内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 千代田区の由来
2017-02-06 Mon 10:18
 小池百合子東京都知事と都議会自民党との“代理戦争”と呼ばれた東京都千代田区長選の投開票が、きのう(5日)行われ、都知事が支持した現職区長が自民推薦候補の3倍を超える得票で5選を決めました。というわけで、きょうは“千代田区”の名前の由来にちなんでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      万国郵便連合加盟25年絵葉書(千代田城)

 これは、1902年6月18日に発行された「万国郵便連合加盟25年祝典」の記念絵葉書のうち、“千代田城及楠正成銅像”の1枚です。

 現在の千代田区は、19473月15日に麹町区と神田区が合併して誕生したもので、区域が、現在の皇居=“江戸城”の外濠の内側部分とほぼ一致していることから、江戸城の別名である“千代田城”にちなんで命名されました。ちなみに、千代田城という名前は、江戸城の建設された土地が千代田村と呼ばれていたことによるもので、千代田そのものは、“千代=永遠”の“田”、すなわち、末々まで繁栄し続ける田園地帯との意味です。なお、千代田城とともに葉書に取り上げられた楠公像は、住友財閥が1890年の別子銅山創業200年の記念事業として東京美術学校の高村光雲らに制作を依頼したもので、1900年7月に完成し、宮内庁に献納されました。

 さて、今回ご紹介の葉書は、1900年10月1日の郵便法施行により、私製はがきの使用が認められたことを受けて、逓信省が発行した官製記念絵葉書としては最初のものとなります。

 しばしば誤解されるのですが、郵便法の施行以前にも、あらかじめ印面が印刷された官製はがき以外の用紙を使って葉書状のものを郵便で送ることは可能でした。しかし、それらはあくまでも、通常の封書と同じ扱いで、割安な葉書料金で送ってよいのは官製はがきに限られていました。

 一方、諸外国でも、当初、葉書は官製はがきに限定されていましたが、1872年、世界で初めて、ドイツで私製はがきの使用が認可されます。

 官製はがきしかなかった時代から、通信面に絵柄などを刷り込んだ絵葉書は自然発生的に作られていましたが、当時の印刷技術では、葉書の用紙には写真を美しく再現することが困難であるなど、さまざまな制約があったため、官製はがきの制約にとらわれず、より自由なデザイン、趣向の葉書を作って差し出したい利用者は、個人で葉書の用紙を調達して差し出していました。その場合、料金は通常の封書料金と同額です。

 これに対して、郵送するものの形状・重さが官製はがきと同じであるなら、料金も葉書料金とすべきではないかとの声が利用者から上がり、ドイツの郵政当局は(主として絵葉書を想定して)私製はがきの使用を承認。これに続き、翌1873年にはフランスでも私製はがきの使用が認可されると、私製の絵はがきをやり取りする習慣は欧州大陸に広まり、1894年にはドーヴァー海峡を渡って英国へ、さらに、1989年には米国でも私製はがきの使用が認められるようになり、諸外国と平仄を合わせるかたちで、1900年にはわが国でも(葉書料金での)私製はがきの使用が認められるようになったというわけです。

 なお、諸外国では、“官製絵はがき”という場合、郵政機関が料額印面こみで発行するものが主流となっていますが、戦前日本の逓信省発行の絵はがきの場合は印面なしのものが大半であるため、海外の切手展などでは“官製”と認定されないことが少なくありません。

 さて、現在の“万国郵便連合(Union Postale Universelle)”の前身にあたる“一般郵便連合(Union Postale Generalle)”に、1877年6月1日付でわが国の加盟が認められたのは、同年3月3日のことでした。ただし、通達の遅れから、日本政府が条約を公布したのは6月19日にずれ込み、同条約の施行は翌20日からとなります。

 現在、わが国の万国郵便連合加盟記念日は、日本政府が加盟申請を行ったのが明治10年2月19日だったことから、2月19日とされていますが、今回ご紹介の葉書の発行名目となった万国郵便連合加盟25周年祝典は、条約施行の記念日に合わせて、6月20日に行われており、葉書は、これに先立ち、同月18日に発行されました。

 ちなみに、葉書は6枚1組で売価は5銭。そのデザインは、今回ご紹介のモノに加え、①山陽道沿岸の鉄道での郵便受け渡し場、②明治10年の条約加盟当時の駅逓局と日本の加盟を承認した大会議が行われたスイス・ベルンの会議場、③祝典当時の郵便航路を含む日本地図、④条約加盟当時の横浜郵便局と、祝典当時の横浜郵便局、⑤東京郵便電信局舎と郵便発着口、の計6種がありました。


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 あすから全日展(+オリンピックとブラジル切手展)
2016-07-21 Thu 00:22
 あす(22日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。(下はチケットの画像。以下、画像はクリックで拡大されます)

