内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ドミニカ共和国独立記念日
2014-02-27 Thu 21:36
 きょう(27日)は、1844年2月27日にドミニカ共和国がハイチから独立したことにちなみ、ドミニカ共和国の独立記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックでっ拡大されます)

       ドミニカ共和国・地図(1930)

 これは、1930年にドミニカ共和国で発行された航空切手で、イスパニョーラ島内におけるドミニカ共和国とハイチの地理的な関係が示されています。

 カリブ海のイスパニューラ島は、1697年のライスワイク条約により、島の西側3分の1が仏領サン・ドマングに、残りの東側3分の2がスペイン領サント・ドミンゴとなりました。

 このうち、仏領サン・ドマングでは、フランス革命に乗じて1791年に黒人やムラート勢力が決起してハイチ革命を起こし、英国の支援を得て、1804年にハイチ共和国として独立を宣言しました。しかし、独立に際して、フランスは放棄したプランテーションなどの賠償金を払うようハイチに強要し、その負担はハイチの国家建設を大きく圧迫していました。

 一方、スペイン領サント・ドミンゴは、1795年のバーゼルの和約によりフランスに割譲されましたが、隣接する仏領サン・ドマングでの革命の影響で社会的に混乱し、ナポレオン戦争後の1814年にスペイン支配が復活したときには、すっかり荒廃していました。その後、副総督のホセ・ムニョスが“スパニッシュ・ハイチ”の独立を宣言しましたが、混乱に乗じてハイチが軍事侵攻。旧スペイン領はハイチに併合され、イスパニョーラ島全島がハイチの支配下に置かれました。

 フランスへの賠償金の支払いに悩んでいたハイチは、新たに獲得した旧スペイン領で重税を課すなどしたため、旧スペイン領の住民は反発。1838年にホアン・パブロ・ドゥアルテを中心に結成された秘密結社ラ・トリニタリアにより反ハイチ闘争が展開され、1844年2月27日、ドミニカ共和国として独立を達成しました。

 しかし、その後もハイチとドミニカ共和国の武力衝突は断続的に繰り返されたため、その負担に耐えられなくなったドミニカ共和国政府は、1861年、スペインへの再併合を申し入れ、再びスペイン領となります。しかし、これにはドミニカ共和国の国民の間にも反発が強く、独立戦争を経て、1865年、ドミニカ共和国は再独立を果たしました。ただし、ドミニカ共和国にとって、ハイチの脅威が減じられたわけではなかったため、今度は米国への併合派が台頭。1875年にハイチとドミニカ共和国の間で平和条約が結ばれるまで、ドミニカ共和国の国内でも独立の是非をめぐっては議論が続きました。

 こうした経緯もあって、ドミニカ共和国とハイチの関係は緊張状態が続き、1900年には、ドミニカ共和国の発行した地図の切手に、本来、ハイチ領であるはずのヒンチャとその周辺がドミニカ共和国領として描かれていたことが原因となって、両国の間に武力紛争が発生しています。

 1906年、ドミニカ共和国は、米国が50年にわたりドミニカ共和国の関税徴収を行う代わりに債務返済の保証をするという提案を受け入れ、事実上の米国の保護領となります。一方、ハイチでも、対仏賠償や各国への債務返済が滞り、財政難と混乱が続いていました。こうした中で、第一次世界大戦が勃発すると、混乱に乗じてドイツがイスパニョーラ島を占領する懸念が生じたため、米軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して全島を占領。両国は米軍支配下で債務を返済し、国家建設を進めることになります。

 米軍は1924年にドミニカ共和国から撤退しますが、米軍の支配下で両国の和解が促進されたこともあり、1929年、ドミニカ共和国とハイチの間で国境についての合意が成立。それを踏まえて、今回ご紹介の航空切手が発行されました。なお、現在のドミニカ共和国とハイチの国境は、1929年の合意を元に、1935年2月27日に補足事項をくわえて、最終的に確定されたものです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ただし、ハイチは加盟国ですが、ドミニカ共和国は加盟していません)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

