内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 カブスが108年ぶり世界一
2016-11-04 Fri 11:39
 野球の米メジャーリーグは、きのう(日本時間3日。現地時間2日)、ワールドシリーズの最終第7戦がクリーブランドで行われ、延長戦の末、シカゴ・カブスが8―7でクリーブランド・インディアンスを下し、1908年以来108年ぶり3度目の世界一となりました。というわけで、カブスの地元、シカゴにちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      シカゴ・ローカル切手

 これは、1860年、シカゴの民間郵便会社、フロイズ・ペニー・ポストが発行した切手で、ジョン・フロイドの肖像が描かれています。

 南北戦争以前の米国郵政の郵便は遅配・誤配が多かったため、各地で民間のローカル郵便が運営されていました。今回ご紹介の切手を発行したフロイズ・ペニー・ポストもそうした民間会社の一つです。

 創業者のフロイドの経歴について、詳しいことはわかっていませんが、1849年、両親とともにシカゴに移住し、1857年まで金物商を営んでいたことが確認されています。また、1856年3月からしばらくの間、イリノイ州の州兵に関する事務を担当していました。彼の名前に“キャプテン”の称号が付けられることがあるのは、そうした事情によるものと思われます。

 1860年7月、フロイドはシカゴ市内のランドルフ通り124番地にオフィスを構えてフロイズ・ペニー・ポストを創業。同社は、かつての英国の1ペニー郵便になぞらえて、市内一律1セント(当時の米国郵政の書状基本料金は3セント)で郵便物を取り扱い、順調に業績を伸ばします。半年間で配達スタッフは8名から16名に倍増し、1861年2月14日付の『トリビューン』紙にはフロイズ・ペニー・ポストは1日あたり1万5000通の郵便物を取り扱っていたとの記事が掲載されています。

 しかし、南北戦争が勃発し、州兵時代の上官であったエルマー・エルスワーズが戦死すると、フロイズは北軍に参加して南軍と戦うことを決断。1861年6月、ペニー・ポスト社を地元の不動産業者、チャールズ・マッパに売却しました。会社の売却後、フロイドはスプリングフィールド近くのキャンプ・バトラーで軍事教練を担当するかたわら、ペニー・ポストの経営にもアドヴァイザー的な立場で関わっていました。その後、フロイドは、1862年1月、前線に赴くべくシカゴを離れたため、同年5月、マッパはペニー・ポスト社をキンボール・アンド・ウォーターマン社に売却。さらに、郵便事業の官営独占を厳格化する法令が施行されたことで、1862年11月、フロイドの創業したローカル郵便はわずか2年で営業を終えることになりました。

 ちなみに、フロイド本人はシカゴを離れた後、北軍の作戦中に南軍の捕虜になりましたが、1864年9月には解放されてシカゴに戻り、その後は1890年までアメリカン・エクスプレスの会計係として勤務しています。

 フロイズ・ペニー・ポストの廃業後も同社の切手はかなりの数が残されていましたが、1871年のシカゴ大火でその大半が焼失。現在では、今回ご紹介の青色のものは比較的残されているのに対して、同図案の茶色の切手や廃業直前の1862年10月に発行された緑色の切手はかなりの珍品になっています。 


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00 
 毎日文化センターにて、1日講座、ユダヤとアメリカをやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) 
  

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 120年前の自転車郵便
2014-07-06 Sun 22:17
 先ずは、この切手を見ていただきましょう。(画像はクリックで拡大されます)

      米・自転車郵便ラベル

 これは、いまからちょうど120年前の1894年7月6日から、米国カリフォルニア州で行われた自転車郵便用のラベルです。

 1894年、米国では経済恐慌が発生し、鉄道会社の4分の1が倒産しました。こうしたなかで、シカゴ郊外のプルマン・カンパニーの労働者が人員整理と賃金カットに対する抗議のストライキを起こすと、米国鉄道労働組合がこれを指示して全米のほとんどの鉄道が停止してしまいました。いわゆるプルマン・ストライキです。

