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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 きょう、露朝首脳会談
2019-04-25 Thu 01:10
 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、きのう(24日)午後、特別列車でロシア・ウラジオストクに到着し、きょう(25日)、プーチン大統領との初会談を行います。というわけで、きょうは“露朝友好”を示す切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・朝鮮解放70年

 これは、2015年にロシアが発行した“朝鮮解放70周年”の記念切手で、平壌の凱旋門が取り上げられています。

 切手に取り上げられた凱旋門は、金日成の“抗日闘争勝利”を記念するものとして、1982年4月の金日成古希にあわせて、平壌市牡丹峰区域に建造されました。その背景には、金日成古希慶祝事業を通じて、それを指揮した後継者・金正日の権威を国民に対して誇示する意図があったのは明白です。

 門は、高さ60メートル、幅52.5メートルで、アーチ型の通路は高さが27メートル、幅が18メートルあり、パリの凱旋門(高さ49メートル)よりも大きいことが、北朝鮮にとっては自慢のひとつだそうです。門の左右の柱には、金日成が故郷を離れたとされる1925と、彼の凱旋の年とされる1945の年号が記されており、その東側と西側の壁面は白頭山の浮き彫りが、南側と北側の壁面には「金日成将軍の歌」や革命を賛美する歌の歌詞が彫刻されています。

 現在の北朝鮮の公式の歴史認識では、金正日は、朝鮮民族の聖地である白頭山の霊気と、金日成の抗日闘争の伝統をともに受け継いで生まれてきた人物であり、それゆえ、金日成から金正日への権力の世襲は正当化されることになっています。ただし、歴史的事実としては、金正日は、金日成がソ連領内で軍事訓練を受けていた時期に生まれたことが確認されており、出生地としては、ハバロフスク近郊、ヴャツコエの野営地が有力視されています。

 このため、北朝鮮当局にとっては、金日成がソ連領内で軍事訓練を受け、戦後、北朝鮮へ帰国したというのはタブーになっており、今回ご紹介の凱旋門も、あくまでも金日成は中朝国境の山岳地帯で抗日闘争を戦い、平壌に凱旋したことを記念する建造物というのが建前です。

 一方、ロシア側からすれば、そもそも、北朝鮮国家はソ連が衛星国として建国したという意識があります。

 すなわち、ナチス・ドイツとの血みどろの戦争を体験したソ連は、第二次大戦後、周辺を藩屏となる衛星国や友好国で固めることで自国の防衛を図るという世界戦略を立て、極東に関しては、満洲と朝鮮半島(の少なくとも北半部)を勢力圏内に組み込み、衛星国を建設することを基本方針としていました。

 このため、1945年8月10日、ソ連軍は朝鮮北端の都市・雄基に突入したのを皮切りに、同月15日の日本側の無条件降伏発表後も南侵を続け、同21日には元山を占領。さらに26日にはチスチャコフ大将指揮下の第25軍が平壌に入城し、ソ連軍民政部を設置して事実上の軍政を実施しました。

 そして、同年9月2日、日本が降伏文書に調印すると、連合国軍最高司令官のマッカーサーは、一般命令第一号を発して、朝鮮半島に関しては、北緯38度線以北はソ連極東軍司令官が、同以南は合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官が、それぞれ、駐留日本軍の降伏を受理するものとされます。これをうけ、ソ連占領軍は、大戦中、ソ連極東方面軍で訓練を積んでいた金日成らを帰国させ、北朝鮮における衛星国の建設に着手しました。

 このことをもって、ソ連とその後継国家としてのロシアは自分たちが(北)朝鮮を“解放”下と主張しており、建国初期の北朝鮮では、ソ連赤軍による“北朝鮮解放”を記念して平壌・牡丹峰の麓に解放塔なる記念建造物も建設されました。ちなみに、ソ連の衛星国として出発した北朝鮮は、当初、朝鮮の解放と北朝鮮国家の建国はソ連のおかげであるという立場を取っており、「(ソ連によってではなく)原爆が落ちて日本は戦争に負けた」との趣旨の発言をした人物が処罰されることさえありました。解放塔は、そうしたソ連の“恩恵”を可視化するものとして、かつては、しばしば北朝鮮の切手に取り上げられました。

 解放塔は、現在なお、平壌市内に存在していますが(さすがに、取り壊してしまうとロシアにケンカを売ることになるので)、“ソ連による朝鮮解放”という、北朝鮮にとっては歴史のタブーを可視化するものであるがゆえに、メディアなどで取り上げられることはまずありません。これに対して、平壌駐在のロシア大使館は、朝鮮の戦闘で戦死したソ連軍の軍人を追悼して、定期的に解放塔に花輪を献じていますが、“朝鮮解放70周年”の記念切手にあえて解放塔を取り上げて北朝鮮との関係をあえて悪化させることは得策ではないと判断し、北朝鮮側の顔を立てて、金日成伝説を表現した凱旋門を切手の題材としたものと考えられます。もっとも、“朝鮮解放70周年”の記念切手を発行することじたい、ロシアにしてみれば、朝鮮を“解放”したのは、金日成ではなく、自分たちなのだという意思をにじませているといえばそれまでなのですが…。

