内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 切手に見るソウルと韓国:端午節
2018-06-18 Mon 01:08
 『東洋経済日報』6月15日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、端午節(旧暦5月5日、2018年はきょう=18日です)直前号での掲載でしたので、江陵端午とこの切手について取り上げました。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・江陵端午(2002)

 これは、2002年8月1日に韓国で発行された“わが故郷”の切手(竹島切手が含まれていたシリーズです)のうち、江原道を代表する芸能として江陵端午祭の官奴仮面劇を取り上げた1枚です。

 朝鮮半島の伝統的な風習では、旧暦5月5日の端午節は、田植えと種まきが終わる時期に山の神と地の神を祭り、秋の豊作を祈願する日で、菖蒲湯で髪を洗い、女性はクネティギ(ブランコ)、男性はシルム(韓国相撲)を行うなど、韓国各地でさまざまな風習が行われています。

 中でも、江陵の端午祭は有名で、その“独創性と芸術性”を理由に、2005年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定され、毎年、韓国内外から約100万人の観光客が訪れる一大イベントとなっています。

 江陵端午祭は陰暦4月から5月初めまでひと月あまりにかけて、江陵市を中心に嶺東地域で行われる韓国最大規模の伝統祝祭ですが、中でも、切手に取り上げられた官奴仮面劇は、江陵独特の祭礼として有名です。

 官奴仮面劇は、江陵端午祭の主神である国師女城隍を祀った国師女城隍祠で奉納される演戯で、江陵の歴史を記録した『臨瀛誌』によれば、「毎年陰暦4月15日に戸長と巫女が大関嶺に上がって神木で國師城隍神を迎えて奉安し、陰暦5月5日に(楽器演奏や踊りで神を迎える)グッや仮面劇などで神を喜ばせた」と記されています。ただし、その起源については、定かではありません。

 大韓帝国末期の1909年にはいったん廃止されましたが、解放後、考証を得て復元され、1967年1月16日に重要無形文化財第13号に指定され、現在に至っています。韓国の伝統的な仮面劇の中では、例外的に、無言劇であるのも大きな特色となっています。

 官奴仮面劇は、まず、第1幕で2名のチャンジャマリ(妖精)が出てきて揺籃にほこりを立てながら、膨らんだ腹を突き出しながら歩き回り、観衆をからかったり、性的な踊りを踊ったりしながら、舞台を整えていきます。

 ついで、第2幕では、ヤンバン(切手では右の男性)とソメカクシ(同左の女性)が両側から登場。ヤンバンは突き出た頭巾をかぶり、威厳のある態度で登場し、ソメカクシに求愛。ソメカクシはおとなしい仮面に黄色いチョゴリと赤いチマで恥らいながら踊り、最初はヤンバンを拒むものの、最後はヤンバンと恋に落ちます。

 第3幕では、恐ろしい模様の仮面をかぶったシシタクタギ2名が、舞台両側から豪放な刀踊りをしながら飛び出し、ヤンバンとソメカクシの愛に嫉妬し、二人を引き離します。

 第4幕では、ヤンバンから引き離されたソメカクシが、最初は拒みながらも、シシタクタギと踊らざるを得なくなりますが、これを見たヤンバンは嫉妬に駆られて激怒し、シシタクタギからソメカクシを奪還。その後、ソメカクシは謝罪しますが、不貞を疑うヤンバンの叱責は止まず、ソメカクシは貞節を証明するためにヤンバンの長いひげで首をつります。

 最後の第5幕では、チャンジャマリからソメカクシの首つりを聞いたヤンバンは神に祈り、聖水をソメカクシに捧げます。実は、ソメカクシは死んではおらず、身の潔白が伝わったことでヤンバンと和解。これを受けて、劇中の登場人物全員が喜びの舞を踊り始め、最後は楽師と役者、観衆がいっしょに踊ることで幕が下ります。

 ところで、今年2月の平昌冬季五輪では、アイスホッケー女子に五輪史上初となる韓国・北朝鮮の合同チームが出場し、江陵ホッケーセンターで試合を行いました。その際、北朝鮮の応援団が、下の画像のような仮面をかぶって、無言で応援するという奇妙なパフォーマンスを行い、話題となりました。

      北朝鮮・お面の応援

 当時、このパフォーマンスについては“謎の行動”扱いするメディアも多かったのですが、①江陵という場所、②仮面をかぶっての無言のパフォーマンス、③仮面をかぶっていない女性が黄色のチョゴリに赤いチマというソメカクシを思わせる装束であること、等から、これは、江陵の象徴ともいうべき官奴仮面劇を意識したものとみて間違いないと思われます。なお、男性の仮面がヤンバン風のモノではなく、現在の美男子風にアレンジされているのは、かの国のイデオロギーで、金日成一族以外の者に対する“土俗的な信仰”がタブー視されているため、こうした形態をとらざるを得なかったということなのでしょう。

