内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 切手に見るソウルと韓国:尹東柱
2015-12-06 Sun 08:04
 ご報告が大変遅くなりましたが、『東洋経済日報』11月13日号が発行されました。今回は、発行日翌日の14日に、韓国の国民詩人とされる尹東柱の没後70年イベントが彼にゆかりの立教大学で行われたのにあわせて、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・尹東柱

 これは、2001年に発行されたミレニアム・シリーズの1枚で、学生服姿の尹東柱の肖像をバックに、彼の自筆原稿から取った「序詩」の一部が組み合わされています。

 尹東柱は、1917年、間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)の明東村でクリスチャンの家庭に生まれました。

 幼少時には龍井(吉林省東南部)、平壌などを転々とし、1938年、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)に入学。在学中の1940年、“平沼東柱”と改名し、1941年12月に延禧専門学校を卒業しました。

 尹は中学時代から詩作を行っていましたが、延禧専門学校の卒業時に自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画。しかし、商業出版としては難しかったことから、小部数のみを私家版として制作し、親しい友人に配布しています。

 詩集の冒頭に置かれた「序詩」は彼の代表作のひとつ。日本語訳として最も評価が高い宇治郷毅の訳によれば、以下のとおりです。なお、デザイン上の理由からだと思いますが、切手には詩のすべてが取り上げられているわけではありませんので、取り上げられている部分は赤字にしてあります。

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥なきことを、
 葉かげにそよぐ風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべて死にいくものを愛さなくては(*“愛さなくては”の部分の사랑해야지は사のみ切手でも見える)
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今夜もまた星が風にふきさらされる。

 さて、延禧専門学校を卒業した尹は、1942年、日本に渡って立教大学に入学。来日後まもなく「たやすく書かれた詩」など5編を友人に送っています。その後、同年9月には京都に移って同志社大学に入学しましたが、在学中の1943年7月、治安維持法違反の容疑で逮捕されました。

 なお、しばしば、尹の逮捕については、韓国語での詩作が治安維持法に違反したためという説明がなされることがありますが、実際には、韓国語の使用(だけ)を理由に治安維持法違反で逮捕されることはなく、尹の場合も、友人に対して、日本の朝鮮総督府の政策を批難したり、韓国独立の必要性を訴えたりしたことが、「民族意識の鼓吹・民族運動の煽動」にあたるとして、逮捕容疑とされています。

 その後、1944年2月に尹は従弟の宋夢奎ともには起訴され、同年3月、懲役2年の判決をうけて福岡刑務所に収監されましたが、翌1945年2月16日、27歳の若さで獄死しました。

 こうして、生前はほとんど無名のままに終わった尹東柱ですが、1947年、ソウルの京郷新聞に「たやすく書かれた詩」が紹介されたのを機に、翌1948年、詩や散文を集めた『空と風と星と詩』が刊行され、いちやく、その名を知られるようになります。一方、日本では、1984年、伊吹郷が『空と風と星と詩』を邦訳して紹介。その後、いくつかの翻訳が出版されています。ただし、“하늘”の語をそのまま“空”と訳すか、尹東柱がクリスチャンだったことを踏まえて“天”と訳すかなど、専門家の間でも議論が分かれているそうです。

 また、日本統治時代に治安維持法で逮捕され、若くして獄死したという経歴から、尹東柱に関しては、現在の韓国では“民族的抵抗の詩人”として評価されることが多く、「序詩」に登場する“星”についても、小倉紀蔵によれば、韓国人の象徴として「どんな風にも揺らぐことなく耐え、抵抗する確固たる民族の魂を、尹東柱はうたっているのだ。日本によってずたずたにされてしまったが、決してこわれることのない民族の言葉、心、生というものを、星という言葉に託してうたっているのだ」というのが教科書的な解釈なのだとか。

 まぁ、僕のような素人は、素直に字面を追って、詩の抒情性を味わえば十分なのではないかと、ついつい思ってしまうのですが、そういうことを言うと、かの国の学校のテストでは合格点をもらえないんでしょうなぁ。

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 朔旦冬至
2014-12-22 Mon 11:01
 きょう(22日)は冬至です。ことし(2014年)は、旧暦の11月1日の新月と重なる19年に1度の“朔旦冬至”にあたるということなので、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・パッシルトック

 これは、2002年6月15日、韓国で発行された「韓国の食」シリーズ第2集のうち、パッシルトックを取り上げた1枚です。切手の説明文はシルトック(甑餅)としか書かれていませんが、具体的には、シルトックのうち、小豆を使ったパッシルトックが取り上げられています。なお、シルトックの“シル”は甑(穴のあいた土器)、“トック”は餅の意味です。

