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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 体育の日
2018-10-08 Mon 01:46
 きょう(8日)は体育の日です。というわけで、スポーツ関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・汎米競技大会(1955)

 これは、1955年の汎米競技大会に際してメキシコが発行した記念切手のうち、メキシコシティのスタジアムと先住民の扮装をした聖火ランナーを描いた20センタボ切手です。

 汎米競技大会は南北アメリカ大陸の国々が参加して4年に1度開催される総合競技大会で、1920年代に中米で行われた中央アメリカ・カリブ海競技大会に影響され、1942年にブエノスアイレスで第1回大会を開催する準備が進められていました。しかし、第二次大戦の影響で延期となり、実際にブエノスアイレスで第1回大会が開催されたのは大戦後の1951年のことでした。今回ご紹介の切手の題材となった1955年のメキシコシティ大会は、その第2回にあたります。

 1954年6月、グアテマラでは、CIAの支援を受けたカルロス・カスティージョ・アルマスにより、当時、ラテンアメリカで最もリベラルといわれたグアテマラのアルベンス政権が崩壊。当時、グアテマラに滞在していた青年医師のエルネスト・ゲバラ(後のチェ・ゲバラ)は、グアテマラ市民に対して、武器を取ってアルマス軍と戦うことを呼びかけましたが、このため、アルマス政権によって“共産主義者”と認定され、当時の恋人で、純然たる共産主義者のイルダ・ガデアともども粛清の対象となります。

 このため、1954年9月、ゲバラはメキシコへの亡命を決意。ひとまず、メキシコシティ中心部、ナポリ街40番地の安アパートに小さな部屋を借りて友人のエル・パトーホとともに共同生活を始め、カメラを借りて、通りすがりの旅行者などを撮影して金銭を得る街頭カメラマンの仕事で糊口をしのいでいました。

 その後、1954年11月、グアテマラを追放されたイルダがメキシコシティに到着。彼女はレフォルマ通りの別の下宿でベネズエラ出身の女流詩人、ルシーラ・ヴェラスケスとルームシェアし、ゲバラとは週に1-2度会うという関係が続きます。

 そうしているうちに、エルネストはアルゼンチンの政府系通信社“ラティーナ通信”のコーディネーター、アルフォンソ・ペレス・ピスカイーノの紹介で報道カメラマンの仕事を得るとともに、大学の聴講生となり、病院でアレルギーの研究を行うことになりました。

 ラティーナ通信のスタッフとしてのゲバラは、1955年の汎米競技大会を取材し、競技中の選手の写真も何枚か撮影しています。この仕事で彼は総額6000ペソを稼ぎ、経済的にも一息つくことができるがはずでした。ところが、突如、アルゼンチン本国からの指令でラティーナ通信は閉鎖されてしまい、エルネストらスタッフに対する給与も約束の半額しか支払われませんでした。

 ちなみに、大会から約半年後の1955年9月16日、アルゼンチンでは権勢を誇ったフアン・ペロンがクーデターで政権を追われており、通信社が突如閉鎖されたのも、そうした政権の末期症状を示す兆候の一つだったのかもしれません。

 なお、汎米競技大会の仕事をしながらも、ゲバラは病院での研究活動を続け、「半吸収食物抗原の皮膚に関する研究」と題する論文を仕上げています。この論文が1955年5月の『イベロアメリカ・アレルギー学雑誌』に掲載されたことで、彼は、ヘネラル病院で、無給ながら衣食つきの住込みの仕事を得ています。なお、生活費は書籍販売のセールスマンをして稼いでいました。

 また、1955年5月にはイルダもエルネストのプロポーズを受け入れ、2人は正式に結婚しましたが、それとほぼ時を同じくして、キューバでモンカダ兵営襲撃事件に加わったラウル・カストロがメキシコに到着。ラウルは同地で襲撃事件の同志、ニコ・ロペスらと再会し、ロペスから“アルゼンチンのチェ”を紹介されます。ここから、ゲバラはラウルの兄、フィデルと知り合い、キューバ革命に深く関わっていくことになるのです。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、ゲバラやカストロ兄弟など、キューバ革命の志士たちのメキシコ時代についてもまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。

 * 先ほど、アクセスカウンターが197万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

 
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 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

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 米墨、NAFTA再交渉で合意
2018-08-28 Tue 11:12
 米国とメキシコが、27日(現地時間)、北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉の2国間協議で合意しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・輸出品シリーズ(自動車)