      全日展2016入場券

 今回は、全国の収集家の皆さんによる競争出品に加え、リオデジャネイロ五輪開幕直前の開催ということで“オリンピックとブラジル切手展”を併催するほか、全日展としては、小判切手発行140年にちなみ、“小判切手の至宝”として世界的に有名な設楽光弘さんによる特別展示を行います。チケットのデザインもそのことをイメージして、左側には、旧小判切手の45銭切手(下の画像)をデザインしました。

      旧小判45銭

 1875年、大蔵省印刷局のお雇い外国人として来日したエドアルド・キヨッソーネは、日本の切手・紙幣の近代化に着手しますが、切手に関しては、1872年に造幣局のお雇い外国人トマス・キンダーが天皇の肖像を貨幣に刻したいと建議して却下されたことを知っていたため、当初から、日本の紙幣・切手には天皇の肖像を入れずにデザインを組み立てることを考えていました。

 この結果、1876年5月17日から発行が開始されたのが、いわゆる小判切手です。

 小判切手は、エルヘート凸版という近代的な印刷方式によって製造された最初の切手という点で重要な意味を持っています。

 “小判”というネーミングですが、これは、当時の駅逓寮(郵便を担当していた官庁)なり大蔵省なりが命名したものではなく、のちに、収集家が名づけた名称です。西洋のデザインの伝統では“メダリオン”と呼ばれる枠の中に肖像や文様を描くことがあり、キヨッソーネのデザインも基本的にはこれを継承したものですが、日本人の感覚で、これを小判に見たてたのが名前の由来となりました。

 ちなみに、メダリオンの形状である楕円(楕圓)という言葉そのものは、中国・前漢の時代の董仲舒の著作を編集した『春秋繁露』にも用例がありますが、わが国では、江戸時代にニュートン力学を理解して紹介した蘭学者・志筑忠雄(宝暦10-文化3:1760-1806年)の『暦象新書』に登場しています。したがって、理論上は、“楕円切手”という表現もあり得たはずですが、やはり、枠の中央に額面数字が大きく記されているところなどは、“小判”のイメージの方がしっくりくるということだったのでしょう。

 次いで、それまでの手彫切手には国名表示が何もありませんでしたが、小判切手には“大日本帝國郵便”ならびに“IMPERIAL JAPANESE POST”という和英両文の国名表示が入れられました。

 わが国の国号については、明治維新を経て、1871年に鋳造された国璽では“大日本國璽”との表記になっており、必ずしも“大日本帝国”が正式の国号というわけではありませんでした。“大日本帝国”の文言が公文書に登場するのは、1873年6月30日付の在日オランダ公使からの来翰文邦訳に「大日本帝国天皇陛下ニ祝辞ヲ陳述ス」と記述されてからのことですが、翌1874年に新調された国璽でも従前どおり国号は“大日本國璽”となっており、大日本帝国とはなっていません。

 ちなみに、“大日本帝國”という国名が正式に採用されるのは、1889年に大日本帝国憲法が発布されてからのことですが、“大日本”を“おおやまと”、“帝國”を“すめらみくに”と訓読すれば、そうした用例は古代から存在していたともいえます。

 なお、西洋の政治用語としては、“帝国(英語ではEmpire)”は、複数のより小さな国や民族などを含めた広大な領域を統治する国家のことをいい、君主制であるか否かは問わないのですが(第3共和政のフランスがフランス帝国と呼ばれるのはこのためです)、小判切手の時代の国号の“大日本帝國”が、これとは全く異なることは明らかで、少なくとも、帝国憲法発布以降のイメージを投影して考えると、実態を見誤るのではないかと思われます。

 いずれにせよ、小判切手にいたって、ようやく、日本の切手は、それが日本政府によって発行されたものであることを内外に明らかにする態勢が整えられたということは特筆すべきことといってよいでしょう。

 こうして、1876年5月17日の5厘・1銭・2銭の3額面を皮切りに発行が開始された小判切手のうち、1877年8月18日、第4次発行分の一つとして発行されたのが、今回のチケットにも大きくデザインした45銭切手です。

 その主な用途は外信便ですが、1882年頃までは鳥切手(手彫)の45銭切手が残っていたこともあって需要は少なかったため、発行枚数はわずか1万6000枚しかありません。当然のことながら、残存数も少ないため、未使用・使用済ともに、小判切手のメインナンバーの中では、最もカタログ評価が高い1点として知られています。

 さて、今回の全日展で展示予定の設楽光弘さんのコレクションでは、小判切手のコレクションとしては、名実ともに現在、世界最高峰と評価されているものです。今回は、通常の世界切手展での出品枠上限の8フレームに、2フレーム分を追加して10フレームの展示となっています。ぜひ、この機会を逃さず、会場にお越しいただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展(+内藤陽介のトーク)のご案内 ★★★

 7月22-24日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオリンピックとブラジル切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページにて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2016チラシ

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 会期中の7月23日15:00から、すみだ産業会館9階会議室にて「リオデジャネイロ歴史紀行」と題するトークイベントを行います。ぜひ、ご参加ください。


