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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 エビータ生誕100年
2019-05-07 Tue 01:24
 1919年5月7日に、エビータことエバ・ペロンが生まれて、きょうでちょうど100周年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      エビータ没後60年

 これは、2012年にアルゼンチンが発行した“エビータ没後60周年記念”の切手シートで、切手部分にはラジオで国民に訴えるエビータが、シート下部の余白には人々に囲まれるエビータが取り上げられています。

 マリア・エバ・ドゥアルテは、1919年5月7日、アルゼンチンの貧しい農村、ロス・トルドスで生まれました。

 15歳で家出をしてブエノス・アイレスに出た彼女は、“女性”を武器に、職を転々としながらステップアップを重ね、次第にラジオ・ドラマの声優や映画女優として活動するようになります。

 1943年、陸軍次官のフアン・ドミンゴ・ペロン大佐と出会い、恋愛関係となった彼女は、ペロンの庇護を受けつつ、自分のラジオ番組でペロンの民衆向け政治宣伝を行い、次第に、政治にかかわっていきました。

 1943年10月、ペロンは国家労働局次長に就任。労働局が労働福祉庁に改組されるとペロンは同庁初代長官に任命され、労働法の制定や国家主導の労使協調政策を進める一方、共産党系の労働運動は厳しく弾圧するなど、労働政策に辣腕をふるいます。そして、1944年のクーデターによりエデルミロ・ファーレルが大統領に就任すると、ペロンは陸軍大臣と副大統領に任じられました。

 第二次大戦中のアルゼンチンは枢軸国寄りの中立の立場を取っており、ペロンがその中軸を担っていました。このため、米国は大使召還や経済制裁の発動などで揺さぶりをかけたものの、ペロンは屈しませんでした。この結果、ペロンは外圧に抵抗する国家主義者として国民の人気を集め、彼の主義主張は“ペロン主義”と呼ばれ、その支持者は“ペロニスタ(ペロン主義者)”と呼ばれるようになります。

 大戦の終結後まもない1945年10月、米国の支援を受けたエドゥアルド・アバロスによる軍事クーデターが発生。ペロンは軍事裁判で有罪判決を受けて収監されます。これに対して、ペロン支持の労働組合はこれに抗議してゼネストを決行。さらに、大統領府前の五月広場にはペロンの釈放を求めて労働者が大挙押し寄せ、エビータもラジオでペロンの釈放を訴えたことなどにより、クーデターは数日間で失敗しました。そして、10月21日に釈放されたペロンは、同月26日にエビータと結婚し、翌1946年の大統領選挙で当選を果たしました。

 大統領夫人となったエビータは、夫の支持を受けて、与党・正義党への支持を拡大すべく、党の婦人部門を組織したうえで女性参政権の導入に尽力します。また、慈善団体エバ・ペロン財団を設立し、ミシン、毛布、食糧の配布など、貧困者の優遇政策に務め、労働者階級の絶大な支持を受けました。

 ただし、選挙を経ず、また、正規の閣僚にも任命されたわけでもない“大統領夫人”が政治に関与していたことに批判的な国民が少なからずいたことも事実です。当時、ブエノスアイレス大学医学部の学生だったエルネスト・ゲバラもまた、その一人でした。

 エビータの人気に期待をかけたペロンは、1951年、彼女に副大統領の地位を与えようとしましたが、その直後、彼女が子宮ガンに侵されていることが判明して断念。1952年7月26日、33歳の若さで亡くなりました。

 ブエノス・アイレスで行われた彼女の葬儀には数十万の市民が参列。現在でもアルゼンチン国民の間では彼女の人気は高く、その波乱の生涯を題材としたミュージカル『エビータ』は世界的な大ヒットとなり、1996年にマドンナの主演で制作された同名の映画も世界中で高い評価を受けたのは周知のとおりです。

 なお、エビータとその時代のアルゼンチンについては、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも、若きゲバラの歴史的背景の一部として相応のページを割いてご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


