内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 本日、展示解説やります
2017-07-16 Sun 05:27
 昨日(15日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展2017(以下、全日展)がスタートしました。本日(16日)は僕も15:30から、チャンピオンクラスに出品中の「香港の歴史」について、展示解説をやります。というわけで、全日展と併催のオーストラリア切手展とも絡めて、今回の出品作品の中から、オーストラリア切手が貼られたマテリアルをご紹介します。

      オーストラリア・香港宛返戻

 これは、日英開戦日の1941年12月8日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のドラモインから香港・九龍の金巴利道(キンバリー・ロード)宛に差し出されたものの、戦争により郵便物の取り扱いが停止されたため、その旨の事情説明の印を押して差出人に返戻された郵便物です。
 
 1939年の欧州大戦勃発を受けて、1940年6月、英国の香港政庁は香港在住のヨーロッパ人の女性と子供をオーストラリアへ避難させるよう、住民に命じます。“敵国”(名指しこそないものの、それが日本を意味することは明白でした)から攻撃を受け、香港が戦場となる可能性が高まっていると判断したためです。

 特に、1940年9月、日本軍が北部仏印に進駐し、米国を仮想敵国とする日独伊三国軍事同盟を結ぶと、日本と連合諸国の関係は一挙に悪化し、香港社会の緊張も一挙に高まります。

 すなわち、市街地の重要なビルには土嚢が積み上げられ、天星小輪(スターフェリー)の船着場にはおびただしい数の砲台が並べられました。また、灯火管制の演習は頻度を増し、街頭の新聞スタンドの売り子は「我々は最後の血の一滴まで香港を守ってみせる」と豪語していました。根も葉もない噂に注意しようとの香港政庁のキャンペーンが展開され、それをもじって「不確かな情報は国家を危機に追いやる。代わりに、タイガー・ビールについて話をしよう」という広告がいたるところで見られるようになり、各種の戦時公債・基金の募集もさかんに行われています。

 もっとも、大英帝国の宰相チャーチルは、日本との戦争が始まった場合には香港の防衛は絶望的で、日本の敗戦以外に香港を奪還することは不可能だとの見通しに立っていました。このため、1941年初頭の段階では、英国の香港駐留軍の内訳は、本国から派遣された歩兵二個大隊とインド軍二個大隊を中心にごくわずかな砲兵隊、自動車部隊、義勇軍、わずかな小型戦闘艦艇、飛行艇二機、三隻の水雷艇(ただし、いずれも肝心の水雷は装備していません)のみという脆弱なものでした。また、香港の守備隊を増強することはかえって日本軍を刺激して危険であるという判断さえなされていました。

 さらに、1940年から1941年にかけての香港社会には、日本軍がまさか香港を攻撃するはずがないという根拠のない楽観論が満ち溢れていました。じっさい、香港政庁が欧米系の全婦女子に香港島からの避難を命じた後も、彼女たちのうちの900人は何かと口実をつけて、日英開戦まで香港に居残り続けています。

 こうした楽観的な世論の背景には、日中戦争の長期化に伴う余得で、香港が空前の経済的活況を呈していたという事情がありました。

 すなわち、1931年には85万弱といわれていた香港の人口は、いわゆる日中戦争の勃発した1937年には100万を越え、その後、上海廣州からの難民が大量に流入したこともあって、1941年の時点では175万人にまで膨れ上がっていました。その中には富裕な実業家も少なからず含まれており、香港には、日本軍の占領下で陸の孤島と化した上海に代わる中国経済の拠点という地位が突如として転がり込んできたわけです。

 こうした楽観的な空気を反映して、香港駐留のインド軍司令官、クリストファー・マルトビーは、中国=香港間の国境から英国の防御線である醉酒灣防線までは12マイルもあり、国境の守備隊が九龍に撤退する時間は十分に稼げるし、シンガポールから援軍が到着するまで守備隊は持ちこたえることが可能であるとの見通しを持っていました。

 強気のマルトビーに引きずられるかたちで、本国のチャーチルも、それなりに香港の軍備を増強すれば、香港が日本軍の進撃を食い止める防波堤として機能し、日本軍に大きな打撃を与えることも可能なのではないかと考えるようになります。

