内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 Merry Christmas Again!
2016-12-25 Sun 10:51
 きょう(25日)はクリスマスです。というわけで、ストレートにこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米国・クリスマス(1975)

 これは、1975年に米国で発行されたクリスマス切手で、1878年にルイス・プランが制作したクリスマスカードが取り上げられています。

 クリスマス・カードの起源は、1840年に英国で郵便改革が行われたことを受けて、ヴィクトリア・アルバート美術館長のヘンリー・コールが、郵便事業の振興を兼ねて、1ペニー料金で送ることのできるグリーティング・カードを制作したことに求めるのが一般的です。 一方、米国では、早くも1840年代にマサチューセッツ州の女性、エスター・ホランドがカード制作会社を設立。ヴァレンタイン・カードから着想を得て、装飾用のレースの紙などを輸入して手作りカードを販売しています。

 ただし、初期のクリスマス・カードは、制作コストがかかりすぎるなど、庶民にはなかなか手の届かないものだったため、実際にカードのやり取りが普及するようになるのは、大量印刷が可能になった1860年代以降のことでした。

 こうした中で、1873年(日本語の資料では1874年とされていることも多いのですが、これは誤り)、ドイツ系移民のルイス・プラングが亜鉛版を利用したクリスマス・カードを制作して英国に輸出。翌年には国内での販売も開始します。

 プラングは、1824年、プロイセンの支配下にあったブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)で織物職人の家に生まれました。1840年代前半、彼は印刷と織物の修行のため、ボヘミア周辺を旅していましたが、そのために、1848年革命に際しては革命派との関係ができ、プロイセン領内にはいられなくなります。そこで、1850年、スイス経由で米国に渡り、ボストンに定着しました。

 渡米当初、プラングは建築書の出版と皮革製品の制作を行っていたものの、こちらはあまり成功せず、書籍の挿絵として木版画の制作を開始。これが徐々に軌道に乗っていったことから、1856年、マサチューセッツの建築や風景を専門とするリトグラフの制作・販売を行う“プラング&メイヤー”を設立しました。1860年、プラングは共同経営者のメイヤーら経営権を買い取り、プラング&メイヤーを“L.プラング商会”に改組。多色刷の広告制作にも着手したほか、南北戦争中の戦況地図(主として新聞掲載用)を制作して大いに繁盛しました。さらに、1864年、プラングは渡欧してドイツの平版印刷技術を学び、翌1865年に帰国すると、美術品の複製等も手掛けるようになります。

 その後、プラング商会は学校の教科書や美術教師向けの指南書など、あらゆる印刷物を手掛けるようになりましたが、その一環として、1873年、いまだ割高だった英国のクリスマス・カードに目をつけ、英国向けのカードを制作して輸出。これが成功したことから、翌1874年には米国内でもクリスマス・カードの販売を開始しました。

 プラング商会のカードは、それ自体、当時の米国社会で人気を集めましたが、プラングは自社の成功だけに満足せず、クリスマス・カードのコンテストを主催するなどして、カード交換の習慣を普及させるうえで多大な貢献をしたため、現在では“米国におけるクリスマス・カードの父”とも称されています。

 さて、今回ご紹介の切手は、クリスマス・カードから図案を採っていますので、当然のことながら、“Merry Christmas!”の文言が切手にもしっかり入っています。この切手が発行された1975年当時は、こうした切手を発行しても、誰も文句を言う人はいませんでした。

 ところが、1980年代に入り、いわゆるポリティカル・コレクトネスが猖獗を極め、差別を是正するという大義名分のもと、リベラル勢力による激しい言葉狩りが横行(議長を“チェアマン”と呼ぶのは男女差別なので“チェアパーソン”と呼ばねばならない、など)するようになると、“メリー・クリスマス”は非キリスト教徒に配慮して“ハッピー・ホリデー”と言い換えなければならないとされるようになり、米国切手から“Merry Christmas!”の文言は消えていくことになります。

