内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 バマコでホテル襲撃事件
2015-11-21 Sat 06:31
 きのう(20日)、 マリの首都バマコで、武装集団が中心部にあるラディソン・ブル・ホテルを襲撃し、170人(宿泊客140人+従業員30人)を人質にとって立てこもる事件が発生。その後、治安部隊が突入し、国連当局者によると少なくとも27人が亡くなり、武装グループの2人が殺害されました。この事件でアルカイダ系武装組織“アル=ムラービトゥーン”が犯行声明を出しています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、事件に巻き込まれた方々には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      バマコ遠景

 これは、1960年のバマコの遠景とワニをデザインした市章を描くマリの切手です。

 バマコはニジェール河岸の都市で、地名はマンディング語の“ワニの湿地”に由来するとされています。切手にも取り上げられたバマコの市章がワニのデザインとなっているのはこのためです。

 市域は5つの丘に囲まれており、丘の麓の洞窟からは先史時代の岩画も発見されています。また、マリ帝国の時代には交易の中心地との一つとして繁栄したこともありましたが、19世紀までにはすっかり衰退し、一時は人口も数百人規模にまで落ち込んでいました。そして、フランスによる西アフリカ植民地化の過程で、1880年、バマコはジョゼフ・シモン・ガリエニひきいるフランス軍によって占領されます。

 ところで、西アフリカを植民地化したフランスは、インフラ整備の一環として、ダカールから内陸に鉄道を敷設し、ギニア湾にそそぐニジェール川(の物流ルート)とダカールを連結しようと考えました。

 その結果、1905年、ニジェール川岸のクリコロとセネガル川岸のアンビデディ間の鉄道工事が完成。翌1906年、カイ=クリコロ間が開通。1924年には現在のダカール=クリコロ間が全線開通します。その主要駅は、ダカール、ティエス、タンバクンダ、カイ、キータ、カティ、バマコ、クリコロです。ちなみに、現在のマリとセネガルの国境はタンバクンダ=カイ間にあります。鉄道の終点のクリコロからは、ニジェール川を往来する船により、セグー、モプティ、トンブクトゥガオなど下流の諸都市と往来するというのが、フランス支配下での基本的な物流ルートでした。

 こうした鉄道建設の進展を受けて、1908年、仏領オート・セネガル・ニジェールの首府はカイからバマコへと移され、バマコは急速に拡大することになります。

 なお、バマコとマリの歴史については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 岩のドームの郵便学(22)
2014-10-21 Tue 23:33
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』550号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、1977-78年にエジプト以外の各国で発行された岩のドームの切手をご紹介する3回目。今回はこの切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

      マリ・岩のドーム(1977)

 これは、1977年10月、“パレスチナにおける自由の戦士と殉難者の遺家族の福祉のために”と題してマリが発行した切手です。
 
 1968年11月18日、クーデターで“建国の父”で大統領のモディボ・ケイタを逮捕してマリの政権を掌握したムーサ・トラオレは、翌19日、国民解放軍事委員会(CMLN)を設置して自ら議長に就任。CMLNは、全ての政治活動を禁じるとともに、密告を奨励して、軍事政権に批判的なインテリ層を容赦なく逮捕するなどの強権的な支配を行いました。

 クーデター当初こそ、西側諸国はトラオレ政権を非難していましたが、トラオレが東西冷戦下で左派色の強いケイタ政権を打倒して、反共の旗幟を鮮明にしていたという事実の前に、次第にトラオレ非難は影をひそめるようになります。じっさい、旧宗主国のフランスはトラオレ政権を承認し、独裁政権に対する国内世論の非難を抑えて、1972年4月28日、マリ国家元首としてのトラオレのパリ公式訪問を受け入れています。

 ところで、トラオレがフランスを公式訪問し、国際的な認知を得た1972年という年は、サハラ砂漠南縁部、モーリタニア、マリ、チャド、ニジェール、ブルキナファソに広がる半乾燥地域であるサヘル地域を大旱魃が襲い、マリの国民生活に大きなダメージを与えた年でもありました。

 このため、国連は問題解決のための専門機関として国連スーダン・サヘル事務所(UNSO)を設置したほか、1974年に国際農業開発基金を設立するなどの対策を講じ、世界各国の民間レベルでもさまざまな救済運動が展開され、全世界から多額の支援がマリに寄せられましたが、それらは援助を必要としている国民の許へは届けられず、上は政府高官から下は現場の官吏にいたるまで、さまざまなレベルで横領されています。

