内藤陽介 Yosuke NAITO
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 南極の夏至
2017-06-21 Wed 09:48
 きょう(21日)は夏至です。東京はあいにく朝から雨降りなので、せめて気分だけでも太陽をということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      仏領南極・夏至

 これは、2007年に仏領南極で発行された“6月21日のデュモン・デュルヴィル(基地)での太陽の動き”の切手です。北半球と南半球では夏と冬が逆になりますが、夏至と冬至に関しては北半球にあわせて、南半球でもきょうが“夏至”になります。ただし、南半球では生活上、冬の季節に“夏”というのは違和感もあるため、慣用的に“冬至”ということもあるのだとか。

 19世紀以降、南極探検が盛んに行われるようになると、英国・フランス・ノルウェーオーストラリア・ニュージーランド・アルゼンチン・チリの各国は、豊富な地下資源や領海内の水産資源の確保を目指して、自分たちが調査した地域の領土権を主張しはじめます。

 このうち、フランスは、1840年にフランス人探検家デュルヴィルが発見した南極大陸北岸を“アデリー海岸(アデリーはデュルヴィルの妻の名)”と命名。1955年には、南極点を頂点に東経136度から東経142度にかけての扇型の範囲をアデリーランドとして領有権を主張しています。このアデリーランドにアムステルダム島、セント・ポール島、クロゼ諸島、ケルゲレン諸島を加えた範囲が“フランス南部および南極領土(以下、仏領南極)”となるのですが、実際には、フランスも締約している南極条約によって、南極地域における領土主権、請求権は凍結されています。

 また、仏領南極の切手は、当時フランス領だったマダガスカルの切手に“Territoire des Terres Australes et Antarctiques Françaises”の文字を加刷したものが1955年に発行されたのが最初で、正刷切手としては1956年のものが最初となります。

 さて、6月の夏至の時季、北極海を中心に北極圏では、1日中太陽が沈まない“白夜”となりますが、南極圏以南は逆に1日中、夜が続く“極夜”となります。ただし、南極大陸のうち、南極圏(南緯66.5度)より南に位置する地域では、わずかですが、夏至の時期でも太陽が見られます。今回ご紹介の切手のデュモン・デュルヴィル基地は、南緯66.4度の位置にあるためギリギリ太陽が拝めるわけで、切手では、6月21日10時25分の日の出から14時53分までのわずか4時間半の太陽の移動が表現されています。
 

 ★★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史” ★★★ 

 6月15日(木)に放送の「切手でひも解く世界の歴史」の第4回目は無事に終了しました。お聞きいただいた皆様、ありがとうございました。次回の放送は6月29日(木)16:05~の予定ですので、引き続き、よろしくお願いいたします。 

 なお、15日放送分につきましては、放送から1週間、こちらの“聴き逃し”サービスでお聴きいただけますので、ぜひご利用ください。

 ★★★ 内藤陽介 『朝鮮戦争』(えにし書房) 重版出来! ★★★ 

      朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 英領南極で郵便局員募集
2015-02-26 Thu 22:03
 英国の南極遺産トラストが、英領南極のポート・ロックロイ基地に期間限定で勤務する“郵便局員”の募集広告を自らのウェブサイトに掲載したところ、応募者約1000人が殺到し、サイトへの接続が一時不可能となるほどの反響を呼んだそうです。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       英領南極 ポート・ロックロイ

 これは、2001年に発行された英領南極の切手で、ポート・ロックロイ基地が取り上げられています。

 英国による南極地域の領有の主張は、1819年2月19日、ウィリアム・スミスがサウス・シェトランド諸島を発見し、領有宣言を行ったのが最初です。翌1820年には英探検隊によりグレアムランドが、ついで1821年にはサウス・オークニー諸島が発見されました。

 ポート・ロックロイは、もともとは、英領フォークランドの一部であるパーマー諸島のヴィンケ島の北西岸に位置する湾で、1904年、フランスのジャン・バプチスト・シャルコットひきいる探検隊によって発見されました。地名は、探検隊を支援していたフランスの政治家エドゥアルド・ロックロイににちなむもので、1911年から1931年まで、港湾として用いられていました。

