内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 韓国・慶州付近で地震
2016-09-13 Tue 12:57
 きのう(12日)、韓国南東部の慶州市付近で19時40分ごろにマグニチュード(M)5.1、20時30分ごろにM5.8の地震が相次いで発生。このうち、M5.8規模の地震は韓国の観測史上最大規模のもので、世界遺産の仏国寺で一部施設の瓦が脱落したほか、石窟庵の一部で落石があったほか、釜山などでも大きな揺れが観測されたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・仏国寺(1997)

 これは、1997年12月9日に発行された“韓国の世界遺産”シリーズのうち、慶州の仏国寺を取り上げた1枚です。
 
 仏国寺の創建については諸説ありますが、元になった寺院は、528年に法興王の母、迎帝夫人の発願によって建設されたとされています。現在の伽藍は、751年、宰相の金大城が父母のために建立をはじめ、774年に完成しました。 最盛期の8世紀には境内には約60棟の木造建築がありましたが、朝鮮王朝時代の1407年以降、仏教弾圧により廃寺となりました。その後、日本統治時代に復興が始まり、1968年の発掘調査を経て、1973年、無説殿、観音殿などが再建されました。

 切手に取り上げられているのは本殿にあたる大雄殿正面の紫霞門と門にいたる白雲橋です。

 紫霞門にいたる石橋は2段構成になっており、上段の16段が白雲橋、下段の17段が青雲橋と呼ばれています。実態は階段であるにもかかわらず“橋”と呼ばれているのは、紫霞門を越えて釈迦如来の彼岸世界に渡ることを表現したもので、合計33段という段数は、33という数字が仏教では「未だ仏の境地に達せず」との意味であることにちなむものです。韓国最古の橋の一つとして、国宝23号に指定されています。

 なお、仏国寺は、1995年、近隣の慶州石窟庵とともに、“石窟庵と仏国寺”として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されましたが、瞻星台をはじめとする周辺の遺跡・遺物は、2000年、これとは別に“慶州歴史地域”として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 ちなみに、慶州の遺跡や遺物は、米軍政下の南朝鮮や建国後間もない韓国切手にもいろいろと取り上げられていますが、拙著『朝鮮戦争』では、その政治的・社会的背景についてもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
★★★ トークイヴェントのご案内 ★★★

 拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の刊行を記念して、東京・青山の駐日ブラジル大使館で下記の通り、トークイヴェントを開催いたします。ぜひ、ご参加ください。

 ・日時 2016年9月23日(金)18:00~20:00(17:30受付開始)
 ・会場 駐日ブラジル大使館 セミナー・ルーム
  〒107-8633 東京都港区北青山2丁目11-12 (地図はこちらをご覧ください)
 ・参加費 無料
 ・定員 30名(申込多数の場合は先着順)

  * 9月16日(金)までに、お名前・ご連絡先・ご所属を明記の上、電子メール、ファックス等で下記宛にお申し込みください。(お送りいただいた個人情報は、大使館へ提出する以外の目的には使用しません)
  申込先 えにし書房(担当・塚田)
  〒102-0074 千代田区九段南2-2-7-北の丸ビル3F
  Tel. 03-6261-4369 Fax. 03-6261-4379
  電子メール info★enishishobo.co.jp (スパム防止のため、★の部分を半角@に変えてご送信ください)

 なお、トークヴェベント終了後、20:30より近隣のブラジルレストラン「イグアス」にて懇親会を予定しております。(イグアスの地図はhttp://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13048055/ をご覧ください) 
 会費は、『リオデジャネイロ歴史紀行』1冊の代金込みで6500円(書籍不要の場合は5000円)の予定です。参加ご希望の方は、トークイベントお申し込みの際に、その旨、お書き添えください。なお、懇親会のみの御参加も歓迎いたします。


★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 金泳三・元大統領亡くなる
2015-11-22 Sun 10:26
 韓国の金泳三元大統領(以下、敬称略)が、けさ(22日)未明、ソウル市内の病院で療養中に亡くなりました。享年87。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      金泳三

 これは、1993年に韓国で発行された金泳三大統領就任の記念切手です。背景に描かれているのは白頭山の天池で、本格的な文民政権の発足により、南北の和解が進み、統一にも近づくとの意図を込めて、このようなデザインが採用されたものと思われます。

 金泳三は、1927年、巨済島生まれ。ソウル大哲学科を卒業後、1954年に国会議員当選。朴正煕政権下の1969年、野党・新民党(1967年2月に民衆党と新韓党が合同して統一野党として発足)の院内総務として、大統領3選のための改憲阻止を掲げて、宗教家、学生、知識人を糾合した超党派的な反改憲キャンペーンを展開したことで脚光をあび、翌1970年の大統領選挙では、「新民党が国民に活気に満ちたイメージを植え付けるためにも、長老たちは40代にリーダーシップを譲るべきだ」とする“40代旗手論(金泳三本人は当時43歳)”を掲げて候補者指名選挙に出馬を宣言。金大中との激しい指名争いの末、大統領候補の座を獲得しました。(最終的には朴正煕が3選を果たし、金は落選しましたが)