 なお、このパフォーマンスの背後にある北朝鮮側の意図などについては、3月8日に配信のチャンネルくらら特別番組「平昌五輪後の朝鮮半島」(1時間弱の動画ですが、江陵の官奴仮面劇については、16:00頃からお話ししています)で詳しくご説明しておりますので、よろしかったら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が7月刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 

 なお、当初、『チェ・ゲバラとキューバ革命』は、2018年5月末の刊行を予定しておりましたが、諸般の事情により、刊行予定が7月に変更になりました。あしからずご了承ください。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 

スポンサーサイト
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 きょう南北首脳会談
2018-04-27 Fri 10:31
 11年ぶり3回目となる韓国と北朝鮮の南北首脳会談が、さきほど(27日午前9時半)はじまりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      南北朝上会談(韓国2000)

 これは、2,000年に行われた最初の南北首脳会談(韓国での呼称は南北朝上会談)に際して発行された記念切手です。

 2000年3月9日、韓国の金大中大統領は外遊先のベルリンで講演を行い、対北朝鮮政策に関する「ベルリン宣言」を発表。その主なポイントは以下の通りでした。

 1)韓国は北朝鮮が経済的困難を克服できるよう手助けする準備がある。道路、港湾、鉄道、電力、通信など社会間接資本の拡充や投資保障協定と二重課税防止協定などの投資の環境整備、食糧難の抜本的な解決のための北朝鮮農業の構造改革など、政府当局間の協力が必要な事項については、北朝鮮からの要請があれば、韓国はこれを積極的に検討する準備がある。
 2)韓国の当面の目標は、統一よりも平和定着である。したがってわが政府は、和解と協力の精神で力が及ぶ限り、北を手助けしていく。
 3)北朝鮮は人道的見地から、離散家族問題解決に応じるべきだ。
 4)これらすべての問題を効果的に解決するため、南北当局間の対話が必要だ。

 ベルリン宣言の発表を受けて、3月17日、北京で特使級の非公開接触が行われ、南北頂上会談の実施が合意されます。会談では、1971年の「7.4南北共同声明」の祖国統一3大原則(自主・平和・民族大団結)を出発点とすることも確認されました。

 北朝鮮側が南北頂上会談の受け入れに応じた背景には、なによりもまず、経済的苦境を脱するために韓国からの経済支援が必要であったという事情があります。

 一方、金大中政権下で採用された太陽政策の結果、韓国内で北朝鮮に対する宥和的な世論が形成されていたものの、2000年4月の国会議員選挙で、政権与党の民主党は、太陽政策に批判的な野党ハンナラ党に119対133で敗れていました。このため、世論の支持を得て巻き返しを図るためにも、金大中政権は南北頂上会談という切り札を早急に使う必要に迫られていました。

 こうした両者の思惑が絡み合い、2000年6月13日から15日にかけて、韓国の大統領、金大中が平壌を訪問して北朝鮮の最高実力者、朝鮮労働党総書記の金正日との“南北頂上会談”はこうした経緯を経て行われました。

 会談後の共同宣言では、今回の頂上会談が「祖国の平和的統一を念願する全民族の崇高な意志により」行われたものであることを明らかにした上で、①統一問題を自主的に解決していくこと、② 統一のため、南側の連合制案と北側の緩やかな連邦制案がお互い、共通性があったと認め、今後、この方向から統一を志向していくこと、③離散家族、親戚訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決すること、④経済協力を通じて、社会、文化、体育、保健、環境など、諸分野の交流を活性化させること、などがうたわれていました。また、答礼のため、金正日がソウルを訪問することも盛り込まれていましたが、これは、2011年に金正日が亡くなったため実現しませんでした。

 なお、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。また、今回の南北首脳会談を含む最近の朝鮮半島情勢についての、僕自身が考えていることなどにつきましては、チャンネルくららのこちらの動画をご覧ください。
 

★★★ 近刊予告! ★★★

 えにし書房より、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』が5月に刊行予定です!
 詳細につきましては、今後、このブログでも随時ご案内して参りますので、よろしくお願いします。

      ゲバラ本・仮書影

(画像は書影のイメージです。刊行時には若干の変更の可能性があります) 


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:1 | トラックバック:0 | top↑
 切手に見るソウルと韓国:仁川上陸作戦
2017-09-26 Tue 03:05
  『東洋経済日報』9月15日号が発行されました。月一で同紙に僕が連載している「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、発行日の9月15日が1950年の仁川上陸作戦の記念日だったことにちなんで、こんなモノをご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      仁川風景印(2002)

 これは、2002年に仁川で使用された風景印で、彼の地のランドマークとして、仁川自由公園のマッカーサー将軍銅像が取り上げられています。

 仁川自由公園は、朝鮮王朝が開国して間もない1889年頃、仁川在住の外国人のため、仁川港を見下ろす鷹凰山の高台に開設された朝鮮半島最初の西洋式公園で、当初は“万国公園”と呼ばれていました。しかし、日本統治時代の1916年、天照大神と明治天皇を祭神とする仁川神社が埋立地につくられ、周辺一帯の土地が“東公園”となったため、万国公園は“西公園”と改名されます。

