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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 三一節
2019-03-01 Fri 05:15
 1919年3月1日、日本統治下の朝鮮で三・一独立運動が起きてから、今日で100周年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・三一節(1950)

 これは、1950年に韓国で発行された“三一節”の記念切手です。

 切手が発行された1950年は、1919年の三・一独立運動から起算すると31周年という半端な年回りですが、このタイミングで記念切手が発行されたのは、1949年に独立運動の記念日である3月1日が“三一節”として国慶日(国民の休日)に指定されてから最初の年が1950年だったことによるものです。

 1948年7月に公布された大韓民国憲法(1948年憲法)は、その前文で、「悠久の歴史及び伝統に光輝く我が大韓国民は、己未三・一運動で大韓民国を建立して世界に宣布した偉大な独立精神を継承し、これから民主独立国家を再建する(以下略)」とうたっており、三一独立運動を経て、独立運動家が上海に樹立した“大韓民国臨時政府”が現在の大韓民国のルーツであるとの歴史認識を示しています。

 その後、憲法は何度か改正されていますが、いわゆる民主化以降の1988年2月に施行された現行の『大韓民国憲法』でも、その前文の冒頭で「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し(以下略)」と明示されていますので、三・一運動が建国の原点であるという立場は維持されています。

 ところで、第二次大戦以前の世界では、大韓民国臨時政府を国際法上の正規の“亡命政府”として承認した国は中国、フランス(ドゴール政府)ポーランド(ロンドンの亡命政権)ぐらいしかありませんでした。ちなみに、実質的に日本の属国ないしは傀儡政権とみなされていた満洲国でさえ、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど23ヵ国から国家承認を受けていましたから、臨時政府の国際的なプレゼンスはかなりお寒い状況だったといってよいでしょう。

 こうしたこともあって、日本の敗戦後、朝鮮半島の38度線以南に進駐した米軍は(そもそも、国際社会が朝鮮を戦勝国と認知しているなら、朝鮮半島を米ソ両軍が分割占領することはありえません)、臨時政府の正統性を正式に否定していますし、1948年の大韓民国成立後、大統領の李承晩が出した対日講和会議に“戦勝国”として参加したいという要求も米英によって一蹴されています。

 そして、全世界の標準的な理解では、現在の大韓民国は、1948年5月に国連の監視下で行われた第1回総選挙を経て、制憲国会が開会し、憲法公布、初代大統領の選出を経て、同年8月15日に正式に成立したものと認識されています。

 したがって、客観的に見ると、三・一独立運動とその後の臨時政府樹立から起算して、ことしが“建国100周年”とする文在寅政権の主張にはかなり無理があるのですが、彼らがそう主張せざるを得ないのは、韓国ならではの“保守”と“革新”のねじれた関係があります。

 すなわち、現在の大韓民国は、朝鮮の歴史が始まって以来、(少なくとも経済的には)最も繁栄した体制となったわけですが、彼らがそうした成功を勝ち得たのは、李承晩から朴正煕を経て全斗煥にいたるまで、中国大陸と絶縁していたことが非常に大きな要因だったと思います。

 歴史的に中国の圧倒的な影響下に置かれてきた朝鮮では、朝鮮風に“純化”された朱子学の発想法が社会の全体を覆いつくしており、現在でもその影響はぬぐいがたく残っています。たとえば、かつて共働きの女性に「ご主人が失業した場合、あなたはどうしますか」というアンケートを取ったところ、一番多い回答は「自分も仕事を辞める」というものでした。その理由は、「一家の長である夫よりも自分の収入が多いのは申し訳がたたない」というのだそうで、実利ではなく“朱子学的(といっていいのかどうかは分かりませんが)”な名分や“秩序”を重要視する彼らでなければ出てこない発想だと言ってよいでしょう。(まぁ、実際には、夫が失業したら、妻が働いて家計を支えるというケースが多いのでしょうけど)

 また、歴史的に見ると、朝鮮半島を侵略し続けてきたのは中国中央政府であって、日本の支配はわずか36年でしかないわけですが、それでも、日本統治時代のほうが彼らにとって不愉快な記憶として語り継がれているのは、それが歴史的に直近の出来事であるということもさることながら、彼らの脳内に染み付いた華夷秩序に照らして、日本は自分たちよりも劣っていた(いる)という暗黙の世界観があるのではないかとの指摘もしばしば行われています。

 ところが、第二次大戦後、朝鮮は南北に分断され、韓国は敵国としての北朝鮮をはさんで中国から切り離され、大陸ではなく、海洋方面に目を向けて日本や米国と協調せざるを得なくなりました。この結果、伝統的な華夷秩序の意識が国民の精神構造から払拭されたわけではないにせよ、国家としては、そこから解放され、東西冷戦という国際環境に対応してより実利的ないしは合理的な判断が可能となり、そのことが漢江の軌跡とよばれる高度経済成長をもたらしたとみることができます。その意味では、韓国保守政治の象徴とされる朴正煕こそ、実は、朝鮮史の長い伝統の中では極めて革新的な人物だったといえるわけです。

