内藤陽介 Yosuke NAITO
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 桐生が日本選手初の9秒台
2017-09-10 Sun 10:02
 きのう(9日)、福井市で行われた日本学生対校選手権の陸上男子100メートルで、東洋大学の桐生祥秀選手が日本選手初の9秒台となる9秒98の日本新記録をマークしました。というわけで、、きょうは桐生選手を讃えて、ランナーを描く切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第3回アジア大会(ランナー)

 これは、1958年5月24日に発行された「第3回アジア競技大会」の記念切手のうち、ゴールテープを切るランナーを描く14円切手です。

 4年に1度開かれるアジア競技大会は、戦前の極東選手権競技大会と西アジア競技会が合併するかたちでスタートしました。

 このうち、前者は、1913年、“東洋オリンピック大会”の名の下にフィリピンで第1回の大会が開催されたのが最初で、以後、日本・中国・フィリピンの3ヶ国が持ち回りで主催者となり、1927年の第8回までは、2年ごとに開催されていました。その後は、オリンピックの中間年に行われることになり、第9回大会は1930年に東京で開催されました。なお、この大会からインドが参加国に加わったほか、1934年にマニラで開催された第10回大会からはオランダ領東インドも参加しています。しかし、日中戦争の影響で、1938年に予定されていた第11回大会は中止とされてしまいました。

 一方、西アジア競技大会は、第1回大会が、1934年にニューデリーで、インド、アフガニスタン、セイロン(現スリランカ)、パレスチナ(英委任統治領)の4ヶ国が参加して行われましたが、こちらも、1938年に予定されていた第2回大会は欧州情勢の緊迫に伴い、中止に追い込まれています。

 こうして、戦争の影響で中断されていたアジア諸国のスポーツ交流ですが、1948年、アジア競技連盟が結成され、1951年3月、戦前の両大会を統合して第1回アジア競技大会がニューデリーで開催されました。このときの参加国は、アフガニスタン、ビルマ(現ミャンマー)、インド、フィリピン、セイロン、インドネシア、ネパール、タイ、シンガポール、イラン、日本の11ヶ国で、日本が優勝しています。

 ついで、第2回大会は、1954年5月、マニラで開催され、このときも日本が優勝しました。

 そして、1958年の第3回大会は、アジア競技連盟、東京都、日本体育協会の共催により、5月24日から6月1日まで、東京・明治神宮外苑の国立競技場 で開催されました。

 大会の総裁は皇太子殿下(当時。今上陛下)で、参加国は、アフガニスタン、ビルマ、カンボジア、セイロン、台湾、香港、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、日本、韓国、マラヤ連邦(現マレーシア)、ネパール、北ボルネオ、パキスタン、フィリピン、シンガポール、タイ、南ベトナムの20ヶ国で、選手・役員2000名以上が参加しました。

 第3回アジア競技大会に関しては、過去の開催国であるインドとフィリピンが、それぞれ、大会開催時に記念切手を発行していることもあり、郵政省内では早くから記念切手の発行を視野に入れて準備を進めていたようです。

 実際、郵政審議会・郵便切手図案審査専門委員会(以下、図案審査専門委員会)の審議を経て、記念切手の発行が決定されたのは1957年12月20日のことでしたが、同月5-6日には、大会組織委員会の塚原十四一が記念切手発行の打合せを行うために郵政省を訪問。さらに、10日には、デザイナーの木村勝、久野実、渡辺三郎、長谷部日出男が国立競技場の建設現場を取材し、はやくも19日には4人で7枚の下図を作成しています。

 さて、図案審査専門委員会の審議を経て、記念切手の発行が正式に決定されると、1月7日、あらためて原画についての競技が行われました。

 その結果、①5円、10円、14円、24円の4種セットの構成とする、②取り上げる題材は、国立競技場、聖火ランナーと大会マーク、陸上競技、水上競技、とする、③記念名称は、日本語だけでなく、3RD ASIAN GAMESの英文も入れ、西暦、大会マークを入れる、④形は正方形とする、⑤料額以外の文字原稿は、統一をはかるため、一人が代表して書いたものを、製版の際に転写する、という切手制作の基本方針が決定されました。

 これを受けて、1月13日、郵政省は共同通信社からスポーツ記録写真を購入。さらに、翌14日には、大会組織委員会から、大会旗の写真を借り受けています。その際、組織委員会側は、大会旗のマークには“EVER ONWARD(限りなき前進)”との大会スローガンは入っていないが、正式の大会マークにはこれが入っているので、切手にもこれを入れてほしいと要望しています。

 こうして、1月22日、4点の原画が完成しました。この段階では、共同通信社の記録写真に忠実に、14円切手のランナーは女性選手で、24円切手のダイビングは男性選手のシルエットになっていましたが、郵務局長の板野学が男女の組み合わせを入れ替えるように指示したため、そのように修正され、2月4日、印刷局に回されました。