 1948年の大韓民国成立後、公園は旧称の万国公園に戻されましたが、朝鮮戦争休戦後の1957年、仁川上陸作戦を記念して園内の東寄りの場所にマッカーサーの銅像を建立するとともに、現在の仁川自由公園に改称されました。

 ところで、仁川のマッカーサー将軍像は、2004年頃から、一部左派勢力によって政治問題化され、韓国では困惑している国民も多いようです。

 すなわち、2003年、親北・左派色が顕著な盧武鉉政権が発足。その流れを汲んで、2004年6月、仁川市が“平和都市”を宣言すると、同年11月、左派系市民団体の仁川連帯が“南北を分断した戦争の張本人”として、将軍像の撤去を要求。以後、左派系市民団体によるマッカーサー像撤去の運動が展開され、上陸作戦55周年を控えた2005年9月には、左派系市民団体、全国民衆連帯の主催の下、4000名余の参加者が自由公園内で銅像の撤去と在韓米軍の撤退等を叫び、警備の警官隊との間で乱闘事件が発生しました。

 一連の銅像撤去運動に対して、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』」は「反米反戦、米軍撤退闘争の炎を激しく燃え上がらせるべきだ」、「銅像を直ちに爆破せよ」との論説を掲載しており、銅像撤去を求める左派系市民団体の背後には、北朝鮮当局の影が見え隠れしています。

 当然のことながら、こうした左派系の動きに対しては韓国内の反発も強く、上陸作戦55周年当日の2005年9月15日には、韓国海兵隊戦友会が銅像前で「国家安保およびマッカーサー銅像死守決起大会」を開催し、太極旗と星条旗を振って韓米同盟の維持を訴えました。

 また、米国でも下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長ら5人の議員が、9月15 日、「米議会と米国人たちは、韓国を2度も解放した英雄を“良民虐殺戦犯”のようにみなすことを容認できない。仁川上陸作戦は米韓同盟の基盤であり、仁川での勝利がなかったならば、今日の韓国は存在しなかった」との内容の書簡を盧武鉉大統領に送付。韓国政府にマッカーサー像の保護を求め、それが不可能な場合には銅像の米国への引き渡すことを要請しました。

 結局、この問題に関しては、盧武鉉政権が銅像を撤去しないことで決着したものの、その後も、韓米同盟の破棄を主張する左派系市民団体は倦むことなく銅像の撤去を求め続けています。

 ちなみに、同じく盧武鉉政権下の2005年、民間団体の親日人名辞典編纂委員会が「親日人名事典」を発表。その中には、マッカーサー将軍像の作者である金景承(東京美術学校彫刻科を卒業し、戦時下の1941年には国民総力朝鮮連盟傘下の朝鮮美術家協会で評議員と彫刻分科会の委員を務めたほか、1944年には決戦美術展覧会の審査員を務めた経歴があります)もリストされていたことから、韓国政府は彼を“親日派”と断定してしまいました。

 これに対して、弘益大学の金永元教授が金景承の遺作などの調査を通じて、解放後の金景承の彫刻家としての業績を評価すべきと政府に訴えたことから、政府もこれを受け入れて「(金景承は)親日派の作家とはいえない」という確認書を送付しましたが、この問題をめぐる韓国政府の対応は迷走を重ねています。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★

      パレスチナ現代史・表紙 本体2500円+税

 【出版元より】
 中東100 年の混迷を読み解く! 
 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史!

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に見るソウルと韓国:尹東柱
2015-12-06 Sun 08:04
 ご報告が大変遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月13日号が発行されました。今回は、発行日翌日の14日に、韓国の国民詩人とされる尹東柱の没後70年イベントが彼にゆかりの立教大学で行われたのにあわせて、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・尹東柱

 これは、2001年に発行されたミレニアム・シリーズの1枚で、学生服姿の尹東柱の肖像をバックに、彼の自筆原稿から取った「序詩」の一部が組み合わされています。

 尹東柱は、1917年、間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)の明東村でクリスチャンの家庭に生まれました。

 幼少時には龍井(吉林省東南部)、平壌などを転々とし、1938年、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)に入学。在学中の1940年、“平沼東柱”と改名し、1941年12月に延禧専門学校を卒業しました。

 尹は中学時代から詩作を行っていましたが、延禧専門学校の卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画。しかし、商業出版としては難しかったことから、小部数のみを私家版として制作し、親しい友人に配布しています。

 詩集の冒頭に置かれた「序詩」は彼の代表作のひとつ。日本語訳として最も評価が高い宇治郷毅の訳によれば、以下のとおりです。なお、デザイン上の理由からだと思いますが、切手には詩のすべてが取り上げられているわけではありませんので、取り上げられている部分は赤字にしてあります。

