内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 輸入ワイン、チリ産が首位に
2016-01-29 Fri 12:37
  財務省が、きのう(28日)、発表した貿易統計によると、ボトルワイン(スパークリングを除く)の輸入量のうちチリ産が前年比18%増の5万1593キロリットルとなり、フランス産の5万1519キロリットルを上回り、初めて首位になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      チリ・ヴェンディミア

 これは、2008年にチリで発行された“ヴェンディミア”の切手です。

 ヴェンディミアは直訳すると“ブドウの収穫”の意味ですが、そこから、ブドウ収穫の祝祭も意味する言葉として用いられています。チリでは、地域により2-5月までブドウの収穫期に幅がありますが、ヴェンディミアが最も集中するのは3月の上旬。これに合わせて、各地で、美人コンテストのほか、今回ご紹介の切手に描かれているような、ボデガ(ワイナリー)対抗の足踏みによる葡萄の搾汁競争が行われます。この競争は、ブドウのケースを桶まで運ぶ者、舞台の上に設置された桶で葡萄を踏む者、搾汁を舞台奥の軽量器まで運ぶ者に分担して行われ、ボデガの名誉をかけ、より多くのジュースを搾るために全精力を傾けた戦いが展開されます。

 ちなみに、チリは、ヨーロッパ以外ではもっとも古くからワインが作られている国の一つで、最初のワインがつくられたのは1556年のことでした。19世紀後半にはヨーロッパのブドウが寄生虫フィロキセラの被害で全滅したのに対して、チリのブドウは難を逃れたため、チリのブドウこそがオリジナルのヨーロッパのブドウ品種ともいわれています。手ごろな価格というイメージが強いチリワインですが、ある意味、由緒正しいワインでもあったんですねぇ。


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 世界の国々:チリ
2015-07-15 Wed 10:03
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年7月15日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はチリの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      チリ・国民和解

 これは、ピノチェト退陣後の1990年に発行された“国民和解”を訴える切手です。

 1973年9月11日のクーデターにより、サルヴァドール・アジェンデ政権を打倒したアウグスト・ピノチェトは、軍事評議会議長に就任し、戒厳令を施行し、左派系市民を容赦なく虐殺しました。

 1974年3月、ピノチェトは国家再建方針を発表し、議会制民主主義の否定と軍事政権による政治、教育、経済などの改変を打ち出し、社会主義を徹底的に弾圧する姿勢を明らかにします。そして、同年6月、正式に大統領に就任。以後、1990年にピノチェトが退陣するまでの16年間で、チリ政府の公式な報告書によれば、政権の弾圧が直接的な原因であることが確実な死者・行方不明者は合計3196人にも上り、強制収容所に送られたり、拷問を受けたりするなどの人権侵害を受けた人々は推定10万人、政治的・経済的な理由での亡命者は当時のチリ総人口の約10%の100万人にも上りました。

 強権的な政治手法の一方で、ピノチェトは、ミルトン・フリードマンが主張する新自由主義に基づく経済政策を断行。西側諸国からの支援もあって、「チリの奇跡」と呼ばれる経済成長を実現します。ただし、その副作用として、貧富の差は拡大し、年率数百%の悪性インフレも発生しました。

 このため、1985年、ピノチェト政権は新自由主義政策を放棄し、企業の再国有化をはじめケインズ政策を実行して軌道修正を図ります。その結果、1987-89年にの国際価格が値上がりしたこともあり1987年には6.6%、1988年には7.3%、1989年には10.6%の高成長率を記録しました。

 こうした中で、1988年10月、翌1989年3月で任期満了を迎えるピノチェトの任期を更に8年間延長することの是非を問う国民投票が行われます。その結果、反対56%、賛成44%で任期延長は否決され、1989年12月に大統領選と議会選が同時に実施されることになりました。

