内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ワイン・ガードナー容疑者逮捕
2016-10-17 Mon 11:36
 オートバイのロードレース世界選手権(WGP)元王者ワイン・ガードナー容疑者(以下、呼称略)が、きのう(16日)、栃木県茂木町のサーキット「ツインリンクもてぎ」敷地内の道路上で、自動車の接触事故でトラブルになっていた男性ら3人の胸ぐらをつかんだとして、暴行の疑いで現行犯逮捕されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・ガードナー(2004)

 これは、2004年にオーストラリアが発行したオートバイ世界選手権王者の切手のうち、“ブルー・サンダー”のニックネーム通り、青いマシンを駆って走るガードナーを取り上げた1枚です。

 ワイン・ミシェル・ガードナーは、1959年10月11日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ウロンゴン生まれ。1980年、オーストラリア国内レースで走っていた際、日本のモリワキの代表である森脇護に才能を見いだされ、翌1981年、モリワキから英国のTT-F1に参戦するとともに、3月にはAMAのデイトナスーパーバイククラスに出場しZ1R-IIで4位に入賞。6月には全日本選手権の鈴鹿200kmレースで優勝したほか、同年の鈴鹿8時間耐久オートバイレース(鈴鹿8耐)でモリワキ・モンスターに乗り驚異的な予選タイムを記録し(決勝では60周回目に首位に立ったものの、その後転倒しリタイヤ)、注目を集めました。

 1983年の第8戦オランダGPでWGPデビュー。1987年の500ccクラスでオーストラリア人初の総合優勝を果たし、以後、鈴鹿8耐での4勝を含め、1992年第11戦イギリスGPのレースでの勝利を花道に引退するまでに、ホンダのバイクで通算18勝を記録しました。

 その後、1996年に4輪レースに転向し、母国オーストラリアでワイン・ガードナー・レーシングチームを結成。V8スーパーカー、ル・マン24時間レース、全日本GT選手権等に参戦し、1999年、2001年にそれぞれ1勝を挙げた後、2002年シーズンをもって現役を引退しました。

 引退後は2人の息子をライダーとして育てるべく、オーストラリアで「チームガードナーレーシング」を結成。今回の来日も、日本GP決勝に出場した息子のレミー・ガードナーの応援が目的だったそうです。

 今回の逮捕について、ガードナーは「自分の体をつかんだ腕をふりほどこうとして体をゆすっただけ」などと容疑を否認していますが、いかんせん、現行犯逮捕ですからねぇ。

 かつて主要国の切手には、国家元首を除き生存中の人物については、何が起こるかわからないので、原則として切手には取り上げないという不文律がありましたが、近年は切手も商業主義的な傾向が強まり、そうした制限を撤廃して、発行時にリアルタイムで活動している(いた)芸能人スポーツ選手も積極的に切手に取り上げるようになりました。もちろん、切手に取り上げられた芸能人やスポーツ選手の大半は犯罪とは無縁のまま生涯を終えるわけですが、今回のような事件が起きると、やはり、個人を顕彰する切手は、かつてのように、その人が亡くなってからにした方がいいんじゃないのかなぁ…と思ってしまいますな。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 ANZAC DAY
2015-04-25 Sat 18:20
 きょう(25日)は、第一次大戦中の1915年4月25日、オーストラリア・ニュージーランド軍団(アンザック ANZAC:Australia New Zealand Army Corps)がガリポリ半島に上陸したことを記念したアンザック・デイです。というわけで、今年はちょうど100周年でもありますし、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        オーストラリア・アンザック(1935)

 これは、1935年、アンザックのガリポリ上陸20周年を記念してオーストラリアが発行した記念切手で、ロンドンのホワイトホール(シティ・オブ・ウェストミンスター内を南北に走る道路で、軍事関連の施設が多い)にあるアンザック顕彰碑が描かれています。

 1914年8月5日、英本国はドイツと戦争状態に突入し、大英帝国にとっての第一次世界大戦が始まります。

 大戦の勃発とともにオーストラリア海軍は英本国の指揮下に置かれ、オーストラリア連邦政府は、連邦領土に隣接するドイツ領ニューギニア占領するための部隊を編成するとともに、海外派兵を目的とするオーストラリア軍団の設立を正式に決定しました。

 オーストラリア兵は、1914年11月、ニュージーランド兵とともに“アンザック”ANZAC”として西オーストラリアのアルバニーを出港。1915年4月25日、ダーダネルス海峡北岸のガリポリ半島に展開するトルコ軍戦線を突破するため、英本国の部隊とともに半島南端に上陸しました。

 ちなみに、当時のオーストラリア海軍は、1911年に発足したばかりで弱小であったため、南洋群島を含む広大な“ニューギニア保護領”を領有するドイツと戦い、オーストラリアの通商航路を確保するためには、西太平洋最大の海軍力を持つ日本の協力が不可欠でした。実際、この時期、オーストラリア海軍が太平洋を自由に航行しえたのは、日英同盟による日本の海軍力が彼らの安全を保証していたからで、アンザック兵や物資・食料を運ぶオーストラリア船の護衛を日本海軍が担当することもありました。