 1974年に新民党の総裁に就任し、維新憲法の改正を主張して朴正煕政権との対決姿勢を鮮明にし、保守系民主化運動の代表的な政治家の一人と目されるようになります。1979年9月10日には、ニューヨークタイムス記者との会見で、「米政府は朴正煕政権への支持を中止するよう要請する」と発言したことが政治問題化。10月4日、与党が多数を占める国会で除名処分を受けています。これに対して、曲がりなりにも野党総裁の除名という前代未聞の事態に対して、新民党は所属議員全員の登院拒否を決議し、国会は機能不全に陥り、同年10月16日、金の地元である釜山では、学生たちを中心として大規模な反政府デモが発生。デモは次第に過激化し、市内は暴動状態となりましたが、10月26日、朴正煕が暗殺されたことで収束しました。

 1987年の“6・29民主化宣言”後の盧泰愚政権下では、19901年1月、民正党(盧泰愚)、民主党(金泳三)、共和党(金鐘泌)の3党合同を実現。1992年12月の大統領選挙では、金大中に200万近い差をつけて圧勝しました。

 大統領就任後は、「歴史の建て直し」を訴え、文民政権を待望していた国民の高支持率(就任直後の支持率は87%に達していますを背景に、旧政権の腐敗・不正を本格的に追及。全斗煥・盧泰愚の2人の大統領経験者を1995年11月に在任中の収賄容疑で逮捕したほか、公務員改革にも乗り出し、主要公職者9万人の財産登録を義務付けるとともに、財産公開で不正蓄財の疑惑が持たれた公務員3000人を逮捕・解任しています。その一方で、前政権の時代までに国家保安法違反容疑で逮捕・拘留されていた4万人余に対して、釈放・減刑・復権などの特赦を実施。“民主化”の推進を国民に対してアピールしました。

 その一方、政権末期の1997年1月23日、大手鉄鋼メーカーの韓宝鉄鋼が約5兆ウォンの負債を抱えて倒産したのを皮切りに、三美(鉄鋼)、大農(食品)、真露(酒造)、起亜(自動車)、サンバンウル(衣料)、テイル(精密機器)などの大企業が、あいついで事実上の倒産状態(巨額の不渡りを出したものの、銀行が一定の期間不渡りの処理を猶予している状態)に陥理、韓国経済は急速に悪化。追い打ちをかけるように、同年5月、ヘッジファンドによるタイ・バーツの大量売りを機に発生したアジア通貨危機の影響をまともにうけ、9月末の時点で1200億ドルだった韓国のうち55%に相当する660億ドルが1年以内に満期を迎える短期債務であったことから、国際市場では、韓国の短期債務に対する取り付けラッシュが発生。その結果、韓国の外貨保有高は200億ドルを割る水準(これも帳簿上の額であり、実際はかなり下回る)にまで落ち込み、11月21日、ついに緊急支援としてIMF(国際通貨基金)に200億ドルを要請して、韓国経済はIMFの管理下に置かれることになりました。

 なお、金泳三とその時代については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * アジア国際切手展<HONG KONG2015>の受賞結果は、今晩のパルマレス終了後、明日(23日)のこのブログでご報告の予定です。


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 日本国宝展スタート
2014-10-16 Thu 12:12
 国宝約120件を公開する“日本国宝展”が、きのう(15日)から、東京・上野公園の東京国立博物館で始まりました。同館での国宝展開催は14年ぶり4度目のことで、会期は12月7日までだそうです。というわけで、きょうは国宝ネタの中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・広隆寺弥勒菩薩

 これは、1995年、韓国で発行された“韓日国交正常化30周年”の記念切手で、日本の広隆寺・弥勒菩薩半跏思惟像が取り上げられています。

 いわゆる“国宝第1号”として知られる広隆寺・弥勒菩薩は広隆寺にある仏像の中でも最も古いもので、霊宝殿の中央に安置されています。同じく広隆寺にあるもう一体別の弥勒菩薩像と区別して“宝冠弥勒”と呼ばれることもあります。

  『日本書紀』には、603年、聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、渡来人系の豪族・秦河勝が仏像を譲り受け“蜂岡寺”を建てたという趣旨の記述がありますが、この蜂岡寺が広隆寺の前身(ただし、寺の所在地が現在地の京都府太秦に移ったのは平安遷都前後のことと考えられています)で、この話に登場する仏像が切手に取り上げられた弥勒菩薩像といわれています。