 なお、北朝鮮国家の成立過程と、ソ連との関係については、拙著『朝鮮戦争』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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 クリミア“併合”5周年
2019-03-18 Mon 01:24
 2014年3月18日、ロシアがクリミアを“併合”してから、5周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。

      ロシア・クリミア併合(2014)

 これは、2014年6月19日、クリミア併合を記念してロシアが発行した“クリミアの風景”の切手です。

 クリミア半島は、もともと、ウクライナ南部の半島に接する地域とともにクリミア・タタール人が支配するクリミア・ハン国の版図でしたが、エカチェリーナ2世治世下の1783年、同国がロシアに併合されたことでロシア領となり、1802年、タヴリダ県となりました。

 ロシア革命後はタヴリダ・ソビエト社会主義共和国を経て、1921年、クリミア半島部はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国支配下のクリミア自治ソビエト社会主義共和国に、半島外はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に分割されましたが、このうちの前者が、1945年にクリミア州となり、1954年、ソ連邦の構成共和国であったウクライナに移管されました。

 1991年のウクライナ独立に際してクリミア州はウクライナが継承しましたが、クリミア州内のロシア人はロシアへの再統合を要求。1992年5月5日、クリミア州議会はウクライナからの独立を決議し、クリミア共和国の独立を宣言しました。

 これに対して、ロシアは独立の動きを支持し、クリミアのウクライナ移管を定めた1954年の決定は違法とする議会決議を採択します。ところが、1994年に第1次チェチェン紛争が勃発すると、チェチェンの独立を禁圧しながら、クリミアのウクライナからの独立を支持するのはダブルスタンダードであるとの国際的批判が高まり、ロシアはクリミア独立運動への支援を中断せざるを得なくなります。

 この結果、後ろ盾を失ったクリミアの独立運動は沈静化し、クリミア議会はウクライナ共和国内の自治共和国であることを認め、1998年にクリミア自治共和国憲法が制定されました。しかし、2013年から2014年にかけてウクライナ経済の低迷をきっかけにウクライナ国内で親露派と親欧米派の対立が再燃し、2014年2月24日、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊。これに対して、クリミアでは、ロシアの強い影響の下、暫定政権への移行に反対する親露派のデモが拡大し、同年3月16日の住民投票を経て、クリミア共和国が“独立”を宣言しました。この時点で、すでにクリミア全域はロシアの実効支配下に置かれており、ウクライナがこれを回復するのはほぼ不可能でした。

 クリミアの“独立”を受けて、3月18日、ロシアのプーチン大統領はクレムリンで上下両院議員を前に演説し、「クリミアは強く揺るぎないロシアの主権下になければならない」と述べ、ウクライナ南部クリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市をロシアに編入すると発表。続けて、自治共和国、特別市の代表と編入に関する条約に署名し、ウクライナから独立したばかりのクリミア共和国はロシアに“併合”されました。

 なお、国連やウクライナ、そして日本を含む西側諸国などは主権・領土の一体性やウクライナ憲法違反などを理由として、そもそもクリミアのウクライナからの“独立”を認めておらず、それゆえ、ロシアによるクリミア“併合”も国際法上無効なものとして承認していません。


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 ロシアW杯開幕
2018-06-15 Fri 00:57
 サッカーの第21回ワールドカップ(W杯)ロシア大会が、現地時間14日午後6時(日本時間15日午前0時)、モスクワのルジニキ競技場で開催国ロシアとサウジアラビアの試合で開幕しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・ルジニキ競技場50年

 これは、今回のW杯の開幕戦が行われたルジニキ競技場の50周年を記念して2006年にロシアが発行した切手で、競技場の全景が描かれています。

 ルジキニ競技場は、ソ連時代の1956年に“レーニン・スタジアム”の名でオープンしました。当時の収容人数は7万8360人です。

 オープン翌年の1957年にはアイスホッケー世界選手権決勝の会場となり、当時のアイスホッケー史上最多の5万5000人を動員しました。また、1980年のモスクワ五輪時にはメイン会場として収容人数が10万3000人まで拡大され、開閉会式、陸上競技、サッカー決勝、馬術(大賞典障害飛越)が行われました。

 1982年10月22日には、欧州連盟カップ2回戦でソ連のスパルタク・モスクワがハールレム(オランダ)を相手に、終了直前に追加点を決めた際、先に帰途に就こうとした観客と、スタンドに戻って喜ぼうとした人が交錯して将棋倒しが発生し、66人が死亡、300人以上が負傷する大惨事(ルジニキの惨事)が起きたことでも知られています。

