内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 「大地の知恵」募金
2016-03-18 Fri 23:31
 ルーマニア政府は、きのう(17日)、ルーマニアを代表する彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの最高傑作の一つと考えられている「大地の知恵(Cumintenia Pamantului:La Sagesse de la Terre)」を購入すべく、国民に対して募金を求めました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・ブランクーシ「大地の知恵」

 これは、1967年にルーマニアで発行されたブランクーシの作品を紹介した7種セットのうち、「大地の知恵」を取り上げた1枚です。

 コンスタンティン・ブランクーシは、1876年2月19日、ルーマニア南西部、オルテニア地方のゴルジュ県ホビツァ生まれ。クラヨヴァの美術工芸学校、ブカレストの国立美術学校を経て、パリ美術学校で彫刻を学びました。卒業後、ロダンの工房で数ヶ月働いた後、抽象化への転機となる作品『祈る人』を制作。以後、要素を極端に切り詰めたミニマルな作風の作品を発表し、高い評価を得ました。その作品は、後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ、多大なる影響を与えたほか、朴訥な人柄で多くのアーティストとも親交があり、若き日のイサム・ノグチはパリでブランクーシの助手を務めていたことがあります。1957年、パリで没。

 切手に取り上げられた「大地の知恵」は1908年の作品で、石灰岩の左右シンメトリカルな女性の裸婦坐像です。高さは50cmほどで、1911年、ルーマニアのコレクターが購入しました。しかし、第二次大戦後に発足したルーマニア共産政権は、1957年、この作品を“国宝”として没収していました。

 1989年のルーマニア革命で共産主義政権が崩壊すると、元の所有者は「大地の知恵」の返還を求めてルーマニア政府を提訴。長期にわたる裁判の結果、2010年に作品は元の所有者の遺族らに返還されました。現在、作品はブカレストのコトロチェニ国立博物館で展示されています。

 その後、2014年になって、現所有者は2000万ユーロで作品を売却するとの意向を表明。ルーマニアの国内法では、ルーマニア政府は“国宝”と考えられる作品を優先的に購入する権利を有しているため、所有者側と政府との交渉が行われ、その結果、政府に対する売却価格は1100万ユーロとすることで合意が成立しました。

 しかし、ルーマニア政府が購入に回せる予算は500万ユーロしかないため、その不足分の600万ユーロを補うべく、今回、ルーマニア政府はルーマニア国民や民間企業などに対する呼び掛けたというわけです。収集家としては、どうせなら、その一環として「大地の知恵」を取り上げた寄附金つき切手南下も発行してほしいですねぇ。高額なモノを買うために計画された寄附金つき切手というと、僕などは、満洲国の不発行切手や仏領カメルーンでのスピット・ファイア加刷など、戦争がらみの事例しかとっさに浮かんでこないのですが、美術品・文化遺産の買い戻しのための寄附金つき切手というのが実現すれば、なかなかユニークな試みになるのではないかと思います。


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 チャウシェスクの豪邸、初の一般公開
2016-03-14 Mon 11:28
 共産主義体制下のルーマニアの独裁者で、1989年に処刑されたニコラエ・チャウシェスク元大統領の豪邸が、おととい(12日)、政権崩壊から約26年を経て初めて一般公開されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・チャウシェスク夫妻(1989)

 これは、1989年5月1日、チャウシェスク政権末期のルーマニアで発行された“反ファシスト行進50年”の小型シートで、切手部分には、当時のルーマニア国旗とデモ隊を背景に、若き日のチャウシャスク夫妻の肖像が描かれています。
 
 ニコラエ・チャウシェスクは、1918年、ルーマニア南部、オルト県スコルニチェシュティ村の農家に生まれ、11歳のとき、工場で働くために首都のブカレストに移住しました。1932年、当時は非合法組織であったルーマニア共産党に入党し、以後、その活動ゆえに何度か逮捕され、1936年、“反ファシスト活動”の罪で2年、さらに裁判中の法廷侮辱罪で6か月を加重した懲役と罰金2000レウ、出所後1年間は両親との生活を義務付ける判決を受け、ドフタナ刑務所に収監されました。

 後に妻となるエレナとは、1939年に出会い、同年8月、2人そろってブカレストで大規模なデモを組織しました。今回ご紹介の切手の“反ファシスト行進”とは、おそらく、このデモのことを指しているのではないかと思いますが、切手そのものはメーデーに合わせての発行です。

 この時の活動により、チャウシェスクは再び逮捕され、1940年7月、ブカレスト近郊のジラヴァ刑務所に送られましたが、1943年にはトゥルグ・ジウの強制収容所に移送されます。この移送先で、後にルーマニア共産党書記長となるゲオルゲ・ゲオルギュ=デジと親交を結びました。

 第二次世界大戦後、ソ連占領の下でルーマニア国王が退位し、共産主義政権が成立すると、チャウシェスクは、党書記長にして国家評議会議長(国家元首)だったデジの側近として頭角を現し、デジの死後、共産党の書記長に就任します。