★★ 5月10日(金) 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★★

 5月10日(金)05:00~  文化放送で放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 今さら聞けないチェ・ゲバラ ★★

   今さら聞けない

 5月12日(日) 21:00~  『チェ・ゲバラとキューバ革命』の著者、内藤陽介が、Schooに登場し、ゲバラについてお話しします。(ライブ配信は無料でご視聴頂けます)

 誰もが一度は見たことがある、彼の肖像。
 革命家である彼は、どんな生涯を送ったのでしょうか。
 切手や郵便物から彼の足跡を辿ります。

 詳細はこちらをご覧ください。

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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 クリスマス・イヴ
2018-12-24 Mon 05:38
 今夜はクリスマス・イヴです。というわけで、クリスマス関連の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・クリスマス(2016)

 これは、2016年12月13日にアルゼンチンが発行したクリスマス切手で、ノラ・ボルヘスの「天使」が取り上げられています。

 女流画家で批評家のノラ・ボルヘスは、1901年、ブエノスアイレスで、イタリア系ユダヤ人の血を引く父親と、ウルグアイの旧家出身で敬虔なカトリック信徒の母親の間に生まれました。兄は、現代ラテンアメリカ文学を代表する作家の1人、ホルヘ・ルイス・ボルヘスです。

 1914年、一家は、父親の眼病治療とノラの進学のためスイスにわたります。彼女は現地の美術学校で学び、前衛芸術活動のウルトライスモにも参加しました。

 1921年に家族とともに帰国し、画家としての活動を本格的に開始。第二次大戦中は、女性芸術家の反ファシスト団体“勝利の会”に参加します。

 ところで、第二次欧州大戦勃発後、1941年までイタリア駐在武官を務め、1943年5月に陸軍次官に昇進したフアン・ドミンゴ・ペロンは、同年10月、国家労働局次長に就任。さらに、労働局が労働福祉庁に改組されるとペロンは同庁初代長官に任命され、労働法の制定や国家主導の労使協調政策を進める一方、共産党系の労働運動は厳しく弾圧するなど、労働政策に辣腕をふるいます。さらに、1944年、軍事クーデターでエデルミロ・ファーレルが大統領に就任すると、ペロンは陸軍大臣と副大統領に任じられました。

 第二次大戦中のアルゼンチンは枢軸国寄りの中立の立場を取っており、ペロンはその中軸を担っていました。このため、米国は大使召還や経済制裁の発動などで揺さぶりをかけたものの、ペロンは屈しませんでした。ドイツの敗戦が確実になった1945年3月27日、ようやく、アルゼンチンは枢軸国に宣戦を布告しましたが、これは、戦後、“連合国”としての立場を確保し、新たに発足する国際連合に原加盟国として参加するための方便です。この結果、ペロンは外圧に抵抗する国家主義者として国民の人気を集め、彼の主義主張は“ペロン主義”と呼ばれ、“ペロニスタ(ペロン主義者)”と呼ばれる熱心な支持者を集めるようになります。

 大戦の終結後まもない1945年10月、米国の支援を受けたエドゥアルド・アバロスによる軍事クーデターが発生。ペロンはラ・プラタ島の監獄に拘束されましたが、ペロン支持の労働組合はこれに抗議してゼネストを決行。さらに、大統領府前の五月広場にはペロンの釈放を求めて労働者が大挙押し寄せ、エヴィータはペロンの釈放のために奔走し、ラジオで国民に向かってペロンの釈放を呼びかけました。

 国民世論の前に、クーデターは失敗。10月17日、ペロンは釈放され、同月21日、アバロス政権は退陣に追い込まれます。そして、同月26日、ペロンはエヴィータと正式に結婚。1946年3月の選挙でペロンはアルゼンチン大統領に就任しました。

