内藤陽介 Yosuke NAITO
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 中共の海瑞
2015-11-10 Tue 19:04
 中国現代史最大の惨劇、プロレタリアート文化大革命(以下、文革)の発端となった姚文元の論文「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」が、1965年11月10日上海の日刊紙『文匯報』に掲載されてから、今日(10日)でちょうど50年です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      彭徳懐

 これは、1988年に発行された彭徳懐生誕90年の記念切手です。

 彭徳懐は、1898年、湖南省湘潭で生まれました。当初、蒋介石の国民革命に参加し、国民革命軍の営長・師長をつとめていたものの、1927年の上海クーデターを機に国民党に見切りをつけ、1928年、共産党に入党。国民党軍とたたかうことになります。そして、紅軍第五軍を率いて湘鄂贛地区を転戦し、井崗山で朱徳・毛沢東らの紅軍第四軍と合流しました。

 その後、彭は長征にも参加。朱徳の下で八路軍副総司令をつとめ、華北抗日根拠地を築いたほか、国共内戦では、第一野戦軍司令員・西北辺区副司令などをつとめました。

 1949年、中華人民共和国が成立すると、中国共産党中央西北局第一書記、人民解放軍副総司令に任ぜられ、元帥のひとりとなりました。そして、朝鮮戦争の際には、中国人民志願軍の総司令となり、米軍を中心とする国連軍と戦いました。

 中国人民志願軍総司令としての彭は、当初こそ、人海戦術で米軍を打倒できると考えていたものの、犠牲者数が予想をはるかに上回ったため、後に陣地戦へと作戦を変更。1951年夏以降、中国側の犠牲者を減少させています。そして、朝鮮戦争の功績により、休戦後の1954年、彭は国防部長(国防大臣に相当)兼国務院副総理となりました。

 1958年に毛沢東は大躍進政策を発動しますが、これは惨憺たる失敗に終わります。その総括のため、1959年7-8月、廬山会議が開催されますが、会議を前に、故郷・湖南省の農村を視察した彭徳懐はその惨状を目の当たりにし、会議の期間中、毛沢東に対して私信の形式を取って政策転換を求めました。この結果、毛の逆鱗に触れた彭は国防部長と中央軍事委員会委員の地位を解任されますが、反面、劉少奇・鄧小平らの官僚グループにより、大躍進の失敗を修復するための調整政策が行われることになります。

 これに対して、調整政策に反発した毛沢東と林彪らは大衆を動員し、共産党の実権を握っていた劉少奇ら“実権派”の追い落としをはかろうとしました。

 その端緒となったのが、1965年11月10日、姚文元が上海の新聞『文匯報』に発表した論説「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」でした。

 この論説は、北京市副市長で歴史家の呉晗が執筆した戯曲『海瑞罷官』(明代の官僚、海瑞が嘉靖帝を諫める上訴をして罷免された事件を題材にした史劇)を、プロレタリア独裁と社会主義に反対する“毒草”として攻撃するもので、当初の政治的な意図は呉の上司にあたる北京市長の彭真を失脚に追い込むことにありました。しかし、1965年12月21日、毛が「嘉靖皇帝は海瑞を罷免した。59年、我々は彭徳懐を罷免した。彭徳懐も“海瑞”だ」と述べたことで、彭徳懐への批判と結び付けられ、後の文革の端緒となりました。

 なお、文革が始まると、彭は紅衛兵により、1966年中に隠棲先の成都から北京に連行され、1967年7月9日には批闘会と称するリンチで7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ下半身不随となります。その後、江青の医療服従専案の監督下に置かれ、1974年、弾圧の中で亡くなりましたが、1976年に文革派四人組が失脚すると、1978年11月には名誉回復が行われ、生誕90周年にあたる1988年、今回ご紹介の切手が発行されたというわけです。
      

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 ひげを伸ばして禁錮刑
2015-03-30 Mon 16:23
 中国の新疆ウイグル自治区(中国占領下の東トルキスタン)カシュガルの裁判所は、きのう(29日)、“トラブルを誘発”し、地元当局の方針に反してひげ(配信された記事には記述はありませんが、おそらく顎鬚でしょう)を伸ばしたとして、38歳のウイグル人男性に禁錮6年の判決を言い渡しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       中国・寧夏回族自治区

 これは、1978年10月25日、中国で発行された「寧夏回族自治区成立20年」の記念切手の1枚で、回・漢・蒙の3民族が描かれています。このうち、画面手前の顎鬚を伸ばした男性がムスリムの回族で、すくなくとも、この切手が発行された鄧小平の時代には、中国国内のムスリム男性が顎鬚を伸ばしていても何ら問題はなかったことの証拠といえましょう。まぁ、切手に描かれているのは回族であって、今回問題となったウイグル人ではないのですが、“中国人民郵政”の名の下に、堂々と顎鬚を伸ばしたムスリム男性の切手を発行していたわけですから、回族は良くてもウイグル人はダメということも(少なくとも建前では)言えなかったはずです。

 切手の題材となった寧夏回族自治区は中国西北部の黄河上流域に位置しており、内蒙古自治区、甘粛省、陝西省と接しています。中華民国時代には寧夏省が設置されていましたが、1949年の中華人民共和国成立後は甘粛省寧夏地区とされ、1958年に省級の寧夏回族自治区となりました。今回ご紹介の切手は、ここから起算して20周年になるのを記念して発行されたモノです。