 第二次大戦中の1943年、湾内の小島ゴージャー島に英国はナチスドイツのUボート監視基地として、ポート・ロックロイ基地を設けました。戦後、基地の主な任務は観測作業となり、1957-58年の国際地球観測年でも英国の拠点となりましたが、1962年に閉鎖されました。そのご、1996年、ポート・ロックロイ基地は観光資源として再興され、英国の南極遺産トラストが運営する博物館と郵便局が設けられ、観光地化されています。

 博物館と郵便局には夏の間だけ2人の係員が常駐していますが、今回の募集はそのうちの1名で契約期間は今年11月初旬から翌年の3月半ばまで。勤務条件としては、「月給は1100英ポンド(約20万3500円)、水道・電話もなくインターネットの使用も不可能で、通信は無線のみ。数千匹のペンギンだけが日ごろの“友”となる」とされていますが、たしかに、今回ご紹介の切手にはそんな雰囲気がよく表れていますな。


 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 本書のご注文はこちら(出版元の予約受付サイトです)へ。内容のサンプルはこちらでご覧になれます。


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 ヘンリー王子、南極点到達
2013-12-14 Sat 11:44
 アフガニスタンなどで負傷し障害が残った英国兵士らと南極点を目指す冒険旅行に参加していた英国のヘンリー王子が、きのう(13日)、南極点に到達しました。というわけで、きょうはこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       グレアムランド加刷

 これは、1944年、英領フォークランド切手に加刷して発行されたグレアムランドの切手です。

 1820年代に南極探検の時代が本格的にスタートすると、1832年、南極半島を探検した英国のジョン・ビスコーは、当時の海軍大臣、ジェイムズ・グレアムにちなんで半島部を“グレアムランド”と命名しました。これに対して、南極大陸は1820年1月27日に米国人漁師のナサニエル・パーマーが発見したと主張する米国は、半島をパーマー半島と命名。ながらく対立が続いていましたが、1964年、両国の間で妥協が成立し、半島名を南極半島としたうえで、北部をグレアムランド、南部をパーマーランドと呼ぶことで決着が図られました。

 南極において英国が領有を宣言した地域は、ながらく、行政上はフォークランド諸島の属領とされていましたが、第二次大戦中の1943年、英国は南極に軍事基地を建設。これを受けて、南極の軍事基地と外部との通信に使う必要から、翌1944年、今回ご紹介の切手のように、英領フォークランドに地名を加刷した切手を発行しています。なお、この時、加刷切手を発行した地域には、今回ご紹介のグレアムランドの他、サウス・ジョージア、サウス・オークニー諸島、サウス・シェットランド諸島があります。

 その後、1962年3月3日、南緯60度以南の地域については、新たに“英領南極”としてフォークランド諸島から分割して、英本国の外務・英連邦省の海外領土局に移管。1963年からは、英領南極としての独自の切手発行も始まりました。
 
 ちなみに、かつてのフォークランド紛争に関して、日本では、しばしば「英国は、自国の領土であれば、遠く離れた南半球のちっぽけな島であっても、決して侵略を許さなかった」という説明がなされることがあります。こうした物言いは、領土防衛の重要性を強調するという点ではまさに正論なのですが、上述のように、英国の南極政策にとってフォークランド諸島が重要な戦略拠点となってきたという歴史的経緯を考えると、フォークランド諸島は決して“遠く離れた南半球のちっぽけな島”ではなかったことがわかります。ましてや、英領南極の地域は、チリとアルゼンチンも領有権を主張しているとなれば、なおさら、アルゼンチンの“侵略”を看過するわけにはいかなかったという事情は記憶にとどめておいてもよいでしょう。
 

 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 クイーン・エリザベス・ランド
2012-12-19 Wed 21:26
 英外務省は、きのう(18日)、エリザベス女王在位60周年を記念して、同国が領有権を主張する南極大陸の一部、英国の約2倍となる43万7000平方キロメートルの面積の土地に“クイーン・エリザベス・ランド”と名付けることを発表しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        英領南極・最初の切手