 なお、本像は、1951年6月9日に国宝の指定を受けましたが、この時同時に国宝の指定を受けた物件は他にもいくつかあります。その際、本像に対して、文部大臣から交付された指定書の番号が“彫刻第1号”になっていることから、広隆寺側は本像を“国宝第1号”として大々的に宣伝し、それが世間でも定着することになったわけで、かならずしも国宝第1号イコール“最初の国宝(として唯一の存在)”というわけではありません。
 
 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられた弥勒菩薩像は、韓国の国宝第83号とくらべて、①宝冠が無紋で王冠形、②右膝を大きく誇張し、裳が二重に巻かれている、③左脛に衣紋が無い、などの類似点があります。このため、韓国の第83号が広隆寺の像のルーツだと主張する韓国人も多く、今回ご紹介の切手も、そうした考え方に基づいて、古代における日本と朝鮮半島の交流を示す事例として、題材が選ばれています。
 
 もちろん、古代日本の仏教文化において朝鮮半島が重要な役割を果たしていたことは事実でしょうが、弥勒菩薩像に関する限り、韓国の国宝第83号の制作年代は特定できておらず、広隆寺の像が第83号そのものを模倣して作られたと断定するのは無理があります。また、第83号が金銅像であるのに対して、広隆寺の像は7世紀の作とされる木造で、さらに、韓国には818年以前の木造仏は残されていなわけで、両者を結びつけて考えるのは、実は無理があるのだということは留意しておいてもよさそうです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 韓国初の宇宙ロケット打ち上げ
2013-01-31 Thu 10:43
 きのう(30日)午後、韓国初の人工衛星搭載ロケット“羅老号”が全羅南道の羅老宇宙センターから打ち上げられ、李周浩・教育科学技術相は「目標の軌道に衛星が投入された」と発表しました。自国領内からのロケット打ち上げには、これまで、米国ロシア中国日本、フランス、インド、イスラエル、イランが成功しており、韓国は8番目となります。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ムグンファ1号

 これは、1996年2月、韓国が発行した“ムグンファ衛星発射成功”の記念切手です。

 韓国が航空宇宙の研究開発を行う政府機関として韓国航空宇宙研究院(KARI)を設立したのは全斗煥政権下の1981年のことでしたが、当初は、予算・人員などを割く余裕がなく、開店休業の状態が長らく続いていました。実際にKARIが本格的な活動を行うようになるのは1989年以降のことで、おそらく、前年のソウル五輪が無事に終了したことで予算・人員に余裕が出たためではないかと思われます。なお、韓国では、KARIの活動が実質的にスタートした1989年1月10日をKARIの創立記念日としています。

 韓国最初の人工衛星は、その3年後の1992年8月10日にフランス領ギアナのクールーからアリアンロケットにより打ち上げられた“KITSAT-1(ウリビョル1号)”ですが、この衛星は科学実験用低軌道衛星であったため、この時点では、韓国は国際社会から一人前の衛星保有国とはみなされていません。

 韓国が世界22番目の衛星保有国として認知されるようになったのは、1995年8月5日、米国フロリダ州のケープカナベラル空軍基地で放送通信用衛星“KOREASAT-1(ムグンファ1号)”の打ち上げに成功してからのことで、今回ご紹介の切手は、衛星が軌道に乗って安定したことを確認した上で発行されました。おそらく、今回の“羅老号”の成功に関しても、近々、記念切手が発行されることになるのでしょう。

 ムグンファ1号は、1995年の“光復50周年”の記念事業の一環として発射されたもので、赤道上空3万6000キロ、東経113度軌道を回って、発射後5年間、衛星通信・放送中継サービスを提供していましたが、2005年12月、老朽化のため廃棄されました。

 なお、韓国の宇宙開発の歴史については、拙著『韓国現代史』でも簡単にではありますが、項目を設けておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


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 切手に描かれたソウル:昌徳宮
2010-10-21 Thu 10:27
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』10月15日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は昌徳宮を取り上げましたが、きょうはその中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      昌徳宮の門    昌徳宮・入場券

 左の切手は、1995年に発行された“韓国の美”シリーズのうち、王の不老長寿を祈ってつくられたという不老門と、宙合楼の魚水門が取り上げられた切手で、右の画像は昌徳宮の入場券です。昌徳宮の切手といえば、2001年に発行された“世界遺産”の切手を持ってくるのが王道なのでしょうが、入場券に宙合楼と魚水門が取り上げられていますので、比較のためにこちらを持ってきました。

 韓国でもっとも有名な紅葉の名所・雪岳山は、そろそろ、紅葉がピークを迎える頃です。例年、ソウル市内の紅葉は雪岳山の紅葉がピークを迎えるころから始まり、2週間ほどでピークを迎えるというから、今年も11月初めがソウル市内の紅葉の見ごろということになるのでしょう。

