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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ホンジュラスから移民集団が北上中
2019-01-18 Fri 03:45
 中米ホンジュラス・サンペドロスーラ市で、15日(現地時間。以下同)、貧困を逃れて米国を目指す約500人の移民キャラバン隊が結成され、遺跡で有名なコパン県およびオコテペケ県の国境検問所からグアテマラに入り、16日までにグアテマラ=メキシコ国境に到着。現地では緊張が高まっているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ホンジュラス・コパン遺跡地図

 これは、1946年、ホンジュラスの首都、テグシガルパで開催された“第1回カリブ国際考古学会議”の記念切手で、ホンジュラス地図を背景に、コパン遺跡のイメージがデザインされています。地図には、会議の開催地であるテグシガルパの位置とコパン遺跡の位置が記されていますが、これを見ると、コパン遺跡がグアテマラとの国境地帯に位置していることがわかります。今回の移民キャラバンは、この国境を越えて北上し、メキシコ方面へ向かったわけです。

 さて、ホンジュラス西部、モタグァ川(ホンジュラスとグアテマラの国境を流れる川)支流であるコパン川によって形成されるコパン谷では、紀元前1400年ごろから人類が集落を形成して居住していました。

 この地で栄えたコパン王朝は、紀元後435 年、キニチ・ヤシュ・クック・モ・チャン・ヨアート王によって建国されましたが、この王は、メキシコ高原、なかでテオティワカン(紀元前2-紀元後6世紀にかけて繁栄した宗教都市)と関係が深かったと考えられています。ただし、彼以降、第7代王までの王朝初期の詳細は分かっていません。

 コパン王朝が中米のマヤ文明を代表する王国へと発展したのは、第10代王の月ジャガーが即位した553年以降のことで、628年に即位した第12代王の煙イミシュの治世下で、王国の支配地域はコパン谷の外側にも拡大。695 年に即位した第13代王ワシャック・ラフン・ウバク・カウィールの時代は、コパンでは独自の高浮き彫りや丸彫りの技術が生み出され、独特の様式を持つ石像彫刻が多く作られるなど、コパンの古典文化が花開きます。

 ところが、コパンの衛星都市のひとつで、モタグァ川中流域を拠点としていたキリグアの王、カック・ティリウ・チャン・ヨアートがコパンに対して叛乱を起こすと、738年、コパンはキリグアに敗れ、ワシャック・ラフン・ウバク・カウィール王は捕虜として斬首されてしまいます。その後、カック・ティリウはモタグァ川流域の交易を独占することに成功し、宗主国であるコパンの王を僭称するようになりました。

 以後、コパンの勢力は急速に衰退。9世紀前半、第16代王ヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアートを事実上の最後の王としてコパン王朝は崩壊します。なお、コパン遺跡の祭壇のレリーフには第17代王のウキト・トークの名がありますが、彼が実際に王として即位したか否かについては史料的な裏付けが取れていません。


★★ 昭和12年学会・第1回公開研究会 ★★

 1月19日(土)、14:00-17:30、東京・神保町のハロー貸会議室 神保町で、昭和12年学会の第1回公開研究会が開催されます。内藤は、チャンネルくららでおなじみの柏原竜一先生とともに登壇し、「昭和切手の発行」(仮題)としてお話しする予定です。

 参加費は、会員が1000円、非会員が3000円。皆様、よろしくお願いします。 


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 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

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 ホンジュラスで非常事態宣言
2017-12-03 Sun 21:48
 11月26日に投票が行われた大統領選挙で不正があったと野党候補が主張したことをきっかけに、全土で暴力を伴うデモが行われている中米ホンジュラスで、現地時間1日夜、非常事態が宣言され、政府は10日間の夜間外出禁止令を出しました。というわけで、きょうはホンジュラスの切手です。(画像はクリックで各位されます)

      ホンジュラス最初の切手(赤紙)

 これは、1865年に発行されたホンジュラス最初の切手です。

 ホンジュラスでは、1865年12月、当時の国章を描く最初の切手が発行されました。切手の製造は、1864年後半から1865年初にかけてベルギーの印刷所で行われ、額面は、当時の書状基本料金2レアルとなっています。ただし、切手発行直前の1865年10月に出された政令で、郵便料金が1レアルに値下げされたため、郵便局の窓口では、切手は1レアルで販売されました。