 すでに、同年11月、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結したこともあって、ピノチェトの掲げる反共は西側世界の支持を得られなくなっていたほか、政権の人権弾圧に対しても国際社会は厳しい目を向けるようになってたこともあり、大統領選挙では反ピノチェト派のパトリシオ・エイルウィンが勝利し、ピノチェトは任期を1年延長する形で、1990年3月に退陣。16年にも及んだ軍事独裁政権はようやく終焉を迎えることになります。

 今回ご紹介の切手は、そうした軍事政権の崩壊後、国民の和解を訴えるために発行されたもので、シート右下には、和解を訴えるエイルウィン大統領の言葉が入っているのが印象的です。

 さて、『世界の切手コレクション』7月15日号の「世界の国々」では、アジェンデとピノチェトにフォーカスを当てたチリ現代史についての概説のほか、ロベルト・マッタの絵画、ノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダイースター島のモアイ像フンボルトペンギンの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の7月22日号では、「世界の国々」はアルゼンチンを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。

 
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 なお、内藤は、会期中の18日(土)11:00より、韓国切手展の展示解説を、16:00より「切手と郵便に見る韓国現代史と日本」と題する記念講演を行いますので、皆様、是非、遊びに来てください。
 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 イキケの英雄
2014-04-03 Thu 14:11
 きのう(2日。現地時間では1日)、南米チリの北部、イキケの北西100キロ、深さ20.1キロの地点でマグニチュード8.2の大地震が発生。さらに、きょう(3日。現地時間2日)もイキケの南19キロ、深さは約40キロの地点でマグニチュード7.6の余震が発生し、大きな被害が出ています。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。というわけで、きょうはイキケに関連する切手として、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       チリ・イキケ海戦75年

 これは、1954年にチリで発行された“イキケ海戦75周年”の記念切手です。

 1879年4月5日、南米大陸・太平洋岸の資源地帯を巡って、チリがペルーとボリビアの同盟に対して宣戦布告。いわゆる“南米の太平洋戦争”が勃発します。

 開戦当初、チリは2隻の艦隊をバルパライソからペルー沖へ派遣し、当時はペルー領だったタラパカ州イキケの海上封鎖を行います。これに対して、5月21日、イキケの封鎖を破るために南下してきたペルー艦隊2隻が、イキケ湾口でチリ艦隊2隻と激突したのが、イキケの海戦です。

 両国海軍の軍艦4隻による激しい海戦は3時間以上続き、チリ側のコルベット艦“エスメラルダ(艦長:アルトゥーロ・プラット中佐)”とペルー側の砲塔装甲艦“ワスカル”(艦長:ミゲル・グラウ大佐)”の3時間以上にも及ぶ激戦の末、エスメラルダは撃沈され、乗員197名中135名が亡くなりました。戦闘の間、プラット艦長はみずからワスカルに乗り込んで白兵戦で戦おうとしたものの、砲声のために命令が伝わらず2名詞化後に続かなかったこともあって銃撃で倒され、壮絶な戦死を遂げました。なお、人的な被害としてはチリの方が多かったのですが、この戦闘により、ぺルー側は主力艦1隻を座礁で失っており、制海権はチリ側に有利となりました。

 さらに、艦長の壮絶な戦死はチリ国民の戦意を大いに高揚させる効果をもたらし、チリ国軍への入隊志願者は数千人増加。最終的に、チリが戦争に勝利し、イキケを含むタラパカ州を獲得するうえで、大きな原動力となりました。こうしたこともあって、現在なお、プラット艦長はチリ海軍最大の英雄とされており、今回ご紹介の切手にも肖像が取り上げられたというわけです。
 
 さて、日本同様、地震国として知られるチリでは、多数の犠牲者を出した過去の地震や津波を教訓に建築基準を徹底させ、沿岸地域の住民に対する津波の危険性の周知活動や避難訓練にも力を入れています。こうしたこともあって、今回の地震でも、建物などの被害は大きかったものの、現地時間の2日までに確認された死者は6名にとどまり、しかも、瓦礫などの下敷きになって亡くなったのは2名だけで、残る4名の直接の死因は心臓発作だったのは、不幸中の幸いといえましょう。また、住民の多くは平静を保っており、刑務所から脱走した293人の囚人のうち131人が自主的に戻っているなど、秩序も保たれているようです。