 これに対して、かつて、韓国の民主化闘争の中軸を担っていた左翼運動の本質は、ある意味で、そうした朴正煕的な“革新”に異議を唱えるものでした。言い換えるなら、朴正煕らによって“ゆがめられた”(と彼らが認識する)国家のあり方を、元のあるべき姿に戻すこと、これこそが、正しい行いだと彼らは考えたのです。非常に単純化してしまうなら、1948年に成立した、38度線以南のみを領土とする“大韓民国”という枠組みを否定することこそが正当な行為だということになります。こうした姿勢は、結果的に北朝鮮に宥和的な“従北”につながっていくわけですが、必ずしも、金王朝そのものを礼賛することとイコールになるとは限りません。

 また、朴正煕や全斗煥に対する批判が、彼らが「大統領として何をやったか」ということ以上に、彼らがクーデターという不法な手段で政権を握ったという点に向けられるのも、興味深い現象です。本来、政治は結果責任のはずですが、こうした批判では、政権の結果よりも出自が問題とされているわけで、名分を過度に重視するという意味で、朝鮮儒学の発想が色濃く残っているといえます。韓国人による金日成への批判が、金日成の政策的な失敗よりも、彼がニセモノ(伝説の抗日英雄の名を騙ったソ連軍将校)であったことに向けられがちなのも同様の発想ですし、法の不遡及という近代法の大原則がしばしば無視されるのも、そうした“出自”に対する(我々の目から見ると)異様なこだわりの故と考えると腑に落ちるのではないでしょうか。

 したがって、仮に“保守”を伝統的な価値観・思考方法に忠実なこととするなら、盧武鉉や文在寅の左派政権というのは、朝鮮史の文脈に照らしてきわめて“保守”的な政権と見ることも可能でしょう。

 現在、2014年に刊行した拙著『朝鮮戦争』の続編として、朴正煕の時代を中心にした韓国現代史の制作作業を進めているのですが、同書では、このあたりの事情についても、可能な限り、盛り込んでいきたいと思っています。具体的なことが見えてきましたら、このブログでもご案内していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。


★★★ イベントのご案内 ★★★ 

 第10回テーマティク研究会切手展 3月1-3日(金ー日)
 於・切手の博物館(東京・目白)

 テーマティク研究会は、テーマティクならびにオープン・クラスでの競争展への出品を目指す収集家の集まりで、毎年、全国規模の切手展が開催される際には作品の合評会を行うほか、年に1度、切手展出品のリハーサルないしは活動成果の報告を兼ねて会としての切手展を開催しています。今回は、僕じしんは作品を出品していませんが、最終日・3日の15:00より、国際切手展審査員の目から見た作品の解説・批評会を行います。入場は無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。(詳細はこちらをご覧ください)

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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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 切手に見るソウルと韓国:李舜臣将軍と朝鮮水軍
2018-11-19 Mon 11:01
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、10月11日に済州で行われた国際観艦式での旭日旗騒動から間もない時期の号でしたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国海軍10周年

 これは、1955年に発行された“海軍創設10周年”の記念切手で、李舜臣将軍像と彼の率いた朝鮮水軍の想像図が描かれています。

 済州島で行われた国際観艦式の海上パレードは、いわゆる旭日旗問題もあっていろいろと物議を醸しましたが、なかでも、韓国側が艦船に自国と韓国の国旗だけを掲げるよう参加国に要請したにもかかわらず、文在寅大統領の乗艦に“李舜臣将軍を象徴する旗”を掲揚していたことがわかり、日本政府が外交ルートを通じて抗議したという一幕はメディアでも大きく報じられました。ただし、歴史的事実という点からすると、日本の報道にあった“李舜臣将軍を象徴する旗”というのは、正確ではありません。

 大統領の乗艦に掲げられていたのは、“帥”の字を大きくあしらった帥字旗と呼ばれるもので、朝鮮王朝時代に“総大将の本陣”を示すため使われた軍旗でした。この旗は、もともとは文禄・慶長の役の際に、援軍として朝鮮に派遣された明軍を真似て使われるようになったもので、そもそも、李舜臣の時代には朝鮮では使われていませんでした。

 こうしたこともあって、KBSの報道では、李舜臣に始まる“三道水軍統制使(慶尚道・全羅道・忠清道の水軍の総指揮官)の帥字旗”と説明していたのですが、観艦式での「李舜臣将軍の精神を受け継いだ最強の海軍」との大統領の発言を混同して、日本では“李舜臣将軍の旗”と報じられたのかもしれません。

 ただし、韓国内でも、2014年にヒットした映画『バトル・オーシャン 海上決戦』では李舜臣率いる朝鮮水軍が帥字旗を使っている場面があり、そこから、帥字旗を李舜臣の旗と誤解している韓国人も少なくないようです。

 帥字旗が李舜臣と無関係だとすると、李舜臣の水軍が実際にはどんな旗を掲げていたかが問題となるわけですが、1598年11月19日に亡くなった李舜臣の肖像や水軍の戦闘場面をリアルタイムで記録したビジュアル史料は残されていないので、現在の我々がそれらを再現しようとすれば、ある程度の史料を踏まえたとしても、最後は想像力の産物とならざるを得ません。

