内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 ノリエガ元将軍、亡くなる
2017-05-31 Wed 09:01
 中米パナマの事実上の独裁者として君臨していたマヌエル・ノリエガ元将軍(以下、敬称略)が、29日、パナマ市で亡くなっていたことがきのう(30日)明らかになりました。享年83歳。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ノリエガ・サイン  ノリエガ差出の封筒

 これは、米マイアミの刑務所に収監中のノリエガが支援者の求めに応じて、メッセージとサインを記した彼の肖像写真と、それを送った封筒です。

 マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノは、1934年2月、パナマ市の貧民街でメスティーソの家庭に生まれました。国立パナマ大学を卒業後、ペルーのチョリヨス軍官学校に留学。さらに、パナマに帰国後は米租借地の運河地帯、フォート・グリック内にあった米陸軍米州学校(SOA:School Of the Americas)で諜報および防諜を学びました。

 SOA修了後、米ノース・カロライナ州のフォート・ブラッグで心理戦を学んだノリエガは、1967年、パナマ国家警備隊(国軍)に入り、翌1968年、中尉に任官します。
 
 任官後まもない1968年、パナマではオマル・トリホスが軍事クーデターを起こして権力を掌握すると、ノリエガは、SOAの先輩であるトリホスを支援して反トリホス派を制圧し、その論功で1969年には一挙に中佐にまで昇進。彼が責任者を務めていた諜報機関G2はCIAの下で訓練を受けていました。ちなみに、当時、CIA長官としてパナマに関わっていたのが、後に大統領になるジョージ・ブッシュ(父)で、ノリエガはCIAから年間11万ドルを受け取り、各地のパナマ大使館から得た情報をCIAに流していました。

 一方、トリホスは1972年に新憲法を制定して独裁体制を構築。以後、ペルーのベラスコに影響を受けた左派民族主義の色彩が強い政策を打ち出し、パナマ運河地帯の主権を回復すべく、キューバのカストロ政権にも接近するなどして米国に揺さぶりをかけるとともに、1973年の国連安全保障理事会では、パナマ運河の主権はパナマにあることを確認させ、パナマの主権を尊重した新条約の成立を勧告する決議案を提案させました。この決議案は米国の拒否権で否決されていますが、1977年、パナマは米国と運河返還を約束する条約の締結に成功しています。

 反米自主路線を採るトリホスに対して米国が強く反発する中で、1981年7月31日、トリホスを乗せた飛行機が離陸後10分で墜落事故を起こし、トリホスは死亡。事故原因は現在なお不明ですが、パナマ国民の多くは、この事故は、米国の意を受けて、ノリエガが仕組んだものとみています。

 トリホスの死後、国家警備隊のフロレンシオ・フローレス・アギラール大佐が後継者となりましたが、1982年3月3日、ルベン・ダリオ・パレーデス大佐がクーデターを起こして実権を掌握。ノリエガは、パレーデスの下で国家防衛軍(国家警備隊から改組)の参謀総長に就任しましたが、1983年8月、パレーデスを追い落として軍内を掌握。最高権力者にのし上がり、独裁体制を構築します。

 1984年には16年ぶりに直接選挙による大統領選挙が行われ、トリホスのクーデターで失脚した元大統領、アルヌルフォ・アリアスが実際には最多の得票を得たが、ノリエガは選挙結果を操作し、親米派エコノミストのニコラス・アルディト・バルレッタが当選。さらに、1985年9月には、ノリエガ批判の急先鋒だったウーゴ・スパダフォラ元厚生次官が誘拐され、コスタリカとの国境地帯で虐殺されました。さすがにスパダフォラ殺害事件を許容できなかったバルレッタは大統領を辞任しましたが、反共を優先した米国はノリエガの専横を黙認していました。

 ところが、1986年、ノリエガが米国への麻薬の輸出とマネーロンダリングに関与しているとの疑惑が浮上。さらに、1987年6月には元国家防衛軍参謀総長のトリホス・エレーラが、1984年の大統領選挙における不正工作、スパダフォラ殺害、麻薬密売への関与でノリエガを告発したのを機に、ノリエガ退陣・民主化運動が発生します。これに対して、ノリエガの影響下にあるパナマ政府は、非常事態を宣言し、反政府系メディアを閉鎖するなど民主化運動を抑圧しました。