 ソ連およびロシア最大の総合スタジアムとして、サッカーのほか、コンサート会場等としても使用されていましたが、2010年に今回のW杯の開催が決定されると、2013年8月の世界陸上モスクワ大会を最後に閉場となり、2014年から4年間にわたる大規模改修工事を経て、陸上トラックが撤去され、2017年、球技専用のスタジアムとして2017年にリニューアル・オープンしました。

 さて、今回のW杯は、32の代表チームが参加し、7月15日(日本時間16日午前0時)の決勝まで、11都市12会場で、計64試合画行われます。日本代表は、6月19日にコロンビア、24日にセネガル、28日にポーランドと対戦する予定で、このブログでも、何らかのかたちで関連の切手をご紹介する予定です。
 

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 エルサレムに到着しました。
2018-05-26 Sat 11:18
 昨日(25日)、無事にエルサレムに到着し、日本からの出品作品の搬入作業も完了いたしました。これで、まずは一安心です。(下の画像は、実際に作品の展示作業をしているときに、撮ってもらいました。以下、画像はクリックで拡大されます)

      WSC Israel2018展示風景

 というわけで、♪はるばる来たぜ エルサレム、という雰囲気のマテリアルを持ってきました。

      ロシア・パレスチナ帝国正教会協会

 これは、2014年10月29日、帝政ロシア時代にエルサレムでのロシア正教会の活動を支えていた“パレスチナ帝国正教会協会”を題材にロシアが発行した切手シートで、シートの下部にはエルサレムに向かう旅人が描かれています。(下にその部分をトリミング敷いた画像を貼っておきます)

      ロシア・パレスチナ帝国正教会協会(部分)

 ちなみに、きのうの展示作業の後、友人たちと旧市街に行ったのですが、その際、ケデロンの谷越しに岩のドームと神殿の丘の上に沈みつつある夕陽を携帯のカメラで撮ってみたら、こんな感じになりました。

      岩のドーム遠景・夕陽

 今回ご紹介した切手シートとの関連でいうと、ケデロンの谷には、ロシア正教の教会として、1888年、ロシア皇帝アレクサンドル3世によって建立された“マグダラのマリア教会”(下の画像の玉ねぎ屋根の建物です)があります。この教会は、ヨハネによる福音書に出てくるマグダラのマリアと、ロシア皇帝アレクサンドル3世の母后マリアの2人のマリアを記念するために、皇帝が建立したもので、17世紀のモスクワ様式を模したといわれています。

      マグダラのマリア教会・エルサレム

 さて、ロシアは、2003年に米国、EU、国連とともに中東和平のロードマップを策定した国であり、パレスチナ和平に関しても一定の影響力を持っていましたが、2011年の“アラブの春”以降、米国のオバマ政権が中東問題への関与に消極的だったこともあり、その存在感を増しています。

 たとえば、ロシアはシリアのアサド政権に対する最大の支援者であるだけでなく、2013年に軍事クーデターで発足したエジプトのシーシー政権を全面的に支持し、エジプトと30億ドル以上の兵器・軍事技術輸出契約を締結しました。その背景には、自国の安全保障上の必要からもイスラム原理主義勢力の伸長を抑えるため、原理主義勢力に対して抑圧的で、なおかつ、ロシアと親和的な世俗主義政権を支援しようという思惑があります。

 パレスチナ問題に関しては、旧ソ連時代、イスラエルが米国の支援を受けていることへのカウンターから、パレスチナを支援してきたという経緯があるものの、プーチン大統領じしんはイスラエルとも良好な関係を保っており、基本的には是々非々の立場です。ただし、ガザを実効支配しているハマースがシリア問題に関してアサド政権を支援するロシアやイランとは対立関係にあることから、「パレスチナと言ってもさまざまで、ハマスも一枚岩ではなく、宗教的民族主義者がいる」として、中立的な立場を維持してきました。

 このため、2014年7月のイスラエル軍のガザ攻撃時にも、プーチンはネタニヤフ・イスラエル首相との電話会談でガザ地区からの撤退を求めたものの、ロシア政府としてはイスラエルを非難する声明は発していません。イスラエルのガザ攻撃は、結果的にハマース政府の力を殺ぐことになり、ソ連時代からの友好関係にあるファタハに有利に働くことになるからです。ちなみに、パレスチナ大統領のアッバースはソ連時代のモスクワに留学し、博士号を取得しています。