 たとえば、今回ご紹介の“海軍創設10周年”の記念切手では、“鎮海”の旗を掲げた亀甲船と、その後ろに複数の幟旗を掲げた船が見えますが、帥の字かどうかはともかく、1文字だけの旗は見られません。

 なお、現在、韓国最大の軍港として知られる鎮海は、李舜臣の時代には“熊川”と呼ばれていましたから、ここでいう“鎮海”は地名ではなく、文字通り、「海を鎮める」という水軍としての表現と見るのが妥当でしょう。ちなみに、新羅の時代には“鎮海将軍”という官職もありました。

 また、朴正熙政権下の1962年に発行された“閑山大捷(文禄の役の海戦のひとつ、1592年7月7日の閑山島海戦で日本水軍が撃破されたことを意味する)370周年”の記念切手に描かれた亀甲船は“亀”の字の旗を掲げています。これは、この船が亀甲船であることを示すために描かれたのでしょうが、実際の戦闘で“亀”の旗を掲げていたとは考えにくいですな。

 なお、この切手の右側には、李舜臣の漢詩「陣中吟」の一節「誓海魚龍動 盟山草木知(海に誓って魚龍を動かし、山に約束したことは草木が知る)」が掲げられています。この後には「讐夷如尽滅 雖死不為辞(憎い敵を全滅させるなら、死んだとしても退却しない)」と続くのだが、さすがに過激すぎて、切手に取り上げるのは憚られたのでしょう。

 いずれにせよ、李舜臣将軍の朝鮮水軍が切手に取り上げられる場合には、想像図とはいえ、韓国郵政としてそれなりの時代考証を経ているため、帥字旗が描かれることはありませんでした。この点は、記憶にとどめておいてもよいのではないかと思います、


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 3刷出来!★★

      表紙帯つき 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。


★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が近日刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 
 
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 英国は米国と一緒にやるさ
2016-06-25 Sat 11:06
 今年もまた、朝鮮戦争の始まった“ユギオ(韓国語で625の意)”の日がやってきました。というわけで、毎年恒例、朝鮮戦争ネタのなかから、EU離脱問題で何かと話題のうえに、現時点での僕の最新作『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』にちなんで、英国がらみのこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国連軍参戦感謝(英国)

 これは、1951年10月25日、韓国が国連軍参加各国に感謝して発行した“国連軍感謝シリーズ”の1枚で、自由の女神を中心に太極旗とユニオンジャックが並べられています。

 “国連軍感謝シリーズ”は、1951年9月15日と同年10月25日の2回に分けて、国連軍参加21ヵ国の国旗と太極旗を並べて発行したもので、両国国旗の間には、今回ご紹介しているモノのように自由の女神を配したモノと国連マークと鳩を配したモノの2パターンがあります。また、“イタリア“に関しては、当初、誤って旧王制時代の国旗を取り上げた切手を発行してしまったため、1952年2月10日に共和国の国旗を取り上げたものも改めて発行されました。この結果、シリーズ全体の構成は、(21+1)×2=44種類という勘定になっています。

 さて、英国は総兵員数2万2000名という、米軍に次ぐ兵力を朝鮮戦争に派兵しました。

 朝鮮戦争の開戦以前、英国は朝鮮半島に対してほとんど無関心でしたが、戦争が勃発すると「ソ連が扇動してこの紛争を起こしたのでなければ、共謀して起こしたはずだ」との認識に基づき、1950年7月24日の国防委員会で朝鮮に1 個旅団を派兵することを決定します。その背景には、チェンバレン首相がミュンヘン協定を結び、ヒトラーに対して宥和政策を取ったことが第二次大戦の直接的な原因になったことへの反省がありました。

 当初、英国の派兵計画では最初の部隊の挑戦上陸は10月頃とされていましたが、釜山橋頭堡をめぐる攻防は熾烈を極めており、国連軍側はいまにも釜山から追い落とされそうな雰囲気であったため、米国統合参謀本部議長のブラッドレーは「明日の1 個中隊よりも、今すぐ手に入る1 個小隊の方に価値がある」と主張。このため、7月25日の閣議決定では、香港駐屯の2個大隊を即座に派遣することとなり、8月29日には最初の部隊が現地に到着します。

 朝鮮半島での英国軍は、早速、釜山橋頭堡防衛戦に参加したほか、1950年9月の仁川上陸作戦後は米軍とともに鴨緑江へ進撃しています。また、中国人民志願軍の参戦による撤退期には、米第2師団が北朝鮮の軍偶里から撤退するのを擁護しました。

 また、1951年4月22日から3日間の“臨津江の戦い”では、英国軍中心の第29歩兵旅団が、中国人民志願軍の第26個師団と朝鮮人民軍第1個軍団の南下を阻止しています。その際、英国軍のグロスター大隊の750名は退路が遮られたため、生死をかけた戦闘のあげく、50人余りの兵士だけが劇的に脱出に成功しました。

