内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 世界の国々:ニジェール
2016-03-30 Wed 15:55
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年3月23日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はニジェールの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ニジェール・クンチェ

 これは、1975年に発行されたセイニ・クンチェの切手です。

 1974年、ニジェール南部のサヘル地帯で大旱魃が発生し、ニジェール経済は壊滅的な打撃を受けましたが、独立(1960年)以来のニジェール進歩党(PNN)政権は有効な対策を打てなかったばかりか、救援物資の横流しなどの不正が横行していました。このため、国民の反政府感情が高まるなか、1974年4月15日、国軍参謀総長のセイニ・クンチェがクーデターを起こします。

 クンチェは“最高軍事評議会”を樹立して自らその議長に就任。憲法を停止し、政党を禁止する一方で、PNN政権下で拘束されていた全政治犯を釈放しました。さらに、最高軍事評議会は援助食糧の配給を開始したため、国民生活は急速に改善されます。

 また、クンチェ政権は、北西部アイル山地西麓のアーリットとアクータでのウラン鉱山の開発に力を入れることで疲弊したニジェール経済の再建を進め、気象状況の改善もあって、1980年には食糧自給が達成されました。

 経済状況の好転を受けて、1981年には最高軍事評議会に文民が加わり、1983年には文民のママヌ・ウマルがクンチェにより首相に任命されたほか、翌1984年には憲法復活の準備段階として、国民憲章も発表されるなど、クンチェ政権は一定の成果を上げ、クンチェ本人も1987年11月に病死するまで、政権を維持し続けました。

 クンチェの死後、後継者となった参謀長のアリー・セブは、民政復帰を目指して、1989年1月、単一政党として社会発展国民運動(MNSD)を結成。同年9月には新憲法を施行し、12月には大統領選挙を行い、当選します。

 しかし、これに対して、複数政党制の導入を含む民主化の徹底を求める学生たちが、1990年2月9日、首都ニアメのケネディ橋で大規模なデモを敢行。これを警官が鎮圧し、死者が発生すると、学生・労働者による政府への抗議行動が全土に拡大します。さらに、混乱の中で、北部ではトゥアレグ人とニジェール政府軍との武力衝突も発生し、ニジェール情勢は不安定化していくことになりました。

 さて、『世界の切手コレクション』3月23日号の「世界の国々」では、今回ご紹介の切手を含むニジェール現代史の記事に加え、国名の由来となったニジェール川やザンデールの王宮の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、僕が担当する「世界の国々」は、次回は4月13日発売の4月20号でのスリランカの特集(セイロン時代を含め2回目)になります。こちらについては、4月20日以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 ニジェール・ウラン鉱山でテロ
2013-05-24 Fri 11:20
 きのう(23日)、マリの北部地域で仏軍が展開するイスラム過激派掃討作戦にニジェールが協力していることへの報復という名目で、イスラム過激派の“西アフリカ統一聖戦運動”が、ニジェール北部アガデズの軍施設とアーリットのウラン鉱山に対して連続自爆テロを行い、ニジェール軍兵士20人が亡くなるなどの犠牲が出ました。というわけで、今日はこの切手です。

       オート・セネガル・ニジェール

 これは、1906年に仏領オート・セネガル・ニジェールで発行された1フラン切手で、現地の女性とバライ総督の肖像が描かれています。オート・セネガル・ニジェールの地域は、現在の国名でいうと、セネガル・マリ・ニジェールにまたがる広大なもので、遊牧系のトゥアレグ人の居住地域ともほぼ重なっています。

 さて、今回襲撃されたアーリットは、ニジェール北西部、アイル産地の西麓に位置しており、1969年にウラン鉱山が発見されました。そして、翌1970年から近郊のアクータで、わが国の海外ウラン資源開発株式会社、フランス原子力庁、ニジェール政府の3者による調査が開始。1974年にアクータ鉱業株式会社が設立され、1978年から採掘が始まりました。なお、アクータ鉱業株式会社の出資比率は、フランスが34%でトップを占め、ニジェールとわが国は25%ずつ、他にスペインが10%などとなっています。

 ニジェール国内のアーリットとアクータの鉱脈は豊かで、最盛期の1980年代には両鉱山で世界のウラン需要の40%を占めるほどでした。ニジェールの総輸出額の90%はウランによって得られたもので、その豊富な資金は1974年に始まるセイニ・クンチェ、アリー・セブの2代に渡る軍事政権を支える原資となりました。

 ところが、1989年秋の東欧革命により東側社会主義諸国が崩壊。同年末には地中海のマルタ島で東西冷戦の終結が宣言されると、戦略物心としてのウランの価値が急落。さらに、ニジェールの軍事政権は、ウラン開発には熱心だったものの、地元民の福祉には無関心であったことから、鉱山周辺では乱開発による砂漠化が進行し、トゥアレグ人たちが遊牧生活を行うこと自体が環境的に困難になっていました。