 もちろん、明かな悪意を持って差別語を使うことは厳に慎むべきでしょうが、あまりにも極端なリベラルの主張に対して、善男善女が素朴な疑問を持つのは当然のことです。しかし、これまでの米国の言論空間では、フツーの人たちが、自分たちの“常識”に照らして、ポリティカル・コレクトネスの行き過ぎに疑義を呈することさえ、“差別”として糾弾されかねないという現状があり、そうした風潮に対する不満が、今年の大統領選挙でのトランプ候補の当選につながったという面があったことは間違いありません。

 ちなみに、トランプ次期大統領は、選挙戦を通じて、極端なポリティカル・コレクトネスの愚行を非難し、「米国が再び『メリークリスマス』と言える国に」と訴え続けてきました。そして、今月13日には、ウィスコンシン州での遊説で、「18カ月前、私はウィスコンシンの聴衆にこう言った。いつかここに戻って来たときに、我々は再び『メリークリスマス』と口にするのだと。......だからみんな、メリークリスマス!」と語っています。

 僕は、トランプ次期大統領を全面的に支持するというわけではないのですが、“メリー・クリスマス”ということさえタブー視される社会というのは、やはり異常だと思います。そうした気持ちから、今年のクリスマスには、“メリー・クリスマス”の文言の入った米国切手をご紹介した次第です。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 サンバ100年
2016-12-16 Fri 12:25
 1916年12月16日、音楽としてのサンバの最初の一曲とされる「電話で(Pelo Telephone)」がブラジルで楽曲登録されてから、今日でちょうど100年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      コパカバーナ・宣伝絵葉書  

 これは、ニューヨークのナイトクラブ、“コパカバーナ”が1950年代末に制作した宣伝絵葉書で、1930-40年代に“ブラジルの爆弾”、“サンバの女王”と呼ばれたカルメン・ミランダをイメージしたフルーツ・ハットの女性の顔が大きく描かれています。

 ニューヨークのコパカバーナは、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸にちなんで名づけられたナイトクラブで、バリー・マニロウの往年のヒット曲『コパカバーナ』は、ここを舞台にした悲恋の歌です。ちなみに、現在、“デヴィ夫人”として芸能活動を行っている根本七保子が働いていた赤坂のクラブ、コパカバーナは、ニューヨークのクラブを真似て作られたものです。ちなみに、ついでですので、今回ご紹介の葉書のイラストの元ネタともいうべき、実際のカルメンの写真を下に貼っておきます。

      カルメン・ミランダ絵葉書

 さて、サンバの原型となった舞踏と音楽は、19世紀初までにアフリカ出身の黒人奴隷たちによって、奴隷貿易の集積地であった北東部のバイーアに持ち込まれました。その後、1888年の奴隷制の完全廃止を経て、“解放”された奴隷たちが職を求めて、当時のブラジルの首都だったリオとその周辺に集まるようになると、しぜんと、アフリカ系の音楽とダンスもリオに持ち込まれることになります。

 19世紀末以降、リオに流入した黒人たちは、プラッサ・オンゼ(第11広場)と呼ばれる地域を中心に集住。この地域では、“チア”と呼ばれる年配女性の家がアフリカ系の土着信仰の礼拝所にして、ダンスや音楽などの社交場となっていましたが、なかでも、“チア・シアータ”と呼ばれていたイラーリア・バチスタ・ヂ・アルメイダの家には、腕の良いミュージシャンたちが数多く集まっていました。

 当時、彼らが主に演奏していたのは、バトゥカーダ(打楽器のみで演奏する2拍子の音楽)、ショーロ(管楽器と弦楽器のバンドリン+、カヴァキーニョ、ギター、打楽器のパンデイロを基本構成とし、即興を重視した三部形式の音楽)、ルンドゥー(アフリカ系の軽快な舞踏音楽)などで、ここに、ヨーロッパ伝来のポルカやマズルカの要素が入り込む。「電話で」とサンバは、こうしたチア・シアータでのセッションから生まれた1曲でした。

 さらに、1920年代以降、サンバのリズムやスタイルは多様化し、音楽として聴かせることに重きを置き、ゆったりとしたリズムで男女がペアで踊る“サンバ・カンサォン”が誕生。このサンバ・カンサォンの女王として君臨したのがカルメン・ミランダです。

