内藤陽介 Yosuke NAITO
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 仏軍、中央アフリカに増派
2013-12-07 Sat 00:47
 内紛が続いている中央アフリカ共和国(以下、中央アフリカ)の首都バンギで、おととい(5日)、120人以上が死亡する大規模な戦闘が発生。これを受けて、国連安保理事会は同国への軍事介入を認める決議を採択し、旧宗主国フランスのオランド大統領が仏軍兵士600人の追加派遣を命じました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       中央アフリカ・軍事切手

 これは、1963年に中央アフリカで発行された軍事切手で、前年発行のバルテレミー・ボガンダの肖像切手に“Franchise Militaire(軍事切手の意味)”の頭文字“FM”が加刷されています。

 中央アフリカの軍事切手については、その詳細はよくわからないのですが、旧宗主国のフランスでは、部隊に勤務している兵・下士官に対して1人1ヵ月2通分の軍事切手が無償配布され、その“切手”を貼れば郵便物料金は免除で取り扱われるということになっていましたから、おそらく、それがそのまま踏襲されていたのではないかと思います。

 切手に取り上げられているボガンダは、1910年生まれ。カトリックのミッションスクールを卒業後、聖職者となりましたが、1946年にフランスの国民議会に選出され、政治家としてデビューしました。

 1958年、フランス第5共和制が発足し、フランス連合が共和国(本国・海外県・海外領土)と共同体構成国からなるフランス共同体に改編されると、仏領赤道アフリカ内のウバンギシャリ植民地は共同体内の自治共和国となり、ボガンダはその首相に就任。その後、フランス本国とは協調路線をとりつつ、ベルギー領コンゴやルワンダ・ブルンジ、ポルトガル領アンゴラをも視野に入れたラテン・アフリカ連邦構想を提唱していましたが、1959年3月29日、飛行機事故で亡くなりました。ちなみに、中央アフリカが正式に独立を達成したのは、ボガンダが亡くなった後の1960年8月13日のことで、彼のデザインした国旗は現在なお、中央アフリカの国旗として使われています。

 さて、中央アフリカでは、今年3月、ムスリム(中央アフリカ国内では少数派)が主体の反政府勢力“セレカ”が首都バンギを制圧し、ボジゼ大統領が国外に脱出。その後、セレカは解散したものの、元戦闘員による住民の殺害や略奪が横行し、キリスト教徒が中心の武装自警団との抗争で治安が極度に悪化し、無政府状態が続いていました。

 フランスは、現在でもアフリカの旧植民地諸国とは浅からぬ関係があり、その一部でも無政府状態化して過激派が流入すれば、関連地域全体に脅威が及ぶことを大いに懸念しています。その先例となったのが、2012年以降のマリ情勢だったわけですが、こちらについては、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 *さきほど、カウンターが129万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
 

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 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 マリPKO、きょうから始動
2013-07-01 Mon 14:30
 マリ共和国に展開する国際連合平和維持活動(PKO)として、きょう(1日)から、国際連合マリ多元統合安定化ミッション(MINUSMAU)が活動を開始します。というわけで、きょうは、今回はPKOの対象となっているマリが、かつて部隊を送っていたPKO活動に関するモノとして、こんなカバーを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       MINURCAカバー

 これは、1999年8月、国際連合中央アフリカ共和国ミッション(MINURCA)によ中央アフリカのバンギに置かれていた野戦郵便局から差し出された郵便物です。

 仏領時代、赤道アフリカと呼ばれていた中央アフリカは、1965-79年のボカサ独裁政権が崩壊した後、軍出身者によるクーデターが頻発し、政情の不安定な状況が続いていました。それでも、1993年10月22日、初の民主選挙が行われ、長年、野党指導者だったアンジュ=フェリクス・パタセが大統領に当選しましたが、新政権では、パタセの出身地である北部の出身者が重用され、それまで政権を独占していた南部の出身者は権力から排除されたことから、南北間の対立が先鋭化。さらに、公務員の給与遅配・未払いが頻発したことから、1996年4月18日、大統領警護隊による給与支払い要求の反乱が発生します。

 この時のクーデターに対しては、パタセ政権は給与の支払いを約束して鎮定したものの、翌5月18日に給与を支払うことができなかったため、反乱が再発。さらに、12月1日にも3度目の反乱が発生しました。

 このため、パタセ政権は、旧宗主国であるフランスの支援を得るとともに、1991年のマリ民主革命の英雄であったアマドゥ・トゥマニ・トゥーレが調停役となり、事態の鎮静化に尽力。治安の回復と民兵などの武装解除のため、マリのみならず、セネガル、ガボン、ブルキナ・ファソの旧仏領4ヵ国で構成される多国籍軍(MISAB:Mission Interafricaine de Surveillance des Accords de Bangui)が組織され、1997年2月、中央アフリカの首都バンギに派遣されました。なお、フランスはこのときMISABの兵站支援を担当し、国連安保理も同年8月6日に安保理決議1125でこれを事後承認しています。