 切手の発行枚数は、5円ならびに10円切手が各3000万枚、14円ならびに24円切手が各1000万枚という、当時としては異例の規模でしたが、これだけの量の記念切手が、すべて、発行初日の5月24日までに、すべて、全国の郵便局に配給されたということではないようです。

 じつは、今回の記念切手は、4種ともにグラビア4色刷であったため、刷色の決定までに郵政省と印刷局との間で調整が難航し、最終的に正式な試刷が提出されたときには、発行日まであと半月ほどに迫った5月7日になっていました。

 このため、一部の地域では、発行初日の5月24日には当初の予定量のごく一部しか配給されないということもあったとの報告が残されています。とりわけ、関西地区では、極端な販売制限が行われたにもかかわらず、一時間以内で完売する局が続出。特に、同日の神戸地区では、今回の5円および10円切手の半分、1500万枚の発行であった“開国百年”の記念切手の半分以下しか新切手の配給がなされておらず、初日のうちに切手を入手できなかった収集家もかなりな数に上りました。

 結局、これらの地域に記念切手の配給が完了したのは、大会も後半になってからのことで、会期終了後の6月2日になると、大阪中央局では、発行初日の発売制限が嘘のように、積極的な販売活動が展開されました。

 このため、第3回アジア競技大会の記念切手は、大会終了後もかなりの長期間にわたって大量に売れ残っており、特に、今回ご紹介の14円切手に関しては、東京中央局の郵趣窓口では昭和50年代まで販売されていたとの報告もあります。

 なお、専門的には、今回ご紹介の切手のバックの赤色に関しては、スクリーンの角度にバラエティがあることが明らかになっています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★ 

 9月7日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第8回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、10月5日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、7日放送分につきましては、9月14日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

      タウンミーティング in 福山

  2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。
      
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 切手歳時記:国蝶論争
2017-06-17 Sat 09:16
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2017年6月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」は、今回はこの1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オオムラサキ(旧)

 日本の国蝶、オオムラサキの成虫は、年に1度、6-7月に発生します。1956年に発行の75円切手も、オオムラサキの季節に合わせ6月20日に発行されました。

 切手の発行当時の郵政省の説明では「国蝶としても恥ずかしくない風格を持ち」となっていましたが、実は、オオムラサキが正式に国蝶として決定されたのは、切手発行の翌年、1957年のことでした。

 もともと、国蝶の選定は日本政府によるものではなく、1933年、蝶類同好会のメンバーが集まった宴席での雑談で、“国蝶”を決めてはどうかという話題になったのが発端とされています。

 蝶類同好会は、“同好会”と銘打っていましたが、当時の日本の主な博物学者はほぼ全員が会員という本格的な組織で、九州帝国大学教授の江崎悌三が会長を務めていました。

 さて、件の宴席で、江崎は国蝶にはオオムラサキが相応しいと提案します。

 オオムラサキは日本で発見された蝶で、それゆえ、昆虫学者で近代養蚕学・製糸学を開拓した佐々木忠次郎にちなんで学名(属名)も“佐々木の~”を意味する“Sasakia”となっています。また、江崎は、佐々木門下の俊英として、日本の昆虫学を牽引した人物でした。

 宴席に居合わせた会員の多くは江崎の提案に賛同。後日、会報で会員に賛否を問うた上で、正式に国蝶を決定しようということでお開きになりました。

 ところが、江崎の提案が会報で報じられると、会員の結城次郎が真正面から異議を唱えます。

 結城は広島工業学校(現県立広島工業高校)の数学教師で、1936年6月21日、宮島でミヤジマトンボを発見し、その名を日本の昆虫(学)史に残すことになるのですが、江崎に論争を挑んだ1933年当時は無名のアマテュア研究家でした。

 結城は、国蝶の条件として、①日本全国に分布する、②小学校の教科書にも載っている、③飛び方が優雅である、という3点を挙げ、オオムラサキではなくナミアゲハこそが国蝶に相応しいと提案します。

 オオムラサキを国蝶にという江崎の提案の根拠がいまひとつ曖昧だったこともあり、以後、同好会はオオムラサキ派とナミアゲハ派に分れて激しい論争が巻き起こりました。論争は4年間も続き、最後は、会報上で相手陣営を罵倒しあうなど、殺伐たる雰囲気にりました。

 そこで、会員投票で決着させることになり、その結果、オオムラサキが78票を得て、2位のナミアゲハの35票を大きく引き離して1位となります。ところが、投票総数が過半数に達しなかったため、反オオムラサキ派は投票の無効を主張。そうこうしているうちに、本格的な戦争の時代が到来し、同好会は解散に追い込まれてしまいました。

 こうして、昆虫関係者の間で国蝶の話題がタブーとなっていたなかで、戦後の1954年、保育社から『原色日本蝶類図鑑』が刊行されます。同書の校閲は江崎が担当し、オオムラサキの項目には「国蝶として…」との文言がさりげなく付け加えられていました。

