なテロリストが女性子どもを標的にした」と強く非難しています。

 一方、ラホールでのテロ事件とほぼ時を同じくして、首都のイスラマバードでは、昨夜、サルマン・タシール元パンジャブ州知事暗殺事件の犯人に対する死刑が執行されたことに抗議し、イスラム法の厳格な施行を求める数万人の群衆が議会前を占拠して一部が暴徒化したため、シャリフ政権の要請で軍が出動。このほか、南部カラチでも地元記者協会の建物に群衆が乱入し、テレビ局の車やカメラを壊す事件が発生しました。

 “卑劣なテロリスト”がパキスタン国内を跋扈している背景には、テロ行為そのものを積極的には支持しなくとも、テロリストの煽動に対して、心情的には同調しかねないパキスタンの社会的土壌が根強くあることが浮き彫りになったかたちで、何とも暗澹たる思いにさせられますな。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の国々:パキスタン
2016-02-17 Wed 15:51
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年2月17日号が先週、発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はパキスタンの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・民族衣装

 これは、1987年にパキスタンで発行されたユニセフの切手で、伝統的なシャルワール・カミーズ姿で子供を抱く母親が描かれています。

 パキスタンからアフガニスタンにかけての伝統的な民族衣装として知られるシャルワール(サルワールとも)・カミーズは、シャツに相当するカミーズとズボンに相当するシャルワ-ルを組み合わせたもので、女性の場合は、これに、ストールのドゥパターが加わります。ドゥパターは体型を隠すほか、ムスリム女性のたしなみとして髪を隠すためにも用いられていますが、今回ご紹介の切手をご覧いただくと、ドゥパター、カミーズ、シャルワールがそれぞれどのように着用されているかが良くわかります。

 さて、『世界の切手コレクション』2月17日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の切手のほか、英領インド帝国からインドとパキスタンが分離独立するプロセスと、ベーナズィール・ブットー政権時代についてまとめた2本の長文コラムのほか、釈迦苦行像、パキスタン最高峰のK2峰、モヘンジョダロ遺跡、建国の父・ジンナー、1998年の核保有の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は本日発売の2月24日号でのローデシアの特集になります。こちらについては、2月24日以降、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 岩のドームの郵便学(35)
2015-11-30 Mon 09:44
 ご報告が大変遅くなりましたが、『本のメルマガ』589号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1980年代初頭のパキスタンについて取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・岩のドーム(1981)

 これは、1981年7月25日、パキスタンが発行した「パレスチナの自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために」の切手です。

 パキスタンは、「インド亜大陸のヒンドゥーとムスリムは互いに異なった民族である」とする“二民族論”を建国の理念として、1947年、英領インド帝国の解体に伴い、インドとは別のムスリム国家として独立しましたから、パレスチナ問題に関しては、当初から、親アラブ・反イスラエルの姿勢を鮮明にしていました。

 じっさい、1948年に第一次中東戦争が勃発すると、パキスタンはアラブ諸国に対する軍事援助を計画。その後も、紛争当事国への武器供与禁止という国際ルールにより西側諸国家ら武器を調達できなかったアラブ諸国のため、パキスタンはチェコスロヴァキアから25万挺のライフルを代理購入しているほか、イタリアから3機の戦闘機を購入してエジプトに提供しています。

 1967年の第3次中東戦争と1973年の第4次中東戦争に際しては、パキスタン人パイロットがヨルダンおよびシリア空軍に参加してイスラエル軍機を撃墜。1982年のイスラエルによるベイルート包囲の際にはパキスタン人義勇兵50人がPLO側に立って従軍し、イスラエル軍の捕虜になっています。また、1973年以降、パキスタン国内にはPLOの将校に対する軍事訓練の場が設けられたほか、1974年2月にラホールで開催されたイスラム諸国サミットではPLOがパレスチナ人を代表する唯一の合法的政府であることが初めて承認され、1975年には「シオニズムは人種主義と人種差別の一形態である」とする国連総会決議3379の採択のために尽力しています。(ただし、同決議は1991年の国連総会決議4686によって否定されましたが)

 1979年12月にソ連軍によるアフガニスタン侵攻が始まると、国際社会はこれを非難し、アフガニスタン国内でも反政府ゲリラの大同団結によるアフガニスタン解放イスラム同盟が結成され、ソ連軍とその支援を受けたカルマル政権に対するムジャーヒディーン(イスラム戦士)の抵抗運動が展開されるようになります。

 アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの都市、ペシャワールには、夥しい数のアフガニスタン難民が押し寄せましたが、同時に、ペシャワールは、イスラム諸国と米国によるムジャーヒディーン闘争支援のための一大拠点としても機能していました。