 こうしたことから、ロシアには、ファタハとの関係を強化することは、パレスチナのみならず、中東全域への影響力拡大への足掛かりになりうるわけで、今回ご紹介の切手シートも、そうした背景の下に発行されたものと考えられます。なお、このあたりの事情については、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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 歯舞に“デレヴィヤンコ島”
2017-02-12 Sun 15:40
 ロシアのメドヴェージェフ首相が千島列島で名前がついていなかった5つの島に対して、ロシア名をつける指示書に署名し、そのうちの一つで、ロシアが不法占拠している日本領・歯舞群島の秋勇留島付近の島が“デレヴィヤンコ島”と命名されたそうです。というわけで、今日はこんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・戦勝70年(デレヴィヤンコ)

 これは、2015年にロシアが発行した“第二次大戦終結70周年”の記念切手で、今回の島名の由来となったクズマ・デレヴィヤンコが、1945年9月2日、ミズーリ号上で日本降伏文書に調印する場面が描かれています。

 デレヴィヤンコは、1904年11月14日、ロシア帝国支配下のコセニヴカ(現・ウクライナ領)で生まれました。1922年、赤軍に兵士として参加し、1927年にソ連共産党に入党。独ソ戦が勃発するとドイツとの戦闘で軍功を上げて将官にまで栄進し、1945年、赤軍を指揮してウィーンに入城しました。

 ソ連の対日参戦後は、極東米軍との間のソ連軍事使節団連絡将校としてマニラに派遣され、日本降伏後はソ連軍総司令官代表に任命され、9月2日の降伏文書調印にはソ連代表としてサインし、そのまま、ソ連の対日軍事使節団団長に任じられました。翌1946年、対日理事会(連合国日本管理委員会)が発足すると、同理事会のソ連代表に就任。占領下の農地改革では、1945年9月2日現在すべての小作地・不在地主所有地を国家が強制収用するという案を提出するなど、左派色の強い占領改革案を提案しました。

 デレヴィヤンコといえば、マッカーサーに対して、ソ連による北海道占領を繰り返し要求していたことでも知られています。マッカーサーの専用車に同乗中、この問題を持ち出したデレヴィヤンコに対して、マッカーサーは「ここで停めなさい。中将は降りて一人で歩いて帰るそうだから」と運転者に命じ、デレヴィヤンコは黙ってしまったというエピソードは有名です。その後も、デレヴィヤンコは日を改めてGHQのオフィスでマッカーサーに北海道占領を要求していますが、この時は、さすがにマッカーサーも「日本にソ連兵が一人でも現れたら、ソ連代表団をみんな刑務所にぶちこむぞ!その時はあんたが一番だ!」と怒鳴りつけたのだとか。

 また、東京裁判で死刑判決を受けた“A級戦犯”7名の処刑に際しては、当初、マッカーサー自身は遺骨を遺族に渡す意向だったと言われていますが、デレヴィヤンコが「遺骨を保管すれば軍国主義が復活する」と強硬に反対。このため、遺骨は粉砕して東京湾に撒かれることになりました。ただし、その散骨前に、 弁護士の三文字正平と久保山興禅寺の住職・市川伊雄が火葬場の飛田場長と共に遺骨の遺棄された場所に忍び込んで遺骨の一部を密かに持ち出し、それらは、1960年、愛知県三ケ根山に移されて“殉国七士廟”が建てられています。

 結局、デレヴィヤンコは、1950年5月27日まで対日理事会のソ連代表を務め(ただし、この間、1947年8月7日から1948年8月31日まではアレクセイ・パヴロヴィチ・キスレンコが職務を代行)てソ連に帰国。1954年12月30日に亡くなりました。

 今回、ロシアが歯舞群島の島の一つをデレヴィヤンコ島と命名したのも、あらためて、歯舞群島に対する彼らの時候支配を強調する意図があったからなのですが、それにしても、デレヴィヤンコが日本でやってきたことを思い起こすと、このネーミング、日本に対する嫌がらせ以外の何物にも思えませんな。


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 ヤルタ会談の記念碑建立
2015-02-06 Fri 23:54
 第二次大戦末期のヤルタ会談から70年になるのを記念して、昨日(5日)、会談時の米英ソ三国首脳の記念碑が当時の会談場所の近くに設置されました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ロシア・ヤルタ会談

 これは、1995年にロシアで発行された第二次世界大戦勝利50周年の記念切手のうち、ヤルタ会談を取り上げた1枚で、世界地図を背景に、会談時に撮影された三国首脳(左から、英国のチャーチル、米国のローズヴェルト、ソ連のスターリン)の写真を組み合わせたコラージュのデザインとなっています。

 ヤルタ会談は、1945年2月4-11日、クリミア半島ヤルタのリヴァディア宮殿(旧ロシア皇帝ニコライ2世の離宮)で行われた米英ソの三国首脳会談で、第二次世界大戦後の処理について、米英4国によるドイツの分割統治やポーランドの国境策定、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国の処遇などが決められました。また、戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式について、英米仏中ソ連の5カ国(後の国際連合常任理事国メンバー)に拒否権を与えることも併せて決められています。

