内藤陽介 Yosuke NAITO
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World Wide Weblog
 トマス・サンカラ没後30年
2017-10-15 Sun 16:32
 その劇的な生涯から、“アフリカのゲヴァラ”と呼ばれたトマス・サンカラが1987年10月15日に暗殺されてから、今日でちょうど30年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルキナファソ・サンカラ田型

 これは、1984年にブルキナファソで発行された“革命1周年”の記念切手で、人民を背景にサンカラの肖像が描かれています。ちなみに、サンカラは自身の個人崇拝を望なかったことに加え、1987年の暗殺後、コンパオレ政権はこの切手の販売と使用を事実上禁止したため、未使用・使用済みともに現存数は多くはありません。特に、今回ご紹介の切手は、1986年1月13日付のワガドゥグ局の消印が押された田型ですが、このように、サンカラ政権時代の使用時期・局名がわかるブロックの使用済はほとんど見られないので、下2枚の状態が悪くても、とりあえずは我慢せざるを得ないのが正直なところです。

 さて、トマス・サンカラは、1949年12月21日、仏領オートヴォルタ時代のヤコ近郊で生まれました。

 1960年のオートヴォルタ独立後、サンゴール・ラミザナ政権下で創設されたカディオゴの士官学校を経て、1970-72年には奨学金を得てマダガスカルの軍事学校に留学。当時、オートヴォルタに比べて経済的に発展していたマダガスカルを実地に見聞したことが祖国の抜本的な改革を志すきっかけになったと、後にサンカラは語っています。

1972年の帰国後のサンカラは、1974年にはマリとの国境紛争に従軍し、最前線で部隊を指揮しただけでなく、マリ領内に潜入して敵情を探索し、国民的な英雄となりました。

 対マリ紛争の終結後、フランスのポーやモロッコのラバトでパラシュート部隊の訓練を受け、ガーナとの国境にも近い南部ポのパラシュート部隊の軍事訓練施設長に就任。ポでは、ブレーズ・コンパオレらと秘密組織“共産主義将校団”を結成し、軍の幹部を批判する政治活動を開始します。

 1982年11月、盟友のコンパオレがクーデターを起こすと、1983年1月、サンカラはその名声を背景に首相に任命されました。

 サンカラ政権は、従来の親西側の外交政策を転換し、リビア、キューバ、アルジェリア、ガーナ、ベナンなどとの接近を図りました。しかし、独立後もオートヴォルタに影響力を維持していた旧宗主国、フランスは、当時、チャドをめぐってリビアと激しく対立していたため、サンカラのリビア接近に激怒。フランスの意向を汲んだジャン=バプティスト・ウエドラオゴ大統領は、1983年5月、サンカラを拘束します。

 これに対して、オートヴォルタ国民の反発は強く、反政府暴動が発生。同年7月、リビアの支援を受けたコンパオレが再度クーデターを起こし、救出されたサンカラは、1983年8月4日、33歳の若さで大統領に就任しました。

 大統領に就任したサンカラは、自らを革命家と称し、“サンカラ革命”と呼ばれる大規模な国家改造に着手します。

 サンカラ政権は、左翼の立場から、“人民の敵”である既存のエリート(資本家、地方の部族長、宗教勢力)の特権を剥奪して、“人民”に分配する姿勢を示しました。

 それを可視化するため、軍人・公務員の給与は削減され、公務員向けの無料官舎が廃止されたほか、政府所有の高級車メルセデスも売却され、サンカラ本人を含む政府高官の公用車には大衆車のルノーが採用されます。ちなみに、サンカラ本人は質素な生活を好み、アフリカの政治指導者としては例外的に汚職とも無縁の禁欲的な人物でした。このこともまた、彼が“アフリカのゲヴァラ”と呼ばれている一因になっています。