 韓国で紅葉の名所といえば、まずは雪岳山、ついで北漢山ということになるのでしょうが、ソウル市内で僕が目をつけている紅葉スポットは昌徳宮です。

 昌徳宮は李王朝時代の1405年、正宮である景福宮の離宮として建てられました。

 1592年の“文禄の役”の際、国王が漢城から逃亡した後、秀吉軍の入城前に朝鮮の民衆によってソウルの宮殿は昌徳宮を含めてすべて焼失しましたが、その後、昌徳宮は1615年に再建され、1865年に景福宮が再建されるまで、王の在所となっていました。

 このため、韓国国内に現存する宮殿のうち、創建時の姿に最も近い宮殿といわれています。たとえば、正門にあたる敦化門は1609年に再建されたものですが、韓国に現存する宮殿の正門としては最古のものとされていますし、敦化門の先にある錦川橋は太宗の時代の1411年につくられたものでソウルに残る最古の石橋のひとつといわれています。また、国王が執務をしていた宣政殿は、1647年に再建されたものだが、現在の宮殿に残っている唯一の青瓦の建物です。

 景福宮が再建された後は、ふたたび、離宮の扱いとなり、1910年の日韓併合後は最後の皇帝となった純宗の住まいとなりました。

 朝鮮式庭園の最高傑作として名高い秘苑は、もともとは離宮の後ろにあることから“後苑”と呼ばれていましたが、1623年に再建されたときには昌徳宮が“禁裏”となっていたため、その庭園という意味で“秘苑”と呼ばれるようになったものです。
 
 広大な園内には自然の地形にあわせて多くの東屋や人工池などがありますが、最も有名なのは芙蓉池と宙合楼でしょう。

 宙合楼は、国の将来を担う人材を育てるために学問を研究し、書籍を出版していた2階建ての楼閣で、1階部分は本の収蔵場所として、2階は読書室として使われていました。しばしば観光パンフレットの写真などにも用いられているから、見おぼえがあるという読者もあるかもしれません。

 さて、昌徳宮はユネスコの世界文化遺産にも登録されているくらいですから、季節を問わず、いつでも見る価値はあるのですが、チケットに印刷されている写真は、紅葉の時期の宙合楼(画面手前に見えるはずの芙蓉池はバーコードで隠れています)です。ということは、昌徳宮側としては、秋に訪れるのが一番のお勧めということなのだと思われます。

 ところが、意外なことに、昌徳宮が切手に取り上げられる場合、どういうわけか紅葉の時期のモノはないのです。すなわち、2001年に発行された“世界遺産”の切手では、便殿・宣政殿・玉座の組み合わせと、正殿・仁政殿の組み合わせの2種類の切手が発行されていますが、背景の木々は青々としている。また、昌徳宮を取り上げた最初の切手、つまり、1964年5月25日に発行された“観光シリーズ”の秘苑の切手でも、取り上げられているのは木々が青々と茂った初夏から夏の風景です。さらに、今回ご紹介の切手では、紅葉を通りすぎてしまって、雪景色が取り上げられています。

 ソウルの秋は短く、駆け足で過ぎていくと言われるが、その短い秋にタイミングをあわせて切手を発行するのが難しいがゆえに、昌徳宮の切手も夏か冬の景色になってしまうということなのかもしれません。
 

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 ソウルの戦争記念館
2010-06-26 Sat 10:42
 きのう(25日)から、東京・目白の切手の博物館(地図はこちら)で、“郵便でつづる朝鮮戦争”展がスタートしましたが、今回の朝鮮戦争60年がらみのイベントの中で最大規模のものといえば、やはり、ソウルの戦争記念館で開催中の特別展でしょう。今月10-12日にソウルに行ったとき、短時間ですが時間を見つけて戦争記念館にも行ってきましたので、きょうは、そのご報告を兼ねた記事を書いてみたいと思います。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      戦争記念館     戦争記念館正面

 切手は、1994年に発行された戦争記念館開館の記念切手で、記念館の全景が取り上げられています。切手と同じ構図の写真を撮ろうとしたのですが、記念館そのものがあまりにも大きくて画面に収まりませんでしたので、右側に、正面から撮影した写真を貼っておきます。

 戦争記念館は、1994年6月、竜山洞の漢江と臨津江が合流する地点、旧大韓民国陸軍本部跡にオープンしました。祖国のために闘って亡くなった兵士たち讃えるために作られたもので、展示の内容は、当然のことながら、朝鮮戦争に関するものが主流となっています。

 写真を見ていただくとお分かりかと思いますが、現在、同館では“625(朝鮮戦争開戦の日付で、ここでは、戦争そのものを意味しています)”の特別展が大々的に開催されており、正門前には、“60”をかたどったオブジェもありました。