 これは、1963年に発行された英領南極最初の切手の1枚です。

 英国による南極地域の領有の主張は、1819年2月19日、ウィリアム・スミスがサウス・シェトランド諸島を発見し、僚友宣言を行ったのが最初です。翌1820年には英探検隊によりグレアムランドが、ついで1821年にはサウス・オークニー諸島が発見されました。このうち、グレアムランドについては、1832年、英国が領有宣言を行っています。その後、1943年になると、イギリスは南極に軍事基地を建設しています。

 南極において英国が領有を宣言した地域は、ながらく、行政上はフォークランド諸島の属領とされていましたが、1962年3月3日、南緯60度以南の地域については、新たに“英領南極”としてフォークランド諸島から分割して、英本国の外務・英連邦省の海外領土局に移管しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした“英領南極”の発足に伴い発行されたものです。英領南極の発足は、1952年のエリザベス女王即位後の出来事ですから、当然のことながら、ジョージ6世以前の切手はありません。

 ちなみに、かつてのフォークランド紛争に関して、日本では、しばしば「英国は、自国の領土であれば、遠く離れた南半球のちっぽけな島であっても、決して侵略を許さなかった」という説明がなされることがあります。こうした物言いは、領土防衛の重要性を強調するという点ではまさに正論なのですが、上述のように、英国の南極政策にとってフォークランド諸島が重要な戦略拠点となってきたという歴史的経緯を考えると、フォークランド諸島は決して“遠く離れた南半球のちっぽけな島”ではなかったことがわかります。ましてや、英領南極の地域は、チリとアルゼンチンも領有権を主張しているとなれば、なおさら、アルゼンチンの“侵略”を看過するわけにはいかなかったわけです。

 そういえば、今年2月、英国のウィリアム王子がフォークランド諸島に空軍のパイロットとして着任し、アルゼンチン政府がこれに激しく反発したという事件がありましたが、今回の“クイーン・エリザベス・ランド”命名も、それと無関係ではないと考えるのが自然でしょう。

 そうだとすると、今後、何らかのかたちで“クイーン・エリザベス・ランド”の名前が国家のメディアとしての切手や消印に登場する可能性は十分にありそうです。要チェックですな。


 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 ABCテレビ 2012年12月20日(木) 23:17~24:17 「ビーバップ!ハイヒール」

 今回は「年賀状にまつわる物語を紹介! 心に響く年賀状」と題して年賀状の特集で、内藤が『年賀状の戦後史』の著者としてゲスト出演します。ご視聴可能な地域の皆様は、よろしかったら、ぜひ、聞いてやってください。

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 日豪戦争⑲
2012-02-09 Thu 20:53
 ご報告が遅くなりましたが、先月25日、本のメルマガ第454号が配信となりました。僕の連載「日豪戦争」では、今回は終戦直後の日本の捕鯨再開とオーストラリアの関係を書きましたが、そのなかから、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        マッコーリー島

 これは、これは、1948年3月7日、タスマニア州から1400キロの地点にある南氷洋の無人島、マッコーリー島に郵便局が開設されたことを受けて、同局から記念に差し出されたカバーです。

 第二次大戦後、日本に進駐していた英連邦占領軍(BCOF:British Commonwealth Occupation Forces)は、1947年以降の国際環境の変化により、規模を縮小することになりましたが、オーストラリアは武装解除されたはずの日本に対する警戒感を緩めることはありませんでした。そのことを端的に表したのが、日本による捕鯨再開をめぐるオーストラリアの強硬な反対論です。

 終戦直後の食糧難のなかで、1946年11月には、戦後最初の南氷洋捕鯨船団が出航。1947年3月中旬までに、多くのクジラを捕獲し、日本人にとって貴重なタンパク源をもたらしました。

 ところが、日本による南氷洋出漁に対して、オーストラリアはノルウェーや英本国、ニュージーランドなどとともに、「敗戦国が負けて1年も経たないのに1万トン以上の大型船を建造するのは早すぎる」と強硬に反対します。特に、オーストラリアは、第一次南氷洋捕鯨に出漁した2隻の捕鯨母船を戦時賠償として要求。日本の捕鯨を物理的に妨害しようとするなど、その強硬姿勢が際立っていました。