 今回ご紹介の75円切手の制作は、こうしたタイミングで行われたわけです。

 図案の制作を担当した久野実は、当初、天然記念物のミカドアゲハを取り上げるつもりだったようですが、蝶についての専門知識のなかったため、“蝶聖”との評判が高かった林慶に助言を求めます。

 その林は、戦前からの論争では、オオムラサキ派の急先鋒。林からすれば、久野が接触してきたのは、まさに「飛んで火にいる~」といったところだったでしょう。久野から相談を受けると切手の図案には“国蝶”のオオムラサキこそがふさわしいと力説しました。蝶に対する特段のこだわりがなかった久野も、林がそこまでいうのならと、オオムラサキの図案を制作し、“国蝶としても恥ずかしくない風格”の75円切手が世に出ることになりました。

 こうして、オオムラサキ派は、周到に“世論”を誘導し、郵政省の“お墨付き”も得たうえで、1957年の日本昆虫学会総会で、オオムラサキを国蝶とする緊急動議を抜き打ちで提出。これが通ったことで、オオムラサキは正式に国蝶としての地位を確立したのです。

 * 今回の記事の作成に際しては、主として、星野フサ「第21回談話会 国蝶オオムラサキ選定論争始末記(後援者:青山慎一 昆虫ボランティア)」(北海道大学総合博物館『ボランティア・ニュース』第23号:2011年12月 4頁)を参照しています。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 建国記念の日
2017-02-11 Sat 13:28
 きょう(11日)は、建国記念の日です。というわけで、例年どおり、建国神話にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

     天橋立

 これは、1960年7月15日に発行された日本三景切手の“天橋立”で、観光写真などで定番の成相山(西岸の江尻の後ろ側)の傘松公園から眺めた風景が取り上げられています。

 天橋立は、京都府の北部、若狭湾国定公園の一角にあり、1952年11月に国の特別名勝に指定されました。日本海に面する宮津湾の潮流と風によって運ばれた砂が積もって出来た砂嘴で、西岸の江尻から対岸の文殊まで、南西に2.2 km 突き出しています。

 『丹後国風土記』には、国産み神話の伊射奈芸命(イザナギ)は天に通うために天に通うための“椅(はしご)”として“天椅立(あまのはしだて)”をつくりましたが、命が眠っている間に椅が倒れ、現在の“天橋立”になったとの記述があります。また、『古事記』の国つくりの場面で、イザナギ・イザナミが立っている“天浮橋”は天橋立であるとする伝承もあります。

 なお、この切手は、当初の年間計画で7月の発行とされており、3月中には試刷もつくられ、4月1日に正式な刷色も決定されるなど順調に作業が進められていました。ところが、4月後半になって、突如、郵政省は8月1日に発行の予定であった足摺国定公園切手を7月15日に発行する代わりに、7月15日に発行の予定であった天橋立の発行は8月1日に変更すると発表。しかし、結局、5月に入ると、両切手の発行日は当初の予定通りとすることがあらためて発表されるなど、マネージメント面での混乱が見られました。

 さて、以前から繰り返し書いていることですが、天孫降臨神武東征などの建国神話は、それがそのまま歴史的事実であるとは考えられません。ただし、そういうレベルでいえば、『聖書』の記述にも歴史的事実としては認めがたい部分が多々あるわけで、欧米のキリスト教世界で(信じるか信じないかは別の問題として)『聖書』の物語をたしなみとして国民に教えているのであれば、わが国でも民族の物語=神話としての建国神話を日本人の大半が常識として共有しているのが本来の姿だと僕は思います。

 したがって、僕に言わせれば、歴史の授業ではなく、国語の授業でこそ、小学生のうちから徹底的に記紀神話を教え込むべきだと思うのですが、そういうことを言うと、左巻きの人たちは「戦前の皇国史観が大日本帝国の侵略戦争を支える役割を果たした」などと主張して反対するんでしょうな。困ったものです。


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 昭和基地60年
2017-01-29 Sun 11:19
 1957年1月29日、南極に昭和基地が開設されてから、きょうでちょうど60年です。というわけで、南極関連の日本切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      国際地球観測年

 これは、1957年7月1日に発行された“国際地球観測年”の記念切手で、観測年のマークと南極観測船“宗谷”、コウテイペンギンを組み合わせたデザインとなっています。

 気象、地磁気、電離層、宇宙線、経緯度、海洋、地震、重力などの諸現象について、期間を定めて、全世界の研究者たちが共同観測を行う極年(Polar Year)は、1882-83年に第1回が実施されました。

 その後、50年後の1932-33年には第2回の極年が行われましたが、科学の急速な進歩を考慮して、第3回目は間隔を短縮して25年後の1957年7月1日から翌1958年12月31日までの間に、“国際地球観測年(International Geophysical Year)”の名のもとに実施されることになりました。ちなみに、この国際地球観測年は、世界各国が協力して特定の事業を行う「国際年」の企画としては最初のものです。

