内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コソヴォの独立は合法
2010-07-23 Fri 21:00
 ハーグの国際司法裁判所は、きのう(22日)、2008年のコソヴォ独立宣言が国際法に違反しないとの判断を示しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

           コソヴォ独立1周年

 これは、昨年(2009年)2月に発行されたコソヴォ独立1周年の記念切手です。

 セルビア民族の揺籃の地とされるコソヴォは、12世紀末には中世セルビア王国・セルビア正教会の中心でしたが、14世紀末にオスマン帝国に占領され、それ以後、多くのセルビア人は北方に移住。代わりに、オスマン帝国支配下のアルバニアからイスラム教に改宗したアルバニア系が入植が進みます。

 20世紀初頭のバルカン戦争の後、1912年に独立を宣言したアルバニアはコソヴォの領有を主張しますが、列強が介入した1913年の国境画定でコソボはアルバニアではなく、セルビアに組み込まれます。その後、第一次世界大戦中のオーストリア・ハンガリー帝国、ブルガリア王国の占領時代を経て、大戦後にユーゴスラビア王国が成立しましたが、第2次大戦中、コソヴォ地域はブルガリアに併合されていました。

 第2次大戦後、第2のユーゴとなるユーゴスラビア連邦共和国が成立すると、コソヴォ一帯はアルバニア人が多数を占めていたことから、セルビア共和国内の自治区とされました。しかし、欧州一の出生率を誇るアルバニア人の急激な人口増加や、強烈なカリスマを持った建国の父、ティトーが亡くなり、連邦の分裂傾向が強まる中で、次第に、コソヴォのアルバニア系住民の間では自治州から共和国への格上げを求める声が高まっていきました。

 これに対して、なんとしても“ユーゴスラビア”の枠組を維持したかったミロシェビッチ政権は、コソボでは少数派のセルビア系住民が抑圧を受けるようになったこともあり、1989年、コソヴォの自治権を縮小。さらに、翌1990年、アルバニア系住民が住民投票を経て“コソヴォ共和国”の独立を宣言すると、コソヴォ議会を解散して自治権を剥奪し、独立運動に対する弾圧を本格化します。

 その後、コソボ民主同盟代表のルゴバらが平和的手段によるコソボの独立運動を展開したものの、事態の進展はなく、1998年2月にアルバニア系のコソヴォ解放軍(KLA)とセルビア治安部隊との間に武力衝突が発生。これにユーゴ連邦軍が介入し、コソヴォ紛争は本格化しました。

 武力紛争は、1999年5月にG8外相間で合意された和平案をもとに、同年6月10日、国連安保理決議1244が採択されて終結。セルビア人部隊は撤退し、コソヴォは国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下、すなわち、“独立国ではない”ものの“特定国家の実効支配下にない”という微妙な立場におかれることになります。

 なお、切手に関しては、2000年3月15日、UNMIKの名の下にドイツマルク額面の切手が発行され、以後、2002年5月からは額面をユーロに変更して、UNMIK名での独自の切手発行が続けられてきましたが、2008年の独立宣言とともに、今回ご紹介しているようなコソヴォ共和国名での切手が発行されるようになりました。

 2008年の独立宣言は、セルビアやロシアが主張していたコソヴォの“現状維持”を廃して、コソヴォを正規の独立国家とすることで問題の決着を図ろうとするもので、現在までに、米英やわが国をはじめ西側諸国を中心に69ヵ国が独立を承認しています。今回の国際司法裁判所の判断に法的拘束力はないものの、これによりコソヴォを承認する国が増えることは確実で、今後、独立を認めないセルビアへの圧力も強まることでしょう。

 なお、いままでコソヴォ独立を一貫して否定してきたロシアは、今回の決定後も独立不承認の姿勢を変えないとする声明を発表しましたが、コソヴォ独立の承認と引き換えに、グルジアからの独立を承認した南オセチアやアブハジアの独立の正当性を国際社会にさらに強く訴えていく可能性が強いとみられており、この問題は、今後ともしばらく尾を引きそうです。

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 コソボの独立宣言
2008-02-18 Mon 17:30
 国連暫定統治下にあるセルビア共和国南部コソボ自治州の議会がセルビアからの独立宣言を採択しました。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 コソボ・国際平和デー

 これは、2006年9月21日、国連暫定統治ミッションの名で発行された“国際平和デー”の切手で、コソボの旗を背景に、独立運動団体・コソボ民主同盟のルゴバ代表が平和文書に署名する写真が取り上げられています。