 こうして1946年に発足したペロン政権は、大戦中に蓄積された膨大な外貨を原資として、労働組合の保護や労働者の待遇改善(週48時間制と年間13ヵ月分の給与支給など)、女性参政権の実現、外資系企業(英国資本の鉄道会社や米国資本の電話事業など)の国営化、貿易の国家統制などの政策を推進する一方、批判勢力に対しては厳しい言論統制を行いました。また、ペロン本人はナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を強く非難する一方、旧ドイツ軍やナチス親衛隊の戦犯を多数匿い、アルゼンチンの軍や治安機関の育成に当たらせています。

 こうしたことから、ペロン政権は“左翼ファシスト”として、インテリ層からは、その社会改革も、自分の権力を守るための“ムッソリーニ的ナショナリズム”にすぎないと批判されました。ノラを含むホルヘ一家も反ペロン派の文化人として活動していたため、ノラ本人が1948年に1ヵ月間投獄されたほか、母親は自宅軟禁となり、兄のホルヘは図書館員から公共食肉市場の検査官に転属させられたうえ(ホルヘはこれに抗議して職を辞しています)、刑事に尾行されるなど、1955年のペロン失脚まで苦難の日々を過ごしました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた「天使」は、ペロン政権時代の1950年に制作された作品で、“愛”と“平和”のモチーフでペロン政権への不服従を表現したとされています。
 

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 アルゼンチンのワイン
2018-11-15 Thu 01:59
 きょう(15日)は11月の第3木曜日。いわずと知れたボジョレー・ヌーボーの解禁日です。というわけで、毎年恒例、ワイン関連の切手の中から、現在制作中の『チェ・ゲバラとキューバ革命』にちなんで、この1枚です。

      アルゼンチン・ワイン

 これは、チェ・ゲバラの出身国、アルゼンチンが、輸出商品としての自国産ワインを宣伝するため、2009年に発行した切手です。

 アルゼンチンはフランス、イタリア、スペイン、米国に次ぐ世界第5位のワイン生産国(消費量としては世界第8位)で、アンデス山麓に東京都のほぼ2倍に相当する22.4万ヘクタールでワイン用のブドウが栽培されています。

 アルゼンチンでは、スペイン人が入植して間もない1542年、ペルーで栽培されていた苗から得られた乾燥種子がサルタ地方に植えられ、1556年にはフアン・セドロン神父が、チリのセントラル・ヴァレーからアルゼンチンにブドウの挿し木を持ち込み、サン・フアン地方やメンドーサ地方にアルゼンチン初のブドウ畑を開いたのが、ワイン産業のルーツとなりました。

 主要なブドウの品種としては、黒ブドウがマルベック種、白ブドウがトロンテス種。このうち、マルベック種はフランス原産で、その来歴については、フランスでフィロキセラが発生する直前の1850年代後半、フランス人農業技師がチリに紹介したものが、その苗木がアルゼンチンへ運ばれたという説と、フランスから大西洋を越え、アルゼンチンの国土を横断してメンドーサにもたらされたという説があります。一方、トロンテス種はスペイン原産のブドウ品種です。

 ちなみに、僕は、昨年、ブエノスアイレスを訪れた際に、老舗のカフェ、トルトーニでステーキのサンドイッチをつまみながら、メンドーサ産のマルベックを飲んだのですが(下の画像はその時の写真です)、風情のある店の雰囲気と併せて、忘れられない1食となりました。

      トルトーニ・ワインとサンドイッチ

 
★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 11月16日(金) 全国切手展<JAPEX 2018> 於・都立産業貿易センター台東館
 15:30- 「チェ・ゲバラとキューバ革命」 *切手展の入場料が必要です

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 鉄道の日
2018-10-14 Sun 03:35
 きょう(14日)は“鉄道の日”です。というわけで、鉄道関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・レティーロ駅絵葉書

 これは、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス北東部にあるターミナル駅である“レティーロ駅”を取り上げた1920年の絵葉書です。

