内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ムガベ大統領、辞任
2017-11-22 Wed 02:46
 1980年の独立以来、37年間にわたってジンバブエのジエンを握り続けてきたロバート・ムガベ大統領が、きのう(21日)、辞任しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジンバブエ・独立10周年

 これは、1990年にジンバブエで発行された“独立10周年”の記念切手で、左側のグレーのスーツ姿の人物がムガベです。

 ロバート・ムガベは、1924年2月21日、英領南ローデシアの西マショナランド州ジンバ郡で生まれました。カトリック教徒として育てられ、17歳で教員資格を取得。1951年に南アフリカのフォート・ヘア大学文学部を卒業したほか、南アフリカ大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス等で学び、1958年、ガーナのアクラで師範学校に勤務しました。

 1960年、南ローデシアに帰国後はマルクス主義に傾倒。ジョシュア・ンコモ率いる国民民主党(NDP。後にジンバブエ・アフリカ人民同盟:ZAPU)に参加しましたが、1963年に同党を離党し、同党と対立関係にあったジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)に参加し、書記長に任命されました。

 一方、1960年代に入って黒人の独立運動が激しくなると、1965年、現地の植民地政府は白人中心のローデシア共和国として独立を宣言し、南アフリカ共和国のアパルトヘイトにならった人種差別政策を展開。この間の1964年、ムガベは、ンコモらとともに逮捕、拘留され、10年間されました。

 1974年、刑期を満了して釈放されたムガベはモザンビークに出国し、中国の軍事支援を受けジンバブエ・アフリカ民族解放軍(ZANLA)を結成してローデシア政府軍と武装闘争を展開。1978年3月3日、スミス白人政権と、アベル・ムゾレワ司教、シトレら黒人穏健派指導者は、ソールズベリーの総督官邸で停戦協定が調印されます。その結果、暫定国家“ジンバブエ・ローデシア”を経て、1980年、英国の調停により、ローデシア共和国を解消したうえで、あらためて独立国家ジンバブエが誕生しました。初代大統領はカナーン・バナナ、首相はロバート・ムガベです。

 首相に就任したムガベは、当初、黒人と白人の共存した国づくりを訴え、白人の土地を黒人に分け与える農地改革の実施も凍結。イアン・スミス元首相ら旧政権の白人指導者も逮捕されず、教育や医療に資金を充てたことで低い乳児死亡率とアフリカ最高の識字率を達成し、経済運営も順調でした。白人社会との融和政策は「アフリカでの黒人による国家建設のモデル」と称賛され、経済運営の成功とも相まって、当時のムガベ政権は“ジンバブエの奇跡”と絶賛されていました。また、現在となっては信じられないことですが、独立当初のジンバブエ・ドル(ZWD)の対外レートは、米ドル1に対してZWD0・68と、ZWDの方が米ドルよりも価値が高かったほどです。

 ところが、1987年末、大統領に就任したムガベは次第に独裁傾向を強め、徐々に教育や医療の予算は削られ、一族による国費の濫費が目立つようになります。はたして、1990年には17%(年率。以下同)だったインフレ率は、1991年には一挙に48%にまで急上昇。その後、1993-97年には、インフレ率はおおむね20%で落ち着きますが、1998年には再び48%を記録。1999-2000年には50%台となりました。

 その背景には、1998年に勃発したコンゴ内戦がありました。1999年、ムガベは、コンゴ国内に一族の名義で所有していたダイヤモンド鉱山を守るとともに、コンゴでの新たな資源獲得を目指して、大規模な兵力を派遣しましたが、経済状況が悪化する中での大義なき戦争は、当然のことながら、国民の怨嗟の的になります。

 このため、対応を迫られたムガベは、2000年8月、白人の所有していた大農場を強制的に接収し、協同農場で働く黒人農民に分配し始めました。いわゆる“ファスト・トラック”政策です。この結果、白人の持っていた農業技術や農場経営のノウハウが失われ、ジンバブエの農業は壊滅状態に陥り、食糧危機が発生しました。インフレは加速され、2001年にはついにインフレ率132%を記録。以後、ZWDの価値はつるべ落としのごとく急落し、2004年にはインフレ率624%に到達します。