 対日戦争については、日露戦争で旧帝政ロシアが失った権益をソ連が回復することの代償として、ドイツ降伏後2-3ヶ月後を目途にソ連が日本に対して宣戦布告を行うことも正式に決定されました。これを根拠として、1945年8月、ソ連は日本に対して宣戦を布告して千島列島、樺太など不法に占領し、現在まで続く北方領土問題が起こることになりました。

 さて、今回、除幕式が行われた記念碑は、今回ご紹介の切手の元になった写真を再現したもので、高さ3.2m。10年前の階段60周年にあわせて、ロシアの彫刻家ツェレテリが制作していましたが、当時、ヤルタを統治していたウクライナがスターリン像の設置を拒否したため、その後お蔵入りの状態が続いていました。ところが、昨年3月、ロシアがクリミア併合を宣言し、ヤルタもロシアの実行支配下に置かれるようになったことで、今回の記念碑設置となったというわけです。

 当然のことながら、ウクライナは、ロシアによるクリミア併合そのものを認めていないという立場から、今回の記念碑設置にも反発しているわけですが、明日(7日)は北方領土の日でもあるわけですから、わが国の外務省も「記念碑は北方領土の不法占拠を正統化するもので、極めて遺憾である」くらいのことは言って然るべきでしょうな。


 ★★★ イベント「みんなで絵手紙」(2月8日)のご案内 ★★★

      狛江絵手紙チラシ・表     狛江絵手紙チラシ・裏

 2月8日(日) 10:00-17:00に東京・狛江のエコルマホールにて開催のイベント「みんなで絵手紙 見て、知って、書いて、楽しもう」のトークイベントに内藤陽介が登場します。内藤の出番は13:30-14:15。「切手と絵・手紙」と題してお話しする予定です。是非、遊びに来てください。主宰者サイトはこちら。画像をクリックしていただくと、チラシの拡大画像がごらんになれます。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

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 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 サンクトペテルブルクとレニングラード
2013-09-05 Thu 13:49
 きょう・あす(5・6日)、ロシアのサンクトペテルブルクで主要20カ国・地域(G20)首脳会議が開催されます。というわけで、サンクトペテルブルクがらみのこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      サンクトペテルブルクからエネム宛     サンクトペテルブルクからエネム宛(裏面)

 これは、1995年3月10日、サンクトペテルブルクからアディゲ共和国のエネム宛に差し出されたものの、差出人戻しとなったカバーとその裏面(消印部分)です。差出人による差出地の書き込みは“サンクトペテルブルク”になっていますが、押されている消印・到着印の地名はソ連時代の“レニングラード”表示のままで、CCCPの表示も入っています。

 ロシア帝国時代の首都であったサンクトペテルブルクは、帝政末期の1914年にペトログラードと改称され、ソ連成立後まもない1924年にレニングラードと改称されましたが、1991年のソ連崩壊を受けて、住民投票により旧称のサンクトペテルブルクに戻されました。なお、ソ連時代の1927年、レニングラード市を州都とするレニングラード州が設置されましたが、この州名は現在でも変更されていません。ただし、サンクトペテルブルク市はレニングラード州の州都でありながら、ロシア連邦直轄の連邦市として行政上は州から独立しているということで、ちとややこしいですな。

 今回ご紹介のカバーは、都市の名前がサンクトペテルブルクに戻ってから3年以上が過ぎた1995年のモノですが、サンクトペテルブルクほどの大都市の郵便局となると、押印機や印顆もかなりの数が必要となるでしょうから、ソ連時代のモノも排気されずに使われ続けたということなのでしょう。

 宛先のエネムは、アディゲ共和国の首都マイコープから245km東北、クラスノダール=ノヴォロシスク間の幹線道路沿いに位置する都市で、1890年、コサックの駐留地として建設されました。カバー裏面には、マイコープとエネムの印も押されていますが、こちらは、現在のロシア連邦になってから配給されたものです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・9月7日(土) 10:15- 切手市場
 於 東京・池袋 東京セミナー学院4階5階

 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『蘭印戦跡紀行』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しております。ぜひ遊びに来てください。

 
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 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

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 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、10月以降は、10月1日、11月5日、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 チェチェン・ローカル加刷
2013-04-21 Sun 09:27
 米国ボストンマラソンで起きた爆弾テロ事件は、きのう(米国時間19日夜)、容疑者として特定されたチェチェン人兄弟のうち、逃走中の弟ジョハル・ツァルナエフが逮捕され、発生から5日目で解決に向かうことになりました。というわけで、きょうはチェチェンがらみでこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        チェチェン・ローカル加刷カバー

