内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の国々:南アフリカ
2017-07-12 Wed 11:17
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年7月12日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は南アフリカの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      南アフリカ・ワイン(1977)

 これは、1977年に発行された“ヴィンテージワインの品質に関する国際シンポジウム”の記念切手で、赤と白のグラスワインが取り上げられています。

 ケープタウンの歴史は、1652年、ファン・リーベックが3隻のオランダ船を率いて上陸し、インド=オランダ航路の中継地としての基礎を築いたことから始まりますが、はやくも1655年には初代総督となったファン・リーベック本人がブドウの苗木を植え、1659年に最初のワインを生産しています。

 第2代総督のシモン・ファン・デル・ステルは、1679年、内陸進出の拠点として、テーブル・マウンテンの山麓にケープタウンに次ぐ第2の都市としてステレンボッシュを建設しました。

 開拓地は1682年に地方自治体となり、翌年には学校も開設されるなど、急速に発展。1685年にはファン・デル・ステル本人が近郊にマナー・ハウスと呼ばれる住居を建設。1689年、その周囲に750ヘクタールのブドウ畑を開拓。これが、現在のコンスタンシア地区のルーツで、マナー・ハウスの建物は、後に南ア最古のワイナリー、グルート・コンスタンシアとなりました。

 17世紀末、フランスから、ステレンボッシュとその周辺にプロテスタントのユグノー移民が大挙して流入。彼らは、この地が気候的にも、土壌の面でもブドウ栽培に適していることを見抜き、フランス仕込みのワイン生産を開始。ステレンボッシュに続き、現在の西ケープ州内のパール、フランシュフック、サマセット・ウェスト、ウェリントンの5つの隣接する地域を開拓しました。現在、それらはワイン・ランドと総称されています。

 1778年、ドイツ系移民の血を引くヘンドリック・クローテは、ワイナリー、グルート・コンスタンスを率いて、デザート・ワインの傑作“コンスタンシア”を作り出しました。

 ヘンドリックの死後、コンスタンシアのワイナリーは息子のヘンドリックJrを経て、孫のヤコブ・ピーターが後を継いだ。フランス語に堪能だったヤコブ・ピーターはパリにコンスタンシアの代理店を開設。ナポレオン戦争でフランスのワイン産業が大きな打撃を受けたことに加え、英仏間の貿易が途絶したこともあって、以後、コンスタンシアは最上級のデザート・ワインとしてヨーロッパの上流社会を席捲します。そして、コンスタンシアに牽引されるかたちで、他のケープ・ワインもヨーロッパで広く飲まれるようになり、ケープ植民地のワイン産業は急速に発展しました。

 ところが、1861年、英仏関係が改善され、英国でのフランス製品への輸入関税が大幅に引き下げられると、ケープ・ワインの英国向け輸出は激減。さらに、1866年にはブドウに被害をもたらす害虫、フィロキセラが蔓延してケープ・ワインの生産は壊滅的な打撃を受けました。その後、ボーア戦争を経て、1910年、ケープ植民地は英領南アフリカ連邦に編入されますが、これと前後して、北米から、フィロキセラに対する耐性があるブドウの苗木が持ち込まれ、ケープ・ワインも復活しました。

 しかし、1910年代、ケープ・ワインは過剰生産で値崩れを起こしたため、南ア政府は、1918年、ワインの生産調整と価格安定を目的に、南アフリカ醸造者協同組合(KWV)を設立。ケープ・ワインの市場と価格を管理するようになりました。KWVは1997年に株式会社化され、2002年に完全民営化されましたが、現在なお、KWVは輸出されるケープ・ワインの相当部分を扱っています。

 さて、『世界の切手コレクション』7月12日号の「世界の国々」では、ケープ・ワインについての長文コラムのほか、ロベン島監獄差出の郵便物フランス・ウールダーの絵画「ロブスターのある風景」キャンプス・ベイ、ヤン・ファン・リーベック、ケープ・ペンギンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回の南アフリカの次は、本日(12日)発売の7月19日号でのウルグアイの特集になります。こちらについては、発行日の19日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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 南アのスタンダード銀行
2016-05-23 Mon 23:30
 今月15日早朝、17都府県のコンビニに設置されたセブン銀行などのATM約1400台で、南アフリカ共和国(以下、南ア)のスタンダード銀行が発行したクレジットカード約1600枚分の情報が計約1万40000回使われ、総額約14億4000万円が引き出されていたことが明らかになりました。というわけで、きょうはスタンダード銀行に絡んで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・スタンダード銀行芸術祭25周年