 このため、サヘルの若者たちの中にはアルジェリアやリビアの大都市に移住する者が急増。特に、カダフィ政権下のリビアで傭兵部隊に加わる者が少なからず現れるようになりました。

 こうした状況でしたから、国民の間には軍事政権に対する不満が鬱積。政治警察は政府批判を徹底的に抑え込んではいたものの、政権側も民政復帰に向けて一定の譲歩が必要となっていることは認めざるをえませんでした。

 このため、1974年6月2日、軍事政権は“民政復帰の準備段階”として、新憲法についての国民投票を実施します。

 軍事政権が提示した憲法案では一党制で大統領は任期5年と規定されていました。体制批判派による投票ボイコットの呼びかけが行われたものの、投票の結果は99%の有権者が賛成票を投じたと発表されます。さらに、軍事政権側は、国民投票の結果に関わらず、今後5年間は政権にとどまると発表しており、国民投票はガス抜きのためのセレモニーという側面が強いものでした。

 こうした状況の下で、1974年11月25日、オート・ヴォルタ(現ブルキナファソ)との間でアガシュール地区をめぐって国境紛争が発生します。

 アガシュール地区は天然ガスとマンガンを中心とした鉱産資源の豊かな土地ですが、当時は、マリとオート・ヴォルタともに、独裁政権に対する国民の不満が高まっていたこともあり、両国の政権は、いずれも、隣国との戦闘によって国内の不満をそらそうとしました。なお、軍事的な衝突そのもの小規模なもので終わりましたが、アフリカ統一機構が調停に乗り出し、1975年6月18日に国境画定のための専門委員会を発足させるという条件で休戦協定をまとめるまで、両国間の緊張が続きます。

 オート・ヴォルタとの紛争を通じて、トラオレ政権は“国難”に対処するための国民の団結を強調するとともに、国民の和解を演出すべく、休戦協定の調印とほぼ時を同じくして、トラオレはモディボ・ケイタ前政権時代の有力政治家の何人かに対して特赦を発令。さらに、同年9月22日、トラオレは憲法に規定に合致する唯一の政党として、“マリ人民民主同盟(UDPM)”の結成の方針を表明し、あわせて、女性や青少年に加入を義務付けたマリ女性全国連盟ならびにマリ少年全国連盟を創設するなど、1979年の民政復帰に向けての基盤を固めていきました。

 この間、1977年2月13-15日の日程で、トラオレ政権は旧宗主国フランスの大統領、ジスカール・デスタンを招くことに成功。この訪問は、トラオレの進める“民主化”に対して、フランスがお墨付きを与えたことの証左として大々的に宣伝されました。

 その一方で、前大統領のケイタ本人は、トラオレの権威を脅かしかねないことから釈放が許されないまま、1977年5月18日、強制収容所で不審死を遂げています。

 曲がりなりにも“建国の父”であったケイタの無残な死は、多くの国民の同情を集め、葬儀には多くの参列者が集まりましたが、“犯罪者”であるケイタの死を悼むことは体制批判にほかならないと考えたトラオレ政権は、葬儀の参列者を含め、反体制派とみなした人々の一斉検挙に踏み切りました。

 さすがに、この行動に対しては内外からの批判も強かったため、トラオレ政権は、あらためて国民和解のためのロジックを必要としましたが、その場合、国民の90%がムスリムであるというマリ国家においては、ムスリムとして共有しうる価値観を前面に押し出すというのは、確実に一定の効果が見込めるものでした。

 もっとも、マリの国民は90%がムスリムであるとはいっても、彼らは多種多様な民族・部族から構成されているため、明らかにイスラムの教義に違反しない限り、(イスラム以前から続いている)伝統的な風俗・習慣は尊重されていましたし、何世代にもわたってそれらとイスラムが習合した結果、国民の間でも“イスラム”の内容にはさまざまなバリエーションが生じています。また、マリ国家は政治制度としては西欧式の政教分離を掲げる世俗主義国家であり、それゆえ、いわゆる原理主義政権のように“(彼らが考える)正しいイスラム”を国民に強要するということもありません。むしろ、世俗国家の独裁政権にとって、イスラム原理主義は危険要因ですらあります。

 こうしたことを綜合的に考えると、ムスリムとしてのマリ国民に抵抗なく受け入れられるロジックとしては、聖地エルサレムがイスラエルによって不当に占拠されていることに対してムスリムとして怒りを共有し、パレスチナ解放のために殉じた同胞のムスリムをともに追悼するというものが、最も手堅い内容だったと考えてよいでしょう。

