内藤陽介 Yosuke NAITO
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 サイゴン陥落40年
2015-04-30 Thu 11:17
 1975年4月30日、ヴェトナム共和国(南ヴェトナム)の首都だったサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、ヴェトナム戦争が終結してから、きょう(30日)でちょうど40年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         南ヴェトナム・不発行(ポークロンガライ)

 これは、南ヴェトナム郵政が準備していたものの、1975年4月30日のサイゴン陥落によって南ヴェトナム国家そのものが消滅してしまったため、不発行に終わった切手です。

 いわゆるドミノ理論によってヴェトナムに軍事介入し、南ヴェトナム政府を支え続けてきた米国ですが、1973年1月27日、南ヴェトナム、ヴェトナム民主共和国(北ヴェトナム)、南ヴェトナム臨時革命政府(解放戦線)とのパリ和平協定に調印し、同年3月末には米軍最後の部隊を撤退させました。さらに、同年8月には、米空軍機によるカンボジアへの爆撃も終了し、インドシナにおけるアメリカの軍事活動は終了。この時点で、インドシナ戦争は実質的に終わったといえます。

 その後、米軍の援助を失った南ヴェトナム軍は総崩れとなり、北ヴェトナムと解放戦線は、2年はかかると見られていた南の制圧を驚異的な速度で進め、1975年4月には首都サイゴンに肉薄。これにより、市内はパニックになり、米軍を支援していた関係者は粛正を恐れ米国大使館や空港に殺到。米国もサイゴンからの撤退を開始し、米大使グラハム・マーチンをはじめとする米国人関係者と南ベトナム政府要人はヘリコプターで第七艦隊空母などへ脱出し、サイゴンは4月30日に陥落する。かくして、北ヴェトナム正規軍はサイゴンにほぼ無血入城し、南ヴェトナム政府は崩壊。ヴェトナム戦争は終結しました。

 こうした混乱の中で、南ヴェトナム郵政は、1975年3月26日に「農業の日(農業改革法5周年)」の記念切手を発行。さらに、サイゴン陥落までの間に、すでに発行済みの切手に額面改定の加刷を施した切手を3種発行しています。しかし、4月30日に南ヴェトナム国家そのものが消滅してしまったため、21種の切手(正刷19種・加刷2種)については、準備はされていたものの、発行されずに終わってしまいました。これらの不発行切手が市場に出回るようになったのは、1980年代以降のことでした。

 今回ご紹介の切手は、そのうちのポークロンガライ遺跡を取り上げた1枚です。

 ポークロンガライ遺跡は、13-14世紀にかけてチャンパ王国が建立した遺構で、ヴェトナム南部、ホーチミン市の北350kmの位置にあるファンランにあります。切手に描かれているのは、そのうちの主祠堂で、入口にはシバ神像のレリーフが掲げられ、中にはポークロンガライ王(1151-1205)の像が祀られています。廃墟となった遺跡の姿が、切手を発行しようとして果たせなかった南ヴェトナムの姿とも重なるようで、なんとなくうら淋しい感じがしますな。


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 マクナマラ亡くなる
2009-07-07 Tue 21:39
 ベトナム戦争時のアメリカの国防長官だったロバート・マクナマラがきのう(6日)亡くなりました。というわけで、きょうはベトナム戦争ネタの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 南ベトナム・反ベトコン標語印   南ベトナム・反ベトコン標語印(裏)

 これは、1965年4月、ベトナム戦争時のベトナム共和国(南ベトナム、サイゴン政権)の支配下にあったサデックからフエ宛に差し出されたカバーで、同年3月23日に発行の“世界気象の日”50スー切手のペアが貼られています。北ベトナムで悲惨な暮らしを続ける同胞に手を差し伸べる南ベトナム人民というデザインが“いかにも”という感じです。また、裏面(右側の画像)には“Chi co hoa binh khi Viet cong rut khoi mien Nam(南ベトナムからベトコンが撤退して初めて平和が訪れる)”とのスローガン印が押されているのも興味深いところです。

 1954年7月のジュネーブ協定により、フランスからの独立戦争としての第一次インドシナ戦争は停戦となり、ベトナムは北緯17度線を軍事境界線として、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)に分断されます。このうちの南ベトナムに誕生したゴ・ディエン・ジェム政権に対して、アメリカは“反共の防波堤“としての役割を期待し、多額の援助を投入しましたが、ジェム政権は国内での独裁傾向を強めて反対派を弾圧。こうしたジェム政権に対する不満から、南ベトナムの農村では半ば自然発生的に抵抗運動が発生し、これを北ベトナムが支援するという形で南ベトナム情勢は不安定化しました。

