内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 “べべ・ドク”没す
2014-10-05 Sun 22:30
 ハイチのかつての独裁者、ジャンクロード・デュバリエ元大統領が、きのう(4日)、首都ポルトープランスの自宅で、心臓発作のため亡くなりました。享年63。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ・切手100年(デュヴァリエ)

 これは、1984年にハイチで発行された“切手100年”の記念切手で、ハイチ最初の切手に描かれたリバティと当時の大統領のジャンクロード・デュヴァリエの肖像が並べて描かれています。ちなみに、ハイチ最初の切手が発行されたのは1881年で、今回ご紹介の切手にも“1881-1981”の表示がありますが、実際に切手が発行されたのは1984年のことでした。

 1956年末、ハイチではクーデターが発生し、軍事独裁政権が発足しました。翌1957年、民政復帰のために行われた大統領選挙では、厚生相・労働相などを歴任したフランソワ・デュヴァリエが“黒人主義”を掲げて当選します。

 フランソワは、当初、“進歩派”とみられていましたが、当選翌年の1958年に反デュヴァリエ派のクーデターが鎮定するとこれを機に一挙に独裁化。1964年には終身大統領となり、ヴードゥー教を悪用した個人崇拝を国内に浸透させて国家を私物化し、秘密警察トントン・マクートを駆使して反対派とみなされた国民を容赦なく逮捕・拷問・殺害するなどの恐怖支配を展開しました。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているジャンクロードは、そのフランソワの息子で、1971年、父親が亡くなると、わずか19歳で大統領職と共に父親の路線を継承しました。デュヴァリエ父子に対しては、父親のフランソワを“パパ・ドク”、息子のジャンクロードを“べべ・ドク”と呼ぶこともあります。

 デュヴァリエ父子の圧政に対しては、1978年頃から反政府暴動が頻発しましたが、ジャンクロード政権は軍や秘密警察を用いてこれを徹底的に弾圧。そのうえで、1980年には国内財閥の娘で濫費家のミシェル・ベネットと結婚し、1983年には
父親に倣って終身大統領に就任しました。

 長年にわたるデュヴァリエ父子の圧政に対して、1985年、ついに全国規模の反乱が発生。ジャンクロードは従来通り、これを武力で鎮圧しようとしたものの、反乱を機にハイチが共産主義化を恐れた米仏両国がジャンクロードを見捨てたため、1986年、彼はフランスに亡命しました。その後、ハイチ地震翌年の2011年1月、「祖国の再建を手伝いたい」などと話して突如ハイチに帰国しましたが、在任中の人権侵害や公金横領容疑などで、訴追されていました。

 なお、ハイチの現代史に関しては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けて取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、10月第2週より、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信となります。とりあえず、10月4・5日は、その前宣伝として内藤のインタビューが配信となりました。前篇後篇、それぞれ、青字をクリックしていただけるとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)
 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 10月から、毎月1回(原則第1火曜日:10月7日、11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 初回開催は10月7日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 お待たせしました。約1年ぶりの新作です!

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 国連平和維持要員の国際デー
2014-05-29 Thu 14:38
 今日(29日)は、国連平和維持活動 (PKO) にかかわった全ての人の献身と勇気を称え、PKOで命を失った人々を追悼する“国連平和維持要員の国際デー”です。というわけで、PKOがらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ・国連PKO

 これは、1995年4月、PKOとしてハイチに展開された国際連合ハイチ・ミッション(UNMIH)に参加のバングラデシュ軍の中佐が差し出したカバーです。料金無料のため切手は貼られておらず、UNMIHの封筒が使われています。

 1986年、長年にわたってハイチを支配してきたデュバリエ独裁政権が崩壊。以後、ハイチの政情は不安定化しますが、1990年12月、国連の選挙監視の下で史上初の民主的選挙が実施され、ジャン・ベルトラン・アリスティッドが大統領に当選しました。しかし、翌1991年9月、ラウル・セドラひきいる軍事クーデターによりアリスティッドが国外に退避するとともに、多くの難民が国外に脱出しました。

