内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガダルカナルの戦い75年
2017-08-07 Mon 08:13
 1942年8月7日、、米海兵隊第1海兵師団がソロモン諸島のガダルカナル島に上陸し、いわゆるガダルカナル島の戦いが始まってから、きょうで75周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ガダルカナルの戦い25周年

 これは、1967年に英領ソロモン諸島が発行した“ガダルカナル島の戦い25周年”の記念切手のうち、米海兵隊のレッド・ビーチ上陸場面を描いた切手です。

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日午前4時、米軍の第1海兵師団1万900名が、オーストラリア軍の支援の下、ガダルカナル島テナル川東岸付近の通称“レッド・ビーチ”に上陸を開始しました。同時にツラギ島方面にも4個大隊1500名が上陸。ガダルカナル島の日本軍は完全に寝込みを襲われた格好で、連合軍の奇襲攻撃は成功します。そして、同12日、米軍は飛行場を占領し、これをヘンダーソン飛行場と改称。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 一方、一連の戦闘を通じての連合国側の戦死傷者は 6842名でした。激戦地となったヘンダーソン飛行場は、現在、ホニアラ国際空港として、ソロモン諸島の空の玄関口となっていますが、その近くには、戦いの火ぶたを切った米第1海兵師団の戦死者を追悼する慰霊碑も建てられています。(下の画像)

      ホニアラ空港近く・米海兵隊慰霊碑

 さて、ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。今年4月の同島訪問の体験も踏まえ、いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語をまとめてみたいですね。


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 ガダルカナルからの葉書
2017-04-29 Sat 10:53
 きょう(29日)は“昭和の日”です。というわけで、最近入手した昭和史ネタのマテリアルの中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ガダルカナルの戦い(実逓葉書)

 これは、1992年にソロモン諸島で発行された“ガダルカナルの戦い50周年”の記念切手(単片10種の組み合わせシート)のうち、5種類の切手を貼った拙宅宛の葉書です。切手は今月初めにガダルカナル島に行ったときに、現地の郵便局で絵葉書と一緒に買って、自分宛に差し出したもので、拙宅には25日に到着しました。なお、ソロモン諸島から日本宛の現行の葉書料金は4ドルですので、80セント切手5枚で料金はピッタリとなっています。

 ソロモン諸島というと、実際に郵便に使用するためというより、収集家目当ての“いかがわしい切手”を濫発する国として、収集家の間では評判が芳しくありません。今回ご紹介の“ガダルカナルの戦い50周年”などは、たしかにソロモン諸島が戦場となったという点では自国に関係のある題材ではあるのですが、一般には“いかがわしい切手”とみなされることが多いように思います。ただし、今回、この切手を貼った郵便物が実際に拙宅まで到着したということは、ソロモン諸島では、モザンビークのように“(郵便には使えない)フィラテリー用の切手”と“実際に使える切手”を区別することはなく、とりあえず、同国名義で発行された切手はすべて郵便に使えるということが確認できました。

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日、米軍の第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領。同12日、米軍は飛行場をヘンダーソン飛行場と改称します。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 さて、今回ご紹介の葉書に貼られている切手ですが、上段左から、①1942年8月9日、ガダルカナルをめぐる第一次ソロモン海戦で沈没した米海軍の重巡洋艦クインシー、②同じく8月9日に大破炎上した豪海軍の重巡洋艦キャンベラ、③米海兵隊のガダルカナル島上陸場面、下段左から①ヘンダーソン飛行場を拠点に活躍した米海兵隊のF4Fワイルドキャット戦闘機、②日本軍の攻撃を受けながらの飛行場の建設、がそれぞれ取り上げられています。

 ちなみに、絵葉書の絵面には、ホニアラのオースティン山にあるソロモン平和慰霊公苑が取り上げられています。葉書絵面の画像の隣には、僕が実際に現地で撮った写真も貼っておきます。

      ガダルカナル絵葉書・裏面  ソロモン平和慰霊公苑

 ソロモン平和慰霊公苑は、1984年に日本の戦没者慰霊協会によってオースティン山頂に建設され、2011年の改修を経て、現在の姿になりました。ちなみに、公苑のあるオースティン山からギフ高地を通ってククムへの道は、日本軍が米軍に対して必死の抵抗を見せた激戦地でした。公苑内の、十字の通路が付けられた慰霊塔の中心には、国籍・民族を問わず、先の大戦で犠牲となった全ての人の霊が集まるという黒石が置かれており(下の画像)、集まった霊はそこから昇天し、あるいは故郷に帰っていくことを表現しているのだそうです。

      ソロモン平和慰霊公苑・黒石

 ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦中の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、複合的に“ガダルカナル”の過去と現在を考える物語をまとめられてみたいですね。
 

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 ガダルカナルに来ています。
2017-04-04 Tue 01:22
 きのう(3日)の記事にも少し書きましたが、現在、ソロモン諸島ガダルカナル島に来ています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・ヘンダーソン飛行場

 これは、1956年、英領時代のソロモン諸島で発行されたヘンダーソン飛行場(現在のホニアラ国際空港の前身)の切手です。ちなみに、現在のホニアラ国際空港はこんな感じでした。

