内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 <PHILATAIPEI 2016>終了
2016-10-26 Wed 17:36
 早いもので、21日に始まった世界切手展<PHILATAIPEI 2016>は、さきほど無事に終了しました。明朝の日本航空(JAL)で台北を発ち、東京に戻る予定です。というわけで、無事の帰国を願って、毎度恒例、2都市間のエアメールの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      台北・羽田FFC

 これは、1959年8月1日、台北から羽田宛のJALの初飛行カバー(FFC)で、8月1日の午前9時に台北を出発し、午後4-6時に羽田に到着しています。

 第二次大戦後のJALの国際線は、1953年11月、羽田=ホノルル=サンフランシスコ線の運航から始まります。東京=台北線に関しては、1959年7月30日、DC-6B型機で東京を出発したのが第一便で、今回ご紹介のカバーは、台北からの復路に搭載されていたモノということになります。

 なお、JALの東京=台北線は、1972年9月の日本と中華人民共和国との国交樹立に伴って結ばれた日中航空協定に、「中華人民共和国に乗り入れする航空会社は中華民国に乗り入れてはならない」との規定があったため、1974年4月にいったん廃止されてしまいます。しかし、現実の問題として日台間の航空路線を廃止してしまうことはできないので、1975年8月、別会社の日本アジア航空が設立され、同年9月からは同社に移管されたダグラスDC-8-53により運航が開始されました。

 その後、2007年に、日本側の対台湾の窓口である財団法人交流協会と、台湾側の亜東関係協会が、日本=台湾路線の直接運航を認めることを確認。これを受けて、2008年4月、日本アジア航空は日本航空インターナショナルと統合され、現在に至っています。

 さて、今回の切手展では、コミッショナーの岩崎善太さん、アシスタント・コミッショナーの藤井堂太さん、審査員の佐藤浩一さん、大原敏正さんをはじめ、多くの方々にいろいろとお世話になりました。おかげさまで、いろいろと実りの多い滞在となりました。その成果につきましては、追々、皆様にもご報告して参りますが、まずは、現地滞在中、お世話になった全ての方々に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

 なお、あすの昼過ぎには羽田に到着の予定です。無事に帰国しましたら、すぐにそのまま、平常通り仕事をするつもりですので、内藤の不在によりご不便・ご迷惑をおかけしている皆様におかれましては、今しばらくお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます。


★★★ イヴェントのご案内 ★★★

 10月29日(土) 13:45-15:15 ヴィジュアルメディアから歴史を読み解く

 本とアートの産直市@高円寺フェス2016内・会場イヴェントスペースにて、長谷川怜・広中一成両氏と3人で、トークイヴェントをやります。入場無料ですので、よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。(本とアートの産直市@高円寺については、主催者HPをご覧ください)


★★★ 講座のご案内 ★★★

 11月17日(木) 10:30-12:00、東京・竹橋の毎日文化センターにてユダヤとアメリカと題する一日講座を行います。詳細は講座名をクリックしてご覧ください。ぜひ、よろしくお願いします。 
 

★★★ ブラジル大使館推薦! 内藤陽介の『リオデジャネイロ歴史紀行』  ★★★ 

       リオデジャネイロ歴史紀行(書影) 2700円+税

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 オリンピック開催地の意外な深さをじっくり紹介
 リオデジャネイロの複雑な歴史や街並みを、切手や葉書、写真等でわかりやすく解説。
 美しい景色とウンチク満載の異色の歴史紀行!
 発売元の特設サイトはこちらです。

 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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 三合会のボス
2014-10-13 Mon 23:38
 香港で、きょう(13日)、金鐘(アドミラルティ)地区を占拠していた民主派のデモ隊に対してマスクをした数十人の集団が突進。デモ隊側ともみ合いになり、香港警察は集団のうち2人を取り押さえる騒ぎがありました。 香港の民主派デモでは先日、旺角(モンコック)地区のデモ会場が“三合会”の総称で知られる犯罪組織の構成員らから襲撃される騒ぎが起きており、今回のマスク集団も三合会の関与が疑われています。というわけで、三合会といえば、この人でしょうか。

      鄭士良

 これは、1971年に台湾で発行された鄭士良の切手です。

 鄭は、清末の1863年、廣東省恵陽生まれ。早いうちにキリスト教に入信し、廣州礼賢学校で学んだ後、米国人宣教師が廣州で経営する博済医院付属の医科学校に入学し孫文の同級生となりました。その後、孫文は香港の西医書院(現・香港大学医学部)を卒業して1892年にマカオで医師として開業するのですが、この間も鄭との交流は続いており、彼らは、清朝政府を公然と批判し、当時、“四大寇”(4人の悪党)”に数えられていました。