 言うまでもないことですが、当時の彼らが日本による南氷洋での捕鯨に反対したのは、現在のように「環境保護」が理由ではありません。

 そもそも、当時のオーストラリアは世界有数の捕鯨国の一つでした。また、1948年に発足した国際捕鯨委員会(IWC)も、当初は、鯨油価格維持のための国際カルテルという性格が強いものでした。日本以外の捕鯨国は鯨肉を食用としておらず、彼らにとっては、鯨油価格の動向こそが捕鯨を行う上での最大の関心事だったからです。クジラと環境や動物愛護を結びつける荒唐無稽な言説が一定の影響力を持つようになるのは、1970年代以降、ベトナム戦争の終結により活動の場が狭まったことに危機感を抱いた反戦・反核団体が、新たな寄付金の「市場」を開拓すべく、ビジネスとして自然保護や環境保護、動物愛護などを主張するようになったことが大きいことをわすれてはなりません。

 第二次大戦後まもない時期のオーストラリアが日本による南氷洋捕鯨を何としても阻止したかった最大の理由は、捕鯨にあるのではなく、日本がオーストラリア近海を通過して南氷洋に出漁することへの恐怖感にありました。

 以前の記事でもご紹介したように、オーストラリア連邦の結成以来、オーストラリアは常に日本を恐れ日本の脅威を取り除くことに最大の関心を払ってきました。

 実際に日本が戦争によって壊滅的な打撃を受け、去勢されたといっても過言ではないほどまでに徹底して武装解除された後でさえ、いずれ「優秀な日本人」は復興を果たし、再び自分たちにとって深刻な脅威となるはずだというのが、おそらく、日本との苛烈な戦争を戦った経験を持つオーストラリア人たちの共通認識でした。わずか数年前のダーウィン空襲はオーストラリア北西のティモール海を飛び立った日本軍機によるものでしたが、南氷洋捕鯨に出漁する日本船(しかも、旧海軍の元軍艦)の航路は、オーストラリア大陸により接近したものとなることは確実です。

 戦時賠償として捕鯨母船を没収しようという、どう見ても無理な主張を持ち出してもなんら恥じることがない思考回路の背景には、日本の船が自国の近海を通過することにオーストラリア人たちが抜きがたい恐怖感を覚えたという面があったことを見逃してはならないでしょう。

 結局、この件に関しては、西側世界の盟主にして、日本占領を実質的に仕切っていたアメリカが「(日本の捕鯨再開に)反対する国は日本向けに1000万ドルの食糧援助をしてもらいたい」と一喝したことで決着。オーストラリアも矛を収めざるを得ませんでした。

 もっとも、オーストラリアも自国に接近しつつある「日本の脅威(の幻影)」に対して手をこまねいていたわけではなく、南極の拠点を整備することで対抗しようとします。

 今回ご紹介のカバーにみられるように、オーストラリアがマッコーリー島での調査活動を行い、郵便局を設置したのも、その一環だったわけです。

 マッコーリー島は、1810年7月11日、フレデリック・ハッセルバーグが発見し、当時のニュー・サウス・ウェールズ総督、ラクラン・マッコーリーにちなんで命名されました。ペンギンとアザラシの一大生息地で、1930年ごろまでは各国の狩猟者が訪れて乱獲を行ったため、ペンギンやアザラシの数が激減。1933年に禁猟区に指定され、一般人の立ち入りは厳しく制限されるようになりました。当然のことながら、この時点では、この島に郵便局を設けようという発想はオーストラリア当局にはありません。まぁ、利用者がいないのだから当然といえば当然ですな。

 ところが、1947年、突如としてオーストラリア空軍はマッコーリー島上空から写真撮影による測量を行い、翌1948年3月7日、14名のスタッフを上陸させて同島に研究拠点を設置し、あわせて郵便局も開設されました。事業の収支という点ではマッコーリー島に郵便局を設置しても黒字になることはありえないのですが、郵便局という公共機関を設置し、郵便サービスを提供することで、同島がオーストラリアの支配下にあることを改めて内外に示すためでした。

 ちなみに、オーストラリアは、1933年以降、南極大陸における自国領土の存在を主張してきましたが、1961年6月23日の南極条約批准・発効により、以後、南極大陸における領土主権、請求権は凍結されているというのが建前です。

