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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 バンコクに到着しました
2018-11-27 Tue 06:43
 おかげさまで、昨晩(26日)、無事にバンコクに到着しました。下の画像は、スワンナプーム国際空港到着時のものです。運んでいるスーツケースは4つ。このうち、3つがまるまる日本からの出品作品で、税関での計量の結果は99 ㎏の大荷物になりました。きょうは現地時間の午前10時から設営作業がスタートの予定です。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      バンコク到着(20181126)

 というわけで、まずは、無事の到着を祝して、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・バンコク加刷(1883)

 これは、英領海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷して発行された切手です。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 英国がバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主に海峡植民地(ペナンマラッカシンガポールなど)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年になると、ここにご紹介しているように、海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されています。

 これに対して、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 このあたりの事情については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 ワット・アルン前で尻を出し罰金
2017-12-02 Sat 18:20
 “暁の寺”として知られるバンコクの名刹、ワット・アルンを背景に、尻を出した姿で写真を撮影し、写真共有サイト“インスタグラム”に投稿した米国人の男2人が罰金の支払いを命じられたそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      タイ・1905年シリーズ(5アット)

 これは、タイの1905年シリーズの5アット切手で、当時の国王ラーマ5世の肖像を描いたメダルをタイ人の子供2人が捧げ持ち、背後にワット・アルンが描かれています。メダルを捧げ持つ子供は裸に近い姿ですが、寺院の方には尻や股間は向けられていません。

 ワット・アルンはアユッタヤー王朝時代に建立されましたが、当初は、ワット・マコークと呼ばれる小さな寺にすぎませんでした。それが、トンブリー王朝時代の1779年、タークシン王の部将だったチャオプラヤー・チャクリーヴィエンチャンから戦利品として持ち帰ったエメラルド仏を祀る王室寺院となって一挙に寺格が上昇。その後、1782年にチャクリー王朝を開き、国王ラーマ1世となったチャオプラヤー・チャクリーは王都を対岸に移し、エメラルド仏も王宮内の寺院に移りましたが、続くラーマ2世の個人的な保護を受け、1820年、ヒンドゥーの暁の神、アルーナにちなんで、ワット・アルンラーチャターラームと改称されました。現在の名前になったのはラーマ4世の時代のことです。

 寺院のシンボルとなっている大仏塔は19世紀に入り、ラーマ2世の時代になってから建設が始まり、次のラーマ3世の時代になって完成しました。水面からの高さ75メートル。中心の大塔を4つの小塔が取り囲む構造は、須弥山(仏教の世界観で世界の中心にそびえる山)を表現したものだといわれており、大塔の表面は色鮮やかなタイルで覆いつくされています。

 今回ご紹介の切手は、1905年12月から使用されたもので、前シリーズの1899年シリーズ同様、ドイツ・ライプツィヒのギーゼッケ・ウント・デヴリエント社で製造されました。

 ちなみに、この切手は、ワット・アルンを取り上げた最初の切手というだけでなく、仏教関係の題材を取り上げた世界最初の切手です。1893年以降、タイは世界各国に対してタイ文字版『三蔵経』の配布を開始し、タイにも西洋キリスト教社会の『聖書』に匹敵する精神的支柱が存在することを示すとともに、自国の近代性をアピールしようとしていますが、この切手の発行も、こうしたタイの宣伝戦略の延長線上にあったとみなすことができます。

 さて、今回、罰金を科された米国人の2人組は、38歳と36歳の同性愛のカップルで、世界各地で尻を出した写真を撮影し、インスタグラムに投稿しています。

 タイでは仏教に対する冒瀆は犯罪として処罰の対象となるため、警察としては、当初、彼らの逮捕も視野に入れていたようです。ところが、警察が写真投稿の事実を確認した時点で、2人はカンボジアに出国していたため、処罰は難しいとみられていました。それが、先月28日になって、2人がバンコクの空港で再入国を試みたため、入管当局が身柄を拘束。そのうえで、警察は問題となった写真の撮影場所が寺院から離れていたため、仏教冒瀆罪での逮捕を断念し、代わりに、公共の場所でわいせつ行為をしたとして、2人にはそれぞれ5000バーツ(約1万7000円)の罰金を科すことで決着しました。