 ところで、ペシャワールに集まった義勇兵たちに大きな思想的影響を与えたとされるのが、パレスチナ出身のイデオローグ、アブドゥッラー・アッザームです。

 アッザームは、1941年、英委任統治下にあったパレスチナのジェニン(ヨルダン川西岸の都市)近郊で生まれました。

 1963年、シリアのダマスカス大学イスラム法学部を卒業後、ヨルダン支配下のヨルダン川西岸地区に戻ったものの、1967年の第3次中東戦争でヨルダン川西岸がイスラエルに占領されるとヨルダンに脱出。その後、カイロのアズハル大学でイスラム法学の修士号を得て、アンマンのヨルダン大学で教職に就きましたが、1970年、ブラック・セプテンバー事件(パレスチナ人過激派によるハイジャック事件を契機としたヨルダン政府とPLO過激派の内戦)が起こると、ヨルダン政府は反イスラエルのパレスチナ人であるアッザームを追放しました。

 このため、アッザームはアズハル大学に戻ってイスラム法理論の博士号を取得。一時、ヨルダンに戻ったものの、ほどなくして保守的なムスリムの多いジェッダ(サウジアラビア)のキング・アブドゥル・アジーズ大学で教鞭をとるようになりました。ちなみに、同大学での教え子の一人がオサーマ・ビン・ラーディンです。

 1979年11月、メッカでハラーム・モスク襲撃事件が発生すると、サウジ政府はイスラム原理主義者の多くを国外追放処分としましたが、これにより、アッザームはイスラマバード(パキスタンの首都)の国際イスラム大学に移って「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」と訴え、ペシャワールにムジャーヒディーンのための軍事訓練施設を設立しました。なお、1981年には、アッザームの呼びかけに応じて、大学を卒業したばかりのビン=ラーディンが合流しています。

 アッザームの主張は、1980年代初頭の時点では、ソ連や東側諸国の支援を受けていたPLOに与することなく、ムスリムの宗教的な義務としてパレスチナとアフガニスタンの双方を解放すべきと訴えた点で画期的なものでした。

 もちろん、パキスタン政府としては、“原理主義者”としてのアッザームらの主張を公式に支持・支援していたわけではありませんが、膨大な数のアフガニスタン難民とムジャーヒディーンがペシャワールに押し寄せているという現実に直面したパキスタンにとっては、イスラム諸国から広く支援を集めるためにも、アフガニスタンとパレスチナの問題は「奪われたムスリムの土地を奪回する」という点において同根であることを訴える必要があったことは明らかで、今回ご紹介の切手も、こうした部脈に沿って発行されたものとみることができます。ちなみにパキスタンの切手において、岩のドームそのものを中心的な題材としてストレートに取り上げたのは、これが最初の事例でした。

 もちろん、1947年の建国以来のパキスタンの対パレスチナ政策を考えるのなら、岩のドームの切手を発行することで、ムスリムとして聖地エルサレムの奪還を目指す姿勢をアピールするのはなんら不思議なことではないのですが、それまで“パレスチナ”を題材にした切手を発行してこなかったパキスタンが、1981年というタイミングで岩のドームの切手を発行した背景には、やはり、アフガニスタンとパレスチナを結びつけて考える思考回路があったと見るのが自然でしょう。

 なお、「奪われたムスリムの土地を奪回することは全信徒の宗教的義務である」とのアッザームの主張は、パレスチナとアフガニスタンを結びつけただけでなく、後に、ボスニアチェチェンでのイスラム抵抗運動や、さらにはサウジアラビアに駐留しつづける米軍へのテロなどの根幹をなすイデオロギーとなるのですが、1988年の映画『ランボー 怒りのアフガン』の例を持ち出すまでもなく、東西冷戦という時代状況の下で、そのことを見通した者はほとんどいませんでした。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ノーベル平和賞はマララさんに
2014-10-11 Sat 17:01
 今年のノーベル平和賞は、イスラム武装勢力・パキスタン・タリバン運動による襲撃で重傷を負いながらも、女性や子供への教育の大切さを訴えてきたパキスタンのマララ・ユスフザイさんらが受賞しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・世界こどもの日

 これは、1969年10月6日にパキスタンで発行された“世界こどもの日”の記念切手で、学校の前で遊ぶ男女の児童が描かれています。

 “世界こどもの日”は、1954年11月、「あらゆる国によって、児童間の世界的友愛および理解、ならびに(国連)憲章の理想および目的、世界児童の福祉の増進、かつ、世界のあらゆる児童のために国連が行う努力の強化および拡充に貢献する活動の日」として定められたもので、1956年から各国で実施されています。