 ストライキの期間中、カリフォルニア州では、ヴィクター自転車フレズノ支店のアーサー・バンタは、少年たちを使って、フレズノ=サンフランシスコ間を自社の自転車で運ぶことを考え、そのために、今回ご紹介のような“切手”を発行しました。切手は菱形で、額面は25セント。周囲の枠内にフレズノ=サンフランシスコの自転車郵便用の“切手”であることを示し、中央には山水戸を走る自転車少年が描かれています。印刷は簡易なオフセットで、目打や裏糊はありません。

 当時の米国の書状基本料金は2セントでしたから、25セントという額面はかなりの割高でしたが、1894年7月6日からストライキが収束する18日までの12日間に380通が運ばれています。

 バンタの“切手”は米国政府の郵政機関が公式に発行したものではなく、一種のラベルのようなものですが、米国史上に残る大ストライキに関係するものということもあって収集家の間では人気があります。

 こうしたこともあって、1935年5月1日には、サンフランシスコからフレズノまで、1894年のストライキの際の自転車郵便を再現するイベントが行われ、1894年の切手のレプリカ(オリジナルと区別するため、十字に筋を入れ“MAIL”の表示を塗りつぶしています)も作られ、記念カバーもつくられています。

 ちなみに、1894年の経済恐慌時の米国では、深刻なデフレの下、失業率が18.4%にも達しており、通貨の供給量を増やして一刻も早くデフレを脱却することが望まれていました。ところが、当時の民主党のクリーブランド政権は、金本位制こそが先進国の証であるとの思い込みから、金本位制の維持に固執していたため、通貨の供給量は増えず、事態を悪化させるばかりでした。

 このため、同年の中間選挙では、与党・民主党は惨敗。このため、クリ―ブラント政権は、金本位制を維持したまま、通貨の供給量を増やすべく、政府による金の保有量を増やすことを考え、1896年2月、J・P・モルガンと英国のロスチャイルドに支援を求め、3億5000万オンスの金塊を調達しています。ただし、その見返りとして、合衆国政府は6500万ドル相当の国債をモルガンに差し出しています。なお、大統領との交渉に際して、合衆国政府の金庫には900万ドル相当の金貨しかないことを知ったモルガンは、「まもなく金兌換のために1000万ドルの小切手を政府に持ち込む男がいるのですが、そうなったらどうするおつもりですか?」とプレッシャーをかけたというから、えげつないものです。

 かくして、金本位制は維持されましたが、デフレで苦しむ農民たちを横目にモルガンやロスチャイルドが暴利をむさぼるという構図も明らかになります。この結果、農民の怒りは爆発し、彼らの代弁者として米国史上屈指の雄弁家、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが政治の表舞台に登場することになるのですが、そのあたりの事情については、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも1章を設けて解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
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 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 さらばミシシッピー
2011-10-15 Sat 01:23
 柳ジョージさんが今月10日、末期腎不全で亡くなっていたことがわかったとの報道がありました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

        トランスミシシッピ博2ドル

 画像は、1898年6月17日にアメリカで発行された“トランスミシシッピ博覧会”の記念切手のうち、ミシシッピ川に架かる橋を取り上げた2ドル切手です。柳さんの代表作のひとつ、「さらばミシシッピー」にちなんでもってきました。

 昨晩(14日)遅くに帰宅して訃報を知り、大好きなミュージシャンだっただけに、ショックを受けています。細かい理屈は抜きで、きょうは、この画像だけでご勘弁ください。
        

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 南北戦争150年
2011-04-13 Wed 20:58
 きのう(12日)は、1861年4月12日にいわゆるサムター要塞の戦いが起こり、アメリカの南北戦争が始まってから150周年ということで、アメリカでは各種のイベントが行われたそうです。というわけで、きょうは南北戦争がらみのマテリアルです。(画像はクリックで拡大されます)

