内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の切手:ガーナ
2017-10-17 Tue 16:14
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年10月11日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はガーナ(と一部ルワンダ)の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ガーナ・ンクルマ誕生日(1960)

 これは、1960年9月21日に発行された“ンクルマ大統領誕生日”の記念切手で、国旗を背景に、ンクルマの肖像が取り上げられています。

 アフリカ独立運動の父とも呼ばれるクワメ・ンクルマは、1909年9月21日、英領ゴールド・コーストのンクロフルで生まれました。生家は裕福ではありませんでしたが、幼少時から神童の誉れ高く、1935年、親族に借金して渡米し、リンカーン大学に入学します。同年起きたイタリアのエチオピア侵攻を契機に植民地制度の打倒を志し、苦学しながら、1942年、ペンシルベニア大学で教育学の修士号を、翌1943年には哲学の修士号を取得するとともに、汎アフリカ主義の下、北米のアフリカ人留学生の組織化に努めました。

 1945年5月、渡英してロンドンで西アフリカ学生同盟の副会長に就任。アフリカ出身のエリート留学生(その多くはアフリカ独立運動の指導者となる)を集め、同年、マンチェスターで開かれた第五回汎アフリカ会議では書記を務めます。さらに、1947年、英領ゴールド・コーストでは植民地エリートや伝統首長を中心に連合ゴールド・コースト会議が結成されると、同年12月ンクルマは帰国し、連合ゴールド・コースト会議(以下、連合会議)の事務局長に就任しました。

 英領ゴールド・コーストでは、1948年、大戦後の物価高騰に対する不満から首府アクラで暴動が発生。植民地当局はンクルマを含む連合会議幹部を逮捕しましたが、このことはかえって連合会議の人気を高めたため、英国は妥協策として自治の拡大とアフリカ人主体の立法評議会の設置を提言します。

 連合会議はこれに賛成しましたが、ンクルマら急進派は即時完全自治を要求して1949年に会議人民党を結成。“ポジティヴ・アクション”の名の下、ストライキやボイコットを展開し、下層住民の支持を拡大します。これにより、ンクルマ本人は逮捕されましたが、1951年2月の選挙で会議人民党は改選38議席中34議席を獲得して第一党となり、ンクルマは政府事務主席に就任しました。

 以後、ンクルマは交渉による平和的独立に方針を転換。1952年には政府事務主席を首相と改称し、1954年には新憲法を制定して国内の自治を英国に認めさせました。同年の選挙では、会議人民党は104議席中72議席を獲得して圧勝。これにより、独立はほぼ確定し、1957年、英領ゴールド・コーストは英領トーゴランドと共に英連邦王国内の立憲君主国、ガーナとして独立しました。

 独立後のンクルマ政権は、汎アフリカ主義を掲げ、アフリカ諸国の独立支援と連帯に力を注ぎ、1958年4月、白人国家の南アフリカ連邦を除く当時のアフリカの全独立国家8カ国の首脳をアクラに招き、アフリカ独立諸国会議(CIAS)を開催。また、1958年10月に独立したギニアが旧宗主国のフランスと対立し苦境に陥ると、経済的に支援。インドのジャワハルラール・ネルーやユーゴスラヴィアのティトーとも協力関係をとり、非同盟主義の旗手の1人となりました。

 内政面では、中央集権を進め、“差別廃止”の下に、人種、出身、宗教を基盤とする政党を禁止。これに反発した伝統首長が野党・統一党を結成して抵抗すると、ンクルマは1958年に予防拘禁法を国会で通過させ、批判勢力を力ずくで抑え込みました。

 1960年7月、ガーナは共和制に移行。以後、初代大統領に就任したンクルマは独裁を強化していきます。その一環として、ンクルマ個人崇拝が進められ、彼の誕生日(9月21日)は“建国の父の日”に指定され、今回ご紹介したような記念切手が毎年発行されるようになります。

 翌1961年、物価の高騰や賃金への不満によって大規模な反政府デモが発生すると、ンクルマは労働者を逮捕し、デモを禁止。しかし、独立闘争時にデモ戦術を多用してきたンクルマによるデモ弾圧はガーナ国民の不信を招きました。