 さらに、休戦2ヵ月前の1953年5月28日の仁川とソウルを結ぶ交通の要路を見下ろす“フック丘の戦い”(この場合のフックは地名ではなく、英国軍の陣地の形が釣り針に似ていたことから命名された)では、英国軍が中国人民志願軍の最後の猛攻をしのいで陣地を守り抜き、死者142名、負傷者440名の大きな犠牲を出しています。この時の戦闘での中国側の死者は600-900名とみられています。なお、朝鮮戦争の全期間を通じての英陸軍の戦死者は約870名でした。

 ちなみに、フック丘の戦いから間もない6月2日、英本国ではエリザベス女王の戴冠式が行われましたが、これに呼応して、英国軍砲兵連隊では女王の即位を祝う大型の横断幕を作成し、京幾道漣川郡三和里の砲兵連隊の幕舎の前に掲げています。この時の横断幕は、その後長らく行方が分からなくなっていましたが、2014年に発見され、英国に返還されて話題となりました。

 なお、朝鮮戦争時の“国連軍”参加各国の活動については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 * 今朝、アクセスカウンターが167万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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 NZ 国旗は現状維持
2016-03-25 Fri 10:56
 ユニオンジャックをベースにした現行の国旗もしくはシルヴァー・ファーンをあしらった新デザインの国旗のどちらかを最終的に選ぶ国民投票が行われていたニュージーランドで、きのう(24日)、投票が締め切られ、現状維持が決まったとの暫定開票結果が発表されました。というわけで、きょうはニュージーランド国旗を描く切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      国連軍感謝・ニュージーランド(国連マーク)

  これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、国連のマークを挟んで、ニュージーランドと韓国の国旗が並べて描かれています。ちなみに、この切手はニュージーランドの国名表記が、本来、LであるべきところがI になった“NEW ZEAIND”のヴァラエティというのがミソです。

  朝鮮戦争開戦4日後の1950年6月29日、ニュージーランド政府はトゥティラおよびプカキの2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣することを決定。これら2隻は7月3日にオークランドのデヴォンポート海軍基地を出発し、8月2日、日本の佐世保港で他の英連邦諸国の艦船と合流して、9月の仁川上陸作戦にも参加しました。その後も、戦争の全期間を通じて、ニュージーランド海軍は、常時、最低2隻のフリゲート艦を朝鮮海域に派遣しています。

 一方、地上軍に関しては、1950年7月26日、ニュージーランド政府は志願兵からなる戦闘部隊の派遣を決定して1044名を選抜。彼らは、翌1951年1月21日に釜山に上陸し、英連邦第27歩兵旅団に組み込まれて、漢江を遡上してきたニュージーランド海軍の兵力と連携して、同年4月22-25日の“加平(京畿道)の戦い”や10月3-8日の“(第1次)馬良山の戦い”などで共産側を38度線以北に押し戻すうえで重要な役割を果たしました。

 休戦協定の調印後もニュージーランド軍は朝鮮への駐留を続けましたが、1955年までには大半の兵力が帰国し、1957年には連絡将校1名を残して、完全に撤退しました。朝鮮戦争におけるニュージーランド軍の参戦人数は累計5000名を超え、33名が戦死、79名が負傷しています。

 なお、朝鮮戦争では、ニュージーランドをはじめ、国連軍に参加した各国については、拙著『朝鮮戦争』でも1章を設けてまとめております野で、機会がありましたら、是非、お手に取ってご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 4月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。
 

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 竹島の日
2016-02-22 Mon 11:54
 きょう(22日)は“竹島の日”です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      竹島切手(5圜)

 これは、1954年に韓国が発行した竹島切手のうちの5ファン切手です。1954年の竹島切手は、2ファン、5ファン、10ファンの3種セットで発行されたのですが、これまで、僕のブログでは2ファンと10ファンの切手については紹介したことがあるものの、5ファン切手は紹介しそびれていたので、今回、取り上げました。

 朝鮮戦争の勃発後、連合諸国の対日講和条約が具体的に議論されるようになると、韓国政府は大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を根拠として、戦勝国として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは全く相手にされませんでした。1945年以前の朝鮮半島は大日本帝国の正規の領土であり、大韓民国臨時政府は連合諸国から承認された存在ではなく、したがって、朝鮮人による抗日闘争はあったにせよ、韓国が国家として日本と戦った事実はないというのが国際社会の共通認識だったからです。当然のことながら、1951年9月、サンフランシスコで開催された講和会議にも、韓国が参加を許される余地は全くありませんでした。

 このため、講和条約調印後の1951年10月、あらためて日本と韓国との国交樹立に向けた予備会談がスタートしましたが、日本を反共の防波堤として育成することを企図していた米国は、韓国側の対日賠償請求を押さえ込もうとしていました。このため、新たな交渉材料を作り出す必要に迫られた李承晩政権は、1952年2月に国交正常化交渉(第1次会談)が開始される直前の1月18日、突如「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を発します。