     愛国カバー(南北戦争)

 これは、星条旗を手に砲台に立つ女神・アメリカのイラストが印刷された“愛国カバー”で、南北戦争中にウィスコンシン州マディソンからオハイオ州コロンバス宛に差し出されました。

 日本人の感覚からすると違和感がありますが、アメリカ人の中には、さまざまな宣伝内容のイラストや文面の入った封筒を私信などに用いる人が少なくありません。ここで、宣伝の対象となっているのは、新商品やイベントの案内などにとどまらず、政治的な主義主張にいたるまで、実に多種多様ですが、特に戦時下において、戦意を高揚させ、愛国心を鼓舞する目的で制作・使用されるものは、愛国カバーと呼ばれることがあります。

 アメリカで愛国カバーの利用が始まったのは今回ご紹介している南北戦争の時代で、以後、2003年のイラク戦争にいたるまで、随時、さまざまな種類の愛国カバーが制作され、使用されています。

 愛国カバーに用いられる封筒は、政府や公的機関が作成するということはほとんどなく、たいていは民間業者が販売を目的として制作したものです。このため、それぞれの業者は、より多くの売上を得るために激しい競争を展開し、封筒のデザインや文言にもさまざまな趣向を凝らしています。その内容は、戦争の大義を掲げたり、戦争への協力を訴えたりするものから、敵国とその指導者を揶揄し、俗語や卑語、さらには差別的な表現などが用いられているものや、どぎついイラストのものまで、実にさまざまです。

 しかし、国家の名において発行されるがゆえに、一定の品位や節度を要求される切手が、ともすると優等生的すぎて、何重にもオブラートに包まれた表現しかできないのに対して、愛国カバーからは、国家の公式な言説からこぼれ落ちた、人々の生の感覚を感じ取ることも可能であり、その意味では、非常に興味深い資料ともいえます。
 
 なお、以前、平凡社から刊行した拙著『皇室切手』では、いわゆる太平洋戦争期の愛国カバーに描かれた敵国ニッポンと昭和天皇のカリカテュアを通して、“自由と民主主義のための戦”などという嘘っぽい大義名分とは別の、当時のアメリカ国民の本音を覗いてみようとしたことがあります。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


  ★★★ イベントのご案内 ★★★

     切手百撰ポスター(小)

 以前の記事でも少しお話ししましたが、4月25日付で平凡社から拙著『切手百撰 昭和戦後』を上梓いたします。これにあわせて、下記のイベントに登場します。

 ・4月30日(土) 15:00- 出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。また、会場内で『切手百撰 昭和戦後』をお買い上げの方に、素敵なプレゼントをご用意しております。(画像は、会場内に掲示予定のポスターです。こちらもご覧ください)

 ・5月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。最新作の『切手百撰 昭和戦後』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。

 どちらも入場無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

        マカオ紀行・表紙カバー

   マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く
       彩流社(本体2850円+税) 

   マカオはこんなに面白い!
   30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。
   カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版!
   歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。

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 時節柄ご注意を
2010-07-09 Fri 14:15
 1850年7月9日、当時のアメリカ大統領ザカリー・テイラーが現職のまま亡くなってきょうで160年です。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ザカリー・テイラー

 これは、1870年にアメリカで発行された5セントの通常切手で、ザカリー・テイラーが描かれています。

 テイラーは1784年、バージニア州生まれ。1812-15年の米英戦争に参加した後、ネイティブ・アメリカンの“討伐戦”で軍功をあげ、軍人としての昇進を重ねました。1846年には、当時のメキシコとの国境だったリオグランデ砦の攻防線で数に勝るメキシコ軍を撃破。これを機に米墨戦争がはじまるとリオグランデ川を渡り、メキシコ軍に大打撃を与えて、アメリカに勝利をもたらしました。この結果、新たにアメリカの版図に加えられたのが、カリフォルニアやネバダやユタなどです。