 1988年に入ると、米国はパナマの在米資産凍結とパナマ運河使用料支払い停止を発表。ノリエガは、これに対抗して在パナマ外国資産凍結を発表したが、パナマ経済は大混乱に陥ります。さらに、1989年5月に行われた大統領選挙では、反ノリエガ派のギジェルモ・エンダラが当選したものの、ノリエガは米国の干渉を理由に選挙の無効を宣言し、会計院長のフランシスコ・ロドリゲスを大統領とするなど、パナマ情勢は混乱が続きました。

 こうした中で、1989年12月20日、米国はパナマ在住米国民の保護、パナマ運河条約の保全、ノリエガの拘束を主目的とする“ジャスト・コーズ作戦”を発動。5万7384人の米軍を侵攻させてパナマ市を占領。1990年1月3日、ノリエガを拘束し、独裁政権は崩壊しました。

 その後、ノリエガは米国で麻薬密売容疑等により禁錮40年の判決を受け、彼の独裁体制を支えたパナマ国防軍も解体され、非軍事的性格の国家保安隊に再編されます。今回ご紹介のマテリアルは、マイアミの刑務所に収監中のノリエガが獄中から差し出したもので、差出人の欄にはノリエガの名はなく、囚人番号38699079が記されています。(下にその部分の画像を貼っておきます)

      ノリエガ封筒・部分拡大

 その後、ノリエガは模範囚であることを理由に刑期が短縮され、2007年9月9日に釈放されましたが、その直前の8月28日、フロリダ州連邦地裁は、フランス国内の銀行口座を使って麻薬資金のマネーロンダリングを行っていたとして、欠席裁判でノリエガに禁固10年の有罪判決を下していたフランスに対して、ノリエガの身柄を引き渡すことを決定。これを受けて、2010年4月26日、ノリエガはフランスへ移送され、同年7月7日、パリの裁判所で禁固7年の有罪判決を下されました。

 さらに、フランスでの収監を経て、2011年12月11日、ノリエガはフランスからパナマへ送還され、やはり、欠席裁判で下されていたウーゴ・スパダフォラ殺害容疑での禁固20年の判決に従い、収監されました。その後、ノリエガは高血圧症のためパナマ市内の病院に搬送されましたが、20173月7日に脳腫瘍の手術を受けた直後に重体となり、5月29日、83歳で亡くなりました。


 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” 次回 は1日! ★★★ 

 6月1日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第3回目が放送予定です。今回は、5月26-27日にG7サミットが行われたシチリアにスポットを当ててお話をする予定です。みなさま、よろしくお願いします。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。

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 世界の切手:パナマ
2017-03-31 Fri 22:46
 ご報告が遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2017年3月29日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はパナマの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パナマ・反麻薬キャンペーン

 これは、1988年にパナマで発行された反麻薬キャンペーンの宣伝切手です。

 1968年、パナマではオマル・トリホスが軍事クーデターを起こして権力を掌握。その際、パナマ国家警備隊(国軍)の中尉だった マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノ(以下、ノリエガ)は、トリホスを支援して反トリホス派を制圧し、その論功で1969年には一挙に中佐にまで昇進。諜報機関G2の責任者を務め、CIAがG2の訓練を行なっていました。ちなみに、当時、CIA長官としてパナマに関わっていたのが、後に大統領になるジョージ・ブッシュ(父)で、ノリエガはCIAから年間11万ドルを受け取り、各地のパナマ大使館から得た情報をCIAに流していました。

 一方、トリホスは1972年に新憲法を制定して独裁体制を構築。以後、ペルーのベラスコに影響を受けた左派民族主義の色彩が強い政策を打ち出し、パナマ運河地帯の主権を回復すべく、キューバのカストロ政権にも接近するなどして米国に揺さぶりをかけるとともに、1973年の国連安全保障理事会では、パナマ運河の主権はパナマにあることを確認させ、パナマの主権を尊重した新条約の成立を勧告する決議案を提案させました。この決議案は米国の拒否権で否決されましたが、1977年、パナマは米国と運河返還を約束する条約の締結に成功します。