 これは、1975年からメキシコで発行が開始された普通切手“輸出品シリーズ”のうち、1983年に発行された“自動車(産業)”の300ペソ切手です。

 メキシコにおける自動車産業は、1925年に米フォード社が完成車の組立工場を建設したことから始まり、しばらくはノックダウン生産が行われていました。

 1962年、メキシコ政府は政令として“自動車令”を発し、完成車の国産化率60%以上を義務付け、国内の移動車部品メーカーの育成を本格的に開始します。これを機に、メキシコでは完成車や主要部品の輸入が困難になったため、米国のビッグ3や日産自動車がメキシコに進出することになりました。ちなみに、日産自動車が日系完成車メーカーとして、メキシコ最初のクエルナバカ工場を稼働させたのは、1966年のことです。

 その後も、メキシコ政府は、エンジンなど国産化義務部品の指定、部品メーカーに対する外資出資比率の制限(40%以下)、“外貨予算”制による収支均衡の義務化など、部品メーカー育成のための保護主義政策を展開していました。今回ご紹介の切手を含む“輸出品シリーズ”も、そうした背景の下、発行されたものです。

 しかし、1982年に発生した通貨危機により、状況は一変。以後、外貨獲得の必要から自動車産業でも市場開放が進んだことから、部品メーカー等の地場産業が十分に育たぬまま外国資本が流入し、外資依存型での自動車産業が発展することになりました。こうした傾向は、1994年にNAFTAが発行するとさらに加速され、2004年にはNAFTA域内での自動車貿易が完全自由化されたことで、NAFTA域内での自動車貿易であれば部品の原産地は問われなくなり、メキシコの自動車産業は、外国資本の下、ほぼ、部品を輸入し手の組立工場に特化されていくことになります。

 さて、今回のNAFTA再交渉では、米墨間で、自動車の現地調達比率引き上げが最大の争点の一つになっており、最終的に、現地調達率を現行の62.5%から75%に引き上げることで合意。また、 両国はまた40-45%を、時間当たり賃金が最低16ドルの工場で生産することで合意し、メキシコ側には、米国製の鉄鋼、アルミニウム、ガラス、プラスチックの利用を増やすことも義務付けられました。

 また、長期的投資を阻害するとして企業からの反対が強かった“サンセット条項(協定が5年ごとに再交渉され、合意に至らなければ自動的に廃止になる)の導入は撤回され、代わりに、6年ごとの協定の見直しとなりました。また、NAFTAには16年の期限が設けられ、見直しを経てさらに16年の延長が可能ともされています。

 また、自動車関連以外の合意では、米墨間で取引される農産物は関税をゼロに据え置くほか、農業技術の発展を支援するためバイオテクノロジーの導入に取り組むこと、メキシコ人労働者の賃金を引き上げる取り組みとして、国際労働機関(ILO)の労働基準の遵守をメキシコに義務付ける条項も盛り込まれました。

 
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 メキシコ初の左派政権誕生か
2018-07-02 Mon 03:38
 エンリケ・ペーニャ・ニエト大統領の任期満了に伴うメキシコ大統領選挙の投票が、現地時間の1日朝(日本時間同日夜)、始まりました。各種世論調査によると、元メキシコ市長で、新興左派政党“国家再生運動(MORENA)”党首のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(Andrés Manuel López Obrador:AMLO。アムロ)候補が他の候補を大きくリードしており、メキシコで初めて左派政権が誕生する可能性が高まっています。というわけで、きょうはこの切手です。

      メキシコ・カルデナス(1978)

 これは、1978年にメキシコが発行した“石油国有化40年”の記念切手で、石油国有化を断行したカルデナス大統領の肖像が取り上げられています。

 ラサロ・カルデナス・デル・リオは、1895年、メキシコ中部のミチョアカン州生まれ。1913年、メキシコ革命(1910-20年)に参加して騎兵隊の指揮官として軍功を挙げ、革命後、チョアカン州知事、内務大臣、陸軍長官を歴任して、1934年、国民革命党(メキシコで圧倒的な力を持っている与党で、現在の制度的革命党=PRIのルーツ)から大統領選挙に立候補し、当選しました。

 当選後は、当時の政界の黒幕だったプルタルコ・エリアス・カジェス元大統領(任期1924-28)やその側近、労働組合幹部の腐敗を追及し、革命後も実行されないままだった農地改革に着手。また、1937年には鉄道国有化、翌1938年には石油産業の国有化を断行しました。特に、石油産業の国有化は米国が猛反発したものの、財政危機に陥るほどの巨額の補償金を支払ってこれを乗り切り、国民の支持を得ています。