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 ポーツマス条約110年
2015-09-05 Sat 12:11
 日露戦争の講和条約としてのポーツマス条約が、1905年9月5日(日本時間)に調印されてから、きょうで110年です。ろいうわけで、きょうはストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日露戦争凱旋観兵式(1銭5厘)

 これは、1906年4月29日に発行された“明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式”の記念切手のうちの1銭5厘切手です。“明治三十七八年戦役”というのは日露戦争のことで、明治の頃はこのように呼ばれていました。

 1895年の三国干渉以来、わが国は、“臥薪嘗胆”のフレーズの下、帝政ロシアを仮想敵国として国力の充実に備えていました。そうした状況の中で、北清事変(義和団事件)が8ヶ国連合軍によって1901年に鎮圧された後も、ロシアが満州から撤退せず、さらに朝鮮半島へ南下する姿勢を示したことから、日露関係は決定的に悪化。1904年、ついに日露開戦となりました。

 戦争は、翌1905年3月の奉天会戦、5月の日本海海戦で日本が勝利を収め、9月のポーツマス条約によって終結しました。講和条約は、日本側が賠償金を放棄し、樺太の南半分の割譲ならびに南満洲鉄道の敷設権を得て成立しました。

 日露戦争の終結後、戦地からの兵士たちの復員を待って、講和翌年の1906年4月30日、明治天皇御隣席の下、東京・青山の練兵場で陸軍凱旋観兵式が行われます。

 天皇や政府高官の前で陸軍の将兵が整列・行進する観兵式は、わが国では1870年9月8日に行われたのが最初です。その後、陸軍の軍人にとって晴れの舞台として定着し、日露戦争の勝利を祝う1906年の観兵式は、当時最大規模の祝祭となりました。

 これにあわせて、政府は観兵式前日の4月29日に今回ご紹介の記念切手を発行し、あわせて観兵式当日の30日に特印を使用しました。ちなみに、日本で公式の消印としての特印が用いられたのは、このときが最初です。また、葉書料金用の記念切手が発行されたのは、今回が最初のことでした。

 記念切手は中央の円形の帯の中に右書きで「明治三十七八年戦役陸軍街宣観兵式紀念郵便切手」の文字が白抜きで入っており、中央上部の菊花紋章の周囲は勝利と名誉の象徴である月桂樹と椰子の折枝で囲われています。また、枠の外側、上部の左右に配されている星は陸軍の象徴です。

 円の中には陸軍を象徴するものとして、連隊旗をはじめ、小銃、ラッパ、野砲、槍、十字鍬(一般にいう“つるはし”のこと)等が取り上げられていますが、これは、それぞれ、陸軍の歩兵、騎兵、砲兵、工兵を表現しています。

 これらの題材は、樋畑雪湖が選択し、磯部忠一が原図を作成。細貝為次郎が原版彫刻を担当しました。原版の完成は1905年3月9日のことで、3月末までに1銭5厘切手291万枚、3錢切手108万枚が製造されています。

 切手は内地の1等局・2等局で発売されたほか、陸軍の旅団司令部または連隊の所在地の3等局(東京の世田谷、千葉の市川など)13局のほか、当時の日本の植民地であった台湾や、第二次日韓協約(1905年11月17日調印)によって日本の保護国となっていた朝鮮半島、中国大陸各地に設けられていた日本局でも各額面5万枚が発売され、大いに人気を博しました。

 
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 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 あすから全日展(+韓国切手展)
2015-07-16 Thu 02:00
 あす(17日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)が開催されます。今回は併催の韓国切手展のほか、全日展としては、前島密生誕180年にちなみ、郵政博物館ならびに手嶋康さんのご協力を得て「郵便創業に関する史料一群」と題する展示を行います。その最大の目玉を展示に先立ちご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      日本最古の切手貼りカバー

 これは、明治4年3月3日(西暦1871年4月22日。以下、日付は原則として旧暦)、水口郵便取扱所から大津宛に差し立てられた郵便物で、3月1日に発行されたばかりの龍文切手100文が1枚貼られています。この郵便物は、郵便創業初日の3月1日に東京を出発した逓送ルートに乗せられ、その途上で水口から継立で配送されたもので、日本の近代郵便創業後、最古の例であり、手嶋コレクションの名品として知られています。

 明治3年5月10日、租税権正であった前島密は、自ら望んで駅逓権正を兼任。就任早々、前島は、東京=京都間を往復する文書に関して、政府が莫大な逓送費を飛脚業者に支払っていることを知り、これを官業とすることで、政府の支出を抑えることを考えつき、6月2日、郵便創業に関する建議を民部・大蔵両省の会議に諮り、裁可を得ました。
 
 前島自身は、6月24日、大蔵大丞・上野影範の特別弁務官として英国への差遣を命ぜられ、横浜を出港してしまい、郵便創業の実務は留守を預かった杉浦譲によって進められることになります。