 国家経済の破綻に直面したジンバブエ準備銀行(中央銀行)は、2006年8月、1000旧ZWDを1第2ZWDとするデノミネーション(デノミ)を断行。米ドルに対する交換レートも1米ドル=101第2ZWDへと切り下げ、事実上の預金封鎖や暴力による交換の阻止などを行って、マネー・サプライの22%に相当する数十兆の旧ZWDを第2ZWDに交換させずに紙屑とするという荒療治に打って出ます。ちなみに、資産防衛の必要に迫られた人々が、手持ちの旧ZWDを使いきるために証券を買いあさったため、ジンバブエ証券取引所の株価指数は、2006年6月から2007年6月までの1年間で株価が3万9000%上昇するという異常なバブルとなりました。

 しかし、こうした荒療治を持ってしても、政府の根本的な経済政策が改まらない以上、物価は沈静化せず、2006年のインフレ率は1281%を記録。苛立つジンバブエ準備銀行は、インフレーションを“違法”と宣言。生活必需品の値上げが法律によって禁止され、製品を値上げしたとの理由で会社経営者が逮捕されるという前代未聞の出来事まで起こっています。もはや、ジンバブエにまともな経済政策が存在しなくなったことは誰の目にも明らかになり、2007年のインフレ率は6万6212%にまで跳ね上がりました。

 このため、2008年8月1日、100億第2ZWDを1第3ZWDとする再デノミが行われましたが、インフレはとどまるところを知らず、2008年のインフレ率は35万5000%を記録。日本でも話題となった100兆ZWD紙幣の登場は、この第3ZWDの時期のことです。

 その後、2009年2月2日には1兆第3ZWDを1第4ZWDとするデノミが行われましたが、第4ZWDの寿命も長くはないものと予想されたため、第4ZWDの導入に先立ち、ジンバブエ政府は、米ドルおよび南アフリカ・ランドでの国内決済を可能とし、公務員の2月分の給与を米ドルで支払いました。ついに、政府が自ら自国通貨での支払いをストップしたのです。

 以後、ジンバブエのハイパー・インフレは急速に終息。ムガベ政権はインフレを終息させた“実績”を口実に独裁傾向を一層強め、反対派を弾圧して権力の座に居座り続けました。

 ところが、2016年12月17日、与党ZANUは2018年に予定される大統領選挙の候補者としてムガベを指名した頃から、後継者問題が真剣に議論されるようになります。というのも、2018年の大統領選挙でムガベが7選を達成し、その任期を満了すると、彼は100歳近くまで在職することになるからです。

 ムガベ本人は90歳を超えても後継者の指名や、自身の退任に関して言及することを避けてきたものの、グレース・マルフ夫人(ムガベは、最初の妻・サリーとの死別後、1996年に再婚。ムガベの41歳年下)と、軍の支持を得るエマーソン・ムナンガグワ副大統領の間で後継争いが激化します。そして、2017年11月6日、グレースを後継者としたいムガベがムナンガグワを第1副大統領から解任したことで国軍が反旗を翻し、事実上のクーデターを敢行して国家権力を掌握。ムガベは自宅軟禁下に置かれました。

 当初、ムガベは2018年の大統領選挙より前の辞任を拒否していましたが、11月19日、与党ZANU-PFはムガベを党首の座から解任。21日には、議会ではムガベがグレース夫人に権力奪取を許したことを理由に弾劾手続きを開始したことから、同日、ムガベは辞表を提出し、37年間の超長期政権にも、ようやく幕が下りることになりました。


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 国庫の残金217ドル
2013-02-01 Fri 11:23
 経済的に破綻状態にあるアフリカ南部のジンバブエで、テンダイ・ビティ財務相が記者会見を行い、先週末の公務員給与を支払った後、国庫には米ドルで217ドルしか残らなかったことを明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ジンバブエ・米ドル表示

 これは、昨年(2012)、ジンバブエで発行された額面が米ドル表示の通常切手のうち、1ドル切手です。

 現在のジンバブエに相当する地域は、かつてイギリスの植民地支配下で南ローデシアと呼ばれていました。1960年代に入って黒人の独立運動が激しくなると、1965年、現地の植民地政府は白人中心のローデシア共和国として独立を宣言し、南アフリカ共和国のアパルトヘイトにならった人種差別政策を展開。これに対して黒人側はゲリラ活動で抵抗し、1980年、イギリスの調停により、ローデシア共和国を解消したうえで、あらためて独立国家ジンバブエが誕生しました。初代大統領はカナーン・バナナ、首相はロバート・ムガベです。