 さらに、1962年、ンクルマの暗殺未遂が起こると、ンクルマは独裁の度合いを強め、国民に個人崇拝を強制。1964年には野党を禁止するとともに、高等裁判所の判事を解雇する権限を大統領に付与。三権分立は崩壊し、ガーナは一党独裁制国家となりました。

 一方、経済面では、“アフリカ社会主義”を掲げ、カカオのモノカルチャー経済からの脱却を掲げ、機械化された大規模集団農場の設立、政府系企業の設立など、左翼的な国家主導型の開発政策を展開。ヴォルタ川に建設した巨大なアコソンボダムは一定の成果を挙げたものの、多くの事業は非効率で役人の腐敗の温床となり、ガーナ経済は衰退しました。また、社会主義的な色彩の濃い民族主義政権は、東西冷戦下の西側諸国の警戒感を招き、外国資本の投資も激減。そのため、ンクルマはソ連や中国に接近しましたが、そのことはかえって事態を悪化させた。

 結局、1966年2月、ンクルマが北京とハノイへ外遊中、CIAの支援を受けた軍事クーデターが発生。ンクルマは失脚し、ギニアへの亡命を余儀なくされました。その後、1972年、ンクルマは療養先のルーマニア・ブカレストで病死。その遺体はガーナに移送され、2万人が参列した葬儀を経て、出生地のンクロフルに埋葬されました。

 さて、『世界の切手コレクション』10月11日号の「世界の国々」では、ンクルマとその時代についてまとめた長文コラムのほか、カカオやアソコンボ・ダムの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のガーナの次は、10月11日に発売された10月18日号でのソ連の特集になります。こちらについては、18日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 切手でひも解く世界の歴史(6)
2017-07-27 Thu 04:42
 本日(27日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      ガーナ・ララバンガモスク

 これは、1970年にガーナで発行された“ララバンガ・モスク”の切手です。

 先日の日本選手権で100m、200mの2種目を制したサニブラウン・アブデル・ハキーム選手の氏名は、サニブラウンが姓で、アブデル・ハキームが名です。

 このうち、アブデル・ハキームというのはムスリムに多い名前で、直訳すると“賢いお方の下僕”という意味ですから、日本語風にいうと賢介さんとか賢太郎さんとか、そういう雰囲気になりましょうか。イスラムでは、唯一絶対なる神様、アッラーを讃えるアラビア語の形容詞が99あるのですが、その形容詞に~の下僕を意味するアブド(アブドゥル、アブデルなど発音にはヴァリエーションがあります)をつけた名前がよく見られます。アブドゥッラー(神の下僕)、アブドゥッラフマーン(慈悲深い方の下僕)などはその典型的なケースです。

 したがって、時々、“アブデル”の部分を除いて“サニブラウン・ハキーム選手”と紹介されることがありますが、これだと、名前の意味が全く違ってきてしまうわけです。

 いずれにせよ、サニブラウン選手本人がイスラム教徒なのかどうかは別として、お父さんでガーナ人のラティフさんは、息子の命名に際して、イスラムの文化的背景を意識していたことは間違いないでしょう。

 もっとも、西アフリカの国々ではムスリムが人口の多数派を占めている国も少なくないのですが(たとえば、拙著『マリ近現代史』で取り上げたマリなどは人口の90%がムスリムです)、ガーナの場合は、2010年の国勢調査によると、人口の71.2%がクリスチャン、17.6%がイスラム教徒、5.2%が伝統宗教という構成で、ムスリムは少数派です。

 もともと、ガーナの地には土着の伝統宗教があり、この地を治めていたアシャンティの王が持つ黄金の床几(玉座)には生ける者、死せる者、いまだ生まれぬ者を含めた王国の人々すべての魂が住まうとする信仰を持っていました。その名残は、現在でも、アディングラ(ガーナの最大民族であるアカン人の衣服などに用いられる伝統的なシンボル模様)等にも残っています。一方、キリスト教は、15世紀にヨーロッパ人がガーナ沿岸に到来したのに伴い、この地に伝わりましたが、英国が本格的に進出するようになった19世紀以降、主として、沿岸の都市部で急速に普及しました。