 当初、僕は2人が尻を出した写真を各地で撮影し、インスタグラムに投稿していると聞いて、ゲイの権利擁護・拡大のための活動家かと思ったのですが、警察の取調に対して、2人は「目立ちたかった」と供述しているそうですから、単なる愚か者ということなのでしょう。まぁ、同性愛が禁止されている国家で抗議の意思を示すために自らの尻を出すという活動家なら、そもそも、同性愛者に対しては寛容なタイを活動の場には選ばないでしょうし、そもそも、写真を公開した後に再入国なんてしないでしょうから…。

 なお、ワット・アルンとその切手については、切手紀行シリーズ拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 NHKラジオ第1で「切手でひも解く世界の歴史」スタート!
2017-04-13 Thu 08:20
 本日(13日)から、原則として隔週木曜日の16時台前半、NHKラジオ第1放送で、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします(番組の詳細はこちらをご覧ください)。初回のきょうは、タイ及び近隣の旧正月にあたる水かけ祭“ソンクラーン”の日ということで、こんな話をする予定です。(画像はクリックで拡大されます)

      ラーマ5世・ルアンパバーン消

 これは、現在はラオス領となっているルアンパバーンの消印が押されたタイ最初の切手です。

 1868年にラーマ5世が即位した頃のタイは、現在の国名でいうラオスのほぼ全域やベトナムの北部、カンボジア西部、さらには、マレーシアの北部までをも勢力下に収めた域内の大国でした。もっとも、チャクリー王朝(現王朝)の直接支配はその全域に及んでいたわけではなく、地方の小領主がバンコクの王室に服属し、結果として緩やかな連合国家を形成されていたというのが実態でした。

 英仏列強はこうしたタイ国家の構造を利用して、周辺の属国をチャクリー王朝の支配下から切り離すことで領土を拡大していったわけですが、そのプロセスを、年表風に記すと以下のようになります。

 1888年 シップソーンチュタイ(ベトナム北部)をフランスに割譲
 1892年 シャン族5王国と東カレン族の国をイギリスに割譲
 1893年 シャム危機:砲艦外交に屈して、メコン川東岸のラオス全域をフランスに割譲
 1904年 シャム危機での賠償金支払い完了までの保障占領としてチャンタブリーとトラートに駐留していたフランス軍の撤退を求めて、メコン川右岸のマノープライ、チャンパーサック、ルアンパバーン州をフランスに割譲
 1907年 フランスのアジア系保護民の治外法権撤廃軍の代償として、カンボジアのバタンバン、シムエレアプ、シーソーポンをフランスに割譲
 1909年 英保護民の治外法権撤廃の代償として南部のクダ、ペルリス、クランタン、トレンガヌ4州の宗主権を英国に割譲

 この年表からもお分かりいただけるように、1904年まではルアンパバーンはタイ領であり、当然、タイの切手が使われていたため、今回ご紹介のようなマテリアルが生まれたわけです。
 
 さて、これら6回にわたる領土の割譲で、タイが失った総面積は30万平方キロにも達しました。タイは、こうした多大なる代償と引き換えに、東南アジアにおける英仏の緩衝国という立場を確保し、独立を保ったといえます。

 もちろん、タイの損失が一部領土の割譲にとどまり、独立国として存続しえた背景には、ラーマ5世による一連のチャクリー改革が一定の成果をあげ、曲がりなりにも“近代国家”の一員として国際社会から認知されていたという事情も見逃してはならないでしょう。1883年に創業したばかりのタイ郵政が、早くも1885年7月1日付で国際的な郵便交換の組織である万国郵便連合に加盟し、それに伴い、前日の6月30日をもってバンコクの英国局が撤退していたということは、その象徴的な出来事と見ることができます。

 今日の放送では、ラーマ5世時代のタイの例から、切手に押されている“消印”の地名から、その国の支配の領域がわかるというお話をするつもりです。聴取可能な方は、ぜひ、このブログと併せてお聞きいただけると幸いです。

