内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に見るソウルと韓国:韓進海運
2016-09-27 Tue 18:06
 ご報告が遅くなりましたが、 『東洋経済日報』9月16日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、世界的な大手海運会社の韓進海運が経営破綻した直後の号だったので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓進コンテナ

 今年(2016年)8月31日に経営破綻した韓進海運が属する韓進グループは、解放後まもない1945年11月1日、趙重勲が仁川で設立した韓進商事から出発しました。1956年には在韓米軍の輸送業務を請け負うようになり、ヴェトナム戦争中の1966年にはヴェトナムに派遣される米軍の現地での物資輸送を請け負う契約を結び、急成長を遂げます。

 その躍進ぶりに目を付けた朴正熙は、1969年、経営不振に陥っていた大韓航空公社の民営化を趙重勲に委ね、現在の大韓航空が誕生しました。

 そして、同年11月、韓進は米国の海運会社シーランド社と、シーランドのコンテナ船のためのコンテナターミナルの運営契約を結び、翌1970年9月、釜山港にコンテナ埠頭を開業させてコンテナ業務に参入します。

 当初、韓進はシーランドをはじめとする海外の船会社の荷役作業を行っていましたが、1977年には、韓進コンテナラインズを設立して、自らも海運業へと参入し、韓進グループは陸・海・空の総合物流企業となりました。その後、韓進コンテナラインズは、1978年に中東航路、1979年に北米西岸航路を開設し、グローバル海運会社に成長します。

 1981年5月10日に韓国で発行された“船舶シリーズ”の切手には、その開業当時のコンテナ船“韓進ソウル”号が取り上げられています。なお、切手には“コンテナ船”としか表示されておらず、具体的な船名は記されていませんが、船の形状などから、韓進ソウル号が描かれていると特定することが可能です。

 韓進ソウル号は、現代重工業の蔚山造船所で1977年12月15日に起工し、翌1978年12月24日に進水。完成して、韓進側に引き渡されたのは1979年2月15日のことでした。

 全長201m、幅24mで、総トン数は1万7088 t、載貨重量トン数は1万8835 t。2007年にMSCソウル号と改称され、現在でもキプロスに船籍を置いて、リマソール(キプロス)を母港として運航を続けています。

 ソウル五輪が開催された1988年、韓進コンテナラインズは、大韓商船を合併して現在の韓進海運が誕生。これにより、韓進は、名実ともに韓国海運業の頂点に立ちます。

 もともと、韓国の海運業は、1948年の大韓民国独立に伴い、米軍政下で接収された旧日本船と米国から無償供与・貸与された船舶をもとに、国営事業としてスタートしました。1950年1月、韓国政府は海運民営化の方針を決定し、特別法により大韓海運公社(大韓船洲)を設立し、公社が政府保有船をひきとる形式となりましたが、公社の株式の97%は韓国政府が直接・間接に保有していたので、事実上の国営体制に変化はありませんでした。

 その後も韓進が本格的に海運業に参入するまで、韓国の海運事業は公社による事実上の独占体制が続いていましたが、さすがに、1980年代に入ると、海運業を取り巻く環境の変化もあり、公社の経営は悪化。1984年には大韓商船に改称・改組して再建を図ったが、最終的に韓進と合併したというわけです。

 1990年代から2000年代にかけて、韓進海運の業績は順調に推移し、1992年に売上高1兆ウォンを超え、1995年に巨洋海運、1997年に独セネターラインズを買収し、欧州・中国などに領域を拡大。2003年には中国コスコ、台湾陽明、日本Kラインなどと同盟を結成し、グローバルコンテナ船社としての地位を確立しました。

 しかし、2002年に創業者の趙重勲が、2006年には趙重勲の3男で2代目会長となった趙秀鎬が相次いで亡くなり、趙秀鎬夫人の崔恩瑛前会長が経営の一線に登場してきたあたりから雲行きが怪しくなってきます。

 特に、2008年の世界金融危機で世界的に海運業が停滞する中で、韓進海運は流動性の高い資産を次々と切り売りした結果、流動性危機が深刻化。2013年に2423億ウォンの営業損失を出すなど3年連続の赤字で危機を迎えたため、2014年からは韓進グループの趙亮鎬会長が2年間に1兆2000億ウォンを支援していました。たが、海運業不況の長期化と好況期に借りた高い傭船料、船舶金融費用などで、2015年末に連結基準で847%だった負債比率は今年6月には1076%に上昇。8月末、ついに、日本の会社更生法に相当する“法定管理”の手続き開始をソウル中央地裁に申請し、経営破綻に陥ったというわけです。


★★★ 講座のご案内 ★★★

 ・よみうりカルチャー荻窪 「宗教と国際政治」
 10月から毎月第1火曜の15:30より、よみうりカルチャー荻窪(読売・日本テレビ文化センター、TEL 03-3392-8891)で講座「宗教と国際政治」がスタートします。初回は10月4日です。ぜひ、遊びに来てください。詳細は、こちらをご覧いただけると幸いです。