 当時のルーマニアは産油国という立場のゆえにソ連とも一定の距離を維持する独自外交を行っていました。特に、1968年のいわゆる“プラハの春”に際して、ソ連を中核とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵攻した際、チャウシェスクはこれに加担せずソ連を非難し、国民の喝采を浴びました。以後、“ソ連の脅威”を煽ることで国内の団結を図ることが独裁政権の基本スタイルとなりました。

 その一方で、1970年代初頭からチャウシェスクは次第に独裁の度合いを強め、国民に対して個人崇拝を強制するようになっていきます。そのきっかけとなったのは、1971年の中国・北朝鮮歴訪で、かの地で毛沢東ないしは金日成に対する異常な個人崇拝やマスゲームなどを目にしたチャウシェスクは、自国でもこれと同じことを行うべく、帰国後の同年7月、“ルーマニア文化大革命”を発動。秘密警察(セクリタテア)を動員した思想・文化の統制を強めていきました。1974年の大統領制導入もこうした文脈に沿って行われたもので、当然、初代大統領にはチャウシェスク本人が就任しています。

 チャウシェスクの推進した経済政策は、石油に依存する非効率なもので、極端な重工業至上主義によって建てられた各種の大規模コンビナートを運営していくためには、国内産の原油だけでは足りず、輸入燃料も必要であったことなどから、1977年以降、ルーマニアは石油の輸入国に転落し、対外債務も雪だるま式に膨らんでいきます。さらに1970年代末の農業の不作でルーマニア経済は深刻な状況に陥りましたが、個人崇拝の魔力に魅せられたチャウシェスク政権は、1984年に黒海=ドナウ運河が完成すると、北朝鮮にならった大規模な首都改造事業に乗り出し、国庫を濫費していきます。

 その一方で、1985年には電力非常事態宣言を発し、街灯を半減させ、テレビ放送は一日二時間に制限するという極端な“節電”を実行したほか、対外債務返済のための強引な“飢餓輸出”政策を遂行。国民生活は大きく圧迫され、国民は不満を鬱積させましたが、チャウシェスク政権は秘密警察を動員してそれを強引に抑え込んでいました。

 こうした状況の下で、ベルリンの壁崩壊に始まる東欧民主化の波がルーマニアにも到来し、1989年12月17日にティミショアラ事件が発生すると、チャウシェスクは、22日に全土に戒厳令を発し、軍に治安回復を命じましたが、軍は命令を拒否し、かえって装甲車で大統領官邸のあるブカレストの共和国広場に押し寄せます。このため、チャウシェスク夫妻は党本部からヘリコプターで脱出し、リビアへの亡命を企図。しかし、翌23日、チャウシェスク夫妻はルーマニア南部のトゥルゴビシュティで革命政府の救国戦線に逮捕され、25日、6万人の大量虐殺と10億ドルの不正蓄財などの罪で起訴。軍事裁判で銃殺刑の判決が下り、即日処刑されました。

 なお、チャウシェスクとその時代については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 世界の国々:日本
2015-09-23 Wed 11:00
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年9月23日号が先週刊行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回は日本の特集です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・雪舟

 これは、1956年にルーマニアが発行した「世界十大文化人」の切手のうち、雪舟を取り上げた1枚です。この切手と、ソ連で同時に同趣旨で発行された雪舟の切手が、個人名が特定できるかたちで日本人が外国の切手に取り上げられた最初の例となります。

 室町時代の画僧、雪舟は、1402年、備中国赤浜(現岡山県総社市赤浜)生まれ。幼年期に井山宝福寺で修行していた際の、涙でネズミを描いたエピソードは有名です。

 その後、京都の相国寺で禅と絵の修行を重ね、1467年、遣明使に随行して明国に渡り水墨画を学びました。このとき、現地の巨刹「天童山景徳寺」にて第一座という高位(ただし、これは遠路はるばるやってきた外国僧への儀礼的なもの)を授けられ、明国政庁からも礼部院中堂の壁画を依頼されています。

 1469年に帰国した後は、豊後国府内(現大分県大分市)に画房・天開図画廊を開いたほか、諸国を旅し、各地に画跡を残しましたが、1486年以降は山口の雲谷庵に留まり、多数の名作を残しました。遺作のうち「秋冬景山水図」「破墨山水図」「天橋立図」「山水長巻」「山水図」などが国宝に指定されているほか、重要文化財も12件あります。

 切手の題材となった世界十大文化人とは、1955年、“世界平和会議”によって選ばれたもので、雪舟の他には、ベンジャミン・フランクリン(アメリカの政治家・科学者。独立宣言起草委員の一人で、避雷針の発明者としても有名)、モーツァルト(音楽家)、ドストエフスキー(作家)、ハインリッヒ・ハイネ(詩人)、ピエール・キューリー(科学者)、ヘンリク・イプセン(劇作家)、レンブラント(画家)、バーナード・ショウ(作家)、カーリダーサ(古代インドの詩人)、です。