 杉浦は、9月24日、前島のプランに50文切手(実際に発行された切手の額面は九六勘定による48文)を追加して切手発行の計画をまとめ、この計画案は、11月28日の大蔵省議を経て正式に決定となり、大蔵省出納寮から京都の玄々堂松田敦朝宛に切手の製造が発注されました。

 このとき、発注された切手の枚数は、50文切手8万枚、100文切手14万枚、200文切手14万枚、500文切手7万枚の、計43万枚でしたが、さらに、年が明けて明治4年1月25日には、各額面同数ずつの追加発注が行われています。

 こうして、玄々堂は、明治4年3月1日の郵便創業に間に合わせるべく、86万枚もの切手の原版彫刻(シートの一枚一枚が全て手作業で彫刻された)と印刷を完了。これらの切手は2月中には開業予定の東海道筋65ヶ所の郵便役所・取扱所に配給され、開業1週間前の2月24日から発売が開始されました。今回ご紹介のカバーに貼られている切手も、その1枚だったわけです。

 さて、今回の全日展で展示予定の「郵便創業に関する史料一群」は、郵政博物館所蔵の文書史料を中心に、現在、重要文化財の申請を行うべく準備が進められているものの一部です。おそらく、申請は受理されることになると見られていますが、そうなると、資料の公開には種々の制約がかかるため、今回ご紹介のカバーも、国内の切手展での展示は困難になると思われます。したがって、貴重な資料の実物を間近にご覧いただけるのは、今回の全日展が最後となるかもしれません。ぜひ、この機会を逃さず、会場にお越しいただけると幸いです。
      
 
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 なお、内藤は、会期中の18日(土)11:00より、韓国切手展の展示解説を、16:00より「切手と郵便に見る韓国現代史と日本」と題する記念講演を行いますので、皆様、是非、遊びに来てください。
 
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 気球で太平洋横断に挑戦
2015-01-25 Sun 21:20
 ガス気球で太平洋横断を目指す米国人のトロイ・ブラッドリーさんらが、きょう(25日)、佐賀市を飛び立ちました。米中西部まで約う9600kmの飛行に成功すれば、1981年に日本人実業家・ロッキー青木氏(故人)が樹立した飛行距離8382.54kmの世界記録を更新するそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      小判12銭

 これは、1877年に発行された額面12銭の普通切手(小判切手)で、四隅には当時の気球が描かれています。

 西南戦争さなかの1877年、熊本城包囲戦で使うべく、政府軍は築地の海軍省操練所で2個の気球を打ち上げ実験を行いました。これが、日本製の気球第1号となります。

 ところが、この時の気球は、ひとつはその場で破裂、もうひとつは係留していた綱が切れ、近郊の漁村に飛ばされてしまいます。漂着した気球に遭遇した漁民は“ラッキョウの化物”を棒で叩きましたが、中から異臭を放つ水素ガスが流れ出すと恐れをなして逃げ出したといわれています。

 その後、政府は気球を作り直しましたが、こんどは打ち上げ前日の4月14日に熊本城が解放されたため、実権は中止されました。

 今回ご紹介の切手は、それから2ヵ月半後の6月29日、文明開化の象徴として気球を描いたものですが、結果的に、日本最初の気球を揚げることに奮闘した人々の苦労をねぎらうかのようなタイミングとなりました。

 なお、実際に、日本製の気球が初めて揚がったのは、翌1878年の士官学校の開校式でのことで、1972年の趣味週間切手に取り上げられた「気球揚がる」の絵は、1890年10月12日、英国人パーシヴァル・スペンサーが行った横浜公園での“気球乗り”のパフォーマンスを見物する女性を描いたものです。(ただし、切手では肝心の気球はトリミングでカットされていますが)


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 きょうから全日展です!
2014-08-01 Fri 00:10
  きょう(1日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館全日本切手展(以下、全日展)がスタートします。会期は3日までですので、ぜひ、会場にお運びいただけると幸いです。というわけで、きょうは今回の特別展示「記念切手発行120年」の展示品のなかから、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      日清戦勝・原版刷(北白川)

 これは、1896年8月1日に発行された“日清戦勝”の記念切手のうち、台湾で陣没した北白川宮能久親王(以下、敬称略)を描く2銭切手の原版刷です。郵政博物館所蔵の名品のひとつで、今回は、原版そのものも会場内に展示されます野で、ぜひ、会場にて実物をご覧ください。

 さて、偶然ではありますが、きょうは1894年に日清両国が宣戦布告を行い、日清戦争が正式に始まってから、ちょうど120年の日でもありますので、以下、少し詳しくこの切手について解説したいと思います。

 日清戦争は1895年4月に下関条約が結ばれ、わが国の勝利に終わりました。これを受けて、逓信省は記念切手の発行を計画。その内容について、以下のような方針を立てて宮内省に伺いの文書を提出します。