 こうして、カナダから旅団司令部、通信中隊、歩兵2個大隊が派遣され、1941年11月16日、香港に到着。英領バルバドスから赴任してきたばかりの新総督マーク・ヤングの下に合計1万2000名からなる香港防衛軍が編成されました。しかし、カナダからの増援部隊の兵士は、ほとんどがフランス語圏の出身であったため、既存の香港駐留軍との連携が上手く取れず、そのうえ、彼らには実戦経験もほとんどなく、とうてい、実戦経験の豊かな日本軍に太刀打ちできるようなレベルではありませんでした。

 これに対して、米英との開戦を決意した日本軍は着々と香港攻略の準備を進め、カナダ軍が香港に到着する10日前の11月6日には大本営陸軍部が「香港攻略作戦要領」を完成させ、3970人の兵員の配置を完了しています。

 日英開戦2週間前の11月25日、香港政庁は市民に対して、香港島と九龍市街地に数箇所の避難場所を設け、そこに食糧を備蓄していることを公表。あわせて、住民の居住地ごとに、日本軍の攻撃が始まった場合の避難先も指定されています。在留日本人の帰国も相次ぎ、開戦3日前の12月5日には日本語新聞も休刊になりました。

 こうして、日英開戦に向けての緊張が一挙に高まっていく一方で、香港の市街地では、依然、戦争は他人事といった空気も濃厚で、開戦前日、12月7日の新聞にはクリスマス・ギフトの広告があふれ、半島酒店(ペニンシュラ・ホテル)はクリスマスや新年のためのディナーやコンサート、宿泊の予約を募っています。

 一方、国境を越えた深圳河一帯には日本陸軍の第38師団が集結していた。彼らが暗号電「ハナサク ハナサク」を受信し、深圳河をこえて進軍を開始するのは、香港の人々がまだ深い眠りの中にあった12月8日午前3時51分のことでした。その後、同月25日、香港の英軍は降伏し、香港における日本占領時代がスタートします。これに伴い、1945年の終戦まで香港と海外との通信も遮断され、香港は国際社会から物理的に孤立することになります。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

* 昨日、アクセスカウンターが181万PVを超えました。いつも閲覧していただいている皆様には、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

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 きょうからオーストラリア切手展(+全日展)
2017-07-15 Sat 06:01
 かねてご案内の通り、きょう(15日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館8階で、オーストラリア切手展(全日本切手展2017=全日展と併催)がスタートします。というわけで、きょうは、オーストラリア関連の展示の目玉のひとつとして、この切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ヴィクトリア・ハーフレングス(1850年・2ペンス)

 これは、オーストラリア連邦成立以前の1850年に発行されたヴィクトリア植民地最初の切手のうち2ペンス切手です。ヴィクトリアの1850年・2ペンス切手の未使用は、現存、2-3枚と推定されていますが、これはそのうちの1枚です。

 ことし3-4月、オーストラリア・メルボルンで開催のアジア国際切手展<Melbourne 2017>で、日本から出品された永井正保さんのPrivate Printing Period in Victoria 1850-1859(民間印刷時代のヴィクトリアの切手 1850-1859)が、開催国オーストラリア関連の作品として最高賞のナショナル・グランプリを受賞しました。オーストラリアでの日本人のナショナル・グランプリ授賞は、佐藤浩一さんのタスマニアに次いで2人目の快挙です。

 そこで、永井さんの快挙をたたえるとともに、これを機縁に切手を通じた日豪両国の友好親善を深めるため、オーストラリア大使館のご後援の下、永井さんのグランプリ受賞作品とともに、オーストラリア連邦として最初の切手として有名なカンガルー切手のコレクションAustralia – Kangaroo and Map Design Postage Stamps(カンガルーと地図切手)を、同展の日本コミッショナー、長島裕信さんにご出品いただき、オーストラリア切手展を開催することとしました。

 さて、現在のオーストラリア・ヴィクトリア州の地域には、1803年、最初の流刑植民団がメルボルン付近のポート・フィリップ湾に入植しましたが、この時の植民地は7ヶ月で崩壊。その後、20年以上を経て再入植が行われ、ニュー・サウス・ウェールズ流刑植民地政府の管理下に置かれました。その後、1851年には、ニュー・サウス・ウェールズから分離した“ヴィクトリア植民地政府”が成立しますが、これに先立ち、1850年1月1日から、ヴィクトリア植民地は独自の切手発行を開始しました。

 最初の切手は、教会の牧師で凹版彫刻の技術があったトーマス・ハムが製造し、1849年12月29日、英本国のヴィクトリア女王を描く3種の切手“ハーフレングス(半身像の意)”が納品されました。最初の切手の発行枚数は、1ペニーが1380枚、2ペンスが5460枚、3ペンスが2760枚だったと考えられています。その後、1854年には図案はそのままに、印刷所が変更されるなどしたため、ハーフレングスの切手には、さまざまなヴァラエティが生じることになりました。
 
