内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 モハメド・アリ、亡くなる
2016-06-04 Sat 14:18
 プロボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ氏(以下、敬称略)が、きのう(現地時間3日)、亡くなりました。享年74歳。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      キンシャサの軌跡(加刷)

 これは、1975年にザイール(現コンゴ民主共和国)で発行された“キンシャサの奇跡1周年”の記念切手です。

 1966年、ヴェトナム戦争さなかの米国で、世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリは徴兵を拒否。このため、1967年、アリは一審で禁錮5年・罰金1万ドルの有罪判決を受け、プロボクサーとしてのライセンスを剥奪され、1970年まで正規の試合ができませんでした。

 一方、違法賭博の胴元として何度も逮捕されていたドン・キングは、1971年に保釈されると、1972年、地元クリーヴランドでチャリティー・イヴェントとしてモハメド・アリによるエキシビジョンマッチを実現し、仲介手数料として8万ドルを手にしていました。

 当時の米国では公民権運動が盛り上がり、黒人の間にも権利意識が高まっていましたが、こうした空気を利用して、キングは「アフリカは黒人の故郷である」として、ボクシングと人種問題を絡めてアフリカでの興行を考えます。

 これに食いついてきたのが、ザイールの独裁者、モブツ・セセ・セコでした。コンゴ民主共和国の独裁者として国号をザイールに変更した彼にとって、アリの試合を開催することは、自分の命名した新国名を世界的に定着させるための絶好の舞台になると思われたからです。

 かくして、モブツはキングに1000万ドルを提供し、1974年10月30日、元王者モハメド・アリと、当時の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンとの世紀の一戦“ランブル・イン・ザ・ジャングル”が、ザイールの首都キンシャサの“5月20日スタジアム(現タタ・ラファエル・スタジアム)”で行われることになりました。(ちなみに、切手の加刷は1974年9月24日を変更して9月25日となっていますが、これらはいずれも試合当日の日付ではありません)

 当時、アリは32歳。復帰後の1971年には当時のチャンピオン、ジョー・フレージャーと戦って敗れており、すでにボクサーとしてのピークは過ぎたと見られていました。一方、1973年にフレイジャーを破ってチャンピオンの座についたフォアマンは、当時25歳。まさに日の出の勢いで、試合は圧倒的にフォアマンが有利というのが大方の予想でした。

 ところが、アリは、ロープにもたれながらフォアマンのパンチを腕でブロックし、相手の疲れを待つ“ロープ・ア・ドープ”という戦術によって、8回、疲れを見せたフォアマンに一気に反撃し、KO勝利を収めます。

 試合の模様は全世界にテレビ中継され、人々はアリが劇的な復活をとげた“キンシャサの奇跡”に大興奮。アリの第2期黄金時代が開幕しました。

 ちなみに、当時のザイールの通貨は、国名と同じ“ザイール”で、補助通貨はマクタ(1ザイール=100マクタ)でした、今回ご紹介の切手が発行される1年前の1974年、ザイール郵政はこの切手と同図案の切手を発行しており、その額面表示は20マクタとなっていましたが、今回ご紹介の切手は、“ザイール”の名前をより定着させるため、額面表示を“0.20ザイール”に変更しています。

 “キンシャサの奇跡”により、ザイールとその首都キンシャサの名は一躍全世界の人々に認知されることになり、その点では、モブツの思惑通りとなったわけですが、今回ご紹介の切手もまた、そうした事情を反映したものとみてよいでしょう。

 
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 コンゴ男性の難民認定命令
2015-08-28 Fri 22:32
 コンゴ(旧ザイール)で政治活動をし、日本に逃れたマサンバ・マンガラ氏が、難民申請を退けた国の処分取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は、きょう(28日)、「政治的に迫害される恐れがある」として処分を取り消し、難民と認めるよう国に命じました。というわけで、この切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コンゴ・カビラ

