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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手歳時記:天皇誕生日
2018-12-23 Sun 01:30
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2018年12月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、平成最後の天皇誕生日にあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      立太子礼(明仁)小型シート

 これは、1952年12月23日に発行された“立太子礼記念”の小型シートです。

 天皇誕生日は、古くは“天長節”と言っていましたが、これは皇后誕生日の“地久節”とともに、『老子』第七章の「天長地久」に由来し、両陛下のご長寿をお祈りするという意味が込められていました。『老子』では「天長地久」に続けて「天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生」とあり、天地が永久なのは、天地に自ら永久であろうとする意志がないからだと説明したうえで、“道”を知った聖人は無視無欲であると説いています。

 ところで、現実の君主が聖人であることは稀ですが、五経の『礼記』によれば、聖人が王となり、仁のある政治を行うときに現れるのが、霊獣の麒麟です。

 麒麟は、鳳凰、霊亀、應龍とともに中国の古代思想における“四霊”のひとつで、鹿の身体に、角の生えた狼の頭、牛の尾、馬の足と角を持つとされています。日本では、キリンビールのラベルのイメージが強いのではないでしょうか。なお、麒麟という語は、本来は、この霊獣の総称で、麒がオス、麟がメスです。

 今回ご紹介の小型シートには、麒麟を描いた5円および10円切手が収められています。

 立太子礼は、勅旨によって皇太子が天皇の後継者であることを内外に示すために行われる儀式で、皇位継承についての明確な規定のなかった明治以前には、皇位継承者の正式な発表の場として重要な意味を持っていました。明治以降は、天皇の長男が皇太子となることが制度として定められたため、儀礼的なお祝いとしての面が強調されています。

 1933年12月23日、昭和天皇の第一皇男子としてお生まれになった明仁親王(今上陛下)の立太子礼は、1947年に改正された「皇室典範」に基づき、当初、親王殿下が満18歳に達した1951年12月に行われる予定でしたが、当時のわが国は連合国の占領下で、立太子礼は予算規模71円の質素なものとして計画されていました。

 ところが、1951年5月、皇太后(貞明皇后=大正天皇の皇后)が崩御され、その諒闇中ということで立太子礼の儀式は一年延期。その間、1952年4月に講和条約が発効してわが国が独立を回復したことから、立太子礼は、同年11月10日、独立回復初の皇室の慶事として盛大に行われ、記念切手も発行されることになりました。

 立太子礼の記念切手については、当初、郵政省は肖像切手の発行を希望していましたが、宮内庁が首を縦に振らず、立太子礼の儀式の際、皇太子の証として天皇から授けられる秘法“壺切剣”が題材として選ばれます。しかし、剣は宮中の秘宝で、切手制作のために借り出して模写することが許されなかったため、郵政省は、1916年の裕仁親王(後の昭和天皇)の立太子礼を撮影した膨大な新聞写真の中から剣の写っているものを探し出し、宮内庁に確認のために照会しましたが、宮内庁側の説明によると、件の写真は合成したもので実物とは異なるとのこと。そこで、郵政省は文献資料を調査し、剣には海浦模様の蒔絵と麒麟の螺鈿が施されていること、正倉院御物、高御座、そして壺切剣の麒麟は基本的にはほぼ同じ形状であることを確認したうえで、正倉院御物を資料として切手のデザインを制作しました。

 このように、宮内庁との調整などに手間取ったこともあって、単片の記念切手は立太子礼当日の11月10日に発行されたものの、3種の切手を収めた小型シートは間に合わず、殿下18歳のお誕生日にあたる12月23日の発行となりました。


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 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


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 切手歳時記:谷中の紅葉
2018-11-30 Fri 01:30
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2018年11月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、紅葉の時季にあわせて、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      まりつき

 これは、1957年11月1日に発行された切手趣味週間の記念切手で、鈴木春信の「まりつき」が取り上げられています。絵の中の少女が着ている着物は川の流れと紅葉の図柄というのが歳時記としてのミソです。

