内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 紙幣30トンを積んで横転
2017-02-16 Thu 15:27
 パラグアイの首都アスンシオンから約150キロの付近で、きのう(15日)、ブラジルとの国境の町、サルト・デル・グアイラで武器販売人から押収した約30トンのヴェネズエラ・ボリヴァル紙幣を輸送中のトラックが横転したそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ銀行100年(紙幣)

 これは、1989年にヴェネズエラが発行した“ヴェネズエラ銀行100年”の記念切手のうち、1936年の50ボリヴァル紙幣を取り上げた切手です。

 ヴェネズエラの通貨は、独立当初は国名にちなむヴェネゾラノでしたが、1879年、シモン・ボリヴァルにちなむボリヴァルが導入されました。当時のヴェネズエラは銀本位制で、1ボリヴァルは純銀4.5グラムと等価で、導入時の新旧通貨の交換レートは5ボリヴァル=1ヴェネゾラノでした。その後、ヴェネズエラでは1910年に金本位制に移行しますが、1930年には金本位制から離脱。1934年に1米ドル=3.914ボリヴァルの固定相場となりました。今回ご紹介の切手に取り上げられた50ボリヴァル紙幣はこの時期のものです。なお、1937年には1米ドル=3.18ボリヴァルにレートが変更されています。

 1980年代初頭までヴェネズエラ・ボリヴァルはカリブ海地域で最も安定した通貨でしたが、1983年2月18日の原油価格暴落を機に通貨危機が発生。以後、ヴェネズエラ・ボリヴァルは下落の一途をたどり、チャヴェス政権下の2003年2月5日には1米ドル=1600ボリヴァルにまで暴落しました。

 このため、2008年1月1日付で、1000分の1のデノミが実施され、“強いボリヴァル”を意味する新通貨、ボリヴァル・フェルテが導入されました。しかし、その後もヴェネズエラ通貨の下落に歯止めはかからず、2016年には、当時のヴェネズエラの最高額紙幣の100ボリヴァルは、公定レートでも米ドル換算で15セント、市中の実勢交換レートでは2セントにしかならないほどに下落したため、マドゥロ政権は、12月11日、72時間以内に現行の100ボリヴァル紙幣を撤廃して硬貨に入れ替えるとともに、500、5000、2万ボリヴァルの新紙幣を発行すると突如発表。このため、100ボリヴァル紙幣が廃止される前に米ドルなどに交換すべく、ヴェネズエラ市民が国境を越えてコロンビアに殺到します。

 ところが、新紙幣流通開始予定日の12月15日になっても新紙幣は市中には出回らなかったことにくわえ、同日、マドゥロ政権は「マフィアがヴェネズエラの通貨をコロンビアに移動させている」としてコロンビアとの国境を封鎖したことから混乱が拡大。結局、旧50および100ボリヴァル紙幣に代わる新硬貨は、当初予定より10日以上遅れた28日から市中での流通が始まったものの、新紙幣が本格的に流通するようになったのは年が明けた2017年1月16日のことでした。

 これに伴い、旧紙幣と新硬貨・紙幣との交換は2月20日をもって打ち切り(交換場所は、カラカスのヴェネズエラ銀行本部ビルの1ヶ所のみ)とされましたが、1月の時点では、首都カラカスでさえ金融機関のATM は新紙幣に対応しておらず、市民生活の混乱は続いています。

 今回、問題となった紙幣は、おととい(14日)、パラグアイ警察がサルト・デル・グアイラで押収したもので、すべて50および100ボリヴァルの旧紙幣で、重量から推定すると、最大で200億ボリヴァル(100ボリヴァル=2セントとすると、米ドルで200万ドル、邦貨で約2億2770万円)になるそうです。これらの紙幣は今月21日以降は交換打ち切りで紙くずになってしまいますので、なんとか、それまでに届けなければ…との焦りによる無理な運転が、今回の横転事故につながったということなのかもしれません。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ヴェネズエラが国境封鎖
2016-12-13 Tue 15:36
 南米ヴェネズエラのマドゥロ大統領は、12日(現地時間。以下同)、13日に予定されている新紙幣の導入を前に、隣国コロンビアとの国境を72時間の間封鎖すると発表しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・航空(1930年)