 その後、1998年3月27日の国連安保理決議1159により、MISABはMINURCAへと発展的に改組され、武装解除や和平合意の遂行状況の確認のみならず、警察の教育・再編なども担当。1998年11月から12月にかけての議会選挙および1999年9月の大統領選挙を支援しました。その大統領選挙ではパタセが再選を果たし、事態は沈静化していくとみられたため、2000年2月15日、MINURCAは国際連合中央アフリカ共和国平和構築事務所(BONUCA)へと縮小・移行されます。

 ところが、パタセ政権は中央アフリカの経済苦境を改善することができなかったため、2001年5月28日、またもやパタセに対するクーデター計画が発覚。パタセは、リビア軍やコンゴ民主共和国の反政府勢力であるコンゴ解放運動(MLC)の支援を得て事件を未然に防いだものの、その過程で、軍参謀総長としてそれまで政権を支えてきたフランソワ・ボジゼ・ヤングヴォンダが事件に加担していたと考えるようになり、同年10月、ボジゼを解任。11月3日、政府がボジゼを逮捕しようとすると、ボジゼは配下の兵力でこれに抵抗。このため、政府軍は11月8日にボジゼの拠点を襲撃し、ボジゼは北隣のチャドへと亡命しました。

 この間、2001年6月、国連のコフィ・アナン事務総長は、中央アフリカの事情に通じた人物として、トゥーレを特使として派遣。トゥーレは、パタセ派とボジゼ派の対立の調停に尽力しています。そして、その実績をもとに、トゥーレは翌2002年の大統領選挙に出馬し、見事当選を果たすことになります。

 さて、今日から始動するMINUSMAは、軍事要員1万2200人と警察要員1440人から厚生委され、フランス軍チャド軍に加え、アフリカ主導マリ国際支援ミッション(マリ政府支援のため、西アフリカ諸国経済共同体加盟国によって編成された軍事ミッション)の部隊の大半がこれに移行し、中国人民解放軍がそこに加わるという構成になっています。

 なお、今回のMINUSMA設置の原因となった2012年以来のマリ北部紛争については、拙著『マリ近現代史』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 中央アフリカで政変
2013-03-24 Sun 23:22
 中央アフリカ共和国の反政府武装勢力、セレカが、きょう(24日)、政府軍と戦闘の末、首都バンギ全域を制圧。ボジゼ大統領が隣国コンゴ民主共和国(旧ザイール)に脱出しました。ただし、首都の空港は旧宗主国のフランス軍部隊が展開して確保したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        バンギ空港

 これは、1967年に中央アフリカで発行された航空切手で、首都バンギのバンギ・M・ポコ国際空港が取り上げられています。日本の報道では固有名詞が出てこないのですが、今回、旧宗主国のフランスが確保した空港というのは、今回ご紹介の切手の空港ではないかと思います。

 中央アフリカの首都、バンギはコンゴ川の支流であるウバンギ川河畔に位置していますが、ウバンギ川はバンギよりも上流は急流で大型商船の通行ができないため、バンギは重要な港町になっています。なお、ウバンギ川は中央アフリカとコンゴ民主共和国(DRC)との境界となっており、川を挟んでバンギとの対岸には、コンゴ民主共和国のゾンゴが位置しています。

 ちなみに、中央アフリカは、1960年の独立以来、政変が頻発していますが、1996年の騒乱に際しては、後にマリの大統領となるアマドゥ・トゥマニ・トゥーレが当時のパタセ政権と反政府勢力との調停役となり、事態の鎮静化に尽力。治安の回復と民兵などの武装解除のため、マリのみならず、セネガル、ガボン、ブルキナ・ファソの旧仏領4ヵ国で構成される多国籍軍が組織されています。また、2001年6月の騒乱に際しては、トゥーレは、国連事務総長のコフィ・アナン事務総長の特使として再度、中央アフリカに派遣されるなど、マリとも浅からぬ関係があります。

 なお、現在、4月下旬の刊行を目指して制作作業をしている拙著『マリ近現代史』では、トゥーレによる中央アフリカ問題の調停と、それにより、彼が大統領に当選するまでのプロセスについてもまとめております。制作作業もいよいよ大詰めの段階ですが、今後、このブログでも随時内容の一部をご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


 ★★★ 『FLASH』グラビア特集“「趣味の切手」進化論!”の御案内 ★★★

        FLASH 切手特集号表紙     FLASH 切手特集扉

 現在発売中の雑誌『FLASH』4月2日号の「新シリーズ『いま』を究める!FLASHグラビア新書Vol.12」では“「趣味の切手」進化論!”と題して、7ページの切手特集が組まれています。記事では、昭和30-40年代に発行された記念切手の現状や中国の切手バブルの話、そして、各国事情が反映された“世界のオモシロ切手”の話など、盛りだくさんの内容となっており、僕も搭乗してコメントしております。雑誌は全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 中央アフリカ独立50年
2010-08-13 Fri 17:52
 1960年8月13日に中央アフリカ共和国が独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ウバンギシャリ加刷