 日本の餅は蒸かしたコメをついて作りますが、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。このうち、うるち米の粉を練って甑で蒸したのがシルトックで、新装開業や引越、子供が生まれた時などに近所に配る習慣がありました。

 ところで、日本では当時の食べ物というと南瓜のほか、銀杏・蓮根・蜜柑など、いろはの最後の「ん」のつく食材が挙げられていますが、韓国では小豆が食されます。これは、小豆の赤い色には厄除けの効能があると信じられていたためで、冬至の料理としては、特に、小豆粥(パッチュック)が定番です。現在の小豆粥は、小豆と米を一緒に炊いたものが主流となっていますが、もともとは、小豆スープの中にもち米団子(セアルシム)を年の数だけ入れて炊くのが伝統的なスタイルでした。

 ただし、旧暦11月10日以前に冬至がくる年は、例外として、小豆粥ではなく、蒸した小豆とシルトックを交互に積み重ねたパッシルトックを食べるのが伝統的な習慣となっていました。今年の場合は、朔旦冬至で、あきらかに11月10日以前の冬至ですから、小豆粥ではなく、切手に取り上げられたパッシルトックを食べるのが伝統に適ったやり方ということになります。


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 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
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 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

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 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 切手に描かれたソウル:韓電
2014-10-07 Tue 13:57
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月19日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、刊行日がソウル江南の韓国電力公社(以下、韓電)旧本社跡地の入札(結局、現代グループが落札しましたが)の時期にあたっていましたので、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      韓国・電力事業100年

 これは、1998年に韓国で発行された電力事業100年の記念切手で、ネオンサインを背景に原子力発電所の遠景を描いています。

 韓国における電気事業のルーツは、1898年の漢城電氣會社設立に求められます。

 1895年の閔妃暗殺事件の後、高宗は清涼里の洪陵に閔妃の墓所を築造し、しばしば墓参に訪れていましたが、多くの従者を連れての参拝には多額の費用が必要でした。これに対して、米国人技術者、ヘンリー・コールブランは、王宮から墓所まで路面電車を敷設し、普段は一般住民の移動手段とすることで、経費の削減と増収の一石二鳥を図れるとして、電車敷設を提案。これを受けて、1898年、王室と米国人技術者(コールブランとハリー・ライス・ボストウィックの2人)の共同出資で漢城電氣會社が設立されます。ちなみに、漢城電氣の資本金150万円は、コールブランとボストウィックが75万円、王室が75万円を負担する約束になっていたが、王室が実際に支払ったのは15万円だけでした。ただし、これに伴い、東大門の脇にソウルで最初の発電所が作られています。

 その後、1902年に漢城電氣の本社社屋が全焼したため、漢城電氣は全財産を担保として、本社を米国コネチカット州に置く韓美電氣會社に移管。1904年、同社は正式に韓美電氣に吸収合併されます。しかし、その韓美電氣も1909年には日系資本に買収され、同社が展開していた路面電車と電力ガス事業は日韓瓦斯電気株式會社が継承しました。

 日本統治時代の1915年、日韓瓦斯電気は京城電氣株式會社に社名を変更。その一方で、朝鮮内では、各地に小規模な電力会社が設立されていきましたが、1937年3月以降、経済統制の一環として電力会社の統廃合が行われ、最終的に、朝鮮電業、京城電氣、南鮮合同電氣の3社体制となります。なお、日本統治時代は、鴨緑江上流域など、朝鮮の電力需要は、主として現在の北朝鮮地域に設けられた大型発電所によってまかなわれていたため、解放後、それらの設備が北朝鮮の所有になってしまうと、韓国経済は大きなダメージを受けることになりました。

 1945年の解放後、韓国内の電気事業に従事していた日本人は米軍による帰国命令で全て引揚げましたが、電力3社体制はそのまま維持されます。その後、1961年に発足した朴正煕政権は経済再建のための最優先課題の一つとして、電力事情の改善に積極的に取り組むことになり、電力3社は合併され、韓国電力株式会社となりました。この韓国電力株式会社が、1982年に国有化されて発足したのが現在の韓電で、江南への本社移転も国有化に伴うものでした。

 1997年のIMF危機後の構造改革の一環として、段階的な電力の自由化が決定されると、2001年、韓電の発電部門は火力発電子会社5社と水力・原子力発電を担う韓国水力原子力発電の計6社に分割され、同時に韓国電力取引所(KPX)と独立規制機関である韓国電力委員会(KEC)が設立されましたが、実際には、株式市況の悪化から配電部門の民営化は中止され、2010年、韓電は市場型公営企業として政府の管理下に置かれることになりました。