       戦争記念館・ユギオ展オブジェ

 特別展の入り口には、60をかたどったオブジェの前に当時の戦車や飛行機の実物がおかれ、その後、朝鮮戦争を中心に南北分断の歴史をたどる第1部の展示が始まります。とはいえ、朝鮮戦争後の韓国の復興・経済成長や、北朝鮮の現状などにも相応のスペースが割かれています。なお、北朝鮮に関しては、昨年のデノミ失敗は展示にありましたが、天安事件についての展示はありませんでした。単純に、間にあわなかったということなのでしょう。

           ユギオ展A      ユギオ展B

       ユギオ展C     ユギオ展D

 画像は左上から特別展入口部分、開戦前の状況を説明した部分、戦時下の生活を表現したジオラマ、北朝鮮の現状のパネル、です。

 続いて、非武装地帯(DMZ)の現状を紹介する第2部では、韓国軍の活動を紹介するコーナーとあわせて、DMZ地域の自然を紹介する展示もありました。

       ユギオ展E     ユギオ展F

 特別展示のほかに、常設展示でも朝鮮戦争については詳細な展示がありますので、かなり見ごたえがあります。なお、今回の特別展の会場には、中国からの団体客がかなりいたことに加え、兵器の展示の前で、中国語を話す若い女性が記念写真に興じていたのが印象的でした。

       ユギオ展G

 おそらく、彼女たちには、朝鮮戦争に際して、中国が北朝鮮支援のために人民志願軍を派遣し、韓国・国連軍と戦ったということについてのこだわりはほとんどないのでしょう。そういえば、25日付の中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介したそうです。人民志願軍を派遣した中国は、公式には開戦の発端が“北朝鮮の南侵”だったとは認めてきませんでしたが、そろそろ、歴史的事実を直視しても問題ないとはんだんされたということなのでしょうか。だったら、いいかげん、日本との戦争についてもそうしてくれればいいのに…。
       
 さて、戦争記念館がオープンした前後は、いわゆる1994年危機で、朝鮮半島は一触即発の状態にあるとみられていました。

 これは、1994年4月の米韓合同軍事演習(チーム・スピリット)再開に対抗しての「準戦時体制」の宣布、核拡散防止条約(NPT)からの脱退、同年5月の「ノドン一号」ミサイルの日本海能登半島沖への発射実験など、北朝鮮が展開した“瀬戸際外交”が、その原因です。こうした北朝鮮側の攻勢は、“事態打開のため”との名目でアメリカとの直接対話(その最終的な目的が経済支援の獲得にあることはいうまでもない)の糸口を得ようというものでしたのだが、アメリカは朝鮮有事に向けた対応を急ぐことになります。

 このため、1994年4月中旬に再開されたチーム・スピリットは、パトリオット・ミサイルが釜山に揚陸されたほか、兵員は枠ぎりぎりの3万7000人にまで増員され、さらにアメリカ第7艦隊が海上に待機するなど、実戦を想定した大規模なものとなりました。ちなみに、今回のチーム・スピリットにあわせて、アメリカは1900項目にのぼる支援要請のリストを作成し、日本政府に対して後方支援を要求しています。これに対して、当時、社会党や新党さきがけを含む連立政権を構成していた細川内閣は、北朝鮮有事への対応を巡る閣内不一致でどうにも身動きが取れなくなり、そのことが退陣の一因になったともいわれています。

 さらに、5月になると、在韓米軍総司令官ゲーリー・ラック大将が、「北朝鮮は国境地帯に8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台をすえており、ソウルに向けて最初の12時間に5000発の砲弾を浴びせる能力がある。もし戦争となれば、半年がかりとなり、米軍に10万人の犠牲者が出るだろう」との分析を発表。アメリカ本国政府も“第二次朝鮮戦争”勃発による被害予想(最初の3ヶ月で米軍5万人と韓国軍50万人が死傷し、全面戦争になれば死者は100万人に達するとされる)を検討するなど、朝鮮有事は現実のものと考えられるようになりました。

 緊張した状況が続く中で、アメリカのクリントン政権は戦争回避のためのギリギリの外交交渉として、6月15日、カーター元大統領を平壌に派遣。事前の予想では、カーター訪朝には成果があまり期待されていませんでしたが、アメリカとの対話再開のきっかけをつくるという“瀬戸際外交”本来の目的を達した北朝鮮は、各国の予想に反して、金日成みずからがカーター斡旋を受け入れて、寧辺の核開発関連の複合施設の全面凍結と対米交渉再開に応じることを発表。第2次朝鮮戦争が回避されたことに世界はいったん安堵します。

 しかし、カーター訪朝から1ヶ月と経たない7月8日、金日成が急死し、事態は再び不透明化していくことになりました。

 それにしても、ことし3月の北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安」攻撃いらい、南北関係が極端に緊張し、北朝鮮有事に備えて沖縄の米軍基地の重要性が高まっていく中で、普天間基地の県外移設を主張して社民党が連立政権を離脱、鳩山内閣が崩壊するという構図は、1994年危機の中で日本の政治が迷走していたときのことと妙にダブって見えますな。前回は事なきを得たからといって、今回も無事である保証は何もありません。