 今般外征ノ事タル古来未曾有ノ国栄ニ候処 此際戦勝紀念トシテ二種ノ郵便切手 員数ヲ限リ発行ノ計画ニ有是 然ルニ故ラ戦勝ノ意ヲ表彰セサル方 国際上可然ト思量候ニ付 故有栖川宮 故北白川宮両殿下ノ御尊貌ヲ二種ノ各印面へ彫刻致候ハハ 一ハ戦勝ノ紀念ト為リ 一ハ両殿下ノ御偉勲ヲ永ク不朽ニ伝ヘントスルノ微意二有是候間 御差支ノ有無承知致度 此段及御照会候也

 この文書を額面どおりに受け止めると、「戦勝の記念切手を発行したいのだが、露骨に戦勝をうたいあげれば、隣国である清国の国民感情を著しく害する可能性がある。したがって、記念切手には、日清戦争中に亡くなった(ただし、“戦死”ではありません)2人の皇族、有栖川宮熾仁親王ならびに北白川宮能久親王の肖像を取り上げ、戦勝とあわせて彼らを偲ぶ意味合いを持たせたい」から、肖像使用の可否を問い合わせることになります。

 しかし、これは、日清戦争の勝利を祝うはずの切手を発行するには、あまりにも不自然なロジックではないでしょうか。

 そもそも、2人の皇族の肖像を切手に取り上げるという発想は、それまで、人物の肖像を切手に取り上げた経験のない逓信省としては、非常に突飛なもののように思われます。

 また、逓信省が宮内省に対して、この照会文書を提出する前に、逓信大臣の白根専一は、2人の皇族の肖像を切手に使うことについて、閣議を経て、口頭で明治天皇に裁可を仰ぎ、許可を得ています。閣議を経ているということは、2人の肖像を切手に取り上げるということが、帝国政府の意思として確定しているということであり、一逓信省の意向というよりも、はるかに重みを持っています。

 そこまでして、日清戦争の勝利を祝う記念切手に二人の皇族の肖像を取り上げなければならなかった背景には、戊辰戦争以来、日本国内にくすぶっていた“怨念”の問題があるのではないかと僕は考えています。

 今回ご紹介の切手に取り上げられている北白川宮は、1847年、伏見宮家に生まれ、12歳で輪王寺宮公現法親王として上野の寛永寺に入り、門跡となった人物です。このため、戊辰戦争に際しては、彰義隊に担がれて官軍に対する抵抗のシンボルに祭り上げられ、上野の陥落後は東北に落ち延びて仙台藩に身を寄せ、奥羽越列藩同盟の盟主に擁立されています。

 その後、彼は許されて還俗して伏見宮家に復帰し、ドイツ留学を経て北白川宮家を相続しました。北白川宮家は1870年、能久の弟、智成が分家して創設されたものの、智成は17歳の若さで夭折し、創設後まもなく宮家断絶の危機に直面していました。

 “北白川宮”となった能久は、その後、陸軍に入り、熊本の第6師団長などを歴任。日清戦争に際しては、近衛師団長として台湾に出征しましたが、1895年10月、台南入城後、マラリアのため彼の地で亡くなっています。

 日清戦争が始まるまで、多くの日本人にとって“戦争”の体験は、西南戦争ないしは戊辰戦争のそれを意味していました。大日本帝国憲法が発布され、“万世一系の天皇”が大日本帝国を統治するというモデルが制度として完成したものの、国民感情の伏流には、維新の勝ち組と負け組みを分かつ埋めがたい溝が横たわっていました。実際、日清戦争当時の政府高官は薩長閥によってほぼ独占されており、そこからはじかれた者(旧賊軍の系譜を汲む者であれば、なおさらでしょう)は、維新後、20年以上を経た時点でも不遇をかこち続けていました。日清戦争以前の、いわゆる初期議会が、藩閥政府と激しく対立し、政府の側が議会を事実上無視する“超然主義”で臨んでいたことは広く知られています。なお、帝国大学や陸軍士官学校の出身者たちは、出身地とは無関係に立身出世を約束されていましたが、若い彼らが帝国の重役室に入るには、まだ相当の時間が必要でした。

 それゆえ、清国という外国との戦争は、20数年前の官軍・賊軍を引きずっていた国内の溝を埋め、帝国の臣民を団結させるための絶好の機会だったわけです。じっさい、日清戦争の開戦とともに、それまで政府と対決姿勢を鮮明にしていた議会は、政府への協力姿勢を打ち出すようになっています。

 こうした中で、旧賊軍の象徴的な存在であった元“輪王寺宮”(ドイツへの留学と北白川宮家の相続により、経歴のロンダリングが図られたものの、彼がまぎれもなく“輪王寺宮”であったことは、国民は誰もが知っていました)が、大元帥である天皇の命を受けて遠い異郷の地・台湾で陣没し、国葬をもって送られました。このことは、日本兵の中にいた“旧賊軍の残党”が靖国神社に祀られたことともあわせて、官軍を母胎とする帝国陸軍に完全に吸収されたことの証明にほかなりません。維新以来、日本人の間にくすぶっていた旧賊軍の怨念を浄化する上で、これ以上のモデルはないといってよいでしょう。