 これは、1930年にヴェネズエラで発行された航空切手で、同国の地図が隣国との国境を含めてしっかり描かれています。

 現在のヴェネズエラ国家の領域は、スペイン統治時代の1777年に成立したヴェネズエラ総督領がベースになっています。その後、シモン・ボリヴァルの指導の下で1821年にスペインからの独立を達成し、一時期、現在のコロンビアパナマエクアドルとともに“大コロンビア”を形成しましたが、1830年に分離して独立国になりました。

 ちなみに、1830年の分離独立時、ヴェネズエラは東部国境に関しては、エキセボ川までのグアヤナ・エセキバの領有権を主張して英領ギアナと対立。その後、いったんはグアヤナ・エセキバの地を両国の中立地帯とすることで妥協が成立したものの、19世紀後半に金鉱が発見されたことで対立が再燃したため、1899年、米英露三国の調停により、係争地の大半は英領ギアナに属するものとされ、ヴェネズエラもこれを受け入れましたが、1966年にガイアナが英国から独立すると、ヴェネズエラは再びグアヤナ・エセキバの領有権を主張。現在にいたるまで対立が続いています。

 さて、ヴェネズエラとコロンビアの国境地帯は、1999-2013年のチェヴェス政権時代、しばしば緊張状態になっていました。
 
 すなわち、反米・社会主義路線を鮮明にしていたチャヴェス政権に対して、ヴェネズエラ国内の既存のエスタブリッシュメントは強く反発し、2002年にはCIAが関与するクーデター未遂事件も発生しました。

 米国をはじめとする西側諸国は武器禁輸措置によって、反米に舵を切ったチャヴェス政権を封じ込めようとしましたが、かえって、その穴を埋めるように、ロシア製を中心に、中国製、スウェーデン製の兵器がヴェネズエラへ大量に流入。具体的には、2006年のプーチン=チャヴェス会談の結果、ヴェネズエラはロシアのスホーイ30多用途戦闘機24機の購入契約を結び、陸軍の制式自動小銃をベルギーのFN FALからロシアのAK-103に変更。この結果、スホーイ戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、2005-06年の間に両国間で交わされた兵器の売買契約は総額およそ30億ドルにものぼりました。

 ヴェネズエラが急激に軍備を増強させれば、当然のことながら、近隣諸国との軍事バランスは崩れ、地域の不安定化につながります。

 はたして、2008年、隣接する親米国家のコロンビアが国内の反政府左翼ゲリラ“コロンビア革命軍”討伐のため、エクアドルに対して越境攻撃を行い、両国関係が緊張すると、チャヴェス政権はコロンビアを非難し、コロンビア国境に軍を集結させ、“アンデス危機”と呼ばれる一触即発の状況が到来しました。

 このときは、米州機構の仲介により、コロンビアが謝罪することで事態は一応収拾されましたが、ヴェネズエラはロシア大統領のドミトリー・メドヴェージェフ(当時)をカラカスに招き、ロシアとの合同軍事演習を行い、コロンビアの背後にいる米国を牽制しています。

 また、2009年7月、コロンビアはコロンビア革命軍に対してヴェネズエラ政府がスウェーデン製の対戦車砲を転売したと公に指摘。これに対して、チャヴェスは即座に否定し、報復措置として、コロンビアとの外交関係凍結を発表しました。

 さらに、コロンビア革命軍は麻薬カルテルとも深いつながりがあるとされていますが、コロンビア政府は、2009年8月、麻薬組織対策のために駐留米軍の増強を計画していることを発表。その背景にはヴェネズエラを牽制する意図があるのは明白でしたから、チャヴェスはこれをヴェネズエラに対する“敵対行為”であるとして激昂。ロシア製の戦車を多数調達すると発表して対抗しています。

 実際に、同年8月14日、米・コロンビアの軍事同盟が発効すると、チャヴェスはこれに対して“宣戦布告”と猛反発し、コロンビアとの断交も辞さないとの姿勢を明らかにします。このとき、チャヴェスは、「コロンビアと米国はヴェネズエラ攻撃をたくらんでおり、両国政府が一緒になって世界を欺こうとしている」と主張しました。

 このように、反米左派の姿勢を鮮明にしていたチャヴェス政権でしたが、結果的に、財界との対立は経済の低迷を招いたほか、深刻な格差・貧困問題、特に治安の悪化を抜本的に解決することができないまま、2013年、チャヴェス本人は癌のためにより死亡。後継のニコラス・マドゥロ政権も、有効な打開策を講じることができず、ヴェネズエラ国内ではインフレが昂進し、深刻な経済危機が続いていました。