 こうしたニュースを聞くと、19世紀のイキケの英雄、プラット艦長に対して、21世紀のイキケの英雄はほかならぬイキケ市民ではないかとも思えますね。一日も早い復旧・復興をお祈りしております。
 

 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 チリ・911事件から40年
2013-09-11 Wed 11:15
 “911”というと、2001年の米国同時多発テロ事件を思い出す人が多いと思いますが、もともとは、1973年9月11日にアウグスト・ピノチェトが起こした反アジェンデ・クーデターの方が有名でした。というわけで、きょうはその40周年ということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       生命・アジェンデ・死

 これは、2008年にチリが発行したサルバドール・アジェンデ生誕100年の小型シートで、チリ出身の画家、ロベルト・マッタの作品「生命 アジェンデ 死」が取り上げられています。

 マッタは、1911年、サンティアゴ生まれ。1929年から1931年まで、サンティアゴ・カトリック大学で建築を学んでいましたが、中退してヨーロッパ各地を放浪。1933年、パリに渡り、ル・コルビュジエの建築事務所に職を得ました。その後、1937年頃に、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン、ル・コルビュジエなどと出会い、シュルレアリスムのメンバーに加わりましたが、1939年、第2次大戦が勃発すると、マルセル・デュシャンの助言により、イヴ・タンギーと共にニューヨークへ亡命。米国における“抽象表現主義”の祖というべき存在になりましたが、1948年にフランスに戻り、以後、フランス国籍を取得してパリを拠点に活動しました。

 思想的には左派リベラルの立場で、1961年、 スペイン内戦に着想を得た「質問」でマルツォット賞を受賞。さらに、1962-63年には革命後のキューバを訪問し、 1968年にはハバナで開催された文化会議の議長を務めました。

 1970年、祖国チリでアジェンデが大統領に当選し、史上はじめて自由選挙により社会主義政権が発足すると、チリ出身の左派系文化人を代表する存在となっていたマッタは、アジェンデ直々の招待により、大統領就任式に出席のためチリを訪問しています。それだけに、1973年のクーデターでアジェンデが殺害(自殺説もありますが)されたことには大きな衝撃を受け、今回ご紹介の切手に取り上げられた「生命 アジェンデ 死」を発表。ピノチェトによる軍事クーデターに対する抗議の意を示しました。

 さて、クーデターの後、チリは16年の長きにわたり、ピノチェトの軍事独裁下に置かれることになりました。もっとも、いまになってみれば、日本の革新知事たちがそうであったように、アジェンデ政権というのも、実は放っておけば政策的な行き詰まりでそう長くはもたなかったように思うのですが、当時のアメリカとピノチェトはそう考えなかったんでしょうねぇ。逆に、アジェンデにとっては、その悲劇的な幕切れのゆえに“英雄”としてラテンアメリカ史に名を残すことになったのは、政治家としてある意味で幸せなことだったのかもしれないと思えてなりません。

 なお、ピノチェト政権は1990年3月11日に退陣を余儀なくされますが、ピノチェト本人はその後も1998年に病気療養のため渡英するまでチリ政界で隠然たる力を維持し続けます。この間、マッタは1995年に 高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞を受賞していますが、この頃になると、宮様の名前を冠した賞の戦功に際しても、彼の政治的な立場が問題視されることはなかったようです。ちなみに、マッタがローマ近郊の病院で亡くなったのは2002年のことで、ピノチェトが亡くなったのは2006年のことでした。


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 パブロ・ネルーダの毒殺疑惑
2013-07-11 Thu 11:38
 チリのノーベル文学賞作家パブロ・ネルーダの毒殺疑惑を解明するため、きのう(10日)、チリ司法当局は遺体から採取した骨の一部をスペインと米国に送り、精密鑑定をすると明らかにしました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       パブロ・ネルーダ