 カルメンは1909年、ポルトガル北部のマルコ・デ・カナヴェセスで生まれ、翌1910年、リオに渡りました。生まれた時の名は、マリア・ド・カルモ・ミランダ・ダ・クーニャでしたが、オペラ好きの父は、ビゼーのカルメンにちなんで、彼女をカルメンと呼び、それが、後に彼女の通り名になります。

 カルメンは、幼いころから歌と踊りの才能を発揮。10代からラジオ番組のオーディションを受け、パーティーやイベントで歌っているうちに、作曲家のジョズエ・デ・バロスに見出され、1929年、最初のレコーディングを行いました。

 さらに、1933年、ラジオ・メイリング・ベイガと2年契約を結び、サンバ・カンサォンの歌手としてデビュー。さらに、翌1935年には「アロー・アロー・ブラジル」「エストゥダンテス」などの映画にも出演し、女優としても注目されます。1939年の映画『バナナ・ダ・テラ』で彼女が歌った「O Que E Que A Baiana Tem?(バイーア女には何がある?)」は、現在なお、ブラジル音楽のスタンダードとして有名です。

 カルメンの人気に目を付けた米ブロードウェイの劇場主、リー・シューバートは、1939年6月、英語がほとんど話せなかった彼女をニューヨークに呼び寄せました。翌1940年、彼女は『遥かなるアルゼンチン』に出演して成功しましたが、ブラジルでは「米国人の偏見を強調し、ステレオタイプにはめこんで売り出している」として彼女への反感も強く、1940年7月、彼女がリオで行った凱旋公演には容赦のない罵声が浴びせられました。ショックを受けた彼女は楽屋で号泣し、以後14年間、帰国しなかったほどです。

 その一方、米国での彼女の人気はますます高まり、1943年、果物を盛った“フルーツ・ハット”をかぶって出演した映画「ザ・ギャングス・オール・ヒア」で、ハリウッドでの人気は頂点に達する。ギャラも高騰し、年収は20万ドル(現在の貨幣価値で200万ドル以上と推定)にまで跳ね上がります。“フルーツ・ハット”のインパクトは絶大で、その後も、多くのデザイナーが彼女にインスパイアされたフルーツ・ジュエリーを制作するようになりました。今回ご紹介の宣伝絵葉書にも、カルメンを意識したと思しきフルーツ・ハットの女性の顔が描かれていますが、当時の米国人にとっては、“コパカバーナの女神”といえば、やはり、カルメン以外にはありえないということだったのでしょう。

 第二次大戦後は1950年に発表した「ウェディング・サンバ」が全米23位のヒットとなります。この頃になると、ブラジル社会も彼女の米国での成功を素直に祝福するようになっており、1953年10月、彼女が過労で倒れた後、休養のためにブラジルに帰国した際には、人々は温かく彼女を迎え、彼女も1955年4月までブラジルに留まりました。

 しかし、ブラジルから米国に戻った直後の1955年8月5日、カルメンはロサンゼルスでの番組の収録後、ビバリーヒルズの自宅で、急性心臓発作で亡くなりました。享年46歳。彼女の遺体はリオデジャネイロへ戻り、6万人がリオ市役所での彼女の追悼儀式に参加。50万人以上のブラジル国民に見送られて、リオデジャネイロのサン・ジョアン・バティスタ墓地に埋葬されました。

 なお、カルメンのエピソードを含むサンバの歴史については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 <NEW YORK 2016>終了
2016-06-05 Sun 13:56
 早いもので、5月28日から始まった世界切手展<NEW YORK 2016>は、昨日(4日・現地時間)、無事に終了しました。先ほど、現地時間で日附が変わった頃に作品とメダルのピックアップも終了し、本日のフライトでニューヨークを発ちます。というわけで、無事の帰国を願って、毎度恒例、2都市間のエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      パンナムFFC ニューヨーク→東京  パンナムFFC ニューヨーク→東京(裏)

