内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ブラジリアに到着しました!
2017-10-23 Mon 04:37
 おかげさまで、先ほど(現地時間22日午後)、無事にブラジリアに到着しました。というわけで、無事の到着を祝して、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      日本・ブラジル交流年(ヴィザスタンプ)

 これは、笠戸丸移民100周年を記念して2008年に設定された“日本・ブラジル交流年”の記念切手のうち、コーヒー豆を背景に、1908年のブラジルのヴィザスタンプを描いた1枚です。ちなみに、今回のブラジル入国に際して、僕が取得したヴィザはこんな感じです。

      ブラジル・ヴィザ(2017)

 日本人の海外移住は、古くは17世紀の東南アジアに日本人町がつくられた事例にさかのぼることもできますが、近代以降のものとしては、1868年のハワイへの“元年者”の移住がそのさきがけとなります。

 その後、明治政府は、近代国家建設のために財源として地租を重要視したことから、地租を払えず、強制処分により農地を手放さざるをえなくなった農民が続出します。しかし、当時の日本社会には、そうした人々を他の産業で吸収できるだけの余裕がなく、政府は彼らを海外に移住させることで問題の解決をはかろうとしました。一方、農民の中にも、政府が行った海外移民募集に応募し、海外で成功を収めて故郷に錦を飾ろうと考える者が少なからずありました。

 こうしたことから、19世紀末には、ハワイ米本土への移民が急増しましたが、日本が日露戦争に勝利を収めたのをきっかけに、米国内で深刻な黄禍論を巻き起こります。その結果、主として米国西海岸で排日運動が激化し、1907年、米国政府は、実質的に日系移民を制限する内容に移民法を改正。さらに、1908年、「日米紳士協約」によって、ハワイへの日本人移民も厳しく制約されてしまいました。

 こうした状況の中で、1906年、ブラジルに渡っていた水野龍は、現地コーヒー農場の労働者が慢性的に不足していたことに目をつけ、サンパウロ州のコーヒー耕地への日本人農民の大規模な移民計画を立案。皇国殖民合資会社を設立し、サンパウロ州政府と移民契約を結んで日本からの移住者を募ります。

 水野の計画は、米国とハワイに代わる移民の送り先を探していた日本政府の意向とも合致していたことから、外務省は鹿児島、沖縄、熊本の各県知事に協力を要請。皇国殖民合資会社はブラジルの名に「舞楽而留(舞い楽しんで留まる)」とあて、一部の地域では群会議員までをも動員して「家族三人で働けば、生活費など差し引いても一ヶ月で百円は残る」と移民の夢をかきたてました。

 この結果、ブラジル政府から補助金を受けた“契約移民”781名・165家族と、ブラジル政府の補助金を受けていない“自由移民”10名が、数年で帰国することを夢見て、笠戸丸(今回の小型シートの右側の切手です)でブラジルへ渡りました。そして、1908年6月18日、サンパウロ市の外港、サントスに到着した移民たちは、いくつかのコーヒー農場に分かれて、1年毎の契約で働き始めました。これが、ブラジルにおける日系社会の始まりとなります。

 しかし、移民たちを待ち受けていたのは、事前の宣伝文句とは裏腹の重労働と劣悪な環境でした。また、笠戸丸がブラジルに着いた6月は、コーヒーの収穫がほとんど終わっていた上に、コーヒーの値段も暴落していたため、収穫量の歩合制で賃金契約を結んでいた農民たちはほとんど収入を得ることができず、農園をはなれてサンパウロ市内でメイドや大工などをして働く人が続出。さらに追い討ちをかけるように、移民を請け負った皇国殖民合資会社が資金難から倒産し、移民の預入金はほとんど返済されないことになってしまいました。

 こうした惨憺たる状況は、当時、日本国内にはほとんど伝えられず、その後も、1910年の旅順丸移民をはじめ、多くの日本人がブラジルに移住。日系移民たちは、あらゆる辛酸を舐めながらも、次第にブラジル社会において確固たる地位を築くようになりました。

 さて、世界切手展<Brasilia 2017>ですが、あすは朝から、最初の山場となる作品の搬入作業が待ち構えています。30日までの滞在期間中、気合を入れて乗り切っていきたいと思います。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 屋久島で50年に一度の大雨
2017-09-05 Tue 10:26
 鹿児島県の屋久島で、きょう(5日)午前8時までの24時間に降った雨の量が平年の9月1か月分の9割近い352.5ミリに達し、気象台は「50年に一度の記録的な大雨」になったところがあると発表しました。というわけで、大雨による被害が最小限にとどまることをお祈りしつつ、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      縄文杉