 しかし、現実には、オーストラリア国家がわが国の調査捕鯨に反対する際、彼らは南極大陸にオーストラリア領土が存在し、その沖合200カイリの周辺海域は「領海」にして排他手的経済水域であるから、該当水域での日本の操業は認められないと主張しています。こうした視点に立つなら、アメリカの「圧力」により、南氷洋での日本の捕鯨再開を阻止できなかったオーストラリアが、次善の策として、自国の領海から日本船を排除することによって、国土を防衛しようと考えるのも、ある意味で自然な発想と言えましょう。マッコーリー島をはじめとする南極周辺の島々は、そうした彼らの「領海」を担保するうえで、きわめて重要な意味を持っているのです。

 いずれにせよ、怪しげな反捕鯨団体が結成されるよりもずっと以前から、捕鯨国・オーストラリアは日本の捕鯨に反対していたという事実を、我々は忘れてはなりません。

 
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 イルカの食文化
2010-03-09 Tue 22:34
 きのう(8日)発表された第82回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞は、和歌山県太地町の伝統イルカ漁を隠し撮りした作品「The Cove」が受賞しました。というわけで、きょうはこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      英領南極・イルカ

 これは、1985年に英領南極で発行された“初期の自然学者”の27ペンス切手で、ダンダラカマイルカとジャン・ルネ・クォワの肖像が描かれています。

 ダンダラカマイルカはカマイルカ属の一種で、南極圏から亜南極圏にかけての南の冷たい海域で生息しています。1820年に描かれた図版に基づき、1824年、クォワらによって新種であることが確認されましたが、現在まででもたった6体の完全な標本と14個体分の部分標本が調べられているだけという珍獣です。

 さて、中世ヨーロッパでは、イルカの肉は食用として好まれ、串焼きやプディング、パイなどに用いられてきました。特に、イングランドの宮廷では17世紀頃まで、イルカの肉が供されていたという記録もあります。また、メルヴィルの『白鯨』にも「イルカの美味はよく知られている」との記述がありますし、19世紀のアメリカの捕鯨船の船員もイルカの肉を食べていたという記録があります。おそらく、切手に取り上げられたクォワも、イルカを食べたことはなくても、イルカを食べる習慣については知っていたでしょうし、そのことについて何もネガティヴな感情は持っていなかったと思われます。

 したがって、今回のアカデミー賞受賞作「The Cove」で問題とされた和歌山県太地町の伝統イルカ漁も、世界の各地で見られたイルカの食文化の一つであり、適正に行われている限りにおいて、なんら非難されるべき筋合いのものではありません。それゆえ、イルカ漁を正面から真摯に取り上げたドキュメンタリー映画を作るのであれば、そもそも隠し取りなどという卑劣な手段をとる必要などないはずです。また、問題となった映画では、ドキュメンタリーには不可欠の冷静かつ客観的な視点は微塵も感じられず、あらかじめ、日本のイルカ漁は悪であるという先入観の下、「年2万3千頭が不必要に殺される」「水銀で汚染されたイルカ肉が学校給食に使われている」といった悪意に満ちた表現(しかも、事実誤認の部分も少なくない)が随所に挿入されています。

 さらに、この映画の背後には、環境テロリスト団体のシー・シェパードが関与しており、問題はきわめて深刻です。

 たとえば、シー・シェパードのポール・ワトソンは「The Cove」について「シー・シェパードが、日本のイルカの大量殺戮について、一緒に関われたことは誇りに思う」と公にコメントしています。これが、彼らの一方的な法螺ではないことは、たとえば、シーシェパードは2003年に太地町に活動家を送り込み、イルカ漁の撮影や漁の妨害を行っていたことからもあきらかでしょう。ちなみに、このとき、一味は沖合にある網を刃物で切り、15頭のイルカを逃がしたことで、和歌山県警に威力業務妨害容疑で逮捕されましたが、裁判の判決は罰金刑というあまりにも軽いものでした。釈放に際して、犯人たちは「3週間の拘束で、イルカの命が救われるのなら、私たちは幸せだ」などとうそぶいたのだそうです。

 いわゆる911事件の後、“テロとの戦争”を言い出したのは、アカデミー賞の開催国であるアメリカです。そのアメリカの映画人たちが、率先してテロリストとつながりのある映画に賞を与え、ほめたたえるとは、いったい、どういう神経をしているのでしょうか。テロないしはテロ支援国家という理由で、軍事攻撃を受けたアフガニスタンやイラクの国民に対して、このことをどのように説明するのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。