 ところで、香港の三合会は、アヘン戦争後まもない1840年代初頭には成立していたと考えられています。いわゆる黒社会と呼ばれる犯罪組織ですが、三合会というのは、特定の団体のことを指しているというよりは、さまざまな組織・団体の集合名詞として用いられるのが一般的です。清朝の衰退が顕著になると、清朝に抵抗する革命運動とも結びつきを強め、理念としては、漢民族の復権と満州族の排斥、清朝の打倒等を掲げていました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられている鄭士良は、その廣州支部長ともいうべき立場の人物で、医科学校卒業後は、淡水墟に同生薬房を開設し、そこを隠れ蓑にして武装蜂起の準備に参加。1895年には、香港で興中会支部を組織し、廣州での武装蜂起を計画しましたが、このときは事前に計画が漏洩し、未遂に終わっています。

 その後、1899年には興漢会設立に参加。1900年6月、義和団事件で北京が八カ国連合軍に占拠されると、10月、混乱に乗じて恵州三洲田で武装蜂起し、一時は新安、大鵬、平山を占拠しましたが、物資提供を約束していた日本政府の方針転換があって武器弾薬と食糧の調達が不可能となり、革命軍を解散して自らも香港への逃亡を余儀なくされました。1901年8月、香港で脳卒中により没。

 1911年の辛亥革命で清朝が倒れ、孫文ではなく袁世凱の北洋軍閥が中国大陸を掌握した後も、三合会は活動を継続していましたが、1949年、中国史上最強のマフィア組織ともいうべき中国共産党が大陸の大半を掌握すると、香港・マカオに活動の拠点を移して滑動していました。

 なお、三合会をはじめ、香港・マカオの黒社会については、以前、カジノ利権との絡みで拙著『マカオ紀行』でもその概要をまとめてみたことがありますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月8日より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 台湾の青年節
2014-03-29 Sat 11:32
 きょう(29日)は台湾の青年節です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       台湾・青年節(1954)

 これは、いまからちょうど60年前の1954年3月29日に台湾で発行された“第11回青年節”の記念切手です。

 台湾の青年節は、もともとは、1911年の反清武装蜂起の“黄花崗起義”を記念して、“革命先烈紀念日”とされていました。

 清末の1910年11月13日、マレー半島のペナン島に、孫文、趙声、黄興、胡漢民、鄧沢如らが集まり、革命組織であった中国同盟会として、広州で反清武装決起することを決定します。

 これを受けて、1911年1月、黄興、趙声、胡漢民は香港に統籌部を設立して武装蜂起の準備を進めました。計画では、4月13日に38の秘密組織が一斉に蜂起することになっていましたが、同盟会員の温生が先走って4月8日に単独行動を起こし、広州将軍・孚琦を殺害。また、同盟会側の弾薬が輸送途中で清朝に押収されたことより、計画は変更を余儀なくされ、4月23日、黄興ひきいる800名の決死隊が両広総督衙門、小北門、巡警教練所、守南大門への攻撃を開始しました。

 しかし、市街戦の末、同盟会側は86名の死者(当初は72名とされていたため、革命72烈士の名で呼ばれています)を出して敗退。黄興は広州から脱出しました。

 このときの烈士たちを顕彰するための革命先烈紀念日は、“黄花崗起義”が起きた1911年4月23日が旧暦の3月29日に当たっていたことから、新暦の3月29日に設定されましたが、1949年に国民党政府が台湾に遷移した後、青年節と改められました。

 その後、1952年3月29日、蔣介石は青年節演説の中で青年組織の設立を提唱。これを受けて、同年10月31日、中国青年反共救国団籌組原則が公布され、準備期間の後、1954年の青年節を期して“中国青年反共救国団”の結成大会が行われました。前年の第10回の記念切手が発行されず、第11回という半端な年回りながら今回ご紹介の切手が発行されているのは、そうした事情によるものです。なお、切手は一見すると、単にマラソンをしている若者という風にしか見えないのですが、郵政当局の説明によると、黄花崗の記念碑を背景に反共のために戦う若者を描いているのだそうです。

 さて、現在の台湾では、馬英九政権が昨年、中国と調印した“サービス貿易協定”の承認に反対する学生が立法院(国会)議場を占拠し続けています。同協定の内容は、中国側が金融や医療など80分野を、台湾側が運輸や美容など64分野を開放するという内容ですが、協定が発効すれば中国の資本と労働者が大挙して台湾に流入し、台湾の弱小企業が打撃を受け就職機会が奪われ、中国にのみ込まれる可能性が高いと指摘されています。また、協定では出版・印刷の市場も開放されるため、資本の論理によって中国側が台湾のメディアを制圧し、彼らが望む形での“統一”を進めるためのプロパガンダ、さらには、事実上の言論統制が行われるのはほぼ確実と見られています。