 これは、1993年、チェチェン共和国の首都グロズヌイからリトアニア宛の書留便で、チェチェンのローカル加刷切手が発行されています。

 現在、ロシア連邦内のチェチェン共和国となっている地域は、北カフカースの北東部に位置しており、18世紀以降、先住民族であるチェチェン人の激しい抵抗を抑え込んで、ロシア帝国が支配下に組み込みました。

 首都のグロズヌイは、1818年、ロシアの前哨基地として要塞が築かれたことに始まり、1850年に油田が発見されたことで、20世紀以降、ロシアの油田地帯の中核となり発展。ソ連時代はチェチェン自治州、後にチェチェン・イングーシ自治ソヴィエト社会主義共和国(以下、チェチェン・イングーシ自治共和国)の首都となりました。

 いわゆる独ソ戦さなかの1942年、ドイツ軍はソ連領内・北西カフカースの地に迫り、チェチェン・イングーシ自治共和国の一部地域はドイツ軍の占領下に置かれました。首都のグロズヌイはソ連有数の石油産業の中核都市であったため、ドイツ軍の激しい空襲にさらされ、1942年10月10日から15日にかけて市内中心部は激しい火災に見舞われています。

 これに対して、チェチェン人を含む“反ロシア的”な民族がドイツ軍と結んで反抗することを恐れていたスターリンは、カフカースからドイツ軍を撃退した後の1944年2月、チェチェン人とイングーシ人に対独協力の疑いをかけ(実際には、そのほとんどはドイツ軍とは無関係でした)、全チェチェン人とイングーシ人50万人を中央アジアやシベリアに追放。さらに、1946年には、チェチェン・イングーシ自治共和国は廃止され、ウラジカフカスを含む領土の大半は北オセチア自治共和国に割譲されてしまいました。今回の事件の容疑者の一家が、キルギス出身のチェチェン人というのは、こうした事情によるものです。

 その後、スターリンが亡くなり、フルシチョフによるスターリン批判が開始されると、チェチェン人・イングーシ人は対独協力の冤罪を晴らされて名誉が回復され、チェチェン・イングーシ自治共和国の再建が認められました。しかし、追放されていた間に、チェチェン人・イングーシ人の土地にはロシア人・オセット人などが入植していて元の土地所有者との対立が頻発したほか、旧チェチェン・イングーシ自治共和国領のうちウラジカフカスを含む西部は北オセチアから返還されず、また、石油産業の利益も地元に還元されずにモスクワに吸い上げられていたということもあって、チェチェン人・イングーシ人のモスクワに対する不満は鬱積していくことになりました。

 こうした背景の下、ソ連末期の1990年に11月にチェチェン・イングーシ自治共和国がソ連邦からの独立を宣言。1991年5月、チェチェン・イングーシ自治共和国はチェチェン・イングーシ共和国に改名されました。その後、チェチェン共和国とイングーシ共和国は分割され、同年11月、チェチェンがソ連からの独立を宣言します。

 ソ連は、チェチェンの独立を承認しないまま1991年12月に崩壊しましたが、後継のロシア大統領ボリス・エリツィンは、1994年、チェチェンの連邦からの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争に突入することになります。

 今回ご紹介のカバーは、こうした時期の使用例で、切手はソ連時代のものに“イスラム”の文字や月と星を加刷したものですが、消印はソ連時代の鎚と鎌の紋章が入ったものがそのまま使われており、いかにも過渡期の郵便物といった感じです。

 さて、今回の事件は容疑者として逮捕された人物はチェチェン人で、先に死亡した共犯(主犯格?)の男(逮捕された男の兄)はイスラム過激派との関連もささやかれています。ただし、仮に彼らが、イスラム過激派ないしはロシアからのチェチェンの分離独立を求める活動家であったとしても、なぜ、ボストン・マラソンが攻撃の対象になったのかは常人には理解しがたいですな。まずは、彼らが真犯人であるかどうかの確認を含めて、犯行の動機や背後関係について、今後の捜査に注目したいところです。


 ★★★ テレビ出演のご案内 ★★★

 NHK教育テレビ 2013年4月23日(火) 23:00~ 「知恵泉」

 今回は「前島密」の特集で、内藤がゲスト出演して、郵便という新たなプロジェクトを立ち上げた実務家としての前島の人間的魅力についてお話します。ぜひ、ご覧いただけると幸いです。なお、放送番組の常として、大事故・大事件など突発的な事情により、番組の内容・放送時間等が変更になる可能性もありますが、予めご了承ください。(番組HPはこちらです)


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 本書の刊行を記念して、以下の日程でトーク・イベントを行います。

・4月27日(土) 15:00- 『マリ近現代史』出版記念トーク
 於 東京・浅草 都立産業貿易センター台東館6階特設会場
 スタンプショウのイベントの一つとして、出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。