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥なきことを、
 葉かげにそよぐ風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべて死にいくものを愛さなくては(*“愛さなくては”の部分の사랑해야지は사のみ切手でも見える)
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今夜もまた星が風にふきさらされる。

 さて、延禧専門学校を卒業した尹は、1942年、日本に渡って立教大学に入学。来日後まもなく「たやすく書かれた詩」など5編を友人に送っています。その後、同年9月には京都に移って同志社大学に入学しましたが、在学中の1943年7月、治安維持法違反の容疑で逮捕されました。

 なお、しばしば、尹の逮捕については、韓国語での詩作が治安維持法に違反したためという説明がなされることがありますが、実際には、韓国語の使用(だけ)を理由に治安維持法違反で逮捕されることはなく、尹の場合も、友人に対して、日本の朝鮮総督府の政策を批難したり、韓国独立の必要性を訴えたりしたことが、「民族意識の鼓吹・民族運動の煽動」にあたるとして、逮捕容疑とされています。

 その後、1944年2月に尹は従弟の宋夢奎ともには起訴され、同年3月、懲役2年の判決をうけて福岡刑務所に収監されましたが、翌1945年2月16日、27歳の若さで獄死しました。

 こうして、生前はほとんど無名のままに終わった尹東柱ですが、1947年、ソウルの京郷新聞に「たやすく書かれた詩」が紹介されたのを機に、翌1948年、詩や散文を集めた『空と風と星と詩』が刊行され、いちやく、その名を知られるようになります。一方、日本では、1984年、伊吹郷が『空と風と星と詩』を邦訳して紹介。その後、いくつかの翻訳が出版されています。ただし、“하늘”の語をそのまま“空”と訳すか、尹東柱がクリスチャンだったことを踏まえて“天”と訳すかなど、専門家の間でも議論が分かれているそうです。

 また、日本統治時代に治安維持法で逮捕され、若くして獄死したという経歴から、尹東柱に関しては、現在の韓国では“民族的抵抗の詩人”として評価されることが多く、「序詩」に登場する“星”についても、小倉紀蔵によれば、韓国人の象徴として「どんな風にも揺らぐことなく耐え、抵抗する確固たる民族の魂を、尹東柱はうたっているのだ。日本によってずたずたにされてしまったが、決してこわれることのない民族の言葉、心、生というものを、星という言葉に託してうたっているのだ」というのが教科書的な解釈なのだとか。

 まぁ、僕のような素人は、素直に字面を追って、詩の抒情性を味わえば十分なのではないかと、ついつい思ってしまうのですが、そういうことを言うと、かの国の学校のテストでは合格点をもらえないんでしょうなぁ。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『ペニー・ブラック物語』 のご案内 ★★★ 

       ペニーブラック表紙 2350円+税

 【出版元より】
 若く美しい女王の横顔に恋しよう!
 世界最初の切手
 欲しくないですか/知りたくないですか

 世界最初の切手“ペニー・ブラック”…名前は聞いたことがあっても、詳しくは知らないという収集家も多いはず。本書はペニー・ブラックとその背景にある歴史物語を豊富なビジュアル図版でわかりやすく解説。これからペニー・ブラックを手に入れたい人向けに、入手のポイントなどを説明した収集ガイドもついた充実の内容です。

 発売元の特設サイトはこちら。ページのサンプルもご覧いただけます。

 ★★★ 内藤陽介の新刊  『アウシュヴィッツの手紙』 のご案内 ★★★ 

       アウシュヴィッツの手紙・表紙 2000円+税

 【出版元より】
 アウシュヴィッツ強制収容所の実態を、主に収容者の手紙の解析を通して明らかにする郵便学の成果! 手紙以外にも様々なポスタルメディア(郵便資料)から、意外に知られていない収容所の歴史をわかりやすく解説。

 出版元のサイトはこちら。各書店へのリンクもあります。

 インターネット放送「チャンネルくらら」にて、本書の内容をご紹介しております。よろしかったら、こちらをクリックしたご覧ください。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインよろしくポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 朔旦冬至
2014-12-22 Mon 11:01
 きょう(22日)は冬至です。ことし(2014年)は、旧暦の11月1日の新月と重なる19年に1度の“朔旦冬至”にあたるということなので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・パッシルトック

 これは、2002年6月15日、韓国で発行された「韓国の食」シリーズ第2集のうち、パッシルトックを取り上げた1枚です。切手の説明文はシルトック(甑餅)としか書かれていませんが、具体的には、シルトックのうち、小豆を使ったパッシルトックが取り上げられています。なお、シルトックの“シル”は甑(穴のあいた土器)、“トック”は餅の意味です。

 日本の餅は蒸かしたコメをついて作りますが、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。このうち、うるち米の粉を練って甑で蒸したのがシルトックで、新装開業や引越、子供が生まれた時などに近所に配る習慣がありました。