 さて、ガリポリの戦いは、純粋に軍事的な見地からすれば、オスマン帝国の予想外の頑強な抵抗にあって、英側は3万3000人以上の戦死者を出して撤退しており、アンザックにとっても負け戦です。したがって、英本国にとっては、どちらかというと“歴史上の汚点”ともいうべき出来事であって、積極的に評価すべきこととは言えません。

 しかし、オーストラリアとニュージーランドの両国にとっては、初の本格的な海外遠征であったことに加え、5万人のANZACが勇敢に戦って8000人の犠牲を出したこと(ただし、単純な戦死者数でいえば、英本国の方がはるかに多いです)は、両国のアイデンティティと愛国主義形成にとって重要な契機となりました。

 このため、上陸1周年にあたる1916年4月25日には、ガリポリ半島で軍による戦死者追悼の式典が行われたほか、1920年代中頃にアンザック・デイがオーストラリアの祝日として各州に広まりました。現在では、アンザックデイは、ガリポリの戦いの犠牲者のみならず、第二次大戦朝鮮戦争など、両国が関わった全ての戦没者慰霊の日として、両国にとって最も重要な記念日とされています。

 なお、このうちの朝鮮戦争におけるアンザック軍については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 * 本日の浅草でのトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様ならびにスタッフの方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 世界の寄附金つき切手(新連載)
2015-01-06 Tue 13:23
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『キュリオマガジン』2015年1月号から、新連載「世界の寄附金つき切手」を始めました。文字通り、世界の寄附金つき切手のうち、名品と呼ばれるものを1年間にわたってご紹介していこうという内容です。で、初回の今回は、オーソドックスにこの切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

      ニューサウスウェールズ・寄附金つき

 これは、1897年にオーストラリアのニュー・サウス・ウェールズで発行された世界最初の寄附金つき切手のうち。高額の2ペンス半切手です。

  ニュー・サウス・ウェールズはオーストラリア東南部の州で、同国最初のイギリスの入植地です。州都のシドニーはオーストラリア最大・最古の都市で、2000年にはオリンピックも開催されたことで知られています。なお、今回ご紹介の切手が発行された当時のオーストラリアでは、州ごとに切手が発行されており、オーストラリア連邦として統一された共通の切手が発行されるようになるのは、1913年のことでした。

 さて、そのニュー・サウス・ウェールズでは、ヴィクトリア女王の即位60周年にあわせて、1897年6月、結核療養施設の基金を集める目的で、今回ご紹介しているような豪華な寄附金つき切手を発行しました。これが、世界で最初の寄附金つき切手となります。

 切手の額面はそれぞれ1ペニーと2ペンス半ですが、その12倍(当時の英国および英領の多くは12進法です)の1シリング(12ペンスに相当)と2シリング6ペニーで販売され、その差額分が結核療養施設にあてられました。

 額面に比べてはるかに高額で販売するということもあって、これらの切手は、当時としては珍しい多色刷(凸版)で、2ペンス半の切手には目打部分に金色も用いられています。ただし、切手上には女王の即位60年を示す表示や結核療養施設などの文字はあるものの、肝心の売価の表記はありません。

 なお、雑誌『キュリオマガジン』は全国の書店、切手・コイン商のほか、インターネット書店でもお求めになれます。実物をお見かけになりましたら、ぜひ、お手に取ってご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 AC/DC のドラマー逮捕
2014-11-06 Thu 23:13
 オーストラリアのハードロックバンド“AC/DC”のドラマー、フィル・ラッドが、第三者を使って男性2人を殺害する計画を立てていた容疑で、きょう(6日)、ニュージーランド警察に逮捕されました。なお、ラッドには、このほか、覚醒剤や大麻の所持、殺害を脅迫した疑いがもたれているそうです。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・AC/DC(2013)

 これは、昨年(2013年)、オーストラリアで発行された「オーストラリア音楽の伝説」の切手のうち、“AC/DC”の代表作 Back in Black のジャケットが取り上げられています。

 AC/DCは、1973年12月、アンガス・ヤングとマルコム・ヤングのヤング兄弟を中心にシドニーで結成されました。1975年1月、最初のアルバムとして High Voltage をリリース。オーストラリア国内で実績を重ねた後、1976年、アトランティック・レコードと世界規模のレコード契約を結び、 High Voltage と2枚目のアルバム T.N.T. の楽曲から再構成されたコンピレーション・アルバム High Voltage (デビュー・アルバムと同名)を全世界でリリース。その成功により、世界的なミュージシャンとして認知されました。

 また、1980年に発売された6作目の Back in Black は、現在までの総売り上げが4900万枚を超える大ヒット作となり、マイケル・ジャクソンの『スリラー』、ピンク・フロイドの『狂気』に次いで世界で3番目に売れたアルバムとなっています。今回ご紹介のオーストラリア切手にこのアルバムのジャケットが取り上げられているのも、そうした事情を踏まえたものです。