 今回の永井さんのコレクションは、ハーフレングスをはじめ、ヴィクトリア植民地初期の貴重な切手が網羅された重厚なコレクションで、まさにグランプリに相応しい作品です。

 ぜひ、会場にてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 全日本切手展のご案内  ★★★ 

 7月15-17日(土ー月・祝) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびにオーストラリア切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである全日本郵趣連合のサイトのほか、全日本切手展のフェイスブック・サイト(どなたでもご覧になれます)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展2017ポスター

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。クリックで拡大してご覧ください。

 ことしは、香港“返還”20周年ということで、内藤も昨年(2016年)、ニューヨークの世界切手展<NEW YORK 2016>で金賞を受賞した“A History of Hong Kong(香港の歴史)”をチャンピオンクラスに出品します。また、会期中、16日(日)15:30~、展示解説も行いますので、皆様よろしくお願いします。


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 切手に見るソウルと韓国:朝鮮戦争参戦の豪州
2017-05-06 Sat 11:24
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』4月14日号が発行されました。今回は、私事ながら、メルボルン滞在中に見聞したことも含めて、こんな切手をご紹介しました。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・朝鮮戦争50年

 これは、2000年にオーストラリアが発行した朝鮮戦争50周年の記念切手で、北緯38度線近辺の戦場風景と、国連軍参加のオーストラリア兵に授与された従軍記章が取り上げられています。

 さて、メルボルン滞在中、僕は、市内の戦争慰霊館も見学してきました。(下の画像は慰霊館前の“永遠の炎”から慰霊館の外観を撮影したものです)

      メルボルン・戦争慰霊館外観
      
 戦争慰霊館はメルボルンの街並みが一望できる小高い丘の上にあり、周囲は広大な公園になっています。もともと、第一次大戦でのオーストラリアの戦没者を祀る慰霊施設でしたが、後に第二次大戦の戦没者や、さらに、朝鮮戦争ヴェトナム戦争の戦没者も祀られるようになりました。

 内部には、オーストラリアが歴史的に体験してきた戦争に関する資料が展示されており(その中心は、なんといっても両大戦ですが)、朝鮮戦争についても小さいながら、きちんとコーナーも設けられていました。

 第二次大戦後、オーストラリアは対日戦勝国として、広島県・山口県など中国地方を中心に占領軍を派遣していましたが、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受け、同29日、オーストラリア政府は、日本に駐留していたリバー級フリゲート艦「ショールヘイブン」ならびに香港に駐留していたトライバル級駆逐艦「バタアン」の派遣を決定します。

 朝鮮近海に到着した両艦は、韓国から避難する米英の民間人を収容するとともに、米軍の上陸を支援するための艦砲射撃を行いました。ちなみに、朝鮮戦争における豪海軍の中核となった空母「シドニー」がオーストラリアを出港したのは、8月31日のことです。

 一方、空軍に関しては、1950年6月25日の開戦時、岩国に駐留していた第77飛行中隊は帰国の準備を進めていましたが、開戦により、米第5空軍の指揮下に入り、共産軍と戦っています。

 ところで、オーストラリア政府は、日本に駐留していた地上部隊、第3連隊を朝鮮の戦場に派遣することに、当初、難色を示していました。当時の第3連隊は、兵員の訓練・装備ともに、直ちに実戦に投入するには、きわめて不十分な状態にあったからです。このため、まずは第3連隊の中から志願者2000名が日本占領軍から分離され、朝鮮半島に派遣されるとともに、オーストラリア本国でも志願兵の募集が行われました。オーストラリア本国から集められた兵士たちは、広(広島県呉市)および原村(広島県安佐郡:現広島市安佐南区)で訓練を受けた後、朝鮮半島へと派遣されています。

 オーストラリア軍の戦績としては、まず、1950年9月15日の仁川上陸作戦以後、水原周辺で敗走する朝鮮人民軍と戦い約2000名を捕虜としたことが挙げられる。さらに、10月22-23日には開城の包囲戦で朝鮮人民軍に大きな打撃を与えました。