 回族は中国のムスリムの約半数を占めるエスニック集団で、もともとは、清朝以前に、“回民”とされてきたムスリムを、中華人民共和国の設定した“民族”に当てはめて設定することでできた概念です。長年の混血により、外見上はほとんど漢族との相違はなく、現在では、回族の血統に属し、回族を名乗ってはいても、ムスリムとしての信仰を失っている者も少なからず存在しています。ちなみに、寧夏回族自治区は、その名称とは裏腹に、現在の民族構成は回族は20%弱で、残りの80%弱は漢族が占めるようになっています。

 さて、イスラム世界では、預言者ムハンマドの慣行が社会的な価値規範として重要視されていますが、その一環として、ムハンマドが顎鬚を伸ばしていたという故事にちなみ、それに倣って顎鬚を伸ばすことで、自分がうスリムであることを強く自覚しようという人々が少なくありません。もちろん、顎鬚をはやすことが宗教的な義務として強制されているわけではなく、顎髭を生やしていないムスリムも大勢います。たとえば、かのサッダーム・フセインなんかもその1人です。

 したがって、一般的な傾向として、顎鬚を生やしているムスリムには敬虔な信仰心の持ち主が多いとはいえそうですが、新疆ウイグル自治区当局は、そうしたことを理由に、ひげを長く伸ばす慣習は過激派思想につながるとして、1年以上前から、反対運動を展開しています。

 今回、有罪判決を受けた男性のひげがどのようなモノであったか、現時点では写真で確認できていないので何とも言えませんが、フツーに考えれば、ひげを生やしていることが“けんかを仕掛け、トラブルを誘発した”というのは、どうみても言いがかりとしか思えません。そもそも、三国志の関羽を始め、中国の歴史上、顎鬚を生やした偉人は大勢いるわけですし、現在でも、顎鬚を伸ばした漢族の老人というのは珍しくないのでしょうか。それにもかかわらず、正当な理由もなしに、ウイグル人のみは顎鬚を生やすと逮捕というのは、何とも無茶苦茶な話です。

 なお、2016年末から2017年にかけての時期に、具体的な会期は未定ですが、中国ではアジア切手展の開催が予定されているそうです。僕も、立場上、審査員やコミッショナーなどでお呼びがかかる可能性がありますが、その場合は、「顎鬚を生やしていますので、何もしなくても、貴国の“けんかを仕掛け、トラブルを誘発した罪”に抵触する可能性があるのではないですか」と素朴な質問をぶつけてみることにしましょうかね。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月4日(土) 09:30- 切手市場
 於 東京・日本橋富沢町8番地 綿商会館
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『日の本切手 美女かるた』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。

 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月31日、4月7日、6月2日、7月7日、8月4日、9月1日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(下の青い文字をクリックしていただくと、よみうりカルチャーのサイトに飛びます)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月31日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 3月25日発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 “五四運動70年”から25年
2014-05-04 Sun 15:52
 今日(4日)は、1919年の“五四運動”にちなんで、台湾では文藝節、中国では青年節の記念日となっています。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       五四運動70年

 これは、1989年に中国で発行された“五四運動70年”の記念切手です。

 いわゆる“五四運動”は、第一次大戦中、ドイツに宣戦布告した中華民国は“戦勝国”であるにもかかわらず、パリ講和会議において山東省の旧ドイツ権益が中国側に返還されず、大戦中の既成事実をもとに日本に譲渡することが認められたことに対して、北京の学生数千人が1919年5月4日、天安門広場から講和条約反対や親日派要人の罷免などを要求してデモ行進をしたり、曹汝霖宅を焼き討ちにしたりした事件です。

 現在の中国共産政府は、中国共産党が五四運動の影響から誕生したこともあって、この事件をナショナリズムが真に大衆化した転機として高く評価しています。しかし、実際に五四運動のときのように、学生たちの矛先が体制批判に向かうことに対しては容赦のない弾圧が繰り返されています。

 その典型が、今回ご紹介の切手の題材となった“五四運動70周年”の際の事例です。

 すなわち、1989年4月8日、胡耀邦(中国共産党の総書記として言論の自由化を推進し、国民からは「開明的指導者」として支持を集めていたものの、保守派との権力闘争に敗れて失脚した)が亡くなると、その死を悼むかたちで、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生します。運動の背景には、政府・党幹部の腐敗と汚職、鄧小平による人治(超法規的な君臨)への不満がありました。

 学生を中心とした民主化や汚職打倒を求めるデモは、4月22日には西安や長沙、南京などの一部の地方都市にも拡大。西安では車両や商店への放火が、武漢では警官隊と学生との衝突が発生します。これに対して、首相の趙紫陽は5月3日の“五四運動”70周年記念式典で、学生・市民の改革要求(この日、北京では約10万人が民主化を求めるデモと集会を行っていました)を“愛国的”であると評価し、事態は沈静化の方向に向かうかと思われました。

 ところが、5月13日、民主化を求める学生側がハンガーストライキに突入したことから当局側は態度を硬化。これに反発するかたちで、中国全土から天安門広場に学生・労働者などのデモ隊の数は50万人近くに膨れ上がっていきます。

 両者のにらみ合いが続く中で、5月15日、ゴルバチョフが中ソ対立の終結を表明するために訪中。世界のマスコミは自国の民主化を進めるゴルバチョフの訪中と中国における一連の民主化運動を絡めた報道を行い、天安門広場をはじめ北京市内の要所要所が民主化を求めるデモ隊で溢れ、当局による交通規制さえ不可能となった状況が世界に配信されました。

 このため、メンツを完全につぶされたと考えた当局側は、ゴルバチョフ帰国後の5月19日、北京に戒厳令を布告。23日には戒厳令布告に抗議するために北京市内で100万人規模のデモが行われ、30日には天安門広場の中心に、ニューヨークの自由の女神を模した“民主の女神”像が作られるなど、緊張が高まっていく中で、ついに6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲。民主化運動を力ずくで鎮圧されることになりました。