 なお、次回の放送は、4月27日(木)の16時台前半、フランス大統領選挙にちなんだ話題をお話しする予定です。詳細につきましては、あらためて、このブログでもご案内いたしますので、今後ともよろしくお付き合いいただけると幸いです。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” スタート! ★★★ 

 4月13日(木)から、NHKラジオ第1放送で、隔週木曜日の16時台前半、内藤がレギュラー出演する「切手でひも解く世界の歴史」スタートがします。初回は、13日がタイの水かけ祭“ソンクラーン”の日なので、16:05から、タイの切手のお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。番組の詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 バンコクに来ています
2016-11-30 Wed 12:05
 以前の記事でも書きましたが、12月2日から中国・南寧で開催のアジア国際切手展<CHINA 2016>にコミッショナー兼審査員として参加するため、本日未明に出国し、現在、バンコクのスワンナプーム国際空港にいます。というわけで、景気づけに、今年に入ってから入手したバンコク関連のマテリアルの中から、この1点です。(画像はクリックで拡大されます)

      香港QV切手・バンコク消

 これは、1884年2月5日、バンコクの英国局で使用された香港切手のオンピースです。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 英国がバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主にイギリス海峡植民地(現・マレーシア、シンガポール)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年からは海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されるようになりました。こうした海峡植民地切手と並行して、香港切手もバンコクの英国局で使用されています。なお、バンコクでの香港切手は、香港、中国、日本宛の郵便物に限って例外的に使われたものと考えられています。

 一方、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 さて、南寧へは東京からの直行便はないので経由便を使うしかないのですが、今回は、日本からの出品作品をお預かりして会場に搬入するため、中国の他の都市での出入国は避け、南寧で直接、出入国および通関手続きは行うことにしました。そのため、当初はマカオ航空を使い、マカオ経由で南寧入りするつもりでチケットも手配していたのですが、突如、マカオ航空側の事情で僕がチケットを買ったマカオ=南寧間の便が運休となってしまったため、遠回りではありますが、南寧行きの国際線の便が比較的多いバンコク経由というルートを取ることになりました。今日は午後の便でバンコクを発って南寧入りする予定で、現在、空港のラウンジでこの記事を書いている次第です。なお、展覧会の会期は12月6日までですので、翌7日に南寧を発ってバンコクに飛び、8日の朝に帰国の予定です。

 旅行中もノートパソコンは持参していますが、南寧では、中国当局によるインターネット規制があり、fc2、ameblo、geocitiesで作成したサイトには、内容のいかんにかかわらず、ドメイン自体が規制対象となっているために現地からは接続できないそうです。そこで、中国でもインターネットが使用できるというルーターを成田で手配してきたのですが、いままで試したことがないので、うまくいくかどうかはわかりません。そこで、現地でも記事がアップできればそのように致しますが、それが無理だった場合のことを考えて、とりあえず、南寧到着後、来月7日に中国を出国するまでの間は予約投稿しておいた内容を、順次、公開する体制を取っています。このため、受賞結果を含め現地でのレポートは、帰国後のアップになる可能性があります。また、かようなお国事情ゆえ、メールでのお問い合わせにも対応できないことがあるかもしれませんが、その場合には、あしからず、ご容赦ください。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
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 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 切手の帝国:バンコク・B加刷
2013-10-06 Sun 17:41
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年10月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」では、今回は、タイの初期の郵便と英国の関係を取り上げました。その記事の中から、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       バンコク・B加刷

 これは、英領海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷して発行された切手です。

 タイと欧米諸国との本格的な外交関係は、1855年にラーマ4世(モンクット王)が英国との間にボーリング条約を結んだことに始まります。ちなみに、映画やミュージカルで有名な『王様と私』は、ラーマ4世をモデルにした“シャム王”の宮廷を舞台に、国王と英国人女性家庭教師との交流を描いたものですが、作品中の王室の扱いが不敬であるとして、タイでは上映・上演が禁じられています。