 これは、1995年7月28日に発行された第1次世界遺産シリーズ第3集「屋久島」のうち、縄文杉を取り上げた1枚です。

 屋久島は、鹿児島県の大隅半島南南西約60キロの海上に位置する島で、面積は504.88平方キロ。地理的には温帯地域に位置していますが、2000メートル級の山々があるため、山中では杉の原生林がある一方、海岸地帯には亜熱帯のアコウやガジュマルもみられるなど、植物相はきわめて多様です。島の一部は西隣の口永良部島とともに、2014年3月16日に指定の屋久島国立公園を構成しています。

 屋久島のシンボルともいうべきスギは、標高500mを超える山地に自生しており、一般に屋久杉といわれているのは樹齢1000年以上のもので、樹齢1000年未満のものは小杉と呼ばれています。今回ご紹介の切手に取り上げられた縄文杉は、1966年、屋久町役場の観光課長だった岩川貞次が発見し、当初は大岩杉と呼ばれていました。“縄文杉”という名前の由来は、縄文時代から生きているという説と、幹の形が縄文土器に似ているからという説があります。なお、1976年の調査では、縄文杉は樹齢7000年以上という推定結果が発表されましたが、その後、樹木の外側部分の年代測定では樹齢約2700年と判定されました。

 現在、屋久島町の大雨警報は解除されましたが、大気の不安定な状態が続くほか、これまでの雨の量が多くなっているため、気象庁はこのあと数時間は土砂災害や低い土地の浸水などに厳重に警戒するよう呼びかけています。関係する地域の方は、十分ご注意ください。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は7日!★★★ 

 9月7日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第8回が放送予定です。今回は、1999年のパナマ運河返還を決めた新パナマ運河条約の調印(1977年9月7日)から40周年ということで、パナマにスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 月刊『茶の間』9月号
2017-09-03 Sun 12:10
 お茶と暮らしの情報カタログ・月刊『茶の間』9月号ができあがりました。同誌では「誌上展覧会 小さなアート お茶の切手」という特集があり、僕が切手の画像を提供し、文章を書いています。その中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本茶800年

 これは、1991年10月31日に発行された“日本茶800年”の記念切手です。

 わが国におけるお茶の歴史は、遣唐使の留学僧が唐からお茶の種子を持ち帰ったのが始まりとされており、『日本後記』には、嵯峨天皇が琵琶湖西岸の韓(唐)崎へ行幸した帰途、梵釈寺で「大僧都永忠、手自ら茶を煎じて奉御す」との記述があります。

 ただし、平安時代の茶は非常に貴重で、ごく限られた人々しか口にできず、喫茶の習慣が一般に広まることはありませんでした。

 こうした中で、1191年、後に臨済宗の開祖となる栄西は、茶の不眠覚醒作用が禅の修行に有用であることに着目し、留学先の宋から持ち帰った茶の種子を肥前と筑前の境界の背振山に蒔き、布教とともに茶の栽培にも積極的に始めます。さらに、日本に茶生産を広めるため、またその薬効を知らせるために、1211年、『喫茶養生記』を著しました。(同書には、1214年に書写し終わった再治本があるため、年表などにはこちらを採録しているケースもあります)

 今回ご紹介の切手は、栄西の活動によって日本でも喫茶の習慣が本格的に広まったことを踏まえ、栄西が帰国して茶の種子を植えた1191年を起点に、1991年を“日本茶800年”とし、これを記念するために発行されました。切手はチャノハナを画面の手前に置き、その奥に栄西ゆかりの建仁寺の所蔵品で、四頭茶会で使われる茶器のイメージを配した図案になっています。
 
 さて、『茶の間』の記事では、今回ご紹介の切手のほか、和菓子と茶筅、麦茶、茶摘みの風景、茶碗や茶壺などの焼物、街道の茶屋を描く浮世絵、茶に所縁の人物の切手なども取り上げています。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は7日!★★★ 

 9月7日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第8回が放送予定です。今回は、1999年のパナマ運河返還を決めた新パナマ運河条約の調印(1977年9月7日)から40周年ということで、パナマにスポットを当ててお話をする予定ですので、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 沢村栄治100年
2017-02-01 Wed 17:00
 日本のプロ野球草創期の大投手として知られる沢村栄治が、1917年2月1日に生まれてから、きょう(1日)でちょうど100年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      沢村栄治(20世紀デザイン)