 これは、1947年のパンアメリカン航空(以下、パンナム)の世界周遊飛行によるニューヨーク=東京間の初飛行カバー(FFC)で、1947年9月26日にニューヨークを出発し、10月3日に東京に到着しています。

 パンナムの世界周遊飛行は、サンフランシスコを出発してホノルル→東京→香港→バンコク→デリー→ベイルート→イスタンブル→フランクフルト→ロンドン→ニューヨークというルートの001便と、ニューヨークを出発して逆回りでサンフランシスコにいたる002便がありますが、今回は、ニューヨーク発の002便のカバーを持ってきました。ついでですので、9月27日に東京を発ち、10月3日にニューヨークに到着した001便のカバーの画像も下に貼っておきましょう。

      パンナムFFC 東京→ニューヨーク

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの吉田敬さん、アシスタント・コミッショナーの池田健三郎さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多いニューヨーク滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、あす(日本時間で6日)の午後には、成田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通り仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を6月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 B-52爆撃機が墜落、炎上
2016-05-19 Thu 16:56
 グアムのアンダーセン空軍基地で、けさ(19日朝)、B‐52爆撃機が離陸直後に墜落、炎上しました。7人の搭乗員は全員無事だったそうです。というわけで、きょうはこの切手です、(画像はクリックで拡大されます)

      米空軍50年

 これは、1957年8月1日に米国が発行した“空軍50年”の記念切手で、B-52爆撃機とF-104戦闘機が描かれています。

 米空軍のルーツは、1907年、気球部隊を職掌としていた陸軍通信隊の一部門として創設された航空機部門です。

 その後、航空部(1914年)、航空機部門(1918年)、航空部(同)、陸軍航空隊 (1926年)等陸軍内の組織として改編・拡充され、1941年に陸軍地上軍と対等の部門として、陸軍航空軍 (USAAF) が設置されました。陸軍航空軍が陸軍から独立し、空軍省となったのは、1947年9月18日のことです。

 切手に描かれたB-52は、ボーイング社が開発し米空軍に採用された戦略爆撃機で、“成層圏の要塞”を意味するストラトフォートレスの愛称で親しまれています。

 特に、ヴェトナム戦争を象徴する米軍機としてのB-52D爆撃機は、ヴェトナム戦争時に最大で108発の爆弾(爆弾庫に84発、翼に24発)を搭載して出撃し、BUFF(Big Ugly Fat Fellow:でかくてデブで醜いヤツ)とも呼ばれました。ちなみに、現役戦闘機で最も搭載力のあるF-15Eは26発が搭載可能ということなので、108発というのはとてつもない数字です。“でかくでデブ”といわれるのも無理からぬことです。

 今回の事故のニュースで、僕などは、ヴェトナム戦争の時代の爆撃機だとばかり思っていたB-52がまだ現役で使われているのかと驚いたのですが、調べてみると、アフガニスタンへの空爆でも、B-52はしっかりと使われていました。超音速やステルスなどの新機能を拡充した航空機は種々あれど、多種多様な兵器を大量に搭載し、遠方に投入・投下するという、爆撃機としての基本性能と、調達・運用コストの両面から、B-52を超える米軍機はなかなか出てこないのだとか。このため、B-52は、少なくとも2040年までは現役で運用される予定になっているそうです。

 すでに、親子2代でB-52に乗ったというパイロットは珍しくないそうですが、このまま行くと、孫まで3代、さらには曾孫まで4代、B-52のパイロットだというケースも出てくるかもしれませんね。
 
 
 ★★★ アジア国際切手展<CHINA 2016>作品募集中! ★★★

 本年(2016年)12月2-6日、中華人民共和国広西チワン族自治区南寧市の南寧国際会展中心において、アジア国際切手展<CHINA 2016>(以下、南寧展)が開催されます。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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 アイオワから朝鮮の戦場へ
2016-02-02 Tue 21:58
 米大統領選での民主、共和両党指名候補争いの初戦となるアイオワ州の党員集会が、現地時間の1日夜(日本時間2日午前)、行われ、大統領選挙が本格的にスタートしました。というわけで、手持ちのマテリアルの中から、アイオワ州の消印が伊されたカバーをご紹介します。