 ボーリング条約により英国は首都バンコクに領事館を開設しましたが、当時、タイには近代郵便制度はなく、国内はともかく、バンコクから海外へ郵便を送ることにタイ側が責任を持つ体制にはなっていませんでした。このため、英国領事館は、タイ駐在の外国人商人や宣教師の要請に応えて領事館内に“郵便局”を開設し、1858年からタイと英本国やインド、シンガポールなどとの通信の取り扱いを開始しました。これが、タイにおける近代郵便制度の最初で、当時の郵便物は蒸気船でシンガポールまで運ばれ、そこから宛先へ送られていました。

 イギリスがバンコクに開設した郵便局では、当初は英領インドの切手が、1867年からは主にイギリス海峡植民地(現・マレーシア、シンガポール)の切手が無加刷で使われていましたが、1882年になると、ここにご紹介しているように、海峡植民地の切手にバンコクを意味するBの文字を加刷した切手が使用されています。

 これに対して、ラーマ5世(チュラーロンコーン王、『王様と私』のラストで、国王の崩御に伴い即位する少年皇太子のモデル)による近代化政策の一環として、タイが自前の郵便制度導入を計画するようになったのは、1881年のことでした。ただし、当時のタイには切手を製造するための設備がなかったため、タイ最初の切手の製造はロンドンのウォータールー・アンド・サン社に委託されました。

 その後、ロンドンから切手が到着するのを待って、1883年8月4日のことで、バンコクのプラナコーン地区とチャオプラヤー川を挟んで対岸のトンブリー地区との間で、書状と書籍(印刷物)の配達に限定してタイの近代郵便が創業されます。なお、バンコクという地名は主として外国人による呼称で、タイ語では“クルンテープ”というのが一般的です。

 ちなみに、バンコクに置かれていた英国の郵便局は、1885年7月1日にタイが万国郵便連合に加盟し、タイ政府発行の切手が国際的にも有効とされたため、その前日の6月30日で閉鎖されました。

 このあたりの事情については、拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
       

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 バンコクで大規模な反政府デモ
2012-11-25 Sun 12:33
 タイの首都バンコク中心部のラーマ5世(チュラーロンコーン)騎馬像前広場で、きのう(24日)、インラック首相の退陣を求める勢力が大規模集会を開催。警官隊の規制線を突破しようとしたデモ隊に対して、国連バンコク事務所前で警察が催涙ガスを発射するなど、一部で衝突が発生し、警察によると双方で計40人以上が負傷(うち警官2人がデモ隊のトラックにひかれるなどして重体)、約130人が警察に拘束されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         ラーマ5世騎馬像(40ティカル)

 これは、1908年11月11日に発行されたラーマ5世在位40年の記念切手で、バンコク・ドゥシット地区の旧国会議事堂前の国王騎馬像(銅像)が取り上げられています。なお、切手の発行日は銅像の除幕式の日です。2年前の2010年10月、僕は南アフリカ・ヨハネスブルグで開催の国際切手展<JOBURG 2010>に参加のため、バンコク経由でヨハネスブルグに向かいましたが、たまたまバンコクに立ち寄った日はラーマ5世の誕生日を祝う記念日の10月23日の翌日にあたっていたため、今回の騒動の場所となった広場一帯と銅像はこんな感じに飾り付けられていました。

         ラーマ5世騎馬像(2010年)


 さて、今回のご紹介の切手に取り上げられた騎馬像は、国王の在位40年を記念すべく、国民から浄財を募って建設されました。なお、国民から集められた浄財は、建設費用を大きく上回ったため、その剰余金を基金として公務員養成学校が作られています。これが現在のチュラーロンコーン大学のルーツです。

 銅像の制作作業は、前年(1907年)、国王が二度目のヨーロッパ歴訪を行った際、パリでフランス人彫刻家のジョルジュ・ソーロが外遊中の国王に直接謁見して開始されました。銅像は、王宮の東北、ドゥシット地区に近代都市を建設するという開発計画の一環としても位置づけられていたため、ヴィクトリア朝後期のロンドンを強く意識した都市のプランに合わせて、騎馬像の形式も、馬が足を上げたフランス式ではなく、4足すべてが地面に着いた英国式が採用されています。なお、銅像の除幕式は1908年11月11日に行われ、国王自らが幕を引いて像の完成を祝いました。