 ・毎日文化センター
 それぞれ、1日講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください)

 10月11日(火) 19:00-20:30 リオデジャネイロ歴史紀行
 11月17日(木) 10:30-12:00 ユダヤとアメリカ 
  

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

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 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 斎藤仁さん、亡くなる
2015-01-20 Tue 22:44
 柔道95キロ超級で1984年ロサンゼルス五輪と1988年ソウル五輪を2連覇した全日本柔道連盟(全柔連)強化委員長の斉藤仁さんが、きょう(20日)、肝内胆管がんのため東大阪市内の病院で亡くなりました。享年54歳。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ソウル五輪募金(柔道)

 これは、斉藤さんが金メダルを獲得したソウル五輪の開催資金を集めるため、1986年11月、韓国で発行された寄附金つき切手のうち、柔道を描いた1枚です。

 斉藤さんは、1961年、青森市生まれ。国士舘大学卒業後の1983年、モスクワ世界選手権無差別で優勝し、翌1984年、ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得しました。

 全日本柔道選手権大会で9連覇を達成した山下泰裕の引退後は日本柔道のトップに立つと期待されましたが、1985年にソウルで開催された世界柔道選手権大会決勝で、韓国代表・趙容徹の反則技により脱臼し、試合続行が不可能となりました。この場合、通常ならば反則を犯した趙が反則負けになるのですが、韓国ならではのローカルルールが適用されたのか、なぜか、斎藤さんは“棄権”とみなされ、金メダルを逃しています。

 その後、復活が期待された1987年も全日本選手権大会前に右膝を負傷。度重なる大怪我で限界説が囁かれたが、1988年の全日本選手権で悲願の初優勝を果たし、ソウル五輪95kg超級代表に選出され、見事金メダルを獲得しています。

 特に、ソウル五輪では、斉藤さんの出場する95kg超級までの階級で日本人柔道は金メダルを全て逃しており、大変な重圧の中で同大会での日本人唯一の柔道の金メダルを獲得し、1964年東京五輪以来の日本柔道の金メダル獲得記録を途切れずにつないだことは、特筆大書されるべき功績と言えましょう。

 引退後は、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪で日本選手団男子柔道監督を務め、現在は、全柔連強化委員長として、日本男子が史上初めて金メダルゼロに終わった2012年ロンドン五輪からの再建、2013年に発覚した暴力指導問題からの再生に力を注いでいたなかで、志半ばでの早すぎる死は、さぞやご無念だったろうと思います。関係者の皆さんで、ぜひ、ご遺志を継いで日本の柔道界を盛り立てていただきたいものです。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は2月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 システィーナ礼拝堂来場者数制限へ
2014-10-17 Fri 17:25
 ヴァティカンは、きのう(16日)、システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井フレスコ画を保護するため、年間の来場者数を600万人に制限するとの方針を発表しました。というわけで、システィーナ礼拝堂がらみのちょっとひねった1枚ということで、この切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・韓赤80年

 これは、1985年に韓国で発行された“大韓赤十字社(以下、韓赤)80年”の記念切手で、赤十字を背景にシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロのフレスコ画「アダムの創造」のうち、神の右手とアダムの左手の部分が取り上げられています。これは、一般に、生命の与え手である神がアダムに生命を吹き込もうとした瞬間を描いたものとされています。

 この切手の原画を制作したデザイナーの意図は定かではありませんが、今回のようなニュースを聞いてから、赤十字マークの前に置かれたフレスコ画という構図を見ると、「(外から持ち込まれる埃や人の汗、二酸化炭素などで)ダメージを受けたフレスコ画を救え!」と訴えているようにも見えてしまいますな。

 さて、 韓国における赤十字の歴史は、旧大韓帝国政府が1903年にジュネーヴ第1ならびに第2条約を調印し、1905年に高宗が赤十字の創立を宣言したことに始まります。

 日本統治下では、一国一組織の原則により、朝鮮の赤十字は日本赤十字社に吸収され、その支部扱いとなりましたが、1919年に上海で組織された大韓民国臨時政府は独自の赤十字を組織したことになっています。

 解放後、米軍政時代を経て1948年に大韓民国が正式に発足すると、翌1949年、新たに大韓赤十字社が発足しました。これが現在の韓赤の直接的なルーツです。

 1950年に朝鮮戦争が勃発すると、韓赤はさまざまな救援活動を行い、休戦直後の1953年8月1日には、その活動資金を集めるための寄付金つき切手も発行されました。ちなみに、韓赤が国際赤十字から承認を受けたのは休戦後の1955年5月25日のことでした。

 なお、韓赤の活動については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:教皇のパネル
2014-09-13 Sat 10:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』8月15日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、刊行日が教皇フランシスコの訪韓期間(ちなみに、フランシスコのアジア訪問は昨年3月の教皇就任後初めてのことで、ローマ教皇の訪韓としては1989年の故ヨハネパウロ2世の2度目の訪韓以来でした)と重なっておりましたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・ヨハネパウロ2世訪韓     明洞聖堂・記念プレート