 軍隊によって民主化運動を圧殺した天安門事件については、国際世論が厳しくこれを指弾し、中国は国際的な孤立に追い込まれます。しかし、中国国内では、事件については徹底した報道管制が敷かれており、現在なお、その実態は明らかにされておらず、タブーになっています。ちなみに、僕は以前、某大手メディアの媒体で中国モノの原稿を書いた際に、天安門事件の影響について触れたところ、担当の編集者から「“3つのT(台湾・チベット・天安門)”には触れないようにお願いします」と言われて書き直しを命じられたことがあります。まぁ、ともかくも中韓をたたくと本や雑誌が売れるという昨今の状況からすると、まさに隔世の感がありますな。

 なお、このあたりの事情については、1997年の“香港返還”をめぐる英中関係に絡めて、拙著『香港歴史漫郵記』でもまとめてみたことがあるので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 

 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 サッチャー元首相亡くなる
2013-04-09 Tue 10:26
 イギリスのマーガレット・サッチャー元首相(以下、敬称略)が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        中英共同宣言(葉書)

 これは、1984年に中国で発行された「香港問題に関する中英連合声明正式調印」の記念葉書で、調印後のサッチャーと趙紫陽との握手の場面が取り上げられています。ちなみに、中国国旗の後ろ、画面のほぼ中央には鄧小平の姿も見えます。

 英中間で、いわゆる香港返還問題が具体的に討議されるようになったのは、1979年以降のことといわれています。

 すなわち、当時の香港では、住宅ローンの最長貸付期間は15年間であったため、1982年7月以降の住宅ローンは1997年の返還後にまたがった契約となる可能性があり、返還後の具体的な見通しが立たない状況では、新規の契約は成立しにくいという事情がありました。

 このため、1979年3月、イギリスの香港総督マクルホースは北京を公式訪問して鄧小平と会談し、1997年に迫った新界租借期限の延長を申し出ます。これに対して、鄧は1997年を越える契約については何も言わず、今後の方向について「中国は新界だけでなく香港全体を必ず取り返すが、香港の現状は維持する」と述べただけでした。また、鄧は「香港の投資家は安心しても良い」と発言したものの、“返還”についての具体的な提案はなにもしていません。

 中国大陸を制圧した共産中国は、1949年以来、あえて香港を武力で“解放”せず、英領植民地のまま現状維持とすることで、対中封じ込め政策の中での西側に対する窓口を確保し、さまざまな実利を得ていました。ただし、そのためには、香港の主権が中国側にあるという建前は最大限尊重されることが大前提となっていました。逆に言えば、香港の主権が中国にあることさえ確認されていれば、英領植民地としての香港に経済的な富と情報が集中し、その一部を確実に吸い上げることができれば、中共自身が実際に香港を支配する必要はないという発想です。あくまでも、香港の経済力が中国本土を圧倒していた時代ならではの事情ではあるのですが…。

 したがって、当時の中共政府としては、イギリスが本当に香港全体を無条件で返還してきたら、中国にとっての香港の価値は大幅に減じられてしまうものの、それを断るわけにもいかず、いささか困ったことになるというのが本音でした。

 マクルホースと鄧の会談を受けて、イギリスは香港からの撤退に向けていくつかの重要な布石を打ちます。

 そのひとつが、1981年の「イギリス国籍法」の公布です。この新国籍法により、イギリスのパスポートを持つ香港市民は、イギリスでの居住権を持たない“イギリス属領市民”に分類されることになりました。香港が中国に返還された場合、香港市民はイギリスの市民権を失う、つまり、イギリスは香港市民を見捨てると公言したのです。

 さらに、1982年には香港区議会選挙が実施されました。

 香港の“区議会”は実質的な権限を持たず、独自の予算もないことから、権力機構とは言えません。このため、中国側はこれに反対できませんでしたが、区議会の設置は結果として住民の政治への関心を高め、将来の選挙制度の普及のためのステップとなりました。現在の香港民主化運動のルーツといえましょう。

 こうした前段を経て、1982年9月、いよいよイギリス首相のマーガレット・サッチャーが中国を訪問し、香港返還に関する英中両国政府の具体的な話し合いが始まります。

 サッチャーの『回顧録』によれば、当初、イギリス外務省は、1997年以降、イギリスの香港支配を続けることは事実上不可能で、香港の主権を中国に返還せざるを得ないと彼女に進言したそうです。外務省は、過去の経緯をふまえ、一見、善意を装いながら、実際には中国にとって一番厄介な手を打つことで、交渉の主導権を握ろうと考えたのです。

 ところが、サッチャーには、こうした曖昧な関係は全く理解できませんでした。当時の彼女は、フォークランド戦争に勝利を収め、“鉄の女”としてイギリス経済を立て直しつつあるという自信に満ちており、香港問題でも強硬姿勢を貫けば中国は譲歩するはずだと思い込んでいました。正直なところ、鄧小平の中国を甘く見ていたという面は否定できません。この結果、彼女は、香港島と九龍市街地はイギリス領であると声高に主張し続けます。

 こうしたサッチャーの強硬姿勢は、中国にとっては、まさに“渡りに船”でした。

 すなわち、当時の中国(くどいようですが、この時点では、経済力は香港の方が圧倒的に上です)は、建国以来の基本方針として、1997年以降も香港を“外国”として維持したいというのが本音でした。したがって、仮にイギリスが、外務省の方針通り、香港の一括返還を中国に申し入れていたら、植民地の解放を国是とする中国はそれを受け入れざるを得ず、香港の“現状維持”のためにイギリスに“協力”を仰ぐという構図になり、イギリスが主導権を握る可能性が大きかったといわれています。