 講和条約調印時、日本漁船の活動可能領域は、SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって、北緯24度東経123度、赤道の東経135度、赤道の東経180度、北緯24度東経180度を結ぶ線内、すなわち“マッカーサー・ライン”の内側とされていました。これに対して、李の宣言は、国防と漁業資源の保全を理由として、韓国沖合の部分について、マッカーサー・ラインよりも日本寄りに“平和線”(日本側では“李承晩ライン”と呼ばれていました)を設定。これを領海として、水域内のすべての天然資源、水産物の利用権を主張したものでした。

 日本敗戦後の1946年1月29日、GHQは「若干の外郭地域の日本からの統治上及び行政上の分離に関する総司令部覚書」(以下「外郭地域分離覚書」)を発し、“日本”の範囲を「日本の四主要島(北海道、本州、九州及び四国)と約1000の隣接諸小島を含むものと定義される」と規定しました。

 この“隣接諸小島”には対馬も含まれていましたが、1949年1月7日、韓国政府は一方的に対馬の領有を宣言し、占領下で主権が制限されている日本に対して対馬の返還を要求。しかし、この要求は連合諸国から一蹴されています。

 ついで、講和会議直前の1951年7月19日、韓国政府は講和条約草案を起草中の米国政府に対して、①日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、②竹島、波浪島を韓国領とすること、③マッカーサー・ラインの継続を要求する要望書を提出。ここで②の要求の根拠となったのが、「欝陵島、竹島及び済州島」は日本の“隣接諸小島”から除外するという「外郭地域分離覚書」の規定です。

 これに対して、8月10日、米国は、国務次官補ディーン・ラスク名義で、①の日本資産の移管についてのみ認め、それ以外の韓国政府の要求を明確に拒否する旨の文書(「ラスク書簡」)で回答。9月に講和条約が調印され、翌1952年4月28日の条約発効をもってマッカーサー・ラインも廃止されることになっていました。

 さて、李承晩ラインでは、「外郭地域分離覚書」の規定を根拠に、その内側に竹島(韓国名“独島”)を含めて領有権を主張しており、これが、いわゆる竹島問題の発端となります。

 当然のことながら、1905年の「内務大臣訓令」によって竹島を島根県隠岐島庁へ編入して以来、第二次大戦の終結まで一貫して竹島を領有していた日本側は、李承晩ラインの設定に猛反発。米国も韓国政府を非難しました。

 こうしたなかで、1952年2月、日韓国交正常化交渉(第1次会談)が始まりましたが、会談では、“戦勝国”として日本に対して賠償を要求する韓国と、植民地支配は国際法上合法として、逆に、韓国内で接収された旧日本資産の補償を主張する日本との間で議論が平行線をたどり、同年4月には早くも無期延期となります。

 その間にも、李承晩ラインを侵犯したとして韓国側に拿捕される日本漁船が続出。さらに、戦後、朝鮮戦争や済州島四・三事件の混乱を逃れて日本に密入国した韓国人の送還問題もあって、韓国との交渉再開は日本側にとって緊急の課題となっていました。

 このため、1953年4月、日韓交渉(第2次会談)が再開されたものの、同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことから、日韓双方による非難の応酬となり、会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されてしまいます。

 日韓両国の対立を懸念した米国大統領のアイゼンハワーは、1954年7月、韓国に対して李承晩ラインの撤回など日本への宥和を求めたのですが、これは逆効果となり、態度を硬化させた韓国側は米国との交渉をも決裂させ、翌8月には対日経済断交措置を発動してしまうといったありさまでした。

 今回ご紹介の竹島切手は、こうした状況の中で、1954年9月、あらためて、竹島の領有権と李承晩ラインの正当性を主張するために発行されたものです。

 当時、日本側は、竹島切手の貼られた郵便物を韓国に返送することで対抗しようとしたものの、膨大な郵便物の中から竹島切手の張られたものだけを返送するというのは実務上きわめて困難で、実際には、この切手が貼られたまま日本国内で配達された郵便物も少なくありません。したがって、歴史書などに時々見られる「日本側は竹島切手の有効性を認めず、この切手が貼られた郵便物を韓国側に返戻した」という記述は事実と異なります。

 その後も現在にいたるまで、日本政府は竹島の領有権を主張しつづけていますが、韓国が警備隊を常駐させてこの島を実効支配しているのを黙認してきたのが現実です。

 竹島に限らず、領有権を巡って複数の国が争っている地域に関しては、あらゆる機会をとらえて、それが自国の領土であることを繰り返し訴え続けるというのが国際社会では常識です。その意味では、韓国が官民挙げて“独島”の領有権をアピールすることに余念がないのは、その主張の是非とは別の次元で、ある意味当然の行動でしかありません。

 むしろ、そうした韓国側の主張に対して、多くの日本国民が竹島問題には無関心で、日本政府もほぼ無策のまま60年間を過ごしてきたということが、今日の事態を招いてしまったのだという現実を受け止め、真剣に反省することがまずは必要ではないでしょうか。