 今回ご紹介した戦争記念館の前庭には戦没者慰霊碑が立っていますが、その台座には“自由はただではない”と刻まれています。

      戦争記念館・碑文

 我々は、この言葉を決して忘れてはなりません。

 なお、1994年危機とその前後については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 朝鮮戦争開戦60周年 “郵便でつづる朝鮮戦争”展

      朝鮮戦争展     朝鮮戦争60年(単片)


 6月25-27日(金-日) 10:30-17:00 入場無料
 於・切手の博物館(東京・目白)
 地図はこちら

 朝鮮戦争にまつわる切手・郵便物(当時のモノが中心です)など数千点を展示します。世界的に著名なコレクションの展示も複数あり、朝鮮戦争関連の切手・郵便物がこれだけまとまって展示されるのは、日本国内では初めてのことと思われます。また、会場では、韓国で発行された“朝鮮戦争60年”の記念切手も、韓国と同時に発売されます。

 なお、26日(土)13:00からは、内藤が展示解説を兼ねたトークを行いますので、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


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 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 5万ウォン札
2009-06-23 Tue 14:02
 韓国ではきょう(23日)から、5万ウォン札(現在のレートで約3750円)の流通が始まりました。いままでの最高額紙幣は1万ウォン札(約750円)でしたが、さすがに、物価の実勢に合わせたということでしょうか。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 申師任堂   5万ウォン札

 これは、1996年11月に発行された韓国の“切手趣味週間“の切手で、今回の5万ウォン札に取り上げられた申師任堂の「草蟲図八曲屏風」のうち、ケシとヤモリを描く部分が取り上げられています。ついでですので、隣には申師任堂を取り上げた5万ウォン札の画像も張っておきます。

 申師任堂は、李氏朝鮮中期の1504年、江原道江陵の出身の女流書画家です。本名は伝わっておらず、師任堂(古代中国周王朝の文王の母・太任を師として見習うと言う意味)や思任堂、師妊堂などの号(韓国語ではいずれも“サイムダン“の発音になります)で記録に残っています。

 彼女は、幼いころから四書に親しみ、詩文と絵画に優れた才能を発揮。さまざまな漢詩や、山水・葡萄・草・虫などを画題とする作品を数多く残し、朝鮮史上最高の女性画家とされています。

 19歳で李元秀に嫁ぎますが、元秀の母(姑)と元秀は彼女の人格と才能を愛し、その才能を十分に発揮できるように支援したため、朝鮮時代の女性としては極めて珍しいことですが、自由闊達な環境でその才能を開花させています。元秀との間には7人の子供をもうけましたが、三男の李珥は朝鮮の“二大儒”の一人となり、5000ウォン札にも肖像が描かれています。

 李珥によると、「父が生計についての仔細には無頓着であったため生活が苦しく、母はいつも質素で勤勉、節約を旨としていた」とのことですが、ある時、夫の元秀に科挙合格のため10年間離れて学業に専念することを約束させ、ソウルに彼を見送ったものの、元秀は数日で家に戻ってしまい、そんな彼に師任堂は裁縫箱から鋏を取り出し、「この世に未練はありません。あなたが約束すら守れないなら、私は自決して人生を終わらせようと思います」と言って諭したというエピソードも伝えられています。

 こうしたことから、彼女は朝鮮における“良妻賢母”の理想像とされており、発行元の韓国銀行は「韓国社会の男女平等意識向上と女性の社会参加に肯定的に寄与し、文化重視の時代精神を反映する一方で教育と家庭の大切さを喚起する効果が期待される」と、新紙幣に彼女の肖像を取り上げた理由を説明しています。まぁ、5万ウォン札の肖像には、一時、“抗日英雄”の柳寛順も候補に挙がっていたようですが、はるかにまっとうな選択と言ってよいでしょう。もっとも、“良妻賢母”であることについて、韓国のフェミニスト団体などは「現代的女性のモデルにはふさわしくない」とクレームをつけているそうです。なんだかなぁ…。

 ところで、今回の5万ウォン札の肖像画は、韓国美術界の重鎮・李鍾祥が作成したものですが、これが、“標準肖像画”と異なっているということで、申師任堂の父親の母方の一族である江陵崔氏大宗会(同姓同族の一族による会)がクレームをつけているのだとか。もっとも、この“標準肖像画”なるものも、申師任堂の存命中に制作されたものではなく、現代画家の金殷鎬(1892-1979)が制作し、1986年に政府の指定を受けたものです。どっちにしても、空想の産物でしかないわけで、不毛な議論のような気がしますな。まぁ、“整形大国”として知られる韓国のことですから、「申師任堂の顔も時代に合わせて整形したのさ」という説明が一番説得力があるように思うのですがね。