 急激にインフレが進む中、ヴェネズエラの原稿最高額紙幣の100ボリヴァルは、公定レートでも米ドル換算で15セント、市中の実勢交換レートでは2セントにしかならなくなったため、マドゥロ政権は、11日、72時間以内に現行の100ボリヴァル紙幣を撤廃して硬貨に入れ替えるとともに、500-2万ボリヴァルの新紙幣を発行すると発表。このため、100ボリヴァル紙幣が廃止される前に米ドルなどに交換すべく、ヴェネズエラ市民が国境を越えてコロンビアに殺到するという状況となっていました。

 今回の国境封鎖に関して、マドゥロ大統領は「マフィアがヴェネズエラの通貨をコロンビアに移動させている」と述べ、国境封鎖は「我が国の通貨を攻撃する犯罪への対抗措置」と主張しています。もっとも、仮に一部でマフィアが暗躍していたとしても、そもそも、突如、現行の最高額紙幣を撤廃しなければならない状況に追い込まれたということは、そのこと自体、現政権の経済失政が原因だったわけで、そのあたりの問題が根本的に解決されない限り、混乱はまだまだ続きそうです。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

 【出版元より】
 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


 ★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の国々:ヴェネズエラ
2015-07-29 Wed 09:56
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年7月29日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はヴェネズエラの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・野球

 これは、1944年に発行された“IBAFワールドカップ”の記念切手です。IBAFは International Baseball Federation (国際野球連盟)の略称で、野球の世界選手権大会としては、現在のWBCの前身に相当します。

 ヴェネズエラは中南米ではキューバと並ぶ野球大国で、IBAFワールドカップでは、1941、44、45年に優勝しているほか、獲得メダル総数では、キューバ、アメリカに次ぐ3位となっています。このうち、1944-45年の大会はヴェネズエラでの開催で、1944年には、今回ご紹介の記念切手も発行されました。

 このため、多くのメジャー・リーガーを輩出しているほか、旧阪急のマルカーノ以来、ペタジーニ、ラミレス等日本のプロ野球で活躍した選手も多いのはご存じの通りです。ただし、近年は有力選手の多くは国外に流出していることから、ヴェネズエラ代表チームとしての成績は芳しくないのが実情です。

 さて、『世界の切手コレクション』7月29日号の「世界の国々」では、シモン・ボリヴァルの時代とチャヴェス政権にフォーカスを当てた2本の長文コラムのほか、オリノコ川の石油産業、世界遺産のコロ、ガイアナとの国境紛争の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の8月5日号では、「世界の国々」はエクアドルを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 カラカス大市長逮捕
2015-02-21 Sat 07:53
 きのう(現地時間19日)、南米ヴェネズエラの首都、カラカス大都市圏のアントニオ・レデスマ市長(大市長)が逮捕されました。大市長の逮捕時には正規の逮捕状や捜索令状が出ておらず、情報当局からは逮捕理由についての明確な説明はありませんが、ニコラス・マドゥロ大統領は、米国の資金援助と指示の下で大市長がクーデターを計画していたと主張しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴェネズエラ・カラカス市庁舎

 これは、2008年にヴェネズエラが発行した“カラカスの名所”のシートのうち、“市庁舎”を取り上げた1枚です。

 ヴェネズエラの首都カラカスは、行政的には、リベルタドル市と、ミランダ州のチャカオ市、スクレ市、バルタ市、エルアティジョ市をあわせた“カラカス大都市圏”と呼ばれており、その首長はカラカス大市長と呼ばれています。ただし、狭義には、カラカス大都市圏を構成する5市のうち、首都地区として他の州と同格とされているリベルタドル市のことを“カラカス市”と呼ぶこともあります。

 さて、今回逮捕された大市長は1995年から2000年までリベルタドル市長を務めた人物で、1999年にチャヴェス政権が発足した後は、野党政治家として政権批判を続けていました。

 2008年12月の選挙でカラカス大都市圏の大市長に当選。この時の選挙では、大都市圏5市のうち4市の市長が反政府系だったことから、当時のチャヴェス政権は、翌2009年、大都市圏に市政とは別の部署を創設し、大都市圏の特権と予算の大半を奪っています。また、2013年にチャヴェスが亡くなった後、後継大統領となったマドゥロ(現職大統領)は、レデスマを露骨に敵視し、同年の選挙でレデスマが再選を果たすと、大市長の権限を大幅に縮小してしまいました。