 左は、1984年にローマ教皇ヨハネパウロ2世が最初に訪韓した際に韓国が発行した記念切手で、右は、同じ訪韓を記念して明洞聖堂の内部に掲げられた教皇の肖像のレリーフです。

  一般に、韓国におけるカトリックの歴史は、1784年、外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国したことにはじまるとされています。ただし、李承薫が最初に礼拝所を建設したのはソウルではなく平壌でした。

 朝鮮王朝時代、“天主教(=カトリック)”はながらく邪教として弾圧されていましたが、1876年の開国に伴い、欧米諸国との外交上の必要から、キリスト教の禁止は解除されます。この結果、韓国内でも、新たにプロテスタントの宣教師も加わって新旧キリスト教の宣教が本格化。朝鮮王朝末期から大韓帝国時代の1890年から1910年にかけて、カトリックとプロテスタントを合わせた全クリスチャン人口は1万7842名から24万869名へと飛躍的に増加しました。

 日本統治時代には、プロテスタントが総督府との対決姿勢を鮮明に打ち出したのに対して、カトリック側は総督府に対して宥和的な姿勢をとっていました。たとえば、伊藤博文暗殺犯の安重根も熱心なカトリックの信者でしたが、暗殺事件の後、韓国のカトリック教会は、日本への配慮から、事件を非難し、安の信者としての資格を剥奪しています。

 このことが、解放後、米国の占領下に置かれたことともあいまって、韓国においてカトリックがプロテスタントに対して劣勢にたたされる(現在、韓国のキリスト教徒のうち、3分の2強はプロテスタント)ことになった一要因と考えられています。なお、韓国人最初の司教は、日本時代の1942年、ソウル教区長から司教に叙階された慮基南でした。

 その後、朝鮮戦争の混乱を経て、韓国人自身によるカトリック教会の再建が進められ、1960年には、イエズス会の経営する西江大学が設立されます。さらに、1969年には、金寿換枢機卿が選任され、韓国人の司牧による韓国カトリック教会が実現しました。

 1962年から65年にかけて開催された第2ヴァチカン公会議で時代に即した新しい教会のあり方を示されると、韓国のカトリック教会も活動方針を刷新。プロテスタントと協力し反独裁運動を展開するようになります。この結果、1970年代の維新体制下では、カトリック教会も弾圧の対象となりましたが、かえって信者は拡大しました。

 1981年、第5共和制の発足により社会的な安定が回復し、さらに、経済力の向上に伴いソウル・オリンピックの招致に成功したことを受けて、金枢機卿は、ローマ教皇の訪韓を要請。これを受けて、いまから30年前の1984年、教皇の初の訪韓が実現しました。

 今回ご紹介の切手とレリーフを比べてみると、レリーフの教皇は、右を向き、ミトラ(司教冠)をかぶっています。

 ミトラは、カトリックの司教(教皇もまた司教の一人です)が典礼儀式に際してかぶる布製の冠で、先が尖った五角形になっています。おそらく、明洞聖堂側としては、ここで教皇によるミサが行われたことを示すため、ミトラをかぶった姿をレリーフにしたのではないかと考えられます。一方、切手の肖像は、ミトラではなく、教皇の地位を占める白いズケットをかぶった左向きの姿で描かれています。

 なお、フランシスコ訪韓に先立ち、韓国郵政は8月8日に教皇訪韓の記念切手をすでに発行していますが、掲載日の関係から切手の入手・スキャンが間に合いませんでした。こちらについては、いずれ機会があればご紹介したいと思います。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 石炭の日
2014-09-05 Fri 16:12
 今日(9月5日)は、石炭の良さを見直そうという趣旨の“石炭の日”または“クリーン・コール・デイ(Clean Coal Day)”です。というわけで、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・炭鉱夫(1982)

 これは、1982年10月15日に韓国で発行された切手趣味週間の切手で、炭鉱内で慰問の手紙を読む鉱夫たちを描く児童画が取り上げられています。説明はありませんが、いわゆる“派独鉱夫”を題材としたものではないかと思われます。

  ルール炭田、ザール炭田、ザクセン炭田などを抱えるドイツは、ヨーロッパ最大の石炭生産国かつ消費国、また世界最大の褐炭生産国かつ消費国です。しかし、炭鉱での仕事はかなりの重労働ですから、ドイツのように経済的に豊かで社会保障も手厚い国では、炭鉱夫を確保するのは容易なことではなく、1950年代には、慢性的な労働力不足に悩まされていました。

 その対策として彼らが考えたのが、日本(ドイツと同じ敗戦国)や韓国(ドイツと同じ分断国家)などから外国人労働者(ガスト・アルイバイター)を募ることでした。当初は、日本人もかなりドイツに渡りましたが、1950年代後半に始まる高度経済成長の影響でドイツへの出稼ぎは減少。しだいに、当時は経済的に貧しかった韓国人労働者が“派独鉱夫”の中心を占めるようになっていきます。