 なお、竹島問題と切手の関係については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 韓国海軍、自衛隊観艦式に参加
2015-10-18 Sun 15:26
 きょう(18日)、3年に1度の海上自衛隊観艦式が神奈川県沖の相模湾で実施され、韓国海軍の駆逐艦“大祚栄”も参加しました。韓国海軍の自衛隊観艦式への参加は、2002年以来、13年ぶりのことです。というわけで、きょうは韓国海軍に関連して、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国海軍検閲済カバー

 これは、1949年9月14日、慶尚南道の鎮海から釜山宛に差し出された郵便物で“朝鮮郵票”の50チョン切手(米軍政下の1946年10月5日発行)2枚と“大韓民国郵票”の50ウォン切手(大韓民国成立後の1948年10月1日発行)1枚の計1ウォン50チョン分の切手が貼られています。1ウォン50チョンというのは、1949年5月1日から1950年4月30日までの韓国内の書状基本料金に相当していますが、どちらの切手もほぼ同じ角度から見た瞻星台を取り上げているだけに、新旧の切手の対比が面白いですな。なお、消印の年号表示は檀紀4282年の下二桁“82”となっています。

 このカバーは、鎮海の海軍統制府実務教育隊特殊班に所属していた人物が釜山の大新公立国民学校の教師宛に差し出したもので、海軍施設からの差出であるため、当局によって検閲を受けたことを示す“海軍検閲済”の印が封筒の右側に押されています。カバーが差し出された鎮海は、日本統治時代、朝鮮随一の軍港があった都市でした。

 現在の韓国海軍の前身は、1945年11月11日、鎮海にあった旧日本海軍の施設を継承して、元商船船員らが組織した“朝鮮沿岸警備隊”です。その後、1946年には鎮海に南朝鮮としての海軍士官学校が設立され、1948年8月15日に大韓民国政府が正式に発足すると、沿岸警備隊は“大韓民国海軍”に改編されました。初代司令官は孫元一でした。

 一方、このカバーの宛先となっている大新公立国民学校は、現在の大新初等学校のことです。同校は、日本統治時代の1937年、釜山府西大新町の山裾に九徳公立普通学校(日本統治時代の普通学校は日本語を常用としない朝鮮の児童を対象にする学校)として開校し、翌1938年、釜山大新公立尋常小学校に、さらに1941年に釜山大新公立国民学校に改称されました。ちなみに、韓国では1955年に“国民学校”が“初等学校”に改称されるまでは、日本統治時代の学校の名前がそのまま用いられていましたが、今回ご紹介のカバーの宛名になっている大新公立国民学校もその一例です。

 なお、現在の大韓民国の国軍組織の形成過程については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ <JAPEX> トークイベントのご案内 ★★★

   アウシュヴィッツの手紙・表紙  ペニーブラック表紙   

 東京・浅草で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、下記の通り、拙著『アウシュヴィッツの手紙』ならびに『英国郵便史 ペニー・ブラック物語』の刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。

 ・10月30日 15:30~ アウシュヴィッツの手紙
 ・11月1日  14:00~ 英国郵便史 ペニーブラック物語


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 11月上旬刊行予定ですが、現在、版元ドットコムアマゾン新刊.netで予約受付中ですので、よろしくお願いします。

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 李承晩没後50年
2015-07-19 Sun 05:58
 韓国の初代大統領・李承晩が1965年7月19日に亡くなってから、きょうでちょうど50年です。というわけで、現在開催中の韓国切手展に出品中の僕のマテリアルのなかから、李承晩がらみで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      釜山・大統領府カバー

 これは、朝鮮戦争中の1951年10月11日、釜山に避難していた韓国大統領府のスタッフが米国宛に差し出した郵便物です。

 1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し、ソウルが北朝鮮の朝鮮人民軍によって占領されると、韓国政府は大田、大邱に後退し、最終的に釜山市が臨時首都となりました。その後、同年9月28日、韓国・国連軍がソウルを奪還すると、韓国政府はいったんはソウルに戻りますが、中国人民志願軍の参戦により戦況が悪化すると、再び釜山に移り、1953年7月27日の休戦を経て、8月15日にソウルへの再遷都が実現するまで、釜山が臨時首都となっています。

 さて、今回ご紹介のカバーの差出地となっている釜山の大統領府の建物は、もともとは日本統治時代の1926年8月10日に慶尚南道知事官舎として建設されたもので、解放後も、朝鮮戦争の勃発までは引き続き道知事の感謝として利用されていました。それが、戦時下の政府の釜山移転により大統領官邸として使用されるようになり、休戦後、再び道知事官舎として使われるようになったという歴史的経緯があります。なお、1983年、慶尚南道の道庁が昌原に移転すると、釜山市が建物を買い取り、現在は臨時首都記念館として公開されています。

 カバーに貼られている切手は、1950年11月に発行された“国土統一記念”の200ウォン切手3枚と、1951年4月1日に発行された太極旗を描く50ウォン切手2枚、同年7月1日に発行された飛天を描く1000ウォン切手1枚の計1700ウォン相当です。これらの切手は、いずれも、釜山の東洋精版印刷社で印刷されました。“国土統一記念”の切手のような、一過性の記念切手だけでなく、日常的に使用する普通切手の製造も釜山で行われるようになったのは、戦争の長期化を見越して、臨時首都の釜山でも切手類を供給する体制がようやく整ったことによるものでした。

