内藤陽介 Yosuke NAITO
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 クロアチアとナチス
2013-12-03 Tue 22:33
 歌手のボブ・ディランが、昨年、雑誌『ローリングストーン』フランス語版のインタビューで人種差別に触れた際、「(白人至上主義団体の)クー・クラックス・クランの血が流れていれば、黒人は気付くだろう。ユダヤ人がナチスの血に、セルビア人がクロアチアの血に気付くように」などと述べたことについて、フランス国内のクロアチア人団体が、人種や民族に対する憎悪を扇動することを刑事罰の対象とするフランス国内法に触れるとして告訴。これを受けて、今年11月、フランス当局は、コンサートのため訪仏したディランを訴追していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       クロアチア・枢軸宣伝

 これは、1941年にクロアチア独立国が発行した枢軸宣伝の寄附金つき切手で、ナチス・ドイツ、クロアチア独立国、ファシスト・イタリアの紋章が入った盾を掲げる3人の兵士が描かれています。

 現在のクロアチア国家に相当する地域は、第1次大戦以前はオーストリア・ハンガリーの支配下にありましたが、大戦の結果、オーストリア・ハンガリーが崩壊すると、そこから離脱。セルビアの提案による南スラブ諸族によるセルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国に参加しました。

 その後、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国は1929年にユーゴスラヴィアと改称されますが、同国内ではセルビア人が主導権を持つことへのクロアチア人の不満が根強かったため、1939年、ユーゴ政府は国内の一部をクロアチア自治州とすることで両民族の融和を図りました。しかし、クロアチア人の一部はこれに満足せず、1941年、ドイツ軍のユーゴスラヴィア侵攻に呼応して武装蜂起し、“クロアチア独立国”を成立させました。

 クロアチア独立国は、1941年6月15日、日独伊三国軍事同盟に加わったほか、6月22日に独ソ戦が勃発するとソ連に宣戦を布告し、東部戦線に2万の兵を派遣しました。さらに、同年12月14日には米英に対しても宣戦を布告しています。

 クロアチア独立国は、枢軸諸国を中心に、スペインやバチカン、デンマークなどの中立国を含む19カ国から承認を受けていましたが、実質的にナチス・ドイツの傀儡政権であったため、1945年にドイツが降伏すると崩壊し、ユーゴスラヴィアに吸収されて消滅してしまいました。このあたりは、なんとなく満洲国の運命を髣髴とさせるものがありますな。
 
 ちなみに、今回ご紹介の切手では、クロアチアが枢軸陣営の一員であることを示すため、クロアチアの紋章が入った盾を持つ兵士を中心に、両脇に独伊の紋章が入った盾を掲げた兵士を描いているわけですが、日独伊三国軍事同盟に加入し、日本とともに米英とも戦ったというのであれば、4人目の兵士として日章旗なり旭日旗なりをイメージした盾を持つ兵士が描かれていてもよさそうなものです。それが、そうなってはいないのは、非白人国家の日本に対する人種差別によるものだということもあるのかもしれませんが、ただ単に、極東の日本のことを忘れていた可能性が高いんじゃないかと僕は思っています。多くの日本人にとって、クロアチアはほとんどなじみのない国であるのと同じように。

 
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 クロアチアがEUに加盟
2013-07-02 Tue 11:23
 旧ユーゴスラビアのクロアチアが、きのう(1日)、欧州連合(EU)に加盟しました。というわけで、きょうは、ストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       クロアチア加刷(1918)

 これは、1918年にオーストリア・ハンガリー切手に加刷して発行された“クロアチア切手”です。

 現在のクロアチアに相当する地域は、第1次大戦以前はオーストリア・ハンガリーの支配下にありましたが、大戦の結果、オーストリア・ハンガリーが崩壊すると、そこから離脱。セルビアの提案による南スラブ諸族によるセルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国に参加しました。

 今回ご紹介の切手は、このセルブ=クロアート=スロヴェーン王国のうち、クロアチア地域で使用するために加刷して発行されたもので、元の切手にあったハンガリーの国名表示“MAGYAR KIR POSTA”の部分を、クロアチア語による彼らの国名の自称“HRVATSKA”の加刷で抹消しているほか、ハンガリーを象徴するイシュトヴァーンの王冠の上にはセルブ=クロアート=スロヴェーン王国の略称“SHS”を加刷しています。