 ところで、日本では当時の食べ物というと南瓜のほか、銀杏・蓮根・蜜柑など、いろはの最後の「ん」のつく食材が挙げられていますが、韓国では小豆が食されます。これは、小豆の赤い色には厄除けの効能があると信じられていたためで、冬至の料理としては、特に、小豆粥(パッチュック)が定番です。現在の小豆粥は、小豆と米を一緒に炊いたものが主流となっていますが、もともとは、小豆スープの中にもち米団子(セアルシム)を年の数だけ入れて炊くのが伝統的なスタイルでした。

 ただし、旧暦11月10日以前に冬至がくる年は、例外として、小豆粥ではなく、蒸した小豆とシルトックを交互に積み重ねたパッシルトックを食べるのが伝統的な習慣となっていました。今年の場合は、朔旦冬至で、あきらかに11月10日以前の冬至ですから、小豆粥ではなく、切手に取り上げられたパッシルトックを食べるのが伝統に適ったやり方ということになります。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:韓電
2014-10-07 Tue 13:57
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月19日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、刊行日がソウル江南の韓国電力公社(以下、韓電)旧本社跡地の入札(結局、現代グループが落札しましたが)の時期にあたっていましたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・電力事業100年

 これは、1998年に韓国で発行された電力事業100年の記念切手で、ネオンサインを背景に原子力発電所の遠景を描いています。

 韓国における電気事業のルーツは、1898年の漢城電氣會社設立に求められます。

 1895年の閔妃暗殺事件の後、高宗は清涼里の洪陵に閔妃の墓所を築造し、しばしば墓参に訪れていましたが、多くの従者を連れての参拝には多額の費用が必要でした。これに対して、米国人技術者、ヘンリー・コールブランは、王宮から墓所まで路面電車を敷設し、普段は一般住民の移動手段とすることで、経費の削減と増収の一石二鳥を図れるとして、電車敷設を提案。これを受けて、1898年、王室と米国人技術者(コールブランとハリー・ライス・ボストウィックの2人)の共同出資で漢城電氣會社が設立されます。ちなみに、漢城電氣の資本金150万円は、コールブランとボストウィックが75万円、王室が75万円を負担する約束になっていたが、王室が実際に支払ったのは15万円だけでした。ただし、これに伴い、東大門の脇にソウルで最初の発電所が作られています。

 その後、1902年に漢城電氣の本社社屋が全焼したため、漢城電氣は全財産を担保として、本社を米国コネチカット州に置く韓美電氣會社に移管。1904年、同社は正式に韓美電氣に吸収合併されます。しかし、その韓美電氣も1909年には日系資本に買収され、同社が展開していた路面電車と電力ガス事業は日韓瓦斯電気株式會社が継承しました。

 日本統治時代の1915年、日韓瓦斯電気は京城電氣株式會社に社名を変更。その一方で、朝鮮内では、各地に小規模な電力会社が設立されていきましたが、1937年3月以降、経済統制の一環として電力会社の統廃合が行われ、最終的に、朝鮮電業、京城電氣、南鮮合同電氣の3社体制となります。なお、日本統治時代は、鴨緑江上流域など、朝鮮の電力需要は、主として現在の北朝鮮地域に設けられた大型発電所によってまかなわれていたため、解放後、それらの設備が北朝鮮の所有になってしまうと、韓国経済は大きなダメージを受けることになりました。

 1945年の解放後、韓国内の電気事業に従事していた日本人は米軍による帰国命令で全て引揚げましたが、電力3社体制はそのまま維持されます。その後、1961年に発足した朴正煕政権は経済再建のための最優先課題の一つとして、電力事情の改善に積極的に取り組むことになり、電力3社は合併され、韓国電力株式会社となりました。この韓国電力株式会社が、1982年に国有化されて発足したのが現在の韓電で、江南への本社移転も国有化に伴うものでした。

 1997年のIMF危機後の構造改革の一環として、段階的な電力の自由化が決定されると、2001年、韓電の発電部門は火力発電子会社5社と水力・原子力発電を担う韓国水力原子力発電の計6社に分割され、同時に韓国電力取引所(KPX)と独立規制機関である韓国電力委員会(KEC)が設立されましたが、実際には、株式市況の悪化から配電部門の民営化は中止され、2010年、韓電は市場型公営企業として政府の管理下に置かれることになりました。

 韓国政府の地方振興策の一環で今年11月をめどに全羅南道羅洲に本社を移転する計画は、ことになっているが、この間の2005年に決定されました。なお、記憶に新しいところでは、2011年9月、電力需要予測の甘さから、韓国全土で大停電が発生し、当時の李明博大統領が江南の韓電本社に怒鳴り込む一幕もありましたな。そういえば、日本でもお遍路総理が東日本大震災後の原発事故の混乱の最中に現場に乗り込んで事態をより一層混乱・悪化させたという事例がありましたが、暗愚の指導者というのは、どこでも同じことをやるということなんでしょう。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月第2週より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。とりあえず、10月4・5日は、その前宣伝として内藤のインタビューが配信となりました。前篇後篇、それぞれ、青字をクリックしていただけるとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 パリーグはソフトバンクが優勝
2014-10-03 Fri 17:46
 プロ野球のパリーグはソフトバンクがリーグ優勝しました。というわけで、セリーグの巨人優勝の時の先例に倣って、“タカ”にまつわる韓国ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・ハヤブサ