 1977年10月、突如としてマリ郵政が“岩のドーム”の切手を発行した背景には、こうした国内事情が反映されていたとみるのが自然と思われます。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★

 ・11月1日(土) 14:30- 全国切手展<JAPEX>
 東京・浜松町で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『朝鮮戦争』のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 アルジェリア航空機、マリで墜落
2014-07-25 Fri 11:46
 きのう(24日)、西アフリカのブルキナファソからアルジェリアに向かっていたアルジェリア航空5017便(MD83型機)が、悪天候のため予定していたルートを外れ、離陸から50分後に消息を絶ち、その後、マリ北部の砂漠に墜落しているのが発見されました。搭乗していた乗客110人と乗員6人のうち、生存者は発見されていないそうです。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エール・マリ(救急搬送)

 これは、1963年、マリが同国の国営航空会社エール・マリ(マリ航空)の活動を紹介するために発行した切手のうち、航空機による救急搬送の場面を取り上げた25CFAフラン切手です。今回の墜落でも、生存者がいれば、エール・マリを使ったこうした場面が見られたのかもしれませんが…残念です。

 さて、エール・マリは、マリ共和国の発足後まもない1960年10月27日、事実上の国営航空会社として発足しました。

 資本金は5000万CFAフランで、株式の45%は公開されていましたが、一般のマリ国民で実際に株を購入する者はほとんどありませんでした。

 運航は1961年から開始されましたが、当初は政府関係者を運ぶ公用飛行のみで、ついで、商業路線としては、仏領時代を踏襲し、ニジェール川上空を飛んでバマコ=ガオ間を結ぶ国内線がまず開通。順次、国内各都市へと路線が延伸され、1967年には、バマコ=モプティ=グンダム=トンブクトゥ=ガオ=ニアメイを結ぶ航空路線が定着しています。

 一方、国際線の運航は1961年7月に国際航空運送協会への加盟が認められたことで、同年8月から、首都バマコとパリ、カサブランカ、マルセイユを結ぶ路線が開通したほか、同年12月以降、バマコとアクラ(ガーナ)、モンロヴィア(リベリア)、アビジャン(コート・ディヴォワール)、ブラザヴィル(コンゴ)、ダカール(セネガル)、コナクリ(ギニア)、ドゥアラ(カメルーン)の各都市を結ぶ路線がスタートしました。

 エール・マリは、英国からも英国欧州航空のDC-3sを譲り受けていますが、事業を軌道に乗せるうえでは、1961年3月20日にソ連と結ばれた協定により、主としてソ連から支援を仰ぐようになります。こうしたこともあって、当時のモディボ・ケイタ政権はソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行使用としましたが、結局、失敗に終わりました。

 なお、マリとその周辺地域の歴史については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 おかげさまで130万PV
2013-12-29 Sun 11:32
 けさ、カウンターが130万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、額面“130”の切手のなかから、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・象の鼻はなぜ長い

 これは、1976年7月26日にアフリカのマリが発行した“子供の本”の130フラン切手で、キプリングの童話『象の鼻はなぜ長い』の1場面が取り上げられています。

 『象の鼻はなぜ長い』は、昔、象の鼻は短かったが、好奇心の旺盛な小象がワニに質問したところ、鼻をかまれて川に引きずり込まれそうになり、抵抗してワニを追い払ったものの、鼻がすっかり伸びてしまい、その子孫が鼻の長い象になったというストーリーで、切手には、小象とワニの格闘場面が取り上げられています。木の上からそれを見物しているヘビの姿があるのも、巳年の年末に相応しい1枚といえるかもしれません。

 さて、キプリングは1865年に英領インド帝国時代のボンベイで生まれ、1936年にロンドンで亡くなった英国人の作家で、英領インド帝国を舞台にした作品で知られていますが、現在のマリ共和国の前身にあたる仏領スーダンとはほとんど無関係です。ただし、切手に取り上げられた『象の鼻はなぜ長い』に登場するワニとゾウはマリとも深い関係があります。

 このうち、ワニについては、首都バマコの地名の由来が“ワニの川”または“ワニの背”を意味する現地語(バンバラ語)であり、バマコ市の紋章にはワニが描かれています。

 一方、ゾウについては、現在でもマリ国内にも野生のゾウが棲息しているほか、ディズニーのダンボのモデルとしもいわれるジャンボが仏領スーダンの生まれという事情があります。