 アルゼンチンの鉄道は、1857年、英国資本によって、ブエノスアイレス市内のコロン劇場裏からフロレスタ地区までの9.8 kmで開業したフェロカリル・オエステが最初で、1864年にはコンスティトゥシオン駅からの南方面鉄道(後のロカ線の一部)が開通。以後、主として英国資本によって鉄道建設が進められ、19世紀末までには総延長1万6500 kmに達しました。

 こうしたこともあって、アルゼンチンの鉄道はながらく英国の強い影響下に置かれており、首都の中央駅にあたるレティーロ駅の建設も英国人が主導して進められました。

 すなわち、フレンチスタイルの駅舎の設計を担当したのは、英国人建築家のユースタス・L・コンダー、ロジャー・コンダー、シドニー・G・フォレット、技術者のレジナルド・レイノルズで、鉄骨構造は英リヴァプールで作られてアルゼンチンで組み立てられ、1915年8月1日に開業するというプロセスをたどっています。

 レティーロ駅は南米を代表する建造物として、1997年、アルゼンチン歴史遺産に指定されており、僕も、昨年(2017年)ブエノスアイレスを訪れた際に見に行ったのですが、残念ながらドーム屋根の外壁の修復工事中でした。(下の画像)

      レティーロ駅(2017年)

 ちなみに、1953年4月、ブエノスアイレス大学医学部を卒業して医師資格を取得したチェ・ゲバラは、軍医として徴用されることを嫌ってアルゼンチン脱出を決意し、同年7月7日、レティーロ駅からボリヴィア・ラパス行きの列車で出国しています。電車に乗り込む直前、コンコースを抜けてホームに向かって歩いていたゲバラは、いきなり、緑色のカンバス地の袋を高く掲げ、「われこそはアメリカ大陸の兵士なり!」と叫んだそうです。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、若き日のゲバラについても1章を設けてまとめています。諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りなのですが、正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 アルゼンチン、政策金利60%に
2018-08-31 Fri 15:17
 アルゼンチンの中央銀行は、30日(現地時間)、通貨ペソ(以下、単に“ペソ”という場合は、現行のアルゼンチン・ペソ)の急落を食い止めるため、政策金利を45%から世界最高水準の60%に引き上げる緊急利上げを実施しました。しかし、年初に1ドル=約18ペソだった対ドル相場は、今年に入って53%下落しており、30日の終値は前日比135%安の1ドル=39.87ペソにまで大幅に下落しています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・造幣局75周年

 これは、1956年にアルゼンチンが発行した“国立造幣局75周年”の記念切手で、コインの打刻場面が描かれています。

 アルゼンチン独自の通貨は、独立戦争中の1813年に発行され“レアル・アルヘンティーノ(R$A)”が最初です。その後、1826年には、金(エスクード金貨)と銀(レアル銀貨・ソル銀貨)に裏打ちされた本位貨幣の“ペソ・フエルテ($F)”、非本位貨幣の“ペソ・モネダ・コリエンテ($m/c)”が併存する体制になり、さらに、外国通貨も自由に流通していました。

 こうした混乱は、1888年11月5日の通貨改革で“ペソ・モネダ・ナショナル(m$n)” が導入されることで、ようやく平定化されます。

 その後、m$n は安定した状態が続いていましたが、1929年の世界恐慌を機にアルゼンチンが金本位制から完全に離脱。さらに、第二次世界大戦中の食糧輸出の激増による特需景気を機に国内のインフレが昂進したことから、1970年、m$n が100分の1のデノミにより“ペソ・レイ($)”へと変更されます。

 さらに、フォークランド紛争後のインフレに対応して、1983年6月1日、1万分の1の デノミとして“ペソ・アルヘンティーノ($a)”が導入されたものの、インフレは終息せず、 1985年6月15日、1000分の1のデノミとしてアウストラル (₳)が導入されました。さらに、1992年1月1日、1万分の1のデノミとして導入されたのが、現行のペソ(アルゼンチン・ペソ)です。なお、1992年1月の導入時、ペソは1米ドル=1ペソのドルペッグ制を採用していましたが、2001年12月の債務不履行に伴う金融バブルの崩壊を機に、ペッグ制は終了。これを受けて、移行措置として、1ドル=1.4ペソの“公定レート”と“実勢レート”の“二重相場制”を経て、2002年2月11日、変動相場制に完全移行しています。