 今回の逮捕劇は、現地時間の19日17時頃、カラカス東部のレデズマ事務所を情報機関であるボリヴァリアーノ秘密部隊が包囲し、逮捕状や捜索令状のないまま、隊員たちが事務所内に押し入り、破壊行為を行うとともに、大市長を連行したというものです。

 大統領は、今回の逮捕に触れ、米国と結託したクーデター計画に大市長が関わっていたと主張し、「レデスマはこれまでに犯した全ての犯罪について申し開きをすることになる」と語っていますが、当然のことながら、米国は大統領の主張を「馬鹿げている」と一蹴していますが、南米地域では、過去にも米国がキューバグレナダに介入したことがあるため、大統領の主張にも一定の説得力を感じる人々も、そこそこいるのではないかと思います。

 ただし、ヴェネズエラの現政権に関しては、昨年(2014年)2月18日、野党・人民意思党のレオポルド・ロペス党首が、全国的なデモ(政府による弾圧で43人の死者が出ています)を扇動したとして逮捕されており、国連の人権委員会はロペス党首の釈放をヴェネズエラ政府に求めていますが、依然として釈放は実現していません。なお、大統領は、昨年のデモに関して、大市長が裏で操っていたと非難し、大市長を“吸血鬼”と呼んで罵倒しています。

 昨今の原油安で、産油国であるヴェネズエラの経済は大きな打撃を受けており、生活必需品が深刻な不足に陥っているほか、犯罪も急増しています。このため、今回の大市長の逮捕が、より大きな事態の引き金となることも懸念されており、今後の推移が注目されるところです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 シモン・ボリヴァール・デー
2014-07-24 Thu 19:58
 きょう(24日)は、南米の独立運動の指導者、シモン・ボリヴァールの誕生日(1783年7月24日)にちなんで、“シモン・ボリヴァール・デー”として、南米のエクアドルやヴェネズエラなどでは祝日とされています。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴェネズエラ・ボリヴァール生誕200年

 これは、1979年7月24日にヴェネズエラで発行されたボリヴァール生誕200年シリーズの小型シートの1枚で、1806年のジャマイカ地図と3人の独立運動家の肖像が取り上げられています。切手として目打が入っている部分には、地図中のキングストンを含む地域も含まれており、“キングストン”の文字の上の部分にはブルー・マウンテンもしっかり描かれているのが嬉しいところです。

 長らくスペインの支配下にあったヴェネズエラでは、1810年4月19日、首都カラカス市の参事会がヴェネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言。フランシスコ・デ・ミランダ将軍ひきいる独立戦争が始まりました。しかし、ヴェネズエラ軍内からの裏切りがあったことに加え、1811年のカラカス大地震によって大きな被害が生じたこともあって、1812年7月、カラカスは再びスペイン軍に占領されてしまいます。このため、ミランダはスペインと休戦協定を結びましたが、これを潔しとしないボリヴァールはミランダを“裏切り者”としてスペイン軍に引き渡し、カリブ海沿岸の都市カルタヘナ(現コロンビア)を拠点に、同年12月、徹底抗戦を誓う“カタルヘナ宣言”を発表しました。

 その反響は非常に大きく、ボリヴァールは市民からヴェネズエラ解放遠征軍司令官に推戴されます。そして、サンタフェ・デ・ボゴタを中心とするクンディナマルカ共和国の支援を得て、1813年5月23日、メリダに入城。8月6日には首都カラカスを奪還して、ヴェネスエラ第2共和国の成立を宣言しました。

 しかし、カラカスを占領したものの、その維持・防衛は困難で、スペインとの消耗戦の末、1814年、カラカスは再び陥落。さらに、ボリヴァールらの後ろ盾となっていたクンディナマルカ共和国もスペインの攻撃により崩壊してしまいました。

 このため、ボリヴァールはカルタヘナへと戻り、ヌエバ・グラナダ連合州の軍を率いてボゴタを攻略したものの、おひざ元のカルタヘナで王党派の叛乱が発生し、その鎮圧に失敗したため、翌1815年、ジャマイカへ亡命します。