 サンカラの“革命”の具体的な成果としては、以下のようなものが挙げられます。

 ①キューバの支援を受けて大々的なワクチン接種キャンペーンを実施。250万人を伝染病から救い、乳児死亡率も激減しました。また、アフリカ諸国の政府として、エイズが国家的な危機であることを初めて公に認めています。
 ②サハラ砂漠の進行を抑えるため、1000万本の植林による森林再生プログラムを開始。
 ③識字政策を強化。識字率は2年間で12%から22%に上昇しました。
 ④新しい家族法を公布し、女性の社会進出を促すとともに、一夫多妻を禁止して避妊を奨励。売春を禁止し、政府高官に女性を多数任命しました。

 こうした革命の理念を体現するものとして、1984年、国名も現地語で“清廉潔白な人の国”を意味するブルキナファソに変更されています。

 このように、サンカラ革命は一定の成果を上げましたが、その一方で、鉄道建設が“鉄道建設闘争”と位置付けられ、沿線住民に労働奉仕が義務づけられるなど、性急で強権的な社会改革には国民の負担も少なくありませんでした。

 また、既得権を失った“人民の敵”やサンカラ革命の周辺諸国への波及・拡大を恐れる近隣諸国の指導者や旧宗主国のフランスなどは、政権転覆の機会を虎視眈々と狙っていた。

 こうしたなかで、1985年12月、マリとの国境紛争が発生し、5日間の戦闘で約100人のブルキナ兵が犠牲になると、国内でもサンカラに対する批判が高まります。こうした機運を捕えて、1987年10月15日、コンパオレによるクーデターが発生し、サンカラは暗殺されました。享年37歳。

 サンカラの死とともに、彼の掲げた“革命”は破棄され、ブルキナファソは、政治腐敗と外国勢力の介入、経済の停滞と絶望する農民が溢れる“普通のアフリカ”に戻りました。しかし、現在なお、サンカラの高潔な人格と彼の理念はブルキナファソの人々に敬愛され続けています。


★★ NHKラジオ第1放送 “切手でひも解く世界の歴史”  次回は19日!★★

 10月19日(木)16:05~  NHKラジオ第1放送で、内藤が出演する「切手でひも解く世界の歴史」の第10回が放送予定です。今回は、10月18日が米国によるアラスカ領有150年の記念日ということで、アラスカを買った米国務長官、ウィリアム・スワードにスポットを当ててお話をする予定です。なお、番組の詳細はこちらをご覧ください。


★★★ トークイベントのご案内  ★★★ 

 11月4日(土) 12:30より、東京・浅草で開催の全国切手展<JAPEX>会場内で、拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』刊行記念のトークイベントを予定しております。よろしかったら、ぜひ遊びに来てください。なお、詳細は主催者HPをご覧いただけると幸いです。


★★★ 世界切手展<WSC Israel 2018>作品募集中! ★★★

  明年(2018年)5月27日から31日まで、エルサレムの国際会議場でFIP(国際郵趣連盟)認定の世界切手展<WSC Israel 2018>が開催される予定です。同展の日本コミッショナーは、不詳・内藤がお引き受けすることになりました。

 現在、出品作品を11月10日(必着)で募集しておりますので、ご興味がおありの方は、ぜひ、こちらをご覧ください。ふるってのご応募を、待ちしております。


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 世界の国々:ブルキナファソ
2017-03-01 Wed 11:10
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2月22日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はブルキナファソの特集(2回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルキナファソ・掟

 これは、1999年にブルキナファソが発行した映画の切手のうち、アフリカ映画界を代表する巨匠、イドリッサ・ウエドラオゴの作品『掟』を取り上げた1枚です。作品の主人公サガ(ラスマネ・ウエドラオゴ)とノグマ(イナ・シセ)を中心に、左の円内に(若き日の)ウエドラオゴの肖像を描くデザインとなっています。

 イドリッサ・ウエドラオゴは、仏領オートヴォルタ時代の1954年1月21日、バンフォラ(ブルキナファソ西部の都市)生まれ。首都ワガドゥグーのアフリカ映画学院を卒業後、キエフとパリの高等映画学院で映画製作を学んだ。