 さて、今回の切手は、おそらく、当時の技術的な制約が原因なのでしょうが、切手と東京国立博物館所蔵のオリジナルの錦絵では色味が少し違っており、オリジナルでは、川の流れともみじ葉(の一部)がより緑色に近い碧になっています。

 紅葉する前の“青もみじ”といえば初夏から夏にかけての景色ですが、少女の着物は明らかに秋冬物の袷ですし、なにより、地色の紅と川、もみじ葉の組み合わせは、小倉百人一首にも収められている在原業平の和歌、「千早ぶる神世もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を連想させますから、やはり、晩秋の図と見るのが自然でしょう。

 ところで、絵の中の少女は、無言で毬をついていたわけではなく、なにか手毬歌を歌っていたはずですが、あるいは、笠森お仙の手毬歌だったのではなかろうかと僕は考えています。

 将軍が徳川家治の時代、明和(1764-71年)の頃、江戸は谷中の笠森稲荷門前に「鍵屋」という茶屋がありました。茶屋の娘、お仙は宝暦元(1751)年の生まれで、当時の江戸三大美人の一人としてその名は天下に轟き、晴信の作品にもしばしば取り上げられました。

 若き日の大田南畝が舳羅山人のペンネームで刊行した『小説売飴土平伝』には、彼女の美貌について「美目の艶、往来を流し目にす。将に去らんとして去り難し」、「十目の見る所、十手の指す所 一たび顧みれば、人の足を駐め、再び顧みれば、人の腰を抜かす」との記述があります。彼女が往来をちらっと見たら、もう他所へは行けず、彼女が振り向けば男たちは歩みを止め、もう一回振り向けば腰を抜かすというわけで、彼女目当てに笠森稲荷にお参りに来る男も多かったようです。

 また、当時の江戸の子供たちの間では、そんなお仙を歌った次のような手毬歌が流行しました。

 向う横町のお稲荷さんへ
 壱銭上げてちゃっと拝んでお仙の茶屋へ
 腰を掛けたら渋茶を出して
 渋茶よこよこ横目で見たらば
 米の団子か土の団子かお団子団子
 この団子を犬にやろうか猫にやろうか
 とうとう鳶にさらわれた

 “米の団子か土の団子か”とあるのは、笠森稲荷では、願をかける時にはまず土の団子を供え、それが成就してお礼参りをするときは米の団子を供える風習があったことを踏まえたものです。もっとも、男たちにしてみれば、参拝はあくまでもお仙を拝みに行くための口実でしたから、団子なんか、本当はどうだっていいのですが…。

 ところが、お仙は、20歳になったある日、何の前触れもなく、御庭番衆の倉地政之助のもとに嫁いでしまい、人々の前から忽然と姿を消してしまいます。彼女を目当てに茶屋に来た男たちからすれば、団子は油揚げよろしく鳶にさらわれた格好ですが、倉地は後に幕府の金庫を管理する払方御金奉行にまで出世しましたから、実際には、鳶というより鷹というべきでしょうか。

 ちなみに、「まりつき」の絵が描かれた当時の笠森稲荷社は、現在の天王寺(当時の名は感応寺)の塔頭・福泉院境内にありましたが、天王寺は紅葉の名所で、寺から日暮里方向に抜ける坂道は紅葉坂と名付けられたほどです。

 お仙の絵を好んで描いた晴信は、天王寺と笠森稲荷を連想させる紅葉の着物を「まりつき」の少女に着せ、頭の中をめぐる手毬歌のメロディとともに、茶屋の店先に立っていた彼女を懐かしむ縁としたかったのかもしれません。

 * 本日未明、アクセスカウンターが199万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。 

★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 イスラエルに行ってきます!
2018-05-24 Thu 03:55
 私事で恐縮ですが、エルサレムで開催される世界切手展<WSC Israel 2018>に出品者およびコミッショナーとして参加するため、きょう(24日)午後の飛行機で羽田を発ち、香港経由でテルアヴィヴに向かいます。というわけで、テルアヴィヴへの無事の到着を祈って、こんなマテリアルを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エールフランス・東京=テルアヴィヴFFC

