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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に見るソウルと韓国:ソウルの大気汚染
2019-04-18 Thu 02:16
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』3月15日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、ソウルの大気汚染が深刻だった時期の掲載でしたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・大気汚染防止(1979)

 これは、1979年6月に発行された“大気汚染防止”のキャンペーン切手です。

 韓国では“漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長は1960年代後半から始まっていましたが、1960年代の輸出振興が軽工業中心だったのに対して、1970年代以降、重化学工業中心の経済政策に転換されたことで、石炭や石油などの化石燃料が大量に消費され、二酸化硫黄などの排出による環境問題も深刻になりました。

 このため、当時の朴正熙政権は、1971年に公害防止法を大幅に改正し、公害防止のための最小限の命令・強制方式の環境政策が始まります。ただし、この時点では、経済成長が優先されていたこともあって、汚染排出基準はかなり緩やかで保険社会部の行政命令も執行されませんでした。その後、経済成長に伴い、環境汚染がより深刻になったことから、1977年には環境保全法が制定されます。同法は、1年余の施行過程での不備を修整・保管して1979年に改正されましたが、こうした環境意識の高まりを反映して、1979年6月には今回ご紹介している宣伝切手も発行されたわけです。

 1979年10月に朴正熙大統領は暗殺されましたが、環境法の理念は継承され、全斗煥政権発足後の1981年には環境庁が発足します。

 しかし、政治的な混乱が続いたこともあり、大気汚染の状況はなかなか改善されず、1977年に27%だった大気汚染による呼吸疾患者は、1983年には43%にまで増加しました。

 このため、1988年のソウル五輪を控えた政府は、大気汚染改善のため、精油所に脱硫装置を本格的に導入するなどの対策を講じたため、二酸化硫黄による大気汚染は大幅に改善されました。その後、政府による規制は一酸化炭素や二酸化窒素などへも拡大され、工場や発電所等の固定汚染源に由来する大気汚染は改善されたとされています。

 この成功を受けて、五輪後の1990年、環境庁は環境処に昇格、さらに1994年には環境部に昇格し、環境法・制度の整備が進められました。しかし、韓国の環境規制は必ずしも厳格な運用が行われているわけではなく、十分な成果を上げているとはいいがたいのが実情です。

 特に、2000年代以降、国民の生活水準向上に伴い、個人所有の自動車が増加したことによる排ガス汚染問題が人工密集地域で悪化。毎年春のpm2.5(有害物質を含む微小粒子状物質)など、複合型の大気汚染問題が深刻になり、2017年に当選した文在寅大統領は、大統領選挙の期間中。「pm2.5の30%削減」を公約に掲げ、「就任と同時に中国の習近平・国家主席にpm2.5対策を要求する」と語っていました。

 ところが、その後も事態は一向に改善されず、ことし1月13日には、ソウルのpm2.5の平均濃度は1立米あたり79マイクログラムを記録。政府基準で「とても悪い」の1立米あたり75マイクログラムを上回ったため、非常低減措置が発令され、政府はマスク着用や不急不要の外出を避けるよう呼びかけることになりました。

 さらに、ことし3月5日夕方の時点で、国際調査機関による都市別汚染度ランキングでは、ソウルが1位、隣接する仁川が2位にランクされるなど、状況はさらに悪化しています。

 ちなみに、大統領が中国に対策を要求すると語ったように、韓国内では、「汚染物質の大半は中国から飛来した」とする主張も根強いのですが、同日のランキングでは、“発生源”とされる北京は58位ですから、ソウルの汚染が北京に影響を及ぼすことはあっても、その逆は考えにくいのが実情です。

 こうしたこともあって、今月17日付の『朝鮮日報』によると、韓国の国会環境労働委員会の金学容委員長(自由韓国党)ら与野党議員8人が先月末、中国の生態環境省と全国人民代表大会(全人代)常務委員会を訪問し、汚染物質の低減策について協議したいと提案したものの、あっさり拒否されていたそうです。

 いずれにせよ、大気汚染の原因については、人口に膾炙している中国原因説のほか、国内の火力発電所やディーゼル車の影響、さらには、サバの塩焼きなどの諸説が出てますが、ともかくも、まずは汚染の原因と発生・拡大のメカニズムをきちんと解明しないことには、どうにもなりませんね。


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 切手に見るソウルと韓国:1969年第2次経済開発5カ年計画
2019-02-06 Wed 10:46
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』1月18日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、ともかくも、2019年最初の掲載でしたので、干支にちなんで、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・第2次経済開発特印

 これは、1969年5月20日に発行された“第2次経済開発”のキャンペーン切手とその初日印ですが、今回は、切手ではなく、豚の貯金箱が描かれたスタンプが主役です。

 日本では亥年の動物はイノシシですが、朝鮮半島では、中国同様、ブタです。

 朝鮮の伝統祭祀では神への供物としてはブタが用いられますが、あわせて、ブタには、神意を人々に伝え、物事を決定させる神通力があるとも考えられてきました。

 たとえば、高麗王朝を開いた太祖(在位918-43)の祖父、作帝健は西海龍王を悩ませていた老狐を退治し、その褒美として龍王の娘とブタを得ましたが、故郷に連れて帰ったブタは小屋に入ろうとしませんでした。そこで、ブタを放ち、ブタが落ち着いた松岳の南麓に落ち着いたのですが、ここが、孫の代になって高麗王朝の都、開城の元になったといわれています。