 これに対して、現在のガーナの地にサハラ交易の商人によってイスラムが伝えられたのは15世紀初めと考えられています。この時代のモスクとしては、今回ご紹介の切手に取り上げられたララバンガ・モスクが有名ですが、このモスクは、1421年、同国北部のララバンガ村に建立されたものです。

 モスクというと、一般には、ドーム型の玉ねぎ屋根のある建築を思い浮かべる人も多いと思いますが、ガーナを含む西アフリカでは、ララバンガ・モスクに見られるように、細長い四角錐を並べたようなスタイルのモノが少なくありません。これは、この地域では、雨や地震が少なく、木材も貴重品だったため、梁などを除いて木材の使用を最小限に抑え、日干し煉瓦を組み立て、その表面に土を塗って固めるという建築手法を用いていたためです。こうした建築は、耐久性に乏しく、民家などでも1年に1度くらいは壁を塗りなおす必要がありますから、それが何百年にもわたって残されてきたということはまさに驚くべきことです。

 ちなみに、現在のガーナ共和国は1957年にイギリスから独立しましたが、現在の国名は、かつて8-11世紀、サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国、ガーナ王国にちなんで命名されました。ただし、かつてのガーナ王国の領域は、現在の国名でいうとマリとモーリタニアにまたがる地域で、現在のガーナ共和国の領域とは全く重なっていませんので、注意が必要です。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は27日!★★★ 

 7月27日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第6回が放送予定です。今回は、8月4日の世界陸上開幕に先立ち、サニブラウン選手応援企画でガーナにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ ツイキャス出演のお知らせ ★★★

 7月30日(日)22:00~ 拉致被害者全員奪還ツイキャスのゲストで内藤が出演しますので、よろしかったら、ぜひ、こちらをクリックしてお聴きください。なお、告知のツイートはこちらをご覧ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 切手の帝国:ゴールドコーストからガーナへ
2014-02-04 Tue 11:15
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2014年2月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」では、今回は、バレンタイン・デーにちなんで、カカオを取り上げたゴールドコーストとガーナの切手をご紹介しましたが、その中から、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ガーナ加刷(カカオの収穫)

 これは、1957年、独立直後のガーナで英領ゴールドコースト時代のカカオの収穫場面を描く切手に加刷して発行された6ペンス切手です。

 チョコレートの原料、カカオ豆の生産で知られる西アフリカのガーナは、1957年の独立以前は英国領の植民地で(英領)ゴールド・コーストと呼ばれていました。

 厳密にいうと、ガーナ独立直前のゴールド・コーストは、1946年に、それ以前の旧ゴールド・コースト(英領植民地として確立されたのは1874年)を中心に、英領トーゴランド、アシャンティ、ファンテ保護領などを合併して成立したもので、この地域への英国の本格的な進出は、1821年に英国政府がこの一帯の土地所有権を得たところにさかのぼります。

 1853年、英国は、当時の首府であったケープ・コーストに郵便局を開設し、シェラレオネの首都、フリータウン経由で本国との郵便交換を開始しました。なお、英領ゴールド・コーストとしての最初の切手が発行されたのは1875年のことです。

 さて、1946年に植民地が再編されたのを受けて、1948年、英領ゴールド・コーストでは、現地の風景や用などを紹介する普通切手を発行しました。このうちの6ペンス切手にはカカオの収穫場面が取り上げられています。

 さて、1948年の切手が発行された当時の英国王ジョージ6世は1953年に崩御し、エリザベス2世が後を継ぐと、翌1954年には、現地の労働者のデザインはそのままに、国王の肖像部分のみを女王に入れ替えた切手が発行されました。

