内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ガボン独立50年
2010-08-17 Tue 12:48
 ギニア湾に面した中部アフリカの国、ガボンが1960年8月17日に独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ガボン最初の切手

 これは、1886年に発行されたガボン最初の切手です。

 現在のガボンに相当する地域はもともと、奴隷貿易と象牙貿易が行われていました。1839年、当時は無人の土地だった現在のリーブルヴィルの地をフランスが占領し、1843年、交易都市としてガボンが建設されます。この土地に解放奴隷が多く送られたことから、1848年、都市としてのガボンはフランス語で“自由都市”を意味する“リーブルヴィル”に改称されました。

 リーブルヴィルに最初の郵便局が設置されたのは1862年のことで、当時はフランス植民地共通の切手が使われていました。また、域外との郵便は、フェルディナンド・ポーのイギリス局を経由して行われています。

 最初の切手が発行されたのは、フランスが1885年に現在のガボン国家の領域を支配下に置いた後の1886年7月31日のことです。切手は、現地に在庫のあった植民地共通切手に、ガボンを意味するGABの文字をドットで囲んだ印と、額面の印を手押ししたものでした。いずれも手押しのため、今回ご紹介のモノのように、印が重なってしまっているケースもあります。

 1910年、ガボンは、中央コンゴウバンギ・シャリチャドとともガボンを仏領赤道アフリカに編入されましたが、1934年までは独自の切手が使われていました。1934年以降、仏領赤道アフリカ共通の切手が使われるようになり、ガボン独自の切手は発行されなくなりますが、1958年11月に自治共和国が発足したことで独自の切手も復活。1960年8月17日に完全独立を果たしました。

 独立当初は貧しい農業国でしたが、1970年代以降、海底油田のほか、ウラン、マンガンなどの鉱産資源が発見され、輸出されるようになったため、経済的にも比較的安定し、それが政治の安定にも結びついたと説明されることが多いようです。実際、ボンゴ前大統領が1967年から2009年に亡くなるまで、41年にも及ぶ超長期政権を維持することに成功したのも、他のアフリカ諸国に比べれば、ガボンの経済運営が比較的上手く行っていたからだという面はあるでしょう。

 もっとも、これだけの長期政権ですから、そこには綺麗事だけでなく、さまざまな腐敗・汚職や人権弾圧があったことは容易に想像がつきます。ほかならぬボンゴ自身が、リーブルヴィルの病院ではなく、スペイン・バルセロナのキロン病院で亡くなったということは、彼自身、自国の医療を信用していなかったことの裏返しであり、ボンゴの政府が、必ずしも国民に満足のいく医療を提供できなかったことの証明ともいえるでしょう。そして、このことは、医療だけが例外なのではなく、教育やインフラなど、国民生活全般に関しても同じような現象が観察できそうです。

 ところで、長期政権の主として巨額の財産を築いたボンゴは、かつて、フランス大統領選挙に際してミッテラン陣営に融資していたことが発覚し、問題となったことがあります。わが国では近隣の超長期(独裁)政権から資金の融通を受けているような政治家はいないと信じたいところですが、現行憲法の規定を無視して外国人に地方参政権を与えようとしたり、明白な反日教育を行っていることが明らかな外国学校に税金を使って支援しようとしたりする政治家が少なからずいるのを見ると、どうにも不安になってきますな。


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 大統領在職41年
2009-06-09 Tue 15:37
 1967年以来41年間という超長期政権の座にあったガボン(中部アフリカの大西洋に面した国)のボンゴ大統領が亡くなりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

 ボンゴ大統領

 これは、1968年6月にガボンで発行されたボンゴ大統領の最初の肖像切手です。

 ボンゴ大統領は、1935年12月30日、仏領赤道アフリカ時代のガボン東部のオー・トグエ州レワイ生まれ。 仏領赤道アフリカ高等掌校(コンゴー・ブラザヴィル)卒業後、軍人となり、1958年に空軍中尉となりました。 その後、1960年にガボンがフランスから独立すると、ムバ初代大統領の懐刀として外務省官房次長を振り出しに、大統領府官房長官・情報、観光、国防担当の各大臣、国家治安裁判所政府委員などを歴任して、副大統領に就任。1967年12月、ムバ大統領の死去に伴い、大統領に就任しました。

 ガボンの大統領は旧宗主国のフランスに倣い1期7年ですが、多選の制限がないため、ボンゴ大統領は5選を果たし、在職41年・6期目の途中で亡くなったというわけです。

 ちなみに、国王など世襲の君主を除くと、存命中の人物としてはキューバ革命後の1959年2月から2008年2月まで国家評議会議長の座に君臨したカストロが超長期政権の主として有名ですが、カストロの引退後は、ボンゴ大統領が現職として最も長く政権を維持している人物でした。

 なお、新聞などの報道では、ボンゴ大統領の名前は、エル・ハジ・オマル・ボンゴ・オンディンバとなっていますが、これは、1973年にイスラムに改宗した後の名前で、それ以前は、切手に表示されているように、アルベール=ベルナール・ボンゴという名前でした。なお、オンディンバというのは父親の名前ですが、これは、2003年に父親の名前を姓に付する法律が発効したため、大統領の名前につけられるようになったものです。

 ボンゴ大統領とガボンというと、僕なんかは、北朝鮮の工作員が、同国を訪問中の韓国の全斗煥大統領暗殺を企てた“ガボン事件”(1982年)を思い出します。このとき、韓国では大統領ガボン訪問の記念切手を発行しており、ボンゴ大統領の肖像もしっかり取り上げられています。

