内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の国々:ブータン
2015-04-28 Tue 18:40
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年4月29日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はブータンの特集です。その記事の中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ブータン・地図(1962)

 これは、1962年にブータンが発行した最初の切手のうち、ブータンの地図を中心に、左側にウゲン・ワンチュク王、右側にパロ・ゾン(パロは地名、ゾンは修行場を兼ねた要塞)が描かれています。

 ブータン国家の歴史は、1616年、 チベット仏教の内紛でチベットを追われた高僧、シャブドゥン・ガワン・ナムゲルがこの地の支持者に迎えられて建国したのが始まりとされています。

 19世紀に入り、インドを制圧した英国が周辺地域に勢力を伸ばしていく過程で、1864年、 イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)が勃発。この戦争に敗れた後、ブータンは英国の強い影響下に置かれ、王室に対しては英国から年金が支給されることになりました。

 ところが、この年金の分配をめぐって有力者の間で対立が生じ、1880年代にはブータンは内戦状態に突入。この内戦を鎮定して、1907年にブータンを再統一したのが、ワンチュク王朝の初代国王、ウゲン・ワンチュクでした。ちなみに、同年、1646年に建立のリンプン・ゾンが焼失したため、その跡地に建てられたのが、切手に描かれているパロ・ゾンです。

 ウゲン・ワンチュクは、1910年、プナカ条約を締結してブータンを英国の完全なる保護国とします。この時期、清朝が隣接するチベットの支配を強化しつつあったため、ブータンとしては、清朝の脅威に備えるとともに、英領インドの近代化政策に倣うというのが、イギリスの保護下に入った最大の動機でした。

 1948年に英領インドが独立すると、第2代国王のジグメ・ワンチュクは1949年にインド・ブータン条約を調印。、「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」というプナカ条約の方針が継承され、ブータンが独立インドに依存する関係が築かれます。

 一方、1949年に建国を宣言した中華人民共和国は、1951年にチベットに侵攻して、“平和解放”の名の下に併呑。この結果、ブータンは共産中国と国境を接することになりました。これだけでも、ブータンにとっては十分脅威でしたが、1959年、チベット民族蜂起(いわゆるラサ暴動)が発生し、共産中国が武力でこれを制圧したことは、ブータンに大きな衝撃を与えました。

 このため、第3代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュク(1952年即位)は、鎖国政策を廃止して1971年に国連加盟を果たしたほか、国民議会の設置、第1次5カ年計画の実施などの近代化政策を行い、ゆるやかな立憲君主制への移行に着手しました。このため、彼は「近代ブータンの父」として現在でも国民の敬愛を受けており、その路線はその後の国王にも継承されています。

 今回ご紹介の切手も、こうした近代化政策の一環として近代郵便制度が創設されたことに伴い発行されたものですが、上記のような国際関係を反映して、切手に描かれている地図で、チベットが独立国として描かれているのがミソです。

 ちなみに、現在でもブータンと共産中国の間には正式の国交はありませんが、両国間の国境は、1959年以前の境界を尊重するとされています。ただし、2000年以降、中国はブータン領内で勝手に道路建設を行っているほか、冬虫夏草採集のための中国人の越境が相次いでいるなど、中国がブータンに対する侵略の意図を持っていることは明らかです。

 さて、 『世界の切手コレクション』4月29日号の「世界の国々」では、ブータンの近現代史の概論のほか、立体切手などの“いかがわしい切手”が発行された背景事情、サンマリノの歴史の中で、イタリア統一の時代と第二次大戦の時期にスポットを当てた2本の長文コラムのほか、美男で知られる現国王の肖像切手や民像衣装、民族舞踏の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の5月6日号(通常は水曜日発売ですが、今週は祝日のため、火曜日の発売となりました)では、「世界の国々」はドミニカ国を特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