 このため、生活の基盤を失ったトゥアレグ人の中には、都市に移住する者だけでなく、リビアやアルジェリアに難民として逃れる者が急増。特に、リビアのカダフィ政権は、亡命トゥアレグ人を傭兵として積極的に受け入れ、在リビアのトゥアレグ人が1985年に組織した“ニジェール解放人民戦線”を支援すると言う構図ができあがりました。

 ところで、ニジェール国内では、1989年は9月に新憲法が制定され、12月の総選挙では最高軍事評議会議長(軍事政権のトップ)だったアリー・セブが新憲法下の大統領に当選し、形式的な“民政移管”が行われましたが、その実態は軍事政権とほとんど変わりませんでした。

 こうした状況の下で、1990年2月9日、ニジェールの首都、ニアメのケネディ橋で学生のデモ隊を警官が鎮圧し、3人以上が亡くなるという事件が発生すると、これを機に、学生・労働者による政府への抗議行動が全土に拡大。このため、アリー・セブ政権は国内の宥和のため、難民として海外に逃れたトゥアレグ人に対して帰還して政府に協力すれば援助を行うと約束し、これを信用してアルジェリアから数千人規模のトゥアレグ人がニジェールに帰還したが、期待したような定住支援は受けられませんでした。

 このため、ニジェール政府の対応に不満を持ったトゥアレグ人グループが、1990年5月、リビアならびにアルジェリアとの国境に近いチン・タバラデンの警察署を襲撃。襲撃側の25人を含む計31人が亡くなります。当初、襲撃グループは、トゥアレグの子供たちに対して、学校で彼らの言語であるタマシェク語の教育を行うことを要求していましたが、戦闘を通じて全般的な自治権の要求へとエスカレートしていきます。

 これに対して、ニジェール国軍はアルジェリア国境から近いチン・タバラデンとその周辺のトゥアレグ人数百人を逮捕・拷問・殺害するなど、徹底的な弾圧で応じました。いわゆる“チン・タバラデンの虐殺”です。

 虐殺を逃れたトゥアレグ人たちは、トラオレ独裁政権の統制が弱まりつつあったマリへと拠点を移して抵抗を続けましたが、そのことは、マリ国内のトゥアレグ人の反政府闘争を刺激することになり、1990年6月、アザワド解放国民運動を中心とした武装蜂起が発生しました。

 この時のマリ国内での政府とトゥアレグ人勢力との内戦は1996年に和平合意が成立したものの、隣接するニジェールでは同国政府とトゥアレグ人の対立は解消されず、そのことが、しばしば、マリ国内にも深刻な影響を及ぼすという状況が続くことになります。

 2012年以来のマリ北部での騒乱は、カダフィ政権の崩壊後、マリないしはニジェールからリビアに逃れていた反政府系のトゥアレグ人傭兵が大量にアザワド地域に帰還したことが発端となりましたが、ニジェール大統領のマハマドゥ・イスフによれば、すでに昨年6月の段階で、アザワドのイスラム勢力の中にはアフガニスタンとパキスタンからの原理主義系の義勇兵が参加していたといわれており、反政府闘争の主導権が次第にイスラム過激派に移っていったことで、フランスが軍事介入せざるを得なくなったという構図になっています。

 いずれにせよ、かつてニジェールの混乱がマリに影響を及ぼしたのと同様に、マリ国内の混乱が世界有数のウラン鉱山を抱えるニジェールの不安定化をもたらす可能性は十分にあるわけで、今後の推移が注目されるのは言うまでもありません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ニジェール独立50年
2010-08-03 Tue 13:05
 アフリカ西部・サハラ砂漠南縁の国、ニジェールが1960年8月3日に独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ニジェール独立加刷

 これは、独立直後のニジェールが発行した切手で、自治共和国時代に発行された100フランの切手に、“独立”を意味するフランス語と独立の年月日、それに200フランの新額面が加刷されています。

 ニジェールの国名の由来となったニジェール川は、もともと、この地域の遊牧民トゥアレグ族の言葉で“川”を意味する“ニエジーレン”ないしは“エジーレン”と呼ばれていました。しかし、この地を征服したフランス人は、これをラテン語の“黒”を意味するニジェールと誤解し、これが川の名前として命名されたといわれています。なお、ニジェールの南側に隣接するナイジェリアの地域は英領であったため、“ニジェール”の語を英語読みにした呼び方になりました。

 さて、建国時のニジェールは台湾と国交関係を築いており、共産中国とは国交がありませんでした。しかし、1974年4月に陸軍のセイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立すると、台湾と断交し、中国と国交を樹立します。