      アイオワ発大邱転送カバー

 これは、1950年7月21日、アイオワ州バーリントンから広島県の江田島(軍事郵便局:APO354 のアドレスから特定できます)に駐留していた米軍兵士宛に差し出された郵便物です。その後、朝鮮戦争の勃発に伴い、名宛人が“国連軍”の一員として韓国に派遣されたため、この郵便物も、彼の移動に伴い、横浜(APO503)を経て、大邱(APO25)に転送されています。

 1950年6月25日、朝鮮人民軍の奇襲攻撃によって朝鮮戦争が勃発すると、国連安全保障理事会は、開戦翌日の6月25日午後2時(国連本部のあるニューヨーク時間。韓国時間では26日午前2時)、北朝鮮の南侵を侵略行為と規定し、北朝鮮に対して38度線以北への撤兵を要求しました。しかし、朝鮮人民軍はこの安保理決議を無視してさらに南侵を続け、6月28日にはソウルを占領します。

 このため、米国大統領・トルーマンは、極東海空軍に対して、38度線以南の朝鮮人民軍への攻撃を指令。国連安保理も、「北朝鮮の侵攻を撃退するため、加盟国は韓国が必要とする軍事援助を与える」との決議を採択して、米国の軍事介入を追認しました。朝鮮人民軍がさらに南下を続けると、7月7日、国連安保理は“国連軍”の創設を決議し、その司令官の任命をトルーマンに委任。これを受けて、翌8日、日本占領の司令官として東京に駐在していたマッカーサーが司令官に就任しました。

 これら一連の決議は、ソ連が欠席した安保理(当時のソ連は、中華人民共和国を“中国”として国連への代表権を与えるように主張し、それが否決されたことに抗議して安保理への出席を拒否していました)で採択されたことにくわえ、“国連軍”の派兵も、厳密には、国連憲章の定める手続きに則ったものでもありませんでした。

 すなわち、国際連合憲章の第7章は、平和に対する脅威に際して、軍事的強制措置をとることができると定められていますが、その兵力は、あらかじめ安保理と特別協定を結んでいる加盟国が、安保理の要請を受けて提供することになっています。しかし、朝鮮戦争の時の事例も含めて、これまで、国連と兵力提供協定を結んでいる国はありませんので、国連憲章に基づき、安保理が指揮するという、厳密な意味での“国連軍”が組織されたことはこれまで一度もないということになります。したがって、朝鮮戦争への派遣部隊も、参加国の自由意思に基づく“多国籍軍”というのが正確な言い方です。

 ただし、北朝鮮の侵略を阻止するための派兵に際して、国連は、国連軍司令部の設置や国連旗の使用を許可しているだけでなく、当時の国連加盟59ヵ国のうち、“国連軍”の派遣に賛成したのは52ヵ国と圧倒的多数を占めていました。また、米国以外にも計15ヵ国(このほか、病院船のみ派遣のデンマークや当時は国連未加盟で赤十字のみ派遣したイタリアなどの国もあります)が兵員を派遣しています。

 こうしたことから、国連旗の下に朝鮮に派遣された多国籍軍は、当時の国際世論を反映した、事実上の“国連軍”とみなしても問題はないといえましょう。
 
 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 2月9日(火)から、毎月第2火曜の19時より、東京・竹橋の毎日文化センターで新講座「宗教で読む国際ニュース」がスタートします。都心で平日夜のコースですので、ぜひ、お勤め帰りに遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。


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 マッキンリー山、“デナリ”に改称
2015-08-31 Mon 12:46
 北米最高峰のマッキンリー山が、きょう(31日・現地時間)、オバマ大統領がアラスカ州アンカレジを訪れるのを機に、先住民による呼称の“デナリ”に名称変更するそうです。というわけで、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      マッキンリー(1972)

 これは、1972年に米国で発行された“国立公園100年”の記念切手で、マッキンリー山ことデナリが大きく取り上げられています。米国の国立公園制度は、1872年に大統領のユリシーズ・S・グラントがイエローストーン公園法に署名したことに始まるとされていますので、切手はそこから起算して発行されたものです。