 その後、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国は1929年にユーゴスラヴィアと改称されますが、同国内ではセルビア人が主導権を持つことへのクロアチア人の不満が根強く、1941年、ドイツ軍のユーゴスラヴィア侵攻を機に、親独派のクロアチア人が“クロアチア独立国”を成立させました。

 第二次大戦後は、反独パルチザンの指導者であったティトーの下でユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国が樹立され、連邦内の民族意識は強引に抑え込まれていました。しかし、強烈なカリスマ性を備えていたティトーの死後、体制に対する不満が噴出。さらに、1989年の東欧革命により、ユーゴスラヴィアでも共産党の一党独裁体制が崩壊し、1990年には自由選挙が実施されると、連邦を構成していた各共和国にはいずれも民族色の強い政権が誕生。 その結果、クロアチアは1991年6月に連邦からの独立を宣言し、セルビアが主導する連邦軍との間にクロアチア紛争が勃発しました。

 その後、クロアチア紛争は1995年に終結し、新生クロアチア国家は2003年にEU加盟を申請し、このたび10年越しの宿願を果たしたということになりました。ちなみに、給ユーゴスラヴィア諸国のEU加盟はスロベニアに次いで2ヵ国目で、このほか、モンテネグロやセルビアなどが加盟候補国、ボスニア・ヘルツェゴビナがその前段の安定化・連合協定を締結しているという状況になっています。

 もっとも、クロアチアが加盟申請を行った2003年のEUには(少なくとも見かけ上は)洋々たる前途が開けているかのようなイメージもありましたが、今やすっかり債務危機の影響で青息吐息といった雰囲気ですからねぇ。昨年の失業率がギリシャやスペインに次ぐ17.3%というクロアチアとしては、EU加盟を機にすこしでも状況が好転することを期待したいのでしょうが、地元では「病にある我々が重病のEUに加わるのだ」との冷めた声も少なからずあるようです。


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 クロアチア・サッカー発祥の地?
2006-06-18 Sun 20:47
 今夜はこれからサッカーの日本チームがクロアチアと戦うとのこと。というわけで、何かクロアチアに関するネタはないかと探してみて、こんなものを見つけました。(画像はクリックで拡大されます)

ザーラ加刷

 これは、第二次大戦中の1943年、現在クロアチア領となっているザダルで発行された切手です。

 アドリア海に面したイタリア対岸の港町ザダルは、長らくベネチアが飛び地の領土として支配し、イタリア語で“ザーラ”と呼んでいました。ベネチアの崩壊後、この地はハプスブルグ家の支配下に入りましたが、第一次大戦でハプスブルグ家の帝国が解体されると、新たに建国されたユーゴスラビアが支配します。

 これに対して、大戦中、英仏露との間に、オーストリアに対して宣戦布告すれば、戦後、旧ベネチア領のトリエステ半島(イストリア)やダルマチアの割譲を受けるという密約を結んでいたイタリアが反発。結局、1920年にイタリアとユーゴスラビアとの間でラパロ条約が結ばれて、ザーラはイタリア領となりました。

 第二次大戦が勃発すると、ドイツ軍はユーゴスラビアを分割してクロアチアとセルビアの2つの親ナチス国家を作りましたが、その際、ダルマチアやモンテネグロ、スロベニアは同盟国のイタリアに割譲されます。ところが、1943年、イタリアは早々に連合国に降伏。このため、イタリアの占領地をめぐっては、ドイツ軍とティトーが率いる反ファシストのパルチザン部隊の間で争奪戦が展開され、ザーラはドイツ軍が占領しました。今回、ご紹介の切手は、そうしたドイツ占領下で発行されたモノで、イタリアの切手にドイツ占領下のザーラでの使用を意味する加刷が施されています。

 戦後、ザーラはティトーのユーゴスラビアに編入され、ザダルと改称されますが、ユーゴスラビア解体の過程で、この地はクロアチアの領土となって現在にいたる、というわけです。

 ちなみに、クロアチアのサッカーは、19世紀にザーラや同じく港町のフィウメ(クロアチア語ではリエカ)を訪れたイギリス人の船員がこの地に伝えて広まったものだとか…。なるほど、本家イギリス仕込みですか。道理でなかなか手ごわい相手なんですね。

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