 また、中国人民志願軍参戦後のオーストラリア軍と共産軍との戦闘としては、1951年4月22-25日の加平の戦いと同年10月3-8日の馬良山の戦いが知られています。

 結局、1953年7月の休戦まで、オーストラリア軍はのべ2万8000名の兵力を朝鮮戦争に投入。334名が戦死しています。

 なお、戦争慰霊館では、展示の最後に、各戦争の従軍記章(とそのレプリカ)がずらりと並べられており、その中には、今回ご紹介の切手に取り上げられた記章もしっかり含まれていました。(下の画像)

      メルボルン・戦争慰霊館(従軍記章) 

 なお、オーストラリアと朝鮮戦争とのかかわりについては、拙著『朝鮮戦争』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
 
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 無事帰国しました。
2017-04-07 Fri 02:12
      メルボルン展終了直後

 昨晩、無事メルボルンから帰国いたしました。アジア国際切手展<Melbourne 2017>の会期中ならびに会期終了後のガダルカナル取材では、多くの方に大変お世話になりました。この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

 冒頭の写真(以下、記事中の写真はすべてクリックで拡大されます)は、展覧会の終了後、作品のピックアップを終えて宿に戻ってきたときに、拝領したばかりの賞状を手に、現地で購入したセーターを着て、友人に撮影してもらったものです。今回は審査員でもなければ、コミッショナーでもなく、純粋に一出品者としての切手展参加でしたので、メルボルン滞在中は、あえてオフィシャル・ホテルには泊まらず、キッチン付のサーヴィス・アパートメントを借り、マーケットで肉や魚介類、野菜などを調達して自炊したり、友人を招いて一緒に食事をしたりしていました。

 さて、今回の切手展では、僕の出品作品は以前と同じ金賞を頂戴しましたが、1日のパルマレスで拝領したメダルは、切手展のロゴをベースに、賞のランクに応じて金・銀・銅などの色分けされた1913年のカンガルー切手を貼り付けたデザインでした。(下の画像)

      メルボルン展・メダル

 賞のランクを示すカンガルー切手の部分をトリミングしてみたのが下の画像で、実際の切手を並べるとこんな感じになります。

      メルボルン展・メダル(部分)  オーストラリア・カンガルー(1913年・1ペニー)

 1901年1月1日、オーストラリア連邦が成立する以前、濠洲大陸では地域ごとに植民地の自治政府が存在し、それぞれ個別に切手を発行していました。具体的には、1850年にニュー・サウス・ウェールズで発行された“シドニー・ヴュー”を皮切りに、1850年にはヴィクトリアが、1853年にはタスマニアが、1854年にはウェスタン・オーストラリアが、1855年にはサウス・オーストラリアが、そして1860年にはクイーンズランドが、それぞれ最初の切手を発行しています。

 1901年1月1日に連邦が発足すると、各自治政府は連邦の州となり、「郵便・電信・電話その他これに類する事業」は連邦政府が行うとの憲法の規定に従い、同年3月1日には、連邦郵政省が設立されます。しかし、実際には、その後も各州独自の切手発行は続けられ、郵便料金も州ごとに異なったままでした。

 このため、まずは1911年5月1日、連邦政府は“大英帝国”の一部として英本国と同様の郵便料金体系を連邦全土に統一的に導入するとともに、連邦統一の切手を発行すべく、デザインを公募。その結果、1000点を超える応募作品の中から、オーストラリア地図を背景にカンガルーを描くデザインが採用され、1913年1月2日、オーストラリア連邦として最初の切手(半ペニーから2ポンドまでの15額面)が発行されました。今回、メダルの画像の脇には、メダルの色に近いということで、そのうちの1ペニー切手を並べてみました。 
 
 ちなみに、今回の切手展会場では、オーストラリア郵政のブースで、1913年のカンガルー切手をデザインしたチョコレートも販売されていました。

      オーストラリア・カンガルー切手チョコ

 このチョコレートは、ただ単に、パッケージにカンガルー切手が印刷されているだけでなく、下の画像のように、パッケージの裏面にはステーショナリーとしての額面がついていて、そのまま宛名を書けば、オーストラリア国内の宛先に郵送できる仕掛けになっています。

      オーストラリア・カンガルー切手チョコ(裏面)

 パッケージのデザインは、他にもいろいろありましたので、お遊びとして、オーストラリアの印面付チョコレートのコレクションをまとめてみるのも楽しいかもしれません。

 なお、今年は、この後、8月にインドネシア・バンドンで、10月にブラジル・ブラジリアで、それぞれ世界切手展が予定されています。このうち、8月の切手展に関しては、セカンド・コミッショナーとして、ファースト・コミッショナーの山崎好是さんをサポートすることになっており、関係の皆様にはいろいろとお世話になることがあるかと思われますが、よろしくお願いいたします。
 

