内藤陽介 Yosuke NAITO
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 30年目の10・26
2008-10-26 Sun 20:33
 10月26日は、1979年に韓国で朴正熙大統領暗殺事件(10・26事件)が起きた日です。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 朴正熙追悼

 これは、1980年2月2日に韓国で発行された朴正熙大統領追悼の切手です。

 1978年12月27日、維新体制における2期目の大統領に就任した朴正煕ですが、韓国の情勢は1979年夏以降、韓国内の情勢は急速に混迷の度を深めていくことになります。その発端は、野党・新民党内の混乱でした。

 維新体制時代の新民党内は、反政府の強硬路線を主張する金泳三の主流派と、“政権参加の下での改革”を主張し、与党との対話と協力を通じての現実的闘争を基本戦略を掲げる李哲承らの非主流派が激しく対立していました。1978年12月、2期目の朴正熙・維新体制が与党の圧倒的優位の下、盤石の体制でスタートすると、李の穏健路線は主流派から激しい批判を浴び、1979年5月の党大会では、金泳三が総裁に就任。民主化を要求する“鮮明野党”として、政府との対決姿勢をあらわにします。

 ところが、こうした“鮮明野党”路線に不満な党内非主流派は、同年8月、金泳三の党総裁当選無効を主張して、党執行部の職務停止の仮処分申請をソウル民事地方裁判所に提訴。ソウル民事地方裁判所がこれを認める決定を下すと、金泳三はこれを与党の陰謀として非難し、政府・与党と金の関係は一挙に緊張しました。

 さらに、9月10日、金泳三がニューヨークタイムス記者との会見で、「アメリカ政府は朴正煕政権への支持を中止するよう要請する」と発言したことが政治問題化し、10月4日、与党が多数を占める国会は金を除名。曲がりなりにも野党総裁の除名という前代未聞の事態に対して、新民党は所属議員全員の登院拒否を決議し、国会は機能不全に陥ります。そして、10月16日、金泳三の地元である釜山では、学生たちを中心として大規模な反政府デモが発生。デモは次第に過激化し、市内は暴動状態となりました。いわゆる釜山騒擾です。

 政府は、18日に釜山市一帯に非常戒厳令を布告して暴動を鎮圧しようとしましたが、20日には反政府暴動は馬山にも波及。政局は一挙に不安定化し、アメリカは政権交代をも視野に入れた事態の収拾をめざし、ウィリアム・グラスティーン駐韓大使が政府・与党関係者と会談したほか、26日には、ポスト朴体制をにらんで、金泳三とも会談しています。

 ところが、まさにその10月26日、朴正煕大統領が、中央情報部長の金載圭によって射殺されたのです。

 事件は、大統領の側近であった金載圭と、同じく側近で大統領警護室長の車智との権力闘争によるもので、大統領の信任が薄れていくことを怖れた金が、大統領もろとも、車を暗殺したものでした。事件後、金載圭とその部下たちは直ちに逮捕され、一人を除き、1980年3月に全員が処刑されています。

 また、朴の死亡を受けて、憲法の規定にもとづき、崔圭夏国務総理が大統領代行に就任。崔は10月27日午前4時を期して、済州島を除く韓国全土に非常戒厳令を布告し、鄭昇和陸軍参謀総長が戒厳司令間に就任し、1961年5月16日の軍事クーデター以来、18年の長きにわたった朴正煕時代は、突如として幕を閉じることになりました。

 なお、漢江の奇跡と呼ばれた高度経済成長と、強権的な政治手法と人権抑圧という、朴政権時代の光と影は、いずれも、当時の韓国切手にさまざまな痕跡を残しているのですが、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』では、それらをいろいろな角度から読み解いています。機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。


 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月1日(土)
  13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)
  16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)
 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。


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 出馬しなかった「合衆国生みの親」、リンカーンに敗れた男、第二次世界大戦の英雄、兄と同じく銃弾に倒れた男……。ひとりのアメリカ大統領が誕生するまでには、落選者の累々たる屍が築かれる。そのなかから、切手に描かれて、アメリカ史の教科書に載るほどの功績をあげた8人を選び、彼らの生涯を追った「偉大な敗者たち」の物語。本書は、敗者の側からみることで、もう一つのアメリカの姿を明らかにした、異色の歴史ノンフィクション。好評発売中!

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 崔圭夏
2006-10-23 Mon 00:58
 韓国の崔圭夏元大統領が昨日(22日)亡くなったそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

崔圭夏

 1979年10月26日、18年の長きにわたって続いてきた朴正煕政権は、朴が中央情報部長の金載圭によって射殺されることで、突如、幕を降ろしました。

 朴の死亡を受けて、憲法の規定にもとづき、大統領権限代行に就任したのが、国務総理だった崔圭夏でした。

 崔は日本植民地時代の1919年7月16日、江原道原州で生まれました。青年時代は日本に渡り、東京高等師範学校を卒業。一時は教職に就き、満州国にも渡っています。

 1948年の大韓民国成立後は、農林部糧政課長を振り出しに、外務部通商局長、外務次官、外相を歴任。1971年に外交担当特別補佐官に就任し、1975年、維新体制(朴正煕政権後半の独裁体制)の基盤を固めた金鐘泌の“政治内閣”が退陣すると、体制整備のための“実務内閣”の首相に就任しました。