* 昨日、カウンターが66万PVを超えました。いつも遊びに来てくださる皆様には、あらためて、お礼申し上げます。

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  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 『郵趣』今月の表紙:南極の動物
2009-01-28 Wed 15:57
 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年2月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げていて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 イワトビペンギン

 これは、1956年に仏領南極で発行された6種セットの「南極の動物」のうち、イワトビペンギンを描く1フラン切手です。

 20世紀に入り、南極探検が盛んに行われるようになると、イギリス・フランス・ノルウェー・オーストラリア・ニュージーランド・アルゼンチン・チリの各国は、豊富な地下資源や領海内の水産資源の確保を目指して、自分たちが調査した地域の領土権を主張しはじめます。

 このうち、フランスは1955年にアムステルダム島、セント・ポール島、クロゼ諸島、ケルゲレン諸島と大陸のアデリーランドを“フランス南部および南極領土(以下、仏領南極)”として領有を宣言。早速、同年中に仏領南極用の切手を発行しました。ただし、仏領南極最初の切手は、当時フランス領だったマダガスカルの切手に“Territoire des Terres Australes et Antarctiques Françaises”の文字を加刷したもので、正刷切手としては今回ご紹介の1956年のものが最初となります。

 今回ご紹介しているイワトビペンギンは、インド洋南部から南大西洋にかけて分布し、南限はハード島とマクドナルド諸島(南緯53度)、北限はトリスタン・ダ・クーニャ諸島(南緯37度)。主な繁殖地はフォークランド諸島(英領)、マッコーリー島(オーストラリア領)、プリンス・エドワード諸島(南アフリカ領)、クロゼ諸島(仏領)、ケルゲレン諸島(仏領)などです。

 成鳥の目の上には眉のような黄色の羽毛があるのが特徴で、目とくちばしが赤く、足はピンク色をしています。他のペンギンのようによちよちと歩かず、両足を揃えて飛び跳ねながら移動しますが、性格は攻撃的で、近くを通ったりすると攻撃してくるのだとか。

 この切手が発行された当時の南極では、イギリス・チリ・アルゼンチンの3国の間で領土紛争が起こったこともあり、将来的に本格的な紛争の火種になりかねないことが懸念されていました。このため、1957年~58年の国際地球観測年のときの国際的な南極観測を契機に、国際対立を回避し、科学的調査のための平和的な場にしようとする気運が高まり、1959年、国際地球観測年の南極観測に参加した12ヶ国がワシントンで南極会議を開き、南極条約を締結しています。条約では、南緯60度以南の南極における領土権の凍結、科学的調査の自由、平和的利用と非軍事化、定期的会合と査察などが定められ、フランスが研究所を置いているアデリーランドの領有権も凍結されました。

 仏領南極は基本的には無人の火山島ですから、その切手は実際に郵便に使うものというより、領有権を誇示するための一手段という面が強いといえます。それだけに、国家の威信をかけて作られる切手には魅力的なデザインを精巧な印刷技術で表現したものが多く、収集家にとっては魅力的な存在になっています。


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 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(左の画像)が掲載されました。 こちらでお読みいただけます。また、日本郵政本社ビル・ポスタルショップでは、『年賀切手』の販売特設コーナー(右の画像)も作っていただきました。 *写真はいずれも:山内和彦さん撮影

 夕刊フジ(イメージ)   日本郵政特設コーナー 
 
 
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 関西スタンプショー
2007-03-24 Sat 00:32
 今日・明日(24・25日)の2日間、大阪天満橋OMMビル2階展示ホールで第20回関西スタンプショー・JAPEX 2006大阪展が開催されます。そこで、今日は同展の企画展示“南極”に敬意を表して、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

南極観測

 これは、1958年の南極観測船<宗谷>の記念カバー(封筒)で、昭和基地局の“南極観測記念”の特印が押されています。貼られている切手は、1957年7月1日に発行の「国際地球観測年」の記念切手です。