 また、漢字の“豚”の朝鮮語音、“トン”が金銭を意味する“トン”と同音であること、ブタは多産であることから、家に財産や福をもたらす守護神もしくは商売繁盛の財神ともみなされ、夢にブタが出てくるのは「服が来る」、「食べ物を得る」などの吉祥の暗示とされています。こうしたこともあって、新たな事業を起こすのは、陰暦正月の最初の亥の日が良いとの俗信もあります。ちなみに、ことしは、昨日の5日が陰暦元日なので、あす・7日の乙亥の日が最初の亥の日です。

 今回ご紹介の記念印に、ブタの貯金箱が描かれているのも、そうした事情を踏まえてのことでしょう。

 1965年、日本との国交正常化により、日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の援助資金を得た韓国政府は、1967年、第2次経済開発5カ年計画を発動します。

 同計画の目玉のひとつは高速道路建設で、1968年には、ソウル=仁川間を結ぶ24キロの京仁高速道路が開通。以後、“全国の1日生活圏化(全国を1日で往復できるようにする)”を目標として、1970年6月にはソウルと釜山を結ぶ京釜高速道路も開通しました。切手の右上にも、歯車の中に高速道路のイメージが描かれています。

 切手の下部は貯金の窓口が描かれており、経済成長によって豊かになった国民に対して“勤勉貯蓄”に励むよう呼びかけるデザインです。ブタの貯金箱と工場を組み合わせた記念印のデザインも、国民の貯蓄が韓国の金融を強くし、産業建設につながるというイメージを表現したのでしょう。

 ところで、陰陽五行説では十干ごとに色がありますが、ことしの干支、己亥の己は黄色で、黄色が黄金を象徴することから、ことしは“黄金のブタ年”と考える韓国人も少なくないそうです。

 もっとも、前回、2007年の干支は丁亥で、丁はオレンジ色を意味するので、このときも“黄金のブタ年”という人がありました。

 “黄金のブタ年”に生まれた子は、うまれつき、財運と福に恵まれているとの俗信がありますがが、それが、丁亥なのか、己亥なのかは(俗信であるがゆえに)定かではありません。ただし、わが国で丙午の年に出生数が激減したことに見られるように、子供を作る夫婦の気分の問題というのは重要で、韓国では、丁亥の2007年の新生児は49万人で、前年の44万人を1割以上上回っています。このため、記録的な低出生率に悩む韓国では、今回もまた、子供の出産が例年より増えるのではないかと期待されています。

 ちなみに、古い伝承によれば、地下世界に住み、妖術を使うという“黄金のブタ”が、ある男の妻を拉致して自らの妻にしたことがありました。男は妻を探して地下世界を訪れ、豚を退治して妻を取り戻したが、妻は妊娠しており、黄金のブタの子を産みましたが、その子こそ、新羅末期の文人で朝鮮漢文学の祖ともされる崔致遠(858年生)だったといわれています。もっとも、崔致遠は朝鮮史に残る知の巨人ですが、新羅末期の乱世にあって志を進めることができずに官を辞し、晩年は海印寺に隠棲したと伝えられているので、“黄金のブタ”の子であっても、必ずしも財運に恵まれるとは限らないようですが…。


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 切手に見るソウルと韓国:済州島のミカン
2018-12-09 Sun 01:25
 ご報告が遅くなりましたが、、『東洋経済日報』11月16日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が韓国の文在寅大統領にマツタケ2トンを贈ったことに対するお礼として、11月11-12日の両日、済州島のミカン200トンが平壌に空輸されたというニュースにちなんで、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・済州の柑橘畑

 これは、1973年に発行された観光宣伝の切手のうち、済州島の“柑橘畑”を取り上げら1枚です。

 朝鮮半島では、済州島の一部で古くから柑橘類が自生していましたが、人為的なミカン栽培の記録としては、高麗王朝時代、海に面した西帰浦市安徳面柑山里の一帯で始められたのが最初とされています。

 現在でも、韓国産ミカンのほとんどは済州島で生産されており、なかでも、西帰浦周辺がみかんの名産地として有名です。韓国内で生産されているミカンの種類は細かく分類すると500種類にも及んでいますが、最も一般的なミカンは、収穫時期によって、極早生(10月)、早生(11月中旬-12月)、中晩生(12月)と呼び分けられています。このうち、中心になるのは早生で、毎年11月になると、ミカン狩りを楽しむために多くの観光客が西帰浦のミカン農園を訪れます。

 朝鮮王朝時代、済州島は流刑地だったこともあり、韓国社会では、ながらく、済州出身者に対する差別や偏見が根強く、島内のインフラ整備も本土に比べて大きく遅れていました。1948年のいわゆる済州4・3暴動も、左派の騒乱というだけでなく、長年にわたる島民の不満が爆発したという面がありました。