 もちろん、帝国の指導部は、北白川宮が元“輪王寺宮”であったという経歴を秘匿していたわけではありませんでしたが(ちなみに、能久本人は、戦前は靖国神社には祀られず、台湾各地に創建された神社のほとんどで主祭神とするかたちで“棚上げ”されていましたが、戦後、台湾の神社が破却されたことを受けて、1957年10月4日、筑波藤麿宮司の指揮により靖国神社に合祀されました)、彼が台湾で陣没したという事実は、そうした過去を人々の記憶のはるか彼方に押しやり、戊辰戦争の負の遺産を昇華するうえできわめて有効に機能することを熟知していたはずです。

 このような文脈で考えてみると、“日清戦勝”の名目で、官軍の象徴であった有栖川宮と旧賊軍の象徴である北白川宮を同時に切手上に取り上げて顕彰するということは、戊辰戦争の過去を清算するための国家のメディアの使い方として、実に効果的であったと考えられます。そして、それは、結果的に日清戦争の勝利と時期的に重なったことで、台湾を植民地化した“大日本帝国”の新たな誕生を祝うシンボルとして、帝国の臣民に対して、より強い訴求力を持つことになるのでした。

 なお、北白川宮の物語は、その後、軍国美談の一つとして、修身の教科書にも取り上げられ、広く人口に膾炙していくことになります。それは、金枝玉葉の身でありながら、自ら異郷の地に赴いて陣没した彼の存在が、「忠義の心を振興せしめ、天皇陛下の御為には一身を捧げて尽くすように心掛けしむる」ための格好の教材とみなされたからに他なりません。
しかし、有栖川宮に関しては、彼が日清戦争の時期に腸チフスで亡くなったという事実が軍国美談のリストに加えられることはありませんでした。このことは、その後の大日本帝国にとって、“北白川宮”という記号が持っていた重要性を雄弁に物語っているといえましょう。

 さて、日清戦争の勝利を祝う切手に皇族の肖像を取り上げることが決まると、逓信省ならびに印刷局の現場スタッフは早速作業を開始します。

 このうち、北白川宮の肖像は、彼が熊本の第6師団長に在任中の写真を印刷局の細貝為次郎が借り受け、切手の原図を制作しました。

 周囲のデザインについては、2銭切手は、肖像を楕円形で囲み、四隅にそれぞれの宮家の家紋が配するものとなりました。ただし、北白川宮家は明治以降の創設で独自の家紋がないため、切手には、宮家共通の家紋である十四葉一重裏菊が取り上げられています。ちなみに、外信書状用の5銭切手では、肖像を囲む枠は円形で、底部に一ヶ所のみ、家紋が入るデザインとなりました。

 なお、切手には“戦捷(戦勝)”の文字が入っていませんが、これは、敗戦国である清国への配慮ということもさることながら、やはり、日清戦争の勝利と2人の皇族の追悼という、全く異なる二つの事項を一回の切手発行で強引に記念しようというプランに無理があったためとも考えられます。

 さて、今回ご紹介の切手を凹版印刷物としてみた場合、その完成度はきわめて高く、肖像切手としては日本の最高水準にランクするものの一つというのが、専門家の間での一致した見方です。少なくとも、現行の千円札の野口英世の肖像部分や、五千円札の樋口一葉の肖像部分と比べてみると、担当した凹版彫刻家の力量の差は歴然としています。今回の全日展では、有栖川宮の切手の原版と原版刷も併せて展示しておりますので、ぜひ、会場で実物をご覧いただき、“明治の超絶技巧”を味わっていただければ幸いです。
 
        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

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 日本最初の記念切手
2014-03-09 Sun 10:43
 1894年3月9日にわが国最初の記念切手(下の画像はそのうちの1枚。クリックで拡大されます)が発行されてから、きょう(9日)でちょうど120年です。これにあわせて、雑誌『通信文化』に「日本最初の記念切手」と題するエッセイを寄稿しましたので、転載します。

       明治銀婚5銭

 (以下、転載の文章です)
 三月一日、東京スカイツリー内にオープンする郵政博物館では、開館記念の企画展示として、「少女たちの憧れ― 蕗谷虹児展」を開催するという。その目玉は、切手にもなった「花嫁」だが、結婚を題材とした切手は世界各国から膨大な種類が発行されている。

 わが国最初の記念切手も明治天皇の「大婚二十五年祝典」だ。いわゆる銀婚式のことだが、天皇ご本人は、皇統維持のためには側室制度を厳守すべきとの理由から、皇后のみを対象にした西洋式の“銀婚式”には強く反対され、この名称に落ち着いたという。