 これは、1957年4月18日、東京・羽田空港からテルアヴィヴ宛のエールフランスの初飛行カバー(FFC)です。エールフランスの日本就航は1952年秋のことで、ベイルートカラチサイゴンで乗り継ぐ南回りのルートで、飛行時間は41時間10分でした。その後、路線が拡大され、1957年には、今回ご紹介の東京=イスラエル間の路線がスタートしました。ただし、乗継時の待ち時間もそれなりに長かったようで、裏面に押されているテルアヴィヴの着印は、差出から6日後の4月24日となっています。

 さて、今回の切手展の会期は27日からなのですが、その前に、作品を搬入・設営しなければなりません。イスラエルならではの特殊事情で、金曜日の日没から土曜日の日没までは安息日で作業がストップしてしまいますので、金曜日の朝にテルアヴィヴでイスラエルに入国してエルサレムに向かい、なんとか、日没までに展示作業を済ませてしまいたいと考えています。なお、展覧会の会期は31日までで、作品をピックアップした後、現地時間の1日にテルアヴィヴから出国し、翌2日に帰国の予定です。

 今回の旅行期間中も、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただ、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。 


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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
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 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 桐生が日本選手初の9秒台
2017-09-10 Sun 10:02
 きのう(9日)、福井市で行われた日本学生対校選手権の陸上男子100メートルで、東洋大学の桐生祥秀選手が日本選手初の9秒台となる9秒98の日本新記録をマークしました。というわけで、、きょうは桐生選手を讃えて、ランナーを描く切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第3回アジア大会(ランナー)

 これは、1958年5月24日に発行された「第3回アジア競技大会」の記念切手のうち、ゴールテープを切るランナーを描く14円切手です。

 4年に1度開かれるアジア競技大会は、戦前の極東選手権競技大会と西アジア競技会が合併するかたちでスタートしました。

 このうち、前者は、1913年、“東洋オリンピック大会”の名の下にフィリピンで第1回の大会が開催されたのが最初で、以後、日本・中国・フィリピンの3ヶ国が持ち回りで主催者となり、1927年の第8回までは、2年ごとに開催されていました。その後は、オリンピックの中間年に行われることになり、第9回大会は1930年に東京で開催されました。なお、この大会からインドが参加国に加わったほか、1934年にマニラで開催された第10回大会からはオランダ領東インドも参加しています。しかし、日中戦争の影響で、1938年に予定されていた第11回大会は中止とされてしまいました。

 一方、西アジア競技大会は、第1回大会が、1934年にニューデリーで、インド、アフガニスタン、セイロン(現スリランカ)、パレスチナ(英委任統治領)の4ヶ国が参加して行われましたが、こちらも、1938年に予定されていた第2回大会は欧州情勢の緊迫に伴い、中止に追い込まれています。

 こうして、戦争の影響で中断されていたアジア諸国のスポーツ交流ですが、1948年、アジア競技連盟が結成され、1951年3月、戦前の両大会を統合して第1回アジア競技大会がニューデリーで開催されました。このときの参加国は、アフガニスタン、ビルマ(現ミャンマー)、インド、フィリピン、セイロン、インドネシア、ネパール、タイ、シンガポール、イラン、日本の11ヶ国で、日本が優勝しています。

 ついで、第2回大会は、1954年5月、マニラで開催され、このときも日本が優勝しました。

 そして、1958年の第3回大会は、アジア競技連盟、東京都、日本体育協会の共催により、5月24日から6月1日まで、東京・明治神宮外苑の国立競技場 で開催されました。

 大会の総裁は皇太子殿下(当時。今上陛下)で、参加国は、アフガニスタン、ビルマ、カンボジア、セイロン、台湾、香港、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、日本、韓国、マラヤ連邦(現マレーシア)、ネパール、北ボルネオ、パキスタン、フィリピン、シンガポール、タイ、南ベトナムの20ヶ国で、選手・役員2000名以上が参加しました。