 これは、1922年に発行されたウバンギシャリ加刷の切手です。

 現在の中央アフリカ共和国に相当する地域は、かつては、ウバンギシャリとして、チャドガボン、中央コンゴとともに、仏領赤道アフリカを構成していました。当初、ウバンギシャリとチャドはウバンギシャリ=チャドとして、一括してフランスの軍政下におかれていましたが、1915年に民政に移行し、1920年、チャドが分割されて、ウバンギシャリは単独の植民地となっています。

 ウバンギシャリの中心都市で、現在の中央アフリカ共和国の首都になっているばんぎにフランスの軍事郵便局が開設されたのは1893年のことで、その後、フランスはウバンギ川流域に沿って郵便網を拡大していきます。民間人用の郵便局が開設されたのは1907年のことで、当初は仏領中央コンゴの切手が無加刷で使用されていました。

 1915年には、中央コンゴの切手に“OUBANGUI-CHARI-TCHAD”(ウバンギシャリ=チャド)と加刷された切手が発行されましたが、1920年にウバンギシャリとチャドが分割されたことに伴い、1922年、今回ご紹介しているような“OUBANGUI-CHARI”(ウバンギシャリ)加刷の切手が発行されました。なお、1922年には、このウバンギシャリ加刷切手に、さらに“AFRIQUE EQUATORIALE FRANCAISE”(仏領赤道アフリカ)”と加刷された切手が発行されています。

 なお、中央アフリカ最大の有名人といえば、なんといっても、かつての“皇帝”ボカサですが、彼については、以前、このブログでもご紹介したことがあります。その記事はこちらですので、よろしかったら、こちらをご覧ください。


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 終身大統領なる幻想
2007-12-04 Tue 12:47
 1977年12月4日に中央アフリカでジャン-ベデル・ボカサが皇帝としての戴冠式を行ってから、ちょうど30年が経ちました。というわけで、今日はこんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ボカサ

 これは、1977年12月4日の“戴冠式”の日に、中央アフリカで発行されたボカサの切手です。

 ボカサは1921年2月22日、仏領赤道アフリカ時代のボバンギで生まれました。第2次大戦中、自由フランス軍の兵士として従軍した彼は、1960年に中央アフリカ共和国が独立すると、初代大統領デービッド・ダッコの従兄弟という立場を利用して昇進を重ね、国軍参謀総長に就任します。そして、参謀総長時代の1969年、軍事クーデターでダッコ政権を倒し、翌1970年、大統領に就任しました。

 大統領就任後は独裁傾向を強め、1972年には終身大統領を宣言。1976年12月4日に国名を「中央アフリカ帝国」と改称して、みずから“皇帝”を称します。戴冠式が行われたのは、それから1年後の1977年12月4日のことで、その経費は2500万ドル。実に、当時の中央アフリカの国家予算の2倍という巨額のものでした。

 あまりの濫費に、国際社会では批判の声もあったのですが、ボカサは旧宗主国・フランスの大統領ジスカールデスタンに巨額の贈賄攻勢をかけて、皇帝としての承認を受け、おまけに経済支援まで獲得しています。まぁ、旧宗主国がお墨付きを与えたとなると、他の西側諸国も追随しないわけには行きませんので、日本政府も国名変更を承認し、昭和天皇の祝電も送られました。

 こうして、晴れて皇帝となったボカサは、反対派を容赦なく弾圧・粛清し、ウガンダのアミン(1979年失脚)と並ぶアフリカの独裁者として恐れられましたが、粛清による人材不足や経済無策、皇帝一族による濫費などから、国家は衰退への坂道を転がり落ちて行きます。そして、1979年1月、反帝政の学生デモの武力弾圧で400人の死者がでると、フランスからも見放され、同年9月、リビア訪問中にフランス軍による無血クーデターで帝政は廃止されダッコが大統領に復帰、中央アフリカは共和制に復帰しました。

 その後、ボカサはフランスに亡命しましたが、1986年に帰国。翌1987年に死刑判決を受けたものの、1993年に釈放され、1996年に亡くなりました。

 昨日(3日)、開票が行われたプーチン閣下のロシアの選挙では、反政府デモに加わる小政党が締め出され、メディアを使っての野党攻撃も盛んに行われた結果、政権に批判的なリベラル系野党2党が全滅し、与党系が定数の9割近くを占めることになったとか。一方、チャベス閣下のベネズエラでは、大統領の連続再選を無制限に認める憲法改正案への国民投票で、反対がかろうじて過半数を占め、憲法改正が阻止されたそうです。

 当代の独裁者2人が明暗を分けた格好ですが、いわゆる国王・皇帝の類を除くと、カエサル以来、終身独裁官(終身統領、終身執政、終身大統領など)を目指したり、自称したりした者のうち、実際に最期までその地位を守って安らかに亡くなったケースというのはほとんどありません。まぁ、そんなことは、今回ご紹介したボカサの例を持ち出すまでもなく、お2人ともよくご存知なんでしょうけどね。
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