 ところが、サッチャーが強硬姿勢を取ったことによって、鄧小平は「もし中国が1984年末までに香港の主権問題で合意しなければ、中国政府は独自の解決を宣言する」と応じることが可能になり、あくまでもイギリスの要求に譲歩するという形式を取って、香港の“現状維持”という果実を勝ち取ることが可能になりました。

 追い詰められたイギリスは、結局、1983年3月、サッチャーが趙紫陽(中国首相)宛の書簡で「妥当な解決策が見出せれば、香港の主権の委譲を議会に提案する」と表明せざるを得なくなります。その後も、サッチャーのイギリスは、主権の放棄こそ認めたものの、行政権には固執するなどの抵抗を続けましたが、同年10月、ついに香港の行政権返還に事実上同意し、以後、交渉は中国ペースで急速に進展して行くことになりました。

 慌しく進められていく英中交渉に対して、1984年3月、香港の立法評議会は「英中交渉で香港の将来に関する提案が合意される場合、事前に、必ず香港議会で討議されるべきである」との動議を全会一致で採択。北京で開かれている英中交渉にはイギリスの香港総督は参加するものの、香港の住民代表には一切の発言権もなく、交渉の経緯も明らかにされていません。この動議は、自分たちの頭越しに自分たちの将来が勝手に決められていくことに対して、立法議会が見せたせめてもの抵抗でした。

 しかし、その後も英中交渉は香港の住民を無視して進められ、1984年4月、イギリスは香港の行政権も中国に返還することに同意。また、翌5月には、鄧小平の鶴の一声で、1997年以降、中国が主権を回収したことの象徴として、中国人民解放軍が香港に駐留することが明らかにされました。

 かくして、1984年9月26日、北京で「香港の将来に関する大ブリテン及び北アイルランド連合王国政府と中華人民共和国政府の協定草案」(香港問題に関する英中合意文書)の仮調印が行なわれました。この合意文書は、全国人民代表大会とイギリス上下院での審議を経て、同年12月19日、正式に英中共同宣言として調印されました。
その骨子は以下の通りである。

 共同宣言によって、英領香港は1997年7月1日をもって中国に一括返還されることが決定。以後、香港は“中国香港”となり、中華人民共和国の特別行政区として、50年間(2047年6月30日まで)、英領時代の社会・経済制度が維持されることとされました。

 もっとも、共同宣言の実効性という点では、当初から、香港の住民の間には拭いがたい不安が残っていました。実際、英中合意文書の仮調印直前の1984年6月、危機感に駆られた香港の行政評議会と立法評議会の代表3名が北京を訪問し、鄧小平と会談した際、中国側は彼らを“香港代表”として扱うことを拒絶。会談に際して、鄧は「君たちに言いたいことがあれば何でも言えば良い。しかし、中華人民共和国の中央政府が決定した立場、方針ならびに政策を変えることは絶対にできない」し、「交渉はあくまでも中国とイギリスのまで決着させる」と一喝しています。

 現在の中国政府が語る“苦難の中国近代史”によれば、中国は常に列強による侵略の被害者であったということになっています。そうした彼らの歴史認識からは、ほかならぬ彼ら自身が、チベットやモンゴルなど、より弱い立場の国家と民族を抑圧し続けてきたという厳然たる事実が意図的に隠蔽されているのは周知のとおりです。

 香港返還をめぐる英中交渉の過程で、中国政府が香港の住民に対して取り続けた姿勢は、まさしく、より弱い者がより大きな犠牲を強いられるという、古典的な国際関係の構図を再現したものでしかありません。さらに、今回の交渉に際しては、中国はもはやイギリスに対しても“弱者”の立場にはなく、強者として振舞うことに成功したわけで、かくして“苦難の中国近代史”という虚構の物語は、香港返還交渉の妥結とともに、もはや名実ともに完全に終わりを告げたといえましょう。

 なお、このあたりの事情については、拙著『香港歴史漫郵記』でも詳しく説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

・4月14日(日) 15:00- 東京五輪と切手
 於 東京国立近代美術館 ギャラリー4(2F)
 現在開催中の展覧会東京オリンピック1964 デザインプロジェクトの4月のギャラリートークに内藤が登場します。展覧会本体も、東京五輪関連の切手原画の展示をはじめ見ごたえのある内容ですので、ぜひ、遊びに来てください。(展覧会へ入場するための観覧券は必要になります)

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。書店に並ぶ前の先行販売はスタンプショウ会場内が最初となります。入場は完全に無料です。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★★

         『喜望峰』表紙画像
 
  『喜望峰:ケープタウンから見る南アフリカ』

  いままでなかった喜望峰とケープタウンの物語
  美しい風景とウンチク満載の歴史紀行!!     