 当然のことながら、国際社会はハイチの軍事クーデターを非難し、米州機構は経済制裁を発動。さらに、1993年6月には国連による経済制裁も開始されました。

 このため、同年7月、米国の仲介により軍事政権とアリスティドとの交渉が行なわれ、軍事政権は10月をもって退陣するとの合意が成立。これをうけて、9月23日、安保理決議867号でUNMIHが設立され、民政復帰を支援することになりました。しかし、実際に10月に入っても軍事政権は退陣を拒否したため、国連は経済制裁を再開しました。

 それでも、軍事政権は退陣しなかったため、国連は、1994年7月31日に採択された安保理決議940号で、ハイチの正統政権(=アリスティッド派)支援のために多国籍軍を派遣。さらに、9月14日には米軍が介入することで、ようやく、軍事政権は退陣し、10月15日にアリスティドが帰国して、民政復帰を果たしました。

 その後、アリスティッド政権の下で事態は徐々に安定し、1995年6月の国会議員選挙と12月の大統領選挙ではアリスティッド派が勝利。これを受けて、UNMIHは徐々に規模を縮小し、1996年6月30日をもって国際連合ハイチ支援団(UNSMIH)に改編されました。

 しかし、その後もアリスティッド派と反アリスティッド派の対立から政治的混乱は続き、1999年1月以降、国会議員の任期切れにより国会は事実上の機能を停止。また、2000年の大統領選挙ではアリスティッドが当選したものの、野党側は選挙の無効を主張し、大統領退陣運動が激化します。そして、2004年に入ると、反政府武装勢力による主要都市の占拠が相次ぎ、2月29日、アリスティッドは亡命しました。

 このため、国連安保理は、ふたたび、ハイチ情勢安定化のための暫定多国籍軍を派遣。2004年6月1日には国連ハイチ安定化ミッションが発足し、2006年の大統領選挙ではルネ・ガルシア・プレヴァルが当選。プレヴァル政権下で治安情勢は徐々に安定しつつありましたが、2008年4月には国際的な食糧の高騰の影響で物価が暴騰したことをめぐり、大規模なデモが発生。またもや情勢が不安定しつつある中で、2010年に大地震が発生し、ハイチ社会は壊滅的な打撃を受けることになりました。ちなみに、2010年の大地震後には、わが国から陸上自衛隊もハイチに派遣され、首都ポルトープランスを宿営地とし、仮設住宅の建設に必要ながれきの除去や整地作業などを行っています。

 このあたりの事情については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 さて、ことし(2014年)は、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ハイチも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


 ★★ 講座「切手を通して学ぶ世界史:第一次世界大戦から100年 」のご案内 ★★ 

       中日・講座チラシ    中日・講座記事

 7月18日・8月29日・9月19日の3回、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、第一次大戦100年の企画として、「切手を通して学ぶ世界史」と題する講座を行います。

 講座では、ヨーロッパ、中東、日本とアジアの3つの地域に分けて、切手や絵葉書という具体的なモノの手触りを感じながら、フツーとはちょっと違った視点で第一次世界大戦の歴史とその現代における意味を読み解きます。

 詳細は、こちらをご覧ください。

 * 左の画像は講座のポスター、右は講座の内容を紹介した5月20日付『中日新聞』夕刊の記事です。どちらもクリックで拡大されますので、よろしかったらご覧ください。
 

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 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


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 国旗の日(ハイチ)
2014-05-18 Sun 12:16
 今日(18日)は、ハイチでは“国旗の日”の祝日だそうです。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ・五輪

 これは、首都ポルトープランスでのスタジアム建設のため、1940年にハイチで発行された寄附金つき切手で、近代五輪の父とされるピエール・ド・クーベルタン男爵を中心にハイチの国旗(市民旗)と五輪旗が描かれています。切手上にある1900年の年号は、同年のパリ五輪にハイチ選手1名が参加したことがハイチ選手団の五輪初参加だったことにちなむものです。なお、1900年のパリ五輪以降、1924年のパリ五輪までハイチ人選手の五輪参加は途絶え、その後は参加と不参加を繰り返しています。

 さて、ハイチの国旗は、フランスからの独立戦争さなかの1803年5月18日、首都ポルトープランスの北方30キロの地点に位置するアーカイェで、独立運動の指導者で独立後の1805年に“ハイチ皇帝”となるジャン=ジャック・デサリーヌによって制定されました。国旗のデザインは、旧宗主国のフランス国旗から、白人を連想させる白を除いて赤と青の二色旗としたものです。