 反米自主路線を採るトリホスに対して、アメリカが強く反発する中で、1981年7月31日、トリホスを乗せた飛行機が離陸後10分で墜落事故を起こし、トリホスは死亡。事故原因は現在なお不明ですが、米国の意を受けて、ノリエガが仕組んだものとみるパナマ国民は多いようです。

 トリホスの死後、国家警備隊のフロレンシオ・フローレス・アギラール大佐が後継者となりましたが、1982年3月3日、ルベン・ダリオ・パレーデス大佐がクーデターを起こして実権を掌握。ノリエガは、パレーデスの下で国家防衛軍(国家警備隊から改組)の参謀総長に就任します。しかし、1983年8月、パレーデスを追い落として軍内を掌握し、最高権力者にのし上がり、独裁体制を構築しました。

 1984年、パナマでは16年ぶりに直接選挙による大統領選挙が行われ、トリホスのクーデターで失脚した元大統領、アルヌルフォ・アリアスが実際には最多の得票を得たものの、ノリエガは選挙結果を操作し、親米派エコノミストのニコラス・アルディト・バルレッタが当選。さらに、1985年9月には、ノリエガ批判の急先鋒だったウーゴ・スパダフォラ元厚生次官が誘拐され、コスタリカとの国境地帯で虐殺されました。さすがにスパダフォラ殺害事件を許容できなかったバルレッタは大統領を辞任しましたが、反共を優先した米国はノリエガの専横を黙認していました。

 ところで、米国との関係が良好だった時代、ノリエガは米国の麻薬対策への“協力”が評価され、1978年から1987年まで、アメリカ麻薬取締局は彼に感謝状を送っていました。ノリエガによる麻薬密輸疑惑が浮上した後も、ノリエガの意を汲んだパナマ政府はこれを否定し、1988年には今回ご紹介のような“反麻薬キャンペーン”の宣伝切手を発行しています。

 しかし、1986年、ノリエガが米国への麻薬の輸出とマネーロンダリングに関与しているとの疑惑が浮上。さらに、1987年6月には元国家防衛軍参謀総長のトリホス・エレーラが、1984年の大統領選挙における不正工作、スパダフォラ殺害、麻薬密売への関与でノリエガを告発したのを機に、ノリエガ退陣・民主化運動が発生しました。これに対して、パナマ政府は、非常事態を宣言し、反政府系メディアを閉鎖するなど民主化運動を抑圧したものの、最終的に、ノリエガもパナマから排除されることになります。

 さて、『世界の切手コレクション』3月29日号の「世界の国々」では、パナマの独裁者、ノリエガについて扱った長文コラムに加え、パナマ運河鉄道、コイバ国立公園、サン・ロレンソ要塞、パナマ初の女性大統領となったミレーヤ・モスコソの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のパナマの次は、29日に発売された4月5日号でのガイアナの特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の5日以降、このブログでもご紹介する予定です。     


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 第2パナマ運河開通
2016-06-27 Mon 09:28
 太平洋と大西洋を結ぶ海上輸送の要衝、パナマ運河の拡張工事が終わり、従来の第1運河に並行する形の第2運河が、きのう(26日)、開通しました。第2運河は水門を拡張し、コンテナ輸送量にして2.6倍の船舶の通航が可能となります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パナマ運河・スローガン印カバー

 これは、1953年5月22日、パナマ運河地帯のバルボアからロンドン宛のカバーで、パナマ運河と太平洋=大西洋の地図を描き、「パナマ運河は世界の通商を迅速にする」との文言が入った標語印が押されているのがミソです。ちなみに、今回の第2運河に伴い、米国産液化天然ガス(LNG)などを輸入する際、メキシコ湾から東京まで第2運河を経由するとタンカー1隻当たり輸送費2億5000万円・所要25日となり、スエズ運河経由の4億2000万円・所要42日から大幅な節約になりますので、まさに、今回ご紹介の標語印の通りというわけですな。