 このため、1961年に発足した朴正熙政権は、国内の宥和と経済開発を兼ねて、済州の観光振興に力を入れましたが、その一環として、夏が終わり、ビーチ・リゾート客の足が遠のく秋冬の済州の観光の目玉として取り上げられたのが、西帰浦でのミカン狩りでした。今回ご紹介の切手もそうした意図に沿って発行されたものです。

 切手に描かれているミカンは、おそらく、早生でしょうが、近年、済州を代表するミカンといえば、“ハルラボン”が有名です。

 ハルラボンは、1990年代に日本のミカン品種である“不知火(日本で清見とポンカンを掛け合わせて作られた品種。登録商標はデコポン)”を導入したもので、頭部が凸状に盛り上がっているのが特徴。その形状から、済州島の主峰である漢拏山になぞらえて、韓国ではハルラボンと命名されました。

 ハルラボンは木に花を咲かせてから実を収穫するまで約300日かかることから、“300日フルーツ”とも呼ばれ、韓国産ミカンの中では最も糖度が高く食感が良いため、人気があります。当然のことながら、手間がかかる分、値段も高く、贈答品として使われることも多いようです。

 したがって、通常であれば、ハルラボンが北朝鮮に贈られたとしても、そのこと自体は不思議ではないのですが、残念ながら、この原稿を書いている時点では、送られたミカンの種類を特定できるだけの情報は得られませんでした。

 ただし、中朝国境の白頭山と済州島の漢拏山を並べて朝鮮全土ないしは統一をイメージさせる表現がしばしば使われることを考えると、実際にハルラボンが送られていた場合、その行き先が白頭ではなく、平壌までしか届かなかったというのは、いろいろと憶測を呼んだかもしれません。


★★ トークイベント・講演のご案内 ★★

 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

 12月9日(日) 東海郵趣連盟切手展 於・名古屋市市政資料館 
 午前中 「韓国現代史と切手」

 12月16日(日) 武蔵野大学日曜講演会 於・武蔵野大学武蔵野キャンパス
 10:00-11:30 「切手と仏教」 予約不要・聴講無料


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 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 切手に見るソウルと韓国:世界文化遺産の山寺
2018-08-20 Mon 01:38
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月20日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、6月30 日、バーレーンの首都マナーマで開かれた世界遺産委員会の第42 回会議で“韓国の山寺”が世界文化遺産に登録されたことにちなみ、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・法往寺

 これは、1973年の普通切手に取り上げられた法往寺五重塔の切手です。

 今回、世界文化遺産に登録された韓国の山寺は、①通度寺(慶尚南道梁山)、②浮石寺(慶尚北道栄州)、③法住寺(忠清北道報恩)、④大興寺(全羅南道海南)、⑤鳳停寺(慶尚北道安東)、⑥麻谷寺(忠清南道公州)、⑦仙巌寺(全羅南道順天)の7寺ですが、今年5月の時点では、ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は、①~④の4寺のみを登録するよう勧告していました。これに対して、世界遺産委員国である中国が7寺を合わせて登録することを提案し、最終的に7寺の登録となりました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられた五重塔がある法住寺は、韓国仏教の最大勢力である曹渓宗の第5教区本寺で、553年、天竺に渡った義信祖師が、ラクダに仏典を積んで帰国し、俗離山麓に道場を開いたのが寺の元になったと伝えられています。寺名は、「仏法がこの地に留まるように」との意を込めて命名され、何度かの補修・改修を経て、720年、大刹としての規模が整えられました。現存する双獅子石灯と石蓮地、四天王石灯、喜見菩薩像、石灯籠などは、当時の遺物です。

 朝鮮王朝初期の1407年、大規模な仏教弾圧があり、多くの寺院が破却されましたが、法住寺は、例外的に許された寺院のうちの“軍威法住寺”に該当するとみられています。さらに、1424年の仏教弾圧でも破却を免れた寺の中に“忠淸道報恩俗離寺”の記録があり、これも法住寺と推定されています。

 現在の伽藍は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で焼失したものを、1626年、碧巌禅師が改修・復元したもので、大雄宝殿を中心とした華厳信仰と、竜華宝殿を中心とした弥勒信仰が、捌相殿から直角に交差する配置となっています。

 切手に取り上げられた捌相殿(八相殿とも)は、釈迦の生涯を8つに分けて描いた八相図と仏像を祀った五重塔で、境内の中央に位置しています。現存する韓国唯一の木塔として、国宝第55号に指定されています。切手は、1968年の解体復元工事後の姿で、このとき、仏舎利容器が発見されたことから、仏塔としての機能があることが確認されました。

 一方、法住寺のもう一つのシンボルともいうべき弥勒仏は、もともとは、青銅の像でしたが、1872年、ソウルの景福宮の再建工事に際して徴発されます。その後、ながらく境内には弥勒仏のない状況が続いていましたが、1964年、コンクリート製の弥勒仏立像が建立されました。ただし、現在の法住寺では、コンクリート像は撤去され、1990年に建立された金銅像(高さ33メートル)が鎮座しています。