 これは、1999年に南アで発行されたスタンダード銀行芸術祭25周年の記念切手です。

 スタンダード銀行は、1862年、スコットランド人のジョン・パターソンらが“英領南アフリカ・スタンダード銀行”としてロンドンで設立し、翌1863年、ケープ植民地のポート・エリザベスで業務を開始しました。その後、ポート・エリザベス商業銀行、コールスバーグ銀行、英国カフラリア銀行などを買収して規模を拡大。1867年にはダイヤモンド鉱山で知られるキンバリーに支店を開設します。1883年には社名から“英領”の語が落ちて”南アフリカ・スタンダード銀行”となり、1886年にウィットウォーターズランドで金鉱が発見されると、金鉱開発に積極的に投資し、ヨハネスブルクの発展を金融面から支えました。

 その後、同行は、“英領南アフリカ”の枠にとらわれず、アフリカ全土に支店網を拡大し、1950年半ばには、アフリカ全土で約600拠点を数えるまでになったほか、1965年、英領西アフリカ銀行との合併により、ナイジェリアガーナシエラレオネカメルーンガンビアへも支店網を広げました。

 1969年、スタンダード銀行は、インドを拠点にしていたチャーター度銀行と合併し、いわゆるスタンダード・チャータード銀行が誕生します。ただし、南アフリカの法人に関しては、そのまま、南アフリカ・スタンダード銀行を名乗り続けていました。

 今回ご紹介の切手のスタンダード銀行芸術祭は、1974年、東ケープ州グラハムスタウンに“1820年の入植者記念碑”が建立されたのを記念して、南アフリカ・スタンダード銀行がメイン・スポンサーとなって開催されたのが最初で、1975年は開催されなかったものの、1976年以降は毎年開催されています。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

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 アフリカ大陸の大きさ
2016-01-19 Tue 19:01
 南アフリカ共和国(以下、南ア)の大統領府は、きのう(18日)、「アフリカ大陸は世界最大」、「アフリカ大陸は全大陸を合わせた大きさをもつ」としたジェイコブ・ズマ大統領の昨年12月9日の発言を訂正する声明を発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南ア・喜望峰発見500年(地図)

 これは、1988年に南アで発行された“喜望峰発見500年”の記念切手のうち、喜望峰“発見”後に作られた地図を取り上げた1枚で、アフリカ大陸が極端に大きく描かれているのが印象的です。ズマ大統領の脳内世界では、アフリカ地図というのはこんな感じだったんでしょうかね。まぁ、発言そのものはご愛嬌でしょうが、発言から6週間も経ってから訂正の声明が発表された背景には、いろいろな思惑があるということかもしれません。

 さて、喜望峰の“発見者”とされるバルテロメウ・ディアス(英語読みだとバーソロミュー・ディアス)は、1451年頃、ポルトガルの首都リスボン南部のアルグレイヴ地方で生まれました。ディアス家は代々、航海でポルトガル王室に仕える騎士の家柄で、バルトロメウ自身も、軍艦サン・クリストファー号の航海長を務めています。

 1486年、ポルトガル国王ジョアン2世は、ディアスに対して、アジアにいたる交易路を確保するとともに、アフリカにあるキリスト教徒の王、プレスター・ジョンの国を探し出し、友好関係を樹立せよとの命令。準備期間の後、1487年10月、ディアスひきいるポルトガル艦隊は、リスボンを出港しました。

 ディアスの船団は、まずコンゴ川の河口に向かい、そこから南下して、ウォルヴィス湾(現ナミビア領)に入港。さらに南下してポート・ノロス(現南ア領)付近に達しましたが、嵐に遭遇し、沖に流されてしまいます。このため、陸地に近づこうと東へ向かったものの、陸地に到達できなかったため、北上してみると西側に陸地が見えたとのこと。彼らは、漂流しているうちに、いつの間にかアフリカの南端を通過していたというわけです。