 これは、1999年にコンゴ民主共和国が発行した切手で、コンゴ民主共和国の成立を宣言するローラン・カビラ大統領が描かれています。

 1965年のクーデターで独裁者となったモブツ・セセ・セコは、国号をコンゴ民主共和国からザイールに変更するとともに、東西冷戦という国際環境を利用し、アフリカにおける“反共の砦”として西側諸国から巨額の支援を引き出していました。

 しかし、海外からの経済支援や国内の鉱山資源などの利益は、モブツとその一族が大半を着服。ザイール国家はモブツ一派の私物化され、経済は衰退しました。ちなみに、1965年からモブツが退陣する1997年までの間に、同国のGDPは65%も減少しています。国民は貧困にあえぎ、中央政府の地方統制も緩んで、反政府勢力は首都キンシャサから離れた東部を拠点に活動を展開するようになりました。
 
 ところで、ザイールの隣国ルワンダでは、1994年4月、フツ人過激派によるツチ族大虐殺が始まります。大虐殺は、同年7月に収束しましたが、この間、150万人もの難民が国境を越え、ザイール東部に流入。“難民”の中には、大虐殺の加害者であるフツ人過激派の残党もかなり含まれていましたが、モブツは彼らのルワンダ侵攻計画を支援。このため、ルワンダ政府は対抗上、ザイール東部の難民キャンプの解体、さらには、不安定要因の根源であるモブツ政権の打倒を目指すようになります。

 1996年8月、モブツは前立腺癌治療のためスイスの病院に入院しましたが、そのタイミングを狙って、ルワンダの支援を受けたバニャムレンゲ(1960年以前からザイールに居住していたツチ人とその子孫)の大規模反乱が発生。モブツの長期独裁政権への不満から、ザイール国民が反乱勢力を支持する中、同年10月、人民革命党のローラン・カビラひきいるコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) がツチ人の軍事力を背景にキンシャサに向かって進撃を開始します。周辺のルワンダ、ウガンダ、アンゴラ、ブルンジもそれぞれの思惑からAFDLを支援し内戦に介入しました。いわゆる第1次コンゴ戦争である。

 混乱の中、モブツは南フランスでの静養を理由に帰国せず、AFDLはザイール全土の約4分の3を制圧しました。

 米英仏や国連は調停工作に乗り出し、1997年5月7-8日、ザイール情勢を協議するための“中部アフリカ仏語諸国7ヶ国首脳会議”がガボンで開催され、モブツは“健康上の理由”で次期大統領選挙には出馬しないことを約束。同月16日、キンシャサに戻ったモブツは引退を発表し、翌17日、AFDL軍がキンシャサに入城してカビラは“コンゴ民主共和国”の樹立を宣言し、モブツのザイール共和国は崩壊しました。

 その後、カビラが2001年に暗殺されると、息子のジョゼフ・カビラが29歳の若さで大統領に就任。ジョゼフは、2003年、2大反政府勢力のコンゴ民主連合ゴマ派(RCDゴマ)とコンゴ解放運動 (MLC) の指導者2人を含む4人を副大統領とする暫定政権を樹立し、政権の安定化を図ります。そして、2006年には新憲法を施行して大統領選挙を実施し、得票率44%で大統領に当選。2011年の選挙でも再選され、現在まで政権を維持しています。ちなみに、報道によると、今回、難民認定されたマンガラ氏は、この間の2005年から反政府デモに参加し、2008年に逮捕されそうになったために逃亡して日本に逃れてきたそうです。


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 世界の国々:コンゴ共和国
2015-06-10 Wed 22:20
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年6月10日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はコンゴ共和国(旧ベルギー領)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コンゴ最初の切手