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 4月から、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。開催日は5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日(原則第一火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 チャヴェス大統領死去
2013-03-06 Wed 22:22
 ヴェネズエラのウゴ・チャヴェス大統領が亡くなりました。というわけで、彼の実績を端的に示す切手はないかと思い、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ヴェネズエラ独立200年(ロシア)

 これは、2011年にロシアが発行したヴェネズエラ独立200年の記念切手で、キリル文字のロシア語ですが、“ヴェネズエラ・ボリーヴァル共和国”の文字と、現在のヴェネズエラ国旗が取り上げられています。チャヴェス政権の外交の基本方針は、米国一極体制に対して、米国に反対ないし抵抗する政府(イラン、リビア、キューバ、中国、ロシア等)および勢力と戦略的同盟関係を結び、新しい国際秩序を構築すべきというものでした。

 対露関係に関しては、特に、エネルギー・軍事分野で密接な協力関係にあり、今回の訃報に対してプーチン大統領は、ベネズエラ国民への“深い哀悼の意”を表明するとともに、チャベスを「ロシアの親友であり、傑出した指導者」だったとたたえ、葬儀には、最側近であるロシア国営石油会社ロスネフチのセチン社長を大統領特別代表として派遣することを決めたそうです。今回ご紹介の切手も、こうした深い関係にあればこそ、の1枚といえましょう。

 さて、ヴェネズエラの国名は、1830年以来、ヴェネズエラ共和国でしたが、1999年2月にチェヴェス政権が発足してから新憲法が制定され、これに伴い、国号も現在の“ヴェネズエラ・ボリーヴァル共和国”に変更されました。

 ボリヴァル共和国のボリーヴァルは、19世紀初頭、宗主国スペインに対する経済的従属から開放されるためには政治的独立の達成が不可欠であるとして自由と独立のために闘ったアンデス諸国共通の英雄、シモン・ボリーヴァルに由来するものですが、低所得者層の高い支持を得て大統領に当選したチャヴェスは、「現代の新たな従属からの開放と自由、独立のために闘う」として“ボリーヴァル革命”を標榜していました。このため、1999年の憲法改正では、“ボリヴァル”が前面に打ち出され、その前文において「神および解放者シモン・ボリーヴァルの歴史的手本に加護を求め…」との記述があるほか、第1条で「シモン・ボリーヴァルの教義を基盤にして」と規定し、さらに第107条において「公立および私立の学校においてスペイン語およびベネズエラの地理・歴史とともにシモン・ボリーヴァルの思想を教えなければならない」との規定が設けられました。国名変更もこうした文脈に沿ったものです。

 一方、現行のヴェネズエラ国旗は、やはり、チャヴェス政権下の2006年に定められたものです。

 その基本的なデザインは旧国旗とほぼ同じですが、旧国旗では7つだった中央の星が、2006年の改定では8つに変更されています。7つの星は、スペインからの独立戦争に立ち上がった7植民地州(バルセロナ、バリナス、カラカス、クマナ、マルガリータ、メリダ、トルヒージョ)を表すものでしたが、 1817年、ボリーヴァルはガイアナの解放を受け8つめの星を追加すると宣言しました。しかし、この改定は正式に認められることはなく、従来通り、国旗の星は7つのままだったものを、チャヴェス政権は、ボリーヴァルに忠実たらんとして、約200年ぶりに改定したというわけです。ただし、8つめの星であったガイアナは、現在はれっきとした独立国であってベネズエラの一部ではないので、ガイアナからすれば、何とも迷惑な国旗の改定といえそうです。

 なお、国旗の左上にはヴェネズエラの国章が掲げられていますが、この国章の馬の向きも、2006年、従来の右向きから左向きに変更されました。なんでも、チェヴェス政権は左翼政権だからというのがその理由だそうで、冗談みたいな話ですな。

 いずれにせよ、それまで200年近く続いてきた国名と国旗を一挙に変更してしまったチャヴェス政権というのは、良くも悪くも、ヴェネズエラと周辺諸国にとってはインパクトのある存在だったことはたしかです。そうしたチェヴェス政権とその切手については、拙著『事情のある国の切手ほど面白い』でも1章を設けてご紹介したことがあります。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


★★★ 内藤陽介、カルチャーセンターに登場 ★★★   

 4月から、下記の通り、首都圏各地のよみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)で一般向けの教養講座を担当します。詳細につきましては、各講座名(青色)をクリックしてご覧いただけると幸いです。皆様のご参加を心よりお待ちしております。(掲載は開催日順)

・よみうりカルチャー荻窪
 4月2日、5月7日、6月4日、7月2日、7月30日、9月3日
 (原則・毎月第1火曜日)13:00~14:30
 予算1日2000円のソウル歴史散歩