 さて、パナマ地峡に運河を建設しようという計画のルーツは、古くは1534年、スペインのカルロス1世が調査を指示したことに求められます。

 19世紀になり、スエズ運河を設計したレセップスはパナマ運河の建設を計画し、実際に1880年1月1日に工事も開始しましたが、黄熱病の蔓延や工事の技術的問題、資金調達の面などから、1889年に計画は放棄されてしまいました。

 その後、1902年に米国がパナマ地峡での運河建設を決定。当時、パナマ地峡は自治権をもつコロンビア領でしたが、運河の地政学的重要性に注目した米国は、運河を自らの管轄下におくため、1903年1月22日、コロンビアとの間に、①コロンビアがレセップスの設立した新パナマ運河会社の運河建設権を米国に売却することを認めること、②運河地域の排他的管理権等を米国に付与すること、③米国は一時金1,000万ドル及び運河地域の年間使用料として25万ドルをコロンビアに支払うこと等を規定したヘイ・エルラン条約を結び、運河の管轄権を握ろうとしました。

 しかし、コロンビア議会が条約を批准しなかったため、同年11月3日、米国はコロンビアの支配に不満を持っていたパナマ住民を扇動して独立を宣言させます。こうして発足したパナマ共和国を、米国は10日後の11月13日に承認し、5日後の11月18日にはパナマ運河条約を締結。運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得し工事に着手しました。

 これを受けて1903年に工事が始まると、運河関連地区(いわゆるカナル・ゾーンです)では、1904年6月24日、アンコン、クリストバル、ガトゥン、クレブラ、ラ・ボカに郵便局を開設。パナマ切手および米本国の切手に“CANAL ZONE”または“CANAL ZONE PANAMA”の文字を加刷した切手を使用しました。

 その後、3億ドル以上の資金と10年の歳月を投入し、運河は1914年8月15日に開通。運河収入はパナマに帰属するものの、運河地帯の施政権と運河の管理権は米国に帰属することになりました。さらに、運河地帯両岸の永久租借地には米軍施設がおかれ、南米における米国の軍事拠点として機能していましたが、1960年代にパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなる中で、軍事クーデターによってオマル・トリホスが権力を掌握。これより運河返還をめぐる協議が開始され、1977年、カーター政権の時代に新パナマ運河条約が締結され、1999年末をもって、運河および運河地帯の施政権はパナマへ正式に返還されました。
 

 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

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 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 世界の国々:パナマ
2015-08-12 Wed 11:31
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年8月12日号が先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はパナマの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      パナマ・民族衣装

 こらへ、1997年に発行された民族衣装ポジェラ(ポリェラ)の切手です。

 パナマ女性の伝統的な民族衣装ポジェラ(ポリェラとも)は、スペイン植民地時代に持ち込まれたもので、基本的な構成はブラウスとロングスカートの組み合わせですが、複雑なデザインの刺繍が施されていることもあり、スペインや他のラテンアメリカ諸国のものとは印象がかなり異なっています。カーニヴァルの祭礼などで着用する場合には、ブラウスには宝石があしらわれ、頭には亀の甲羅で作ったコームに淡水パールを散りばめた髪飾りを付けます。なお、パナマ政府は毎年7月22日をポジェラの日として、伝統文化の保持に努めています。

 さて、『世界の切手コレクション』8月12日号の「世界の国々」では、パナマ運河を軸にしたパナマ国家の近現代史を扱った長文コラムのほか、西洋人として初めて太平洋に到達したバスコ・ヌーニェス・デ・バルボア、アメリカワニ、隣国コスタリカとのコト戦争に関する切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の8月19日号では、「世界の国々」はキルギスを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 パナマ運河開通100年
2014-08-16 Sat 22:56
 昨日(15日)は、1914年8月15日にパナマ運河が開通してから100年ということで、現地では記念式典が行われたそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      カナルゾーン加刷

 これは、1904年、パナマ運河地帯で使用するため、米国切手に加刷して発行された切手です。

 パナマ地峡に運河を建設しようという計画のルーツは、古くは1534年、スペインのカルロス1世が調査を指示したことに求められます。

 19世紀になり、スエズ運河を設計したレセップスはパナマ運河の建設を計画し、実際に1880年1月1日に工事も開始しましたが、黄熱病の蔓延や工事の技術的問題、資金調達の面などから、1889年に計画は放棄されてしまいます。