 第3回アジア競技大会に関しては、過去の開催国であるインドとフィリピンが、それぞれ、大会開催時に記念切手を発行していることもあり、郵政省内では早くから記念切手の発行を視野に入れて準備を進めていたようです。

 実際、郵政審議会・郵便切手図案審査専門委員会(以下、図案審査専門委員会)の審議を経て、記念切手の発行が決定されたのは1957年12月20日のことでしたが、同月5-6日には、大会組織委員会の塚原十四一が記念切手発行の打合せを行うために郵政省を訪問。さらに、10日には、デザイナーの木村勝、久野実、渡辺三郎、長谷部日出男が国立競技場の建設現場を取材し、はやくも19日には4人で7枚の下図を作成しています。

 さて、図案審査専門委員会の審議を経て、記念切手の発行が正式に決定されると、1月7日、あらためて原画についての競技が行われました。

 その結果、①5円、10円、14円、24円の4種セットの構成とする、②取り上げる題材は、国立競技場、聖火ランナーと大会マーク、陸上競技、水上競技、とする、③記念名称は、日本語だけでなく、3RD ASIAN GAMESの英文も入れ、西暦、大会マークを入れる、④形は正方形とする、⑤料額以外の文字原稿は、統一をはかるため、一人が代表して書いたものを、製版の際に転写する、という切手制作の基本方針が決定されました。

 これを受けて、1月13日、郵政省は共同通信社からスポーツ記録写真を購入。さらに、翌14日には、大会組織委員会から、大会旗の写真を借り受けています。その際、組織委員会側は、大会旗のマークには“EVER ONWARD(限りなき前進)”との大会スローガンは入っていないが、正式の大会マークにはこれが入っているので、切手にもこれを入れてほしいと要望しています。

 こうして、1月22日、4点の原画が完成しました。この段階では、共同通信社の記録写真に忠実に、14円切手のランナーは女性選手で、24円切手のダイビングは男性選手のシルエットになっていましたが、郵務局長の板野学が男女の組み合わせを入れ替えるように指示したため、そのように修正され、2月4日、印刷局に回されました。

 切手の発行枚数は、5円ならびに10円切手が各3000万枚、14円ならびに24円切手が各1000万枚という、当時としては異例の規模でしたが、これだけの量の記念切手が、すべて、発行初日の5月24日までに、すべて、全国の郵便局に配給されたということではないようです。

 じつは、今回の記念切手は、4種ともにグラビア4色刷であったため、刷色の決定までに郵政省と印刷局との間で調整が難航し、最終的に正式な試刷が提出されたときには、発行日まであと半月ほどに迫った5月7日になっていました。

 このため、一部の地域では、発行初日の5月24日には当初の予定量のごく一部しか配給されないということもあったとの報告が残されています。とりわけ、関西地区では、極端な販売制限が行われたにもかかわらず、一時間以内で完売する局が続出。特に、同日の神戸地区では、今回の5円および10円切手の半分、1500万枚の発行であった“開国百年”の記念切手の半分以下しか新切手の配給がなされておらず、初日のうちに切手を入手できなかった収集家もかなりな数に上りました。

 結局、これらの地域に記念切手の配給が完了したのは、大会も後半になってからのことで、会期終了後の6月2日になると、大阪中央局では、発行初日の発売制限が嘘のように、積極的な販売活動が展開されました。

 このため、第3回アジア競技大会の記念切手は、大会終了後もかなりの長期間にわたって大量に売れ残っており、特に、今回ご紹介の14円切手に関しては、東京中央局の郵趣窓口では昭和50年代まで販売されていたとの報告もあります。

 なお、専門的には、今回ご紹介の切手のバックの赤色に関しては、スクリーンの角度にバラエティがあることが明らかになっています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
 ★★★ 最新作 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 近日発売!★★★ 

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 切手歳時記:国蝶論争
2017-06-17 Sat 09:16
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年6月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オオムラサキ(旧)