      ホニアラ国際空港(建物)  ホニアラ国際空港(飛行機)

 第二次大戦中の1942年5月3日、日本軍は英領ソロモン諸島のツラギ島に進出。その後、この地域の制空権を確保するため、7月から隣接するガダルカナル島のルンガ地区に建設工事を開始して、8月5日には滑走路の第1期工事が完了しました。日本軍はこの飛行場をルンガ飛行場と命名します。

 これに対して、8月7日、米軍の第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領。同12日、米軍は飛行場をヘンダーソン飛行場と改称します。この名前は、2ヶ月前のミッドウェー海戦で戦死した海兵隊の航空指揮官、ロフトン・R・ヘンダーソン少佐にちなんだものでした。

 その後、約2週間で1100mの滑走路1本が完成し、ヘンダーソン飛行場は米軍の一大反攻基地となりますが、日本軍も飛行場奪回を目指して猛攻を加え、この飛行場をめぐって激戦が展開されます。最終的に、1943年2月、日本軍は“転進(=撤退)”を余儀なくされましたが、ガダルカナル島に上陸した約3万名の日本軍将兵のうち、撤退できたのは1万名余しかおらず、戦死者2万1000名のうち、1万5000名は病死または餓死だったといわれています。このことから、ガダルカナル島、略してガ島は“餓島”とさえいわれました。

 日本軍の撤退後、米軍はヘンダーソン飛行場を増強し、飛行場は“ヘンダーソン複合飛行場施設”として、ソロモン周辺の事実上のハブ空港として運用されていました。さらに、第二次大戦後、飛行場は“ヘンダーソン国際空港”と改称され、1997年には、日本の政府開発援助として約18億円が投じられて新ターミナルが建設されました。現在のホニアラ国際空港と改称されたのは、2000年のことです。(下の画像は日本の援助に対する感謝の碑)

      ホニアラ国際空港・記念碑

 ガダルカナルというと、どうしても、第二次大戦中の激戦地というイメージが強いのですが、1568年にスペイン人が上陸して以来の歴史をひも解いてみると、いろいろと興味深いエピソードがあります。今回の滞在経験も踏まえ、いずれそれらをまとめて、いままでとはちょっと違った視点から、ガダルカナルの過去と現在を考える物語(『アウシュヴィッツの手紙』の姉妹篇のようなかたちにできれば…と思っています)をまとめてみたいですね。


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 世界の国々:ソロモン諸島
2015-02-18 Wed 11:31
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年2月18日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はソロモン諸島を取り上げています。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ソロモン諸島・貝貨

 これは、1979年にソロモン諸島で発行された貝貨(アクセサリーとして加工された状態のモノ)の切手です。

 ソロモン諸島は、南太平洋のメラネシアのうち、ニューギニア島東方の100余の島々で、地域概念としては、ブーゲンビル島を含みますが、行政的にはブーゲンビル島はパプア・ニューギニアの支配下にあるため、国家としての“ソロモン諸島”の総面積は、同島を除く範囲となっています。国民の9割以上はメラネシア系ですが、彼らの間には部族間対立が存在しています。

 1978年7月7日、英連邦王国の一国として独立後、政治・経済の中心地であるガダルカナル島へは、隣のマライタ島からの移住者が急増。このため、もともとの島民と移住者との対立が激化し、流血の事態にまで発展したため、ソロモン諸島政府の要請を受けて、2003年7月、オーストラリアとニュージーランドの軍、警察約2200人が出動する騒ぎになりました。また、人口的には0.3%に過ぎない華人が経済的に大きな力を持っていることへの不満から、2006年4月には、ホニアラで中華街に対する大規模な襲撃事件も発生していました。

 こうしたこともあり、経済は停滞し、国家財政は破綻状態です。このため、独立前年の1977年に導入されたソロモン諸島ドルは、当初は豪ドルと等価でしたが、現在は暴落し、最近は1ソロモン諸島ドル=15円程度(豪ドルは1ドル=93.2円)となっています。

 一方、地方の村落では、政府の中央銀行が発行する近代通貨としてのソロモン諸島ドルとは別に、シャコ貝などをビーズ状に加工した“貝貨”が現在でも流通しています。貝貨の種類などは島によってさまざまですが、たとえば、マライタ島南部のファナレイ村ではタフリアイとファタファガと呼ばれる2種類の貝貨の単位があり、いずれも1.5-2mほどの長さの複数のビーズの紐を束にしたモノが一つの単位となっています。それらは伝統的な装身具であるだけでなく、結婚や儀式などの差異の贈答品としても利用されています。

 さて、『世界の切手コレクション』2月18日号の「世界の国々」では、第二次大戦中のガダルカナル島の戦いについての話題を中心に、、ソロモン諸島の初期の郵便史についてのコラムや珍鳥ヨダレカケズグロインコや特産品のコプラを描く切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の2月25日号では、「世界の国々」はナミビアを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。 