 韓国政府の地方振興策の一環で今年11月をめどに全羅南道羅洲に本社を移転する計画は、ことになっているが、この間の2005年に決定されました。なお、記憶に新しいところでは、2011年9月、電力需要予測の甘さから、韓国全土で大停電が発生し、当時の李明博大統領が江南の韓電本社に怒鳴り込む一幕もありましたな。そういえば、日本でもお遍路総理が東日本大震災後の原発事故の混乱の最中に現場に乗り込んで事態をより一層混乱・悪化させたという事例がありましたが、暗愚の指導者というのは、どこでも同じことをやるということなんでしょう。


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 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月第2週より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。とりあえず、10月4・5日は、その前宣伝として内藤のインタビューが配信となりました。前篇後篇、それぞれ、青字をクリックしていただけるとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
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 パリーグはソフトバンクが優勝
2014-10-03 Fri 17:46
 プロ野球のパリーグはソフトバンクがリーグ優勝しました。というわけで、セリーグの巨人優勝の時の先例に倣って、“タカ”にまつわる韓国ネタということで、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます) 

      韓国・ハヤブサ

 これは、1999年6月5日に韓国が発行した“絶滅の恐れがある種の保護”の切手のうち、韓国語でいう“매(メー)”を取り上げた1枚です。

 一般に、韓国語の辞書等では、“매”の語には日本語で“タカ(鷹)”の訳語が付けられているので、僕もこの切手については、単純に鷹が描かれているものとばかり思っていたのですが、念のため、ラテン語の学名表記“Falco peregrinus”を確認してみたところ、これは日本語では“ハヤブサ”を意味する語となっていました。まぁ、日本同様、韓国でも“鷹狩”が行われていますし、日本でも、“鷹狩”にハヤブサが用いられることもありますので、“メー”は鷹狩に使う鳥だと割り切って考えてしまえば良いということなのかもしれません。

 鷹狩に使う“メー”は、年齢によって呼び名が異なっており、生まれて1年目はカルチゲ、2年目はチョジに、3年目はサンジニと呼ばれます。このうち、サンジニになってしまうと動作が鈍くなるので、狩りにはチョジニが最適だそうです。また、巣立ったばかりの1年に満たない雛をつかまえて、鷹狩用に育てたものはポラメと呼ばれて区別されます。

 また、ソウルにある鷹峯の地名は、朝鮮王朝時代、国王がそこで鷹を使って雉狩りをしていたことにちなんだものですが、このことなどは、「鷹馬弓妓」と総称される男たちの道楽のうち、鷹狩が最も格の高い遊びとされていたことの名残と言えましょう。

 なお、「鷹は飢えても穀物を食べない」「鷹は死肉を食べず、身ごもっている動物は捕えない」とされるところから、かつての朝鮮半島では、人格の高潔な人を鷹になぞらえることもあったそうです。また、漢字の“鷹”と“英”の発音が同じことから、雄の鷹を1羽描くことで“英雄”を意味するというのが、伝統絵画の作法とされています。

 そういえば、以前の記事で、旧大韓帝国時代の切手をご紹介した際に、「切手に描かれている鳥は、以前は鷹と考えられていましたが、近年、韓国では鷲とするのが一般的なようです」と書いたことがあります。その当時は、韓国空軍や延世大学のシンボルも鷹ではなく鷲とされていることから、切手に描かれた鳥が鷹から鷲に変わるのも無理からぬことかとも思っていたのですが、もしかすると、そうした変化の背景には、鷹に込められていた“高潔さ”や“英雄”といった意味が韓国社会では忘れられてしまったという事情があるのかもしれません。


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 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・現代コリア事情 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:兄弟の像
2014-08-12 Tue 06:31
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月25日号が発行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は、先ごろ、“ワンピース展”騒動で問題となった戦争記念館にちなんで、同館の“兄弟の像”を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      兄弟の像     戦争記念館 兄弟の像(実物)

 左は、2001年にミレニアムシリーズ第11集の1枚として韓国発行された“兄弟の像”の切手で、右側は、その実物の画像です。

 “兄弟の像”は、戦争記念館の敷地に入ってすぐのところにあるドーム型の施設の上に建てられている銅像で、南北分断によって生き別れとなっていた兄弟が、朝鮮戦争の戦場で、韓国軍の将校(兄)と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士(弟)として劇的に再開した場面を表現しています。