 ジャマイカへ逃れたボリヴァールは『ジャマイカ書簡』を執筆。南米諸国を英国の立憲君主制のような政治システムで自由を勝ち取るとの構想を掲げ、英国の支援を得てスペインと戦おうとしましたが、英国からは黙殺されました。今回ご紹介の小型シートに、ボリヴァールの生涯の重要な場所として、ジャマイカの地図が大きく取り上げられているのは、こうした事情によるものです。

 その後、ボリヴァールはハイチに渡り、ハイチ南部を支配していたアレクサンドル・ペティオン大統領(下段・右端の切手の人物)に軍事的援助を求めます。大統領は、解放戦争終了後、黒人奴隷を解放することを条件にボリヴァールに支援を与え、翌1816年、ボリヴァールの軍はヴェネズエラに上陸し、再びスペインと戦うことになります。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ヴェネズエラは加盟国ではありませんが、小型シートに取り上げられているジャマイカは加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定で、同展では、今回ご紹介した絵葉書を含め、古き良き時代のジャマイカの絵葉書をご紹介するコーナーも設ける予定です。今後も、会期当日まで、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

        
 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 

 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません)

      朝鮮戦争・表紙

 トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ヴェネズエラ独立宣言記念日
2014-04-19 Sat 20:34
 きょう(19日)は、1810年4月19日にカラカス市参事会がヴェネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言したことにちなみ、ヴェネズエラでは“独立宣言記念日”として祝日になっています。というわけで、ヴェネズエラがらみでこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴェネズエラ地図(1896)     ヴェネズエラ地図(部分拡大)


 これは、1896年にヴェネズエラが発行した地図の5センタヴォ切手ですが、東側の国境部分(切手の右側に部分拡大の画像を貼っておきました)で、国際的にはガイアナ領とされているエキセボ川西岸のグアヤナ・エセキバ(エキセボ地域)をもヴェネズエラ領として描かれているのがミソです。

 南米大陸北部の大西洋に面したギアナ地方は、オランダ、フランス、英国の3国によって分割されていましたが、このうちの英領ギアナは、1621年以降、オランダ西インド会社の管轄下にあった地域のうち、エセキボ・デメララ・バービスの3植民地が、ナポレオン戦争を経て1814年に英領となり、1831年、英領ギアナとして統合されました。

 当初、英領ギアナの中心はエキセボ川の東岸でしたが、後に、トリニダード以外にも英国=南米間の貿易のために大型船が停泊できる居留地が必要となったため、英国はエキセボ川西岸にも進出。これに対して、1830年、コロンビアから分離独立したヴェネズエラはエキセボ川までのグアヤナ・エセキバの領有権を主張して対立しました。ちなみに、ヴェネズエラ側の主張を全面的に認めると、ガイアナは現在の領土の3分の2を失うことになります。

 その後、いったんはグアヤナ・エセキバの血を両国の中立地帯とすることで妥協が成立したものの、19世紀後半に金鉱が発見されたことで対立が再燃。今回ご紹介の切手も、こうした状況の下でヴェネズエラがグアヤナ・エセキバに対する自国の領有権を主張するために発行したものです。

 このため、1899年、米英露三国の調停により、係争地の大半は英領ギアナに属するものとされ、ヴェネズエラもこれを受け入れましたが、1966年にガイアナが英国から独立すると、ヴェネズエラは再びグアヤナ・エセキバの領有権を主張。現在にいたるまで対立が続いています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ただし、ガイアナは加盟国ですが、ヴェネズエラは加盟していません)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

 * 本日のメディア史研究会の発表は、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 ヴェネズエラ大統領選挙
2012-10-07 Sun 11:47
 南米のヴェネズエラで、きょう(現地時間7日)、任期満了に伴う大統領選挙が行われます。現職で4選を目指すチャベス大統領と主要野党の統一候補カプリレス氏による事実上の一騎打ちの構図で、結果は早ければ深夜にも判明する見込みだそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       武器なき新千年紀

 これは、2000年、ヴェネズエラ郵政が発行した“武器なき新千年紀”の切手で、銃口をふさぐ指が描かれています。

 1999年にヴェネズエラの大統領に就任したウゴ・ラファエル・チャヴェス・フリアス(以下、ウゴ・チャヴェス)が社会主義へのシンパシーを抱くようになったのは、中学時代のこととされています。