 その後、1902年に米国がパナマ地峡での運河建設を決定。当時、パナマ地峡は自治権をもつコロンビア領でしたが、運河の地政学的重要性に注目したアメリカ合衆国は、運河を自らの管轄下におくため、1903年1月22日、コロンビアとの間に、①コロンビアがレセップスの設立した新パナマ運河会社の運河建設権を米国に売却することを認めること、②運河地域の排他的管理権等を米国に付与すること、③米国は一時金1,000万ドル及び運河地域の年間使用料として25万ドルをコロンビアに支払うこと等を規定したヘイ・エルラン条約を結び、運河の管轄権を握ろうとしました。

 しかし、コロンビア議会が条約を批准しなかったため、同年11月3日、アメリカはコロンビアの支配に不満を持っていたパナマ住民を扇動して独立を宣言させます。こうして発足したパナマ共和国を、アメリカは10日後の11月13日に承認し、5日後の11月18日にはパナマ運河条約を締結。運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得し工事に着手しました。

 これを受けて1903年に工事が始まると、運河関連地区(いわゆるカナル・ゾーンです)では、1904年6月24日、アンコン、クリストバル、ガトゥン、クレブラ、ラ・ボカに郵便局を開設。パナマ切手および米本国の切手に“CANAL ZONE”または“CANAL ZONE PANAMA”の文字を加刷した切手を使用しました。今回ご紹介の切手は、その中の米国切手に後者の文字を加刷したモノです。

 その後、3億ドル以上の資金と10年の歳月を投入し、運河は1914年8月15日に開通。運河収入はパナマに帰属するものの、運河地帯の施政権と運河の管理権は米国に帰属することになりました。さらに、運河地帯両岸の永久租借地には米軍施設がおかれ、南米における米国の軍事拠点として機能していましたが、1960年代にパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなる中で、軍事クーデターによってオマル・トリホスが権力を掌握。これより運河返還をめぐる協議が開始され、1977年、カーター政権の時代に新パナマ運河条約が締結され、1999年末をもって、運河および運河地帯の施政権はパナマへ正式に返還されました。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

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 バルボア太平洋到達500年
2013-09-25 Wed 10:22
 スペインの探検家、バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(以下、バルボア)が1513年9月25日に西洋人として初めて太平洋に到達してから、ちょうど500年になりました。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       パナマ・バルボア

 これは、いまから100年前の1913年にパナマで発行された「“南の海”発見400周年」の記念切手です。

 バルボアは、1475年、スペイン南部ヘレス・デ・ロス・カバリェロス生まれ。1500年にイスパニョラ島へ開拓者として移住した後、1510年、カリブ海に面したヨーロッパ人最初の植民都市サンタ・マリア・ラ・アンティグア(現コロンビアとパナマの国境付近)に移住しました。現地では新植民都市ダリエンの建設を指揮し、完成後はその総督に任命されています。

 当初、バルボアはダリエン周辺の集落を襲撃し、酋長を捕えて原住民の虐殺を行うなどの征服活動を行っていましたが、次第に、現地の開拓と黄金郷の探索のためには先住民との協力関係を築いた方が得策と考え、「スペインは同盟者には友好的である」として服属してきた部族に対しては穏健な対応を取るようになりました。その成果として、酋長の一人、コマグレと親交を結び、彼の長男から、「山の向こうに“南の海”があり、その付近には黄金が大量にある」との情報を得ます。

 これを受けて、1513年8月末、バルボア率いる190人のスペイン人とコマグレの息子に率いられたインディオ部隊は合流しジャングルに突入。抵抗する部族を武力で制圧しながら行軍を続け、9月25日、広大な湾を見下ろす丘に到達しました。これが“南の海(Mar del Sur)”の発見といわれる出来事で、今回ご紹介の切手は、その場面を描いたもので、足元には彼の愛犬レオンチコも描かれています。