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 世界の切手:アルゼンチン
2018-08-27 Mon 11:07
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年8月15日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はアルゼンチンの特集(4回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます) 

      アルゼンチン・フロンディシ

 これは、2008年に発行されたアルトゥーロ・フロンディシ元大統領(任期1958-62)の切手です。

 1959年のキューバ革命の後、キューバと米国が対立を深めるなか、1961年に発足したケネディ政権は、プラヤ・ヒロン事件の失敗を受け、武力を使わずにキューバを追い詰めるため、“進歩のための同盟”構想を打ち出します。

 進歩のための同盟は、米州機構(OAS)加盟国に対して、米国が10年間で総額200億ドルの資金を投入し、2.5%以上の経済成長を達成することで、中南米諸国の経済を安定させ、社会主義化を防止することをめざしたもので、1961年8月、ウルグアイのプンタ・デル・エステ(ウルグアイ南東部にある南米有数のビチ・リゾート)で開催された米州機構経済社会理事会で、キューバを除くOAS加盟国によって締結されました。

 このプンタ・デル・エステ会議当時、アルゼンチンの大統領だったのが、今回ご紹介の切手に取り上げられたアルトゥーロ・フロンディシです。
 
 1955年9月の軍事クーデターでフアン・ペロン政権が退陣した後、軍事政権はペロン政権時代の与党、正義党(ペロニスタ)の活動を禁止します。

 もっとも、ペロン政権の政策には、労働者の権利拡大や外資による資源開発の規制など、積極的に評価すべきものも少なからずあったため、フロンディシら急進市民同盟(UCR)の一部は是々非々で評価すべきと主張していました。そこで、1958年、民政復帰の大統領選挙では、フロンディシは、UCRから分裂した右派グループのUCRIの候補として立候補し、パラグアイに亡命中のペロンの支持も得て、当選します。

 政権発足時のアルゼンチン経済は長期低落傾向にあったため、フロンディシは経済再建のため、大企業の投資を呼び込むため外国投資法を制定。労働組合の反発に対しては強硬な姿勢で臨みました。また、“進歩のための同盟”とケネディ政権には同調するものの、革命キューバへの制裁には同調せず、米国とキューバの仲介役を担うことで、ラテンアメリカにおける独自の立場を確保しようとしていました。

 独自の外交路線を模索していたフロンディスは、プンタ・デル・エステ会議の機会をとらえ、米国の了解の下、キューバ代表として出席していたチェ・ゲバラを極秘裏にブエノスアイレスに招待します。

 大統領官邸でのゲバラとの会見で、フロンディシは、「キューバがワルシャワ条約機構に加入すれば、米国との和解は絶望的になるが、その可能性はあるか」と質問。これに対して、ゲバラの回答は「我々にその気はない。キューバの側からそのようなことは求めていない」と応じたが、ソ連の側から手を差し伸べてくれば…という含みのあるものでした。

 また、フロンディシは、「革命後のキューバは憲法と議会を停止したが、選挙を通じた議会制民主主義が復活するか」と訊きましたが、ゲバラは、当面、その可能性はないと即答。いわば、キューバ革命が社会主義化の道から引き返すことはないとの宣言しました。

 会談後、ゲバラは大統領一家とステーキの昼食をとった後、伯母のマーリア・ルイサを訪ね、モンテビデオに戻ります。こうして、ゲバラにとって生涯最後となった故郷、アルゼンチン訪問はわずか4時間で終わりました。

 さて、ゲバラのブエノスアイレス訪問は、アルゼンチン国内の右派の反発を考え、極秘裏に進められました。このため、当日、誰が来るのかを知らされていなかった出迎えの大統領親衛隊士官は、飛行機から戦闘服姿の人物が降りてきて「ゲバラ少佐です」と握手の手を差し伸べてきたとき、呆然としていたそうです。