 今回逮捕されたフィル・ラッドは、1954年、メルボルン生まれ。AC/DCには、結成後まもない1975年に加入し、自身の薬物問題やマルコム・ヤングとの対立により、1983年に脱退するまで、初期のバンドをドラマーとして支えていました。その後、ラッドはニュージーランドのタウランガのヘリコプター会社を買収し、隠退生活を送っていましたが、1991年にバンドに復帰し、現在まで活動を続けていました。
 
 AC/DCといえば、ことし(2014年)9月24日、マルコムが認知症を患っていることが発表されたばかりで、このため、12月に発売予定のアルバム Rock or Bust では、マルコムの代わりに甥のスティーヴ・ヤングが代役を務めて制作が進められており、来年(2015年)はワールド・ツアーも計画されています。今回のラッドの逮捕で、そうした新作の発売やツアーの予定がどうなるのか、この記事を書いている時点では、まだ発表がないのですが、こういう形で“伝説のバンド”が表舞台から消えていくことになるとしたら、何とも残念な話です。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(都合により、12月はお休みをいただきます)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 ニューギニアの戦没者を悼む
2014-07-11 Fri 20:51
 オセアニア歴訪中の安倍首相は、きょう(11日)午前、パプアニューギニア北部のウェワクで、旧日本軍を含む第二次大戦中の戦没者の慰霊碑に献花しました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ミルン湾MC

 これは、1992年、1992年にオーストラリアが発行した第二次大戦50年の記念切手のうち、ニューギニアでの激戦地であるミルン湾上陸作戦の切手を、その戦死者を悼むオーストラリア兵を取り上げた官製絵葉書に貼って記念押印したものです。

 いわゆる太平洋戦争の開戦後、日本側が制海権を掌握し、南方とのシーレーンを確保するためには、委任統治領のトラック(チューク)諸島にあった海軍基地が有効に機能していることが大前提となっていました。そこで、開戦早々の1942年1月22日、トラック防衛のため、日本軍はニューブリテン島のラバウルに上陸し、ここを攻略して前進拠点とするとともに、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領しました。

 ところが、ラバウルをはじめ、これらの地域は蘭印と隣接するオーストラリア領ニューギニアの中心都市、ポートモレスビーの基地から爆撃圏内にありますので、その安全を確保するためには、ポートモレスビーも押さえておくことが必要となります。

 そこで、1942年5月、日本軍は珊瑚海海戦で海からのポートモレスビー攻略を目指しましたが、これは連合国側によって阻止されました。なお、珊瑚海海戦に参加した連合国の主力は米海軍でしたが、J.C.クレース少将を司令官とする第3群にはオーストラリア海軍の重巡洋艦オーストラリアと軽巡洋艦ホバートも参加していたことは記憶にとどめておいてよいでしょう。

 さらに、1ヶ月後の同年6月、ミッドウェイ海戦で日本海軍は虎の子の大型空母4隻を失い、海からポートモレスビーを攻略することは不可能となりました。

 そこで、日本軍は、ニューギニア島南東端まで600キロの全長があり、標高4072メートルのヴィクトリア山を擁するオーエンスタンレー山脈のジャングルを越えてポートモレスビーを目指すことになります。

 一方、オーストラリアにとっては、ポートモレスビーは本土防衛のための防衛線として、絶対に譲ることのできない拠点でした。また、フィリピンから撤退してオーストラリアを反攻の拠点としていたマッカーサーは、オーストラリアからニューギニアの島伝いに北上して前進基地を確保し、最終的にフィリピンに到達するという基本方針を立てていました。いわゆる「蛙飛び作戦」です。

 このため、珊瑚海海戦と前後して、ポートモレスビーのオーストラリア行政府は多数の現地住民を徴用し、対日戦に備えての軍事関連施設の建設を急ぎます。これに加えて、約3000名といわれる米軍工兵隊も飛行場建設のためにニューギニアに上陸。1942年6月には、マッカーサーがトマス・ブレイミー(オーストラリア軍最高司令官)指揮下のニューギニア部隊司令官であったバジル・モリス少将にブナの確保を命じ、オーストラリア軍第39大隊が派遣されました。

 ブナはニューギニア島の東部北側にある海辺の町で、ポートモレスビーからはオーエンスタンレー山脈(以下、スタンレー山脈)を越えて155キロの地点にあります。さらに、ブナとポートモレスビーの間にあるのが、オーストラリア領ニューギニア唯一の飛行場があったココダです。

 第39大隊の派遣に伴い、オーストラリア行政府は、約800人の現地男性を徴用し、ココダ街道の出発点から中継地点まで食料を運ばせました。また、ブナの近郊では、小型艦艇によって運び込まれた物資を運ぶため、さらに1500人の労働者が徴用され、さらに多くの者がココダ街道沿いで徴用されています。