 9月29日、バルボアは湾に降り立ち、そこを“サンミゲル湾”と命名。剣と楯を手に海に入り、スペイン国王の名においてこの地の領有を宣言しました。

 その後、バルボアはサンミゲル湾周辺の部族を服属させていきますが、その際、先に降伏した先住民を使者として「スペイン人を敵として戦えば大きな犠牲を覚悟しなければならないが、同盟を結んで黄金を渡せば、攻撃はせず、鉄の斧を与えてくれる」と説得させ、大量の財宝を獲得。“南の海”発見の快挙とともに、バルボアは、いちやく、国民的英雄となりました。

 ところが、その声望を妬んだ者の讒言により“国家反逆罪”に問われ、1519年1月、かつての部下であったフランシスコ・ピサロに捕らえられて獄につながれ、処刑されてしまいました。享年44。

 なお、 あらためて言うまでもないことですが、現在の太平洋の名前は、1520-21年に探検家のフェルディナンド・マゼランが世界一周航海をしていた際、マゼラン海峡を抜けて太平洋に入った時に、荒れ狂う大西洋と比べたその穏やかさに、この海のことを“El Mare Pacificum(平和な海)”と表現したのが由来になっています。そういえば、そうした由来を知ってか知らずか、日本海を“平和の海”に改称しようとかいっていた輩がおりましたな。いつの間にか立ち消えになった話ではありますが、連中の“東海”問題にも困ったものです。


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 パナマ運河
2007-09-07 Fri 04:19
 1999年末のパナマ運河返還を決めた新パナマ運河条約の調印から、今日(7日)で、ちょうど30年になります。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

パナマ米軍事局のカバー

 これは、1982年11月13日、パナマ運河地帯に設けられていた米軍の野戦局から差し出されたカバーで、消印には“パナマ共和国/アメリカ合衆国軍事郵便局/パナマ運河条約によって公認済”との表示も見えます。

 パナマ地峡に運河を建設しようという計画のルーツは、古くは1534年、スペインのカルロ1世が調査を指示したことに求められます。

 19世紀になり、スエズ運河を設計したレセップスはパナマ運河の建設を計画し、実際に1880年1月1日に工事も開始しましたが、黄熱病の蔓延や工事の技術的問題、資金調達の面などから、1889年に計画は放棄されてしまいます。

 これに対して、1902年、アメリカが運河建設を決定。当時、パナマ地峡は自治権をもつコロンビア領でしたが、運河の地政学的重要性に注目したアメリカ合衆国は、運河を自らの管轄下におくため、1903年1月22日、コロンビアとの間に、①コロンビアがレセップスの設立した新パナマ運河会社の運河建設権を米国に売却することを認めること、②運河地域の排他的管理権等を米国に付与すること、③米国は一時金1,000万ドル及び運河地域の年間使用料として25万ドルをコロンビアに支払うこと等を規定したヘイ・エルラン条約を結び、運河の管轄権を握ろうとしました。

 しかし、コロンビア議会が条約を批准しなかったため、同年11月3日、アメリカはコロンビアの支配に不満を持っていたパナマ住民を扇動して独立を宣言させます。こうして発足したパナマ共和国を、アメリカは10日後の11月13日に承認し、5日後の11月18日にはパナマ運河条約を締結。運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得し工事に着手しました。

 工事は1903年から始まり、3億ドル以上の資金を投入し、1914年8月15日に開通。運河収入はパナマに帰属するものの、運河地帯の施政権と運河の管理権はアメリカに帰属することになります。その後、運河地帯両岸の永久租借地にはアメリカの軍事施設がおかれ、南米におけるアメリカの軍事拠点として機能していました。このカバーの軍事郵便局も、そうした経緯で設けられていたものです。

 しかし、1960年代にパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなる中で、軍事クーデターによってオマル・トリホスが権力を掌握。これより運河返還をめぐる協議が開始され、1977年、カーター政権の時代に新パナマ運河条約が締結され、1999年末をもって、運河および運河地帯の施政権はパナマへ正式に返還されることになりました。

 その後、通航量の増加や船舶の大型化に対応すべく、パナマ政府は2006年4月に運河の拡幅計画を発表。同年10月の国民投票での承認を経て、今月3日に工事が開始されました。なお、完成は運河開通100周年の2014年の予定だそうです。
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