 雪舟は、水墨画の最高峰の画家であり、画聖とも呼ばれているくらいですから、世界十大文化人の一人に取り上げられても、それ自体はなんら不思議ではありません。ただし、世界十大文化人を選んだ世界平和会議が、東西冷戦が激化していった1949年に、“恒久平和の確保”をスローガンとして、全世界の左翼勢力によって設立された団体であることを考えると、選考にあたって、雪舟が中国大陸(当時、日本は大陸の共産党政権とは国交がなかった)と関係の深い画家であったことも考慮されたと考えるのが妥当でしょう。

 なお、切手に取り上げられた肖像は雪舟71歳の自画像の写しです。烏沙帽(中国の僧がかぶる帽子)をかぶっており、雪舟本人は、この作品により、自らが入明画家であることを誇示する意図をもっていたことがうかがえます。

 さて、 『世界の切手コレクション』9月23日号の「世界の国々」では、日本の建国神話伊勢神宮を扱った長文コラムのほか、ショートコラムでは、日本を題材としたまともな外国切手の特集として、今回ご紹介の切手のほか(以下、カッコ内は発行国)、トヨタ・カローラ(ニュージーランド)、広隆寺弥勒菩薩(韓国)、富士山(スイス)、東京タワー(インド)日露戦争(ロシア)寿司(香港)ソメイヨシノ(米国)の切手をご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の9月30日号では「世界の国々」は南アフリカにフォーカスをあて、僕が原稿を書いていますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。


 ★★★ トークイベント「切手に見る美女たち」のご案内 ★★★ 

 10月8日(木) 18:30-20:30 東京・飯田橋の東京ボランティアセンター(JR飯田橋駅横・ラムラ・セントラルプラザ10階)で、日本ガルテン協会主催のリレー講座に内藤が登場。『日の本切手 美女かるた』の著者として「切手に見る美女たち」と題するトークを行います。

 参加費は、ガルテン協会会員の方2000円(一般3000円)で、お茶とお菓子がつきます。詳細は、NPO日本ガルテン協会(講座担当宛・電話 03‐3377-1477)までお問い合わせください。皆様のご参加をお待ちしております。  

 ★★★ 講座「アウシュヴィッツの手紙」(10月16日)のご案内 ★★★ 

     ポーランド・アウシュヴィッツ解放30年   アウシュヴィッツの労務風景

 10月16日(金) 19:00~20:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「アウシュヴィッツの手紙」と題する講座を行います。

 第二次大戦中、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(ポーランド語名・オシフィエンチム)は、ナチス・ドイツの強制収容所が置かれ、ユダヤ人を中心に150万人以上が犠牲となった悲劇の地として知られています。今回の講座では、収容者の手紙を中心に、第二次大戦以前の状況を物語る郵便物・絵葉書、アウシュヴィッツを題材とした戦後の切手などもご紹介しつつ、さまざまな角度からアウシュヴィッツを考えてみたいと思います。

 申込方法など詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、ポーランドが発行したアウシュヴィッツ解放30周年の記念切手、右側は収容者による労務風景を取り上げた戦後作成の絵葉書です) 皆様のご参加をお待ちしております。

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から毎月1回(原則第1火曜日:10月6日、11月 3日、12月1日、1月5日、2月2日、3月1日)、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 世界の国々:ルーマニア
2014-09-25 Thu 22:39
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2014年10月1日号が刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーでは、今回はルーマニアを取り上げました。その記事の中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      コマネチ絵葉書

 これは、ナディア・コマネチの写真を取り上げた公式記念絵はがきに、ルーマニア発行のモントリオール五輪の記念切手を貼って記念の消印を押したもので、写真の太もも部分には、彼女の自筆サインも入っています。

 “白い妖精”と呼ばれたナディア・コマネチは、1961年11月12日、モルダヴィア地方バカウ県のオネシュティで生まれました。

 1965年に権力を掌握したニコラエ・チャウシェスクは、国威発揚の手段としてスポーツに力を入れ、1969年、国立体操専科学校(現ナディア・コマネチ体操学校)を設立します。ここに入学した7歳のナディアは、同年の国内選手権で13位に入賞したのを皮切りに頭角を現し、1975年の欧州選手権では、種目別の床で銀メダルとなったのを除き個人総合、全種目別で金メダルを獲得しました。

 さらに、1976年、14歳の彼女はモントリオール五輪に出場。段違い平行棒と平均台の演技で近代五輪史上初の10点満点をたたき出し、個人総合と併せて3つの金メダルを獲得し、世界最強といわれていたソ連勢を蹴散らします。

 いちやく国家の英雄となったコマネチはチャウシェスク政権の広告塔となり、満足なトレーニングもできないまま次第に消耗。環境の変化や周囲の重圧によるストレスから、衝動的に自殺を企て、病院に担ぎ込まれたこともありました。

 それでも、1979年の世界選手権では個人総合優勝を果たしたほか、1980年のモスクワ五輪でも個人総合で銀、平均台と床で金メダルを獲得。頂点に立ったまま、翌1981年に引退します。