 高低の差が激しく、人跡未踏のジャングルが広がる中での荷役作業はきわめて過酷でしたが、オーストラリア支配下のニューギニアでは、現地住民がオーストラリア行政府の命に背いて徴用を拒否すれば、厳しい処罰が待ち受けていたため、彼らはしぶしぶ作業を引き受けていたといわれています。仮に、日本の統治下で行われた朝鮮人の徴用を仮に“強制連行”というのなら、オーストラリア行政府がニューギニアでやったことこそ、まさしく“強制連行”にほかならなかったわけです

 こうした状況の下で、1942年7月21日、ついに、日本陸軍第17軍の南海支隊(高知の歩兵第144聯隊と福山の歩兵第41聯隊を主力とし、独立工兵15聯隊などの配属部隊から編成)の先遣隊が、ニューギニア島北岸のバサブアに上陸。スタンレー山脈をめざして進撃を開始し、29日にはココダのオーストラリア軍陣地を占領しました。

 日本軍の上陸とともに、現地住民からなるニューギニア兵の多くが逃亡。彼らの間では、東南アジアを席巻していた日本軍に対してオーストラリア軍には勝ち目がないとの判断が一般的でしたし、さらに、オーストラリア行政府による白人支配に反感を持つ者も少なくなかったからです。実際、ブナ近郊では、それまでのオーストラリア行政府に対する“復讐”として、撃墜された米軍航空兵5名が殺害され、オーストラリアの軍人5名、宣教師6名、民間人4名が捕らえられる事件も起こりました。

 一方、オーストラリア側は、現地住民の徴用をさらに強化することで、補給の拡充をはかろうとします。また、米陸軍航空隊から複数のダグラスDC-3輸送機を確保し、DC-3輸送機は戦線に近いミョーラ地区(元は湖でしたが干上がって陸地になったという地区)に補給物資の空中投下を行いましたが、投下された軍事物資の多くが将兵の手に渡らずにジャングルの中に紛れ込んだか、投下の際に破損してしまったとのことです。

 続いて8月18日には、南海支隊主力がブナに上陸し、ポートモレスビーへむけての進撃を開始。日豪両軍は、8月26日、スタンレー山中のイスラバでついに激突します。迎え撃つオーストラリア軍は、現地住民を動員して堅牢な陣地を築いていましたが、第144連隊は苦戦の後、第41連隊の増援を得て同月31日、ついに、イスラバが陥落しました。

 その後、日本軍は9月2日にギャップ、4日にスタンレー山脈の峠と駒を進め、8日にはエフォギを占領し、13日には、イオリバイワのオーストラリア軍第25旅団への攻撃を開始。イオリバイワからポートモレスビーまではわずか50キロです。

 さて、オーストラリア軍の司令官だったモリスは、イオリバイワへの増援として、2個大隊をもつ第21旅団(旅団長はアーノルド・ポッツ准将)と第53大隊を送るとともに、焦土戦略により、日本軍が期待していた現地での物資補給の芽を摘む戦略を採用しました。過酷な自然条件のスタンレー山中では、時間を稼げば稼ぐほど、日本軍は消耗し、みずから撤退せざるを得なくなるだろうとの判断によるものです。

 実際、日本軍の食糧と武器弾薬はこの頃には枯渇しており、第144連隊は病人が続出する中で、地元の農民の畑から芋をあさり、1人1日1合の粥をすすりながら、敵陣への攻撃を続けていたといわれています。

 この結果、9月16日、イオリバイワがついに陥落。この戦闘での日本側が死者72、負傷者81だったのに対して、オーストラリア軍の遺棄死体は120にものぼりました。

 ここにいたり、マッカーサー司令部は、ポートモレスビー陥落の危険性を本気で危惧するようになります。

 そこへ、新たにニューギニア部隊司令官として着任したシドニー・ラウェル中将が、日本軍は長期にわたる進出とオーストラリア軍の抵抗によってかなり消耗しており、増援部隊が到着しない以上、オーストラリア軍第21ならびに第25旅団で日本軍を撃破することは十分に可能だと主張しました。

 じっさい、この頃にはガダルカナルでの戦闘が始まっており、日本軍がガダルカナルとニューギニアの無謀な“二正面作戦”に突入していたこともあって、ラウェルの状況分析は結果的に正しかったといえます。1942年8月下旬から9月初旬にかけて、ニューギニア島東端のミルン湾において、連合軍が建設した飛行場に対して、日本軍が海軍陸戦隊を上陸させて占領を試みたものの敗退した「ミルン灣の戦い」は、まさに、その予兆ともいうべきものでした。

 しかし、それまで、日本軍の前に敗走を重ねていた(少なくとも、マッカーサーの眼にはそう映っていた)オーストラリア軍に対する司令部の不信感は払拭されず、第21旅団を率いたポッツはもちろん、ラウェル中将も、指揮権を剥奪されてしまいます。

 結局、1942年12月1日、マッカーサーは米陸軍第1軍団の軍団長ロバート・アイケルバーガー少将に、「ブナを奪還せよ、さもなくば生還を許さず」と厳命し、部隊をブナへ派遣。みずからもオーストラリアからポートモレスビーに移って態勢を整え、12月末には、米軍がブナの飛行場は奪取しました。