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 ピンクダイヤに79億円
2017-04-05 Wed 07:12
 きのう(4日)、香港のオークションに世界最大級のピンクダイヤモンド“ピンクスター”が出品され、5億5300万香港ドル(約78億7700万円)で落札されました。落札者は香港宝飾品大手の周大福珠宝で、宝石の競売では過去最高レベルの高値だそうです。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・ピンクダイヤモンド(仮)

 これは、先日のアジア国際切手展<Melbourne 2017>会期初日の3月30日にオーストラリアが発行した“貴重なる美”と題する宝石切手のうち、会場内限定で日替わり販売されたピンクダイヤモンドの切手の小型シートです。今回の切手展では、切手展そのものの記念切手は発行されませんでしたが、“貴重なる美”の切手を1枚ずつ収めた小型シートが日替わりで1種ずつ発行されており、その余白には切手展のロゴが入っています。今回ご紹介の切手は、日替わり小型シートの先陣を切って、会期初日に発行されたもので、僕も郵便局の行列に並んで入手しました。(行列の写真は、この記事のオマケとしてアップしてあります)

 さて、ピンクダイヤモンドは、1979年、オーストラリア・キンバリー州のアーガイル鉱山で採掘されました。本来無色であるはずのダイヤモンドがなぜピンク色になるのか、その理由は解明されていませんが、 毎年3900万ctものダイヤモンドが採掘される鉱山でも数百万ct中、数ctぐらいしか見つからず、文字通りの稀石として珍重されています。

 今回、オークションに出品されたピンクスターは、大きさが59.60カラット(11.92グラム)で、1999年に南アフリカ共和国で掘り出され、2年以上をかけてカットされたものです。2013年にジュネーヴでのオークションで、約8300万米ドルで競り落とされたものの、落札者が代金を支払えなかったため、品物がサザビーズに戻され、今回、オークションに出品されたということです。

 昔から、切手の世界でも名品は“紙の宝石”と称されてはいるのですが、オークションでの史上最高値を記録した英領ギアナの1セントでも10億円には届かないところからすると、残念ながら、やはり本物の宝石にはかなわないということなんでしょうかね。

 * 本日の切手の画像は、とりあえず、仮の画像を使っていますが、帰国後、きちんと実物からスキャンした画像に差し替える予定です。

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 <Melbourne 2017>終了
2017-04-03 Mon 00:31
 早いもので、3月30日からオーストラリア・メルボルン郊外のコーフィールド競馬場で開催されていたアジア国際切手展<Melbourne 2017>は、昨日(2日)、無事にすべての日程を終了し、日本からの出品作品のピックアップもすべて完了しました。というわけで、展覧会関連のマテリアルの中から、この1点を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

     コーフィールド競馬場

 これは、オーストラリアが発行した印面付の官製絵葉書で、展覧会場となったコーフィールド競馬場の入口ゲートが取り上げられています。今回の展覧会場は、競馬場内の施設を利用するという、かなり特殊なケースでしたので、なんとか関連のマテリアルを入手したいと考えていたのですが、会期最終日に郵便局を覗いてみたところ、この葉書が売られていたので、早速購入したという次第です。ちなみに、会期中、ゲートの下には展覧会の開催を示す幕が張られていており、こんな感じになっていました。

      コーフィールド競馬場(実物)

 コーフィールド競馬場は、1859年、メルボルン郊外の薮に囲まれた湿地帯に作られました。このため、現在でも、競馬場は“荒地”を意味する“ザ・ヒース”の愛称で親しまれています。設立の年の1859年には早くも最初のレースが開催されましたが、1876年8月5日には、メルボルン・レーシング・クラブ(旧ヴィクトリア・アマチュア・ターフ・クラブ)がコーフィールドで最初のレースを開催。1879年からは、芝2400メートルで行われる競馬のハンデキャップ競走の“コーフィールド・カップ”が開催されるようになり、オーストラリアにおける最高の格式を持つレースの一つとなりました。