 こうしたことから、サービス貿易協定に関しては、最大野党の民主進歩党を中心に反発の動きが出ていましたが、与党の中国国民党は、“時間切れ”として審議を一方的に打ち切り、十分に話し合うことなく、強引に協定の同意を進めようとしたため、これに怒った学生たちが「台湾の民主主義を救うため」として行動を起こしたというわけです。

 もちろん、中国とのサービス貿易協定を結んだ結果として、台湾が中国に併合されることを、ほかならぬ台湾の人々が望んでいるというのであれば、外国人である僕がとやかく言うべき筋合いはありません。しかし、歴史的に見て、中国と台湾はまったく別個の存在であり、曲がりなりにも自由と民主主義を享受している台湾が、現状ではアジア最悪のファシスト国家である中華人民共和国に併呑されるのは何としても避けたいというのであれば、東日本大震災の時に台湾の人たちが示してくれた温情に報いるためにも、彼らを応援すべきではないかと思います。少なくとも、中国の天安門事件のときのように、彼らを“烈士”(弾圧の犠牲者)にしてしまうことのないように、国際社会はきっちりと見守っていく必要があります。

 なお、少し先の話ですが、5月15日、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ ポスタル・メディアと朝鮮戦争 ★★★

 4月19日(土)14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス3号館2階・326講堂にて開催のメディア史研究会月例会にて、昨年(2013年)夏、バンコクで開催された世界切手展<Thailand 2013>に出品した“Korea and the Cold War 1945-1953”の内容を中心に、切手や郵便物などによって朝鮮戦争とその時代を再構成しようとする試みについてお話しします。

 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 台湾総統府に大型トラック突入
2014-01-25 Sat 23:42
 きょう(25日)早朝、台北市にある台湾総統府の正門に大型トラックが突っ込み、運転していた男が重傷を負って病院に搬送されるという事件がありました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       台湾総統府100円

 これは、1958年9月20日に台湾で発行された額面100円の普通切手で、台湾総統府が描かれています。今回の事件では、トラックは車止めや階段を上って、正面のアーチ形入口の部分に突入しており、警察では、トラックを運転していた男が意図的な犯行に及んだものとみて捜査を進めているそうです。なお、事件当時、馬英九総統はサントメ・プリンシペに外遊中で不在だったそうです。

 さて、日本統治時代の台湾総督府の庁舎は、当初は、清朝時代の布政使衙門が接収されて用いられていましたが、1907年、新庁舎の設計案が公募されています。そして、審査の結果、1909年、第二等(第一等は該当作なし)となった長野宇平治(辰野金吾の高弟で早稲田大学教授。後に日本建築士会初代会長)の作品をもとに、台湾総督府営繕課の技師、森山松之助が大幅に修正を施して、1916年、赤レンガ造りの新庁舎が竣工し、1919年から現在の建物が使用されることになりました。

 新庁舎は東向き、すなわち、日本の方向を向いて建っており、上空から見ると“日”の字の構造となっているのが特徴です。正面入り口は東側の中央にあり、高さ60メートルの中央塔には台湾初のエレベーターが設置され、塔からは台北市街が一望できました。

 総督府の庁舎は、第二次大戦中、米軍の空襲によって中央塔以下をかなりの損害を受けましたが、その後改修され、1949年に国民党政権が台湾に遷移した後は、総統府として使用されるようになりました。

 現在、台湾の総統府は歴史的建造物として、1階部分はツアー形式での見学が可能です。以前、台湾を旅行した際には僕も参加してみたのですが、日本時代を知るボランティアのお年寄りが、「日本時代は本当によかった。蒋介石父子の時代は暗黒時代だった。李登輝さんの時代にようやくまともになった。台湾の人間は人が良いから、しっかりしないと(大陸の)シナ人に騙されてばかりだ。」という趣旨のことをさかんに語ってくれたのが、印象的で今でも鮮明に覚えています。

 今回、突っ込んできた男にどういう動機があったか知りませんが、なんにせよ、日本統治時代の貴重な歴史的遺産を破壊するような暴挙には怒りを感じますな。妙な政治的背景がなければいいのですが、あったらあったで、徹底的に追及して、しかるべき処罰を下していただきたいものです。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は2月4日(原則第1火曜日)で、ついで、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 日台断交40年
2012-09-29 Sat 22:45
 1972年9月29日、日本が中華人民共和国と国交を樹立した結果、それまでの友好国であった中華民国(以下、台湾)と国交を断絶してから、きょうで40年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       莊敬自強