 首相に就任したムガベは、当初、黒人と白人の共存した国づくりを訴え、白人の土地を黒人に分け与える農地改革の実施も凍結。イアン・スミス元首相ら旧政権の白人指導者も逮捕されず、教育や医療に資金を充てたことで低い乳児死亡率とアフリカ最高の識字率を達成し、経済運営も順調でした。現在となっては信じられないことですが、独立当初のジンバブエ・ドル(ZWD)の対外レートは、米ドル1に対してZWD0・68と、ZWDの方が米ドルよりも価値が高かったほどです。

 ところが、1987年末、大統領に就任したムガベは次第に独裁傾向を強め、徐々に教育や医療の予算は削られ、一族による国費の濫費が目立つようになります。はたして、1990年には17%(年率。以下同)だったインフレ率は、1991年には一挙に48%にまで急上昇。その後、1993-97年には、インフレ率はおおむね20%で落ち着きますが、1998年には再び48%を記録。1999-2000年には50%台となりました。

 その背景には、1998年に勃発したコンゴ内戦がありました。1999年、ムガベは、コンゴ国内に一族の名義で所有していたダイヤモンド鉱山を守るとともに、コンゴでの新たな資源獲得を目指して、大規模な兵力を派遣しましたが、経済状況が悪化する中での大義なき戦争は、当然のことながら、国民の怨嗟の的になります。

 このため、対応を迫られたムガベは、2000年8月、白人の所有していた大農場を強制的に接収し、協同農場で働く黒人農民に分配し始めました。いわゆる“ファスト・トラック”政策です。この結果、白人の持っていた農業技術や農場経営のノウハウが失われ、ジンバブエの農業は壊滅状態に陥り、食糧危機が発生しました。インフレは加速され、2001年にはついにインフレ率132%を記録。以後、ZWDの価値はつるべ落としのごとく急落し、2004年にはインフレ率624%に到達します。

 国家経済の破綻に直面したジンバブエ準備銀行(中央銀行)は、2006年8月、1000旧ZWDを1第2ZWDとするデノミネーション(デノミ)を断行。米ドルに対する交換レートも1米ドル=101第2ZWDへと切り下げ、事実上の預金封鎖や暴力による交換の阻止などを行って、マネー・サプライの22%に相当する数十兆の旧ZWDを第2ZWDに交換させずに紙屑とするという荒療治に打って出ます。ちなみに、資産防衛の必要に迫られた人々が、手持ちの旧ZWDを使いきるために証券を買いあさったため、ジンバブエ証券取引所の株価指数は、2006年6月から2007年6月までの1年間で株価が3万9000%上昇するという異常なバブルとなりました。

 しかし、こうした荒療治を持ってしても、政府の根本的な経済政策が改まらない以上、物価は沈静化せず、2006年のインフレ率は1281%を記録。苛立つジンバブエ準備銀行は、インフレーションを“違法”と宣言。生活必需品の値上げが法律によって禁止され、製品を値上げしたとの理由で会社経営者が逮捕されるという前代未聞の出来事まで起こっています。もはや、ジンバブエにまともな経済政策が存在しなくなったことは誰の目にも明らかになり、2007年のインフレ率は6万6212%にまで跳ね上がりました。

 このため、2008年8月1日、100億第2ZWDを1第3ZWDとする再デノミが行われましたが、インフレはとどまるところを知らず、2008年のインフレ率は35万5000%を記録。日本でも話題となった100兆ZWD紙幣の登場は、この第3ZWDの時期のことです。

 その後、2009年2月2日には1兆第3ZWDを1第4ZWDとするデノミが行われましたが、第4ZWDの寿命も長くはないものと予想されたため、第4ZWDの導入に先立ち、ジンバブエ政府は、米ドルおよび南アフリカ・ランドでの国内決済を可能とし、公務員の2月分の給与を米ドルで支払いました。ついに、政府が自ら自国通貨での支払いをストップしたのです。

 以後、ジンバブエのハイパー・インフレは急速に終息していくのですが、同時に、このことは、ZWDという彼らの通貨が完全に壊死してしまったことの裏返しでしかないといえましょう。

 さて、ハイパー・インフレの進行に伴い、郵便料金も毎日のように値上げされ、それに伴い、新発行の切手の額面もうなぎ上りにつりあがっていきましたが、当然のことながら、度重なる料金の改定に新額面の切手の供給が追い付かず、また、多数の切手を貼らなければ葉書1通差し出せないという状況が続いていました。