 ドーム内に掲げられていた説明版によると、像の足元にあるドームは、“殉国先烈”の犠牲を表現するものとして、韓国全域から集めた花崗岩を古墳の形に積み上げたもので、ドーム入口の亀裂には南北の分断と統一の念願が込められているそうです。また、ドームの内部には「韓民族の精新(精神の誤植ではないかと思うのですが…)と国難克服を現したモザイク壁画」や「朝鮮戦争(ママ)当時戦闘部隊を派兵した16ヶ参戦国運軍(これは明らかに“国連軍”の誤植でしょう)国家の地図造形(造形“板”の誤植か)」などが置かれています。さらに、天井に配されたいくつかの鎖は、「南北が二度と分断されない為の統一の結束を表現」しているのだそうです。せっかくなので、ドーム内部の画像も下に貼っておきます。

      戦争記念館・ドーム内

 さて、ドーム内には、以下のような韓国語・英語・日本語の3ヶ国語表記の案内板が掲げられています。

      戦争記念館・ドーム内説明文

 クリックで拡大していただけるとお分かりいただけると思いますが、この説明文には、上記の引用箇所以外にも、ひらがなの“め”が“あ”になっている箇所(たとえば、“込められて”とすべきところが“込あられて”となっているなど)や、主語の“は”が“な”となっている箇所(例えば、“兄弟の像は”とすべきところが“兄弟の像な”となっている)など、かなり誤植が目立ちます。まぁ、民間のお土産物屋などでの怪しげな日本語表記はご愛嬌ともいえましょうが、曲がりなりにも、韓国のために尊い命をささげた先人を偲ぶ厳粛な施設なのですから、日本人参観者の失笑を買わぬよう、きちんと修正していただきたいものです。

 さて、今回のワンピース騒動ですが、もともとは、7月12日から戦争記念館で開催予定だった日本の人気漫画「ワンピース」の特別展が、会期直前の9日になって、突如、原作に“旭日旗を思わせるイメージ”が数回登場することを理由に、特別展を企画したイベント会社に対して中止を通告したのが発端です。

 これに対して、イベント会社が開催中止の通報の効力停止と展示妨害の禁止を求める仮処分を申請。ソウル西部地方裁判所は、17日、契約通り開催すべきだとの決定を出しています。裁判所の決定文は、「ワンピース」は長編漫画であり、そのごく一部に旭日旗に似た絵が描かれているとの理由で「日本の帝国主義をほめたたえる漫画とは言えない」と指摘。日本では旭日旗に似たデザインは帝国主義とは関係なく大漁旗などにも使われているとし、原作では主人公と敵対するキャラクターを描く場面で主に使われており、「むしろ否定的なイメージを表現している」との判断を示したうえで、契約内容を踏まえても、戦争記念館側が一方的に開催を中止することはできないと結論づけています。

 予定されていた展示物の中には、旭日旗を思わせるものが含まれていなかったこととあわせて、極めて常識的な判断で、多くの韓国国民にとっても納得のいくものではないかと思います。

 昨今、韓国国内の一部には、赤色で放射状に線がデザインされた日本関連のモノを何でもかんでも“旭日旗”に結び付けて攻撃する風潮があります。その多くは、どう見てもこじつけにしか思えないナンセンスなものですが、クレーマーの多くはかなり執拗で粘着質なので、クレームを受けた側はトラブルが長引くことを嫌い“自粛”して早々に幕引きを図るケースが多いようです。

 戦争記念館の今回の対応も、原作に旭日旗が登場するとの外部からの指摘を受けた結果だそうですから、おそらく、そうした背景があるのでしょう。

 裁判所の決定を受けて、当初、戦争記念館側は「ワンピース」展への会場の貸し出しを拒否する方針に変更はなく、仮処分に対する異議申し立てを行うことなどを検討しているとしていましたが、結局、地裁のお墨付きを得た格好で、7月26日から「ワンピース展」は開催されています。

 いずれにせよ、戦争記念館に関しては、朝鮮戦争の英霊たちを真摯に追悼する気持ちがあるのなら、(もしまだ修正されていないのなら)まずは誤植だらけの案内板を修正していただきたいものだと、拙著『朝鮮戦争』を刊行したばかりの僕としてはついつい思ってしまいますな。

        
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 切手に描かれたソウル:楽全斎
2013-12-16 Mon 11:16
 ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、『東洋経済日報』11月22日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の11月22日が、いまから半世紀前の1963年に朝鮮王朝最後の皇太子で、当時の李王家の当主、李垠・方子夫妻が56年ぶりに韓国へ帰国した日にあたっていましたので、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       昌徳宮シート