 その後、彼らは1488年2月3日にモッセル湾(ケープタウンとポート・エリザベスの中間より、やや西側の港町)に上陸。これが、後の歴史書に「ディアスのアフリカ南端到達」として記されることになる出来事となりました。ちなみに、モッセル・ベイという地名は、1601年にこの地に上陸したオランダ人航海士が、ムール貝(=mussel)が大量にとれることから命名したもので、ディアスとは直接の関係はありません。

 さらに、一行は海岸沿いにアガラス岬をまわり、このまま航海を進めればインドに到達できるとの見通しが立ったことで帰路につき、その途中で1488年5月に喜望峰を“発見”。同年末、リスボンに帰還します。当初、ディアスはリスボンへの帰途で発見した岬を“嵐の岬”と命名して国王ジョアン2世に報告しましたが、国王は、アフリカ南端を廻って東方への航路を拓いたことをいたく喜び、“喜望峰”と改名させました。これが、現在の喜望峰の名前の由来となります。

 今回ご紹介の切手は、ここから起算して500年になることを記念して発行されたもので、取り上げられてい地図は、ディアスの帰国翌年、1489年に制作されたものです。

 なお、ディアス以来の喜望峰の歴史については、拙著『喜望峰』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 展示イベントのご案内 ★★★

 第7回テーマティク出品者の会切手展 1月17-20日(日ー水。ただし、18日は休館)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク出品者の会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。僕も、昨年の香港展に出品した香港の歴史のコレクションを展示します。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)

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 南ア大使が曽野綾子に抗議
2015-02-15 Sun 22:31
 作家の曽野綾子が、かつてのアパルトヘイト政策を称賛した(と取られる)コラムを今月11日付の『産経新聞』に執筆し、きのう(14日)までに、南アフリカ共和国(以下、南ア)のモハウ・ペコ駐日大使が産経新聞社に抗議文を送付していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       南ア・児童画

 これは、アパルトヘイト撤廃後まもない1994年、南アで発行された児童画切手のうち、多人種間の宥和を表現した1枚です。

 “アパルトヘイト”とは、もともとは“分離”ないしは“隔離”を意味するアフリカーンス語ですが、極端な人種差別政策としては、1948年の総選挙に際して登場した概念です。

 第2次大戦中、南アのヤン・スマッツ連合党政権は英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦。第2次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保しましたが、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大します。当時の南アでは、他の欧米のアフリカ植民地と同レベルの有色人種に対する差別的な制度が機能していましたが、連合党が有色人種に対する譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判することで、アフリカーナーの支持を獲得していきます。

 こうした背景の下、1948年の総選挙で国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、これにより、彼らは地滑り的な勝利を収めました。

 もともとオランダ改革派教会の聖職者だったマランは「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定し、さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 これと並行して、国軍を含む公職からアフリカーナーの国民党員以外の人物を締め出し、全国の選挙区の区割りを政権側に都合の良いように変更した上で集会の自由などの国民の権利を制限しました。もちろん、“抑圧された人々”の団結を唱える共産主義は御法度です。

 こうして、1954年にマランが80歳で引退するまでの間に、国民党政権はアパルトヘイト体制の基盤を確立します。

 当然のことながら、独立運動組織のアフリカ民族会議(ANC)はこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されたりすることもありました)に抗議するデモ隊に警官隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行います。これに対して、南アフリカ政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の監獄に送られました。その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されたが、1990年2月11日の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となります。

 こうしたアパルトヘイト政策に対しては、人権の観点から全世界が南ア政府を非難。制裁措置として1960年のローマ五輪を最後に南ア選手はオリンピックから締め出されています。(アパルトヘイト撤廃後、1992年のバルセロナ大会で復帰)

 また、資源大国である南アに対しては、当初、西側諸国は経済制裁に及び腰でしたが、1976年にソウェト蜂起が発生し、多くの市民が犠牲になったことから態度を硬化させ、国際的な経済制裁が本格化。南ア経済は大きな打撃を受けることになります。