 これは、1999年6月5日に韓国が発行した“絶滅の恐れがある種の保護”の切手のうち、韓国語でいう“매(メー)”を取り上げた1枚です。

 一般に、韓国語の辞書等では、“매”の語には日本語で“タカ(鷹)”の訳語が付けられているので、僕もこの切手については、単純に鷹が描かれているものとばかり思っていたのですが、念のため、ラテン語の学名表記“Falco peregrinus”を確認してみたところ、これは日本語では“ハヤブサ”を意味する語となっていました。まぁ、日本同様、韓国でも“鷹狩”が行われていますし、日本でも、“鷹狩”にハヤブサが用いられることもありますので、“メー”は鷹狩に使う鳥だと割り切って考えてしまえば良いということなのかもしれません。

 鷹狩に使う“メー”は、年齢によって呼び名が異なっており、生まれて1年目はカルチゲ、2年目はチョジに、3年目はサンジニと呼ばれます。このうち、サンジニになってしまうと動作が鈍くなるので、狩りにはチョジニが最適だそうです。また、巣立ったばかりの1年に満たない雛をつかまえて、鷹狩用に育てたものはポラメと呼ばれて区別されます。

 また、ソウルにある鷹峯の地名は、朝鮮王朝時代、国王がそこで鷹を使って雉狩りをしていたことにちなんだものですが、このことなどは、「鷹馬弓妓」と総称される男たちの道楽のうち、鷹狩が最も格の高い遊びとされていたことの名残と言えましょう。

 なお、「鷹は飢えても穀物を食べない」「鷹は死肉を食べず、身ごもっている動物は捕えない」とされるところから、かつての朝鮮半島では、人格の高潔な人を鷹になぞらえることもあったそうです。また、漢字の“鷹”と“英”の発音が同じことから、雄の鷹を1羽描くことで“英雄”を意味するというのが、伝統絵画の作法とされています。

 そういえば、以前の記事で、旧大韓帝国時代の切手をご紹介した際に、「切手に描かれている鳥は、以前は鷹と考えられていましたが、近年、韓国では鷲とするのが一般的なようです」と書いたことがあります。その当時は、韓国空軍や延世大学のシンボルも鷹ではなく鷲とされていることから、切手に描かれた鳥が鷹から鷲に変わるのも無理からぬことかとも思っていたのですが、もしかすると、そうした変化の背景には、鷹に込められていた“高潔さ”や“英雄”といった意味が韓国社会では忘れられてしまったという事情があるのかもしれません。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:兄弟の像
2014-08-12 Tue 06:31
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月25日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、先ごろ、“ワンピース展”騒動で問題となった戦争記念館にちなんで、同館の“兄弟の像”を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      兄弟の像     戦争記念館 兄弟の像(実物)

 左は、2001年にミレニアムシリーズ第11集の1枚として韓国発行された“兄弟の像”の切手で、右側は、その実物の画像です。

 “兄弟の像”は、戦争記念館の敷地に入ってすぐのところにあるドーム型の施設の上に建てられている銅像で、南北分断によって生き別れとなっていた兄弟が、朝鮮戦争の戦場で、韓国軍の将校(兄)と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士(弟)として劇的に再開した場面を表現しています。

 ドーム内に掲げられていた説明版によると、像の足元にあるドームは、“殉国先烈”の犠牲を表現するものとして、韓国全域から集めた花崗岩を古墳の形に積み上げたもので、ドーム入口の亀裂には南北の分断と統一の念願が込められているそうです。また、ドームの内部には「韓民族の精新(精神の誤植ではないかと思うのですが…)と国難克服を現したモザイク壁画」や「朝鮮戦争(ママ)当時戦闘部隊を派兵した16ヶ参戦国運軍(これは明らかに“国連軍”の誤植でしょう)国家の地図造形(造形“板”の誤植か)」などが置かれています。さらに、天井に配されたいくつかの鎖は、「南北が二度と分断されない為の統一の結束を表現」しているのだそうです。せっかくなので、ドーム内部の画像も下に貼っておきます。

      戦争記念館・ドーム内

 さて、ドーム内には、以下のような韓国語・英語・日本語の3ヶ国語表記の案内板が掲げられています。

      戦争記念館・ドーム内説明文

 クリックで拡大していただけるとお分かりいただけると思いますが、この説明文には、上記の引用箇所以外にも、ひらがなの“め”が“あ”になっている箇所(たとえば、“込められて”とすべきところが“込あられて”となっているなど)や、主語の“は”が“な”となっている箇所(例えば、“兄弟の像は”とすべきところが“兄弟の像な”となっている)など、かなり誤植が目立ちます。まぁ、民間のお土産物屋などでの怪しげな日本語表記はご愛嬌ともいえましょうが、曲がりなりにも、韓国のために尊い命をささげた先人を偲ぶ厳粛な施設なのですから、日本人参観者の失笑を買わぬよう、きちんと修正していただきたいものです。