 これは、2000年3月23日に発行された「20世紀シリーズ」第8集のうち、“沢村栄治投手の活躍”を取り上げた1枚です。切手の図案は野球体育博物館提供の写真をもとにコラージュとして制作されています。写真の沢村が実際に着用していたユニフォームは、グレーの生地の上下に胸の文字は黒、襟と袖の線は紺色でアンダーシャツは黒(もしくは濃紺)でしたので、デザイナーによる着色は実際のイメージとはかなり異なります。まぁ、切手では、沢村の使っているグラブが紫色という、当時としては、ほぼありえない色となっていますので、そもそも、デザイナーには、あくまでもデザイン性優先で、史実を忠実に再現しようという意識はなかったのかもしれません。

 さて、沢村は、1917年2月1日、三重県宇治山田市(現・伊勢市)で生まれました。京都商業学校(現・京都学園高等学校)の投手として、1933年春、1934年春・夏の甲子園に出場した後、1934年に京都商業を中退し、同年11月、読売新聞社主催の日米野球の全日本チームに参戦。11月20日、静岡県草薙球場で開催された試合では、7回裏にルー・ゲーリックにソロ本塁打を浴びたのみで、メジャーリーグ選抜チームを8回5安打1失点と好投し、ベーブ・ルースに称賛されたことで脚光を浴びました。

 同年末、全日本チームを基礎に職業野球チームとして「大日本東京野球倶楽部」(現・読売ジャイアンツ)が結成されるとこれに参加。プロ野球リーグが始まる前の1935年、第1次米国遠征に参加して21勝8敗1分け、同年の国内巡業では22勝1敗、翌1936年の第2次米国遠征でも11勝11敗の成績を残しました。そして、プロ野球リーグが開始された1936年秋には史上初のノーヒットノーランを達成したほか、同年12月、大阪タイガースとの最初の優勝決定戦では3連投し、巨人に初優勝をもたらしています。また、1937年春には24勝(うちノーヒットノーラン1度を含む)・防御率0.81の成績を残して、プロ野球史上初となるMVPに選出されたました。

 しかし、徴兵によって甲種合格の現役兵として入営、1938年から満期除隊の1940年途中まで中国大陸に出征。この間、手榴弾を投げさせられたことから右肩を痛めたほか、戦闘で左手を銃弾貫通で負傷、さらにマラリアに感染しました。1940年の復帰後はサイドスロー転向し、抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球で3度目のノーヒットノーランを達成しています。

 1941年終盤から1942年にかけて、ふたたび応召により予備役の兵として軍隊に戻り、1943年に球界に復帰したものの、1943年7月6日の対阪神戦の出場が最後で、3イニングで8与四死球と2被安打で5失点で降板となり、同年10月24日、代打での出場が最後の公式戦となりました。

 現役引退後の1944年10月2日、またもや応召し、同年12月2日、フィリピンに向かうため乗船していた軍隊輸送船が、屋久島沖西方の東シナ海でアメリカ海軍潜水艦「シーデビル」により撃沈され、屋久島沖西方で戦死しました。享年27歳。職業野球通算63勝22敗、防御率1.74。

 戦後の1947年7月9日、巨人軍は沢村の功績をたたえて背番号14を日本プロ野球史上初の永久欠番に指定したしたほか、同年、沢村の功績と栄誉を称えて“沢村栄治賞(沢村賞)”が設立されたのは広く知られるところです。現在、東京ドームそばの「鎮魂の碑」には、石丸進一ら太平洋戦争で戦死したプロ野球選手とともに、沢村の名も銘記されています。

 なお、沢村をモデルとした切手は、今回ご紹介のモノのほか、1984年に発行された“日本プロ野球50年”の記念切手があります。こちらについては、拙著『近代美術・特殊鳥類の時代』でも詳しく説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 梅と振袖
2017-01-09 Mon 17:50
 きょう(9日)は“成人の日”です。成人式といえば、やはり女性の振袖。というわけで、振袖姿の女性が描かれた切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