 国際地球観測年の共同観測事業は、ブリュッセルの国際学術連合(ICSU) が国際地球観測年特別委員会(CSAGI)を設置して準備を進め、地球の中心を縦に割って東経10度付近、同110度付近、同140度付近、西経60-70度付近で、また、地球を横に割って北極、赤道、南極の7大地帯でそれぞれ行われました。

 このうち、東経140度付近地帯の中心国となったわが国では、日本学術会議の中に設けられた国際地球観測年研究連絡委員会が学術的な見地から、また、文部省測地学審議会の中に設けられた国際地球観測年特別委員会が関係各機関の行政実務を調整する立場から、それぞれ準備を進めることになりました。当初、日本は赤道観測を行う予定でしたが、予定地の領有権を持つ米国の許可が出ず、1955年2月、南極観測に切り替えています。

 このように、国際地球年の準備が進められていった過程で、1956年11月、内閣官房副長官と文部事務次官は、次年度の記念切手発行計画に関する郵政省からのヒヤリングに応えて、国際地球観測年と南極地球観測の2件を回答しました。

 日本人による本格的な南極観測は、1956年11月に東京港を出港した観測船“宗谷”が翌1957年1月25日に南極大陸に到着し、同月29日にオングル島に昭和基地を設営することでスタートします。

 回答を受けて、郵政省サイドでは、当初、地球観測年と南極観測を別の記念切手として発行することも検討しましたが、1957年1月24日に開催された郵政審議会専門委員打合会議の結果、記念切手の発行は国際地球観測年のみにしぼり、南極観測は切手の図案において表現するということで決着がはかられることになりました。

 切手発行の方針が決定されると、1957年4月9日、郵政省の担当者が文部省3階の南極地域観測統合推進本部を訪ね、宗谷やペンギンの写真などを資料として借用しようとしました。しかし、同本部にはマスコミ各社の閲覧希望者があとをたたず、郵政省が写真原簿を持ち出すことは不可能でした。

 このため、郵政省は同本部の紹介を得て、東京大学南極資料室から資料を借用。また、CSAGI本部で作成した観測年のマーク(地球と人工衛星を描いたものと、これに西暦や記念銘を添えて八角形の枠で囲んだものの二種類があった)については、南極観測隊長の永田武 を通じて、CSAGI本部に使用許諾を求める手続きがとられました。

 一方、切手の発行日としては、観測強化の世界デーにあたる7月4日も考慮されましたが、結局、観測年がスタートする7月1日が妥当ということになり、この日にあわせて作業が進められます。

 4月10日、記念切手はグラビア4色刷とする方針が決められ、久野実、渡辺三郎、長谷部日出男の3人のデザイナーが下図を作成します。これに対して、郵務局長・松井一郎は、オーロラとペンギン、宗谷、観測年のマークを組み合わせた渡辺の原画をもとに、オーロラをやめて観測年のマークを中心に、宗谷とペンギンを添えることを提案。この案に沿って再度、コウテイペンギンを大きく描いた原図が渡辺によって作成されました。その際、画面構成の都合から、観測年のマークは左上に寄せ、半分くらい欠けた形にトリミングして用いられています。

 こうして、5月6日、原画が完成し、印刷局での作業が開始されました。なお、切手の発行枚数は、当初の予定では500万枚となっていましたが、実際には600万枚に変更され、6月21日に記念切手の現品(見本字入り)と記念スタンプの印影を添えた報道資料がマスコミ各社に配布されました。

 切手の発行日には、東京・上野の日本学術会議講堂で、午前9時(グリニッジ標準時の午前0時00分にあたる)から国際地球観測年開始記念式典が行われ、セレモニーの一環として、郵政大臣署名入りの記念切手一シートが長谷川万吉(国際地球観測年研究連絡委員会委員長)に贈呈されています。


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 香港へ行ってきます!
2015-11-18 Wed 08:50
 私事で恐縮ですが、20日から香港・灣仔の香港會議展覧中心(コンベンションセンター)で開催されるアジア国際切手展<HONG KONG 2015>に参加するため、きょう(18日)の午後、成田から出国し、2010年以来、5年ぶりに香港に行ってきます。

 今回は、昨年(2014年)のソウル展で金賞を受賞した作品、“A History of Hong Kong”を出品しますので、その搬入・搬出とあわせて、コミッショナーの井上和幸さんのアシスタントとして、微力ながらお手伝いをしてきます。というわけで、無事に現地に到着できるようにとの願いを込めて、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      日本航空・香港宛FFC

 これは、1955年2月4日、東京(羽田)から香港宛に差し出された日本航空の初飛行カバーで、カシェには、日本と香港をイメージするイラストが描かれています。カバーの中には、当時の時刻表と運賃表が入っていましたので、ご参考までに下に画像を貼っておきましょう。直行便ではなく、沖縄を経由して翌朝到着というのが時代を感じさせますな。

