内藤陽介 Yosuke NAITO
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 バトル・オブ・ブリテン75年
2015-07-11 Sat 17:05
 第二次大戦中のバトル・オブ・ブリテンから75年になるのを記念して、現地時間の10日、当時の戦闘機、スピットファイアとハリケーンの展示飛行が行われ、エリザベス女王もバッキンガム宮殿からご覧になったそうです。というわけで、スピットファイアと言えば、この切手でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

      カメルーン・スピットファイア募金加刷

 これは、1940年にカメルーンで発行された“スピットファイア募金”の加刷切手です。

 スピットファイアは、第二次世界大戦中の英空軍の主力戦闘機で、バトル・オブ・ブリテンの際にはドイツ空軍の攻撃から英国を救った救国戦闘機として知られています。初飛行は1936年3月5日で、実際の運用開始は1938年8月のことです。

 さて、スピットファイアの製造には、一機あたり1万ポンド(現在の貨幣価値に換算すると40万ポンドともいわれています)の経費が必要でした。このため、その費用を賄うために、英国ではスピットファイア基金が設立され、バトル・オブ・ブリテン以降、スピットファイアの増産態勢が整えられていくことになります。

 ところで、バトル・オブ・ブリテン直前の1940年6月、フランスはドイツに降伏し、ロンドンに亡命したド・ゴールが“自由フランス”を樹立すると、仏領植民地は親独のヴィシー派とド・ゴールの自由フランス派に分裂します。このうち、自由フランスの拠点の一つであったアフリカのカメルーンでは、ド・ゴールの支持の下、英国とともにドイツと戦う姿勢を示すため、当時の普通切手(バーニョの瀧が描かれています)にスピットファイア基金への募金を加刷した切手を発行しました。加刷に用いられた台切手は全て同図案の刷色違いで、今回ご紹介の25サンチームのほか、45サンチーム、60サンチーム、70サンチームがあります。また、この寄附金つき切手とは別に、カメルーンでは、1939年のニューヨーク・世界貿易フェアの記念切手に加刷した切手も発行されました。

 なお、戦闘機を献納するための寄附金つき切手と言えば、不発行に終わった満洲国の切手が有名ですが、こちらの切手は完売することで3機を献納する予定だったそうです。カメルーン切手の寄附金によって、実際に何機のスピットファイアが購入できたのか、そのあたりも気になりますな。

 
 ★★★ 全日本切手展+韓国切手展のご案内 ★★★ 

 7月17-19日(金ー日) 東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(全日展)ならびに日韓国交正常化50周年記念・韓国切手展が開催されます。詳細は、主催団体の一つである日本郵趣連合のサイト(左側の“公式ブログ”をクリックしてください)のほか、フェイスブックのイベントページ(全日展はこちら、韓国切手展はこちら)にて、随時、情報をアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

      全日展チラシ  全日展チラシ(裏)

 *画像は全日展実行委員会が制作したチラシです。

 なお、内藤は、会期中の18日(土)11:00より、韓国切手展の展示解説を、16:00より「切手と郵便に見る韓国現代史と日本」と題する記念講演を行いますので、皆様、是非、遊びに来てください。
 
 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』  好評発売中! ★★★ 

        税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』に書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 小さな世界のお菓子たち:チョコレート工場の切手
2013-10-16 Wed 09:53
 ご報告が遅くなりましたが、大手製菓メーカー(株)ロッテの季刊広報誌『Shall we Lotte(シャル ウィ ロッテ)』の第21号(2013年秋号)ができあがりました。僕の連載「小さな世界のお菓子たち」では、今回は、こんな切手を取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)

       カメルーン・チョコレート工場

 これは、カメルーンが1969年に発行した自国の産業を紹介する切手のうち、カカオ豆とココアバター、砂糖などを混ぜて練りこむ工程を描いた15フラン切手です。

 収穫されたカカオ豆がチョコレートになるまでの基本的な工程は、

 ① 原料のカカオ豆をバナナの葉で包んだり、木箱にいれたりして1週間ほど発酵させる。
 ② 発行させた豆を水分が6%以下になるまで乾燥させる。
 ③ 乾燥させた豆を選別したうえで、皮を取り除いて実を取出し、その実を焼いてすりつぶす。
 ④ ③にココアバターや粉乳、砂糖などを混ぜて練り合わせる。
 ⑤ ④を型に流し込んで冷やす

 というプロセスをたどります。
 
 中部アフリカのギニア湾に面した国、カメルーンでは、そうしたチョコレート製造の一端として、工場での③と④(今回ご紹介の切手はこちらです)の場面を取り上げた切手を1969年に発行しました。切手は旧宗主国のフランスで製造されたもので、落ち着いた雰囲気の凹版印刷はフランスの切手とよく雰囲気が似ています。切手に取り上げられている機械も、旧植民地時代にフランスから持ち込まれたものなのかもしれません。