 1987年、初の長編『祖国アフリカ』を発表し、タオルミナ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1989年に発表した2作目の『ヤーバ』は第43回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品され、国際映画批評家連盟賞とエキュメニカル審査員賞を受賞しました。

 今回ご紹介の『掟』は、1990年に発表された3作目の作品で、第43回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、叙事詩的なスタイルで“アフリカ”を描き切った力作として、審査員特別グランプリを受賞しました。

 物語は、モシ人の青年、サガは2年の放浪の後、故郷に戻り、そのことを告げる角笛を吹き鳴らすところから始まります。サガには幼馴染で婚約者のノグマがいましたが、彼女は、サガが村を離れていた間、サガの父の第2夫人になっていました。ちなみに、ブルキナファソでは、1983-87年のサンカラ政権時代に一夫多妻がいったん法的に禁止されたものの、サンカラ暗殺後のコンパオレ政権下で事実上復活しています。

 さて、再開したサガとノグマは、ほどなく、不倫の関係になり、そのことが発覚したため、サガは村の掟により殺されそうになりしたが、弟クルガの計らいでノグマと2人で出奔し、遠くの村で新生活を始め、子宝にも恵まれました。しかし、そんな彼の元に、母の危篤の方が知らされます。どうしても母親の死に目に会いたかったサガは、戻れば殺されることを覚悟して村へ戻り、布にくるまれた母の亡骸を目にしたところで、弟クルガに射殺される…というのが、物語のあらすじです。

 さて、『世界の切手コレクション』2月22日号の「世界の国々」では、“アフリカのゲバラ”と呼ばれたトマス・サンカラとその時代について扱った長文コラムに加え、伝統家屋のカーズ、モシ人の民族服・ファソダンファニ、世界遺産のロロペニ遺跡、民芸品のブルキナ・バスケットの切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、 「世界の国々」の僕の担当回ですが、今回のブルキナファソの次は、本日(1日)発売の3月8日号でのドミニカ国の特集(2回目)になります。こちらについては、発行日の8日以降、このブログでもご紹介する予定です。 


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 世界の国々:ブルキナ・ファソ
2015-04-08 Wed 09:15
 アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2015年4月8日号が、先週刊行されました。僕が担当しているメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はブルキナ・ファソを取り上げています。その記事の中から、この1枚をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       トマス・サンカラ
 
 これは、1984年に国名表示が“ブルキナ・ファソ”となった最初の正刷切手で、大統領トマス・サンカラの肖像と彼の革命を支持する国民が描かれています。

 現在のブルキナ・ファソの前身にあたるオート・ヴォルタは1960年にフランスから独立しましたが、1966年に軍事クーデターが発生し、サングウレ・ラミザナ中佐が実権を掌握。ラミザナはみずから国家元首(大統領兼首相)に就任し、1970年6月には国民投票を行って新憲を採択し、みずからは大統領のまま、民政復帰を実現しました。

 しかし、1970年代初頭の大旱魃への対応をめぐって政府と議会が激しく対立したことから、1974年2月28日、ラミザナは議会を解散し、事実上の軍政を復活させています。

 こうした状況の中で、1974年11月25日、オート・ヴォルタとマリとの国境地帯に位置するアガシュール地区で偶発的な武力衝突が発生します。アガシュール地区は天然ガスとマンガンを中心とした鉱産資源の豊かな土地で、軍事的な衝突じたいは小規模なものに終わりましたが、アフリカ統一機構が調停に乗り出し、1975年6月18日に国境画定のための専門委員会を発足させるという条件で休戦協定をまとめるまで、両国間の緊張が続くことになりました。

 この紛争の過程で、オート・ヴォルタ側の英雄として名をはせたのが、トマス・サンカラです。

 サンカラは、仏領植民地時代の1949年、ヤコ付近の村で生まれました。1974年の国境紛争での活躍とあわせて、禁欲的で高潔な人格から、腐敗著しいラミザナ政権に不満を持つ国民の間で人気を集めます。