 大統領在任中の1936年、スペインでフランコ派と共和政府の内戦が勃発すると、カルデナスは共和政府支持の旗幟を鮮明にし、その一環として、共和派の亡命者を大量に受け入れます。また、その流れで、1937年には、スターリンと対立したロシア革命の指導者、レオン・トロツキーの亡命も受け入れました。ただし、その後ソ連とは和解し、1955年にはスターリン平和賞を受賞しています。

 ちなみに、カルデナスの息子、クアウテモクも政治家であり、父親同様、ミチョアカン州知事の経験があります。1988年、クアウテモクは、与党PRIを離れて中道左派政党の国民民主戦線(FDN。後の民主革命党:PRD)を結成し、その党首として大統領選に挑戦します。当時、タバスコ州の先住民チョンタルパ族の支援活動や首都メキシコ市の消費者教育の促進運動などを展開していたアムロは、クアウテモクに従ってFDNに参加し、陣営の選挙運動に関わっています。

 また、クアウテモクは1997-2000年にメキシコ市長を務めましたが、アムロはその後任として2000年の選挙でメキシコ市長に当選。その後、PRDを含む既成政党への国民への不満を背景に、アムロは、PRDから分裂して、より左派色を強めたMORENAを結成しました。

 これまで、メキシコ史上、最も左派色の強い大統領とされてきたのは、今回ご紹介の切手に描かれているカルデナスでしたが、より左派色の強いアムロが、今回の選挙戦で、さかんにカルデナスと自分を比較するイメージ戦略を展開しているのはなかなか興味深いものがあります。


★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2018ポスター

 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 夏至
2018-06-21 Thu 00:11
 きょう(21日)は夏至です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・パレンケ(2008)

 これは、2008年にメキシコが発行したパレンケ遺跡の切手シートのうち、碑文の神殿(左)と宮殿(右)を取り上げた切手2枚です。パレンケ遺跡では、夏至の日には、宮殿の塔から見ると碑文の神殿の位置に太陽が沈む構造になっているので、両者が並ぶ状態でご紹介しました。

 パレンケは、ユカタン半島付根、メキシコ南東部のチアパス州にあるマヤ文明の古代都市遺跡です。都市としてのパレンケには紀元前から人が住み着いていましたが、最盛期は7世紀のことで、現在の遺跡はほぼこの時代のものです。

 右の切手に取り上げられた宮殿は、パレンケ遺跡で最も大きな建造物です。最大の特徴はマヤ建築の中では他に例がない高さ15メートルの4階建ての塔で、天体観測に利用されたと考えられています。

 一方、碑文の神殿は、最上部に600以上の碑文が刻まれた石版があったことが名前の由来です。1952年6月15日、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが神殿の地下室で、翡翠の仮面をまとったパカル王(在位615-83年)の遺体を発見。マヤ遺跡でもピラミッドが墓として建てられていたことが明らかになりました。

 ちなみに、1955年11月、メキシコにいたチェ・ゲバラは、結婚したばかりの最初の妻イルダとともにパレンケ遺跡を訪ね、その時の感動を以下のような詩に残しています。

 何世紀にもわたり君を支えているのはいかなる力か
 まるで青年期のように生き生きと脈打つ
 この仕事の最期にいかなる神が吹き込んだのか
 君の石柱の生きた息吹を

 若き日のゲバラは、インカやマヤの遺跡に触れることで、“ラテンアメリカ”を強く意識するようになり、そのことが、後の彼の世界観にも大きな影響を与えています。現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、そうしたゲバラと遺跡の関係について、さまざまなエピソードをご紹介する予定です。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れている同書ですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いします。
 
      
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 7月20-22日(金-日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにチェコ切手展が開催されます。主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

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 *画像は実行委員会が制作したポスターです。クリックで拡大してご覧ください。


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 メキシコでM7.1地震
2017-09-20 Wed 12:07
 メキシコで、現地時間19日午後1時14分(日本時間20日午前3時14分)ごろ、首都メキシコシティに隣接するプエブラ州チアウトラデタピアの西7キロ(同州ラボソの東北東5キロ)・深さ51キロの地点を震源とするマグニテュード7.1の地震が発生。この記事を書いている時点で、149人が亡くなったと報じられています。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・1909年地震25周年カバー