 今回ご紹介の切手の凹版印刷は、ドイツ・ライプツィヒのギーゼッケ・デブリエント社が手がけた見事なもので、タイ切手を代表する1枚です。日本で言う“見返り美人”や“月に雁”のような存在といったらいいでしょうか。

 さて、タイは個人的には大好きな国の一つで、拙著『タイ三都周郵記』を書いただけでなく、現在も雑誌『タイ国情報』で「泰国郵便学」の連載を担当しております。個人的な友人も少なからずおり、先日も、ドバイへ行くための経由地として立ち寄ったばかりです。当然、あすの帰国もバンコク・ドンムアン空港を経由して、ということになります。それだけに、今回の一件も、これ以上の大事にならないよう、切にお祈り申しあげる次第です。

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 暁の寺
2010-11-25 Thu 20:27
 三島由紀夫が1970年11月25日に市谷で自決してから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ1905年シリーズ

 これは、タイの1905年シリーズの3アッタース切手で、国王の肖像を描いたメダルをタイ人の子供2人が捧げ持ち、背後に三島由紀夫の「暁の寺」で有名なワット・アルンが描かれています。このブログでも、いままで、この切手を台切手とした加刷切手はご紹介したことがありますが、無加刷切手は取り上げたことがありませんでしたので、この機会にご紹介することにしました。

 ワット・アルンはアユタヤ王朝時代に建立されましたが、当初は、ワット・マコークと呼ばれる小さな寺にすぎませんでした。それが、トンブリー王朝時代の1779年、タークシン王の部将だったチャオプラヤー・チャクリーがビエンチャンから戦利品として持ち帰ったエメラルド仏を祀る王室寺院となって一挙に寺格が上昇。その後、1782年にラタナコーシン王朝を開いたチャオプラヤー・チャクリーは王都を対岸に移し、エメラルド仏も王宮内の寺院に移りましたが、続くラーマ2世の個人的な保護を受け、1820年、ヒンドゥーの暁の神、アルーナにちなんで、ワット・アルンラーチャターラームと改称されました。現在の名前になったのはラーマ4世の時代のことです。

 寺院のシンボルとなっている大仏塔は19世紀に入り、ラーマ2世の時代になってから建設が始まり、次のラーマ3世の時代になって完成しました。水面からの高さ75メートル。中心の大塔を4つの小塔が取り囲む構造は、須弥山(仏教の世界観で世界の中心にそびえる山)を表現したものだといわれており、大塔の表面は色鮮やかなタイルで覆いつくされています。

 三島由紀夫の小説『暁の寺――豊饒の海 三』では、チャオプラヤー川から望む大仏塔の姿は以下のように描写されています。

 近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿を隈なく鏤めているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ、一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であつた。嵌め込まれた数知れぬ皿は花を象り、あるひは黄の小皿を花心として、そのまはりに皿の花弁がひらいてゐた。あるひは薄紫の盃を伏せた花心に、錦手の皿の花弁を配したのが、空高くつづいてゐた。葉は悉く瓦であつた。そして頂きからは白象たちの鼻が四方へ垂れてゐた。
 塔の重層感、重複感は息苦しいほどであつた。色彩と光輝に満ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向かつて細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかつて来るかのやうである。すこぶる急な階段の蹴込も隙間なく花紋で埋められ、それぞれの層を浮彫の人面鳥が支へている。一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押しつぶされながら、なほ累積し累積して、空へ向かつて躙り寄つて成した極彩色の塔。
 メナムの対岸から射し初めた暁の光を、その百千の皿は百千の小さな鏡面となつてすばやくとらへ、巨大な螺鈿細工はかしましく輝きだした。

 さて、今回ご紹介の切手は、1905年12月から使用されたもので、前シリーズの1899年シリーズ同様、ドイツ・ライプツィヒのギーゼッケ・ウント・デヴリエント社で製造されました。