 これは、1991年、パブロ・ネルーダのノーベル文学賞受賞20周年を記念してチリが発行した切手です。日本では知名度がいまいちのネルーダですが、スペイン語圏では、ゲバラと並ぶ左派のヒーローですので、各国からさまざまな切手が発行されています。ただし、そうしたキャラクターのゆえに、本国のチリでは、ピノチェト政権下でながらく政権から敵視されていましたので、1990年に同政権が崩壊したのを受けて、翌1991年にようやく今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。デザイン的にも、なかなか、ポップで良い感じですな。

 さて、ネルーダは、2004年、チリのパラルでバスク系チリ人の家庭に生まれました。外交官としてスペインに赴任していた際にスペイン内戦に遭遇し、共産主義に傾倒して共和国を支援しました。1945年に上院議員に当選し、チリ共産党に乳頭。ところが、1948年に共産党が非合法化されたため、伊太利に亡命しました。

 その後、1958年に共産党は再び合法化されたことを受けて帰国。1970年の大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選し、社会主義政権が誕生すると駐仏大使に任じられ、在任中の1971年にノーベル文学賞を受賞しました。

 しかし、1972年に病気のために帰国。さらに、翌1973年9月11日、ピノチェトのクーデターでアジェンデ政権が崩壊すると、軍事政権によってネルーダの家は荒らされ、病状も悪化。9月23日には危篤状態に陥り、病院に向かう途中の軍の検問で救急車から引きずり出されるなどして、病院に到着した時には既に死亡していました。

 ネルーダの死については、軍事政権の仕打ちに絶望して病状が悪化して死に至ったというのが公式の説明でしたが、1990年のピノチェト政権崩壊後は毒殺説がささやかれるようになり、2011年5月、チリ共産党がサンティアゴの控訴裁判所へ告訴状を提出していました。これを受けて、今年(2013年)4月、チリの司法当局は死因の確認のため、ネルーダの遺体を掘り起こして調査を開始し、今回の精密鑑定にいたったというわけです。

 まぁ、熱心なクリスチャンの多い南米では、一度埋葬された遺体を掘り起こすことに抵抗を感じる人も少なくないのではないかと思いますが、無神論者の共産党の場合、そのあたりは気にしないということなんでしょうな。ただし、真相が明らかになったとして、そのことが人々のチリ共産党に対する支持につながるかどうかは、良くわかりませんがね。


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 被災地に新モアイ像寄贈へ
2012-03-31 Sat 23:05
 きのう(30日)、チリのピニェラ大統領が東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を訪れて被災状況などを視察し、友好の証しとしてモアイ像を贈ることを約束したそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        モアイ像(1965)

 これは、1965年にチリで発行されたモアイ像の切手です。

 チリ領のイースター島のモアイ像は凝灰岩を彫刻して作られた巨大な人面像で、アフと呼ばれる海に面した島の高台にあります。像が建てられた理由については諸説ありますが、近年の調査で、モアイの台座から人骨が多数発見されたことから、墓碑であったとの説が有力だそうです。ちなみに、アフのモアイ像は、19世紀までに部族間抗争や西洋人による持ち出しなどが原因ですべて倒されていましたが、20世紀以降、考古学者や地元の人の手によって起こされ、現在はおよそ40体のモアイが復元されています。

 さて、今回、ピニェラ大統領が訪問した南三陸町は、前身の志津川町時代の1960年に発生したチリ地震津波で大きな被害を受けたことをきっかけにチリとの交流が始まり、チリ地震津波災害30周年を記念し、チリからモアイ像のレプリカを輸入。1991年7月にモアイ像を志津川湾に面した公園“チリプラザ”に設置しました。

 昨年の震災津波で、この像は頭部が流され(流された頭部は地元の志津川高校で保管されています)、現在、高さ10メートル以上のがれきに囲まれた状態にあります。像を視察した大統領は「日本もチリも災害に負けずに勇気と希望を持って前進してきた。友好の証しとして、もっと大きく美しいモアイ像を贈りたい」と話し、「日本がんばれ」と日本語でエールを送るとともに、あらためて、友好の証として、イースター島最大の高さ5.2メートル、重さ14-16トンのモアイ像のレプリカを寄贈することを決めたのだそうです。
 