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 韓国の漢字問題
2009-05-20 Wed 11:42
 漢検の前理事長親子が背任の容疑で逮捕されました。というわけで、きょうは漢字ネタのなかから、こんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 韓国士官学校50年

 これは、1996年5月1日に韓国で発行された陸軍士官学校開校50年の記念切手です。

 韓国の陸軍士官学校は、米軍政時代の1945年12月、韓国軍(当時の名称は警備隊)士官に対して、米軍との連絡調整のために主として英語を教えた軍事英語学校が前身とされています。同校は、1946年5月に朝鮮警備士官学校に再編され、同年9月陸軍士官学校と改称され、現在にいたっています。

 朴正煕・全斗煥・盧泰愚の歴代大統領をはじめ、韓国の各界で活躍する指導者(政界はもちろん、著名な財界人にも士官学校を卒業し、軍のエリート将校から転進した者が多い)を多数輩出してきた教育機関ですから、韓国郵政がその節目の年に記念切手を発行するのも至極当然のことといえるのですが、今回の切手に関しては、“智・仁・勇”という漢字が表示されていることに注目したいところです。

 1910年の韓国併合当時、朝鮮の識字率は非常に低いものでした。このため、朝鮮総督府は、日本語による学校教育と併行して、初等教育でのハングル使用を推進。この結果、漢字とハングルの混用という文体が急速に普及し、朝鮮内の識字率も飛躍的に向上していきます。

 ところが、解放後、日本語が漢字を使用していたことにくわえ、新羅以来の中国への従属の歴史への反発などもあって、漢字を排斥し、国語をハングルのみで表記しようとする機運が盛り上がることになります。この結果、1948年の大韓民国発足と同時に、いわゆるハングル専用法が施行され、制度としての漢字廃止運動が動き始めました。

 その後、李承晩政権下では漢字教育が行われたものの、朴正煕政権は1970年に漢字廃止宣言を発し、普通教育での漢字教育が全廃されます。同宣言は1972年には撤回されますが、中学・高校での漢文教育はあくまでも選択科目となり、受験にもほとんど無関係になったことから、韓国社会における漢字はしだいに“安楽死”の運命をたどっていきます。そして、1980年代も後半になると、新聞・雑誌での漢字使用の頻度は激減。漢字教育をほとんど受けていない世代が多数を占め、漢字を使用した出版物も需要がなくなってしまいました。

 こうした一連の動きのなかで社会的影響力を強めていったのがハングル学会です。1921年に朝鮮研究会として発足したハングル学会は、もともとハングルの普及を目的とした学術団体でしたが、植民地支配下での民族運動とも密接に関わっていたため、解放後は次第に漢字廃止を求める圧力団体へと変質。その過程で、同会の主張は教育界に浸透し、教育部(日本の文部科学省に相当)に大きな影響をあたえるようになったのみならず、全国教職員組合(日本の日教組に相当)にも「漢字教育は児童・生徒の負担を増やすだけであり(まぁ、どこの国でも組合教員というのは似たような発想をするもんですな)、韓国語に漢字は必要ない」と主張させることに成功しています。

 さらに、1987年の民主化宣言とともに、軍政時代、民主化を主張して職を追われた新聞記者を中心に設立された『ハンギョレ新聞』(現『ハンギョレ』)が、民族主義の立場から漢字を一切使わないことを売り物に、統一よりも反共を優先する保守層を批判する論陣で部数を伸ばすなど、ハングル専用派は“革新”勢力と結びついて社会的影響力を強めていきました。

 これに対して、1990年代以降、実際に国民の多くが漢字を知らないという状況になると、保守層の中から、その弊害を指摘する声も少なからず上がるようになります。

 こうした状況の中で、元陸軍参謀総長の李在田やソウル大学教授の鄭秉学を中心とした漢字教育振興会(1998年に現在の全国漢字教育推進総連合会に改組)は、①漢字は東洋の英語である、②朝鮮語でも日本語並みに漢字を使用すべきである、③小学校での漢字教育を義務づける、という3大綱領を掲げて政府に対して漢字復活を求めるための活動を展開しました。

 漢字復活運動の先頭に立っていた李在田は陸軍参謀総長を務めた軍の大物OBで、朝鮮戦争時には自分の部隊で兵士に識字教育を施したことで知られています。すなわち、当時の韓国の教育水準では、そもそも識字率がきわめて低かったため、李は自分の部隊でハングルの読み書きが出来る兵卒と出来ない兵卒とを組ませ、3ヵ月後に学習成果が上がらない場合には処罰するという方式で兵士の識字率を飛躍的に向上させたのです。

