内藤陽介 Yosuke NAITO
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 勤労感謝の日
2014-11-23 Sun 22:56
 今日(23日)は勤労感謝の日です。というわけで、農家の方々に感謝して、収穫の場面を取り上げた切手に絡んでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      北朝鮮・土地改革カバー(紫)

 これは、1949年5月11日、北朝鮮・咸鏡北道の羅南から咸鏡南道北青郡宛のカバーで、1946年2-3月に行われた“土地改革”を記念して発行された1ウォン切手が貼られています。この切手には、刷色や用紙などの様々なバラエティがありますが、今回ご紹介のモノは、茶紙に紫色で印刷されたもので、日本時代の櫛形印の印顆を活用した消印が押されています。

 日本敗戦時の北朝鮮では、全農家の4パーセントの地主が総耕作地の58・2パーセントを所有していました。このため、北朝鮮を占領したソ連は、北朝鮮社会のソヴィエト体制化の手始めとして、農地解放に着手。まず、解放直後の1945年秋、小作料を収穫の7割とする政策が採用され、反対する地主との間に闘争が展開されました。

 1946年2月8日、北朝鮮臨時人民委員会の発足に伴い、委員長に選出された金日成は、同年3月、土地改革法令を公布し、本格的に土地改革を開始します。

 北朝鮮の土地改革は、日本人や親日派の所有地と、5町歩以上の朝鮮人地主の所有地、さらに全ての継続小作地を完全に無償で没収し、土地なき農民に無償で分配するかたちで行われました。この結果、全耕作地面積195万2000町歩のうち、半数を超える100万3025町歩が没収されたうえ、99万922町歩が小作農に対して分配され、50万戸以上の農家(当時の北朝鮮の農家総数は100万4600戸)が地主への隷属から解放されたといわれています。一連の土地改革は、1946年3月5日の「土地改革法令」発表によって電撃的に進められ、反対する者は容赦なく収容所送りにするという強権的な行政的手法により、わずか20日あまりで完了しました。

 土地所有者となった農民に対しては、改革から3ヶ月後の1946年6月27日、現物税制の実施が決定され、農民は23-27パーセントの現物税を国家に納めることになりました。

 なお、土地改革法令はその第4条で「朝鮮の自由と独立のための反日本侵略闘争に功労のあった者およびその家族の所有地、朝鮮民族文化の発展に特別の功労のあった者およびその家族の所有地は、人民委員会の特別の決定によって割譲を免れる」との例外規定を設けており、「親日」と「反日」の判定が、客観的な基準によるのではなく、行政側の裁量にゆだねられていたことがうかがえます。

 また、財産を没収された元地主は、北朝鮮内で農業を続けるためには他郡に移住しなければならず(土地改革法令第6条には、自力で耕作しようとする地主は他郷において土地を与えられるとの規定がある)、これが後の行政的移住政策のルーツとなったと考えられています。実際、この規定により9622町歩が旧地主に与えられたとの報告があり、約3200戸の地主が移住させられたものと推測されています。

 土地改革によって多くの小作農が土地を所有するようになったことで、北朝鮮のソヴィエト体制化の基盤が築かれたとされていますが、公式発表によれば、1947年には農民によって耕作面積が30万町歩も拡大されたほか、1948年度には穀物生産高が解放前の最高水準だった1939=昭和14年度に比して110.3パーセント増加したとされています。ただし、そうした公式統計の数字が正確なものであったとしても、一般国民の実質的な生活水準は決して向上しませんでした。

 なお、このあたりの事情については、拙著『朝鮮戦争』でもいろいろとご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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      チャンネルくらら写真

 毎週水曜日、インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する番組「切手で辿る韓国現代史」が配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
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 毎月1回(原則第1火曜日:1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は1月6日(12月は都合によりお休みです)で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 太陽節
2014-04-15 Tue 15:58
 きょう(4月15日)は金日成の誕生日ということで、北朝鮮では“太陽節”という民族最大の祝日に指定されています。というわけで、“金日成”がらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       金日成大学宛

 これは、1950年7月19日、北朝鮮・咸鏡南道から平壌の“金日成大学”(金日成総合大学)宛てに差し出された郵便物です。

 貼られている切手は、1946年2-3月に行われた“土地改革”を記念して発行された1ウォン切手です。北朝鮮の土地改革は、日本人や“親日派”の所有地と、5町歩以上の朝鮮人地主の所有地、さらに全ての継続小作地を完全に無償で没収し、土地なき農民に無償で分配するというもので、反対する地主は容赦なく逮捕し、収容所送りにするものでした。切手には刷色や用紙などの様々なバラエティがあります。