 これは、1909年7月30日のゲレーロ地震から25周年に際して民間で作られたメモリアル封筒の使用例で、1934年8月3日、メキシコシティから米ジョージ州サヴァンナ宛に送られています。1909年のゲレーロ地震はマグニテュード7.6。死者は2人と少なかったのですが、リゾート地として知られるアカプルコでも建物などに大きな被害が生じました。

 さて、メキシコは世界でも有数の地震国で、つい2週間ほど前の今月7日にはチアパスでマグニテュード8.1の巨大地震が発生し、90人以上が亡くなったばかりでした。(ただし、メキシコ地震当局は今回の地震について、7日に発生した地震とは無関係としています)

 また、2000年以降に限っても、2003年のコリマ(M7.5)、2010年4月4日のバハ・カリフォルニア(M7.2)、2012年3月20日のゲレーロ(M7.4)、2014年4月18日のゲレーロ(M7.2)と、マグニテュード7以上の大地震が頻繁に起きています。

 今回、地震が発生した9月19日(現地時間)は、くしくも、1985年にいわゆるメキシコ地震(メキシコ政府の公式発表で死者約1万人、倒壊した建物約3万棟)が起きた日にあたっており、各地で避難訓練などが行われていました。ところが、地震の発生は訓練の終了から2時間後のことだったため、地震警報を訓練の一部だと誤解した人もいたそうです。

 現在、メキシコシティでは約200万人が停電状態にあり、電話回線も不通。複数個所で高速道路や橋が崩壊しているほか、主要ガス管が破損し、大規模な火災や爆発が発生する危険性も指摘されています。

 あらためて、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災者の方には心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の復旧・復興が一日も早く進むことをお祈りしております。


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 米墨国境
2017-01-27 Fri 12:28
 米国のトランプ大統領は、25日(日本時間26日)、大統領選挙での公約通り、不法移民の侵入を阻止するため、メキシコとの国境沿いに“大型の物理的障壁”を建設するための大統領令に署名しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ地図(1923)

 これは、1923年にメキシコが発行した自国地図の切手で米国(切手ではスペイン語で“ESTADOS UNIDOS”と表示されています)との国境線がしっかりとわかるデザインとなっています。

 現在のメキシコ国家の直接のルーツは、16世紀にメキシコシティを首都として創設されたスペインの副王領“ヌエヴァ・エスパーニャ”にさかのぼることができます。

 “新スペイン”を意味するヌエヴァ・エスパーニャは、もともとは、パナマ地峡以北の新大陸のスペイン領全てを指す概念で、大陸部分では、現在のメキシコの領域に加えて米国南西部(カリフォルニア、ネヴァダ、ユタ、コロラド、ワイオミング、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスの各州)とフロリダ半島にまで広がり、カリブ海諸島や、さらには、フィリピンとマリアナ諸島をも含んでいました。

 1775年に米国独立戦争が勃発し、1776年の独立宣言を経て、1783年には諸外国が正式に米国の独立を承認。大西洋岸の東部13州で独立した米国でしたが、1803年にフランスからルイジアを購入すると、米国とヌエヴァ・エスパーニャとの国境を画定する必要が生じます。

 当時のスペイン側の認識では、ルイジアナのうち、ミシシッピ川西岸とニューオーリンズ市はスペイン領と考えていましたが、米国側はロッキー山脈の稜線までが自分たちの購入した土地だと考えていました。このため、東西はカルカシュー川(アロヨ・オンド)とサビーン川の間、南北はメキシコ湾から北緯32度近辺までは、当面、どちらにも属さない中立地帯(ルイジアナ中立地)とすることで決着が図られました。また、米国はスペインからフロリダを購入したいと希望していましたが、スペイン側はこれを拒否し続けてきました。

 ところが、19世紀初頭のナポレオン戦争と、その余波としてのラテン・アメリカ諸国の独立運動により、スペインは疲弊し、本国から遠く離れたフロリダの維持が困難になります。そこで、1819年、米西間でアダムズ・オニス条約が結ばれ、米国がフロリダとルイジアナを得て、それ以西のテハス(英語名:テキサス)からカリフォルニアまでをスペインの領土とする形で、国境が確定されました。この境界線は、1821年にメキシコが独立すると、基本的には米墨間でも継承されます。

 さて、1821年のメキシコ独立前後から、米国からテハスへのアングロサクソンの移民が大量に流入。メキシコ政府は1830年には米国人の新規移住を禁止したものの、その後も米国からの“不法移民”の流入は止まず、1832年の時点では、テハスの人口のうち、独立以前からのメキシコ人住民の人口比率は14%にまで落ち込んでしまいます。