 そして、翌1943年1月2日、ブナの日本軍守備隊が壊滅。日本軍のラバウル攻略からほぼ1年後の同月21日、米豪連合軍がギルワ陣地を占領し、ポートモレスビーの攻防戦は完全に終結することになります。

 一連の戦闘で、日本側は将兵1万1000名のうち7600名が戦死あるいは戦病死という甚大な損害を受けましたが、オーストラリア軍もマラリアで亡くなる者が続出したほか、第16旅団と第25旅団は激しく消耗し、第30旅団が半減するなどの多くの犠牲を払っています。

 また、日豪両軍は、物資の運搬や死傷者の搬送のために多くの現地住民を動員しましたが、いずれの陣営でも、彼らに対して十分な休養や食事、避難所や医療の給与が与えられることはありませんでした。現地住民の住居は撤退する兵士によって焼かれたり、航空機の機銃掃射を受けたりするなどして破壊されたほか、日豪両軍はともに彼らの畑を襲い、部隊が駐留した地域ではマラリアなどが蔓延しています。

 現在のオーストラリアでは、大戦中のニューギニアの現地住民がオーストラリアに対して献身的に協力したとして、彼らを“黒い天使”と称賛しています。ただし、白人の絶対的優位を信じて疑わない“白豪主義”が社会のパラダイムとなっていた当時のオーストラリアで、一般のオーストラリア国民が“黒い天使”に心から敬意を払っていたのかどうか、僕などはいささか疑問を感じずにはいられません。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★

      1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある

    外国切手に描かれた日本(表紙)     外国切手に描かれた日本(ポップ) 
    光文社新書 本体720円~

 アマゾン紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです)


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 切手の帝国:オーストラリア
2013-04-26 Fri 09:15
 ご報告が遅くなりましたが、大修館書店の雑誌『英語教育』2013年5月号が発売になりました。僕の連載「切手の帝国:ブリタニアは世界を駆けめぐる」は、今回は、5月にメルボルンで開催の世界切手展<AUSTRALIA 2013>にちなんでオーストラリアを取り上げました。その記事の中から、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        オーストラリア・カンガルー(1913)

 これは、1913年に発行されたオーストラリア連邦(以下、連邦)最初の切手で、地図を背景にカンガルーが描かれています。

 1901年1月1日、オーストラリア連邦が成立する以前、濠洲大陸では地域ごとに植民地の自治政府が存在し、それぞれ個別に切手を発行していました。具体的には、1850年にニュー・サウス・ウェールズで発行された“シドニー・ヴュー”を皮切りに、1850年にはヴィクトリアが、1853年にはタスマニアが、1854年にはウェスタン・オーストラリアが、1855年にはサウス・オーストラリアが、そして1860年にはクイーンズランドが、それぞれ最初の切手を発行しています。

 1901年1月1日に連邦が発足すると、各自治政府は連邦の州となり、「郵便・電信・電話その他これに類する事業」は連邦政府が行うとの憲法の規定に従い、同年3月1日には、連邦郵政省が設立されます。しかし、実際には、その後も各州独自の切手発行は続けられ、郵便料金も州ごとに異なったままでした。

 このため、まずは1911年5月1日、連邦政府は“大英帝国”の一部として英本国と同様の郵便料金体系を連邦全土に統一的に導入するとともに、連邦統一の切手を発行すべく、デザインを公募。その結果、1000点を超える応募作品の中から、オーストラリア地図を背景にカンガルーを描くデザインが採用され、1913年1月2日、オーストラリア連邦として最初の切手(半ペニーから2ポンドまでの15額面)が発行されました。今回ご紹介の切手は、そのうちの1シリング切手です。

 今回の記事では、このほか、連邦発足後も発行されていたヴィクトリア州の切手や、連邦として英国王の肖像を取り上げた最初の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 明日、トークイベントやります ★★★

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ローリング・ストーンズ50年
2012-07-13 Fri 10:06
 ロックの大御所、ローリング・ストーンズ(以下、ストーンズ)が、きのう(12日)、結成50周年を迎えました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ストーンズ・ポスター

 これは、2006年9月にオーストラリアで発行された“ロックのポスター”の切手のうち、1973年に行われたストーンズのオーストラリア・ツアーのポスターを取り上げた1枚です。ストーンズ関係の切手に関しては、いわゆるいかがわしい国の切手は別として、本国イギリスでも1969年に発表された彼らの3枚目のアルバム Let It Bleed のジャケットを取り上げた切手が発行されているのですが、やはり、彼らのシンボルともいうべき“toungue”のロゴが取り上げられているものということで、今回はこちらを選びました。

 ちなみに、このロゴは、ヒンドゥー教のカーリー神の舌をモチーフに、ジョン・パッシュがデザインしたもの。1970年に制作され、1971年のアルバム Sticky Fingers で初めて採用されました。ちなみに、ストーンズはトレードマークを使った最初のロックバンドのひとつとされています。