 このため、ボータ政権は白人・インド人・カラードによる3人種議会を1984年に開設。また、雑婚禁止法と背徳法、分離施設法を1985年に廃止、パス法を1986年に廃止するなどの部分的改革に着手。さらに、1989年9月に発足したデクラーク政権はアパルトヘイトの完全撤廃の方針を打ち出し、1990年2月には、ANCを始め政党結社の自由を解禁してマンデラを釈放。翌1991年2月、国会開会演説でアパルトヘイト政策の廃止を宣言しました。

 その後、体制移行期間を経て、1994年4月に全人種参加の初の総選挙が行われて新憲法が制定され、マンデラが大統領になり、アパルトヘイトは撤廃。これと前後して、1993年10月、国連総会で経済制裁撤廃決議が採択されました。今回ご紹介の切手は、こうした経緯を踏まえて、1994年4月8日に全人種の融和を訴えるために発行されたもので、まさに、現在の南アの国是を反映したものと言ってよいでしょう。

 さて、今回の南ア大使からの抗議に対して、曽野綾子は「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」と弁明していますが、そういうことであれば、その例としては、世界中の大都市で見られるチャイナタウンやインド人街の事例を挙げれば済む話です。

 ところが、問題のコラムでは、彼女は「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」としっかり書いており、あえてアパルトヘイト時代およびその撤廃直後の南アを例にしている以上、日本でそれを実行する(できる)かどうかはともかく、アパルトヘイトを称揚していると読者に解されれてもやむを得ないと思います。

 まぁ、僕自身は、いかなる“ヘイト・スピーチ”であろうとも、それが言論活動に留まっている限り、法的・制度的な規制をかけることには絶対に反対という立場ですので、かつての南アのアパルトヘイトを称揚する人物がいても、そのことじたいをとやかく言うつもりはありません。(決して賛同はしませんが)

 ただし、上述のように、曽野が愛してやまないアパルトヘイト政策を採用すれば、かつての南ア同様、わが国は国際社会から確実に孤立し、経済制裁を受け、当然、2020年の東京五輪開催も不可能になるでしょう。そうしたリスクをとってまで、アパルトヘイト政策を推進すべきだというのであれば、それはそれで大したものだとも思いますが、その覚悟もなしに、単なる思い付きで大新聞にアパルトヘイトを称揚する(と取られかねない)コラムを書くのは軽率の謗りを免れません。

 世間一般では、彼女は保守系の論客ということになっているそうですが、エセ左翼やインチキ・リベラルが大嫌いということで“保守”にレーティングされることも多い僕としては、こんな愚か者と同類に扱われるのは何とも迷惑な話ですな。

 なお、アパルトヘイト時代の南アについては、拙著『喜望峰』でもいろいろ取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 マンデラ 自由への長い道
2014-05-24 Sat 16:21
 南アフリカのアパルトヘイト撤廃に人生をささげた故ネルソン・マンデラ元大統領の自伝を映画化した「マンデラ 自由への長い道」が、きょう(24日)から全国公開されています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロベン島

 これは、2000年に南アフリカが発行したロベン島の切手です。

 ロベン島はケープタウン沖合およそ12キロの地点にある島で、面積は5.47平方キロ。名前の“ロベン”は、もともとはアザラシを意味するオランダ語です。

 周囲は海流が強いことから、脱出困難な監獄やハンセン氏病患者の隔離病棟などとして用いられてきた歴史があり、1959年以降は、マンデラをはじめ、アパルトヘイト体制に異議を唱える政治犯の収容所として使われていました。ちなみに、マンデラは1963年に逮捕されてから1990年に釈放されるまで27年間収監されていましたが、そのうち、1963年から1982年までロベン島で過ごしています。

 さて、アパルトヘイト撤廃後の1996年、ロベン島の監獄はすべて閉鎖され、現在では島全体が博物館として観光名所になっています。さらに、1999年12月、ロベン島はアパルトヘイトの記憶を伝える“負の世界遺産”として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 当初、世界遺産に収録される物件の指定をユネスコと世界遺産委員会に対して答申する国際記念物遺跡会議は、ロベン島の登録に対して否定的な評価を下していたといわれています。アパルトヘイトほど極端ではないにせよ、多少なりとも、有色人種に対する差別の歴史を持つ欧米の委員の中には、出身国に対する批判のとばっちりを恐れる者もいたのかもしれません。

