内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(32)
2015-08-10 Mon 22:53
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』580号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、岩のドームを取り上げた1980年のキプロス・トルコ人共和国の切手について取りあげました。その中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       北キプロス・岩のドーム(1980B)

 これは、1980年10月16日にキプロス・トルコ人共和国で発行された「パレスチナ人民との連帯」のキャンペーン切手の1枚です。

 東地中海に浮かぶキプロス島は1878年に英国の支配下に置かれました。当初は、英国が同島をオスマン帝国から賃借するという形式が取られていましたが、1925年に英国の直轄統治領になり、1960年8月16日にキプロスとして独立が承認されます。

 もともと、同島にはトルコ系住民とギリシャ系住民が並存しており、それぞれ、トルコないしはギリシャとの併合を求める声が根強かったため、独立時の憲法では、大統領はギリシャ系から、副大統領はトルコ系から選出されると規定されており、初代大統領にはキプロス正教会首座主教であるマカリオス3世が、副大統領にはファーズル・キュチュク が就任しました。

 しかし、キプロスの総人口に比して、公務員におけるトルコ系の占める割合が高かったことから、これを是正するため、1963年には憲法修正が検討されるようになります。これに対して、既得権を失うことになるトルコ系は、憲法改正はキプロスのギリシャへの併合につながるとして強く反発。さらに、ギリシャ系過激派によりトルコ系国会議員3人が殺害される事件が発生すると、キプロスは内戦状態に陥りました。

 この時の内戦は米国が介入し、国連が平和維持軍を派遣したことで同年末には停戦が成立しますが、1974年7月、当時のギリシャ軍事政権の支援を受けたギリシャ系治安部隊のクーデターを契機に、トルコ系住民の保護を名目としてトルコが軍事介入。全島の37%に相当する北部の地域はトルコの実行支配下に置かれ、1975年、キプロス連邦トルコ人共和国を成立が宣言されました。ただし、この時点では、トルコ人共和国はニコシア政府との完全な訣別を意図していたわけではなく、キプロス共和国を連邦国家として再編成することで、トルコ系住民の自治を拡大しようと考えていたとされています。

 さて、トルコ人共和国では、1975年以降、ニコシアのキプロス中央政府とは別に、独自の切手の発行を開始しますが、今回ご紹介の切手もその1枚です。キプロスのトルコ人共和国は人口の99%がムスリムであるから、イスラムの聖地としてのエルサレムの象徴である岩のドームを切手に取り上げ、ムスリム国家として、イスラエルによる不当なエルサレム独占を批難することは、特に不思議なことではありません。

 しかし、ニコシアのキプロス中央政府とパレスチナとの関係を考えると、この切手は政治的に微妙な波紋を起こしたものと考えられます。

 すなわち、アラブ側がイスラエルに完敗を喫した第3次中東戦争後の1967年9月、スーダン首都ハルトゥームで開催されたアラブ首脳会議は、「(イスラエルを)承認せず、(イスラエルとは)交渉せず、講和せず」の三不政策を基本方針として確認します。しかし、現実の問題として、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区とガザ地区から脱出し、外部のアラブ諸国で生活しているパレスチナ人は相当数に上っており、三不政策を厳密に適用すれば、彼らとパレスチナに残った親類縁者との連絡も途絶してしまいます。特に、ペルシャ湾岸の産油国等で出稼ぎ労働者として働いているパレスチナ出身者にとっては、彼らの送金する外貨がパレスチナの留守家族の生活を支えているというのが実情でしたから、建前としての三不政策とは別に、彼らとイスラエル占領地域とのコネクションを確保することが絶対に必要でした。

 そこで、彼らは、アラブ諸国と友好関係を保ちながら、非アラブ・非ムスリム諸国としてイスラエルとも国交関係を有していたキプロスに注目。海外で働いていたパレスチナ出身の労働者は、イスラエル占領下で生活する家族宛の郵便物を“ニコシア郵便局長”宛に送り、そこからパレスチナ宛に転送してもらうという方法で、故郷とコンタクトを取っていました。