 現在、“toungue”の原画は、2008年にロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館がアメリカのオークションで9万2500ドル(約1000万円)で購入したことで話題になりましたから、ご記憶の方もあるかもしれません。もちろん、現在も同博物館の所蔵品となっていますので、いずれ、イギリスでも、現代美術の切手に“toungue”の原画が取り上げられることになるかもしれませんな。

 ★★★ 内藤陽介・韓国進出! ★★★

   『韓国現代史』の韓国語訳、出ました
    
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     우표로 그려낸 한국현대사
    (切手で描き出した韓国現代史)

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    米国と20世紀を問い直す意欲作

       切手、歴史を送る(正面)
       우표,역사를 부치다
       (切手、歴史を送る)

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 *どちらも書名をクリックすると出版元の特設ページに飛びます。


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 日豪戦争⑳(最終回)
2012-03-10 Sat 20:32
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第457号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」は、今回は駐日オーストラリア軍撤退の話を取り上げましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       豪・朝鮮495    豪・朝鮮495(裏面)

 これは、朝鮮戦争の休戦協定調印から間もない1953年8月19日、釜山に置かれていたオーストラリアの第495野戦局から差し立てられ、東京を経由してオーストラリアに送られた郵便物とその裏面です。

 1950年6月25日、朝鮮人民軍の奇襲攻撃により朝鮮戦争が勃発すると、同月29日、オーストラリア政府は、まず、日本に駐留していたリバー級フリゲート艦「ショールヘイブン」ならびに香港に駐留していたトライバル級駆逐艦「バタアン」を韓国に派遣することを決定します。ちなみに、朝鮮戦争における豪海軍の中核となった空母「シドニー」がオーストラリアを出港したのは、8月31日のことでした。

 一方、空軍に関しては、1950年6月25日の開戦時、第77飛行中隊が岩国に駐留していました。第77飛行中隊はすでに帰国の準備を進めていましたが、開戦により、米第5空軍の指揮下に入り、共産軍と戦うことになります。

 ところで、オーストラリア政府は、日本に駐留していた地上部隊、第3連隊を朝鮮の戦場に派遣することに、当初、難色を示していました。当時の第3連隊は、兵員の訓練・装備ともに、直ちに実戦に投入するには、きわめて不十分な状態にあったためです。このため、まずは第3連隊の中から志願者2000人が日本占領軍から分離され、朝鮮半島に派遣されるとともに、オーストラリア本国でも志願兵の募集が行われました。オーストラリア本国から集められた兵士たちは、広(広島県呉市)および原村(広島県安佐郡:現広島市安佐南区)で訓練を受けた後、朝鮮半島へと派遣されています。

 さて、朝鮮半島の戦局は、1950年9月15日に国連軍が仁川上陸作戦を敢行したことで、攻守が逆転。朝鮮人民軍は北緯38度線以北へと退却を余儀なくされました。

 オーストラリア軍は、その過程で、水原(ソウルの南35キロの都市)周辺で敗走する朝鮮人民軍と戦い約2000人を捕虜としています。さらに、10月22-23日には、開城(北緯38度線のすぐ南側にあり、朝鮮戦争以前は韓国領でしたが、戦後は北朝鮮領となりました)の包囲戦で朝鮮人民軍に大きな打撃を与えました。さらに、中国が人民志願軍を派遣すると、オーストラリア軍は、1951年4月22-25日の加平の戦いと同年10月3-8日の馬良山の戦いで共産軍と死闘を展開。1953年7月に朝鮮戦争が休戦となるまで、オーストラリア軍はのべ2万8000人の兵力を投入。334名が戦死しています。

 ところで、朝鮮戦争勃発後の1951年9月、サンフランシスコで対日講和条約が調印されました。講和条件の策定に際して、オーストラリアは、ニュージーランドとともに、軍備制限条項が盛り込まれなかったことに強い不満を表明します。

 朝鮮戦争の勃発に伴い、在日米軍が朝鮮半島に出動した軍事的な空白を埋めるための措置として、日本では警察予備隊が発足しました。1901年の連邦結成以来、一貫して日本の存在を自国の脅威とみなしてきたオーストラリアは、日本による南氷洋の捕鯨の再開でさえ、強硬に反対していました。彼らにしてみれば、警察予備隊という名で日本が再軍備することなど論外であり、なんのために、多大な犠牲を払って日本と戦い、曲がりなりにも戦勝国の地位を確保したのか、というのが本音でしょう。

 しかし、実際に朝鮮半島で国連軍と共産軍が死闘を展開しているという現実の下に、米国が「我々は中国-日本-ロシアの共産主義支配連合の可能性を阻止しなければならない」と一喝すると、国連軍の一員として朝鮮半島に兵力を送っているオーストラリアも沈黙せざるを得ませんでした。

 かくして、1952年4月28日、対日講和条約が発効すると、日豪間の戦争は正式に終結し、オーストラリア軍を主力とした日本占領・英連邦軍はその存在の根拠を失います。しかし、この時点では朝鮮半島での戦争は継続しており、呉や岩国のオーストラリア軍キャンプは後方支援活動などのためにしばらく活動を継続。このため、オーストラリアの野戦局・基地局なども活動を続けていました。