 現在のカメルーンの国名は、1470年にこの地を訪れたポルトガル人がエビの多いことから“カマラウン”(ポルトガル語で小エビの意味)と名付けたことに由来しています。その後、19世紀にドイツの植民地となりましたが、第一次大戦で英仏軍によって占領されました。そして、第二次大戦後の1960年、まず仏領カメルーンが独立を達成し、ついで、翌61年、英領カメルーンの南部が旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国を結成。現在のカメルーン国家となりました。

 独立以来、カカオ豆はカメルーンの主要な輸出品のひとつで、毎年の生産量はおよそ20万トン。これは、全世界のカカオ豆の生産量の4%程度を占めており、コートディヴォワール、ガーナ、インドネシア、ナイジェリアに次ぐ世界第5位の数字です。なお、カメルーン政府は、カカオ豆の増産を国の目標として掲げており、2020年までに年産60万トンを達成することを目指しています。

 現在、カメルーンから日本向けの輸出品としては、コーヒーが中心で、木材と綿花がこれに続いていますが、カメルーン政府の目標が達せられると、わが国でもカメルーン産のカカオを使ったチョコレートを日常的に見かけるようになるかもしれませんね。

 * 本日未明、カウンターが127万PVを越えました。いつもご覧いただいている皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。


 ★★★ トーク・イベントのご案内 ★★★

 10月17日19:00より、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店ふらっとすぽっとにて、おくればせながら、拙著『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークをやります。

 入場無料でプレゼントもご用意しております。今年の11月は世界切手展<Brasiliana 2013>へ参加のため、ブラジルに行っており、恒例の<JAPEX>でのトークはできませんので、この機会に、ぜひ遊びに来てください。

 なお、出版元の告知ページもあわせてご覧いただけると幸いです。


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 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は11月5日(原則第1火曜日)で、以後、12月3日、1月7日、2月4日、3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 カメルーンに勝利
2010-06-15 Tue 01:45
 きょう(15日)の日付変更線をまたいで行われたサッカーW杯の日本対カメルーン戦で、日本代表が1-0で勝利を収めました。というわけで、きょうはカメルーンがらみの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

      カメルーン加刷
 
 これは、1897年にドイツ支配下のカメルーンで発行された加刷切手です。

 カメルーンは中部アフリカのギニア湾に面した国で、その名は、1470年にこの地を訪れたポルトガル人がエビの多いことから“カマラウン”と名付けたことに由来しています。

 列強諸国によるアフリカ分割が進められていく過程で、1868年、ハンブルクのカール・ヴェールマン商会がカメルーンに拠点を構えます。その後、ドイツは、カメルーン南西部を拠点とするドゥアラ人と保護条約を結び、ギニア湾東部を勢力圏内に置くことに成功。さらに、1884年7月、カメルーン全土を支配下に置きました。

 これを受けて、1887年2月1日、ドゥアラに最初のドイツ局(当時の局名は“カメルーン”でした)が設けられます。当初、カメルーンのドイツ局では、本国の切手が無加刷のまま使われていましたが、1897年以降、“Kamerun”表示の加刷切手が使用されるようになり、1900年からは皇帝の御用戦艦を描く、植民地共通図案の“カイザーヨット”切手が使用されました。

 第一次大戦で、カメルーンは英仏軍によって占領され、戦後、領域の約8割が仏領に、ナイジェリアとの国境沿いの残り2割が英領に分割されます。第二次大戦後の1960年、仏領カメルーンは独立を達成しますが、英領地域では旧仏領地域との統合を巡って対立がおこり、最終的に、1961年、英領カメルーンの南部が旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国を結成。旧英領カメルーンの北部はナイジェリアへ統合されることで決着しました。これが、現在のカメルーン国家の直接のルーツとなります。

 まぁ、カメルーンというのは切手収集の世界では比較的知られた名前ですが、こういう機会でもないと、なかなか一般のメディアでは取り上げられることのない国だと思いますので、簡単にご紹介してみました。


 ★★★ 欧米人も実は捕鯨が大好き ★★★

 鯨を追い、七つの海へと旅立った男たちの歴史と文化
  キュリオマガジン6月号・巻頭特集 捕鯨浪漫主義

      捕鯨浪漫主義  

 捕鯨は日本だけの特殊な文化・伝統なのか。否、そんなことは断じてない。むしろ、歴史的に見れば、欧米社会こそ、捕鯨を題材とした文学・演劇・音楽・絵画などさまざまな文化を残してきたではないか。 陸の西部劇と海の捕鯨は、カッコいい荒くれ男たちの物語の双璧である。知力・体力の限りを尽くし、命の危険を顧みずに大自然の中で奮闘する男たちの姿を見て、単純素朴に美しいと感じる人も多いはずだ。 

 そんな捕鯨のカッコよさを物語る欧米のコレクターズ・アイテム満載の『キュリオマガジン』2010年6月号、好評発売中!(なお、同誌についてのお問い合わせや入手方法などにつきましては、出版元のHPをご覧いただけると幸いです)


 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

  総項目数552 総ページ数2256  
  戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結!

      昭和終焉の時代  『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込)

 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1JBOOKlivedoor BOOKS7&Y紀伊国屋書店BookWebゲオEショップ楽天ブックスなど)で好評発売中!

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