 さらに、英領ゴールド・コーストは1957年に独立し、国号をガーナと変更したものの、独立に合わせて、新国家としての正刷切手を必要な種類と枚数、調達することはできませんでした。このため、今回ご紹介の着てのように、英領時代の切手に“GHANA INDEPENDENCE 6th MARCH 1957”の文字を加刷した暫定的な切手が発行されることになりました。まぁ、結果として、これらの切手も、新生ガーナの主要産品としてのカカオ豆を内外に広く宣伝する役割を担うことになったといえないこともないわけですが…。

 ちなみに、ガーナという国名は、かつての西アフリカで金と岩塩の中継貿易で繁栄した黒人王国、ガーナ王国に由来しています。そのガーナ王国の都市として栄華を極めたのが、現在はマリの領内にあるトンブクトゥですが、こちらについては、拙著『マリ近現代史』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 大統領は元日本大使館職員
2013-01-08 Tue 15:50
 西アフリカのガーナで、昨年(2012年)12月に行われた大統領選で当選したジョン・ドラマニ・マハマ大統領の就任式が、現地時間の7日、同国の首都アクラで行われました。大統領は、1991―95年に在ガーナ日本大使館で現地職員として勤務した経験があるそうです。ということで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガーナ・野口英世120年

 これは、1997年にガーナで発行された野口英世生誕120年記念の小型シートです。

 野口英世は、現在のガーナの地域がイギリスの植民地として“ゴールド・コースト”と呼ばれていた1928年、アクラで黄熱病の研究中に亡くなりました。このため、野口の故郷である福島県の県立医科大学がガーナに医師を派遣しているほか、1979年には、日本の無償資金協力(総額32.6億円)によりガーナ大学に野口紀念医学研究所が設立されています。日本政府は同研究所に対する技術協力を続け、同研究所はガーナにおける医学研究の人材育成に大きな成果を残しています。

 さらに、2006年には、アクラを訪問した当時の小泉首相がクフォー大統領との会談で野口英世アフリカ賞の創設を提案。小泉首相は大統領との会談後ほどなくして総理を退任しますが、その総理大臣退職金は全額、賞の基金として寄付されたそうです。

 野口英世アフリカ賞は、アフリカでの感染症等の疾病対策のための研究及び医療活動のそれぞれの分野において顕著な功績を遂げた者を対象に授与されるもので、ノーベル賞に匹敵する賞となることを目指しているそうです。第1回の受賞者は英国のブライアン・グリーンウッド、ケニアのミリアム・ウェレの両氏で、授賞式は2008年に日本で開催された第4回アフリカ開発会議の席上で行われました。なお、授賞式は5年ごとに開催されるアフリカ開発会議の機会を利用して開催されますので、ことし6月に横浜で開催予定の第5回アフリカ開発会議が第2回の授賞式ということになります。

 ガーナというと、外国の収集家目当ての“いかがわしい切手”を発行する国の一つとされており、今回ご紹介の野口切手も日本人に買ってもらうという意図があったことは否定できないでしょう。ただし、ガーナとは全く関係のない浮世絵切手などとは異なり、“野口英世”は日本との友好関係のシンボルともいうべき存在なわけで、この切手に関してはまじめな意図を持って発行されたものとみなしても良いのではないかと思います。

 さて、マハマ大統領は、2009年1月に副大統領に就任。昨年7月、ミルズ前大統領の急死に伴い、大統領に昇格し、昨年末の大統領選挙で当選を果たして本格政権をスタートさせることになりました。大統領は日本大使館では広報文化担当だったそうです。1995年までという勤務時期からすると、今回ご紹介の切手(1997年発行)の発行計画にタッチしていたかどうかは微妙ですが、そうでなくとも、野口英世の事績や日本によるODAの実績などを広くガーナ国民に周知させるための活動に汗をかいていたことは間違いないでしょう。

 ガーナでは、2010年12月に沖合油田での原油生産が始まり、以後、急激な経済成長が続いています。中国の浸食著しいアフリカ諸国の中で、そうした国のトップに日本ともゆかりの深い人物が大統領に就任するというのは、なんとなく、心強いものを感じますな。今後、大統領が野口英世に次ぐ両国友好のシンボルとして大いに活躍されんことをお祈りしております。