 1980年11月25日、ラミザナ政権の外相だったセイェ・ゼルボ大佐による無血クーデタが発生。ゼルボは国内のサンカラ人気に目をつけ、1981年9月、彼を情報部長官に任命しました。しかし、ゼルボ政権は政党の抑圧、労働組合のストライキ禁止などの強圧的な政策を展開したため、1982年4月には労働者がゼネストで対抗しています。経済が混乱する中で、1982年11月7日、ジャン=バプティスト・ウエドラオゴ少佐ら下士官グループによるクーデターが発生し、翌1983年1月、サンカラは首相に任命されました。

 首相となったサンカラは、従来の外交路線を転換し、リビア、キューバ、アルジェリアなどとの接近を図りましたが、そのため、後継大統領のウエドラオゴは、1983年5月、旧宗主国フランスの意を汲んで彼を首相のまま拘禁。すると、同年7月、サンカラの盟友であったブレーズ・コンパオレがクーデターを起こし、8月4日、サンカラは大統領に就任しました。

 大統領となったサンカラは、政治家・官僚の汚職摘発、人頭税の廃止、児童へのワクチン接種、教育改革による識字率の向上、農民への土地の再配分などの“革命”を断行し、国名をブルキナ・ファソに変更。これらは一定の成果を上げ、国民所得は向上します。

 しかし、彼の急進的な改革に対しては、フランスとのつながりが強い国内保守層の反発も強く、1987年10月15日、サンカラはコンパオレによるクーデターで暗殺され、その革命は頓挫しました。なお、37歳で暗殺された劇的な生涯とその革命的な理念から、サンカラは“アフリカのゲバラ”とも呼ばれており、現在なお、ブルキナ・ファソの国民的な英雄として尊敬を集めています。

 さて、 『世界の切手コレクション』4月8日号の「世界の国々」では、ブルキナ・ファソの近現代史について概観した長文コラムのほか、オート・ヴォルタの名前の由来となったヴォルタ川の切手や沖縄海洋博に際して発行された戦艦大和の切手などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧いただけると幸いです。

 なお、本日発売の4月15日号では、「世界の国々」はアフリカのネパールを特集していますが、こちらについては、来週、このブログでもご紹介する予定です。また、ブルキナファソとマリの国境紛争につきましては、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、こちらもあわせてご覧いただけると幸いです。


 ★★★ イベントのご案内 ★★★

 ・4月25日(土) 11:00-12:00 スタンプショウ
 於 東京都立産業貿易センター台東館(浅草) 特設会場
 出版記念のトークを行います。入場は完全に無料ですので、ぜひ、遊びに来てください。スタンプショウについての詳細はこちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『日の本切手 美女かるた』 発売! ★★★ 

         日の本切手 美女かるた・表紙 税込2160円

 4月8日付の『夕刊フジ』書評が掲載されました!

 【出版元より】
 “日の本”の切手は美女揃い!
  ページをめくれば日本切手48人の美女たちがお目見え!
 <解説・戦後記念切手>全8巻の完成から5年。その著者・内藤陽介が、こんどは記念切手の枠にとらわれず、日本切手と“美女”の関係を縦横無尽に読み解くコラム集です。切手を“かるた”になぞらえ、いろは48文字のそれぞれで始まる48本を収録。様々なジャンルの美女切手を取り上げています。

 出版元のサイトはこちら、内容のサンプルはこちらでご覧になれます。ネット書店でのご購入は、アマゾンboox storee-honhontoYASASIA紀伊國屋書店セブンネットブックサービス丸善&ジュンク堂ヨドバシcom.楽天ブックスをご利用ください。


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 ブルキナファソでクーデター
2014-11-02 Sun 11:16
 西アフリカのブルキナファソで、一昨日(31日)、軍によるクーデターが発生し、27年間にわたって政権を維持していたブレーズ・コンパオレ政権が崩壊。昨日(1日)までに大統領警備隊を指揮するジダ中佐を首班とする新政権が発足しました。というわけで、今日はこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      ブルキナ加刷