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 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したい、という方は、是非、ご連絡ください。資料を急送いたします。

 
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 万里の長城で邦人遭難
2012-11-05 Mon 12:08
 5日付の『新華網』によると、河北省張家口市の“万里の長城”跡で、3日夜、1960年以来という大雪のなかで日本人を含む一行が遭難。中国人ガイドと59歳の日本人女性の2名が生還、68歳と62歳の日本人女性2名が死亡し、76歳の日本人男性1名が行方不明になっているそうです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、救助に当たられた地元の関係者の方々には心よりお礼申し上げます。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         万里の長城(雪)

 これは、1979年に発行された“万里の長城”の切手のうち、長城の雪景色を取り上げた1枚です。

 一般に長城のある華北地域の冬は寒さが厳しく、北京市内の気温はマイナス10度以下に下がります。このため、長城一帯も路面が凍結しており、足元が滑りやすくなっているといわれています。もちろん、雪が降ることもありますが、積雪の場合は市街地から頂上へ向かう道路が大渋滞となるため、この切手に描かれているような雪景色の長城を観光客が拝むのは容易ではないでしょう。少なくとも、切手に描かれているような軽装では、かなりしんどいのではないかと思います。

 さて、今回の遭難事件ですが、そもそも、中国北部で3日から4日にかけて強い寒波に覆われ、河北省内には「大暴雪」の警報が発表されていたそうです。そうした中で、日本人観光客らは北京市内の登山口から登山を開始したものの、現地時間3日午後11時14分ごろ、長城内で身動きが取れなくなったため、ガイドが警察に通報。公安・消防から40余名、兵士20余名と村の幹部や村民が救援のために現場へ駆けつけ、消防救援車、救急車、除雪車を各1台、軍の装甲車4台が出動して腰の深さまで積もった雪の中で捜索を実施、一行を発見し、生存が確認された2名は、付近の診療所で救急治療を受けたそうです。

 このブログをお読みいただいている方はご存じかと思いますが、僕は中国共産党とその一党独裁体制に対してはきわめて批判的な人間であり、中国国内における人権蹂躙やチベット、ウイグル、南モンゴルやさらには尖閣を含む周辺海域に対する度重なる侵略行為は絶対に許容できないと思っています。しかし、そうであればこそ、今回の出来事のように、自らの職務に忠実に、誠意をもって日本人遭難者の救助に当たっていただいた関係者の方々には、日本人として素直に感謝しなくてはならないとも思っています。是々非々で付き合うというのはそういうことでしょう。

 同時に、今回遭難した方々にはお気の毒ではありますが、高齢者が“大暴雪”警報の中、日本とはあらゆる意味で環境の異なる外国で登山を行ったという判断に問題はなかったのか、大いに疑問を感じます。ちなみに、今回遭難した日本人は、アミューズトラベル社の企画した「世界遺産 万里の長城 グレートウォール・100キロトレッキング」(8泊9日)というツアーの参加者だそうですが、同社のツアーでは、2009年7月、北海道・大雪山系トムラウシ山で、暴風雨の中、登山客15人とガイド3人が遭難し、客7人とガイド1人が低体温症で死亡する惨事が起きたという先例もあり、今後、ツアー主催者としての同社の責任が追及されることになるのは必至でしょう。

 そういえば、きょうは立冬。これから、雪山での遭難事故のニュースが増えてくる時季ですが、くれぐれも、十分な準備と慎重な判断の下、安全な登山を楽しんでいただきたいものです。
  

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 東京・池袋で開催される全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『喜望峰』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。(展覧会の入場料はかかりますが、入場後、トークへはどなたでも無料でご参加いただけます)


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 盲目の人権活動家、出国へ
2012-05-04 Fri 22:22
 中国・北京のアメリカ大使館を出たあと、市内の病院に入院している盲目の人権活動家・陳光誠の処遇について、中国外務省は、きょう(4日)、陳の出国を容認する意向を表明しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        一人っ子政策(1983)

 これは、1983年、中国が発行した“一人っ子政策(計画生育政策)”の宣伝切手です。

 一人っ子政策は1979年に始まった人口規制政策で、夫婦ともに漢族ないしはチワン族の場合、第1子の出産については無条件で戸籍を与えるものの、第2子以降の出産については“社会扶養費”という名目で罰金を徴収するほか、両親ともに昇級・昇進の停止、学校への優先入学権の剥奪、各種手当ての停止などのペナルティを課すことによって、妊娠・出産を抑制しようというものです。

 この政策は人口抑制という点では一定の成果を上げた反面、第2子以降を産んでも親が戸籍に登録しない“黒孩子”(法律上は国民として存在していないことになっているため、行政サービスの対象外となります)の問題や、“社会扶養費”が利権化することによる行政の腐敗などの弊害が社会問題化。さらに、人口抑制の結果として、少子高齢化が進み、2015年以降、労働力人口が減少に転じることが予想されるなど経済へのマイナスも懸念されており、近年では規制は緩和されつつあるというのが建前です。

 さて、今回、話題となった陳光誠は、1971年、山東省出身。乳児の頃、高熱を出して失明しましたが、1998年に盲学校を卒業し、2001年、南京中医薬大学を卒業しました。その後、マッサージ師として働くかたわら、蒙学校在学中に学んだ法律の知識を生かして、弱者の権利擁護に取り組み、2005年6月には、山東省臨沂の当局が一人っ子政策を理由に(賄賂を払わないないしは払わない妊婦とその家族に対する)人工妊娠中絶や不妊手術を強制したことに対して集団訴訟を起こしました。

 今回ご紹介の切手には、「一人っ子政策はわが国の最優先国策である」との趣旨の文言が入っていますが、陳の組織した集団訴訟はこれと真っ向から対立するものであったため、地元当局は彼とその家族を自宅に軟禁。さらに、翌2006年6月には彼を逮捕し、同年8月、懲役4年3ヶ月の有罪判決を下しています。

 刑期満了後の2010年9月、陳は釈放されますが、その直後から妻とともに自宅に軟禁されていました。今年(2012年)4月22日、彼は監視の隙をついて脱出し、その後、北京のアメリカ大使館に保護されます。