 ★★★★ 第1回ヨーロッパ切手展のご案内 ★★★★

 今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてルールに沿ってきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容です。僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

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 マリ北部の独立宣言
2012-04-07 Sat 21:46
 先ごろ、クーデターが発生した西アフリカのマリで、きのう(6日)、同国北部を制圧したトゥアレグ人反政府武装勢力・アザワド解放国民運動(MNLA)が北部の独立を宣言。これに対して、クーデターを起こした軍事政権(民主主義制定のための全国委員会)は、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)が科した経済や外交制裁を解除することを条件に文民政権に実権を移譲することに合意しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ガーナ・ECOWAS5周年

 これは、1980年にガーナが発行したECOWAS5周年の記念切手です。加盟各国の地図のうち、現在話題のマリはEマークの左下にあります。マリの部分に畑を表すと思しき記号が2つ入っているのは、単純にデザイン上の都合だったのでしょうが、2つの記号の間に線を引くと、結果的に、今回のMNLAの主張するアザワド独立国家と軍事政権の支配領域に分割されます。

 切手の主題となったECOWASは、1975年のラゴス条約に基づき設立されました。もともとは、EU(当時はEC)に倣って、関税障壁の撤廃や貿易振興などを通じた経済協力、独立の保障などを通じて、加盟国の経済・生活水準向上や政治的安定を図ることを目的とした経済共同体でしたが、域内の治安維持・紛争防止などのために独自の軍事力を持っていることから、たとえば、リベリアやコートディヴォワールの内戦では、西アフリカ諸国平和維持軍を派遣するなど、紛争解決の役割を担うことが多くなっています。また、そうした軍事力を背景に、クーデターによって政権を掌握した軍事政権に圧力をかけることも少なからずあり、2008年にはギニアが、2009年にはニジェールがクーデターを理由に資格を停止されました。また、コート・ディヴォワールに関しては、2010年の大統領選挙後の混乱を理由に資格が停止されました。

 先月、マリでクーデターが発生すると、ECOWASはアフリカ連合(AU)とともに、マリの軍事政権に対して渡航や経済規制、資産凍結などの制裁を科し、隣接する5ヶ国は人道目的の活動を除き国境を封鎖していました。こうした中で、北部の独立宣言という事態への対応を迫られた軍事政権はクーデターの果実を手放さざるを得なくなったというわけです。

 なお、今回のMNLAによる独立宣言に関して、AUはただちにこれを全面否定するとの声明を発しましたが、事実上の空白状態に陥ったマリ政府がMNLAを抑え込むのはかなりの困難が予想されます。となると、マリ政府の要請を受ける形で、ECOWASが西アフリカ諸国平和維持軍を派遣するということになりそうです。ただし、トゥアレグ人の独立闘争は、マリのみならず、ニジェールなど周辺諸国にとっても深刻な問題となっていますから、対応を誤ると、一挙に混乱が西アフリカの広い範囲に拡大する可能性も否定できません。

 いずれにせよ、MNLAがやすやすと独立宣言を撤回するとは考えられず、彼らとしては、独立の既成事実化を進めていくことが予想されます。その過程で“アザワド切手”が登場するのかどうか、僕としてはそのあたりに興味がありますな。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 下記の通り、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

 詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

 *よみうりカルチャー荻窪での講座のお申込み受付は終了いたしました。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

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 世界のダム:アコソンボ・ダム
2008-09-13 Sat 10:39
 (財)建設業振興基金の機関誌『建設業しんこう』の9月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手の中の世界のダム」では、今回はこの1枚を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 アコソンボダム

 これは、1967年にガーナで発行されたアソコンボ・ダムの切手で、夕日に照らされたボルタ湖の景観が描かれています。

 カカオ豆の産地として知られるアフリカ西部、ギニア湾に面したガーナのアソコンボ・ダムは、同国南東部を流れるボルタ川を堰き止めて造られました。

 ダム建設の計画が最初に建てられたのは、この地域がゴールド・コーストと呼ばれていたイギリス植民地時代の1915年のことでしたが、計画が具体的に動き出したのは1940年代に入ってからのことで、実際の建設作業はガーナとして独立した後の1961年から1965年にかけて行われました。ちなみに、細菌学者の野口英世が首都のアクラで黄熱病の研究中に殉職したのは、1928年のことでしたから、彼もダム建設の計画については耳にしたことがあったかもしれません。