 1960年代のパキスタンは、アイユーブ・ハーンを大統領とする軍事政権の下で、行政改革と農業改革や外資導入を伴う工業推進による経済開発が進められ、1965年には経済成長率が6%を記録しています。アイユーブ・ハーンは切手が発行される半年ほど前の1969年3月25日に大統領を辞任に追い込まれ、ヤヒヤー・ハーンが後継大統領となっていますが、経済開発優先の世俗主義的な基本政策はそのまま継承されました。

 今回ご紹介の切手では、男子児童が1人だけなのに対して女子児童が4人描かれていますが、これは、経済発展のためには、女子教育を普及させることが重要であるとの政権側の認識が反映された結果でしょう。

 さて、イスラム世界での価値の源泉となっているコーランでは、女性は保護されるべき存在であるとされています。この“保護”の考え方は、たとえば、戦争などで男女の人口バランスが崩れた場合などに経済的に余裕のある男性が“平等に愛する”との前提で複数の妻をめとることが認められるというロジックや、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉となるという考え方に結びついています。

 ただし、現実には“保護”の名の下に男性が女性を恣意的に扱ったり、女性の権利が著しく制限されていたりすることも珍しくありません。たとえば、未婚女性の純潔を守ることが一族の名誉であるということは、裏を返せば、未婚女性がセックスを体験したことが明らかになると一族の名誉が失墜するという発想につながります。このため、かつてのエジプトの農村では、新婚初夜に花嫁が処女でなかったことが判明すると、翌朝、ナイル川にウェディング・ドレス姿の死体が浮かんでいるという悲劇も少なからずあったようで、そうしたことを防ぐためと称して、未婚女性を男性の目の届かない環境に置く、すなわち、一般社会から隔離して、学校にも行かせなければ、町への買い物にも行かせない、それゆえ、お金もほとんど渡さないというようなことも珍しくありませんでした。

 今回、ノーベル平和賞を受賞したマララさんが、かつてパキスタン・タリバン運動二よって襲撃されたのも、こうした発想から、女性の権利や教育、社会進出を極端に制限しようとしていた勢力にとって、彼女の活動が目障りだったからにほかなりません。

 当然のことながら、こうした女性の“保護”は西側世界の人権感覚からすると非難の対象となるわけですが、それでは、イスラム社会のすべての女性が抑圧の下で苦しんでいるとみなしうるかというと、ことはそう単純ではありません。

 たとえば、イスラム教徒の女性が公衆の面前で髪を隠すのは、髪を男性に見せると男性の劣情を刺激し、貞操の危機につながりかねないとの考えによるものですが、ベールの着用を疎ましく感じる女性がいる半面、イスラム教徒であることを強く自覚し、公衆の面前で髪を見せることを“恥ずかしい”と感じているがゆえに、自らの意思でベールを着用したいと考える女性も少なくありません。こうした状況を無視して、一方的にベールの着用イコール女性の人権侵害と短絡的に非難しても、結果的に、いわゆる人権屋さんの自己満足にしかならないということも十分にあり得ます。そうした女性たちからすると、今回ご紹介したような切手の図案のような光景は、イスラム共和国(パキスタンの正式な国号は“パキスタンイスラム共和国”です)でありながら、とんでもない破廉恥なものということになるのかもしれません。

 もちろん、世界の多くの国や地域において男女に等しく認められている権利を、“保護”を理由に女性には与えないままにしておいてもよいということにはならないのは当然で、そのあたりをどのように伝統的な価値観と折り合いをつけて行くかはなかなか難しい問題です。その意味では、今回ご紹介の切手に描かれているような光景を当たり前のものとするよう尽力しているマララさんらの活動を、今後、現地の人々がどう評価していくかという点にも注目していかねばなりますまい。
 

 *第2回ヨーロッパ切手展は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参観いただきました皆様には、この場をお借りしてあらためてお礼申し上げます。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パキスタンで民放TV放送停止
2014-06-08 Sun 17:25
 パキスタンの民放テレビ局“ジオ・テレビ”のキャスターがことし4月に銃撃された事件で、パキスタン政府は同局が行った軍と事件を結びつける報道には根拠がないとして、きのう(7日)から放送免許を15日間停止する措置を取りました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パキスタン・テレビ放送25年

 これは、1989年にパキスタンが発行した“テレビ放送25年”の記念切手です。

 パキスタンにおけるテレビ放送の歴史は、1961年、同国の著名な実業家だったサイイド・ワジド・アリーと日本のNECが共同出資し、同国有数のエンジニアであったウバイドゥル・ラフマーンを長とする民間プロジェクトとしてスタートしました。その後、何度かの試験放送を経て、1963年には情報省がプロジェクトを引き継いでパキスタン・テレヴィジョン(PTV)、引き続きNECの協力も得ながら準備を進め、1964年11月26日、ラホールのラジオ・パキスタンの設備を利用してのPTVの本放送が開始されました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して25周年になるのを記念して発行されたものです。