 これに対して、当時、ユネスコの事務局長で世界遺産委員会議長を兼任していた松浦晃一郎が世界遺産への登録を提案。これが受け入れられ、1999年の世界遺産委員会で登録が認められました。

 ところで、第一次大戦後の1919年2月13日、パリ講和会議において、日本全権の牧野伸顕は、新たに設立される国際連盟規の規約に、「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」という人種差別撤廃の条項を入れるように提案しました。国際会議において人種差別撤廃が明確に主張されたのは、これが最初のことです。

 この時の日本の提案は、残念ながら、オーストラリアや米国上院の強硬な反対に遭い、米大統領ウッドロー・ウィルソンの裁定によって葬り去られましたが、それから80年後、ふたたび日本の代表が、人種差別の愚かさを後世に伝えるべく、“負の世界遺産”登録に尽力したということは、もっと日本国内でも知られていていいのではないかと思います。

 なお、このあたりの事情については、拙著『喜望峰』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

         サライェヴォ事件   中日講座用・顔写真

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は第一次世界大戦のきっかけとなったサライェヴォ事件で暗殺されたオーストリア=エステ大公のフランツ・フェルディナンドと妃のゾフィーを描いた切手です。
 

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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 国際山岳デー
2013-12-11 Wed 10:39
 きょう(11日)は、国際社会が山岳地域の環境保全と持続可能な開発について考える“国際山岳デー”です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       テーブルマウンテン消印

 これは、1974年12月13日、南アフリカ共和国(以下、南ア)のテーブルマウンテン局から英国宛の航空便の葉書で、葉書に押されているテーブルマウンテン局の消印に山のシルエットが入っているのがミソです。テーブル・マウンテンを取り上げた切手は、1900年の1ペニー切手以来、幾度となく発行されていますが、今回はちょっとひねったマテリアルということで、消印をご紹介しました。


 ケープタウンのシンボルともいうべきテーブル・マウンテンは、ケープタウン南部、切り立った崖が特徴の山で標高は1087メートル。地上から見ると、頂上がナイフで切ったかのように平らに見えるのが名前の由来です。これは、地盤のやわらかい部分が風雨で削り取られ、固い地盤だけが台形状に残ったことによるもので、ケープタウン以外にも、南米ヴェネズエラのギアナ高地にも同じ名前の山がありますが、やはり、世界的に有名なのはケープタウンの方でしょう。

 テーブル・マウンテンの頂上へと昇るロープウェイの乗場は、標高300メートル地点のコル地区にあって、山頂からはケープタウン市内とテーブル湾を一望することができます。また、山全体が国立公園に指定されていて、野生の動植物の宝庫としても有名です。ちなみに、今回ご紹介の葉書の裏面には、この地域の野生植物がこんな感じで紹介されていました。

       テーブルマウンテン野生植物

 ちなみに、拙著『喜望峰』でも、テーブル・マウンテンについてはかなりのスペースを割いていろいろとご紹介しております。この年末年始に現地へ行かれる予定のある方も、そうではない方も、機会がありましたら、ぜひとも同書をお手にとってご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 マンデラ元大統領没す
2013-12-06 Fri 10:11
 南アフリカ共和国(以下、南ア)のネルソン・マンデラ元大統領が、日本時間のけさ未明、亡くなりました。享年95。謹んでご冥福をお祈りいたします。という訳で、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マンデラ大統領

 これは、1994年5月10日に南アで発行されたマンデラ大統領就任の記念切手のうち、大統領の肖像を描く45セント切手です。

 ネルソン・マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。

 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所送りとなりました。

 その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となりました。

 釈放後のマンデラは、1991年にANC議長に就任。当時の大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞しました。さらに、1994年4月に行われた、南ア史上初の全人種参加選挙でANCは勝利を収め、マンデラは大統領に就任。1997年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力したことは、周知のとおりです。