 これは、1972年5月20日、台湾で発行された普通切手で、"莊敬自強"のスローガンが大きく取り上げられています。

 1971年6月15日、台湾の国際的地位が大きく揺らぎつつある中で、中華民国総統・蔣介石は国家安全会議で「わが国の立場と国民の精神」と題する訓示を発表。「国家民族の前途に対し、われわれは自主独立の既定原則をもっている。大陸光復はわれわれが奮闘堅持する第一目標であり、断じてその他の第二義的問題のためにこの第一目標を中共に利用されてはならない」さらに「われわれは反共の信念を保持し、また反共の勇気を堅持し、自由と正義への奮闘を続けなければならない。国家の運命はわれわれ自身の手中にあり、世界の安危もまたわれわれの手中に握られている」と国民に訴えました。

 さらに、同年10月25日、Chinaとしての国連の代表権が台湾から剥奪されると、同日夜、蔣介石は「全国同胞に告ぐ書」を発表。「国内外同胞は一時的な局政の変化に惑わされることなく、正確な方向をしっかり把握し、誠心を込めて団結しなければならない。そうすれば、険悪な形勢の中でますます奮起することができるし、また、大陸同胞の救出、大陸の収復に奮闘を継続することができる」と激励しました。これが、“莊敬自強 處變不驚(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)”として、台湾の国家スローガンになり、切手にも取り上げられたというわけです。

 1972年9月の中華人民共和国との国交樹立は、台湾が国連の代表権を失ったことを受けて、同年発足した田中角栄内閣が内閣発足直後の勢いに乗って行ったものですが、この結果、日本政府は、それまで、日本と台湾の外交関係の基礎となっていた「日本国と中華民国との間の平和条約(日華条約、または日華平和条約)」を一方的に“終了した”と宣言。両国の国交は断絶しましす。

 日華条約は、1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効の7時間30分前に台北で調印されました。同条約では、日中間の戦争状態の終了(第1条)、台湾における日本の領土権の放棄(第2条)などを定め、その条約議定書では、「中華民国は日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する」との文言もありました。国際法上、何ら問題のない正当な条約で、台湾側に何の落ち度がなかったにもかかわらず、これを一方的に破棄してしまったことは、日本の外交史上、痛恨の汚点と言ってよいでしょう。

 ことしは、日中国交正常化40年ということで、さまざまな記念行事が企画されていたものの、中華人民共和国による尖閣侵略と中国大陸での反日テロの横行により、中止が相次いでいます。それなら、中止された行事に代わるものとして、40年前、わが国が一方的に断交するという非礼を働いていながら、現在なお、わが国に対する友好を維持してくれている台湾に対して、40年前の非礼を詫び、彼らの真の友情に感謝するイベントを大々的に行ったらいかがでしょう。少なくとも、歴史的事実としては荒唐無稽なデタラメを持ちだしてきて謝罪と賠償を要求する国々の無理難題に唯々諾々と従うよりも、よっぽど、筋が通っていると考えるのは僕だけでないと思います。


 ★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★
   
 10月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で8月の韓国取材で仕入れたネタを交えながら、一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、青色太字をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

 T-moneyで歩くソウル歴史散歩 
・よみうりカルチャー荻窪
 10月2日、10月30日、12月4日、1月29日、2月5日、3月5日 13:00-14:30

 * 10月2日は公開講座として、お試し聴講も可能です。
 
・よみうりカルチャー北千住
 10月17日、12月19日、1月16日、2月20日、3月20日 13:00-15:00


 ★★★★ 電子書籍で復活! ★★★★

 歴史の舞台裏で飛び交った切手たち
 そこから浮かび上がる、もうひとつの昭和戦史

         切手と戦争

   『切手と戦争:もうひとつの昭和戦史』
    新潮社・税込630円より好評配信中!
    出版元特設HPはこちらをクリック

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 台湾総統選挙は現職が勝利
2012-01-15 Sun 19:27
 きのう(14日)、投開票が行われた台湾の総統選挙は、(多くの日本国民の期待むなしく)現職の馬英九が再選を果たしました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        台湾単位票カバー

 これは、中国国民政府(国府)が台湾に撤退(彼らの用語でいう“遷移”)した直後の1949年12月に台湾の麻豆から差し出されたカバーで、“限臺灣省貼用”加刷の単位票が貼られています。

 1945年10月、国府は台湾を接収しましたが、この時点では、日本統治時代の旧台湾銀行券(日本円と等価)が通貨として流通していました。このため国府は、1946年に旧台湾銀行と台湾貯蓄銀行、三和銀行を接収・合併し、新たに台湾省営の“台湾銀行”を設立し、同年5月22日から、旧台湾銀行券と等価の“台幣”(1949年6月以降の“新台幣”と区別して“旧台幣”と呼ばれます)を発行・流通させます。ただし、住民の間では台幣よりも旧台銀券に対する信用が厚く、旧台銀券から台幣への交換はスムースには進みませんでした。