 こうした状況の下で、1835年、メキシコ大統領アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナが1824年憲法を廃止して、中央政府の権限が強い憲法を宣言すると、メキシコ各地でこれに反対する叛乱が発生。テハスでも、米国からの移住者たちがメキシコ中央政府からの分離独立を唱えて叛乱を起こしました。

 叛乱側は、1836年2-3月のアラモ砦の攻防戦で守備隊が全滅する敗北を喫したものの、3月21日のサン・ハシントの戦いでは、大統領を辞しメキシコ軍総司令官となっていたサンタ・アナを捕虜とし、ベラスコ条約を結んで“テキサス共和国”の独立を承認させました。

 さて、テキサス共和国はリオ・グランデをメキシコとの国境と主張していましたが、メキシコ側はより北側のヌエセス川を国境と主張しており、対立がありました。また、テキサス共和国内では独立当初から米国との統合を求める声が強かったものの、米議会には併合慎重派が少なくありませんでした。ところが、1844年の米大統領選挙で、テキサス併合を公約に掲げるジェイムズ・ポークが当選。1845年2月、米議会は「1846年1月1日までにテキサス共和国が併合を承認すれば、州として連邦への加盟を認める」とする決議を採択します。

 これを受けて、テキサス議会は米国への併合に同意。1845年12月、米大統領ポークはテキサスを合衆国の州として受け入れる法案に署名。こうしてテキサスを併合した米国は、その西側の領土の買収もメキシコに持ちかけましたが、メキシコはこれに猛反発します。

 こうした状況の下、1846年春、米国務省の命を受けた探検家のジョン・フレモントがロッキー山脈からコロンビア川に到着する最短ルートを求めてカリフォルニア(当時はメキシコ領)に到着。探検の継続をめぐってメキシコの上カリフォルニア軍事総督と対立したフレモントは、地元の入植者を扇動してメキシコ当局に対して反乱を起こさせます。これが、カリフォルニアにおける米墨戦争の発端となりました。

 さて、戦争は、終始、米国優位で進み、1847年9月には首都メキシコシティが陥落。翌1848年2月に結ばれたグアダルーペ・イダルゴ条約により、メキシコは、リオ・グランデ以北、テキサスからカリフォルニアまでの広大な領土をわずか1500万ドルで米国に売却します。

 しかし、さすがにこの金額は安すぎるとして批判も強かったため、1853年、米国は、メキシコに対する金銭保証の意味を込めて、現在のアリゾナ州南部およびニューメキシコ州にあたる地域を1000万ドルで購入。これにより、今回ご紹介の切手に描かれたような米墨国境が画定しました。

 こうして確定された現在の米墨国境線は、日本列島とほぼ同じ長さの約3200km になりますが、2001年の同時多発テロを機に、国境にはフェンス建設が進み、現在、全体の3分の1の約1126km (700マイル)に高さ約5m の鉄柵が築かれています。これに対して、トランプ大統領の構想では、万里の長城(高さ6-9m)より高い12m のコンクリート壁を国境線のすべてに設置しようというものです。

 建設費は最大で250億ドルで、米メディアの試算によるとは、4万人が建設にあたっても完成までに4年かかるのだとか。さらに、国境警備隊員が5000人、入管当局者が1万人増員されるほか、建設後は壁の維持費も必要となります。

 トランプ大統領は、選挙期間中から、“壁”の建設費用をメキシコに負担させると主張してきましたが、当然のことながらメキシコ側は壁の建設そのものに反対し、建設の支払も断固拒否する姿勢を示しています。(ただし、メキシコ側も米国への不法移民の流出を防ぐために、何もしなくていいということにはならないと思いますが…)

 このため、両国関係を主復するため、今月31日にはメキシコのペニャニエト大統領が訪米し、首脳会談も計画されていましたが、トランプ大統領が「国境沿いの壁の建設費用を負担する用意がないなら、首脳会談は取り止めるべき」と発言したことことから、首脳会談は中止されてしまいました。

 そこで、米国側では、メキシコからの輸入に20%の“輸入税”を導入し、年間100億ドルを捻出するプランが浮上しているとのことですが、こちらも、輸出補助金を禁じた世界貿易機関(WTO)協定にも違反する可能性が指摘されています。