 さて、17日からスタートした全日本切手展と韓国切手展ですが、早いもので、本日が最終日となりました。日本と朝鮮の双方の最古の切手貼り郵便物をはじめ、力作ぞろいの競争展示など、ぜひ、お見逃しなきよう、会場でお運びいただけると幸いです。

 *昨日の韓国切手展の展示解説ならびに記念講演は無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

  
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 
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 “日の本”の切手は美女揃い!
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 おかげさまで10周年
2015-06-01 Mon 12:54
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど10周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは“10周年”の切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・政府樹立10周年

 これは、1958年8月15日に韓国で発行された“(大韓民国)政府樹立10周年”の記念切手で、同国の国花ムクゲで作られた“10”の文字が大きく描かれています。

 日本の敗戦後、連合国軍最高司令官一般命令第1号により、朝鮮半島は米ソにより北緯38度線で南北に分割占領されました。当初、これはあくまでも暫定的な措置とされていました。しかし、1945年12月に発表された「5年間を限度とする信託統治の後、南北統一の政府を樹立する」というモスクワ協定のプランは、南朝鮮での激しい反発や東西冷戦の振興により、実現が困難になっていきます。

 米ソ間の調整が難航する中、米国は自力での問題解決をあきらめ、1947年9月17日、朝鮮問題を第2回国連総会に上程。国連臨時朝鮮委員会を設置し、1948年3月末までに、同委員会の監視下に総選挙を実施するとの決議を採択させます。

 しかし、すでに北朝鮮のソヴィエト化をほぼ完成させていたソ連は、朝鮮半島からの米ソ両軍の同時撤兵を主張。選挙監視のために国連委員会が北緯38度線以北に立ち入ることを拒絶しました。このため、1948年2月、国連総会中間委員会は、“選挙の可能な地域”、すなわち南朝鮮での単独選挙を決議。こうして、同年5月10日、米軍政下の南朝鮮で第1回総選挙が実施されました。

 この選挙結果を受けて、5月31日、憲法制定を最大の目的とする国会が開院(議長:李承晩)。6月10日には国会の組織・運営方法等を正式に定めた南朝鮮国会法を制定し、同25日には国連の臨時朝鮮委員会も正式に南朝鮮国会の成立を認定します。そして、7月17日の憲法制定を経て、24日には李承晩が大韓民国の初代大統領に就任。8月15日の解放3周年にあわせて、大韓民国政府が正式に樹立され、翌16日午前零時をもってアメリカ軍による南朝鮮の軍政は解消されました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して10周年になるのを記念して発行されたものですが、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』もあわせてご覧いただけると幸いです。

 さて、今年は1965年の日韓国交正常化から50周年ということで、7月17-19日に東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催される<全日本切手展2015>でも、外務省認定の日韓国交正常化50周年記念事業として、(公財)日韓文化交流基金のご支援を受けて、“韓国切手展”を併催する予定で準備を進めております。会期も間近に迫ってまいりましたので、今後、このブログでも、同展の事前プロモーションを兼ねた記事をいろいろ掲載していくことになると思いますが、よろしくお付き合いください。


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 切手に見るソウルと韓国:オリニナル
2015-05-16 Sat 18:05
 ご報告が遅くなりましたが、 『東洋経済日報』5月1日号が発行されました。今回は、刊行日が“こどもの日”近かったので、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・こどもの日(1949)

 これは、1949年に韓国で発行された“こどもの日”の記念切手と記念印です。

 朝鮮半島の伝統では、子供は“児孩(アハ)”または“童蒙(ドンモン)”と呼ばれ、一人前の人格とは認められていませんでした。これに対して、朝鮮児童文学の祖とされる方定煥は、子供を呼ぶ言葉として“嬢鍵戚(オリニ)”の語を考案し、子供の人格を尊重するよう主張します。

 方定煥は、1899年、ソウルで商人の家に生まれました。8歳の時、父の事業の失敗で生家が破産。貧困の中で、1914年、家計を助けるために善隣商業学校に入学して商業を学びましたが、翌年には家庭の事情で中退を余儀なくされます。その後、1917年、知人の紹介で天道教教祖であり独立運動家の孫秉熙の知遇を得て、その三女と結婚しました。

 孫は、1861年、忠清北道清原郡生まれ。1894年の甲午農民戦争(いわゆる東学党の乱)では、指導者の全琫準を助けて官軍と戦い、翌1895年に全が逮捕・処刑されると、東学運動の再建に力を注ぎ、1901年には日本に亡命。1905年に東学を天道教と改称した後、帰国しました。

 1919年の三一独立運動に際しては、独立宣言書を朗読するなど重要な役割を果たしましたが、それゆえ、逮捕されて懲役3年の判決を受け、釈放後まもなく1922年に亡くなりました。