 そもそも、国府が大陸で使用していた法幣(国府の法定通貨)を台湾で流通させず、旧台幣を発行した背景には、日中戦争が終結するや国共内戦が再燃するという混乱の中で、大陸経済が極端に疲弊し、法幣の信用が失墜していたという事情があります。国府にしてみれば、自らの戦後復興ならびに共産党との内戦の資金源として、新たに獲得した台湾の価値を維持しておくためには、台湾を大陸の経済的混乱から隔離しなければならず、台湾内で法幣を流通させるわけにはいかなかったのです。

 1947年末まで、法幣と旧台幣の交換は年に数回の調整を行う固定相場制でしたが、1948年1月以降、両者は変動相場制に移行します。この間、法幣と旧台幣の交換相場は、台湾からの“輸入”を有利に進めたい国府の政策的措置により、一貫して、実際の経済力に比べて旧台幣の価値を過小評価したものとなっていました。この結果、国共内戦による大陸のハイパーインフレは台湾経済を直撃することになります。

 さらに、1948年8月、大陸ではついに法幣制度が破綻し、国府は新通貨として金円を発行。混乱の中で、大陸からの逃避資金が台湾に流入し、台湾のインフレはますます加速していきます。

 そして、共産党との戦いに敗走を続ける国府の台湾移転が現実のものとなりつつあった1949年6月15日、台湾省政府は「台湾省幣制改革法案」、「新台幣発行弁法」を布告し、旧台幣4万円を新台幣1円とするデノミネーションを実施。当初の建前では、新台幣はあくまでも、国家の正式通貨ではなく、台湾に限定した地域通貨という位置づけでしたから、国府としても大陸とは別に新台幣に対応する額面の切手を発行する必要がありました。

 しかし、新切手を企画し、準備している間にもインフレは昂進を重ね、新額面の切手を用意することもままならないというのが実情であったため、1949年10月16日に発行された新台幣対応の新切手には、額面の表示はなされず、国内普通郵便用、速達用など用途のみが記され、その都度、利用者には窓口で対応する料金で販売されています。今回ご紹介のカバーの切手は、こうした状況に対応して発行された“単位票”の1種で、“国内信函費 毎重二十公分”(20グラムごとの国内書状料金)と表示されています。

 ところで、1949年4月23日の首都・南京の陥落以来、国府は広州、重慶、成都を転々としていましたが、11月4日、台北を臨時首都とすることを決議。7日に中央政府の台北移転を正式に決定し、11日までに政府ならびに国民党中央の移転が完了しました。今回ご紹介のカバーは、こうした国府の遷移直後に上述の単位票の使用例です。

 この間、10月17日には人民解放軍が厦門島を占領し、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側はこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 とはいえ、大局的に見れば、中共が台湾を“解放”することは時間の問題と考えられており、米国も台湾の共産化やむなしと覚悟していました。

 ところが、1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると事態は一変。トルーマン政権は共産軍による台湾解放を阻止するため第七艦隊を台湾に派遣するとともに、国府に対しても“大陸反攻”の停止を要求しました。いわゆる台湾海峡中立化宣言です。

 米国が台湾海峡の中立化を志向したのは、国際法上の台湾の地位が未確定であり、それゆえ、台湾の帰属に関しては「太平洋における安全保障の回復、対日講和条約の締結、ないしは国連による検討を待つべき」であるとの判断によるものです。

 あらためていうまでもないことですが、領土の割譲・移転は当事国間による正式の条約締結がなければ、国際法上は無効です。この点において、第二次大戦中、連合国によって発せられたカイロ宣言やポツダム宣言は、敗戦後の日本に台湾を中国に返還させるという戦後処理の方針を示したものでしかなく、道義的・政治的な責任はともかくとして、国際法上の拘束力は一ありません。よって、日本の敗戦後、国府が台湾に進駐し、日本軍を武装解除したのも、あくまでも便宜的ないしは暫定的な措置でしかないのです。

 さらに、1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効した講和条約では「日本は台湾、澎湖諸島に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すべし」との規定(第二条B項)はありましたが、その後の台湾の帰属については何ら規定がなく、未確定のまま放置されています。また、講和条約の発効を待って日本と国府の間で結ばれた日華平和条約でも、すでに台湾の領有権を放棄した日本は台湾の帰属について言及しないとの立場をとっており、以後現在にいたるまで、これが日本政府の公式見解となっています。

