内藤陽介 Yosuke NAITO
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 オスプレイ
2012-07-23 Mon 10:12
 沖縄に配備予定の米新型輸送機MV22オスプレイ12機が、けさ(23日)、山口県岩国市の米軍岩国基地に陸揚げされました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       オスプレイ

 これは、2008年にパプア・ニューギニアで発行されたミサゴの切手です。オスプレイというのは、このミサゴの英語名です。

 ミサゴは猛禽類のタカの一種で、ほぼ全世界に分布しています。主に海岸に生息しており、水面をゆっくりと低空飛行し獲物を探し、獲物を見つけると素早く翼を羽ばたかせて空中に静止するホバリング飛行を行った後、急降下し、水面近くで脚を伸ばし両足で獲物を捕らえます。

 さて、現在話題となっている米軍の輸送機オスプレイは、回転翼の角度が変更できる垂直離着陸機です。

 ヘリコプターは空中でのホバリングが可能で、離着陸場所を比較的自由に選べるなどの利点がある反面、構造上、固定翼機(通常の飛行機ですな)のような高速飛行は不可能です。一方、固定翼機は高速ではありますが、十分な距離を持つ滑走路が必要とおなります。そこで、固定翼機の高速性とヘリコプターの場所を選ばない離着陸性を兼ね備えたモノとして開発されたのが、オスプレイなどの垂直離着陸機というわけです。なお、オスプレイという名前はミサゴに由来するものですが、たしかに、ニュース映像などを見ると、今回ご紹介の切手のホバリングするミサゴの姿とオスプレイの飛んでいる姿は、似ていますな。

 オスプレイは、プロペラ機に近い高速で目的地に急行し、しかも滑走路のない場所へ着陸が可能ですから、まさに、離島防衛に最適な機種で、尖閣のみならず南シナ海での侵略の意図を隠そうとしない中国共産政府に対抗すべく、沖縄に配備しようという米軍の意図は至極もっともなことと言えます。ちなみに、オスプレイの陸揚げに反対する市民団体の連中は、オスプレイは墜落事故が多く危険だという論調を展開していますが、統計的に見ると、事故の確率は10万時間飛んで1.93回事故が起きる程度となっています。この数値が、海兵隊全体の飛行事故率、10万時間あたり2.45回より低いことは、なぜか、ほとんど語られていません。

 もちろん、日本の防衛は日本人自身がきちんと行うべきで、そのためには憲法を改正し、核武装をして米軍にもお引き取りいただくというのが最終的な目標だという観点から、米軍基地へのオスプレイ配備に反対する(そのかわり、自衛隊がオスプレイを導入する)というのであれば、それはそれで筋が通っていると思いますが、代替案もなしにただ単に「オスプレイ出て行け」と連呼するのは、結果的に、わが国のみならずアジアの平和と安定に脅威を与える侵略国家を利するだけではないんでしょうかねぇ。

 そういえば、反原発派の活動家の中には、日本の原発には反対して首相官邸前に押しかけても、中国の原発(わが国の原発よりも、はるかに事故を起こす可能性は高く、事故が起こった場合にはわが国にも甚大な影響があると予想されているわけですが)には口をつぐみ、中国大使館前はおとなしく通り過ぎる人が多いように見受けられます。反原発にせよ、反オスプレイにせよ、結果的に、日本国内のそうした“市民”の活動によって誰が得をするのかということを考えると、やはり、何とも言えぬ胡散臭さがぬぐえませんな。 

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 パプア沖でフェリー沈没
2012-02-02 Thu 22:51
 けさ(2日早朝)、パプアニューギニア東部ニューブリテン島のキンベからニューギニア島のラエへ航行中だったフェリー「MVラバウル・クイーン」が沈没。少なくとも300人以上とされる乗客のうち、これまでに238人が救助されたものの、現在なお行方不明者の捜索・救出作業が続いているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ドイツ領ニューギニア加刷

 これは、1897年に発行されたドイツ領ニューギニア加刷の切手です。

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロが“発見”し、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸。1546年になるとスペインが島の領有を主張したのをはじめ、1793年にはイギリス東インド会社が島全体の領有を主張し、さらに、イギリスに対抗してオランダ東インド会社が、1828年に島の西半分を領有するなど、列強の勢力角逐の場となっていました。ただし、各国による領有権の主張とは裏腹に、気候が厳しく天然資源にも恵まれないニューギニアの開発はなかなか進まず、19世紀までは“領有”は名目的なままに放置されていました。

 こうした状況の下で、1873年、ハンブルクの民間会社ゴーデフロイ商会が島に上陸し、マトゥピを拠点に交易を開始。1875年には、ドイツの軍艦“ガゼル”が近海の島々を探検し、1878年には軍艦“アリアネ”がビスマルク諸島ニューブリテン島の一部を原住民から購入しています。その後、ゴーデフロイ商会は経営難に陥ったため、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが設立した“南洋商事会社”がゴーデフロイ商会の経営権を継承。1884年11月には軍艦“エリザベート”がマトゥピに寄港し、同地のほか、ビスマルク諸島やアドミラルティ諸島の各地にドイツ国旗を掲揚しました。