 じっさい、1963年当時、公式統計に現れただけでも失業者は250万名にものぼっていた韓国で、月収600マルク(当時の米ドル換算で160ドル)の条件で、ルール炭鉱で働く労働者を募集すると、100倍を越える希望者が殺到。その後、1978年までに7800人余りの“派独鉱夫”がルール炭鉱に渡ることになりました。

 “派独鉱夫”の労働は非常に苛酷なもので、1966年12月、3年間の雇用期間を終えて帰国した第一陣(142人)のほとんど全員がドイツ滞在中に骨折を経験していたほか、失明者・死亡者も少なからずいたといわれています。

 “派独鉱夫”が西ドイツで受け入れられると、これにつづいて、月収440マルクの条件で、韓国人女性が看護婦として西ドイツに派遣されるようになります。彼女たちもまた、死体洗浄など、ドイツ人の嫌がる重労働を担い、激務をこなしていました。

 “派独鉱夫”および“派独看護士”による本国への送金は、まだまだ貧しかった当時の韓国に貴重な外貨をもたらし、その額は、一時GNPの2%台に達したこともあったといわれています。このため、1964年12月、ルール炭鉱を訪れた朴正煕は“派独鉱夫”のブラスバンドが演奏する愛国歌に感激し、涙ながらに彼らへの感謝の演説を行ったというエピソードもあります。おそらく、今回ご紹介の切手に取り上げられた児童画も、そうした“派独鉱夫”への感謝の思いを込めて描かれたのでしょう。あるいは、作者が、実際に“派独鉱夫”として離れて暮らす父親のことを思って描いたのかもしれません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月6日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『朝鮮戦争』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。


 ★★★ 講演会のご案内 ★★★ 

 ~韓国文化院 講演会シリーズ2014 『韓日交流史』~
 第9回は内藤陽介「韓国の切手でひも解く韓国近現代史」 です!

 ◇日時:2014年9月5日(金) 開場 18:30 開演 19:00
 ◇会場:韓国文化院 ハンマダンホール
 ◇募集人員:300名様(お申し込みはお一人様2名まで)
 ◇入場無料(事前のお申込みが必要です)
 ◇主催・お問い合わせ先:駐日韓国大使館韓国文化院 03-3357-5970

 ■ 韓国文化院のホームページ・トップの 「イベント応募コーナー」欄(こちらをクリックしてください)からお申し込みいただけます。たくさんの皆様のお申し込みを心よりお待ち申しております。

 * 表向き、応募の〆切は過ぎていますが、直接内藤宛にご連絡いただければ、お席は確保できます。どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 <PHILAKOREA 2014>終了
2014-08-13 Wed 05:39
 7日からソウルのCOEXで開催されていた世界切手展<PHILAKOREA 2014>は、昨日(12日)、無事終了しました。次の国際切手展は、本年12月にマレーシアのクアラルンプールで開催予定の<MALAYSIA 2014>ですので、きょうは韓国からマレーシアへという意味合いの切手ということで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・全斗煥マレーシア訪問     FIP旗引継ぎ(韓国→マレーシア)

 これは、1981年、韓国が発行した“全斗煥大統領アセアン5ヵ国(当時のアセアン加盟国の全てです)訪問記念”の切手のうち、マレーシア訪問の記念切手で、両国の国旗を背景に、全斗煥と当時のマレーシアの国家元首ハッジ・アフマド・シャーの肖像が取り上げられています。ついでに、右側には、きのう(12日)行われた受賞パーティーでのFIP旗の韓国からマレーシアへの引き継ぎ場面の写真も貼っておきました。

 現在のマレーシア国家は13州からなる連邦制国家ですが、これらの各州はもともとスルターンと呼ばれる地方君主の支配下に置かれていました。このため、スルターンを頂く9州(ジョホール州クダ州・クランタン州・ヌグリ・スンビラン州・パハン州・ペラ州・プルリス州・スランゴール州・トレンガヌ州)のスルターンが任期5年の輪番制で連邦の国家元首(アゴン。日本語ではしばしば国王と訳されています)になるという制度が採用されています。

 マレーシアの憲法では、アゴンは立憲君主として規定されており、その大権の多くは内閣の助言に基づいて行使されます。アゴンは首相任命の可否について判断する権利を持っていますが、内閣は下院に責任を負う議院内閣制が採用されているため、実際には、下院多数党の党首が首相に任命されるのが慣例です。なお、下院で内閣不信任案が可決された場合は、アゴンは、内閣の助言により下院を解散するか、助言を拒否して内閣を解任するか、いずれかを選択できます。

 かつてのアゴンは公私にわたり法的な責任を問われない特権を有していましたが、1993年の憲法改正により私的行為についての免責特権は廃止されました。したがって、現在のマレーシアでは、理論的には、司法大臣が承認すれば、検察当局もしくはマレーシア国民は特別裁判所にアゴンを提訴することも可能です。なお、アゴンの公務に関する訴訟は、アゴン本人ではなく、マレーシア政府が被告となります。

