内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手でひも解く世界の歴史(11)
2017-11-09 Thu 09:20
 本日(9日)16:05から、NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送される予定です。(番組の詳細はこちらをご覧ください)。今回は、おととい(7日)、100周年を迎えたロシア10月革命にスポットを当てて、この切手もご紹介しながら、お話をする予定です(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア10月革命記念

 これは、1918年にボリシェヴィキ政権が発行した10月革命の記念切手です。

 1917年3月8日の2月革命(旧暦2月23日)でロシア皇帝ニコライ2世が退位してロマノフ王朝は崩壊し、臨時政府が樹立されます。一方、労働者・農民・兵士はソヴィエト(評議会)を結成して休戦を強く要求し、戦争を継続しようとする臨時政府と対立。第一次臨時政府は崩壊しました。

 混乱の中、同年5月5日、旧臨時政府の自由主義者に加え、社会革命党(エスエル)とメンシェビキ(旧ロシア社会民主労働党右派)を中心とする社会主義者たちが参加する第一次連立政府が成立しますが、この政府もウクライナ自治問題をめぐって立憲民主党(カデット)の閣僚が辞任して崩壊。社会主義者であるケレンスキーを首班とする第二次連立政府が成立します。

 こうした状況の中で、6月16日、ケレンスキー政権はガリツィアでドイツ・オーストリアに攻撃を開始。緒戦こそロシアが勝利したものの、ロシア軍の士気は低く、7月2日には作戦は失敗に終わっただけでなく、8月にはドイツ軍のリガ攻勢によりリガ(現在はラトヴィアの首都)を奪われてしまいます。

 このため、兵士らの戦争への不満と労働者らの飢餓や苦境への不満が爆発。7月16-20日、首都ペトログラードではボリシェヴィキ(旧ロシア社会民主労働党左派。後のソ連共産党の前身)に率いられた労働者や兵士らが臨時政府に対する七月蜂起を起こしましたが、臨時政府による「ボリシェヴィキの指導者レーニンはドイツのスパイである」との宣伝が功を奏したこともあって、蜂起は失敗に終わりました。

 しかし、8月、「死につつあるロシアの大地を守る」としてコルニーロフ(日露戦争等の英雄で、7月、臨時政府の最高司令官に就任)が、臨時政府の一角を占めるソヴィエトを打倒すべくクーデターを起こすと、当初、ケレンスキーはコルニーロフを支持して軍の首都への導入を依頼したものの、軍が首都に接近すると、自らも打倒されるかもしれないと不安に感じて変心。ケレンスキーは、臨時政府の軍人たちを信頼できず、ボリシェヴィキの赤衛隊などの武装勢力に救援を要請し、ボリシェヴィキの説得を受けた兵士やコサック兵らはコルニーロフを見捨て、クーデターは失敗に終わりました。

 その後、10月10日、ボリシェヴィキの中央委員会は投票を行い、10対2で「武装蜂起はもはや避けられず、その期は十分に熟した」という宣言を採択。ペトログラード・ソヴィエトは、10月12日、軍事革命委員会を設置しました。

 10月23日、ボリシェヴィキの指導者の一人でエストニア人のヤーン・アンヴェルトがエストニア自治政府の首都タリンで武装蜂起を開始。翌24日、最後の反撃を試みた臨時政府がボリシェヴィキの新聞『ラボーチー・プーチ』『ソルダート』の印刷所を占拠すると、軍事革命委員会はこれを引き金として武力行動を開始。赤衛隊はペトログラードの印刷所、郵便局、発電所、銀行などの要所を制圧し、10月25日(11月7日)、「臨時政府は打倒された。国家権力は、ペトログラード労兵ソヴィエトの機関であり、ペトログラードのプロレタリアートと守備軍の先頭に立つ軍事革命委員会に移った」との宣言が発せられました。

 さらに、25日午後9時45分、防護巡洋艦アヴローラの砲撃を合図に、ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ率いる部隊が、臨時政府の閣僚が残る冬宮に進入。26日未明に占領されました。

 これが、ロシア10月革命で、公式な日付としては、冬宮を除くすべての政府機関が占領された10月25日(グレゴリオ暦11月7日)とされています。

 10月27日、第二回ソヴィエト大会は、臨時政府に代わる新しいロシア政府として、レーニンを議長とする「人民委員会議」を設立。世界最初の社会主義国家として、ソヴィエト・ロシア共和国が成立しました。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下、1918年初頭に発行されたもので、国名表示は、単に“ロシア”となっています。その後、同年7月19日、ロシア共和国憲法の制定により、国名がロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国(РСФСР=RSFSR)へと改称されると、1921年には“РСФСР”表示の切手が発行されることになります。