 ジャンボはオスのアフリカ象で、1861、仏領スーダン生まれ。フランス・パリの動物園を経て、1865年、ロンドン動物園に移され、そこで“ジャンボ”の名(名前の由来については、スワヒリ語の挨拶に求めるのが一般的ですが、異説もあります)を与えられ、人を乗せるアトラクションを行い、有名になりました。

 その後、1882年にバーナム・アンド・ベイリー・サーカスに売却され、同サーカス団の宣伝により、ジャンボという名前に“巨大”というイメージが定着することになりました。1885年、鉄道事故で死亡すると、その骨格はニューヨークの米国自然史博物館に、剥製にされた皮はサーカスの巡業に伴って各地をめぐった後、タフツ大学に寄贈されました。ただし、この剥製は1975年の火災で焼失し、現存していません。今回ご紹介の切手が発行されたのは、その翌年の1976年のことでしたから、数ある“子供の本”の中から、この題材を選ぶ際には、そのことも意識されていたのかもしれません。

 なお、仏領スーダンとマリ共和国については、拙著『マリ近現代史』で、歴史のみならず、さまざまな角度からご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 
 

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 2014年1月2日より、東京・両国の江戸東京博物館で大浮世絵展がスタートしますが、会期中の1月24日13:30より、博物館内にて「切手と浮世絵」と題するトーク・イベントをやります。

 参加費用は展覧会の入場料込で2100円で、お申し込みは、よみうりカルチャー荻窪(電話03-3392-8891)までお願いいたします。展覧会では、切手になった浮世絵の実物も多数展示されていますので、ぜひ遊びに来てください。

 なお、下の画像は、展覧会と僕のトーク・イベントについての2013年12月24日付『讀賣新聞』の記事です。

大浮世絵展・紹介記事


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 Merry Christmas!
2013-12-25 Wed 03:37
 きょう(25日)はクリスマスです。というわけで、ストレートにキリスト降誕の場面を取り上げたこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・クリスマス(1970)

 これは、マリで発行された1970年用のクリスマス切手のうち、キリスト降誕の場面を描いた1530年頃の宗教画の切手です。

 18世紀後半、ヨーロッパではアフリカに関する学術的な関心が高まると、英国のアフリカ探検協会は、1788年から1798年にかけて、3次に渡るニジェール川の探検隊を派遣。最初の2回の探検隊はニジェール川流域に到達できませんでしたが、1796年になって、ようやく、マンゴ・パークがニジェール川に到達します。

 以後、ヨーロッパ人による西アフリカの探検が進められることになりますが、これに伴い、この地域へのキリスト教の布教も検討されるようになります。

 もともと、カトリック教会はアルジェリアやテュニジアでの信徒の拡大を目指していましたが、北アフリカの地域はムスリムの社会的な影響力が強く、住民を改宗させるのは容易なことではありませんでした。

 このため、1867年にアルジェリアの大司教となったシャルル・ラヴィジュリーは、1868年にサハラ・スーダン知牧区を設定したうえで、1876年1月15日、3人の宣教師にキャラバン隊を組織させ、遊牧民のトゥアレグ人を案内役として、サハラ砂漠を越えてトンブクトゥを目指す布教の旅に送り出します。ところが、宣教師たちは途中でトゥアレグ人の裏切りに遭って殺害されてしまいました。

 その後、1881年12月18日には、あらためて、サハラ越えの宣教師のキャラバンがテュニジアを出発しましたが、またしても途中でトゥアレグ人のガイドに殺害されてしまい、カトリック教会はサハラ越えのルートでトンブクトゥに入り、布教を行うというプランは断念せざるをえなくなりました。

 そこで、1885年、オーギュスタン・アカール神父はサハラ越えではなく、フランスの拠点であったセネガルから西アフリカ内陸に向けて出発し、4月1日、ニジェール内陸デルタの端に位置するセグーに到着。5月2日にはデルタ北端のトンブクトゥに到達し、1899年までに、セグーにおけるカトリック教会の基盤を築くことに成功しました。これとは別に、1843年にセネガルに支部を設けた聖霊修道会も、1888年にはキータに、1892年にはカイに布教のための拠点を設定。こうして、19世紀末、現在のマリの地域がフランスの植民地になるのと軌を一にして、現地での布教活動が進められるようになりました。

 もっとも、フランスの植民地時代を通じて、現在のマリに相当する地域でのクリスチャンの人口は大幅に増えたということはなく、現在でも、人口の90%がムスリムであるのに対して、クリスチャンは5%程度にとどまっています。ただし、フランス植民地時代の名残に加え、クリスチャンの多くは植民地時代以来のエリート層であるため、人口に比べて社会的な影響力は大きく、クリスマスは国の祝日に指定されています。