      野崎村・鏑木清方

 これは、2010年10月8日に発行された国際文通週間の切手のうち、鏑木清方の「野崎村」を取り上げた1枚です。

 歌舞伎や人形浄瑠璃の演目として知られる「野崎村」は、宝永7(1710)年、大坂で大店の娘お染と丁稚の久松が心中したことを題材とした近松半二の作品『新版歌祭文』の「第三幕 野崎村の段」の通称で、安永9(1780)年に大坂・竹本座で初演されました。清方の作品は1914年に制作された歌舞伎絵で、2代目・市川松蔦のお染が、6代目・市川門之助のお常(お染の母親)に手を引かれていく場面を描いた作品。現在、東京・半蔵門の国立劇場の2階ロビーに飾られています。

 物語は(旧暦の)正月の少し前で、野崎村ではもう早咲きの梅が咲いているという設定で、清方は、お常の手に梅の枝を持たせることで季節感を表現しました。ちなみに、実際の心中事件のあった宝永7年で考えるなら元日は1710年1月30日、「野崎村」初演の安永9年で考えるなら元日は1780年2月5日ですから、かつてのように、成人の日が1月15日に固定されている時代だったら、ちょうどその頃のお話ということになりましょうか。

 大坂の油屋に奉公する久松は、養父である野崎村の農家・久作の妻の連れ子おみつと許婚でしたが、久松本人はおみつに対する恋愛感情はなく、店の娘お染とも相思相愛の仲で、お染は久松の子を宿していました。

 しかし、主人と奉公人の許されぬ恋であるうえ、お染には山家屋との縁談もまとまり、2人の前途に希望はありません。そうしたところへ、久松には店の金を使い込んだ疑いがかかり(後に冤罪であったことが明らかになりますが…)、しばらく親元に帰されることになりました。久松は嫌疑が晴れれば店に戻るはずでしたが、同行してきた小助は「金返せ」と暴れます。

 すでに、久松のトラブルを知っていた久作は、全財産を売り払って一丁銀を用意しており、小助に渡して追い返し、これを機に久松とおみつの祝言を挙げさせる心づもりでした。

 事情はともあれ、店に戻るわけにいかなくなった久松ですが、彼と一緒になることをずっと心待ちにしていたおみつは、思いがけず、すぐに祝言となったことに大喜び。まさに幸せの絶頂で、包丁に顔を写して髪を直してみたりして、いそいで準備に取り掛かります。

 この間にも、おみつの存在を知らず、久松のことを忘れられないお染は一路、久松のいる野崎へ向かいました。半刻の後、お染は久松の家に現れました。田舎の農家の裏木戸には不似合いな、垢抜けた振袖(清方の絵画では、お染の振袖の地色には黒・藍・臙脂・胡粉等の混合色が用いられており、非常に深みのある色合いになっています)のお嬢様を見て、おみつは彼女が久松と恋仲にあることを瞬時に見抜くのですが、ひとまず、久作はおみつを連れて引っ込み、お染と久松は二人きりになります。そこで、一緒になれないならひとりで死ぬというお染の言葉に心中を決意する久松。事情を察している久作が出てきて諭し、二人も一度は分かれることを決意しました。

 こうなった以上、ともかくも早く娘の祝言を済ませてしまおうと久作がおみつを呼ぶと、出てきたおみつは綿帽子の下の髪を落とし、首に数珠をかけて尼になっていました。自分と無理に結婚させようとしたら、久松はきっとお染と心中する。それなら、自分は身を引いて尼になるから、死なないでほしい…。

 ここで出てくるのが、「うれしかったは たった半刻」の名台詞です。

 その後、人目を避けるため、2人は別々の道で大阪へ戻ることになりました。お染を引き取りに来たお常が土産として持参した箱には久作が用立てた分のお金が入っており、その返礼に久作はお常に白梅を渡します。お染の手を引くお常が梅の枝を持っているというのは、このことを踏まえたものでしょう。そして、2人が去った後、おみつが久作にすがりついて号泣するところで舞台は幕が下りる、というのが「野崎村」のあらすじです。

 ただし、後日談としては、結局、久松とお染は心中して死んでしまいます。彼らにとっての“うれしかった”時間も、結局のところ、長続きはしなかったということになります。

 なお、今回ご紹介の1枚をはじめ、振り袖姿の女性が描かれた切手と、それにまつわる物語については、拙著『日の本切手 美女かるた』でもいろいろご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 本日、トークやります。
2016-07-23 Sat 00:57
 昨日(22日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館全日本切手展2016(以下、全日展)がスタートしました。今回は、8月5日開幕のリオデジャネイロ五輪直前の開催ということで、会場内9階第5会議室では“オリンピックとブラジル切手展”も併催しており、本日(23日)は僕も15:00から「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントをやります。というわけで、きょうはこんなモノをご紹介します。