 これは、2001年に韓国で発行された“世界遺産・昌徳宮”の小型シートです。昌徳宮そのものは以前にも「切手に描かれたソウル」の連載でも取り上げたことがあるのですが、今回は、シート余白の左下に見える楽全斎を取り上げたくて、このシートをご紹介しました。

 朝鮮王朝最後の皇太子・李垠は、朝鮮王朝が大韓帝国と改称した1897年、皇帝・高宗の第7子として生まれました。1907年7月、いわゆるハーグ密使事件で父親が退位に追い込まれ、異母兄の純宗が皇帝として即位すると皇太子となりましたが、同年12月には“日本留学”のため、ソウルを後にしています。

 1910年の日韓併合後は、日本の王族として皇族に準じる待遇となり、陸軍幼年学校・同士官学校で教育を受けて、1917年、少尉に任官。1920年、日本の皇族・梨本宮家の方子女王と結婚します。“内鮮一体”のための政略結婚でしたが、2人の間には真の愛情がはぐくまれたそうです。

 日本の敗戦後は、1947年には李王(1926年の純宗崩御により身分を継承)の地位を失ったばかりか、日本国籍も失い、邸宅(2011年まで赤坂プリンス・ホテルの旧館として用いられていたことは有名です)をはじめ資産の売り食い生活を余儀なくされます。また、朝鮮戦争中の1950年、マッカーサーとの会見のために来日した李承晩に祖国への帰国を要望するも、李承晩は旧李王夫妻の帰国によって自らの地位が危うくなると考え、帰国を歓迎しないと応じたため、李垠は帰国を断念せざるを得ませんでした。

 その後、1959年に李垠は脳梗塞で倒れたのを機に、その後遺症に悩まされるようになり、1961年には築地の聖路加病院に入院します。

 この間、1960年に李承晩は学生革命によって政権の座を追われてハワイに亡命。混乱の後、1961年に権力を掌握した朴正煕は、翌1962年、李垠の韓国籍を回復させ、方子も韓国籍を取得しました。

 1963年に入ると李垠の容体は悪化し、5月には東京・赤坂の山王病院に入院。このため、朴正煕は李垠夫妻に韓国での生活費や療養費を政府が保証するので、帰国されたしと連絡し、11月22日、李垠夫妻の帰国が実現します。しかし、重病の床にあった李垠にはすでに意識はなく、ソウルの聖母病院に直行。そのまま、1970年に亡くなりました。

 一方、方子は、昌徳宮内の楽善斎(朝鮮王朝時代、王の妻妾などが、王の死後、余生を過ごした建物)を住居として、趣味で作っていた七宝焼を売るなどして資金を稼ぎ、福祉活動に専念。知的障害児施設の明暉園や知的障害時養護学校の慈恵学校を創設・運営し、韓国の国民から「韓国障害児の母」として尊敬を集め、1981年には韓国政府から牡丹勲章を授与されました。

 1989年4月30日、彼女は87歳の波乱の生涯を閉じますが、その葬儀は韓国皇太子妃の準国葬として執り行われ、日本からも三笠宮ご夫妻が参列されています。また、当時の盧泰愚政権は、韓国国民勲章槿賞(勲一等)を追贈しました。

 今回ご紹介の切手は、昌徳宮を題材としたもので、切手本体には、王宮の中心となる仁政殿と公式の執務の場である宣政殿が取り上げられていますが、そのシート下部左側の余白には、隣接する昌慶宮側から見た楽善斎の特徴ある屋根がしっかりと取り上げられています。

 建物としての本来の性格上、王宮の他の建物とは異なり、楽全斎は丹青(五色の彩色)が塗られていない、質素な外観であす。したがって、ビジュアル面だけでいえば、王宮内の数ある建物の中で、楽全斎を取り上げるべき必然性はないと考えるのが自然でしょう。

 それにもかかわらず、あえて、仁政殿と宣政殿の切手と並べて、シートの余白に楽全斎が見えるような構図が採用されたのは、やはり、楽全斎から連想される李方子への感謝の思いがさりげなく表された結果とはいえないでしょうか。少なくとも、当時の韓国政府には、そうした意識があったのだと思いたいところです。

 なお、『東洋経済日報』の連載は、紙面の都合で12月は救済となります。次回は年明け1月の掲載になりますので、よろしくお願いします。 


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 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 切手に描かれたソウル:松餅
2013-10-12 Sat 16:39
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月20日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は刊行日の20日が秋夕の連休中だったことから、この切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       松餅