 こうして、米墨戦争の英雄となった彼は、1848年の大統領選挙でホイッグ党に担がれるかたちで立候補し、当選しましたが、1850年7月4日、独立記念日の式典の後、猛暑の中で、サクランボと牛乳を食べ過ぎて体調を崩し、同月9日、重度の消化不良で亡くなりました。

 生粋の軍人として鍛え上げられた肉体を持ち、現職の大統領として健康管理に関しては周囲が万全の態勢を取っていても、食あたりになり、命を落としてしまうこともあるんですねぇ。食中毒が発生しやすい時期でもありますし、皆さんもお気を付け下さい。

 なお、テイラーをはじめ、米墨戦争の英雄たちについては、拙著『大統領になりそこなった男たち』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 第17回東京国際ブックフェアにて第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催

 僕が顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』は、彩流社および版元ドットコムの協力を得て今年は全国書店の取り扱いがグンと増えました。そこで、7月8-11日、東京ビッグサイトで開催の東京国際ブックフェア(地図はこちら)会場内特設スペースにて、7月10日(土)14時から、雑誌の内容をより多くの皆様に知っていただけるよう、フロア・オークションを開催いたします。(内藤はハンマーの担当です)

 皆様のご来場・ご参加を心よりお待ちしております。なお、オークションについてのお問い合わせ、カタログの入手方法などにつきましては、こちらまで、お問い合わせください。

 また、東京国際ブックフェアには入場料が必要ですが、事前にこちらまでお申し込みをいただくと、主催者側から入場無料となる招待券をお送りいたしますので、よろしくご活用ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 礼拝所不敬及び説教等妨害罪
2009-01-19 Mon 21:22
 42歳の会社役員の男が、トラブルのあった知人の母親の葬儀中にひつぎを落とすなど葬式を妨害したとして、“葬式妨害”(刑法188条の礼拝所不敬及び説教等妨害罪)の容疑で逮捕されたそうです。このニュースを聞いて、そんな罪があったのか、とビックリしましたが、さて、それでは棺関連のマテリアルはあったかなと思って探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

 ファンシーキャンセル・棺

 これは、1883年にアメリカで発行された初代大統領ワシントンの肖像を描く2セント切手で、十字架のついた棺のファンシー・キャンセルが押されています。

 日本語の棺に相当する英単語としては、コフィン(coffin)とキャスケット(casket)の二つがあります。このうち、コフィンは、棺の両肩の部分が広く、足先に向かって細くなっているデザインのもので、キャスケットは長方形のものです。キャスケットは1870年代にアメリカで考案されたもので、生産効率が良いことから、急速に定着。現在では、(特にアメリカでは)棺の大半はキャスケットです。ただし、怪奇映画『ドラキュラ』の棺のイメージもあって、現在でも、ホラー映画やアニメなどではコフィンも好んで取り上げられています。ちなみに、ご紹介のマテリアルの棺はコフィンです。

 植民地時代のアメリカでは、もともと、棺は、大工、木工業者、家具職人などが作っていましたが、都市人口の増大とともに18世紀中頃には専門の棺メーカーが登場します。19世紀の時点では、万が一にも生きたままの人間を埋葬してしまわないように、内部に鈴や笛などの器具を取付けた棺も作られていたのだとか。

 さて、日本ではとかく不透明で不明朗といわれがちな葬儀の値段ですが、欧米では、棺の値段が葬儀費用の中で最も大きな比重を占めているため、経理システムもかなり明快です。棺の種類はそれこそピンきりで、贅沢を言えばきりはないのでしょうが、安いものだと200ドルくらいからあるそうです。その場合、棺は合板に布を貼ったタイプとなり、中級品クラスになると木製で銅の覆いがあるものとなり、金属製の棺となると1000ドル以下ということはないようです。

 ところで、かつては欧米キリスト教社会では土葬が中心でしたが、墓所スペースの不足に伴い、火葬も急増しています。ところが、この火葬に関しては、宗教上の理由とは全く別の次元で、一部の環境保護派が大気汚染防止や省資源の視点から異議を唱えているそうですから、なかなかややこしいですな。

 
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 年賀切手   『年賀切手』   日本郵趣出版 本体定価 2500円(税込)       
 
 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中!