 日本の国蝶、オオムラサキの成虫は、年に1度、6-7月に発生します。1956年に発行の75円切手も、オオムラサキの季節に合わせ6月20日に発行されました。

 切手の発行当時の郵政省の説明では「国蝶としても恥ずかしくない風格を持ち」となっていましたが、実は、オオムラサキが正式に国蝶として決定されたのは、切手発行の翌年、1957年のことでした。

 もともと、国蝶の選定は日本政府によるものではなく、1933年、蝶類同好会のメンバーが集まった宴席での雑談で、“国蝶”を決めてはどうかという話題になったのが発端とされています。

 蝶類同好会は、“同好会”と銘打っていましたが、当時の日本の主な博物学者はほぼ全員が会員という本格的な組織で、九州帝国大学教授の江崎悌三が会長を務めていました。

 さて、件の宴席で、江崎は国蝶にはオオムラサキが相応しいと提案します。

 オオムラサキは日本で発見された蝶で、それゆえ、昆虫学者で近代養蚕学・製糸学を開拓した佐々木忠次郎にちなんで学名(属名)も“佐々木の~”を意味する“Sasakia”となっています。また、江崎は、佐々木門下の俊英として、日本の昆虫学を牽引した人物でした。

 宴席に居合わせた会員の多くは江崎の提案に賛同。後日、会報で会員に賛否を問うた上で、正式に国蝶を決定しようということでお開きになりました。

 ところが、江崎の提案が会報で報じられると、会員の結城次郎が真正面から異議を唱えます。

 結城は広島工業学校(現県立広島工業高校)の数学教師で、1936年6月21日、宮島でミヤジマトンボを発見し、その名を日本の昆虫(学)史に残すことになるのですが、江崎に論争を挑んだ1933年当時は無名のアマテュア研究家でした。

 結城は、国蝶の条件として、①日本全国に分布する、②小学校の教科書にも載っている、③飛び方が優雅である、という3点を挙げ、オオムラサキではなくナミアゲハこそが国蝶に相応しいと提案します。

 オオムラサキを国蝶にという江崎の提案の根拠がいまひとつ曖昧だったこともあり、以後、同好会はオオムラサキ派とナミアゲハ派に分れて激しい論争が巻き起こりました。論争は4年間も続き、最後は、会報上で相手陣営を罵倒しあうなど、殺伐たる雰囲気にりました。

 そこで、会員投票で決着させることになり、その結果、オオムラサキが78票を得て、2位のナミアゲハの35票を大きく引き離して1位となります。ところが、投票総数が過半数に達しなかったため、反オオムラサキ派は投票の無効を主張。そうこうしているうちに、本格的な戦争の時代が到来し、同好会は解散に追い込まれてしまいました。

 こうして、昆虫関係者の間で国蝶の話題がタブーとなっていたなかで、戦後の1954年、保育社から『原色日本蝶類図鑑』が刊行されます。同書の校閲は江崎が担当し、オオムラサキの項目には「国蝶として…」との文言がさりげなく付け加えられていました。

 今回ご紹介の75円切手の制作は、こうしたタイミングで行われたわけです。

 図案の制作を担当した久野実は、当初、天然記念物のミカドアゲハを取り上げるつもりだったようですが、蝶についての専門知識のなかったため、“蝶聖”との評判が高かった林慶に助言を求めます。

 その林は、戦前からの論争では、オオムラサキ派の急先鋒。林からすれば、久野が接触してきたのは、まさに「飛んで火にいる~」といったところだったでしょう。久野から相談を受けると切手の図案には“国蝶”のオオムラサキこそがふさわしいと力説しました。蝶に対する特段のこだわりがなかった久野も、林がそこまでいうのならと、オオムラサキの図案を制作し、“国蝶としても恥ずかしくない風格”の75円切手が世に出ることになりました。