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 羽衣伝説はレイプ犯の物語か
2018-07-29 Sun 01:21
 韓国版の羽衣伝説として知られる「仙女と木こり」について、鄭鉉栢・女性家族部長官が、「この物語の主人公は天女を誘拐したレイプ犯だ」と述べ、各方面から批判を受けているそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      韓国・仙女と木こり①

 これは、1970年3月5日、韓国が民話シリーズ第4集として発行した「仙女と木こり」のうち、主人公の木こりが水浴する3人の仙女のうち1人の羽衣を隠す場面が描かれています。1973-75年に発行された日本の昔ばなしシリーズは、3種の組み合わせで物語の序盤・中盤・終盤の各場面を取り上げた構成になっていますが、韓国の民話シリーズでは1話につき4種の構成で物語のあらすじを表現するスタイルになっています。今回ご紹介の「仙女と木こり」の場合は、上に挙げた切手に続いて、羽衣を失い、天に帰れなくなった仙女が木こりと夫婦になり、2人の子供をもうけて暮らす場面が取り上げられています。(下の画像)

      韓国・仙女と木こり②

 こうして、木こりは家族4人で幸せに暮らしていましたが、あるとき、酒に酔って妻に自分が隠した羽衣を見せ、事実を打ち明けてしまいます。すると、彼女は元の仙女に戻り、羽衣を身に着けると2人の子供とともに天に帰って行きました。(下の画像)

      韓国・仙女と木こり③

 最愛の妻を失った木こりは悲しみのあまり、まもなく亡くなりましたが、生前の善行のゆえに天国へ行き、妻子と再会して幸せに暮らすことになりました。なお、物語の結末については、木こりは七夕の日のみ家族との再会が許されたなどのヴァリエーションもあります。(下の画像)

      韓国・仙女と木こり④

 さて、「仙女と木こり」は、上述のように、いわゆる羽衣伝説の1バージョンであり、類似の民話は全世界のいたるところで古くから多くの人に親しまれていますが、一国の現職閣僚が、左派・リベラル的な視点から、それを公の取り上げて批判するケースなど、今回の韓国のケース以外には、寡聞にして聞いたことがありません。

 ところが、鄭長官は、先日、あるセミナーの席上、「仙女と木こり」の木こりが池で水浴びをしていた天女の衣を取り上げてしまう点を問題にし、「天女や、木こりとの間にできた2人の子どもたち、そして天女の両親の側からすると、この木こりは誘拐犯であり、レイプ犯だという見方もできる」、「この点は、男女平等を実現するという文脈では変更されるべきだろう」と主張。これに一部のフェミニスト活動家たちが同調したことから、過激なフェミニズムが猖獗を極めている現状を苦々しく思っていた多くの国民が反発を示したというわけです。

 ちなみに、元判事で弁護士のファン・ジュミョン氏は、「昔話の登場人物をそのような凶悪犯罪で非難するのは、ばかげている」としたうえで、「法律に照らし合わせて言えば、木こりが天女に性行為や同居を強要したことを示す証拠をこの物語から見つけることは困難だ」と結論付け、長官のような立場に立つなら、彼女こそ、木こりから名誉棄損で訴えられてもおかしくないと述べています。

 まぁ、鄭長官の「仙女と木こり」批判はとても正気の沙汰とは思えない内容なのですが、こういう極端な思考回路の持ち主が、現職の韓国政府閣僚として、いわゆる慰安婦問題を担当しているというのは、何とも頭の痛い話ですな。


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 切手に見るソウルと韓国:李巌の『母犬図』 
2018-02-12 Mon 12:24
 ご報告が遅くなりましたが、 『東洋経済日報』1月26日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、2018年最初の掲載ということで、干支にちなんで犬の切手の中からこの1枚をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・李巌『母犬図』(1970)

 これは、1970年10月30日に発行された“名画シリーズ”の切手うち、李巌の『母犬図』を取り上げた1枚です。名画シリーズには目打アリと無目打がありますが、今回は、無目打の切手を持ってきました。

 切手に取り上げられた『母犬図』の作者、李巌は、朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の燕山君5(1499)年生まれ。世宗(第4代朝鮮王)の第4子、臨瀛大君・李谷の曾孫で、字は静仲。朝鮮王朝宗室の出身として、正五品の杜城令の官職も与えられています。本貫は全羅北道全州で、これにちなんで、完山(全州の旧称で、現在は全州市南部の区名に残っています)と号しました。

 没年の記録はありませんが、『朝鮮王朝実録』の仁宗元(1545)年1月の条に、李巌が官命を受け、図画署の画員だった李上佐とともに、前年の1544年に崩御した中宗の肖像画の制作に参加したとの記録がありますので、少なくとも、1545年までは健在だったことが確認できます。

 日本では“完山静仲”の名で古くから知られており、狩野永納(1631-97)の『本朝画史』(1693年刊)では、李巌を室町時代の日本の画僧と誤解したうえで「完山、彩色狗子を善画す 宋の毛益に学ぶ 而して最も佳なり」と紹介しています。その後、幕末に朝岡興禎が著した『古画備考』では、『本朝画史』の誤りが修正され“朝鮮画人”と記載されました。