 マッキンリー山は南峰と北峰の二つの主要な頂きがあり、最高点の南峰は6168m、北峰は5934mです。

 もともと、この山は、先住民アサバスカンの言葉で、“偉大なもの”を意味するデナリの名で呼ばれていましたが、スワードによるアラスカ購入(1867年)後の1897年、地元の地方検事ウィリアム・A・ディッキーが当時の大統領ウィリアム・マッキンリーにちなんで“マッキンリー山”と命名しました。もっとも、マッキンリー本人はオハイオ州の出身で、政治家としても、特にアラスカに所縁があったわけではないため、地元ではこの命名に対する反発が、当初から根強かったようです。

 その後、人間が山中に出入りすることによって、地域固有種のドール・シープの生態が脅かされるのではないかと懸念したチャールズ・シェルダン は、アラスカ州民と議会に対し、ドール・シープのための禁猟地を創設するよう訴えたこともあって、1917年2月26日、“マッキンリー山国立公園”が設立されました。ただし、この時の国立公園の範囲は、山全体のごく一部でしかなく、山頂もその対象から外れていました。ちなみに、宣教師のハドソン・スタック、ウォルター・ハーパー、ハリー・カーステンス、ロバート・テータムの4名により、マッキンリー山への初登頂が達せられたのは、1913年6月7日のことでしたから、当時の当局の発想では、(特殊な例外を除き)誰も山頂になど行けはしないから、山頂を“国立公園”として管理する必要もないということだったのかもしれません。

 1976年、マッキンリー国立公園は生物圏保護区に指定されましたが、その範囲は従前どおりであったことから、1978年12月1日、ジミー・カーター大統領は、残りの地域をカバーすべく“デナリ国定公園”(地元に配慮してこの名前となりました)を布告します。さらに、1980年12月2日、アラスカ国家利益土地保護法 により、マッキンリー国立公園にデナリ国定公園を組み入れて、デナリ国立公園が設立されます。この時点でも、アメリカ地名委員会は、依然として山の名前を“マッキンリー”としていましたが、アラスカ州地名委員会は正式名称を”デナリ”に変更しており、今回の改称により、ようやく、地名が一本化されることなったというわけです。

 なお、山の名前の元になったマッキンリー大統領とその時代については、拙著『大統領になりそこなった男たち』では、主として、彼の対立候補であったウィリアム・ブライアンの視点からご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 東京大空襲70年
2015-03-10 Tue 12:41
 1945年3月10日の東京大空襲から、きょう(10日)でちょうど70年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       空襲予告ビラ  

 これは、第二次大戦中、米軍が日本本土への空襲に先立ち、攻撃対象の都市に対して空中から散布した“空襲予告”の伝単の残品に、戦後、米国切手を貼って消印を押して作った記念品です。

 米軍による日本本土への空襲は、1942年のドゥーリットル空襲が最初ですが、1944年7月のサイパン陥落後、同島のマリアナ基地から発進した米軍機による日本本土への空襲は本格化します。特に、同年10月のレイテ沖海戦で日本海軍が事実上壊滅状態に陥った後は、京都・奈良などの例外を除き、北は北海道の釧路・帯広から南は西之表にいたるまで、終戦までの10ヶ月間にわたって全面的な本土空襲が連日行われました。

 東京に関しては、1944年11月14日以降、終戦まで106回の空襲を受けていますが、被害が大きかったのは、1945年2月26日、28日、3月10日、4月13日、5月24日、25-26日の空襲です。中でも、1945年3月の東京大空襲は、東京・下町地区に壊滅的な打撃を与え、死者10万人以上、罹災者100万人以上という犠牲は、空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされています。

 なお、今回ご紹介の伝単の裏面は下の画像のような文章が印刷されています。画像の下に、文面を書き起こしておきましょう。(一部の漢字は新字体になっていますが、ご了承ください)

       空襲予告ビラ(裏)

