内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 真実と正義の日
2016-03-24 Thu 12:07
 きょう(24日)は、1976年3月24日、アルゼンチンでホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍による軍事クーデターが発生したことにちなみ、1983年の民政移管までの軍事政権下での弾圧の犠牲者と追悼するため、アルゼンチンでは“真実と正義の日”となっています。ことしは、クーデターから40周年、2006年の記念日制定から10周年ということで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・民政復帰(1983)

 これは、1983年12月10日にアルゼンチンで発行された民政復帰の記念切手で、「統一と自由において』との国家の標語が入った1813年(独立戦争時)のコインが描かれています。

 1973年7月、前大統領が辞任したことを受け、大統領選挙に出馬して勝利を収めたフアン・ドミンゴ・ペロンは、同年10月、1955年にクーデターで失脚して以来の大統領職に復帰。副大統領には、エヴィータの死後に再婚したイザベラ・ペロンを指名しました。しかし、フアン本人は1年後の1974年7月に病死。副大統領であったイザベラが大統領に昇格します。

 しかし、イザベルは能力・経験ともに大統領の器ではなく、フアン・ペロンの強烈なカリスマによって維持されていたペロン党は分裂状態に陥ります。そうした中で、1973年10月にオイルショックが発生すると、アルゼンチン経済は300%を超えるインフレーションに見舞われ、経済は危機的な状況に陥りました。さらに、左翼過激派のテロも頻発し、政治的混乱が続く中で、1976年3月24日、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍による軍事クーデターが発生し、イザベルは逮捕されました。
 
 ビデラらは軍事政権を“国家再編成プロセス”と命名し、 当初は、政治ならびに経済、社会的混乱が収まれば民政を復帰させるを公約していました。しかし、実際には国会機能は停止され、ビデラとその後のロベルト・ビオラとレオポルド・ガルチェリ、レイナルド・ビニョーネによる各政権は、左翼ゲリラ掃討を名目として、労働組合員を中心に多くの学生・市民を逮捕。これにより、1万3000人から3万人以上が行方不明となったほか、政権に批判的な人々に対する様々な弾圧が行われました。

 一方、軍事政権は市場原理を優先する経済開発を行ったことで、一時的に経済状況を改善したものの、対外債務が激増したことでインフレはさらに悪化。このため、起死回生の一手として、軍事政権は英国を相手にフォークランド戦争を起こしたものの敗北に終わり、政権の維持が不可能になります。

 この結果、1983年10月30日に総選挙が行われ、弁護士で急進市民同盟のラウル・アルフォンシンが当選。今回ご紹介の切手の発行日でもある12月10日にアルフォンシンが正式に大統領に就任したことで、民政復帰が実現しました。

 民政復帰直後のアルフォンソ政権は、国民融和の必要もあって、軍政下の犯罪を不問とする恩赦法を施行しましたが、2005年、アルゼンチン最高裁は同法に対して違憲の判決を下します。これを機に、2006年以降、国の祝祭日として“真実と正義の日”が設けられ、以後、元軍幹部らに対する有罪判決が相次いでいます。2011年12月には、大統領在任中の人権侵害の罪でビデラに終身刑の判決が下り、同じく元大統領のビニョーネも、2012年4月、56人を誘拐、拷問した罪を問われ、禁錮25年の有罪判決を受けています。

 ちなみに、米国のオバマ大統領は、昨日(23日)、現職の大統領としては約20年ぶりにアルゼンチンを公式訪問して中道右派のマクリ大統領と会談し、左派政権のもとで冷え込んだ両国の関係の改善を印象づけていますが、この日程は上記のような歴史的経緯を踏まえて設定されたものと考えて良いでしょう。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

スポンサーサイト
別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の国々:アルゼンチン
2015-07-22 Wed 09:43
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年7月22日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はアルゼンチンの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・ゲバラ

 これは、1997年にアルゼンチンで発行された“チェ・ゲバラ没後30年”の記念切手です。今回は、ゲバラ本人の話題としてではなく、アルゼンチンで使われる独自のリオプラテンセ・スペイン語の実例としてご紹介しました。

 アルゼンチンなどで日常的に用いられているリオプラテンセ・スペイン語は、他の地域のスペイン語とは異なる独自の語彙が少なからずありますが、呼びかけの「やぁ」「おい」、愛称の「お前さん」に相当する「チェ(che)」は、その中でも最も世界的に知られた単語でしょう。