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 節電しませう③
2011-03-18 Fri 16:28
 きのう(17日)は、東京電力管内で夕方から予測不能な大規模停電発生の恐れがあると指摘されていましたが、なんとか回避されました。しかし、きょうも、3400万キロワットの供給能力に対して、夕方の予想需要は4000万キロワットとなっており、予測不能な停電が発生する可能性は否定できません。というわけで、きょうは“節電”切手の第3弾です。

        ドミニカ共和国・節電

 これは、1979年にドミニカ共和国で発行された省エネキャンペーンの切手です。

 切手は、コンセントからプラグを抜く絵が大きく描かれていますが、コンセントからは黒い滴が出ています。おそらく、待機電力を減らして節電すれば、結果として、石油の消費を抑えられるという意図が込められているのでしょう。

 きょうは、夕方の電力消費のピークが来る前に、僕もブログの更新を終わらせてパソコンの電源を切り、スキャナーなどとあわせてコンセントから抜くことにします。

 ところで、テレビではCMスポンサーの放送自粛が相次ぎ、その枠に公共広告機構のCMが流れていますが、いっそのこと、自分が提供している番組の時間帯は、金はきちんと払うから、放送そのものを中止したいというスポンサーが出てきませんかねぇ。たとえば「この時間帯は提供スポンサーの(株)XX、OO食品、△△の御意向により、節電のため通常の放送を中止しております」という文字のみを1時間流したら、妙なCMを流すよりもはるかに、その企業に対する好感度が上がると思うんですが、いかがでしょうかねぇ。


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 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <China 2011> の作品募集要項が発表になりました。くわしくはこちらをご覧ください。


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 ドミニカ共和国の笹原
2006-07-29 Sat 01:01
 カリブ海に浮かぶドミニカ共和国に日本人が移住してから今日(7月29日)で50周年になるのだそうです。というわけで、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

ドミニカ共和国の笹原切手

 この切手は、1958年にドミニカ共和国が発行したオリンピックのメダリストの切手の1枚で、レスリングの笹原正三が取り上げられています。

 笹原は山形県の出身で、1954年に東京で開催された世界選手権で優勝。その後も翌1955年のワルシャワ国際大会、1956年のワールドカップと優勝を重ね、1956年のメルボルン五輪で金メダルを獲得。得意技の“またさき”で世界にその名をとどろかせました。

 オリンピック・メダリストシリーズは、ドミニカ共和国が海外の収集家の需要を見込んで外貨獲得のために発行した切手で、日本人アスリートが取り上げられた最初の外国切手となりました。

 もっとも、当時のドミニカ共和国側の思惑ではジャパン・マネーをあてにしていたというよりも、より広く世界のオリンピック・コレクターをあてにしていたと考えるのが適切なようにも思われます。“所得倍増”がある程度達せられた1964年の東京オリンピックの時でさえ、諸外国で発行された東京オリンピック関連の記念切手は“日本”よりも“オリンピック”を強調するモノのほうが多かったぐらいですから、1950年代の時点では、ジャパン・マネーの力は、ほとんど期待されていなかったと考えるのが自然でしょう。

 ちなみに、日本を題材としたジャポニカ切手が、本格的に、日本人コレクターの懐を狙うようになってくるのは1960年代後半以降のことで、1970年の大阪万博を機に、そうした風潮が一挙に爆発していくことになります。この辺の事情については、拙著『外国切手に描かれた日本』でも解説していますので、ご興味をお持ちの方はご一読いただけると幸いです。

 ところで、『外国切手に描かれた日本』でこの切手を取り上げたときには、単に外貨稼ぎのための切手としか考えていなかったのですが、この時期に日本人メダリストの切手が発行されている背景には、単にそれだけではない事情があるような気がします。