 * 昨日、カウンターが148万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。

 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ソロモン諸島でM8.0の大地震
2013-02-06 Wed 18:21
 きょう(日本時間6日)午前10時12分、太平洋の島国ソロモン諸島のサンタクルーズ諸島近くでマグニチュード8.0の大きな地震が発生。というわけで、きょうはソロモン諸島の切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        ソロモン諸島・ラージカヌー

 これは、1907年に発行された英領ソロモン諸島最初の切手です。

 1893年に英領となったソロモン諸島には、1896年に弁務官としてチャールズ・モリス・ウッドフォードがツラギに派遣されましたが、当初、この地域では近代郵便は実施されておらず、外部との通信は幸便に託され、オーストラリアに持ち込まれた後に、持ち込んだ人が差出人から預かったお金で切手を購入して投函するという形式が取られていました。
 
 このため、ウッドフォードはニューサウスウェールズ切手を持ち込んで欧米系の住民に販売。ニューサウスウェールズ切手を貼った郵便物はツラギに集められ、一括してシドニー郵便局長宛に送られ、シドニーで消印された後宛先地に届けるという方式が採用されます。

 ウッドフォードは、ソロモン諸島独自の切手発行を目指して、1903年、フィジー駐在のイギリス太平洋地域の高等弁務官ヘンリー・ジャクソンに対して、ニュー・ヘブリデスギルバート&エリスの先例に倣い、フィジー切手に“Solomon Islands”と加刷した切手をソロモン諸島でも使用したいと申し出ましたが、却下されてしまいました。ただし、1906年になると、ツラギでのニューサウスウェールズ切手の販売は停止され、代わりに、“BRITISH SOLOMON ISLANDS PAID”と表示された印が使用されるようになります。この印が押された郵便物は、シドニー以遠の料金相当の小切手とともに一括してシドニーに送られ、シドニーでニューサウスウェールズ切手を貼り、宛先地へ届けられるようになりました。

 翌1907年9月、英領ソロモン諸島がUPUに加盟を認められると、こうした方式は廃止され、ソロモン諸島独自の切手が発行されることになります。このため、ウッドフォードはシドニーのW.E.スミス社に切手の製造を委託。こうして作られたのが、今回ご紹介の切手です。なお、翌1908年には、同じデザインで印面を若干縮小したトマス・デ・ラ・ルー社製の切手が発行されましたので、シドニーで作られた切手は“ラージ・カヌー”、デ・ラ・ルー社の切手は“スモール・カヌー”と呼ばれています。

 さて、今回のソロモン諸島の地震に関しては、気象庁が北海道から沖縄にかけての太平洋沿岸に津波注意報が出し、警戒を呼び掛けています。当該地域の皆様は、十分にご注意ください。


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集中】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。現在(国内での受付期間は14日まで)、僕が日本コミッショナーとして、その出品作品を募集しております。詳細はこちらをご覧ください。


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 ガダルカナル今昔
2006-04-25 Tue 23:58
 ソロモン諸島では18日、先に行われた首相選の結果に不満を持つ住民ら数百人が国会周辺で行ったデモが過熱し、首都ホニアラでは商店街などでの放火や略奪などに発展。中華街の住民らが被害を受け、中華系の住民など249人が避難する事件があったそうです。

 ソロモン諸島というと太平洋の島々“その他大勢”という感じがしてしまいますが、首都のホニアラがあるのはガダルカナル島と聞くと、僕なんかは途端に、太平洋戦争の激戦地ということでイメージが浮かんできます。というわけで、今日はこの1枚です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

ガダルカナル島

 この切手は、英領時代のソロモン諸島が1976年にアメリカの独立200年を記念して発行した切手の1枚で、ソロモン諸島にとってアメリカとつながりが最も深い事件としてガダルカナル島の戦いが取り上げられています。

 切手は、島の地図を描いて戦闘の模様を表現したものですが、結構、細かい地名なんかも書いてあるので、今回のソロモン暴動のニュースを聞いたとき、ホニアラってどこにあるんだろうと思って引っ張り出してみました。

 ところが、地名の表記が現在とは違っていて、この地図だとホニアラがどこにあるのか良く分かりません。で、このままでは悔しいので、国際機関・太平洋諸島センターのサイトの中からソロモン諸島のページにアクセスして、現在のガダルカナル島の地図を見つけてきました。(↓)

ガダルカナル島地図

 この地図と対照してみると、どうやら、切手上ではMATANIKO(“マタニコ”って読むんでしょうか)とあるのが、現在のホニアラのようです。(違っていたら、ごめんなさい)

 ガダルカナル島というと以前の記事でも少し書いたことがありますが、僕なんかは、どうしても“激戦地”のイメージが強すぎて、現在の人々の生活を想像しにくいところがあります。それだけに、今回の暴動のニュースで初めてこの島にも中華街があることを知ったという体たらくですが、まぁ、これを機会に切手上の地名の現在名を照合することができたので、それはそれでよしとすることにしましょうか。

*イベントの御案内
 4月29日(土)14:30から、東京・浅草の都立産業貿易センターで開催のスタンプショウ6階会場にて、『一億総切手狂の時代:昭和元禄切手絵巻 1966-1971』の刊行を記念して、ミニ講演と即売サイン会をやります。スタンプショウは入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。

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