 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(左の画像)が掲載されました。 こちらでお読みいただけます。また、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(右の画像)も作っていただきました。 *写真はいずれも:山内和彦さん撮影

 夕刊フジ(イメージ)   日本郵政特設コーナー 
 
 
 もう一度切手を集めてみたくなったら 
 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 ハロウィン・カボチャの消印
2008-10-31 Fri 09:59
 今日はハロウィン。というわけで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ハロウィン消印
 
 これは、1894年にアメリカで発行されたダニエル・ウェブスターを描く10セント切手で、ハロウィン・カボチャことジャック・オ・ランタンのファンシー・キャンセルが押されています。

 ウェブスターは1782年生まれの19世紀前半のアメリカを代表する政治家で、ヘンリー・クレイロバートタフトとともに、“フェイマス・ファイブ”(アメリカ史上もっとも偉大な上院議員5人)の一人に挙げられています。また、1841-43年と1850-52年の2度、国務長官になりましたが、在任中の1852年10月に亡くなりました。

 ところで、19世紀のアメリカでは、切手を抹消するための消印についての規則が緩やかで、各地の郵便局ではコルクなどを刻んで思い思いの印を作り、それを切手に押すことが行われていました。これが、いわゆるファンシー・キャンセルです。

 ファンシー・キャンセルにはいろいろなデザインがあって楽しいのですが、今回ご紹介のものはハロウィンにつきもののジャック・オ・ランタンがデザインされています。おそらく、ハロウィンの時期に合わせて使われたのでしょうね。

 さて、いよいよ明日から開幕の<JAPEX>では、会期中日の2日(日)の15:00から拙著『大統領になりそこなった男たち』にからめたトークも行う予定です。きょうご紹介のウェブスターは登場しませんが、日本人になじみの深いマッカーサーを中心に、フェイマス・ファイブのクレイやタフトについても触れることになりそうです。

 ぜひ、遊びに来てください。

 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月1日(土)
  13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)
  16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)
 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★     

 アメリカ史に燦然と輝く偉大な「敗者たち」の物語    
 『大統領になりそこなった男たち』 中公新書ラクレ(本体定価760円+税)
 
 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

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 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。
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 小泉引退に思うこと
2008-09-28 Sun 10:30
 小泉純一郎元首相が次期総選挙には出馬せず、引退するのだそうです。このニュースを聞いて、少し考えることがあったので、こんな切手をもってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 アンドリュー・ジャクソン

 これは、1863年にアメリカで発行されたアンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)の2セント切手です。

 ジャクソンは1767年、サウスカロライナの片田舎に北アイルランド移民の子として生まれました。貧困家庭の出身でほとんど教育を受けられませんでしたが、独学で法律を学び、20歳で弁護士になっています。その後、1788年にテネシー州憲法会議委員となったのを皮切りに、1796年に下院議員、1797年に上院議員となり、1798年には州の最高裁判事に任命されています。

 1804年に政界から一時引退し、テネシー州ナッシュビルで綿花農場を経営していましたが、1812年に米英戦争が勃発すると義勇軍を率いて出陣。1814年にはイギリスの支援を受けてアメリカ軍と戦っていたクリーク・インディアンを多数虐殺したうえで彼らの土地を奪い、彼らをアラバマ・ジョージア両州の辺境から追放してしまいます。この功績によって、ニューオリンズでイギリス軍と戦う部隊を指揮する権限が与えられ、有名なニューオリンズの戦いでイギリス相手に勝利を挙げることになりました。

 ニューオリンズの戦いにより、ジャクソンは一躍国民的な英雄として、アメリカ全土にその名をとどろかせ、1828年の大統領選挙で当選。1932年には現職大統領として再選を目指すことになります。