 セルビア民族の揺籃の地とされるコソボは、12世紀末には中世セルビア王国・セルビア正教会の中心でしたが、14世紀末にオスマン帝国に占領され、それ以後、多くのセルビア人は北方に移住。代わりに、オスマン帝国支配下のアルバニアからイスラム教に改宗したアルバニア系が入植が進みます。

 20世紀初頭のバルカン戦争の後、1912年に独立を宣言したアルバニアはコソボの領有を主張しますが、列強が介入した1913年の国境画定でコソボはアルバニア国土から削られ、セルビアに組み込まれます。その後、第一次世界大戦中のオーストリア・ハンガリー帝国、ブルガリア王国の占領時代を経て、大戦後にユーゴスラビア王国が成立しましたが、第2次大戦中、コソボ地域はブルガリアに併合されていました。

 第2次大戦後、第2のユーゴとなるユーゴスラビア連邦共和国が成立すると、コソボ一帯はアルバニア人が多数を占めていたことから、セルビア共和国内の自治区とされました。しかし、欧州一の出生率を誇るアルバニア人の急激な人口増加や、強烈なカリスマを持った建国の父、ティトーが亡くなり、連邦の分裂傾向が強まる中で、次第に、コソボのアルバニア系住民の間では自治州から共和国への格上げを求める声が高まっていきました。

 ところが、なんとしても“ユーゴスラビア”の枠組を維持したかったミロシェビッチ政権は、コソボでは少数派のセルビア系住民が抑圧を受けるようになったこともあり、1989年、コソボの自治権を縮小。さらに、翌1990年、アルバニア系住民が住民投票を経て“コソボ共和国”の独立を宣言すると、コソボ州議会を解散して自治権を剥奪し、独立運動に対する弾圧を本格化します。

 その後、コソボ民主同盟代表のルゴバらが平和的手段によるコソボの独立運動を展開したものの、事態の進展はなく、1998年2月にアルバニア系のコソボ解放軍(KLA)とセルビア治安部隊との間に武力衝突が発生。これにユーゴ連邦軍が介入し、コソボ紛争は本格化しました。その過程で、国際社会の和平案をユーゴ政府が受け入れず、コソボにおける人道的惨事が発生する可能性が高まったとして、1999年3月24日、北大西洋条約機構(NATO)がユーゴ空爆を開始。これに対して、セルビア側(ユーゴ政府)は治安部隊によるKLA掃討活動を強化し、多数のアルバニア系住民が難民として流出しました。

 武力紛争は、1999年5月にG8外相間で合意された和平案をもとに、同年6月10日、国連安保理決議1244が採択されて終結。セルビア人部隊は撤退し、コソボは国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の統治下に置かれることになりました。

 この結果、コソボの国際的な地位は極めて微妙な状況になります。

 すなわち、1991年のユーゴスラビアから分離独立宣言は、アルバニア以外の国際社会からは承認されなかったため、コソボの国際的な位置づけは、あくまでも正規の独立国ではなく、ユーゴスラビア(その後、セルビア・モンテネグロ、次いでセルビア)の一自治州でしかないというのが建前でした。しかし、現実には1999年のコソボ紛争後、コソボはセルビアの実効支配下から完全に脱しており、セルビアの自治州とみなすのは非合理的です。この結果、1999年以降のコソボは“独立国ではない”ものの“特定国家の実効支配下にない”という微妙な立場におかれ続けてきました。

 なお、切手に関しては、2000年3月15日、UNMIKの名の下にドイツマルク額面の切手が発行され、以後、2002年5月からは額面をユーロに変更して、UNMIK名での独自の切手発行が続けられてきました。ただし、現地では依然としてセルビア・ディナールが流通し、セルビア切手も有効であることから、多くの住民はこちらを利用しており、UNMIK切手のフィラテリックではない使用例というのは非常に少ないのが実情のようです。

 今回の独立宣言は、セルビアやロシアが主張していたコソボの“現状維持”を廃して、コソボを正規の独立国家とすることで問題の決着を図ろうとするもので、わが国をはじめ、西側諸国の大半は独立を承認する見込みですが、当然のことながら、セルビアやロシアは反発しており、セルビア側はコソボ独立を承認した国からの大使召還やコソボ旅券の所持者の入国拒否などの対抗措置に出る模様です。

 ということは、まもなく登場すると見られる新生コソボ切手に関しても、セルビア側はこれを認めず未納扱いにしたり、あるいは、受け入れを拒否したりすることも予想されます。このほかにも、セルビア切手やUNMIK切手の使用禁止や暫定的な猶予期間の使用例など、郵便史的にもいろいろと面白いマテリアルが登場しそうで、真面目に取り組んでみると、それなりに楽しめるかもしれません。
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