      オリンピックとブラジル切手展・小型印

 これは、今回の“オリンピックとブラジル切手展”の記念絵葉書(私製)に、笠戸丸移民100周年を記念して2008年に設定された“日本・ブラジル交流年”の記念切手のうち、オニオオハシの切手を貼り、今回の切手展の小型印を押して、オニオオハシの3点揃いとしたものです。葉書と小型印は、全日展の小型印ではおなじみの嘉藤雅子さんのデザインで、オニオオハシがブラジル最初の切手“牛の目”をくわえているのがミソです。

 オニオオハシは、“アマゾンの(空飛ぶ)宝石”とも呼ばれ、主に南米のギアナからパラグアイの熱帯雨林に生息していますが、特にブラジルの国鳥として知られています。オオハシ科のなかで最も大きく体長は60センチメートル程であり、明るい黄色やオレンジ、赤い色で彩られた20センチメートル程の大きなクチバシが特徴です。クチバシの内部は空気を多く含んだスポンジ状になっており、いるため、細い枝に実った果実を、その枝に止まらずに採取できる仕組みになっています。

 さて、かねてご案内の通り、現在、リオ五輪開催にあわせて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』を刊行すべく、制作作業を進めています。奥付上の刊行日は8月9日で、まだ実物は出来上がっていないのですが、本日のトーク・イベントはその予告編となるように、切手や絵葉書でたどるリオデジャネイロの歴史散歩といった内容にするつもりです。

 また、トーク・イベントの会場にて、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』をご予約いただいた方には、実物が出来上がり次第、送料無料で著者サイン入り本を郵送するほか、今回ご紹介の葉書に、会場内の臨時出張所で“オリンピックとブラジル切手展”の小型印を押して、僕が自分で書いたお礼状をお送りする予定です。(ただし、オニオオハシの切手を人数分手配するのはちょっと難しいので、切手は別のデザインのモノを考えています)

 つきましては、東京・錦糸町のすみだ産業会館9階大5会議質にて、本日15:00から開催のトーク・イベント「リオデジャネイロ歴史紀行」に、ぜひ、遊びに来ていただけると幸いです。

 * 昨晩、アクセスカウンターが168万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。
       
 
 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 ふんどしの日
2016-02-14 Sun 10:36
 きょう(14日)は、2と14で“ふんどし”と読む語呂合わせから、日本ふんどし協会(2011年12月14日設立)が制定した“ふんどしの日”です。というわけで、昨年同様、“ふんどしの日”を祝して、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      文通週間・草津

 これは、2007年9月28日に発行された国際文通週間の切手で、歌川広重の『東海道五拾三次』の「草津」が取り上げられています。

 草津宿は東海道と中山道が合流・分岐する重要な宿場であり、また、琵琶湖の交通の要所でした。画面後方に描かれた“うばが餅”を出す茶屋のところで、大津へ行く道は瀬田経由と矢橋経由に分かれており、“瀬田へ回ろか矢橋へ下ろか、ここが思案の姥ケ餅”との俗謡もありました。

 茶屋の前には籠の乗り場があり、広重の浮世絵でも、前曵き、後押しと横に肩代わりの人足がつく5人がかりの早駕篭や家型の大きな荷を担ぐ4人の人足がえがかれています。描かれている人足は、いずれも、上半身裸のふんどし姿で、当時としてはこれが当たり前の光景だったことがわかります。ちなみに、ふんどし姿での外出が禁止されたのは、、明治維新後の1872年12月、当時の東京府知事が違式註違条例を発令されてからのことで、日本の歴史全体の中では、ごく最近のことでしかありません。

 さて、相撲のまわしまで含めると、ふんどし姿の男性を描く切手はいろいろとあります。やはり日本男児たるもの、毎年2月14日には、そうした切手を毎年1枚ずつご紹介していこうかと思いますので、西洋由来のチョコレートではなく、うばが餅でも頬張りながら、お付き合いください。

 * 昨晩、アクセスカウンターが162万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。

 
 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 3月8日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 ノーベル物理学賞に梶田隆章氏
2015-10-07 Wed 09:51
 スウェーデン王立科学アカデミーは、きのう(6日)、今年のノーベル物理学賞を、陽子崩壊時に放出される素粒子のうちの中性微子、ニュートリノに質量があることを初めて確認した梶田隆章・東京大宇宙線研究所長と、カナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授の2人に授与すると発表しました。日本人の授賞としては、前日(5日)の医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授に続き2日連続、物理学賞としては、昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二(米国籍)の3氏に続き2年連続です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      神岡・風景印