 これは、1985年にブルキナファソで発行されたキバナコスモスの切手で、オート・ヴォルタからブルキナファソへの国名変更にあわせて、旧国名を抹消して新国名の加刷が施されています。

 1960年に独立したオート・ヴォルタでは、1980年のクーデターで発足したセイェ・ゼルボ政権の下で、1982年11月、トマス・サンカラが首相に就任します。サンカラは、リビア、キューバ、アルジェリアなどとの接近を図りましたが、そのため、ゼルボの後継大統領となったジャン=バプティスト・ウエドラオゴは、1983年5月、旧宗主国フランスの意を汲んで彼を首相のまま拘禁。このため、同年7月、サンカラの盟友であったブレーズ・コンパオレがクーデターを起こし、8月4日、サンカラは大統領に就任します。

 サンカラ政権は“革命”を掲げて社会主義路線を進めましたが、その一環として、1984年、現地語で “清廉潔白な人の国”を意味するブルキナファソに国名を変更しました。しかし、1987年10月15日、コンパオレによるクーデターでサンカラは暗殺されてしまいます。

 一方、クーデターによって政権を掌握したコンパオレは、まず、人民戦線議長(国家元首)に就任。1990年にはサンカラ時代の急進左翼路線を放棄するとともに、1991年には複数政党制や大統領の直接選挙を柱とする憲法を制定。1992年に行われた総選挙(投票率25%)で、大統領に選出されました。

 コンパオレは、まず、大統領として7年の任期を2回務めましたが、国民の間から長期政権に対する不満が高まったことから、2000年、大統領の任期を7年から5年に短縮し、3選は不可とする憲法改正を行います。しかし、修正憲法の条文は過去にさかのぼって適用することはできないという理由から、2000年の時点で大統領の地位にあったコンパオレに関しては、彼の2期目の任期が満了するまではこの規定は適用されないことになりました。そして、2005年の任期終了後、コンパオレは新憲法下での“新人候補”として大統領に立候補して当選。2010年に2期目の当選を果たし、来年の選挙ではようやく退陣という段取りになっていました。

 ところが、2015年以降も政権を維持しようとしていたコンパオレは、今年に入ってから、憲法を改正して3選禁止規定を撤廃しようとしたことから国民が猛反発。10月には首都ワガドゥグーで数十名の死者が出る大暴動が発生したことから、軍がクーデターを起こして事態を収拾したというわけです。

 これに対して、野党勢力や市民団体は、きのう(1日)、声明を発表。「民衆の蜂起による勝利は市民のものだ。軍に奪われてはならない」、「政権移行は民主的で市民の手によるものでなければいけない」として軍を批判するとともに、今日(2日)、首都ワガドゥグで行われる予定の抗議デモに市民への参加を呼び掛けており、今後、混乱がさらに拡大する可能性もあります。エボラ出血熱の問題とも併せて、今後しばらく、西アフリカの情勢から目が離せない日が続きそうですな。

 * 昨日(1日)のトークイベントは、無事、盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。
 

 ★★★ インターネット放送出演のご案内 ★★★

      チャンネルくらら写真

 インターネット放送・チャンネルくららにて、内藤がレギュラー出演する新番組「切手で辿る韓国現代史」が毎週水曜日に配信されています。青字をクリックし、番組を選択していただくとYoutube にて無料でご覧になれますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧ください。(画像は収録風景で、右側に座っているのが主宰者の倉山満さんです)

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:11月4日、1月6日、2月3日、3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