 さて、今回のワンピース騒動ですが、もともとは、7月12日から戦争記念館で開催予定だった日本の人気漫画「ワンピース」の特別展が、会期直前の9日になって、突如、原作に“旭日旗を思わせるイメージ”が数回登場することを理由に、特別展を企画したイベント会社に対して中止を通告したのが発端です。

 これに対して、イベント会社が開催中止の通報の効力停止と展示妨害の禁止を求める仮処分を申請。ソウル西部地方裁判所は、17日、契約通り開催すべきだとの決定を出しています。裁判所の決定文は、「ワンピース」は長編漫画であり、そのごく一部に旭日旗に似た絵が描かれているとの理由で「日本の帝国主義をほめたたえる漫画とは言えない」と指摘。日本では旭日旗に似たデザインは帝国主義とは関係なく大漁旗などにも使われているとし、原作では主人公と敵対するキャラクターを描く場面で主に使われており、「むしろ否定的なイメージを表現している」との判断を示したうえで、契約内容を踏まえても、戦争記念館側が一方的に開催を中止することはできないと結論づけています。

 予定されていた展示物の中には、旭日旗を思わせるものが含まれていなかったこととあわせて、極めて常識的な判断で、多くの韓国国民にとっても納得のいくものではないかと思います。

 昨今、韓国国内の一部には、赤色で放射状に線がデザインされた日本関連のモノを何でもかんでも“旭日旗”に結び付けて攻撃する風潮があります。その多くは、どう見てもこじつけにしか思えないナンセンスなものですが、クレーマーの多くはかなり執拗で粘着質なので、クレームを受けた側はトラブルが長引くことを嫌い“自粛”して早々に幕引きを図るケースが多いようです。

 戦争記念館の今回の対応も、原作に旭日旗が登場するとの外部からの指摘を受けた結果だそうですから、おそらく、そうした背景があるのでしょう。

 裁判所の決定を受けて、当初、戦争記念館側は「ワンピース」展への会場の貸し出しを拒否する方針に変更はなく、仮処分に対する異議申し立てを行うことなどを検討しているとしていましたが、結局、地裁のお墨付きを得た格好で、7月26日から「ワンピース展」は開催されています。

 いずれにせよ、戦争記念館に関しては、朝鮮戦争の英霊たちを真摯に追悼する気持ちがあるのなら、(もしまだ修正されていないのなら)まずは誤植だらけの案内板を修正していただきたいものだと、拙著『朝鮮戦争』を刊行したばかりの僕としてはついつい思ってしまいますな。

        
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:楽全斎
2013-12-16 Mon 11:16
 ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、『東洋経済日報』11月22日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の11月22日が、いまから半世紀前の1963年に朝鮮王朝最後の皇太子で、当時の李王家の当主、李垠・方子夫妻が56年ぶりに韓国へ帰国した日にあたっていましたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       昌徳宮シート

 これは、2001年に韓国で発行された“世界遺産・昌徳宮”の小型シートです。昌徳宮そのものは以前にも「切手に描かれたソウル」の連載でも取り上げたことがあるのですが、今回は、シート余白の左下に見える楽全斎を取り上げたくて、このシートをご紹介しました。

 朝鮮王朝最後の皇太子・李垠は、朝鮮王朝が大韓帝国と改称した1897年、皇帝・高宗の第7子として生まれました。1907年7月、いわゆるハーグ密使事件で父親が退位に追い込まれ、異母兄の純宗が皇帝として即位すると皇太子となりましたが、同年12月には“日本留学”のため、ソウルを後にしています。

 1910年の日韓併合後は、日本の王族として皇族に準じる待遇となり、陸軍幼年学校・同士官学校で教育を受けて、1917年、少尉に任官。1920年、日本の皇族・梨本宮家の方子女王と結婚します。“内鮮一体”のための政略結婚でしたが、2人の間には真の愛情がはぐくまれたそうです。

 日本の敗戦後は、1947年には李王(1926年の純宗崩御により身分を継承)の地位を失ったばかりか、日本国籍も失い、邸宅(2011年まで赤坂プリンス・ホテルの旧館として用いられていたことは有名です)をはじめ資産の売り食い生活を余儀なくされます。また、朝鮮戦争中の1950年、マッカーサーとの会見のために来日した李承晩に祖国への帰国を要望するも、李承晩は旧李王夫妻の帰国によって自らの地位が危うくなると考え、帰国を歓迎しないと応じたため、李垠は帰国を断念せざるを得ませんでした。