 これに対抗して、同年、イギリスもニューギニア本島南東部のポートモレスビーにユニオンジャックを掲揚。かくして、ニューギニア島は、西部がオランダ、東部は英独両国が南北を分け合う格好となり、1901年のオーストラリア連邦の結成を経て、1906年、英領部分はオーストラリアの管轄下に置かれていました。

 この間、ドイツは1888年2月、フィンシュハーフェンに最初の郵便局を開設したのを皮切りに、ビスマルク諸島と北ソロモン諸島に次々と郵便局を開設。本国切手を用いて郵便活動を展開しました。今回ご紹介の加刷切手が発行されるようになったのは1897年のことで、その後、1901年からは、ドイツ植民地共通図案の“カイザーヨット”切手がこの地でも使われました。こうした状況は、第一次大戦でドイツがニューギニアを喪失するまで続きます。

 今回遭難したフェリーが出発したニューブリテン島の最大都市は、いわゆる太平洋戦争の激戦地として知られるラバウルは、同島最大の都市です。そう考えると、僕たち日本人にとっても決して無縁の土地ではないわけで、一人でも多くの方が迅速に救助されるよう、お祈りしております。

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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号、『全日本郵趣』1月号、CBCラジオ「朝PON」(1月26日放送)、『スタンプマガジン』2月号、『歴史読本』2月号、『本の雑誌』2月号で紹介されました。

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 日豪戦争③
2010-10-08 Fri 12:35
 本のメルマガ407号が配信となりました。ご報告が遅くなりましたが、406号に掲載の僕の連載「日豪戦争」では、今回は、歴史的背景の説明の続きとして、第1次大戦期の日豪関係についてまとめてみました。そのなかから、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         北西太平洋加刷

 これは、第一次大戦中、オーストラリア軍が占領した旧ドイツ領ニューギニアで使用するために発行した加刷切手です。

 1914年8月5日、英本国はドイツと戦争状態に突入し、大英帝国にとっての第一次世界大戦が始まります。

 大戦の勃発とともにオーストラリア海軍は英本国の指揮下に置かれ、オーストラリア連邦政府は、連邦領土に隣接するドイツ領ニューギニアを占領するための部隊を編成するとともに、海外派兵を目的とするオーストラリア軍団の設立を正式に決定しました。

 ニューギニア島は、1511年にポルトガルの航海士ダブロが“発見”し、1526年にはスペインの探検家メネゼスが最初に上陸。1546年になるとスペインが島の領有を主張したのをはじめ、1793年にはイギリス東インド会社が島全体の領有を主張し、さらに、イギリスに対抗してオランダ東インド会社が、1828年に島の西半分を領有するなど、列強の勢力角逐の場となっていました。ただし、各国による領有権の主張とは裏腹に、気候が厳しく天然資源にも恵まれないニューギニアの開発はなかなか進まず、19世紀までは“領有”は名目的なままに放置されていました。

 こうした状況の下で、1873年、ハンブルクの民間会社ゴーデフロイ商会が島に上陸し、マトゥピを拠点に交易を開始。1875年には、ドイツの軍艦“ガゼル”が近海の島々を探検し、1878年には軍艦“アリアネ”がビスマルク諸島ニューブリテン島の一部を原住民から購入しています。その後、ゴーデフロイ商会は経営難に陥ったため、1880年にベルリンの銀行家アドルフ・フォン・ハンゼマンが設立した“南洋商事会社”がゴーデフロイ商会の経営権を継承。1884年11月には軍艦“エリザベート”がマトゥピに寄港し、同地のほか、ビスマルク諸島やアドミラルティ諸島の各地にドイツ国旗を掲揚しました。

 これに対抗して、同年、イギリスもニューギニア本島南東部のポートモレスビーにユニオンジャックを掲揚。かくして、ニューギニア島は、西部がオランダ、東部は英独両国が南北を分け合う格好となり、1901年のオーストラリア連邦の結成を経て、1906年、英領部分はオーストラリアの管轄下に置かれていました。

 1914年8月5日の英独開戦と同時に、オーストラリア軍はドイツ領ニューギニアのラバウルに対する攻撃を開始し、9月11日にはヘルベルトヘーエを、翌12日にはラバウルを占領し、ニューギニア島東部を支配下に収めます。当初、オーストラリア軍は占領地に無加刷切手を持ち込んで使用していましたが、その後、ドイツ時代の切手を接収して“GRI”の文字を加刷した切手やオーストラリア切手に“N.W. PACIFIC ISLANDS.”の文字を加刷した切手が使われています。こうした状況は、第1次大戦が終結し、旧ドイツ領ニューギニアが正式にオーストラリアの委任統治領となったことを受けて、1920年に“ニューギニア”名義の切手が発行されるようになるまで続きました。