 また、ゲバラの訪問を事前に知らされていなかった外務大臣のアドルフォ・ムヒカは記者団の質問に「そんなことはありえない」と即答しましたが、実際に会見したことが確認されると、面目丸つぶれとなり、翌日、辞職しています。

 ゲバラ=フロンディシ会談は、アルゼンチン国内で賛否両論を巻き起こし、フロンディシの志向する中立外交に対しては、反共の色彩が強かった軍部や党内保守派が激しく反発する一方、地方選挙では左派とも親和性の高いペロニスタが勢力を伸長します。こうして政権が不安定化する中で、1962年3月18日の国会議員選挙では、与党UCRIが第一党になりましたが、選挙後の3月29日、“中立外交”に不満を持つ軍部によるクーデターが発生し、フロンディシは政権の座を追われることになります。
 
 さて、『世界の切手コレクション』8月15日号の「世界の国々」では、1961年のゲバラ=フロンディシ会談にフォーカスをあてた長文コラムのほか、国有石油会社TPF、ゲバラの母セリアマテ茶、カピバラの切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のアルゼンチンの後は、8月15日に発売された同22日号でのナイジェリア(と一部ギニアビサウ)の特集、同22日に発売された同29日号でのコートディヴォワール(と一部トーゴ)となっています。これらについては、順次、このブログでもご紹介する予定です。


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 八十八夜
2018-05-02 Wed 03:26
 きょう(2日)は八十八夜です。というわけで、例年どおり、お茶関連の切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・マテ茶(2014)

 これは、2014年にアルゼンチンが発行した“マテ茶”の切手です。

 マテ茶はパラグアイ・ブラジル・アルゼンチンを原産とするイェルバ・マテの葉や小枝を乾燥させた茶葉を用いた飲料で、スペイン人の来航以前から先住民の間で広く飲まれてきました。ヴィタミンやミネラルを豊富に含むため、野菜の栽培が困難な地域では栄養源としても重要です。緑茶と黒茶があり、前者は青臭みと苦味が強く、冷茶はテレレと呼ばれます。今回ご紹介の切手には、マテ茶を飲むためのフィルターつきストローの“ボンビジャ”と、暖かい茶の入った木製ポットの“グアンバ”が描かれています。

 マテ茶はアルゼンチンの国民的な飲料ですが、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラの父親は、マテ茶のプランテーション農場を経営していました。このため、ゲバラ本人も幼少時からマテ茶に親しんでおり、持病の喘息を抑える効果が期待されることもあって、革命戦争中も、革命後のキューバ政府要人として職務を遂行している際も、マテ茶のグアンバを常に手元に置いていました。

 ちなみに、1956年11月、カストロがグランマ号でのキューバ上陸作戦を発令し、急遽、ゲバラも出発地のトゥスパン港へ向かいましたが、その際、「ゲバラは寝ていたベッドや飲みかけのマテ茶もそのままに、また、喘息の持病を抱える身として必携の吸入器さえ持たずに出発した」とのエピソードが広く知られています。このエピソードは、カストロの動員令がいかに急なものであったかを示すものとして有名ですが、同時に、ゲバラとマテ茶のつながりの深さを示すものともいえましょう。

 さて、5月末に刊行予定の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、マテ茶や葉巻など、ゲバラを語るうえで欠かすことのできない“小道具”についての小ネタ的なエピソードもご紹介する予定です。正式な刊行日等、同書についての詳細が決まりましたら、このブログでもあらためてご案内いたしますので、よろしくお願いします。 


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 世界の国々:アルゼンチン
2018-01-18 Thu 12:59
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2018年1月10日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はアルゼンチン(3回目)を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・切手つき封筒(1900) アルゼンチン・切手つき封筒・内側

 これは、1900年にブエノスアイレスからアルゼンチンのモンテヴィデオ宛に差し出された切手つき封筒で、内側(右の画像)には、ブエノスアイレス中心部の5月広場の1800年の風景と1900年の風景が並べて取り上げられています。