 これは、1886年に発行された“コンゴ独立国”最初の切手です。

 1865年に即位したベルギー国王レオポルド2世は、即位当初から植民地獲得の必要性を訴えていましたが、1876年9月、コンゴ探検を支援する“国際アフリカ協会”(のちにコンゴ国際協会に改組)を創設し、1879-83年、英国の探検家ヘンリー・スタンリーにコンゴ川流域を探検させ、先住民部族の部族長たちと独占的な貿易協定を締結しました。

 これに対して15世紀以来、在地のコンゴ王国と関係のあったポルトガルが反発し、コンゴ川河口周の主権を主張。これを英国が支持すると、独仏はベルギーを支持し、列強の対立が深まりました。

 このため、1884-85年、列強14カ国によるベルリン会議が開催され、コンゴを中立化し、門戸を開放して自由貿易の地にすることを条件として、コンゴはレオポルド2世の“私有地”とされました。これを受けて、1885年、レオポルド2世の私領“コンゴ独立国”が創設されます。なお、同国は自由貿易の国という意味で“コンゴ自由国”と呼ばれることも多いのですが、これは俗称です。

 さて、コンゴ独立国はあくまでもレオポルド2世の私領という扱いで、ベルギーの国家とは無関係という建前でした。このため、国王は専制君主として君臨するとともに、巨額の私費を投じ、さらには、個人の信用で国内外の投資家の投資を募り、マタディ=レオポルドヴィル鉄道の建設など、近代化政策を推進しました。その一方で、莫大な開発コスト回収のため、1891年以降、象牙と天然ゴムが国王の独占事業とされ、先住民には過酷なノルマが課せられただけでなく、未達の場合は手足切断などの刑罰が科されています。

 このため、1885年に3000万人と言われたコンゴ独立国の人口は、1901年までに900万人にまで減少しましたが、250トン以下だった天然ゴムの生産量は6000トンに増大しました。

 こうした圧政に対しては国際世論の批判も強かったため、1906年、ベルギー議会はコンゴを国王の私領からベルギー国家の植民地へ転換させる決議を採択。国王はこれに抵抗しましたが、1908年10月、ベルギー政府は植民地憲章を制定。国王はベルギー政府からの補償金との引き換えにコンゴ自由国を手放し、同年11月、コンゴ自由国はベルギー政府の直轄植民地ベルギー領コンゴになりました。

 さて、『世界の切手コレクション』6月10日号の「世界の国々」では、コンゴ独立国から1960年の独立と内戦を経て国名がザイールとなるまでの、この地域の近現代史について概観した長文コラムのほか、独立の英雄ルムンバ、ベルギーの漫画『タンタンのコンゴ探検』、ゴリラ、マタディ=レオポルドヴィル鉄道の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の6月17日号では、「世界の国々」はセント・ヴィンセントを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。

 
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 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

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 世界の国々:ザイール
2015-03-11 Wed 09:31
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年3月11日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はザイール時代のコンゴ民主共和国を取り上げています。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ザイール・キンシャサの奇跡

 これは、1974年、キンシャサで開催されたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合開催に際してザイールが発行した記念切手です。

 1966年、ヴェトナム戦争さなかの米国で、世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリは徴兵を拒否。このため、1967年、アリは一審で禁錮5年・罰金1万ドルの有罪判決を受け、プロボクサーとしてのライセンスを剥奪され、1970年まで正規の試合ができませんでした。

 一方、違法賭博の胴元として何度も逮捕されていたドン・キングは、1971年に保釈されると、1972年、地元クリーブランドでチャリティー・イヴェントとしてモハメド・アリによるエキシビジョンマッチを実現し、仲介手数料として8万ドルを手にしています。

 当時の米国では公民権運動が盛り上がり、黒人の間にも権利意識が高まっていました。こうした空気を利用して、キングは「アフリカは黒人の故郷である」として、ボクシングと人種問題を絡めてアフリカでの興行を考えます。

 これに食いついてきたのが、ザイールの独裁者、モブツ・セセ・セコでした。コンゴ民主共和国の独裁者として国号をザイールに変更した彼にとって、アリの試合を開催することは、自分の命名した新国名を世界的に定着させるための絶好の舞台になると思われたからです。