 引退後の彼女は、“英雄”の亡命を恐れたチャウシェスク政権により厳しい監視下に置かれたばかりか、チャウシェスクの二男ニクに愛人関係を強要されるなど、苦悩の日々を余儀なくされていましたが、1989年11月27日、ブカレストを脱出して西部の国境を越え、ハンガリー経由でオーストリアに入り、米国亡命を果たします。

 皮肉なことに、彼女が祖国を捨てた直後の1989年12月、ルーマニアでは民主革命が発生し、彼女を翻弄し続けたチャウシェスク革命はあっけなく崩壊しました。

 その後のコマネチは、米国で元五輪金メダリスト(体操)のバート・コナーと結婚。オクラホマシティで体操教室やスポーツ関連会社を経営するとともに、チャリティ活動も精力的に行っています。

 さて、今回の『世界の切手コレクション』の「世界の国々」では、今回ご紹介したコマネチのほか、スタンペディア株式会社のご協力を得て、オードリー・ヘップバーン主演の映画『シャレード』に登場する珍品切手のモデルとなったモルダヴィアの牛についてもページを取ってご紹介しております。また、今号からは、隔週で「日本切手の歴史」と題する新連載もスタートしております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 * 本日未明、カウンターが142万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ルーマニアで邦人女性殺害
2012-08-19 Sun 23:19
 ルーマニアの首都ブカレスト北方、マリーヴァの森林の中で、17日、日本人女性の遺体が発見される事件があり、きのう(18日)、ブカレスト警察はブカレスト郊外に住むV・ニコライを殺人などの容疑で逮捕しました。謹んで、被害者の方のご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうは、今回の事件に関係のある場所ということで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       オトペヌィ空港

 これは、ブカレスト国際空港を描く1972年の航空切手です。現在、ブカレストの国際空港の正式名称は“アンリ・コアンダ国際空港”となっていますが、これは、ルーマニア出身の技術者でジェットエンジンの父と言われるアンリ・コアンダにちなんで2004年5月に改名された結果で、それ以前は“オトペニ空港”と呼ばれていました。当然のことながら、今回ご紹介の切手にも“オトペニ空港”との表示がありますし、現在でも、地元では“オトペニ空港”の方が通りが良いそうです。

 さて、地元警察によると、被害に遭った女性は15日にウィーンからブカレスト国際空港に到着した後、国際線到着客専用の白タク運転手をしていた容疑者に声をかけられて、容疑者の車に乗り込んだことが防犯カメラの映像などから確認されています。彼女がルーマニアを訪れたのは、インターンシップとして、クラヨーヴァ(ブカレストの西約200キロ)で日本語を教えることが目的で、そのため、空港から目的地までの列車に乗るため、ブカレスト・ノルド駅(北駅。事実上の中央駅)へ向かおうとしていたようです。ところが、容疑者は、目的地とは全く別の方向へと彼女を連れて行き、強姦のうえ殺害するという凶行に及んだとみられています。

 ブカレストの治安については、チャウシェスク政権崩壊後、エイズと麻薬が蔓延し、いわゆるマンホール・チルドレンがたむろするなど東欧でも最悪の状況が続いていましたが、2000年頃からの経済状況の好転により、急速に回復していきました。実際、2008年の実質GDP成長率は7.1%、年平均失業率も4.4%という立派な数値を記録しており、ユーロ圏への加盟も間近とさえいわれていました。こうしたことの反映でしょうか、僕自身が2008年にルーマニアを訪ねた際にも、ブカレスト市内の状況は(最も治安が悪いとされる北駅周辺でさえ)ロンドンやパリ、ニューヨークの繁華街に比べてはるかに安全ではないかという印象を持った記憶があります。(ちなみに、2008年にルーマニアの各地をめぐった時の話は、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。)

 ところが、2009年以降、EU諸国の景気低迷の影響を受け、ルーマニア経済は失速。2009年のGDPは、同国統計局が3月3日に発表した速報値によると-7.1%、失業率も2009年3月には6.2%に、同年12月には7.6%と急激に悪化してしまいました。

 これに対して、2009年3月、IMF、世界銀行、欧州委員会は通貨レイの信用不安及びルーマニアの財政悪化を受け、合計約200億ユーロの融資を決定。ルーマニア政府はIMFとの協定に基づき、財政赤字縮小のための改革を行うことを義務付けられ、公務員給与の25%削減ならびに付加価値税(VAT)の19%から24%への引き上げが実施され、国内消費は大きく落ち込みます。その後、自動車産業(余談ですが、今回の被害女性が日本語を教えるはずだったクラヨーヴァにはフォードの自動車工場があります)を基盤とする輸出産業は回復を遂げ、2010年8月には輸出が経済危機以前の水準を超えたものの、全体的な経済回復は遅れ、標準的な国民の生活は苦しい状況が続いているようです。