 なお、ハイチではデュヴァリエ父子による独裁体制下では、国旗のデザインも赤と黒の垂直二色旗(政府旗は中央に紋章入り)が採用されていましたが、独裁政権の崩壊後、赤・青の二色旗が復活しました。

 なお、ハイチのみならず、中南米などでは国旗を政府機関によって公的機関にのみ掲げられるの掲げる政府旗(公用旗)と、政府とは無関係の一般市民などでも自由に掲げられる市民旗を区別している国があります。その場合、多くの国では、政府旗は市民旗の中央に国章を置いたデザインとするのが一般的で、ハイチの場合も、今回ご紹介の切手に描かれた市民旗の中央に国章を配したものが政府旗となっています。

 ところで、この切手が発行された1940年のオリンピックは第2次世界大戦のために中止となりましたが、その前の1936年のベルリン五輪では、ハイチ国旗として競技場に掲揚されていたのは市民旗でした。ベルリンの競技場はハイチ政府の公的機関でないためです。ところが、そのデザインが当時のルクセンブルク国旗と全く同一だったことが問題となったため、最終的に、ルクセンブルク側が国旗の中央に王冠を入れることで決着が図られました。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ハイチも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 サンタ・マリア号の残骸?
2014-05-14 Wed 23:00
 カリブ海の島国ハイチ沖で2003年に発見された沈没船の残骸が、1492年のコロンブスの航海(いわゆる“新大陸発見”の航海です)で旗艦として用いられた“サンタ・マリア号”である可能性があると、昨日(13日)、米国の海洋研究者が発表しました。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       ハイチ・ナヴィダー砦

 これは、1971年にハイチで発行されたクリスマス切手で、サンタ・マリア号の残骸で作られたとされるナヴィダー砦の絵が取り上げられています。ちなみに、この絵はコロンブス自身の手によるスケッチだそうです。

 サンタ・マリア号は、1492年、コロンブスが最初に行った大西洋横断航海のときに使われた3隻の帆船のうちの最大の船で、長さは約18メートルです。

 1492年8月3日、パロス港を出航したコロンブスの艦隊は、同年10月12日、サン・サルバドル島に到達。その後、キューバ島を経て、同年12月6日、イスパニョーラ島(当時の現地名はキスケーヤ)のサン・ニコラス岬(現ハイチ領)に到達します。その後、一行は島の北岸を東に向かい、探検を続けたものの、12月24日、サンタ・マリア号は強風を受けて座礁しました。

 ちょうどクリスマスの日だったことから、これを神の啓示と考えたコロンブスは、サンタ・マリア号の残骸を用いて砦を建設。スペイン語で“クリスマス”を意味するナヴィダー砦と命名し、ここをアメリカ大陸における最初の“入植地”として39名の守備隊を残し、残りの2隻で本国に戻りました。

 翌1493年9月、コロンブスは17隻1500名の大船団で2回目の航海に出発。11月にドミニカ島に到着し、その後、ナヴィダー砦に向かいます。しかし、ディエゴ・デ・アラーナ司令官以下守備隊の39名は、黄金を求めて現地で略奪を繰り返した末に、カオナボ首長との戦闘に敗れて殺害され、コロンブスが戻ってきたときには砦も焼き払われていたそうです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ハイチも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。

 
 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


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 砂糖の女王
2014-03-10 Mon 14:54
 きょう(10日)は、3と10の語呂合わせて“砂糖の日”です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ハイチ・砂糖の女王

 これは、1960年5月30日、中米のハイチが発行した“ミス・ハイチ”にして“世界砂糖の女王”のクローディネット・フシャールの切手です。

 クローディネット・フシャールは、1938年2月3日、ハイチの首都ポルトープランスで生まれました。父親のジャンはハイチの歴史家・ジャーナリストで、キューバ大使を務めたこともある人物で、娘のクローディネットをパリで育て、米国のジョージタウン大学を卒業させています。こうしたこともあって、彼女は、ハイチの公用語であるハイチ語(クレオール言語)とフランス語のほか、英語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語を操るようになりました。