 ちなみに、この切手は、仏教関係の題材を取り上げた世界最初の切手です。タイは1893年以降、世界各国に対してタイ文字版『三蔵経』の配布を開始し、タイにも西洋キリスト教社会の『聖書』に匹敵する精神的支柱が存在することを示すとともに、自国の近代性をアピールしようとしていますが、この切手の発行も、こうしたタイの宣伝戦略の延長線上にあったとみなすことができます。

 なお、ワット・アルンとその切手については、切手紀行シリーズ第1巻の拙著『タイ三都周郵記』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ラーマ5世100年
2010-10-23 Sat 14:58
 1910年10月23日にタイ国王ラーマ5世(チュラーロンコーン)が崩御されて、ちょうど100年になりました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

         タイ・1910年シリーズ

 これは、ラーマ5世崩御に先立つこと半年ほど前の1910年5月5日に発行された新図案の通常切手で、国王の肖像と神鳥ガルーダが組み合わされています。

 タイの1910年シリーズが発行された背景には、長年の懸案であった通貨改革が一応の決着を見たという事情がありました。

 19世紀以前のタイの通貨制度は10進法ではなく、複雑な単位計算となっていました。

 すなわち、基準となる通貨単位の名称としては、もともとは重量単位であったバーツとティカル(マレー・ティカルに由来するポルトガル語が語源とされる)が混用されており、両者は基本的に等価であったものの、用語としては、タイ人はバーツ、外国人(西洋人)はティカルの呼称を用いるのが一般的でした。そして、このバーツ(ないしはティカル)を基準に、2分ないしは4分を繰り返した補助貨幣が鋳造されるという形式を取っており、1883年に発行されたタイ最初の切手では、各切手の額面の対応関係は以下のようになっていました。

 1ソロ  128分の1バーツ
 1アット 64分の1バーツ(=2ソロ)
 1スィオ 32分の1バーツ(=2アット=4ソロ)
 1スィク 16分の1バーツ(2スィオ=4アット=8ソロ)
 1サルン 4分の1バーツ(4スィク=8スィオ=16アット=32ソロ)

 若干の補足をしておくと、当初は1バーツ(ティカル)切手の発行はありません。このほか、1ファン(8分の1バーツ=2分の1サルン=2スィク=4スィオ=8アット=16ソロ)の切手も準備されましたが、実際には発行されませんでした。

 これらタイ最初の切手では、額面を含めタイ語の表示のみで、ローマ字や算用数字の表示はなく、同一のデザインで額面ごとに刷色を変えただけでしたから、外国人がタイ国内で使用したり、外国宛の郵便物に使用したりする際には料金を識別しにくいとして、きわめて不評でした。

 このため、タイ郵政は、1885年、とりあえず、1アット切手に“1Tical”の額面を加刷した切手が発行するとともに、1887年4月、額面の通貨単位をアットに統一した切手(たとえば、1バーツ切手は64アット、1ファン1スィクは12アットと表示された)を発行します。

 その後、1897年にいわゆるチャックリー改革の一環として、1バーツを100サタンとする幣制改革が実施されましたが、この10進法に対応する新通貨は発行されず、その後も、旧来のアット貨が流通していました。

 これに対して、1902年に金本位制が導入され、それまで、香港上海銀行などが行っていたタイでの銀行券発券業務がタイ大蔵省の管轄となったのを経て、1910年、ようやく、ティカル/バーツ表示による新通貨が発行され、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。ちなみに、新通貨・新切手の発行に先立ち、1909年8月15日、サタン表示の額面を加刷した切手が発行されています。

 なお、ラーマ5世時代の1883年にタイ最初の切手が発行されるまでのいきさつについては、拙著『タイ三都周郵記』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日午前中、にカウンターが76万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

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 泰国郵便学(5)
2009-12-26 Sat 11:08
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第43巻第6号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回はバンコクのドゥシット地区の再開発のことを中心に取り上げました。その中からこの1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ラーマ5世即位40年加刷