 かくして、モブツはキングに1000万ドルを提供し、1974年10月30日、元王者モハメド・アリと、当時の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンとの世紀の一戦“ランブル・イン・ザ・ジャングル”が、ザイールの首都キンシャサの“5月20日スタジアム(現タタ・ラファエル・スタジアム)”で行われることになりました。

 当時、アリは32歳。復帰後の1971年には当時のチャンピオン、ジョー・フレージャーと戦って敗れており、すでにボクサーとしてのピークは過ぎたと見られていました。一方、1973年にフレイジャーを破ってチャンピオンの座についたフォアマンは、当時25歳。まさに日の出の勢いで、試合は圧倒的にフォアマンが有利というのが大方の予想でした。

 ところが、アリは、ロープにもたれながらフォアマンのパンチを腕でブロックし、相手の疲れを待つ“ロープ・ア・ドープ”という戦術によって、8回、疲れを見せたフォアマンに一気に反撃し、KO勝利を収めます。

 試合の模様は全世界にテレビ中継され、人々はアリが劇的な復活をとげた“キンシャサの奇跡”に大興奮。アリの第2期黄金時代が開幕しました。

 一方、この一戦を通じて、ザイールとその首都キンシャサの名は一躍全世界の人々に認知されることになり、その点では、モブツの思惑通りとなっています。

 さて、 『世界の切手コレクション』3月11日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の“キンシャサの奇跡”とモブツ政権の歴史にスポットを当てた長文コラムのほか、謎の死を遂げた大統領夫人やルワンダとの国境に位置するキヴ湖、固有種のボノボ、伝統芸能の仮面の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の3月18日号では、「世界の国々」はコンゴ共和国(旧仏領)を特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。 


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 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
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 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 コンゴ“人民共和国”の切手
2013-12-02 Mon 15:40
 今年6月、コンゴ民主共和国の首都・キンシャサで、日本大使館が入る建物から火が出て、大使館が半焼した事件で、警視庁は、きょう(2日)、当時、3等書記官として大使館に勤務していた日本人の男を逮捕しました。男は着服を隠蔽する目的で放火した疑いがあるとみられいます。というわけで、コンゴ民主共和国がらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       コンゴ人民共和国の加刷切手

 これは、第2次コンゴ動乱時の1964年、ベルギー領コンゴ時代の切手に“人民共和国(REPUBLIQUE POPULAIRE)”と加刷して発行された切手です。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国として独立。コンゴ族同盟(アバコ党)の指導者であったジョセフ・カサヴブが大統領に、コンゴ国民運動(MNC)を率いたパトリス・ルムンバが首相に就任しました。

 しかし、コンゴ駐留のベルギー軍撤退問題をめぐり、対外強硬路線のルムンバとベルギー軍が衝突。さらに、混乱の中で、地下資源の豊かなカタンガ州を地盤とするモイーズ・チョンベは、7月11日、ベルギーの支援を受けて、カタンガの独立を宣言。親西側のカサヴブと急進民族主義路線を掲げるルムンバの路線対立もあり、独立間もないコンゴは四分五裂の状態に陥りました。いわゆる第1次コンゴ動乱です。

 ルムンバの要請を受けた国連は、7月14日、安保理決議143を採択。“国連軍”が編成され、カタンガ独立問題へ関与しないことを条件にコンゴに進駐すると、カタンガ政権は豊富な資金力を背景に白人の傭兵部隊を大量に雇い入れ、ルムンバ側からの攻撃に抵抗しました。

 各派入り乱れての泥沼の内戦の中で、1960年9月、大統領のカサヴブが首相のルムンバを更迭すると、ルムンバ内閣は大統領の解任を決議。しかし、CIAの支援を受けた陸軍参謀長ジョセフ・デジレ・モブツ大佐のクーデターにより、ルムンバは逮捕され、殺されます。