 これは、2002年に発行された「韓国の食」シリーズ第2集のうち、秋夕の代表的なお菓子である松餅を取り上げた1枚です。

 松餅は、米粉で作った皮の中にゴマや豆、小豆、栗、ナツメなどを入れて、松葉を敷いた蒸し器で蒸す餅菓子。松葉を使うのは、もともとは蒸し器の中で並べた餅がくっつかないようにするための知恵でしたが、松葉の香りが餅に移り、上品な味に仕上がるという効果があります。また、松葉は防腐作用があることから仙人食ともいわれており、そうしたことが重なって、秋夕に欠かせないものとなったのでしょう。

 なお、若干補足しておくと、日本の餅は蒸かしたコメをついて作りますが、朝鮮半島の伝統的な餅は米粉を水で溶いたものを捏ねて作るもので、日本語でいうと、餅よりも団子に近いものです。このスタイルの餅をめぐる歴史的なエピソードとしては、たとえば、李王朝の創始者・李成桂を憎んだ旧高麗の遺臣たちが開城で雪だるま型の“李成桂餅(チョレンイ・トック)”を作り、その首にあたる部分をちょん切りながら食べて恨みを晴らしたという事例が有名です。

 さて、松餅は朝鮮半島全域で作られていますが、色や形などにはさまざまなバリエーションがあり、一般には、北に行くほど一つの餅が大きくなり、南に行くほど小さくなる傾向があるそうです。

 このうち、切手に取り上げられているものは、黄色と緑、白の3色セットで、一般的な半月形をしています。これは、米粉に色をつけて、3色または5色の松餅を作るという京畿道(ソウルも含む)のスタイルに合致しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 なお、かつては秋夕の代名詞だった松餅ですが、現在では、ソウル市内のデパートなどで年間を通じて買うことができるほか、地下鉄1・3・5号線の鐘路3街の周辺には、青瓦台御用達の名店、楽園餅店をはじめとして韓国菓子の店が軒を連ねています。おそらく、担当デザイナーのキムヒョン氏もそのうちの一軒で松餅を買ってきて原画を制作したのではないかとみているのですが…。次回のソウル行きの際には、切手のモデルになった餅を探して歩いてみることにしますかね。
  

 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 切手に描かれたソウル:ワールドカップ競技場
2013-07-29 Mon 08:30
 サッカーの東アジア杯は、きのう(28日)、ソウルの蚕室総合運動場(いわゆるオリンピック・スタジアムです)で最終戦が行われ、日本代表が2-1で韓国代表を下し、東アジア杯初優勝を飾りました。で、ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月19日号に掲載の「切手に描かれたソウル」では、刊行日翌日の7月20日からソウルでサッカー東アジア杯が開かれたことにちなみ、大会初戦が行われたワールドカップ競技場の切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

       ソウル・ワールドカップ競技場

 これは、2002年に行われた日韓共催のサッカー・ワールカップに先立ち、2000年11月24日に発行されたワールドカップの競技場の切手のうち、ソウルのワールドカップ競技場を取り上げた1枚です。まぁ、実際に競技場が完成したのは2001年11月のことで、切手発行時にはまだ競技場は出来上がっていませんでしたから、正確には、完成予想図を取り上げたというべきかもしれませんが…。

 さて、2002年ワールドカップの日韓共催は1996年5月に決定されましたが、その後、韓国の経済低迷によって、日本単独開催が現実の問題として検討されるようになります。1997年後半、韓国はアジア通貨危機に巻き込まれて経済危機に陥り、 IMFの管理下に入ったためです。

 しかし、その後は、日本を中心としたIMF経由の金融支援や金大中政権による財閥解体などの構造改革によって、大量の失業者は発生したものの、経済は急速に回復し、なんとか、韓国の開催返上は避けられる見通しとなりました。

 ただし、経済危機からの脱却は、対米輸出に大きく依存したものであったため、2001年9月に米国で同時多発テロが発生し、対米輸出が大幅に減少すると、韓国経済は再び失速。この結果、韓国でのスタジアム建設も大きく滞ることになります。