 これは、1908年に国王ラーマ5世(チュラーロンコーン)の即位40年を記念して発行された加刷切手です。

 1897年4月から12月まで9ヵ月にわたってヨーロッパ各国を歴訪したチュラーロンコーンは、帰国すると直ちに大規模な都市改造計画に着手します。

 そもそも、チュラーロンコーンには側室を入れた妻が160人以上、子供の数は77人いました。ラッタナコーシン王朝歴代の国王として最大の数です。このため、ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)に隣接する正王宮だけでは、彼らの生活の場を十分に確保することは難しく、別途、新宮殿を造営する必要が痛感されていました。

 こうした状況にくわえ、バンコクに駐留する西洋人たちからは、バンコクの都市としての“後進性”が指摘されていました。ヨーロッパの主要都市を自ら訪ね歩いたチュラーロンコーンは、曲がりくねった小道に住宅や商店が無秩序に密集するバンコクの“後進性”を痛感。欧米に倣い、郊外に新宮殿エリアを造営し、首都バンコクの街並みを近代国家にふさわしいものへと改造することを構想するようになったのです。

 こうして1899年2月に始まった王宮の東北地域の開発計画は、最終的に、ウィマンメーク宮殿、アナンタ・サマーコム宮殿、チャンカセーム宮殿などの諸宮殿に動物園や競馬場までをも備えた大規模なドゥシット地区となって結実しました。これは、従来の王宮があったラッタナコーシン島からの事実上のバンコク内での遷都といってもよいでしょう。

 ドゥシット地区開発のプランは、国王の即位40年を記念して、1908年、アナンタ・サマーコム宮殿の前に、切手でもおなじみのチュラーロンコーンの騎馬像を設置することで完結します。(ただし、宮殿の建設工事は騎馬像の完成時には間に合わず、その後も続けられています)

 チュラーロンコーンの騎馬像は、1907年、彼が2度目のヨーロッパ歴訪を行った際、パリでフランス人彫刻家のジョルジュ・ソーロが外遊中の国王に直接謁見して制作・鋳造しました。ドゥシット地区全体の都市計画がヴィクトリア朝後期のロンドンを強く意識していることから、騎馬像の形式も、馬が足を上げたフランス式ではなく、4足すべてが地面に着いた英国式が採用されています。なお、銅像の除幕式は1908年11月11日に行われ、国王自らが幕を引いて像の完成を祝いました。

 除幕式当日には、国王の在位40年を寿ぎ、記念切手も発行されました。今回ご紹介のモノもそのうちの1枚です。

 加刷に用いられた台切手は、1905年12月から使用されたもので、前回の本連載でご紹介した1899年の普通切手と同様、ドイツ・ライプツィヒのギーゼッケ・ウント・デヴリエント社が製造しました。

 デザインは、国王の肖像を描いたメダルをタイ人の子供2人が捧げ持ち、背後にワット・アルンを描くというもので、当時のヨーロッパで流行したスタイルを取り入れつつも、タイの独自性を強調する内容となっています。また、切手にはワット・アルンが描かれていますが、仏教関係の題材が切手に取り上げられたのは世界的に見てもこれが最初のことです。

 ところで、国王即位40年の記念切手としての記念銘の加刷はバンコクの印刷所で行われましたが、ここでの“Jubilee”の語の用法については、若干、疑問が残ります。というのも、“Jubilee”の語は、もともとはユダヤ教で50年に1度の祝賀を意味することに由来し、25年ないしは50年に1度の周期で行われる記念日・祝祭または祝年を意味しているため、40年の節目を祝う際に用いられることは欧米世界では、まずあり得ないからです。

 おそらく、今回の切手の加刷も大英帝国の先例にならったものなのでしょうが、こうした“誤用”からは、当時のタイが、急速な勢いで近代化(=西洋化)に邁進しながらも、その消化がいまだ不十分であった状況が透けて見えるように思われます。

 なお、今回の記事では、バンコクの幹線道路であるラーチャダムヌーン通り建設の経緯をはじめ、現在のバンコクの相貌ができあがっていく過程についてもまとめていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 下記の日程で、拙著『昭和終焉の時代』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。