 国際地球観測年は、1957年7月1日から翌1958年年12月31日までの間、気象、地磁気、電離層、宇宙線、経緯度、海洋、地震、重力などの諸現象について全世界の研究者たちが共同観測を行うというもので、以前は“極年”と呼ばれていました。ちなみに、現在、世界各国が協力して特定の事業を行う“国際XX年”のという企画としてはさまざまなものが行われていますが、国際地球観測年はその最初のものです。 

 当初、国際地球観測年の記念切手は、同年1月に始まった南極観測の記念切手とは別に発行されることも検討されていましたが、最終的に、記念切手の発行は国際地球観測年のみにしぼり、南極観測は切手の図案において表現するということになりました。記念切手が皇帝ペンギンと観測年のマークを描く図案になったのは、このためです。

 ところで、カバーの消印は1958年1月30日になっていますが、その直後の2月、先発の南極地域観測隊第1次越冬隊と交代するため海上保安庁観測船・宗谷で南極大陸へ赴いた第2次越冬隊が、長期にわたる悪天候のため南極への上陸・越冬を断念。彼らは、やむなく第1次越冬隊の樺太犬15頭を昭和基地に置き去りにして撤退しますが、その1年後、再び越冬隊員が南極を訪れると兄弟犬タロとジロが生きていたというエピソードは、映画『南極物語』でも有名です。それだけに、このカバーにタロやジロと思しき犬の姿が描かれているのも嬉しいところです。

 なお、国際地球観測年の切手の詳細については、拙著『ビードロ・写楽の時代』をご参照いただけると幸いです。

 さて、今回の関西スタンプショーには、あいにく、僕自身は都合でいけないのですが、実行委員会にお願いして先日できあがったばかりの僕の最新刊『沖縄・高松塚の時代』と昨年9月に刊行の『満洲切手』の販売していただくことになりました。『沖縄・高松塚の時代』に関しては、おそらく、関西への初出荷になると思いますので、よろしかったら、是非、実物を手にとってご覧いただけると思います。

 <おしらせ>
 4月7日(土)の午前中、東京・目白のカルチャービルにて行われる切手市場会場内にて、僕の最新刊『沖縄・高松塚の時代』の即売・サイン会を行います。切手市場ならではの特典もご用意しておりますので、是非、遊びに来てください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。
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 南極観測50年
2007-01-23 Tue 00:42
 南極地域観測事業開始50周年の記念切手が、今日(1月23日)発行されるそうです。というわけで、今日はこんなものを持ってきてみました。(画像は、クリックで拡大されます)

昭和基地カバー

 これは、今から50年前につくられた南極観測隊上陸記念のカバーです。

 日本人による本格的な南極観測は、1956年11月8日に東京港を出港した永田武隊長率いる第1次南極観測隊53名を乗せた観測船「宗谷」が翌1957年1月25日に南極大陸に到着し、同29日に昭和基地を開設したことでスタートします。

 当時、宗谷の派遣は世紀の壮挙と国民から讃えられ、宗谷内の郵便局には、記念押印を求めるカバー(封筒)が16万3850通(ケープタウンまで空輸され依頼を受けた2万8000通を含む)も寄せられましたそうです。

 このカバーに貼られている切手は、「宗谷」出航後の1956年12月1日に発行された1957年用の年賀切手ですが、そのデザインが、南極とも縁の深い鯨をかたどった長崎の玩具“だんじり”を取り上げたものであったことから、郵政省は、外郭団体の郵便文化部(このカバーの製造・販売元)の依頼により、この切手をケープタウンまで押印用に空輸したものです。また、カバーに用いられている封筒は、白地の無地のまま、出航時に「宗谷」に積み込まれ、後に、左下に観測隊のスタンプが押されたそうです。

 このときのカバーに押されている印は、「宗谷」の出航前に日本で調製されていたもので、当初の目標地点であった“プリンス・ハラルド”の表示があります。ただし、実際には宗谷がプリンス・ハラルドには到着できなかったため、収集家の中には、郵政省の“勇み足”を批判する人もあったようです。