 こうした状況を反映して、ブカレストの治安状況も再び悪化しているようですから、これから現地を旅行される方は十分にご注意ください。

 なお、事件の真相は、今後、裁判を通じて明らかにされていくのでしょうが、逮捕された容疑者が犯人であるなら、ぜひとも、考えられる限りの厳罰を科していただきますよう、ここに、一日本人としてルーマニアの司法当局にお願い申しあげる次第です。


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 無理に改名しなくても…
2011-09-16 Fri 22:40
 東京・渋谷センター街のメーンストリートが“バスケットボールストリート”(通称:バスケ通り)と命名されることになったそうです。渋谷センター商店街振興組合によると、センター街は若者が集まり、流行を生み出す一方で、街のモラルが指摘されるケースもあり、今回の命名でイメージアップを狙うのだとか。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきてみました(画像はクリックで拡大されます)

        スターリン市宛はがき

 これは、1952年、共産主義政権下のルーマニアで“スターリン市”宛てに差し出された葉書ですが、ここでいう“スターリン市”は、ルーマニア第2の都市ブラショフのことです。

 1947年の共産革命後、権力を掌握したルーマニア共産党書記長のゲオルゲ・ゲオルギュ=デジは戦前からの土着の共産主義者でしたが、スターリンの支持を得て、モスクワ帰りのライバルたちを粛清し“小スターリン”としての地歩を固めていきました。1951一年からスタートした第1次5ヵ年計画や“富農一掃”のスローガンの下に行われた農村の集団化などは、まさに、スターリン時代のソ連の経済政策に倣ったもので、そうした“向ソ一辺倒”の時代の産物として、ブラショフ市もスターリン市と改名されたというわけです。

 スターリンが1953年に亡くなると、軍事力増強のために、国民生活に必要な農産物や消費財の生産を犠牲にしてでも重工業を重視する生産力至上主義に対する国内の不満が高まり、デジは自己批判を迫られます。そして1954年、一時的に、党書記長の座をゲオルゲ・アポストルに譲らざるを得なくなりました。しかし、翌1955年にソ連で重工業優先政策が復活すると、それにあわせてデジも党書記長に返り咲き、ルーマニアの“社会主義経済建設”も旧に復することになりました。

 1956年、いわゆるハンガリー事件が起こると、隣接するルーマニアにもソ連軍が進駐します。デジ政権は率先してソ連軍の介入を支持するなど、表向きはソ連の“忠臣”として行動しましたが、内心は次第にソ連離れを志向。事件後、ソ連が社会主義陣営のタガを締め直すため、コメコンによる国際分業体制の構築に本格的に乗り出すと、“農業国”のままに据え置かれることを嫌ったルーマニアはこれに強く反発。さらに、この頃から始まった中ソ論争でも中立の立場を取ったほか、1964年以降は、西側世界との独自の交流を開始しています。

 こうした時流に合わせて、スターリン市もまた、ブラショフ市の名前を取り戻すことになりますが、公式にはこの地が“スターリン市”と呼ばれていた時代でさえ、地元の住民は日常会話ではブラショフの地名を使い続けていたといわれています。

 このほかにも、たとえば、日本占領下の香港で輔道(デボー・ロード)を昭和通と改名しても現地住民の間では定着しなかったことや、現在なお、ベトナム人の間ではホーチミンよりも旧称のサイゴンの方がよいことなど、上から強引に解明しても人々の意識までは変えることはできないケースは無数にあります。

 今回の“バスケ通り”が定着するかどうかは現時点では未知数ですが、この件を取り上げたブログやツイッターなどを見る限り、旧国電をE電としたのと同様、エライ人の自己満足だけで、結局は定着せずに終わる可能性が高いとみている人が多いようです。たしかに、センター街をバスケ通りにすればイメージが改善されるという主張は、少なくとも、僕の理解を超えた発想ですな。

 なお、今回の記事で取り上げたブラショフについては、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら。ぜひご覧いただけると幸いです。


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 ガガーリン切手の謎
2011-04-12 Tue 16:38
 ソ連(当時)のユーリ・ガガーリンが1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を行ってから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうは数あるガガーリン切手の中からこんなモノを持ってきました。

     ルーマニア・ガガーリンMC

 これは、1961年にルーマニアで発行されたガガーリンの顕彰切手をソ連製の絵葉書に貼り、“発行初日”と表示されたルーマニアの消印を押して作られたマキシマムカードです。

 ガガーリンは、1961年4月12日午前9時7分、ボストーク3KA-2(ボストーク1号)でバイコヌール宇宙基地を飛び立ち、地球を1周した後、10時25分に逆噴射をかけて大気圏に再突入。高度7000mからパラシュートで降下し、無事帰還を果たしました。