 これに対して、大陸の中国共産党政権は倦むことなく“一つの中国論”を持ち出していますが、大半の国では台湾の帰属については法的に未定という姿勢をとっており、現在にいたるまで「台湾は中国の領土の不可分の一部である」との主張をそのまま承認しているのは全体としてごく少数でしかありません。

 さて、今回、総統選挙で再選された馬英九は、選挙期間中、「“一つの中国”を“中台双方が独自解釈する”という条件付きで認める」との姿勢を示していましたが、今まで縷々述べてきたように、そもそも“一つの中国”論は、勝手な思い込みでしかありません。

 もちろん、台湾の将来については台湾の人々の意思によって決められるべきで、彼らがそうした“一つの中国”論を信奉しているというのであれば、もはや僕がとやかく言うべき筋合いはないのですが、彼らの意に沿わない形での“中国”への併呑という事態が生じることになれば、話は全く別です。そうしたことも踏まえ、われわれ日本はもっとも身近な友好国を今後ともサポートしていくべきではないかと思います。


 * 第3回テーマティク出品者の会ミニペックスは、本日夕方、無事終了いたしました。ご参観いただきました皆様並びに関係者の方々には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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 台湾の独自性⑦
2009-08-10 Mon 14:55
 ご報告が遅くなりましたが、雑誌『東亜』の2009年8月号ができあがりました。3ヶ月に1回のペースで僕が担当している連載「郵便切手の歴史に見る台湾の独自性」では、今回は国府の台湾遷移の話を取り上げましたので、その中から、こんなマテリアルをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

 遷移直後の加刷切手

 これは、国府の台湾遷移直後の1949年12月12日に発行された切手で、もともとは、満洲国崩壊後の東北部で使用するための切手が持ち込まれ、台幣で5分切手とする旨の加刷が施されています。

 1949年4月23日の首都・南京の陥落以来、国府は広州、重慶、成都を転々としていましたが、11月4日、台北を臨時首都とすることを決議。7日に中央政府の台北移転を正式に決定し、11日までに政府ならびに国民党中央の移転が完了しました。

 この間、10月17日には人民解放軍が厦門島を占領し、対岸の金門島にも攻撃を仕掛けましたが、国府側はこれを撃退。福建省沿岸の金門島・馬祖島ならびに浙江省沿岸の大陳列島を確保することによって、かろうじて台湾省に限定されない“中国政府”としての体面を保ち、台湾を拠点に“大陸反攻”を呼号していくことになります。

 とはいえ、大局的に見れば、中共が台湾を“解放”することは時間の問題と考えられており、米国も台湾の共産化やむなしと覚悟していました。

 ところが、1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると事態は一変。トルーマン政権は共産軍による台湾解放を阻止するため第七艦隊を台湾に派遣するとともに、国府に対しても“大陸反攻”の停止を要求します。いわゆる台湾海峡中立化宣言です。

 米国が台湾海峡の中立化を志向したのは、国際法上の台湾の地位が未確定であり、それゆえ、台湾の帰属に関しては「太平洋における安全保障の回復、対日講和条約の締結、ないしは国連による検討を待つべき」であるとの判断によるものでした。

 あらためていうまでもないことですが、領土の割譲・移転は当事国間による正式の条約締結がなければ、国際法上は無効です。この点において、第二次大戦中、連合国によって発せられたカイロ宣言やポツダム宣言は、敗戦後の日本に台湾を中国に返還させるという戦後処理の方針を示したものでしかなく、道義的・政治的な責任はともかくとして、国際法上の拘束力は一切ありません。よって、日本の敗戦後、国府が台湾に進駐し、日本軍を武装解除したのも、あくまでも便宜的ないしは暫定的な措置でしかないのです。

 さらに、1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効した対日講和条約では「日本は台湾、澎湖諸島に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すべし」との規定(第2条B項)はありますが、その後の台湾の帰属については何ら規定がなく、未確定のまま放置されています。また、講和条約の発効を待って日本と国府の間で結ばれた日華平和条約でも、すでに台湾の領有権を放棄した日本は台湾の帰属について言及しないとの立場をとっており、以後現在にいたるまで、これが日本政府の公式見解です。

 東西冷戦という国際環境の中で、共産主義封じ込めを国是としていた米国にとっては、共産中国に対する前線基地としての台湾を確保することが重要なのであって、その意味では、台湾島の帰属問題は棚上げにして、台湾と大陸に別個の政権が存在することこそが好都合であり、対日講和条約や日華平和条約もそうした文脈から考案されたものでしかありませんでした。