 高校卒業後、士官学校に進学したチャヴェスは、当時、ペルーの“軍事革命政権”(ユーゴスラヴィアの自主管理社会主義をモデルにした左翼軍事政権)を率いていたフアン・ベラスコ・アルバラードや、米国とパナマ運河返還交渉を行っていたパナマのオマール・トリホスに強い影響を受け、1975年、士官学校を卒業し陸軍少尉として空挺部隊に勤務するようになると、1982年には同志を募って軍内にCOMACATEと称する地下組織を組織しました。

 1989年2月、首都カラカスで貧困層が暴動を起こすと、鎮圧のために陸軍が出動し、多数の死傷者が発生した。このことに衝撃を受けたチャヴェスは、絶望的なまでに広がっていた貧富の格差を是正することを目指して、1992年、同志を募ってクーデターを起こしたものの失敗。ただし、投降の際に彼が行ったテレビ会見は、クーデターの是非はともかく、ヴェネズエラ国民の一定の支持を得たとされています。

 その後、チャヴェスとその同志は武装闘路線を放棄し、遵法闘争に路線を転換。ソ連崩壊後唯一の超大国となっていた米国とその新自由主義に追従するばかりの既成政党を激しく批判し、富裕層や労働組合幹部による医療・福祉の独占を廃して平等な社会の実現を訴え、1999年の大統領選挙で、現状に不満をもつ貧困層の圧倒的な支持を得て、大統領に選出されました。

 政権を掌握したチャヴェスは、ラテン・アメリカ解放の父とされるシモン・ボリバルの名を冠した新憲法、ボリーバル憲法を制定し、国名をベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバル共和国に変更したほか、大統領権限を強化し、二院制だった議会を一院制に変更。キューバから2万人の医師を招いて貧困層のための無料診療制度をととのえるとともに、地主の土地を収用して農民に分配する農地改革や、為替管理や統制価格の導入、石油公団 (PDVSA) への統制強化など、反米・社会主義路線を鮮明にしていきます。

 東西冷戦の終結から10年。社会主義は歴史上の遺物とする見方が一般的となっていた中で、新たな“社会主義”政権が誕生したことに世界は驚愕。その一方で、それまで挫折感を抱いていた全世界の左派リベラル勢力がチャヴェスに大いに期待を抱いたことは間違いありません。

 同時に、チャヴェスの側も、そうしたリベラル勢力との連携により、みずからの国際的な立場を強化しようとしていました。今回ご紹介の“武器なき新千年紀”と題する切手も、“反戦”“平和”を旨とする左派リベラル勢力の心情に寄り添ったものといえましょう。

 もっとも、かつての日本では誤解している人も多かったのですが、西側世界に対して“反戦”や“平和”のプロパガンダ攻勢をかけていた社会主義諸国は決して平和勢力であったわけではありません。アフガニスタン侵攻を行ったソ連、チベットウイグルで人権弾圧を続ける中国、朝鮮戦争を引き起こした北朝鮮の例を持ち出すまでもなく、多くの社会主義国家は国民生活を犠牲にして、客観的に見れば分不相応としかいいようのない軍事支出を続けるケースはめずらしくありません。

 チャヴェス政権の場合、政権発足当初から、極端な貧困層重視の政策と強引な政治手法は既存のエスタブリッシュメントの強い反発を招き、2002年にはCIAが関与するクーデター騒ぎも起こっています。結局、このクーデターは失敗に終わり、チャヴェスは政権を回復するのだが、このときの経験から、チャヴェスはあらためて軍の重要性を痛感したといわれています。

 こうした状況の下で、2004年に入ると、国際市場での原油価格が急上昇し、ヴェネズエラ経済は時ならぬ石油バブルに沸き、潤沢な資金を得たチャヴェス政権は軍拡路線を突き進んでいくことになりました。

 米国をはじめとする西側諸国は武器禁輸措置によって、反米に舵を切ったチャヴェス政権を封じ込めようとしたが、かえって、その穴を埋めるように、ロシア製を中心に、中国製、スウェーデン製の兵器がヴェネズエラで大量に流入します。具体的には、2006年のプーチン=チャヴェス会談の結果、ヴェネズエラはロシアのスホーイ30多用途戦闘機24機の購入契約を結び、陸軍の制式自動小銃をベルギーのFN FALからロシアのAK-103に変更。この結果、スホーイ戦闘機24機とヘリコプター53機も含め、2005-06年の間に両国間で交わされた兵器の売買契約は総額およそ30億ドルにものぼりました。