 このように、アラブ、イスラエル双方の仲介者の立場にあったキプロスのニコシア中央政府にしてみれば、北部を不法に占拠しているトルコ人共和国が“ムスリム国家”としての立場を強調し、パレスチナとの連帯を掲げて、アラブ世界の支持を梃子に自らの正統性を国際社会に訴えようとすることはゆゆしき問題だったわけです。

 このため、ニコシア政府は、トルコ人共和国ではなく、自分たちこそがキプロスの正統政府としてパレスチナ問題にも発言権を有していることを示すべく、トルコ人共和国の切手発行から約1ヶ月後の11月29日、「パレスチナ人民との団結のための国際デイ」の記念切手を発行しますが、こちらの切手には、岩のドームは取り上げられておらず、鳩とオリーヴ、人間の横顔などを配した図案となっています。やはり、ムスリム国家であるトルコ人共和国と対峙しているという実情から、国内世論に配慮して、イスラムの象徴としての岩のドームを取り上げることができなかったのだと思われます。

 なお、その後も、キプロス共和国の連邦国家への再編成を求めるトルコ人共和国と、トルコ人共和国の存在そのものを否認するニコシア政府との溝は埋まらず、連邦国家の樹立は無理とみなしたトルコ人共和国側は、1983年11月15日、北キプロス・トルコ共和国としての独立を宣言し、現在にいたっています。


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 切手の帝国:キプロス
2013-05-31 Fri 10:05
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年6月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」は、今回は、先ごろ経済危機で話題になったキプロスを取り上げました。その記事の中から、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       キプロス・英軍基地

 これは、キプロス独立後の1964年、キプロス駐留の英軍基地内・野戦郵便局から差し出された葉書です。

 キプロスは1960年に英国から独立しましたが、地中海における戦略上の拠点であったため、英国は、キプロス国家の独立を認めた後も、新政府と協定を結び、島内の英軍基地を手放さず、基地周辺のアクロティリとデケリアは、英国の“主権基地領域”として、英国の統治が継続されることになりましした。

 英軍基地と主権基地領域は英国の“領土”ですから、基地内の郵便局から差し出される郵便物には、当然のことながら、英国の切手が貼られています。ただし、野戦郵便局の常として、防諜上の理由から、消印には地名は表示されず、番号が表示されているだけですが…。

 1974年にトルコがキプロス島北部に侵攻し、北キプロス・トルコ共和国(国際的には非承認)を樹立しましたが、その際、トルコ軍はイギリスとの戦争を避けるため、基地領域の付近で進軍を停止しています。

 こうした経緯もあって、キプロス国内には、英軍基地の返還を求める声がある一方で、抑止力として基地の存続に期待する人も少なくありません。

 さて、今回の記事では、キプロス最初の加刷切手等もご紹介しつつ、キプロスとその郵便についての概要をご説明しております。機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 キプロス加刷のヴィクトリア
2013-03-25 Mon 22:40
 キプロスを支援するためのキプロスとEU(ヨーロッパ連合)の話し合いが行われ、きょう(25日)、富裕層の銀行預金に対する課税や国内2位の銀行閉鎖などの基本条件で合意が成立。これにより、キプロスの金融破綻は、当面回避されました。というわけで、きょうはキプロスの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        キプロス1880

 これは、1880年に発行されたキプロス最初の切手の1枚です。用紙に異物が混入していて、それが女王の頬の部分にあたっているため、なんとなく傷がついているように見えますが、切手そのものの傷ではありません。

 さて、キプロスと地中海諸都市の郵便を始めて制度化したのはヴェネツィアで、1353年8月17日、キプロス島東部のファマグスタからコンスタンティノープル宛の郵便物がその最古の使用例とされています。この時代には郵便印は使用されておらず、代わりに、“CHE DIO GUARDI(神がそれをお守りになる)”を意味するC.D.G.の文字が記されています。