 クリスマスのイベントとしては、イヴの24日から教会でオールナイトのミサが行われ、主要各言語での賛美歌が歌われるなど、本来の宗教行事としての色彩が色濃く残っており、プレゼントの交換などはごく一部の富裕層の間でしか行われていないそうです。

 なお、キリスト教を含め、マリにおける諸宗教については、拙著『マリ近現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マリ新大統領はケイタ元首相
2013-08-14 Wed 17:03
 マリの大統領選挙は、第1回投票で首位だったイブラヒーム・ケイタ元首相の初当選が確実となりました。これにより、近々、現在のディオンクンダ・トラオレ暫定大統領は退陣し、ケイタ新政権が発足することになりました。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ国民議会議事堂

 これは、1980年にマリで発行された独立20周年の記念切手のうち、マリ国民議会の議事堂を取り上げた1枚です。左上の肖像は、切手発行時の大統領、ムーサ・トラオレです。

 マリの憲法によれば、マリの国会は国民議会のみの一院制で、国家唯一の立法機関とされています。定数は147議席で、議員はマリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年です。

 ちなみに、ディオンクンダ・トラオレは、2012年3月にクーデターが発生した際の国民議会議長で、大統領が不在もしくは執務不能の場合は国民議会議長がその職務を代行するという憲法の規定により、暫定大統領に就任していました。

 さて、今回当選したケイタは、1945年1月29日、南部のクティアラ生まれ。ダカール大学、パリ第1大学、近代国際関係研究所等に留学し、歴史学、政治学、国際関係論などを学んだ後、パリ第1大学で第3世界政治の授業を担当していたという経歴を持つ人物で、1992年、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権を打倒する民主化運動に加わり、民主化後は政権与党マリ民主同盟(ADEMA:Alliance pour la Démocratie en Mali)の幹部として、アルファ・ウマル・コナレ政権下の1994年2月から2000年2月まで、首相を務め、ポスト・コナレの最有力候補と目されていました。

 しかし、党内対立から、2000年2月に首相を持して離党し、新政党“マリのための結集(RPM)”を組織。2002年および2003年の大統領選挙に立候補したものの、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレに敗れています。ちなみに、2002年の大統領選挙でのケイタの得票数は3位(2位で決選投票に臨んだのは、今回、ケイタに敗れたシセです)で、前回2007年の大統領選挙では2位でした。

 トゥーレ政権発足後の2002年9月から2007年9月まで、ケイタは国民議会議長を務めています。したがって、彼の経歴としては、元首相の他に元国民議会議長と紹介するメディアがあってもよさそうなものなのですが、どういうわけか、そうした紹介の仕方はほとんどされていませんな。なお、ケイタの後任として2007年から国民議会の議長を務めていたのが現在の暫定大統領、ディオンクンダ・トラオレで、ケイタが大統領職を彼から引き継ぐことになったのも、何かの因縁かもしれません

 今後のマリ情勢については、依然として先の読めない状況が続いていますが、ともかくも、今年4月までのかの国の事情については、拙著『マリ近現代史』で詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 マリ大統領選挙
2013-07-28 Sun 16:42
 2012年の北部争乱以来の混乱が続いているマリで、きょう(28日)、国家再建への節目となる大統領選挙が行われます。というわけで、マリ大統領の切手ということで、この1枚を持ってきました。

       モディボ・ケイタ

 これは、マリが独立直後の1961年に発行した初代大統領、モディボ・ケイタの切手です。

 ケイタは、1915年、バマコ近郊の村(バマコ・クラー)の生まれ。リュフィスク(ダカールの東25キロの都市)にあったウィリアム・ポンティ高等師範学校に学び、同校を卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥなどに派遣されました。

 1946年にアフリカ民主連合(RDA)が結成されると、その支部としてスーダン連合を創設し、その党首として民族運動を展開。汎アフリカ主義者で、ウィリアム・ポンティ高等師範学校出身のエリートには珍しく急進的な民族主義者という面もあったことから、各植民地がそれぞれ分離独立し、個別にフランス政府と直接交渉して支援を仰ぐべきと主張するウーフェ・ボアニ(彼もまた、ウィリアム・ポンティ高等師範学校の出身です)と対立。ボアニと並ぶ大物民族主義者であったサンゴールに接近し、1960年、仏領スーダンとセネガルからなるマリ連邦の独立を達成し、初代大統領に就任しました。