 アルゼンチン出身のエルネスト・ゲヴァラは、メキシコでカストロに“Che, Ernest Guevara(やぁ、俺はエルネスト・ゲヴァラだ)”と自己紹介しましたが、その場に居合わせた面々は、当初、“チェ”の意味が理解できませんでした。その後も、アルゼンチン出身のゲバラは、“チェ”の語を連発したため、“チェ”が彼のあだ名として定着したと言われています。今回ご紹介の切手では、チェの部分を斜体で記し、本名と区別しています。

 さて、『世界の切手コレクション』7月22日号の「世界の国々」では、エヴィータことエヴァ・ペロンの時代とフォークランド紛争にフォーカスを当てた2本の長文コラムのほか、アルゼンチン・ワイン、サッカーのマラドーナ、アルゼンチン・タンゴ、コロン劇場の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の7月29日号では、「世界の国々」はヴェネズエラを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 世界の寄附金つき切手⑦
2015-07-05 Sun 11:05
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『キュリオマガジン』2015年7月号ができあがりました。僕の連載「世界の寄附金つき切手」は、今回は、この切手を取り上げています。(画像はクリックで拡大されます)

      アルゼンチン・エヴァペロン財団

 これは、1951年、アルゼンチンでエヴァ・ペロン財団の資金調達のために発行された寄附金つきの航空切手です。

 マドンナの主演で映画にもなったミュージカル『エヴィータ』のモデル、マリア・エヴァ・ドゥアルテは、1919年、アルゼンチンの貧しい農村、ロス・トルドスで生まれました。

 15歳で家出をしてブエノス・アイレスに上京した彼女は、“女性”を武器に、職を転々としながらステップアップを重ね、次第にラジオドラマの声優や映画女優として活動するようになります。そして、1943年、陸軍次官のフアン・ドミンゴ・ペロン大佐と出会い、彼の愛人として庇護を受けるとともに、自分のラジオ番組でペロンの民衆向け政治宣伝を行いました。これが、彼女の政治的なキャリアの出発点となります。

 ペロンは1944年に発足したエデルミロ・ファーレル政権で副大統領に就任しましたが、1945年10月、米国の支援を受けたエドワルド・アバロス将軍によるクーデターが発生。ペロンが軍事裁判で有罪判決を受けて収監されると、エヴァはペロンの釈放のために奔走し、ラジオで国民に向かってペロンの釈放を呼びかけました。

 その後、アバロスは政権を放棄してペロンは釈放。晴れて2人は結婚し、翌1946年3月、ペロンは選挙でアルゼンチン大統領に就任しました。映画『エヴィータ』では、この場面で、マドンナが名曲“Don't Cry for Me Argentina”を歌う設定になっています。

 大統領夫人となったエヴァは、夫の支持を受けて、与党・正義党への支持を拡大すべく、党の婦人部門を組織したうえで女性参政権の導入に尽力しました。また、慈善団体「エヴァ・ペロン財団」を設立し、ミシン、毛布、食糧の配布など、貧困者の優遇政策に務めています。

 今回ご紹介するのは、そのエヴァ・ペロン財団の資金調達のために発行されたもので、額面の2・45ペソに対して、上乗せされている寄附金は3倍近い7・55ペソですが、ミケランジェロのピエタ像を黒一色で取り上げた画面構成が印象的な1枚です。切手の左側には財団の名前というかたちで、エヴァの名前が入っている点も見逃せません。

 彼女の美貌はそれだけで魅力的ではありましたが、貧困の中から大統領夫人にまで上り詰めた後も庶民のために尽くしたというイメージは庶民の心を惹きつけ、大統領である夫は、それを最大限に利用していました。

 ただし、選挙を経ず、また、正規の閣僚にも任命されたわけでもない“大統領夫人”が政治に関与していたことには少なからぬ批判もありました。また、実際の彼女は相当な濫費家で、福祉のばらまきもその延長線上にあったともいわれています。

 その後、ペロンはエヴァに副大統領の地位を与えようとしたものの、彼女が子宮ガンに侵されていることが判明して断念。1952年7月26日、彼女は33歳の若さで亡くなりました。