 その後、1959年に李垠は脳梗塞で倒れたのを機に、その後遺症に悩まされるようになり、1961年には築地の聖路加病院に入院します。

 この間、1960年に李承晩は学生革命によって政権の座を追われてハワイに亡命。混乱の後、1961年に権力を掌握した朴正煕は、翌1962年、李垠の韓国籍を回復させ、方子も韓国籍を取得しました。

 1963年に入ると李垠の容体は悪化し、5月には東京・赤坂の山王病院に入院。このため、朴正煕は李垠夫妻に韓国での生活費や療養費を政府が保証するので、帰国されたしと連絡し、11月22日、李垠夫妻の帰国が実現します。しかし、重病の床にあった李垠にはすでに意識はなく、ソウルの聖母病院に直行。そのまま、1970年に亡くなりました。

 一方、方子は、昌徳宮内の楽善斎(朝鮮王朝時代、王の妻妾などが、王の死後、余生を過ごした建物)を住居として、趣味で作っていた七宝焼を売るなどして資金を稼ぎ、福祉活動に専念。知的障害児施設の明暉園や知的障害時養護学校の慈恵学校を創設・運営し、韓国の国民から「韓国障害児の母」として尊敬を集め、1981年には韓国政府から牡丹勲章を授与されました。

 1989年4月30日、彼女は87歳の波乱の生涯を閉じますが、その葬儀は韓国皇太子妃の準国葬として執り行われ、日本からも三笠宮ご夫妻が参列されています。また、当時の盧泰愚政権は、韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈しました。

 今回ご紹介の切手は、昌徳宮を題材としたもので、切手本体には、王宮の中心となる仁政殿と公式の執務の場である宣政殿が取り上げられていますが、そのシート下部左側の余白には、隣接する昌慶宮側から見た楽善斎の特徴ある屋根がしっかりと取り上げられています。

 建物としての本来の性格上、王宮の他の建物とは異なり、楽全斎は丹青(五色の彩色)が塗られていない、質素な外観であす。したがって、ビジュアル面だけでいえば、王宮内の数ある建物の中で、楽全斎を取り上げるべき必然性はないと考えるのが自然でしょう。

 それにもかかわらず、あえて、仁政殿と宣政殿の切手と並べて、シートの余白に楽全斎が見えるような構図が採用されたのは、やはり、楽全斎から連想される李方子への感謝の思いがさりげなく表された結果とはいえないでしょうか。少なくとも、当時の韓国政府には、そうした意識があったのだと思いたいところです。

 なお、『東洋経済日報』の連載は、紙面の都合で12月は救済となります。次回は年明け1月の掲載になりますので、よろしくお願いします。 


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
 切手に描かれたソウル:松餅
2013-10-12 Sat 16:39
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月20日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の20日が秋夕の連休中だったことから、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       松餅

 これは、2002年に発行された「韓国の食」シリーズ第2集のうち、秋夕の代表的なお菓子である松餅を取り上げた1枚です。

 松餅は、米粉で作った皮の中にゴマや豆、小豆、栗、ナツメなどを入れて、松葉を敷いた蒸し器で蒸す餅菓子。松葉を使うのは、もともとは蒸し器の中で並べた餅がくっつかないようにするための知恵でしたが、松葉の香りが餅に移り、上品な味に仕上がるという効果があります。また、松葉は防腐作用があることから仙人食ともいわれており、そうしたことが重なって、秋夕に欠かせないものとなったのでしょう。

 なお、若干補足しておくと、日本の餅は蒸かしたコメをついて作りますが、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。このスタイルの餅をめぐる歴史的なエピソードとしては、たとえば、李王朝の創始者・李成桂を憎んだ旧高麗の遺臣たちが開城で雪だるま型の“李成桂餅(チョレンイ・トック)”を作り、その首にあたる部分をちょん切りながら食べて恨みを晴らしたという事例が有名です。

 さて、松餅は朝鮮半島全域で作られていますが、色や形などにはさまざまなバリエーションがあり、一般には、北に行くほど一つの餅が大きくなり、南に行くほど小さくなる傾向があるそうです。

 このうち、切手に取り上げられているものは、黄色と緑、白の3色セットで、一般的な半月形をしています。これは、米粉に色をつけて、3色または5色の松餅を作るという京畿道(ソウルも含む)のスタイルに合致しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 なお、かつては秋夕の代名詞だった松餅ですが、現在では、ソウル市内のデパートなどで年間を通じて買うことができるほか、地下鉄1・3・5号線の鐘路3街の周辺には、青瓦台御用達の名店、楽園餅店をはじめとして韓国菓子の店が軒を連ねています。おそらく、担当デザイナーのキムヒョン氏もそのうちの一軒で松餅を買ってきて原画を制作したのではないかとみているのですが…。次回のソウル行きの際には、切手のモデルになった餅を探して歩いてみることにしますかね。
  

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。

別窓 | 韓国:金大中時代 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
| 郵便学者・内藤陽介のブログ | NEXT
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/