 皇太子睦仁親王の正妃として一条勝子が入内したのは、慶応三年六月二十八日(一八六七年七月二十九日)。翌慶応四年八月二十七日(一八六八年十月十二日)の天皇即位の御大礼を経て、十二月二十八日(一八六九年二月九日)、勝子は、美子と名を改めた後、正式に皇后となった。

 祝典は、この日を明治天皇の公式な結婚記念日として、その二十五周年を祝ったものだが、当時の日本には結婚記念日の習慣はない。おそらく、急遽、欧米では結婚記念日と節目の銀婚式・金婚式等の習慣があることがわかり、近代的な立憲君主国となった大日本帝国もそれに倣うべし、となったのだろう。記念日直前の明治二十七(一八九四)年一月十七日、突如、祝典を行うための委員が任命されたが、さすがに二月九日では準備が間に合わないので、日程は一カ月後の三月九日に設定された。記念切手もこれにあわせて突貫作業で制作され、なんとか、祝典当日に間に合った。祝賀ムードの中、記念切手は国民的な人気を呼び、“結婚記念日”の存在も社会的に認知されるようになった。

 その「大婚二十五年祝典」から、ことしでちょうど一二〇年になる。

 結婚式の案内状に「花嫁」の切手を貼って差し出す若者たちにとっては、結婚記念日はごく当たり前の習慣だろうが、それが日本社会に定着するきっかけは、いまから一二〇年前の「大婚二十五年祝典」にあり、記念切手もその重要な一翼を担っていたことも、知ってもらえると嬉しい。(以上、転載終わり)

 さて、わが国での記念切手発行120年を記念して、今年8月1-3日に東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>では、戦前の記念切手に関する特別展示を予定しています。詳細につきましては、今後、準備状況を見てこのブログでもご案内していくことになると思いますので、よろしくお付き合いください。

 なお、きょうご紹介した“明治銀婚”の記念切手については、拙著『皇室切手』でも詳しく解説しております野で、そちらも合わせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★   

 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 「日本海」単独呼称を維持
2012-04-26 Thu 21:59
 世界の海図や海、海峡の名称などを調整するため、5年に一度の総会をモナコのモンテカルロで開催中の国際水路機関(IHO)は、きょう(26日)の討議で、韓国が日本海の呼称に“東海”と併記するよう求めている問題について、従来通り、「日本海」単独呼称のままとすることを決めました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        日本海海戦絵葉書

 これは、1905年10月15日に逓信省が発行した「日露戦役紀念」の絵葉書のうち、日本海海戦を取り上げた1枚です。写真の説明文は和英バイリンガル表記で、和文は“日本海海戦ニ於ケル敵艦捕獲”、英文は“Surrender of Rssian warships in the battle of Japan Sea”となっており、若干、意味が違うのですが、日本海の部分については“Japan Sea”がそのまま使われています。

 日本海の古称は“鯨海”で、19世紀初頭、世界周航に際してこの海を通過したロシア海軍の提督、アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンが、“日本の海”を意味するロシア語のЯпонское море(ヤポーンスコエ モーリェ)と命名したのが、日本海という呼称の国際的なルーツとなりました。

 その後、日本海の名称としては、各国語で“日本の海”を意味する呼称が定着。今回の葉書でも、これを踏まえて、英文で“Japan Sea”との名称が記載されています。

 朝鮮半島では、国内では“(朝鮮)東海”という呼称が使われることもありましたが、1992年以前は、すくなくとも欧文で“日本の海”を示す地名が用いられることに異議が唱えられることはありませんでした。実際、韓国は1957年にIHOに加盟していますが、当初は彼らも“日本海”という呼称に同意してたばかりか、韓国政府発行の地図にも“日本海”との表記があったほどです。

 こうした経緯を無視して、1992年に突如、韓国側が日本海の呼称にクレームをつけ、“東海”との呼称を併記するように主張するようになったのは、おそらく、同年末の大統領選挙を前に、国民の支持を得るために反日を持ち出すという、彼らの悪弊が噴出したためとみるのが妥当でしょう。

 当然のことながら、韓国側の主張は唐突で、すでに定着している日本海の呼称を変更しなければならない根拠も薄弱なので、当初は国際社会からもまったく相手にされなかったのですが、彼らがあらゆる機会をとらえ、倦むことなく「日本海と東海の呼称を併記せよ」と発信し続けてきた結果、日本側の発信がほとんどなかったこともあり、徐々に彼らの主張に耳を傾ける外国人も出てきています。たとえば、ことし1月末、アメリカのヴァージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を“東海”と併記することを求める州法案の採決が行われ、結果的に否決されたものの、票差わずか1票というところまで追いつめられるという出来事がありましたが、これなどは、その典型的な事例といえましょう。

 ヴァージニア州議会の件では、わが国の報道は「歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた」という論調でしたが、それでは、韓国の攻勢に対して、わが国はどのような対策を講じていたのか、冷静に考えてみると、暗澹たる思いにとらわれます。