 このため、陳の処遇は米中間の懸案事項となりましたが、5月2日、中国側がアメリカに対して陳の安全を保証し、陳は大使館を出て北京市内の病院に入院するという形で決着が図られました。しかし、一部報道で明らかになったことによると、中国側は陳に対して、大使館から出なければ家族の安全を保証しないと仄めかして圧力をかけたほか、中国との関係を悪化させたくないアメリカの民主党政権は陳の安全を保証するという中国側の“約束”を渡りに船として、事実上、陳を大使館から追放したというのが実情のようです。

 このため、病院に入院した陳は、各国のメディアに対してアメリカへの出国の意思を表明。このことが世界的に問題視され、中国側も、海外留学の形で陳の出国を認めざるを得なくなったというわけです。

 まぁ、陳が家族ともども無事に出国できれば、とりあえず、そのこと自体は慶賀すべきでありますが、今回の一件で、アメリカは中国に対して貸を作った格好になりましたからねぇ。ただでさえ、“人権派”を自称していながら、世界最大の人権抑圧国家である中国に対しては宥和的な姿勢の目立つオバマ政権のことですから、アメリカがどうやって今回の借りを中国に返すつもりなのか、我々としても注視しておく必要はあるでしょう。

 それにしても、昨日は憲法記念日ということで、人権問題を取り上げる護憲派の集会も各所で開かれたようですが、我が国の身近に、こうした人権抑圧国家が存在しているという厳然たる事実を、参加者の皆さんはゆめゆめお忘れではありますまいな。


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 80万PV
2011-01-18 Tue 12:14
 きのう(17日)のお昼ごろ、カウンターが80万PVを超えました。いつも、遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、今日は額面“80”のこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        鄭和580年(80分)

 これは、1985年に中国が発行した「鄭和の西洋渡航580年」と題する4種セットの記念切手のうち、“航海史の業績”と題する80分切手です。

 鄭和は1371年、雲南でムスリムの家に生まれました。宦官として燕王だった朱棣に献上されましたが、朱棣が1399-1402年の靖難の変で帝位を奪って永楽帝として即位すると、その際の功績を評価され、永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監となりました。

 1405年7月、永楽帝の命を受けた鄭和は62隻・2万7800名の大船団を率いて蘇州を出発。以後、チャンパ、スマトラ、パレンバン、マラッカ、セイロンを経て、1407年初にカリカットへ到達。明と東南アジアとの交易の端緒を開いています。その後も、計7回の大航海を行い、その船団はカリカットを超えて、ペルシャ湾のホルムズやアラビア半島のアデン、アフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達。7回目の航海から帰国後の1433年7月に亡くなりました。

 鄭和の死後、莫大な費用がかかることもあって中国船による大航海は行われなくなりましたが、鄭和の大航海はスペインやポルトガルよりも70年ほど先んじていたことから、後に、鄭和は『史記』の作者・司馬遷、紙の発明者とされる蔡倫とならび、三宝太監(宦官の三大英雄)の一人に挙げられています。

 さて、今回ご紹介の切手が、580年という半端な年周りで発行された背景には、当時の中国の海洋政策の大きな転換があったと見るのが妥当でしょう。

 1949年に中華人民共和国の建国が宣言された当初、中国は海軍力をそれほど重要視していませんでした。

 中国の事実上の国軍である中国人民解放軍(正確には中国共産党の軍事部門)は、その名のとおり、人民戦争、すなわちゲリラ戦争理論を背景としています。したがって、当初の人民解放軍はあくまでも陸軍が中心であり、海軍はあくまでも海軍を補佐し、本土を防備するためのものという位置づけでした。実際、1970年代までは、建国直後の1950年8月に開かれた海軍建軍会議で定められた「海軍の主たる任務は地上軍との協力であり、 このため多数の軽快小型艦艇を装備する」との方針が忠実に守られていたため、中国海軍は外国の沿岸警備隊程度と揶揄されていました。当然のことながら、この時代の中国には海洋進出という発想はほとんどありません。

 中国が海洋進出を意識するようになったのは、1969年、東シナ海に海底油田があることが判明してからのことで、ベトナム戦争末期の1974年1月、中国は海洋進出の手始めとして、西沙群島西半分(東半分は1956年以来、中国が支配下に置いていました)の南ベトナム軍を排除し、諸島全体を占領しています。

 1976年、毛沢東が亡くなり、文化大革命が完全に終結すると、華国鋒は「解放前、 帝国主義は何度も海からわが国に侵入した。 現在祖国の神聖な領土台湾を解放し、 南沙群島などの島嶼を取り戻すわれわれの願いはいまだに実現していない。 ソ連覇権主義国は狂気のように砲艦外交を推し進め死にもの狂いになって海上覇権を争っている。 わが国を滅ぼそうとしているソ連修正主義者の野望は消えていない。 これらすべての事態に直面して、 我が海軍は一層発展し強大にならなければならず(以下略)」と述べ、海軍を強化する方針を明らかにしました。この方針に沿って、中国海軍を沿岸海軍から外洋海軍へと脱皮させる新ドクトリンが示されたのが、今回ご紹介の切手が発行された1985年だったというわけです。当然のことながら、この切手にも、鄭和の先例に倣って本格的な海洋進出を行っていこうという国家の意図が込められているのは明らかでしょう。なお、1987年に就役した中国海軍の練習艦が「鄭和」と命名されていることも付記しておきます。

 その後、改革開放路線の進展とともに中国経済が急成長を遂げるようになると、石油などの海底資源や漁業資源を獲得し、諸外国との交易のための海上交通路を確保するという経済的な動機も重要になったことから、中国は、わが国の海上自衛隊や在日米軍、台湾の海軍をにらむ東海艦隊、ロシア海軍を主たる仮想敵とする北の北海艦隊、ベトナム、インドネシアなど東南アジア諸国との対抗に備える南の南海艦隊という中国海軍の3大主力部隊を中心に、外洋進出を活発化させています。