 PTVの放送網は、翌1965年にはダッカ(現在はバングラデシュ領)およびラーワルピンディ-イスラマバード地区に、1966年にはカラチに、1974年にはペシャワールとクェッタに、それぞれ拡大されていきました。当初は白黒放送のみでしたが、1976年からはカラー放送が始まり、1987年にはパキスタン人のテレビ技術者を自国内で養成するためのパキスタン・テレヴィジョン・アカデミーも開講しています。

 当初、 パキスタンのテレビ局は国営のPTVだけでしたが、1988年、シャリマール・レコーディング(現シャリマール・レコーディング・アンド・ブロードキャスティング)傘下の半官半民放送局として国民テレビ(PTN。現シャリマール・テレビ:STN)がイスラマバードで開局。STNは、その後、カラチとラホールにもし局を開局し、パキスタン全土をカバーする放送局へと成長しました。

 1990年、STNは民間企業インターフローとの共同出資により、同国初の純然たる民間テレビ局としてネットワーク・テレヴィジョン・マーケット(NTM)を開局。さらに、1999年には、PTVとのジョイントヴェンチャーによりチャンネル3を開局し、2001年から本格的な放送を開始しています。

 2002年、当時のムシャラフ政権は、反タリバン制作のため米国と連携する必要から、各種の報道規制を緩和するなど一定の“民主化”を進めましたが、その一環として、テレビ放送への民間参入を全面的に解放。これを受けて、パキスタン発民間衛星放送局であるインダス・ヴィジョンやARYデジタル、今回、放送停止処分を受けたジオなどが開局することになりました。

 さて、こうした“民主化”時代の申し子として誕生したジオは、その出自ゆえに、従来のパキスタンのメディアには見られないリベラルな内容で人気を集めましたが、その反面、エンターテインメント番組の中でイスラムを冒涜したと取られかねない内容を放送したことで視聴者の反発を招くこともあり(パキスタンは“イスラム共和国”です)、そのたびに抗議デモや系列新聞社に対する襲撃事件が起きていました。

 こうした背景の下で、ことし4月、以前からパキスタン政府に批判的なキャスターのハミド・ミールが今年4月にカラチで銃撃されると、ジオのニュース・チャンネルは、「キャスターは襲われる前、『パキスタン軍の情報機関から命を狙われている』と家族に話していた」として、情報機関のトップの顔写真を使いながら報道し、情報機関を批判する放送を流していました。

 これに対して、パキスタン軍は放送内容は事実無根と抗議し、国防省はテレビ事業を管轄する電子メディア規制委員会に対して「ISIや国家に損害をもたらす」として放送免許の剥奪を要求。軍に近いとされる野党も同局への批判を強めたことで、規制委は、6日、ジオに対して、15日間の放送停止と1000万ルピー(約1000万円)の罰金を科すことを命じ、現在、ジオ・テレビの画面には「免許が停止されたため、放送は打ち切られています」が出ているだけの状態となっています。

 規制委は、15日以内にジオ側が罰金を納付しない場合には放送停止期間を延長することもありうるとしていますが、今回の一件は“表現の自由”の侵害であるとしてすでに国際的な波紋を呼んでおり、今後の推移が注目されるところです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 “風の谷”でご難
2012-04-09 Mon 16:54
 パキスタン北部のギルギットならびにフンザでの宗教対立の影響で今月3日から現地に足止めされていた日本人77人が、きのう(8日)、パキスタン軍の輸送機でイスラマバードへ脱出。きょう(9日)の午後、その一部が北京経由で成田に帰国したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ギリギット

 これは、1954年にパキスタンが発行した9パイサの普通切手で、ギルギット山が描かれています。

 ギルギットはカラコルム山脈に囲まれた北方地域の中心都市です。ちなみに、ギルギットを州都とするギルギット・バルティスタン州は、インドとパキスタンが領有権を争っているカシミール地方のうち、パキスタン側の実効支配地域の中にあり、北側でアフガニスタン、北東側で中国、南東側でインドのジャンムー・カシミール州と接しています。もっとも、日本のメディアでギルギットのことが話題になる時には、カシミール問題に絡んでいうよりも、景勝地として名高いフンザ地区への入口として語られることが多いようです。

 フンザは、ギルギット・バルティスタン州の最北部に位置しており、中国のカシュガルへ向かうカラコルム・ハイウェイ沿いに、カリーマーバードほかの集落が点在しています。世界的な景勝地として知られ、毎年春になると(ちょうど現在の時季ですな)、村や谷が杏の花でピンク色に埋め尽くされるさまは“桃源郷”とも称されています。その絶景ゆえに、スタジオジブリ側がそのように述べたことはないにもかかわらず、一部では、アニメ『風の谷のナウシカ』の“風の谷”のモデルとして紹介されることも少なくありません。