 像の制作は4月から開始され、10月には完成品が南三陸町に届けられるということですが、チリの厚意を無にしないためにも、日本中が協力して被災地のがれき処理を進めていかねばなりませんな。

 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史

・よみうりカルチャー柏
 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


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 フンボルトペンギンが脱走
2012-03-04 Sun 22:46
 東京都江戸川区の葛西臨海水族園から、フンボルトペンギンの幼鳥1羽が逃げ出して、隣接する旧江戸川河口を泳いでいたそうです。というわけで、きょうはフンボルトペンギンの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        フンボルトペンギン

 これは、2009年にチリで発行された“保護すべき鳥類”の切手のうち、フンボルトペンギンを取り上げた100チリ・ペソ切手です。切手上の通貨単位の表示は$ですが、これは“ドル”と読むのではなく、1975年に導入された現行のチリ・ペソを示す記号です。

 フンボルトペンギンは、ドイツの地理学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトにちなんで命名されたペンギンの1種で、南米の太平洋沿岸に棲息しています。棲息地は、南緯5度のフォカ島(ペルー)から南緯42度のチロエ島(チリ)にまで及んでいますが、近年は、産卵場の環境破壊や餌となる魚の乱獲、さらにはエルニーニョ現象などにより個体数が減少したため、現在では、絶滅危惧種として、ワシントン条約付属書Iに指定されて売買が禁止されています。なるほど、今回ご紹介の切手をチリが発行したのは、自国の希少動物だったからという立派な理由があるわけですな。

 ところで、ペンギンというと南極のイメージと結び付けられることも多いのですが、上述のように、フンボルトペンギンは南緯5度という熱帯の地域にも棲息しており、極寒の地の動物というわけではなく、むしろ、日本の気候に合っているともいえます。このため、フンボルトペンギンは日本の動物園で最も多く飼育されるペンギンとなっており、その結果として、飼育技術も確立されることになりました。

 それどころか、わが国の動物園では、放置しておくと、フンボルトペンギンならびにケープペンギンとフンボルトペンギンの雑種が増えすぎて問題となるため、産卵された卵の大半を石膏や紙粘土などで作った擬卵とすりかえて繁殖を抑制しているほどだとか。もちろん、全世界的に見ればフンボルトペンギンは飼育の難しいペンギンとされており、種として絶滅の恐れがあることには変わりないので、南米では日本の繁殖・飼育技術を導入して効果を上げることが期待されているそうです。

 いずれにせよ、今回脱走したフンボルトペンギンにとっては、旧江戸川の環境というのも案外快適なものなのかもしれませんな。

  ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話 
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 奇跡の生還
2010-10-13 Wed 22:16
 チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に閉じ込められた作業員33人の救出活動が始まり、8月5日の事故発生から69日ぶりに作業員が続々と地底から生還。奇跡の生還劇に、世界中が沸きたっています。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         チリ・銅山国有化

 これは、1972年にチリが発行した銅山国有化の切手で、国旗を背景にした鉱夫が描かれています。

 冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデを指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデが大統領に就任。新政権は、社会主義国との国交樹立、独占企業の国有化、土地改革、所得再配分などを骨子とする新政府の対外・対内政策を発表しました。

 その最大の目玉のひとつが、チリの主要産業である銅山の国有化で、1970年11月14日に銅山国有化特別委員会が設置され、銅山国有化にむけて政府は具体的な活動を開始します。

 これに対して、アメリカ系の銅生産の多国籍企業は、1971年3月18日、チリ経済を撹乱すべく、銅の国際価格の操作を開始して対抗しましたが、5月21日に世界最大のエルテニエンテ鉱山が政府の統制下に入ったのを皮切りに、7月11日には銅山国有化の憲法改正案が可決され、アナコンダ社(チュキカマタ、エクソティカ、エルサルバドル銅山)、ケネコット社(エルテニエンテ銅山)、セーロ社(アンディーナ銅山)の5大銅山が国有化されました。今回ご紹介の切手は、これを記念して発行されたものです。