 ワールドカップの韓国での大会開催都市は、日本と同じ10ヵ所。国内の大都市(ソウル特別市と国内6ヶ所の広域市)を網羅していましたが、これは、地域対立を煽らないようにとの配慮から、人口の少ない江原道を除いて全国に万遍なく配置した結果でした。もっとも、当時の韓国の国家規模は、人口では日本の約4割、GDP(国内総生産)では日本の約6分の1しかありません。したがって、日本と同じスケールでスタジアムを建設し、整備するのは、韓国経済が好調なときであっても国力に比して大きな負担であり、ましてや、経済状況が落ち込んでいる時には、客観的に考えれば無謀な計画といって良いでしょう。

 しかし、2001年9月に同時多発テロ事件が生きた時点では、すでに大会開催まで1年を切っており、チケットの販売も始まっており、もはや、開催地の変更は不可能な状況でした。

 このため、日本政府は、韓国での大会開催は韓国経済回復の起爆剤になる(=結果的に、日本へのマイナスの影響も減じられる)との判断から、30億ドルを韓国に融資。この資金によってスタジアム建設が続けられ、日韓共催も実現にこぎつけたという事情がありました。

 こうした経緯を考えると、ともかくも切手に描かれたスタジアムが幻に終わらずに済んで、おそらく、関係者も安堵したに違いないでしょうな。もっとも、収集家としては、かつてのES細胞の切手の時のように、回収騒動が起こるなどの事件があれば、それはそれで楽しめたんですけれど…。

 そういえば、昨日の試合では、開始早々、韓国側応援席の2階から「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた巨大な横断幕が掲げられたそうです。横断幕は日本語ではなく韓国語で書かれていたということなので、日本人にではなく韓国人に向けて、「日本からの過去の支援を忘れて、愚かな反日行動に走れば国家の自滅だ」と呼びかけるためのものだったんでしょう(棒読み)。今回ご紹介したようなエピソードは、それこそ、韓国現代史においては山のようにあるのですから、

 なお、このあたりの事情については、拙著『韓国現代史』でもいろいろとまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 切手に描かれたソウル:明洞聖堂
2012-12-23 Sun 15:10
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』12月14日号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回はクリスマスの時期に合わせて明洞聖堂を取り上げました。その記事の中から、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        明洞聖堂

 これは、2000年11月1日に韓国で発行されたミレニアム・シリーズ第8集のうち、明洞聖堂を取り上げた1枚です。ついでに、今年8月にソウルに行った際に撮影した明洞聖堂の正面と内部のステンドグラスの画像を下に貼っておきましょう。

        明洞聖堂(正面)     

 明洞聖堂は、ソウルを代表するカトリックの教会建築であり、韓国最初のレンガ聖堂として史跡第258号に指定されています。

 一般に、韓国におけるカトリックの歴史は、1784年、外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国したことにはじまるとされています。ただし、李承薫が最初に礼拝所を建設したのはソウルではなく平壌でした。

 朝鮮王朝の下では、“天主教(=カトリック)”はながらく邪教として弾圧されていましたが、1876年の開国に伴い、欧米諸国との外交上の必要から、キリスト教の禁止は解除されます。この結果、韓国内でも、新たにプロテスタントの宣教師も加わって新旧キリスト教の宣教が本格化。朝鮮王朝末期の1890年から1910年にかけて、カトリックとプロテスタントを合わせた全クリスチャン人口は1万7842名から24万869名へと飛躍的に増加しました。

 こうした時勢を反映して、1882年、フランス人のプルラン司教は明洞に聖堂の建設を計画。現在の明洞聖堂の土地の一部を購入します。

 司教は、まず、この地に私塾を設けて予備神学生を養成しながら機会をうかがい、1886年に韓仏修好条約が調印されると、翌1887年5月、私塾の敷地に隣接する土地も購入して、現在の聖堂の敷地全域を確保。同年秋以降、信徒を動員して整地作業に乗り出しました。ところが、朝鮮王朝は首都の風水に並々ならぬこだわりを持っており、丘を削っての整地作業は地脈を乱すとして反対したため、工事は難航。その心労もあってか、1890年にはプルランも亡くなってしまいます。

 プルランの後を継いで赴任したトゥセは苦心の末に聖堂建設に対する宮廷の理解を得ることに成功し、1892年5月、国王(高宗)隣席の下、ようやく聖堂の起工式が行われました。

 聖堂の設計と工事の実務的な指揮監督はフランス人司祭のコステが担当することになりましたが、こんどは、1894-95年に日清戦争が勃発し、日清両軍が朝鮮を舞台に戦闘を展開。戦後の1896年には建設責任者のコステが亡くなるというアクシデントが重なり、聖堂建設は遅々として進まず、1898年5月、コステの後任となったプワネル神父の指導の下、ようやく工事は完了しました。