 かくして、台湾と大陸に併存することになった二つの“中国”は、それぞれ、別個の切手を発行していくことになります。ちなみに、1971年に中共は国府に代わって国連の代表権を獲得し、以後、国際社会は中共を中国の正統政権として承認せざるを得なくなりました。その後も中共は倦むことなく“一つの中国論”を持ち出していますが、大半の国では台湾の帰属については法的に未定という姿勢をとっており、現在にいたるまで「台湾は中国の領土の不可分の一部である」との主張をそのまま承認しているのは全体としてごく少数でしかありません。


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 白衣観音
2009-03-14 Sat 18:09
 きょうは“ホワイト・デイ”。というわけで、現在制作中の『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)で使う予定の切手の中から、“白”に絡めてこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 基隆観音

 これは、1974年に台湾で発行された“台湾風景”の1枚で、基隆の中正公園にある高さ22.5mの白衣観音像が取り上げられています。

 『法華経』では、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて33の姿に変化すると説かれています。このため、観音像には基本となる聖観音のほか、6-7世紀頃から変化観音と呼ばれるさまざまなヴァリエーションが発生しました。

 その一つである白衣観音は白処尊・大白衣観音とも呼ばれており、日本でも高崎や大船の大観音が有名です。天変の時に修する天台密教の修法『大白衣法』の本尊とされているほか、観音諸尊を生んだ観音の母にして阿弥陀如来の妻とも考えられています。また、禅宗で好まれた観音でもあります。

 切手に取り上げられた中正公園の観音像は台湾5大仏の3番目で、内部は5階建ての展望台になっており、はしごで登っていくと、基隆港と市街の全景を眺められる観光スポットとなっています。

 さて、僕の次回作、『切手が伝える仏像:意匠と歴史』(仮題)ですが、すでに本文の原稿は完成しており、4月の刊行を目指して、現在、追い込みの作業に入っています。正式な発行日などが決まりましたら、このブログでもご案内いたしますので、よろしくお願いいたします。


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 そう美麗ではない女性と亀
2008-10-23 Thu 21:51
 蒋介石夫人の宋美齢が2003年10月23日に亡くなってから、ちょうど5年が経ちました。というわけで、きょうはこんな切手をもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 宋美齢

 これは、1960年、台湾で発行された“中華婦女反共抗俄(=反ソ)聯合会10周年”の記念切手で、同会の創立者として宋美齢の肖像が取り上げられています。

 宋美齢は、1897年に上海で生まれたといわれています。父は孫文の支援者として知られる浙江財閥の創始者でキリスト教徒の宋嘉樹。姉の宋靄齢は孔祥熙の妻、宋慶齢は孫文の妻で、“宋氏(家)三姉妹”としても有名です。

 9歳のときにアメリカに留学し、その後マサチューセッツ州にある名門女子大学のウェルズリー大学に入学し、1917年に卒業。宋美齢は“そう美麗ではない”が、英語だけは綺麗だといわれるのはこのためで、蒋介石との結婚後、彼女の流暢な英語は、英語のできない蒋の“通訳”兼国民政府の対外スポークスウーマンとして活動する上で、大いに役立つことになります。

 ところで、蒋介石と宋美齢の結婚はお互いの打算の産物だったことは広く知られています。

 まず、蒋介石の側ですが、孫文の跡目を継ぎたかった彼は、最初、孫文の未亡人であった宋慶齢に求婚しています。ところが、きっぱりと拒絶されたため、あっさりと妹の美齢に乗り換え、結婚にこぎつけたという事情がありました。このため、潔癖な慶齢は妹のことを“不潔”と考えるようになり、姉妹の溝は深まって、中国にいづらくなった慶齢はソ連へ2年間、逃れてしまいます。慶齢が後に共産中国に走ったのも、こうしたことが一因だったのかもしれません。

 一方、宋美齢の方も、かなりのものです。
 
 蒋介石が彼女に求婚したとき、彼女はアメリカ留学時代に恋仲になった男(後に南京市長になる刘文島)がいるので、結婚後も彼との関係は続けるということを結婚を受け入れる条件として持ち出しています。浙江財閥の富と孫文との縁戚関係というブランドがどうしても欲しかった蒋介石は、これを断ることはできなかったようです。

 その後、宋美齢が上海のホテルで昔の愛人と密会をしていると、蒋介石の側近で特務首長(秘密警察のトップ)だった戴笠がこれを探知。すぐに、蒋介石に密告しています。蒋介石は直ちに問題のホテルに駆けつけ、現場を目撃したらその場で2人を射殺するつもりだったそうですが、ちょうど2人が階段を下りているところに出くわし、宋美齢は間一髪で命拾いしたというエピソードが伝えられています。