 こうして、オオムラサキ派は、周到に“世論”を誘導し、郵政省の“お墨付き”も得たうえで、1957年の日本昆虫学会総会で、オオムラサキを国蝶とする緊急動議を抜き打ちで提出。これが通ったことで、オオムラサキは正式に国蝶としての地位を確立したのです。

 * 今回の記事の作成に際しては、主として、星野フサ「第21回談話会 国蝶オオムラサキ選定論争始末記(後援者:青山慎一 昆虫ボランティア)」(北海道大学総合博物館『ボランティア・ニュース』第23号:2011年12月 4頁)を参照しています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

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 建国記念の日
2017-02-11 Sat 13:28
 きょう(11日)は、建国記念の日です。というわけで、例年どおり、建国神話にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     天橋立

 これは、1960年7月15日に発行された日本三景切手の“天橋立”で、観光写真などで定番の成相山(西岸の江尻の後ろ側)の傘松公園から眺めた風景が取り上げられています。

 天橋立は、京都府の北部、若狭湾国定公園の一角にあり、1952年11月に国の特別名勝に指定されました。日本海に面する宮津湾の潮流と風によって運ばれた砂が積もって出来た砂嘴で、西岸の江尻から対岸の文殊まで、南西に2.2 km 突き出しています。

 『丹後国風土記』には、国産み神話の伊射奈芸命(イザナギ)は天に通うために天に通うための“椅(はしご)”として“天椅立(あまのはしだて)”をつくりましたが、命が眠っている間に椅が倒れ、現在の“天橋立”になったとの記述があります。また、『古事記』の国つくりの場面で、イザナギ・イザナミが立っている“天浮橋”は天橋立であるとする伝承もあります。

 なお、この切手は、当初の年間計画で7月の発行とされており、3月中には試刷もつくられ、4月1日に正式な刷色も決定されるなど順調に作業が進められていました。ところが、4月後半になって、突如、郵政省は8月1日に発行の予定であった足摺国定公園切手を7月15日に発行する代わりに、7月15日に発行の予定であった天橋立の発行は8月1日に変更すると発表。しかし、結局、5月に入ると、両切手の発行日は当初の予定通りとすることがあらためて発表されるなど、マネージメント面での混乱が見られました。

 さて、以前から繰り返し書いていることですが、天孫降臨神武東征などの建国神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。ただし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたい部分が多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語=神話としての建国神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿だと僕は思います。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業でこそ、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して反対するんでしょうな。困ったものです。


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 昭和基地60年
2017-01-29 Sun 11:19
 1957年1月29日、南極に昭和基地が開設されてから、きょうでちょうど60年です。というわけで、南極関連の日本切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      国際地球観測年

 これは、1957年7月1日に発行された“国際地球観測年”の記念切手で、観測年のマークと南極観測船“宗谷”、コウテイペンギンを組み合わせたデザインとなっています。

 気象、地磁気、電離層、宇宙線、経緯度、海洋、地震、重力などの諸現象について、期間を定めて、全世界の研究者たちが共同観測を行う極年(Polar Year)は、1882-83年に第1回が実施されました。

 その後、50年後の1932-33年には第2回の極年が行われましたが、科学の急速な進歩を考慮して、第3回目は間隔を短縮して25年後の1957年7月1日から翌1958年12月31日までの間に、“国際地球観測年(International Geophysical Year)”の名のもとに実施されることになりました。ちなみに、この国際地球観測年は、世界各国が協力して特定の事業を行う「国際年」の企画としては最初のものです。

 国際地球観測年の共同観測事業は、ブリュッセルの国際学術連合(ICSU) が国際地球観測年特別委員会(CSAGI)を設置して準備を進め、地球の中心を縦に割って東経10度付近、同110度付近、同140度付近、西経60-70度付近で、また、地球を横に割って北極、赤道、南極の7大地帯でそれぞれ行われました。