・よみうりカルチャー川崎
 4月12日、5月10日、6月14日、7月12日、8月30日、9月13日
 (原則・毎月第2金曜日)13:00~14:30
 切手で歩く世界遺産


 【世界切手展BRASILIANA 2013・出品募集期間延長!】

 今年11月、ブラジル・リオデジャネイロで世界切手展 <BRASILIANA 2013> が開催される予定です。当初、現地事務局への出品申し込みは2月28日〆切(必着)でしたが、〆切日が3月31日まで延長されました。つきましては、2月14日に締め切った国内での出品申し込みを再開します。出品ご希望の方は、3月20日(必着)で、日本コミッショナー(内藤)まで、書類をお送りください。なお、同展の詳細はこちらをご覧ください。


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 チェチェンの消防士
2013-01-06 Sun 13:36
 きょう(6日)は消防の出初式の日です。というわけで、消防関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        チェチェン・消防士

 これは、1992年にロシアで発行された切手つき封筒で、グロズヌイにある“チェチェンの勇敢な消防士の碑”が取り上げられています。

 いわゆる独ソ戦さなかの1942年、ドイツ軍はソ連領内・北西カフカース(コーカサス)の地に迫り、チェチェン・イングーシ自治ソヴィエト社会主義共和国(以下、チェチェン・イングーシ自治共和国)の一部地域はドイツ軍の占領下に置かれました。首都のグロズヌイはソ連有数の石油産業の中核都市であったため、ドイツ軍の激しい空襲にさらされ、1942年10月10日から15日にかけて市内中心部は激しい火災に見舞われました。今回ご紹介の切手つき封筒に取り上げられているモニュメントは、こうした状況の中で勇敢に消火活動にあたり、殉職した消防士をたたえたものです。

 ところが、チェチェン人を含む反ロシア的な民族がドイツ軍と結んで反抗することを恐れていたスターリンは、カフカースからドイツ軍を撃退した後の1944年2月、チェチェン人とイングーシ人に対独協力の疑いをかけ(実際には、そのほとんどはドイツ軍とは無関係でした)、全チェチェン人とイングーシ人50万人を中央アジアやシベリアに追放。さらに、1946年には、チェチェン・イングーシ自治共和国は廃止され、ウラジカフカスを含む領土の大半は北オセチア自治共和国に割譲されてしまいました。

 その後、スターリンが亡くなり、フルシチョフによるスターリン批判が開始されると、チェチェン人・イングーシ人は対独協力の冤罪を晴らされて名誉が回復され、チェチェン・イングーシ自治共和国の再建が認められました。しかし、追放されていた間に、チェチェン人・イングーシ人の土地にはロシア人・オセット人などが入植していて元の土地所有者との対立が頻発したほか、旧チェチェン・イングーシ自治共和国領のうちウラジカフカスを含む西部は北オセチアから返還されず、また、石油産業の利益も地元に還元されずにモスクワに吸い上げられていたということもあって、チェチェン人・イングーシ人のモスクワに対する不満は鬱積していくことになりました。

 こうした背景の下、ソ連末期の1990年に11月にチェチェン・イングーシ自治共和国がソ連邦からの独立を宣言。1991年5月、チェチェン・イングーシ自治共和国はチェチェン・イングーシ共和国に改名されました。その後、チェチェン共和国とイングーシ共和国は分割され、同年11月、チェチェンがソ連からの独立を宣言します。

 ソ連は、チェチェンの独立を承認しないまま1991年12月に崩壊しましたが、後継のロシア大統領ボリス・エリツィンは、1994年、チェチェンの連邦からの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争に突入することになります。

 今回ご紹介の切手つき封筒は、そうしたソ連からロシアへの移行期に発行されたもので、独ソ戦における(ソ連人としての)チェチェン人の活躍をたたえることにより、チェチェンはロシアの一部であることを内外にアピールする意図が込められていたとみるのが妥当でしょう。

 さて、今月19・20日(土・日)の両日、東京・目白駅の切手の博物館にて「第一回ヨーロッパ切手展」が開催されます。今回のお題は“黒海”で、内藤も、北カフカース(コーカサス)を題材としたミニ・コレクションを展示します。競争展ではないので、テーマティクないしは郵便史の作品としてきっちりまとめたものというよりも、北カフカースに関するマテリアルをいろいろとご紹介するという気楽な内容ですが、僕以外のコレクションはかなり見ごたえのある内容になっておりますので、よろしかったら、ぜひ遊びに来ていただけると幸いです。


 【世界切手展BRASILIANA 2013のご案内】

 僕が日本コミッショナーを仰せつかっている世界切手展 <BRASILIANA 2013> の作品募集要項が発表になりました。国内での応募受付は2月1―14日(必着)です。詳細はこちらをご覧ください。


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