 このため、マクナマラが国防長官を務めていたケネディ政権は、1961年5月、南ベトナム支援のために特殊部隊400人と軍事顧問100人の派遣を決定。小規模ながら、ベトナムへの軍事介入を開始しますが、以後、解放戦線の予想を上回る活動に接したアメリカは、なし崩し的にベトナムへの軍事介入を強化していくことになります。

 こうした状況の中で、1963年5月、中部ベトナムの古都フエで仏教徒による大規模な反政府デモが発生。デモはたちまちベトナム全土に波及し、6月8日、1人の僧侶がサイゴンで抗議の焼身自殺を行うと、これに対して、ジエムの弟で大統領顧問であったゴ・ディン・ヌーの夫人が“坊主のバーベキュー”と発言。ジエム政権は世界的規模で激しい非難を浴び、国民の信を完全に失いました。

 このため、アメリカもジエム政権を完全に見放し、ジエム政権に代わる新たな親米政権を樹立して、あらためて共産主義者と対決する方向を模索するようになり、1963年11月1日、CIAの立案した計画により、南ベトナム軍の将軍たちがクーデタを起こし、ジエム兄弟は逮捕・射殺されました。しかし、ジエム政権の後に登場したズオン・バン・ミン政権も安定せず、以後、サイゴン政権では将軍たちによるクーデタが繰り返され、南ベトナムの状況はますます動揺し、解放戦線は攻勢を強めていくことになります。

 ジエム政権の崩壊当初、マクナマラは年内の1000人の顧問団の引き上げを再確認するとともに、1965年までの軍事顧問団の完全撤退を発表しましたが、ケネディ暗殺のためこの撤退計画は頓挫してしまいます。さらに、翌1964年8月にいわゆるトンキン湾事件が発生すると、アメリカは北ベトナムに対する空爆(北爆)を開始しますが、北ベトナム側の抵抗によって戦況は好転せず、南ベトナム軍の将兵たちは次第に戦意を喪失。戦局の悪化に反比例するかのように、南ベトナムに駐留する米軍の数は膨脹し、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまり込んでいくことになるのです。

 なお、ベトナム戦争に関する切手や郵便物については、拙著『反米の世界史』でもいろいろとご紹介したことがありますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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 早めに撤退すりゃ良かった?
2007-11-25 Sun 11:37
 オーストラリアの連邦議会(上下両院)選挙で与党の保守連合がハワード首相みずから落選という大敗を喫し、11年ぶりに労働党政権が誕生することになりました。このニュースを聞いて思い出したのがこんな切手です。(画像はクリックで拡大されます)

南ベトナム・国際協力の日

 これは、1968年に南ベトナムが発行した“国際協力の日”の記念切手です。切手を見ればすぐにわかるように、ここでいう“国際協力”というのは、ベトナム戦争において南ベトナム支援のために自由主義諸国が派兵することで、その一員としてオーストラリアの国旗も描かれています。

 東南アジアと隣接するオーストラリアは、ベトナム戦争にも積極的に関与し、1965年以降、軍隊を派遣しています。ところが、その前年の1964年にオーストラリアでは徴兵制(兵役義務制度)が導入され、しかも、ベトナム戦争の長期化でオーストラリア兵の犠牲も急増したことから、次第に国民世論は派兵反対へと傾くようになりました。

 その結果、1972年の選挙では、ベトナムからの撤兵を公約に掲げるゴウ・ウィットラムの労働党が勝利し、オーストラリア軍はベトナムから撤退することになります。その後、ウィットラム政権は、兵役義務と高等教育費を廃止し、自由に広く利用できる健康保険制度をつくり、アボリジニーに対して土地の所有権を認めるなど、リベラルな政策を展開しています。

 今回の選挙でも、ベトナム同様、泥沼化するイラクからのオーストラリア軍の撤退問題が大きな争点になっていたわけですが、やはり、派兵にこだわり続けた与党が敗北し、撤退を公約に掲げた労働党が勝利を収める結果となりました。まもなく発足する新政権は、アメリカとの同盟を外交の基軸としながら、イラク駐留部隊の部分撤退や京都議定書の批准など、ハワード路線の軌道修正を図るのだそうですが、まずはお手並み拝見というところでしょうかね。