 “5月広場”は、もともとはスペイン人入植後の1580年以降、市庁舎(カピルド)や大聖堂が建設された場所で、アルゼンチン独立運動の端緒となった1810年5月25日の“5月革命”にちなんで現在の名前となりました。広場に面した大統領府から国会議事堂までは5月大通りが伸びています。広場中央の“5月のピラミッド”は5月革命1周年を記念して1811年に建てられたものですが、今回ご紹介伊の切手つき封筒でも1800年の風景(厳密にいうと、この時点では“5月広場”という名前ではありませんでしたが)にはピラミッドがないことが確認できます。 

 さて、昨年10月、僕はブエノスアイレスに行ってきましたが、滞在中の22日は、日本と同じくアルゼンチンでも国会議員選挙が行われたため、市内中心部では左派系の政府批判デモが行われており、彼らの中には、アルゼンチン出身の革命家、ゲヴァラの肖像を描いた横断幕などを掲げて行進するグループもありました。以下、現地で撮影した写真をいくつか貼っておきます。

      ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕1  ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕8  ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕5

      ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕2  ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕3

      ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕6  ブエノスアイレス・ゲヴァラ横断幕7  

 現在制作中のゲヴァラの本では、ゲヴァラの肖像が、彼の死後、どのような意味を与えられ、どのように使用されてきたかという点も扱うつもりですので、上の写真も掲載することになるだろうと思います。

 さて、『世界の切手コレクション』1月10日号の「世界の国々」では、エヴィータことエヴァ・ペロンの夫でアルゼンチンの大統領だったフアン・ペロンとその時代についてまとめた長文コラムのほか、ノラ・ボルヘスの絵画、トウモロコシ、アルゼンチン領南極の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のアルゼンチンの次は、17日に発売された1月24日号でのインドネシアの特集になります。こちらについては、発行日の24日以降、このブログでもご紹介する予定です。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 1月11日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第14回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、大相撲のため1回スキップして、2月8日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、1月11日放送分につきましては、1月18日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 ブエノスアイレスに来ています!
2017-10-21 Sat 13:59
 きのう(20日)の記事にも書きましたが、現地時間の20日夜、ブラジリアに向かう途中の経由地、ブエノスアイレスに到着しました。イミグレーションがものすごい行列でしたが、なんとか、20日ギリギリでホテルにチェックインできました。というわけで、せっかくですから、ご当地ネタとして、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      B32・ブエノスアイレス消(タイプ1)

 これは、ブエノスアイレスの英国局で使用された切手です。

 1816年のアルゼンチン独立後、1824年から1873年まで、ブエノスアイレスには英国の郵便局が置かれ、アルゼンチンから外国あての郵便物を取り扱っていました。1857年以降は、英本国の切手が持ち込まれ、“B32”の表示が入った抹消印が使用されています。B32 の抹消印には、バーが6本で横型の楕円形になっているタイプ1、バーが8本で円形のタイプ2、バーが8本で縦型の楕円形になっているタイプ3の3タイプがありますが、今回ご紹介の切手に押されているのは、そのうちのタイプ1の印です。

 なお、1873年にブエノスアイレスの英国局が閉鎖された後、1886年からはモーリシャスでB32 の抹消印が使われています。ちなみに、ブエノスアイレスでB32 の抹消印が使用されていた時期には、モーリシャスではB53 および B65 の抹消印が使用されていました。また、モーリシャスで使用された B32 の抹消印は、ブエノスアイレスのものとは3の字体が異なっていることに加え、モーリシャス切手にしか押されていませんので、容易に区別が可能です。

 さて、ブエノスアイレスには、現地時間の22日未明まで滞在し、その後、ブラジリアに向かいます。ごく短い間ですが、現在、実現に向けて水面下で動いている企画の取材として、できる限り有意義に過ごしたいと思っています。
 