 混乱の末、ようやく1961年7月、カサヴブは、カタンガ政権以外の勢力をまとめあげてシリル・アドウラを首相とする挙国一致体制を樹立。これを受けて、国連軍が外国人傭兵の逮捕・追放のための大規模な作戦を開始し、カタンガ政権に対する経済制裁も発動されました。資金源を断たれたカタンガ政権は急速に弱体化し、1963年1月に降伏。チョンベもスペインに亡命し、第1次コンゴ動乱も終結します。

 
 ところが、1964年6月、国連軍が撤退するとピエール・ムレレ率いる共産ゲリラのシンバが中国の支援を得て反乱を起こし、第2次コンゴ動乱が勃発しました。

 ムレレは、ルムンバ亡き後、一時期、外交官としてカイロに赴任した経験を持ち、モスクワ、ベイルートを経て、1962年3月から中国に滞在。ゲリラ戦術や政治教育の方法、銃器や爆発物などの知識と技術を身につけ、1963年7月、秘密裏にキンシャサに戻り、毛沢東主義に倣って農村を拠点に革命運動を展開していました。

 ムレレの“革命”は急速に勢力を拡大し、一時はコンゴの2/3を制圧。革命開始から1964年9月にはスタンレーヴィルで“コンゴ人民共和国”の建国が宣言されました。今回ご紹介の切手は、こうした背景の下、シンバの支配地域で発行されたものです。

 これに対して、窮地に陥ったコンゴ政府は、スペインに亡命していたチョンベを呼び戻して首相に据えるという荒業に打って出ます。チョンベは、アンゴラに逃げていたカタンガ憲兵隊と白人傭兵を呼び戻し、米国やベルギーからの支援も獲得。これで一気に形勢を逆転したコンゴ政府は、1964年11月にスタンレーヴィルへ大攻勢を行い、傭兵部隊やCIA特殊部隊、ベルギー軍特殊部隊の活躍によってシンバ政権を叩き潰し、国号をコンゴ共和国からコンゴ民主共和国に変更しました。

 その後、コンゴ動乱は1965年に米国の支援を受けたモブツ・セセ・セコがクーデターを起こし、独裁政権を樹立したことで終結。モブツ政権は1971年に国号をザイール共和国と改称し、長期独裁体制を維持しました。

 これに対して、1996年11月、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジなどに支援されたバニャムレンゲやコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)などが武装蜂起。周辺諸国をも巻き込んだ第1次コンゴ戦争が勃発し、1997年5月17日、首都キンシャサが陥落してモブツ政権は崩壊しました。これを受けて、国号もザイールからコンゴ民主共和国に戻され、現在にいたっています。

 このように、旧ベルギー領コンゴの独立後の複雑な歴史については、拙著『喜望峰』でも各種のマテリアルをご紹介しながらまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 コンゴへ捜査員派遣
2013-08-16 Fri 16:56
 今年6月、コンゴ民主共和国の首都・キンシャサで、日本大使館が入る建物から火が出て、大使館が半焼した事件で、警視庁は、放火の疑いがあるとして、きょう(16日)、捜査1課や鑑識課の捜査員15人を現地へ派遣しました。日本の警察が在外公館の事件を捜査するのは異例のことだそうです。というわけで、きょうは、コンゴ民主共和国がらみのマテリアルということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       コンゴ民主共和国初期混貼カバー

 これは、現在のコンゴ民主共和国がコンゴ共和国として独立した当初の1960年10月20日、同国東部のブカヴからベルギー宛に差し出された航空便で、旧ベルギー領時代の切手(メガネザルの50サンチーム)、旧ベルギー領時代の切手にコンゴ加刷の暫定切手(ハイビスカスの1F切手)、コンゴ独立後の正刷切手(独立記念の地図1フラン切手)が貼られており、独立初期の過渡的な使用例となっています。