 ブエノス・アイレスで行われた葬儀には数十万の市民が参列。現在でもアルゼンチン国民の間では彼女の人気は絶大で、彼女を現代アルゼンチンの“聖母”になぞらえる人も多いそうです。

 死の前年に発行されたエヴァ・ペロン財団の切手にピエタ像が取り上げられたのは偶然だったのでしょうが、この切手を見ていると、自然と“Don't Cry for Me Argentina”のメロディが頭に浮かんでくるような気がします。今朝起きて、チリのサンティアゴで行われていたサッカーの南米選手権の決勝で、PK戦の末、アルゼンチンが惜敗したというニュースを聞いた直後だけに、なおさらです。

 
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 日亜移住協定発効50年
2014-02-01 Sat 18:03
 きのう(31日)、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで日本との移住協定発効50周年記念式典が行われ、わが国からは秋篠宮ご夫妻がご臨席なさったそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       アルゼンチン・日本修好100年

 これは、1998年、アルゼンチンで発行されたアルゼンチン・日本修好100周年の記念切手で、両国の絆の表現として、日本風の橋が描かれています。秋篠宮ご夫妻は、この時にも現地での記念式典にご臨席のためアルゼンチンを訪問されており、今回のご訪問は2回目となります。

 アルゼンチンの地に上陸した最古の日本人は、1597年に奴隷であることを不服として訴訟を起こし、解放を勝ち取ったフランシスコ・ハポンとされていますが、本格的な日本人の移民が始まるのは明治以降のことです。

 明治以降のアルゼンチンへの日本人移民は1886年に現地に渡った牧野金蔵が最初で、1898年には日亜修好通商航海条約が調印され、正式に、両国間の外交関係が樹立されました。その後、日露戦争開戦直前の1904年2月10日、アルゼンチンはイタリアに発注していたものの、チリとの和平が成立したため不要になった2隻の軍艦モレノとリヴァダヴィアをロシアにではなく日本に売却。両艦は日本名「日進」と「春日」として日本海海戦で活躍しました。

 1908年、ブラジルへの笠戸丸移民が行われると、780人の日本人乗客のうち、160人が最終目的地のサントスに着く前に経由地のブエノスアイレスで下船。これが、アルゼンチンでの日系人社会の母体となりました。第2次大戦までの日系移民の多くは沖縄県や鹿児島県の出身で、直接、アルゼンチンに渡るものに加え、ブラジルをはじめ周辺諸国から移ってくる者も多かったようです。移民たちは、ブエノスアイレスやその近郊で工場労働者、港湾労働者、花卉栽培、洗濯業に従事する者が多く、地方で農業に従事する者もありました。

 第二次大戦中の1944年1月、アルゼンチンは我が国との国交を断絶し、翌1945年3月には宣戦布告しましたが、1952年の講和条約発効により外交関係は再開されました。ちなみに、講和条約の批准を討議したアルゼンチン国会では、後に大統領となる野党急進党のフロンディシ下院議員が「講和条約は敗戦国に厳しい勝者の条約であって、冷戦下における米国の戦略の一環に他ならない」として、日本に対してもっと寛大な講和条件とすべきという理由で、批准に反対の論陣を張っています。

 講和条約の発効に伴い、日系移民の再開が予想されたため、アルゼンチンの日系社会では新たな移民を受け入れるための組織として、1953年10月、ATAKU(アルゼンチン拓植協同組合)を結成。1955年にパラグアイへの集団移住が再開されると、ブエノスアイレス経由でパラグアイに入国する日系移民の引率業務を引き受けるなどの実績を積み、1957年には、日系移民の呼び寄せ手続きの公式代行者としての許可をアルゼンチン移民局から獲得しています。この時点では、今回の記念式典の名目となった両国間の正式な移住協定は成立しておらず、ATAKUの仲介により、多くの日系移民や商社駐在員の受け入れがスムースに行われました。

 戦後のアルゼンチンへの日本人移民は1959-60年頃がピークで、その後は徐々に下火になりましたが、そうした状況の中で、ようやく1964年になって、正式な移住協定が成立。以後、1967年には友好通商航海条約が、1981年には文化協定および技術協力協定が締結されるという流れになっています。
 

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 IOC総会はじまる
2013-09-07 Sat 07:55
 2020年の五輪開催地を決めるIOC総会が、日本時間のきょう(7日)午前7時(現地時間だと6日19時)から、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスでスタートしました。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       テアトロ・コロン(1979)