 李巌が範とした毛益は、中国・南宋の画家で、孝宗の乾道年間(1165-73)、画家として最高の位である画院待詔となりました。翎毛(小鳥や小動物)、花竹を得意とし、渲染(色のぼかし)の技法に優れ、鳥を描けば鳴き出して飛び立つばかりに真に迫っていたと伝えられています。李巌は毛益の画風を学び、犬の絵を得意としていました。

 現在、李巌の作であることが確実な絵は6点(うち2点は双幅のため、8幅)が伝えられており、その内訳は以下の通りです。

 ①双狗子図(日本・個人蔵)
 ②狗子図(日本・個人蔵、双幅)
 ③母犬図(韓国・国立中央博物館
 ④花鳥狗子図(韓国・湖巌美術館)
 ⑤花鳥猫犬図(北朝鮮・平壌美術館、双幅)
 ⑥花鳥双雁図(同上)

 このほか、作風から李巌の作品と考えられている無印の絵としては、以下の4点(5幅)がある。

 ①翎毛図(韓国・国立中央博物館)
 ②花鳥図(韓国・湖巌美術館)
 ③狗子図(日本・個人蔵)
 ④狗子図(米・フィラデルフィア美術館)

 今回ご紹介の切手に取り上げられた『母犬図』は、無邪気な雰囲気の犬を描いたもので、上述のように、ソウルの国立中央美術館の所蔵品。李巌の代表作として知られており、日本の俵屋宗達の犬図にも影響を与えたといわれています。

 ところで、李巌の『母犬図』に限らず、朝鮮の伝統絵画では、犬は木の下にいる姿で描かれるのが定番となっています。

 古来、朝鮮では、犬は悪鬼・妖怪などがもたらす禍を祓い、家庭の幸福を守る力があると信じられており、中国の吉林省集安県に残る高句麗時代の古墳、角抵塚の壁面には、墓を守るためと思しき犬が描かれています。

 さらに、犬の意味でも用いられる“戌”の字が、“守る”という意味の“戍”と形が似ていること、さらに、韓国語の発音では、“戍”“守”“樹”がいずれも“ス”となることから、「泥棒に入られないようよく守る」という意味で「戌戍守樹」の語が使われるようになり、そこから、木の下に犬を描く画題が好まれるようになりました。朝鮮王朝時代には、木の下にいる犬の絵は泥棒除けになるとの俗信も広く信じられていたそうです。
 

★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★

 2月8日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」第15回は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は、2月22日(木)16:05~の予定です。引き続き、よろしくお願いいたします。
 
 なお、2月8日放送分につきましては、2月15日(木)19:00まで、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。


★★★ 世界切手展< THAILAND 2018>作品募集中! ★★★

 本年(2018年)11月28日から12月3日まで、タイ・バンコクのサイアム・パラゴンで世界切手展<THAILAND 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不肖・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を3月12日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、お待ちしております。


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 切手に見るソウルと韓国:自由の家(板門店)
2017-11-28 Tue 15:35
 『東洋経済日報』11月17日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、北朝鮮兵士が板門店で越境した直後の号でしたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・自由の家(板門店)

 これは、1966年2月15日に発行された“自由の家(板門店)”の切手です。切手に取り上げられた旧“自由の家”は、切手発行の前年(1965年)に完成。伝統建築風の壁や展望台が印象的な外観でしたが、老朽化のため、1998年7月9日、現在の建物に建て替えられました。

 1950年6月25日に始まった朝鮮戦争の休戦交渉は、1951年7月10日から開城で休戦交渉が開始されました。

 当初、国連軍側は、交渉は1ヵ月程度で妥結するものと楽観視していましたが、会談は議題の設定をめぐって最初から難航。①議題の採択、②非武装地帯の設定と軍事境界線の確定、③停戦と休戦のための具体的取り決め、④捕虜に対する取り決め、⑤双方の関係各国政府に対する通告、という5項目を議題とすることが決定されたのは7月26日のことでした。

 その後も、軍事境界線は、現在の勢力圏の北側にすべきとする国連側と、あくまでも38度線にすべきとする共産側との溝は埋まらず、交渉はただちに暗礁に乗り上げます。そして、8月22日、共産側は、国連軍機による開城上空の侵犯を理由に会談の打ち切りを通告しました。

 その後、2ヶ月半の中断の後、会談は再開されるが、その際、会談場所として選ばれたのが板門店でした。

 板門店は、ソウルと新義州(朝鮮半島北西部の中朝国境の都市)を結ぶ京義街道の一寒村で、北緯38度線の南方5キロ、北朝鮮・開城市の東方9キロの地点、現在の休戦ライン上の西端に位置しています。ちなみに、ソウルからは北西に62キロ、平壤からは南方に215キロ、それぞれ離れています。