 19世紀のアフリカ分割の過程で、ベルギーは探検家スタンレーをコンゴに派遣し、多数の基地を設けて現地勢力の長たちと様々な取り決めを結んでいました。これに対して、以前から沿岸部の権益拡大を進めていたポルトガルが反発し、1882年にはコンゴ川河口地域における主権を宣言。イギリスはポルトガルを支持しましたが、フランスはベルギーを支持する一方で、自ら探検家ピエール・ド・ブラザをアフリカ内陸部に派遣。ドイツもポルトガル支持を見送りました。このように、各国の思惑が錯綜する中で問題解決のためのベルリン会議が1884年11月15日から1885年2月26日まで開催され、コンゴ盆地はベルギー国家でなくベルギー王の私財となり、フランスが権益を築いたコンゴ盆地北西端は“中央コンゴ”としてフランス領とされました。

 その後、1908年、ベルギー政府は国王からコンゴ盆地を買い取り、同国の植民地としてベルギー領コンゴが発足。1950年代後以降、ジョゼフ・カサブブのコンゴ人同盟(アバコ党)やパトリス・ルムンバのコンゴ国民運動などが独立闘争を展開し、1960年6月30日、コンゴ共和国(旧仏領の隣国も正式な国名が“コンゴ共和国”だったため、区別するため、旧仏領=コンゴ・レオポルドビル、旧白領=コンゴ・キンシャサなど呼んで区別されることもあります)として独立しました。独立後の新政府では、コンゴ族同盟(アバコ党)の指導者であったカサヴブが初代大統領に、コンゴ国民運動を率いたルムンバが初代首相に就任しています。

 しかし、コンゴ駐留のベルギー軍撤退問題をめぐり、急進左派のルムンバにベルギー軍が反発。コンゴ在住のベルギー国民への攻撃も相次いだため、7月8日、自国民保護のため、ベルギー軍が首相官邸を襲撃し、首都キンシャサの国際空港を占領すると、ルムンバはベルギーとの国交断絶を表明します。

 混乱の中で、地下資源の豊かなカタンガ州(たとえば、カタンガの銅生産量は当時の世界総生産量の70%を占めていたほか、いわゆるレアメタルも豊富でした)を地盤とするモイーズ・チョンベは、7月11日、ベルギーの支援を受けて、カタンガの独立を宣言。親西側のカサヴブと急進民族主義路線を掲げるルムンバの路線対立もあり、独立間もないコンゴは政府が機能不全に陥り、四分五裂の状態に陥りました。いわゆる第1次コンゴ動乱です。
 
 第1次コンゴ動乱は1965年に米国の支援を受けたモブツ・セセ・セコの独裁政権が樹立されるまで続きましたが、この間、1964年には国号がコンゴ民主共和国に改称されています。その後、モブツ政権は1971年に国号をザイール共和国と改称し、長期独裁体制を維持しました。

 これに対して、1996年11月、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジなどに支援されたバニャムレンゲやコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)などが武装蜂起。周辺諸国をも巻き込んだ第1次コンゴ戦争が勃発し、1997年5月17日、首都キンシャサが陥落してモブツ政権は崩壊しました。

 モブツ政権の崩壊後、大統領に就任したローラン・カビラは、国名をザイール共和国からコンゴ民主共和国に変更した後、AFDLの幹部を追放し、司法権を除く全権を大統領に付与すると発表するなど強権支配体制を敷いたため、これに反発する勢力はコンゴ民主連合を結成。1998年8月2日に蜂起し、いわゆる第2次コンゴ戦争が勃発しました。

 第2次コンゴ戦争は、国内の民族対立に加え、ダイヤモンドやコバルトなどの豊富な鉱産資源に関する利権も絡み、ウガンダとルワンダが反政府勢力のコンゴ民主連合 (RCD) を、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラが政府軍を支援したことで泥沼化。2003年に和平合意が成立するまでに、戦闘などで住民20万人以上が死亡し、紛争に伴う食糧・医薬品不足などでさらに150万人が死亡したといわれています。