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 泰国郵便学(4)
2009-12-05 Sat 10:47
 ご報告がすっかり遅くなりましたが(すみません、うっかり忘れてました)、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第43巻第5号が刊行されています。きょうは国王陛下のお誕生日でもありますし、遅ればせながら、同誌に掲載されている僕の連載「泰国郵便学」の中からこの1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

   タイ1899年シリーズ

 これは、タイの通常切手1899年シリーズの8アッツ切手です。肖像はもちろん、当時の国王ラーマ5世で、ライプツィヒのギーゼッケ・ウント・デヴリエント社が製造しました。

 当時、英仏に次ぐ第3の大国であったドイツとの関係を強化することは、列強のパワーバランスの隙間で生き残りを模索していたタイにとって重要な課題でしたが、そうした姿勢は、たとえば、鉄道建設事業においても象徴的に表れています。

 タイにおける鉄道建設は、1880年代半ばの漢族ホーに対する討伐に際して、従来の輸送システムでは内陸部への兵站の供給がきわめて非効率的であることが露呈したことから、その改善を目指して計画されました。さらに、時を同じくして、英仏両国がタイ領内を通過して雲南方面へと抜ける鉄道の建設を計画していたことから、それらが実現されればタイの北部が英仏両国の手に落ちる恐れもありました。特に、1893年のパークナーム事件に関して、“友好国”として頼みにしてきたイギリスがフランスによる領土の侵略を追認したことはタイに大きな衝撃を与えました。

 このため、タイとしては英仏両国に先んじてバンコクと地方を結ぶ鉄道を敷設する必要に迫られ、バンコク=コーラート(ナコーンラーチャシーマー)間の鉄道建設が計画されます。その際、建設工事を通じて英仏両国の影響力が強まってしまっては元も子もないので、ドイツ人技師が多数雇用されました。そして、彼らの助力により、1897年3月26日、バンコク=アユッタヤー間に最初の国鉄路線が開通しました。

 ちなみに、ラーマ5世は鉄道開通直後の1897年4月から9ヵ月にも及ぶ欧州歴訪の旅に出ていますが、帰国後の1899年9月、タイ郵政は切手のデザインを一新し、ライプツィヒのギーゼッケ・ウント・デヴリエント社製の切手を発行しています。それ以前のタイの切手を製造していたウォータールー・アンド・サン社ならびにトーマス・デ・ラ・ルー社はいずれもイギリス企業でしたから、切手・郵便の面でも、1890年代を通じてドイツのプレゼンスが向上したといってよいでしょう。

 なお、1897年の国王の外遊は、東南アジアの植民地化が進行していく中で、植民地転落の危機を防ぐためにも、近代国家としてのタイの存在を列強諸国に認識させるためのものでした。今回の記事では、国王の外遊をたどりながら、当時のタイとヨーロッパ諸国との関係についても解説していますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 出版記念パーティーのご案内 ★★★

 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』の刊行を記念して、ルーマニア民主革命20周年の記念日にあたる12月22日、下記のとおり出版記念パーティーを開催いたします。当日は、僕のトークのほか、日本におけるジプシー・バイオリンの第一人者、古館由佳子さん(下の写真の女性。当日は彼女のCDも販売します)による生演奏もお楽しみいただけますので、ぜひ、遊びに来てください。

   古館由佳子     ルーマニア料理

 ・日時 2009年12月22日 18:30~

 ・会場 レストラン・ルーマニア(本格的ルーマニア料理のレストランです。)
     *東京都中野区本町1-32-24(東京メトロおよび都営地下鉄中野坂上駅1分)
      tel: 03-5334-5341 地図などはこちらをご覧ください。
      料理は上の画像のようなイメージで、ブッフェ・スタイルになります。

 ・会費 7000円(『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』1冊つき)
     *当日会場にてお支払いをお願いいたします。

 ・参加ご希望の方は、12月18日までにキュリオマガジン編集部まで、電子メール(info@fujimint.com)にてお申し込みください。たくさんの方々のお越しを心よりお待ちしております。
 

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