 また、13万通以上という膨大な量の記念押印を南極で処理できるわけがないとの憶測から、これらの記念カバーは実際には東京中央局の倉庫に保管され、消印も同局で押されていたとしたり顔に説明する者も少なくありませんでした。実際には、大半のカバーは昭和基地内に運び込まれることこそなかったものの、宗谷の船内にはきちんと積み込まれ、その場で押印されています。このため、「宗谷」の船内郵便局・昭和基地分局の局長を務めた大瀬正美(郵政省電波研究所技官で、観測隊では電離層の観測を担当)らは、根拠のない噂が広がっていることに憤慨しており、今回のカバーには、下の画像のような写真を掲載した解説書も同封されて販売されました。

昭和基地前での押印作業

 写真は、東オングル島の“越冬建造物”(撮影時点では、まだ、“基地”と呼べる建物は建っていなかったらしい)の入口に設営された郵便局での押印風景です。カバーを販売した郵便文化部としては、このカバーが少なくとも丸の内で作られたものではないことを力説したかったのでしょう。

 いずれにせよ、一連のカバーをめぐる騒動は、当時の国民が宗谷の南極派遣に対して意かに興奮していたかを郵趣の面から示す格好のエピソードといえます。

 なお、こうした社会的な興奮が渦巻く中で、1957年7月1日に「宗谷」とコウテイペンギンを描く“国際地球観測年”の記念切手が発行されるまでのプロセスについては、拙著『ビードロ・写楽の時代:グリコのオマケが切手だった頃』でも詳しくまとめていますので、是非、お読みいただけると幸いです。
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 仏領南極の犬ぞり
2006-01-21 Sat 15:50
 東京では今日は朝から雪が降っています。そこで、今日は雪にまつわる切手の中から、こんな1枚(画像はクリックで拡大されます)を引っ張り出してみました。

南極の犬ぞり

 この切手は、いわゆる仏領南極が1983年に発行したもので、南極の雪原を走る犬ぞりが描かれています。

 20世紀に入り、南極探検が盛んに行われるようになると、イギリス・フランス・ノールウエー・オーストラリア・ニュージーランド・アルゼンチン・チリの各国は、自国の探険・踏査の事実を踏まえ、自分たちが調査した地域の領土権を主張しはじめます。彼らの狙いは、南極の土地そのものというより、豊富な地下資源や領海内の水産資源にありました。

 フランスの場合、1955年に“フランス南部および南極領土(Territoire des Terres Australes et Antarctiques Françaises 以下、仏領南極)”を設定しました。その範囲は、アムステルダム島、セント・ポール島、クロゼット島、ケルゲレン島と大陸のアデリーランドです。

 仏領南極の領有を宣言したフランスは、1955年中には早速、この地域用の切手を発行しています。もっとも、このとき発行された仏領南極最初の切手は、当時フランス領だったマダガスカルの切手に“Territoire des Terres Australes et Antarctiques Françaises”の文字を上から加刷したもので、正刷切手(オリジナルデザインの切手)の発行は翌1956年からになります。

 当時の南極では、イギリス・チリ・アルゼンチンの三国の間で領土紛争が起こったこともあり、将来的に本格的な紛争の火種になりかねないことが懸念されていました。このため、1957年~58年の国際地球観測年のときの国際的な南極観測を契機に、国際対立を回避し、科学的調査のための平和的な場にしようとする気運が高まり、1959年、国際地球観測年の南極観測に参加した12ヶ国がワシントンで南極会議を開き、南極条約を締結しています。条約では、南緯60度以南の南極における領土権の凍結、科学的調査の自由、平和的利用と非軍事化、定期的会合と査察などが定められ、フランスが研究所を置いているアデリーランドの領有権も凍結されました。

 仏領南極は基本的には無人の火山島ですから、これらの切手は実際に郵便に使うものというより、この地域の領有権を示すためのプロパガンダの一手段と考えるのが妥当です。もっとも、そういう生臭い話を別にしても、純粋に仏領南極の切手はデザイン・印刷ともに良くできた綺麗なものが多いので、集めてみると楽しいものです。

 実は、今日ご紹介している切手は、一時期、今年の年賀状の題材として使おうかと思っていたのですが、結局、使わずに終わってしまいました。(実際に僕が出した年賀状については、こちらをご覧ください)

 とはいえ、綺麗な切手なので、どこかで使えないかなと思っていましたので、雪の日の今日のコラムとしてご紹介したという次第です。

 PS 今日はこんな出来事もあったみたいです。

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