 北朝鮮当局の説明によると、1946年10月1日、金日成の「総合大学の最も重要な任務は、優秀な民族幹部を多く輩出する事である」という号令の下、土地改革によって土地を得た農民らが“愛国米”を献納し、大学の建設資金が賄われたとされています。それゆえ、“人民の大学”ということになっていますが、現実の問題として、金日成総合大学に入学するためには、北朝鮮独自の厳格な身分制度である“出身成分”が良くなければほぼ絶望的で、本来の意味での人民の子弟はいくら努力しても入学は困難です。

 ところで、北朝鮮の初期のカバーとして市場に出回っているものの中には、今回ご紹介のカバーのように、金日成総合大学宛のものがかなりの割合で含まれています。これは、朝鮮戦争時、平壌を占領した国連軍が北朝鮮の官公庁や大学などから大量の文書を押収した際、それに付随して持ち出されたカバー類が市場に放出されたことによるものです。まぁ、文書を押収した側からすれば、手紙類の中身には関心があるものの、外側の封筒はどうでもよいということだったのでしょう。僕にとっては、外側の方がよっぽど重要なんですが…。

 さて、今週土曜日(19日)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階・第2会議室にて開催のメディア史研究会月例会にて、「ポスタル・メディアと朝鮮戦争」と題する発表を行います。発表は、(公財)韓昌祐・哲文化財団の研究助成を受けたプロジェクト「郵便学的視点による韓国戦争史の再構成」による成果発表の一部として行うもので、今回ご紹介のような資料も使いながら、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(予約不要・参加費無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。
 

 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス本館2階 第2会議室(以前ご案内していた会場から変更になりました)にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


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 太陽節
2006-04-15 Sat 16:34
 今日は4月15日。かの国の“偉大なる首領様”のお誕生日ということで、かの国では“太陽節”という民族最大の祝日に指定されています。となると、『北朝鮮事典』の筆者である僕としては、やっぱり、なんらかの形で首領様の切手を取り上げないわけには行きません。というわけで、今日はあまたある“首領様”の切手の中から、この1枚を持ってきました。

最初の金日成切手

 これは、1946年8月15日、ソ連占領下の北朝鮮(この時点では、朝鮮民主主義人民共和国政府は発足していませんので、“北朝鮮”が正式名称です)で発行された解放1周年の記念切手です。

 中央に大きく描かれているのは、若き日の金日成です。

 ハバロフスク近郊でソ連軍の訓練を受けていた金成柱大尉は、日本敗戦後の1945年9月、ソ連の軍艦プガチョフ号でソ連占領下の北朝鮮にひそかに帰国。同年10月、平壌市北部の箕林里にある公設運動場(現・金日成競技場)で開催された「金日成将軍歓迎平壌市民大会」において、ソ連占領軍司令部の政治委員、ロマネンコから「最も偉大な抗日闘士」としてはじめて一般の北朝鮮市民に紹介されました。

 当時、ソ連占領当局の政治司令官だったレベジエフは、大会は、極東ソ連軍の指揮下の88特別旅団・第1大隊長で金日成の変名を使っていた金成柱大尉を、伝説の抗日英雄・キムイルソンとして紹介し、以後、ソ連子飼いの彼を通じて、占領行政をスムースに進めるための手段として企画されたと証言しています。

 歓迎大会は、ソ連占領当局の大々的な宣伝や共産主義陣営の各種団体による組織的動員などもあり、最低6万人(一説には、30万人とも40万人ともいわれている)が集まり、運動場は立錐の余地もないほどの群衆で埋め尽くされていました。

 開会は午前10時に開始の予定でしたが、実際に始まったのは午前11時過ぎで、中央のひな壇にはソ連第25軍総司令官チスチャコフ大将、先述のレベジエフ少将、民生司令官ロマネンコ少将らソ連軍将校、大会準備委員長の晩植(当時、平安南道人民委員会委員長)や朝鮮共産党幹部などが座っていました。金日成も、当然、ひな壇上にいたのですが、集まった人々は誰も彼のことを知らなかったといわれています。また、舞台には太極旗(旧大韓帝国の国旗で現韓国国旗。当時は、北朝鮮でもこれを国旗として扱っていました)と、戦勝国のソ連・アメリカ・イギリス・中国の国旗が掲げられていました。

 歓迎大会の司会者は、前日、西北五道党責任者および熱誠者大会で朝鮮共産党北朝鮮分局責任秘書に選出された金鎔範で、レベジエフ、晩植、金日成の順序で3名が演説しましたが、金日成が登場したとき、観衆は唖然としたとの証言が数多く残されています。そいうのも、伝説の英雄である“金日成将軍”として紹介された人物が、人々の想像していたような白髪の老将軍ではなく、30代(当時、金日成の実年齢は33歳)の若者だったからです。