 ・イスラム世界を知る 時間は15:30-17:00です。

 次回開催は11月4日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


 ★★★ 内藤陽介の最新刊  『朝鮮戦争』 好評発売中! ★★★ 

        朝鮮戦争表紙(実物からスキャン) 本体2000円+税

 【出版元より】
 「韓国/北朝鮮」の出発点を正しく知る!
 日本からの解放と、それに連なる朝鮮戦争の苦難の道のりを知らずして、隣国との関係改善はあり得ない。ハングルに訳された韓国現代史の著作もある著者が、日本の敗戦と朝鮮戦争の勃発から休戦までの経緯をポスタルメディア(郵便資料)という独自の切り口から詳細に解説。解放後も日本統治時代の切手や葉書が使われた郵便事情の実態、軍事郵便、北朝鮮のトホホ切手、記念切手発行の裏事情などがむしろ雄弁に歴史を物語る。退屈な通史より面白く、わかりやすい内容でありながら、朝鮮戦争の基本図書ともなりうる充実の内容。

 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各電子書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。

 *8月24日付『讀賣新聞』、韓国メディア『週刊京郷』8月26日号、8月31日付『夕刊フジ』、『郵趣』10月号、『サンデー毎日』10月5日号で拙著『朝鮮戦争』が紹介されました!


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 ケイタちがいですが…
2013-08-11 Sun 05:52
 7月28日に投票が行われたマリの大統領選挙は、イブラヒーム・ケイタ元首相が39.2%の得票率で1位となったものの、過半数の票を獲得できなかったため、きょう(11日)、19.4%の得票率で2位となったスーマイラ・シセ元財務相との決選投票が行われます。というわけで、大統領候補とは別人ですが、マリの“ケイタ”を取り上げた切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       サリフ・ケイタ

 これは、1974年のFIFAワールドカップに際して、マリの隣国オート・ヴォルタ(現ブルキナ・ファソ)が発行した記念切手のうち、マリ・サッカー界の英雄、サリフ・ケイタを取り上げた1枚です。

 現在のマリ国家の領域に相当する地域では、“ケイタ”というのはかなりポピュラーな名前で、とっさに思いつくだけでも、今回のケイタ候補の他に、初代大統領のモディボ・ケイタや、今回ご紹介のサリフ・ケイタ、さらにはその甥で同じくサッカー選手のセイドゥ・ケイタなどの名前が上がります。今回、仮にケイタ候補が当選するとなると、新大統領を他のケイタと区別するための愛称のようなものが必要になるかもしれません。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたサリフ・ケイタは、1946年12月12日、バマコ生まれ。1963年、16歳の時、国内のプロチーム、レアル・バマコへ入団を果たすと同時にマリ代表に招集され、アフリカ・クラブ選手権に出場しています。そして、8試合で14得点を挙げる活躍を見せて注目を集め、1967年からフランス1部リーグのASサンテティエンヌで活躍しました。

 特に、1970-71年のシーズンでは38試合で42得点を挙げ、1970年のアフリカ最優秀選手に選出。翌1972年2-3月にカメルーンで開かれたアフリカ・ネイションズ・カップでは、ケイタはマリ代表として参加し、祖国を準優勝に導きました。ちなみに、同大会での優勝はコンゴ人民共和国でした。

 カメルーン大会の後、フランスに戻ったケイタは、1972年夏、ASサンテティエンヌからオリンピック・ドゥ・マルセイユに移籍します。

 当時のトラオレ軍事独裁政権を正式に承認したフランス政府は、1972年4月28日、マリ国家元首としてのトラオレのパリ公式訪問を受け入れましたが、フランス国内では独裁政権の人権弾圧についても知られるようになっていました。このため、チームはケイタに対して、亡命してフランス国籍を取得することを強く勧めたものの、彼はこれを拒否してマリの国籍を維持しています。

 アフリカ選手権での準優勝に加えて、その立役者であるケイタがフランス亡命を拒否したことは、独裁政権にとっては、国威発揚の格好の材料となり、トラオレ政権は彼を祖国の英雄と称賛します。しかし、そのことによって、かえってフランス国内に居づらくなった彼は、1973年のオフシーズン、スペインのヴァレンシアCFに移籍しました。