 このうち、東経140度付近地帯の中心国となったわが国では、日本学術会議の中に設けられた国際地球観測年研究連絡委員会が学術的な見地から、また、文部省測地学審議会の中に設けられた国際地球観測年特別委員会が関係各機関の行政実務を調整する立場から、それぞれ準備を進めることになりました。当初、日本は赤道観測を行う予定でしたが、予定地の領有権を持つ米国の許可が出ず、1955年2月、南極観測に切り替えています。

 このように、国際地球年の準備が進められていった過程で、1956年11月、内閣官房副長官と文部事務次官は、次年度の記念切手発行計画に関する郵政省からのヒヤリングに応えて、国際地球観測年と南極地球観測の2件を回答しました。

 日本人による本格的な南極観測は、1956年11月に東京港を出港した観測船“宗谷”が翌1957年1月25日に南極大陸に到着し、同月29日にオングル島に昭和基地を設営することでスタートします。

 回答を受けて、郵政省サイドでは、当初、地球観測年と南極観測を別の記念切手として発行することも検討しましたが、1957年1月24日に開催された郵政審議会専門委員打合会議の結果、記念切手の発行は国際地球観測年のみにしぼり、南極観測は切手の図案において表現するということで決着がはかられることになりました。

 切手発行の方針が決定されると、1957年4月9日、郵政省の担当者が文部省3階の南極地域観測統合推進本部を訪ね、宗谷やペンギンの写真などを資料として借用しようとしました。しかし、同本部にはマスコミ各社の閲覧希望者があとをたたず、郵政省が写真原簿を持ち出すことは不可能でした。

 このため、郵政省は同本部の紹介を得て、東京大学南極資料室から資料を借用。また、CSAGI本部で作成した観測年のマーク(地球と人工衛星を描いたものと、これに西暦や記念銘を添えて八角形の枠で囲んだものの二種類があった)については、南極観測隊長の永田武 を通じて、CSAGI本部に使用許諾を求める手続きがとられました。

 一方、切手の発行日としては、観測強化の世界デーにあたる7月4日も考慮されましたが、結局、観測年がスタートする7月1日が妥当ということになり、この日にあわせて作業が進められます。

 4月10日、記念切手はグラビア4色刷とする方針が決められ、久野実、渡辺三郎、長谷部日出男の3人のデザイナーが下図を作成します。これに対して、郵務局長・松井一郎は、オーロラとペンギン、宗谷、観測年のマークを組み合わせた渡辺の原画をもとに、オーロラをやめて観測年のマークを中心に、宗谷とペンギンを添えることを提案。この案に沿って再度、コウテイペンギンを大きく描いた原図が渡辺によって作成されました。その際、画面構成の都合から、観測年のマークは左上に寄せ、半分くらい欠けた形にトリミングして用いられています。

 こうして、5月6日、原画が完成し、印刷局での作業が開始されました。なお、切手の発行枚数は、当初の予定では500万枚となっていましたが、実際には600万枚に変更され、6月21日に記念切手の現品(見本字入り)と記念スタンプの印影を添えた報道資料がマスコミ各社に配布されました。

 切手の発行日には、東京・上野の日本学術会議講堂で、午前9時(グリニッジ標準時の午前0時00分にあたる)から国際地球観測年開始記念式典が行われ、セレモニーの一環として、郵政大臣署名入りの記念切手一シートが長谷川万吉(国際地球観測年研究連絡委員会委員長)に贈呈されています。


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 香港へ行ってきます!
2015-11-18 Wed 08:50
 私事で恐縮ですが、20日から香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)で開催されるアジア国際切手展<HONG KONG 2015>に参加するため、きょう(18日)の午後、成田から出国し、2010年以来、5年ぶりに香港に行ってきます。

 今回は、昨年(2014年)のソウル展で金賞を受賞した作品、“A History of Hong Kong”を出品しますので、その搬入・搬出とあわせて、コミッショナーの井上和幸さんのアシスタントとして、微力ながらお手伝いをしてきます。というわけで、無事に現地に到着できるようにとの願いを込めて、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本航空・香港宛FFC