 これに対して、アメリカなどの西側諸国は経済封鎖を発動し、会社・店などを経営する富裕層は左翼政権を嫌ってストライキをおこなうなど、アジェンデ政権に揺さぶりをかけましたが、これはかえって、国内の貧困層を団結させる結果となり、1973年の総選挙では、人民連合は大統領選よりさらに得票率を伸ばすことになりました。

 そこで、反アジェンデ勢力は、アメリカの支援と黙認の下で、武力による国家転覆を計画。9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍が率いる軍が大統領官邸を襲撃し、アジェンデを殺害(自殺説もある)するクーデターを起こすことになります。

 さて、今回の救出劇に関しては、ピニェラ大統領の“政治ショー”との批判も一部では流れているようです。

 今年3月、それまでの中道左派政権を破って政権を獲得した中道右派のピニェラ大統領は、5年間で100万人の雇用創出などを公約に掲げていましたが、就任直前に大地震が発生してチリ経済が大打撃を受けたことや、復興予算確保のための銅の収益税増税を狙ったものの左派連合に阻まれて法案が否決されるなど、厳しい政権運営を迫られていました。

 そこへ、今年8月、今回の落盤事故が発生すると、大統領は作業員33人生存のニュースを現場から約800ロ離れた首都サンティアゴから自ら発表したほか、その後も砂漠の中の事故現場を訪れて地中の33人の救出に向けて“国民の連帯”を訴えてきました。この結果、低迷していた支持率も回復。国民世論を背景に、一端は否決された収益税法案も、修正を加えて左派連合の同意を取り付けて近く成立する運びとなっており、そのことが、「事故を政権浮揚に利用している」という批判にもつながっているようです。

 もっとも、阪神大震災の救援に自衛隊を速やかに派遣せず、無為無策でいたずらに犠牲を大きくした村山富市は論外としても、事態がひと段落してから、真新しい作業着を着て、ほんの申し訳程度に現場を一度だけ大名行列で訪れるわが国の歴代首相を見ていると、仮に政治的パフォーマンスだとしても、国家の最高指導者が「国民を救うために皆で団結しよう」とみずから陣頭に立って訴えている国というのは、うらやましい限りですな。(ほんとは、それが政治家として当たり前の姿勢なんでしょうけどね)
 
 
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 チリのコロンブス切手
2006-05-20 Sat 23:58
 今日(5月20日)はクリストファー・コロンブスの命日だそうで、しかも、今年は彼が1506年に亡くなってから400周年とのこと。というわけで、南北アメリカを中心に世界各国から発行されているコロンブス切手のなかから、こんな1枚をご紹介しましょう。(画像はクリックで拡大されます)

チロのコロンブス切手

 南米のチリは1853年に最初の切手を発行しましたが、そのデザインはここに挙げた画像のように、コロンブスの横顔を描いたものでした。

 1853年に発行されたチリ最初の切手はロンドンで印刷されましたが、翌年にはサンチャゴで作られた切手も登場します。その後、切手はロンドンとサンチャゴの2箇所で作られたほか、用紙や透かし等にさまざまなバラエティがあるので、いろいろと集めて分類してみると、それなりに楽しめるだろうと思います。

 さて、歴史的事実としては、コロンブス本人はチリの地を訪れたことはないのですが、他の南北アメリカ諸国同様、チリでもコロンブスは“アメリカの発見者”として社会的に重要な存在ですから、切手のデザインに取り上げられたのも故なきことではないといえましょう。

 ただ、僕なんかの感覚からすると、最初の切手くらい、コロンブスじゃなくって、もっとチリと密接に結びついた題材にすればよかったのに、と思ってしまいます。とはいえ、「それじゃ、お前はチリと言って何を思い浮かべるのか?」と聞かれると、すぐに出てくるのはピノチェトの独裁政権とワインにアンチョビ(早く仕事を片付けて、一人でのんびり酒が飲みたい)くらいしかないのですが…。

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