      日本航空・香港宛FFC時刻表  日本航空・香港宛FFC料金表

 今回のフライトはJALではなくANAを利用するのですが、フライト時間は5時間(もちろん直行便)、チケットはネットで購入して約5万円でしたから、これを見ると、あらためて、60年前のチケットは当時の物価と比べてかなりの高額で、海外旅行が“高嶺の花”だったことが良くわかります。

 さて、帰国は23日午後の予定で、この間、ノートパソコンを持っていきますので、このブログも可能な限り更新していく予定です。ただし、なにぶんにも海外のことですので、無事、メール・ネット環境に接続できるかどうか、不安がないわけではありません。場合によっては、諸般の事情で、記事の更新が遅れたり、記事が書けなかったりする可能性もありますが、ご容赦ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

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 ラグビー日本代表が大金星
2015-09-20 Sun 11:43
 現在開催中のW杯イングランド大会で、19日(現地時間・日本時間では20日未明)、日本(世界ランキング13位)が、南アフリカ代表(同3位)を後半ロスタイムに逆転し、34-32で破る大金星を挙げました。日本のW杯での勝利は、1991年大会でのジンバブエ戦以来、24年ぶりだそうです。というわけで、きょうはラグビーの切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      第8回国体(ラグビー)

 これは、1953年に発行された第8回国民体育大会(国体)の記念切手の1枚で、日本切手の中では、ラグビーを取り上げた最初の切手です。

 1953年の第8回国体(秋季大会)は、10月22日から26日までの5日間にわたって、四国4県(愛媛・香川・高知・徳島)を会場として開催されました。参加選手は約2万人。全体の開・閉会式は四国最大の都市である松山市で行われています。ちなみに、今回ご紹介の切手に取り上げられたラグビーも、松山市で行われました。

 切手の図案は、1952年9月17日に行われた英国オックスフォード大学と早稲田大学との親善試合に際して朝日新聞社が撮影した写真のうち、前半34分、早稲田の青木選手がトライを決める直前の様子を撮影したものをベースに、周囲に3名の選手を配する構図の原画を渡辺三郎が作成しています。なお、試合は11-8でオックスフォード大学が勝利しました。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細は、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 鵜飼開き
2015-05-11 Mon 15:44
 きょう(11日)は、長良川の鵜飼開きの日です。というわけで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       鵜飼100円

 これは、1953年9月15日に発行された額面100円の普通切手で、長良川の鵜飼いが描かれています。

 毎年5月11日から 10月15日まで、中秋の名月の日を除き、岐阜県の長良川では、伝統漁法としての鵜飼漁が行われます。

 鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔の子と、此れ即ち阿太の養鵜部の始祖なり」との記述があり、律令時代には鵜飼人(鵜匠)が宮廷直属の官吏として漁をしていた記録があります。

 夜の水面にかがり火を焚き、鵜匠が見事な手縄さばきで鵜を操ってをとる漁法はきわめて非効率的ですが、その反面、獲れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるために鮮度を保つことができるという利点があるため、冷蔵輸送の技術がなかった時代には、鵜飼の鮎は献上品として珍重され、江戸時代には諸大名の保護の下、各地で鵜飼漁が行われていました。

 長良川の鵜飼漁は尾張徳川家の保護の下で行われていましたが、明治維新により保護を受けることができなくなったため、一時は、消滅の危機に瀕します。しかし、岐阜県知事の要請により、1890年、稲葉郡長良村古津その他武儀郡、郡上郡の各村で延長1471間が宮内省の鮎漁の御猟場に編入され、鵜匠には宮内省職員の身分が与えられ、鵜飼漁が継続されることになりました。

 現在の鵜飼漁は、主として観光客を対象としたパフォーマンスとしての色彩が強いものですが、伝統漁法の保護・継承のための御料鵜飼は、古津地区及び立花地区の両地区において宮内庁式部職鵜匠により、毎年8回(今年の日程は、6月17日、24日、7月9日、14日、22日、8月4日、20日、27日)行われています。このうち、このうち古津地区で行われる2回の漁は、駐日外国大使夫妻等を招待し、日本の伝統文化を紹介する場となっています。


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       日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

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  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
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 産業革命施設、世界遺産登録へ
2015-05-04 Mon 22:19
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関は、きょう(4日)、幕末から明治にかけての重工業施設を中心とした「明治日本の産業革命遺産」(福岡、長崎、静岡、岩手など8県の23施設)を、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録するよう勧告しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         製鉄百年

 これは、1957年12月1日に発行された「製鉄百年」の記念切手で、わが国が世界文化遺産への登録を申請していた「明治日本の産業革命遺産」のうち、岩手県の橋野高炉跡の見取図より再現した高炉の図が右下に描かれています。

 古来、わが国では砂鉄を利用した“たたら製鉄”が行われていました。この製法では、日本刀に見られるようにきわめて純度の高い鉄を得ることもできる反面、大型の製品をつくるのには適さず、それゆえ、江戸時代までの日本の鉄製品は武具や農具など、小規模なものにほぼ限定されていました。