 また、仮に建設資金の目途がついたとして、米墨国境沿いの土地は大半が私有地で、所有者の中には建設反対派も相当含まれていますから、壁を建設するための土地を確保するのは容易ではないでしょう。さらに、米墨間の自然国境となっているリオグランデの周辺では、洪水管理を妨げたり、資源の共有を妨害したりするものの建築が法律で禁じられているほか、米墨どちらの国も川の流れを変えることも条約で禁じられていますので、設計には様々な制約が課されることになります。

 “トランプの壁”は、これらをすべてクリアしていかねばならないわけで、そう考えると、実現に向けてのハードルは相当に高そうですな。


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 世界の国々:メキシコ
2016-09-09 Fri 11:06
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2016年8月31日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はメキシコの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・スタンプレス(1808)

 これは、スペイン植民地時代の1804年、メキシコからバルセロナ宛のスタンプレス・カバーで、当時のメキシコを意味する“ヌエヴァ・エスパーニャ”の朱印が右上に押されています。

 現在のメキシコ国家の直接のルーツは、16世紀にメキシコシティを首都として創設されたスペインの副王領“ヌエヴァ・エスパーニャ”にさかのぼることができます。

 “新スペイン”を意味するヌエヴァ・エスパーニャは、もともとは、パナマ地峡以北の新大陸のスペイン領全てを指す概念で、大陸部分では、現在のメキシコの領域に加えて米国南西部(現在のカリフォルニア、ネヴァダ、ユタ、コロラド、ワイオミング、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスの各州)とフロリダ半島にまで広がり、カリブ海諸島や、さらには、フィリピンとマリアナ諸島をも含んでいました。

 その後、1775年に米国独立戦争が勃発。1776年にアメリカ合衆国の独立が宣言され、1783年には諸外国から正式に米国の独立が承認されます。大西洋岸の東部13州で独立した米国は、1803年にはフランスからルイジアを購入。この結果、米国とヌエヴァ・エスパーニャとの国境を画定する必要が生じることになりました。

 当時のスペイン側の認識では、ルイジアナのうち、ミシシッピ川西岸とニューオーリンズ市はスペイン領とされていましたが、米国側はロッキー山脈の稜線までが自分たちの購入した土地だと考えていました。このため、東西はカルカシュー川(アロヨ・オンド)とサビーン川の間、南北はメキシコ湾から北緯32度近辺までは、当面、どちらにも属さない中立地帯(ルイジアナ中立地)とすることで決着が図られます。また、米国はスペインからフロリダを購入したいと希望していたが、スペイン側はこれを拒否し続けていました。

 ところが、19世紀初頭のナポレオン戦争と、その余波としてのラテン・アメリカ諸国の独立運動により、スペインは疲弊し、本国から遠く離れたフロリダの維持が困難になります。そこで、1819年、両国間でアダムズ・オニス条約が結ばれ、米国がフロリダとルイジアナを得て、それ以西のテハス(英語名:テキサス)からカリフォルニアまでをスペインの領土とする形で、国境が確定されました。この境界線は、1821年にメキシコが独立すると、基本的には米墨間でも継承されます。

 その後、テキサス共和国の独立(1836年)と米国のテキサス併合(1845年)、米墨戦争(1846-48年)を経て、米国はリオ・グランデ以北、テキサスからカリフォルニアまでの広大な領土を併合。1853年にはアリゾナ州南部およびニューメキシコ州にあたる地域がメキシコから米国に売却され、現在の米墨国境が画定しました。

 さて、『世界の切手コレクション』9月7日号の「世界の国々」では、米国大統領選で共和党のトランプ候補が問題にしている米墨国境の変遷についてまとめた長文コラムのほか、女流画家フリーダ・カーロ、死者の日、米墨国境のリオグランデ川、漫画『メミン・ピングイン』コククジラの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、メキシコの次は、現在発売中の9月14日号でのラオスの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 メキシコのバードマン
2015-02-24 Tue 23:56
 ことしで87回目となるアカデミー賞の発表が、きのう(23日)行われ、メキシコ出身のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の作品、「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が作品賞など4つの賞に選ばれました。というわけで、メキシコの“バードマン”といえば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       日本人メキシコ移住100年(メキシコ)

 これは、1997年に発行された「(日本人)メキシコ移住100年」の記念切手で、メキシコ在住の日系人画家、ルイス・ニシサワが制作した原画は、太陽の周囲にメキシコ神話の鷲騎士とジャガー騎士を配したデザインとなっています。切手は、日本メキシコ両国で、ほぼ同じデザインで発行されましたが、今回はメキシコ側の切手を持ってきました。