 ハイチでは、毎年、カーニバル期間中の最大の目玉行事としてミス・ハイチのコンテストが行われており、フシャールは、1959年、21歳の時に優勝しました。
 
 一方、“世界砂糖の女王”は、米国、キューバ、ハワイ、プエルトリコ、パナマ、ブラジル、エクアドルなど砂糖産業の盛んな30の国や地域の代表を集めて行われたミス・コンテストで、1959年12月24日から翌1960年1月2日まで、コロンビアのサンティアゴ・デ・カリで行われました。審査員長は作家のアーネスト・ヘミングウェイで、同年のミス・ユニバースで優勝した児島明子も審査員メンバーに加わっています。

 フシャールの出場はハイチ大統領フランソワ・デュバリエが直々に決定したとされており、彼女が“世界砂糖の女王”に選ばれて以来、国内で行われるミス・ハイチのコンテストは“クローディネット・フシャール”の名を冠して行われるようになっています。

 ところで、18世紀まで、ハイチはカリブ海における砂糖産業の中心地でしたが、1791年に勃発した革命の影響で砂糖産業が没落。カリブ海における砂糖産業の中心地はキューバに移りました。1804年のハイチ共和国発足後、砂糖産業は復活しますが、その利益の相当部分は、フランスに対する巨額の賠償金(独立時にフランス系植民者たちから接収した農園や奴隷などに対して請求されました)の支払いに充てられており、ハイチ国民へは還元されないという状況が長く続きました。

 その後、対仏賠償や各国への債務返済が滞り、財政難と政治的混乱が続くなかで、1914年、第一次世界大戦が勃発すると、混乱に乗じてドイツがイスパニョーラ島を占領する懸念が生じたため、米軍は1915年にはハイチに、1916年にはドミニカ共和国に出兵して全島を占領。ハイチに関しては、1934年まで米軍政が行われました。ちなみに、1934年の米軍ハイチの撤退は、米国で誕生したルーズベルト政権が外交政策を転換したことによるものですが、対外財政に関しては、1947年まで米国が管理するという状況が続きます。

 米軍の撤退後、ハイチ国内は再び混乱に陥り、1957年から1986年までは悪名高きデュヴァリエ父子による独裁政権の時代に突入。1986年、デュヴァリエ(子)は国家財政破綻の責任を問われ、クーデターで失脚しますが、その後も、左派のアリスディドと反対派による激しい対立によって国内状況は安定せず、2010年の大地震もあって、現在に至るまで混乱が続いています。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ハイチも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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 4月から、毎月1回(第1火曜日:4月1日、6月3日、7月1日、8月5日、9月2日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。(詳細はそれぞれ講座名をクリックしてください)

 ・朝鮮半島のことを学ぼう 時間は13:00-14:30です。

 ・イスラムを学ぶ 時間は15:50-17:00です。

 初回開催は4月1日で、講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 文京生涯カレッジ(第13期)のご案内 ★★★

 文京学院大学が一般向け(=どなたでも受講できます)にさまざまな講師を招いて行う通年の教養講座「文京生涯カレッジ」の第13期が4月15日から始まります。僕も、7月15・22日に「バスコ・ダ・ガマのインドを歩く」、9月9日に「ドバイ歴史紀行」のお題で登場します。詳細はこちらですので、よろしかったら、ぜひご覧ください。


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 ハイチ大地震から1年
2011-01-13 Thu 12:15
 昨年1月12日(日本時間13日)のハイチ大地震から1年が過ぎました。というわけで、きょうはハイチ切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        デュヴァリエ・金箔

 これは、1968年にハイチで発行された金箔切手で、ハイチ地図と国旗に当時の大統領、フランソワ・デュヴァリエの肖像が箔押しされています。金箔という素材の性質上、スキャンが上手く撮れないのですが、ご容赦ください。

 デュヴァリエは1907年生まれ。厚生相・労働相などを経て、1957年、黒人主義を標榜して大統領に当選しました。就任後、次第に独裁色を強め、軍と教会を勢力下に置き、1963年には憲法を停止。翌1964年には自ら終身大統領となって、ブードゥー教を活用した個人崇拝に基づく独裁政権を構築するとともに、秘密警察トントンマクートを用いて批判勢力を徹底的に弾圧しました。なお、1971年に彼が亡くなると、大統領職は息子のジャン・クロードが世襲し、暗黒の独裁時代は1986年にジャン・クロード政権がクーデターで打倒されるまでの約30年間続くことになります。