 このときの選挙の争点は銀行問題でした。

 アメリカで、連邦政府が最初に特許(有効期限20年)を付与した銀行は、1791年にフィラデルフィアで設立された第一合衆国銀行です。同行は実質的に連邦政府の銀行として金兌換の銀行券を発行する権限も与えられていましたが、1811年に特許更新の時期を迎えた際、中央政府による金融の統制強化を望まない反連邦派陣営は同行の特許更新を阻止し、同行は廃止に追い込まれています。

 このため、1816年、第一合衆国銀行の業務を引き継ぐものとして第二合衆国銀行が設立され、州ごとにまちまちだった通貨管理を統一するためにも、連邦全体を統一した銀行制度の確立を目指すことになります。

 このため、免許の更新期限が残り4年に迫っていた1832年、連邦議会の重鎮で野党の大統領候補となったヘンリー・クレイの主導で、特許更新法案が連邦下院を通過しました。

 ところが、大統領のジャクソンは、この特許更新法案に対して拒否権を発動。上院ではこれを覆すことができず、第二合衆国銀行の命運は風前のともしびとなってしまいます。

 ジャクソンが第二合衆国銀行の特許更新に対して拒否権を行使したのは、経済学的な裏付けがあったからではなく、国民世論の間に蔓延していた反銀行感情を利用して、クレイら反ジャクソン派に打撃を与えようとしたためでした。当時の国民の間には、第二合衆国銀行は公金で特権階級の便宜を図り、投資の利益を分配するものとして、連邦政府と特権的資本家との癒着の象徴とみられており、世論を読むことに長けていたジャクソンは、合衆国銀行をモンスターと呼び、第二合衆国銀行総裁のニコラス・ビドルを人民の敵として非難することで喝采を浴びたのです。

 しかし、第二合衆国銀行を感情的に否定してしまえば、混乱した通貨管理の問題を適切に処理することはできず、政府としては極めて無責任です。

 結局、選挙では、国民的な人気を背景に、“敵”を特定して国民の感情的対立をあおるジャクソンが、286人の大統領選挙人のうち219人を獲得してクレイに圧勝。第二合衆国銀行についての冷静な議論を展開したクレイは惨敗してしまいます。

 再選を果たしたジャクソンは、第二合衆国銀行に止めをさすべく、1833年、連邦政府預託金を同行から引き揚げ、「ペット・バンク(Pet Bank)」と呼ばれた民主党系の7つの州法銀行へ分配しました。この結果、ジャクソン政権が発足した1829年には4800万ドルだった紙幣の流通量は、彼が退陣した1837年には1億5000万ドルと3倍以上にも膨れ上がってしまいました。さらに、ペット・バンクは新たに振り込まれた資金を用いて投機を行いましたから、地価は暴騰し、インフレはますます深刻なものとなります。このため、ジャクソン政権は1836年に正貨流通令を出して公有地払い下げの支払いは金貨ないしは銀貨に限るとしたのですが、金銀のリザーブが少なかった多くの州法銀行は紙幣と金銀との交換を停止してしまいました。

 この結果、彼らの発行する紙幣は紙くず同然となって、経済状況はますます悪化。対策を求める資本家たちに対してジャクソンは「来る場所が違う。ビドルに頼め!」と言い放ち、すげなく追い返したそうです。

 さて、1830年代のジャクソン政権の事例は、意図的に“抵抗勢力”を作り出して国民的な人気を演出し続けてきた小泉政権と妙にイメージが重なるような気がするのは、果たして僕だけでしょうか。ちなみに、ジャクソンが2期8年の任期を務めて引退した後、大統領に彼の中心だったヴァン・ビューレンが就任することになりますが、ヴァン・ビューレンはジャクソンの残した負の遺産に苦しみ、再選はおろか、次期選挙では与党候補にすらなれませんでした。小泉元総理の忠臣として後継総理になった安倍晋太郎が1年で政権を投げ出し、さらにその後継となった福田康夫も1年で政権を投げ出すという構図もまた、ジャクソンと小泉の相似形を感じさせるエピソードといえましょうか。