 ちなみに現在のアゴンはクダ州のスルターン、アブドル・ハリム・ムアザンで、切手に取り上げられているハッジ・アフマド・シャーは当時のパハン州のスルターンでした。

 さて、今回ご紹介の記念切手の題材となっている全斗煥のアセアン歴訪は、1981年6月に行われました。

 1967年に結成されたアセアンは、当初、外相会議のみでしたが、1975年の南北ベトナムの統一という情勢の変化を踏まえ、同年から経済閣僚会議が定例化し、翌1976年の首脳会議で東南アジア友好協力条約が締結されています。また、1979年以降は、日本やアメリカ、EC(当時)などとの域外対話が本格的に進められるようになるなど、今回ご紹介の切手が発行された時代は、その活動の規模・範囲を急速に拡大しつつありました。

 輸出依存型の経済構造となっている韓国にとって、アセアン諸国との関係強化は重要な課題でしたが、朴正煕暗殺(1979年)以降の混乱の中で、当時の韓国の対アセアン外交は、他の西側諸国に比べて、大きく出遅れていました。このため、国内情勢がとりあえず落ち着いた時期を見計らって、できるだけ早い時期に大統領の全がみずからアセアン諸国を歴訪し、各国との関係強化に乗り出したのも、自然の成り行きだったわけです。

 また、当時のアセアン諸国は、程度の差こそあれ、すべて開発独裁型の国家でした。もちろん、当時の韓国も、朴正煕時代に比べれば相当マイルドになったとはいえ、開発独裁の色彩が濃厚に残っていた時代です。このため、経済成長に伴い、より一層の“民主化”を求めるようになった国民に対して同じように開発独裁型の国家との友好関係をうたいあげることは、韓国だけが特別に権威主義的な体制なのではないことを示すことは、韓国の国内政治においても重要な意味を持っていたという面も指摘しておいてよいでしょう。

 このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 なお、切手展の終了に伴い、本日午後ソウルを発って帰国の予定です。無事に帰国出来たら、明日(13日)以降は平常通り仕事をするつもりなので、内藤の不在によりご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

        
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 切手に描かれたソウル:騎馬人物形土器
2014-01-29 Wed 18:34
 『東洋経済日報』1月24日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、いまさら「おめでとうございます」とは言いづらい日付になってしまったのですが、ともかくも2014年最初の掲載ですし、ソルラル(旧正月。ことしは1月31日)も近いので、昨年同様、ソウルの国立中央博物館の所蔵品のなかから干支にちなんで、騎馬人物形土器を描く切手を取り上げました。きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       騎馬人物形土器(1983年)     騎馬人物形土器(実物)

 左は、1983年に韓国で発行された80ウォンの普通切手で、騎馬人物形土器が取り上げられています。右側は、切手とは反対側から撮影した土器の実物の写真ですが、反転させても、ほぼ同じデザインという感じですな。

 さて、国立中央博物館には、慶州の金鈴塚から出土した新羅時代、6世紀の騎馬人物形土器が展示されています。土器は主人像と侍従像の2体があり、主人像は高さ24センチ、長さ29.5センチ、侍従像は高さ21センチ、長さ26.3センチです。

 いずれの像も、馬の胸と尻の上には、液体が注げる穴が空いているので、薬缶のような用途で使われたとも考えらていますが、実用品というよりも、副葬品として死者の安らかな眠りと死後の世界に対する願いを込めた儀礼的な品物であったとみるのが妥当でしょう。

 土器は、出土時の状態が極めてよく、当時の服装等が良くわかる資料として、2体セットで国宝第91号に指定されていますが、これまで切手に取り上げられたのは主人像のみです。

 主人像は装飾の施された三角の帽子と鎧を付けており、腰の左には刀を差した凛々しい姿で、馬の額には角のような装飾も施されており、儀礼の際の装束を表現したものと考えられています。これに対して、従者像は帽子も鎧もなく、馬具も簡略化されており、地味な印象です。

 もともと、80ウォンの普通切手に騎馬人物形土器が取り上げられたのは1977年9月15日のことですが、今回ご紹介の切手は、1983年6月1日の郵便料金改正に伴い、80ウォンが定型重量便書状の料金となったことに対応して発行されたもので、いわゆる色検知枠が印刷されています。
 
 1979年以降、韓国では、日常的に使用される普通切手に関しては、印面の周囲に0.5ミリの幅で特定の色の枠を印刷し、その色によって郵便物の種別を機械で読み取る“色検知システム”が導入されました。色検知システムは、もともとは1967年から日本で行われていたものを韓国でも導入したもので、読み取り機(郵便物の種別を読み取り、消印の押印作業まで行う)も日本製でした。

 ちなみに、韓国で郵便番号制度が導入されたのは1970年7月1日のことでしたが、そのシステムや読み取り機も日本から輸入したもので、当初は、日本同様、3桁ないしは5桁の番号を封書やはがきの上部に設けられた枠内に記入する方式が採用されています。