 此のビラを皆様に投下する目的は皆様の住んで居られる都市が米空軍の次の攻撃目標として選ばれたことをお知らせする為です。此のチラシを投下してのち七十二時間以内即ち三日以内に爆撃を開始します。更に此のことを爆撃に先立ってお知らせする理由は日本軍部當局に充分な余裕時間を與へ皆様を我が空襲から護る為に必要な防禦措置を講ずるやうにさせる為であります。

 皆様軍部がどんなに無力であるかと云ふことを見て居て下さい。  私達は日本の軍部が米國の確固たる戰爭遂行の決意や壓倒的攻撃を阻止することが出来ないのを知って居りますから はつきり私達の攻撃計画を通知して置くのです。

 私達は軍部がどんなに無力であるか云ふことを皆様にお知らせしたいのです。  出鱈目な無茶な行動を採って 皆様を壊滅の窮地にまで陥し入れた軍部に盲目的に附いていく限り市から市へと猛烈な空襲を敢行して組織的に破壊して行くより外に途はないのです。

  此の呪はしい軍部を倒すのは今です。
  これこそ日本を救ふ唯一の道なのです。

 非戦闘員の皆様は直ちに避難して下さい。
 (転載終わり)

 ちなみに、日本政府は、サンフランシスコ講和条約により空襲被害に対する賠償請求権を放棄していますが、1945年3月10日の東京大空襲に関しては、都市としての東京そのものの殲滅するため、非戦闘員である多くの市民をも標的にした無差別爆撃が行われていることから、広島・長崎への原爆投下同様、戦争犯罪ではないかとの指摘もなされています。このため、2007年には、東京大空襲の無差別攻撃はハーグ陸戦条約3条違反として、いわゆる東京大空襲訴訟も起こされましたが、2013年5月9日、最高裁が原告側の上告を棄却し、原告側の全面敗訴が確定しています。


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 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

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 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 自由の日
2015-02-01 Sun 23:46
 今日(1日)は、1865年2月1日に米国大統領エイブラハム・リンカーンが奴隷制全廃を定めるアメリカ合衆国憲法修正第13条に署名したことにちなみ、米国では“自由の日”になっています。今年は、リンカーンの署名からちょうど150周年でもありますし、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      米・リンカーンの名言

 これは、1960年に米国で発行された“大統領の名言”シリーズのうち、リンカーンの名言である「他人の自由を否定する者は、自らも自由になる資格はない(Those who deny freedom to others deserve it not for themselves.)」を取り上げた1枚です。

 1859年、リンカーンはヘンリー・ピアース主催の トマス・ジェファーソンの誕生日を祝う会に招待されていたものの欠席することになり、4月6日、主催者のピアースに対してその旨を連絡する手紙を送ります。その際、彼はジェファーソンの理念や功績を称える文章を書きましたが、その一節として登場するのが、今回ご紹介した切手の名言です。米国型の民主主義に対する評価は人それぞれでしょうが、そうしたことを越えて、人類普遍の価値観を言い表した言葉であることは間違いないわけで、自由の日(National Freedom Day)にふさわしい一言ではないかと思います。

 さて、イスラム過激派組織“イスラム国”が、けさ(1日早朝)、拘束中のジャーナリスト・後藤健二さんを殺害したとする映像をインターネット上に投稿しました。この動画について日本政府は「信憑性は高い」とみており、事実であれば、まさに許し難い話で、彼らに対しては強い怒りを感じます。

 もちろん、イスラム世界の価値観においては、西洋式の“民主主義”と相いれない部分が少なからずあることは僕も理解しています。しかし、少なくとも、丸腰の民間人ジャーナリストを、いわば身代金目的で誘拐したうえ、最終的に殺害し、さらには、その様子をビデオで全世界に配信するということは、イスラムの教義とは全く無関係の犯罪行為です。誰がどう考えても、決して許容されるものではありません。

 今日ご紹介したリンカーンの言葉の通り、罪のない人々の自由を侵している連中(けっして“イスラム国”には限らないわけですが…)が好き勝手なことをやっていられる事態は、一日も早くピリオドが打たれなければなりませんね。あわせて、このたび非業の死を遂げられた後藤さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 * 第6回テーマティク出品者の会切手展は、本日夕方、無事、終了いたしました。ご来場いただいた皆様ならびに関係者の方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
    