 このため、2008年4月24日に発行された“ネズミの切手”を最後に、ジンバブエ郵政は額面数字の入った切手の発行を断念。切手には、額面数字の代わりに、国内向け料金を意味するZ、アフリカ諸国宛料金を意味するA、ヨーロッパ諸国宛料金を意味するE、その他諸国宛料金を意味するRの文字が表示され、日々の郵便料金に応じて切手を発売するという方式が採られるようになりました。

 当初、料金の精算は“X月X日のE切手は51万7000ZWD”といった具合に、ZWD建てとなっていましたが、政府がみずから実質的にZWDを放棄したことから、現在では米ドルないしは南アフリカランド建てとなりました。現在、ジンバブエ郵政のHPは閉鎖されてしまったようでアクセスできないのですが、2010年3月に僕がチェックした時には、2009年9月1日以降の郵便料金として、国内宛の郵便物の基本料金は米ドルで25セント、外国宛の郵便物に関しては、アフリカ諸国宛が米ドルで50セント、南アフリカ・ランドで5ランドとなっていました。

 その後も、ジンバブエ切手の額面はアルファベットでの略号表示になっていましたが、実質的に、ジンバブエの郵便局では米ドルでの決済が行われていたこともあって、2010年以降、米ドル表示の切手が発行されるようになりました。今回ご紹介の切手も、その1種というわけですが、現在の国家財政では、217枚しか買えないという感情ですな。
 
 なお、ジンバブエの経済状況については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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 ジンバブエ独立30年
2010-04-18 Sun 23:42
 アフリカ南部のジンバブエが1980年4月18日に独立してから、きょうでちょうど30年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジンバブエ・現代芸術小型シート

 これは、昨年(2009年)、ジンバブエで発行された“ジンバブエ人アーティストによる現代絵画”の小型シートで、収められている切手の額面が数字ではなく、用途を示す記号になっているのがミソです。

 現在のジンバブエに相当する地域は、かつてイギリスの植民地支配下で南ローデシアと呼ばれていました。1960年代に入って黒人の独立運動が激しくなると、1965年、現地の植民地政府は白人中心のローデシア共和国として独立を宣言し、南アフリカ共和国のアパルトヘイトにならった人種差別政策を展開。これに対して黒人側はゲリラ活動で抵抗し、1980年、イギリスの調停により、ローデシア共和国を解消したうえで、あらためて独立国家ジンバブエが誕生しました。初代大統領はカナーン・バナナ、首相はロバート・ムガベです。

 首相に就任したムガベは、当初、黒人と白人の共存した国づくりを訴え、白人の土地を黒人に分け与える農地改革の実施も凍結。イアン・スミス元首相ら旧政権の白人指導者も逮捕されず、教育や医療に資金を充てたことで低い乳児死亡率とアフリカ最高の識字率を達成し、経済運営も順調でした。現在となっては信じられないことですが、独立当初のジンバブエ・ドル(ZWD)の対外レートは、米ドル1に対してZWD0・68と、ZWDの方が米ドルよりも価値が高かったほどです。

 ところが、1987年末、大統領に就任したムガベは次第に独裁傾向を強め、徐々に教育や医療の予算は削られ、一族による国費の濫費が目立つようになります。はたして、1990年には17%(年率。以下同)だったインフレ率は、1991年には一挙に48%にまで急上昇。その後、1993-97年には、インフレ率はおおむね20%で落ち着きますが、1998年には再び48%を記録。1999-2000年には50%台となりました。

 その背景には、1998年に勃発したコンゴ内戦がありました。1999年、ムガベは、コンゴ国内に一族の名義で所有していたダイヤモンド鉱山を守るとともに、コンゴでの新たな資源獲得を目指して、大規模な兵力を派遣しましたが、経済状況が悪化する中での大義なき戦争は、当然のことながら、国民の怨嗟の的になります。

 このため、対応を迫られたムガベは、2000年8月、白人の所有していた大農場を強制的に接収し、協同農場で働く黒人農民に分配し始めました。いわゆる“ファスト・トラック”政策です。この結果、白人の持っていた農業技術や農場経営のノウハウが失われ、ジンバブエの農業は壊滅状態に陥り、食糧危機が発生しました。インフレは加速され、2001年にはついにインフレ率132%を記録。以後、ZWDの価値はつるべ落としのごとく急落し、2004年にはインフレ率624%に到達します。