 人類初の有人宇宙飛行の成功と同時に、ソ連当局は東西冷戦における自国の優位を示すものとしてこれを大々的に宣伝しましたが、準備段階では、計画は極秘裏に進められていました。ちなみに、ガガーリンは飛行中(帰還後ではなく)に中尉から少佐に二階級特進したことを告げられていますが、そこには、彼が無事に帰還できない可能性が少なからずあると判断したソ連当局の“温情”があったとも言われています。したがって、不幸にして彼が無事に帰還できなかったときには、事前に用意されていた切手もすべて破棄されていたことでしょう。

 結局、ガガーリンが無事に帰国したことを確認して、ソ連は人類初の有人宇宙飛行の成功を記念する切手を発行します。今回ご紹介のマキシマムカードに使われている絵葉書も、それにあわせて製造されたものですが、記念切手ともども、その実際の発行日をどう考えるかということは、ちょっと厄介な問題です。

 おそらく、ソ連当局の公式な記録では、飛行当日の4月12日に切手が発行され、即日、各地の郵便局で売りさばかれたということになっているのでしょうが、前日の4月11日まではソ連の一般国民はガガーリンのことを全く知らされておらず、各地の郵便局にも記念切手は配給されていなかったと考えるのが自然です。そうすると、飛行成功が確認されてすぐに切手の配給を始めたとしても、最短で4月12日の午後にならないと郵便局の窓口で売り出すことは不可能でしょう。

 ちなみに、スコットカタログではソ連のガガーリン切手は4月15日発行の切手と22日発行の切手の間で、日付不詳の4月発行としてリストされていますが、僕自身は、ソ連のガガーリン切手を貼った4月19日付の“初日カバー”を見たことがあります。まぁ、妥当な日付でしょうが、はたして、その日がホントに発売初日なのかどうかは確定できません。いずれにせよ、現在残されているソ連のガガーリン切手の“初日印”は、大半が飛行当日に当たる4月12日付ですが、それらが後押しであることはほぼ間違いなさそうです。

 このように、当事者のソ連でさえ、4月12日にガガーリン切手を発行することは事実上不可能だったわけですから、他の共産圏諸国が4月12日にガガーリン切手を発行することはありえません。ところが、今回ご紹介のマキシマムカードの消印は1961年4月12日となっており、後押しであることは明白です。

 また、自国民にさえガガーリンのことを秘匿していたソ連当局が、友好国(衛星国)とはいえ東欧諸国に対して、それも、切手制作のスタッフに情報を事前に流すとは考えにくいですから、今回ご紹介のルーマニアを含め、共産圏諸国はガガーリンの飛行成功のニュースを確認してから、ガガーリン切手の制作を開始したと考えるのが妥当だと思われます。そうすると、飛行から1週間後の4月19日にルーマニアが、今回ご紹介のガガーリン切手を発行したとするスコット・カタログの説明も、ルーマニア当局の公式発表がどうなっているかはともかく、「ホントかな?」と疑いたくなりますな。ちなみに、ルーマニアで出ているルーマニア切手のカタログにもあたってみたのですが、こちらでは、発行年の記述はあっても月日は記されていませんでした。やはり、ルーマニアのガガーリン切手がいつから現地の郵便局で実際に発売されたのか、本当のところを確定するのは難しそうです。

 ちなみに、ガガーリンが1968年に飛行訓練中の事故で亡くなった時の詳細が公表されたのでさえ、ごく最近のことでした。ガガーリン研究の世界では、傍流も傍流というべき記念切手発行の状況については、人々の関心も向きにくいでしょうから、いまなお多くの謎が残されているのも無理からぬことかもしれませんね。

 なお、共産主義時代のルーマニアとその切手については、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも、現地の旅行記とあわせていろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

  ★★★ イベントのご案内 ★★★

     切手百撰ポスター(小)

 以前の記事でも少しお話ししましたが、4月25日付で平凡社から拙著『切手百撰 昭和戦後』を上梓いたします。これにあわせて、下記のイベントに登場します。

 ・4月30日(土) 15:00- 出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。また、会場内で『切手百撰 昭和戦後』をお買い上げの方に、素敵なプレゼントをご用意しております。(画像は、会場内に掲示予定のポスターです。こちらもご覧ください)

 ・5月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。最新作の『切手百撰 昭和戦後』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。

 どちらも入場無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 ルーマニアとアポロ計画
2010-07-04 Sun 12:49
 きょう(4日)はアメリカの独立記念日です。毎年、7月4日にはその時点での僕の最新作の中からアメリカがらみの切手を持ってくるのですが、『昭和終焉の時代』にはアメリカとストレートに結びつく切手がないので、その前の『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』のなかから、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・アポロ

 これは、1972年にルーマニアで発行されたアポロ計画シリーズの1枚で、1969年の出来事としてアポロ11・12号を取り上げています。シリーズは、全9種で1972年までのアポロ計画の歴史をまとめられたもの。額面ごとの内容は、10バニ:アポロ1-3号(1967年)、35バニ:1967年の訓練中に亡くなった3人の飛行士、40バニ:アポロ4-6号(1967-68年)、55バニ:アポロ7-8号(1968年)、1レウ(=100バニ):9-10号(1969年)、1レウ20バニ:アポロ11-12号(1969年)、1レウ85バニ:アポロ13-14号(1970-71年)、2レイ(レイはレウの複数形)75バニ:アポロ15-16号(1971-72年)、3レイ60バニ:アポロ17号(1972年)となっています。