 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 JFK暗殺50年
2013-11-22 Fri 14:57
 1963年11月22日に当時の米国大統領、ジョン.F.ケネディ(以下、JFK)が暗殺されてから、今日でちょうど50年です。という訳で、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャクリーン・ケネディ・カバー     ジャクリーン・ケネディ・カード

 これは、JFKの葬儀参列者に対して、未亡人のジャクリーン・ケネディの名義で送られた礼状です。右の画像のカードを左の画像の封筒に入れて送ったわけですが、右上に彼女の署名の印刷があります。米国では、大統領経験者やその夫人(未亡人を含む)には郵便物を無料で送ることができる特権が与えられているため、そうした特権を示すため、彼らの差し出す郵便物には、こうしたサイン(の印刷)が封筒に表示されます。ちなみに、今回ご紹介のカバーには、下記のようなJFKの遺影(裏側には彼の略歴が記されています)も同封されていました。

      JFK遺影

 なお、先日のキャロライン・ケネディ(JFKの長女)の駐日大使着任に加え、今日の没後50年で、あらためてケネディ家のことがいろいろと話題になっています。ケネディ家については、JFKの父であるジョゼフと、弟のロバートを軸に、拙著『大統領になり損なった男たち』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 デトロイト市が財政破綻
2013-07-19 Fri 22:16
 米国ミシガン州のデトロイト市が、現地時間の18日、連邦破産法9条の適用を申請し、財政破綻しました。同市の長期債務は約185億ドルと見られており、米地方自治体の財政破綻としては過去最大規模となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       キャディラックのデトロイト上陸250年

 これは、1951年に米国で発行された“キャデラックのデトロイト上陸250年”の記念切手で、切手発行時のデトロイトの街並みを背景に、キャデラックの上陸場面を描いています。ちなみに、GMの高級車“キャデラック”は、彼にちなんで命名されました。

 デトロイト市の歴史は、1701年7月24日、毛皮商人のアントワン・キャデラックが上陸したことから始まります。地名は、フランス語で海峡を意味する“デトロワ(détroit)”に由来していますが、これは、北米五大湖のヒューロン湖からセントクレアー湖を介し、エリー湖までつなぐ川を、当初入植したフランス人が海峡に見立てたことによるもので、1760年、英国による占領に伴い、フランス語を英語読みした“デトロイト”が地名となりました。

 19世紀にはいると、五大湖沿岸を結ぶ汽船の発達により、デトロイトは水上交通の拠点として発展。さらに、1901年にヘンリー・フォードが世界初の自動車大量生産ラインをこの地に設置したほか、GM、クライスラーが本拠地を構え、自動車産業の一大中心地として発展することになりました。また、交通信号機やフリーウェイ、大規模な駐車場を備えた郊外のショッピング・センターなど、自動車生活に欠かせない施設・設備は、いずれも、デトロイトが米国における発祥の地となっています。

 デトロイト市の人口のピークは1970年の約150万人でしたが、一般に、都市として最も勢いがあったのは、今回ご紹介の切手が発行された1950年代初頭だったといわれています。しかし、1970年代以降、安くて高品質の日本車メーカーによる攻勢が本格化したことに加え、金融危機によるGM、クライスラーの破綻と不況が致命傷になり、経済規模が縮小。それに伴い、治安が悪化して若年労働者が流出し、不動産価格も大幅に下落して、税収が激減し、ついに自治体としての財政破綻にいたってしまったというわけです。

 まぁ、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、子供の頃、デトロイトの自動車工場がいかにすごいかという話を聞かされて育った世代としては、やはりさびしい話ですな。


 ★★★ 内藤陽介の次回作(予告) ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告


 ★★★ 内藤陽介の最新作 ★★★

       マリ近現代史
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 北アフリカ・マリ共和国の知られざる歴史から混迷の現在まで、
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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は7月30日、9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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