 さて、今回の切手展に関しては、コミッショナーの長島裕信さん、永井正保さん、審査員の佐藤浩一さん、井上和幸さん、ご出品者の安藤源成さん、安藤裕さん、伊藤純英さん、大沼幸雄さんご夫妻、川辺勝さんご夫妻、菊地恵美さん、杉原正樹さん、山田廉一さん、吉田敬さんをはじめ、多くの方々にお世話になりました。末筆ながら、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。なお、僕自身は、展覧会終了後も2泊3日の予定でソロモン諸島等での取材を行い、4月6日に帰国の予定です。関係者の皆様には、引き続きご不便・ご面倒をおかけいたしますが、なにとぞご容赦いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 * 本日の葉書の画像は、とりあえず、携帯のカメラで撮影した画像を使っています。帰国後、きちんと実物からスキャンした画像に差し替える予定です。


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 <Melbourne 2017> 日本人・永井さんがGP
2017-04-02 Sun 05:22
      ヴィクトリア・ハーフレングス(1856)

 3月30日からオーストラリア・メルボルン郊外のコーフィールド競馬場で開催中のアジア国際切手展<Melbourne 2017>は、すべての作品の審査が終了し、昨日(1日)、受賞結果が下記の通り発表されましたので、速報としてお伝えいたします。リストのうち、出品者名は日本語表記、文献を除く作品名は英文でリスト記載のとおり、カッコ内は点数です。ただし、速報値ゆえ、誤りなどがありましたら、後日訂正いたしますので、ご容赦ください。

 チャンピオンクラス
・大沼 幸雄 L.v.Beethoven -His life in a historical context and his legacy LG
 一般競争出品
・永井正保 Private Printing Period in Victoria 1850-1859 LG(96)+GPN
・長島 裕信 Australia – Kangaroo and Map Design Postage Stamps LV(86)
・丹羽 昭夫 Japan Tazawa series “Taisho” watermarked granite paper, old die LV(85)
・幡中民道 CHRYSANTHEMUM ISSUE OF JAPAN LV(87)
・伊藤純英 JAPAN: Showa Series, 1937-46 LV(86)
・木戸裕介 North Korea 1945-52 V(81)
・菊地恵実 Japan Definitives 1937-1940 LS(78)
・須谷伸宏 Japan Definitives: Vocational Series G(90)
・山田廉一 Japan Definitives 1883-1892 – UPU and New Koban - LV(88)
・吉田敬 Japan Definitives 1961-1965 V(80)
・安藤裕 GREAT BRITAIN ONE PENNY BLACK AND RED-BROWN FROM BLACK PLATES 1840-1841 V(83)
・大場光博 U.S. Postal Activity in China 1802~1922 LV(86)
・池田健三郎 Postal History of the Cape of Good Hope LV(89)
・安藤 源成 Usage of Japanese Domestic Postcards for International Mail V(80)
・杉原 正樹 Stamped Envelopes of Japan 1873-1908 G(91)
・内藤陽介 Japan and the 15 year’s war G(90)
・川辺勝 Liberty Leading the People by Delacroix 83点(ワンフレームは点数のみでメダルなし)
・伊藤文久 Ukrainian inflation 1992-1996 LV(87)
 以下、文献
・STAMPEDIA Inc. Stampedia Philatelic Journal LV(87)
・(公財)日本郵趣協会 『ビジュアル日本切手カタログVol.1-4』 LS(78)
・日本郵趣出版 『図説・戦前記念切手』 S(72)
・正田幸弘  『国際展物語 1965-2004』 SB(65)

 今回の受賞結果で特筆すべきは、オーストラリアないしはニュージーランドの切手を対象とした“ナショナル”部門で、1901年に現在のオーストラリア連邦が結成される以前のヴィクトリア植民地で発行された切手のコレクション“Private Printing Period in Victoria 1850-1859”をご出品の永井正保さんがグランプリを獲得したことでしょう。オーストラリアでの日本人のナショナル・グランプリ授賞は、佐藤浩一さんのタスマニアに次いで2人目の快挙です。

 冒頭に掲げた画像は、そのヴィクトリア植民地初期の切手のうち、1856年に発行された3ペンス切手です。永井さんのグランプリ受賞に敬意を払い、持ってきてみました。

 現在のオーストラリア・ヴィクトリア州の地域には、1803年、最初の流刑植民団がメルボルン付近のポート・フィリップ湾に入植しましたが、この時の植民地は7ヶ月で崩壊。その後、20年以上を経て再入植が行われ、ニュー・サウス・ウェールズ流刑植民地政府の管理下に置かれました。その後、1851年には、ニュー・サウス・ウェールズから分離した“ヴィクトリア植民地政府”が成立しますが、これに先立ち、1850年1月1日から、ヴィクトリア植民地は独自の切手発行を開始しました。