 しかも、彼は軍服や人民服ではなく、背広にネクタイ姿(ソ連軍通訳・姜ミハエル少佐からの借り物といわれています)、ソ連軍の勲章をつけていました。後見役のレベジエフは、ソ連軍の勲章をつけると金日成がソ連の傀儡であることが露骨に判るので、勲章を外すように事前に勧告していたのですが…首領様は他人から指図されるのがお嫌いなようです。

 さらに、金日成は、ソ連軍将校がロシア語で作成し、詩人の田東赫が翻訳した演説原稿をたどたどしい朝鮮語で読み上げ、退場するというありさまでした。

 このため、金日成の演説が終わると、一部の人々は演壇の周囲に集まり、「偽の金日成だ」と言って騒ぎを起こし、ソ連軍兵士が発砲する騒ぎも起こりましたが、会場全体としては、「金日成将軍万歳」の声がこだまし、大会は終了しています。

 今日の切手は、1946年8月15日、解放1周年に際して北朝鮮郵政が発行したものですが、太極旗をバックにした背広姿の金日成が描かれています。おそらく、「金日成将軍歓迎平壌市民大会」の模様を忠実に再現した結果、このような図案になったのでしょう。

 しかし、スターリンや毛沢東、ホーチミン、チトーなど、同時代の社会主義諸国の指導者で、軍事指導者としても活躍したはずの人物は、その証として軍服ないしはそれに準じる人民服姿で切手に登場するのが一般的でしたから、背広姿の金日成をほかならぬ“解放一周年”の記念切手に登場させるということは、彼が本来の意味での抗日の英雄であれば、他の社会主義諸国の例と比較して、きわめて不自然です。

 歓迎大会の模様を忠実に再現した切手が見る者に不自然な印象を与えるということは、その元になった歓迎大会そのものが不自然なものであったからといってもよいでしょう。そして、この不自然さが、ソ連軍の一大尉を強引に伝説の抗日英雄に祭り上げたことに由来しているのは、あらためて言うまでもありません。

 もっとも、そういうことを言い出すと、今日にいたるまで“首領様”の物語の大半は不自然なエピソードで満ち溢れているわけで、身も蓋もありません。まぁ、首領様の切手はこれが最初の1枚なんですが、その後もずっと同じようなことが繰り返されているのを見ると、まさに“三つ子の魂百まで”ということわざを思い出してしまいます。

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 北朝鮮切手60年
2006-03-13 Mon 22:04
 北朝鮮では、平壌市中区域の“朝鮮切手展示館”(朝鮮郵票社の建物のことでしょうか)で、切手発行60周年の記念切手展が行われているそうです。(写真は“会場の様子”とされるもの。元記事はこちら

北朝鮮切手展

 この写真を見る限り、展示は最近の切手が主なようで、1950年代までの貴重な切手・カバー(封筒)類がゴロゴロ展示されているというわけではなさそうですので、現地に乗り込んでいかなくてすみそうです。(なにせ、その昔、『北朝鮮事典』なんて本を作りましたからねぇ。当然向こうのブラックリストには入ってるでしょうから、現地に行くとなるとただではすまないでしょう。)

 で、HIDENさんのブログでこの展覧会のことを知るまですっかり忘れていたのですが、そういえば、北朝鮮最初の切手が発行されたのは1946年3月12日ですから、昨日でちょうど北朝鮮切手は60周年というわけです。

 それなら、ということで、北朝鮮最初の切手の画像をお見せしましょう。
 
 北朝鮮最初の切手

 北朝鮮で、日本切手に加刷したものではなく、正刷切手(オリジナル・デザインの切手)がこの時期に発行されているのは、その後の南北分断の歴史を考えると極めて重要な意味を持っています。

 この点については、以前の記事でも書いたことがありますが、もう一度おさらいしておきましょう。

 日本が降伏した1945年8月の段階で、ソ連が日本降伏後の朝鮮半島に衛星国を建設するという明確なプランを持っていたのに対して、アメリカは朝鮮半島の戦後処理についてなんら具体的な計画を持っていませんでした。このため、とりあえず、米ソの間で暫定的な境界線として北緯38度線が設定され、朝鮮半島は米ソによって分割占領されます。その後、同年12月にモスクワで開催された米ソの話し合いの結果、朝鮮半島を一定期間の信託統治下に置くというプラン(モスクワ協定)が決定され、発表されます。