 これに対して、19世紀も半ばになると、アヘン戦争黒船来航など国際的脅威が高まる中で、鍋島藩、薩摩藩、水戸藩などでは反射炉が建設され、国防のための大砲や砲弾が製造されるようになったほか、幕府も江川太郎左衛門の建議を入れて伊豆韮山に反射炉を築きます。

 こうした状況の中で、南部藩出身の医師・蘭学者であった大島高任は、オランダの製鉄技術書『西洋鉄熕鋳造篇』を翻訳した経験を活かし、水戸藩の徳川斉昭の下で那珂湊の反射炉築造と大砲鋳造に関っていました。しかし、従来のように砂鉄を原料としていては、良質の大砲を鋳造することが不可能であることを痛感します。このため、故郷・釜石の鉄鉱石に注目した彼は、水戸藩の反射炉への銑鉄供給を目的として、釜石郊外の大橋に西洋式溶鉱炉を建設し、1858年1月15日(安政4年12月1日)、鉄鉱石精錬による出銑操業に成功をおさめました。これが日本における洋式製鉄の始まりです。なお、日本の鉄鋼業界では、このときの旧暦の日付にちなんで、12月1日を「鉄の記念日」に指定しています。

 この大橋高炉に続き、大島の指導により、釜石地区には橋野・佐比内・栗林・砂小渡に10の高炉が建設され、その後の“鉄の町”の基礎が築かれました。

 その後、大島の建設した高炉は、技術革新に伴い、1880年には閉鎖されてしまいますが、そのうちの橋野高炉跡は、発掘調査の後に、今回ご紹介の切手が発行された1957年、鉄産業の文化遺産として国の史跡に指定されています。

 さて、1956年秋、釜石郵趣会の会長で、富士製鉄(現・新日鐵住金)の釜石製鉄所に勤務していた島田健造は「大島高任洋式高炉建設百年記念切手展」を開催し、上述のような日本の近代製鉄の発祥から百年の節目として、1957年に記念切手をすることを提案しました。これが、今回のご紹介の切手発行の発端となります。

 もっとも、1956年の時点では、島田の主張は必ずしも周囲の賛同が得られたわけではなく、記念切手の発行は実現困難なものと考えられていました。

 ところが、1957年6月中旬になって、製鉄百年の記念イベントの一環として、鉄鋼業界として記念切手の発行を申請することが急浮上。島田の勤務先である富士製鉄の担当課長が島田に対して、郵政省への申請を前に、①申請手続きはどのようにしたらよいのか、②切手発行の費用負担はどの程度か、③切手のデザイン料はいくらか、④発行枚数はどのくらいか、⑤切手は全国発売してもらえるのか、などと質問しています。この質問内容を見るかぎり、富士製鉄側は、当初、記念切手の発行を会社が費用負担をして発行する宣伝ラベルのようなものと考えていたようです。もちろん、島田は、記念切手と宣伝ラベルの違いを縷縷説明して、会社側が切手の制作費用を負担することは、本来、ありえないことを強調しています。

 こうした社内での打合せを経て、6月24日、富士製鉄本社が郵政省に接触。10月15日に予定されていた“溶鉱炉百年”(本来の記念日は12月1日ですが、釜石の気候を考慮して記念祭はこの日程となった)にあわせて記念切手の発行が可能か郵政省に問い合わせています。

 こうして、本社側が記念切手の発行に向けて動き出したのを見て、島田は、地元での根回しを開始。6月26日、岩手県知事・阿部千一、釜石市長・鈴木東民、釜石郵便局長・梁川豁郎、東北郵趣連盟会長・渡辺市次、釜石郵趣会長・島田健造、日鉄鉱業株式会社釜石鉱業所長・今井史郎、富士製鉄株式会社釜石製鉄所長・佐山励一の連名で、郵政大臣(田中角栄)宛の“洋式製鉄百年記念”の切手発行方請願書を作成。請願書の文案は島田が起草したもので、当初、切手の名称は“高炉出銑(高炉から銑鉄が供給されること)百年記念”となっていましたが、これは一般には分りにくいとの理由から、提出の際には上記のように改められています。また、“洋式”の文字がつけられているのは、日本古来のたたら製鉄法と区別するためであったと島田は説明しています。

 この請願書を添えて、7月1日、仙台郵政局長・板野学は郵務局長・松井一郎宛に切手発行申請の公文書を提出。こうして、記念切手の発行は順調に進んでいくかのように思われました。

 しかし、富士製鉄では社長の永野重雄 が切手発行の障害となり、なかなか、郵政省に対する申請が行われませんでした。すなわち、切手発行に際しては応分の費用負担を求められるはずだと信じて疑わない永野は、「最近の鉄鋼界の見通しは下り坂である。その折柄、各メーカーに迷惑のかゝる様な、負担はかけたくない」として、記念切手発行の申請を取り下げることを決定。本社として、日本鉄鋼連盟に記念切手の件を持ち出すことは、事実上、できなくなってしまっていたのです。
 