 ところで、旧スーダンとセネガルを比較すると、人口と面積においては旧スーダンがセネガルを圧倒していましたが、経済的には、ダカールやサン・ルイ、ゴレなどを有するセネガルが旧スーダンに比べてはるかに豊かでした。

 このため、旧スーダン出身のケイタは、中央集権的な国家体制をつくってセネガルと一体化することで、セネガルの資金を利用して旧スーダンの開発を進め、連邦全体の底上げを図ろうと考えたわけですが、そのことは、セネガルにとっては、フランス植民地時代よりも、さらに過重な負担を強いられるものと受け止められました。

 さらに、大統領のケイタは、マリ連邦として、独立以前から使われていたCFAフランを廃して、将来のアフリカ統一に向けて新通貨を創設することを主張。これに対して、セネガル側は、国家としての対外的信用の乏しいまま新通貨を導入してもCFAフランよりも有利なレートを設定できるはずはなく、共通通貨であるCFAフランから離脱すれば西アフリカの共通市場から締め出されることになりかねないと猛反発。両者の亀裂は修復不能な状態となります。

 その結果、1960年8月20日、首都ダカールに閣僚が集まり、連邦の新制度や正式な大統領の選出方法などについて討議していたところ、突如、「ケイタ大統領はあくなき野望を持ち、セネガル人圧迫のクーデターを企てた」として、セネガルのマリ連邦からの独立を宣言。大統領のケイタ以下、旧スーダン側の閣僚や公務員たちは軟禁され、翌21日、ダカール駅から臨時列車に乗せられて、スーダンへ追い返されてしまいました。

 当然のことながら、ケイタら旧スーダン側は激怒し、ケイタはセネガルの独立阻止のために国連軍の派遣を要請しましたが、国連側は、セネガル独立はマリ連邦の“内政問題”として部隊の派遣を拒否。このため、ケイタもセネガルの独立を承認せざるをえなくなり、1960年9月22日、旧スーダンの領域のみで、あらためて現在の“マリ共和国”として独立。ケイタは改めて新生マリ共和国の初代大統領となりました。

 大統領としてのケイタは、アフリカ社会主義を標榜してソ連への傾斜を強め、ソ連の指導を仰ぎつつ、銀行国有化や共同農場の創設などの社会主義的政策を遂行するとともに、1961年中には、農業・手工業の開発・近代化ならびに教育・保健の近代化を柱とする経済・社会開発5ヵ年計画を発動しました。しかし、反仏・民族主義路線を強めていたケイタ政権は、1962年、CFAフランから離脱し、独自のマリ・フランを導入したことで国際経済から孤立。5ヵ年計画は惨憺たる失敗に終わります。

 このため、自らの政治的権威が大きく傷ついたケイタは、文化大革命を発動した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局は解体され、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制すると宣言します。

 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求したが、ケイタがこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしたため、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生し、ケイタ政権は崩壊しました。

 クーデターの結果、ケイタは捕らえられて北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死しています。

 なお、マリとその歴代大統領については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 中国がマリPKOに治安隊派遣
2013-06-28 Fri 17:27
 中国政府は、きのう(27日)、国連のマリ平和維持活動(PKO)部隊に治安隊を派遣することを決定しました。というわけで、マリと中国の歴史的な関係を示すものとして、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       中華人民共和国建国25年(マリ)

 これは、1974年にマリで発行された“中華人民共和国建国25周年”の記念切手で、毛沢東の下、万里の長城にたなびく赤旗が描かれています。

 マリと中国との間で外交関係が樹立されたのは1960年10月25日のことです。ちなみに、わが国がマリを国家承認したのも1960年10月のことで、東アジア諸国の中で中国が特別に早くマリと国交を結んだというわけではありません。

 しかし、早くも1961年2月には、中国はマリとの間に貿易協定を調印。1963年5月には文化協力協定を調印するなどして関係を深め、1964年1月16日から21日の国務院総理(首相)の周恩来のマリ訪問(アジア・アフリカ諸国歴訪の一環として行われた)を機に、マリを親中派として確保することに成功します。

 当時、国連の代表権を有していなかった中国は、“国連の一票”としての新興独立諸国を親中派として育成することを重要な外交課題としていました。国連の代表権を台湾の国民党政権から奪取するためには、そうした親中派諸国の票固めが不可欠でしたし、中ソ対立が激化していく中で、“国際世論”の圧力により、西側諸国に借りを作ることなく、ソ連を牽制することも可能になると考えられたためです。