 日本とメキシコとの関係は、江戸時代初期の1609年、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの船団がメキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャと呼んだ)への帰途、台風に遭い、上総国岩和田村(現・千葉県御宿町)に漂着し、日本側がこれを救助したことから始まりました。また、1613年、スペインとの通商を開くために派遣された支倉常長一行は、スペインとの往復に、メキシコのアカプルコ、ベラクルスを経由しています。しかし、1639年、わが国はいわゆる鎖国に入ったため、ヌエバ・エスパーニャとの関係も途絶してしまいました。

 さて、幕末に欧米と結んだ不平等条約の改正を悲願としていた明治政府は、1871年には日清修好条規(平等条約)を、1876年は日朝修好条規(日本に有利な“逆不平等条約”)を結び、次の段階として、アジア以外の国と対等条約を結ぶべく、メキシコに白羽の矢を立てます。一方、当時のメキシコ政府も、東アジアとの貿易のために日本か清朝と交流を持ちたいと考えていました。

 こうした思惑が一致して、1888年11月、米国ワシントンDCで両国特命全権公使(日本側は陸奥宗光、メキシコ側はマティアス・ロメロ)の間で、日墨修好通商条約が結ばれました。

 この条約は、わが国にとって、外国から絶対的主権を承認された最初の本格的な平等条約で、外国人に対する裁判権・租税課税権・両国民の自由な居住権等を認めたものでした。一方、メキシコ側にとってもアジア諸国と結んだ最初の条約となります。

 こうした経緯を経て、1891年、外務省に移民課を創設した外務大臣の榎本武揚は、翌1892年に予定されていた退官後、メキシコに入植地を開拓する目的で“日本植民協会”を組織し、1895年には墨国移住組合を設立します。そして、1897年3月24日、日本からのメキシコ移民団の第1団が横浜から出港し、同年5月10日にサン・ベニート港(現在のプエルト・マデロ)に上陸しました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して発行されたものです。

 ところで、アステカ文明では、鷲騎士団とジャガー騎士団が2大戦士団となっており、生贄になった戦士の心臓は“太陽の鷲”に捧げられていました。このため、鷲および鷲騎士団は、太陽に糧を与え、太陽の運行に同行する存在とみなされ、ジャガーとの組み合わせは、まさに、アステカ皇帝の象徴でした。じっさい、アステカの皇帝は、鷲の羽毛の上に座り、ジャガーの皮に背をもたせかけて、政務をとっていました。今回ご紹介の切手の絵も、そうした故事を踏まえた内容となっています。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 世界の国々:メキシコ
2014-10-02 Thu 17:31
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年10月8日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーでは、今回はメキシコを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      メキシコ・薬物乱用防止(1997)

 これは、1997年にメキシコで発行された薬物乱用防止キャンペーンの切手です。

 メキシコは南北アメリカを結ぶ交通の要衝ですがが、そのことは、裏を返せば、米国への不法移民と麻薬密輸の経由地にもなりうることを意味しています。

 1980年代まで、世界のコカイン市場を牛耳っていたのはコロンビアのメデジン・カルテルやカリ・カルテルで、彼らがペルーとボリビアからメキシコなどの“仲買人”にコカインを売り、そこから不法移民が運び屋となって米国内に密輸するという流れが一般的でした。

 ところが、1991年にメデジン・カルテルのボスで麻薬王と恐れられたパブロ・エスコバルが逮捕されると、組織は次第に衰退。ついで、カリ・カルテルも1994年に最高幹部のロドリゲス兄弟が収監され、コロンビアの大規模組織はほぼ壊滅状態になります。その隙間を埋めるかたちで、メキシコの犯罪組織はコカインの輸送のみならず製造・販売にまでも手を染めるようになり、急速に勢力を拡大。同時に、犯罪組織同士の武力抗争も頻発し、多くの市民が巻き添えになりました。

 このため、2006年12月に就任したフェリペ・カルデロン大統領は、米国の捜査当局と連携し、軍と警察を総動員して、麻薬組織の拠点となっているミチョアカン州などを急襲するなど、麻薬の密造・密輸組織の撲滅に乗り出します。これに対して、犯罪組織の側も、賄賂で警察官を買収したり、買収に応じない者は殺害したりするなどして激しく抵抗。2007年以降、最低でも7万人以上が犠牲になるなど、まさに、“麻薬戦争”ともいうべき状況になりました。