いわゆる近代郵便としては、1845年にラルナカに郵便取扱所(後に郵便局に昇格)を設けたオーストリア・ロイド社が、1864年にオーストリア切手を持ち込み、"LARNACA DI CIPRO"の表示のある郵便印を使用したのが最初といわれています。また、当時の宗主国であったオスマン帝国は、1871年にニコシアに郵便局を開設し、本国切手を持ち込んで郵便サービスを開始しました。

 1878年7月8日、エジプトの植民地化を進めていた英国はキプロスの戦略的価値に目をつけ、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償に島の統治権を獲得しました。これを受けて、同月27日、ラルナカに英国の郵便局が開設され、それから半年後、オーストリア・ロイド社の郵便局は閉鎖されています。当初、キプロスの英国局では本国切手がそのまま持ち込まれ、ラルナカ局では942、ニコシア局では969、キレニア局では974、リマソール局では975、パフォスでは981、ファマグスタでは982の番号の入った消印が使用されています。

 キプロス独自の切手としては、1880年4月1日、英本国の切手に“CYPRUS”と加刷した切手(今回ご紹介した切手はそのうちの1種です)が発行されたのが最初で、最初の正刷切手が発行されたのは、翌1881年7月1日のことでした。なお、1880年に発行された切手の加刷はニコシアにあった地元政府の印刷所で行われています。


 ★★★ 『FLASH』グラビア特集“「趣味の切手」進化論!”の御案内 ★★★

        FLASH 切手特集号表紙     FLASH 切手特集扉

 現在発売中の雑誌『FLASH』4月2日号の「新シリーズ『いま』を究める!FLASHグラビア新書Vol.12」では“「趣味の切手」進化論!”と題して、7ページの切手特集が組まれています。記事では、昭和30-40年代に発行された記念切手の現状や中国の切手バブルの話、そして、各国事情が反映された“世界のオモシロ切手”の話など、盛りだくさんの内容となっており、僕も搭乗してコメントしております。雑誌は全国書店はもとより、駅売店・コンビニなどでも実物をお手に取っていただけますので、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 33年ぶりの開通
2008-04-04 Fri 18:17
 地中海の分断国家・キプロスの中心都市ニコシアで、30年以上にわたって封鎖されてきたレドラ通り(全長約1キロのうち、南側約800メートルはギリシャ系のキプロス共和国に、北側部分はトルコ系の北キプロス・トルコ共和国にあり、境界付近の80メートルは国連管理下の緩衝地帯)の交通が、昨日(3日)、再開されたそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 キプロス・郵便税切手(1977)

 これは、1977年にキプロス共和国が発行したキプロス難民救済のための郵便税切手で、鉄条網を背景に子供が描かれています。
 
 イギリスの支配下に置かれていたキプロス島は、1960年に“キプロス”として独立しましたが、同島にはもともとトルコ系住民とギリシャ系住民が並存しており、それぞれ、トルコないしはギリシャとの併合を求める声が根強いという事情がありました。こうした状況の下で、1974年7月15日、ギリシャ併合賛成派によるクーデターが発生すると、トルコ系住民の保護を名目にトルコが出兵して同島北部を占領。混乱の中で、トルコ系住民が北部のトルコ占領地域へ、ギリシャ系住民が南部の非占領地域へ移住した結果、キプロスは分断状態に陥り、翌1975年、トルコ系住民は、トルコの強い影響下にキプロス連邦トルコ人共和国(現在の北キプロス・トルコ共和国)を結成しました。

 この過程で発生したギリシャ系難民の救済のため、キプロス共和国では、1974年12月以降、郵便料金とは別に“郵便税切手”を郵便物に貼ることを義務付け、難民救済のための寄付金を集めました。今回ご紹介のものもそうしたものの1枚で、その後も同じデザインで年号部分を変えたものが発行されました。