 完成した聖堂は、装飾的な要素を排除した純粋なゴシック様式で、上から見るとラテン十字架形になっています。本堂の高さは23m、鐘塔の高さは45m。聖堂内は三廊式になっており、前方の祭壇には中心に聖母子像が、向かって右側に聖ベネディクト像、左側に韓国最初の司祭、金大建の像が祀られています。なお、祭壇の下は地下聖堂となっていて、朝鮮王朝の弾圧で殉教した聖人5名をはじめとする聖骸が安置されています。(下の画像は、聖堂内部と金大健の像です)

         明洞聖堂・内部      明洞聖堂・金大健

 教会内で目を引くステンドグラスは、もとはフランスのベネディクト修道会の修道士によって制作されたものですが、傷みが激しくなったため、1982年、李南奎によって復元されました。(下の画像はステンドグラスの一部)

         明洞聖堂・ステンドグラス

 ちなみに、先ごろ、当選を果たしたばかりの朴槿恵次期大統領は、カトリックのイエズス会が創設した西江大学の卒業生ですが、信仰としては無宗教だそうです。
 

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 切手に描かれたソウル:成均館
2012-10-10 Wed 11:15
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』9月28号が刊行されました。僕の月1連載「切手に描かれたソウル」では、今回は掲載日にあわせて、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       成均館

 これは、1998年に発行された成均館600年の記念切手です。掲載日の9月28日は孔子の誕生日を陽暦に直した日に相当しており、成均館大学校の大成殿では釈奠大祭(孔子の誕生祭)が行われることにちなんでのチョイスです。

 孔子の誕生日を祝うイベントは、東アジアの儒教文化圏では幅広く行われているが、中でも、成均館の釈奠大祭は古い時代の形式がよく保存されているのが特徴とされています。

 成均館は、もともと、高麗王朝の最高教育機関であった国子監で、1298年に成均監、1308年に成均館と改称されました。高麗時代の成均館は開城(高麗の首都で、現在は北朝鮮の支配下に置かれている)にあり、その跡地は、北朝鮮の高麗博物館が置かれています。

 さて、1392年、李氏朝鮮が建国され、首都が漢城(ソウル)に移されると、1398年、成均館も首都に移転し、崇教坊(現在の鐘路区明倫洞)に新たな学舎が建設されました。

 敷地内のメインの建物である文廟は、孔子とその直弟子、さらに、中国・朝鮮半島の偉大な儒学者の位牌を奉納した祠堂で、正殿である大成殿と左右の東廡・西廡、三門から構成されています。このほか、敷地内の主な施設としては、明倫堂(講義室)、東斎・西斎(学生寮)、尊経閣(図書館)などがあります。

 1398年の建物は、わずか2年後の1400年に火災で焼失。1407年に再建されたものの、16世紀末の文禄・慶長の役で焼失しました。ちなみに、開城の高麗博物館の前には「壬申祖国戦争(文禄・慶長の役)で日本軍に破壊されたものを再建し……」との北朝鮮当局の説明板が掲げられていますが、ここで問題になっている建物は高麗時代のもので、成均館がソウルに移転した後は、地元の地方教育機関として利用されていたものです。

 文禄・慶長の役の後、成均館の儒者やOBの官僚たちは資金を集め、まず、1601―02年に大成殿を再建。ついで、1603-04年に東廡、西廡、神門、中門を、1606年に明倫堂と東齋、西齋を再建しました。現在の建物は、1869年の大補修の後のモノです。

 今回ご紹介の切手は、1998年9月25日、釈奠大祭の時期に合わせて発行されたものですが、釈奠大祭の会場となる正殿の文廟・大成殿ではなく、講義が行われていた明倫堂が大きく描かれています。やはり、教育機関としての性格を考えると、切手に取り上げるのは、こちらの方がふさわしいと判断されたのでしょう。なお、切手では建物の背景に銀杏の木が描かれていますが、例年、ソウルの紅葉(黄葉)は10月中旬から少しずつ始まり、11月初旬にピークを迎えるので、その頃に現地を訪れれば、切手と同じような景色が拝めると思います。

 さて、かねてご案内の通り、10月後半から、都内2ヵ所のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で、“T-moneyで歩くソウル歴史散歩”と題する一般向けの教養講座を行います。ソウルの紅葉(黄葉)スポットについても、実際の写真をお見せしながらいろいろとご紹介する予定ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(詳細は下記ご案内ならびにリンク先ページをご覧ください)

 * 昨日(9日)、カウンターが111万PVを越えました。いつも閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00 
 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30



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