 こうしたことから、中国は、1954年にインドとの共同声明の形で発表した「平和5原則」の応用編として、アフリカ諸国との外交の基本方針となる“5原則”を掲げました。その内容は、①帝国主義に反対し、民族独立をかちとり、これをまもる闘争を支持する、②平和中立・非同盟政策を支持する、③自ら選んだ方式で団結と統一を実現する戦いを支持する、④平和的教義による紛争の解決を支持する、⑤主権尊重、いかなる侵略・鑑賞にも反対する、というものでした。

 そのうえで、1964年1月、マリを訪問した周恩来は、大統領モディボ・ケイタとの共同コミュニケにおいて、上記の5原則からさらに踏み込んだ「対外経済援助8原則」を発表します。

 その内容は、①平等互恵に基づく相互主義、②援助にはいかなる条件も付けず、援助国である中国にはいかなる特権を与える必要はない、③援助に際しては、無利子または低利借款など、受領国の負担を軽減する措置を講じる、④自立更生・自立化を支える援助を行う、⑤資金蓄積に役立つ建設項目を重視する、⑥価格の決定は国際市場価格による、⑦援助受領国の要員に技術を完全に把握させる、⑧援助のために派遣される中国人専門家の待遇は現地スタッフと同じものとする、という破格のもので、援助を受けるマリにとっては良いことづくめでした。

 当然のことながら、ケイタは中国の“善意”を喜んで受け入れ、以後、この8原則が中国による低開発国援助のスタンダードとなります。1964年11月にはケイタが訪中し、中国からは1965年3月には国家副主席の劉少奇が、同年9月には国務院副総理兼外交部長(副首相兼外相)の陳毅がマリを訪問するなど、両国首脳の緊密な交流も行われ、マリは国連の代表権問題でも一貫して中国を支持するなど、西アフリカにおける親中派の代表格となります。

 しかし、中国からの巨額の経済援助を受けたても、それ以前のケイタ政権による5ヵ年計画失敗のつけはあまりに大きく、国民の生活水準はほとんど向上しませんでした。

 そうした中で、1966年10月、マリ政府の国防関係の代表団が、“プロレタリアート文化大革命(文革)”が始まったばかりの中国を訪問。当時、文革の権力闘争としての側面はほとんど明らかになっていなかったこともあって、紅衛兵の若者たちが『毛沢東語録』を振りかざして、毛沢東に熱狂し、既存の秩序を破壊して歩くさまは、外部世界からは、斬新な革命運動として好意的にとらえられることも少なくありませんでした。そのインパクトに衝撃を受けたフランスの映画監督、ジャン・リュック・ゴダールが『中国女』を制作し、1967年8月30日に公開したのはその典型的な事例といえましょう。

 5カ年計画の失敗で自らの政治的権威が大きく傷ついていたケイタは、同じような境遇を脱却した毛沢東に倣って事態を打開することを企て、1967年8月22日、人民兵が主導する“文化革命”を発動。政権与党だったスーダン同盟の全国政治局を解体し、大統領直轄の“革命防禦全国委員会”が政府・政党を統制するものとしました。

 しかし、ケイタの文化革命は、毛沢東の文革の亜流にさえなれず、マリの国軍は自分たちを無視して新たな“人民軍”が組織されたことに猛反発。国軍はケイタに対して“人民軍”の解散ないしは“人民軍”を国軍の指揮下に編入することを要求しましたが、ケイタはこれを拒否し、国軍の粛清に乗り出そうとしました。

 事ここにいたり、ついに国軍が離反し、1968年11月19日、ムーサ・トラオレ陸軍大尉率いる無血クーデターが発生。ケイタ政権は崩壊し、ケイタは捕らえられ、北部砂漠地帯のキダル刑務所に収監され、1977年5月16日に獄死することになります。

 なお、中国とマリ、双方の“文革”を通じて、中国では劉少奇や陳毅が、マリではケイタという実力者がそれぞれ失脚しましたが、両国の“友好関係”はその後も維持されています。

 このあたりの、マリと中国との歴史的な関係については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
  
 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 富士山、世界遺産に登録
2013-06-23 Sun 14:27
 カンボジアの首都プノンペンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第37回世界遺産委員会は、きのう(22日)、日本政府が推薦した“富士山”を世界文化遺産に登録することを決定しました。というわけで、きょうは富士山を描いた切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       マリ・ジャンボリー(1971)