 その一環として、1992年2月に発表された「中華人民共和国領海・接続水域法」第2条では「中国大陸及び沿岸諸島、台湾及び魚釣島を含む付属島嶼、膨湖列島、東沙群島、西沙群島、南沙群島、その台湾の中国に属する島嶼が含まれる」との条項が明記されました。ここに挙げられている魚釣島はわが国の領土である尖閣諸島に属していますが、1958年9月の人民代表大会で採択された「中華人民共和国領海に関する声明」には記載されていなかったにもかかわらず、1992年以降、新たに“中国領”と主張されたものです。

 以後、中国は約300万平方キロの管轄海域を一方的に主張し、わが国を含む周辺諸国とのトラブルを起こし続けていることは周知のとおりですが、こうした“海洋強国”路線を邁進するにあたって、国民を鼓舞するための偶像として近年、鄭和はますます重要な意味をもつようになりました。

 なお、鄭和はマカオとは全く無関係の人物ですが、媽閣廟の向かい側の澳門海事博物館には、鄭和に関する大々的な展示コーナーがあり、中国のプロパガンダ政策の一端がうかがえます。このあたりの事情については、拙著『マカオ紀行』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 ウイグル騒乱から1年
2010-07-05 Mon 16:47
 昨年7月5日に中国・新疆ウイグル自治区(中国領トルキスタン)で、いわゆる“ウイグル騒乱”(中国当局から見れば“暴動”でしょうが、ウイグル側から見れば、南京虐殺事件ならぬ“ウルムチ虐殺事件”ですな)から1年が過ぎました。というわけで、きょうはウイグルがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      新疆ウイグル自治区30年

 これは、1985年に中国が発行した“新疆ウイグル自治区30年”の記念切手の1枚で、油田と天池が描かれています。このうち、天池は有名な景勝地ですが、油田の方は特定の風景ではなく、一般的な油田のイメージとして描かれているのではないかともいます。

 さて、現在、中国の新疆ウイグル自治区となっている地域は、天然地下資源が豊かなことで知られています。

 たとえば、天山山脈とチベットとの境界の崑崙山脈に挟まれたタリム盆地の石油埋蔵量は10億トン、天然ガスは520億立方メートル、モンゴル国境のアルタイ山脈と天山山脈に挟まれたジュンガル盆地の石油埋蔵量は13億7000万トン、天然ガスは4100万立方メートルの埋蔵量にも達しています。また、アルタイ山系には銅、ニッケル、錫、鉛、亜鉛、アルミニウム、モリブデン、天山山系には石炭、鉄鉱石、盆地部分には石油・天然ガスのほか、金、銀、白金、パラジウム、ルテニウム、イリジウムなどの鉱産資源が豊富に埋蔵されています。

 さらに、トルクメニスタンの天然ガスやカザフスタンの原油は、いずれも、新疆ウイグル自治区のパイプラインを通じて中国沿岸部の工業地帯に運ばれることもあり、この地域の戦略的な重要性は中国にとって計り知れないものがあります。

 こうしたこともあって、中国側は新疆ウイグル自治区への漢族の移住を強く奨励し、ウイグルの漢族化を強烈に推し進めています。特に、近年、地下資源の開発ラッシュによって毎年2ケタの経済成長が記録されるようになると、ウイグルには多くの漢族企業が進出。自治区経済の9割以上をウイグル人ではなく漢族が握るようになっており、漢族とウイグル人の格差は拡大の一途をたどるばかりです。そのことが、ウイグル人の不満を増幅させ、昨年の騒乱の大きな要因の一つとなったことはいうまでもありません。

 今回ご紹介の切手は、まさに、ウイグルの石油は中国のものであることを高らかに宣言する内容となっているわけで、それだけに、ウイグルの民族主義者たちからすれば、許しがたいデザインの1枚といえそうです。

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 第17回東京国際ブックフェアにて第1回・キュリオ&東京ベイオークション開催

 僕が顧問として制作にかかわっている雑誌『キュリオマガジン』は、彩流社および版元ドットコムの協力を得て今年は全国書店の取り扱いがグンと増えました。そこで、7月8-11日、東京ビッグサイトで開催の東京国際ブックフェア(地図はこちら)会場内特設スペースにて、7月10日(土)14時から、雑誌の内容をより多くの皆様に知っていただけるよう、フロア・オークションを開催いたします。(内藤はハンマーの担当です)

 皆様のご来場・ご参加を心よりお待ちしております。なお、オークションについてのお問い合わせ、カタログの入手方法などにつきましては、こちらまで、お問い合わせください。

 また、東京国際ブックフェアには入場料が必要ですが、事前にこちらまでお申し込みをいただくと、主催者側から入場無料となる招待券をお送りいたしますので、よろしくご活用ください。
 

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  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

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 『郵趣』今月の表紙:石窟芸術
2009-10-31 Sat 08:24
 ご報告が遅くなりましたが、 (財)日本郵趣協会の機関誌『郵趣』2009年11月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げて、原則として僕が簡単な解説文をつけていますが、今月はこんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

 雲崗大仏2元

 これは、1988年に中国が発行した雲崗大仏の通常2元切手です。

 1988年8月から11月にかけて、中国は“石窟芸術”を題材に国際郵便用の高額普通切手4種を発行しました。いずれもグラビアの地色に像の部分を凹版で印刷したもので、それまでの中国の通常切手とくらべて凝った作りになっています。1978年に改革開放がスタートして10年が経過し、経済的な余裕が出てきた中国が、自国の優れた文化遺産を広く諸外国に紹介しようとしているのがよくわかります。