 このことは、“漢江の奇跡”と呼ばれた韓国の経済成長は、日本の経済的支援のみならず、技術的支援によっても支えられていたことを物語るエピソードとして、もっと多くの人に知られても良いのではないかと思います。


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 切手に描かれたソウル:ヘリコプター
2013-11-28 Thu 07:13
 ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、『東洋経済日報』10月25日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日直前の10月16日、韓国の民間航空運送事業者ブルーエアラインが、ソウルの漢江と汝矣島、江南一帯をヘリコプターに乗って回るソウルヘリコプターツアーを始めたというニュースがありましたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       韓国・ヘリコプター(模型飛行機大会)

 これは、1981年9月20日に発行された「模型飛行機大会」の記念切手の1枚で、無線操縦のヘリコプターが取り上げられています。

 韓国で模型飛行機を作って楽しむ趣味が一般に普及したのは日本統治時代のことで、解放後も各地で小規模な大会が開催されていました。

 1948年の大韓民国発足以来、韓国で使われていた航空機は、軍民問わず、すべて輸入品で賄う時代が長く続いていました。このため、国産機を製造し、航空産業を自立させることは韓国にとって国家的な悲願となっており、その第一歩として、政府は模型飛行機の趣味を奨励。航空機に対する国民の関心と知識を高め、航空機に関心を持った少年たちの中から、将来的に本物の飛行機を作れる技術者を育成しようと考えていました。

 こうしたことから、1979年、韓国空軍は、各地のローカル大会を統合し、全国規模の第1回模型飛行機大会を開催。以後、毎年、大会を開催するようになりました。

 1999年、韓国では、国防科学研究所の設計による国産初の初等練習機、KT-1“雄飛”の量産が開始され、2005年には韓国航空宇宙産業(KAI)とロッキード・マーティンによる共同開発の準国産の練習機T-50の運用が開始されましたが、その開発に携わったスタッフの多くが、かつて、模型飛行機の製造と操作に熱中した少年たちであったことは見逃してはならないでしょう。

 さて、今回ご紹介の切手は、空軍主催の第3回模型飛行機(全国)大会の周知宣伝のために発行されました。大会は、グライダー(手投げの模型飛行機)部門、ゴム動力部門、有線操縦部門、無線操縦(いわゆる“ラジコン”)部門に分けて争われましたが、記念切手はそれら4種の模型飛行機に加えて、今回ご紹介の無線操縦のヘリコプターを加えた5種セットの構成となっています。

 ところで、現在、韓国空軍士官学校は忠清北道の清原郡(西隣が世宗特別市、南隣が大田広域市)にありますが、1985年にこの地に移転するまでは、ソウル市内の冠岳山に面した大方洞にキャンパスを構えていました。ちなみに、韓国空軍士官学校は、もともと、1949年にソウル郊外の金浦市に航空士官学校として創設されましたが、翌年、朝鮮戦争が勃発したことで、済州に移転。さらに、戦争中の1951年には海軍の軍港で知られる鎮海に移転し、1958年にソウルに移転しました。移転当時、所在地の大方洞は永登浦区の一部でしたが、1973年には新設の冠岳区に編入されています。ちなみに、朴正煕大統領が航空士官学校の愛称を“星武台”と命名したのは、1966年4月11日のことでした。

 したがって、1981年発行の切手に描かれているヘリコプターは、大会の模様を表現したものであるなら、冠岳山を臨むソウル南部の空を飛んでいる図ということになり、とりあえずは、“切手に描かれたソウル”という連載タイトルでご紹介しても許してもらえるかなぁ…と思っております。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は12月3日(原則第1火曜日)で、以後、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:馬術
2012-10-27 Sat 23:24
 『東洋経済日報』10月26日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、“乗馬ダンス”を取り入れた韓国人歌手PSY(サイ)の「江南スタイル」のミュージックビデオが動画投稿サイトYou Tubeで約5億回という驚異的な再生回数を記録したことにちなみ、ソウルでの馬術史を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         ソウル五輪・馬術競技

 これは、ソウル五輪に先立つ1986年3月25日、五輪の資金を集めるために発行された寄付金つき切手のうち、馬術競技が取り上げた1枚です。

 馬術競技の頂点は競馬ですが、韓国における競馬の歴史は1898年5月に行われたロバの競争から始まるといわれています。まぁ、ロバの競争を“競馬”のうちに含めることが妥当かどうかはいろいろと議論もあるのでしょうが、ともかくも、日本統治時代以前から、一応、近代競馬に類するものが行われていたということにしたいということなのでしょう。

 馬券の売買を伴う競馬は、日本統治時代の1920年、ジョセオン競馬場で行われたのが最初で、1922年には社団法人朝鮮競馬倶楽部が設立されています。

 本格的な競馬場としては、1928年に東大門区の新設洞に建設された新設競馬場が最初で、1933年には半島各地の9競馬場を傘下に置く朝鮮競馬協会が設立され、朝鮮競馬令に基づき、全国の非法人競馬団体による競馬は禁止され、いわゆる近代競馬が制度的に整えられました。