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 アポロ11号のエンジン発見
2012-04-01 Sun 23:11
 米ネット通販最大手アマゾンのジェフ・ベゾスCEOが、人類初の月面着陸を達成したアポロ11号のエンジンを大西洋の海底で発見していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブータン・アポロ11号

 これは、ブータンが発行したアポロ11号の記念切手の1枚で、ロケットの切り離し場面が取り上げられています。切手はレンチキュラー印刷の8種セットで発行され、当時は“立体切手”として話題になりましたので、ご記憶の方も多いかと思います。

 アポロ11号というと、人類初の月面着陸のイメージが強いせいか、月面での宇宙飛行士の活動を描いた切手は多いのですが、さすがに8種セットでの発行となると、それだけではもたなかったんでしょうな。デザイン上のバリエーションを確保する必要からも、ロケット切り離しの場面がセットに入ることになったんでしょうが、結果的に、宇宙切手としては楽しめるものとなり、それはそれでよかったのではないかと思います。

 さて、今回、アポロ11号のエンジンを探し当てたベゾス氏は、5歳の時にテレビで月面着陸を見て「科学や探検への情熱をかき立てられた」のだそうで、同じ気持ちを今の若者にも感じてほしいと1年ほど前からエンジン探査の構想を練り、音波探知機を使った探査で、水深約4300メートルの地点にエンジンが残っているのを確認したのだとか。アポロ11号の打ち上げ後に切り離され、大西洋に落ちたエンジンは5基あるそうですから、残りの4基はどうなっているのかということもちょっと気になりますな。

 僕個人にとってのアポロ11号の思い出というと、大学受験の際、入試問題にアポロ11号の飛行士(たぶん、アームストロングだったと思いますが)のインタビュー記事が出題されていたことでしょうかねぇ。その文章がどういう基準で問題のネタになったのかはわからないのですが、同じ文章がその年の別の大学でも出題された後で聞きましたので、あるいは、入試業界では有名な文章なのかもしれません。

 問題文の細かい部分は忘れましたが、とにかく、宇宙のロマンを熱く語って質問をぶつける記者に対して、宇宙飛行士の側がとにかく冷静で、無事に任務を終えて地球に帰還することが大事という姿勢を崩さず、話が噛み合わないという内容でした。「月に行けるのなら死んでもかまわない」という記者の気持ちもわからなくもないのですが、現実には「冗談じゃない。万に一つも帰ってこれない可能性があるのなら宇宙になんか行かない」という宇宙飛行士の発言のほうがリアリティがありますな。まぁ、いまもむかしも、マスコミというのはとかく情緒的になりがちで、冷静にモノを考えることは少ないということなのかもしれませんがね。
 
 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

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 祝・ブータン国王ご成婚
2011-10-13 Thu 23:13
 ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が、きょう(13日)、一般家庭出身のジェツン・ペマさんと結婚式を挙げました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ブータン国王即位CD

 これは、2008年に現国王の戴冠式を記念してブータンが発行したCD切手です。

 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は、ジグミ・シンゲ・ワンチュクと第3王妃との間の長男として、1980年2月21日に生まれました。

 ブータンで基礎的な教育を受けた後、米・英・印に留学。オックスフォード大学のモードリン・カレッジで政治学修士号を取得しています。

 2006年6月、ブータンの皇太子としてタイのバンコクを訪問し、ラーマ9世の在位60周年式典に出席。端正な容姿でタイの女性の人気を集め、“イケメン王子”として世界的にも知られるようになりました。ちなみに、今回ご紹介の切手は、他のCD切手と一緒にタイ語の解説がつけられたフォルダーに収められていました。このフォルダーがブータン郵政によるオフィシャルなモノかどうかはわかりませんが、こうしたものが作られて販売されていることじたい、現在なおタイ国民の間でブータン国王の人気が高いことをうかがわせると言ってよいでしょう。

 当初、先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、2008年にブータン初の総選挙が行われるのに合わせて譲位をする意向を示していましたが、実際には、早目に経験を積ませるためとして、譲位は2006年12月14日に行われ、2008年11月6日に戴冠式が行われています。