 これは、1979年にアルゼンチンが発行したテアトロ・コロン(コロン劇場)の切手です。今回のIOC総会は、まず、テアトロ・コロンで開会式を行い、ついで、市内のホテル、ブエノスアイレス・ヒルトンに移って審議が始まるということなのですが、ブエノスアイレス・ヒルトンの切手は発行されていませんので、テアトロ・コロンの切手をご紹介したという次第です。

 テアトロ・コロンはブエノスアイレスの歌劇場で、初代の劇場は1857年にオープンしました。ちなみに、設計を担当したカルロス・エンリケ・ペレグリーニは、1890-92年にアルゼンチンの大統領を務めたカルロス・ペレグリーニの父親です。

 その後、初代の劇場は取り壊され、1889年から1908年にかけて現在の劇場が建設されましたが、老朽化のため、2006年から2010年にかけて大規模な改修工事が行われました。切手ではイマイチわかりづらいのですが、外観のみならず、内装の豪華さゆえに、世界三大歌劇場の一つと称されることもあります。もっとも、この三大歌劇場というのは、テアトロ・コロンのほか、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座、オーストリアのウィーン国立歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の中から、どれを選ぶかは人によって意見が分かれています。

 ちなみに、テアトロ・コロンのこけら落としとして、1908年5月25日に上演されたのはヴェルディの『アイーダ』でした。めでたく五輪の開催地が東京に決まったら、ぜひとも、メディア各社は、劇中の「凱旋行進曲」を流しながらニュースを紹介するくらいのことをしていただきたいものですな。


 ★★★ イベントのご案内・本日開催です! ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 アザワド独立宣言から1年
2013-04-06 Sat 11:00
 2012年以来のマリ北部紛争で、2012年4月6日に北部アザワド地域が“独立”を宣言してから、今日でちょうど1年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        トンブクトゥ宛返戻便

 これは2012年7月26日、アルゼンチンのアロイトからトンブクトゥ宛に差し出された書留便ですが、トンブクトゥを含む北部マリへの郵便の逓送は不可能として差出人に返戻されたカバーです。カバーには、送達不能である旨を記した付箋が貼られ、返戻途中の10月31日付のバマコの中継印が押されているほか、裏面には12月1日に差出地のアロイトに戻ったときの着印もあります。

 1960年の独立以来、マリ国内では北部を中心に遊牧系のトゥアレグ人による反乱が断続的に発生していましたが、2009年の停戦合意の後、一部のトゥアレグ人はこれを潔しとせず、リビアに逃れて傭兵部隊に加わっていました。ところが、2011年10月、カダフィ政権が崩壊すると、マリないしはニジェールからリビアに逃れていたトゥアレグ人傭兵の大半は、旧カダフィ政権の崩壊後の混乱に乗じて彼らが持ち出した高性能の武器とともに、リビアを逃れてアザワド地域に帰還。2011年11月には“アザワド解放全国運動”を結成し、2012年1月以降、マリ北部、トンブクトゥ、ガオ、キダル3州をあわせたアザワドの独立を目標とした武装闘争を再開しました。

 なお、MNLAはあくまでも世俗主義的な立場からアザワド地域のマリからの独立を目指す組織として結成されたもので、彼ら自身がイスラム原理主義国家の樹立を目標として掲げていたわけではありません。また、MNLAの軍事組織には1990年代ならびに2006―09年のトゥアレグ人反乱に参加した古参兵やリビアからの帰還兵が参加しているものの、彼らの目的はトゥアレグ人に限定した民族運動ではなく、マリ政府によって抑圧されているアザワド地域の全住民(ソンガイ人、アラブ人、フラニ人、トゥアレグ人など)を等しく解放する運動であり、あらゆる民族集団が参加しているというのが建前です。

 MNLAによる最初の本格的な攻撃は、2012年1月16日から17日にかけて、ガオから東に250キロ、マリ領内の東端に位置するメナカで発生。ついで、1月17日、MNLAはアゲルホクとテッサリトを攻撃します。翌18日、マリ政府はこれら3ヵ所を直ちに奪還したと主張しましたが、1月24日にはMNLAがアゲルホクを再度占領するなど、戦況は一進一退の状況が続きました。