 朝鮮競馬協会は、1942年に朝鮮馬事会に改組され、1945年の解放を経て、1948年に大韓民国が発足したことを受けて、1949年、韓国馬事会(KRA)となりました。これが、現在の韓国における競馬主催団体です。

 1950-53年の朝鮮戦争では共産側の攻撃により、各地の競馬施設は破壊され、競走馬のみならず繁殖用も含め、多くの馬が北側に持ち去られるなどしたため、競馬の開催も休止を余儀なくされましたが、1953年に休戦になると、翌1954年から競馬も再開。5月8日の最初のレースでは、出走した馬の大半はポニーだったといわれています。

 競馬の再開にあたり、競馬場は新設洞から漢江北岸のトゥクソムに移転。以後、ここが、いわゆる競馬を含む韓国馬術競技の中心地となりました。

 ちなみに、ソウルメトロ2号線のトゥクソム駅は、1983年9月16日に開業しましたが、当初、駅名は“競馬場前”となる予定でした。しかし、この時点ではすでに、競馬場の移転が計画されていたため、現在の駅名になったそうです。

 トゥクソムから競馬場が移転することになったのは、1988年のソウル五輪に合わせて国際規格の競技施設が必要となったためで、新たな競技場はソウル市の南に隣接する果川市に建設されました。果川の施設は、1986年のアジア大会と1988年の五輪大会の馬術競技が行われた後、1989年9月、周辺一帯を含めてソウル競馬公園(いわゆるソウル競馬場は、その敷地内にある)としてオープンしました。

 ちなみに、ソウル五輪の馬術競技には、今年のロンドン五輪にも最高齢選手として出場し話題となった法華津寛選手が馬場馬術で出場する予定でしたが、ソウルへの出発前、愛馬が名古屋の検疫所で検査を受けたところ、抗体反応が陽性と出たことから、他の馬に感染する恐れのあるウィルスが馬体に潜伏している疑いがもたれ、日本から出国できなくなり、残念ながら出場を断念するという出来事がありました。

 なお、競馬公園の最寄り駅となる、韓国鉄道公社(KORAIL)果川線(4号線)競馬公園駅は、当初の建設計画にはなかった駅だが、KRAの依頼により、KRAが建設費用を全額負担することで建設されました。1994年の開業当時は“競馬場”という駅名でしたが、賭博のイメージが強すぎるとして、2000年、現在の駅名(競馬公園駅)に改称されています。

 果川の競馬場がオープンすると、トゥクソムの競馬場は廃止され、その跡地は、“トゥクソム乗馬訓練院”として、“ソウルの森公園”の一部に組み込まれました。乗馬訓練院は気軽に乗馬体験ができる施設として一般に開放されているのですが、レッスンは韓国語でしか行われていないため(外国語対応のコースはなし)、日本人観光客の場合は経験者ではないと騎乗は受け付けられません。

 今回ご紹介の切手については、原画の制作時期には、まだ、果川のコースは工事中だったでしょうから、切手のデザイナーは、トゥクソムで取材して原画を作成したのではないかと思います。ただし、過去のいきさつを知らない人が見たら、五輪の記憶ともあわせて、現在のソウル競馬場を連想するかもしれません。

 いずれにせよ、PSYのミュージックビデオの“乗馬ダンス”は、江南に住む金持ち(のお坊ちゃま)を“乗馬をする人”というイメージで表現したそうですが、ソウルにおける馬術と競馬の歴史を調べてみると、実は、いわゆる江南エリアは馬術とは縁が薄いことがわかります。まぁ、トゥクソムにしても果川にしても、江南から通えないという場所ではありませんので、江南のお坊ちゃまが馬術のために通っているのだと言われてしまえば、それまでなのですが…。

 さて、かねてご案内の通り、10月30日から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で、“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”と題する一般向けの教養講座を行います。30日の授業では、ソウルの紅葉(黄葉)スポットについてのお話が中心となる予定ですが、今回ご紹介した内容を含めて、適宜、タイムリーなネタもいろいろとご紹介したいと思っておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記ご案内ならびにリンク先ページをご覧ください)


 ★★★  T-moneyで歩くソウル歴史散歩 ★★★
   
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、ソウルの歴史散歩を楽しんでみようという一般向けの教養講座です。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・11月3日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『喜望峰』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。

 ・11月10日(土) 11:00- 全国切手展<JAPEX>
 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


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 李明博大統領の実兄、逮捕
2012-07-11 Wed 13:29
 韓国の李明博大統領の実兄で元国会議員の李相得が、ソロモン貯蓄銀行と未来貯蓄銀行、コーロンから総額7億6000万ウォン(約5300万円)の違法な資金を受け取った疑いで逮捕されました。韓国で現職大統領の兄弟が逮捕されたのは、これが初めてです。というわけで、李相得のキャリアに関する切手は何かないかと探してみたら、こんなモノがありました。(画像はクリックで拡大されます)