 これは、岐阜県の神岡郵便局の風景印で、左下には、岐阜県飛騨市の神岡鉱山地下にある観測装置“スーパーカミオカンデ”が描かれています。ちなみに、カミオカンデの上に描かれている神岡城は、1970年、神岡鉱山を経営していた三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所の創業100周年記念として建設されたもので、内部には、神岡鉱山の施設・鉱石などが展示、紹介されています。

 さて、スーパーカミオカンデは、東京大学宇宙線研究所によって岐阜県飛騨市神岡町(旧吉城郡)神岡鉱山内に建設されたニュートリノ検出装置で、5万トン超純水を蓄えた直径40mのタンクと、その内部に設置した1万1200本の光電子増倍管(ニュートリノが水の中の電子に衝突した後、高速で移動する電子より放出されるチェレンコフ光を検出するための装置)で構成されています。

 ニュートリノはモノを貫通する能力が高く、他の物質と反応することなく簡単に地球を抜けていってしまいますが、まれに他の物質と衝突することがあります。このまれに起こる衝突を検出することで間接的に陽子崩壊を実証するために建設されたのが、1983-96年に稼働していたカミオカンデで、今回ご紹介の風景印に描かれているスーパーカミオカンデはそれをバージョンアップさせたものとして、1996年から稼働しています。なお、カミオカンデ、スーパーカミオカンデは、いずれも地下に設置されていますが、これは、陽子崩壊時に放出されるニュートリノ以外の粒子の影響を避けるためです。

 今回、ノーベル賞を受賞した梶田氏は、1998年、スーパーカミオカンデ上空で発生して飛来するミュー型ニュートリノの数に比べて、地球内部を突き抜けて真下から飛んでくるミュー型ニュートリノの数が半分程度しかなかったことに着目し、その原因は、地球の反対側から飛んで来る間に、ミュー型ニュートリノがタウ型ニュートリノに変わる“振動”が起きたためと考えました。それまで、ニュートリノには質量はないと考えられていましたが、質量がなければ振動も生じないため、そのことによって、ニュートリノにも質量があることが確認されたというわけです。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 月明かりに照らされた美女
2015-09-27 Sun 23:18
 きょう(27日)は中秋節です。というわけで、現時点での僕の最新作『日の本切手 美女かるた』の中から、“月”にまつわる切手ということで、この1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      橋姫

 これは、2008年に発行された“『源氏物語』一千年紀”のシートのうち、『源氏物語絵巻』の「橋姫」を取り上げた1枚です。

 光源氏の異母弟・八の宮は、かつては冷泉院の次の春宮(皇太子)候補でしたが、その話は立ち消えになり、本人には何の非もないのに、世間から疎まれる存在になっていました。また、彼には大君と中の君の2人の娘がいましたが、妻は中の君を産んですぐに死亡。俗世に関心を失った八の宮は出家を考えたものの、幼い娘を育てなければなりません。次第に家臣も去り、生活も不如意になっていく中で、彼は娘を育てながら、仏道の勤行に励んでいました。

 その後、八の宮の邸宅は火事で焼けてしまい、一家はやむなく宇治の山荘に移り住みますが、都を離れたことで、ますます世の中からは忘れられていきました。

 一方、宇治には八の宮と交流のある阿闍梨がいました。阿闍梨は冷泉院にも進講しており、折に触れ宇治の様子を院に話していました。院のそばで控える薫(光源氏の正妻・女三の宮と柏木の不義の子)は、そこから八の宮のことを知り、興味を持ちます。

 阿闍梨の仲介を経て、宇治に赴き八の宮に会った薫は、その人徳にすっかり感服し、以後、宇治へと通うようになりました。

 それから3年後のある秋の日、薫が八の宮の山荘に近づくと、箏と琵琶の優美な演奏が聞こえてきました。

 屋敷の者に尋ねると、そもそも、八の宮は2人の娘がいることを公にはしておらず、客人があるときは彼女たちも楽器を弾かないが、誰もいないときには、このように演奏を楽しんでいるとのこと。興味を惹かれた薫は、しばらく物陰に潜んで姉妹の演奏を聴いていましたが、その顔は良く見えません。そこへ、月明かりが射し込み、中の君が「扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり(扇でなくて、いま手にしている琵琶の撥でも月を招きよせていいのね)」といいます。『和漢朗詠集』にある「月重山に隠れぬれば、扇をあげて之を喩ふ」を踏まえた物言いです。