 デュヴァリエ政権の崩壊後の1990年12月、ハイチでは史上初の民主的選挙が実施され、ジャン・ベルトラン・アリスティッドが大統領に当選しますが、翌1991年9月の軍事クーデターによりアリスティッドは国外に退避。1994年にアリスティッドは政権に復帰するものの、アリスティッド派と反アリスティッド派の対立から政治的混乱が続き、1999年1月以降、国会議員の任期切れにより国会は事実上の機能を停止しました。また、2000年の大統領選挙ではアリスティッドが当選したものの、野党側は選挙の無効を主張し、大統領退陣運動が激化。2004年に入ると、反政府武装勢力による主要都市の占拠が相次ぎ、2月29日、アリスティッドは亡命しています。

 このため、国連安保理は、ハイチ情勢安定化のための暫定多国籍軍を派遣。2004年6月1日には国連ハイチ安定化ミッションが発足し、2006年の大統領選挙ではルネ・ガルシア・プレヴァルが当選。プレヴァル政権下で治安情勢は徐々に安定しつつありましたが、2008年4月には国際的な食糧の高騰の影響で物価が暴騰したことをめぐり、大規模なデモが発生。またもや情勢が不安定しつつある中で、昨年の大地震が発生したというわけです。

 昨年の大地震の被害が甚大なものとなったのも、地震そのものの規模が大きかったこともさることながら、こうした政治的・社会的混乱のゆえに政府の対応が不十分であった点も指摘されています。

 なお、昨年の大地震への復興支援をめぐる国際社会の動きについては、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でもいろいろとご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。
 
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 ハイチで大地震
2010-01-13 Wed 13:43
 カリブ海の島国ハイチで、現地時間12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)、マグニチュード7の大地震があり、首都ポルトープランスなどで病院や民家などが倒壊し(一部報道によると大統領府の建物も倒壊したそうです)、数千人とも言われる多数の死傷者が出ているとのことです。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。というわけで、今日はこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ハイチ最初の切手

 これは、1881年に発行されたハイチ最初の切手のうちの3セント切手で“自由の女神”が描かれています。

 ハイチのある西インド諸島のイスパニョラ島は、1492年のコロンブスによる“発見”いらい、スペインが占領していましたが、1697年のライスワイク条約で島の西側3分の1はフランス領となります。1789年、フランス本国で革命が勃発すると、イスパニョラ島のフランス領地域の黒人奴隷とムラート(混血の自由黒人)たちは1791年に蜂起。イギリスの支援を得て、1804年にハイチ共和国として独立を宣言しました。

 最初の切手が発行されたのは1881年のことでしたが、当時のハイチは、フランスに対する巨額の賠償金(独立時にフランス系植民者たちから接収した農園や奴隷などに対して請求されました)による経済の崩壊、小作農たちの没落、列強の圧迫、相次ぐ大統領の交代や内戦、国家分裂で混乱状態が続いていました。このため、近隣地域の不安定化を恐れたアメリカは1915年、ハイチに海兵隊を上陸させて占領し、1941年まで(軍事駐留は1934年まで)この地を支配します。しかし、アメリカの撤退後、ハイチ国内は再び混乱に陥り、1957年から1986年までは悪名高きデュヴァリエ独裁政権の時代に突入します。1986年、デュヴァリエは国家財政破綻の責任を問われ、クーデターで失脚。その後も、左派のアリスディドと反対派による激しい対立によって国内状況は安定せず、2004年にアリスディドが亡命した後も、現在に至るまで混乱が続いています。

 なお、切手収集家としては、ハイチそのものというよりも、隣国のドミニカ共和国が1901年に発行した切手の地図をめぐって、両国の間で戦争が勃発したということのほうが有名だろうと思います。

 とまれ、なかなか、日本ではニュースに登場することのない国でありますので、今回、取り上げてみたという次第です。
 

 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 1月15~17日(金~日) 第1回“テーマティク出品者の会”切手展
 於・切手の博物館3階(東京・目白)
 僕も、「マシュリク近現代史」と題して、スエズ以東のアラブ世界の近現代史をたどるコレクションを出品する予定です。詳細はこちらをご覧ください。


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