 なお、マンデラと南アの現代史については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 春節愉快 万事如意
2013-02-10 Sun 10:24
 きょう(10日)は春節です。というわけで、巳年の正式なスタートですから、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        南ア・年賀(2001)

 これは、2001年2月1日、前回の巳年用の年賀切手として南アフリカ(以下、南ア)が発行した小型シートで、ブームスラング(Dispholidus typus)が取り上げられています。

 ブームスラングはサハラ砂漠を除くアフリカ大陸に住む全長100-180センチほどのヘビで、名前はオランダ語ないしはアフリカーンス語で“木のヘビ”という意味です。なお、切手にはアフリカーンス語を直訳した英語の“Tree Snake”と表示されていますが、一般に、英語で“Tree Snake”というと、別のヘビを指すようです。

 ブームスラングは、目は非常に大型で前方にあるのが特色で、名前の通り、樹上性です。咬まれると成人男性でも命を落とすほどの猛毒を持っていますが、性質が温和なため、こちらから手を出さない限り、攻撃を仕掛けてくる可能性は低いとされています。

 さて、南アでは1996年5月に北京で開催されたアジア国際切手展に合わせて、同年の干支であるネズミの小型シートを発行したのを皮切りに、毎年、その年の干支の動物を取り上げた小型シートを発行しています。ただし、初期の段階では、1996年のモノがそうであったように、必ずしも年賀切手ということではなく、アジア切手展などのイベントに合わせて干支の動物切手を発行するということもありました。今回ご紹介の2001年に関しては、2月1日から5日の日程で開催された香港でのアジア切手展に合わせて発行されたため、結果的に、年賀切手を兼ねています。

 さて、南アで干支を題材とした切手が発行されているのは、現在の南ア社会において中国系が社会的に少なからぬ影響力を持っているためです。

 南アにおける中国系コミュニティは、19世紀後半、ヨハネスブルグ周辺でのゴールド・ラッシュの時代に華人労働者が渡ってきたのが起源です。アパルトヘイトの時代、反共を国是としていた南ア政府は北京政府ではなく台湾と国交を維持し、台湾人は日本人とともに“名誉白人”の扱いでした。このため、南ア政府は台湾との長年の外交関係を維持したまま、北京政府との国交を樹立する“二重承認”を模索していました。

 ところが、1997年の“香港返還”を前に、北京政府は、外交関係のない国には返還後の香港総領事館設置を認めないとの方針を打ち出し、南アに対して国交樹立を強く迫ります。この結果、1998年1月1日付で、南アは北京政府と国交を樹立し、台湾と断交せざるを得なくなりました。香港返還前年の1996年、北京で開催のアジア切手展というタイミングに合わせて、南アで最初の干支の切手が発行されたのも、こうした時代背景によるものと考えてよいでしょう。
 
 一方、1980年代初頭に1万人程度だった南アの中華系コミュニティは、北京政府との国交樹立以降、福建省出身者を中心とする“新移民”が大量に流入。不法移民を含まない統計上の数字だけでも、南ア国内には約40万人の中国系が居住し、ヨハネスブルク近郊のシリルデーンには、南ア最大の華人街が作られるほどになりました。ちなみに、南アの総人口は5000万人前後で、旧宗主国の英国旅券を持つ者は25万人ほどですから、中国系はそれをはるかに圧倒しています。

 なお、拙著『喜望峰』では、南アとその近現代史について切手や絵葉書などをご紹介しながらまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集中】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。現在(国内での受付期間は14日まで)、僕が日本コミッショナーとして、その出品作品を募集しております。詳細はこちらをご覧ください。


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 投票しませう③
2012-12-16 Sun 09:25
 きょう(16日)は、衆議院議員総選挙と東京都知事選挙の投票日です。僕も、この記事を書いたら投票所に行きますが、投票は20時までですから、まだ投票がお済みでない有権者の方は、ぜひ、お出かけください。というわけで、きょうはこの切手です。

         南ア・投票

 これは、1997年4月26日に南アフリカ共和国(以下、南ア)で発行された“民主化5周年”の記念切手で、1994年4月に行われた全人種参加の総選挙の際の投票所のイメージが取り上げられています。きょうの投票所でも、この切手に描かれているように有権者がわんさと押し寄せるという光景が見られると良いですな。