 なお、ジャクソンと戦い、敗れたクレイについては、拙著『大統領になりそこなった男たち』でも1章を設けて取り上げていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

 
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 大統領になりそこなった男たち:ジョン・フレモント
2008-08-24 Sun 10:10
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、雑誌『中央公論』9月号が発売になりました。僕の連載「大統領になりそこなった男たち」では、今回は、共和党として最初の大統領候補になったジョン・フレモントを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 フレモント

 これは、1898年6月に発行されたトランスミシシッピ博の記念切手で、ロッキー山頂で星条旗を掲げるフレモントが描かれています。

 フレモントは、1813年、ジョージア州サバンナの出身。1838年から1839年にかけて、フランス人地理学者、ジョセフ・ニコレットによるミシシッピ川=ミズーリ川間の探検に助手として参加しました。1841年にはフレモント自身もミシシッピ川支流のデモインズ川の地図を作製しています。また、1841年から1846年にかけて、オレゴン・トレイルを通ってシエラネバダ山脈に入る遠征隊を率い、この間、タホ湖を“発見”し有名になったほか、セント・へレンズ火山の地図を作成しました。

 1846年春、フレモントは国務省の命を受けてロッキー山脈からコロンビア川に到着する最短ルートを求めてカリフォルニアに到着します。当時のカリフォルニアはメキシコ領。首都のメキシコシティからは遠く離れ、人口わずか1万人の辺境の地でした。

 探検隊の隊長として、フレモントはメキシコの上カリフォルニア軍事総督のカストロに探検の許可を求め、カストロもいったんはこれを許可するのですが、後にカストロは、フレモントがカリフォルニアの独立運動を扇動しているのではないかと疑い、探検の許可を撤回します。しかし、フレモントはこれを無視して探検を断行。さらに、地元の入植者を扇動してメキシコ当局に対して反乱を起こさせました。

 これが、カリフォルニアにおける米墨戦争の発端となりました。

 ウィリアム・アイダひきいる反乱軍は1846年6月6日、カリフォルニア共和国の独立を宣言しますが、同国は7月5日、ロバート・ストックトン准将ひきいるアメリカ艦隊の上陸とともに合衆国に吸収されています。その後、フレモントはストックトンの指揮下で行動し、サンタバーバラ攻略のために300名の遠征部隊を率いて軍功を挙げました。

 さて、1847年1月、フレモントはメキシコのアンドレ・ピコ将軍にカフエンガ条約を調印させ、カリフォルニアにおける米墨戦争は終結します。この功に対して、ストックトンはフレモントをカリフォルニア州軍事知事に任命しましたが、これを不服とするスティーブン・カーニー(アメリカ軍騎馬隊の父と呼ばれる人物で、やはり、米墨戦争中のカリフォルニア攻略に軍功のあった将軍)は、連邦政府に対して、命令を下す権威は自分にあることの確認書を要求するとともに、自分の許可を得ず知事に就任したフレモントの行為は反乱罪にあたるとして彼を逮捕し、ワシントンDCに送還しました。フレモントは軍法会議にかけられ、有罪判決を受けたが、ポーク大統領の特赦により赦免されています。

 その後、フレモントはカリフォルニア州選出の上院議員となり、1856年の大統領選挙では、探検家にして米墨戦争の英雄というキャリアが買われ、反奴隷主義者として毀誉褒貶の激しいスワードに代わって、奴隷制反対を掲げて誕生した共和党初の大統領候補となりました。

 選挙戦では、共和党が「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」とのスローガンを掲げて、新しい領土への奴隷制拡張に反対。奴隷制は共和制の価値観を破壊していると主張したのに対して、民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論しています。