 また、当時のホンジュラス国内は銅貨の流通地域と銀貨の流通地域に分かれていたため、通貨の違いに対応して銅貨地区では赤紙に印刷された切手が、銀貨地区では緑紙に印刷された切手がそれぞれ使用されていました。印刷枚数は、赤紙・緑紙共に150万枚です。

 もっとも、当時のホンジュラス国内では、政府もしくは協会が差し出す料金無料の郵便物がかなりの割合を占めていたことに加え、切手の発行後も、一般の利用者は、従前どおり、郵便料金の支払に際して切手を貼らず、差出人払いの場合には“franquedo ”もしくは“franco”、受取人払いの場合には“porteado”もしくは“porto”と郵便物に表示していました。

 このため、 1865年に発行された切手は大半が未使用のまま残され、使用済切手の残存数ははるかに少なくなっています。      

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 世界の国々:ホンジュラス
2015-11-26 Thu 10:26
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年11月25日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はホンジュラスの特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ホンジュラス・国家団結の年(狙撃兵)

 これは、1972年に発行された“国家団結の年”の切手のうち、“祖国防衛”の文言とマシンガンを撃つホンジュラス兵が描かれています。切手状には1970年の文字がありますが、これは、この切手が発行された背景としての“サッカー戦争”の起きた年です。

 ホンジュラスと隣国エルサルヴァドルとの間には、建国以来、さまざまな対立要因がありました。

 まず、両国の国境は河川を起点としていたため、乾季と雨季では地形が変動し、そのことが境界線の画定を困難にしていたという事情があります。

 また、エルサルヴァドルに比べると人口が少なく、6倍の国土面積を有するホンジュラスは、歴史的にエルサルヴァドルからの移民を数多く受け入れてきましたが、1960年代に入ると、ホンジュラス国内の人口増加やバナナ農園の近代化・機械化に伴う労働需要の激減、牧畜や綿花農園の拡大による農地不足が問題となり、移民の制限を求める声が国内でも高まっていました。

 その反面、当時のエルサルヴァドルはホンジュラスに比べて工業化が進んでおり、ホンジュラスの国内市場はエルサルヴァドル製品が席捲していることに不満をもつホンジュラス国民も少なくありませんでした。

 こうした諸問題を解決する手段として、ホンジュラス政府は1969年4月に農業改革法を実施し、エルサルヴァドル移民の強制退去に踏み切ります。

 こうして両国の国民が互いに相手国への不満と反感を募らせていく中で、1969年6月、1970年のサッカーW杯の予選として、ホンジュラスとエルサルヴァドルの試合が行われます。

 第1戦はホンジュラスが、第2戦はエルサルヴァドルが勝ち、1勝1敗のタイで第3戦のプレーオフが行われることになりましたが、第2戦の後、ホンジュラス在住のエルサルヴェドル移民が襲撃を受けたことから、約1万2000人の移民がエルサルヴァドル領内に避難。激昂したエルサルヴァドル国民の間でホンジュラスとの国交断絶を求める声が高まり、エルサルヴァドル政府は6月23日に国家非常事態宣言を発し、国交を断絶しました。これを受けて、ホンジュラス政府も同27日、エルサルヴァドルとの国交を断絶します。

 緊張が高まる中で、7月14日、エルサルヴェドル空軍がホンジュラスの首都テグシガルパ郊外のトンコンティン国際空港をはじめ、飛行場と軍事施設を攻撃し、両国は交戦状態に突入しました。これが、いわゆる“サッカー戦争”です。

 戦闘は7月18日、米州機構の調停により停戦合意が成立し、8月3日までにエルサルヴァドル軍はホンジュラス領内から撤退。これを機に、ホンジュラスでは国民の間の国防意識が高まり、ナショナリズムを強調する観点から、今回ご紹介の切手も発行されたというわけです。

 ちなみに、戦争の発端となったサッカーの試合は、エルサルヴァドルが第3戦で勝利を収め、1970年のW杯にも出場を果たしています。

 さて、 『世界の切手コレクション』11月25日号の「世界の国々」では、ホンジュラスの世界遺産として有名なコパン遺跡やジェフロイクモザル、ハリケーン・ミッチの被災現場、マリンバ、清子内親王ご訪問の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、今週発売の12月2日号では「世界の国々」はモザンビ-クの特集で、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週以降、このブログでもご紹介する予定です。


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 ホンジュラスでクーデター
2009-06-29 Mon 21:52
 きのう(28日)、中米のホンジュラスで軍がセラヤ大統領を拘束し、国外に追放するクーデターが発生しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ホンジュラス・大統領官邸