 今回の御成婚は、即位5周年という節目の年の出来事でもあるだけに、ブータン国内はお祭りムード一色とのことですが、報道によると、国王の結婚を祝い、夫妻にささげる歌は日本人が作詞・作曲したのだとか。国王ご成婚記念の切手がブータンお得意のCD切手として発行され、その中に件の曲が収められることになったら、隠れたジャポニカ切手としてチェックしておかないといけませんな。
 

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 ブータンの総選挙
2008-03-24 Mon 23:28
 レコード切手や立体切手などで切手収集家にはおなじみのヒマラヤの王国・ブータンで、今日(24日)、絶対君主制から立憲君主制に移行するための初の総選挙が行われました。というわけで、今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ブータンCD切手

 これは、昨年(2007年)発行されたワンチュク王朝(現王朝)100周年の記念切手で、CD-ROMがそのまま切手となっています。ブータンではかつてソノシートをそのまま切手にした“レコード切手”を発行したことがありますが、現在ではレコードよりもCDということなのでしょう。

 さて、国家としてのブータンの歴史は、1616年、 チベット仏教の内紛でチベットを追われた高僧、シャブドゥン・ガワン・ナムゲルがこの地の支持者に迎えられて建国のが始まりとされています。

 19世紀に入り、インドを制圧したイギリスが周辺地域に勢力を伸ばしていく過程で、1864年、 イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)が勃発。この戦争に敗れた後、ブータンはイギリスの強い影響下に置かれ、王室に対してはイギリスから年金が支給されることになりました。

 ところが、この年金の分配をめぐって有力者の間で対立が生じ、1880年代にはブータンは内戦状態に突入。この内戦を鎮定して、1907年にブータンを再統一したのが、ワンチュク王朝の初代国王、ウゲン・ワンチュク(切手では右上のひげの人物です)でした。

 ウゲン・ワンチュクは、1910年、プナカ条約を締結してブータンをイギリスの保護国とします。ウゲン・ワンチュクにすれば、チベット支配を強化しつつあった清朝の脅威に備えるとともに、英領インドの近代化政策に倣うというのが、イギリスの保護下に入った最大の動機でした。

 1948年に英領インドが独立すると、第2代国王のジグメ・ワンチュク(切手では右下の人物です)は1949年にインド・ブータン条約を調印。、「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」というプナカ条約の方針が継承され、ブータンが独立インドに依存する関係が築かれます。

 1952年に即位した第3代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュク(切手では左下の人物です)は、鎖国政策を廃止して1971年に国連加盟を果たしたほか、国民議会の設置、第1次5カ年計画の実施などの近代化政策を行い、ゆるやかな民主化に着手。この民主化は第4代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュク(切手では左上の人物です)にも継承され、今回の立憲君主制への移行につながったというわけです。

 ただし、ジグミ・シンゲ・ワンチュクの近代化政策は、ナショナル・アイデンティティを強調する面があり、1989年に施行された「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」では、チベット系の民族衣装着用の義務付け、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などが定められました。この結果、ブータン南部のネパール系住民はこれを不満として反政府運動を展開することになり、政府の弾圧を逃れる難民が発生しました。

 なお、2005年に発表された総選挙実施の声明では、国王は2008年に皇太子に譲位するとされていましたが、実際には予定を繰り上げて、2006年に現国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが即位しています。

 ブータンというと、今回のCD切手をはじめ、色モノ切手をいろいろと出す国というイメージが強いのですが、その歴史をまじめにフォローしてみると、結構、面白いことが出てきそうです。いずれ、ブータンのことをまとめた仕事をしてみるのも悪くないでしょうが、ただ、切手に関心のない一般の人にとってブータンっていってもまったくなじみはないでしょうからねぇ。商業出版の企画としてはしんどいかもしれません。
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