 ヴェネズエラが急激に軍備を増強させれば、当然のことながら、近隣諸国との軍事バランスは崩れ、地域の不安定化につながります。

 はたして、2008年、隣接する親米国家のコロンビアが国内の反政府左翼ゲリラ“コロンビア革命軍”討伐のため、エクアドルに対して越境攻撃を行い、両国関係が緊張すると、チャヴェス政権はコロンビアを非難し、コロンビア国境に軍を集結させ、アンデス危機と呼ばれる一触即発の状況が到来しました。

 このときは、米州機構の仲介により、コロンビアが謝罪することで事態は一応収拾されましたが、ヴェネズエラはロシア大統領のドミトリー・メドヴェージェフをカラカスに招き、ロシアとの合同軍事演習を行い、コロンビアの背後にいる米国を牽制しています。

 また、2009年7月、コロンビアはコロンビア革命軍に対してヴェネズエラ政府がスウェーデン製の対戦車砲を転売したと公に指摘。これに対して、チャヴェスは即座に否定し、報復措置として、コロンビアとの外交関係凍結を発表しました。

 さらに、コロンビア革命軍は麻薬カルテルとも深いつながりがあるとされていますが、コロンビア政府は、2009年8月、麻薬組織対策のために駐留米軍の増強を計画していることを発表。その背景にはヴェネズエラを牽制する意図があるのは明白でしたから、チャヴェスはこれをヴェネズエラに対する“敵対行為”であるとして激昂。ロシア製の戦車を多数調達すると発表して対抗しています。

 実際に、同年8月14日、米・コロンビアの軍事同盟が発効すると、チャヴェスはこれに対して“宣戦布告”と猛反発し、コロンビアとの断交も辞さないとの姿勢を明らかにします。チャヴェスによれば、「コロンビアと米国はヴェネズエラ攻撃をたくらんでおり、両国政府が一緒になって世界を欺こうとしている」のだそうです。いずれにせよ、“武器なき新世紀”の切手を発行したヴェネズエラという国が斯様な状況にあるという現実を、無邪気な反戦平和主義者の方々にも十分理解しておいていただきたいものですな。

 さて、ヴェネズエラの大統領選挙は直接投票による単純多数で勝者を決め(決選投票はなし)、新大統領は2013年1月10日に就任し、任期は6年となるそうです。事前の世論調査ではチャベス大統領が優位となっているものの、カプリレス候補も急速に支持を伸ばしているのだとか。カプリレス候補は外国企業の投資促進、外交では極端な反米路線の見直しを主張しており、仮に彼が勝利することになれば、良くも悪くも特異な存在として世界の耳目を集めてきたチャベス大統領は退場し、ヴェネズエラもフツーの国への復帰を目指すことになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00 
 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30



 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★

 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

         切手と戦争

   『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』
    新潮社・税込630円より好評配信中!
    出版元特設HPはこちらをクリック

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界最大規模の製油所爆発
2012-08-27 Mon 22:20
 おととい(25日)、南米・ヴェネズエラ北西部のファルコン州にある世界最大規模のアムアイ製油所が爆発し、きょう(27日)までに住民や兵士など41人が死亡する大事故となりました。懸命の消火活動にもかかわらず、現在なお鎮火のめどは立っていないとのこと。犠牲者の方のご冥福と、一刻も早い鎮火をお祈りしております。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ヴェネズエラ航空切手(1938)

 これは、1938年にヴェネズエラで発行された航空切手で油井の上を飛ぶ飛行機が描かれています。

 ヴェネズエラにおける石油産業は、1918年に北西部マラカイボ湖の湖底と湖岸に油田が発見されたことからスタートし、1930年代には、それまでのコーヒーとカカオを抜き、同国最大の輸出産業に成長しました。ちなみに、ヴェネズエラでは、1943年以降、石油産業に対する所得税制を施行し、1948年には新たに付加税を制定。以後、メジャーを中心とする開発会社と資源国の政府で石油利益を折半する“ヴェネズエラ方式”が世界的に普及することになったほか、課税所得額算定の基準となる原油1バレル当たり輸出価格を公示する必要から、原油公示価格制度が導入されることになります。