 この実績を元に、退役後の李は戦争博物館の館長を務めるかたわら、漢字復活運動を開始。漢字教育の全面復活を最終目標として掲げ、道路標識や鉄道の駅やバス停の看板に漢字を併記させ、住民登録証の氏名欄に漢字を併記させるなどの成果を勝ち取っていきます。

 陸軍士官学校を題材とした今回の切手に漢字が取り上げられているのも、大物OBである李の意向を汲んだ士官学校の関係者が、切手のデザインに漢字を取り込むよう、郵政側に要望した結果と見るのが自然だとおもわれます。

 しかし、李らの漢字復活運動に対しては、ハングル専用派の激しい反発があり、間に挟まれた政府・教育部は、その後も対応に苦慮することになるのですが、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめていますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 「切手で見る韓国現代史」終了
2007-03-30 Fri 08:59
 2002年1月から『週刊東洋経済日報』で続けてきた僕の連載、「切手で見る韓国現代史」が、本日(3月30日)付の号をもって206回の連載を無事終了することになりました。

 「切手で見る韓国現代史」は、毎回1点ずつ、切手やカバーをご紹介しながら、1945年の日本敗戦以降の韓国現代史をたどっていくというもので、今回、ちょうど年度末になって盧武鉉政権の発足までたどり着いたところで終了となったものです。

 で、いままでの記事の中から何を持ってこようかと悩んだのですが、やはり、連載を始めた2002年といえば、なんといっても日韓ワールドカップが開催された年ですので、こんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

ワールドカップ誘致

 これは、ワールドカップ開催の決定を受けて、1996年8月1日に韓国郵政が発行した記念切手です。

 2002年のワールドカップ大会の開催地に関しては、1986年、当時のFIFA会長であったジョアン・アベランジェがアジア・アフリカ地域での開催(それまでは、欧州と米州での交互開催だった)を提案。これを受けて、まず日本サッカー協会が大会招致に名乗りを上げました。

 当時、日本にはトヨタカップ(欧州と南米の優勝クラブが戦うクラブ世界一の決定戦)の開催実績があったことに加え、サッカー協会としても、ワールドカップの開催を低迷する国内サッカーの活性化につなげたいという思惑がありました。また、欧米諸国の間でも、アジア地域では圧倒的な経済力とインフラ設備を誇る日本でのワールドカップ開催は無難な選択と見られていました。

 これに対して、日本の大会招致計画を知った韓国は、“アジア初”の名誉をかけ、1993年11月、大会招致に名乗りを上げ、翌1994年には招致委員会を発足させて猛烈な巻き返しを開始します。

 すなわち、韓国政財界は現代財閥を中心に、豊富な資金力に物を言わせて精力的な招致活動を展開。南北の共同開催案を持ち出すなど、国際社会に対するアピールも抜かりなく行いました。

 こうして、1995年2月、2002年大会の開催国として日韓両国が正式に立候補を表明します。

 これを受けて、FIFAでは、1996年6月1日の臨時理事会の投票で2002年大会の開催国を決定することになりました。

 ところが、臨時理事会の直後に予定されていたFIFA会長選挙をめぐって、南米出身のアベランジェ会長の再選問題をめぐって、会長の再選を阻止しようとする欧州の理事が、会長の意向であった日本での大会開催に反対。日韓の共同開催を強く主張し始めます。もちろん、南米出身の理事たちは会長の再選を支持し、その意向を汲んで日本での単独開催を支持。この結果、FIFAは事実上の分裂状態に陥り、中間派のアフリカ出身理事の票をめぐって激しいつばぜり合いが展開されました。

 結局、欧州リーグに多数の選手を送り出しているアフリカ諸国の大半は欧州に加担し、日韓の共同開催という流れが決定。開催国を決定する投票日前日の定例理事会前のパーティー会場で、趨勢を悟ったアベランジェ会長は、定例理事会で日韓両国による共同開催案を自ら提案せざるを得なくなり、日韓両国にその旨が打診されます。

 これに対して、日本側もこの提案を拒否すれば、韓国の単独開催か、開催地決定の延長と中国開催の可能性があったことから、これを受け入れる以外に選択肢はありません。一方、韓国側も、当時、経済状況が急速に悪化しつつあり、とうてい、日本からの援助なしではワールドカップを開催できる状況にはありませんでした。

 こうしたさまざまな事情が絡み合い、1996年5月31日、2002年大会の日韓共催が正式に決定、発表され、今回の記念切手発行につながったというわけです。
 
 さて、「切手で見る韓国現代史」は、今年末の大統領選挙が終わり、新大統領が決まるタイミングを見計らって単行本することが決まっています。詳細が決まりましたら、また、このブログでもご案内しますので、よろしくお願いします。

 <おしらせ>
 4月7日(土)の午前中、東京・目白のカルチャービルにて行われる切手市場会場内にて、僕の最新刊『沖縄・高松塚の時代』の即売・サイン会を行います。切手市場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
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