 なお、今回のIHOの決定について、韓国代表団は「今回の決定はあくまでも“結論先送り”に過ぎない」という立場で、今後も国際機関の会合の場などで併記実現を働き掛けていく方針を堅持しているそうです。日本海海戦を勝利に導いた東郷元帥は「勝って兜の尾を締めよ」との名言を残しましたが、決して、今回の決定で安心してはならないということだけは肝に銘じておいた方が良さそうです。


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 東郷元帥の絵馬
2012-01-02 Mon 18:58
 昨日(1日)は、初詣に行ってきました。今年は娘が受験なので、彼女の受験科目の日本史にも関係の深い場所で、なおかつ、勝利を祈願するのに相応しいところがよいと思い、東京・原宿の東郷神社にお参りしました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      東郷神社本殿

 この画像は、昨日の東郷神社本殿の画像で、左側にZ旗も掲げられているのが良いですね。日本海海戦の際に連合艦隊が使用していたZ旗に割り当てられた文言「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」にちなんで、お賽銭は千円札を1枚入れてこようかとも思ったのですが、調べてみたら、これは秋山真之の草案によるものということなので、結局、「(彼女の志望校に)ご縁がありますように」とのことで5円玉にしました。別にケチったわけではありません。

 さて、境内では祭神・東郷平八郎の肖像を描く絵馬が売られていました。絵馬の肖像は、1905年2月11日に逓信省が発行した「明治三十七・八年戦役紀念郵便絵葉書 天長節ノ部」の写真をもとにしているのかと思ったのですが、家に帰って比べてみたら、肩から掛かっている大綬(サッシュ)の向きが逆になっていることに気が付きました。(左が絵馬、右が絵葉書です)

      東郷絵馬     日露凱旋絵葉書(東郷・三笠)

 どういうことかと思って調べてみたら、通常の勲章では、大綬は右肩から左腰に掛けるのですが、わが国の場合だと、功一級金鵄勲章は例外的に左肩から右腰に掛けるのだそうです。東郷が功一級金鵄勲章および菊花大綬章を授与されたのは、日露戦争の終結翌年の1906年4月のことでしたから、1905年に発行の絵葉書の写真では、大綬が右肩から掛かっているのが当然で、絵馬の肖像は、功一級金鵄勲章を受けた1906年4月以降の肖像をもとに作られたと考えることができます。

 なお、切手の世界では、東郷平八郎というと、昭和切手の4銭5銭7銭の肖像を思い浮かべる人が多いと思うのですが、この肖像のもとになった写真は、東郷晩年の1930年の海軍記念日(5月27日)、自宅を訪れた小学生たちに囲まれて撮影されたものです。生前の東郷の人となりを最もよくあらわすものとして、遺族の強い希望で切手に採用されましたが、昭和切手の図案を討議した改正切手圖案審査委員会の席上では、「勇気が欠けている様に思ふ」、「憂鬱である」などの反対意見も出されました。

 また、切手の肖像では、東郷は晩年まで頭髪がしっかりと残っていますが、絵馬の肖像では頭がほとんど禿げあがっているように見えます。製版上の問題で、絵馬では短く刈り込んだ髪が再現できなかったということなのでしょう。もっとも、禿頭の“毛がない”は“怪我ない”と同音で縁起が良いとする人もあるようですから、これはこれでいいのかもしれません。 


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室
 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
    「年賀状」から見える新しい戦後史!

 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』1月号で紹介されました。

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 <PHILANIPPON 2011>終了
2011-08-02 Tue 22:32
 7月28日からパシフィコ横浜で開催されていた世界切手展<PHILANIPPON 2011>は、本日(2日)午後3時、すべての日程を終了しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        横浜・停車場印

 これは、1876年、横浜から東京宛に差し出された葉書で、少し見づらいのですが、葉書の下部に“横濱”の朱色の停車場印が押されています。

 停車場印は、明治時代に鉄道の停車場に置かれた郵便函に投函された郵便物の余白に押された印で、1875年ころから使われ、1889年に廃止されました。この印が押された郵便物は鉄道に搭載されて運ばれ、鉄道から降ろされた後に郵便局に持ち込まれて切手葉書の印面に消印が押され、最終目的地まで配達されました。

 今回ご紹介の葉書の場合は、横浜駅で投函された後、新橋まで運ばれ、“東京”の消印が押されて配達されています。僕も、きょうは作品を担いで横浜駅から新橋駅を超えて都内の自宅に戻ってきましたので、まぁ似たようなルートをたどってきたというわけですな。

 さて、今回の切手展では、さまざまな方々にお世話になりました。この場をお借りして、あらためて皆様にお礼申し上げます。

 今年はこの後、秋の<JAPEX>に続き、中国・無錫でのアジア展が控えています。特に、無錫展に関しては、日本コミッショナーを仰せつかっていることもあり、関係の皆様にはこれまで以上に御面倒をおかけするかとおもわれますが、引き続き、どうかよろしくお願いいたします。


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