 まぁ、この手の話は真偽の確かめようもないのですが、当時の中国人の間ではかなり知られていたエピソードのようで、国共内戦当時、蒋介石を揶揄する時には“烏亀(スッポンのことで、妻に浮気された夫のことを指す隠語としても用いられるそうです)”というフレーズも盛んに用いられていたとか。

 そういうことなら、蒋介石時代の台湾で亀の切手が発行されていたかどうか、今度調べてみることにしましょうかね。


 イベントのご案内

 11月1日(土)-3日(月・祝) 全国切手展<JAPEX>

 ことしも、東京・池袋のサンシャインシティ文化会館と目白の切手の博物館の2ヶ所で開催します。今年の目玉は、何といっても“満洲・東北切手展”ですが、トーク関係での僕の出番は、以下のとおりです。

 11月1日(土)
  13:00 “満洲・東北切手展”特別シンポジウム(池袋会場)
  16:00 特別対談「満洲における写真、絵葉書、郵趣」(池袋会場)
 11月2日(日)
  13:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)
  15:00 中公新書ラクレ presents 『大統領になりそこなった男たち』刊行記念トーク(池袋会場)
 11月3日(月・祝)
  11:00 “戦後日本切手展”ギャラリー・トーク(目白会場)

 トークそのものの参加費は無料ですが、<JAPEX>への入場料として、両会場共通・3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。


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 馬新政権のスタートに思う
2008-05-21 Wed 16:06
 3月22日の台湾総統選挙で当選した馬英九氏が昨日(20日)、正式に第十二任総統 に就任しました。新総統は香港・九龍の生まれで、生後間もなく台湾に渡ってきたということなので、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 反共抗俄美術展

 これは、1951年4月3日、台北から香港宛に差し出された航空書留便で、鄭成功の切手が裏面の1角(=10分)と合わせて計2円5角(250分)貼られており、「自由中国 反共抗俄美展」の臨時局の特印が押されています。また、裏面には4月7日付の九龍の着印も押されています。新総統の誕生日については、7月13日説と10月31日説の二つがあるようですが、生後間もなくの1950年中には両親とともに台湾に渡ってきたとのことですから、まぁ、彼とほぼ入れ替わりに台湾から香港へ運ばれたカバーといってもよいでしょう。
 
 1949年に大陸を追われて台湾に逃げ込んだ中国国民政府は“大陸反攻”を呼号し、そうしたプロパガンダに沿った切手を数々発行しています。当時の通常切手のデザインに鄭成功が取り上げられているのも、北方から来た満州族の王朝である清朝を打倒して漢人の明王朝を復活させるべく、台湾で活躍したという鄭成功の故事が、当時の国民党のイデオロギーに合致する人物であったからにほかなりません。

 特印が使用された“自由中国 反共抗俄美展”というのが、どういう内容の美術展だったのかは現時点では調べきれていないのですが、案外、共産主義に反対し、ソビエトロシアの侵略に抵抗するという掛け声とは無関係に、展示の中身はフツーの美術展だったのかもしれません。

 当時の国民党政府が反共抗俄だったのは事実ですが、はたして“自由中国”を名乗るにふさわしい体制だったかどうかは、大いに疑問があります。というのも、蒋介石政権による戒厳令の下では、国民の言論の自由は大幅に制限されており、反政府的とみなされた人物は次々に逮捕・投獄されていたからです。じっさい、新総統となった馬じしんも、ハーバード大学に留学中は、『波士頓通訊(ボストン通信)』という国民党系雑誌の編集長をしながら、“職業学生”として反政府、民主化勢力の監視と報告を行っています。

 かつての馬は、中国国民党の伝統的な路線に従い、究極的には大中国としての統一を目指すものの、共産党とは対立するという“反共主義”の路線が鮮明でしたが、近年は、台湾経済の落ち込みもあって、対中関係改善による“実利”を重視し、中国との間で、欧州連合加盟国同士並みに関税、資金、労働力の自由流通を目指す「両岸共同市場」を提唱したりもしています。もっとも、この両岸共同市場構想については、「中国による台湾の事実上の吸収合併につながる暴挙」との批判も根強く、総統選挙の際には釈明に追われています。

 なお、総統候補になってからはあまり表面化していないようですが、馬は、台湾には珍しく反日的な傾向が強い人物で、学生時代から、「釣魚島(尖閣諸島)奪還」を叫ぶ反日活動を続けているほか、国民党主席就任後の2006年には国民党本部ビルに「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げるなどの前科もあるのが気になるところです。

 まぁ、とりあえずのところはお手並み拝見としか言いようがありませんが、国内世論の批判をかわすため、安易な反日に走るのだけは止めてもらいたいと思うのは僕だけではないでしょうね。

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