 今回ご紹介のカバーは、そうした状況の下で、朝鮮戦争休戦直後の1953年8月19日、釜山に置かれていたオーストラリアの第495野戦局から差し立てられたもので、翌20日、東京に置かれていた第8基地局を経由して、同月20日にシドニーに到着しています。

 朝鮮戦争の休戦後も、事務連絡などの必要から、ごく少数のオーストラリア軍関係者が日本国内に駐留を続けていました。その最後の人員が引き揚げ、岩国の英連邦軍基地が閉鎖されたのは、1957年7月のことです。これにあわせて、この郵便物に押されている中継印の第8基地局も閉鎖されますが、逆に言えば、それまで、彼らは日本国内での郵便業務を(細々とではあるが)続けていたことになります。

 さて、2010年7月以来、『本のメルマガ』の月1連載としてスタートした「日豪戦争」ですが、20回を迎えた今回で最終回となりました。今までご愛読いただいた皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 なお、今月25日に配信の『本のメルマガ』からは、「日豪戦争」に代わる新連載をスタートさせる予定ですので、引き続き、よろしくお付き合いいただけると幸いです。
 
 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 3月下旬から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

よみうりカルチャー柏
 3月23日(金)13:00-15:00(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話――切手でたどる昭和史」
 *柏センター移転、新装オープン記念講座です。

 4月24日、5月22日、6月26日、7月24日、8月28日、9月25日
 (毎月第4火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー荻窪
 3月27日(火) 13:30~15:30(公開講座)
 「ご成婚切手の誕生秘話——切手でたどる昭和史」

 4月10日、5月8日、6月12日、7月10日、8月7日、9月11日
 (毎月第2火曜日)13:30~15:30

 切手でたどる昭和史


・よみうりカルチャー錦糸町 
 3月31日(土) 12:30-14:30(公開講座)
 皇室切手のモノ語り

 4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日
 (毎月第1土曜日) 12:30~14:30

 郵便学者・切手博士と学ぶ切手のお話
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 日豪戦争⑱
2012-01-05 Thu 23:37
  ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第451号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回はオーストラリア軍の日本進駐の話を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        BCOF半ペニー

 これは、1946年10月11日に発売されたカンガルーを描く2分の1ペニー切手です。

 1946年7月18日、オーストラリア連邦議会上院(元老院)において、チャールズ・ブランド議員は在日オーストラリア軍の差し出す郵便に“日本”の表示が入った消印を使わないのかと質問。そうした消印は、オーストラリア軍が敗戦した敵国に占領軍として初めて進駐したことの歴史的な記録になるのではないかというのが、その理由です。ブランドは、さらに、世界的に見れば占領地において加刷切手を発行した例もあると付言しました。

 これに対して、上院議員で郵政長官のドン(ドナルド)・キャメロンの答弁のポイントは以下の通りです。

 1.現時点では日豪間の民間人の郵便は再開されていないが、現在、関係機関で再開に向けて検討中である。(筆者注:敗戦により中止されていた日本から外国あての郵便物の取り扱いが再開されたのは1946年9月10日であった)
 2.日本に進駐したオーストラリア軍部隊発信の郵便物は軍事郵便として取り扱っている。
 3.過去の先例に倣い、オーストラリア軍の野戦郵便局では識別番号の入った郵便印を用いているが、差出地の地名表示入れていない。
 4.日本以外の地域からのオーストラリア軍の撤退が進めば、関係省庁も駐日オーストラリア軍の野戦局において“JAPAN”の表示が入った郵便印を使用することに反対しないと思う。
 
 キャメロン郵政長官の答弁には、“JAPAN”の表示が入った郵便印については言及がありますが、加刷切手についての言及はありません。

 それにもかかわらず、1946年10月11日、突如、カンガルーを描く2分の1ペニー切手、皇后エリザベスを描く1ペニー切手、国王ジョージ6世を描く3ペニー切手の3種のBCOF加刷切手が発行されたのです。ただし、この時登場したBCOF加刷切手は、本国郵政当局の許可を得ていなかったため、2日後の13日に販売停止となりました。

 本国当局の許可も得ずに現場の判断でBCOF加刷切手が登場した理由として、1946年12月12日付の豪紙『オーストラリアン・ポスト』は、切手を利用した不正送金を防ぐためと説明しています。

 すなわち、同紙によれば、占領下の日本では進駐軍物資の横流しによる闇商売が横行しており、その中でも、最も成功したものが、大量の切手を日本で購入して本国へ送り、郵便局で換金することだったそうです。日本の郵便局では、郵便局で切手を現金で買い取ることは行われていませんが、オーストラリアでは、5%引きで利用者が持ち込んだ切手を買い取っていました。金融機関を通じた正規の海外送金の割高な手数料に比べると、特に少額の送金の場合、5%の割引はかなり割安といえましょう。