 これは、1927年にホンジュラスで発行された6センタボ切手で、大統領官邸が取り上げられています。1929年、印刷所から目打が施される前のこの切手のシートが大量に盗まれる事件が起こり、犯人グループはその一部にミシンで私製目打を施して売りさばいています。今回ご紹介のマテリアルも、その過程で1列分の目打を漏らしたものなのかもしれません。なお、盗まれた切手が使われるのを防ぐため、ホンジュラス当局は1929年10月以降、郵便局の窓口から正規に発売したモノには“1929 a 1930”と加刷しています。

 さて、切手に取り上げられた大統領官邸を追われたセラヤ(前)大統領ですが、2006年1月の大統領就任時は中道右派の立場を取っていましたが、その後、急速に左旋回。ベネズエラやキューバなどとともに、中南米の反米左派陣営の一角を担っていました。このため、大統領の“変節”に対してはホンジュラス国内でも批判の声が強く、一部で軍によるクーデター待望論もあったようです。

 特に、今年3月、セラヤ大統領が、大統領の再選を禁止している憲法を改正して長期政権を目指す意向を明らかにすると、反大統領派は一斉に反発。最高裁も大統領の求める憲法改正のための国民投票は違憲であるとの判断を下していましたが、大統領側は、あくまでも6月28日に国民投票を行うと主張。直前の24日には改憲反対派の軍参謀長を解任するなど、緊張状態が続いていました。

 今回のクーデターは、こうした状況の中で、何としてでも国民投票を阻止すべく、軍が大統領を追放したという構図になっているわけですが、現時点では、アメリカはクーデターを非難するとともに、追放されたセラヤ大統領の即時無条件復帰を求める決議を採択し、クーデターによって誕生した新政権の正統性を否定する立場を取っています。もっとも、セラヤ政権は合法政権とはいえ、アメリカも本音では、“裏庭”である中南米の反米左翼政権が一つでも崩壊することは好ましいと思っているのは言うまでもありません。まぁ、アメリカにしてみれば、セラヤが最高裁の判断を無視して国民投票を強行し、反発した国民によって“民主的に”セラヤが政権から引きずりおろされる(ないしは11月の選挙で落選する)というのがベスト・シナリオだったのでしょうから、今回のクーデターに対しては「早まったことをしやがって」と苦り切っているというところですかな。


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 ご結婚おめでとうございます!
2005-11-15 Tue 15:29
 今日はいよいよ、紀宮内親王殿下のご結婚の日です。一人の日本人として、純粋に殿下のご結婚を寿ぎ、お2人のお幸せをお祈りしたいと思います。

 というわけで、今日は難しい理屈は抜きにして、この切手をご紹介しましょう。

ホンジュラス

 この切手は、今年(2005年)の8月、ホンジュラスが日本との外交関係樹立70年を記念して発行したセットの1枚で、同時に発行されたものの中には、小泉首相の所信表明演説ですっかり有名になった「米百俵」の演劇も取り上げられています。

 ホンジュラスがこの切手を発行したとき、一部のマスコミでは、ジャパン・マネーを狙った外貨稼ぎの“いかがわしい切手”の類であるかのような報道がなされました。たしかに、ホンジュラス側に、この切手を内親王殿下のご結婚にあわせて日本人に買ってもらおうという意図が全くなかったといえば嘘になるでしょう。

 しかし、殿下は2003年にホンジュラスをご訪問されており、両国の友好親善に功績を残された方です。純粋に両国の友好親善のシンボルとして、ホンジュラス側が殿下の肖像を切手に取り上げたいと考えても、それは自然な発想のように思われます。ちなみに、「米百俵」は、現地の日本大使からこの物語のことを聞いたホンジュラスの大統領がいたく感激し、大統領の肝いりで同国でスペイン語版の劇が上演され、ホンジュラスをご訪問になった殿下ご本人も現地でこの芝居を鑑賞されており、やはり、両国の友好親善の象徴として切手に取り上げられたというわけです。

 なお、2003年、殿下はホンジュラスとあわせてウルグアイも訪問されていますが、この辺の事情については、8月25日の記事 をご参照いただけると幸いです。

 10月に刊行した拙著『皇室切手 』では、制作期間中には、今日のブログでご紹介しているホンジュラスの切手は実物の手配が間に合わず、泣く泣く、報道資料のカラーコピーを図版として利用しましたが、今日は、実物からの画像をお見せします。拙著を補うものとしてご覧いただけると幸いです。
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