 今回ご紹介の切手はこの場面を取り上げたもので、オリジナルの絵巻物では画面の右側に薫の姿が描かれていますが、切手ではトリミングでカットされています。

 月明かりに照らされた中の君の顔は「いみじくらうたげに 匂ひやかなるべし(たいそう可愛らしくつやつやしているのであろう)」、大君の顔は「今少し重りかによしづきたり(中の君よりももう少し落ち着いて優雅な感じがした)」。こうして、田舎に埋もれさせておくには惜しい風情の姉妹に、薫は心惹かれていくことになります。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細はこちらをご覧いただくか、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 卍と鉤十字
2015-08-21 Fri 23:26
 大手衣料品チェーンの“しまむら”は、きのう(20日)、消費者からの指摘を受けて、今年7月からナチスドイツがシンボルとして使っていた“鉤十字”をデザインした商品の販売を取りやめました。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      東大寺・大仏蓮弁毛彫
 
 これは、2002年に発行された世界遺産シリーズ第7集のうち、東大寺・大仏の蓮華座の花弁に刻まれた釈迦説法像(大仏蓮弁毛彫)が取り上げられています。釈迦の胸の部分をよく見ていただくと、ナチスの鉤十字とデザイン上は全く同一の右卍(=卐)がしっかりと刻まれているのがお分かりかと思います。

 卍は単純なデザインゆえ、洋の東西を問わず、古くから自然発生的に使われていました。卍のデザインされたもっとも古い遺物は新石器時代のインドのものですが、ハインリッヒ・シュリーマンの発見したトロイの遺物の中にも卍のデザインが見られます。このため、シュリーマンは、卍を古代のインド・ヨーロッパ語族に共通の宗教的シンボルと考えていました。

 古来、インドでは卍は吉祥の印とみなされており、左旋回の卍は和の源といわれ、右旋回の卐は力の源とされてきました。このため、ヒンドゥーではヴィシュヌ神の胸の旋毛として、仏教では釈迦の胸の瑞相としてデザインされてきたほか(このため、今回ご紹介の釈迦像に限らず、卍を胸にデザインした仏像はアジア各地で数多くあります)、ジャイナ教でも信仰のシンボルとして用いられています。わが国では、仏教関係以外にも、卍を家紋として使う例も数多くありました。

 一方、ナチス・ドイツの鉤十字は、シュリーマンが卍をインド・ヨーロッパ語族に共通のシンボルと考えたことを根拠として、アーリア人の象徴として、1920年に党章として採用したものです。したがって、3000年以上前にまで遡るとされる卍の歴史のなかで、ナチスとの関連はわずか100年に満たないということは留意しておくべきだと思います。

 もちろん、僕はナチス・ドイツによる数多くの蛮行を擁護するつもりはありませんし、それゆえ、ナチスを礼賛する意図をもって鉤十字をデザインした商品を販売することには賛成しかねます。今回の問題となった“しまむら”の商品については、ネット上の画像を見る限り、黒十字を背景に鉤十字を重ねたデザインになっており、明らかにナチスを連想させる仕様になっていましたから、現在の価値観からすれば軽率のそしりは免れないでしょう。

 ただし、その一方で、卍であれば、明らかにナチスとは無関係のものであっても“臭いものには蓋”よろしく、無条件にすべて排除してしまおうという風潮が無きにしも非ずという現状には、大いに首をかしげざるを得ません。たとえば、少林寺拳法のシンボルマークであった盾卍が、ヨーロッパの一部の国では使用することができないために変更を余儀なくされたというのは、明らかに、理不尽な話です。

 まぁ、日本を含むアジアについての知識が乏しい欧米人が単純に卍をナチスと同一視してしまうのは、ある程度やむを得ないにしても、日本の伝統文化の中で使われている卍については、その意味や歴史的背景などを、もっと我々自身がきちんと発信していかねばなりませんな。もっとも、この切手を貼ってドイツ宛に差し出した郵便物が、ナチスを連想させるとして差出人戻しになったとしたら、それはそれで興味深いマテリアルにはなるのですが…。


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        税込2160円

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