 ダムの建設費用は、世界銀行と米英両国からの融資を含めて1億3000万ポンド。完成したダムは、幅660メートル、高さ114メートルの威容を誇り、100万ワットの発電能力を持っており、ガーナ国内はもとより、近隣のトーゴやベニンにも電力を供給しています。

 ダムの完成によってできた人造湖、ボルタ湖は世界最大規模の面積を誇り、その西側に広がるクジャニ野生保護区と併せて世界中から多くの観光客を集めています。また、ボルタ湖に沈む夕日は絶景として知られています。今回ご紹介の切手でも、日中の青空の下ではなく、夕日に照らされたダムが取り上げられたのは、そうした事情を踏まえてのことなのでしょう。

 * NHK「美の壺」の放送は無事に終了いたしました。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★
    
  アメリカ史に燦然と輝く偉大な「敗者たち」の物語    
   『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税)       
 
 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

 もう一度切手を集めてみたくなったら 
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 ガーナ独立50年
2007-03-06 Tue 00:35
 1957年3月6日にガーナが独立してからちょうど50年になりました。というわけで、今日はこの1枚を持ってきてみました。

ガーナ独立

 これは、1957年3月6日の独立当日に発行された新生ガーナ郵政が発行した独立記念切手で、ガーナの地図にコンドル、初代首相のクワメ・エンクルマが描かれています。

 現在のガーナは、独立以前はイギリスの植民地でゴールド・コーストと呼ばれていました。ちょっとややこしいのですが、このゴールド・コーストは、1946年に、旧英領ゴールド・コーストと英領トーゴランド、アシャンティ、ファンテ保護領などを合併したもので、それ以前の英領ゴールド・コーストのルーツは、1821年にイギリス政府がこの一帯の土地所有権を手にしたところにまでさかのぼります。

 エンクルマは、そのゴールドコーストの鍛冶屋の息子として1909年に生まれ、1935年、イタリアのエチオピア侵攻を聞いて激怒し、植民地制度の打倒を志したといわれています。

 その後、イギリスに渡って独立運動に奔走し、第二次世界大戦後に帰国。1947年に設立された民族主義団体・黄金海岸会議に参加するものの、その穏健路線に飽き足らず、1949年、会議人民党を設立。即時独立の要求を掲げ、ストライキなど強硬な政策を打ち出したため逮捕されますが、1951年の選挙で会議人民党が第一党となったことで、釈放されました。

 その後、1956年にエンクルマにもとに自治政府が成立。となりの英領トーゴランドとあわせて、1957年、現在のガーナとして独立が達成されたというわけです。

 その後、ガーナは1960年にはガーナ共和国となり、エンクルマが大統領似就任します。エンクルマは“パン・アフリカ主義”を掲げて、植民地支配を受ける地域や独立間もない国家への支援を積極的に行いましたが、そのことは、結果的に豊かだったガーナの財政を大きく圧迫します。このため、政権内にもエンクルマの路線に反対する声が強まりますが、彼は大臣らを解任し独裁体制を樹立して乗り切ろうとします。しかし、経済の停滞と汚職の横行で国民の支持を失い、1966年2月24日、北京とハノイへ外遊中に軍・警察のクーデターで失脚し、ギニアでの亡命生活を余儀なくされました。

 エンクルマの生涯はドラマチックですから、その足跡を切手でたどってみると、そこそこ面白いコレクションが作れそうな気がします。いずれ、雑誌『郵趣』の「月々5000円からのコレクション作り」の裏番組として、個人的にチャレンジしてみても良いかなとは思うのですが、まぁ、実現するのは当分先のことになりそうです。
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 ガーナとユダヤ人
2006-06-28 Wed 17:32
 今朝のワールドカップでは、初出場のガーナがブラジルとぶつかりましたが、あえなく負けてしまいましたね。まぁ、仕方のないところでしょう。