 モスクワ協定が発表されると、即時独立を求める南朝鮮(大韓民国はまだできていません)では大規模な反対闘争が発生。これに対して、ソ連が着々とソビエト体制化をすすめていた北朝鮮では、ソ連の意を汲んだ金日成が信託統治を“ソ連による後見”と読み替えて賛成の意向を示します。そして、それに引きずられるかたちで、南朝鮮の左翼勢力も信託統治に賛成を表明し、南朝鮮は信託統治の是非をめぐって社会的に混乱しました。

 さて、ソ連は、モスクワ協定の段階では、朝鮮に南北統一の政府を作ることも考えていましたが、その後の南朝鮮の状況を見て南北の統一は無理と判断。とりあえず、自分たちが占領している北半部だけでも、自分たちの意のままになる政府を作り、そこから、影響力を南半部にも拡大していこうとする民主基地路線に大きく舵を切ります。そして、1946年2月には、事実上の北朝鮮政府として北朝鮮臨時人民委員会を発足させ、南北分断に向けての第1歩を踏み出すのです。

  今回ご紹介している切手は、そうした状況の下で、北朝鮮臨時人民委員会の名において発行されたもので、まさに、彼らが郵便の分野においても、自分たちの存在をアピールするためにつくったものとみなすことができます。

 ちなみに、北朝鮮では、1946年3月12日に、今回ご紹介したムクゲの切手とあわせて金剛山を描く切手も発行しています。この切手に関しては、またいろいろと面白い読み解き方ができるのですが、その辺については、今日のところは随分文章も長くなりましたので、又の機会にお話しすることにしましょう。

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 北朝鮮で使われた日本製の葉書
2005-10-04 Tue 13:30
  昨日 ・一昨日 と第二次大戦後のヨーロッパでの分割占領の話を書きましたが、分割占領といえば、やはり、朝鮮半島のことにも触れないわけに行かないでしょう。

 1945年8月の段階で、ソ連が日本降伏後の朝鮮半島に衛星国を建設するという明確なプランを持っていたのに対して、アメリカは朝鮮半島の戦後処理についてなんら具体的な計画を持っていませんでした。このため、とりあえず、暫定的な境界線として北緯38度線が設定され、朝鮮半島は米ソによって分割占領されます。その後、同年12月にモスクワで開催された米ソの話し合いの結果、朝鮮半島を一定期間の信託統治下に置くというプラン(モスクワ協定)が決定され、発表されます。これに対して、即時独立を求める南朝鮮(大韓民国はまだできていません)では大規模な反対闘争が発生。これに対して、ソ連が着々と金日成政権の地盤を固めていた北朝鮮は、ソ連の意を汲んで、信託統治に賛成の意向を示します。そして、それに引きずられるかたちで、南朝鮮の左翼勢力も信託統治に賛成を表明し、南朝鮮は信託統治の是非をめぐって社会的に混乱しました。

 さて、ソ連は、モスクワ協定の段階では、朝鮮に南北統一の政府を作ることも考えていましたが、その後の南朝鮮の状況を見て南北の統一は無理と判断。とりあえず、自分たちが占領している北半部だけでも、自分たちの意のままになる政府を作り、そこから、影響力を南半部にも拡大していこうとする民主基地路線に大きく舵を切ります。そして、1946年には、事実上の北朝鮮政府として北朝鮮臨時人民委員会を発足させ、南北分断に向けての第1歩を踏み出すのです。

 さて、↓は、その北朝鮮臨時人民委員会の統治下で差し出された葉書です。

北朝鮮初期の葉書

 葉書は日本時代のものを接収し、漢字の郵便葉書や朝鮮のハングル表示、額面の五十銭などの文字が入った赤い印を押したうえで使用したものです。この印には、印色や額面などでいろいろとバラエティがあるのですが、それらを全部そろえるのは容易ではありません。葉書は1947年9月に城津から差し出されています。この城津は、後に北朝鮮の要人であった金策にちなんで改名され、現在は金策となっています。

 ちなみに、1945年以降しばらくの間は、南朝鮮でも日本時代の葉書が使われていました。

 我々は、ともすると1945年8月15日を境に、その前後で、日本時代と解放後がデジタル的にスパッと切り分けられるような錯覚を持ちがちですが、人々の生活レベルでは、そうそう簡単に前時代の“遺産”が消滅してしまうわけではありません。そういう当たり前のことを、こうした葉書は改めてわれわれに教えてくれているような気がします。

 さて、10月28~30日に東京・池袋のサンシャイン文化会館で開催の<JAPEX >では、今年が戦後60年ということにちなみ、“1945年”にスポットをあてた特別展示を行います。僕も“戦後世界の形成”と題する作品を出品する予定です。朝鮮半島に関しては、この葉書を含め、1948年に南北両政府が発足するまでの歩みを切手や郵便物でたどります。是非、月末は池袋にお運びいただき、“1945年”の企画展示をご覧いただけると幸いです。
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