 まぁ、『風の谷のナウシカ』の物語が、大国の領土争いに巻き込まれる小国という設定になっている以上、インドと中国という大国に挟まれ、さらにはカシミール問題の土地でもあるフンザと“風の谷”をだぶらせて考えたくなるというのも、気持ちとしてはわからなくもありませんな。もっとも、フンザを観光で訪れる人たちの多くは、純粋に景勝地を楽しむのが目的で、緊迫する国際関係の現場を見てみたいというケースは少ないのでしょうけれど。

 何はともあれ、日本人全員が無事に救出されたことで、まずは一安心ですな。
 
 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 下記の通り、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

 詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

 *よみうりカルチャー荻窪での講座のお申込み受付は終了いたしました。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:2 | top↑
 スーチーさんにブットー賞
2012-01-26 Thu 22:58
 ビルマ(ミャンマー)を訪問していたパキスタンのザルダリ大統領が、きのう(25日)、ラングーン(ヤンゴン)で民主化運動指導者のアウンサン・スーチーさんに、2007年に暗殺されたベーナズィール・ブットー元パキスタン首相(大統領の妻)を記念して創設した“ブット賞”を贈ったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブットー父娘

 これは、2008年4月4日にパキスタンで発行された“ズルフィカール・ブットー殉職29周年”の記念切手で、支援者を背景に、左側に切手の主題となった元首相のズルーフィカール・ブットーが、右側に、ズルーフィカールの娘で元首相のベーナズィールが取り上げられています。

 ズルフィカール・アリー・ブットーは、1928年、ラールカーナー(現在シンド州)近郊の生まれで、米国留学を経て、若くしてエネルギー相、外相を歴任して頭角を現し、1967年にパキスタン人民党(PPP)を結成。1971年の第3次印パ戦争(バングラデシュの独立をめぐって戦われた戦争)での敗北の責任を取ってヤヒヤー・カーン政権が退陣した後、大統領に就任しました。1973年には自ら起草を支持した新憲法の公布に伴い、首相に就任。国有化政策と経済開発を進めたものの、1977年、ムハンマド・ズィヤー・ウル・ハック将軍(後に大統領)のクーデターにより逮捕され、1979年に処刑されました。

 オクスフォードで修士号を得て帰国したベーナズィールは、ズィヤー・ウル・ハック政権下で自宅軟禁の状態におかれていましたが、1984年に英国に亡命し、彼の地で、父親の創設したパキスタン人民党の党首に就任します。

 アフガニスタンの反ソ闘争を支援したことでアメリカから巨額の援助を獲得したものの、その強権的な政治手法ゆえに国民の不満も高まっていたズィヤー・ウル・ハックは、1988年8月に飛行機事故で死亡。同年11月、十数年ぶりに行われた公開選挙では、無実の罪でズィヤー・ウル・ハック処刑されたズルフィカールの娘、ベーナズィールが国民の圧倒的な人気を集め、彼女の率いるPPPは圧勝。同年12月、彼女は35歳の若さ(当時のイスラム諸国の政府代表として最年少)で首相に就任しました。

 偉大なる父の娘として軍事政権と戦ったというベーナズィールのイメージは、ある意味で、ビルマ建国の父・アウンサン将軍の娘で民主化運動の指導者であるスーチーさんとも重なる部分があるともいえましょう。ザルダリによる彼女へのブットー賞の授与も、そうしたことを意識したものであることは明白です。

 ところで、ベーナズィールの首相就任後、ブットー家の個人商店ともいうべきPPPを維持するためには巨額の資金が必要であったからか、逆に、政権与党が個人商店であるがゆえにオーナーであるブットー家に資金が集まってきたのか、そのあたりは“鶏と卵”の関係なのですが、ベーナズィール政権には、発足当初から、金銭スキャンダルの噂が絶えませんでした。はたして、1990年8月、大統領のグラーム・イスハーク・ハーンは汚職を理由に彼女を解任しました。

 野に下ったベーナズィールとPPPは、1993年10月の選挙でふたたび勝利を収め、彼女も首相に返り咲くのですが、1996年11月には再び汚職を告発されて退陣に追い込まれています。特に、ベーナズィール内閣で閣僚となった夫のアースィフ・アリー・ザルダーリー(現パキスタン大統領です)は、関連予算の10%を常に着服しているとされた(それゆえ、“ミスター10%”とあだ名されていました)ことほど、金銭面ではダーティーな人物で、汚職容疑により2004年11月までの8年間、有罪判決を受けて獄中生活を送っていたほどです。ちなみに、2006年には、ベーナズィール夫妻はともに不正蓄財の容疑で国際指名手配を受けています。