【イベントのご案内】  
 12月1日(土)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。

 僕の出番は、13:20スタートの「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」と題するセッションの2番目。入場は無料でどなたでもご参加いただけますので、ぜひ、遊びに来てください。
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 国民投票
2007-05-14 Mon 00:37
 今日(14日)の午前中にも憲法改正手続きを定める国民投票法が参議院で可決・成立するのだそうです。

 というわけで、“国民投票”がらみということで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

南ベトナム国民投票

 これは、1955年、当時の南ベトナムで行なわれた国民投票の際の郵便用の投票用紙です。

 第2次大戦後、ベトナムの独立をめぐって戦われた第1次インドシナ戦争は、1954年7月21日にジュネーブ協定が調印され、ベトナムは共産主義国家の北ベトナムと、親西側陣営の南ベトナムにベトナムを一時的に分割されます。ジュネーブ協定では、1956年7月に自由選挙を行い、南北統一の中央政府を樹立することを定めていましたが、この協定に調印したのはフランスと北ベトナムのみで、統一選挙を行なえば勝ち目がないと考えていたアメリカと南ベトナムは調印を拒否します。

 その後、南ベトナムの国家元首であるバオ・ダイは、首相にゴ・ディン・ジエムを任命しましたが、アメリカの支援を受けたゴ・ジン・ジェムは、1955年に国民投票を行なってバオ・ダイを免職し、ベトナム共和国の設立して自らが初代大統領に就任してしまいます。以後、これに反対して南ベトナム政府の打倒を目標とする南ベトナム解放戦線(ベトコン)によるゲリラ活動が活発化し、南ベトナムの内戦から第2次インドシナ戦争が導かれていくのです。

 さて、今回ご紹介しているのは、その1955年の国民投票のときのもので、投票部分を折りたたんで料金無料でゴ・ジン・ジェム宛に送ることが出来るようになっています。裏面には、投票にかける3項目について、それぞれ、Yes-Noを選べるようになっています。ただし、このマテリアルに関しては、実際には投票に用いられていません。まぁ、実際に使われたものが市場に出回ったら、それはそれで大変なことなので、いたし方のないことではあるのですが…。

 なお、この時期の南ベトナムの切手や郵便については、拙著『反米の世界史』でもいろいろとご紹介していますので、もしよろしかったら、ご一読いただけると幸いです。
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 サイゴンからホーチミンへ
2006-05-19 Fri 23:45
 “XXの日”というのは、何かとこじつけっぽい語呂合わせが多いので、今日(5月19日)あたりは“ゴイクン(ベトナム風春巻き)の日”にでも指定されているのかと思ったら、さすがに、そういう日はないようです。でも、今日はホーチミンの誕生日(1890年)なので、「まぁ、こんなモノを持ってきても罰は当たるまい」という気分で引っ張り出してきたカバー(封筒)が下の1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

南ベトナム共和国カバー

 これは、ベトナム戦争終結後の1976年5月、南ベトナム共和国の支配地域で差し出されたもので、同共和国の発行した切手が貼られています。

 1975年、サイゴンが陥落し、ベトナム共和国(いわゆる南ベトナム)が崩壊した後、南ベトナムは“南ベトナム共和国”の支配下に置かれます。同共和国を支配していた南ベトナム共和国臨時革命政府は、もともとは、ベトナム戦争下の1969年、北ベトナムのベトナム労働党の指示に基づいて秘密党員が樹立した地下政府で、南ベトナム解放民族戦線(いわゆるベトコン)の労働党員が主要なポストを独占していました。

 その後、臨時政府は正式な政府に発展しないまま、1976年7月1日に北ベトナムが南ベトナムを吸収するかたちで“ベトナム社会主義共和国”が樹立されると、消滅しています。

 南ベトナム共和国の切手は、かつて、未使用の単片や注文消しの使用済み切手なんかが日本でも盛んに出回っていましたが、ここに示しているような実逓カバー(実際に郵便に使われたカバー)を探そうとすると、案外、苦労するものです。

 今回ご紹介しているカバーは特別に珍しいものというわけではありませんが、統一ベトナムの誕生によって“ホーチミン”と改称される直前のサイゴン宛にホーチミンの切手を貼って差し出したというところが、ちょっと面白いかなと思っています。

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