 東西冷戦下、ソ連とは距離があったとはいえ、東側諸国の一員であったルーマニアが、さかんにアポロ計画に関する切手を発行している背景には、ただ単に、宇宙切手が全世界的に人気のある、すなわち、外貨獲得のための輸出商品として利用価値があったからというだけではなく、アポロ計画の基礎を築いたのが“ルーマニア出身”のヘルマン・オベルトであったことも大いに関係しているものと思われます。

 オベルトはオベルトは1894年6月25日、当時はオーストリア・ハンガリー支配下にあったシギショアラ近郊のメディアスで生まれ、少年時代をシギショアラで過ごしました。11歳の頃、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』と『月世界へ行く』を読んで大いに感銘を受け、14歳の時には宇宙ロケットの模型を作り、独自に多段式ロケットを着想したそうです。

 1912年、医学を学ぶためにミュンヘン大学に進学しましたが、第一次大戦にぶつかり、東部戦線に送られます。1915年、彼は軍医としてシギショアラの病院勤務となりましたが、軍務のかたわら、無重力状態に関する実験を行うとともに、ロケット研究を再開。独自のミサイル構想を軍部に提案しています。

 第一次大戦後の1919年、オベルトはドイツに戻って物理学を学び直し、1922年にはロケット科学に関する博士論文を提出しましたが、内容が空想的として退けられてしまいます。当時の技術では、オベルトの理論はとても実現できないと考えられていたため、アカデミックな世界では彼の議論はほとんど無視されてしまうのですが、1928~29年にはベルリンで映画『月の女』に登場するロケットについての技術顧問に就任。この映画によって、ロケット科学の考え方は一般に広まり、オベルトも映画のプロモーション活動の一環として小型のロケットを作り、打ち上げています。そして、これを機に、オベルトの研究は一躍脚光を浴びるようになりました。

 第二次大戦中、オベルトはドイツ軍のためのロケット開発に尽力しましたが、戦後はその技術力が評価されてアメリカに渡り、1962年に引退するまで研究活動を続け、アポロ計画の礎を築きました。

 シギショアラのランドマークとなっている時計塔の内部は歴史博物館になっており、古代の生活用品、ルネサンス時代の家具、17世紀のガラス、18世紀の手術道具などとならんで、“ロケットの父”であるオベルトのコーナーもあります。また、街の中心部には“地元の名士”オベルトの名を冠したヘルマン・オベルト広場もあり、オベルトがドラキュラ同様、シギショアラの街にとって重要な人物であることがわかります。

 オベルトがドイツのニュルンベルクで93歳の天寿を全うしたのは1989年12月28日のことでしたが、独裁者チャウシェスクが銃殺されたのは、そのわずか3日前の12月25日でした。歴史にifは禁物とはいえ、もし、オベルトがあと数年、健康で生きながらえていたとしたら、彼が自由を取り戻した“故郷”に錦を飾るということもありえたかもしれません。

 なお、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』では、そうしたオベルトを狂言回しとしたルーマニア現代史の知られざる一面もご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 第17回東京国際ブックフェアにて第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催

 僕が顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』は、彩流社および版元ドットコムの協力を得て今年は全国書店の取り扱いがグンと増えました。そこで、7月8-11日、東京ビッグサイトで開催の東京国際ブックフェア(地図はこちら)会場内特設スペースにて、7月10日(土)14時から、雑誌の内容をより多くの皆様に知っていただけるよう、フロア・オークションを開催いたします。(内藤はハンマーの担当です)

 皆様のご来場・ご参加を心よりお待ちしております。なお、オークションについてのお問い合わせ、カタログの入手方法などにつきましては、こちらまで、お問い合わせください。

 また、東京国際ブックフェアには入場料が必要ですが、事前にこちらまでお申し込みをいただくと、主催者側から入場無料となる招待券をお送りいたしますので、よろしくご活用ください。
 

 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 聖ゲオルギウスの祝日
2010-04-23 Fri 09:04
 きょう(4月23日)は、キリスト教の聖人の1人、聖ゲオルギウスの祝日です。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      聖ゲオルギウス(モルドヴィツァ)     聖ゲオルギウス壁画(実物)


 これは、1971年にルーマニアが発行した切手で、聖ゲオルギウス(ルーマニア語ではスフント・ギョルゲ)の龍退治を描くモルドヴィツァ修道院の壁画が取り上げられています。右側には、修道院南面の西側上部に描かれている壁画実物の画像を貼っておきました。

 現在のモルドヴィツァ修道院の場所には、もともと、アレクサンドル善公が1410年に物見の塔のある要塞を兼ねた石造りの教会を建てたといわれています。これをもとに、1532年、モルダヴィア公のペトゥル・ラレシュが要塞としての防御機能を強化して建てたのが現在の修道院の原型です。