 一方、オーストラリアが旧ドイツ領を獲得して版図を北側に拡大したのと同様に、日英同盟に基づいてドイツと戦った日本もまた、旧ドイツ領南洋群島を獲得します。

 すなわち、大戦が勃発すると、日本軍は10月7日にヤップとポナペを、同8日にパラオを、11日にトラックを、12日にアンガウルを、17日にサイパンを占領し、ドイツ領南洋群島を完全に制圧。これに先立ち、オーストラリア軍は9月26日にアンガウルを攻撃していますが、英本国の意向により、それ以上の南洋群島への攻撃は中止しています。

 英本国としては、オーストラリア海軍は1911年に発足したばかりで弱小であり、南洋群島を含む広大な“ニューギニア保護領”を領有するドイツと戦い、オーストラリアの通商航路を確保するためには、西太平洋最大の海軍力を持つ日本の協力が不可欠であると考えていました。実際、この時期、オーストラリア海軍が太平洋を自由に航行しえたのは、日英同盟による日本の海軍力が彼らの安全を保証していたからにほかなりません。ANZAC兵や物資・食料を運ぶオーストラリア船の護衛を日本海軍が担当することさえあったという事実は、その何よりの証拠といえますし、こうした日本の協力に報いるため、英本国は赤道以北の旧ドイツ領南洋群島を日本が支配することを認めざるを得なかったのも当然といえましょう。

 かくして、グアムを除くカロリン諸島とマリアナ諸島を含む旧ドイツ領ニューギニアは日本とオーストラリアによって分割されることになります。

 しかし、そもそも(ドイツではなく)日本を最大の仮想敵国として海軍を創設したオーストラリアからすれば、ドイツ領ニューギニアという緩衝地帯が消滅したうえ、大日本帝国の南端が自国に接近し、実質的な隣国となることなど、とうてい承服しがたいことでした。日英同盟の傘の下、日本海軍のプレゼンスによって彼らのシーレーンが確保されてきたという現実は、白豪主義を掲げる国家にとっては“不都合な真実”以外の何物でもなかったのです。

 しかし、大戦の勝利という大義の前に、英本国は日本との同盟関係を優先し、オーストラリアの反対論を抑え込むことを選択。英本国は、オーストラリアの連邦政府に対して、閣僚は“好ましくないニュース”に対する“心の準備”をしておくこと、戦争中にオーストラリア国内で反日デモなどが起こることを阻止すること、などを厳命し、オーストラリア側も不承不承ながら本国の命令を受け入れざるを得ませんでした。

 こうしたオーストラリア側の“忍耐”は、1918年にドイツの降伏というかたちで大戦が終わるとその根拠を失います。そして、1919年のヴェルサイユ講和会議では、オーストラリア首相のウィリアム・ヒューズが、オーストラリア国内で鬱積し続けてきた(身勝手な)不満を、英本国ではなく日本を標的にしてぶちまけることになるのです。

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 珊瑚海のスケッチ
2006-05-29 Mon 21:59
 インドネシアで大きな地震があったばかりなのに、トンガとパプアニューギニアでも別の大きな地震が起こったとか。それなら、ということで、ワシントンで開催中の世界切手展<Washington 2006>に出品中の作品の中から、こんなものをお見せしましょう。(画像はクリックで拡大されます)

珊瑚海スケッチ

 これは、1967年にパプア・ニューギニアが発行した“太平洋戦争25周年”の記念切手のうち、珊瑚海海戦を取り上げた50セント切手のオリジナル・スケッチです。ちなみに、実際に発行された切手はこんな感じ(↓)です。

珊瑚海・切手

 世界切手展の出品作品はさまざまな部門に分かれていますが、僕の作品 Japan and the 15 Years' War 1931-1945 はテーマティク(切手や郵便物であるストーリーを再現・再構成する部門)という部門になります。

 テーマティクの作品では、展示しているマテリアルの多様性が審査の上で重要なポイントになってくるので、切手や郵便物だけではなく、消印や試刷、見本やエラーなど、ありとあらゆるモノを集めてくる必要があります。このため、僕の作品でもできるだけ展示に使うマテリアルにバラエティを持たせるようにしているのですが、この手のスケッチ類なんかが入ると、作品全体のインパクトが強まるんじゃないかと思います。

 1年ぐらい前、オーストラリアの某オークションにデザイナーのスケッチブックが1冊丸ごと売りに出されて、今日ご紹介しているスケッチもその中に含まれていた1点です。いままでなかなかお披露目の機会がありませんでしたが、今回の展覧会でようやくデビューさせてやることができました。

 それにしても、珊瑚海って綺麗なんでしょうねぇ。一度行って見たいものです。

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