 国家経済の破綻に直面したジンバブエ準備銀行(中央銀行)は、2006年8月、1000旧ZWDを1第2ZWDとするデノミネーション(デノミ)を断行。米ドルに対する交換レートも1米ドル=101第2ZWDへと切り下げ、事実上の預金封鎖や暴力による交換の阻止などを行って、マネー・サプライの22%に相当する数十兆の旧ZWDを第2ZWDに交換させずに紙屑とするという荒療治に打って出ます。ちなみに、資産防衛の必要に迫られた人々が、手持ちの旧ZWDを使いきるために証券を買いあさったため、ジンバブエ証券取引所の株価指数は、2006年6月から2007年6月までの1年間で株価が3万9000%上昇するという異常なバブルとなりました。

 しかし、こうした荒療治を持ってしても、政府の根本的な経済政策が収まらない以上、物価は沈静化せず、2006年のインフレ率は1281%を記録。苛立つジンバブエ準備銀行は、インフレーションを“違法”と宣言。生活必需品の値上げが法律によって禁止され、製品を値上げしたとの理由で会社経営者が逮捕されるという前代未聞の出来事まで起こっています。もはや、ジンバブエにまともな経済政策が存在しなくなったことは誰の目にも明らかになり、2007年のインフレ率は6万6212%にまで跳ね上がりました。

 このため、2008年8月1日、100億第2ZWDを1第3ZWDとする再デノミが行われましたが、インフレはとどまるところを知らず、2008年のインフレ率は35万5000%を記録。日本でも話題となった100兆ZWD紙幣の登場は、この第3ZWDの時期のことです。

 その後、2009年2月2日には1兆第3ZWDを1第4ZWDとするデノミが行われましたが、第4ZWDの寿命も長くはないものと予想されたため、第4ZWDの導入に先立ち、ジンバブエ政府は、米ドルおよび南アフリカ・ランドでの国内決済を可能とし、公務員の2月分の給与を米ドルで支払いました。ついに、政府が自ら自国通貨での支払いをストップしたのです。

 以後、ジンバブエのハイパー・インフレは急速に終息していくのですが、同時に、このことは、ZWDという彼らの通貨が完全に壊死してしまったことの裏返しでしかないといえましょう。

 さて、ハイパー・インフレの進行に伴い、郵便料金も毎日のように値上げされ、それに伴い、新発行の切手の額面もうなぎ上りにつりあがっていきましたが、当然のことながら、度重なる料金の改定に新額面の切手の供給が追い付かず、また、多数の切手を貼らなければ葉書1通差し出せないという状況が続いていました。

 このため、2008年4月24日に発行された“ネズミの切手”を最後に、ジンバブエ郵政は額面数字の入った切手の発行を断念。切手には、額面数字の代わりに、国内向け料金を意味するZ、アフリカ諸国宛料金を意味するA、ヨーロッパ諸国宛料金を意味するE、その他諸国宛料金を意味するRの文字が表示され、日々の郵便料金に応じて切手を発売するという方式が採られるようになりました。

 当初、料金の精算は“X月X日のE切手は51万7000ZWD”といった具合に、ZWD建てとなっていましたが、政府がみずから実質的にZWDを放棄したことから、現在では米ドルないしは南アフリカランド建てとなっているようです。ちなみに、現在、ジンバブエ郵政のHPは閉鎖されてしまったようでアクセスできないのですが、今年3月にチェックした時には、2009年9月1日以降の郵便料金として、国内宛の郵便物の基本料金は米ドルで25セント、外国宛の郵便物に関しては、アフリカ諸国宛が米ドルで50セント、南アフリカ・ランドで5ランドとなっていました。

 このように、郵便料金が外貨建ての設定になり、それゆえ、インフレにもほとんど左右されることがなくなっている以上、新たに発行される切手には、ZやAなどの用途を示す文字ではなく、額面数字を入れてもよさそうなものですが、最近発行されたサッカーW杯の記念切手でも、そうはなっていません。やはり、国家の名において発行される切手の額面を外貨で表示するのはまずいということなのでしょうな。
 
 もっとも、経済失政のゆえに失業率が9割を超えているというジンバブエの現状では、手紙を出そうにもお金がないという人が大半で、切手の額面がどうなっていようと大した問題ではないのかもしれませんがね。

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