 休戦会談が行われるようになった当初、この地は、パンムンジョムではなく、ノルムンリ(板門里)と呼ばれていました。当初の会談場所は、現在、テレビなどでおなじみの“板門店”と呼ばれている場所から約1キロ北側で、周辺には、草屋4棟の他は、会談場として使われたプレハブ2棟、簡易式の宿舎3棟しかなかったそうです。

 その後、会談場が現在の地点に移された際、この会談に参加する中国の代表の便宜をはかり、会談場近くの雑貨店を漢字で「板門店」と表記したことから、この名が定着しました。

 さて、10月25日に板門店で再開された休戦会談は、紆余曲折の末、11月27日になって「現在の接触線を基にする」との国連側の主張に沿って、「議題の採択」に次ぐ第2の議題(実質的な第1議題)であった「非武装地帯の設定と軍事境界線の確定」の問題が妥結。しかし、その後も、第3の議題であった「停戦と休戦のための具体的取り決め」や第4の議題であった「捕虜に対する取り決め」などをめぐって会談は紛糾が続き、延々、1076回にも及ぶ会談の末、板門店の休戦会談本会議場において、国連軍首席代表のハリソンと朝鮮人民軍(朝鮮人民軍)代表の南日との間で休戦協定が調印されたのは、1953年7月27日のことでした。

 休戦協定の調印後、板門店内には、同年10月以降、“中立国監視委員会”と“軍事停戦委員会”の本会議場が設置され、停戦協定遵守の監視を行うことになりました。なお、軍事停戦委員会の本会議場は韓国(国連)側、中立国監視委員会は北朝鮮側の施設となっています。

 中立国監視委員会は、スイス、スウェーデン、チェコスロバキア、ポーランドの4ヵ国で構成されていました。このうち、チェコスロバキアとポーランドは(少なくとも形式的には)朝鮮戦争に関しては中立という立場を取っていましたが、1955年にワルシャワ条約機構に加盟したため、名実ともに中立国ではなくなりました。なお、両国の共産主義政権は1989年の革命で崩壊しましたが、いずれも1999年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟したため、再び“中立国”ではなくなり、さらに、現在では両国とも委員会そのものから脱退。現在の委員会メンバーはスイスとスウェーデンだけになっています。

 板門店は、現在でも、南北間唯一の公式の接点として、南北間の軍事連絡特別委員会や南北赤十字会談所が置かれています。また、北朝鮮側には「板門閣」が、韓国側には「自由の家」が、それぞれ設置され、各種の南北会談に用いられているだけでなく、報道関係者や観光客(原則として団体のみ)が訪れています。

 ちなみに、板門店経由での北朝鮮兵士の亡命は、1998年2月と2007年9月に発生しているが、JSA(共同警戒区域)で「銃声」が響いたのは1984年11月、北朝鮮の板門店観光ツアーに訪れていたソ連人大学生が軍事境界線を越えて韓国領内に闖入したのを機に、南北双方で銃撃戦になって以来、33年ぶりのことでした。

 なお、 朝鮮戦争と板門店については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は30日!★★

 11月30日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第12回が放送予定です。今回は、12月1日に予定されているパレスチナの西岸地区とガザ地区の統治一元化にちなんで、ガザ地区の歴史についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

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 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

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 切手に見るソウルと韓国:韓国畜産史
2017-02-25 Sat 18:54
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』2016年2月10日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、忠清北道と全羅北道の農場で同時に口蹄疫が発生し、農林畜産食品部が全国規模での移動停止命令を出した直後の号でしたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・セマウル運動(1973)

 これは、1973年12月10日に発行されたセマウル運動(日本統治時代の農村振興運動をモデルにした韓国の地域開発運動)の宣伝切手で、“漢江の奇跡”の象徴・高速道路の脇での畜産風景が描かれています。

 朝鮮王朝時代、家畜としての牛は食用というより、農耕用もしくは荷駄用が中心で、牛肉を口にできるのはごく一部の限られた上流階級のみでした。ただし、一般庶民が牛肉を食べられるのは冠葬祭の時ぐらいしかなかったことから、逆に、牛一頭、内臓まで余すことなく食べられる調理方法が生み出されることになります。

 日本統治時代になると朝鮮の一般家庭でも肉食が徐々に普及しましたが、それが本格化するのは朝鮮戦争以降のことです。その後、朴正熙政権下での経済成長に伴い食肉需要が高まったことから、1968年、「農漁村所得増大特別事業」が始まり、農民が養蚕・畜産・商品作物などを共同で展開するための補助金の支給や低利融資が開始されます。これらは、1970年に始まるセマウル運動でもこの方針は継続されました。今回ご紹介の切手のデザインも、こうした事情を反映したものです。

 こうした畜産奨励の結果、農産物品目別生産額の構成中、1962年に6.6%しかなかった畜産は、朴正熙政権末期の1979年には17%にまで急増します。

 1980年代初頭、韓国における牛の飼養頭数は150万頭前後でしたが、オリンピック景気に牽引される形で牛肉需要がさらに増加したため、韓国政府は肉牛を海外から輸入。その結果、1985年には飼養頭数が255万頭を超えるまでに増加し、肉牛の価格も下落しました。