 これは、1955年2月4日、東京(羽田)から香港宛に差し出された日本航空の初飛行カバーで、カシェには、日本と香港をイメージするイラストが描かれています。カバーの中には、当時の時刻表と運賃表が入っていましたので、ご参考までに下に画像を貼っておきましょう。直行便ではなく、沖縄を経由して翌朝到着というのが時代を感じさせますな。

      日本航空・香港宛FFC時刻表  日本航空・香港宛FFC料金表

 今回のフライトはJALではなくANAを利用するのですが、フライト時間は5時間(もちろん直行便)、チケットはネットで購入して約5万円でしたから、これを見ると、あらためて、60年前のチケットは当時の物価と比べてかなりの高額で、海外旅行が“高嶺の花”だったことが良くわかります。

 さて、帰国は23日午後の予定で、この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただし、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

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 ラグビー日本代表が大金星
2015-09-20 Sun 11:43
 現在開催中のW杯イングランド大会で、19日(現地時間・日本時間では20日未明)、日本(世界ランキング13位)が、南アフリカ代表(同3位)を後半ロスタイムに逆転し、34-32で破る大金星を挙げました。日本のW杯での勝利は、1991年大会でのジンバブエ戦以来、24年ぶりだそうです。というわけで、きょうはラグビーの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第8回国体(ラグビー)

 これは、1953年に発行された第8回国民体育大会(国体)の記念切手の1枚で、日本切手の中では、ラグビーを取り上げた最初の切手です。

 1953年の第8回国体(秋季大会)は、10月22日から26日までの5日間にわたって、四国4県(愛媛・香川・高知・徳島)を会場として開催されました。参加選手は約2万人。全体の開・閉会式は四国最大の都市である松山市で行われています。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられたラグビーも、松山市で行われました。

 切手の図案は、1952年9月17日に行われた英国オックスフォード大学と早稲田大学との親善試合に際して朝日新聞社が撮影した写真のうち、前半34分、早稲田の青木選手がトライを決める直前の様子を撮影したものをベースに、周囲に3名の選手を配する構図の原画を渡辺三郎が作成しています。なお、試合は11-8でオックスフォード大学が勝利しました。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細は、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 鵜飼開き
2015-05-11 Mon 15:44
 きょう(11日)は、長良川の鵜飼開きの日です。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       鵜飼100円

 これは、1953年9月15日に発行された額面100円の普通切手で、長良川の鵜飼いが描かれています。

 毎年5月11日から 10月15日まで、中秋の名月の日を除き、岐阜県の長良川では、伝統漁法としての鵜飼漁が行われます。

 鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」との記述があり、律令時代には鵜飼人(鵜匠)が宮廷直属の官吏として漁をしていた記録があります。

 夜の水面にかがり火を焚き、鵜匠が見事な手縄さばきで鵜を操ってをとる漁法はきわめて非効率的ですが、その反面、獲れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができるという利点があるため、冷蔵輸送の技術がなかった時代には、鵜飼の鮎は献上品として珍重され、江戸時代には諸大名の保護の下、各地で鵜飼漁が行われていました。

 長良川の鵜飼漁は尾張徳川家の保護の下で行われていましたが、明治維新により保護を受けることができなくなったため、一時は、消滅の危機に瀕します。しかし、岐阜県知事の要請により、1890年、稲葉郡長良村古津その他武儀郡、郡上郡の各村で延長1471間が宮内省の鮎漁の御猟場に編入され、鵜匠には宮内省職員の身分が与えられ、鵜飼漁が継続されることになりました。

 現在の鵜飼漁は、主として観光客を対象としたパフォーマンスとしての色彩が強いものですが、伝統漁法の保護・継承のための御料鵜飼は、古津地区及び立花地区の両地区において宮内庁式部職鵜匠により、毎年8回(今年の日程は、6月17日、24日、7月9日、14日、22日、8月4日、20日、27日)行われています。このうち、このうち古津地区で行われる2回の漁は、駐日外国大使夫妻等を招待し、日本の伝統文化を紹介する場となっています。


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       日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

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  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
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