 なお、ガボン事件の詳細については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめておりますので、よろしかったら、ご覧いただけると幸いです。

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 熱気球の日
2008-06-05 Thu 14:58
 6月5日は、いまから225年前の1783年6月5日、フランスのモンゴルフィエ兄弟が世界初の熱気球の公開飛行を行ったことにちなみ、“熱気球の日”なんだそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 ガボン・モンゴルフィエ

 これは、1973年5月3日、中部アフリカの大西洋に面した国・ガボンが“航空の歴史”として発行した切手の1枚で、モンゴルフィエ兄弟の気球が取り上げられています。モンゴルフィエ兄弟の気球を取り上げた切手はいろいろとありますが、これはその中でもかなり出来の良い部類に入るのではないかと思います。

 モンゴルフィエ兄弟は、フランスのリヨンの南方の町アノネーで製紙業者の家に生まれました。幼い頃から紙に親しんでいた彼らは、焚き火をした際に発生する煙を紙袋に溜めると、紙袋が浮かび上がることに気がつき、袋を大型にすれば、人も浮かび上がることができるのではないかと考えるようになったのだそうです。

 その後、1782年頃から、兄弟は絹や麻布を材料に飛行試験を行うようになり、1783年には地元のアノネーでリンネル製の袋を使って最初の公開飛行を行います。このとき、袋は1600-2000mまで上昇し、2Kmの距離を約10分に渡って滞空しましたが、これが“熱気球の日”の起源となりました。

 その後、兄弟の評判は宮廷にまで届き、1783年9月19日には、当時のフランス王ルイ16世を前にしての“御前飛行”も行われます。教科書などには、このときの模様がしばしば取り上げられています。ちなみに、このときは有人飛行ではなく、ヒツジ、アヒル、ニワトリが気球から吊り下げられた籠に入れて飛ばされています。
 
 最初の有人飛行が行われたのは、9月の御前飛行が成功した後、同年11月のことです。ただし、このとき気球に乗ったのは、モンゴルフィエ兄弟ではなく、ピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランドの2人でした。このとき、気球は100mまで上昇し、パリ上空の9Kmの距離を25分間に渡って飛行しました。背景にパリの町並みが見えるところを見ると、今回の切手の絵はこのときの様子を描いたものなのかもしれませんね。

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 ガボンのゲイシャ?
2008-05-28 Wed 17:05
 きょう(28日)から、アフリカ地域の包括的な支援策を協議する第4回アフリカ開発会議(TICAD4)が横浜で始まりました。この会議に合わせて、福田首相は3日間で40人と話し合う「マラソン首脳会談」を行うとかで、トップバッターとなったガボンのボンゴ大統領との2ショットの写真がネットのニュースにでていました。というわけで、ガボンの切手が何かないかと思って探していたら、こんなモノが出てきました。(画像はクリックで拡大されます)
 
 ガボン・大阪万博

 これは、1970年の大阪万博に際してガボンが発行した記念切手です。

 ガボンは、中部アフリカの大西洋に面した国(面積は26万7667平方キロで日本の約3分の2)で、1960年にフランスから独立しました。政治的には比較的安定しており、石油も産出するため、経済的にも、アフリカ諸国の中では比較的豊かな国です。ただし、海底油田のほか、ウラン、マンガンなどの鉱産資源が発見され、それらが輸出されるようになったのは1970年代に入ってからのことで、独立後まもない1960年代は、全土のわずか0.5パーセントの耕地で全労働人口の7割以上を占める農民が生活するという状況でした。

 ちなみに、今回の切手の題材となった大阪万博の開催された1970年の時点では、東京にガボン大使館は開設されていたものの、ガボンの首都リーブルヴィルに日本大使館はまだ開設されていません。

 万博の記念切手というと、実際にはパビリオンやブースを出展しないにもかかわらず、収集家目当てに便乗して切手を発行する国も少なくありませんが、1970年の大阪万博に関しては、ガボンはきちんと参加しています。貧しい新興国だった彼らにとって、大阪万博は経済大国・日本との関係を強化し、国家建設に必要な経済支援を得る上でも重要な外交上のイベントとして位置づけられていたのでしょう。

 さて、肝心の記念切手は、三味線を弾く日本女性(と思しき人物)と太鼓をたたくガボンの男性を並べたデザインとなっています。もっとも、女性の服装や髪型はかなり怪しげですし、三味線にいたっては弦が3本ではなく4本として描かれているほか、バチもなんか変です。

 おそらく、ガボンにしてみれば、切手を用いて、精一杯、日本との友好をうたいあげたつもりだったのでしょう。しかし、彼らの痛々しい努力が伝わってくるだけに、アメリカに次ぐ西側第2位の経済大国の名声は、あるがままの日本の姿ではなく、フジヤマ・ゲイシャ風のイメージをアフリカの小国にまで浸透させるという皮肉な結果をもたらすことになったといえるのかもしれません。

 ところで、今回来日したボンゴ大統領は、1967年以来、40年にわたって政権を維持しているそうですから(ガボンの大統領職は1期7年で、ボンゴ大統領は5選を果たし、6期目です)、この切手が発行された時はすでに大統領だったんですねぇ。あの時代と比べて、大統領やガボン国民の日本に対する知識はどう変わったのか、ちょっと聞いてみたい気がします。

 なお、大阪万博に合わせて発行された世界の不思議な“フジヤマ・ゲイシャ“切手については、拙著『外国切手に描かれた日本』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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