 最初の切手は、教会の牧師で凹版彫刻の技術があったトーマス・ハムが製造し、1849年12月29日、英本国のヴィクトリア女王を描く3種の切手“ハーフレングス(半身像の意)”が納品されました。最初の切手の発行枚数は、1ペニーが1380枚、2ペンスが5460枚、3ペンスが2760枚だったと考えられています。その後、1854年には図案はそのままに、印刷所が変更されるなどしたため、ハーフレングスの切手には、さまざまなヴァラエティが生じることになりました。
 
 今回の永井さんのコレクションは、ハーフレングスをはじめ、ヴィクトリア植民地初期の貴重な切手が網羅された重厚なコレクションで、まさにグランプリに相応しい作品です。

 あらためて、永井さんをはじめ、受賞された皆様には、心よりお祝いを申し上げます。


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 <Melboure 2017>開幕
2017-03-30 Thu 22:15
 きょう(30日)から、オーストラリア・メルボルン郊外のコーフィールド競馬場でアジア国際切手展<Melbourne 2017>が開幕しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・メルボルン展(1928)

 これは、1928年10月29日から11月1日にかけてメルボルンで開催された最初の国際切手展を記念して発行された切手です。

 1928年の国際切手展は、第4回全豪切手展を兼ねて開催されましたが、これにあわせて、組織委員会事務局長のアレク・ローゼンブラムはオーストラリア郵政のハリー・ブラウンに同国初の“小型シート”の発行を提案。これ於受けて、オーストラリア郵政は、メルボルン市役所の会場内に印刷機を持ち込んで、ガッターで囲まれた田型(今回ご紹介の画像の状態)を15組、計60枚で構成される記念切手の製造・販売を行いました。

 記念切手は、1913年のカンガルー切手に次いで1914年に発行されたワライカワセミを描く茶色の6ペンス切手を、刷色を青色に変更し、額面を3ペンスとしたもので展覧会場では会期初日の11月29日から発売され、会期終了後の11月2日からオーストラリア各地の郵便局で発売されています。

 ちなみに、メルボルンでの国際切手展の開催は、1928年の展覧会を皮切りに、1963年10月7-12日に国際展覧会の<MIPEX’63>が、1984年9月21-30日にFIP(国際郵趣連盟)展の<AUSIPEX’84>が、1999年8月4-10日にFIP展の<Australia 99>が、2013年5月10-15日にFIP展の<Australia 2013>が開催されていますが、FIAP(アジア郵趣連盟)展は今回の<Melbourne 2017>が最初です。

 なお、今回の<Melbourne 2017>は、地元ヴィクトリア王立郵趣協会の創立125周年を記念したもので、会期は4月2日まで。アFIAP加盟各国から1100フレームの作品が出品されています。

 *オマケ
 今回はオープニング・セレモニーなどが行われなかったため、それらしい写真が撮れなかったのですが、郵便局には日替わり発行の切手を求めて並ぶ行列ができていました。とりあえず、会期初日の風景の記録として、下に画像をアップしておきます。

      メルボルン展・会場初日の風景


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 作品、搬入しました。
2017-03-29 Wed 19:40
 27日の記事でも少し書きましたが、昨日(28日)、メルボルンに到着し、本日(29日)午後、無事に自分の作品を含む日本からの出品作品の搬入・展示作業を完了いたしました。下の画像は、展示が終わった状態での自分の作品の前で撮った記念写真です。黄色いベストは、IDカードとともに、設営時に入場が許可されたスタッフが着用を義務付けられていました。

      メルボルン展・設営日

 今朝、宿を出るときには、少し肌寒かったので、防寒を兼ねてネクタイをしていったのですが、せっかく、オーストラリアの切手展に参加するということで、オーストラリアの切手がデザインに組み込まれた1本を締めて行くことにしました。その部分を拡大したのが下の画像です。

      メルボルン展・ネクタイ部分拡大  メルボルン・ネクタイ(部分)

 ネクタイでは、デザイン上の都合からか、全く異なる色になっていますが、オリジナルの切手はこんな感じです。

      オーストラリア・ブルーマウンテン越え150年

 これは、1963年にオーストラリアで発行された“ブルー・マウンテンズ横断150周年”の記念切手です。

 オーストラリアのブルー・マウンテンズは、ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの西に位置する山岳地帯で、ブルー・マウンテンズを含むグレート・ディヴァイディング山脈は、山脈、台地、高地および崖などから複雑に構成されており、標高はさほど高くはないものの、1788年の西洋人の入植後、実地踏査や英国人による入植の妨げとなっていました。