 こうした状況の下で、1999年にクーデターで政権を掌握したパルヴェーズ・ムシャラフは、ベーナズィールに代表される金権腐敗やイスラム原理主義勢力の跋扈を排し、パキスタンの構造改革に取り組もうとした政治家でした。2001年の911同時多発テロ事件の後、アメリカによる“テロとの戦い”に協力したのも、現実的な国際感覚に基づき、誠実に国益を追求しようとした結果にほかなりません。

 しかし、ムシャラフの対米協調路線は、一般のパキスタン国民の目には、アフガニスタンのムスリム(イスラム教徒)に対する、“国際社会”の理不尽な攻撃に無批判に追従しているようにしか映らず、このため、2002年、クーデター後の民政移管のために行われた選挙では、ムシャラフの最も忌み嫌うベーナズィールのPPPが第一党として躍進。このため、彼は憲法を改正し、首相が通算2期以上在任することを禁じ、ベーナズィールの首相返り咲きの芽を摘もうとしました。

 これに対して、ベーナズィールは、ドバイを拠点に世界各地を飛び回って“反軍事政権・民主化運動の女性闘士”というイメージを振りまき、2007年11月に予定されていた選挙(実際の実施は2008年1月)でのPPPの勝利と自身の首相返り咲きを目指していました。

 ところが、選挙期間中の2007年12月、ベーナズィールは、首都イスラマバード郊外のラーワルピンディーで開催された選挙集会で、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺されてしまいます。

 この結果、選挙戦は、一挙に、ベーナズィールの弔い合戦という様相を呈することになり、2008年1月の投票では、彼女の長男で当時19歳のビラーワルを新総裁に、その父親(つまり、ベーナズィールの夫)のザルダーリーを総裁代行に据えたPPPが第一党を獲得し、同年7月、ザルダーリーが大統領に就任しました。

 政治的にはほとんど実績がないどころか、汚職で収監された過去を持つ“ミスター10%”が曲がりなりにも大統領のイスにふんぞり返って座られるのも“ベーナズィールの夫”という金看板があってこそのことで、今回のスーチーさんへの授賞もまた、そうしたイメージ戦略に沿ったものといってよいでしょう。

 なお、パキスタンにおける“ブットー王朝”と切手の関係については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 * きょう(26日)のお昼過ぎ、カウンターが97万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
   
         年賀状の戦後史(帯つき)
         年賀状の戦後史
     角川oneテーマ21(税込760円)

    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

  amazonbk1e-honHMVlivedoor BOOKS紀伊國屋書店BookWebセブンネットショッピング楽天ブックスなどで好評発売中!
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 核武装の正しさ
2011-08-25 Thu 23:55
 きのう(24日)は、リビアでカダフィ政権が事実上崩壊したほか、シベリアのウラン・ウデで金正日とメドベージェフの北朝鮮・ロシア首脳会談が9年ぶりに行われるなど、ニュースの多い1日でした。それらのニュースを聞きながら、僕なりに考えることがあったので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        パキスタン・核実験成功

 これは、1999年5月28日にパキスタンが核実験の成功1周年を祝して発行した「独立独歩を求めるパキスタンの戦い」と題する切手です。

 パキスタンは、核保有国である隣国インドの脅威に対抗するため、1998年5月28日と同30日に核実験を行いました。当時、多くの国々はパキスタンを非難しましたが、核保有国となったがゆえに国際社会がパキスタンに武力制裁を発動したり、圧力をかけて政権を転覆させたりすることはなく(核実験を行ったナワズ・シャリフ政権は1999年に陸軍参謀総長だったパルヴェーズ・ムシャラフのクーデターにより政権を追われていますが、これは、シャリフ政権の腐敗・汚職が原因で、核の問題とは無関係です)、現在なお、パキスタンは核保有国であり続けています。

 これに対して、リビアのカダフィ政権は、2003年にアメリカがイラク戦争を起こし、サダム・フセイン政権が崩壊すると、“次の標的”にされるのを恐れたためか、核放棄を宣言。さらに、2009年にアメリカでオバマ政権が発足すると、パンナム機爆破事件などの遺族補償として15億ドルをアメリカに支払い、アメリカとの国交正常化を実現するなどの柔軟路線をとりましたが、カダフィ独裁に反対する民主化運動がおこると、欧米諸国は反政府組織を露骨に支援し、NATOによる空爆まで行って、政権を事実上の崩壊に追い込みました。