 すなわち、1956年から始まったドミニカ共和国への日本人移民は、もともと、ドミニカ側にしてみれば、隣国ハイチとの国境地帯に、一種の屯田兵的な性格の入植者を集めようという意図の下に始められたものでした。一方、当時の日本政府は、戦後のベビーブームで過剰人口に悩んでおり、国策として海外への移住を奨励していました。この両者の思惑が合致して、日本政府の斡旋により、厳しい選考をクリアした優秀で資金的にも豊かな農民たちが、大規模農業を夢見てドミニカ共和国に渡っていったのです。

 日本政府が示した募集要項には、ドミニカ共和国があたかも“地上の楽園”であるかのごとく謳われていましたが、実際に入植した日本人には約束された分の土地を与えられず、また、与えられた土地も塩だらけ石だらけで耕作に適さず、彼らは苦難の生活を強いられました。(そういえば、北朝鮮への“帰国事業”も似たような状況でしたっけ)

 当然、日本人移民たちは、詐欺まがいの宣伝文句を繰り返してきた日本政府に対して抗議したものの、外務省は全く取り合わず、1961年の政変後も帰国できなかった移民たちは、文字通りの“棄民”として扱われてきました。これに対して、つい最近になってようやく、小泉首相が日本政府として“おわび”を表明したことは記憶に新しいところです。

 こうした事情を考えると、移民問題が表面化しつつあった1958年の時点で、ドミニカ共和国が数多いるオリンピック金メダリストの中から、あえて笹原を選んで切手に取り上げたのは、外貨の獲得ということもさることながら、日本人選手を顕彰する切手を発行することで自国に対する日本のイメージを向上させようとしたという政治的配慮も含まれていたのではないかと思われてなりません。

 2003年に『外国切手に描かれた日本』を出したとき、当初の企画では南米の日系移民のこともいろいろと取り上げる予定だったのですが、時間切れでできませんでした。いつの日か、同書の改訂版を出せる日がきたら、今度は、そうした話題についてもきちんと触れてみたいと思っています。

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 戦争の元になった切手
2006-02-27 Mon 23:27
 今日(2月27日)は、1844年に中米のドミニカ共和国が隣国のハイチから独立した記念日だそうです。というわけで、3月8日付で刊行予定の拙著『これが戦争だ! 切手で読み解く』で取り上げたもののなかから、こんなドミニカ切手をご紹介したいと思います。

ドミニカの地図切手

 この切手は、1900年に発行されたもので、イスパニョラ島の地図が描かれています。なお、現在、この島は東側の3分の2をドミニカが、西側3分の1をハイチが、それぞれ領有しています。

 さて、ハイチからドミニカが独立したという経緯もあって、両国の政府レベルでの関係はあまりよくありません。特に、ハイチのあまりにも過酷な生活を逃れて、ドミニカ側に流入する農民(ドミニカの生活1トンのサトウキビ刈り入れに対して2ドルの賃金というレベルですから、決して楽な生活ではないのですが)が後を絶たず、ハイチにしてみればドミニカは気に入らない存在です。

 さて、仲の悪い隣国同士といえば、領土問題を抱えているのが常なわけで、ドミニカとハイチも例外ではありません。で、ハイチ側がこの切手に対して「ドミニカの主張は認められない!」と騒ぎ出し、両国はこれをきっかけに本格的な戦争に突入してしまいました。

 まぁ、切手が戦争の引き金になった例というのはあまりないのですが、竹島切手の例を持ち出すまでもなく、領土問題を抱えている国が切手をもメディアとして活用し、自国の主張を内外に強くアピールしようとするのは、いまも昔も変わりません。

 3月8日に刊行予定の『これが戦争だ! 切手で読み解く』(まだ、この本単独のページはできてないみたいです)の1章では、「この土地はわれわれのものだ!」と題して、今回の切手を含め、領土問題に関するさまざまなプロパガンダ切手をご紹介しています。早ければ、週末には一部書店の店頭に並ぶかとも思われますので、見かけた方は、是非お手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 明日付の日記では、おそらく、表紙の画像をお見せできるかと思います。
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