 その後も、韓国内の牛肉消費は拡大し、牛飼養頭数も増加しましたが、1997年の通貨危機や牛肉の輸入拡大から、国内の飼養頭数は減少に転じます。

 2001年の牛肉の輸入自由化はこうした状況の下で行われたため、国内の畜産農家に打撃を与えることが懸念されましたが、国内経済の回復もあって、肉用牛飼養頭数は、2001年以降は底を打ち、2007年の韓牛飼養頭数は、203万4000頭にまで回復。これは、韓牛のみの頭数データが入手できる2003年と比較すると、59.3%増、頭数にして75万7000頭の増加となりました。

 なお、屠蓄前の雄牛が攻撃的になるとエネルギーとグリコーゲンが大量に消費され、解体後、肉の色が悪くなって質の低下を招くため、日本では肉用牛の牛は原則として去勢されるのですが、韓国には伝統的に雄牛を去勢しないで肥育する習慣があったため、韓牛のうち去勢される比率は3分の1程度にとどまっています。これは、韓国の食習慣では、肉の柔らかさを求めるのではなく、煮込みや骨付き肉でスープを取ることが重視されたことに加え、脂肪の少ない非去勢牛も一定の需要があるため、去勢することにより肉質を良くするよりも“量”で収入を確保するという、韓国畜産農家の経営判断によるものです。


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 切手に見るソウルと韓国:スケトウダラ
2016-11-16 Wed 10:21
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月21日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、毎年恒例の“統一高城スケトウダラ祭り”(10月20-23日に開催)の会期中の号でしたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・スケトウダラ(シート)

 これは、1966年に発行された動物シリーズの切手のうち、スケトウダラの切手(の小型シート)です。

 さて、ことし10月11日、韓国の海洋水産部は、世界で初めてスケトウダラの完全養殖技術の開発に成功したと発表しました。

 スケトウダラは韓国の伝統料理には欠かすことのできない食材で、プゴ(北魚)、ソンテ(鮮太)、マンテ(網太)、カンテ(江手、杆太)などとも呼ばれますが、一般にはミョンテ(明太)の名で知られています。ちなみに、今回ご紹介の切手でも、しっかりと“명태(ミョンテ)”の文字が入っています。

 ミョンテという名前の由来には諸説がありますが、朝鮮王朝時代に、咸鏡北道南部、明川の太という漁師が獲った魚ということで、明太の字を当ててミョンテと呼ばれるようになったと説明されることが多いようです。この明太が、中国に入って“ミンタイユー(ユーは魚)”と呼ばれ、日本語のメンタイとなったと考えられています。ちなみに、わが国の中国地方から九州にかけての地域ではスケトウダラをメンタイと呼び、明太子は一般的なタラコのことですが、全国的には、明太子といえば辛子明太子を指すのが一般的です。ただし、日本の辛子明太子に近いものとされる韓国の“明卵漬(ミョンナンジョ)”は、タラコをトウガラシとニンニクに漬け込んだもので、日本の辛子明太子とはかなり味わいが違います。

 韓国では、年間25万トンのスケトウダラが消費されていますが、これは、海産物の中ではトップで、韓国料理でのスケトウダラの利用法も、焼き物、煮込み、チゲ、チムなど多岐にわたっています。日本でも、一時期、美肌によいとしてプゴク(干しスケトウダラのスープ)が注目されたことは記憶に新しいところです。

 このように、韓国の国民魚ともいうべきスケトウダラですが、近年、韓国近海で獲れるものはほとんどなく、大半はロシアなどからの輸入に頼るという状況が続いていました。

 これは、1970年代、急激な経済成長と人口の増加に対応して、ノガリ(スケトウダラの幼魚)漁が解禁されたため乱獲が進んだことが大きいと考えられています。具体的な数字で見てみると、1980年代には7万4000トンあった韓国近海でのスケトウダラの漁獲高は、2000年代中盤には100トン未満にまで落ち込み、2007年以降は1-2トンと急落しています。

 こうした状況に危機感を抱いた海洋水産部は、2014年、スケトウダラ復活のためのプロジェクトを開始。国立水産科学院東海水産研究所などが、天然スケトウダラの母魚1尾から受精卵53万個を確保して幼魚を育て、昨年12月、20センチ程度に成長したスケトウダラのうち200尾余を選別して、35センチの母魚に育てました。

 そのうち7尾が今年(2016年)の9月18日に産卵に成功。受精卵10万個余のうち、3万尾余が0.7センチに成長したところで、「スケトウダラの完全養殖に成功」と発表したわけです。その過程で、スケトウダラの生育に適した水温が10度であることが明らかになり、この温度にあわせて餌となる動物性プランクトンが開発されるなど、養殖のための環境が整えられ、その結果として、自然界では3年かかるスケトウダラの成熟期間も1年8ヶ月に短縮できたそうです。