 しかし、その後も東部地域(イトゥリ州、南キヴ州、北キヴ州)では情勢が安定せず、2012年4月には北キブ州において、国軍を離脱した元反政府勢力が国軍と軍事衝突を起こして、以後、他の武装勢力も活発化しているようです。

 このように、旧ベルギー領以来のコンゴ民主共和国の情勢はかなり複雑で、それらを切手や郵便物を通じて追いかけてみるとかなり面白いコレクションができそうです。そのごく一部については、拙著『喜望峰』でもご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 聖母子像切手の混貼
2012-12-25 Tue 09:28
 きょうはクリスマスです。というわけで、聖母子関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        カタンガ・カバー

 これは、1961年2月6日、第一次コンゴ動乱期のカタンガ政権下のコルウェジから差し出されたカバーで、ベルギー領コンゴ時代の1959年に発行された聖母子像のクリスマス切手に“CONGO”加刷の切手(キンシャサ政権発行)と“KATANGA”加刷(カタンガ政権発行) の切手が混貼されているのがミソです。切手に加え、カタンガ独立を訴えるラベルも貼られているのも良いですな。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国(キンシャサ政権)として独立。コンゴ族同盟(アバコ党)の指導者であったジョセフ・カサヴブが初代大統領に、コンゴ国民運動(MNC)を率いたパトリス・ルムンバが初代首相に就任しました。

 しかし、コンゴ駐留のベルギー軍撤退問題をめぐり、急進左派のルムンバにベルギー軍が反発。コンゴ在住のベルギー国民への攻撃も相次いだため、7月8日、自国民保護のため、ベルギー軍が首相官邸を襲撃し、首都キンシャサの国際空港を占領すると、ルムンバはベルギーとの国交断絶を表明します。

 混乱の中で、地下資源の豊かなカタンガ州(たとえば、カタンガの銅生産量は当時の世界総生産量の70%を占めていたほか、いわゆるレアメタルも豊富でした)を地盤とするモイーズ・チョンベは、7月11日、ベルギーの支援を受けて、カタンガの独立を宣言。親西側のカサヴブと急進民族主義路線を掲げるルムンバの路線対立もあり、独立間もないコンゴは政府が機能不全に陥り、四分五裂の状態に陥りました。いわゆる第1次コンゴ動乱です。

 ルムンバの要請を受けた国連は、7月14日、安保理決議143を採択。ベルギー軍のコンゴからの撤退を求め、コンゴ国軍が治安維持を行なえるようなるまでコンゴ共和国と協議の上、各国から軍事援助を行なえる手段を取ることを国際連合事務総長に求めました。こうして“国連軍”が編成されてベルギー軍と交代し、カタンガ州内へも独立問題へ関与しないことを条件に進駐します。

 国連軍の進駐により、治安が次第に回復すると、ベルギーと米国は、治安が安定しているカタンガ州への国連軍進駐は、“暴動によって混乱した治安の回復”を目的とする国連軍の目的を越え、コンゴへの内政干渉にあたると抗議。これに対して、ルムンバ政権とソ連をはじめとする東側諸国はカタンガ州への国連軍進駐を強硬に主張し、両社は激しく対立しました。

 カタンガ政権は、「我々は共産主義(彼らの理解ではルムンバ派や国連のことです)の魔の手からアフリカの白人を護るための十字軍である」との大義名分の下、南アフリカや英領中央アフリカ連邦(現在のジンバブエ・ザンビア・マラウイで構成)で身体頑健で軍隊経験のある白人をリクルートしました。基本給は、士官が月250ポンド、下士官が180ポンド、兵卒が70-120ポンドでした。