 キプロス共和国では、今年2月の大統領選で、“北キプロス”との対話重視を掲げるフリストフィアス大統領が当選し、3月21日には南北首脳会談も行われました。今回のレドラ通りの交通再開は、その成果として実現したもので、南北双方とも、再統合交渉を仕切り直したい意向と伝えられています。

 ただし、経済的に反映し、EUへの加盟を実現したキプロス共和国に対して、トルコ以外からは承認されておらず、国際的な孤立から経済的に遅れている北キプロスとの格差は大きく、南が北を吸収合併することには抵抗感も強いようです。

 実際、再統合後の国家像でも、北キプロス側はトルコ系とギリシャ系が対等な共同体として国家運営する方法を主張しているのに対して、キプロス共和国側はこれを一蹴するなど、両者の間には埋めがたい溝があり、住民のお祝いムードとは裏腹に、再統合が実現する可能性は限りなくゼロに近いというのが実情です。
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 北キプロス・トルコ共和国
2006-09-21 Thu 02:01
 8月27日に行われたF1世界選手権第14戦トルコGPの決勝後の表彰式で、国際的に独立が承認されていない北キプロス・トルコ共和国の大統領をメダル授与役に起用したことで政治的中立性が損なわれたとして、国際自動車連盟(FIA)が、GP組織委員会と同国スポーツ統括機関に合計500万ドル(約6億円)の制裁金を科すことになったのだそうです。

 というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

北キプロス加刷切手

 これは、1983年12月7日、北キプロス・トルコ共和国の独立に際して発行された加刷切手の1枚です。

 東地中海に浮かぶキプロス島は1878年にイギリスの支配下に置かれました。当初は、イギリスが同等をオスマン帝国から賃借するという形式が取られていましたが、1925年にイギリスの直轄統治領になり、1960年にキプロスとして独立が承認されました。

 もともと、同島にはトルコ系住民とギリシャ系住民が並存しており、それぞれ、トルコないしはギリシャとの併合を求める声が根強かったのですが、1974年7月15日、ギリシャ併合賛成派によるクーデターが発生すると、トルコ系住民の保護を名目にトルコが出兵して同島北部を占領します。混乱の中で、トルコ系住民が北部のトルコ占領地域へ、ギリシャ系住民が南部の非占領地域へ移住した結果、キプロスは分断状態に陥ります。

 翌1975年、トルコ系住民は、トルコの強い影響下にキプロス連邦トルコ人共和国を結成します。キプロス共和国の連邦国家としての再編成を要求しましたが、南キプロス側はクーデター以前の体制の復活を求めて対立。このため、連邦国家の樹立は無理とみなした北キプロス側は、1983年11月15日、北キプロス・トルコ共和国としての独立を宣言しました。

 ただし、北キプロス・トルコ国とトルコとの関係が第二次大戦以前の日本と満洲国の関係のようなものであることは誰の目にも明らかということで、トルコを除く各国は北キプロス・トルコ共和国を承認せず、同国の独立を認めていません。

 今回ご紹介している切手は、その北キプロス・トルコ共和国の発足後まもなく発行されたもので、キプロス連邦トルコ人共和国時代の切手に、新たな国名である“Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti ”の文字と、独立を宣言した“1983年11月15日”の日付が加刷されています。

 さて、ながらく、国際社会から孤立していた北キプロスですが、2004年以降、EUが北キプロスへの経済支援を開始し、直接通商を解禁するなど、近年は徐々に国際社会復帰への道筋がつけられつつあるようです。それだけに、今回の騒動は、わざわざ寝た子を起こすようなことをしたトルコの勇み足という見方が強いように感じられます。

 それにしても、FIAの制裁金は500万ドルですか。どう考えてもFIAがキプロス問題と関係が深いとは思えない僕にとっては、なんだか、今回の騒動で一番“儲けた”のは、結局、FIAなんじゃないかとついつい思ってしまいます。まぁ、貧乏人のひがみといってしまえば、それだけの話なのですが…。

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