 こうしたこともあって、孫の女婿であった方も、朝鮮内にはいづらくなり、1919年、日本に渡って東洋大学の哲学科で児童文学と児童心理学を学ぶとともに、朝鮮の児童のための児童文化運動に取り組むようになります。時あたかも、日本国内では、鈴木三重吉が雑誌『赤い鳥』を創刊(1918年)し、児童文学が社会的な地位を確立しつつあった時期で、方がその強い影響を受けたであろうことは想像に難くありません。ちなみに、方は“小波”と号していましたが、これは、当時の日本児童文学の代表的な作家であった巌谷小波にあやかったものと考えられています。

 1921年、方は朝鮮に戻り、ソウルで“天道教少年団”を組織。子供の人格を尊重すべきと訴えて講演活動等を展開する傍ら、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」やアミーチスの「クオレ」など、当時の日本でも人気のあった作品を韓国語に翻案し、1922年、朝鮮文学史上初の童話集『愛の贈り物』を出版。翌1923年3月には、朝鮮初の本格的な児童雑誌『嬢鍵戚』を創刊しました。

 こうした一連の活動の一つとして、1923年4月、毎年5月1日を“嬢鍵戚劾(こどもの日:オリニナル)”として、子供の社会的な地位の向上を訴える機会とするよう、訴えます。

 以後、日本統治下の朝鮮では、1926年までは毎年5月1日、1927年以降は5月5日の“こどもの日”には記念行事が行われ、多数の少年少女が参加しました。しかし、1931年に方が32歳の若さで亡くなったことに加え、天道教が朝鮮独立運動とも深くかかわっていたこともあり、1939年には“こどもの日”の行事は中断に追い込まれてしまいます。

 そして、解放後、米軍政下の南朝鮮では“こどもの日”が復活しますが、その日付は5月5日でした。

 日本では、こどもの日とその元になった端午の節句は、明治以降、太陽暦の5月5日に祝うことになっていますが、朝鮮半島では端午節は太陰暦の5月5日に祝うものであって、新暦の5月5日とは無関係です。現在の韓国政府の公式見解では、韓国の“こどもの日”が日本と同じ5月5日になったのは単なる偶然ということになっていますが、方の活動とその歴史的背景などを考えると、日本の影響が全くないと考えるのは不自然でしょう。じっさい、今回ご紹介の切手・記念印は大韓民国成立翌年の1949年5月5日のものですが、その名称は、“第20回こどもの日”となっているわけですし…。

 
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 インド共和国記念日
2015-01-26 Mon 21:55
 きょう(26日)は、インドの共和国記念日です。恒例のニューデリー中心部での軍事パレードをはじめとする政府主催の記念式典には、オバマ米大統領が主賓として参加しました。米大統領が式典に主賓として参加するのは初めてのことです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      国連軍参戦感謝(インド)

 これは、1951年に韓国が発行した国連軍参戦感謝の切手の1枚で、自由の女神を挟んで、インドと韓国の国旗が並べて描かれています。米国とインドと軍事をつなぐ1枚ということで、持ってきました。

 1947年に独立したインドでは、ネルー政権が、経済的不平等の是正を主とした“社会主義”を公約に掲げ、“(ソ連寄りの)非同盟・中立”を外交の基本に据えていました。このため、国連の求めに応じて、戦闘部隊ではなく、医療支援のための第60インド降下兵救難中隊を1950年11月に派遣しています。

 1952年5月7日、板門店で行われていた休戦交渉は、国連側が北朝鮮兵10万と中国兵2万の捕虜の送還を本人の自由意志に任せるよう主張したのに対して、共産側が捕虜全員の無条件送還を求めて交渉が暗礁に乗り上げます。翌8日、韓国・慶尚南道の巨済島に置かれていた捕虜収容所で、捕虜が大規模な暴動を起こし、収容所長のドッド准将が拘束されるという事件が発生すると、米軍は10日に巨済島に戦車を上陸させ、翌11日、ドッド所長を解放しました。

 その後、22日には、新たに国連軍総司令官となったマーク・ウェイン・クラーク(5月12日にNATO軍総司令官のアイゼンハワーが大統領選挙への立候補のため辞職したため、リッジウェイが国連軍司令官に転じ、クラークが新司令官となりました)は、巨済島捕虜収容所の管理を英連邦軍に委ねましたが、その際、管理の実務を担うことになったのが“中立国”のインド軍で、インド軍の管理下では収容所の運営は平静を取り戻すことになります。

 休戦後の捕虜交換に際しては、まず、1953年8月5日から9月6日の間に7万5801名が国連側から共産側に、1万2773名が共産側から国連側に引き渡されましたが、9月23日以降は、巨済島での実績も踏まえて、国連軍から2万2604名が、共産側から359名が、それぞれインド軍に引き渡されています。

 これは、捕虜たちの中には、帰国を拒む者や帰国すべきか否かを迷う者が少なからずいたため、そうした者たちに、中立国の監視の下で、国連側・共産側双方から十分な説明をさせ、本人の自由意思で帰国すべきか否かを決めさせようとしたための措置でした。

 なお、朝鮮戦争時のインド軍の活動については、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 昨日、カウンターが147万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、お礼申し上げます。


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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