 しかし、2月1日、マリ政府軍が“戦略的撤退”を実行すると、MNLAはメナカを制圧。アゲルホクの戦闘では政府軍兵士数十人が亡くなり、2月6日には北部の拠点都市であったキダルがMNLAによって占領されます。さらに、3月11日、MNLAはテッサリトとその空港を制圧。マリ政府軍はアルジェリアとの国境地帯まで撤退を余儀なくされたのに対して、勢いを増すMNLAはディレならびにグンダムに進攻。トンブクトゥまでわずか125キロの地点にまで到達します。

 一方、北部での紛争が激化する中で、政府軍の内部では、叛乱を鎮圧するための武器や資材が不足していることや、多くの兵士が戦死し、あるいはMNLAの捕虜となっていることについて、トゥーレ政権に対する不満が鬱積。こうした中で、2012年3月21日、前年末に国防大臣に就任したばかりのサディオ・ガサマ准将がバマコ郊外のカティの駐屯地を視察に訪れたものの、その時のガサマの対応に不満を爆発させた兵士がクーデターを起こし、トラオレ政権は崩壊してしまいます。

 混乱の中で、マリ北部ではMNLAが攻勢を強め、4月3日にはトンブクトゥが陥落。これにより、北部の主要都市を掌握したMNLAは、6日、キダル、ガオ、トンブクトゥの3州にほぼ相当する地域をアザワド国家としてマリから独立することを、彼らの公式ウェブサイトで宣言しました。

 なお、4月6日のアザワド独立宣言まで、MNLAと各種のイスラム勢力はバマコのマリ政府という共通の敵を前に共闘関係にありましたが、独立宣言以降、両者は北部支配の主導権をめぐって対立。MNLAはイスラム勢力に敗退し、2013年のフランスによる軍事介入まで、北部の諸都市はイスラム原理主義者の支配下に置かれることになります。

 さて、現在、4月下旬の刊行を目指して制作作業をしている拙著『マリ近現代史』では、2012年以降のアップ・トゥ・デートな情報もできるかぎり盛り込むよう努力しました。来週明けには、いよいよ輪転機もまわり始める予定で、東京・浅草で月末に開催のスタンプショウでは、実物をご覧いただける予定です。27日の15時からは会場内の特設コーナーで刊行記念トークも行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

・4月14日(日) 15:00- 東京五輪と切手
 於 東京国立近代美術館 ギャラリー4(2F)
 現在開催中の展覧会東京オリンピック1964 デザインプロジェクトの4月のギャラリートークに内藤が登場します。展覧会本体も、東京五輪関連の切手原画の展示をはじめ見ごたえのある内容ですので、ぜひ、遊びに来てください。(展覧会へ入場するための観覧券は必要になります)

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。書店に並ぶ前の先行販売はスタンプショウ会場内が最初となります。入場は完全に無料です。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
  美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!!     

 アマゾンセブンネット版元ドットコム楽天ブックスe-honhmvhontoJBOOKlivedoor BOOKSなどで好評発売中!
 
 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パラリンピック開幕
2012-08-30 Thu 16:38
 ロンドン五輪に続く夏季パラリンピックが、現地時間29日午後(日本時間きょう午前)、開幕しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パラリンピック(アルゼンチン・1964)

 これは、1964年にアルゼンチンで発行されたパラリンピック(東京大会)の記念切手です。パラリンピックの記念切手としては、これが最初のものとされています。

 パラリンピックの起源は、1948年7月28日、ロンドン五輪開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされています。会場となったストーク・マンデビル病院は傷痍軍人のリハビリのための専門科がおかれており、ロンドン五輪開会式当日に入院患者によるアーチェリーの競技会が行われました。

 以後、同病院での患者による競技会は毎年行われており、1952年からは“国際ストーク・マンデビル競技大会”として英蘭2カ国の開催になります、さらに、1960年には国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、同年の五輪開催地であるローマで国際ストーク・マンデビル競技大会が開催されました。これが、第1回パラリンピックとされています。

 今回ご紹介の切手は、第2回大会として、1964年の東京五輪に引き続き、東京で行われました。なお、この時の大会は、国際ストーク・マンデビル競技大会と、日本人選手を対象とした国内大会の2本立てです。

 東京大会の後、パラリンピックの開催は、オリンピック開催地とは別の地で行われていましたが、1988年のソウル五輪以降、再び、五輪開催地で行われるようになり、現在にいたっています。なお、パラリンピックの名称は、当初、IOCがオリンピックと類似の名称を使うことを嫌ったため、単なる愛称という扱いでしたが、やはり1988年のソウル大会から正式名称となりました。

 さて、今回の大会に参加を予定している国と地域は166ヵ国で、参加人数は4280人。このうち、日本選手団は選手134人、役員121人の計255人だそうです。来月9日まで12日間の会期中、日本人選手の活躍を期待したいですな。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国現代史・韓国語版
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

     ハヌル出版より好評発売中!