 こうした政治的キャリアを見ればわかるように、崔は、朴正煕や金鐘泌のような軍人出身の政治家ではなく、基本的には実務派官僚という色彩の強い人物でした。

 さて、朴正煕の死去に伴う第10代大統領選挙は、1979年12月6日、憲法の規定に従って統一主体国民会議で行われ、大統領権限代行の崔が正規の大統領に選出されました。

 当選の翌日(7日)、崔は、維新体制下で国民の政治的自由を大きく制限していた大統領緊急措置第9号(1975年5月13日布告)を解除することを国務会議に提案。これが会議を通過し、12月18日、緊急措置第9号は4年半ぶりに解除されることになりました。

 そして、12月20日、崔の大統領就任式典が行われ、それにあわせて同日、崔の肖像を取り上げた“第10代大統領就任”の記念切手も発行されています。今日ご紹介しているのは、その記念切手です。

 切手発行のために必要な準備期間(最低でも1月強はかかるでしょう)を考えると、この切手は、崔が大統領権限代行に就任した早い段階で、準備されていたとみるのが自然です。このことは、12月の大統領選挙で、崔がとりあえず新大統領に就任することは、韓国の政治指導者たちの間では既定の路線となっていたことを物語っています。そして、その背景には、新大統領の崔が維新体制を清算し、新しい民主政府を発足させれば、実務派官僚としての彼の役割も終わり、彼は退陣するという暗黙の了解が韓国政界にはあったことも見落としてはならないでしょう。

 ところが、急激な体制変革ではなく、いわばソフトランディング路線で維新体制を解体していこうと考えていた崔の姿勢は、長年に渡り、独裁体制の下で政治的自由を制限されてきた国民の目からすると、いかにも微温的なものに映ったようです。

 当然、急進的な民主化の要求が高まり、その過程で学生運動が過激化。そして、年が明けて1980年に入ると、韓国各地で騒擾事件があいつぐようになります。

 こうした混乱に対して、文人大統領の崔は、朴正煕のような強硬姿勢を取ることができませんでした。こうした彼の姿勢は、結果的に“秩序の回復”を主張する軍の介入を招くことになり、全斗煥による権力奪取への道を開いていくことになるのですが、その辺りについては、いずれ機会を改めて詳しくご説明することにしましょう。

 *11月3日(金・祝)16:00より、東京・池袋で開催の<JAPEX>会場内にて『満洲切手』刊行記念のトークを行います。よろしかったら、是非、遊びに来てください。(『満洲切手』については、こちらもご覧ください)
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 韓国美術5000年
2005-07-10 Sun 08:50
 本日未明、カウンターが5000アクセスに達したようです。ここを訪れていただいた沢山の方に、まずはお礼申し上げたいと思います。

 さて、5000アクセスにちなみ、なにか5000に絡んだモノはないかと探していて見つけたのが、この切手です。

韓国5000年

 この切手は、1980年に韓国が5回にわけ、計10種セットで発行した“韓国美術5000年”のシリーズの1枚で、石造りの虎が取り上げられています。韓国語には、“昔々~”という意味を表すとき、“トラがタバコを吸っていた頃”という言い回しがありますので、ある意味で“韓国美術5000年”というシリーズにはぴったりの1枚ということもできるかもしれません。

 自国の歴史的伝統を強調したいというのは人間として自然な感情ですから、どんな国でも、歴史学的に確認できない時代からすでに自国の歴史は始まっていたとする物語が語られています。日本の場合も、いまから2665年前の縄文式土器の時代に神武天皇が即位したという建国神話がありますが、これもその典型です。

 さて、この切手が発行された頃、たしか“中華三昧”という、ちょっと値段が高めのインスタントラ-メンが発売され、“中国4000年の~”というフレーズが盛んにCMで流れていました。それが耳になじんでいた一中学生は、切手屋さんの店先に並んでいたこの切手とその説明を見て、教科書に出てくる古代文明の中国でさえ4000年なのに韓国はどうして5000年になるんだろうと単純素朴に疑問に思ったものです。

 その後、韓国の切手について少し知識が出てきて、戦後の韓国では郵便物の消印にも一時、檀紀(建国神話の檀君が即位したとされる西暦の紀元前2333年を紀元とする暦年)が使われていたことを知り、仮にその暦を用いたとしても、5000年には全然足りないのに、5000年という言葉の根拠はどこから出てくるのか、不思議でなりませんでしたが、そのことはいつしか忘れていました。

 さて、大学生の頃、夏休みにテュニジアでバカンスを兼ねたアラビア語の語学研修を受けていた時、クラスのメンバーに対して、それぞれの国について外国人から見て疑問に思うことを質問するというレッスンがありました。そのとき、突如、中学生の頃の疑問が頭の中によみがえり、同じクラスにいた韓国人の友達に、「日本人も歴史を水増しして2600年というけど、韓国では5000年って言うよね。で、実際のところ、5000年前の韓国って、本当はどんな感じだったんだろう?やっぱり、他の国とおんなじで、みんな腰蓑一枚で歩いてたのかな」との不躾な質問をぶつけてみました。

 この質問に、他の連中(ほとんどがヨーロッパ人です)は、「5000年だって!いくらなんでもそいつはありえないだろ」と驚いていました。また、教師には、内藤は数詞の使い方を間違ってるんじゃないかとも言われました。

 で、友人の韓国人は返答に窮してしまい、困った顔をしていたのですが、最後に一言。「まぁ、日本よりは韓国のほうが国家(王朝)としての歴史が古いってことでいいじゃないか」

 ハイ、お説ごもっともです。

 韓国5000年ということで、ちょっと懐かしく思い出したお話でした。
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