 なお、革命の混乱の中で、旧ロシア帝国の各地では、さまざまな勢力が入り乱れての内戦が発生しますが、最終的に、内戦は赤軍勢力の勝利に終わり、1922年、ロシア共和国、ザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国、ウクライナ社会主義ソヴィエト共和国、白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の4ヵ国からなるソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は9日!★★

 11月9日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第11回が放送予定です。今回は、11月7日に100周年を迎えたロシア革命についてお話する予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


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 明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

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 龍退治
2011-11-21 Mon 22:46
 プロ野球の日本シリーズは福岡ソフトバンクホークスが中日ドラゴンズを下して日本一となりました。というわけで、タカの切手を持ってきたかったのですが、気の利いたモノはすでにあらかたこのブログでも取り上げてしまっているので、視点を変えて“龍退治”の切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        ロシア1921年

 これは、1921年4月、内戦期のロシアでボリシェヴィキ政権が発行した40ルーブル切手で、新生ロシアの勝利を象徴する図案として、龍を倒す若者が描かれています。当時のボリシェヴィキ政権を代表する切手の1枚で、スコット・カタログでは印面寸法の違いによりタイプ1と2に分類しています。また、この切手を台切手とした加刷切手も発行されていますが、こちらには様々なバラエティがあります。

 キリスト教世界で龍退治といえば、聖ジョージの龍退治が有名ですが、シレネの龍を退治した聖ジョージはかの地の住民をこぞってキリスト教に改宗させたことになっています。この切手でも、そうした伝統を踏まえて、資本家や地主、教会を龍になぞらえ、そうした旧支配層から人々を解放したボリシェヴィキというイメージを表現しようとしたのでしょう。ただし、当時のボリシェヴィキ政権に対しては、人々は自ら進んで帰順したというよりも、赤色テロルを恐れて沈黙し、帰順したふりをせざるを得なかったというのが実情でしたが…。

 なお、1917年のロシア革命から1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦(いわゆる“ソ連”ってヤツですな)が成立するまでのロシア内戦期とその時代の切手や郵便については、拙著『ハバロフスク』でも(簡単にではありますが)ご紹介しております。今年はソ連崩壊から20周年という節目の年でもありますし、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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 ロシアの小麦
2010-08-06 Fri 16:07
 昨日(5日)、ロシアのプーチン首相は、記録的な猛暑と少雨による旱魃被害が拡大していることをうけ、穀物および穀物から作られる関連製品の輸出を今月15日から12月末まで禁止する法案に署名しました。というわけで、きょうは“ロシアと小麦”に絡んでこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・飢餓救済(小麦)

 これは、1922年、内戦期(革命後、ソビエト社会主義共和国連邦成立までの時期)のロシアで発行された飢餓救済の寄付金つき切手で、希望の星の下、小麦の穂を背景にした労働者と農民の握手が描かれています。

 1917年11月、ロシアで社会主義革命が勃発し、ソヴィエト労農臨時政府(ボリシェヴィキ政権)が誕生します。そもそも、私有財産制度と階級秩序を否定し、無神論を掲げる社会主義・共産主義とその信奉者は多くの国々で既存の体制と衝突していましたが、ロシア国内でもボリシェヴィキ政権に抵抗する白軍がシベリア各地で蜂起し、ロシアは内戦状態に陥りました。

 一方、ボリシェヴィキ政権が、1917年12月、帝政時代の債務を一方的に破棄し、外交上の密約を曝露したうえ、翌1918年3月、無併合・無賠償の原則を掲げてドイツと単独講和を結んだことで、列強諸国は激怒。ボルシェヴィキ政権に対する敵意をあらわにし、白軍を支援する干渉出兵を行うとともに、同政権に対する経済封鎖を発動しました。

 こうした状況の下で、ボリシェヴィキ政権は、戦時共産主義と称して、あらゆる企業を国営化するとともに、農民から“余剰”農産物を強制的に徴発。私企業を禁止して、国民に対しては食糧・日用品を配給し、反対者は容赦なく処罰します。しかし、強引な社会主義化政策は既存の社会を疲弊させ、貨幣は事実上無価値となり、飢餓が蔓延して経済は停止状態に陥ってしまいました。このため、1921年3月21日には、穀物の強制徴発を廃し、中小企業の民営化を認めるなど、市場原理を部分的に許容する新経済政策(ネップ)が導入されることになりました。