 また、イラクのサダム・フセイン政権も核兵器の開発が疑われたことがありましたが、イラン・イラク戦争中の1982年にイスラエルの空爆を受けてイラクのタムーズにあった原子力施設は壊滅状態に陥り、戦争の影響もあって核開発計画は完全に頓挫。「大量破壊兵器保有の疑い」を大義名分としてはじめられた2003年のイラク戦争でも、フセイン政権の崩壊後、イラクには核兵器はなかったことが明らかとなっています。

 一方、核保有国となった北朝鮮に対しては、国際社会は現状を事実上追認しつつあるのが実情で、金正日体制が近々崩壊する可能性はきわめて低いとみられています。実際、きのうの会談でロシア側は北朝鮮に核兵器の放棄を強く求めたわけではありませんし、飛行機での移動を嫌う金正日に配慮して、メドベージェフがわざわざモスクワからシベリアのウラン・ウデの軍施設まで出向いていることを考えると、今回の会談は北朝鮮側にとって外交的に大きな成果を上げたと評価してもよいでしょう。

 こうした状況を単純素朴に眺めてみると「核兵器を持たない独裁国家が欧米と対立した場合にその存続が危うくなるのに対して、いちど核兵器を持ってしまえば欧米といえどもそれを排除できない。それゆえ、政権安定のためには何が何でも核武装をすべきである」との結論を導き出す国が少なからず存在したとしても、なんら不思議ではありません。すくなくとも、北朝鮮は、核武装を途中で止めたカダフィ政権の崩壊という現実を踏まえ、絶対に核兵器を放棄しないというスタンスをとるでしょうし、核兵器開発疑惑を持たれているイランが、この際、急ぎ核武装の実現を目指すことも十分に考えられます。

 核兵器のない世界という理想論は、理念としては御立派なものなのでしょうが、どうやら、現実の世界はそれとは逆の方向に向かいつつあるのではないかと僕は思っています。そうであるなら、わが国も、現実に核武装するか否かはともかく、その気になれば(少なくとも技術的には)すぐにでも核武装が可能であることを内外に示しておく必要があるはずです。その点からも、中国や北朝鮮の核兵器に対してはほとんど批判をしないまま、“脱原発”のお祭り騒ぎに興じている人たちに対しては、どうにも胡散臭さを感じずにはいられませんな。
 

  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
  酒井順子さんにご紹介いただきました !

        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
       平凡社(本体2000円+税)    

  視て読んで楽しむ切手図鑑!
  “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、
  平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、
  そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介

  全国書店・インターネット書店(amazonboox storeconeco.netJBOOKlivedoor BOOKSYahoo!ブックスエキサイトブックス丸善&ジュンク堂楽天など)で好評発売中!
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パキスタンで連続自爆テロ
2010-07-02 Fri 21:17
 パキスタン東部ラホールで、現地時間の1日夜(日本時間けさ未明)、イスラムの聖者廟に集まっていた数百人の信者を狙った3件の自爆テロが相次いで発生し、少なくとも42人が死亡、170人以上が負傷しました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方にはお見舞い申し上げます。というわけで、きょうは、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブット追悼カバー

 これは、2008年にパキスタンで発行されたベーナズィール・ブットーの没後1周年の切手と彼女の国連人権賞受賞の記念切手が貼られたカバーです。

 近代以降のイスラム世界初の女性首相となったブットーは、2007年12月、首都イスラマバード郊外のラーワルピンディーで開催された選挙集会で、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺されました。その意味では、パキスタンにおけるテロの深刻さを象徴するような人物といってよいかもしれません。

 ただし、ブットーは必ずしも一貫して反原理主義・反テロの立場をとっていたわけではなく、1990年から1993年にかけての第2次政権期に、アフガニスタンのタリバン勢力を支援していたことがあります。当時、隣国のアフガニスタンは内戦状態でしたから、ブット政権としては、タリバンがアフガニスタンを安定させ、それにより、パキスタンと中央アジアとを結ぶ通商ルートが開かれることを期待していたようです。また、内戦を通じてアフガニスタンにイランの影響力が扶植されるのを防ぐためにも、パキスタンから見れば、親イラン派への対抗勢力としてタリバンを支援することは十分に意味のあることでした。

 こうしたことから、ブット政権はタリバンに軍事的・経済的支援を与え、タリバンは急速に勢力を拡大していきます。しかし、タリバンが支配地域であまりにも原理主義的な政策を展開していることが世界的に知られるようになると、ベナズィール側はタリバン非難を始めます。これに対して、タリバン側も女性政治家であるベナズィールを非難。こうして、ベナズィールとタリバンの関係は決定的に悪化しましたが、ベナズィールの退陣後も、パキスタンによるタリバン支援は継続され、1996年9月、タリバンはカブールに入城することになります。