 また、海洋水産部は養殖とは別に20センチに育ったスケトウダラ1万5000尾を江原道高城近海に放流し、天然スケトウダラの生態系を回復することも計画しているとか。

 高城といえば、毎年10月には“統一高城スケトウダラ祭り”が開催される場所としても知られています。

 スケトウダラ祭りは1999年から始まり、今年で18回目となりますが、祭りの始まった時期は韓国近海でのスケトウダラの漁獲高が急減していった時期と重なっており、これまで、祭りで供されるスケトウダラはロシア産でした。

 海洋水産部の計画では、2017年にスケトウダラの稚魚を大量生産するための施設を作り、早ければ、2018年以降、スケトウダラの本格的な養殖生産に乗り出すということなので、数年後のスケトウダラ祭りには韓国産のスケトウダラが登場することになると期待されています。

 *毎日文化センターの講座の申し込み受付は終了いたしました。


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

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 切手に見るソウルと韓国:韓日「国宝」の仏像
2016-06-22 Wed 18:41
 『東洋経済日報』6月17日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、きのう(21日)から東京・上野の国立博物館で始まった“日韓国交正常化50周年記念 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」”にちなんで、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます。なお、掲載記事のタイトルは韓国系メディアでの掲載でしたので、日韓ではなく韓日となっていますが、ご了承ください)

      韓国・78号弥勒菩薩(白紙)

 これは、1962年に発行された韓国の50チョン切手で、今回、日本で展示されている国宝78号の弥勒菩薩像が取り上げられています。

 国交正常化50周年記念事業の一環として、日韓でそれぞれ国宝に指定されている仏像の半跏思惟像を1体ずつ、すなわち、奈良・斑鳩の中宮寺の本尊、半跏菩薩像と韓国の国宝78号の金堂半跏思惟像(奈良・広隆寺の弥勒菩薩と似ていることで有名な国宝83号とは別の像)を2体並べて展示する企画展のうち、ソウル国立中央博物館での“韓日国宝半跏思惟像の出会い”展が5月24日から6月12日まで開催されたことを受けて、日本での展示「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」がきのうから7月10日まで、東京国立博物館で開催されています。

 そもそも、菩薩はサンスクリット(インドの仏典の言語)のボーディサットヴァを音訳したもので“悟りを求める人々”の意。悟りを目指して修行し、如来(悟りを開いた者)になる以前の者を指しますが、大乗仏教の発展に伴い、すでに悟りを得た如来の化身として人々の救済にあたるケースもあります。仏像としては、釈迦が出家する以前の例にならい、古代インドの貴族の姿を表現したものが多くなっています。サンスクリットで“マイトレーヤ”と呼ばれる弥勒菩薩は、釈迦の次に如来となることが約束された最高位の菩薩で、釈迦の入滅後、56億7000万年後の未来に姿を現し、多くの人々を救うとされています。

 ところで、展覧会の名称にも含まれている“半跏思惟像”というのは、椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえをついて瞑想する姿を表現した仏像で、日本では弥勒菩薩像と言えば、この像容を連想する人も多いでしょう。たしかに、朝鮮半島ならびに日本の古い時代の弥勒菩薩像は、おおむね、半跏思惟像です。

 ただし、諸外国にも目を転じてみると、全ての弥勒菩薩像が半跏思惟像なわけではなく、インドでは水瓶を手にする像が作られていました。イスラム原理主義者のターリバーンによって破壊されたアフガニスタン・バーミヤーンの巨大石仏も弥勒菩薩像として建立されたものですし、唐代以前の中国では足を交差させ椅子に座る像もつくられています。朝鮮半島でも、高麗時代の10世紀に建立された論山市・潅燭寺の弥勒菩薩像は、当時の風俗を反映して、細長く伸びた頭と角帽のような2段の宝冠をかぶった立像という独特の風貌になっています。

 さて、国宝78号の半跏像は、高さ82センチの金銅製で、宝冠の上に三日月と丸い太陽を載せた日月飾の装飾は、イランのササン朝の王冠から由来したものと考えられています。この宝冠が像の特徴となっているため、国宝78号は“日月飾三山冠思惟像”と呼ばれることもあります。

 また、国宝78号の身体表現はしなやかで弾力があり、羽のような衣、X字型の天衣の裾、形式的な衣のしわの表現などは、中国の東魏及び西魏の仏像様式が反映されていることから、(資料が残されていないので正確な年代は特定できませんが)6世紀後半頃の三国時代の制作と推定されています。

 なお、ソウルでの展示では、像を保護する観点から、中宮寺の半跏像については照明を100ルクス以下に抑えて展示していたのに対して、国宝78号については照明をやや明るくして展示していたが、東京での展示についても両者の照明が異なっているかどうか、チェックしてみるのも面白いかもしれません。


 ★★★ 講座のご案内 ★★★

 下記の通り、各地のよみうりカルチャーで公開講座を行います。ぜひ、ご参加ください。

・イスラムを知る―ISはなぜテロに走るのか
 よみうりカルチャー荻窪 6/26(日) 14:00~15:30
 よみうりカルチャー横浜 7/2(土) 13:00~14:30

・切手でたどる東京五輪とその時代
 よみうりカルチャー荻窪 7/9(土) 13:00~14:30

 詳細につきましては、それぞれの会場・時間をクリックしてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。


 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。


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