 投票の結果、民主党のブキャナンが大統領に当選しましたが、フレモントは大いに検討しており、奴隷制の存続をめぐるアメリカ合衆国内の対立はますます先鋭化していくことになります。

 なお、雑誌『中央公論』の連載をまとめて、9月10日、中公新書ラクレの1冊として『大統領になりそこなった男たち』を刊行する予定です。無事刊行の暁には、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。

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 大統領になりそこなった男たち:ヘンリー・クレイ
2008-06-09 Mon 20:12
  雑誌『中央公論』7月号が発売になりました。僕の連載「大統領になりそこなった男たち」では、今回は、19世紀前半のアメリカを代表する政治家で、ロバート・タフトとともにフェイマス・ファイブ”(アメリカ史上もっとも偉大な上院議員5人)の一人に挙げられているヘンリー・クレイを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 ヘンリー・クレイ

 ヘンリー・クレイは、独立宣言翌年の一七七七年、バージニア州で生まれました。

父親のジョンは地元では名の知られたバプテスト派の牧師だったが、ヘンリーが四歳の時に亡くなった。実の父親は彼が4歳の時に亡くなりましたが、9人の子供たち(ヘンリーはその7番目)には奴隷を2人ずつ、妻のエリザベスには18人の奴隷と464エーカー(190万平方メートル弱)を遺産として残していたことに加え、エリザベスはほどなくして再婚しており、父親を亡くしたヘンリーが生活に困窮するということはなかったようです。

 初等教育を終えた後、クレイは民事裁判所の小僧になりますが、そこで法律に対する抜群の理解力を示したことで、判事のジョージ・ワイトの秘書に抜擢されます。ワイトはクレイを気に入ってかわいがり、彼自身が教鞭をとっていたバージニア州のウィリアム・メアリー大学で正規の法学教育を受けさせ、1797年、クレイは20歳で弁護士資格を取得しました。

 弁護士資格を取得したクレイはケンタッキー州のレキシントンに移って弁護士としての実務経験を積み、すぐに腕のいい若手弁護士として知られるようになります。そして、1803年にケンタッキー州の下院議員に、さらに、その後は連邦議会に議席を獲得。“アメリカン・システム”の名の下、工業化の促進と政府主導の公共事業によるインフラの拡充、輸入品への高関税による国内産業の保護を主張して長年にわたり上下両院に議席を維持し、下院議長も通算6期務めています。

 さて、クレイが初めて大統領を目指したのは1824年の選挙でした。当時、連邦議会には民主共和党しか政党が存在していませんでしたが、同党からはクレイのほか、アンドリュー・ジャクソン、ジョン・クインシー・アダムズ、ウィリアム・クロフォードの計4名が立候補。一般投票ではジャクソンが99人の選挙人を獲得し、84人獲得のアダムズが次点となりました。しかし、ジャクソンの獲得選挙人も過半数に満たなかったため、選挙は下院での上位3名による決選投票に持ち込まれます。

 ここで最下位のクレイは脱落するのですが、たまたま彼は下院議長として選挙を仕切る立場にあったため、ジャクソンを追い落とし、アダムズの逆転勝利を後押ししています。その論功行賞として、アダムズ政権の発足とともに、クレイは次期大統領への最短ポストといわれた国務長官に指名されました。

 おさまらないのはジャクソン陣営で、彼らはクレイとアダムズの“裏取引”を非難。政治的主張の相違もあって、選挙後、民主共和党はジャクソンの民主党とアダムズ、クレイの国民共和党に分裂することになります。これが、現在の民主・共和両党の原型になりました。

 その後、クレイは、1832年には国民共和党候補として、また1844年にはホイッグ党(1834年に国民共和党が改名)候補として、民主党候補(1832年はジャクソン、1844年はジェームズ・ポーク)と大統領の座を争っていますが、いずれも当選は果たせず、党の候補指名を逃した1840年ならびに1848年も含めると、計5回の大統領選挙に挑戦して全敗するという稀有の記録を残しています。

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