 1987年11月、クンチェは亡くなり、彼の後を継いだサイブ政権は民政移管を宣言し、1989年12月、新憲法下でサイブが初の共和国大統領に選出されました。その後、1991年11月に改めて、国民投票・議会選挙・大統領選挙が実施され、軍事政権時代の野党連合である「変革勢力同盟」が勝利をおさめ、ウスマン党首が大統領に選出されます。ウスマン政権は、前政権の政策をことごとく否定しましたが、その一環として、1992年6月、台湾と国交を回復。これに激怒した中国は、翌7月、ただちにニジェールと断交しました。

 その後、1996年1月、マイナサラ参謀長による軍事クーデターが発生し、2月の民政移管宣言を経て7月の大統領選挙でマイナサラが新大統領に選出されます。マイナサラは、再び台湾と断交し、中国との国交を回復。以後、中国はニジェールの石油とウランに目をつけ、積極的なニジェール支援を展開しました。

 マイナサラは、1999年4月、軍事クーデターによって殺害され、同年11月の大統領選挙で「発展社会国民運動」のママドゥ・タンジャが当選。タンジャは中国からの支援を背景に、国内の政治基盤をかため、10年間にも及ぶ長期政権を運営していましたが、2009年に憲法を改正し、自身任期延長と大統領の三選禁止規定の廃止を強行したことから、これに反発する軍事クーデターが2010年2月に発生。タンジャは拘束され、「民主主義復興最高評議会」議長のサル・ジボが“暫定国家元首”に就任しています。

 これまでの歴史からすると、親中派大統領を追放して誕生した新政権は、台湾との国交を回復してもよさそうなものですが、現状ではそうした動きは見られません。このため、ニジェール駐在の中国大使は、政権交代後も、引き続き、ニジェールの資源開発とインフラ整備に数10億ドル規模の資金を投じることを表明しています。

 ただし、ニジェールは海をもたない内陸国であるため、資源採掘から輸送に至るまでの交通インフラの整備には周辺国、なかでも、ニジェールからの石油パイプラインの通過地点として想定されている隣国ベナンとの友好関係が必須条件となります。それゆえ、中国としては、ニジェールの資源を確保するためにも、ベナンに対してニジェールとの友好関係を維持させるべく、いっそうの札束攻勢を展開していくということになりそうです。

 そういうことであれば、わが国も、中国がベナンなりニジェールなりに支援しているのと同額を対中支援から削減し、その分、両国への直接支援を上積みしたほうが良いように思えてならないんですがねぇ。
 

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 ニジェールの摺鉢山
2006-03-26 Sun 23:35
 今日(3月26日)は、太平洋戦争末期の硫黄島の戦いが終結した日です。硫黄島の戦いというと、摺鉢山の星条旗(↓)を思い出す人が多いと思います。

硫黄島の星条旗

 まぁ、この切手の元になった写真については、以前の記事でも取り上げたのですが、そうした経緯はともかくとして、国旗を掲げる兵士たちの姿がデザイン的に格好いいものであることは誰もが認めるところでしょう。

 でも、あんまり格好いいからといって、こういうことをやったらまずいよねぇ~というのが、今日の主役、下の切手(画像はクリックで拡大されます)です。

ニジェール

 この切手は、アフリカ西部、サハラ砂漠南縁の国、ニジェールが1989年に発行した1枚で、1974年4月に陸軍のセイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立してから15周年になるのを記念して発行されたものです。

 まぁ、兵士が旗を掲げている場面なんて、どれも似たりよったりといってしまえばそれまでですが、普通の感覚からすると、どう見たって、“摺鉢山の星条旗”をパクっているようにしか見えません。おそらく、ニジェールあたりだと万国著作権条約にも加盟していないのでしょうから(間違ってたらごめんなさい)、パクリ放題と言ってしまえばそれまでですが、普通は国家の面子というものを考えてあんまり露骨なことはしないでしょうね。でも、ここまで分かりやすいと、かえって微笑ましくも思えてくるから不思議なものです。

 ちなみに、「最高軍事評議会」の首謀者であるクンチェは、この切手が発行される以前の1987年11月に亡くなり、彼の後を継いだサイブ政権は、この切手が発行された1989年の12月に民政移管を発表します。まさか、アメリカから、パクリの件は見逃してやるから“民主化”しろという圧力が掛かったわけではないんでしょうけれど…。

 なお、今回の切手は、3月10日に刊行したばかりの拙著『これが戦争だ!』(ちくま新書)の口絵にも取り上げました。同書では、世界各国のさまざまな戦争プロパガンダの切手が、豊富な図版とともに取り上げられていますので、是非、お読みいただけると幸いです。

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