 7月8日に上京してこのことを知った島田は直ちに行動を開始。12日に単身、鉄鋼連盟に乗り込み、富士製鉄の従業員としてではなく、郵趣関係者の代表として、記念切手発行の意義を調査局長に対して力説。連盟として記念切手発行を支持してほしいと懇請しました。その熱意に打たれた連盟側は、記念切手の件は、7月15日の運営委員会で富士製鉄側の議題に追加して、代表者が説明の上、協議決定されれば、事務方としてはただちに文書を起案し、郵政大臣宛の申請書を提出すると島田に対して約束しています。

 こうした連盟側の対応に自信を得た島田は、そのまま富士製鉄の本社に直行。総務部復調に経過を報告した上で、以下のように主張します。

 是非何とかもう一度社の方針を変更して貰う様社長に相談して欲しい、そして来る15日の鉄連(日本鉄鋼連盟)運営委員会に議題を追加して貰い、当日席上で富士鉄(富士製鉄)代表より、各メーカーに対し、製鉄百年の意義を良く説明し、併せて実質的には鉄連傘下の各社に対して負担のかゝらぬ方法で計画を進めたいから、是非鉄連も主催者の一員となつて、記念切手発行方の申請書を郵政大臣宛提出願いたい。と云う趣旨の発言をされる様取計つて頂きたい

 島田の気迫に押された総務の担当者は、とりあえず、その場で社長に相談することを約束します。ただし、島田の説明が終わった時には、すでに夕刻を廻っており、社長の永野も不在となっていました。このため、島田は後の処理を本社の担当者に任せて夜行列車で釜石へと戻りました。

 島田の必死の説得は結果的に永野の誤解を氷解させることとなり、その後、富士製鉄の社内では島田の望む方向にことが進んでいきます。そして、問題の15日の連盟運営委員会では、永野みずからが出席して、島田の振り付けどおりに説明。連盟として、郵政大臣宛の申請書を提出する件は満場一致で採択され、19日には、日本鉄鋼連盟会長・小島新一の名義による郵政大臣宛の申請書が提出されました。

 これと併行して、連盟は、通産省に対しても、郵政省へ切手発行の申請書を出してもらうよう依頼しています。こちらは、省内の手続きにやや時間がかかり、通産事務次官名の郵政事務次官宛の申請書が届けられたのは、7月25日のことでした。

 こうして、8月7日までに郵政サイドも調査をおおむね終了し、記念式典の行われる10月15日ではなく、本来の“鉄の記念日”にあたる12月1日に800万枚の記念切手を発行する方針が省内で決定されます。なお、切手発行に関する事務方からの文書伺に対する郵政大臣の決裁が下り、記念切手の発行が正式に決定されたのは、8月13日のことでした。

 上記のような事務的な手続きと併行して、8月8日からは原画の制作も開始されます。

 下図を制作したのは、郵政省のデザイナーだった久野実と吉田豊の2人で、8月21日、新旧の溶鉱炉を並べた吉田の作品を修正して切手とすることになりました。管理課長の竹下記一が吉田に対して指摘した修正のポイントは、①旧高炉を囲む円形を取り除く、②旧高炉は全体の4割程度の面積の中に拡大する、③旧高炉を描く端の部分は紙が丸まった形とする、④新高炉は全体の6割程度の面積の中に収める、といった内容で、これらは実際の切手ではほぼそのまま活かされています。

 また、切手上の記念銘については、当初の地元からの申請では“洋式製鉄百年”となっていましたが、“洋式”は自明のこととして切手上からは削除され、単に“製鉄百年”とすることが決定されました。

 なお、切手上に取り上げられている旧高炉は古文書の見取図を模写したもので、新高炉は富士製鉄広畑製鉄所(現・新日鐵住金広畑製鐵所。兵庫県姫路市)の第1・第2溶鉱炉です。このうち、広畑製鉄所の第2溶鉱炉は、1957年5月10日、日産1567トンの最高出銑記録を樹立しており、当時の日本最大の溶鉱炉として知られていました。

 こうして、8月30日に完成した原画は、微修正を経て9月9日に決裁となり、印刷局に渡されます。

 当初の予定では、郵政サイドは、今回の切手は溶鉱炉を凹版で印刷し、バックをグラビアで印刷することを希望していましたが、技術的・時間的に不可能とのことで、最終的にはグラビア2色刷に変更されています。

 その後、9月20日になって原画写真を添えた報道資料が発表され(なお、切手発行に奔走していた島田が切手発行の決定を正式に郵政省から通知されたのも、同日だったそうです)、試刷の回校などの手順を経て、12月1日、無事、記念切手は発行され、一年以上に及んだ島田の努力はようやく陽の目を見ることになりました。