 さて、ベナズィール暗殺後の選挙は、彼女の弔い合戦の様相を呈し、2008年1月の投票では、彼女の長男で当時19歳のビラーワルを新総裁に、その父親(つまり、ベーナズィールの夫)のザルダーリーを総裁代行に据えたパキスタン人民党が第一党を獲得し、同年7月、ザルダーリーが大統領に就任します。ちなみに、ザルダーリーは、ベーナズィール内閣で閣僚を務めましたが、関連予算の10%を常に着服しているとされ、“ミスター10%”と呼ばれていた人物。汚職で有罪判決を受け、1996~2004年まで8年にわたって獄中生活を送っていたこともあります。

 その彼が、ベーナズィールを“殉教者”に仕立て上げ、大統領のイスに座っていることに対しては、当然のことながら、パキスタン国内でも根強い批判があるわけで、そのことがますますパキスタン情勢を不安定しにているという面は否定できないと思います。

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パキスタンの総選挙
2008-02-19 Tue 15:12
 昨年末のベナズィール・ブット元首相暗殺で延期されていたパキスタン下院総選挙の投開票が昨日(18日)、行われました。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブットとチルレル

 これは、1995年8月、ベナズィールとトルコ首相(当時)のタンス・チルレルの首脳会談を記念してパキスタンが発行した切手で、両首脳の肖像が取り上げられています。切手発行の名目は、イスラム教徒が圧倒的多数を占める国家としては、初の女性同士の首脳会談というものです。

 1993年6月、トルコの首相に就任したチルレルは、EU加盟というトルコの悲願を果たすための切り札として登場しました。アメリカのイエール大学出身の女性経済学者という彼女の存在は、西側世界から女性差別的とのネガティブなイメージの強いムスリム国家のイメージを打破するうえで効果的と見られていた面もあったからです。

 ただし、チルレル政権は、EUとの関税同盟締結や国営企業の民営化などの経済改革を進めたものの、インフレーションに伴う株価と通貨の暴落による経済の破綻、トルコ東南部でクルド労働者党による民族運動の激化、さらには、政権をめぐるスキャンダルの発覚により、次第に支持率が低下し、この切手の首脳会談が行われた直後の1995年9月、連立内閣は崩壊に追い込まれてしまいました。その後、同年11月には第2次チルレル内閣が発足したものの、翌12月の選挙でイスラム主義政党の福祉党が第一党となり、結局、チルレル政権は退陣に追い込まれています。

 一方、1988年12月、現代のイスラム諸国で最年少 (当時35歳) かつ初の女性の政府代表としてパキスタンの首相となったベナズィールは、1990年8月、汚職を告発されて当時の大統領により首相の座を解任されましたが、1993年10月の総選挙で勝利を収めて首相に返り咲き、1996年11月まで政権を維持しました。今回の切手が発行された時期は、その第2次政権の時代にあたります。

 1993年に相次いで首相となったチルレルとベナズィールは、1994年2月、紛争最中のボスニアに防弾チョッキを着て乗り込み、内戦で破壊された古都モスタルの修復費用拠出など、現地のムスリム指導者のイッゼトベコヴィッチと会談し、政治的、文化的支援を約束したことが当時話題になりました。

 なお、ベナズィールがムスリム女性としてスカーフを身に着けているのに対して、チルレルはトルコの国是に従いスカーフをつけていないのは、両国の世俗主義に対する距離感が反映されているようで、なかなか興味深いものがあります。

 ちなみに、パキスタンの現大統領のパルヴェーズ・ムシャラフは、徹底したプラグマティストで、近代トルコ建国の父、ケマル・アタテュルクにならった世俗主義的開発独裁を目指しているとされる人物で、その強権的な手法の是非はともかく、西側世界にとって“話のしやすい”人物であることは間違いありません。

 これに対して、ベナズィールが長年党首を務めていたパキスタン人民党は、1967年、ベナズィールの父、ズルフィカール・アリー(後に大統領・首相)を中心として創設された左翼政党(じつは、社会主義インターナショナル加盟に加盟しています)で、産業の国有化などの社会主義的政策、労働者・農民の生活向上、国民の国防参加を主張しています。また、外交面では、パキスタンの伝統的な“全天候型親中政策”の忠実な継承者という立場を取っています。

 今回の総選挙では、同党は、シャリフ元首相率いるムスリム連盟ナワズ・シャリフ派とともに第1党の座を争い、ムシャラフの与党・ムスリム連盟クアイディアザム派は惨敗する見通しだそうですが、そのことが国際社会にとって吉と出ようが凶と出ようが、パキスタンの“民主化”を求めていた我々は、その結果を甘受するしかないでしょうね。
別窓 | パキスタン | コメント:0 | トラックバック:1 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/