 これは、1971年の8月2日から10日まで、富士山麓の朝霧高原で開催されや第13回世界ジャンボリーに際してマリが発行した記念切手で、世界各国のスカウトの背景に富士山が描かれています。

 ボーイスカウトの活動の中でも最大のキャンプ大会であるジャンボリーは、各地のボーイスカウトが一堂に集い、キャンプ生活をとおして日頃のスカウト活動を実践し、相互の友情を深め、自発的活動を促すために行われるものです。

 その世界規模の国際大会としての世界ジャンボリーは、1920年8月に英国のオリンピアで第1回大会が開催されて以来、途中、第2次大戦による中断はあったものの、4年に1度、各国持ち回りで開催されています。1971年の大会は、1967年に米国シアトルで開催された大会で、日本での開催が決定されました。

 大会には“、For Understanding”(相互理解)”のスローガンの下、富士山麓の朝霧高原に87ヵ国から2万3758名(うち日本人は7783名)のボーイスカウトが集まりましたが、これは、参加人員では、東京オリンピックの9200名の2倍以上、参加国数でも大阪万博の74ヵ国をはるかにしのぐもので、当時としては空前の巨大イベントだったと言えます。

 ちなみに、今回ご紹介の切手の発行国であるマリでは、仏領スーダン時代の1947年にスカウト活動が始まりましたが、独立後まもない1960年代には中断してしまい、再開されたのは1994年のことでした。したがって、今回ご紹介の切手のジャンボリーには、マリの代表は参加していません。

 1994年までマリにおいてスカウト活動が中断していたのは、主として、ムーサ・トラオレによる軍事独裁体制下で国民の社会活動が大きく制限されていたことによるものですが、そのあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 6月25日 24:00-24:45(正確には、26日00:00-00:45)
 
 TBSラジオ/AM 954kHz  荻上チキ・Session-22

 上記番組に生放送出演して、切手から見る国際関係や歴史といった類の話をすることになりました。番組そのものは25日22:00スタートですが、僕自身は日付変更線をまたいでからの登場予定です。

 聴取可能な地域の方は、ぜひ、お聞きください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ヘリオグラフの切手
2013-06-21 Fri 11:01
 きょうは夏至です。というわけで、太陽に関係した切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ITU100年

 これは、1965年にマリで発行された“国際電気通信連合100年”の記念切手のうち、ヘリオグラフが取り上げられています。国際電気通信連合は日本では英語の略号“ITU”で知られていますが、この切手ではフランス語の略号“UIT”になっています。

 切手に取り上げられたヘリオグラフは、光の明滅を利用した軍用通信機のうち、太陽光の反射を用いるもので、平面鏡を送光機とし、明滅の“滅”の状態にしたいときは隔光板を用います。ただし、太陽光の性質上、当然のことながら夜間や雨天・曇天などでは通信できません。まぁ、雨の少ないマリ北部なら、ほぼ問題なく毎日使えるということにはなるのでしょうが、これが“電気通信”の分野に入れてしまっていいのかどうか、素人目にはちょっと疑問がありますな。

 ちなみに、マリの北部のサヘル地域は、降水量が少なく、しばしば旱魃に見舞われてきました。しかしながら、どういうわけか、1960年代前半から半ばにかけて、例外的に降水量の多い年が続いていたため、マリ独立当初のモディボ・ケイタ政権は、この地域への農民の移住を奨励していました。

 ところが、サヘル地域とその周辺は灌漑設備が整備されていなかったため、移住した農民たちは主として放牧を行う一方で、耕作や植樹などはほとんど行わなかったため、牧草や薪炭材は急激に減少。そこへ、1968年以降、降水量が激減した(=以前の水準に戻った)ことで、サヘル地帯では深刻な旱魃被害が発生し、多くの餓死者を出しました。

 その後も、サヘル地域では関係諸国の政治の無策もあって断続的に大旱魃が繰り返されており、現在なお、極めて厳しい自然条件の下、アフリカで最も貧しい地域となっています。そして、そのことが、武器や麻薬の密売を蔓延させ、テロリストの温床になっているといわれています。

 このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
         『マリ近現代史』

 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
 切手・絵葉書等で色鮮やかに再現したオールカラーの本格的通史!
 
 amazone-honhontoネットストアHonya ClubJBOOK7ネット・ショッピング紀伊國屋書店版元ドットコムブックサービス文教堂丸善&ジュンク堂書店楽天ブックスなどで好評発売中!


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | マリ共和国 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/