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 切手歳時記:松間の桜と艶ほくろ
2015-04-13 Mon 10:39
 ご報告が遅くなりましたが、公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』4月号ができあがりました。僕の連載「切手歳時記」では、今回は桜の時季ということで、この切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       ビードロ・ホクロつき   ビードロ・ホクロの図

 これは、1955年の切手趣味週間に発行された「ビードロを吹く娘」のうち、娘のあごの位置にほくろがあるように見える定常変種がある“ホクロつき”の1枚です。わかりにくいかもしれませんので、隣には『日本切手専門カタログ』の図を載せておきます。ちなみに、人相占いによれば、この位置にあるほくろは“艶ほくろ”といって、料理上手で床上手の相だとされていますので、歌麿の美人画を題材にした切手にしては、なんとも出来すぎの定常変種ですな。

 ところで、歌麿に限らず、江戸の絵師たちは春画の類も数多く残していますが、その方面でも、歌麿の先達となったのが西川祐信でした。歌麿が生まれたのは1753年で、祐信はその3年前、1750年に亡くなっていますので、2人が直接出会うことはなかったのですが、その祐信の手になる春本『風流御長枕』には「十三四のむすめこそ 松間のさくら咲そめて色香はしる人ぞしるや」との詞書のついた春画もあります。

 生前、“絵の名人”とも“浮世絵の聖手”とも称された祐信のことは、おそらく、歌麿もかなり意識していたはずで、『風流御長枕』も見ていたのではないかと思われます。というのも、今回ご紹介の「ビードロを吹く娘」は、まさに、祐信の詞書をそのままモチーフにしたような作品だからです。

 まず、歌麿の絵で娘が着ている振袖は紅色の市松模様です。

 市松模様は2色のタイルを交互に並べたようなデザインで、日本古来の文様として、もともとは“石畳”と呼ばれていました。ところが、1741年、歌舞伎の初代佐野川市松が「心中万年草」の主人公・粂之介を演じた際、紺と白の“石畳”の衣装を着用して評判となり、以来、彼の名を取って市松模様と呼ばれるようになったとの由来があります。

 「ビードロを吹く娘」についての解説などでは、時々、「娘の振袖の市松模様は当時の最新流行で…」と説明しているものを見かけますが、このような時系列を考えると、むしろ、市松模様そのものではなく、そこに桜花を散らした意匠こそが当時の流行だったというのが正確でしょう。また、この場合、格子の柄を“市松”と呼んでしまうと、“石畳”の上に桜花が舞い降りてきたというモチーフが理解しづらくなってしまいます。

 さらに、見逃せないのは、彼女の締めている帯が、松皮菱の小紋柄になっている点です。

 松皮菱は、大きな菱形の上下に小さな菱形を重ねた模様で、松の樹皮の割れ目に似ていることからこの名がつきました。したがって、彼女の装束の組み合わせは、松の間から桜舞い散る石畳を眺める景色となっており、振袖からイメージされる年のころとあわせて、まさに、祐信の詞書「松間のさくら咲そめて」とぴったり重なっています。

 絵の中の娘は、無邪気にガラス細工のビードロで遊んでいて、いかにも「幼くていまだ恋を知らず」といった風情ですが、祐信の詞書にある十三・四といえば、性に目覚める時期でもあります。その身の蕾がほころび、彼女の艶ほくろを実感する男が現れたのも、そう遠い先のことではなかったのではないかと思います。

 なお、「ビードロを吹く娘」の艶ほくろについては、拙著『日の本切手 美女かるた』でも1項目を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


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 切手で訪ねるふるさとの旅:東北
2014-11-30 Sun 08:49
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『(郵便局を旅する地域活性マガジン)散歩人』第30号(2014年11月号)ができあがりました。同誌に掲載の僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」では、今回は、東北・上越新幹線ゆかりの各県から一つずつ題材を選ぶという構成ですが、そのなかから、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      金色堂・20円

 これは、1954年1月20日に発行された中尊寺金色堂を描く20円の普通切手です。

 金色堂は、奥州藤原氏初代の藤原清衡が1124年に建立しました。堂の内外に金箔を押してある“皆金色”の阿弥陀堂(ただし、屋根の部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)で、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例として国宝に指定されています。堂内は4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、螺鈿、透かし彫りの金具、漆の蒔絵など、平安時代後期の工芸技術を結集した装飾が施されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品となっています。

 今回の記事では、金色堂のほか、青函トンネル松島相馬野馬追、佐渡おけさを取り上げました。掲載誌の『散歩人』は各地の郵便局などで入手が可能ですので、御近所でお見かけになりましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。

 なお、雑誌『散歩人』は、現在発売中の第30号をもって休刊となります。これに伴い、第7号(2011年1月号)以来お付き合いいただいていた僕の連載「切手で訪ねるふるさとの旅」も今回が最終回となりました。いままでご愛読いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(12月は都合によりお休みです)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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