 1948年に政権を獲得した南アの国民党は、国際世論の非難を無視してアパルトヘイト政策を展開していましたが、1989年9月に大統領に就任したデ・クラークは、従来の国民党政権の方針を転換。黒人との交渉によって南アフリカを決めていくといった現実的で柔軟な民主改革路線を採用し、アフリカ民族会議 (ANC) やパン・アフリカニスト会議 (PAC) 、南ア共産党の非合法化を解除し、アフリカ民族会議指導者のネルソン・マンデラを釈放しました。

 さらに、1990年6月には非常事態宣言も解除して、1991年2月に国会開会演説ですべてのアパルトヘイト法を廃止すると宣言。同年6月には人口登録法、原住民土地法、集団地域法を廃止し、アパルトヘイトを全廃しました。

 これを受けて、1994年4月に行われた全人種参加の総選挙ではANC)が勝利。議長のマンデラが大統領に就任し、副大統領には、ANCのターボ・ムベキと国民党党首のデ・クラークが就任しました。これを受けて、南アはイギリス連邦と国連に復帰するとともにアフリカ統一機構に加盟。新憲法制定のための制憲議会が開会しています。
  
 なお、アパルトヘイトの時代を含む南アの近現代史については、拙著『喜望峰』でもいろいろと解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 ABCテレビ 2012年12月20日(木) 23:17~24:17 「ビーバップ!ハイヒール」

 今回は「年賀状にまつわる物語を紹介! 心に響く年賀状」と題して年賀状の特集で、内藤が『年賀状の戦後史』の著者としてゲスト出演します。ご視聴可能な地域の皆様は、よろしかったら、ぜひ、聞いてやってください。

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 世界エイズデー
2012-12-01 Sat 22:59
 きょう(1日)は世界エイズデーです。エイズ関連の切手は世界中から発行されていますが、今年は拙著『喜望峰』を刊行して日が浅いことでもありますし、南アフリカの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         エイズ切手帳(南ア)

 これは、2002年11月に南アフリカで発行されたエイズ予防啓蒙キャンペーンのシール式切手帳で、書状基本料金用の無額面・永久保障切手が10枚収められています。

 さて、南アフリカでは国民の4-5人に1人がHIVに感染しているといわれており、妊産婦の感染率は3割弱にも及んでいます。感染経路としては、成人の場合、性交渉によるものが多いのですが、その中には、強姦の被害者が感染し、そこからさらに胎児へと感染するという悲惨な事例も少なくありません。

 強姦によるHIV感染が広まった背景としては、最大都市のヨハネスブルグなどではもともと犯罪の発生率が高く、強姦の発生件数が高かったことに加え、悪い病気は他人に感染させれば治るという迷信に基づき、「処女または童貞とコンドームを使わずに性交をすれば完治できる」といった悪質なデマが流布したこと、HIVに感染したことに腹を立てた患者が無差別報復のため強姦を行う事例が多発したという事情もあったようです。

 当然のことながら、南ア政府も手をこまねいていたわけではなく、2010年のW杯を機に本格的な対策が講じられるようになり、W杯以降の2年間で、HIV治療は75%拡大、170万人が生命を救う治療を受けられるようになりました。また、啓発活動の成果も少しずつ表れはじめ、最近2年間で、新たなHIV感染は5万件以上減少しているほか、HIV母子感染率も、2008年に8%だったものが、2010年の3.5%を経て、昨年(2011年)には2.7%へと減少しています。

 母子感染に関しては、たとえば、西ケープ州では、州政府が国境なき医師団の協力を得て、全ての妊婦にHIV検査を受けさせ、陽性だと判定された場合には治療し、生まれて来る赤ん坊のための予防的治療を行なうという、先進国同様の対策が講じられるようになり、州内カエリチャのB地区では、2011年4月から12年5月まで、HIV感染による妊産婦の死亡例がゼロとなるという成果も報告されているなど、状況の改善が進んでいるのは大いに評価できましょう。

 とはいえ、まだまだ南ア国内ではエイズが深刻な社会問題であることには変わりないわけで、少しでも状況が改善されることを祈ってやみません。
 

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