    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 エヴィータの新紙幣発行へ
2012-07-27 Fri 12:41
 “エヴィータ”の愛称で親しまれたアルゼンチンのエヴァ・ペロン元大統領夫人が、1952年7月26日に亡くなってから60年になるということで、アルゼンチン政府は、きのう、彼女の肖像を印刷した100ペソ紙幣を発行すると発表しました。ただし、発行日などは現時点では未定だそうです。というわけで、きょうは新紙幣発表の報道写真とあわせて、この切手をご紹介します。

       ARGFNTINA    エヴィータ紙幣発表(報道写真)

 左は、1952年8月26日にアルゼンチンで発行されたエヴァ・ペロンの追悼切手のうち、50センタヴォ切手の田型です。彼女が亡くなって1月後の発行というタイミングからして、すでに彼女が重篤の間に準備が始められ、亡くなったとの報を受けて、突貫作業で製造されたものでしょう。そのせいか、この切手には版面の傷による印面バラエティがいろいろと報告されていおり、今回ご紹介している田型のうち右下の切手も、国名表示の “ARGENTINA”の“E”が“F”になっています。なお、アルゼンチンでは、エヴァ・ペロンの切手が何度か発行されていますが、肖像は右向きのものが多く、新紙幣のデザインのように左向きのものはほとんどありません。

 さて、アルゼンチンの通貨単位はペソですが、なんどか、通貨改革が行われているため、注意が必要です。

 独立初期のアルゼンチンでは、レアル・アルヘンティーノ(R$A)、ペソ・フエルテ($F)、ペソ・モネダ・コリエンテ($m/c)の3種の通貨に加え、外国通貨も流通し、混乱を極めていました。このため、1888年の通貨改革でペソ・モネダ・ナショナル(m$n)が導入され、ようやく、統一通貨が導入されました。

 しかし、第2次大戦後の急激なインフレの進行により、1970年に100分の1のデノミとして、ペソ・モネダ・ナショナルがペソ・レイ($)へと変更。さらに、1983年には1万分の1のデノミとして、ペソ・レイがペソ・アルヘンティーノ($a)に、1985年には1000分の1のデノミとしてペソ・アルヘンティーノがアウストラル(₳)に、そして、1994年に1万分の1のデノミで、アウストラルが現行ペソ($)に変更されました。

 今回ご紹介の追悼切手はm$nの時代のもので、19種セットで発行されました。最高額面はm$nで50ペソです。現行1ペソは10兆m$nという計算ですから、単純に額面の価値だけでいうと、当時の最高額の切手でも限りなくゼロに近いということになります。逆に、今やすっかり老人となった当時の切手少年たちは、まさか自分の生きている間に、1000兆m$n相当の紙幣が発行され、その肖像にエヴィータが取り上げられることになろうとは、夢にも思っていなかったことでしょう。

 いずれにせよ、アルゼンチン経済の苦難の戦後史を忍ばせる話ですな。

 【アジア国際切手展SHARJAH 2012のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっているアジア国際切手展 <SHARJAH 2012> の作品募集要項が発表になりました。国内の応募〆切は8月3日です。くわしくはこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
       韓国現代史・韓国語版
     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

     ハヌル出版より好評発売中!


    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

      延恩文庫より好評発売中!