 ネップの実施による経済再建政策の一環として、ボリシェヴィキ政権は、飢餓救済などの名目でさかんに寄付金つき切手を発行しました。今回ご紹介の切手もその1枚です。

 さて、現在、ロシアでは猛暑のため、南部や中部の穀倉地帯を中心に穀物の作付面積の2割以上が旱魃被害を受けており、ロシア政府はすでに非常事態宣言を発しています。今月3日には、ロシア農業省が収穫見通しを、昨年度比26%減の7000-7500万トンへと下方修正しましたが、ロシア国内の穀物の年間消費量は約7500万トンとされていますから、輸出を維持した場合、国内分が不足し、小麦製品価格や穀物飼料の値上げに伴う食肉価格の上昇などのインフレを招くことは必至です。それゆえ、今回の輸出禁止措置は、彼らの立場からすればやむを得ないでしょうな。

 全世界の小麦生産の1割を占めるロシアの小麦が国際市場に出回らなくなれば、当然のことながら、小麦の価格は上昇することになります。したがって、小麦の大半を輸入に頼っているわが国の場合、ロシアからの小麦の輸入がないからと言って、全くの無傷でいられるとは思えません。もちろん、かつての石油危機の時のように、必要以上にパニックになることはないと思いますが、農水大臣が「小麦の総生産に占めるロシアの割合は(世界全体の)1割ぐらい。価格にはそう影響ないんじゃないか。この世界的な天候不順だから、いつ、何時、どのようなことがあってもおかしくない状況」と発言しているのは、どうも呑気すぎるような気がします。まぁ、こういう緊張感のなさが、先日の口蹄疫問題を深刻化させる結果を招いたわけですがね。
 

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 極東共和国の幻
2007-11-26 Mon 09:07
 極東共和国の指導者だったアレクサンドル・ミハイロヴィチ・クラスノシチョーコフが、1937年11月26日にスターリンの粛清で銃殺されてから、今日でちょうど70年になります。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

極東共和国

 これは、1921年に発行された極東共和国の切手です。

 極東共和国とは、ロシア革命後の1920年4月、干渉出兵でシベリアに駐留を続ける日本軍との緩衝国としてボルシェビキ政権が樹立したもので、ボルシェビキ政権の支配地域とは別個に、独自の切手も発行しています。当初の首都はウラン・ウデでしたが、後にチタに遷都。この切手はチタで発行されたものです。

 もともと、極東共和国はボルシェビキ政権の衛星国といった性格のものでしたから、1922年10月に日本軍がシベリアから撤退すると、ボルシェビキ政権にとって同国の存在意義もなくなり、同年12月のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)の成立にあわせて、同国はソ連に吸収され、消滅してしまいます。

 この極東共和国の成立に尽力したのが、革命政府で共産党国際部東洋部長に就任したクラスノシチョーコフでした。

 クラスノシチョーコフは、帝政時代の1902年にアメリカに亡命して、そこで教育を受け、革命後に帰国した人物で。極東共和国の樹立後は同国の首相に就任し、アメリカの支援で極東共和国の経済的自立をはかるべく、1921年には経済使節団をアメリカに派遣しています。同共和国では、アメリカ型の自由主義経済を一部取り入れたり、ボルシェビキ政権下では非合法とされていた各種政党を認めたり、男女平等を掲げる進歩的な憲法を制定したりするなど、自由主義的な国家作りを目指していました。

 しかし、このことが、結果として教条主義的な共産主義活動家との対立をもたらし、クラスノシチョーコフは失脚。スターリン時代に銃殺されてしまいました。

 ロシアの反プーチン派の指導者で、チェス元世界王者のカスパロフが、野党連合勢力の集会で、当局が許可していないデモ行進を強行し警察に抵抗したとしてモスクワの裁判所から拘禁5日間の決定を言い渡されたそうです。 ロシアに全体主義を復活させてはならないと奮闘中のカスパロフですが、ロシア国内ではプーチンの終身独裁体制が着々と進みつつあるようで、どうにも分が悪いのは否定できません。こういうニュースを聞くたびに、かつての極東共和国が存続していたら、リベラルな政治風土がロシアの一部にでも根付いていたかもしれないのに…、という思いを禁じえないのは僕だけではないでしょう。

 なお、極東共和国に関しては、拙著『反米の世界史』でも簡単に触れていますので、機会がありましたら、ご覧いただけると幸いです。

 【イベントのご案内】  
 12月1日(土)、東京大学駒場キャンパス・16号館119教室で開催のシンポジウム「戦争とメディア、そして生活」にて、日本占領時代の香港のことを中心に「切手というメディアが含蓄するもの」と題してお話しします。

 僕の出番は、13:20スタートの「収集されるメディア―絵はがき、切手、ポスター」と題するセッションの2番目。入場は無料でどなたでもご参加いただけますので、ぜひ、遊びに来てください。
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