 こうしたなかで、1813年、英ケント州フォードウィッチ出身で農場経営者のグレゴリー・ブラックスランドは、ニュー・サウス・ウェールズ総督のラクラン・マクォーリーからグレート・ディヴァイディング山脈のブルー・マウンテンズを河川や谷沿いではなく尾根伝いに進む探検の承認を得て、同年5-6月、ウィリアム・ローソン、ウィリアム・チャールズ・ウェントワース、5人の従者、5匹の犬、4匹の馬とともに、ブルー・マウンテンズの横断探検を行いました。

 一行は、21日間をかけた横断行の末、山脈西側に広大な平地を発見し、6日かけて帰還。これにより、現実的な山越えのルートが開拓され、山脈の西側への農場の開拓が可能となりました。この功績により、探検隊の3人には400ヘクタールの土地が与えられました。今回ご紹介の切手は、一行が山脈を越えて平原を発見した時のイメージを描いたものです。

 さて、切手展は、現地時間の明日(30日)午前10時にオープンとなります。このブログでも、随時、会場の様子等をご紹介していくことになると思いますが、よろしくお付き合いいただけると幸いです。      


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 ワイン・ガードナー容疑者逮捕
2016-10-17 Mon 11:36
 オートバイのロードレース世界選手権(WGP)元王者ワイン・ガードナー容疑者(以下、呼称略)が、きのう(16日)、栃木県茂木町のサーキット「ツインリンクもてぎ」敷地内の道路上で、自動車の接触事故でトラブルになっていた男性ら3人の胸ぐらをつかんだとして、暴行の疑いで現行犯逮捕されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オーストラリア・ガードナー(2004)

 これは、2004年にオーストラリアが発行したオートバイ世界選手権王者の切手のうち、“ブルー・サンダー”のニックネーム通り、青いマシンを駆って走るガードナーを取り上げた1枚です。

 ワイン・ミシェル・ガードナーは、1959年10月11日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ウロンゴン生まれ。1980年、オーストラリア国内レースで走っていた際、日本のモリワキの代表である森脇護に才能を見いだされ、翌1981年、モリワキから英国のTT-F1に参戦するとともに、3月にはAMAのデイトナスーパーバイククラスに出場しZ1R-IIで4位に入賞。6月には全日本選手権の鈴鹿200kmレースで優勝したほか、同年の鈴鹿8時間耐久オートバイレース(鈴鹿8耐)でモリワキ・モンスターに乗り驚異的な予選タイムを記録し(決勝では60周回目に首位に立ったものの、その後転倒しリタイヤ)、注目を集めました。

 1983年の第8戦オランダGPでWGPデビュー。1987年の500ccクラスでオーストラリア人初の総合優勝を果たし、以後、鈴鹿8耐での4勝を含め、1992年第11戦イギリスGPのレースでの勝利を花道に引退するまでに、ホンダのバイクで通算18勝を記録しました。

 その後、1996年に4輪レースに転向し、母国オーストラリアでワイン・ガードナー・レーシングチームを結成。V8スーパーカー、ル・マン24時間レース、全日本GT選手権等に参戦し、1999年、2001年にそれぞれ1勝を挙げた後、2002年シーズンをもって現役を引退しました。

 引退後は2人の息子をライダーとして育てるべく、オーストラリアで「チームガードナーレーシング」を結成。今回の来日も、日本GP決勝に出場した息子のレミー・ガードナーの応援が目的だったそうです。

 今回の逮捕について、ガードナーは「自分の体をつかんだ腕をふりほどこうとして体をゆすっただけ」などと容疑を否認していますが、いかんせん、現行犯逮捕ですからねぇ。

 かつて主要国の切手には、国家元首を除き生存中の人物については、何が起こるかわからないので、原則として切手には取り上げないという不文律がありましたが、近年は切手も商業主義的な傾向が強まり、そうした制限を撤廃して、発行時にリアルタイムで活動している(いた)芸能人スポーツ選手も積極的に切手に取り上げるようになりました。もちろん、切手に取り上げられた芸能人やスポーツ選手の大半は犯罪とは無縁のまま生涯を終えるわけですが、今回のような事件が起きると、やはり、個人を顕彰する切手は、かつてのように、その人が亡くなってからにした方がいいんじゃないのかなぁ…と思ってしまいますな。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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