 この移籍に対して、地元のローカル紙『エル・ヴァレンシア』は「ヴァレンシアはドイツ人選手獲得のために出かけたのに、黒人を連れて帰ってきた」と人種差別むき出しの見出しを掲げていましたが、チームやファンは彼を温かく迎え入れ、ケイタは、1976年までヴァレンシアでプレイします。その後、スポルティング・リスボンを経て、1979年に渡米し、1980年のシーズンを最後に引退しましたが、1973年以降はマリ代表チームに加わりませんでした。マリの国籍を保ち、祖国を愛する気持ちは常に持ち続けていても、トラオレ政権に利用されることは避けたかったのでしょう。

 なお、引退後の彼は大学で経営学を学び、その知識を活かしてホテルや不動産事業を展開するかたわら、最初にプロ契約を結んだマリ国内のチーム、レアル・バマコを資金的に援助していました。そして、1989年のトラオレ政権崩壊を経て、1993年、若手選手の育成機関“サリフ・ケイタ・センター”を設立。1997年にはチームをマリ1部リーグに昇格させたほか、2005年から2009年まではマリサッカー協会の会長も務めています。

 こうしたキャリアを見ると、じつは、サリフ・ケイタもまた、マリを代表する人物として大統領にふさわしい人物だったと言えるのかもしれませんな。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 * 出版元特設ページはこちらをご覧ください。

 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は9月3日(原則第1火曜日)で、時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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 ブルキナファソ独立50年
2010-08-05 Thu 14:30
 西アフリカのブルキナ・ファソが1960年8月5日にオート・ヴォルタとして独立してから、きょうでちょうど50年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      オートボルタ独立

 これは、1960年8月5日の独立にあわせてオート・ヴォルタ(当時)が発行した記念切手で、国旗と同国の農村風景、同国の男女が描かれています。

 ブルキナファソは西アフリカの内陸国で、北にマリ、東にニジェール、南東にベナン、トーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワールと国境を接しています。

 首都のワガドゥグーとその周辺には11世紀に成立した王国が19世紀末まで存続していましたが、1896年、当時のモシ王国がフランスの保護領となり、1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入りました。

 1904年に、フランスは西アフリカの仏領地域をフランス領西アフリカとしましたが、1919年、ヴォルタ川上流域(これがオート・ヴォルタの語源です)をオート・ヴォルタとして“オート・セネガルならびにニジェール”の南部から切り離して別個の植民地を創設。これに伴い、1920年には“オート・セネガルならびにニジェール”に“HAUTE VOLTA”と加刷した切手も発行されました。

 しかし、1933年には、オート・ヴォルタの地域は、仏領スーダン(現マリ)、コート・ディヴォワール、ニジェールの各植民地に分割・統合され、オート・ヴォルタ切手の発行も停止されます。

 その後、オート・ヴォルタという枠組みは、第二次世界大戦後の1958年にフランス共和国の自治共和国として復活し、1960年8月5日に独立しました。

 現在のブルキナ・ファソ(現地語で“清廉潔白な人の国”の意)に国名が変更されたのは1984年のことで、前年の1983年のクーデターで権力を掌握し、社会主義路線を推進したトーマス・サンカラ政権によるものです。なお、サンカラは、清廉潔白な人物であったかどうかはともかくとして、一種のカリスマ性をもっていたことには間違いなく、また、1987年には若くして暗殺されていることから、“アフリカのゲバラ”との異名を持つ人物だとか。僕自身、不勉強で彼のことはよく知らないのですが、今後、調べてみるといろいろと面白い物語が出てくるかもしれません。

 さて、8月1日の記事でも少し書きましたが、今年は1960年の“アフリカの年”50年なので、この年に独立した国については、今年中に少なくとも1回はこのブログで取り上げようと思っています。ただし、どういうわけか、8月に独立宣言を発した国が多いので、今月はこのブログがアフリカ国めぐり特集のような雰囲気になってしまいそうですが、あしからず、お付き合いいただけると幸いです。


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