       平和統一政策諮問会議

 これは、1981年6月5日に発行された第1次平和統一政策諮問会議の記念切手です。

 朴正煕暗殺事件の後、韓国内で民主化運動が高揚すると、北朝鮮は民主化勢力の取り込みを狙って南北対話を提案。1980年2月から6月にかけ、当時の崔圭夏政権下で、南北の実務代表者が9回にわたって接触するなど、表面的には南北の宥和ムードが高まりました。

 しかし、同年5月、いわゆる光州事件が起こり、民主化運動が軍隊によって鎮圧されると、南北関係は一挙に冷却。特に、同年9月に全斗煥が大統領に就任すると、北朝鮮は「人民の闘争の盛り上がりにおそれをなした南朝鮮軍事ファシスト一味は、陰謀によって権力を奪取し、悪名高い以前の独裁者をしのぐ苛酷な弾圧蛮行を強行した」として、全斗煥政権との対決姿勢を鮮明にしました。

 その一方で、翌10月から開催された朝鮮労働党第6次大会(それまで、外国に公開される席にほとんど姿を見せなかった金正日が、大会初日から中央雛壇最前列に着席し、党中央委員に正式に選出され、金日成の後継者であることが内外に印象付けられた大会として知られる)では、“高麗民主連邦共和国”構想が提案されるなど、注目すべき動きもありました。この構想は、韓国で民主主義的な政権が樹立され、反共法・国家保安法の廃止によりすべての政党団体の政治活動が保障されることを前提に、南北の連邦制を実施し、国号を地域政府とするもので、従来の北朝鮮の対南路線(いわゆる南朝鮮革命路線)を大幅に修正しています。

 それまでの北朝鮮は、韓国の存在すら否定し、韓国は革命の対象でしかありませんでした。このため、李承晩政権崩壊直後に北朝鮮側が提案した“連邦制”の実施にしても、それはあくまでも過渡的なものにすぎず、最終的には韓国の消滅を主張するものでした。これに対して、今回の高麗民主連邦共和国構想では、連邦制の実施そのものを“統一”の最終形態としており、地域政府として南北両政府の存在が認められていたという点で、従来とは大きく異なるものでした。

 ただし、この構想は、韓国で“民主主義的な政権”が樹立されることを前提としており、実際の韓国政府が“民主的”であるか否かの判断は、あくまでも、北朝鮮側の恣意的な判断にゆだねられています。したがって、表面上のソフトな表現とは裏腹に、全斗煥政権との対決姿勢を鮮明に示していた北朝鮮側が、この提案をもって、ただちに、南朝鮮革命路線を放棄したと考えることはできません。

 こうした情勢の変化を踏まえ、第5共和制(全斗煥政権)の基礎となる1980年憲法には、平和統一政策の具体的な検討を進めるため、第68条に基づき、平和統一政策の樹立に関する大統領の諮問に応じるための機関として、平和統一政策諮問会議が設置されました。今回ご紹介の切手は、そのスタートにあわせて発行されたものです。

 さて、今回逮捕された李相得は、この第1次平和統一政策諮問会議に常任委員として参加したのが政治との最初の接点でした。

 もともと、1935年に大阪で生まれた李相得は、軍人を志して陸軍士官学校に入学したものの、中退してソウル大学校経済学科に入学したという人物で、1961年、韓国ナイロンに入社したのが社会人としてのキャリアのスタートでした。その後、同社内で順調に出世を重ね、1979年には同社の社長に就任しています。

 韓国ナイロンは、1963年に三慶物産とケムテックス社が合弁で設立した企業で、日本の東洋レーヨン(東レ)から技術供与を受けていました。その後、三慶物産はポリエステルにも進出すべく、東レと三井物産の資本参加を得て、1969年に韓国ポリエステルを設立しています。李相得は、韓国ナイロンの社長だった1981年に韓国ナイロンと韓国ポリエステルを統合し、新たに誕生したコーロンの代表取締役に就任しました。切手に取り上げられた平和統一政策諮問会議の常任委員への就任は、こうした財界での成功を背景にしたものです。ちなみに、今回の贈賄側企業の一つには、彼の古巣のコーロンもしっかりと名を連ねています。

 その後、李はグループ企業のコーロン商事社長を経て、1988年に全斗煥政権の与党であった民主正義党(民正党)から総選挙に出馬して国会議員に当選。政治家に転身します。その後、2012年まで連続当選を果たし、2006年6月から2008年5月まで国会副議長を務めましたが、昨年(2011年)12月、秘書名義の6つの借名口座からの不正資金が明らかになったことから、今年(2012年)の選挙には出馬せず、今回の逮捕に至ったというわけです。

 さて、今回の李相得の逮捕は現在の李明博政権にとって致命的な打撃となるのは必至で、来年の新大統領就任までの半年間、レームダック化した現政権が“反日”を持ち出して苦境を乗り切ろうとする韓国の悪弊が繰り返されることになるんでしょうかねぇ。困ったものです。

 なお、今回ご紹介の第1次平和統一政策諮問会議を含む全斗煥政権(第5共和国)時代とその切手については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』および同韓国語版でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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