 * オマケ 
 先ほど、ホテルの窓から撮影した景色です。ブエノスアイレス建都400年を記念して1936年に建立された記念塔の“オベリスコ”がライトアップされて夜空に浮かび上がっています。

      オベリスコ・夜景


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  ★★★

 10月19日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第10回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、11月9日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、19日放送分につきましては、10月26日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 真実と正義の日
2016-03-24 Thu 12:07
 きょう(24日)は、1976年3月24日、アルゼンチンでホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍による軍事クーデターが発生したことにちなみ、1983年の民政移管までの軍事政権下での弾圧の犠牲者と追悼するため、アルゼンチンでは“真実と正義の日”となっています。ことしは、クーデターから40周年、2006年の記念日制定から10周年ということで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・民政復帰(1983)

 これは、1983年12月10日にアルゼンチンで発行された民政復帰の記念切手で、「統一と自由において』との国家の標語が入った1813年(独立戦争時)のコインが描かれています。

 1973年7月、前大統領が辞任したことを受け、大統領選挙に出馬して勝利を収めたフアン・ドミンゴ・ペロンは、同年10月、1955年にクーデターで失脚して以来の大統領職に復帰。副大統領には、エヴィータの死後に再婚したイザベラ・ペロンを指名しました。しかし、フアン本人は1年後の1974年7月に病死。副大統領であったイザベラが大統領に昇格します。

 しかし、イザベルは能力・経験ともに大統領の器ではなく、フアン・ペロンの強烈なカリスマによって維持されていたペロン党は分裂状態に陥ります。そうした中で、1973年10月にオイルショックが発生すると、アルゼンチン経済は300%を超えるインフレーションに見舞われ、経済は危機的な状況に陥りました。さらに、左翼過激派のテロも頻発し、政治的混乱が続く中で、1976年3月24日、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍による軍事クーデターが発生し、イザベルは逮捕されました。
 
 ビデラらは軍事政権を“国家再編成プロセス”と命名し、 当初は、政治ならびに経済、社会的混乱が収まれば民政を復帰させるを公約していました。しかし、実際には国会機能は停止され、ビデラとその後のロベルト・ビオラとレオポルド・ガルチェリ、レイナルド・ビニョーネによる各政権は、左翼ゲリラ掃討を名目として、労働組合員を中心に多くの学生・市民を逮捕。これにより、1万3000人から3万人以上が行方不明となったほか、政権に批判的な人々に対する様々な弾圧が行われました。

 一方、軍事政権は市場原理を優先する経済開発を行ったことで、一時的に経済状況を改善したものの、対外債務が激増したことでインフレはさらに悪化。このため、起死回生の一手として、軍事政権は英国を相手にフォークランド戦争を起こしたものの敗北に終わり、政権の維持が不可能になります。

 この結果、1983年10月30日に総選挙が行われ、弁護士で急進市民同盟のラウル・アルフォンシンが当選。今回ご紹介の切手の発行日でもある12月10日にアルフォンシンが正式に大統領に就任したことで、民政復帰が実現しました。

 民政復帰直後のアルフォンソ政権は、国民融和の必要もあって、軍政下の犯罪を不問とする恩赦法を施行しましたが、2005年、アルゼンチン最高裁は同法に対して違憲の判決を下します。これを機に、2006年以降、国の祝祭日として“真実と正義の日”が設けられ、以後、元軍幹部らに対する有罪判決が相次いでいます。2011年12月には、大統領在任中の人権侵害の罪でビデラに終身刑の判決が下り、同じく元大統領のビニョーネも、2012年4月、56人を誘拐、拷問した罪を問われ、禁錮25年の有罪判決を受けています。

 ちなみに、米国のオバマ大統領は、昨日(23日)、現職の大統領としては約20年ぶりにアルゼンチンを公式訪問して中道右派のマクリ大統領と会談し、左派政権のもとで冷え込んだ両国の関係の改善を印象づけていますが、この日程は上記のような歴史的経緯を踏まえて設定されたものと考えて良いでしょう。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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