 切手に取り上げられた聖ゲオルギウスはカッパドキアの出身で、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの軍隊の連隊長も務めました。龍に苦しめられていたリビア州シレネを訪れた際、龍を退治して生贄となっていたセルビオス王の娘を救い、感謝した住民はこぞってキリスト教に改宗したという、龍退治の伝説で有名です。

 その後、異教の王に捕えられ棄教を求められ、釘で拷問を受けたり、毒入りの葡萄酒を飲ませられたり、車裂きの刑に処せられてもことごとく生き延びましたが、最後は首をはねられて殉教しました。

 ちなみに、聖ゲオルギウスの殉教した4月23日は、小説『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日(1616年)であり、さらにシェイクスピアの誕生日(1564年)であって命日(1616年)でもあるという、文学と縁の深い日でもあることに結びつけて、スペイン・カタルーニャ地方では、男性が女性に赤いバラを贈り、女性は男性に本を贈る風習があります。これを真似て、日本でも4月23日を“サン・ジョルディ(聖ゲオルギウスのカタルーニャ語での表記)の日”として、本と花を贈りあおうと関係業界がキャンペーンを行っていますが、バレンタイン・デーのチョコのようには定着していませんな。

 なお、モルダヴィアの壁画修道院については、拙著『トランシルヴァニア・モルダヴィア歴史紀行』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

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 切手が語る宇宙開発史(6)
2010-02-15 Mon 10:01
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『ハッカージャパン』の2010年3月号が出来上がりました。僕が担当している連載「切手が語る宇宙開発史」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ルーマニア・スプートニク(1957)

 これは、1957年11月6日にルーマニアで発行された人工衛星をたたえる切手で、地図にはソ連を示すクレムリンも図示されています。

 1957年のスプートニク1号・2号の打ち上げ成功後、当事国のソ連以外に、1957年中に記念切手を発行した国としては東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアが挙げられますが、このうち、東ドイツチェコスロヴァキアが“国際地球観測年”の名目でそれぞれ1回ずつ切手を発行しているのに対して、ルーマニアはストレートに人工衛星を題材とした切手を2度に分けて計6種発行しており、その突出ぶりが目立っています。

 第二次大戦勃発直前の独ソ不可侵条約の密約により国土の一部をソ連に奪われたルーマニアは、1940年に独ソ戦が始まると、ドイツ側に立ってソ連に対して宣戦を布告し、一時的にではあるが失地を回復しました。ところが、1943年降のソ連軍の攻勢によって追い詰められ、失地の回復はおろかルーマニア本国もソ連による占領の危機にさらされるようになると、1944年8月、ソ連と休戦条約を結び、国王はドイツに対して宣戦を布告します。

 こうした経緯もあって、大戦後のルーマニアにはソ連軍が駐留し、ソ連の強い影響力の下で、1947年末に王制が廃止され、共産党主導のルーマニア人民共和国が成立。ソ連との友好協力相互援助条約が締結され、ソ連の衛星国として、ソ連憲法をモデルとする新憲法の採択や大企業の国有化、スターリン式の富農一掃と農業集団化、第1次5ヵ年計画が強行されていきました。

 その過程で、ルーマニア国内では共産党内部での熾烈な権力闘争が展開され、土着の共産主義者であったゲオルゲ・ゲオルギウ・デジが権力を掌握し、ソ連派(ソ連からの帰国者)の有力者は粛清されたが、デジ自身は“小スターリン”として君臨し、スターリン式の政策を推進して、親ソ外交を展開します。そして、1956年10月、フルシチョフによるスターリン批判を機に隣国ハンガリーで反ソ暴動が発生すると、デジ政権は率先してソ連軍の介入を支持するなど、ソ連の“忠臣”として行動しました。

 この背景には、ルーマニア国民の3分の1を占めるハンガリー系住民が動揺し、彼らによる反体制活動が起こることを封じ込めたいとの意図があったことは明白で、換言すれば、ルーマニア政府としては、“宗主国”であるソ連の威を借りるかたちで少数民族としてのハンガリー系の不満を抑え込もうとしたのだともいってよいでしょう。

 一方、デジ政権は、ソ連に対する“忠誠心”をアピールすることで、大戦後の懸案であった駐留ソ連軍のルーマニア領からの撤退を粘り強く要請。1958年5月にはついに、悲願のソ連軍撤退を実現させています。ルーマニア郵政が、1957年11月6日と12月20日の2度にわたって、ソ連の人工衛星をたたえる切手を矢継ぎ早に発行しているのも、当時のルーマニアが強いられていた面従腹背の状況を反映したものに他ならないといってよいでしょう。

 その後、ソ連軍の撤退を成功させたデジ政権は、1960年代に入ると、産油国としての立場を生かして次第にソ連からの自立路線を採るようになり、それは後継のチャウシェスク政権にも受け継がれていくことになります。

 なお、共産主義時代のルーマニアについては、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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