 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 エビータの再来
2007-10-29 Mon 08:34
 昨日(28日)投票が行われたアルゼンチンの大統領選挙で、現職のキルチネル大統領の妻で上院議員(正義党)のクリスティナ・フェルナンデス候補が当選しました。新大統領は、その美貌と情熱的な演説から、かつてファーストレディーとして絶大な人気を誇ったエバ・ペロン元大統領夫人になぞらえて“エビータの再来”と呼ばれているのだとか。それなら、というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

エビータ

 これは、1952年8月にアルゼンチンで発行されたエヴァ・ペロンの追悼切手です。

 マリア・エバ・ドゥアルテは、1919年、アルゼンチンの貧しい農村、ロス・トルドスで生まれました。

 15歳で家出をしてブエノスアイレスに上京した彼女は、“女性”を武器に、職を転々としながらステップアップを重ね、次第にラジオドラマの声優や映画女優として活動するようになります。その後、当時の軍事政権の副大統領だったフアン・ドミンゴ・ペロン大佐と出会い、彼の庇護を受けるとともに、自分のラジオ番組でペロンの民衆向け政治宣伝を行ったのが、政治的なキャリアの出発点となりました。

 1945年10月、エドワルド・アバロス将軍によるクーデターが発生し、ペロンは軍事裁判で有罪判決を受けて収監されると、エバはペロンの釈放のために奔走。その後、アバロスは政権を放棄してペロンは釈放され、2人は結婚し、翌1946年3月、ペロンは選挙で2アルゼンチン大統領に就任しました。

 大統領夫人としてのエバは、慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立し、貧困者の優遇政策に務め、女性参政権を実現。労働者階級の絶大な支持を受けます。ただし、選挙の洗礼を経ず、また、正規の閣僚にも任命されたわけでもない“大統領夫人”の政治への関与に批判的な国民が少なからずいたことも事実です。

 その後、ペロンはエバに副大統領の地位を与えようとしましたが、彼女が子宮ガンに侵されていることが判明して断念。1952年7月26日、エバは33歳の若さで亡くなりました。

 今回の切手は、彼女が亡くなって1月後の1952年8月26日に発行されたものです。切手発行のタイミングからして、すでに彼女が重篤の間に準備が始められ、亡くなったとの報を受けて、突貫作業で製造されたものでしょう。そのせいか、この切手には版面の傷による印面バラエティがいろいろと報告されていて、コレクター魂をくすぐられます。ちなみに、今回ご紹介しているもののうち左上の切手は、彼女の鼻の横に大きな白抜きがあるため、“鼻にハエ”と呼ばれているものです。

 【トーク・イベントのご案内】  
 11月2~4日、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館で開催の<JAPEX>期間中、会場内の特設スペースで以下のトーク・イベントを行います。 ぜひ、遊びに来てください。
 
 2日(金・初日) 15:00~
 『香港歴史漫郵記』を題材にしたトークを行います。会場内には、オープンクラス作品“A HISTORY OF HONG KONG”も展示する予定です。

 3日(土・祝日) 13:30~
 『タイ三都周郵記』を題材としたトークを行います。なお、同書の奥付上の刊行日は11月15日ですが、会場では先行発売を行います。

 会場で一人でも多くの皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 国際連盟から国際連合へ
2005-10-28 Fri 14:28
 いよいよ、今日、<JAPEX >が開幕します。今年は、池袋会場では“1945年”と“国際連合(以下、国連)”という二つの特別展示をご用意しました。で、その両方に関わるマテリアルとして、こんなものをご紹介します。

連盟宛カバー

連盟宛カバー着印

 このカバーは、1945年5月、アルゼンチン外務省からジュネーブの国際連盟(以下、連盟)宛に差し出されたものです。途中、経由地のアメリカで検閲を受けたことにくわえ、終戦前後の混乱もあって、逓送に4ヶ月もかかっていることが、裏面に押された連盟内の郵便局の到着印(下の画像です)からわかります。

 1945年4~6月のサンフランシスコ会議によって、連盟に代わる組織として国連の発足が決められましたが、その後も、1946年4月までは、整理業務のため連盟も存続していました。したがって、この時期は連盟と連合が並存しており、連盟から国連への移り変わりを示す郵便物が存在することになります。このカバーも、その一例といってよいでしょう。

 本日スタートの<JAPEX >では、日本における国連切手の収集・研究の第一人者、佐々木謙一さんのコレクションの一部として、国連草創期の郵便をまとめた作品も展示されています。ここでご紹介しているカバーは、おなじく特別展示の“1945年”に並べる僕の作品で使っていますが、これよりもはるかに、国連に関する興味深い資料が並んでいます。めったに見ることのできないマテリアルがテンコ盛りの展示ですので、是非、池袋の会場にお運びください。
別窓 | アルゼンチン | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/