 で、サッカーの競技そのものよりも、ワールドカップ関連の小ネタ系ニュースに関心のある僕としては、今回のガーナ・チームに関しては、1次リーグでのチェコとの試合の時、イスラエルのクラブチームに所属する選手がドイツまで応援に来たイスラエルのファンに感謝の意を示そうとしてイスラエル国旗を振って見せたことが政治的アピールと誤解されて問題になり、同国サッカー協会が慌てて謝罪するという事件が一番印象に残っています。というわけで、今日はこんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ガーナのカバー

 これは、1958年5月にガーナの首都アクラからニューヨーク宛に差し出された書留便で、前年のガーナ独立に際して、英領ゴールド・コースト時代の切手に加刷して発行された通常切手が貼られています。

 さて、このカバー(封筒)で注目したいのは、宛名の“Ghana Philatelic Agency”です。この会社こそ、現在、切手の世界で非常に大きな影響力を持っているIGPC(Intergovernmental Philatelic Corporation。日本語ではしばしば“インガバ”と呼ばれている)の前身だからです。

 資源が乏しかったり、輸出産業が未成熟であったりして、外貨獲得の手段が限られている国・地域や、西側諸国との交易が限定されていた社会主義諸国などが、切手を外貨獲得のための重要な手段と位置づけ、海外に輸出するための商品として切手を製造・販売していることは広く知られています。輸出商品としての切手の企画・制作は、当初、社会主義諸国が熱心に行っていましたが、1960年代以降、欧米系の切手エージェントと結託した途上国にも急速に広まっていきました。

 その嚆矢となったのが、今回取り上げたアフリカの小国、ガーナです。

 1957年にイギリスから独立したガーナは、新興国の常として、財政状況的には非常に厳しい状態でしたが、そこに目をつけたのが、後にIGPCの社長となるサム・マラムードです。

 マラムードは、カナダ出身のユダヤ系アメリカ人で、当時はニューヨークで切手商として生計を立てていたといわれています。彼は切手商としての知識と経験、それにおそらくユダヤ系の人脈を活かし、発足後まもないガーナ郵政と接触。ガーナ郵政に切手の輸出による外貨の獲得というプランを採用させ、新興ガーナの一部の切手について、一定以上の売上を前納する代わりに、企画・制作から販売(輸出)までを自分の経営する会社“Ghana Philatelic Agency”が取り仕切る権利を得ることに成功します。こうして、途上国と欧米のエージェントとの間で切手の発行権を売買するというビジネスモデルの原型が誕生しました。

 このガーナの切手ビジネスが一定の成功を収めたことに加え、1950年代末から1960年代にかけて、アフリカなどでは植民地支配から独立する国が相次いだことで、マラムードはビジネスを拡大。現在のIGPCが築かれたというわけです。

 収集家目当てに、実用性に乏しい“いかがわしい切手”を作っている黒幕というイメージが強いせいか、真面目な切手収集家の間ではIGPCの評判は芳しいものではありません。僕も、正直に言うと、いかにもIGPCが作った雰囲気の切手というのは、決して好きじゃありません。とはいえ、現在、同社の顧客リストには、アフリカやカリブ海の小国のみならず、インドやイスラエル、マレーシア、トルコなども含まれており、その影響力を侮ることはできませんから、好き嫌いとは別に、彼らの動向をチェックしておく必要はありそうです。

 ところで、切手の世界では、収集家・切手商ともにユダヤ系の大物が大勢いるせいか、欧米では“Judaica(ユダヤ関連)”というテーマはそれなりに人気があります。ジュダイカのコレクションを作っている人たちは第二次大戦以前の切手や郵便物には興味を持っているものの、IGPCは好きじゃない場合が多いみたいなのですが、彼らに、「このカバーも一種のJudaicaじゃないの?」と聞いてみたら、果たしてどんな顔をするでしょうか。ちょっと気になります。

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