 今年(2014年)2月には、メキシコ最大の麻薬組織シナロア・カルテルのボス、ホアキン・グスマンが逮捕され、同カルテルは指導部を失うなど、メキシコ当局による麻薬組織の撲滅作戦は一定の成果を上げているものの、警察や刑務所の中には麻薬組織に買収されている職員も少なくないとみられており、違法薬物の一掃にはまだまだ時間がかかりそうなのが実情です。

 こうした事情を反映して、メキシコでは、毎年6月26日の国際麻薬乱用・不正取引防止デーに合わせて、しばしば、反ドラッグのキャンペーン切手を発行していますが、今回ご紹介の切手もその1枚というわけです。

 さて、今回の『世界の切手コレクション』の「世界の国々」では、きょうご紹介した麻薬戦争の話題のほか、400年以上にも及ぶ日本とメキシコの関係についてもページを取ってご紹介しているほか、メキシコ五輪やサボテン、古代文明に関する切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ディズニーの横暴を許すな!
2013-05-13 Mon 11:30
 米国の映像制作会社、ピクサー・アニメーション・スタジオは、今秋、メキシコなどの祝日である“死者の日”を題材にした映画を公開すべく準備を進めているそうですが、それに先立ち、ピクサーの親会社、ウォルト・ディズニー・カンパニーが今月1日にスペイン語で“死者の日”を意味する“Día de los Muertos”を米特許商標庁に商標登録を出願していた問題で、ディズニー側は国際世論の囂囂たる非難を受けて昨日(12日)までに出願を撤回しました。まずはめでたいですな。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       メキシコ・死者の日(2012)

 これは、2012年にメキシコで発行された「メキシコの伝統:死者の日」の切手で、装飾されたガイコツとお菓子、蝋燭などが描かれています。

 メキシコでは古来、祖先のガイコツや戦いで倒した敵のガイコツを飾る習慣がありましたが、特に、アステカ族には冥府の女神ミクトランシワトルにガイコツを捧げる祝祭がありました。その後、スペインがメキシコを征服し、カトリックが浸透すると、カトリックの祝祭である“諸聖人の日(11月1日)”と融合して、11月1-2日に盛大に祝われるようになりました。

 2日間の“死者の日”のうち、1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、市街地には“死者の花”とされるマリーゴールドが飾られ、故人の遺影、十字架、砂絵、花、食物(パン、サトウキビ、柑橘類など)、ガイコツ(切手のように装飾されたものや砂糖で作られたイミテーションもあるそうです)などを並べた祭壇(オフレンダ)を前に家族や友人が集まり、故人の思い出などを語り合う日となっています。日本のお盆を陽気にしたような雰囲気で、墓地にも装飾を施して供え物がささげられるほか、バンドによる演奏や行列行進なども行われます。

 視覚的に派手な祝祭だけに映像向けの題材としてピクサーも目を付けたのでしょうが、死者の日は2003年にはユネスコの無形文化遺産にも指定されており、ディズニーが、商標登録というかたちで、映画の題名のみならず、玩具、食品、衣料品などの関連商品への“死者の日”の名称使用権を独占しようとしたことは、少なくとも道義的には許されるべきことではないでしょう。実際、ディズニーによる商標出願が明らかになると、当然のことながら、米国内のヒスパニック系団体やメキシコを含む周辺諸国などから「文化は売り物ではない」、「文化の横領、搾取だ」とする反発の声が続出。世論の強い非難を受けて、ディズニーは「題名の変更が決まった」として、出願撤回に追い込まれています。

 実は、ディズニー社が、こうした無謀な商標出願を行うのは今回が初めてではありません。彼らは、2011年にも米海軍特殊部隊の“SEALチーム6”の商標出願したものの、激しい非難を浴び、撤回に追い込まれたという前科があります。この時のディズニー側の言い訳は「海軍に敬意を表して」だったとか…。なんだか、中国系企業が中国で日本の地域ブランドや芸能人の名前などを勝手に商標出願し、登録を済ませてしまうのと同じメンタリティーといえそうです。

 いずれにせよ、こんな企業のある国とTPPを結んだりして大丈夫なんでしょうか。なにせ、メキシコ人の魂にとって重要な“死者の日”や米国人の誇りとする“SEALチーム6”を商標出願して阿漕に儲けようという連中ですから、映画を作るという名目で「お正月」や「ひな祭り」を米国内でいつの間にか商標出願して、日本社会を食い物にするくらいのことを平気でやりかねないように思えてなりません。どうにも不安と不信感が拭えませんな。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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