 このとき、南アの傭兵の中心人物となったのが、マイク・ホアレです。

 ホアレは、1919年、インドでアイルランド系の両親の下に生まれました。8歳でロンドンの寄宿学校へ入学し、高校卒業後、英国国防義勇軍に入隊。その後、下士官養成学校と将校養成学校を首席で卒業し、偵察連隊へ配属。第二次世界大戦ではビルマで戦い、コヒマの攻防戦にも参加しています。退役後は、1949年に南ア・ナタール州に移住し会計士として働いていましたが、1961年2月、白人傭兵部隊「インターナショナル・カンパニー」を設立し、第1次コンゴ動乱に参戦しました。

 各派入り乱れての泥沼の内戦の中で、1960年9月、大統領のカサヴブが首相のルムンバを更迭すると、ルムンバ内閣は大統領の解任を決議。政府機能は完全に麻痺し、首都の治安も崩壊する中で、9月14日、ついに国軍が動くことになります。すなわち、CIAの支援を受けた陸軍参謀長ジョセフ・デジレ・モブツ大佐がクーデターを決行したのです。

 クーデターは大統領の支持を受けて成功し、ルムンバは逮捕され、翌1961年1月に殺害されました。これに対して、ルムンバ派は、コンゴ東部のスタンレーヴィル(現キサンガニ)を拠点に、ソ連やアラブ諸国からの支援を受けて新政府の樹立を宣言。ルムンバの殺害によって国際世論の同情を集めたスタンレーヴィル政権は、国連からコンゴの正統政権として承認を受けました。

 これに対して、同年7月、カサヴブは、カタンガ以外の勢力(ルムンバ派も含む)をまとめあげてシリル・アドウラを首相とする挙国一致体制(アドウラ政府)を樹立。この挙国一致政府を支援するかたちで、国連軍が外国人傭兵の逮捕・追放のための大規模な作戦を開始し、カタンガ政権に対する経済制裁も発動されました。資金源を断たれたカタンガ政権は急速に弱体化し、1963年1月に降伏。大統領のチョンベもスペインに亡命し、ようやく、第一次コンゴ動乱も終結しました。

 さて、拙著『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』では、マイク・ホアレとの関連で、今回ご紹介のカバー以外にも、コンゴ動乱がらみのマテリアルをいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 建設の風景:軍が住宅建設
2007-08-16 Thu 10:58
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の8月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手に描かれた建設の風景」では、今月号はこんなモノを取り上げてみました。(画像はクリックで拡大されます)

コンゴの工兵隊

 これは、1965年にコンゴ民主共和国が発行した軍の活動を宣伝する切手の1枚で“軍による住宅建設”が取り上げられています。“コンゴ”はかつてはフランス領とベルギー領がありましたが、切手を発行したコンゴ民主共和国は旧ベルギー領です。1971年から1997年まではザイールと名乗っていましたから、そちらの方が通りがいいかもしれません。なお、東隣には旧仏領から独立したコンゴ共和国があるので、ややこしいですね。

 さて、どこの国の軍隊にも直接の戦闘部隊とは別に工兵部隊(わが国の場合は、陸上自衛隊の施設科)が存在しています。工兵たちは、戦時には陣地の構築を行うのが主な任務ですが、平時には橋や道路、ダムといったインフラ整備の建設・維持の任務にあたることも少なくありません。特にゼネコン等が存在しない発展途上国では、工兵の存在は建設の技術と労働力という点で非常に重要なもので、途上国では彼らが事実上の国営建設会社の役割を担っていることもあります。

 今回ご紹介しているコンゴ民主共和国の場合もそうで、軍隊の国民への貢献をアピールするため、切手には住宅建設に従事する工兵の姿が描かれています。画面の手前には資材を工兵に受け渡す一般住民の姿が描かれており、軍と国民との協調関係が謳われています。

 僕たちは、どうしても軍隊イコール戦闘集団と単純化して理解してしまいがちですが、軍が担っている任務は多岐にわたっているということを改めて教えてくれる1枚といっても良いでしょう。
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