 ヴェネズエラでは、マラカイボ湖やオリノコ川流域を中心に石油資源が豊富に埋蔵されており、マラカイボ湖周辺の油田からは軽質油が、オリノコ川流域の油田からはオリノコ超重質油と呼ばれる重質油が産出しています。なお、1976年に石油国有化が宣言され、ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)が設立された時点でさえ、オリノコ超重質油は通常の石油精製施設では精製できませんでしたから、国有化よりはるか以前の1938年の切手では、油井はマラカイボ湖のものとほぼ断定してよいでしょう。なお、オリノコ超重質油の精製が可能になり、ヴェネズエラの石油の生産量が飛躍的に伸びたのは、1990年代以降のことです。

 今回、大規模な爆発事故が起こったアムアイは、1日あたり64万5000バレルの原油を精製する能力を持つヴェネズエラ最大の製油所があり、ファルコン州内、パラグアナ半島南部のコンビナートで生産された石油(国内の石油生産の約3分の2をまかなっているといわれています)の積み出し港にもなっています。

 1999年2月に発足したウゴ・チャベス政権は、従来の政権と異なり、PDVSAの経営に積極的に介入し、豊富な原油資源からの収益を元手に、キューバから2万人の医師を招いて貧困層のための無料診療制度をととのえるなど貧困対策に回すことで国内の支持基盤を固めているほか、敵対する隣国で親米路線を取るコロンビアに対する対抗措置として軍備を急拡大させています。その一方で、製油関連施設への投資はもちろん、メンテナンスの経費も減らされており、老朽化が原因とみられる事故も多発しています。

 さて、今年10月、ヴェネズエラでは大統領選挙が予定されています。今年4月に行われた世論調査では、チャベスの支持率が55%であるのに対して、野党のカプリレス候補は22%とかなり差をつけられていましたが、今回の事故でチャベス路線の是非が問われることになるのは必至で、場合によっては、政権交代ということもありうるかもしれません。

 なお、チャベス政権については、以前、拙著『事情のある国の切手でも面白い』でも1章を設けてまとめてみましたので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国現代史・韓国語版
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

     ハヌル出版より好評発売中!


    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 イスラエルとは国交なし?
2006-08-10 Thu 01:51
 イスラエルによるレバノン攻撃以来、「アメリカの支援を得て人々を殺害するイスラエルに強い憤りを覚える」とイスラエルに対する批判を展開していたベネズエラのチャベス大統領ですが、いよいよ、イスラエルとの断交の可能性についても公式の場で発言しはじめました。というわけで、こんなカバー(封筒)を引っ張り出してみました。(画像はクリックで拡大されます)

ベネズエラに返送されたカバー

 このカバーは、1955年12月、ベネズエラからイスラエル宛に差し出されたものですが、どういうわけか、レバノンのベイルートに届けられてしまったため、いったん、差出人戻しの扱いとされてしまい、しかる後に、あらためて、アラブ諸国を経由せずイスラエルに配達されたものです。(不鮮明ながら、裏面にはベイルートとテルアビブの印が押されているため、そうした事情がわかります)

 宛名の下には、スペイン語で「イスラエルとは国交なし?」との意味の書き込みがなされており、届くはずと思っていた郵便物が返送されてきてしまったことに対するベネズエラ郵政の職員の困惑がうかがえます。

 現在のチャベス政権は、今月3日、イスラエルのレバノン攻撃に抗議してイスラエル駐在大使の召還を表明しているほか、「イスラエルのような国と外交関係を保つことに何の関心もない」と繰り返し述べていますから、短期間にせよ、両国間の国交断絶が現実のものとなりそうな気配です。

 そうなってくると、この先、ベネズエラからイスラエル宛の郵便物というのはどうなるのでしょうか。まぁ、実際には、日本から国交のない北朝鮮宛に郵便物を差し出しても、平壌までは確実に届いている(もっとも、ああいう国ゆえ、国内で無事に配達されているかどうかは保証の限りではありませんが)わけですから、仮に国交断絶という状況になっても、ベネズエラ=イスラエル戦争が勃発でもしない限り、両国間の郵便交換が途絶する可能性は低いと考えるのが常識的な判断でしょう。ただ、ちょっと、気になるところではありますけどね。

別窓 | ヴェネズエラ | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/