 “JAPAN”の文字が入った切手は、こうした不正な送金を防止するため、オーストラリアの在日郵便局で売られた切手であることを特定し、そうした切手を本国に持ち込んで換金することを防止しようとしたものでした。

 もっとも、BCOF加刷切手は発売からわずか2日後で販売停止となったことで、コレクターズ・アイテムとして人気を集め、切手商や収集家の間で額面以上の金額で取引されるようになりました。この結果、BCOF切手の売買は、無加刷の切手を額面の5%引きで換金するよりも“割の良い商売”となります。

 こうしたこともあって、部内の手続きを経て、1947年4月1日、オーストラリア当局は5月8日から、先に発行された3種の切手に、カワセミを描く6ペンス切手、コトドリを描く1シリング切手、カンガルーと地図を描く2シリング切手、皇后エリザベスを描く5シリング切手の4種を加えて、計7種のBCOF加刷切手を発売すると発表。当初、在日野戦局で販売されたBCOF加刷切手は、あくまでもBCOF関係者が郵便に使うという建前で、原則として、BCOF関係者とその家族に限り、1日に買えるのは額面合計10シリングまでとされました。

 BCOF加刷切手は1949年2月12日まで販売され、同年3月28日をもって使用が停止されました。その後、売れ残ったBCOF加刷切手は焼却処分とされましたが、その中には、500ポンドの5シリング切手と2000ポンド相当の6ペンス切手が含まれていたといわれています。

 なお、日本を占領した連合国の主力を占めていた米軍は、野戦郵便局を設置して将兵の郵便物を取り扱ったものの、BCOF加刷切手のような加刷切手は使用しませんでした。このため、BCOF加刷切手は、そもそもの登場の経緯はともかく、結果としてチャールズ・ブランドが主張したように、連合国による日本占領を記録する切手として歴史にその名をとどめることになったのです。


 ★★★ ラジオ出演のご案内 ★★★

 ・1月9日(月・祝)10:00~ ラジオ・白熱教室
 文化放送(ラジオ)系で放送のくにまる ジャパン内の同コーナーに『年賀状の戦後史』の著者として、内藤が出演する予定です。なお、放送番組の常として、事情により、急遽、予定が変更になる可能性がございますが、その場合はあしからずご了承ください。


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    日本人は「年賀状」に何を託してきたのか?
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 ★ TBSラジオ・ニュース番組森本毅郎・スタンバイ(2011年11月17日放送)、11月27日付『東京新聞』読書欄、『週刊文春』12月1日号、12月1日付『全国書店新聞』『週刊東洋経済』12月3日号、12月6日付『愛媛新聞』地軸、同『秋田魁新報』北斗星、TBSラジオ鈴木おさむ 考えるラジオ(12月10日放送)、12月11日付『京都新聞』読書欄、同『山梨日日新聞』みるじゃん、12月14日付『日本経済新聞』夕刊読書欄、同サイゾー、12月15日付『徳島新聞』鳴潮、エフエム京都・α-Morning Kyoto(12月15日放送)、12月16日付『岐阜新聞』分水嶺、同『京都新聞』凡語、12月18日付『宮崎日日新聞』読書欄、同『信濃毎日新聞』読書欄、12月19日付『山陽新聞』滴一滴、同『日本農業新聞』あぜ道書店、[書評]のメルマガ12月20日号、『サンデー毎日』12月25日号、12月29日付エキレピ!、『郵趣』2012年1月号で紹介されました。

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 小さな世界のお菓子たち:ビスケットの切手
2011-12-22 Thu 16:19
 大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第14号(2011年冬号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

        アンザック・ビスケット

 これは、アンザック兵とアンザック・ビスケットをコラージュした2009年のオーストラリア切手です。

 第一次大戦中、ヨーロッパ戦線に派遣されたオーストラリア・ニュージーランド軍団は、Australia New Zealand Army Corpsの頭文字をとって、ANZAC(アンザック)と呼ばれており、現在でも、彼らがイギリス軍を助けてトルコのガリポリ半島に上陸した4月25日は“アンザック・デイ”として、両国などの祝日になっています。

 このアンザックの名を冠したアンザック・ビスケットの由来にはいくつかの説があり、アンザック兵が手元の材料を使って戦地の塹壕の中で作ったのが始まりとも、母国の家族が海外で従軍しているアンザック兵に郵送したのが始まりともいわれています。ただし、専門家によれば、ビスケットのレシピはスコットランドのオートミール・ケーキが元になっているようで、戦場でイギリス兵から教わったレシピをアンザック兵が自己流にアレンジして作ったビスケットが、本国にも伝わったと考えるのがよさそうです。

 その後、アンザック・ビスケットは赤十字や退役軍人会が募金集めのために販売するようになって全国民的に普及。現在ではオーストラリアを代表するお菓子の一つとして、スーパーマーケットでも簡単に手に入るほか、ナッツやドライフルーツをたっぷり入れたホームメイド・クッキーとして各家庭でも盛んに作られています。


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