 今回ご紹介の2元切手に取り上げられているのは、中国山西省大同市の雲崗石窟の第20洞の釈迦如来坐像です。 西暦5世紀に建立され、もとは石窟内にありましたが、10世紀に窟が崩落し、現在のように露出しました。高さは約14メートルで、顔は北魏の開祖・道武帝に似せてつくられたといわれています。

 なお、雲崗の大仏については、この切手以外にもいろいろな切手が発行されています。それらについては、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 本日・10月31日(土) 11:00から、<JAPEX09>会場内(於・サンシャイン文化会館)で刊行記念のトークイベントを行いますので、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。

 
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 『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行:ルーマニアの古都を歩く』

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 全世界に衝撃を与えた1989年の民主革命と独裁者チャウシェスクの処刑から20年
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 天安門事件から20年
2009-06-04 Thu 18:48
 1989年6月4日に(第2次)天安門事件が起こってから、今日でちょうど20年です。というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 中国・バルセロナ五輪小型シート

 これは、1992年7月、中国が発行したバルセロナ五輪の記念小型シートですが、ランナーのゼッケンの番号が、左から、“64”、“9”、“17”となっています。切手発行当時、この“64”は天安門事件の起こった日付(6月4日)を、“17”は1+7=8で、“9”と入れ替えると“89”となり、天安門事件の起こった年(1989年)を、それぞれ意味しており、デザイナーによる中国当局への無言の抗議を暗示しているのではないか、と新聞などでも話題になりました。もちろん、この手の話というのは、関係者が「ハイ、そうです」というはずもないので真偽の確かめようはないのですが、こうした噂話が広く受け入れられていたという事実には、天安門事件後の人々の鬱屈した心情がうかがえるような気がします。

 1989年4月8日、胡耀邦(中国共産党の総書記として言論の自由化を推進し、国民からは「開明的指導者」として支持を集めていたものの、保守派との権力闘争に敗れて失脚した)が亡くなると、その死を悼むかたちで、民主化を求める学生運動が北京を中心に発生します。運動の背景には、政府・党幹部の腐敗と汚職、小平による人治(超法規的な君臨)への不満がありました。

 学生を中心とした民主化や汚職打倒を求めるデモは、4月22日には西安や長沙、南京などの一部の地方都市にも拡大。西安では車両や商店への放火が、武漢では警官隊と学生との衝突が発生します。これに対して、首相の趙紫陽は5月3日の“五四運動”70周年記念式典で、学生・市民の改革要求(この日、北京では約10万人が民主化を求めるデモと集会を行っていました)を“愛国的”であると評価し、事態は沈静化の方向に向かうかと思われました。

 ところが、5月13日、民主化を求める学生側がハンガーストライキに突入したことから当局側は態度を硬化。これに反発するかたちで、中国全土から天安門広場に学生・労働者などのデモ隊の数は50万人近くに膨れ上がっていきます。

 両者のにらみ合いが続く中で、5月15日、ゴルバチョフが中ソ対立の終結を表明するために訪中。世界のマスコミは自国の民主化を進めるゴルバチョフの訪中と中国における一連の民主化運動を絡めた報道を行い、天安門広場をはじめ北京市内の要所要所が民主化を求めるデモ隊で溢れ、当局による交通規制さえ不可能となった状況が世界に配信されました。

 このため、メンツを完全につぶされたと考えた当局側は、ゴルバチョフ帰国後の5月19日、北京に戒厳令を布告。23日には戒厳令布告に抗議するために北京市内で100万人規模のデモが行われ、30日には天安門広場の中心に、ニューヨークの自由の女神を模した“民主の女神”像が作られるなど、緊張が高まっていく中で、ついに6月3日深夜から4日未明にかけて、北京の天安門広場前に集まっていた学生・市民に対して人民解放軍が無差別に発砲。民主化運動を力ずくで鎮圧されることになりました。

 軍隊によって民主化運動を圧殺した天安門事件については、国際世論が厳しくこれを指弾し、中国は国際的な孤立に追い込まれます。しかし、中国国内では、事件については徹底した報道管制が敷かれており、現在なお、その実態は明らかにされておらず、一種のタブーのような扱いになっています。ちなみに、僕は以前、中国のご機嫌を伺うことに敏感とされる某社の媒体で中国モノの原稿を書いた際に、天安門事件の影響について触れたところ、担当の編集者から「“3つのT(台湾・チベット・天安門)”には触れないようにお願いします」と言われて書き直しを命じられたことがあります。外国メディアでさえも、これだけの締め付けがあるわけですから、ましてや、国内においては…というところでしょうか。

 今回ご紹介の切手も、(巷間噂されている内容が事実とすれば)そうした状況の中で、デザイナーが精一杯の意思表示をしたものだったのかもしれないのですが、それだかに、件のデザイナー氏がその後、いかなる運命をたどることになったのか、ちょっと気になるところです。


 イベントのご案内 

 下記の日程で、拙著『切手が伝える仏像:意匠と歴史』の即売・サイン会(行商ともいう)を行います。いずれも入場は無料で、当日、拙著をお買い求めいただいた方には会場ならではの特典をご用意しておりますので、よろしかったら、遊びに来てください。

 6月6日(土) スター☆オークション+バザール 於・全国町村会館 13:00~17:00

 6月7日(日) 切手市場 於・桐杏学園(東京・池袋) 10:15~16:00
 

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